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2021年02月25日

『ポアンカレ予想』の本の感想など 〜 スキーマ療法

2 時起床.

明るくなるまで数学をやる.

昨日成人健診の待ち時間に読了した『ポアンカレ予想』の本の内容がけっこう精神的にきつかった.
予想そのものを最終的に解決したグレゴリー・ペレルマンは全ての栄誉や名声, 賞金を拒絶して数学の表舞台から姿を消してしまう.
だからこの本の終盤で彼はいなくなってしまう.

その後に繰り広げられたごたごたが, 自分のような外部の者が感じたポアンカレ予想解決という数学的事件の印象だったと思う.
そこには誰が栄誉を受けるべきか ── ペレルマンと, 彼が解決に使った重要な手法を開発したリチャード・ハミルトン以外にいないのだが ── という変えようのない事実を権力でねじまげようという動きが感じられて, こういうのは辛いと感じてしまった. 嫌になる.

午後に早めの夕食をとる. 鶏もも肉とキャベツと韮の鍋.

夕方からデイケアに行く. 今日はスキーマ療法がある.
前回受けたスキーマ療法で進展があった.
今日はその補足のような内容だった.

過去の記憶の苦しみからの解放ということが現実になりそうな気がしている.
posted by 底彦 at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2021年01月09日

鬱と読書

0 時に目が覚める.

早い時間に目覚めることはできたが, 不安な気持ちが苦しい.
現在の, そして未来の自分が崩れて空っぽになってしまうような感覚.

頓服を飲んで横になって休む.
苦しい. 布団の中で縮こまる.

2 時間ほどして何とか起き上がることができた.

本を読む.
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』, カミュ『シーシュポスの神話』.
読んで少し気持ちが楽になった. ありがたい.

昼過ぎに買い物に行く. 今日も寒い.
夕食は鍋にしようと思い, 肉と野菜を買う.

鶏肉とキャベツ, ニラの味噌仕立ての鍋. 体が温まる.

ところが, 食べている最中に急に鬱が苦しくなる.
しばらく寝込む. 辛い.

ようやく回復したので片付けをして休む.
posted by 底彦 at 19:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2020年08月30日

読書: 木村敏『精神医学から臨床哲学へ』── 以前の主治医との思い出など

精神科医木村敏の自伝である. 木村敏氏は戦後のヨーロッパの精神医学研究の趨勢だった, 現象学を臨床の現場に適用した現存在分析の影響を受けた精神科医として知られる.

氏は, 心の病における「あいだ」という概念を創出した.
自分がどこまで理解しているのかは不明だが, 大雑把に言えば「あいだ」とは人の現存在を規定している内在的な主体が, 各自の自発性を保ちながら集団の中で協調して振る舞おうとする「集団主体性」との関係を指す. この「あいだ」がうまく機能しなくなるのが心の病だという説である.

たとえば自分の罹っている鬱病では, 現存在の自発性が集団主体性の前において機能不全に陥ってしまう病と言えるのではないだろうか. このようなときに患者は集団的協調に支障をきたしてしまったことで, 取り返しのつかないことをしてしまったという強い罪責感に捕われる.

ちなみに, 氏が最初にドイツに留学した一つの目的がドイツ人の鬱病患者の罪責感を調査して, 帰国後に日本人のそれとの比較を行う研究を行うことであった. 本書に書かれているこの研究の結果が興味深かった.

ドイツ人鬱病患者の場合は, その罪責感は自己の内面的な側面が強い. それは自分は人として道徳的に, あるいは神への信仰の点で問題がある, 駄目な人間だという罪責体験である.
一方で日本人鬱病患者の場合に圧倒的に多いのは, 自分が他人に迷惑をかけているということの罪による罪責体験である.

自分も幼児期から「人に迷惑をかけてはいけない」ということを, 家庭や学校で強く言い聞かせられた. そのことが現在でも精神的な重荷になっている.
一体この「迷惑をかけてはいけない」という異常な意識は何なのだろうか.

患者の存在の在り方を臨床の現場で解き明かしていく立場を, 氏は臨床哲学と呼んでいる. それは, 患者の病理を哲学的・現象学的な立場から論じていくという研究の方向性を持つ.

