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葉玉ねぎという食材を初めて使ってみました。葉玉ねぎとは、まだ若いうちに葉をつけたまま出す早どりの玉ねぎだそうです。玉の部分はまだ小さい子どもサイズで、葉は1メートルぐらいある。八百屋さんの店先に並ぶときには、あらかじめ2つ折りにしてポリエチレンの袋にパックされています。数日前から実家の冷蔵庫の野菜室に入っていて、恐らく母が気まぐれで購入したものの、調理法を思いつかずにそのままにしてあったのでしょう。そろそろ葉が部分的に変色し始め、賞味期限の近いことを知らせています。ふと思いついて、「卵とじ」にしてみました。葉の部分は4センチぐらいの長さでざくざく切ります。玉に近づくにつれ茎が太くなるので、そこは2つ割または4つ割にして、長さをそろえて切ります。玉も適当に刻みます。にんにくと生姜はみじん切りにし、フライパンに投入、胡麻油をたっぷり注ぎ、それから火をつけて香りが出るまで炒めます。にんにくは焦げやすいので、必ず冷たい状態から加熱し始め、火加減に注意します。刻んだ葉玉ねぎを投入したら、少し火を強くして、ざっと炒め、再び火を弱くして蓋をしてむらし、葉をしんなりさせます。その間に合わせダレをつくります。出汁醤油、砂糖、酒、みりんを適当に混ぜるだけ。これを投入したらまた火を強めて、余分な汁気を飛ばす感じにして、ねぎに味を含ませます。よい香りがしてきたら、溶いた生卵を回し入れ、菜箸で軽くかき混ぜ、蓋をして火を弱めてむらします。辛いものが好きな方は、仕上げに七味唐辛子や白胡椒、刻んだタカノツメ、ラー油などをお好みで加えるとよいでしょう。葉玉ねぎだけでも十分美味しいけれど、これに桜海老または帆立の水煮または揚げの刻んだのを加えるとリッチですね。葉玉ねぎは、早春の一時期しか出回らないようです。早くも新玉ねぎの姿をチラホラ見かけますから、選手交代の時期は間近ですね。今日はこの冬いちばんの寒さとか。このピークを過ぎれば、春がやってくるということでしょう。
2009年02月27日
卵は、壁にぶつけちゃいけません。もちろん、人に投げつけてもいけません。卵料理は、何がお好きですか?私は、白身単独があまり好きではないので、スクランブルエッグ、和名かき玉子、それも醤油を少々たらして卵の黄身の冴えた黄色を汚す感じにしたのが好きです。油は使わず、箸で解いた生卵をフライパンに垂らし、炒りつけ、仕上げに醤油を回しかけるだけ。焦げ付かないように、傍らに濡れ布巾を用意して、火から下ろしてすぐに底にあてがう。あ、もちろん焦げる心配をするぐらいだから、砂糖を少々加えてあります。目玉焼きなら半熟がいい。そして、白身と黄身を混ぜてぐちゃぐちゃにして食べるのが好き。味付けは醤油でもソースでもいいや。重要なのは「ほどよく混ざっていること」だけだから。渾然一体の墨流し絵みたいになる温泉卵も好きです。出し汁の旨みとのずるずるウマウマなハーモニーが絶妙ですね。ハードボイルドなゆで卵だったら、近くにあるフォークか、ないときは指先を使ってほぐし、生野菜にトッピングしてミモザサラダにするのが好きです。その場合、カロリーを気にしつつマヨネーズ系のドレッシングが合うなあ。ま、それはどーでもいい話ですが。本題は今日の朝日新聞朝刊の村上春樹VS斎藤美奈子って、べつに対論でなく、例の調子で斎藤美奈子が皮肉っぽく村上春樹を批判して書いているだけですが、その記事についてです。エルサレム賞の受賞式での村上春樹のスピーチは、もう皆さんすっかりご存知でしょう。「もし硬い、高い壁と、そこに投げつけられて壊れる卵があるなら、たとえ壁がどんなに正しく、卵がどんなに間違っていても、私は卵の側に立つ」いやあ、感動しました。正直に言うと、私は村上春樹の小説がそれほど好きではありませんでした。ぽよよーんとした寓意の物語というイメージで、社会や政治に対する批評性はそれほど感じられなかった。それは、私の見方が浅薄であったと思い知らされたのでした。そのきっかけになったのがこのスピーチ。弱者を美化し、聖化する発想は、これまで掃いて捨てるほどあった。しかし、弱者の「間違い」や「不正」を含みこんでなおかつ擁護するタフな思想は、数少ない。徹底的に弱者の側に立つということを、村上春樹は言っている。それを知ってか知らずか、斎藤美奈子は朝日新聞2月25日朝刊掲載「文芸時評」にこう書いた。以下、引用開始。ただ、このスピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」というのではないか。卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである。以上、引用終わり。鋭いなあと一瞬思ったが、いや、待てよ、と思った。政治家は「卵の側に立つ」場合、相手の卵を選ぶ。凡百の作家も、卵を選ぶだろう。たとえば、卵が拘置所で、明日の朝にもお迎えが来るかもしれぬとおびえている死刑囚だとすれば、壁は国家権力である。あるいは「世論」である。政権政党の政治家は、なべても政治屋は、その卵の側には立つまい。生き残った被害者もしくは被害者の親類縁者も「硬い、高い壁」である。卵の側に立つ人は、日本人であれば少数派だろう。日本人以外の圧倒的多数の地球人は違う。この場合は卵の側に立つ。だから、死刑を廃止した国が多いのだろう。私は、あまり大きな声では言えないが、卵の側に立つ。死刑反対論者である。大きな声で言えない理由はただひとつ、言えば周囲の理解を得られる可能性が皆無に近いからだ。死刑反対の意を強くしたのは、あまりにも有名な光市の母子殺害事件の被害者の夫の発言をテレビで聞いたときだった。「彼(犯人)が死刑になれば、僕は悲しい思い出を忘れられる」殺人者も傲慢だが、被害者遺族もまた傲慢になり得るのだと悟った。被害者の遺族が悲しい思い出から逃れられるようにする、ただそのためだけに死刑が存在するのだろうか。裁判官や、今後の陪審員は、被害者遺族の「仇討ち」の肩代わりをする役割を担っているのだろうか。犯人が死刑になったからといって、被害者遺族は本当に不条理な悲しみから逃れられるのだろうか。それほど、人の命はどちらの極北の倫理観にもぶれやすい、あいまいで、軽いものなのだろうか。弱者の側に立つというのは、口で言うほど簡単なことではない。
2009年02月25日
JR大宮駅の駅弁店で働く三浦由紀江さん(54歳)は、「カリスマ販売員」と呼ばれています。11年前に主婦からパート販売員になって以来、担当したお店で次々と売り上げを伸ばして「伝説」をつくってきました。いまは「ただの販売員」ではありません。2007年からJR大宮駅の営業所長として6つの駅弁店を任され、8人の社員と70人のパートを束ねます。着任早々に前年比5,000万円増、10億円近く年間売り上げを達成。そんないまでも毎日、店頭に立ちます。「主婦感覚」と「会話するような親しみやすい接客」がこの人の持ち味です。「悩んでいるお客様のタイプを見極めたうえで、絶妙なタイミングと距離感で声をかけるのが大切なんです」と話します。三浦さんは大学生だった21歳のときに学生結婚。3人の子どもに恵まれたこともあって23年間、専業主婦として家庭を守ることに専念してきました。そんな三浦さんの運命をかえたきっかけは、1冊のアルバイト求人雑誌。当時、大学生だった娘さんから渡されたものでした。そのころの三浦さんは、子どもたちも大きくなり、自分の時間を少しは持てるようになっていましたが、ぽっかりと穴が開いたようにボーっとすることが多かったそうです。様子を見かねた娘さんが「外で働いてみたら」と言って求人雑誌を手渡したのです。ページをめくっているうちに、ある求人広告に目が留まりました。それは、自宅から自転車で通えるJR上野駅で駅弁の販売をするパート販売員の募集でした。「やってみようかな」という気軽な思いで応募して採用されました。まったく経験のない販売の仕事で、やり方がまったく分からない……困った三浦さんは、自分が食べてみた感想を率直に客に伝えてみました。「自分がお客だったら、店員さんにそうしてもらいたい」と思ったからです。すると、弁当が次々と売れるようになったそうです。実績を買われて3年後、1日100万円を売り上げる上野駅一番の店の店長を任されました。店を任され、売り上げ目標の数値を与えられると責任は増えましたが、それに合わせるように「楽しさ」も増えていったといいます。さまざまな工夫もしました。忙しいサラリーマンは、駅弁屋の前を素通りします。それほど安いとは言えない駅弁を広げてゆっくり食べる余裕などないと決めてかかっているのでしょう。三浦さんは弁当売り場の横に、おにぎりやサンドウィッチを置きました。すると、これまで通り過ぎるだけだった人たちが、お店に入って商品を見てくれて、買ってくれるようになったのです。2005年に三浦さんは、ある決断をしました。このままパートでいても、限界がある。もっと自分の力を試してみたい。そのためには社員になろうと。すでに三浦さんの年齢は50歳を超えていました。