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2017年12月03日

起業家って凄い・・・と面白く読むことができた「渋谷ではたらく社長の告白」藤田 晋

72時間ホンネTVで話題になった感がある、 AbemaTVの社長、藤田晋さんの本です

発刊から結構な年数が過ぎていて「今頃読むのは遅いかな?」と思ったけれど、そんなことは全くありませんでした。
面白い本でした。

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↑表紙の藤田社長・・・わ、若い!
AbemaTVでよく拝見する今の藤田さんとは全然違いますが、このような若い時から全力で闘ってきたのかと思うと、脱帽です。。

総論的な感想。


「渋谷ではたらく社長の告白」 というタイトルが示すとおり、渋谷=ITベンチャーの集積地で働く社長のありのままの姿が書き出されています。
藤田社長が上京する前から始まり、大学時代、バイト時代、就職そして独立、上場とその後までを物語のように読むことができます。

藤田さんは若くして上場し、300億円の個人資産を得たことで一躍有名になりました。
私は単純に「若くして大金持ちになって、恵まれた凄く幸せな人生だなあ」と考えていました。
しかしこの本を読むと、それはいかにも無邪気で想像力のない考えだったことに気付かされます。

確かに「若くして」「大金持ちになった」ことだけを切り取ると、それは幸運で幸せなことでしょう。
でも本の中で書き出されていた光景はそんな単純なものではありませんでした。

成し遂げた人の想像を超える苦悩、修羅場、激務、挑戦を超えた先に死に物狂いで手にした成果だということ。
特に創業期では、遊び、彼女ーーー仕事以外のものは全て投げ捨て、文字通りその身を捧げていました。
そんなことが自分に出来ただろうか?出来るだろうか?そう考えると、自然と読み進める手に熱がこもりました。

創業当時の勢いのあるシーンの描写は熱狂が伝わってくるようで、こんな生き方も楽しそうだ、とつい感化されてしまいそうです。
ネットバブル時の勢いや、また、バブル後の逆風の凄さもありありと伝わって来るようでした。
「そんなのあり?」みたいな面白エピソードもあり、度肝を抜かれます。

と、こんな感じで全体を興奮しながら読むことができました。
藤田さんのストレートな文章に生々しいリアリティを感じながら、未来を切り開くパワーすら感じる本でした。

それと「起業家」というものの印象が大きく変わりました。
以下にこの本を通じて起業家について感じたことを書いておきます。

起業家について


読み進める中で、正直に起業家って凄いと思いました。

起業と経営には、嫉妬、逆風、離反・・・人間がもたらすあらゆる負の要素を浴びながら、それでも正面から戦い続ける体力と気力が必要なんだなあと。
それらを備え、戦い続けられる人が「起業家」なのだと。

読んでいて読者の立場ながら辛くなることもありました。
株価低迷時の描写では藤田さんの苦悩、迷走、しんどさが息遣いとともに伝わってくるようでした。
例えば、投資家への対応なんていうのは起業家の姿として想像したこともありませんでしたが、割と大変な仕事で、それこそ身を骨を、神経をすり減らすような大変さがあるのだということが伝わってきました。

それと藤田さんの視点から描かれる宇野さん、三木谷さんといった他の経営者も凛として格好良かったです。

厳しい四半期決算を前に「なんとか黒字は確保しなければとは思っているのですが・・・」と話す藤田さんに対して三木谷さんはこう言いました。
「いいよ、そんなの。もっと中長期の経営を目指してるんだろ?」
「だったら、自分の信念を貫けよ」
この言葉は揺れていた藤田さんの心情に突き刺さり、強さを与えたように思います。
出資者としては当期のリターンが得られない経営に腹を立ててもおかしくない状況です。
自分の信念を持っているからこそ言える一言なのでしょう。

胆力、信念。
そういった強さを備えた人こそが経営者であり事業家なんだなあ、と痛感させられました。
(そういえば「人生の勝算」(前田裕二さん)の中で、DeNA創業者の南場さんが「実業には胆力が必要」と話していたことを思い出しました。)

まとめ


今をときめくサイバーエージェントの藤田社長の生き方、考え方を追体験できる面白い本です。
ベンチャービジネスに興味がある人、「社長」や「起業家」に興味のある人はとても楽しく読めると思います。

posted by 霧島もとみ at 2017年12月03日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:人物

2017年10月17日

スケールが違う・・・これがギャンブルか!と圧倒される「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 」井川 意高

「東大から刑務所へ」を読んで井川意高さんに興味を持ち、続けて購入しました。
井川さん自身についての記述は比較的さらりとしたものだったので、もっと突っ込んだ話を知りたいと考えたわけです。
(〜〜ですな。という井川さんの語尾は読みづらかったですけど・・・)

さて、熔ける。です。


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この本はその「知りたい」欲求を十分に満たしてくれました。

