全449件 (449件中 1-50件目)
先日の九州鉄道記念館で見かけた車両の続きです。かつては東海道・山陽・九州・東北など全国を結んでいた寝台特急、ブルートレイン。国鉄が分割民営化されてしまって、そして新幹線が発達し、高速バスが勝地を結ぶようになってくると姿を消してしまいました。使われていた車両も次々に廃車となってしまいましたが、現役当時のままで保存されたり再利用されているものもあります。ここでは、現役当時のままで保たれていました。 ここに展示されているのは14系とよばれるシリーズのスハネフ14です。 14系は1972年に登場。このスハネフ14には床下に客車内の照明や空調設備用としてディーゼルエンジンが搭載されていました。それまでの20系は電源車を別に連結していたのですが、この14系のようなスタイルは列車の行き先を複数に分割することができるというメリットがあり、実際に東京~長崎・佐世保行きの特急「さくら」のように行き先を二か所に仕向けることが可能となりました。ただ、静寂性が求められるはずの寝台車の床下にディーゼルエンジンがあるわけですから、なかなか騒々しいと思いますが・・・。 寝台の様子です。14系は登場当初は3段寝台だったのですが、その後の改造で2段寝台になりました。3段寝台当時はちょっと窮屈だったでしょうね。2段寝台だとゆったりとくつろぐことができるスペースとなっています。 私は現役当時のブルートレインや東京~大阪間の寝台急行「銀河」に何度も乗ったことがありますので、この空間はとても懐かしいものです。この車両は、シートが張り替えられてしゃれたものになっていますが、国鉄当時は青色一色のシートでした。上段も下段も利用しましたが、どちらも快適でした。 窓側にはテーブルがあるのですが、通路側にもこのようなテーブルがあります。2段寝台なのでお客さんは2人いるわけですが、寝台に入るまでは下の段が座席替わりとなります。よって、通路側に座った人のテーブルはこれを使うことになります。 それから、通路には窓のところにこのような椅子が収納されています。なかなか寝付けない時にこういうところに座って窓の外を見る、なんていうこともできたんですね。 窓側には灰皿もあります。懐かしい国鉄当時の灰皿、客車はもちろん、急行列車や快速の車両にもありましたね。 それとセットであったのが、この栓抜き。ビンの飲み物がポピュラーだった時代には、必需品ですよね。私は実際に使うことは少なかったかな・・・。この栓抜きの上が窓側のテーブルになります。 車内の銘板です。号車札を入れるところも懐かしいです。 車端部にはこのようなスペースもありました。2段寝台の向かいには壁になっていまして、圧迫感はあるかもしれないけど、個人的にはこのスペースで寝てみたかったなぁ・・・。 それにしても、高速バスは運転士不足ということが表面化してきているし、「朝起きたら目的地」という寝台列車の需要はあると思うんです。ところが、国鉄が分割されてしまったので復活させようという雰囲気はないですね。東京~大阪間に運転されていた急行「銀河」なんてホテル代よりは高いかもしれないけど、寝て起きたら大阪(あるいは東京)って最高だったんだけどな・・・。東京~大阪間だけでなく、ほかの地方でも利用された方はとても便利だったと思うんです。 現在の寝台列車というと、東京と山陰の出雲市と四国の高松を結んでいる「サンライズ」しかありませんが、いつの日か復活してくれたらいいなぁって思っています。
2024年11月13日
コメント(2)
先日の九州鉄道記念館で見かけた車両についての続きです。今回紹介する車両は私と同い年の車両です。 581系です。この車両は1967年に登場、私も1967年うまれです。 昼間は座席特急、夜間は寝台車として使われました。車両のスタイルもそれまでのボンネット型からそれ以降の国鉄特急のスタイルを確定したものとなりました。 登場当時のパンフレットなのかな、それも展示されていました。そこにもありますように、昼間は特急「みどり」、夜間は寝台特急「月光」として使用されていました。 「月光」のサボがはいっています。 行き先表示器です。 登場当初は山陽新幹線は開業していませんから、新大阪から東海道・山陽本線と門司から鹿児島本線を経由して運転されていました。 先頭車両には「JNR」のマークがありました。このマークに憧れました。 室内はというと、残念ながら現役当時のまま、というわけでがありません。国鉄末期になって、寝台列車の廃止が相次ぎ、余剰となったこの車両を通勤用に魔改造するということが行われ、寝台部分を撤去もしくは使用停止して、形式も715系と改めて長崎本線などで使われました。 ところで、寝台列車として使われていた時は通路を挟んで三段のベッドが設置されていました。その関係でシートの間隔はかなり広かったのですが、昼間の特急として使われる際にはリクライニングはしないし、当時の急行列車よりはシート間隔は広いかもしれないけど、急行列車のような向かい合わせのシートでは特急料金を払うにはなんだかなぁだったのかもしれませんね。 ちなみに、581・583系を改造した419系がJR西日本に引き継がれて長らく使われていて、私自身も北陸本線で何度も乗ったことがあるので、この車内はかなり懐かしく思いました。残念ながら419系としての保存車両はありませんが・・・。 話を戻して、世界的に見てもかなり珍しい昼夜兼用の車両として登場、最後は通勤用の車両に改造されてしまいましたけど、このような形で保存されたのは価値あるものだと思いました。
2024年11月10日
コメント(2)
先日の九州鉄道記念館で見かけた車両についての続きです。ここにはかなり貴重な車両が保存されていました。 この正面がラウンドした車両、「キハ07」です。一般的な鉄道車両は食パンを切ったような四角い車両が多いわけですが、こんなラウンドした車両はかなり珍しいですね。空気抵抗を抑えることを考えてこんな形になったといわれていますが、そこまで影響したとは思えないですけどね。 この車両は長らく豊後森機関区(大分県)にて保存されていたのですが、九州鉄道記念館が完成した際に移籍してきたそうです。客車列車で見られた行き先案内板(サボ)がいい味を出しています。 キハ07は、国鉄を引退後は私鉄に移籍してその後も活躍を続けたり、同系の車両がつくられたりとなかなか優秀な車両だったようです。 ここに保存されているキハ07 41は、1937年に製造されて1969年に引退するまで九州島内で活躍していたとのことです。 キハ07のむこうには、クハ481が保存されていました。私にとっては、北陸本線の特急「雷鳥」で使われていたのをよく覚えていますし、おなじみの車両です。しかし、ここで保存されている車両はちょっとマニアックです。 この車両のサイドビューです。鉄分の少ない人には意味が分からないかもしれませんが、窓の大きさが一般の車両と比べるとやや小さめなんです。なぜ小さめなのか? その答えは、この案内板に書かれていました。元々はクロ481というグリーン車だった車両だったんですね。それを普通車に改造したもの、それがこのクハ481-603なんです。 クハ481-603と表示されていますが、元はクロ481-5だったので窓の大きさはグリーン車当時の大きさなんですね。 車体の妻面には、新製当時の昭和44年日本車両製造の銘板が取り付けられていますが、改造銘板はないですね。昭和58年に当時の鹿児島車両所で普通車に改造されています。 車内は現役末期のままですね。JRになってからは、シートがもっといいものに交換されたものが多かったのですが、わたしにとっては座り心地が良くなくてもこちらの方がなじみますね。 それにしても、ほかにもっといい車両があったと思うのですが、あえてこの車両を残すことにしたというところにこだわりを感じました。
2024年11月04日
コメント(2)
先日の九州鉄道記念館の続きです。 先日のブログにて紹介した関門トンネルを専用に運転されていたEF30の前に活躍していたのがこのEF10でした。関門トンネルが開通したのは1942年、その当時に活躍して性能も安定していたであろうこのEF10が使われたのではないかと思います。先日紹介したEF30もそうでしたが、海底トンネルという性格上、普通鋼では腐食が心配されるのでステンレス車体となっていましたが、このEF10も塗装はされていますがステンレス車体となっています。 電気部分は芝浦電機、車体などは汽車会社で製造されたプレートが取り付けられています。 その奥には、ED72が展示されていました。この車両は鹿児島本線などで客車列車をけん引するために製造されたもので、1号機は試作車となっています。このため、ヘッドライトに特徴があります。横から見ると車体が「くの字」になっています。要するに車体下部の方に向けて絞られているような感じです。 このED72は1961年に東芝で製造されたもの。赤い車体は交流電気機関車の特徴です。今のJR貨物でも交流区間を走る電気機関車には赤い色が使われていますね。 このED72が活躍している時代には、生で見たことはありませんが、九州の鉄道の歴史を語る上でも大事な車両なので、このように展示されているのはありがたいです。
2024年11月02日
コメント(2)
先日、北九州へ行った際に門司港へ行きましたが、その目的がここへ行くことでした。 九州鉄道記念館です。九州で活躍した車両が展示されていまして、こじんまりした場所ですが、ファン的にはなかなか興味深いところです。 フェンス越しですが、機関車の前頭部分が展示されています。本当は全体を置いてくれたらいいんですけど、鉄道車両ってかなり大きいですからね。このように展示してくれるだけでもありがたいものです。 車両は左側がED76、九州内では貨車や客車、ブルートレインをけん引していまして、今もごくわずかが現役で残っています。右側の議員色の車体がEF30。関門トンネルを通過する貨車や客車をけん引する専用の機関車でした。 入場料を払って中に入ると2両の蒸気機関車が展示されていました。その一両が9600形、大正時代につくられた車両ですが、手ごろな大きさと力があったことから国鉄の蒸気感謝の歴史の最後まで活躍したという優秀な車両です。そんな優秀な車両ゆえに、太平洋戦争中には軍に徴用されて中国大陸にも送られたとか・・・。さて、ここに展示されている59634号は煙突に特徴があって、一般的なパイプ状の煙突ではなく、煙突の途中に帽子のように見える化粧煙突となっています。大正時代に製造された蒸気機関車によく見られた装備となっています。 運転席部分(キャブ)にはカーブしたラインがなんともおしゃれにみえるデザインとなっています。無骨な蒸気機関車なんですけど、化粧煙突といいこのカーブしたキャブといい、優雅な感じがします。 こちらは、東海道・山陽本線などの幹線、九州なら鹿児島本線などの特急・急行列車を専用にけん引するために製造されたC59形。大きくて立派な車体です。 展示されているこれらの車両の運転席部分には立ち入ることはできませんが、しっかり整備されてとてもきれいでした。屋根もきちんと設置されて雨風はしのげるのはいいですね。