普通に考えたら無謀な挑戦です。50を過ぎたパートの女性を正社員にする会社があるだろうか? 周囲に相談すれば、否定的な答えが返って来たそうです。でも、正社員昇格試験への門戸が開かれている限り、可能性はゼロではない。1%でも可能性はあると、三浦さんは試験に臨みました。結果は合格。JR東日本の駅で売られる駅弁の製造・販売を担う「日本レストランエンタプライズ」の社員となったのです。そして2007年に大宮駅の営業所長に抜擢されました。管理職になって弁当の販売や企画以外の仕事も増えました。最初は部下の扱いに悩み、「胃に穴が開くのでは?」と思うほどのストレスだったといいます。「売り掛け金」や「貸借対照表」といった会計用語が分からず、悔しくて辞めようと思ったこともあるけれど、「専門的なことは分かる人に任せればいい」と割り切って考えるようになり、気が楽になったそうです。20代のころは働く女性と自分を比べて「社会に取り残される」と焦ったけれども、いまは主婦業を通して磨いた生活感覚が仕事に生きていると感じています。駅弁1つの値段は、高くて1,500円。それだけあれば「スーパーなら家族5人の夕飯の食材を買える価格」と思えるから、仕入れ業者に言うべきことはきっぱり言います。「ただの幕の内じゃダメ」、「他の店にはないものを売りたいの」と。あるとき幕の内弁当の試食会で、魚のすり身の揚げ物を口にしてガリっと歯ごたえの悪さを感じました。弁当の値段は1,300円。担当者に「そんな高級弁当に冷凍モノを使うのはおかしい」と、すぐに変更を求めました。「駅弁って高価ですよね。だからこそ、特別なごちそうとして提供していんです」休日は友人たちと一緒に地方を列車で旅して回ります。旅先では、自分の売店に並べたい駅弁やおつまみ探しについ、力が入るとか。去年の夏休みの旅行では福井市でお気に入りの干しエビを見つけ、1週間後には大宮店で売り始めました。「旅に出ないと、旅をする人の気持ちはわからないでしょう」●三浦由紀江さん(54歳)のプロフィール21歳で学生結婚、3人の子供に恵まれ23年間専業主婦をしていた1997年、43歳のときにJR上野駅の駅弁店のパート販売員として再就職2000年、店長に昇格。1日の売り上げが100万円の1番店を任される2005年、登用試験に合格し、パートから正社員に転換2007年、JR大宮駅の営業所長に抜擢され、6店舗を統括。8人の社員と70人のパートを束ねる。年商約10億円。以上、新聞記事などを組み合わせ、教科書ふうにまとめてみました。実は今日、某所の再就職セミナーで教材に使ったのです。3~4人のグループに分かれて、この三浦さんのエピソードを読んでもらい、「三浦さんのココがすごい!」「三浦さんのココに見習いたい!」「三浦さんに会ったら、こういうことを質問してみたい」という内容を箇条書きにして発表してもらいました。
2009年02月24日
事の発端は、というほど大げさなものではないのですが、スポーツクラブのロッカールームで帰りがけに友人と交わした会話でした。「ハヤシライスって、ハッシュド・ビーフが訛った和製英語?」「そうじゃなくて、丸善の創始者のハヤシさんの発明らしいよ。以前、あそこの屋上のレストランでハヤシライスを出していたよね」で、丸善といえば、大学時代、シェークスピア作品の朗読テープの輸入品をいくつか買って勉強したことを思い出しました。なぜ買ったかというと、英語演劇のゼミの修了試験が「テンペスト」の中の一節を教授から指定され、皆の前で暗唱するというもので、その勉強のため。子どものころに英語演劇の舞台の主役を演じたことがあるので、発音は得意なほうなんです。本場のシェークスピア俳優のセリフ回しを聴けば、他の人より上手にモノマネできる自信がありました。結果は、ねらいどおり。女子学生嫌いで知られる皮肉屋の教授は、私の番が終わったら、「上手だと思ったら拍手をするものだよ」と皆にポツリと言ったのでした。そんな美しい思い出に浸りたいわけではなく、あるとき、私がご指導している再就職セミナーの受講生の方から質問された内容へとつながっていきます。子どもに英語を習わせたいけれども、どんな勉強法がいいかというご質問でした。セミナーの中の雑談で、「6歳の6月6日に習い事を始めると成就する」という古い言い伝えと、それを信じた私の母が私に英語とピアノを習わせたという体験談を紹介したからでしょう。成就したとは言いがたいけれど……。