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あまりにもナマなタイトルですが、へたげに「シングル・シルバー」と飾ってみたってしょうがない。これからは、こういう本も必要じゃないかしら<出版社のみなさま。一緒に作りませんか? 今日の遅めのランチは、またもクスクス。クスクスって、他のパスタに比べたらシングル向き、それもお年寄りにも簡単に作れることに気付きました。ハイカラな方でないと、受け入れてもらえないかもしれませんが。要はアレンジしだいかな。カレーが好きな人なら、満足してもらえるかもよ。 普通のパスタは、茹でるのに大鍋にたっぷりお湯を沸かさなければなりませんね。お年寄りはあの重い鍋を、持つことができないでしょう。下手にやると、大やけどしちゃう。 ところが、クスクスだったら、やかんで少量のお湯を沸かせば事足りるし、なんならジャーのお湯でも大丈夫。蒸せばいいんですから。蒸すのだって、電子レンジで1分でOKだもの。 さて、ソースです。一番簡単なのは、トマトの水煮缶を使うソースですね。今日の私は、にんにくのみじん切りをオリーヴオイルで炒め、アンチョビを溶かし、水煮缶を投入。月桂樹の葉、胡椒、鷹の爪を入れてしばらく煮込み、仕上げに残っていた茹でブロッコリーを投入。作業は10分程度で終わってしまいます。私はホーローのミルクパンを使ったけれど、軽いアルミの片手鍋でも充分。やけどしないように、持ち手が木製のやつがいいね。 辛さが物足りなかったので、コーレーグース(沖縄の島とうがらしの泡盛漬け)を垂らしました。それでも、クスクスな気分が足りず、S&Bの赤い缶のカレー粉を加えてさっと煮込み、おお、気分はエスニック! お年寄りの場合は、アンチョビじゃなくてツナ缶を使ったツナトマトカレーや、鶏のささ身でチキントマトカレーにするといいでしょうね。カジキマグロを小さく刻んで、最初ににんにくと炒めてもいいかも。にんにくが嫌いな人は、タマネギのみじん切りがいいでしょう。 ルーを使わず、さらっとスープ風に仕上げたこの即席カレー風味ソースが、クスクスには合う。スパゲティなんかより、スープとのなじみが良く、お皿にはほとんど残らないので、資源の有効活用にもなりますね。 ご飯を炊くのも少量じゃ美味しくないし、クスクスならこんなふうに急場をしのげます。トマト缶やツナ缶をきらさずに買い置きしておくと便利だし。「お料理の上手なおばあちゃんにタダで教えてもらえる身体介護ボランティア」っていうのは、どうかしらん。私だったら、鶏ガラからとるスープとか、昆布と鰹でとる本格出汁を口で指示しながら若い人に大量に作ってもらい、さらに小分けにストックしてもらえると嬉しいなあと考えてみたり。「はい、これはアナタへのおみやげね」と、少し持たせてあげるのね。 ひとり暮らしの学生だったりすると、自分用だけに作るのは面倒だろうし、道具も満足に揃っていないだろうから、持ちつ持たれつでいいんじゃないだろうか。 もちろん、豚汁、三平汁、おでん、ポトフ、シチュー等々、完成品まで作っておみやげにあげるのね。 年寄りは脱水状態を起こしやすいので、汁物が貴重でしょう。汁物は、いっぱい作らないと美味しくないものね。近所の「シングル・シルバー」とネットワーク組んで、若い人を大切に社会教育しながら、ヨイショしながら、貴重な労働力を引き出すとかね。 生きることの基本は食べることと自分の足で歩くこと。これを何歳まで健全な状態で続けられるかが勝負どころですね。いまのうちから健康に気をつけて、知恵をため込んでおこうっと。あとそれから、人的ネットワーク。これが一番重要かな。 さて、もう少し原稿を書いたら、夜は銀座へお出かけ。久々のワイン会です。ブルゴーニュものが色々出るらしい。原稿料が予定どおり入金されていれば、二軒目のバーへ行く余裕があるのだけれど、どうかな?
2003年01月31日
本日は、終日室内作業の日。キャリア関係の本の原稿の続きと、3月末まで成田空港で行われている虹彩(アイリス)による本人認証技術の実証試験についての記事を書いた。http://www.news.jal.co.jp/JAL_NEWS.ns4/3f0c671aa08aadb8492564180033e126/0fa2ed0755ea5f1949256c680018c867 虹彩っていうのは、瞳孔の周囲にあるドーナツ状の部分で、目に入る光量を調節する筋肉のこと。その独特の網目模様は生後2歳までに成育環境によって後天的に決まり、一生、変わらないのだとか。一卵性双生児でも異なるという。http://www.aimjapan.or.jp/bkindex/bio/jpn/Technologies/Iris/Irs-00.htm 飛行機に乗ろうとするたびに、これからはカメラとにらめっこしなければならなくなるのだろうか。それどころか、銀行のATMに採用する案もあるらしい。街に出れば、あちこちで、にらめっこしましょ、あっ・ぷっ・ぷ!ですかね。ウィンクしちゃダメよ。 実際は、ほんの数秒間、カメラから少し離れたところに立ち止まって目を向けるだけでOKのようだ。↓は、成田空港での実験に使われているシステムを納入した松下電器産業のページです。http://panasonic.biz/security/iris_j/index.html お昼ごはんは、昨夜の残りの牡蠣のクリームシチュー(もはや牡蠣は無くなって野菜だけだったけれど)。ちょっとさびしいので、クスクスを使ってみた。クスクス、1人分でも簡単にできるから、買い置きがあると便利よ。 クスクスは粒状をしているけれど、実はパスタと同じデュラム・セモリナ粉でできている。量を抑えれば、ダイエットにも良さそう。 作り方は単純明快。計量カップでクスクスを食べられるだけ量り、耐熱容器に入れ、これと同量の熱湯を量って注ぐ。ダマにならないように、すぐにまぜまぜ。これを蒸し器か電子レンジで1分ぐらい蒸すだけ。 汁っぽいソースがよく合います。羊肉とトマトを使ったソースなら、北アメリカ風になりますね。クスクス自体に軽くオリーヴオイルを垂らし、塩、胡椒、好きなハーブ(タイムがオススメ)を混ぜても美味しいよ。 今日は100ccだけ使った。明日は作り置きのバジルペーストを混ぜてみようか。でも、汁っぽいほうがいいから、即席でゆるいトマトソースを作ろうかな。パンチェッタも少々残っているぞ。 読書する暇がなかったので、いつもよりちょっとバカになった気分。しかし、ジムから帰ってきたら、ええい、ままよ!でビール500ml缶を飲んでしまい、夕飯のおかずの鮭のちゃんちゃん焼きがあまりにも美味しかったので、泡盛のロックも飲んでしまい、まだ足りなくて安い白ワインを開けたところ。懲りない酔っ払いなのだった。 yahoo!のニュースに出ていた、酒飲みのほうがアルツハイマーを発病しにくいっていうのは本当だろうか。アルデヒド分解酵素かなんかが、脳の中のアルツに関係のあるヤバイ成分をも分解する力があるので、結果として、この酵素のない「下戸」な方々のほうが1.6倍発症しやすいんだとか。 正確に言うとかくかくしかじか……「アルコール分解にかかわるアルデヒド脱水素酵素2(ALDH2)が、脳内の神経細胞死をもたらす体内の低分子化合物を解毒する作用を併せ持つためで、酒に弱い人はこのALDH2の働きが弱く、解毒が不十分になるという」 ま、ざっと計算して酒飲みが2人かかるところが下戸は3人だから、あんまり違わないかな。ボケちまえば同じよ。 おまけに書いてあった情報によると、ビタミンEの摂取がアルツの予防には良いそうです。ビタミンEが豊富な食品といえば、サンマ、イワシ、ウナギ……どうやらアルツは魚屋の飲んだくれな行かず後家にはコレマタ縁遠いようで。おそまつ。
2003年01月30日
「私はね、こんなちょっとのことしかして差し上げていないんですよ」と、彼女は親指と人差し指を3センチくらい離して表した。「そうするとね、こんなにたくさん、返していただけるの」と、今度は親指と人差し指をもうこれ以上広げられないというほどの力を込めて最大限に広げて見せた。 そのときの彼女の顔は、神々しいまでに美しく輝いていた。 彼女が「返していただける」ものとは、痛みから解放されたときの笑顔であり、自分の足で立って歩く自由さを取り戻したことからくる喜悦である。 先日の日記にも書いた「爪切り屋さん」の大先生のところへ追加取材へ行ったのだった。 足の指の爪を適切に切ったり削ったりすることで、爪白癬や巻き爪などの障害を矯正し、それまで歩けなかったお年寄りや、リハビリの歩行訓練を痛いからと嫌がったお年寄りを、痛みや不自由さから解放するという優れた技術の持ち主である。恐らく日本では彼女以上の爪切り技術を持つ人は存在しないだろう。「本当に、すばらしいお仕事ですね」とかなんとか、私が言った感想に対するお返しが、冒頭の表現であった。 金でも名誉でもなく、ひとえに「人様が喜んで下さる」のがうれしくて続けているのだという彼女の言葉に嘘はないと心の底から信じられた瞬間だった。 人に喜びや、幸福感を与えられる仕事って、素晴らしいと思った。いや、「与える」というと、彼女は「違う」と言うだろう。「させていただくのだ」と。「相手があって自分がある」という思想とでも言おうか。かといって他者依存ではない。 何の構えもない。相手を操作してやろうとか、為にする発想は皆無で、彼女の全存在が相手に対して開かれている。義務感や使命感とも違う。頭で考えるより先に自然に体が動いてしまうようだ。 だからこそ、相手の喜びの感情を余すところなく最大限に素直に受け止められるのだろう。その連続で、さらに彼女は懐を大きくしていく。 久しぶりに背中がゾクゾクした。 インタビューの仕事を始めて20年になるが、最初のうち、背中のゾクゾクは毎日のように感じた。 当時はまだまだ、ウブだったからかもしれない。いまはゾクゾクすることがほとんどなくなってしまった。物を知りすぎた?いや、そんなことはない。大抵のことは知っているという慢心に過ぎない。 体が老化するのは致し方ないが、発見の喜びに震え、ゾクゾクし、ワクワクする、そんな「感性の若さ」というか、「無垢さ」(変な日本語だなあ)は失いたくないなあとしみじみ思った。「現場が私を鍛える」と言ったのは、わが敬愛するジャーナリストの故斎藤茂男さんだっただろうか。「現場」じゃなくて「事実」だったかな。いずれにせよ、意訳すればリアリティか。 振り返ってみると、最近はインタビューの仕事が減ってきた。「原価率の悪い」ルポの仕事は自然と敬遠しているフシがある。エッセイやデータの分析で書ける仕事の割合が多くなったのは、よく言えば老練、悪く言えば単に年寄りになったということだろう。いかんいかん。 原点に還り、現場へ鍛えられに行こうと痛烈に思った。インタビューの仕事、くださーい。長編のルポ、得意です!
2003年01月29日
表題は、今度のライヴでうちのバンドが演奏する予定のオリジナル曲「憎しみと哀しみ」に出てくる歌詞です。作詞したのはリーダーのHarry氏。9.11に触発されて書き上げたのだそう。 この歌詞の部分は私が歌わせていただきます。思い入れをたっぷり込めてね。声が引っくり返ったらごめん。 今日は朝から胃が痛み、10時過ぎまで起きることができなかった。風邪がぶり返したのか、あるいは昨夜、何か悪いモノを食べてしまったのか、原因不明でちょっと不安になってしまった。悪性新生物がお腹の中にできていたら怖いぞ。でも、そんなイメージがとぐろを巻いて、お腹の中で実体化していくようだった。健康の有難みは、それを失ったときに初めて分かるのだろうと感じた。どうもここ数日、調子が出ない。まるで病人だ。 仕事はぼちぼち。パート労働と働く女性の実態について、厚生労働省の調査データを援用しつつ解説する原稿を4ページほど。 何も収穫のない1日じゃ嫌だから、アマゾンから届いた本をめくってみた。池澤夏樹著『イラクの小さな橋を渡って』(光文社)。 著者は、「もしも戦争になった時に、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった。メディアがそれを伝えないのならば自分で言って見てこようと思った」。 だからイラクへ訪れた。ジャーナリスト・ビザを取得し、イラク情報省の通訳兼監視人がついたけれども、その監視はゆるく、ほぼ自分の思い通りに市場やレストラン、一般の家庭、モスクなど、北から南まであちこちを見て回った。 海外をあちこち旅している著者は、まず、その国の食に着目するという。日本とイラクの食の比較についての一文が、鋭い。「日本について言えば、量は充分なほどだ。食料自給率がとんでもなく低いにもかかわらず、量だけはある。しかし質のほうはあまりよくない。いちばんわかりやすい例を挙げれば、スーパーマーケットの野菜は形ばかり立派でひどく味が薄い。アメリカ文化そのままのファーストフードについて言えば、味がないものを添加物で無理においしく仕立てているとしか思えない。食べる喜びを商業主義が侵している。 同じ尺度を当ててみると、イラクは立派だった。食べる物は充分にあったし、質も申し分ない」 この後、紹介されるイラクのレストランの料理は垂涎モノ。注文を聞くまでもなく席に着くや否や食卓にばたばたと並べられるという前菜の見事さ!野菜や豆料理が乗り切れないほどだそうだ。主菜の種類や量も豊富。そして米が一皿つくという。 著者が見る限り、人々はフセインの圧政に苦しんでいるでもなく、人々の表情は穏やかで、驚くほど親切だったそうだ。 この本には現地の写真もふんだんに紹介されている。屈託のない笑顔をカメラに向ける子どもたち。「この子らアメリカの爆弾が殺す理由は何もないと考えた」と著者は書く。 どこにも一触即発の緊迫感はなかった。だが、「小さな橋を渡ったとき、戦争というものの具体的なイメージがいきなり迫ってきた」。ここからが一番の読ませどころだ。 いまこの瞬間にも、「この小さな橋の座標を記憶した巡航ミサイルが待機している」。「アメリカ側からこの戦争を見れば、ミサイルがヒットするのは建造物3347HGとか、橋梁4490BBとか、その種の抽象的な記号であって、ミリアムという名の若い母親ではない。だが、死ぬのは彼女なのだ」 軍人たちは、ミサイルが建物を壊し、人を殺す情景を決して想像してはならないと教えられている。「戦争を変えたのは、相手を見ることなく、つまりまったく罪悪感なく、人を殺す技術の発達ではないか」 池澤夏樹氏の文章が、私たちが歌うメッセージとシンクロした。「1人ひとりの顔も知らず、なぜ人は傷つけあうのでしょう」。 世界最悪のテロリストは、アメリカではないかと言う人がいる。まさにそのとおりかもしれない。そんなに武器を売りたいか。そんなに血が欲しいか。 アメリカの歴史は、建国以来、ずっと血塗られている。世界中で戦争や紛争を仕掛け、被害を拡大させる張本人だった。その経緯は、アメリカ製漫画本の翻訳『戦争中毒 アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由』(ジョエル・アンドレアス著、合同出版)に詳しいので、興味のある方はぜひ一読を。 政府のプロパガンダに目を曇らされることなく、冷静に自国の歴史を振り返り、批判して次へつなげようとする人々が少なからず存在するという点では、アメリカに敬意を表したい。ベトナム反戦運動から生まれた音楽や映画、インディアンと呼ばれるネイティブ・アメリカンに対して彼らが犯した罪を赤裸々に描く映画「ソルジャー・ブルー」「ダンス・ウィズ・ウルヴス」など、いつもカウンターカルチャーが活気づき、もうひとつの進路へアメリカを揺り戻そうとする力が働く。微弱かもしれないけど、健全な精神は残っている。 最近では、コロンバイン高校の高校生による銃撃事件を題材にした映画、「ボウリング・フォー・コロンバイン」が見ものだ。http://www.gaga.ne.jp/bowling/top.html 宣伝用のページにいわく、「なぜアメリカだけ銃犯罪が突出しているのだ?なぜ、アメリカだけが銃社会の悪夢から覚めることができないのか? 」 もう少し踏み込んで言えば、なぜ、アメリカはこれほどまでに殺人と暴力が好きなのか。憎しみの連鎖を止められないのか。 じゃあ、日本はどうか。敗戦国である日本は、アメリカのご機嫌を損ねない程度に、戦争に協力するフリをしなければならないのが辛いところだ。でも、「フリをする」程度で止まってほしい。「日本人の軍隊が私の息子を殺した!」と、どこかの国からうらまれるのはもう御免だ。先祖の罪もまだ充分に償っていないというのに。 乱暴者のアメリカから「卑怯者だ」と言われたって、構うことはない。「私たちは永久に戦争を放棄しましたから」と世界に向かって胸を張れる日本であってほしい。そして、アメリカが戦争を世界中に撒き散らす元凶であるなら、日本は世界中に平和を輸出する砦になってほしいと、夢みたいなことを夢見るのであった。 おまけ。ジャーナリストの田中 宇さんもいま、イラクに行っています。さっき送られてきたメルマガでは、イラクの庶民生活が報告されていました。サイトにも載っています。http://tanakanews.com/d0128iraq.htm