2024年10月31日
コメント(2)
昨日の続きです。息子の家に泊めてもらって、翌朝の19日は朝から行動開始。帰りは船ではなくて新幹線で帰るだけなのですが、何の工夫もなく小倉から新幹線で帰るのは面白くない。 私が考えたのは、まず門司港へ行って門司港から門司へ戻って在来線で徳山へ行き、新幹線で新大阪へ戻ることにしました。 まず、息子の家から近いところにあるJR九州の小倉総合車両センターへ。国鉄時代は小倉工場といわれていましたが、今はJR九州の車両の整備を一手に行っているところです。この日は、イベントが行われるようでその準備をされていました。 そこから、バスと列車を乗り継いで門司港へ。門司港へやってくるのは2004年以来20年ぶり。 ここへやってきたのは目的があるからなのですが、それはまた後日に・・・。 ちなみに、門司港駅はきれいに改装されていて、レトロ感が増していました。 もう少し門司港でゆっくりしたかったのですが、この日は山陽本線で倒竹があってダイヤが乱れているということだったので、早めに出発して門司へ。 この駅もまた後日紹介します。 下関からは山陽本線上り普通列車に乗車。今や貴重となった国鉄当時の車両が多いこの区間なので、のんびりと乗り鉄しました。(写真は今年3月に撮影したものの使いまわしですが・・・) その列車は途中の富海駅で途中下車。ここで降りた理由もまた後日に・・・。 そして、予定通りに徳山から新幹線に乗り換えました。列車の遅れも回復していて、遅れはありませんでした。 徳山からはこだま856号で広島へ行って、広島からのぞみ38号で新大阪へ戻りました。
2024年10月23日
コメント(2)
先日、仕事でJR奈良線を利用しました。その際に、JR奈良駅でJR西日本ではここだけで見られる車両を見つけました。まぁ、久しぶりに走っているのを見ただけで、通常運用されているんですけどね。 はい、205系ですね。 JR東日本管内ではごくわずかになっていると思いますよね。JR西日本管内ではもともと投入本数が少なかったこともありますが、JR奈良線の普通列車用に活躍しています。 写真は、0番台のクハ204-37ほかの編成で元々は東海道・山陽緩行線に投入されて、その後JR阪和線を経てここへやってきたものです。このほかにはJR阪和線に投入された1000番台も活躍しています。 この辺は、いつ一気に置き換わるかわからないので、気が付いたときに写真に収めるようにしています。
2024年10月06日
コメント(2)
先日、久しぶりにJR阪和線の支線である通称「羽衣線」に乗車しました。羽衣線は鳳~東羽衣を結んでいる路線です。この線は、長らく103系の3両編成が運転されていたのですが、阪和線の車両統一かに伴い、223/225系化されただけでなく4両編成になりました。223/225系の編成単位が4両なので仕方ないのですが、わずか1.7kmの路線に4両編成は明らかに過剰なのですが、仕方ないですよね。 このように阪和線や紀勢本線で使用されている4両編成の223/225系が運転されています。一時期は荷物電車のクモニ143を改造したクモハ123が閑散する時間帯に1両編成で運転されていた時期もあったのですが、それと比べるとやはり過剰に思えてしまいます・・・。 なお、もともと3両編成分の長さしかなかったホーム長も4両編成分に延長されています。 このような短い支線にもロングシートではなくて転換クロスシートの車両なので、贅沢といえば贅沢ですよね。ちょっとお得な気分でした。 ちなみに、103系で運転されていた当時の紹介は、こちらをご覧ください。
2024年09月05日
コメント(2)
鉄道車両番号って、JRは四国を除いて国鉄当時からのある程度の法則で附番されているし、そのほかの私鉄も似たようなものですが、その番号によっては「ぞろ目」になることもあります。例えば阪神電気鉄道の場合、1000系の中間車両に「1111」というぞろ目の車番があったりします。そういうのを見つけると、なんだかうれしいものです。 さて、先日利用したJR阪和線の関空・紀州路快速の中にぞろ目の車番を見つけました。 クハ222-2 そうです、2のぞろ目になっていますね。 運転室内のプレートも「クハ222-2」になっています。まぁ当たり前ですが・・・。 この車両は、JR西日本の223系。関西国際空港が開業した1994年に登場。その登場当時、私は阪和線沿線の実家から職場へ通っていましたから、真新しい223系に乗ることができたときはテンションがあがったものです。その当時からこの「クハ222-2」があったのは知っていましたが、こうして写真に収めるのは初めてです。車両自体は登場当時と比べて更新されていますので、搭乗当初と雰囲気は変わっています。 ただ、223系の初期に作られた車両は、一番上の写真を見てもらうとわかるのですが、車体に取り付けられた車番が見えにくいんですよね・・・。これは223系だけでなく同時期の207系も同じなのですが・・・。 それはさておき、またこのようなぞろ目の車両に乗れたらいいなぁってね。なかなかないけどね。
2024年08月22日
コメント(2)
日本初の営業時速300キロを達成したJR西日本の新幹線車両「500系」が数年以内に「引退」する。航空機との競争を意識して開発され、近未来的な外観で人気の高い車両。現在は山陽新幹線で各駅停車の「こだま」で運行している。6編成(各8両)のうち4編成が2026年度末までに削減され、残る2編成も近い将来、廃止される見通しだ。【読売新聞オンラインから引用】 新幹線の中では屈指の人気を誇る500系。過去の新幹線の車両とも現在の車両とも一線を画すようなデザイン、すなわち前から見ても横から見ても「ミサイル」のような車体は鉄道車両であることを忘れてしまうようです。見るからにスピード感を感じるわけですが、実際にも時速300キロで運用されましたね。 私も実際に「のぞみ」で運用されているときに2回乗ったことがあります。外観の特徴的なスタイルは、車内に入ると窓側の席は絞られているので狭いのですが、それを割り引いても「かっこいい車両に乗っている」という優越感を感じたものです。ただ、2回しか乗っていないのにはわけがありまして、「のぞみ」で運用されていた時間帯が私の使いたい時間帯でなかったことと、もう一つは運用区間が博多~東京間で私が利用する新大阪からだとすでに混雑していることがあって、混雑しているのなら新大阪始発の「のぞみ」を使うことが多かったためです。だから、山陽区間では乗っていないので500系での時速300キロの世界は体験していません・・・。 そんな500系も東海道区間から引退して山陽区間オンリーになり、各駅停車の「こだま」専用となってしまい、編成両数も短くなってしまいましたが、その存在感は変わらないですね。 6編成あるうちの4編成が2年後に引退する予定とのことなので、葬式鉄がやってくるまでの間に広島まで乗ってみたいと思います。
2024年05月14日
コメント(0)
今日は、五月晴れのいいてんきだった奈良地方です。 畑に行くときに、大和川鉄橋を渡る201系を見かけましたので写真に収めました。 青空の元で、緑色の河川敷。こいのぼりも風を受けて穏やかに泳いでいるところを201系が天王寺方面へ向けて走っていきます。このような光景を見られるのもあとわずかのようです。 これは先日、天王寺駅で写したものですが、今のところ4編成が運用されている模様の201系。今日も撮影に来ている人が複数いましたが、各地で撮り鉄とか言うクソタワケが迷惑かけている模様なので、このような普段の何気ないときに撮影しておきたいと思います。
2024年05月11日
コメント(2)
今年のGWは、信貴山の西側に残るケーブル線に乗ってみたいと思って昨日行ってきました。王寺から西信貴鋼索線(ケーブル線)に行こうとすると、柏原まで普通列車で移動してそこから徒歩で近鉄大阪線の堅下へ移動して堅下から河内山本(山本)へ移動することになります。柏原から堅下までは10分もかからないくらいの距離にあります。 山本からは近鉄信貴線に乗り換え。近鉄信貴線は2.8kmの短い路線で2両編成の1430系が使われています。 この編成は信貴線専用なのか信貴線のラッピングがされていました。 この列車に乗って、西信貴鋼索線の入り口となる信貴山口を目指します。 そして、ほどなく信貴山口に到着しました。 ここからいよいよケーブルに乗り換えます。 大阪方面から信貴山へ向かうには、このルートが楽なのかな・・・。 奈良からだと、王寺または近鉄生駒線の信貴山下からバスになりますが・・・。 階段の向こうにケーブルの車両が待っています。 コ7型という車両です。1957年に製造され、2021年に改修されて登場時の塗装に戻ったそうです。 今回は青い塗装の8に乗車、「しょううん」という愛称がついています。 ちなみに、この路線は近鉄の路線の一部になるのですが、車両番号が一桁というのはかなり珍しいですね。例えば、前出の信貴線に車両は1531と四桁でしたからね。 運転台はこんな感じ。とてもシンプルです。 西信貴鋼索線の初発は930、満席だったので私は車両の一番後ろで立って景色を眺めることにしました。 この日は天気が良かったので、大阪平野がきれいに見えます。 ところで、ケーブルの路線って「一直線」というイメージがあり、カーブしていることなんてないだろうと思っていたのですが、ここはこのようにカーブしているんです。なかなか変わっているなぁってね。 そのカーブを曲がりきったところにて反対側からやってきた7とすれ違いました。7はオレンジ色の塗装で車体形状は8と少し異なっていました。 前出のカーブもそうなのですが、トンネルがあるのも変わっています。 この西信貴鋼索線は1.3kmの距離なのですが、このような変化があっておもしろいです。 そして山頂の高安山に到着しました。高安山駅構内はかなり急な階段があって人も多かったので写真は撮れませんでした。 ここから信貴山方面へは路線バス(近鉄バス)に乗り換えとなります。GWはケーブル線もこの路線バスも増発していました。 このあと、1時間ほどアマチュア無線の交信を行いまして、路線バスで信貴山門まで移動し、そこから路線バス(奈良交通)を乗り継いで王寺へ戻りました。 さて、信貴山へ向かうケーブル線は前にもこのブログで紹介しましたが、近鉄生駒線の信貴山下からも路線があったのですがすでに廃止されています。今回乗ってみた西信貴鋼索線は高安山から路線バスに乗り継がなければならないもののまだ現役なのは、やはり山本での乗り換えや高安山での路線バスの乗り換えはあるにしても、信貴山下からのルートよりも便利というところがあるのかな・・・。その辺はよくわかりませんけど、高安山や信貴山へのハイキングとして利用する人が多いようでした。