井川さんの創業者一族に生まれた人間の半生や、経営者としての姿、そしてカジノにのめり込み負けていく様子がありありと描かれ、ぐいぐいと引き込まれました。
ギャンブルで身を崩していく人間の行動や思考が生々しく伝わってきて、テーブルを前にした息遣いが聞こえてきます。
リアルに疑似体験をさせてくれます。

ところで、大きな誤解をしていました。
ギャンブルで溶かした多額の金は、グループ企業から借りて、全部ドロン!返せません!だと思ってました。

ですが、ギャンブルで溶かした資金は全て自分の資産で返済済みということでした。
そのスケールの大きさには「マジか!?」と度肝を抜かれましたが、それならこの事件に対する印象って大きく変わりますよね。

メディアではこの点は報道されなかったと思います。報道されていたのかな?私が気付かなかっただけかもしれませんが…。少なくともクローズアップはされてなかったとは思います。

この点、ギャンブル依存で家族離散になるようなケースとは意味合いが全く違います。
そういうケースでは「ギャンブルで多額の借金を作って返せなくなる」ことが主な理由になるからです。


事件後、本を出版したり、引き続き社会的な交流を続けていたりして「何故なのだろう?」と不思議でしたが、その理由が良く分かりました。

井川さんは溶かしたといっても「他人の金」ではなく、あくまで自分の資産。
106億8,000万円もの大金は「一時的に借りただけで後で返す」という認識だった訳です。
この点は多くの人が誤解したままになっているのではないでしょうか?

私自身も、そんな多額の金を個人が返せる訳ないよね!と色眼鏡で見ていたのかもしれないなあ、と反省です。

スケールが違います・・・。
色々な意味で凄い。

もちろん実刑が課せられたように違法行為であり、罪なことではあるのだろうと思いますけれど。

印象に残ったのは「まだ負けてない」という井川さんの言葉です。
人生やビジネスは勿論のこと、ギャンブルへの熱情は沸々とまだ滾っているのでしょう。凄い人です。

これだけの人物でもハマるギャンブルの恐ろしさに触れてみたい人、また、井川さんという人間に興味がある人はとても面白く読めると思います。

いやあ、熱い。
posted by 霧島もとみ at 2017年10月17日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:人物

2017年10月14日

アンパンマンのセリフは、最後まで言わない。なぜだろう。

テレビのアンパンマンのセリフは、最後まで言わないのが多いことに気がつきました。

バイキンマンがー、とか、
大変なことがー、とか
述語が略されていることが多いです。
何かとカッコ(◯◯◯)を付けないと話が通じないんですね。

僕はその表現は美しくないと感じました。
嫌だなあと。
でも理由があるはずだということでちょっと考えてみました。

想像がついたのは、
「尺」ルールではないだろうか?
ということです。

アンパンマンの一話はとても短いです。
丁寧な言葉を並べているとストーリーが途中で終わってしまう。
だから短く短く切っている。
そう考えると説得力があるように思えました。

見方を改めると、途中で言葉を切る表現も「尺に収めようと頑張っているんだなあ」と感じ方が変わりました。

面白いものです。
posted by 霧島もとみ at 2017年10月14日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年10月11日

伝えるための文章を書くことの本質に迫る!「10倍速く書ける 超スピード文章術」上阪 徹

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ブログを書きはじめて何年かが過ぎました。
その中で「書くことって難しいなあ」という感想を持っていました。

それは、ブログの記事を書くのに気がつけば一時間があっという間に過ぎていたり、その割には伝えたいことが上手く表現できずに力不足だと悶えたりすることがザラにあったからです。

そんな中で2つの問題意識を持っていました。
・速く文章を書けるか。
・伝えたいことを的確に表す文章が書けるか。

この本は、その問題意識にズバッと切り込む力のある本でした。

どんな本だった?


本の要点は次のことだと受取りました。

・文章はテクニックではなく、素材だ。
・素材を集めること、整理すること、文章に形作ること。書かれているのはこれらの内容に集約できる。


言われてみたらその通リで、当たり前といえば当たり前のことがこの本には書かれています。
でもそのことを当たり前と認識できていなかったのは事実です。
グサッ、と痛感させられました。

自分の書く姿勢を振り返って、「文章」という言葉を漠然とだけ捉えて、良く分からないイメージのまま書こうとしていたのだと思いました。
それは”何となく分かったつもりになっていた”ということです。
書くことの本質がよく分かっていないから、書いたものも何だか良く分からないものになってしまっていたのです。

いい気付きだなあと思いました。

書くことが確立出来ている人には今更という内容だと思います。
でも、私のように、
・速く文章を書けるか。
・伝えたいことを的確に表す文章が書けるか。
という悩みを持っている人には良いヒントになる良書です!