2003年01月28日
カレン・カーペンターの歌声があまりにも美しすぎて、この曲がこんなに憂鬱な気分を歌っていたことにしばらく気がつかなかった。♪Hangin’ around, nothing to do but frownRainy days and Mondays always get me down♪何をするでもなく、ただしかめっ面ばかり。雨の日と月曜日は、いつも私を落ち込ませる(拙訳)。 今日は「雨の日で月曜日で」、おまけに寒くて、もう最悪。楽天家でエピキュリアンな私も、さすがに気分が冴えず、朝から原稿を一行も書いていない。その代わりに、一昨日の日記の手直しから始まって、このページはいじる、いじる。 おまけに今日は、ジムが月に一度の休館日で救いがない。誰か私をさらいに来てほしい。夢の国へ連れてって。一日中、ワインを飲みながら音楽を聴いて、うつらうつらしていられたら最高。 でも、夢はいつか醒める。 しゃーない。ぼちぼち、いこかー。 夜になったら、ワイン飲んじゃオ。 どうしようもなく鬱な皆様へ。重症の躁うつ病&アル中の体験者である、中島らもさんの最新エッセイ集『心が雨漏りする日には』(青春出版社)は、最高に笑えます。鬱を笑い飛ばしちゃえ! さっきはここまでで終わりにしちゃいましたが、もうちょっと詳しくご紹介しましょうか。宣伝文句にいわく、「30歳でうつ病に襲われ、40歳で自殺未遂、42歳で躁に……中島らもが初めて、自らのうつ病体験を語りつくす」。 でも、これだけだと、中島らもさんの知名度や人気に寄りかかる「告白本」のノリでしかないけれど、本当はもっと奥が深いというか、らもさんが別段、好きでも何でもない人だって、楽しめると思います。 とにかく症状がド派手で、一歩間違えれば死んでいたか、あっちの世界へ行ってしまっただろうなあという体験が次から次へとジェットコースター・ムービーのようにテンポよく明かされるのです。「コイツよりは、まだオレのほうがましだなあ」と、大半のうつの皆さんも思えるのではないかな。 ハウツウやお説教臭さはみじんもなく、だって、この人の体験を糧にできる人なんて、ほとんどいないだろうなあ。それほど極端な症例なのです。 つまりは、うつに限らず、心の病は人それぞれ。うつにしても「励ますな」とか「マジメ人間がかかりやすい」といった一般論を鵜呑みにすると、対応を誤るケースがあるのだと、巻末にある精神科医との対談に出ていました。 もしもうつにかかったら、信頼のできる専門医(ダメな専門医も多いらしい。この本にも出てきます)に相談することが一番のようです。その前に、「なんだか気分が落ち込みがちでうつっぽいなあ」と思ったら、モヤモヤを吐き出すこと。 身近な家族や友人にはかえって打ち明けにくいので、こうやってホームページで不特定多数の皆さんに向かって叫び声を上げるのもいいかもしれないし、あと、久々に会う友達に「なんか、最近、うつっぽくてサ」なんて、ほのめかしっぽく相談モードに入ると、案外、「お、そうだよな」と思えるアドバイスや、気の持ちようを明るくするヒントがつかめるかもしれませんね。 今後の日記にも書くつもりですが、人生にとって大切なのは、お金ももちろんそうだし、自分の才能や意志といった内なる力も重要、でもね、自分が思っている以上に助けになってくれるのは友人・知人、それも身近で強い絆によって結ばれている人たちよりも、むしろ、たまに会う程度の弱い絆「ウィーク・タイズ」で結ばれた人たち(ゆえに物心ともに依存度が少なく、自立的関係で向かい合える人たち)……なのではないか。 もちろん、身近な支えも人間には必要ですが、それが最高とも言えず、依存や過干渉、過保護によって悪い影響を与えるケースもあるわけですからね。これはまた別の人(労働経済学者の玄田有史さん)からの受け売りだけれど、「ウィーク・タイズ」論には説得力があるなあとしみじみ思います。 蛇足ですが、典型的なうつになる人には、宗教心のない人が多いそうです。そうだろうなあ。だって、キリスト教では自殺を禁じているしね。一方、宗教や宇宙といった、超越的なものに関心のある人がうつになると、躁病に転じやすいとか。らもさんはこのタイプだと、対談相手の精神科医に分析されていました。カルトの場合、もしかすると集団躁うつ病を教祖が上手に操っているのかもね。 あ、私も書いているうちにだんだん調子が良くなってきた。単に夜になったからだけかも。吸血鬼かい?さ、そろそろ私の命の水を飲むことにしようっと。 またまた続きを付け足しちゃおうっと。こそっとネ。 これを書くと、ゲストさんは恐れちゃうかもしれないけれども、当HP作成者だけが見られるアクセス記録には、@マーク以降のドメイン名が表示されるのです。 名だたる大手有名企業からITベンチャー系まで、隅から隅までずずいーっとご来訪いただき、ありがとうございます。業種のバラエティが広過ぎて驚くばかりです。今日だけでも漢方薬系の会社、建設会社、就職支援会社、通信関連会社など多種多様でしたね。 最近は大学名が目立ちます。私の母校からのアクセスもあれば、落とされた大学からもあったりして。学生ですか?それとも教員?ドキドキ。 カウンセリングやキャリアカウンセリングをキーワードに検索した結果、ここにたどり着いたとしたら、わおー、責任重大でビビるぜい。ま、折角だから、立ち寄ったついでに何かひとことちょうだいね。じゃないと、ブキミですわ。袖振り合うも多生の縁と言うじゃないですか。よろしくね。 私の仕事上の名刺にもこのHPのURLを刷り込んであるもので、「先日やって来た茶髪のヘンなライターがホームページやっているらしいからちょっと覗いてみよう」とおいでになった方もいらっしゃるかも。恥ずかしながら、素顔というか、地のまんまさらしています。どんな感想をもたれましたか?これをきっかけに、今後とも末永くよろしくお願いします。 今夜、飲んだ「命の水」ですか? 近くの酒屋さんで売っていた、コート・デュ・ヴァントーの1300円ぐらいの白ワインです。この値段にしては、酸味も深みもそこそこで、悪くないんじゃないかな。 白ワインはいいですよ。へたげに「白ワインが好き」と言うと、ワインのわからない野暮天と思われるのじゃないかと恐れている人がいるとしたら、それは大きな間違いだぁ!と、声を大にして言いたい。 だいたい、「ワインは白が好きですか、赤が好きですか」と尋ねるやつは、大ばか者だと言っても過言ではありません。そういうやつに限って、自分がいかに「世間で素晴らしいと絶賛されている赤ワインを飲んだか」、「ブランド物の赤ワインに通じているか」を自慢したい俗物なのですから。 白ワインが好きな人も、どうぞ、胸を張ってください。いじめられたら、この私がいくらでも弁護いたしましょう。私は白ワイン好きの味方です。 もちろん、赤も好きだけれどね。要は、あわせる食事やTPOが大事なのです。白身の刺身に合う赤ワインは、まずないでしょうね。生牡蠣も無理だ……と思ったら、黒パンにエシレバターを塗り、黒胡椒をガリゴリしたヤツの上に生牡蠣の剥き身を乗っけるとウマイ!と教えてくれた大先輩もいます。例の校長先生ダヨ(ボルドー旅行の詳細をご存知の方、ウケてください)。 ま、好き嫌いの世界は、「かくあるべし」を振り回すほど野暮なことはないって。食べものに限らず、これは生きることすべてに通じるかな。「かくあるべし」にこだわりすぎると、自分も他人も不幸にするから止めたほうがいいですよ。 あれれ、最初は「うつ」だったはずが、だんだん元のエピキュリアンどころか、単なる酔っ払いだぜい(いやあ、でもさっきまでは指先が氷のように冷たく、体調が極度に悪かったのです。見かけからは想像できませんが、実は低血圧)。これこそ私の地ですかね。がはは。最後まで駄文を読んでくださった方、感謝感激です。愛してるぜい。ちゅ!
2003年01月27日
マルグリット・デュラスの最晩年を描いた映画を見ていたら、こんなシーンがありました。38歳年下の愛人、ヤン・アンドレアがデュラスに聞きます。「靴下を脱いでもいいですか?」 あれは確か、彼女と大喧嘩して「出て行け!」と夜中に追い出され、海岸の砂浜で野宿し、砂だらけになって朝方戻ってきたシーンでした。 フランス人は、他人に素足を見せるのをことのほか嫌うのだと、昨年、ボルドーを旅したときに案内してくれたガイドさんが言っていました。 フランス人じゃなくても、私たち日本人もそうかもしれませんね。タコ、ウオノメ、足指の変形、爪の変形等々のトラブルがあるから恥ずかしくて見せられないという人も多いかも。「爪切り屋」と自称する大先生に取材しました。彼女はもともと美容師で、からだの不自由なお年寄りのためにクルマを改造して移動美容室の仕事を始めて以来、老人介護に興味を持ちました。 あるとき、仲間に誘われてフィンランドの老人介護施設へ見学に行ったら、どこの施設にもフットケアの専門家がいて、フットケアをケアの要としていたそうです。「二歩足の人間が、四本足で歩く(車椅子に乗ること)のはとんでもないことです」 という言葉が強く印象に残ったとのこと。「自立は足から」です。歩けないお年寄りというと、脳血管障害などの病気の後遺症で「仕方ない」とか、「年をとれば誰でもそうなる」などという諦めの目で見られがちですが、それは単なる無知と無恥のなせるわざ。日本では医者や看護師すらも爪については無知な人が多いのが実情とか。 フィンランドには「足病治療医」という専門資格があり、他の専門医と同等にその地位が社会から認められています。日本にもこのようなスペシャリストを根付かせたいと、「爪切り屋」の先生は情熱的に取り組んでいるのでした。「爪切り屋」の名が示すとおり、フットケアの基本は爪切りです。間違った爪切りをしているために、重症の巻き爪や極度の爪の変形を招き、歩行困難になるケースが少なくないとのこと。 手の爪ではやりがちですが、爪を山形に尖らせて切ると、斜めの部分がバイアスになり、爪が伸びてしまって内側に巻き込もうとする。これが巻き爪の原理です。巻いた爪は指の肉を圧迫するので、差し込むような痛みが襲い、歩くどころではなくなります。 重症の巻き爪になると、完全に爪が丸く閉じ、足指の肉が上へはみ出しているケースも。症例写真を見せられたとき、「うっ」と言葉に詰まりました。他にも、爪がナナメに伸びて隣の足の指に刺さった例、あさっての方向に伸びてくる爪を避けるために変形してしまった指、爪白癬といって爪に巣食う水虫のせいでボロボロになった爪(爪白癬は内服薬でなければ治らないことを知らない医師が多いとか)など、痛ましい症例の数々。それもこれも、不適切な爪切りが招いた例ばかりとか。 爪切りの基本を習ってきました。爪は、専用のニッパーで切ります、普通の爪切りは細かい作業に向かず、爪や皮膚を傷つける恐れが大きいので絶対に不可。とくに高齢者の爪は固くなっていますので、普通の爪切りでは「歯が立たない」ケースが多いのです。 実物を見ないと分かりにくいのですが、ニッパーは「片刃使い」にします。これが痛くなくて、正確に切るポイント。まず、指の肉をしっかり押さえます。第一関節に沿って押し上げ、爪の周囲に肉が盛り上がるようにします。ここへニッパーの下の刃を押し付けて安定させ、上の刃を上向きにしてほんのちょっと切る。決していっぺんにたくさん切ろうとしないこと。上向きに切った次は、刃を水平にして切り、次はまた上向きに。このようにしてやさしく爪のカーブに沿わせながら端から端まで切っていきます。 巻き爪や極端な爪の変形の場合、ニッパーでも刃が立たないことがあります。このときの秘密兵器が「ゾンデ」。かぎ編みの編み棒くらい、18㎝ぐらいだったかな。細さは耳掻きをやや太くしたぐらいで金属製です。先端が幅2㎜ぐらいの薄いへら状になっています。 このヘラの部分を足指の爪と指の間にやさしく潜り込ませ、一体化してしまっている爪と指を分けていきます。間にたまった角質を取り出していくのです。ひどいケースでは、爪のいちばん奥、健康な人だった白い半月のある部分まで、角質がたまってゾンデが突き抜けてしまう人もいるとか。内部の皮膚が腐ってたまり、ひどい悪臭を放つのだそう。 角質をていねいに除去し、爪を正しく切ることによって、それまで痛くて歩けなかったのに、踊り出したいぐらい楽になったというケースがいくつもあるといいます。痛いからといってリハビリを嫌がるお年寄りも、実は爪の変形に原因があるケースも少なくないとか。 ところが現場の医師も看護師も、爪切りの知識は皆無で、講演で「爪切り屋」屋の先生がたずねると、「間違って切って出血させてしまった」経験のある人がほとんど。 糖尿病患者の場合、これは命取りです。足から黴菌が入って感染すると、壊死そして切断というケースが非常に増えているのです。 また、合わない靴も足指の変形を招きます。お年寄りの場合、病院や施設ではスリッパを履かされることが多いようですが、これでは前のめりに「つつつ」と歩く姿勢になり、足指に体重がかかりすぎるのです。 かかとがしっかりしていて、足の底のアーチにフィットするように、底が柔らかく、手で折り曲がるぐらいのものがいいのだそうです。 最近、リフレクソロジーとかで足裏マッサージはブームを呼んでいますが、足の爪のケアまでは目が向いていませんでしたね。 私たちが歩けるのは足の爪のおかげです。フニャフニャの指だけだったら、痛くて歩くどころではありません。爪の働きを再認識し、きちんとケアしたいものです。 そうそう、足の爪もカットした後は、やすりをかけるのを忘れずに。やすりのかけかたにもコツがあり、多くの人は爪の断面に対して垂直にやすりを当てて、ガリゴリ、キキキーっと引き勝ちですが、これでは爪を尖らせてしまって危険。足指の側面を手前に見て、爪を山に見立て、手前半分と向こう半分と、半分ずつやさしく滑らせます。 ニッパーは少々値が張りますが、一度買えば何年も使えますから、健康を保って快適に歩くための必要経費と思えばいいかな。
2003年01月26日