2024年05月04日
コメント(0)
3月の改正で運用が減ったJR大和路線の201系。常時運用されているのが3編成かなと思っているのですが、その運用から外れた編成の一つが王寺駅の電留線で留置されています。 天王寺方クハ201-66の編成です。この編成は、個人的に意外とよく乗車する機会があった編成でした。 今日も運用されている201系を見かけましたが、まだしばらく運用されるのかな・・・。
2024年04月11日
コメント(0)
阪神なんば線の福~伝法間には、新淀川に架かる淀川橋梁があります。ここは、淀川に架かる鉄道の橋梁の中で一番河口に近いところにあるのですが、桁下高が計画高潮位を下回っていることから架け替えられる工事が2018年から行われています。それに合わせて福駅周辺も高架工事が行われています。毎回列車で通過するときに、その進捗が気になっておりましたので、今回途中経過を写真に収めておこうと思いました。 伝法駅を出発。すぐに淀川橋梁が見えてきます。 いよいよ新淀川を渡ります。その手前に踏切もあります。 左側に新しい橋脚が見えます。現在の橋梁には橋脚が多いのですが、これはあまりよくないようです。というのも、上流から流れてくるものがそこに引っかかってしまう可能性があるためだとか。 架け替え工事前には阪神5000系とかその前は7861形などの4両編成の列車が走っていまして、長い橋梁を短い編成の車両を見ることができたのですが、今では最大10両編成の列車がここを走っています。 もう少しで橋梁を渡り切ります。 渡りきると福駅へ向けて進行、高架工事のために仮線になっています。 福駅が見えてきました。福駅も仮駅になっています。 福駅を出発します。次は、出来島駅です。 反対側からなんば、奈良方面行きの列車とすれ違います。 出来島方向へは勾配になっています。出来島から尼崎間はすでに高架となっているためです。高架工事が完成すると、阪神なんば線は西九条~尼崎間の全てが高架となります。ただ、その工事が完成するのは、2031年とのこと。まだ7年も先なんですね・・・。
2024年04月04日
コメント(2)
大阪メトロ堺筋線は阪急京都線と千里線に乗り入れている関係で、大阪メトロの66系以外に阪急の車両も乗り入れてきます。関西以外の方にとっては「阪急の車両」って特別な印象を持たれているようですが、地下鉄においても阪急の車両に乗ることができます。 それはさておき、鉄道の車両にはヘッドマークとか最近だったらラッピング車両を見ることができます。阪急もその例外ではないのですが、先日乗った車両にはかわいらしいものが描かれていました。車体にもあったと思うのですが、地下鉄線内においては最近はホームドアがある関係で車体側面などを撮影するのはほぼ不可能なので、室内に掲出されているものを撮影しました。 阪急とコラボしている「ちいかわ」です。私はこのキャラクターについては詳しく知らないのですが、いろんな企業とコラボしているようですね。詳しく知らないのですが、なんともかわいらしくていいなぁってね。 阪急の1300系とのコラボかな・・・ こういう車両のイラストを見ると、どの車両をイメージしているのか気になったりします(笑)。 なんだかかわいいイラストが気になって、実は途中の駅で乗り換える予定だったのですが、終点の天下茶屋まで乗って、これらの写真を撮影しました。他にもイラストはあったのですが、この三枚だけ撮影。また機会があれば乗れるかなって思ったのですが、乗ることができず。しかも、このコラボは3月28日までの運用だったそうで・・・って、昨日じゃん! 阪急は確か去年はミッフィーちゃんとのコラボだったかな、それは写真の収めることはできなかったのですが、ちいかわは何とか撮れてよかったです。
2024年03月29日
コメント(0)
明日3月16日からJR各線はダイヤ改正となりますね。そして、先日来このブログでも紹介しております201系の運用が激減する見通しです。そんなこともあって、ダイヤ改正前日に201系に乗ってみようと少し早く家を出ました。 ところが、先日まで201系で運行されていたのに、ダイヤ改正を待たずに221系に置き換わっていました。つい2日ほど前に王寺駅で留置されていたクモハ221-4の編成でした。ちなみに、これはよくあることなのですけどね・・・。 ということで残念だったのですが、今日の帰りに普通列車で運行されているのがあって、それには乗ることができました。 ところで、葬式鉄の姿は見ませんでしたが、三郷駅にはたくさんの連中がホームで陣取っていました。どの時間に201系が運用されるのか把握しているのでしょうけど、そんなことしなくてももっと早い時期に来ていたら取り放題だったんだけどね・・・。 写真は、昨年12月のある日に撮影したもの。誰にも邪魔されずに撮影できたのでよかったですよ。
2024年03月15日
コメント(2)
来る3月16日にダイヤ改正が行われる予定のJR各線ですが、私が利用するJR大和路線では、かつての「やまとじライナー」の後継のような通勤特急「らくラクやまと」や普通車の座席指定席を設けた快速「うれシート」の運用拡大が予定されています。それ以外にも国鉄時代から活躍している201系の置き換えが進みそうです。 この写真は、先日撮影したものですが、この写真の奥の方に221系が2編成並んでいます。この写真からは全くわかりませんが、向かって左側の編成は網干区からやってきたB5編成と呼ばれるクモハ221-6の編成でした。後日になって同じところを歩いていると、奈良区特有の「6」のステッカーが車体正面窓下に貼られていましたので、そのうち運用に入るのではないかと思います。ということは、確実に1編成の201系が運用終了ということになるわけです。 ちなみに、201系の残りの編成は8編成あるようですが、今回の改正で5編成の221系が転属してくるとのこと。改正後も残るのは3編成ということになります。201系が運用されているのはこのJR大和路線のみなので、それを目当てにやってくるファンもちらほらおられます。今だったらいろんな構図で邪魔されずに撮ることができるのですが、運用終了の日が発表されると葬式鉄という連中がやってくるのはうっとうしいです。 ところで、私は最近毎日ではないのですが少し早く家を出まして、201系が運用されている普通列車で天王寺まで乗車しています。音を楽しんで乗車を楽しんでいるわけですが、そんな人はいないんでしょうね・・・。平日だしなあ。まぁ運用されている沿線に住んでいる強みと言うことで。 話を戻して、いつくらいに全て置き換えになるのか知らないし、できればサヨナラ運転とかせずに静かに置き換えとなればいいなぁと思います。
2024年03月06日
コメント(2)
先月東京へ行った際に、東京から国分寺まで中央線快速で移動しました。東京駅2番乗り場に行って乗ろうとしたときに、見慣れない車両だったのに気が付きました。中央線はE233系のはずなのに、これはなんだ? そう、209系1000番台でした。この車両は元々中央線ではなく、常磐線緩行線から東京メトロ千代田線への乗り入れで使われていました。2018年限りで撤退し、2編成だけ中央線へ移籍しているのですが、これは中央線のE233系の編成にグリーン車連結を行う工事のための車両不足を補う目的だとか・・・。常磐線緩行線当時のエメラルドグリーン色の帯が中央線のオレンジ色に変わっています。 私自身は千代田線でも乗った記憶がない(その前に使われていた203系は記憶がありますが)のですが、2編成と数少ない209系1000番台に乗ることができてよかったです。 ちなみに、発車時間まであまり時間がなかったので、この一枚の写真しか撮れませんでしたが、何とか写真が撮れてよかったです。
2024年02月17日
コメント(0)
阪神電気鉄道は2日、普通電車として1977年から阪神本線で運行し、「青胴車」の愛称で親しまれてきた車両5001形が近く引退すると明らかにした。国内最高水準の加減速性能を持ち、「ジェット・カー」とも呼ばれている。17日に「さよならイベント」として、同社の尼崎車庫(尼崎市北城内)で撮影会を開く。撮影会は有料、定員あり。 クリーム色と青の車体色が特徴で、77~81年に8編成32両を製造。駅間距離が短い路線で後続の急行系車両に追い付かれないよう、1秒ごとに時速4・5キロずつ加速し、同5キロずつ減速する。後継車両は乗り心地を重視して性能を抑えたため、現在も同社で性能を超える車両はないという。【神戸新聞NEXTから引用】 結婚して一時期阪神沿線に住んでいた私にとって、阪神のジェットカーは気になる存在でした。私が住んでいたのは甲子園ですから、いわゆる「赤胴車」の急行系の車両に乗ることが多くて、ジェットカーの青胴車はたまにしか乗らなかったのですが、本文にもありましたように「加速力」はすごくて乗るのが楽しみでした。加速するときにつり革がかなりの角度で傾くを何度も見たことがあります。また、運転席の速度計の針がみるみるうちにあがっていくのをみるのも楽しみでした。 阪神の駅間は間隔が短いところが多いので、「素早く加速・素早く減速」しなければ後からやってくる急行系の車両の邪魔になるからこのジェットカーのような性能が必要なんですね。 この車両がジェットカーの5000系。古くからの阪神顔の車両もこの車両が最後になってしまいました。ジェットカーは普通に見かけていたのであまりにも当たり前の存在だったのですが、このところ阪神を利用すると普通列車では新しい車両を見かけることが多かったので気にしていたのですが、ついに引退するんですね。 そういえば、阪神の車両は古くは四国の高松琴平電鉄へ移籍したり、車体だけ京福電気鉄道(当時)へ移籍することがあったのですが、この5000系はそのような話はなく、解体されてしまう運命なのでしょうね・・・。 近いうちに阪神に乗る機会があるのですが、タイミングよく乗ることができたらいいなあってね。