-=-=-=-

このような臨床の立場は, 現在の多くの精神科やクリニックでは行われていないし, 行うことができないだろう. 精神科医は多くの患者を診なければならないから, 患者に対する哲学的な視点からの対応などを行っている時間は無い.
患者の病の原因を特定するより, 薬によって症状が一時的にでも治まれば患者は楽になるのである.

精神科医は数分の問診で患者への薬の処方を行う. もし患者が自分の症状に関してより多くの話を聞いてもらいたければ, カウンセリングを受けるという方法がある. 一般にカウンセリングの料金は安くない.

また, 自分のようにデイケアに参加したり, 作業所に通うという道も用意されている. これもカウンセリングほどではないけれども参加料が必要になる.

このように現代の精神医療は製薬会社を巻き込んだ総合的なビジネスとして確立している. 自分が現在通っているクリニックもその枠組みに沿っている. 比較的良心的ではあると思うけれど.

-=-=-=-

ただ, このクリニックで以前自分を担当してくれた老医師には, 木村氏の言う臨床哲学の香りがあったように記憶している.

一回の診察に一時間近くの時間をとって, 自分の過去の体験・そのときに感じたこと・行為の意味などを明らかにしていく. この診察によって, 自分の鬱病には子ども時代の両親との関係から引き起こされた PTSD 的な症状, それへの内的な対応として現れた「解離」という症状があることがわかったのである.
自分を発見していくような興味深い時間だった.
そのような症状によって失われた社会との関係性を回復するという目的のために, デイケアに参加することになった.

今の主治医の診察は, 問診に 5 分もかかっていない. 体調を話していつもの薬を処方してもらってそれで終わる.
ただ, 今の主治医も精神病に関する哲学的な立場からの論文を書いている. 待ち合い室に置いてあったクリニックの月報 (?) で知った.

もしかしたら彼も, 木村敏氏のような診察の在り方を模索していた時期があったのかも知れない.

臨床哲学の方向による診療というものが存在する必要性はある. 自分の体験からそう思う.
posted by 底彦 at 23:30 | Comment(5) | TrackBack(0) | 読書

2020年04月20日

少し体調が上向いてくる

-1 時起床.
本を読む.
今日はゆっくりとではあるが本の内容が頭に入ってくる. こういう感じは数日無かった. 体調がいいのかも知れない.

読んだ本は『心的外傷と回復』. 昨日の続き.
治療の第一段階としての「安全」について書いてある.
この段階で大切なことは、当事者が自己の行動を自らの意思により行えることだそうだ.
特に, 治療者である医師や, 生活上のパートナーや家族の干渉無しに, 完全に自身の統制の元でそれが行えることが重要である.
また, 一人でできる有効な治療法としては薬物療法の他, 認知行動療法, 日記などの文章を書くこと, 運動やリラクゼーションなどがある.
この文章は内容をしっかり理解したい.

今日は雨が降っていたので散歩はアパートの周りを歩くだけにする. 外は寒かった.

帰宅して別の本を読む. 二階堂奥歯『八本脚の蝶』. コスメ, 人形, 幻想譚, 異世界や書物に関する文章.
これは二階堂奥歯の日記で, 文庫で読むのとネットのブログで読むのとは受ける感覚が異なる.
彼女の文章は可愛いらしく, 詩のように美しい.

今日の体調は少し良かった. しかし繊細な論理的な思考を行う気にはなかなかならない.

夕食は冷奴, 新玉葱の生姜ニンニク炒め, ご飯.

まだ明るいうちに布団に入る.
posted by 底彦 at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2020年03月16日

読書 〜 買い物と食事

6 時起床. 鬱が辛かったが頓服を飲んで起きた.

午前中は本を読んで過ごした.