金曜の夜は青山ブルーノートでブルース・ブラザーズのライヴを楽しんできました。お食事しながら音楽が聞けるって最高ですね。 ビールでぷふぁーっ!の後、ガスコーニュの白ワインをボトルで頼み、料理は前菜の盛り合わせ(豪華絢爛!)、生牡蠣、キノコのパイ、ガーリックトーストそして……。「お客様、ライブは途中でスタンディングになりまっすから、あまり召し上がり過ぎないほうがいいですよ」 なーんてカッコいいお兄さん(鈴木一真ふう。ポーっとなっちゃったぞ)に忠告されてしまった。何せ、お昼を食べていなかったので食欲旺盛なんです。 しかし、ここは料金が高い!ワインはいちばん安いのを頼んだのに、それでもフルボトル1本が4000ナンボでっせ。料理も1500円超がほとんどで、行き交うサービス係のお盆の上を見ると、比較的安いスナック類ばかり。揚げ物がいちばん目立ったな。考えることは皆同じ。安くて腹にたまるものサ。 開演は7時過ぎ。ヴォーカルはお決まりの黒スーツ、黒帽子、黒メガネ、黒タイですねん。さすがに演奏はとても上手でノリがいいのですが、ヴォーカルが上品過ぎる。そりゃあ、ベルーシと比べちゃいけませんけど。 盛り上がったのは、やはり、この日を含めた2日間だけのスペシャルゲスト、清志郎ちゃんが加わってから。あの独特の声が、やっぱりいいなあ。日本のオリジナルのブルースを体現している。 いちばん入り口寄りの席を陣取ったので、彼が奥からやって来て、ステージへ駆け上がるタイミングを待って立っているとき、手を伸ばせば触れそうな位置でした。やっぱり小柄で、「no name」の上げ底スニーカーを履いていた私(実寸は162cm)のほうが長身なくらい。 ブルーノートのサイトからの引用で、メンバー一覧を貼り付けておきましょうか。Steve "The Colonel" Cropper(g),Rob "Honeydripper" Paparozzi(vo,hca),Alan "Mr. Fabulous" Rubin(tp),Ned "The Howler" Holder(tb),Lou "Blue Lou" Marini(sax),Jeff "B-3" Kazee(key),John "Jesse James" Tropea(g),Eric "The Red" Udel(b),Keith "The Warlock" Carlock(ds),Kiyoshiro "Memphis" Imawano(vo),Tommy "Pipes" McDonnell(vo) 終わった後は、引き上げるときにギターのおじさんが握手してくれるし、生々しさを十分に堪能できて嬉しかった。武道館やドームじゃなくて、こういう大人の空間でしみじみ楽しめるライブっていいですね。 その後、やはり飲み足りなくて食べ足りなくて、渋谷の町へ繰り出し、女性バーテンダーの店でカクテルを2杯(だったかなあ?)、その後、松見坂まで歩いちゃって、深夜営業の「ま」だか「そ」だか「へ」だか「ほ」だか、そんな、ひらがな一文字の店へ入って、エスニック味の幅広麺を堪能したような記憶が……。で、千鳥足でぷらぷら帰ったわけです。 いっぱい食べ、音楽を満喫し、幸せな夜だったなあ。相棒が抜群に良かったから。やっぱ、気の合う女ともだちは最高!サンキュー、マキちゃん。 さて、話を土曜日に移すと……。いやあ、ハードでした。 イタリアン大好きなハトコとその母(父のイトコ)が遊びに来るので、料理係は私が仰せつかって、イタリアンが苦手な父のための和食まで作っちゃった。1.トリッパ(牛胃ハチノスのトマト煮込み)2.プチポワ・ペイザンヌ3.魚介類のジェノベーゼ4.カプレーゼ5.タラとトマト、ジャガイモのオーヴン焼き6.本鴨ロースのフルーツソース7.パルマ産生ハム、ルコラ添え8.じゅんさいとオクラの三杯酢9.島らっきょう、小きゅうりのもろみそ添え10.ゆずかま ハトコが持ってきたのは1991年モノのサッシカイア。さすがに代々医者の一族は金持ちですなあ。私もいちおう、高校時代は医学部志望で理系のクラスだったのですが(志望は富士山より高くて近所の国立大学)、この家から借金してでも当初の希望を貫けばよかったなあ。ナンチャッテ。後の祭です。 しかしこのハトコ、髪の毛はレゲエだし、左の耳たぶにはピアスのリングが3つも下がっている。世の中、変わったものですねえー。まさか営業中は外すのだろうけど。 サッシカイア、さすがに枯れてきて、鴨肉との相性がバツグンでした。仕上げは、ダルマジのグラッパ。うふ。 さて、上記のお料理の中から1品だけ、レシピをご紹介します。この時期にぴったりな旬のお料理、「プチポワ・ペイザンヌ」。訳せばなーんてことない、「グリーンピースの田舎煮」でござい。1.生のグリーンピースを下煮します。これからさやつきの新鮮な生が店先に並ぶようになりますね。以前、若い女の子に調理を手伝ってもらったとき、「グリーンピースって、こんなさやに入っていたのですね。知らなかった!」なーんて言うんですもの。こっちがびっくりしちゃいました。 私たち現代人は、どんどん自然から切り離されてしまいますね。寂しいことです。ぷっくり太ったグリーンピースの実をつるつるつるーっとさやから外すときの、何ともいえない快感と有難みを若い人たちにも味わってもらいたいなあ。 ともあれ、さやから外したグリーンピースを鍋に入れ、ひたひたの水を注ぎ、天然塩をひとつまみ加えて火にかけます。沸騰してきたら弱火にしてコトコト、皮が障らない程度に柔らかくなるまで煮ます。2.下煮の間に他の材料をそろえましょう。タマネギはみじん切りに、パンチェッタは厚さ3㎜程度で1㎝角の小さな色紙切りに。パンチェッタは、燻製していないベーコン、つまりばら肉の塩漬けです。入手できない場合は、ベーコンでもOK。ただし煙臭さを除くために、湯引きしましょう。3.鍋に材料の全てを入れ、ひたひたの水を加えて火にかけ、沸騰したら弱火で煮ます。煮崩れないけれども、口に含んだとたんにくずれるぐらいに柔らかくしたい。「そろそろいいかな」と思ったら、おたまの底で、豆の半量ほどをわざとつぶして淡いグリーン色のジュースを出します。味付けは塩、胡椒、そして砂糖を入れて「あまじょっぱく」するのがこの料理の独特の個性。煮上がったときに、お汁がほとんどなくなるぐらいがいい塩梅。好みでマージョラムというハーブを加えると、香り高く、気品のある味になります。 南仏あたりのハーバルな香りの白ワインによく合いますよ。あの葡萄品種なんていったかな。あ!ビオニエです。ビオニエを使った白ワインとか、アルザスの白なんかによくマッチしますね。お試しあれ!
2003年01月25日
ある方のページで「高齢化社会には姥捨て山が必要では」という主旨の日記を読み、身につまされてしまいました。 このままいくと、私は独居老人になるでしょう。最後は孤独死かもしれませんし、その前に自殺してしまうかもしれません。いずれにしても、老後は寂しくなりそうだ。 ボケてしまって厄介者になる前に、安楽死させてもらったほうがいいかもしれない。そのような「姥捨て山」のシステムが認められる世の中が来るだろうとその方は書いていました。 それを読んで、私は以前に見たSF映画のシーンを思い出しました。題名は忘れましたが、こんな感じです。安楽死セレモニーセンターのような場所へ老人が連れられて来る。最期のときを迎える部屋は、壁が360度のスクリーンになっていて、老人の生涯をまとめた映像や、地球と生命の美を讃える映像が映し出される。荘厳なBGMに癒され、身近な人に見守られつつ、薬物投与で老人は安らかに死んでいく。 苦痛のない安らかな死に憧れます。神や仏に「ポックリ死なせて」と祈るのはアリだと思う。けれども、人間がつくったテクノロジーやシステムに死を管理されるのは絶対に嫌です。 どんなに生きるのが辛くてもあがいてあがいて、それでもどうしようもなかったとき、自死を選ぶ自由があるというのは、一種の清清しさというか、救いのようなものを感じます。ただ、だれかに管理されるのは絶対に嫌です。最期の瞬間まで生々しい人間であり、自由でありたい。 そんなふうに掲示板に書き込みしたら、「私も独居老人だろう」という返事を下さいました。「そのときにお互い独居老人同士だったら、茶呑み友だちになりましょう(酒でもいいけど)」と私。 独居老人になっても、なんとか明るく暮らしていきたいものだと、希望の光が少し見えてきました。いまのうちに、ネットを通じて「茶呑み友だち候補」をたくさんつくっておきたいな。 そしてまたある方のページへ遊びに行ったら、そこにはステキな本棚に関する本が紹介されていました。本棚か……。私の部屋は、壁の一面が天井から床まで本棚になっています。家を建てるときの唯一のこだわりでした。 いまにして思えば、腰から下には扉をつけてホコリを防いだほうが良かったとか、色々反省もあります。そうだ!いまから夢とお金を積み立てて、何年後かにはリフォームしよう。この部屋は二階で、一階は弟に貸しています。彼が結婚したら母屋を二世帯住宅に改築する約束でして、そうしたら一階は寝室、二階はいまの台所を撤去し、四面を書棚で囲んだサロンのように造り替えよう。 ライターとカウンセラーの仕事を幾つまで続けられるか分かりません。できれば一生モノにしたいのですが、60を過ぎたら子どもたちにかかわる仕事もいいかなと閃きました。 コミュニティが失われたいま、異なる世代間の親密な交流は家庭以外では難しくなっています。それが子どもの自立を妨げている一因かもしれません。タテ、ヨコの関係ばかりでなく、血縁や上下関係のないナナメの関係も人間の成長には必要でしょう。 子どもたちに何かを教えたい。「学童保育ばあさん」っていうのもいいなあ。作文ならお任せ。読み聞かせもやってみたい。料理やお菓子作りも教えられるかな。ガーデニングも少々。なぜか刺繍も得意だけれど、視力が衰えると難しいかも。ピアノだって弾けちゃう。歌も歌える。 でも、自分ひとりじゃ心もとない。お習字、英語、茶道など、人格形成と鍛錬(おお!懐かしい言葉じゃ)に役立つおけいこのできるパートナーが欲しいな。大勢のじいさんばあさんと子どもたちでワイワイやろうじゃないですか。 なーんて夢みたいなことを夢見つつ、いまはちょっと安らかな気分になっています。老後も怖くない。いかに明るく楽しく生きるかが勝負だ!と、闘争本能旺盛なワタクシは、新たな目標を見出したのでした。 長い1日だったなあ。本日(木曜日)は週刊誌のエッセイ(テーマはヒートアイランド対策の舗装技術)と、月刊誌のレポート4ページ分(テーマはフリーエージェント)を書き上げることができました。最近、寄り道が楽しくて、あれこれ本を読んだり、ネットで関係ありそうな文献漁ったりするものだから、時間がかかってしょうがない。でも、楽しい。 ただいま午前4時ちょっと過ぎ。アルザスの白ワインを飲みながら書いています。今日に乾杯。そして、明日に乾杯。
2003年01月24日
悪いことは言わない。高校生や大学生の子どもをもつ親や教育関係者は、いますぐこの本を読んだほうがいい。手遅れになる前に……。 この本、『若者が《社会的弱者》に転落する』の著者は千葉大学教授で青年社会学、家族社会学を専攻する宮本みち子氏。洋泉社の新書yのシリーズで価格は720円となっている。 読み始めたら止まらなくなって、四谷三丁目にある仕事先へ出向く行きと帰りの電車の中で大半を読み、帰って来てから1時間ほどで読了した。恐ろしい本である。著者の警告には説得力がある。背筋が寒くなった。 家族や学校関係者が「崖っぷちに立っている」若者の現状を正しく認識し、また、行政などによる包括的な自立支援サービスが実施されないと、若者は間違いなく「社会的弱者」に転落するだろう。 就職できず、フリーターになる若者が激増し、いまやその数は200万人とも言われるが、そうなったのは、彼らの「甘えの構造」にもっぱら原因があるわけではなく、若者を取り巻く社会構造の変貌にこそ原因があると著者は指摘する。 就職しようと思えばできるのにしないというのではなく、「就職したくても就職できない」若者が増えているのだ。それが社会問題として認識され、対策が立てられることなく、若者バッシングが起こっていることこそ問題なのだ。 そうなった三大原因は、労働市場の悪化、必要とされる教育水準の上昇、家族の不安定化(親の離婚、経済的破綻など)にあり、欧米諸国では早くも80年代からこの問題が起こり、若者の社会的地位が危機に瀕した。 大人になったら自立して家から巣立つものだという社会的規範が生きている欧米諸国では、就職できずに行き場を失い、ホームレスとなる十代の若者が増加して社会問題となった。 一方、高等教育の学費を親が出すのは当り前という、世界的に見れば甚だ珍しい慣行があり、就職も結婚もできなくても長く親へのパラサイトが許される日本では、まだ幸いなことに十代のホームレスはそれほど目立たない。だが、パラサイトを許す家族関係のあり方が、若者の自立を一層難しくしている。 親と同居し、家事をほとんど手伝わず、家計の足しになるようにお金を出すこともなく(たとえ出しても、親はそれを子どもの将来のために預金してしまう)、ただパラサイトするのみ。それが許され、当り前になっている。 無理して高い家賃を払ってまでアパート暮らしをすることもないし、また、いくら好きでもしょせん他人は「甘やかしてくれる親」に比べればケンカもするし、相手の要求にも譲歩しなければならないし、いろいろ面倒だ。そんなことから、自立や結婚による家離れを敬遠する風潮が出てくる。 自立したって、金はかかり、色々面倒だ。だったら親が許してくれる限り、同居したほうが楽だし、親もそれを喜んでいるから親孝行にもなるだろう……というわけだ。 親の経済力に余裕があるうちはパラサイトも可能だが、リストラや賃金カットでその余裕をなくす親が増えている。このままいくと、介護を必要とする親と経済力のない子の組み合わせによる新しいタイプの母子家庭、父子家庭が生活困窮にあえぐようになり、新たな生活支援の施策を迫られることになるだろう。さらにその先は、経済力のない大量の単身高齢者の問題が起こってくる。 階級社会化が日本でも始まっているという声を最近、よく聞く。経済的に余裕のない家庭では、子どもを大学や専門学校へ進学させる学費を捻出できない。IT化が進み、技術革新のスピードが猛烈に早くなっていま、就業に必要とされる教育水準はどの産業現場でも高くなっており、高卒者へのニーズが著しく減少している。高卒者の就職は、1人1校制の学校推薦という慣行が未だに残っており、学業成績や出欠日数で選考されるため、学業成績が不振だったり、欠席日数の多い生徒は、途中で就職をあきらめて、「フリーターしかない」ということになってしまう。 下記のグラフは、親の豊かさの度合いと子どもの就業状況の比較データ。親が「豊かである」と考えているほど、子どもが正規雇用者である割合が高くなっている(平成13年度版「国民生活白書」より)。http://www5.cao.go.jp/j-j/wp-pl/wp-pl01/html/13305c10.html「豊かでない」家庭の場合、昔だったら苦しい家計を助けるために子どもが頑張ったものだが、なぜ、いまではそうならないのだろう。誤解を恐れずに言えば、親が社会不適応を起こしているなどの問題を抱えている家庭が多いのかもしれない。「父のような仕事に就きたい」と子どもが思えるような「正業」に、親が就いていないのかもしれない。 若者をカモにしてきた消費社会にも責任はある。若者を消費の王様にまつりあげ、消費に対する欲望を無限にかきたてて来た。彼らは消費の快楽の虜となり、生産の喜びを知る機会がないし、大人が教えてくれない。 自立への助走も、心の準備もできていない彼らに、「自立は楽しい」と甘く囁いても、「自立しなければならない」と脅迫しても、効果はないだろう。 小学校時代から社会参加や自立を体験的に学ばせる機会をつくるといった教育現場での自立支援のほかに、経済、結婚、職業、心理、家族関係などあらゆる側面からの相談に応じ、自立を支援するような包括的なサービスが急務であると著者は言う。 さて、そこでだ。私はどのようなアプローチを彼らに対してとればいいだろうか。そろそろ講演のレジュメを提出しなければならない。うーむ、うーむ、うーむ。