2024年02月02日
コメント(2)
JR大和路線で最後の活躍をしている201系。今回も王寺駅で写真に収めることができました。 この日は、クハ200-136を先頭にした編成でした。王寺が終着の列車で、この後回送されていきました。このような光景もあと少しですが、このようにだれにも邪魔されずに撮影できるのも今だけかな。
2023年12月06日
コメント(2)
定期運用で最後の活躍をしている201系。私の地元のJR大和路線で今日も運用されていますが、2024年度中に引退することが決まっているとのこと。今のところは普通に運用しているのを見ることができていますが、いずれは葬式鉄が大挙してやってくるんでしょうね・・・。 私が先日出かけるときに王寺駅終点の運用についていました。朝にもまだまだたくさん運用されています。 また、王寺駅構内の電留線に201系が休んでいる光景も収めることができました。 撮影した日は天気が今一つだったのですが、このような光景もいずれは基調になるんでしょうね・・・。
2023年11月27日
コメント(2)
ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第38回目は山陽本線竜野駅です。 この駅自体の歴史は古くて、1890年に当時の山陽鉄道の駅として開業しているのです。 木造平屋建ての駅で、実は来年2月までの工事により駅舎が新しくなるとのことです。 駅構内には上り線(姫路、神戸方面)と下り線(相生、岡山方面)を跨ぐこ線橋が設置されていて、木造のこ線橋となっています。撮影しているのが下り線です。 下り線に普通播州赤穂行きがやってきました。 竜野駅は、南側にしか改札口がありませんので、駅北側に行こうとすれば写真の自由通路を通って渡っていく必要があります。ちなみに、新しい駅は橋上駅化されるとのことです。 この駅は、私の出張先がこの駅からタクシーで向かうのでよく利用しているのですが、駅が改築されるということをタクシーの運転手さんに聞いたので、写真に収めました。
2023年11月15日
コメント(2)
今年の夏に函館に行った際に撮影した市電の写真の中で、行き先系統版のところに「110周年記念」というのがあるのに気が付きました。 確かこの時もそれを気にして撮影したような気がしたのですが、今になって思い出しました(苦笑)。 これは、今年6月29日が函館市電開業110周年となったのを記念したものだそうです。 この碑乗車したのは723号。1961年製造の車両、鈍重な吊り掛けモーターを響かせながら元気に運用されています。全部で20両が製造されたそうですが、残っているのは6両とのことです。 ちなみに、5系統の運用は「湯の川~函館どつく前」で、よくみかける系統です。このような写真を見ていたら、また函館に行きたいなぁ~
2023年10月24日
コメント(2)
JR東海、西日本、九州の3社は17日、東海道、山陽、九州新幹線の車内に設けられた喫煙ルームを来年春に全廃すると発表した。他の新幹線はすでに全車禁煙に踏み切っており、これですべての新幹線車内でたばこは吸えなくなる。 東海道、山陽、九州各新幹線を走る主力車両「N700系」は現在、16両編成は車内3カ所、8両編成は同2カ所のデッキに、排煙や脱臭装置を備えた喫煙ルームが設けられている。これをいずれも来年春に全廃し、車内を全車禁煙にする。各社によると、「近年の健康増進志向の高まりや喫煙率の低下」が理由という。 喫煙ルームの跡地は災害時に備え、非常用飲料水などの置き場にする。山陽新幹線は同時に「500系」の喫煙ルームを全廃するとともに、新倉敷や三原など8駅に残る囲いのない分煙非対応の喫煙コーナーを廃止する。 東北、上越、秋田、山形各新幹線は2007年に喫煙席を廃止し、喫煙ルームも設けていない。北陸、北海道、西九州新幹線は開業当初から全車禁煙。一方、東海道・山陽新幹線は航空機との競争を念頭に、「愛煙家と禁煙家双方のニーズにこたえる」として喫煙ルームを維持し、相互直通する九州新幹線も足並みをそろえてきた。【朝日新聞デジタルから引用】 かつては在来線の快速列車ですらたばこを吸うことができたわけですが、それが号車ごとで禁煙車を経て、編成の全車両が禁煙となっていきました。新幹線でも同じようなものでしたよね。0系の時は禁煙車が少なかったのですが、いつのまにか禁煙車ではなくて「喫煙可能な車両」を経て、喫煙コーナーができたように思います。 私はたばこを吸わないので、全車両禁煙だけでなく喫煙コーナーも撤去というのはありがたいものです。例えば喫煙コーナーのある車両だったら、そこへ吸いに行った人が座席に戻るとたばこのにおいがとても気になるんです。たばこを吸っている人にはわからないかもしれないけど。 新幹線が全車両禁煙車両になるのは時代の流れとは言え、すごいことだなぁって思いますけど、喫煙者の方はどう思われるでしょうか? 私の職場の同僚の何人かは相変わらず喫煙をしていますけど、新幹線で移動するのではなく移動時間の短い飛行機で移動するのかな・・・。あと厄介なのが、「車内で吸えないのでトイレで吸うアホが増えないか」ということ。ったく、中坊かよ・・・。でも、こんなアホがいるかもしれないからなぁ・・・。それを防ぐために、煙や熱を感知した時に、有無を抜かさず頭から水を噴霧するとか、二酸化炭素を噴霧するとかでいいんじゃない? だって、本当に火災かもしれないんだから、たばこの火や煙にも反応してもらわないといけないからね。そこでびしょぬれになろうが酸欠になろうが知ったことねぇよ、って割り切ればいいしね。 在来線の特急でも禁煙車両ばかりになっていると思うし、喫煙可能な列車を探すのが難しいかもしれませんね。関西では、南海の「特急サザン」とか近鉄の特急にはまだ残っていたと思いますが、かなり少数派ですね。 これも時代の流れだとは思いますが、たばこを吸わない私は歓迎な動きです。
2023年10月17日
コメント(2)
ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第38回目は北海道の道南いさりび鉄道の渡島当別駅です。 道南いさりび鉄道は、JR北海道から移管された元JR江差線の五稜郭~木古内を結んでいる路線です。青函トンネルが開業した当時は津軽海峡線と呼ばれていました。津軽海峡線当時に電化されていますが、北海道新幹線開業後は本州と北海道を結ぶ貨物列車が電気機関車のけん引で走る以外は普通列車はJR北海道から移籍したキハ40系が運行されています。 さて、渡島当別駅は以前紹介したトラピスト修道院への最寄り駅となっていまして、駅名標にも書かれています。この駅を出て歩くとまぁまぁ距離はあるのですが、天気がいいとちょうどいいコースかと思います。 駅のホームはこんな感じ。電化はされていますが、前出のとおり普通列車はディーゼルカーです。写真は、木古内方面を向いています。列車が来てくれたらよかったんですけどね・・・。 ホーム側から駅舎を見ています。 この駅舎は、郵便局が併設されています。無人駅になってしまうところが多い中で、郵便局が併設されているのはありがたいです。 駅舎の内部には、ステンドグラスがありました。 ちなみに、私の妻は以前、列車でここへやってきてトラピスト修道院へ行ったとのこと。函館からかなり時間がかかったそうで、今回は私の車で行きましたけどやはり車の方が楽だったとか・・・。私は機会があれば逆に列車で行ってみたいなぁと思いました。貴重な国鉄当時の車両にも乗れるからね。
2023年10月14日
コメント(2)
JR西日本は28日、2025年大阪・関西万博に向けた機運を高めようと、公式キャラクター「ミャクミャク」をデザインしたラッピング列車の運行を開始すると発表した。 万博開催500日前の11月30日から会場である夢洲(ゆめしま)(大阪市)へのアクセスルートとなるゆめ咲線(桜島線)や大阪環状線で運行を開始し、期間終了まで走らせる。 列車は8両で1編成。白地に赤色と青色を基調としたデザインでミャクミャクや公式ロゴマークがあしらわれているほか、「2025年日本国際博覧会」の文字が入っている。 今後は広報・プロモーション協賛契約を締結した日本国際博覧会協会(万博協会)とともに機運醸成に向けた取り組みを推進する。【産経新聞ネット版から引用】 盛り上がりに欠けているだけでなく、開催にかかる費用も1850億円から400億円ほど上積みになることが明らかになった大阪・関西万博。「身を切る改革」を標榜する維新の連中が逆の立場だったら鬼の首を取ったように追及するのに、自分たちが始めたものだから引くに引けない状況になっている・・・。まぁ1970年当時とは全く違う世の中、しかも先の東京五輪のように不正がまかり通るような状況に市民はあきれているから、盛り上がりに欠けるんでしょうな。 そんな盛り上がらない状況をなんとかしたいということなのでしょうけど、このラッピング列車もその一つでしょう。大阪環状線で使われている323系にはUSJ仕様のラッピング列車も一編成あって、大阪環状線と桜島線で使われていまして昨日もみましたが、子どもたちには人気のようですね。私はUSJに行ったことはないのですが、ラッピングの内容もその楽しさを表す内容になっているんでしょうね。 今回、大阪・関西万博用のラッピング列車は、あの気持ちの悪いキャラクターがデザインされるとか・・・。あれが環状線をぐるぐる回るってどうなんだろうな。子どもが怖がらないのかな・・・。っていうか、未だにあれを採用したというセンスがわからないね。 ちなみに、関西ではプロ野球の阪神タイガースとオリックスバファローズがリーグ優勝を果たしたということで、優勝記念パレードが計画されているとのことですが、そこにもあの気持ちの悪いキャラクターが登場するとかしないとか・・・。ホント、マジでやめてあげてくれ、そんなことは。阪神ファンもオリックスファンもそんなことを望んでないだろうからさ。