・ 木村敏『精神医学から臨床哲学へ』
・ Susan Cain『Quiet』
Allyn Jackson『Comme Apelé du Néant ── As If Summoned from the Void: The Life of Alexandre Grothendieck』

『精神医学から臨床哲学へ』は精神科医の木村敏の自伝. 友人がブログで紹介していたのがきっかけで図書館から借りた.
木村敏は現象学の手法を精神分析に取り入れた現存在分析でも知られる. 同氏の著書は以前鬱でずっと寝込んでいたときに『臨床哲学講義』を読んだことがある. そこでは鬱病 (躁鬱病) についても一章を割かれていたが, 内容が理解できなかった. 本書を読んだらもう一度読み直してみたい.

スーザン・ケインの『Quiet』は最後の章だけ読み残していたのを読んでしまおうと思って開いた. 内向的な子どもへの接し方が書いてある.
子どもは一人ひとり違った気質を持っている. 内向的な子どもに対しては, 決して内向的なことが悪いことではないという意識を持たせるようにする.
尊敬の念を持って接すること. 子どもの考えを尊重すること, 必要なときには背中を押してやること.
これはとても重要なことのように感じる. 自分自身の経験にも照らして.

最後の『The Life of Alexandre Grothendieck』は本ではないがネットに上がっている文章でグロタンディークの生涯をまとめたものである. 著者の Allyn Jackson は主に数学系のライターで, 調べたら以前ネットで読んだ Karen Uhlenbeck へのインタビューも彼女が行っていたものだった.

この文章は 2004 年に発表され, part 1 と part 2 に分かれている. ネットに NISHINO Taro 氏の part 1 の 日本語訳 が上がっていたのを読んで興味を持った.
part 1 は彼の幼少期から数学者として精力的に活動していた 1960 年代頃までをカバーし, part 2 はそれ以降のことが書いてある.
part 1 は面白く一気に読める. part 2 はとりあえずグロタンディークが徐々に政治活動に転じていくところまで読んだ.

リーマン・ロッホの定理 (Riemann-Roch theorem) に関するエピソードが印象的である.
彼はリーマン・ロッホの定理の本質は, 多様体に関する性質を述べたところではなく多様体間の射の性質を述べたところにあると見抜いて証明を与えた. しかしその証明は一部に技巧的な「トリック」を使っていたために自身ではすぐには発表しなかった.
小さくて自然な命題を積み重ねていった結果が数学なのだというのが彼の考えであり, リーマン・ロッホの定理の証明は彼の哲学に反するものだったのである.

グロタンディークは全てを自分で考えて構成することを好み, 常に深く集中して考えた. 理論の展開や証明の明晰さ・美しさにも徹底的にこだわった. その結果として彼の数学者としての超人的な活動があった.
一方で政治運動家としての彼はナイーヴで過激なだけの素人であり, 歯牙にもかけられなかった. だがその根底には幼少期の彼自身の不幸な記憶があり, 彼の活動には弱い者・虐げられた者を救うという側面もあった.

part 2 の残りの部分では隠遁生活に入る過程が書かれるのだろうか. グロタンディークが数学から離れていく後半も退屈ではない. 興味を持って読める文章である.

こういう風に本が普通に読めるようになってきたのは嬉しい.

昼過ぎに買い物に行く. 野菜や魚, 豆腐などを買う.

帰宅して食事をとる. 帆立と小松菜とバジルのパスタ.

早い時間に休む.
posted by 底彦 at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2020年03月06日

読書: ロバート・コールズ『シモーヌ・ヴェイユ入門』

著者のロバート・コールズという人は精神科医なのだが, 同時にシモーヌ・ヴェイユの研究にも携わっていて幾つもの論文を書いている. 精神科医としての視点からヴェイユを論じたものもあるようだ.

自分がそれまで抱いていたシモーヌ・ヴェイユのイメージはこの本で変わった.

ヴェイユの写真のイメージからか, 勝手に静かで弱者の立場に立った思想家という印象を持っていた.
しかし, そういう単純な枠組みでは捉え切れないほどヴェイユは多面的な人物だった.