2003年01月23日
「フリーターは不利ーターだよ」なーんて話をこれから高校生に向かってするわけだけれど、よく考えてみれば、私が大学4年生のときには「就職しないで生きるには」というタイトルの本に大いなる魅力を感じ、図書館で読みふけったものだった。 会社に入るなんて、全然ピンと来なかった。よく言えば、生まれつきの自由人。世間的に言えば、協調性に欠けるはみ出しモノ。「全員で一丸となって」「一致団結して」なーんていう掛け声を聞くと鳥肌が立つ。 当時は管理社会化が急速に進んでいる真っ最中で、ということは、管理のない隙間が多かった、結構幸せな時代だったのだけれども、ともあれ、私は反管理の思想について勉強していたので、批判的スタンスで企業の人事管理の手法についてあれこれ調べるにつけ、その息苦しいまでの自由のなさ、全人格的な関与の実態にヘキエキして、就職する気持がどんどんうせていき、大手有名企業に受かろうとして必死に活動しているクラスメートのことを冷ややかな目で見ていたものだ。 ほらみろ、フリーター志向の若者のことを悪く言えないじゃないか!はい、そのとおりです。 今日は「ワーカーズコープ」という雇用されない働き方について調べ、レポート記事を書いているのだけれども、なかなか筆が進まず、あれこれ脱線して思い巡らすうち、私が「就職しないで生きるには」という言葉に、どれほど大きな希望と可能性を託していたかを思い出したのであった。※ワーカーズコープについての詳しいことはこちら↓http://www.yomiuri.co.jp/iryou/ansin/an231201.htm 読売 ワーカーズコープ紹介記事http://ha1.seikyou.ne.jp/home/kki/kanau/kanau57/5751kino.html 新しい労働のあり方 ワーカーズコープから学ぶ 日本にワーカーズコレクティブ第一号が誕生したのが1982年というから、まさに私が大学を卒業した年。社会学も専攻したから、どこかでこの新しい働き方について読んだり聞いたりしていたはずだ。 勉強は好きだったけれども、大学院に進むつもりはなかった。一刻も早く自立し、自分で稼いだ金で一人暮らしをしたいと思った。なぜ、それほど自立に憧れたのか、詳しいことは忘れてしまった。もしかすると、地方から出てきてアパート住まいしながら通学していた同級生が、あっという間に恋人を見つけて同棲を始めたのが羨ましかったのかもしれない。あはは。 自立するために仕方なく就職活動を始めたのだけれども、理屈屋なものだから、なにか理屈をつけないと本気で動き出せなかった。そこで思いついたスローガンが、「獅子身中の虫になる」だった。あははははは!思いっきり笑ってください。 つまり企業という管理社会の悪玉中の悪玉をやっつけるために、その内部に入り込んで弱みを握り、内側から壊していこうと思ったわけですね。あれから20年の歳月が過ぎ、いままさに企業は内部崩壊を始めているのだけれども……それはさておき。 だったら、あえて伝統的な大企業に入ればいいものを、当時は均等法前だったから、そのような大企業に入るには、制服を着たアシスタントの「女の子」になるしかなかった。そんなのはヘドが出るほど嫌で嫌で、だいたい、こういう反抗的な人間が大企業から選ばれるはずもなく、結局、小さな会社の編集専門職を選んだのだった。 そんな私の選択について、父はこう評した。「鶏口となるとも牛後となるなかれを選んだのだね」。 この親にしてこの子ありというか、まったくスローガン好きな親子であった。「雇われる生き方」には最初から何の期待も持たず、「就職しないで生きるには」を求めるフリーター志向の若者は、20年前の私自身の姿とぴったり重なることに今さらながら気付いた。 だったら、こんな私には何が言えるのだろうか。 その1。確かに「雇われる生き方」はカッコ悪いし、夢もないかもしれない。でも、一度は現実を自分の目で確かめることが大切じゃないか。経験もせず、他人からの又聞きで判断するのは、臆病者のすることだ。自分の生き方は自分で決めよう。 その2。「就職しないで生きる」方法は確かにある。ただしその方法を実現するには、「力」が必要だ。いまのキミたちは、社会の前では自分の足で立つこともできない赤ん坊に等しい。自力で立つ力を手に入れよう。それは、社会の中のルールを知り、自分に損にならずしかも他人に迷惑をかけないような立ち居振る舞い方を身に付けることであり、資格や実務能力を生かして何らかの成果を出すことであり、「他の人じゃダメだ、キミが必要だ」という承認と信頼を組織から得ることであり……そういう力を身に付けるには、一度、どこかの組織に所属し、底辺から這い上がっていく経験が必要だ。 だんだん出来上がってきたぞ。もう少しだ。
2003年01月22日
ただいま夜中の2時。そろそろ本日の営業を終わりにしよう。 午前中、具合が悪くて臥せっていたせいか、いまになって頭が冴えてきた。このまま眠るのはもったいないが、いま寝るタイミングを外すと、明日、午前中に起きられなくなってしまう。どうしたものかなあ。 何か1日の終わりの儀式をしないと収まりがつかない感じだ。そうだ、ワインを開けよう。風邪のせいか、喉がヒリつく感じなので、冷えた白が恋しい。 千円台のお手ごろ価格だったと思うが、アルザスのシルヴァネルがあった。ちょっとスッキリしすぎているけれども、ものは考えよう。遅い時間に飲むには、こういう清涼感が胃にもやさしくていい。 グラスを片手に、もうひとつの扉を開けて秘密の部屋へ入っていこう。そこには丸眼鏡をかけた理想の恋人が待っている。 デュラスの映画に出てきた、38歳年下の愛人、ヤン・アンドレアを演じた男優が、若いころのジョン・レノンにちょっと似ているって、どこかに書こうと思っていたのだった。ホワイトアルバムのオマケについてきたポートレートみたいな感じ。「いいなあ」と思える人は、みんなジョン・レノンの顔に見えてきちゃうのだった。机の前に張ってある、ジョン・レノン・ミュージアムのチラシを見ながら、あれこれ昔のことを思い出す。 アルザスのワインって、スパイシーな料理にも意外と合っちゃうね。香菜をふんだんに使ったタイ風サラダとか。海老がたくさん入っているのが好き。 でも、外でエビの入った料理を注文すると、「世界中のエビは全部キミのものだ。さあ、お食べ」と言って、あなたは全部、私に取り分けてしまうのが嬉しかったり、気恥ずかしかったり。 牛の赤身肉をバジルの葉っぱとオイスターソースで炒めた料理は、タイだっけ、ベトナムだっけ? あれも独特な味でいいね。ミントのような清涼感と青臭い野趣と、少々ピリっとくる刺激が、たまらない。甘くべたつきがちなオイスターソースに、キリリとした輪郭をつける。 グリーンカレーだって、アルザスなら受け止められるかも。とくにゲヴュルツが合いそうだ。そういえば、最近、ゲヴュルツを飲んでいないぞ。でも、あれはなんとなく春の味のような気がする。立春を過ぎたら、さっそく買いにいこう。 今日、洗濯物を干したとき、お隣の庭の木蓮のつぼみに気付いた。結構、大きくなってきたね。梅が咲き、木蓮が咲き……。これからは木の花が順繰りに主役交代で艶やかな姿を見せてくれて飽きさせない。クライマックスの桜まで、花道がひとつにつながっている。 梅といえば、梅の香りを彷彿とさせるバルバレスコ、ガイウンが慕わしい。yahoo!で調べたら96年モノで1万円か。いまはちょっと手が出ないなあ。 春よ来い、春よ来い、でもあんまり早く来ると締め切りまでに仕事が間に合わないから、ゆっくり来てね。 東京はいつも、2月、3月がいちばん寒いので、まだまだ油断がならないなあ。 ん!シルヴァネルの香りが花開いてきたぞ。さっき、口に放り込んだイチゴの残り香といい具合に絡んでいる。 シャンパーニュと果物の組み合わせが最高だって教えてくれたのは、どのバーテンダーだっけ。巨峰をひとつぶ入れたのがとくに好きだ。 ジムのお風呂は広くていいけれど、好みの入浴剤で香りを楽しめないのが残念。足を伸ばせる洋風のバスタブに寝そべって、好きな香りを楽しみつつ、シャンパーニュのグラスも持ち込んで、鼻歌歌いながらのーんびり浸かりたい。 潮風が入ってくるバスルームなんてステキだなあ。予算が足りなかったので、うちのユニットバスには窓がないけど、風の入らないバスルームなんて最悪!というわけで、いまは使わず荷物置き場になってる。 ああ、もう3時!まだ眠くないけれど、そろそろ寝る支度をしましょうか。
2003年01月21日
ネット情報を整理・活用する「虎の巻」をご披露しちゃいましょう。試行錯誤の末に私がたどり着いた方法は……。 事例をもとに手順を説明しましょうか。本日は、「高校新卒者の就職難」および「フリーター」をテーマに執筆すべく、ネットで情報を検索していました。 まず、yahoo!の検索エンジンを使い、無料で情報の取れるサイトやページを探します。「高校 新卒者 就職難」といったキーワードをいくつか並べ、検索されて出てきたページを順にチェックします。「これは参考になる!」と思えるページが見つかったら、以前はその部分をプリントしたり、丸ごとコピーして保存したりしていましたが、これを繰り返すうちに整理が大変になり、「あのデータはどこへ行っちゃったかしら」と、探すだけでひと苦労でした。 最近では、こんなふうに整理しています。まず、ワードで「参照先 フリーター」という文書を作り、ここに必要なページのURLをコピーして貼り付け、同時にタイトルもコピーし、注目すべき箇所などを自分の言葉でメモ書きにしておきます。こんなふうに……http://www.jil.go.jp/happyou/20000808_02_jil/20000808_02_jil.html #gaiyouJIL 高校生の中に広がるフリーター「予備軍」http://www.jil.go.jp/kisya/dtjouhou/20010626_03_dtj/20010626_03_dtj_4.html #26厚労省平成13年雇用管理調査の中のフリーターに関する調査項目http://www.jil.go.jp/happyou/20000713_01_jil/20000713_01_jil.html #概要フリーターには「モラトリアム型」「夢追求型」「やむを得ず型」の3類型/「やりたいこと」へのこだわりが強いが、長期化することは問題/「首都圏フリーターの意識と実態に関するヒアリング調査」よりhttp://www.jil.go.jp/kisya/noryoku/20021111_01_no/20021111_01_no_bessi1.html フリーター数の推計http://www.jil.go.jp/kisya/syokuan/20020305_01_sy/20020305_01_sy.html #top厚労省 「高卒者の職業生活の移行に関する研究」最終報告について URLのコピーにマウスを近づけてクリックすれば、すぐに行きたいページへジャンプできますよね。 このようにして参照先一覧表を作成し、後で参照先を行ったり来たりし、ウィンドウを閉じたり開いたりしつつ、自分で書くべき本文の構想を練り、執筆を進めていくという手順です。 参考にしたい部分をコピーして、自分の原稿に貼り付けてからリライトすることもありますが、これは慣れたライターじゃないと「盗作」になる恐れがあるので、十分に注意しましょうね。引用するなら、引用符と出典の明記をお忘れなく。 検索先はまず、無料情報で。それでも足りなければ、有料の新聞記事検索サービスを使います。無料情報は、yahoo!などの検索エンジンのほか、新聞社の無料ページがオススメ。ただしこのページは短いサイクルで消される場合もあるので、URLのメモだけでなく、本文のコピーをしておくと安全です。 有料情報の検索結果は、もちろんコピーして保存しておきます。私がよく使うのは、@niftyの新聞記事横断検索で、他に、日経の検索を使います。日経は月会費プラス従量制料金のため高くつきますが、仕事柄、頼らないわけにはいかなくて。以上の有料検索にかかる費用は、毎月2~3万円になってしまいます。これに新聞料金(朝日、日経、日経産業)が加わり、書籍代も含めると、資料代だけで月間5万円超になってしまうのですが、他に経費がほとんどかからない仕事ですから、致し方ないところでしょう。 ふー、今日は体調がすこぶる悪く、午前中は事務所のソファから起き上がれませんでした。頭が重く、全身倦怠感、鼻づまりなどの風邪の症状です。大好きなエアロビクスも断念。 ほとんど座りっぱなしの作業なので、「エコノミークラス症候群」の危険があり、取材のない日は必ずジムへ行くようにしているのですが、呼吸器系統に負担をかけても、風邪の症状が悪化しそうなので、泣く泣く諦めました。 うー、体調悪くても食欲は落ちないから、体重が増えそうで困った!風邪よ、早く出て行けー。
2003年01月20日
まだ言うか、しつこいぞと、昨日と今日の私を知っている方からは言われちゃいそうですが。 風邪で喉をやられ、ハスキーな声になっているもので。 随分むかしですが、今日みたいな風邪っぴきで電話のインタビューの仕事をしたときに、先方がノリのいい方で、「大原麗子みたいな声だねえ。電話じゃなくて、会いに来てよ」なーんて言われちゃいまして、期待を裏切ってはいけないので、伺うのは丁重にお断りしたのでした。 というわけで、昨夜の拙宅の宴会では、よっぱになるにしたがって、「おおはられいこでーす」を連発していたのでした。今日のジムでも、夜のバンド練習でも。あははは。 宴会のメニューを例によって記録しておきましょう。1.生麩の煮物(おだしは羅臼昆布と鰹節でとったのよ)2.ゆずかま3.スモークサーモンのスライスオニオン、ケッパー、サワークリーム添え4.鴨の生ハム5.ホワイトアスパラガスの生ハム巻き(サンダニエレ)6.菜の花のバーニャカウダ7.縮れほうれん草とパンチェッタの炒め物8.出汁昆布で作ったクーブイリチー(細切り昆布と豚バラの煮物)9.山芋と明太子のグラタン10.ボルドーみやげのフォアグラのテリーヌ(もちろん、バルザックの貴腐ワインと一緒に)11.ラムラックのロースト12.トリッパ13.いずれもフレッシュなブルーベリー、ラズベリー、イチゴにフロマージュブランを添え、サクランボの蜂蜜がけ スキゾエクレクティックだねえ(なんのこっちゃ?)。これでも結構、手抜きなほうなんです。ええと、この中から久々につくった山芋と明太子のグラタンのレシピを書いておきましょう。 山芋は皮を剥き、小さいものなら輪切り、太いなら半月切りにします。厚さは1㎝弱。明太子は皮をとって酒少々でふやかしておき、生クリームと混ぜます。 耐熱容器に山芋を並べ、明太子&生クリームをひたひたになるようにかけ、おろしたパルミジャーノをトッピングし、180℃のオーブンで20~30分。 20分だとしゃきしゃき感が残り、30分ならほくほくに仕上がります。焦げすぎない程度にね。 簡単で、パーティに出しても恥ずかしくない一品です。ぜひ、お試しあれ。 明日からまた一週間仕事だと思うと、日曜の夜はめいっぱい遊びたいところですね。でも、風邪っぴきなので、そろそろ大人しく寝ることにします。 サラ・パレツキーの最新作を読みながらね。 すこし愛して、ながーく愛して。ちゅ。
2003年01月19日