2023年09月29日
コメント(2)
今年の夏旅行で北海道へ行った話は何回かに分けて紹介しましたが、そこで紹介しきれなかった話がいくつもあります。それについても順次紹介していきたいと思います。 北海道ではかつて石炭の採掘が盛んにおこなわれていて、石炭を運ぶための路線がたくさんありました。国鉄はもちろんのこと、私鉄の炭鉱鉄道も数多く存在していました。その多くが炭鉱閉山とともに姿を消して、遺構が残るところもありますが、そのほとんどが自然に還ってしまっています。 さて、炭鉱鉄道で使われていた車両を今も大事に整備・保存しているところがありまして、今回紹介する美唄鉄道の東明駅跡で紹介されているこの蒸気機関車もその一つです。 この車両は、1919年に三菱造船の神戸造船所で製造された美唄鉄道の2号です。 ちなみに、当時国鉄でも4110形という蒸気機関車がありましたが、この2号機は国鉄からの払い下げではなくて美唄鉄道が自社発注したものだとか。石炭産業華やかな時代だったからこそできたことかもしれませんね。 横から見ると、動輪が5つついています。国鉄の蒸気機関車の代表的なD51は動輪が4つ、同じくC57やC11は動輪が3つですから、それらよりも動輪が多いんですね。動輪が多いということはそれだけ力があるということ。炭鉱鉄道で石炭を満載した貨車をけん引するにはうってつけの存在だったのかもしれません。ただ、その分自重はありますけどね・・・。 後ろから見るとこんな感じ。炭水車がないタンク式とよばれる形です。 1972年の閉山まで活躍していた車両、その後はこのように大事に保存されて今に至っています。 最近、塗装が行われたようで黒光りする車体が誇らしいのですが、撮影にはむかないかもしれないけど、屋根があれば劣化は遅らせることができるんですけどね・・・。 でも、このようにきれいに整備されて展示されている様子は、とてもありがたいと思っています。
2023年09月27日
コメント(2)
先日の出張で、近江鉄道を利用しました。 元西武鉄道の3000系、近江鉄道では色が黄色から水色に代わって300系として活躍しています。関東の私鉄の中では、西武はなんとなく国鉄の雰囲気があるので個人的には好きなんです。最新の車両はその雰囲気は薄まってきているようですが・・・。 ところで、西武鉄道では駅ごとに西武ライオンズの選手を応援する「推し獅子」というキャンペーンをしているようですが、西武鉄道の子会社である近江鉄道でも駅ごとではないものの近江鉄道としての「推し獅子」として応援している選手がいるようです。 それが山田陽祥選手です。すみません、私はパ・リーグは詳しくないのでわからないのですが、調べてみると、近江高校から2022年にドラフト5位で西武ライオンズに入団したルーキーとのこと。近江高校は彦根市内にあるので、同じく彦根市に本社を置く近江鉄道としても応援しようということなのかもしれませんね。
2023年09月02日
コメント(4)
今日は、昼から奈良市の奈良県コンベンションセンターで行われていた「大和鉄道まつり2023」に行ってきました。 イベントは昨日と今日行われていて、出展していた鉄道会社は近畿圏のみならずほかの地域からも出店していました。出展していたのは、伊賀鉄道、名古屋鉄道、野岩鉄道、信楽高原鐡道、三岐鉄道、近畿日本鉄道、四日市あすなろう鉄道、えちごトキめき鉄道、嵯峨野観光鉄道、三陸鉄道、三重交通、南海電気鉄道、伊勢鉄道、和歌山電鐡、京阪電気鉄道、養老鉄道、JR貨物、明知鉄道、紀州鉄道、奈良交通、JR西日本と大手私鉄あり、中小の私鉄あり、バス会社もありとバラエティ豊かで、それぞれの会社のグッズも売っていました。目移りしますが、一つ買えば際限なく買ってしまいそうだったので、ここまぐっと我慢しました(苦笑)。 舞台ではいろんなイベントがされていたのですが、元近鉄社員で名物広報マンの福原としひろさんと関西のNHK土曜日朝のニュースで関西の鉄道も紹介されているタレントの斉藤雪乃さんのトークショーを見ていました。福原さんは他のイベントでのトークショーでも拝見したことがあるし、斎藤雪乃さんは土曜日朝にテレビで見ていますので、なじみのある方のトークショーはなかなかマニアックで面白かったです。 ところで、鉄道のグッズが販売されている中に、私の娘の学校も出店していてお菓子などを販売していたそうで、私が行った時には売り切れになっていました・・・。それは残念だったのですが、娘が描いた絵が学校の看板に採用されていたとのこと。私の娘は鉄子ではない(それでも小さいころはよく路面電車や新幹線で一緒に鉄道で移動していたんですよ)のですが、本物の車両に近づけすぎずに描いているなぁって思いました。でも、どの車両を参考に描いたんだろう・・・って考えてしまうのが、鉄分多めの哀しさですよね(苦笑)。色は違うけど、阪急かな・・・
2023年08月06日
コメント(0)
先日、仕事で近鉄道明寺線~JR大和路線を利用しました。その際に、柏原駅に停車する201系を撮影することができました。 今年度末に引退すると言われていまして、私の地元の王寺駅周辺でも写真を撮っている人がいますが、まだ少ない方かな。直前になると葬式鉄がたくさんやってくるんだろうな。今のうちに撮っておけば、自由なアングルで撮影できるのにね。実際、この写真を撮っていたのは私だけ。まぁ、平日の夕方だからね・・・。 この写真も、いずれは貴重なものになるかもしれませんね。
2023年06月21日
コメント(2)
JTBパブリッシングは、「復時刻表復刻版 1985年3月号」(2310円)を6月21日に発売する。 月刊誌「JTB時刻表」の前身である国鉄監修「交通公社の時刻表」。その復刻版第9弾となる今回は、東北・上越新幹線が都内に乗り入れ、在来線もスピードアップするなど全国の高速ネットワーク化が進むこととなった1985年3月のダイヤ改正号を、当時のまま掲載している。【Impress Watchから引用】 この1985年3月号の時刻表、持ってましたよ。表紙は東北・上越新幹線の200系の前頭部でした。この1985年といえば昭和60年、私が高校二年から三年になる時ですね。3月14日にダイヤ改正があって、大きな規模のものでした。私の地元である阪和線・紀勢本線では、1978年の紀勢本線和歌山~新宮間が電化されて以降も架線下を走っていたディーゼル急行の「きのくに」が全て特急「くろしお」に格上げされただけでなく、使用される車両が南福岡や青森などから寄せ集められた485系に統一されたのでした。それまで「くろしお」といえば、振り子車両の381系のみだったのですが、運行される時間帯によっては振り子車両ではない485系、しかも短編成化によって最短4両編成の「くろしお」も運行されていました。まぁ、その分、ちょっと変わり種の車両もあってそれはそれでおもしろかったんですけどね。 さて、このような古い時代の時刻表を復刻させてくれるのはありがたいですね。1985年当時は国鉄の分割民営化前ということで、全国各地にローカル線がたくさんあって、今では廃止されてしまってその廃線跡をたどることも難しくなっている状況ですが、廃止前の様子を時刻表の上でたどることができます。また、運行されている列車も客車列車があったり、かなりの長距離区間を走る普通列車があったりと、今では見ることができない列車も時刻表の上でたどると、時がたつのを忘れてしまいそうになるかもです。 復刻版の時刻表は、いい値段しますけどどんなものなのか見てみたいです。
2023年06月20日
コメント(2)
先日、出勤時の王寺駅で緑色の221系を見ました。 普段の白色ベースのものとは全然イメージが違う車両となっています。 緑色の車両といえば南海電鉄だったのですが、その南海も関西空港開業に合わせて緑色をやめてしまったので、このような緑色の車両は、現在同じ大和路線で最後の活躍をしている201系くらいかな・・・。 実はこの車両は「お茶の京都トレイン」というもので、JR奈良線の京都~城陽、山城多賀~玉水間の複線化工事を記念して、また同沿線の宇治市、八幡氏、城陽市、京田辺市、久御山町、宇治田原町、井手町、精華町、木津川市といったところではお茶の栽培もおこなわれているということで観光PRも兼ねているようです。221系の運用はJR奈良線のみならず、大和路船やおおさか東線、万葉まほろば線、和歌山線にも及んでいますから、奈良線以外でも見ることができます。 この緑色は塗装ではなくラッピングですが、写真のように「クハ221-24」という車番のところもきれいに処理されているのがお分かりいただけるかと思います。細かい作業されているんですね。 車内は、普段の221系とは少し異なった仕様になっていました。 ヘッドカバーのところには、特製のカバーが欠けられています。 わざわざ作成したんですね・・・。 室内の広告スペースにも、「お茶の京都」が掲げられていますし・・・ 中づり広告のスペースも同様でした。 ちなみに、この深い緑色は「常盤緑」(ときわみどり)というそうで、それに和のテイスト満点な飾りが施されています。 このラッピングは、概ね3年間くらいは使用されるとのことです。 詳しくは「トレたび」というところに詳しく書かれていますので、ご覧ください。
2023年04月21日
コメント(2)
大和路線で活躍している201系。国鉄当時からがんばってきた車両ですが、今年度末に全車引退することが予定されているとのこと。今のところ8編成最後の活躍をしているのですが、この先徐々に数を減らしていくのかもしれません。 これは先日、天王寺駅で撮影したものですが、こういう当たり前の光景も見られなくなるということです。「撮り鉄」とかいう人に迷惑をかけている連中も今のところこういう写真を撮っていることもありませんので、今ならそんな連中に邪魔されることもなくスマホのカメラでも十分撮影することができます。こいう何気な写真がいいのにねぇ・・・。
2023年04月14日
コメント(2)
