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今日はペンキ塗り終わる。2かかんで9000x2=18000円と材料費5800円ほど請求し、少し足して25000円を貰った。それにいくつかのお土産と。業者に頼めばかなりの金を取られるだろうから、喜んで貰えた。朝は10時、9時半からの2日間だから私にとってもそう悪くはない収入だ。ありがたい。明日は6時にここを出る。風呂にはいり、もっていくものの用意をして、寝るところ。おやすみなさい今日も1日大いなる存在に抱かれて吹きすさぶ風の中で仕事をしました夜になって風は止みましたが明日の朝は冷えるそうです。
2006.03.31
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2006.03.31
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歯茎もすっかり治った感じです。疲れもすっかり取れました。身体が休息を必要としていて、そのようなシグナルを出し、それの応じたことで、すべては良くなりました。サプリメントをたくさん食べたことも良かったようです。今日はいい天気になったので、屋根のペンキ塗りの仕事をしに行きます。
2006.03.31
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明後日から名古屋の近くに3,4日電気屋さんの手伝いの仕事に行くから、歯茎の腫れは治しておいた方がいいと思って、夕方、近くの歯医者に行って来る。丁寧に説明してくれたし、きちんとやってくれた。痛め止めは貰わなかったから、7時ころまでは痛かったけれど、今は痛みも引いた。かなり膿も出たようだ。本当に歯が痛いというのはうっとおしいものだ。すっきりしてよかった。やはりサプリメントだけでは、あそこまで腫れたらだめなようだ。でもたぶん回復の力にはなるだろう。ところで自民・橋本派の1億円献金事件村岡氏の無罪判決が出た。橋本氏の意向で、隠されたのは見え見えの事件だけれど、検察は控訴するとか。まったく検察庁というところは、見え見えの真犯人を隠して、政界を退いたような影響力のない人を犯人に仕立てて平気だ。巨悪は隠される。そうした人々が権力を握っている。こんな世界でおとなしく生きたくはない。それが自らの誤りを見つめ直してきたものの責任だ。自らもそのような醜悪さを生きたことを自覚し、それを見つめてきたものの。とはいうも日々の生活は貧しい。歯医者に行っても、できるだけ安く上げてくれと頼まざるを得ない。なかなかこんな生活を楽しめない。でも安く仕上げてくれ、膿は出て痛みは引いたことだけでも素晴らしい。屋根のペンキ塗り電気屋さんの手伝いこの苦しいときにそんな仕事も入ってきて、何とか今回もピンチは切り抜けれそう。不思議といえば不思議だ。行き詰まり送で行き詰まらないのだから。心配するだけ無駄なのだ。何とかすることにエネルギイを注ぐだけでいいのだ。とはいうもののやはり普通の人間の私は、ときどきため息をついてしまう。多分これもいつかいい思い出になるのだろうけれど。
2006.03.30
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歯茎の腫れは少しひいたけど、よく寝たら、体の疲れているところが、感じ取れるようになった。ちょうど雪も降っているし、今日は野の花社で過ごすことにする。
2006.03.30
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今日は、昨夜あたりから少し腫れ出した歯茎がかなり痛む。久しぶりだけど、東京行きなど、また帰ってきてから休むまもなく仕事をしていることなどから、疲れが出ているのかもしれない。前はサプリをたくさん食べて寝たらなったから、今回もそうしてみるつもり。ただし前のは今なくて、少し安いのがあるだけだからどうか分からない。でも歯医者に行く前に、そんなことも試してみる。治ればもうけもの、ニコニコ。ともかくもうすぐ横になる。
2006.03.29
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2006.03.27
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2006.03.27
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雨で、一日野の花社で榊の小束60のほか、コブシ、シロモジ、椿の花束を作っていました。写真はその花束。
2006.03.27
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2006.03.27
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2006.03.27