狂信的に見えるほど純粋で独特の倫理観を持つ. 度を越して禁欲的であり自己に対して非常に厳しい.
残された書簡からはおそらく相当頑固で思想的に過激な部分があったことが窺える. 付き合う人を疲弊させたのではないだろうか.
自身がユダヤ人であるにも拘らず, ユダヤ人やユダヤ教に対する否定的で侮蔑をも含んだ態度をとった.
熱烈なフランス愛国者で, 死の間際まで自らがレジスタンスの一員として最前線でファシスト勢力と戦うことを切望していた.
キリストを崇拝した. カトリック信者だったが教会を嫌い否定した. あくまで一人の人間として直接キリストと向き合うことを望んだ. けれどもプロテスタントではない.
徹底的に弱者に寄り添った. 最貧困の者を救おうとした. 彼女の徹底さは寄り添われる者にとって寧ろ負担になるのではないかと思えるほどである.
古代ギリシャ, アテナイの知性を深く愛した.
天才の兄, アンドレ・ヴェイユへの劣等感から死を思うほど苦悩するが, 絶えず真理を求め続けることで魂が救われるという思いに到達して生きる力を得た.
慢性的な頭痛の症状に苦しんでいたが, 強固な意思の力でそれを抑えつけて深く思索し, 書いた.
肺結核が彼女の命を奪った. 医師は病床の彼女にもっと食べて栄養を摂るように強く勧めたが彼女は拒否した. 自らの意思で飢えることを選んだ.

自分は彼女の書いたものをまだ何も読み通したことが無いので, 不用意に想像することはできない. けれども何と厳しい生涯だろうか.

矛盾に満ちているように見えるが, 実は彼女はたった一つのことを成したのではないか.
間違い無く彼女は, 自らの真理と美のために生き抜いた. それを求めるためにはあらゆる他のものを否定し, 自分の人生から排除した.
極めて私的で, 極めて狭く, だがあまりにも本質的な彼女の真理と美は後世に残った.

彼女が求めた美が, 真理がどのようなものだったのかを知りたい.
著作を読んでみようと思う.
posted by 底彦 at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2020年01月30日

読書 〜 平穏に一日を終える

7 時半起床.

疲れている. 昨日も早い時間に布団に入り 12 時間以上寝ているのに疲れている.
体が重い. 頓服を飲む. しばらくして起き上がることができた.

本を読む. このところずっと読んでいるシモーヌ・ヴェイユの解説本である.
ロバート・コールズ著/福井美津子訳『シモーヌ・ヴェイユ入門』. 著者は精神科医でありながらシモーヌ・ヴェイユの研究も行っている.
彼女の高潔な思想に惹かれる一方で, ある部分での非理性的な性格・気質があったことにも興味を覚える.

彼女の兄はアンドレ・ヴェイユという. 幼少の頃から天才と呼ばれ世界的な数学者となった.
その兄の才能の前に, 自らを顧みて比較してしまうシモーヌは死を思うほどの苦しみに襲われる.
彼女はどのようにしてそれを克服したのだろう. それとも苦しみ続けて自らの思索に辿り着いたのだろうか.
この解説本には出典も記されていて助かる. 読んでみたい.

また, 解説本を読む限り彼女の短い生涯を通じて, 兄のアンドレとは深い信頼関係で結ばれていたようである.
本当に良かったと思うが, これも原典を確かめてみたい.

今日は午後からの鬱が無い. 天気が良く温かいせいかも知れない.

夕食は昨日の豆のシチューの残りを食べる.

暗くなってから休む. この時間まで起きているのは久し振りのような気もする.

体調が良ければ明日, 絵や数学に少し集中できるかも知れない.
posted by 底彦 at 18:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2019年11月02日

読書: 加藤忠史『うつ病の脳科学』

鬱病を脳科学の視点から取り扱った本である. 鬱病のいろいろな症状がどういう脳のメカニズムで起きているのかを知りたい, という興味から手にとった.
鬱病を取り巻く社会や医学界の状況, 脳と鬱病の関係, 最新の研究の紹介などの内容を取り扱っている. 全てを理解することはできなかったが興味深い本だった.

特に印象に残った二つのトピックをメモとして残してておく.

抗鬱薬の効き目がすぐに現れない理由



鬱病は神経伝達物質であるセロトニンの不足によって起きるということがしばしば言われる. 鬱病に罹っている人は脳内のセロトニンの欠乏により鬱状態に陥ることが知られている. これは「セロトニン仮説」と呼ばれている.