昨日、宝山寺へ行く際に利用したのが生駒ケーブル。近鉄生駒駅の近くから出発しているのですが、近鉄戦からはケーブルカーの姿を見たことがなかったので、どこにあるのかこれまで全く知りませんでした。近鉄生駒駅は何度も利用しているのですけどね・・・。例えば、高野山へ行くケーブルカーは、高野線の極楽橋駅から同じ構内にケーブルカー乗り場がありますし、もう廃止されてありませんが、近鉄生駒線の信貴山下駅にあったケーブルカーも同様でした。 実は、近鉄生駒駅の西改札を出て隣接するビルを通っていけば、この鳥居下駅に着きます。ここがケーブルカーの乗り場だったんですね。近鉄線の線路からは建物が邪魔で見えなかったんです。 ここが乗り場になります。ケーブルカーに乗るためには自動券売機で乗車券を購入する必要がありますが、ICカードには対応していません。 車両は向かって左側の車両、小さな子供が喜びそうな車両です。この車両は「ミケ」こと12号車です。2000年に製造された車両で、猫をイメージしています。 ちなみに、この路線名は「宝山寺1号線」というそうです。終点の宝山寺駅からさらに生駒山上通園地へもケーブルカーの路線があってそちらは「山上線」とのこと。 鳥居下駅を出発して、いよいよ急坂に挑みます。 ところで、この生駒ケーブルには踏切が何か所かあるんです。ケーブル線に踏切って珍しいですよね。 途中で「ブル」こと11号車とすれ違います。ケーブルカーならではの行き違いとなっています。 ここからさらに急坂となります。 自動車はもちろん、歩いて登るにも絶対上りたくない急坂です。 線路の左側に勾配を示す標識が遠くに見えます。「227.3」 これは、1000m行くと坂が227,3m上がるということを示しています。 道路標識で「20%」なんて表示している急坂があったとすると、100m行くと20m上がることを指していますが、20%の坂ってなかなかの急坂じゃないですか。それと同じくらいの急坂ということになりますね。 ちなみに、鉄道の勾配の単位は「‰(パーミル)」といいます。今は廃止されてありませんが、信越本線の碓氷峠が最大66.7‰、それからこのブログで紹介したことがある箱根登山鉄道の場合は、最大勾配が80‰。いずれも普通の鉄道車両で登る坂としてはかなり急坂なのですが、この227.3‰なんてケーブルカーだからこそできることですよね。 ふもとから6分で山頂に当たる宝山寺駅へ到着しました。 かなり質素な駅です。ここからさらに生駒山上遊園地へ行くケーブルカーもあります。 これが山上線の車両、先ほどの「ミケ」「ブル」とともに遊園地をイメージしたような車両ですね。 早朝だったこともあって生駒算上遊園地はオープン前ですから、この路線もまだ営業していませんでした。 宝山寺駅構内には、かつて使用されていた行き先方向板が保存されていました。これは山上線のものですね。 ところで、この生駒ケーブル線にはさきほどの「ミケ」「ブル」以外にこの写真の4号、前出の宝山寺駅に留置されている車両の3号が在籍しています。1953年製造の車両は、日本最古の現役ケーブルカーだそうです。 パンタグラフもあがっているので、時々動いているのかな・・・。線路もちゃんと整備されていたのでね。 子どもたちには「ミケ」「ブル」がいいのかもしれませんが、私はこちらの方が好きですね。 車体の形状は、ケーブルカーですから横から見ると平行四辺形ですね。車内には勾配に合わせた階段が設けられているのはケーブルカーの定番ですね。 ちなみに、この4号の側面扉は3扉、前出の「ミケ」「ブル」は2扉となっています。また、この4号の扉、よく見ていただくと外吊り式の扉です。外吊り式というのは、一般的な鉄道の車両でよく見る戸袋がなく、扉を外で吊った状態になっていることを示しています。このような扉の形状は、鉄道車両での採用例はあまりなくて、国鉄のディーゼルカーのキハ30系が代表例です。 さて、久しぶりにケーブルカーに乗りましたが、早朝だったこともあってお客さんの姿も少なくてゆったりと景色を眺めることができました。こういうのは、朝早い方がいいなぁって思いました。
2023年04月03日
コメント(0)
国鉄当時から通勤型電車といえば真っ先に出てくるのが103系。JR西日本とJR九州にのみ残っていますが、このうちJR西日本では3月18日のダイヤ改正でオリジナルに近いスタイルの103系が活躍している通称和田岬線から引退します。そのため、残りはJR西日本管内では加古川線と播但線のみとなります。いずれもオリジナルのスタイルではないのですが・・・。 このうち、播但線で使用されているのがこの写真の103系3500番台。2両1ユニットで中間車両からの改造となっています。オリジナルの103系の雰囲気はあるものの、運転台部分は接合されたものです。 写真は、網干駅で撮影したものですが、姫路から車庫のある網干に帰ってきたのでしょうね。当たり前ですが、普段は姫路~寺前間の播但線で運用されていますから、このように網干へ回送されてくるシーンを見るのは初めてでした。
2023年03月10日
コメント(2)
昨日のブログで松本零士先生がお亡くなりになったことを載せましたが、松本零士先生の作品の一つとして「銀河鉄道999」があります。宇宙を走る鉄道というスケールが大きいものでしたよね。でも、鉄道好きにしてみたら、「線路は?」「宇宙なのに煙はなぜ出るのか?」「宇宙なのに客車の窓を開けても大丈夫なのか」「なぜ他の客は乗っていないのか」などとツッコミどころはたくさんあったのですけど、そんなことは横において楽しんでおりました。 さて、その「銀河鉄道999」のけん引機関車はC62。C62といえば、戦後の国鉄の幹線で特急・急行をけん引した機関車で、東海道・山陽本線などで活躍、晩年は北海道の函館本線で活躍していました。そんなC62がけん引していたのは茶色い客車、けん引するC62は作中でクローズアップされても、客車はクローズアップされることはありません。まぁ車内の場面は描かれても、「当たり前の空間」のような感じで、「あえて取り上げるほどもない」というようなものでした。それはそれで個人的には残念だったんだけど・・・。 前置きが長くなりましたが、「銀河鉄道999」で描かれた客車はこんな感じのイメージでしたね。写真は、国鉄のスハフ42形で1851年から製造された急行用の客車です。 車内はこんな感じ。4人掛けのボックスシートがずらりと並んでいます。 窓も一枚窓の大きなもので、窓際のスチームが通る管が通っていて、冬場はここに足を載せると暖かったんですよ。今では考えられないけど灰皿がありますし、その上には小さなテーブルも設置されています。網棚は文字通り「網」になっています。このスハフ42は北海道向けなので、窓は二重窓になっています。 「銀河鉄道999」の作中でも、このような座席にメーテルと哲郎が座って旅していたんでしょう。 これは車掌室。「銀河鉄道999」の車掌もこのようなところで仕事していたんでしょうね。 「スハフ42 507」と書かれている表記は、国鉄当時の表記ではありませんが、雰囲気はあります。その表記の上には、サボを収めるようになっています。ちなみにサボとはサインボード、行き先を掲出する鉄製(晩年はプラスチック製)の板のことです。 「銀河鉄道999」では、客車の細かいところは描かれていませんでしたが、頭の中で脳内保管して私は見ていました(笑)。 これらの写真は、昨年北海道へ行った際に、岩内郡共和町の幌似鉄道公園にて保存されているものを「銀河鉄道999」の客車に見立てて紹介しました。
2023年02月21日
コメント(1)
駅名の省略された呼称がSNS上で大きな注目が集まっている。 きっかけになったのは三重県出身の村中さん(@ayatakaa_chan)による「名古屋駅を『名駅(めいえき)』と略すのは一般に浸透しているけど」という投稿。 たしかに名古屋駅は地元民の間で「めいえき」と呼ばれている。大都市の中央駅だけにこれほど有名な例はなかなかないかもしれないが、実は省略した呼称が一般的になっている駅は他にも多数存在するようだ。 村中さんの投稿に対し、SNSユーザー達からは 「札幌駅の『札駅(さつえき)』とかですかね。」 「天神橋筋六丁目駅は基本天六ですね」 「大阪では近鉄の大阪上本町駅を未だに上六と称していたり…」 「新潟駅を『にーえき』と呼ぶ人は稀にいます(他地方から移住した人だったりす る)が、新潟市内には他に『新津(にいつ)駅』『新崎(にいざき)駅』もあるので地 元民はまず略しません」 「地元民だけかもしれませんが、和歌山駅のことを和駅と略していいます」 「一般的ではないですが、利用している中高大生は岡山駅を岡駅と言っているよう です。」 といった情報提供が数多く寄せられている。【まいどなニュースから引用】 こういうくだらない話題、大好きです(笑)。 どうでもええやん、って思うかもしれないけど、そういうのがいいんですよ。 さて、名古屋駅のことは「名駅」というのは聞いたことがありますね。書き物にすると「なえき」なのか「めいえき」なのかわからなかったのですが、「めいえき」と呼んでいるんですね。 そのほかのコメントにあったものでいくと、「和駅」はいいますよ。わが娘が一時期和歌山の職場に勤めていたことがあって、「和歌山駅=和駅」「和歌山市駅=市駅」と言っていましたし、私も子どものころからそのように認識していました。あと、大阪市内の「天六=天神橋筋六丁目」や「上六=上本町六丁目」もそうですね。っていうか、天六のことを「天神橋筋六丁目」って言っている人の方が少ないかも。上六もそうかな、私なんか近鉄の大阪上本町駅のことでさえ「上六」って言っているくらいだけど。 あとの駅はどうなんだろうなぁ・・・。奈良だったら「近鉄奈良駅=きんなら」「JR奈良駅=Jなら」かな。近鉄つながりだったら、最近は「大和西大寺」「大和八木」のように「大和〇〇」とアナウンスすることが多いけど、奈良の人は「大和」の部分を省略して「西大寺」「八木」ってよんでいるかな。奈良県じゃないけど「伊勢中川」なんかも伊勢を省略して「中川」ってよぶほうがなじみがあるんだけどな。 ちょっと脱線するけど、これは完全に堺市民だけかもしれないんだけど、「堺東駅」のことは「ガシ」ってよんでいたのを元堺市民の私は思い出しましたよ・・・。 話を戻して、本文にあった「名古屋駅=名駅」のような有名な駅は別として、地元民にとって省略して普通に親しまれている駅名は他にもたくさんあるんでしょうね。 みなさんのところではいかがですか?