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驚くべきことに、ほとんど全面勝訴でした 加藤三郎 熊本刑務所在所中に提起し、在所中に剣もほろほろに敗訴し、最後の1つだけ残っていた受刑者のメディアへのアクセス権を求める訴訟の、3月23日に開かれた最高才判決は驚くべきことに、私のほとんど全面勝訴となりました。主文は以下のとおりで、それだけ読むと裁判官は退廷しました。 1、原判決を次のとおり変更する。 第1審判決を次のとおり変更する。(1)被上告人は、上告人に対し、1万円を支払え。 (2)上告人のその余の請求を棄却する。2、訴訟の総費用は、これを10分し、その1を被上告人の負担とし、その余を上告人の負担とする。 裁判に慣れた人なら、この様な主文を読まれたら、それだけでほとんど全面勝訴なのだということが分かるのでしょうが、私は何か1部分私の主張が受け入れられたのだというくらいにしか受け取れませんでした。私は私の損害賠償請求の部分が認められるということは、考えられない、想定外のことだったので、事態が飲み込めなかったのです。私はせいぜい熊刑の所長に過失はないが、このような処分は憲法の趣旨からして誤りであり、受刑者のマスコミへのアクセス権は認められるべきだ、といた意見を付けてくれることはありうると考えていました。従来から判例では、受刑者の手紙などによる外部交通は、親族以外には特に必要と所長が認めない限り不許可にしていい、というものだったからです。その意味で本件の私の新聞社への手紙の発信を不許可にしたことには、所長として当然のことであり、所長に過失があるとは言いがたいことだったからです。もちろん訴訟上は所長の過失を主張してもいましたが。 ともあれ最高才判決は、私が監獄法42条2項が受刑者の非親族への信書の発信は原則禁止し、所長が特に必要と認めるばあいにのみ許可するとしているのは、表現の自由を定めている憲法に違反すると主張したのに対してはそれを認めませんでした。しかしその判じの内容自体では、ほぼ私の主張を受け入れて、42条2項は法の趣旨からして、信書の受発は広く認められ、制限は障害の発生の防止のために必要か都合理的な範囲にとどめるべきもの、と解されるべきと判じしました。このような解釈はその文言からして本来ありえないものです。このような判じは、実質的には42条の違法性を認めるものですが、これまでそれを支持してきた裁判所の面子を守り、できるだけ事を荒立てない表現にするという、苦肉の策を取っているように思われます。 ともあれこのように解釈を変更することで、私の勝訴の土台を整えた上で、最高才は私も考えなかった理由で、所長の本件処分の不当性を明らかにしています。というのも、私は本件の手紙を出す前に、同様の内容の国会議員への請願書、地検への告発状を出してそれが所長に許可されており、そのことからして本件手紙の発信が刑務所の管理などに障害が生まれるはずはなかったのであり、その発信はなんら問題はなかったから、所長の不許可処分は違法なものであると。 しかしこのような判じは所長に対する責任転嫁のきらいがあります。42条は特に必要がない限り非親族への発信は許可しなくていいとしているのですから、今回のように解釈すること自体が困難であり、そのような解釈をしてこなかった最高才などの裁判官のほうこそ責任を取るべきであると思います。 ともあれこのような最高才が自らの責任を回避した判じにより、私は損害賠償請求においても勝利し、1万円を支払われることになりました。それはありがたいことであり、また裁判の総費用もほとんど支払う必要がなくなったこともありがたいことでした。
2006.03.26
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クロモジの花もヒキガエの産卵も同じ目的があるのですが、なんという違いでしょう。
2006.03.25
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谷の水溜りで、今年も産卵するヒキガエに出会いました。
2006.03.25
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私は神渕神社の来年度のお祭りに参加しません 加藤三郎 前回の総集会で来年度の神渕神社のお祭りの当番が杉洞であること、今から役員を決めるなど、準備をしていかなければならない旨の話がありました。 それで私はそのことに対し、私の考え、意志について述べさせていただきます。 まず私は来年度の神渕神社のお祭りに、いかなる形でも参加しません。 その理由は以下のとうりです。1、 まず現在の私は常に経済的なピンチに立たされている感じで、とても神渕神社のお祭りの準備に参加する余裕がありません。お金の面でも何らかの分担をする余裕がありません。仮に神というものが存在するなら、そのような状況にある私が身を削るようにして、そのようなことをすることを望みはしないと思います。2、 昔と違って、かなり過疎化が進み、若い人が少なくなり、年配の人が多くなっている神渕の現在の様子からして、祭りの準備を各部落の回り持ちでやるということは、各部落の人びとにとって、いまや大きな負担となっており、多くの人が内心は、こんな形での祭りは別の形に変えたほうが良いと感じておられるように思います。