ついでに言うと、
・書きたいけど書きあぐねている。
という人にも背中を押す一冊になると思います。
読後の発見

タイミングよく至急の資料が必要になり、短時間で資料をまとめることがありました。
その時に改めて自覚したのが、同じように「素材を集め、整理して、文章にまとめる」というスキームを自分も持っていたことでした。
ただその認識は漠然としたもので自身の中で言語化していなかったので、本を読んだ時には気づかなかったのだと思います。

この本を読むことでその点が言語化され、明確化されたことを実感しました。
意味があった!と確信しました。
posted by 霧島もとみ at 2017年10月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:実用書

2017年09月10日

マギ 35巻 大高 忍 (※ネタバレ)

えっ、今頃?

という感のある、マギ35巻の紹介です。
またも見逃していました。
気付いたのはAmazonさんからの「36巻を予約しませんか?」という案内を見たときです。

36巻?
確か持っているのは34巻までのはずでは・・・ アッ!!
案の定、「マギ 35巻」で検索すると見事に発売中で、しかも見たことのない表紙。確定です。

慌てて買った35巻は、更に話がスケールアップしていく面白い内容でした。

シンドバッドの試練は続く


34巻での「バアル」の試練はジュダルが勝ち、35巻は「ヴァルフォーレ」の試練から始まります。
挑むのは白龍。

ヴァルフォーレは”虚偽と信望の信念”として白龍に問いかけます。
「理不尽な世界では何を疑い、何を信じるべきか」
白龍が出した答は 「自分意外の他人を信じろ」で、しかしシンドバッドはそれに納得せず、以降は2人の問答が続きます。

ここで注目したいのはシンドバッドが「自分を信じている」という話のくだりのなかで、「人は器の大きさも形も違う」ということを話すのですが、その際に描かれる”王の器”のカットです。
ここでは白龍の器が皇帝というものに耐えられなかった形として、器の中に溺れる白龍を描き出します。
シンドバッドが持っている「王の器」というイメージがそのまま具現化した形で示された。これを覚えておきましょう。

さて、2人の問答の明確な終わりは物語では描かれませんでしたが、その後ヴァルフォーレの迷宮が沈んだことで白龍が攻略したことが示されました。

続いて物語は第3の試練「ゼパル」に進みます。
挑むのはアラジン。
”精神と傀儡の信念”に対し、アラジンは自分の信念をぶつけていきます。

そう、これまでアラジンはどちらかというと観察者という立場だったと思います。
あくまで「マギ」という役割として、他人(王)がどうしたいのかを聞き、それに向けた行動を起こしてくというのが根本にあったと思いました。 しかしゼパルとの問答でアラジンが表したのは「観察者」ではない、一人の人間としての考えであり、信念でした。

この問答はグッと来ます。
ヴァルフォーレでの白龍もそうでしたが、アラジンのこれまでの「マギ」の物語で経験したことがゼパルへの回答の背景になっているからです。
アラジンの一言一言に、「そうだよなあ、あの時、そんなことを感じたよな」「こんなことを教えてもらったよな」という読者としての経験を一つ一つ呼び起こされるからです。

アラジン、成長したなあ・・・ということに感じ入る。物語の醍醐味です。

しかしゼパルとの戦いは終わりませんでした。
迷いを断ち切った面構えを見せるアラジンとゼパルの戦いはどうなっていくのか!?

と、ここで舞台は転換し、アリババとアルバの世間話へ。
一息付くのか?と思いきや、物語は唐突に動き出します。
アリババが語り始めたのは、これまで謎に包まれていた「死んだアリババが過ごした時間」の話でした。

そこは死後の世界


アラジンが語ったアルマトラン時代の死んだ人たち(の幻)が過ごす世界。
そこでは皆、呆然と自分の過去を眺めていたり、石を積んだりして、特に何をするでもなくただ時間を過ごすだけの真っ白な世界でした。

ワヒードやセッタ、焼け死んだテスも元気な(?)姿で過ごしていました。
テスの元気な姿にはちょっと心が癒やされました。

ここで描かれたのは、無気力になっていたアルマトランの人間たちが、アリババの言動によって次第に考えることを取り戻し、アリババを帰還させるための「大魔法」を作っていくというエピソードです。
怠惰だけが流れていた空間が、人々が作り出す熱で次第に満たされていく光景は何か胸に染み入るものがあります。そしてそれを作り出したのは他でもないアリババ。アリババの凄さが描かれたエピソードでもある訳ですね。

そう、自分では何もしていないんですよね。
「元の世界に戻りたい」という意志はあったものの、次元をつなげる大魔法を考えたりとか、次元をつなげるという事象を知っていたりしたのは全てアルマトランの人間たちです。アリババのハニワを作ったのもアルマトランの住人。アリババは何もしていない。
でも、このアルマトランの人たちはそれまで何もしていなかった。
ただ時間を過ごしていただけ。
その人間たちを巻き込み、その気にさせ、熱を与え、やがて自ら熱を発せさせる存在へと変えていく。
そして誰も出来なかったような凄い結果を導いていく。