今日もまた悩み続けている私だけれども、タツルおじさんのページへ行ったら、すばらしいヒントをいただいた。ちょっと引用ね。>中高生にお話をするというのは、私にとってはたいへんうれしい機会である。(中略)日本の未来を担う若い人たちに言いたいことはやまのようにある。 そうだそうだ。若い人たちに自立してもらって、日本の未来をしっかりと担ってもらわないと、ばあさんになったときに私が困ります。 偉そうに説教モードで話している場合じゃない。お願いしなくちゃ。その気にさせなくちゃ。「ネバナラヌ」式の説教モードで語りかけたとしたら、自発性に富み、自立志向の強い若者ほど反発を感ずるだろう。そうやって仕掛けるのも作戦のうちだけれども、反発のエネルギーを彼らは持っているだろうか? もちろん、変に擦り寄ったりするつもりはないし、私にはそんな芸当ができない。 でも、初対面の相手に対してこちらの願いどおりに変わってほしいと望むのであれば、相手が年下であろうと、「お願い」モードでやさしくアプローチするほうがうまくいくだろう。 私は批判精神旺盛なジャーナリストとして仕事をすることもあれば、「無条件の肯定的態度」をとるカウンセラーとして仕事をすることもあり、今回の高校生向けのお仕事は後者の役割で臨むのであった。おっと、いけねえ。この大事な基本を忘れるところでした。カウンセラーはセンセイじゃなくて、サービス業です。お客様は神様です。 お願いですから、「フリーターでいいや」なんて、考えないでくださいね。だって、フリーターは「不利ーたー」ですよ。 高卒の初任給を時間給に直してみましょうか。コンビニのバイト代とどっちが高いかは簡単に想像できますね。しかも、正社員の場合は年金保険料や医療保険料に対して会社の補助があり、退職金や賞与の引当金が別にプールされているのですよ。それに、「人を大切にする会社」を選べば、研修の費用や福利厚生の費用を惜しみなく与えてくれますから、このような「見えない賃金」を上乗せすると、額面の二倍はおろか、三倍ぐらいのメリットが受けられるわけですね。 高卒でも大卒でも同じですが、最初は会社にとって、みなさんのような新卒者を採用することは採算割れしています。仕入れ値のほうが売り値より高い状態です。だって、みなさんが上げられる成果は、最初はゼロか最も小さい量であるのに対し、賃金は歩合制のように業績に連動する仕組みをとっている会社を除いて、一定額きちんと支払われるわけですからね。 では、なぜ、採算割れを覚悟の上で、会社は新人を雇ってくれるのでしょうか。それは、将来、新人が経験を積んで育っていけば、会社に対して賃金に見合うかそれ以上の成果を生み出してくれるという期待があるからです。その期待をより確実なものにするために、会社はお金をかけて新人を教育し、働きやすい環境を提供するのですね。 そうやって、成長を促してもらえることは、新人にとってもメリットのあることに違いありません。しばらく仕事をしてみて、「これは自分に合わないな」と思って転職するとしても、それまでの間に成長した部分を売り物にすることで、より有利な条件で転職できるわけです。 ゼロの状態で雇ってもらったのに、プラスの状態になるのを手助けしてもらった上で、もっと自分に合う仕事へ移ることができる。これはいい話でしょう。 一方、「不利ーター」はというと、長く続けても時給はめったに上がりませんし、ボーナスも退職金もなければ、きちんとした教育も受けられない職場がほとんどです。したがって、仕事内容に全く変化もない。成長なければ、変化なし、ですからね。 もともと長く続けるつもりがなくて、その気になればいろいろな仕事を体験できるのがフリーターのメリットだと思う人もいるかもしれませんが、いつかは正社員になりたいとか、独立開業したいと考えるなら、そのような「行き当たりばったり」を続けている限り、夢の実現はどんどん遠のきます。 フリーターから正社員になるときには、新卒から採用される場合とは異なり、ゼロの状態では受け入れられません。入社したその日から何らかの成果を上げ、賃金に見合う働きをすることが期待されています。また、今日も明日も定刻に出社し、与えれた役割をこなすことが期待されています。 アルバイトやパートに与えられる仕事は通常、入ったその日からちょっと教えれば誰にでもできるような程度のものです。非熟練労働といいますね。長く続けても、専門的能力として評価されにくいものです。つまり、プラスにならない。 一方、アルバイトやパートの仕事を短期間ずつ転々とするような人の場合、「うちの会社で正社員として雇っても、すぐに辞めてしまうのではないか」という不安を抱かせます。当然ですよね。マイナスの要素です。というわけで、履歴書の段階で落とされる可能性が大でしょう。 人事担当者は、履歴書のどこを見るかというと、まず、職歴にブランクがないことと、それぞれの職歴の期間ですね。数を数えるわけです。 フリーターとして色々な職場をつまみ食いしてみて、気に入った仕事が見つかったら、それで正社員になろうと考える人も多いかもしれませんが、面白そうな仕事は普通、アルバイトやパートには割り振ってもらえません。単純でつまらない仕事がほとんどです。だから、どんなにつまみ食いしても、満足するものはなかなか見つからないでしょう。 どうですか。ものすごく不利でしょう。 しかも、もうひとつ、問題があります。パートやアルバイトの賃金は、本当はもっと高くてもいいはずなのに、労働基準法や労働法の知識や権利意識がないために騙されているケースが非常に多いのです。 そして、「パートでもいいや」「アルバイトでもいいや」という人がたくさんいると、全体として賃金相場が非常に低いレベルになってしまいます。 最近では、パートやアルバイトにも責任の重い、専門性のある、つまりはやりがいのある仕事を任せる企業も増えていますが、どんなに高い成果を上げても、「パートだから」と低いレベルの賃金相場に合わせた金額に設定されがちです。「でもいいや」と思う人たちが、「では良くない」と思ってがんばっている人たちの足を引っ張っているわけですね。 ……なーんてアプローチで話したほうが、きっと伝わりやすいでしょうね。スミマセン、この場を借りて、練習させていただきました。いかがなものでしょう?
2003年01月18日
大人ってなんだろう。大人になるとは、どういうことだろう。 そんな話を2月になったら高校生に向けてしなければならない。考えれば考えるほど、深く、重いテーマだ。 切り口を決めよう。「自己決定」「自己責任」「自立」などがキーワードになるだろう。より具体的に言えば、キャリアカウンセリングつまり職業教育の見地からすると、大人とは「自分で考え、選び、実行し、次へつなげることのできる人」と定義できるだろう。 自分で考えるとは、自分なりのモノサシを持つということだ。何が自分にとって快か不快か。好きか嫌いか。プラスかマイナスか。損か得か。良いか悪いか。ベターかワースか。リスクが大きいか小さいか……。 自分で選ぶには、選択肢を広げねばならない。情報を集める方法、氾濫する情報の中から自分に役立つものを選ぶ技術、そうしたリテラシーを身に付けることが第一で、その上で、自分のモノサシを使って自己決定しなければならない。 選ぶのは、当面の目標である。夢は夢で終わってしまう。「いつか」は永遠にやって来ない。最初は小さな目標でもいいから、何か具体的な目標を掲げるべきだ。進路が決まらなければ、一歩も進めない。 自己決定したら、実行に移すのみ。一歩前へ踏み出す。そのとき初めて、自分の選択が正しかったかどうかが分かる。失敗してもいい。目標に届かなくてもいい。より実現可能な目標に軌道修正するまでである。試行錯誤の積み重ねが重要だ。「次へつなげる」ということの連続が、すなわちキャリアである。失敗に学ぶことも重要であり、成功体験の積み重ねは、成長に加速度的な弾みをつける。 ところが人は失敗を恐れる。最小限のダメージで、最大限のメリットを手に入れたいと望む。そのために、一歩も前へ踏み出せなかったり、先を行く人の足跡をいたずらに追いかけようとしがちだ。オーケー。立ち止まっていたければ、それもひとつの選択だ。人の後追いやモノマネだっていい。でも、いつまでもそれでいいのか。 モノマネや後追いばかりでは、自分が誰なのか分からなくなるだろう。自分が何のために生きているのか、生きる意味を失ってしまうのではないだろうか。「あなたがいて良かった」「あなただから良かった」「あなたは私にとって必要な人だ」「他の人ではダメだ。あなたじゃなければ」「あなたはかけがえのない人だ」 私たち人間は、そんなふうに「この世にたったひとりしかいない自分」を他者から承認されることに幸福を覚える生き物だ。 ……おっと、そろそろ仕事に取り掛からないと。遂に風邪を発症してしまい、咳、鼻づまり、喉の痛み、声嗄れといった諸症状に苦しめられている。熱と悪寒と頭痛がないのが幸いだ。これ以上悪くならないように用心しつつ、なんとか仕事を進めていこう。 さて、インタビューの仕事から帰ってきました。今日のテーマは「フリーエージェント」。正社員でも派遣でもパートでもなく、独立自営のフリーランサーとして仕事をする人が最近、増えてきていますが、これからはこのような「フリーエージェント」として働く人がもっと増えてくるのではないかということで、既にバリバリ活躍しているFAな人たちの事例をまとめるレポートです。 この件については、またいずれ。 インタビューの場所が表参道だったので、紀ノ国屋に寄ってみました。明日、カウンセラー仲間&楽天音楽HP仲間&バンド仲間な会合(笑)があるので、そのお料理に使えそうなものがないかと。 買ったのは、麩嘉の生麩、サンダニエレの生ハム、ホワイトアスパラガスの缶詰、アイリッシュブレッド、マロンレタス、24ヶ月熟成のミモレット、ニシンの燻製など。路上の八百屋さんで、生のラズベリーとブルーベリーをひと箱500円で売っていたので、これもゲット。東横のフェルミエでフロマージュブランを買い足し、向かい側の蜂蜜屋さんで色々味見した結果、サクランボの蜂蜜を選択。さらに八百屋さんで、長芋、ディルの葉っぱ、縮れほうれん草、菜の花、柚子6個、成城石井でサワークリーム、生クリームを購入。さて、どんなお料理ができるでしょうか。後は実家から生牡蠣と明太子をもらい、冷蔵庫の中にある買い置きの冷凍ラム肉とスモークサーモン、鴨の生ハム、パンチェッタを使います。お楽しみに。
2003年01月17日
「働くこと」や「大人になること」の意味について、先日、ある都内の高校で講演を行ったのだけれども、私の話を聞いてくれた高校生が書いてくれたアンケートの集計結果がたったいま、メールで届いた。 開くのがちょっと怖かったけれど、「少しは役に立った」や「少しは興味がある」を含めると、概ね好意的な声でほっとした。ただ、「話が長い」という感想が非常に多かった。わずか1時間だったけれども、寒い体育館の床に体育座りさせられての「苦行」だったから無理もない。それに、私の話し方にももう少しメリハリをつけたほうが良かったかも。「態度の悪い生徒が多いので、先生に失礼かもしれませんが」と事前に説明を受けていたから覚悟はできていたが、第一印象は、「異星人との対面」だった。 顔を上げてこちらに向けてくれているのは、全体の3分の1ぐらい。次の3分の1は、居眠りしているのか、拒否のアクションなのか、じっとうつむいて顔を上げようとしない。残りの3分の1は、私語をしたり、極めて不真面目な生徒で、体育の教員とおぼしき男性が、その生徒たちに向かって行ったり来たりしながら、ドスの効いた声で警告している。 とにかく話を聞く状態にあるのが、全体の3分の1かそれ以下というのは、実に当方の意欲をそぐものだ。いつもはマシンガンのように言葉がとめどなく出てくる私だけれど、さすがにこのときは困り果てて言葉に詰まった。 一応、構成を考えてきたものの、反応がほとんどないので、ドライブがかからないというか、先へ進めない。いつもなら、手を替え品を替えの機転が働くのに、どんなに在庫を探っても、彼らの心に届く有効な「品」がないのではという恐ろしい予感に囚われ、ひどく不自由だった。 失敗しちゃったと思った。もっと、彼らに届くように、言葉や構成を十分に吟味してくるべきだった。甘かった。 ただ、私は失敗が好きだ。「最悪でもこのぐらい」という程度が分かれば、次からは安心して大胆な挑戦ができる。 高校生や、若い人向けに「働くことの意味」や「大人になるとはどういうことか」を、自分のオリジナルな言葉で伝え、少しでも彼らの魂に届くように……それを今後の新しいチャレンジ目標にしようと思った。 それにしても、若いひとたちはなぜ、安易にフリーターを選んでしまうのだろう。ミュージシャンになりたいけれど、とりあえず生活費を稼ぐためにとか、何か目標があっての選択ならよいけれど、「やりたいことが何も見つからないから」と言って選ぶのは、絶対に良くない。あらゆる意味で損だもの。 ……おっと、ジムへ行く時間が来てしまったので、続きは後ほどゆっくり。
2003年01月16日
「ただ生きるためだけに働きたくない。夢や希望のために働きたい」と、あるホームレスはテレビカメラに向かって語った。 元は外車を並行輸入する会社を経営し、羽振りが良かったが、知人の会社が不渡りを出したことに始まって借金が3億円まで膨らみ、バブル時代に10億円で手に入れた豪邸を半値程度で手放すことになり、一時は「当たり屋」になって妻子に傷害保険の保険金を残して死ぬことも考えたが果たせず、妻子には逃げられ、富士山ろくの樹海で死のうとするが愛犬のゴールデンレトリバーに止められ、唯一残った財産であるマイカーで車上生活者となった。 年齢制限で職がなかなかみつからず、ようやく見つけた夜間警備の仕事も契約切れと同時に辞めた。その理由が冒頭の言葉である。 輸入車販売の経験や、堪能な語学力を生かした仕事でなければ、との気持が強いのであろう。英会話の自習も日々怠らない。友人知人のコネを総動員して職探ししているのか、携帯電話でやりとりするシーンも映った。 預金残高はすでに1万円を割り、この冬を越せるかどうかが峠だという。出費を切り詰めれば、あるいは警備でも何でも「生きるためだけの仕事」をすれば、もっと長くサバイバルできるはずだが、する気がない。 食費には愛犬の食事代も含め、月間5万円使っている。他に趣味の洋書に費やすお金や、クリーニング代、クルマの維持費、携帯電話の費用を含め、合計10万円使うという。 全然、計算が合わないじゃないか!このまま夢と希望を抱いて飢えて死ぬのか、あるいは、夢と希望を捨ててただ生きるための仕事に身を投ずるのか。究極の選択として、彼はどちらを選ぶのであろうか。 私たちは何のために働くのか。私たちは何のために生きるのか。 来月、またある都立高校で講演を行う。前回の学校では、まるで聞く耳を持たない彼らの気持を動かすことができなかった。今度こそは……。話す内容、話し方、仕掛けを練りに練って臨みたいのだが、頭が痛い。
2003年01月15日