そうしたことからしても、私はこのようなお祭りに参加しません。本当にやりたい人が集まり、お祭りの保存会がやるような形にした方が良いのではないでしょうか。3、 私は、近くの産土さま、白山さまに対しては、その祭神が誰かにはかかわりなく、私たちの生活、生命を日々支えてくれている天地自然の恵みに対し、感謝の祈りをささげる場所として、そこを尊ぶという気持ちはあります。 しかし神渕神社のような天皇神話と直接につながる祭神などが祭られ、神社本庁、神社庁などの傘下に組織されている神社に対しては、それを尊ぶという気持ちはありません。あの神社の土地が持っている静謐な雰囲気自体は好きで、そうした祭神や組織とは関係のないものとして、その土地自体は尊ぶ気持ちはありますが。 私はかって天皇制に反対し、天皇制を支えてきたりしていた神社や仏閣を爆破した人間です。私はそのような暴力的な手段で自らの思想を押し通そうとしたことは、とても深い誤りだったと今は考えています。しかし天皇制や神社神道や日本の仏教の多くのあり方に対しては、現在も強く深い批判を持っています。 かって多くの人々を、無謀で悲惨な戦争に駆り立てることに力を尽くしたと思われる、神社神道という宗教に携わる人々が、その誤りについて深く考えることもなく現在まできていることについても、深い批判を持っています。 それは私自身が犯した深い誤りを見つめ直すことを通してしか、まっとうな人間として立ち直ることができなかったという、その体験に根ざしたものです。自ら深くかかわったあの戦争を見つめ直していない神社神道の人々に対して 、私は決して敬意を払うことは出来ません。これは私が犯した過ちに対する責任をとる意味でも明らかにしておきます。 以上のような考え方から、私は神渕神社のお祭りには参加しません。そしてこれは日本国憲法に保障されている、思想や宗教の自由にもとづく私の思想、信条の表明として私に許されていることです。
2006.03.25
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一昨日は最高裁での勝訴、嬉しかったし、ここでも多くの人の祝福も受けました。ありがとうございます。勝訴は嬉しいのですが、ニコニコ、経済的には、なんか大変な感じで、眠りにくかった夜行バスで帰ってきたものの、仮眠も取らず、昨日は昼ご飯を食べたあと、頼まれていたしきみのせん手に行きました。われながら元気なものだと感じます。多分食べているプロアンセノルズなどのサプリメントも効いているのだと思います。そういえばこの冬は、毎年耳や手足の指の先に出来ていた霜焼けが、まったく出来ませんでした。ともあれ今日は午前中は、コブシの枝を取りに行きました。22日に生花市場で花屋さんから、コブシの蕾のついた枝を取ってきてくれないか、と頼まれたからです。山の中でコブシの枝を取ったことはありませんでしたが、今日は友達にあるところを教えて貰って、取りに行きました。今年はあまり花がついていないということでした。昨年はすごくこぶしの花が咲いたのですが。その山に入ってみたのですが、始めはなかなか見つけられませんでした。かなり探してやっとも付けたのが写真のコブシです。それなりに蕾のついているものはありましたが、でもかなり少なめでした。一応市場に持ってゆきますが、あまり良い値では売れないでしょう。今日はその他、2,3日のうちにやるつもりのトタン屋根のペンキ塗りの道具や、ペンキなども買ってきました。また夕食後、しきみの整理などしていたら、近くの電気屋さんが、4月1日から3,4日ほど泊り込みで仕事を手伝ってくれないかと言って来た。丁度いい時期なのでそうすることにした。明日はここの集落の集会、神渕神社の来年のお祭りへの取り組みに関する集会だろうと思う。仕事があるので出るかどうかは分からないが、先に書いたような、不参加の意志だけは書面の形であれ明確な形で表明しておくつもり。ともあれ、勝訴をお祝いしてくれた人々に、もう1度ありがとう。1万円きりだけど早く送ってくれないかなー、ニコニコ。
2006.03.25
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2006.03.25
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所長は披上告人のメディア宛ての手紙が、所内に放置できない障害が生まれるかどうか、考慮しないで不許可としたのは明らか。またそれ以前に、披上告人が同様な国会議員宛ての書面、地検宛ての書面の発信を許可されていることからして、障害が生まれるおそれがあるとは言えない。したがって、所長に過失があったのは明らかである。
2006.03.23
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最高裁の判決の要点は以下のようなものです。 主文 1、 原判決を次のとおり変更する。 ア、披上告人は、上告人に対し、1万円を支払え。 ツヅク
2006.03.23
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驚くべきことですけど、基本的に今回の訴訟は勝訴となりました。所長の処分は違法である、という判決でした。