凄いよアリババ。
どこか頼りない姿で描かれていて、「なぜこの男が主人公なのだろうか?」と不思議に思うこともありましたが、このエピソードを読んで確信しました。

物語の中心としてこの世界を導いていくのはこの男、アリババだ。

それも超人的な「強さ」「知識」で導くのではなく、対話と情熱によって周囲の人間を巻き込み、力を出させていくという手法によって。
淡々と物語は進んでいきますが、胸の熱さは滾々と高まっていきました。

この世界を旅立つ時、ワヒードが「まるでアイツのよう・・・」と例えたのはダビデのことですが、これが意味するところも気になります。
でも「特異点だった」ということで済ませるのは何だか嫌です。腑に落ちません。
何か違う形でアリババのことを表現する時がきっと来るのだと思いますが、大高先生に期待して待ちたいと思います。

そしていよいよ核心へ・・・?


物語は第四の迷宮「フルフル」へ。
気力をなくして何だか投げやりなアルバをよそに、アリババはシンドバッドと対峙します。
ここでアリババが言い出したのが
「別の作戦を思いついたんですけど!」
という言葉。

聖宮編での物語は、「全世界をルフに還して上位の神に戦いを挑もうとするシンドバッド」と「それを止めようとするアリババたち」との戦いとして描かれていました。全く真逆の目的を持つ者たちによる真っ向勝負の図式です。
しかしここでアリババが提案したのは、そのどちらでもない別の方法であり、方向性と可能性。

その鍵としてアリババが確信しているのが、アリババがアルマトランの世界から戻ったときの「大魔法」と、それともう一つ。
アリババが自分で言葉にした、
「でも、みんなでやればシンドバッドさん一人より・・・アルバさん一人より・・・ものすごいことができると思うんですよね。自信があります!」
という、みんなでやればものすごいことができる、という考え方。

まだゼパルとの戦いを続けていたアラジンを呼ぶことをシンドバッドに求め、アラジンを巻き込んだ論争が始まります。
更にはウーゴまでも登場し、次元を繋がえる大魔法について、また、別次元との交渉についてなど話はどんどん発展し、いつしかシンドバッドは「ルフを還して上位の神に挑む」という考えから離れた「次元間の同盟」という提案を示します。

ニヤッとするアリババ。
その事実に気付いたシンドバッドの脳裏に浮かんだのが35巻最後のコマ。
それは一つの器の中の存在となっているシンドバッド自身の姿でした。

ヴァルフォーレとの戦いでシンドバッドが白龍に対して同じく「器」のビジョンを示したことから、シンドバッドが「人間の器の大きさと形」としてこの「器」のビジョンを持っていることが示されていますから、これは間違いなくシンドバッドの心象風景だと言えるでしょう。

自分自身が「器」だと考えていたシンドバッドにとって凄い衝撃だったと思います。これが事実なのか、それとも一瞬の錯覚なのかは36巻以降に明らかになっていくでしょうが、今までの物語からは想像できない絵です。

この器のコマ、なかなかに意味深です。
器の主人であるアリババの姿が一番小さい。アルバやアラジン、ウーゴ、シンドバッドの方が大きく描かれているんですね。一番大きいのがシンドバッドだったりする。
一人ひとりの能力の大きさや強さが全てなのではない。
大勢の人間の力を一つにまとめていくことが、本当の強さであり、王の器なんだという大高先生のメッセージが込められている気がします。

いよいよ物語の核心が見え始めてきた35巻。
世界の壁を巡る論争はどう決着するのか。
アリババに自分以上の器を認めてしまったシンドバッドがどういう行動に出るのか (以前にアラジンに対して「チッ」という舌打ちをしたこともあったので、キレてしまうのかもしれませんが・・・)

36巻の発売日を忘れずに待ちたいと思います。

今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 33巻&34巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 32巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by 霧島もとみ at 2017年09月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2017年08月25日

ドキドキしながら仕事してる?のキャッチコピーが笑えなくなる。「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」西野 亮廣

言わずと知れた キングコング西野さん の著書です。

実は私、西野さんのことをよく知りませんでした。
主にテレビなどでかじった情報から持っていた西野さんのイメージは、おおむねこのような感じでした。

・はねトびで有名になった。
・M1のファイナリスト
・アメトーークの「好感度低い芸人」に出演、いじられっぷりがめちゃくちゃ面白かった。
・ツイッターやブログがよく 炎上 する(させる?)。
・絵画の個展を開いたり、絵本を作ったりと芸人なのに芸術家気取り。