鬱病患者で脳内のセロトニンが低下する理由としては, 脳でのセロトニン合成の働きが鈍くなるということと, すでに存在するセロトニンがセロトニントランスポーターという蛋白質によって不活性化されてしまう結果として考えられている. したがってセロトニンの合成を促進するか, あるいはセロトニントランスポーターの働きを抑えることができれば鬱病は回復すると予想される.

まず, セロトニンを増やす一つの方法は蛋白質の摂取である. 蛋白質に含まれるいくつかのアミノ酸がセロトニンの合成を促す. 鬱病の回復に効果がある良質の蛋白質として赤身の牛肉, 鮪や鰹などの赤身の魚, 納豆や豆腐などの大豆食品, ナッツなどがある.
光を浴びることによってもセロトニンの分泌が行われる. 日中の散歩は鬱に効果がある.

一方で, セロトニントランスポーターの働きを抑制するのが SSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitor: 選択的セロトニン取り込み阻害薬) と呼ばれる抗鬱薬である.
SSRI は脳内のセロトニントランスポーターが働かないようにする. この結果, 実際に SSRI を服用すると脳内のセロトニンは直ちに増えていく.

ところが, SSRI の服用を開始してから鬱症状の緩和作用が現れるまでには, 数日から数週間かかる. 脳内のセロトニン増加によってすぐに症状は改善される筈だが効果はなかなか見られない. どうして効き目が現れるまでに時間がかかるのか.

この説明としてある一つの仮説が紹介されている. 鬱症状を緩和させるのは, 実は脳内のセロトニンの増加ではない. 本質は神経細胞の成長を促す海馬の BDNF (Brain Derived Nuerotrophic Factor: 脳由来神経栄養因子) という蛋白質の増加だというのである. BDNF とは名前が示すように脳神経細胞の成長を促す蛋白質である. BDNF と鬱症状の間には次の関係が認められる.

・ ストレスによって海馬の BDNF は減少する.
・ ラットを使った実験によると, 電気痙攣療法や抗鬱薬の投与を行い続けると三週間後から海馬の BDNF が増加し始める.
・ 即効性があるモルヒネ, コカインなどの向精神薬の働きは BDNF の増加とは無関係である. つまり別の仕組みで脳に作用する.
・ BDNF が増加するという現象は脳内のセロトニンの増加 (これは抗鬱薬の投与によって起こる) を介して発生する.
・ 抗鬱薬の投与直後には BDNF の増加は発生しない. あくまでも継続的な投与によって発生する.

このようなことから SSRI による抗鬱作用を引き起こすのは BDNF の増加が重要な要因となっているという説が有力になってきた.

こういう, 抗鬱剤がすぐには効かないという身近な現象を追求していった結果, 隠れた事実が解明されて見えてくるというのは非常に面白い. ただしこの仮説が本当に正しいかどうかはまだ検証途中だという. BDNF による神経の成長のメカニズムに関してまだ説明できないことがある. 特に抗鬱薬による鬱症状の緩和を, BDNF の増加から直接説明できていない.

※ ネットで BDNF を検索してみると, BDNF の増加が鬱病に効くと謳った記事がたくさん見つかる. 大学のサイトに掲載されているものもある. これは検証の結果, 上の仮説の肯定的な裏付けがなされたということなのだろうか.

心とは何か



この本の「脳科学の到達点」という章で, 心は脳の機能の一つである, と書かれている. ここで注意したほうがいいのは, 身体の器官である脳に対する, 精神の中心としての心という哲学的な対立における心について述べた言明ではないことである. ここで言われている「心」とは脳の作用のうちで, 身体を操作するもの全般を指す言葉である. この意味で, 脳の作用の表われが心である.

けれどもその先に, 肉体に対する「精神としての心」が一体何なのかという基本的な問いかけを含んでいるという印象を受ける. それはこれからの「脳科学」が, 分子生物学, 情報科学や人文科学 (倫理学, 社会学) にまで裾野を広げていく分野であると述べられていることからもある程度想像される.

心が脳の機能であるという考え方は精神医学が発展してきた当初から言われていたらしい. ただ, 科学的にそれを説明するだけの技術がまだ未熟だったために表立って主張されることがなかった.