2006.03.23
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最高裁の前の女性像のある公園で、妹が作ってくれた、オニギリ弁当をたべています。
2006.03.23
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東京から名古屋まで5000円の夜行バスに乗ったが、座り心地が悪く、しんどい。
2006.03.22
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友だちがライファーズという映画の事を知らせてくれた。アメリカの終身刑受刑者に関する映画といったら言いのだろうか。かららが教えてくれることに関する映画といったら良いのか。宮城刑務所にいるはずの、私の友人の無期囚の飯田博久さんのことを思った。私もできるだけ早い時期にこの映画の上映会をしたい。どのような映画かは、ライファーズ で検索してみれば出てくると思う。この映画とともに旅をするとか今ふと思い浮かんだ。今日は東京にバスで行くのはやめる。明日早く野の花社を立ち、名古屋から新幹線で行くことにする。
2006.03.22
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山仕事がはかばかしくないまま明日は市場に榊の枝30本4束と、芯3本クロモジ30本くらいを出した後、用事を済ませて夜になって夜行バスで東京に向かいます。2月に口頭弁論の開かれた、私が刑務所在所中に提起した訴訟の、最高裁判決が出るからです。友人たちが旅費ぐらいはカンパするといってくれたこともありますが、どんな判決が出るにせよ、受刑者の処遇のあり方のひどい現実を明らかにし、改善の必要性を訴えるいい機会でもあるので、ともかく行ってきます。友人たちが記者会見の場も設定してくれるということです。具体的にはどうなるのか私にはわかりません。仮にそうなったとしても、何を話すことになるか私にはわかりません。その場でおのずから出てくるものに任せます。しかし、出所したときはあまりにも劣悪な受刑者処遇のあり方を、何とか社会に明るみに出すことに力を尽くそうと思っていたのに、いまは、生活に追われてあまりにもそうしたところから遠ざかっています。この山の仕事を始めたのも、友達などの話から、うまくいけば朝は9時ころから山に行き、山の中で榊など整理して仕事は3時ころ終わり、それでまずまずの金を稼ぐことができるという気がしたからでした。そうすれば私はやりたいことがかなりできるのじゃないかと思ったのです。かなり甘かったのですが。山仕事のベテランたちはそんなことが可能かもしれませんが、そう簡単にはそんな余裕のある仕事振りにはなれないのが、今はとてもよく分かります。もっとも、妹が帰ってくるとは思わなかったし、兄との関係も、想定外のこともありました。今日のように榊がかなり取れると、何とかなるんじゃないかと思い、昨日のようにほとんど取れないと、途方に暮れ、本当にころころ心は変わります。このごろはうぐいすの鳴き声で目を覚まします。野の花社の裏は、ヒノキの林や、孟宗だけの林があります。そのあたりで、毎朝うぐいすが鳴きます。のどかで優雅な山里の朝です。
2006.03.21
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良い榊の枝は、主軸の枝を中心に、左右相対の三角形になっている、こんなものです。
2006.03.21
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かなり採れたのはいいが、それをこんな風に背負って谷底から林道まで上げるのは大変だ。
2006.03.20
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久しぶり、今日は榊がかなり採れました。130本ぐらい。
2006.03.20
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今日は昨日の午後から採りに行き、夜作ったしきみ30束と、花枝10束と今日の朝作った榊の小束20束を道の駅に出した後山に入った。10日ほど前かなり膨らんでいた、ムラサキツツジが日当たりの良いところはもう咲き始めているかもしれないと思い、今日は林道の1番奥までいった。先日いい榊が少しあったところも一番奥だったがそことは別の林道だ。しかし先日ムラサキツツジの群生しているところへと向かった尾根筋で、場所を忘れてしまっていて、そこに辿り着けなかった。でもなおも先にあるって行くと、ドウダンツツジのすごい群生しているところに辿り着いた。林道からあまりに遠いため、取り残されているのだろう、切られた後がなかった。もっともまだ芽が出はじめているだけで、採ることが出来るようになるには2ヶ月くらいあるのだが。そんな中で尾根筋に少しあった榊を切ったが、30本くらいしか採れなかった。後クロモジのいいのを30本くらいで今日は終わり。ときどき考え込んでしまう。ともかくこんな調子じゃゆきずまるなーという感じがある。後は裏白というシダ類を採ることも考えている。どうしようか