6歳から私が通い始めた英語の教室は、「ぐりとぐら」といった子供向けの童話を英語に訳したものをネイティブ・スピーカーが演じ、そのテープを繰り返し聴いて覚えて、自分たちで紙芝居や演劇にアレンジして遊びながら学ぶというものでした。文字や発音記号を使わず、耳で覚えるので発音が良くなります。私にとっては「言葉は音だ」という原体験になりました。また、英語という得意科目ができて自分に自信が持てるようになったのでした。この原体験がその後の私の人生に大きな影響を及ぼしていることは間違いなく、英語を使う仕事や言葉を扱う仕事に憧れを抱くようになりました。なぜ、文章を書く仕事を選んだのかと最近、だれかに尋ねられたとき、ハリウッド映画で作家や新聞記者がタイプライターを乱打するシーンにあこがれたからだと答えたのでした。『大統領の陰謀』とか『ジュリア』とか『ハメット』とか……。大学の入学祝いに祖母からタイプライターを買ってもらい、英語のクラスのテキストや、サイデンステッカー訳の『源氏物語』を使ってタイピング練習をしました。ただ、第2志望で入学した大学では2年間、うつ状態に苦しみました。第1志望に落ちたことや、精神科医になりたいという夢を叶えられなかったからでしょう。加賀乙彦のような小説家や、フランクルやヤスパースのような哲学者に憧れていたのでした。なんとも壮大な夢ですが、いまではまあ、半分ぐらい実現できたからいいかなと思ったりしています。昨日は、キャリア・コンサルタントの技能検定試験の最終日でした。面接試験を受けてみて、結果はどうあれ、カウンセリングの勉強をして良かった、これからも続けていこうと強く思ったのです。カウンセリングの勉強を始めた15年ぐらい前は、夢破れた精神科医への道への再チャレンジというか、少し姿かたちを変えてのチャレンジといったつもりでした。昨日の面接試験は、模擬的なカウンセリング場面を試験官の前で20分演じ、その後、口頭試問を受けるという内容でした。20分で問題解決まで進めていく技法のトレーニングを受けていたのですが、本番では緊張してしまい、技法どおりには運びませんでした。けれども、何回かのトレーニングを通じて、私はカウンセリングの深みに触れる思いがしました。人間の心のひだ、幾重にも重なる薄くてデリケートな心の層といったものに触れたのでした。その表層を撫でたからといって、真の問題解決には届かないことを悟りました。試験が終わった後、たまたま試験会場で再会した友人とともに海浜幕張駅近くのレストランで、私は白ワイン、彼女は赤ワインを注文し、紅白ワインで前途を祝して乾杯しました。いろいろな話題を楽しみましたが、彼女がぽつりと村上春樹の「卵と壁」のスピーチの話をしました。あのスピーチには魂を揺さぶられました。村上春樹の凄さに圧倒され、そういえば最近、あまり小説を読んでいない。これはイカンと思っていたのです。「なぜ、小説を書かないの?」と、質問されたことが過去に何度もありました。私がフリーランスのライターとして雑文を雑誌や何かに書いているからでしょう。いつか小説を書きたいという情熱が湧き起こって来たら、そのときは書こうと思っていました。だんだん機が熟しつつあり、縁がつながりつつあるような予感もします。詩であれ、小説の一節であれ、何か自分の作品を皆の前で朗読してみたいという夢も、ぼんやりと描いていたように思います。私は自分の声の美しさに少しだけ自信があるので、声を使う仕事をしてみたいと思い、その点については、セミナー講師の仕事を得て実現されました。自分の思いを大切にしつつ、身近な人たちの言葉に混ざって不思議と送り届けられる「啓示」を探り当て、その導きに従って進み、「縁」をつないでいくと、少し見晴らしのいい場所に至ることができ、そのときに小さいながらも「夢」を実現できたと実感できるのではないか。そんなことを考えている今日このごろです。
2009年02月23日
人材派遣の「3年ルール」についてご存知でしたでしょうか。興味深い記事を見つけましたので、一部引用します。4人の人物が登場する座談会の一部で、Dは元トヨタ自動車・派遣社員(20代)で、Aはトヨタ自動車・技能系社員(60代)です。(以下、引用開始)【D】 企業経営は、慈善事業ではありません。そのため、会社としては、非正規社員からクビ切りを行うのは当然のことだと理解しています。ですが、これまでの扱われ方は人間以下。私は、トヨタに派遣社員として働いて約3年なのですが、その間、複数の工場間での異動、異動の繰り返しでした。なぜなら、派遣社員は、そのときどきの状況に応じて、最も忙しい工場に駆り出されるからです。