食べ物とお酒の話題の多いこのページへ来てくださる皆さんとは、もしかして、夜の巷ですれ違っているかもしれませんね。 今夜は私のバー遍歴について書いてみたりして。 最初に入り浸った店は、渋谷のセンター街をずずーっと奥まで進んだところにある老舗のMです。この店がなければ、もしかすると私はこの世に生まれて来なかったかも……というのは大袈裟ですが、その昔、両親が田町にある出版社と印刷会社に勤めていたころ、ここでよくデエトしたそうで。 当時はハイボールがオシャレな飲み物だったんだけど、最近じゃ、そんなものを頼む人はあまりいないねえ、なんて話を聞かされつつ、両親に連れられて行ったのが最初かしら。当時は1階だけの店で、木の床に塗るワックスのニオイが強烈だった。でも、とても懐かしい。 大学のころはバーといえばこの店しか知らなくて、安いものだから、ロングやショートのカクテルを合わせて7杯ぐらい飲んでいたような気がします。仕上げに飲むのは、ペパーミントフィズか、ソロージンフィズだったなあ。うふ、可愛い。 その後、3年半の会社員時代は薄給だったもので、大した遊びはしていません。一足先にフリーになった友人に誘われて、新宿のゴールデン街や柳街のバーに行ったりしたのが、なんだか懐かしい。考えてみれば、私より二歳年上の彼女(Kさん)が最初の先生だった。このころ、シングルモルトを覚えたような記憶があります。最初に飲んだのは、確かグレンリベットで、中野のブロードウェイの手前にある「学生街の喫茶店」っぽいつくりの店だったか。 フリーになりたてのころ、よく通ったのはシモキタのロック酒場で、小田急線の小さな踏切のところにあるストーリーズとトラブル・ピーチ。いまはなきベルリンが懐かしい。ストーリーズではよく朝まで飲んだもので、映画「灰とダイヤモンド」に出てきたシーンであるでしょ?夜っぴて飲んで、酒場の窓の鎧戸をあけると朝日ばぱーっと差し込むシーン。あれに重ね合わせて、退廃的でステキ!なあんて思ったものです。 ロック酒場で飲むのはいつも決まってマイヤーズ・ラムのロックだった。もちろんダークね。このころからラムにハマり、渋谷の老舗のMでも片っ端からラムをもらって呑んでいたような気がする。ハバナクラブ、コルバ……まあ、当時はその程度の品揃えしかなかったけど。 Kさんが国立に引っ越して、やがて彼女が見つけた立川の穴場的バーTに、私も連れられて行くようになったのでした。オーセンティックなモルト中心のバーでは、ここが私にとっては最初の店だったか。 味や香りの好みの傾向を言って、フィットするモルトを選んでもらう遊びもここで覚えました。仲村トオル似で筋肉質のM氏がシェイクするカクテルも絶品で、青紫蘇1枚をシェイクの力で粉々にして見せてくれる「水嵐」という名前のカクテルがとくに記憶に残っています。 バー遊びを本格的に覚えたのは、パソコン通信を初めてから。niftyのFSAKEというフォーラムに入り浸り、オフ会に積極的に参加するようになって人脈が広がり、口コミで色んなバーを教えてもらってバーホッピングするようになったのでした。 神田のDは、最近ちょっとご無沙汰ですが、アードベッグの品揃えでは恐らく日本一。フェルミエから取り寄せているというチーズ各種と一緒にモルトをいただくのが何よりの楽しみ。蕎麦屋の「まつや」や「藪そば」にも近いのも嬉しいね。女性バーテンダーMちゃんの魅力も忘れてはならないのでした。繊細な心遣いにいつも泣けてきます。 六本木の星条旗通りにあるMも、随分ご無沙汰しています。渋い二枚目のチーフバーテンダー・T氏のファンなんだけどなあ。久々に顔を見てみたい。 T氏といえば、彼の友人のF氏が私の地元シモキタでやっている隠れ家風のバー、Rとの出会いも懐かしい。普通の民家ふうで、妙に気になって、あるとき意を決して友人と飛び込んでみたら妙に居心地がよく、通うようになったのでした。カクテルの腕前も素晴らしいけれど、こちらの好みをいち早く覚えてくれ、グラッパやモルトの珍しいのを色々飲ませてもらった。最初はとっつきにくいけれど、慣れてくるととても味わい深い人物なのでした。 シモキタといえば、他にもう2軒行き付けがあって、ひとつは南口の商店街の路地裏にある地下のG。オーナーのG氏の持ち前の老練、円熟といった雰囲気が、なんとも居心地のいい空間をつくってくれるのです。 ここから独立したK氏が茶沢通り沿いに開店したRは、応接間風の造りのテーブル席といい、低いカウンターに並べられた背もたれつきの椅子といい、家庭的なゆったりとした気分でくつろげるところが魅力かな。最初に出してくれるひと口サイズのつまみ3品にも力が入っている。ただ、最近はK氏が顔を出す日が少ないのが不満。 渋谷のバーについても語らないわけにはいかなくて、やはり出没頻度のいちばん高いのは、109の中にある奇跡の隠れ家Cかな。いまではここのカクテルの味が、「ふるさとの味」と言ってはヘンだけれども、いちばん馴染みの味になっている感じ。 本店通りにある女性バーテンダーの店Aは、完成度の高い、繊細なカクテルを出してくれる。ここのカウンターは二階構造になっているウルトラ個性派。グラスのライティングも計算し尽されていて、劇場空間のようだ。 神泉の商店街の中にわざと入り口を分からないようにしてあるバーZは、松涛にあった頃からのおなじみ。白いバーコートにきっちり身を包んだH氏が、折り目正しいサービスをしてくれる。1級とか特級という表示だった時代の古いコレクションが彼の得意分野で、いつも超レアものを教えてくれる。 東急本店裏にある「会員制」のSにも随分通ったけれど、ここのMさんが独立して銀座に店を出してからはちょっとご無沙汰かな。揃いのチェック柄のベストに身を包んだバーテンダーは皆ハンサムで、とても景色がいい。ブラピ似のKさんには時々会いたくなる。 銀座のMさんの店にも、そのうち是非、行かなくちゃ。人柄では、彼がいちばん好きだ。あの人なつっこい笑顔が懐かしい。31日に銀座でワイン会があるから、余裕があったら回ろうかな……無理かも。 おっと、恵比寿のOについても触れておかねば。ここのブラディメアリーは最高との噂だが、まだ飲んでいない。こだわりの緑健トマトを使った濃厚で飲み応え満点の味らしい。季節限定品だからね。フルーツ系はすべてこだわりのお取り寄せで、無農薬だとか、なんたら農法だとか、濃い味のものが揃っている。 ちょっと敷居が高いけれど、浅草のすし屋通りをちょいと入ったところにあるNにもまた行ってみたい。いままで飲んだ中では、やはりここのカクテルが最高峰。とくにサイドカーとフローズン系のカクテルでは、ここより美味しい店を知らない。最高の贅沢をしたいときに行く店だ。 最後に、自由が丘のバーについても触れておかなくちゃ。同じようにバンドやってる仲間や、ライヴに来てくれる仲間と出会えるから、練習の前後につい足が向いてしまう。MマスターのOは、最近、フレッシュフルーツのカクテルの開発に熱心で、先日いただいたストロベリー・ダイキリは絶品だった。 もう一軒のZのほうは、穴倉のように照明を落としたロック酒場で、駅前にあるというのに、なぜか居ついてしまって終電を逃すことが少なくない。赤ワインのカラフェを飲み始めるとヤバイのだった。 なんだか、酔っ払いの戯言みたいになってしまった。最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます。ではそのうち、夜の巷でお会いしましょう。
2003年01月14日
消費税を上げよと、経済3団体のトップが新年早々声をそろえて表明し、話題になったことはご存知でしょう。 日本経団連の奥田碩会長、経済同友会の小林陽太郎代表幹事、日本商工会議所の山口信夫会頭の3氏で、社会保障制度などを維持するためには将来的に消費税の引き上げが必要との考えを表明したもの。 中でも奥田会長は、少子高齢化社会で平均2%の実質成長を実現するためには、2014年度までに消費税を段階的に16%に引き上げるべきだと主張した。「5%が16%だなんて、トンでもない!」と言う人がほとんどだと思うけれど、他の欧米先進国に比べたら、それほどべらぼうな数字ではないと彼らは言っている。 ヨーロッパへ旅行したことのある人ならば百も承知だと思うが、かの地の消費税は驚くほど高い。だから、旅行者にとって免税のうまみが大きいような気がして、ブランド品を買い漁り、もともとの消費税の高さは、日本へ帰ってくる頃には疾うに忘れているだろう。 私もつい先日、ボルドーへ旅行して驚いた。フランスの消費税は、なんと19.6%にのぼる。 下のグラフは、財務省が公表している国民所得に占める租税負担率の国際比較で、租税は国税と地方税を合わせた数値を採用している。 国民所得に占める税金の割合である租税負担率は、日本22.9%、米国26.5%、英国40.0%、ドイツ31.0%、フランス40.6%と、この5カ国の中では、日本の数値が最も低くなっている。 とくに日本は消費税と所得税の率が低いことが一目瞭然で、だからまだまだ「搾り取れる」という強者の論理が成立しうるのだ。 しかし、数字のマジックに騙されてはいけない。欧米諸国では確かに消費税が高いけれども、食品や日用品に関しては特例的に減税するか、無税とする国がほとんどである。食品に対する課税が最も高いのはフランスで、日本とほぼ同等の5.5%。ただし、医薬品にはさらに低い税率が採用され、2.1%となっている。 絶対に騙されてはいけない。「欧米先進国並みにすべきだ」と言われても、食品と日用品に対する課税は、5%よりむしろ下げるべきだ。 経済成長はおろか、現状では社会保障のレベルも維持できないと政治家や官僚や財界のトップから脅迫(パワーハラスメント)されたとしても、「食品と日用品の税率を下げる代わりに他は譲歩する」といった取引をする覚悟で臨むべきではないだろうか、みなさん。
2003年01月13日
飢えを満たすためだけだったら、牛丼屋でもラーメン屋でも、コンビニ弁当でも何でもいい。そこそこ美味しく、満腹できれば。 そんなときは、ただ「結果」のみを求めている食事だけれども、時間と気持にゆとりのあるとき、私たちは食事に結果だけを求めるのではなく、プロセスの楽しさを要求している。 結果だけの食事は給食やエサに近い。それは、文化的な生活から程遠いものだ。胃袋は満杯になっても、心は満たされない。「まるでロールプレイングゲームを見ているみたいで楽しかったよ」と、タクちゃんは言った。「それも、バグだらけのね。自分で修復できなくて、あたふた、あたふたしていて、おかしかったね」と、私。 バンドの練習の帰り道、彼の愛車で家まで送ってもらう途中、近所にあるモ○スーン・カフェへ寄り道したのだった。彼のクレジットカードが使える深夜営業のガソリンスタンドを求めて環七から甲州街道、環八へとさまよい、荻窪近辺までドライブして戻ってきたというトホホな前置きがあったりして。 で、スタンドで缶ジュースを飲んだら、「お腹が冷えちゃったから、どこかで温かいものを飲んで行きたいなあ」とタクちゃん。「旧山手通りへ出れば、両側にカフェがずらっと並んでいるよ」と私。 前から一度入ってみたかったモ○スーン・カフェは、タイやマレーシアのビーチリゾート風の造りで、非日常なワクワク感を発信している。内部は天井まで吹き抜けになっており、真ん中にはディズニーランドのお化け屋敷みたいなシャンデリア。オレンジやグリーンといった色ガラスになっていて、いかにも遊園地風だ。 空中回廊のような構造になった二階席へ案内された。すぐ近くにシャンデリアが見え、一階席と厨房を見下ろせる。大きな炎をあげて中華鍋をあやつるさまが見え、映画のチャイナタウンのセットみたいだ。 フロア係も厨房もスタッフは全て若い男性。新しいお客が入ってくると、全員で「いらっしゃいませ!」と威勢よく唱和する。足音を立てずに中空を飛ぶような感じで厨房と一階、二階を行ったり来たり。元気いっぱいで微笑ましいと見るか、なんだか落ち着かないなと見るかはその人次第だが。 お腹のすきはそれほどでもなかったので、生春巻きを1本ずつと、海老トースト一皿を注文した。ドライバーはプーアール茶で、私はハートランドビール。 すぐに生春巻きと飲み物が運ばれてきて、乾杯!ガス欠ギリギリのスリル満点ドライブの後、ようやく人心地ついたって感じだった。 タクちゃんが今夜家族のために作った晩御飯の話などをほろ酔い加減で聞きつつ、海老トーストはどうしたかなあ、遅いなあと思っていると、ハプニングが始まった。注文した覚えのないサラダが運ばれてきて、係は疾風のように去っていった。おいおい、頼んでいないよと別の係に言って下げてもらったら、ほどなくして、次はレッドカレーが運ばれてきた。これも違う。 どうなってるんだかね。観察してみると、注文は二階、一階それぞれにセットされている端末機に入力しているようだった。恐らくテーブルのコード番号を入力し間違えたのだろう。サラダとカレーが来なくて焦れている客がどこかにいるはずだ。 ようやく海老トーストが到着。海老のすり身がたっぷり載っていて、バターの味が効いている。揚げたては、じつにウマイ。辛いソースもうれしい。なかなかいいぞと機嫌を直した。おかわりにグラスワインね。 ……遅い!ワインを注ぐだけで、何分かかっているんだ。ちょっと怒りながら待っていると、「お代わりはいかがですか」と、別の係が近寄ってきた。「いま、白ワインをオーダーして待っているところなんですよ」。「失礼しました、すぐにお持ちします」 私の不機嫌指数が70に達する一歩手前でワインが到着し、続いて、「生春巻きです」の声。おいおい、またかよ。二度も違うものを持ってきたさっきの男性だった。「もう生春巻きは来て食べちゃいましたよ」。「先ほどはこちらの手違いで申し訳ありませんでした。どうぞこちらも召し上がってください」。つまりはお詫びのサービスか。 でもね、だったら別のものが欲しかったなあ。ま、いいや。ありがたく頂戴しよう……。「うれしいけど、おかげで余分に飲み物が欲しくなっちゃうよね」。 あっという間にワインが空になってしまい、お代わりを注文した。またしても、遅い!その間にタクちゃんがトイレへ行き、場所を訊くついでにワインを催促してくれたようだった。 しかし、タクちゃんが戻ってくるのはワインよりも早かった。どうなっているんだろう。 不機嫌指数が80に達するころ、「コーヒーはお代わり自由ですので、いますぐお持ちしますね」の声。タクちゃんはプーアール茶の次にコーヒーを頼んで飲み終えたところだった。「いますぐ」っていうのは、彼らの時計で何分を意味するのだろうか。「もういいよ」と、帰ることにした。「お代わりのコーヒーをすぐにお持ちできなくてすみません」の声とともに、勘定書きが届けられた。見ると、案の定、注文していないサラダトレッドカレーの分が入っていた。しかも、グラスワインは合計2杯だったはずなのに、3杯。「お代わりはいかがですか」のあのやりとりのときに1杯余分にカウントしたのだろう。間違いを指摘して、改めさせた。 つまるところ、私たちのテーブルで何が起こっているのか、そのプロセスを一から全て把握していた係は誰1人存在しなかったというわけだ。 私たちは何なんだ。彼らのメシのタネか、ネギしょってきたカモか。威勢の良いあいさつや、丁寧な言葉遣い、腰の低さで「もてなしの心」を取り繕ったつもりだろうが、そんな化けの皮はすぐに剥がれるぞ。 私の不機嫌指数はレッドゾーンに達し、針が振り切れる寸前であったが、「できの悪いロールプレイングゲームみたいだね」という先のタクちゃんの言葉のおかげで、微笑みを取り戻すことができた。 一階フロアを見下ろし、スタッフの動きを観察していると、まるで機械仕掛けの人形みたいだった。命令(オーダー)がなければ、マニュアルがなければ、自ら考えて動くことのできない人形。 彼らは何のために働いているのだろうか。客の一人ひとりが違う目的や嗜好を持っていることを、彼らは何とも思っていないのだろう。私たちを喜ばせることは、彼らの働く動機ややりがいには全くつながっていない。 結局のところ、子どもだましだ。いい大人がこんなところへ来て、貴重なお金を落としてはいけない。 実はこの店にしようと決める前、以前に立ち寄ったことのある店にしようかと私は提案したのだったが、「一度入った店じゃ面白くないよ」とタクちゃんが言ったのだった。彼は正しい。正し過ぎる。 二度、三度と足を運びたくなるような店は実に少ないということだ。なんだか寂しいなあ。
2003年01月12日