2006.03.20
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榊を背負い、尾根道を歩っています。
2006.03.20
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今日は私の住んでいる杉洞という集落の住民の自治会のようなものの総集会があった。これまで参加したことはなかったが、来年神渕神社のお祭りを、杉洞区の住民の力でやることになっているので、不参加を表明したかったこともあり出てみた。今日はこの1年間の区の会計報告のようなものが主であったが、やはり来年のお祭りをどうするかということも話題になった。まだ具体的には何も決まらなかったが。私は経済的に苦しいこともあるし、そのお祭り自体には今は興味もないし、多くの人がそのこと、神渕の各集落の持ち回りで祭りを作り上げることに負担を感じていることもある。だいたい300万くらいかかるとか。それを各家で分割して負担するとか。その祭りの準備に1ヶ月くらい前から、とても多くのエネルギイ、作業が必要だとか、祭り自体が昔のような賑わいはなくなっているとかもある。根本的なことは、私にとってその祭りに参加する意味がないことがある。ヤマタノオロチをスサノオウが退治した神話にもとづくもの、確か。神社のある地域のバイブレイションは良い。しかし、住民がその祭りをすることに、私は何か大切な意味があるとも感じない。いわば、習俗としてやられているだけのように感じる。ともかく私はまったく関心がない。近いうちに不参加を明らかな形で表明するつもり。今日はそこまではしなかった。昼の2時ころにその集会が終わってから山に行きしきみと土佐ミズキ、シロモジ、クロモジ、ミツマタなどとって来て束を40ほど作った。夜10時までかかる。
2006.03.19
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2006.03.19
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明日道の駅に出すため作っている、ミツマタ、トサミズキ、クロモジ、シロモジの束。
2006.03.19
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今日は歩ホットのシュタイナー教育のビデオドイツのリーカ先生とか呼ばれている女性の講演の録画、をみての学習会のようなものに参加しました。主に0歳から3歳までの子供の育て方に関するものでした。子供は親の真似をして育つから、親が本当に自分自身を生きていないと子供もおかしくなるとか、たとえばまだ立てない子供に歩行器を与えたりしてはいけない、子供が自分の力で立とうとする意欲が出てくるまで待ち、それを尊重することが大切だとかいった話が印象的でした。それとともに妹のことを思いました。彼女があまりにも過保護に育てられてきて自分の主体的な力が出ないような育て方をされてきたことを。こうして妹とともに生活するようになって初めて聞かされたことが多いのですが。遠足や運動会に出たかったのに、身体が弱いからということで休まされたとか。ごま塩のなかのごまだけを拾って食べていたら、母がごまが好きかといっていつもごまを買ってきてくれるようになった。しかしごま塩のなかのごまは塩辛くてうまかったが、ごまだけのはうまくなく、しかしそういわず食べ続けたとか。ご飯をたくさん食べると母が喜ぶのでたくさん食べ、それでよく気持ちが悪くなっていたけど、母には言わなかったとか。病院にゆくと、自分のことなのに妹は何も言えず母がすべて代弁していたとか。自分の気持ち、感じていることを表現することを奪われていた妹がいます。今はともかく自分の気持ちはかなり率直に表現してくれているのでその点は喜んでいます。ときどきしんどいですが、ニコニコ。今日は道の駅にしきみ100束、榊20束、榊の枝5本、榊の芯1本を出してきました。道の駅の店員の女性が私にこんなことを知らせてくれました。昨日、今日と加藤さんのホームページを見たという人が榊やしきみを買いに来られた。加藤さんのはここのブランドやからね。とか。嬉しくもありあまりいいかげんなものは出せないような気もしました。しかしともかく私のこのホームページを見て買いに来てくださった方には、この場を借りてお礼を言わせて貰います。ありがとうございました。あまり良いものではなかったとか、もし送思われたら知らせてください。
2006.03.18
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今日は朝5時ころおきて、サプリメントの紹介の仕事をいくらかやった。昨日も夜はその関係の情報を集めたり読んだりしてすごした。いろいろなことから、やはり今の私には、サプリメントに関する仕事?にさくエネルギイを少しづつ増やしてゆくのがいいように感じ始めている。いろいろ迷ったけれど、そうしたい気持ちが強くなっている。その後7時ころから昨日つくっていたしきみの束40ほどと榊の束10ほどに道の駅のバーコードを張り、朝食後道の駅に出しに行った。道の駅の野彩広場はしきみがたくさん出ていた。今年はしきみが雪でやられ、あまり出ないということで私は出す気になったのだけど、彼岸が近づきとやはりたくさん出てきた。今日はその道の駅の帰りに許可を得ているところでしきみを切ってきた。昼ころに終わり、昼食後はしきみつくりにはいる6時ころまでに70ほど作る。その後夕食を食べたあと榊の小束作り。ああ眠いから眠る