要するに、派遣社員はトヨタ自動車の代名詞でもある"かんばん方式"(ジャスト・イン・タイム:受注に応じて必要な台数のみを生産するシステム)の歯車のひとつというわけです。早いときには、わずか1カ月で異動命令が下ったことも。だから、周囲に溶け込むこともできないし、専門的なスキルももちろん身につかない、嫌がらせのようでしたね。 【A】 トヨタ側が派遣社員に異動を強いるのは別の理由もあります。労働者派遣法(第40条の5)において、「受け入れ先の会社は、3年間にわたって同一の場所・業務に就いた派遣社員に対して、直接雇用を申し込まなければならない」(3年ルール)とあります。しかし、その間に異動があれば適用外となるんです。つまりトヨタからすれば、派遣会社を通じて派遣社員に異動を命じることで、自分たちの都合に合わせて人材を思うがままに使えるだけでなく、人件費のコストも抑えられるというカラクリです。 【D】 とは言っても結局のところ、派遣社員を選んだのは自分自身の意思によるもの。だから「派遣社員になった本人の自己責任」と言われたら、それまでなのですが......。 (以上、引用終わり)ギョーカイ【裏】座談会 『トヨタ社員が憤る人材の使い捨て』(日刊サイゾー - 02月12日 11:10)より「3年ルール」が設けられた背景や、「2009年問題」については、こちらの記事が参考になります。(以下、引用開始)日本の製造業は、労働者派遣法で、派遣社員の受け入れが認められていなかった。「正社員から派遣への切り替えが進み過ぎると、メーカーが正社員を極端に減らして、技術力が低下するなど産業の空洞化を招く」との懸念が根強かったためだ。その後の法改正で、04年3月から1年間の期限付きで解禁され、さらに契約期限が最長3年間に延長された。こうした中で、いわゆる偽装請負が問題化した06年半ば以降、多くの企業が「請負」から「派遣」へ雇用契約の形を切り替えた。この結果、3年後に当たる09年度中に、多くの企業で一斉に契約の期限切れを迎える派遣社員の雇用が、脅かされると懸念されている。(中略)●偽装請負請負は本来、業務を請け負った業者が労働者に指示・命令するが、偽装請負は、請負労働者に対し、派遣先企業の従業員が指示・命令をする違法なケースを指す。請負は、契約期間にとらわれずに業務を発注できるため、派遣に比べて企業側に都合が良い制度だったことが偽装請負の温床になったと指摘されている。●クーリング期間労働者派遣法では、製造業の派遣社員の受け入れ期間を最長3年と定めている。企業が同じ派遣社員を続けて雇いたい場合、3か月超の空白(クーリング)期間がなければ、派遣の形で雇うことができない。派遣先企業が同じでも、全く別の業務を3か月超、行えば、クーリングと見なされるが、企業にとっては生産効率が落ちるため、実態にあっていないとの指摘がある。(以上、引用終わり)2008年12月2日 読売新聞「なるほど経済」よりこの「クーリング期間」を経て繰り返し派遣契約を結ぶケースについては、厚生労働省は「違法」と見なすという通達を出したそうです。(以下、引用開始)労働者派遣法により、3年間の契約満了後、3か月は同じ労働者を受け入れられない。裏を返せば、3か月と1日経過していれば、継続して派遣契約を結んでもいい、となる。この3か月は「クーリング期間」と呼ばれ、同期間を経て再度契約を結ぶということも行われている。ところが、厚生労働省はこれを違法だとする通達を08年9月26日に出した。(以上、引用終わり)JCASTニュース 派遣「2009年問題」の深刻 3万人失業、ホームレス化?2008/12/ 4 厚生労働省 いわゆる「2009年問題」への対応について不況による契約打ち切りと「2009年問題」のダブルパンチで、製造業の派遣労働者は大変な苦境に陥っているわけです。同時に、製造業派遣を手がける人材派遣会社も倒産の危機に見舞われているようです。厚生労働省がまとめた全国調査では、08年10月から09年3月までに約3万人の非正規労働者が解雇される見通しだそうです。派遣労働者の失業問題については、「自己責任だ」という批判がありますが、「派遣以外に自分に合う仕事がなかったので、止むを得ず派遣を選んだ」という不本意就労が多いのも事実。派遣は職を失いやすいリスキーな就労形態であるゆえに、正規雇用以上に賃金が高くてしかるべきであるし、国がもっと行き届いたセーフティーネットを設けるべきだという議論もあります。
2009年02月12日
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