これらを通じて西野さんに抱いていた印象は、
”芸人なのに「ちょっと俺は違うんだよ」というスタイルを見せようとしている人”
ということでした。

その印象はアメトーーク!の 「スゴイんだぞ!西野さん」 の回で完成形を迎えました。
東野幸治さんが目をキラキラさせながら「ドキドキしながら仕事してる?」のキャッチコピーを読み上げた時には、「相当な破壊力を持ったギャグ」として完全に私の中にインプットされてしまいました。

ドキドキしながら仕事してる?(プッ・・・)

私もテレビの前で笑っていた一人です。
でもこの本を読んでからは全く笑えなくなりました。

なぜなら、言葉が刺さったからです。

このキャッチコピーは、西野さんが人生をかけて取り組んでいること、これから先の時代を見通そうとした鋭い観察眼から放たれる読者への問いかけ、一緒に行こうよという呼びかけ、それらの色々なエッセンスがぎゅっと濃縮されて・・・読者を撃ち抜くために狙いすまし、選び抜かれた一言でした。

というわけで少しだけ本の紹介をしたいと思います。

どんな本だった?


西野さんのストレートな思いが込められた本でした。

感じたのは、とにかく西野さんの姿勢が一貫しているんだなという事です。
それは 「世界の誰も見たことがないモノを作りたい」「とにかく面白いことをしたい」という夢

書中には色々なエピソードや、行動の裏にある西野さんの様々な考えが書かれています。
それらは全て西野さんに取っては手段であったり表現であったりするのですが、芯で支えとなっているのはこの2つの夢なんだなあということを感じるんですね。

そういえば書中に 「魔法のコンパス」が何かということは具体的に触れられていなかったように思いました。
周囲の言動に左右されず、自分自身の夢や目的を明確に持つこと。
信じ抜くこと。動くこと。

それが西野さんが言う「魔法のコンパス」なのだろうと思いました。

そのコンパスに支えられた西野さんのものの見方はとてもクールで面白く、かつ時代の的を得ているように感じました。
「目からウロコとはこのことか」と何度も感じさせられます。

ドキドキしてる?は、決してキザなギャグなんかじゃない。
真剣に生きようとする読者の心を刺してくる、実体験に支えられたスゴイ本でした。

読むことで得られたもの


まずは自分自身のコンパスをしっかりと心に持たなければならない、という気付きを得ました。
このことは、最近読んだ前田裕二さんの「人生の勝算」でも強く印象に残った事でした。

そのうえで時代や状況を見つめ、起きている現象を分析し、どんな手法が取れるかということを考え抜いていく必要があるということ。

そのためにはトコトン好きになること。

この3つの気付きが、読むことで得られたことの大きなモノだったと思います。
あとは、西野さん自身を知ることができました。これまでテレビを通じて持っていた印象とはまるで全う違う人物で、驚きました。
いやいや本当に、ちょっとテレビを見ているだけでは全然分からないことばかりです。西野さん相当凄いことをやっていますよ。

こんな時にまた読みたい


文章はとても読みやすく、分量はけして多くないので気軽に読める本ですから、リビングに置いておいてちょっと時間があるときに繰り返し読もうと思います。
表紙も洒落ているので丁度いいですね。

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”炎上”イメージとは程遠い、本棚に飾っておくだけで希望と優しさが溢れてきそうな柔らかいイラスト。


情報化が一気に進み、人々の暮らしや行動が大きく変わっている中、これから先にどんな世界が待っているのかということに思いを馳せるときに是非読んで欲しい一冊です。
戸惑いや不安を抱えている人には特に読む価値があると思います。

面白いですよ。

ドキドキしたい。自分も。

2017年08月13日

iPodは使用できません・・・!?

iPod Touchのロック画面がこんなことになっていました。
見慣れた画面ですが何か違和感が・・・

FullSizeRender 5.jpg

ん!?
い、いちまん・・・
19,002分!?


イマイチぴんと来ないので計算してみました。

19,002分÷60分÷24時間= 13.20日

何と気の長い。
どうすればこんな長いロックがかかるのか・・・謎です。

今風に言えば「これって妖怪のしわざだよね」ということかもしれません。
解決するにはウィスパーに聞いてみないと駄目かも。
ケンタくんお願いします!

もう一度画面を見てみました。
一応、カウントは進んでいるみたいです。
気長に待つしかない・・・ということらしいです!