2006.03.17
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2006.03.17
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2006.03.17
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2006.03.15
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結局、5万3千円ほどの国税を払うことになる。現金ではなしに、郵貯からの引き落としにしたから4月15日だかに引き落とされることになった。4万から5万に上がったのは、大阪にいる妹の連れ合いとの関係で今回は妹を扶養家族に出来なかったからだと思う。その代わり妹が榊の整理などしていることへの代金として、売上の10分の1を渡していることは経費として認められたが。22万ほどだ。これが多いのか少ないのかは私には判断できない。およそそういう情報に接したことのない人間だから。いろいろ批判的な見方も出来るけれど、ずーとまともに税金も払わずに暮らしてきた人間として、この程度のことは甘受したい。その額のことよりこうして税金を払うことになると(すでに消費税の形でも払っているが)国の税金の使い道がやはり気になる。経費はほとんどのものを領収書の形で残していたから細かくやってもそう違わないと思う。多少は付け落としがあるにはあるが。今日は朝市場に行きさかきのえだを30ぽん1束のを4束出した。中にはとても良いものがあったので1つは5000円になった。全部で13400円くらい。まあまあ良いところだろう。その帰りに役場により確定申告をやり野の花社に帰ってすぐに山にシキミ採りに行く。昼近かった。3時ころまで山でシキミ採りをして帰ってきてから少しだけ採ったクロモジ、シロモジ、キフジを花束の感じに丸めた、それが10シキミの小束を30榊の小束を10作った。イやアーもう眠い
2006.03.15
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今日は確定申告の相談に役場に行って来ました。あまり貯金もないのに4万ほどは払わなくてはならないようです。大変苦しいから、分割払いということは出来ないのかときくと3月いっぱいなら15日に2万月末に2万ならできるとのこと。それでは苦しい、出来ないというとそういう人のはこういうように言われているという言い方で借金しても払ってくださいということでした。そんなことは言いたくないのでしょうが、そういうようにいわれているのでしょう。初めてこうした税金を払うことになる私など大きな声ではいえないにしても、そんな苦しい中から出す税金を自衛隊の戦闘機を買う金に使ったり米軍のためにつかったりされるんではたまったものではないという気になる。明日申告して、すぐ全額税金を払うつもり。残る金は、13,4万円か。心細くはあります。
2006.03.14
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まだ降っています。今日は山には行かないつもりです。野の花社で榊の小束を作ったり、他の仕事をします。
2006.03.13
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同じようなのが先日私の脇の下にも付いていました。どうしようかな。
2006.03.13
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多分写真の中央あたりに、二頭の鹿が写っているはずです。この前に入れていた写真は削除し、入れ替えました。多分この写真の中央あたりに写っているのが鹿です。はっきりは分かりませんが。山からタンポポ号で降りてゆく途中、急な坂道の脇に3頭のまだ若い鹿がいて、少し逃げたところで立ち止まり、ずーと私のほうを見ていました。携帯を取り出し、写真に写そうとしてもしばらくは逃げませんでした。しかし少し遠いため、携帯のカメラでは良く映りません。イや私のは古い型だからかもしれません。少しして、キイ-というような泣き声を出してゆっくり去っていきました。私もしばらくキー、キーとタンポポ号の中で鳴いていました。彼らもしばらく鳴いていました。もう夕暮れでした。少し寒の戻りの、冷たい風が吹く、谷間の夕暮れでした。明日からどうしようと思案しながら帰る、林道での出遭いでした。猟期も済み、猟師に仕留められることもなく生き延びた、鹿たちのことを嬉しく思いました。白い毛の尻が、暗くなりかけた林の中を、軽くはねながら遠ざかってゆきました。
2006.03.13