おはようございます。純米酒論争、盛り上がりましたね。まだまだ続くかな? 日本酒についての興味が尽きず、ネット本屋で色々注文してしまいました。読んだらまた感想書きます。 今日は、やりたいことが盛りだくさんなので、日記の続きはまた後ほど。 いまは午後3時少し前。スポーツクラブでひと汗かいて帰って来たところです。わくわくするような、素敵な出会いがありまして。 少し前の日記に、買った本のことを書きましたが、実はあれ、間違っていました。料理雑誌は「料理王国」じゃなくて、「danchu」のほうだった。でも、書き間違えてよかったんですね、これが。 その理由は、ナイショにしておきましょう。うふふ。とにかく「料理王国」を買いに走ったわけです。そしたらまあ、読み進むうちに、いろいろと楽しい思い出が蘇ってきました。 BGMには、イーグルスをかけなくちゃ。“HELL FREEZES OVER”です。これまた思い出深いアルバムだ。日本公演に行ったのは、7年前の11月15日。この夜、私の運命を変える出来事が起こったのだった……。 いままででいちばんゴージャスだったディナーは、東京にある某シティホテルのフレンチだったなあ。バブルが弾けて不況のどん底が見え始めたころだったか。お客は私たちのほかにひと組ぐらいしかいなかったけれど、ピアノの生演奏を聴かせてくれて。 私が着ていたのは、グリーンのイヴ・サンローラン(ただしライセンス物)のニットスーツで、ゴージャスなラインストーンの飾りボタンがついているのだったか。いや、違う。連れがジャケットを着てこなくて、店から借りたりしていたから、夏だったか。とすると、ディオールのライムグリーンの半袖スーツか(これもライセンス物だけどさ)。当時は羽振りが良かったなあ。レリアンの赤いスーツのような気もしてきた。なんでもいいや。とにかく、気合が入って一張羅を着込んで行ったんだっけ。 最初にいただいたのは、シャンパーニュをグラスでだったかしら。それとも、白ワインのボトルを頼んだのだっけ?ソムリエさんが来て下さって、あれこれ相談し、親切に対応していただいた記憶がある。年配の方だっけか。お名刺をいただいたような……。 もしかして、残っているかも!本棚の奥のほうに隠しておいた茶封筒を取り出してみた。「SWEET MEMORIES」なんて書いてあるぞ。あら、恥ずかしい。 思い出の品物が続々と出てきた。あの時間は、宝物だったんだなあ。レストランでいただいたワインのラベル、映画のプログラムと半券、中華街の地図、大さん橋から日の出さん橋までのクルージングのチラシ、ディズニーランドのパスポートなんてものもある。あははは。顔が赤くなってきたわ。 見た映画はナンだったかというと……あははは、動物映画の「ベイブ」と、タランティーノの「フォー・ルームズ」、そして「007ゴールデン・アイ」。懐かしい。 名刺あったぞ!Hさんというシニアソムリエです。ラベルもちゃんと残ってる。古代エジプトの壁画にある葡萄の収穫風景をあしらった紙のホルダーに入れてくれて、日付とソムリエのサイン付き。さすが超一流のもてなしです。 なんと、2回も行ったことが判明。最初は96年の4月で、このとき飲んだのは、ムルソー・ポルゾ1992年で造り手はルイ・ラトゥール。ここぞという店で白を飲むときは、いつも必ずムルソーを選んだ。ソムリエさんに相談しながら迷っていると、必ず連れが「じゃあ、ムルソーにすれば。好きなんだから」と決断を促してくれたんだっけ。 2度目は同じ年の6月で、おお!やめてくれー、コントラフォンのムルソーを飲んでる。1991年モノ。赤はピション・ラランドの1985年。どこにそんな金があったんだ!強盗でもしたかな(嘘、嘘)。 広尾のレストランHで飲んだワインのラベルも入っていた。やっぱり白はムルソーで、赤はシャトー・モンテュス。横浜のホテルNのフレンチでは、シャサーニュ・モンラッシュのカイユレとコート・ロティを飲んでるぞ。参ったなあ。これだから金が残らないわけだ。 まるでタイムカプセルを開けてしまったみたい。浸る浸る浸る……。 ホテルOのレストランでキャビアを頼んだら、「キャビアにワインは合わないね。やっぱりウォッカだよ」と連れが言い、ウォッカを持ってきてもらったんだっけ。銘柄はタンカレーしかなかった。ま、他の貧乏臭いラベルはこの店には合わないだろうしね。ブリニにサワークリームをたっぷりのせ、てっぺんにキャビアをてんこ盛り。ああ、気絶しそう。 横浜のNでは、レストランの名前にちなんで、食後酒はカルヴァドスをいただいたんだっけ。「チーズはいかがですか?」と、ワゴンいっぱいに盛られたチーズが登場した。お菓子の家を見つけたときの、ヘンゼルとグレーテルみたいな気分だった。「やはりここは、ポン・レベックでしょう」なーんて、生意気言ったりしてね。 中華街の元は魚屋だったというRで食べたウナギの炒め煮は、絶品だったなあ。このとき泊まったのは、Iのエグゼクティブルームで、ベッドが特大だった。アメックスの割引券を使って半額だったんだけどね。 あんな贅沢、一度でいいや。ダイヤモンドのように結晶した思い出。二度と同じことを繰り返せない。だからこそ価値がある。いま見える映像は、うっすら涙で曇っているけれどね。ソフト・フォーカスのほうが美しくていい。 ドン・ヘンリーの“the last resort”が泣かせてくれる。
2003年01月11日
今日はにわかエコノミストになって、税制改正に関する記事を書いたりするのでした。夕方までに仕上げねば。 というわけで、続きは後ほど書きます。掲示板で日本酒論争がホットに展開されていますので、ぜひお読みください。 日本酒にしても、税制の不備というか、ワケのわからなさが混乱をもたらしているという面があるようですね。 つづきのよっぱらいです。 今日は金曜日。つらい労働もひと区切りですね。仕事と遊びと生きることの境界が、なにやらあいまいになっている自由業にとっては、いえいえ、すべての自由な魂の労働者にとって、金曜日はあたかも黄泉の国とこの世の境のような日かもしれません。 越乃景虎純米生しぼりたて、んまいぞ。ま、考えてみれば、日本酒って、「われこそはー」と、名乗りを上げる武士みたいに長々しい説明書きがあるね。ワンカップとか紙パックのお酒を除いては。 そうさねえ。一期一会の味だわね。今夜は、というか、この時期、おいしい生酒が飲みたくて、ネットの酒屋でテキトーに注文したのでした。 悪くない。悪くない。冷やして飲んだら、後から猛烈に駆けてくる辛みを感じた。昔の私みたい、かな。世界中の男性を敵に回して闘っていたころ。えへ。大丈夫、いまならゆったり受け止められる味だ。私は海ですよ、大地ですよ、空ですよ。 つまみは、ぶりかま!ほうれん草と百合根のバター炒め、そして豪勢なことに寄せ鍋(鯛、タラ、白菜、タマネギ、ネギ)。百合根は、何をしてもうまいが、やはり蒸し加減の上等なバター炒めに尽きるなあ。甘味の引き出し方が素晴らしい。 でもって、テレビのインディペンデンスデイをつまみにしました。アメリカ人って、ひとことで言えば「アホだけど、憎めない」って感じだよね。個人個人はいろいろだけれど、こういう映画に出てくる感じからすると…って、そういうことで判断してはイカンとは思うが、ある種のパターンってあるね。 単純でケンカっぱやい単細胞だけれども、ユーモアの精神は巧みだ。少なくとも、そういう人物を主役近辺に配すだけの良心はある。恥ずかしげもなくね。ま、日本の首相が地球を守るために自ら戦闘機に乗るだなんて、考えられない。 シンタローは、小説には書けるかもしれないが、自分ではできないし、やられたら迷惑だぜ。私はアンタが大嫌いだ。ヤスオちゃんがアンタのことを、カワードと言ったのは正しすぎる。私は威張る男は大嫌いだ。本当は弱虫なのに、男だからバレないと思って、いい気になっている奴らだ。 うーん、私のように非力な人間が、無理してこの社会で、社会的、経済的、そしてある種の哲学的存立基盤を得ようとして頑張るのは、とてもとても大変なことだなあ。だからこそ、脱力の時間がたいせつ。酒が粘膜に、内臓に心地よい。音楽が、耳に、脳味噌の心地よい。情動のもとは、海馬とやらだっけ?ひひーん。 すいません。酔っ払いながら書いています。おやすみ。今年1年、なんとか平和な世の中……いやいや、いまこの瞬間にも銃弾で命を落としている人がいるかもしれない。少しでも暴力による犠牲者がいなくなることを……非力な私は願うしかない。でも、真剣に考えちゃう。イラクとも、北朝鮮とも、戦争を始めないでね。アメリカくん。お願いしますよ。
2003年01月10日
今日も朝早くから、大勢の方に来ていただけて幸せです。いまは原稿書きに追われているので、のんびり日記を書く余裕がないのですが、寝る前にお酒を舐めながらまとめてみたいと思います。でも、ちょっとだけ……。「日本酒は醸造酒ではない」というのは、昨日読み終えた本の中で繰り返し唱えられていたポイントで、要は100%醸造の製法のみで作った「純米酒」は市販の日本酒のうちの10%に過ぎず、他は後からアルコールや糖分を添加されていて、世界の標準から見れば「リキュール」に分類されるべき酒だということです。 昨年は、食品偽装事件が次から次へと発覚し、企業倫理のあり方や、食品の安全性について考えさせられました。安全は最低限の条件ですが、私たちは食品にそれ以上の付加価値を求めます。美味しさやコストパフォーマンスなど様々にありますが、ひとことで言えば、それは「ホンモノ」であるかどうかということでしょう。 日本酒は、言わば純米酒だけが「ホンモノ」であって、その他は「ニセモノ」とは言わないまでも、戦時中に物が不足していた時代に仕方なく発明された代用品で、日本酒の歴史の流れからすると幹ではなく枝葉の部分です。 その違いをあいまいにし、生産の効率性ばかりを追求する大手酒造メーカーおよびそれに追随する蔵元に対して、この本の著者はきびしく批判し、私たち消費者に対して、「ホンモノの味」が何であるかを伝えようとしています。 嗜好品の世界ですから、好きならばそれでいいじゃないのと言ったらそれでオシマイですが、嗜好品とはいえ、脈々たる生活文化を受け継いでいるものですから、ホンモノとニセモノ(マガイモノ)の違いを踏まえた上で、好みやTPOに応じて使い分け、子孫にはやはりホンモノの味を伝えたいものです。 ……なーんて、結局、いっぱい書いちゃった。また後で書き足したり、推敲したりします。ではまた。 ただいま午後11時少し前。今日の夕飯は、マグロのカマ焼きをいただきました。お正月用にと、零細鮮魚店の我が家でもマグロを1頭仕入れまして、このように貴重な海のお宝をいただくことができたわけで。ああ、口福、口福。 どんなお味かと言うと、血の味が濃いので、「クセがあって嫌だ」と言われる方も多いかもしれません。もっとも黒っぽいところは、クジラの味に少し似ています。クジラと違って、ツルン、としているけれどね。 むふ、むふふふふ。ブリカマもいいけれど、マグロのカマもまたオツですねえ。この味を知らずして一生を終える人のほうが多いのだろうなあ。なんとも気の毒。むふ、むふふふふ。 つるん、ですよ。つるん! カマの魅力は、このしなやかな筋肉の触感です。口の中でなまめかしく踊る。おお、神が恵み給うた傑作中の傑作。これをホンモノの味と言わずして、何と言おうか。 この素晴らしき魚食文化よ! 子孫に継承したいところだけれども、子どものいない私としては、血がつながらなくても、魂のつながる皆々様に、ぜひともお伝えしたいのです。 あ、酔っ払ってるのがバレバレな文章ですね。だってぇ、こんなウマイもの食べるのに、お酒飲まなくちゃ失礼じゃないですか。せっかく、貴重な命を捧げてくださるのですから、お酒と一緒に粛々といただくのです。 でね、野菜料理は、我が家の父方の系統の伝統食である、栃木の郷土料理「しもつかれ」です。見た目がゲ○に似ていると悪口をたたかれるのですが、味は抜群です。 立春のころがちょうど旬な食べ物です。なぜなら、豆まきで拾った豆を入れるのが慣わしだから。 材料は、他に大根、ニンジン、塩鮭、油揚げ、酒粕など。大根とニンジンは「鬼おろし」という木製の粗いおろし器でおろします。これに焼いてほぐした塩鮭と刻んだ油揚げを加え、酒粕と水で煮込み、しょうゆ、砂糖などで味付けします。細かく刻んだ牛蒡を入れると味に濃くが出ます。 ほらね。大体、仕上がりの想像がつくでしょう。 人間は基本的に新しいもの好きだから、これほどの進化を遂げたのだとライアル・ワトソンが言っていたような気がしますが(ネオフィリア=新しいもの好き)、それにしても日本人は新しいものを好むあまりに、古いものを軽んじる傾向が他の民族に比べて強過ぎるような気がします。 日本酒の例でいうと、木桶仕込みという伝統的な製法は戦後に絶滅し、ステンレスタンクに姿を変えました。木桶仕込みの復興を試みたのは、なんと、アメリカからやって来た女性でした。前にこの日記でも紹介した、セーラ・マリ・カミングスさんです。 木桶仕込みは自然任せの部分が大きく、人力・人知で制御できる範囲が限られてくるので、要は「歩留まり」が悪く、効率性最優先の時代には合わないのでした。 しかし、木桶仕込みでなければ実現できない「ホンモノの味」はある。それを効率性と引き換えに手放してしまっても良いのだろうか。 あまりにも身近すぎて、私たち日本人には、日本の伝統文化のホンモノの価値が分からなくなっているのかもしれません。「どうしてわからないの。日本にはこんなに古くて素晴らしいものがあるのに、このまま消えていくのはもったいないと思いました」とセーラは言いました。本当に悔しそうに。たかだか200年程度の歴史しかないアメリカだからこそ、逆に歴史の重みが分かるのでしょう。 余計なお節介と感ずる人もいるかもしれません。でも、考えてみればそれは全く逆で、それほどまでに、日本の文化が外国の人から高く評価されている証拠じゃないですか。誇りを持ってしかるべきでしょう。 文明と文化の違いを知るというのかなあ。何もいまさら原始時代に戻れというつもりはなくて、原発で作った電気をふんだんに使えるこの文明の利器の数々は手放せないけれども、文化はなるべくもとの形のままで大切にしたい。そんなふうに思うのでした。
2003年01月09日