それでは今, つまり現代ならばできるのか.

これはわからない. 著者も明言はしていない. 先に述べたように, 抗鬱薬 (SSRI) がすぐに効かないという現象も脳内の様々な働きを細かく調べることによってようやくわかりかけてきたという状況である. そういうミクロ的局所的な現象の解明の対極にある, 心という巨大な現象を解明するのにどれだけの知識・理論・実験・技術の発展が必要とされるのだろうか.

それはおそらく著しく複雑な多くの部分から成り立っている.
有限かも知れないが人間が扱える規模の有限かどうかはわからない. 今後, もしかしたら爆発的な発展を迎えるかも知れないコンピューターが実現する計算力でも全く不十分な可能性もある.
そしてその過程で, これも以前から何度も言われてきた生命の倫理の問題とも, より精緻な議論で向き合わなければならない局面が必ず現れるだろう.

ただ, もし心という作用を明らかにしようとするならば, どれほど時間がかかろうとも, 分子生物学や物理学や化学, 医学, コンピューターサイエンス, そして哲学などを地道に追求していく以外の道筋は無いのではないかという気もする.

最後に, 本書の中に時折感じられる著者の行き詰まり感や嘆きについて書いておく. これは自分の偏った受け取り方に過ぎないかも知れない.

鬱病に対する臨床や研究というものが, 現在でも手探りとも言える部分がある.
解明されていない鬱病の症状や脳の仕組みがあまりにも多い.
血液検査や外科的な手法で鬱病と診断することがまだできないため (将来的な可能性はある), 医師が患者の話す内容から推定して鬱病の診断名を付けるしかない. 改善はされてきたが, 間違いはしばしば起こっている.
日本はもちろん世界でも鬱病の研究者が少ない. そのために臨床データが圧倒的に不足している.
鬱病で亡くなった患者の脳を研究者が調べることが, 倫理的な事情もあって非常に難しい.
鬱病患者の自殺率は高く社会問題になるほどなのに, 精神疾患に対する偏見が未だに (特に日本では) 強く, 患者が鬱病であることを公言しにくい. 病院やクリニックにも行きにくい.
政治の課題として取り上げられることが少なく, 社会福祉の一環としての精神障害への取り組みの優先度が低くならざるを得ない.
鬱病の患者は苦しみ続けている.

自分も本書を読んで, ここまで状況が良くないと初めて知った. 何という困難なのだろう.

当事者としては, 何とかしてこの病の苦しみが少しでも軽くなってほしい. けれども先を見通すのがとても難しく思える.
希望は捨てないつもりだが.
posted by 底彦 at 10:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2019年05月12日

読書: Susan Cain『Quiet』── エミリーとグレッグの対立

0 時半起床.

今日は一日気持ちが落ち着いていた.
夕方からの鬱や, 買い物の際の外出恐怖もそれほど辛くなかった. こういう日があると落ち着けるので助かる.

何冊かの本を読んだ.
自分に課しているわけではないが, 読むのが遅いので数冊の本を並行して読んでいる.

そのうちの一冊にスーザン・ケインの『Quiet』がある. 読み始めて 5 年か 6 年になると思う. 繰り返し読んでいる.

この本は内向的な性格というものをいろいろな側面から堀り下げたものだ. 自分自身がもともと内向的な性格ということもありどのテーマにも興味を持てるために, 手元に置いて何度も読んでしまう.

スーザン・ケインはアメリカ人なので, 紹介されている実際の例はアメリカで暮らす人びとが主役になっていることが多い. そのため欧米人と日本人の気質の差を読んでいて感じることもある.
一方で, 住んでいる地域に関わらず内向的な性格の普遍的な特徴や生き辛さなどを知ることもできる.
社会とうまく馴染めなかったり, 学校のクラスで低く見られたりいじめの対象となったり, 外向的な人たちとうまく付き合えなかったり, 親からもっと友だちと遊ぶように言われたり, 下手をすると病気を疑われたり, シリコンバレーでのアジア系の人びとの存在感だったり, HSP (Highly Sensitive Person: 高度に感受性の強い人) の生き方だったり, 本当にいろいろのテーマが扱われていてとても面白い.