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posted by 霧島もとみ at 2017年08月13日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年07月09日

努力不要論——脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本 中野信子

脳科学者の 中野信子さん の本です。

Amazonで検索したら自分が買った本と表紙が違っていました。手元の本を捲ってみると、内側にもう一つの表紙が。なるほどリメイクしたんですね。

新しい表紙は黄色をバックに「努力したら負け。」というフレーズが本の真ん中にタイトルよりも大きくバーンと書かれています。著者の中野さんの笑顔の写真も添えています。

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一方、元々の表紙は紺色に「努力不要論」というタイトルを中心としたシンプルなもの。

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こうやって比べて見てみると、その差は明らかです。
元々の表紙だったら書店で手にとっていなかもしれないですね。いやいや、ジャケットって大切ですね。

さて、本の内容です。

この本を書店で手に取ったとき、 自分がどちらかというと「努力論者」かもしれないという考えが浮かびあがってきました。同時に、 それが自分を窮屈にしている一つの要因かもしれないと連想しました。

「この真逆の考え方は、今の自分に必要な考えかもしれない」
「中野信子さんの分かりやすい解説なら読んでみたい」


書かれていた内容は、やはり今の自分にとって必要なエッセンスでした。
以下、感想です。

どんな本だった?


タイトルの「努力不要論」の意味するところとしては

・”無駄な”努力は不要だ
・努力のための努力は害だ


ということが大きいです。
「報われる努力(=成果が出ること)こそが本当の努力」だと中野さんは書いています。
目的の設定、戦略の立案、実行というプロセスがそのためには必要で、それをしない努力は間違いだと。

この当たり前とも言えること、でも日常の中で忘れがちであったり見過ごしがちであったりするこのことを、中野さんは指摘します。その根拠として挙げられているエピソードや、添えられる脳科学的エッセンスに「なるほどなあ」と納得させられてしまう構成です。

その中でも 「努力中毒」「努力は人間をスポイルする」の解説 は、まさに今の自分に刺さる内容でした。
今の自分は「努力中毒」の状態に近いものがあるかもしれないとじわりと汗をかきました。

読むことで得られるもの&どんな人にオススメできる?


「努力は尊いものだ」という思い込みのようなものが自分の中にあったことを気付かされました。
その思い込みは、何となくですが、日本の社会全体の中にもあるような気がします。

この観念を一旦ニュートラルに整え、成果を出すための本来の方法論はどうなのか?ということを考えるきっかけが出来たと思います。
「努力が尊いもの」という思い込みは、努力が本来どうあるべきかという観念から目を逸らさせ、ただただ目の前のことに取り組ませるという盲目的な姿勢になるのだなあと思い知らされました。

その背景にあるものが「成果を出す」という目的に向かってのものなら良いのですが、ただただ「自分は頑張っているんだという快感」を得るためのものにいつしかすり替わり、その結果、成果を得ることは難しくなるどころか、様々な弊害を生み出している・・・。

そんなの駄目じゃん!
思考のモヤが切り払われたような感覚すらありました。

努力という言葉、概念に惑わされては駄目。

「自分は頑張っている」という意識を持っている人、さらに言えば、「自分は頑張っているのに・・・」という不満を少しでも持ったことがある人 ・・・ つまり今の自分自身に強くオススメできる本でした。

そういう事ってあるかも・・・と感じた人は、ぜひおすすめです。

中野さんの本は何冊か読みましたが、どれも分かりやすく、科学的な背景も添えられているのでとても面白く読める本ばかりです。凄いなあ。

2017年07月03日

マギ 33巻と34巻 大高 忍 (※ネタバレ)

ごめんなさい。

これはマギという作品と、作者の大高忍さんに対してのお詫びです。

私は、大好きなマギを読んだ感想を書くことを 「仕事が忙しい」 を言い訳にしてずうっと引き延ばしていました。もちろん、発売日に買って、何度も読んでいます。しかし「さあ感想を書こう・・・」と思う頃にはもう寝なければ睡眠時間を確保できないという状況になってしまい、頭も回らないし明日しよう、明日こそ、今度こそ明日は・・・ そして気が付けば今日。

今日こそはそんな自分に区切りを付けなければ!
ということで大変失礼とは承知で33巻と34巻の感想をまとめて書こう、ということにした次第です。

ごめんなさい。

聖宮にたどり着いたシンドバッド。そして・・・

33巻では、シンドバッドが遂に聖宮へ挑みます。
世界の運命の流れが次第に自分の感覚から外れた方向へと流れていくことに焦燥したシンドバッドは、アルバに誘われ、そして 自分の「ただのひとりの人間として」の真の強欲を悟り 、望みのままに聖宮への進入を試みました。

それを阻もうとするのは聖宮の管理者であるウーゴ。
シンドバッドが次々と魔装を切り替えて聖宮の罠を排除していく様に心を踊らせたのも束の間、 残酷なまでの圧倒的な力を見せつけてウーゴはシンドバッドを潰します。
全く為す術もないシンドバッド。

えっ?
どういうこと?