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今日はあまり良い榊はなった。そんな仕事の中で、大きな猿の腰掛けを見つけた。
2006.03.13
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昨日は最後にいい榊が取れたものの枝のサイズがそろえにくく大ー25中ー26小ー20といずれも1束30の基準に揃わなかったこともあり、今日は朝少し雨が降っていたもののたいしたことない感じだったので、もう少し採るつもりで出かけた。途中道の駅により一昨日安く手に入れてきた菜の花を10束、花として出した。一昨日も17ほど出したし、他のところにも10ほど出した。何でも手短に金になるものには手を出してしまう。みな売れれば2500円くらいの収入にはなる。出した後道の駅にいるうちに雨が激しくなり、これでは山には入れないなと思い野の花社に引き返し榊の小束作りを始める。始めたのが昼近くからだったこともあるけど、夜の19時ころまでにやっと40束作る。まだまだ早くは作れない。昨日の榊の枝は良いものだったので、70本で8000円ぐらいになるかも。今日の榊の小束は道の駅に出すので3400円の収入になる。菜の花は850円。で計12240円。こんな風にこつこつ稼ぐしかない。ほかに稼げないか考えてみてもいる。サプリメントの紹介は、この1週間の間に4人ぐらいにしたけれども、今のところ買うという人はいない。1人その可能性のある人はいるけど、まだ分からない。あと家にある明治時代に作られた輪島塗の漆器や、兄が買ってきていた花台などを楽天のオークションに出すことなども考えているけど、なかなか手が出ない、準備が出来ない。その他お彼岸過ぎにはトタン屋根のペンキ塗りやシキミ畑のシキミのせんての仕事もするつもり。この月末はすぐに現金になる仕事もしないと、乗り切れない感じもあるから。何とかもう1段の生活の飛躍というか余裕のある生活を作り出したいけど簡単に出来るようなものはないのだろう。こうした生活の中から何かをつかみ、少しづつ力を付けていくしかない。そういえばここ2,3日フクスケは夜も帰ってこない。先ほど久しぶりのように顔を出しニャーニャー鳴きついてきたので、腹が減っているのだろうと思い、沢山えさをやると、すぐ食べ終えてどこかへ行ってしまった。恋の季節なのだろうか。2月ころ済んだはずだけど。本当に猫のような気楽な生活がしたいものだ。ニコニコ。
2006.03.12
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3月になって、1月末に見つけた榊のあるところがもう採り尽くした感じになっていた。3月はこれまで卒業式用の松などで何とか4万5千円くらいにはなっているもののこれではとてもやっていけない感じが強くなっていた。何かほかの仕事に変わることも考え始めていた。今日もこれまであまりいったことのない林道の行き止まりまで行き、少しは榊の枝を切ったが、とても1日の稼ぎになるには程遠かった。いよいよだめかなー、こんなんでは、来月は本当にピンチで、誰かに10万ぐらい借金しなくてはならなくなるかなー、と少し気落ちしつつ、榊を探して山の尾根を歩っていた。山の尾根をどんどん下り、遠くに来過ぎたなーと思い、もう引き返そうかなと思いつつも、もう少し先まで行こうと歩き始め、ちょっと尾根の脇に出て下りたところ、大きな榊の木が、沢山のいい枝をつけているのを見つけた。こういう出会いは久しぶりだった。後から分かったことだけど大きな枝だけで25本ほど取れた。その他のも含めるとその榊だけで50本くらいは取れた。取っている最中にも嬉しくてぶつぶつに切っている榊をつかんで、ありがとうなーありがとうなー、といわずにはいられなかった。この山は今のところ誰も入っていないみたいだ。今日はあまりよくは見なかったけれど、ここはまだかなりいい榊が採れそうだ。本当に少しほっとしている。山仕事の2年生は、こんなことをたびたび繰り返している。去年は始めて市場に榊などを出した年だったため、それまでに覚えていた榊のあるところすべてに入って、精力的に1,2,3月と稼いだ。マンサクの花なども見事なものを出した。ところが今年はもうそうしたところは切れない、マンサクなどもう見事に咲いているところなどこの山や谷にはない。ともかく私が切ってしまっているのだ。だから今年はまず良い物があるところを探すことから始めるしかない。だからときどきこのままでやっていけるのだろうかと不安になる。そんなとき、何かに導かれるように今日の榊にたどり着いた。私はあまりこうしたことを神秘化して考える立ちではないから、ただありのままに事が起こっているということに過ぎないと思う。しかし本当に嬉しかった。
2006.03.11
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この大きな榊の木一本で、良い枝がかなり採れた。本当に嬉しい。ありがとう。
2006.03.10
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野の花社の周りにあった、山仕事ででたゴミなどを、久しぶりに前の河原で燃やしました。