2023年02月02日
コメント(4)
昨日紹介した水間鉄道では、1990年まで使われていたのは501系と呼ばれる車両でした。 この車両は、南海電鉄で使われていた1201形でした。南海電鉄では1973年に使用電圧が600Vから1500Vに昇圧した際にそれまで使われていた1201形が水間鉄道へと移籍しました。1201形は1934年から1944年まで製造され、まだ当時は車齢30年程度だったこともあって移籍したのでしょうね。 1990年に現在使用されている1000系(導入当時は7000系)導入に伴い引退しましたが、一両だけ保存されています。 これが一両残された501系の553号です。すっかりボロボロになっていますね。雨風と天日にさらされているから・・・。 この553号は南海時代は1240号、水間鉄道に移籍して510を経て制御車化されて553号となっています。 車体には、かつての水間鉄道のマークも残されていました。 この553号は1944年に製造された車両ですが、その後の更新で窓はアルミサッシになっているようです。 保存といっても屋根か何かしてくれたらいいんですけどね。 南海の名車だった1201形は、南海から福井県の京福電気鉄道(現・えちぜん鉄道)とこの水間鉄道、それと南海電鉄の路線と直接つながっていない貴志川線(現・わかやま電鐵)に移籍しましたが、すべて廃車されてしまいました。残されたのはこの553号と貴志川線で使われていた1202号の二両だけ。そのうち1202号は保存されていた京都府の加悦SL広場が2020年3月限りで閉園、1202号はどのようになったのか不明となっていますので、この553号が唯一残った名車ということになります。 現状はボロボロですけど、うまく活用してくれたらいいなぁと思いました。
2023年01月29日
コメント(2)
先日、仕事で貝塚市へ行きました。その際にローカル私鉄の水間鉄道に乗車しました。水間鉄道は、南海本線の貝塚から水間観音まで結んでいる路線です。その鉄道で使用されているのが元東急7000系の1000系が使われています。東急7000系といえば東急東横線だけでなく営団地下鉄日比谷線でも活躍していた車両で、引退後は地方のローカル私鉄へ移籍していきました。そのうちの一つが水間鉄道です。水間鉄道には1990年にやってきました。 これが東急7000系だった1000系です。中間車両から改造しているのでこんな顔になっています。 中間車両から改造された車両は、水間鉄道以外に移籍した車両もこれと同じ顔となっています。 車体に取り付けられている銘板には、昭和39年東急車両製造となっておりまして製造後60年近くが経過しています。ちなみに、この1000系は導入当初は東急時代と同じ7000系と称していましたが、その後改装を行った結果現在の1000系となっています。 運転席はこのような感じ。多分これは他に移籍した車両と同じかと思われます。 車内は一般的なロングシートが配置されています。 菅通路は扉がない広幅タイプとなっています。 この1000系の特徴として、東急時代の広告が一部残されています。写真はShibuya109のつり革の広告です。 こちらも同じ、1990年に移籍してきているのにそのまま残されているんですね。 ところで、移籍してきた7000系は5編成ありましたが、1000系に改造されたのは4編成だけ。1編成は改造されずにそのままの状況で水間観音駅近くに留置されていました。 また、前出の中間車両から改造された車両だけでなく、元々の運転台がある車両も移籍しております。 この編成は、同じ元東急7000系が使用されている青森県の弘南鉄道のカラーとなっています。元東急7000系は車体がステンレスで長さも18mと手ごろな大きさだったので今も活躍しています。ただ、私が過去に乗車したことがある福島県の福島交通は2016年に全廃されておりますが、ここ水間鉄道ではまだまだ活躍するかと思います。 水間鉄道は2005年に会社更生法を適用したことがあるのですが、その後外食チェーン店のグルメ杵屋が支援して同社の子会社になっています。 全線5.5kmと小さな鉄道ですが、車両の運転体験などなかなか面白い試みもしているので、ますますがんばってほしいものですね。
2023年01月28日
コメント(2)
駅のホームで次にやってくる列車の種別や行き先については、最近ではLEDなどを使って表示されていることが多いですよね。視認性もよくて行き先だけでなく、そのほかの情報も流してもらえるのでありがたいものです。 今日紹介するのは、LEDの前の世代としてパタパタという音とともに種別や行き先が表示される「反転フラップ式」(通称「パタパタ」)をよく見かけたのではないでしょうか。新幹線の駅など大きな駅では見られたかもしれませんね。今ではそんな大型のものはなかなかお目にかからなくなりましたが。 さて、これは先日立ち寄った近鉄桜井駅のホームに設置されているものです。上側が列車種別と行き先、下側が停車駅が表示されるもので、南海電鉄もこれと同じようなパタパタが設置されていたように記憶しています。近鉄でもこのパタパタを使用しているところは少なくなってきているかもしれませんね。 ちなみに、下側の停車駅の表記をみると「八木」「高田」とありますが、現在の車内放送では「大和八木」「大和高田」と正式名称で伝えています。かつては「八木」「高田」と「大和」を省略して案内していました。まぁよく利用する人にとっては「大和八木」「大和高田」って言わなくてもわかるんだけど、そうじゃない人もいるからということなのかな。個人的には、なんだかなじめない・・・。 話を戻して、このパタパタもそのうち見られなくなるのかなと思って記録しました。
2023年01月19日
コメント(2)
少年のように、目をキラキラと輝かせる男性。アメリカのエマニュエル駐日大使だ。 大使は17日、千葉県の房総半島を走る小湊鉄道に乗り、ローカル線の旅に出た。車窓に広がる田んぼや養老川など、美しい風景に感激の様子の大使。 一方で、興味は、ほかにもあるようで...。 アメリカ・エマニュエル大使「線路の幅がすごく狭いですね」 担当者「ジャパン スタンダード サイズ」 アメリカ・エマニュエル大使「ほか(の国)とは違うんですね」 マニアックな指摘をする大使。 さすが、“乗り鉄”。【FNNプライムオンライン】 駐日アメリカ大使のエマニエル大使が「鉄分多め」というのはこのブログでも紹介しました。京浜急行電鉄で横須賀へ行ったり、阪急電鉄の車両のシートに感動したりとなかなかの「鉄分多め」の大使ですが、今度は非電化ディーゼルの小湊鉄道を利用されたとか。 私も過去に乗車したことがありますが、なかなか車両も古くて懐かしいし、沿線の風景もローカルムード満点でいいところです。さすが鉄分多めの大使、目の付け所が違いますね。 紹介されていたニュース映像を見ると、大使が少年のように目を輝かせて車内や走りある風景をご覧になっていて、本当に鉄分が多い方なんだなぁって思いました。 わが国には赤字で苦しむローカル線が多いわけですが、そういったところもご覧いただいて応援してもらえればいいなぁって思いました。
2022年12月20日
コメント(4)
今日は午前中に休みをもらって、来週出張予定の場所のロケハンに行きました。その際に、関西本線加茂~柘植間を移動しました。 JR難波~加茂間は電化されて「大和路線」の愛称がついている関西本線、加茂以東は非電化区間となりまして、写真のキハ120系が使われています。地方の非電化ローカル私鉄が導入しているレールバススタイルの車両です。かつてこの区間は急行列車も運転されていた路線ですけど、今ではこんな感じです。 加茂を過ぎるとローカルムード満点の情景が広がります。 ちなみに、この日は月ケ瀬口~島ヶ原間で列車が急に停車。何事かと思ったら運転手からまさかの車内放送が・・・。「トンネル内に鹿がいるため徐行運転しています」 をいをい、そんなところに鹿がいるのか?! 列車はタイフォンを鳴らしながらノロノロと進んで行きますが、トンネルの中は動きにくいのかすんなりと行かないのです。トンネルを抜けても切通区間で逃げることができないのか、ようやく写真のあたりで線路外へ逃げたようです。(写真は列車の最後尾から撮っています) それにしても、トンネル内で鹿を跳ね飛ばさなくてよかったですよね。 そんなこともあって、柘植には5分遅れで到着。反対側のホームには加茂行きの列車が停まっていました。 私は柘植から草津線を経由して大阪へと向かいました。 ところで、草津線の列車の発車を待っていると、反対側のホームに見慣れない車両がやっていきました。2両編成で亀山・名古屋方の車両の屋根にはモニター類がいっぱい載っています。それに、奈良方の車両の屋根にはパンタグラフがあるのに、ディーゼルエンジンの音もするし・・・。 調べてみると、DEC741形という車両で電気計測、線路設備の測定を行う総合検測車だそうです。かつての443系の置き換えとして2021年に登場した車両とのこと。思いがけない車両に出会えてびっくりでした。
2022年12月16日
コメント(1)
先日、紀伊田辺への出張の際には、特急「くろしお」で往復しましたが、帰りに乗った特急「くろしお28号」は287系のパンダ仕様でした。 個人的には、奇抜なデザインだなぁって思う外観ですけど、どうなんでしょう? 車内もパンダがいっぱい。座席カバーもパンダだし、菅通路のところにもパンダが描かれていました。 関係ないですけど、私が座った座席は一人席。だから、前の席との位置関係が変な感じでしょ? 横に他の人は座りませんから、普通車ながら贅沢な空間でした。 さて、キャラクターつながりでJR西日本にはパンダ仕様の「くろしお」だけでなく、関空特急「はるか」にもキティーちゃん仕様があります。 外観の写真は撮っていないのですが、車内にはこのようなキティーちゃんが描かれています。よく見ると、キティーちゃんが舞妓さんになっていますね。 座席カバーにも舞妓さんのキティーちゃんです。 キティーちゃん好きには人気なんでしょうね。 ところで、この「はるか」を利用したのは新大阪~天王寺間の短距離だけだったのですが、東京からの移動で荷物が多かったので、大阪駅での雑踏を避けるために利用しました。JR西日本ではチケットレスで利用できる区間があるので、それを利用しました。
2022年12月14日
コメント(2)
東京メトロでは現在、10枚分の運賃で11枚つづりの「普通回数乗車券」、12枚つづりの「時差回数乗車券」、14枚つづりの「土・休日割引回数乗車券」を発売していますが、2023年2月28日を最終発売日として販売を終了します。【ねとらぼから引用】 かつて大阪市交通局(現 大阪メトロ)でも11枚綴りの回数券がありました。もう結構前になくなってしまったのですが、東京メトロでは令和の今でも現役だったんですね。それは知りませんでした。そういえば、私が就職して初めて東京へ行った1986年当時も地下鉄の改札口は、自動改札機がないところがありましたから、なんだか大阪から見れば「東京なのに時代が遅れているのか?」って思いました。 さて、私も就職してその紙で綴られた回数券をよく使っていました。たしか区間別に販売されていて、「1区間用」「2区間用」というような感じだったかな? だから、例えば通勤で使用する「天王寺~天満橋」用の2区間用の回数券を「淀屋橋~天王寺」で使うこともできました。国鉄(JR)の場合は「天王寺~鳳」のように区間が予め定められているものでしたから、交通局のパターンの方が使いやすいと思っていました。 そんな便利な回数券も、交通局ではわりと早い時期に磁気化券、要するに現在のような自動改札機に投入できて一枚の磁気化券で3000円分利用可能というものとなりました。これは今でも発売されていまして、これはこれで便利なものとなっています。バラバラにならないし、思わず洗濯してしまっても紙のように悲惨なことにはなりませんからね。 でも、紙の場合は「一度に複数人利用可能」だったんですよね。3,4人で使う場合は、それぞれ切り離して使うことができたんですけど、磁気化券では予め自動券売機で必要枚数を切符にする必要があるので、なかなか面倒なんですよ。 あと、これは大阪だけなのかもしれませんが、混雑する自動券売機に並ぶ列の近くでこの回数券をバラして販売するおばさんたちがいたんです。これは市電時代からこのようなおばさんがいたそうですけど、このような商売をしていた人がいるって、商魂たくましいなあって思いました。紙で綴られた回数券だからこそできたことなんですけどね。 紙の綴られた回数券がなくなると、大阪のような磁気化券になるのか、そもそも回数券自体がなくなるのかわかりませんけど、今のようICカードが普及するとこちらの方が便利じゃないかなって思うんですけど、どうなんでしょうか。