と話の展開にちょっと戸惑いを感じたのはまだまだ甘かった。
どんどん「マギ」は話を加速させ、読者の感覚を次々と超越していきます。

万能の神と化したウーゴ。
ウーゴによって水槽の中に閉じ込められたイル・イラー(とダビデ)。
「彼は念願通り、下位世界を創っている真っ最中さ。」
いや、、、こないだまでイル・イラーの地上への再降臨を阻止するために皆必死に戦っていたわけなんですけど。。。
イル・イラーが再降臨したら世界は終わる!!みたいな勢いで危機感が全力で煽られていたんですけど。。。

それがこんなペットみたいな扱いに・・・
一体、どういうことなんだ!
と全然頭が理解できないんですよね。話のスケールが飛びすぎて。
そしてそれを噛み砕いて理解する前にまたドンドン話が進むんですよね。シンドバッドが復活してウーゴを超越して聖宮の管理者となり、世界のルフを書き換えて、それだけでなく世界をルフに還してさらに上位の神を超越することを目指したりして、世界中の人間が涙ながらに「ルフに還ろう!」「みんなで死にましょう!」「1000年後の未来のために!」とか叫んでいたりして。

正直、頭がついていけねえ・・・。
この世界の変わりようは一体何なんだ。
と感じたのは、きっと私だけではないはず。

そんな中でルフの書き換えの影響を受けていないのは、アラジン、アリババ、ジュダル、白龍の4人のみ。32巻で力を見せたユナンや過去の恨みを振り切った紅玉、頼れる仲間と信じかけたタケルも全員揃ってシンドバッドの仲間入り。
この絶望的な状況で、物語は一体どうなるのだろう・・・ とここまでが33巻の話でした。

超、絶望。
圧倒的絶望っ!!!
みんなのキラキラした瞳が怖い。

それが33巻の話でした。モヤモヤした気持ちを抱え、33巻を読み直してはまた絶望に陥り、ため息を漏らし、そうすること数ヶ月、ようやく34巻が発売された訳です。

アリババのトリガーを引いたのはモルジアナ。

34巻は、アリババとアラジンが「ルフに還る魔法を止めるため、シンドバッドに戦いを挑もう」というところから始まります。
アリババは何が正しいのか見えない混迷の中、戦いの前にモルジアナに会いに行きます。
アリババを出迎えるモルジアナの表情はいつものように真っ直ぐな思いをそのまま表した、強さの見えるものでした。
ホッ、と安心したのも束の間、そんなモルジアナから発せられたのは
「ルフに還るんですね。」
という絶望的な一言。 正直、私が泣きそうです。

アリババは言いました。
「私が死なせませんって、言ってくれたじゃねーか?」

そう、そうだアリババ。
私も覚えています。32巻の感想で書きました。
それにしてもモルジアナの返事が凄い。
いかにもファナリスらしいと言えばそうですが、こんなに力強いプロポーズへの返事を私は今までに見たことがありません。

「大丈夫、私が死なせません。」

この一言に、アリババを一度失ったモルジアナの悲痛な過去、鍛え上げた強さへの自身、二度と離れないという決意、色んな感情が秘められている気がしました。


きっとこのアリババの一言は、モルジアナの魂を揺さぶるに違いない!
そうだ!
今こそルフの鎖を解き放て、モルジアナーーーー!!
と全力で叫ぶ私。
そんな中、モルジアナが言った言葉は

「一緒に死んで、来世で夫婦になりましょう!!(嬉し涙)」

終わった。
何もかも終わった。私はこの瞬間に真の絶望の切っ先を突きつけられた感がしてワナワナと震えました。

だが震えていたのはアリババも同じでした。
ワナワナではなく、ブルブルと。
そして多分全ての迷いが吹っ切れたんだと思います。高らかに叫びます!

「戦うに、決まってんじゃねーか!!!」
俺の夢は、今をおまえと幸せに生きることだッ!!文句あるかバカヤローッ!!」

今までのアリババは、どちらかというと「自分がやらなければならない」「王子としてどうあるべきだろうか」「皆のためにどうするのが一番良いことなのだろうか」という考えが強かったと思います。
それがこの時は、100%自分の気持ちが言葉に表れました。
遂に自分自身を悟ったのだと思います。
そう考えると、33巻はシンドバッドが自分自身を悟った巻であり、34巻はアリババが自分自身を悟った巻ということになります。
そしてその悟りを導いたのはモルジアナという存在。

ああ、つくづくいい女ですよ、モルジアナ!

格好良いぞジュダル!