2006.03.10
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昨日は市場に榊の枝30本3束と松を1本出した後、タンポポ号で3時間ほどかけて知多半島の近くの吉良吉田というところに行ってきました。岡崎から海岸のほうに行ったところです。仏花の台に使うビシャという木の枝を切りに行ったのです。榊に似ていますが、葉が小さくぎざぎざがあるものです。友達がそこの火葬場近くでいいものがあるのを見たというのを聞いたことがあるからです。いいものがそこにはありましたが、火葬場の施設内にある感じで切れずほかのところも回りましたがあまり良い物は見つけられませんでした。それで、この日記の6日のところに入った写真にあるようなハンノキの1種のヤシャブとかいうのの枝が面白そうだったので、30本ほどは取ってきました。ほかには放置されている感じの夏みかんのようなものを10個ほど黙って失敬してきました。今の時期に車で取りに行きこちらの八百屋さんに卸すという手もあるかなと思いましたが、そうはしませんでした。帰りは248号線で、豊田、瀬戸、多治見、可児、美濃加茂を通って帰ってきました。途中可児で女友達のところにより、1時間ほどあれこれ話しこみました。野の花社に帰ったのが8時ころでした。昨日の売上は7400円ほど。数が少なかったので、まあそんなものだと思います。ともかく当分またこの七宗付近で取れるものを取るしかない感じです。ともかく当分しゃかりきに働かなくてはならない感じです。遠出していい物を探すコツのようなものがまだ私にはつかめていません。生き抜きつつ、何とか自分のやりたいことをやる道筋を作ってゆきたいと思っています。ともかくこの生活苦や妹と兄の困難との遭遇は、私にとって貴重な体験です。そして兄と妹がその困難から回復していくことおも追及することは、ある意味で奇跡のような体験を私に与えてくれる、まれな機会なのかもしれません。存在が私に、そのような機会を与えてくれているというか。生活を含めて、工夫して工夫して、この困難な事柄と付き合ってゆきたいです。猫のフクスケは、そんな日々に、貴重なくつろぎの機会を与えてくれています。妹との間にも、フクスケがいる分、間が取れるところもあります。フクスケ、野の花社に来てくれてありがとう。
2006.03.08
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昨日は一昨日採っていった10本の松と60本の榊の枝、5本の芯クロモジ10本を持っていったのだけど、全部の売上は、9180円でした。松は800円が1つで、後は500円が5つ300円が1つ、3本で800円が1つ。全部で4400円しかなりませんでした。セリの始めのうちにベテランたちが出した松が私にはそういいものには思えないのも3000円ぐらいついていたこともありこれなら俺がとってきたものの方が良いぞ、などとも思っていましたから少し気落ちしました。全体で1万にもならないのは、2日間の労働を考えると、かなりきついです。どんな松が良いのかまだ良くわからないということもあるのだと思います。それと少しは、私の出すものはいつもほととんど、セリの最後になるということもあるかもしれません。花屋さんがもうそれまでに十分買っていて、もうあまり欲しくない気持ちになってしまっているとか。そういうこと考えると松などはせいぜい3本ぐらいにして本当にいいものだけ出すというやり方をしたほうがいいのかもしれません。ともあれ3がつはこれで3回市場に行きましたがみな1万円そこそこで、まだ3万円にしかなりません。これがせり売りの市場に出すということの厳しさです。安定した収入を得るという風になるのは、そう簡単ではありません。でも何とかする以外にありません。もうすぐ春のお彼岸でもあり、値段は少し良くなってくるとは思いますが、新しい試みもするつもりです。昨日は妹とともに市場に行き松などを出した後、市場の食堂でおにぎりと味噌汁をつけたモーニングコーヒーを頼み食べてそのあと岐阜の精神障害者の家族会に出るという妹を会場のあるところまで送り私は帰って来ました。とちゅうで野の花社の広間に付ける長い蛍光灯2本とか食堂のテイブルの隅に置く棚とか買ってきて帰ってから取り付け、すえつけました。広間はずいぶん明るくなりましたし、食堂のテイブルの飢えはずいぶんすっきりしました。その後榊の小束を15本ほど作りました。妹は夕方7時ころ帰ってきました。妹は引きこもっているわけではなく、そうした会などには自分で出かけてゆきます。また女友達が私に送ってくれた、妹も読むといいといってくれた自己避難的なあり方を変えることについても書いてある本をいい本だねといっていることにも、すこしほっとしています。そのことはとても良いことです。
2006.03.07
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今日は知多半島の近くまで遠出したが、採れたものはこれだけ。80センチくらいのが30ぽん。
2006.03.06
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