2月に赤羽で行う就職セミナーの件について、王子職安へ打ち合わせに行った。これが今年の初仕事。南北線の王子神谷という駅に降りたのは初めてだった。 道に迷い、午後1時過ぎの約束に少々遅れてしまった。新年早々の遅刻とは、たるんでいるぞと気を引き締めて。 セミナーのタイトルは、「適職の見つけ方―自分に合う資格・技能を身に付けよう」に決定。「有望資格幻想」に囚われず、自分に合う資格・技能を選び、確実に習得し、役立てる方法についてアドバイスいたします。今回も、「やる気が湧いてきた」とか「目からウロコが落ちた」と言っていただけるように、頑張ろう。 話が弾んで3時を大きく回ってしまった。お昼を食べていないので、お腹がグーと鳴る。このあたりの土地勘はまるでないが、ひょっとして上野が近いのでは?広小路のデリーで激辛カレーを食べるのもいいなあ。 ところが、路線図で調べるとどうにも行きにくい。地図を持ってくれば、電車+徒歩最短コースが早分かりできたはずなんだが。ううむ、準備不足であった。仕方ない、渋谷まで戻るかと思いつつも諦めきれず、南北線の路線図をじっと見ると、後楽園で丸の内線へ接続することに気付いた。 そうだ!カレー蕎麦もいいなあ。淡路町で降りて「まつや」へ寄ろう。 4時過ぎに到着の予定で、この時間帯ならすいているに違いない……と思ったら、甘かった。初仕事を早めに切り上げたらしいおじさんの集団で、店内は大賑わい。独り客の入り込む隙間はない。 次善の策で「藪そば」へ。こちらは五分の入りで助かった。案内された座席は、鏡餅がずらりと並べられたひな壇の手前で少々気恥ずかしかったけれど。 ここは蕎麦待ちの酒のあてが実に豊富。ま、今日まで松の内だし、まずは一杯だな。ビールの小瓶と一緒に、なめ味噌が運ばれてきた。これですよ、これ。 すっかり幸せな気分になって、友達へ携帯メールで実況中継。「いいだろー」。ほどなく返事が来た。「こっちは白子を食いにいくぞー」とは北海道の友人から。「まったく、おやじだねー」とは前夜、一緒に呑んだスポーツクラブ仲間から。わははは、楽しい、楽しい。 さくさくの天麩羅かき揚げ「天たね」と、ざるそばが一緒に運ばれて来てしまった。失敗、失敗。時間差で注文するべきだったなあ。ま、いっか。ビールがなくなったので、お銚子を追加しよう。「どうして左利きって言うか知っている?」と、以前、御徒町の寿司屋のカウンターで某氏から教わったことを思い出す。「手酌で呑むとき、こうやって右手にお銚子を持ち、左手の盃で受けるだろう。そうしてそのまま左手を使って盃を口元へ運び、くいっとひと口に飲む。これが正しいやり方だ。だから、左利き。いいかい、ひと口だよ。残しちゃあ、いけない。継ぎ足しは、粋じゃない」 はいはい、ひと口でくぴっ!ですね。うふふふと、ニコニコしながら手酌の酒を楽しんだ。傍目にはどう映ったことだろう。昼ひなか、茶髪の姐さんが独りで手酌の酒で蕎麦食ってるぞ。いい気なもんだな。 さて、続きはどうするか。神田まで歩いて、「伊勢」で生のつくねと日本酒を立ち飲みするのもいいかな。しかし、今日はこれでもちょいと体調がすぐれない。おとなしくスポーツクラブの風呂に浸かって仕上げるか……。 渋谷に着いて用事を済ませたら、自然と本屋へ足が向いた。バーで使ったつもりで本を買い、ワインでも飲みながら夜中まで読もうか。 買ったのは全部で6冊と雑誌の「料理王国」だ。『働くことは生きること』(小関智弘著、講談社現代新書) 旋盤工兼作家の小関さんの本は、いつも気になっている。働くことの原点へ立ち戻らせてくれるからだ。表紙の宣伝文句に曰く「腕のいい職人の仕事は粋で美しい。効率第一の裏で、働く人は要員に成り下がっていないか」。『がんで死ぬのはもったいない』(平岩正樹著、講談社現代新書)「副作用で苦しまない抗がん剤治療」を提唱する平岩氏に以前、インタビューしたことがある。そのラディカルな考え方にいたく刺激を受けた。以後、「追っかけ」を続けているので。『セーラが町にやって来た』(清野由美著、プレジデント社) この楽天日記でもご紹介ずみのセーラ・マリ・カミングスさんに関する最新作。小布施にやって来て、桝一市村酒造の復興に携わるまでを描いたルポルタージュ。できれば私もこういう本を書きたかったけど、彼女のことを知るのがちょっと遅かった。『ツウになるための日本酒毒本』(高瀬斉著、洋泉社新書y) この年末年始は日本酒を呑む機会が多かった。日本酒の現状について、体系的というか、広い視野からの知識がほしかったので、ちょうどいいタイミングだと思ったので。「このままいったら安楽死?の日本酒を救うには」という刺激的な惹句に吸い寄せられた。『猫と暮らす一人ぐらしの女』(ステイシー・ホーン著、晶文社) 大好きな晶文社の本の棚を眺めていたら、このタイトルが目に飛び込んできて離れなくなった。腰巻の文を読んでうなってしまった。「42歳、シングル。猫2匹。仕事は不調。時々ロマンスあり。私の人生、このままでいいのか?」。もう読むっきゃない。『待つこと、忘れること?』(金井美恵子著、平凡社) 不思議な味わいをもつ小説家・金井さんのエッセイ集。猫と暮らすシングル女性の東西暮らし模様対決っていうのも、なかなか面白いかなあと思って。金井さんも確かシングルだったと思うけど、違ったかな? 手にずっしりくる本の袋の重みに幸せを感じながら、お次はワイン売り場へ。 前日に見た映画『デュラス 愛の最終章』の中で、ジャンヌ・モロー演じるデュラスがこんなことを言っていた。「ローヌのワインはボルドーと違って当たり外れが少ないからいいわ」 手ごろなコート・デュ・ローヌがなかったので、ローヌで最北西に位置するという産地であるサン・ジョセフの「デシャン1997」(M・シャプティエ)を購入。最初は酸味がきつかったが、香りは深く、奥行きがあって、納得の味わい。 あてのチーズには、フェルミエで薦めてくれた、バローロの絞りかすを載せて熟成させたという羊の硬質チーズ。葡萄の香りが心地よく、サン・ジョセフとの相性も悪くなかった。パ・マル。 ……ってなわけで、のん気に過ごした松の内がついに開け、本日から気を入れ直して本格稼動!朝いちの電話で遅れに遅れている原稿についてキツイお叱りの言葉を頂戴してしまい、蒼くなった。どきどき。ムチ入れなければ。ひひーん。おまけ●左利きの語源について 諸説ありますね。もっとも有望視されている説のひとつは、これ↓です。「昔、金山で使われた言葉で、右手を、ツチを持つ手という意味でツチ手、左手はノミを持つ手だからノミ手といいました。この、左手がノミ手というのを、「飲み手」とみなして、酒好きを左利きというようになりました。左党(さとうとも、ひだりとうとも読むようです)、左ぎっちょうも同様です。また、左という言葉にも、酒を飲むこと、飲み手という意味がありました」
2003年01月08日
その2Lサイズのモノクロ写真は、セピア色にくすむことなく、くっきりとした輪郭を残していた。何もかも端正なたたずまいである。人の表情も、背景も。 写っているのは、私がちょっとしたきっかけで出入りするようになった、駒場の定食屋さんのおよそ70年前と推測される姿。営業許可証だかなんだかの免状が写り込んでいて、虫眼鏡で拡大してみると「昭和五年」と読めたのだった。「定食 朝、拾参銭、昼夜、拾五銭」なんていう短冊も下がっている。その上の天井近くにずらりと並んだ単品メニューの短冊は、残念ながらぼやけて読めない。一番目立っていたのは、オススメの飲み物だったらしい「井之頭甘酒、カルシーム入り」の謳い文句で、何ともほほえましい。 短冊が掛かっているのは、調理場と客席を仕切っているらしい棚で、料理の皿をやりとりする取出し口が下のほうに開いている。棚には、黒光りするビールやラムネのビンがずらり。キリンのイラストは昔も今もおんなじだ。ラムネのビンは、業務用サイズはビール瓶と同じぐらい大きかったそうだ。 棚を背にして、3人の男女が背筋をぴんと伸ばして立っている。直立不動、真剣そのものの表情だ。 左端は、折り目正しい長袖の白いコック服に身を包んだ丸眼鏡の男性……二十代ぐらいだろうか。その隣は、彼の母親のような年恰好で和服に割烹着を着た女性と、コックの妻にしては年齢がやや上に見える縦じまのワンピースにエプロンをかけた女性。 右端にひとりだけ、客とおぼしき男性が腰掛けている。よく日焼けした顔に、くっきりとした眼差しでなかなかの二枚目。半袖の丸首シャツから盛り上がった胸の筋肉が見える。肩肘をテーブルにのせ、下にぶら下げたもう片方の手には麦藁帽をさりげなく握っている。 なんだか偉そうな客だが、実はこれ、当時二十歳そこそこだったと思われる私の祖父だ。天秤棒をかついでこの界隈で魚を売り歩く途中、店に立ち寄るうち、いっぱしの常連客になったらしい。 暑い夏の盛りだったのだろう。祖父の背後には、手回しの「かき氷製造機」が写っている。しゃり、しゃりと氷を削る音が今にも聞こえてきそう。祖父の肌には汗がにじんでいたことだろう。息づかいや肌のぬくもりも、感じられるような気がする。 70年の月日が流れ、いまでは丸眼鏡の人物の息子にあたる「おやじさん」と娘夫婦の3人で店をきりもりしている。スポーツクラブの友人に誘われ、私がこの定食屋さんへ通うようになったと父に話したところ、「おじいちゃんが若いころ、ひとりでよく通っていたんだよ」と教えてくれ、古いアルバムの中からこの1枚の写真を取り出してくれたというわけだ。父が生まれる前の写真なのに、よく覚えていたものだ。「うちに置いておくよりいいから、気に入ってもらえたら、あげてきて」と言われ、仕事初めの昨夜、さっそく店へ持って行った。せっかくだから、額に入れて。新品じゃないけれど、勘弁ね。ウィリアム・モリスの絵葉書を入れて本棚に飾っておいたものなので古びているけれど、写真とちょうどいいバランスかも。 定食屋さんは満員御礼の大賑わいだった。料理に忙しい店主は、「あれ、うちのおやじだぁ」と言い、笑顔を浮かべてくれてほっとした。 家族には色んな事情や愛憎がある。見せたとたん、写真を破かれてしまうんじゃないかと、私のたくましすぎる想像力が働いて、実は少し心配だった。そんなこともあって、額に入れようと思ったのだ。 私の予感は見当外れだったけれど、少しだけ当たっていた。写真の二人の女性と丸眼鏡の男性は、実は「あかの他人」の関係で、もともと女性二人で営んでいたこの店に、「男手なしでは大変だろうから」と働くことになり、その人柄からいたく気に入られ、彼の妻とそろって養子に入って店を引き継いだそうだ。 写真は、同席した友人たちに大ウケだった。「これほど貴重な写真はないよ」「よく色あせずに残っていたものだね」「このマジメな表情がいいね。当時、写真といえば、正装して晴れ舞台に立つような気持で撮ったものだったろうね」「これはラムネ瓶に違いないだろうけれど、どうしてこんなに大きいのだろうね」「定食の値段がリアルだなあ」「キリンの瓶は今も同じだね」「その前に並べられているのは、蟹缶みたいに見えるぞ」「ビール瓶がまるでボトルキープのウィスキーみたいに仰々しく陳列されているね。当時はビールも贅沢な飲み物だったんだろうか」 それにしてもこの写真、誰が、どんなきっかけで撮ったのだろう。当時のカメラは貴重品だったに違いないし、ストロボだって、マグネシウムだかなんだかをボンと燃やしたりして、大がかりな仕掛けだったはず。 そんなこんなを今朝、朝ごはんを食べながら父に報告したら、「さあね、おじいちゃんに聞いてみな」だって。 実はもう聞いたんだ。酔っ払って家へ帰る道々、天国で仲良さそうに笑っている4人の姿が目に浮かんできた。「いやあ、うちのトモはよく食うし、よく飲むだろう。あんまり飲ませ過ぎないように、おたくの孫によく言っといてくれや」「あんたの孫だから、そりゃあ、うまいもん好きだろう。血は争えネエ」「おいおい、おらぁ、飲まないぞ」「ま、家族の前ではそういうことになっていたらしいね」 祖父は農家の四男坊。十代で上京して魚屋に奉公し、のれん分けで世田谷の一等地に店を築き上げた。きつい労働の合い間にふっと心を解放できるこの定食屋さんは、かけがえのない「ヒミツの隠れ家」みたいな存在だったのだろう。 ひさびさにあの優しい笑顔を身近に感じて、涙がにじんできた。
2003年01月07日
さあ、四角を描いてごらんなさいと言われて、一人ひとり、描いてみた結果の、サイズが全部違えば、角度だって、フリーハンドだったら90度にはならないだろう。 それぐらい、人生は自由だって、酔っ払いは思うのでした。女のくせに思考が理工系なもので、ごめんごめん。具合が悪かったはずなのに、なんたって、お酒はアルコールだから、消毒しちゃうわけよ。いまや絶好調な気分。 お付き合いいただいた皆々様、まことにありがとうございます。愛してるよー。 ストロベリーダイキリ、ジンライム、スロージンフィズ、バンドの練習、ビール、ジンライム、焼酎&梅干のお湯割りを2杯、ジンリッキー、焼酎ロック2杯…おお、完ぺきに覚えているような気がする。 わおおお。よおし、明日からは日本のキャリアカウンセリング学界の金字塔となる作品を残すべく頑張ろう、いや、ちがう、名誉よりも実益じゃなかった、実効だ。フリーターや専業主婦を選ぶことがいかに愚かであるかを説得できる作品を残すべく頑張ろうと、酔っ払いは思うのであった。ま、真実を知っているライバルは少ないに越したことはないけれど、私は性格が優しいもので。とほほほ。 しかし、言葉の定義は難しい。本人がリスクとメリットを重々承知の上であれば、フリーターであれ、専業主婦であれ、望み得る自由と幸福を最大限に享受することができるのです。 要は、自分が自分の人生の主人公になれることが一番大切ですねん。渋い脇役を望む生き方だって、幸せだけれども、いつでも好むときに脚本の書き換えが可能だってことを知ることが重要なのよね。 しかし、お酒って、どうしてこんなにおいしいのでしょう。誰か教えて。
2003年01月06日
正月は日にちのたつのが早いと皆が言いますが、私にとってはとても充実した時間でした。人生、折り返し地点を過ぎてしまったようなので、これからはいかに密度を濃く生きていくかだなあとしみじみ思うのでした。 2日は恒例の大宴会で、午後2時過ぎにほぼ人数が揃い、その後、遅れて到着のメンバーや飛び入りのわが弟や従兄弟も交え、夜中の12時ごろまで盛り上がったんでしたっけ?後のほうはよく覚えていませんが、おいしいお酒に盛りだくさんの料理、そしてウィットの効いた会話と、心地よい時間をまったりと過ごすことができました。 3日はコレマタ恒例のお買い物。母を連れて新宿伊勢丹へ行き、「ビンボになりそうな今年は控えめに」と思っていたのに、やっぱりビョーキが出てしまった。Gジャンのコレクションを1点追加、大好きなミントグリーン色のジャケットと同系で淡い色の丸首セーターをゲット!あまりの人出に目が回ってきて、三越裏のダブリナーズでちょっと休憩。キルケニーとブラックソーン・サイダーを1パイントずつと、コテージパイ、チーズの盛り合わせで良い気分。 その後、よせばいいのに渋谷へ回り、チャコットでエアロビのウエアをちょこっと買って、東急本店でもお買い物を……もうこれ以上は凄まじいので書けないよ。とほほ。 そして、ジムに寄って初エアロビを1本。2本のつもりでしたが、ビールの酔いが残っていて呼吸困難になりそうだったので止めにしました。 帰宅してからは、家族でスキヤキパーティ。生麩とほうれん草が美味しかったなあ。タレの味が飽きてきたので、生姜とニンニクをすりおろして入れたのは、我ながらグッド・アイディアでした。 4日は、午前10時に渋谷で待ち合わせ、5か月ぶりに会う友達と2人で濃密な(?)時を過ごしたのでした。数多の障害を乗り越え、惹かれあい、赦しあう魂について哲学的な会話を交わしたり……は、しませんでしたが(謎)。 夕方からまたジムへ。夕飯は寂しくひとりでしたが、2日の宴会のときにいただいたパンチェッタをキャベツと炒めて食べたら、香り高く幸せな味でした。あとは、宴会の残りのアイリッシュ・シチューとトリッパをあたため直し、牛刺し用のお肉がちょっと不安だったのでしゃぶしゃぶにして。 二次会(!)の焼酎&なめなめ系つまみで、酒盗を食べ過ぎたのか、はたまた飲み過ぎか、今日は朝から腹具合が悪く、なかなか外出できません。うーん、エアロビできるかなあ。夜からはバンドの初練習です。 というわけで、今年も貪欲に、前向きに、密度の濃い人生を模索していきます!
2003年01月05日
みなさまのおかげで、今年も健康で、そこそこ幸せで新年を迎えることができました。ありがとうございます。 シャンパーニュで乾杯!の後、大好きなコルトン・シャルルマーニュ@ルイ・ジャド巨人祝勝セールを飲んで、「こ、これは、鯛とか白身の魚を蒸してオリーヴオイルをかけたのと最高の取り合わせに違いない」とつぶやいたら、なぜか冷蔵庫から鯛の切り身が出てきて、機敏にカラダが動いてしまって作ったりして、やあ、幸せだったなあ。魚屋の家に生まれて良かった! も、もちろん、一生懸命に準備した煮物とか牛タンの味噌漬けとか、柚子釜とか、タラバガニのアンヨ、生流通の上物マグロの刺身、牛刺とかも美味しかったんですけど……。我ながら、うわばみみたいな胃袋ですねん。地球を食べ尽くす勢いだぜ。 その後、二子玉川の温泉へ行って帰ってきて、ルチェンテを飲みながら鴨の生ハムを食べたりして、すばらしく幸せな元旦でした。うー、おなかいっぱいで体重計に乗るのが恐ろしいぞ。 わははははは……と、筒井康隆ふうに今年は始まったのでした。おお、幸先がいいぞー。ロケンロール!《業務連絡》うちの場所をご存知なわが親愛なるお友だちの皆様、飛び入り歓迎ですので、明日の新年会へどうぞおいでくださいませ。さ、早起きして掃除しないとやばいゼ。
2003年01月01日
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