そんなこんなで、アリババとアラジン、白龍とジュダル。それに5人目の仲間としてネルヴァ。彼らが今度はシンドバッドの聖宮に挑みます。
ネルヴァ、いいキャラです。
堕転しているためルフの書き換えの影響は受けていませんが、その堕転の理由が「ジュダルに連れて行かれた田舎での強制労働」というのがまたショボい。ルフのビィビィという泣きがとてもシュールに響く。いやあ、いいキャラです。
31巻の「あいつはおだてられやすいボンボンといった感じの・・・」はここの伏線だったんですね。

聖宮での戦いはシンドバッドの7人のジンの試練=迷宮を攻略するという形で進みます。
第一の聖宮は憤怒と英傑の信念。

これを打ち破ったのはジュダルです。
そのジュダルが格好良かった!これがもう一つの34巻の見せ場でしたね。

先程のアリババの「文句あるかバカヤローッ!!」に少し似ていますが、ジュダルが言い放ったのは
「それのどこが悪いんだ、言ってみろーーーッッ!!!」
という言葉。
なんかスカッとする、ジュダルらしい言葉ですね。

でも本当に格好良いのはここから。
シンドバッドに対して言い放ちます。
「あいにく俺はもう、自分の人生ってやつに満足しているんでね。白龍と暴れて結構楽しかったからな!」
「おまえも自分の生き方満喫しろよ!シンドバッド少・年!」


ジュダルはかつて自分の運命を呪って堕転したマギです。呪ったのは、アルバにさらわれて黒のマギとしての人生を余儀なくされたという重い運命でした。
しかし今のジュダルは違いました。
運命に振り回されることなく、自分の生き方を自分中心に見つめ直し、楽しみ、そして満足していたんです。それをサラッと言えてしまう。
そこに私はジュダルの格好良さを見ました。

思えばジュダルも必死に運命と戦っていた気がします。自分と真逆の光の存在であるアラジンを頑なに拒否し、 「お前を倒せるなら何にでもなってやるぜ」とかつては言っていたことも思い出しました。
それが一旦死を自覚し、そこを乗り越えることで、自分自身を縛る運命をも乗り越えていたんですね。 ジュダルもシンドバッドやアリババと同じく悟ったのかもしれません。

これも34巻の見どころだと思いました。

一向に先が読めないマギ。


とはいえまだ6つの迷宮を残し、さらに迷宮を解いたとしても上位の神との戦いとやらが待っているのか、世界はどうなるのか、全く先が読めなくなった「マギ」。
イル・イラーを降ろし世界を滅亡させようとする組織との戦い→商売の世界での戦い→上位の神との戦い(?)と展開し、さらにこの先はどうなるのか、読者としては深い霧の中で船を進めているような状態でとてもとても不安です。

でもアリババがきっと何かやってくれるはず。
その確信はこの34巻で持てました。


また次の巻が楽しみです。

ああ、良かった。
とりあえず34巻の感想は一応書けた・・・。

今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 32巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by 霧島もとみ at 2017年07月03日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2017年06月11日

テレビが「一人で見るもの」から「その他大勢と一緒に見るもの」へと変わったと感じた瞬間

テレビで 「炎の体育会TV(TBS)」 を見ていた時のこと、 マスクドマン という企画がありました。
スポーツに取り組む中学生と、子どもたちが憧れる選手(元プロ?)とが真剣勝負をする企画です。

今回の競技は野球。
全国大会クラスで活躍する中学生達の前に、マスクで顔を隠したガタイのいい選手が現れました。何でも、引退したプロ野球選手との事。

誰なんだろう?と興味が自然と湧きます。
しかし、いかんせんプロ野球には全然興味がないため、番組でヒントが幾つか出されますが全然ピンと来ません。

Twitterで検索してみたら・・・


そんな時、ふと思い付きました。
同じように番組を見て、「こいつは誰だろう」「きっと誰それだ」と考えている人が多いに違いないと思い、Twitterで「マスクドマン」と検索してみました。
するとまあ一杯出てきます。

「元木だろ」
「元木じゃん」
「元木w」

Twitterの人たちの間では、もう「マスクドマンの正体は元巨人の元木」という結論が出ている感じでした。見る人が見れば簡単に分かるものなんですね。
なるほどなあ、と感心すると同時に「これは今までにない体感かもしれない」と考えました。

インターネットがもたらす「皆で見る体験」という新しい体感


今までテレビを見るというのは、こんな感じだったと思います。
・同じテレビの前で見ている人間で楽しさを共有する
・翌日以降、同じテレビを見ていた人間と感想を共有する


この時に感じたことは、次のような感じでした。
・同じテレビの前で見ている人間で楽しさを共有する
・同じようにテレビを見ていて、


そう、「自分以外の大勢と一緒に楽しんでいる」という、スタジアムや、映画館にも似た感覚でした。
これは一人でテレビを見るよりも何だか楽しい気がします。
しかもスマホで簡単に体験できる。

テレビが「一人で見るもの」から「その他大勢と一緒に見るもの」へと変わったんだなあ、としみじみと感じた瞬間でした。
良くも悪くもネットの向こうには大勢の人間が存在していて、その気配を感じることができるんだなあ、と実感しました。
posted by 霧島もとみ at 2017年06月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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