2022年11月01日
コメント(4)
先日紹介したJR京都線長岡京駅前には、蒸気機関車の動輪の他に鉄道車両が保存されていました。それも少し変わった車両です。 さて、この車両は何でしょうか? 鉄道ファンの方はおわかりでしょうけどね。 これは、貨車の車掌車です。車掌車とは、かつて国鉄時代に貨物列車の最後尾に連結されて、貨物列車の状態を確認する車掌が乗るための車両だったです。 こんな小さな車両が貨物列車の最後尾にぶら下がるように連結されていたのを覚えている方もおられるでしょう。 この車両はヨ8000形で、1974~1979年の間に1170両が製造されて、全国の国鉄線の貨物列車で見ることができました。鉄道車両といえば、横から見れば長方形になっているものが多いのですが、このヨ8000形は凸型になっているのがユニークです。 国鉄分割民営化の前後から貨物列車はコンテナ列車に代わるとともに、車掌車の連結が省略されるようになり、ヨ8000形も余剰となって他の車掌車とともに廃車されてしまいました。 その後は、用途を変えながらも鉄道車両として残ったものもありますが、廃車解体されたものがほとんどでこのように保存されているものは少ないようです。 この長岡京駅で保存されているこの車両の車番はわかりません。また、屋根がないので老朽化が気になりますが、長く展示してくれればいいなぁと思いました。
2022年08月18日
コメント(2)
先日の広島への移動は、青春18きっぷを利用したことは書きました。青春18きっぷは5回分使えるようになっているのですが、とても5回分使う予定が立ちませんでした。そこで、残り2回分となってからチケット屋さんに売却することにしました。過去にも売り払ったことはあるのですが、その辺は事情に詳しい職場野球部の監督のM55さんに相談したところ、「チケット屋さんに売却するなら、複数店を回ってみること。その手間を惜しむと安いところに売り払うことになる」とのことでした。 そこで、チケット屋さんがたくさん店を構えている梅田の地下街へ。第一ビルから第四ビルにかけてたくさんのチケット屋さんがあるのですが、その中で地下二階にあるお店をいろいろあたってみました。安いところは2120円、そのほかのお店は概ね5200~5500円のところが多かったです。その中で、5800円というところが2店もありました。それ以上はなかなかなかったので、そのうちの1店で売却しました。当たり前ですが速攻で5800円を現金でもらえました。 その結果をM55さんに伝えると、「5800円ならかなり高く買い取ってくれている」とのことでした。売却した時期がお盆前だったこともあるのでしょうけど、いいタイミングだったのかもしれません。一枚当たり2900円で売却できたわけですが、青春18きっぷは元々一枚当たり2410円ですから、額面以上の額で売却できたことになります。ちなみに、この買い取った青春18きっぷの売値はおそらく7000~8000円になるのではないでしょうか。どのお店も2回分残りを販売しているところはなかったようなので、私が使っていた青春18きっぷも秒で売れているかもしれませんね。
2022年08月13日
コメント(4)
広島へ行ったときに利用するのが路面電車の広島電鉄(広電)。今回も八丁堀や本通まで利用しました。八丁堀や本通までなら、路線バスも利用するのですが、今回は広電で移動しました。 これは、広島駅から出発して一駅目の猿猴橋町電停です。この写真の後ろが広島駅になるのですが、現在工事中、この広電の線路が広島駅の改修時に高架線路として乗り入れるとか・・・。 猿猴橋町電停に停車中の広電1900形です。京都市電1900形が移籍してきたものです。京都市電当時のスタイルとは少し変わっていますが、他に大阪市電や神戸市電などからも移籍してきたものもありましたけど、相当数が引退してしまいました。でも、京都市電だったこの1900形は全車残っています。これは、出口のドアが広いということで扱いやすいということもあるようです。 この1900形は京都にちなんだ愛称が一両ずつつけられています。1915号には「鞍馬」の愛称がつけられています。 ところで、京都市交通局が今年110周年を迎えたということで、元京都市電だったこの1900形にもヘッドマークが付けられています。京都市営地下鉄にも同じようなヘッドマークが取り付けられていました。
2022年08月06日
コメント(0)
先日の職場の野球部の試合へは、休みを取って移動しました。いつもなら車で移動するのですが、今回は必要な荷物は若手に任せて、私は単独で青春18きっぷを使ってのんびりと一人旅をしながら行くことにしました。 ルート的には、「王寺~大阪~姫路~相生~瀬戸~糸崎~西条~広島」と乗り継ぎを重ねて広島まで行きました。広島まで待ち時間を入れて8時間の旅です。まぁ8時間ずっと座りっぱなしではありませんけどね。このうち、王寺から姫路や相生までは仕事でも使うのであまりワクワク感もないのですが、それ以遠は久しぶりの利用ですからとても楽しみでした。 その楽しみの一つが車両。相生から岡山、糸崎間の山陽本線には塗装やスタイルが変わっているものの、国鉄当時からの車両が今でも数多く運用されているんです。それも来年度から新しい車両に置き換わることが決まっているので、「行き交う車両全てが国鉄当時の車両」というのは今がチャンスなのです。 前置きが長くなりましたが、早速姫路駅では普通播州赤穂行の列車が国鉄当時の車両でした。 しかも、岡山地区を中心に活躍している115系ではなくてかつて京阪神で活躍していた113系でした。これに乗って相生駅であわただしく普通岡山行きに乗り換え。 その列車は115系の6両編成で3両編成を2編成つないだものでしたが、岡山寄りの車両が国鉄分割民営化前に東京の三鷹電車区から岡山電車区へやってきた115系300番台という貴重なものでした。塗装はすっかりと真っ黄色になっていますけどね・・・。 ただ、車内は国鉄当時を思わせるような青っぽい室内色と向かい合わせのボックスシート。窓も二弾窓で、貫通扉も原形のものが残っていました。それに、懐かしいモーター音を響かせながら走るのは当たり前のように見られたものなんですけど、そういうのもこの岡山地区のみとなっています。 そんな貴重な編成を含む普通岡山行きを途中の瀬戸駅で乗り換え。この瀬戸駅始発となる普通糸崎行きで乗り換えで混雑するであろう岡山駅を座ったまま通過することとしました。ただし、この瀬戸駅で30分ほど待たなければなりませんでしたが。 ちなみに、この編成の岡山方の先頭車の車番は「クハ115-1234」となっていました。 瀬戸駅では、岡山方面からの普通相生行きが夏空の下をやってきました。 そして、普通糸崎行きと並びました。こういう光景が見られるのも今のうちだけ。引退の日が近づくと撮り鉄・葬式鉄の連中がやってきますからね。普段の光景が見たければ今がチャンスです。 さて、この普通糸崎行きは4両編成だったので、やはり岡山駅からは大勢の人が乗り込んできていっぱいでした。その乗客も倉敷駅と福山駅までがほとんどでした。 それにしても、普通列車でのんびりと移動するのはいいですね、車は車で楽なんですけど、こういう光景を見ながら、そして国鉄当時の車両で移動するって個人的には今しか味わえないとてもいい旅だなぁって思いました。もちろん、今の車両の方が乗り心地はいいでしょうけど、古い車両には古い車両の振れとにおいがいいんですよ。 そんな旅も糸崎駅で終焉となりました。 岡山からの普通列車はほとんどがこの糸崎で広島方面の列車に接続していて乗り換えとなります。 私もこの広島地区の新しい車両の227系に乗り換えて、西条まで行きました。そして用事を済ませてさらに広島まで移動したのでした。新幹線ならあっという間の移動だし、車でも5時間くらいで奈良から移動できるのですが、広島に到着したのは15時半ごろでした(笑)。
2022年08月01日
コメント(0)
先日、西神中央へ買い物に行きました。奈良から西神中央、かなり遠いのですが妻がお気に入りのパン屋さんがあるんです。確かに安いのにとてもおいしい、こんなお店が奈良にもあったらいいんですけどね。 さて、そのお店の近くには神戸市交通局の車庫があるんです。中に入って撮影することができないので、フェンス越しの撮影です。 左から神戸市交通局の1000形、その右の2編成が6000形、一番右が7000形です。 1000形は1976年に運行開始、かつての神戸市電のような塗装ですが、来年度には姿を消すとか。それを置き換えているのが6000形です。 7000形は、新神戸~谷上間の路線だった北神急行電鉄からの譲渡車両で、同区間が神戸市交通局へ編入されたことでやってきたのですが、実際には神戸市交通局の車両と分け隔てなくこれまでも使われていたから違和感はないかと。塗装は北神急行電鉄当時のまま、車内は北神急行電鉄が阪急グループだったことから阪急の雰囲気が強い車両となっています。 ところで、この写真はフェンス越しにスマホで撮っていますが、実はこのフェンスの向こうに駐車場があってそこへは関係者以外立ち入り禁止なので、かなりひいた写真になってしまっています。 1000形が来年度に引退、7000形もどのようになるかわからないので、こういう何気ない写真も貴重になるかなと思って撮影しました。
2022年07月08日
コメント(2)
1月に着任したラーム・エマニュエル駐日米国大使が、Twitterで一部の皆さんから熱い注目を浴びています。その理由は、めちゃくちゃ電車に乗っているから。阪急電車に新幹線に、地下鉄千代田線。地下鉄のホームでは、通りがかったロマンスカー60000系MSEまで逃すことなく撮っています。 大使といえば普通、移動は専用車。ですが、エマニュエル大使は積極的に電車に乗り、楽しそうに感想をツイートしているのです。【Buzz Feed Japanから引用】 このブログでも取り上げたエマニュエル駐日大使、かなり鉄分が多い模様ですが、その後も新幹線や地下鉄千代田線、関西の阪急にも乗車されたようですね。ご本人へのインタビューでも、「鉄道が好きだから」とのこと。ご本人も自覚されているんですね。本文にもあったように、普通は警備のことを考えれば車移動が安全のはずなのに、時間が読める鉄道で移動する方がいいとお考えのようです。 また、阪急へ乗車したのは、神戸市長田区の湊川市場へいくためだったらしい・・・。ということは、阪急梅田から新開地で神戸電鉄に乗り換えて湊川へ行ったのかな? また、エマニュエル大使は阪急の車両の座席の座り心地に感動して、それを取り上げたところ、阪急電鉄の社長からその座席の生地をいただいたとか・・・。 ちなみに、その感動を「Hankyu very much!」と返したそうですけど、そのキャッチフレーズは、阪急ブレーブスの助っ人外国人選手だったブーマーさんがCMで使っているんだけどね・・・。 それはさておき、今度関西へお越しになるのであれば、次のようなルートはいかがでしょうか? 東京~(東海道新幹線)~名古屋~(近鉄 火の鳥利用)~大阪難波~(阪神 快速急行)~西宮~(阪神5000系ジェットカー乗車)~御影~(特急または直通特急)~新開地~(神戸電鉄)~湊川 ポイントは二つ。一つは名古屋からの「火の鳥利用」。近鉄が誇る最新の特急ですからね。警備のことを考えたらビスタカーの一階席かもしれませんが。 もう一つは、西宮からの阪神ジェットカーに乗車して日本一の加速を感じてほしいし、御影駅は線路がカーブしているところに駅があるのをご覧いただきたいと思います。 まぁ、私のブログなんてご覧になっていないと思いますが、以上のようなことを提案したくなりました。
2022年06月08日
コメント(2)
全449件 (449件中 1-50件目)