ある章では, 内向的な人と外向的な人とのコミュニケーション, 付き合い方を取り上げている. 章の題名は『コミュニケーションギャップ (The Communication Gap)』で, 内向的なエミリーと外向的なグレッグの夫婦の間に起こった対立と解決がテーマとして書かれている.
自分も外向的に振る舞う人たちとのコミュニケーションが時折わからなくなるので, 共感できることが多かった. だが, 自分にグレッグと折り合いをつけることができたエミリーと同じ考え方・態度が取れるかどうか.

30 歳のグレッグと 27 歳のエミリーの夫婦は, 互いに愛し合うと同時に互いに苛ついてもいる.
グレッグは, 誰もが社交的だと言うくらい非常に活発である.
エミリーは静かで穏やかで, 人と話すときには伏せた睫毛の下から相手を見つめるようにする.

二人は確かにお互いを必要としている. エミリーが居ないとグレッグは寂しさを感じるし, グレッグが居ないとエミリーは仕事に出かける以外外に出なくなってしまう. しかしいつも衝突しているのだ.

問題は毎週末にグレッグが自宅に友人を招いて開くパーティーで, 彼はこのパーティーにエミリーも参加して夫婦でホストとして振る舞うことを要求する. しかしエミリーはそれが嫌なのだ. パーティーに参加して, たまたま話がはずむと彼女はそのグループにずっと居てその話題についてもっと深く話したいと思う. グレッグはそれを咎めてもっといろんな人と話すようにと促す. 彼はエミリーと一緒にパーティーのホストをしっかり務めなければと考えているのだ. エミリーはちっともパーティーが好きではない.

このときのエミリーの辛さは, 自分自身も友人や親から事ある毎に言われてきたのでよくわかる.
どうしてそんなに皆と快活に話さないといけないのだろうか.

グレッグとしては, エミリーはもっと努力すべきだと思っている. 夫婦なのだから.
エミリーは一体わたしの何がいけないのだろうと自分を責めて内に籠もってしまう.
このエミリーの内に籠もるという対応も自分そのもののように感じる. 子どものときに両親や教師から, もっと活発に明るくしなさいと言われた苦痛を思い出す.

それでエミリーとグレッグは最終的にどうなったかというと, お互いの苛立ちを超えて話し合うことで問題の妥協点を見出だすのだ.

毎週開いていたパーティーの回数を減らす.
その雰囲気も皆が一つの大テーブルを囲んで一緒に楽しむ形式から, 小さなグループで個々の話題を楽しめるようにいくつかのテーブルを置いた立食形式にする. グレッグはパーティーを取り仕切る中心として忙しく各グループに顔を出し, 誰もが楽しめるよう気を配る. エミリーはその日の具合で気に言った話題のグループに参加し, 時には一対一の会話を楽しむ.
お互い自分だけの時間と空間を持つようにして, 必要以上に干渉しないし立ち入らない.

これは知性だと思う. こういうことができるパートナーを持てた彼らは幸せだと思う. 自分はずっとエミリーに感情移入して読んでいたのだが, 最終的にエミリーの立場に耳を傾けたグレッグにも共感できる.
しかしエミリーのように正直に相手にぶつかることができるだろうか, 反面グレッグのように相手の立場に立って物事を考えられるだろうか. わからない. もしかしたらできないかも知れない.

この話の中で, 考えさせられる寓話が紹介されている. おそらく内向的な人でも外向的な人でも何かしら引っ掛かるところがあると思う.

あるところに一匹のコブラが居た. 誰かれ構わず噛むので村人から恐れられていた. ある日, ヒンドゥー教の行者がやってきて, コブラに噛むことは悪いことだと言って諭す. コブラは納得して以後人を噛むのを止める. 村人は安心するが, しばらくすると今度は子どもたちが噛まないコブラを馬鹿にして虐待するようになる. 血だらけになったコブラは行者に言う ── こんなことになるなんて話が違うではありませんか. 行者はコブラに言う ── お前には噛むなとは言ったが, されるがままにしろとは言っていない.

ずいぶん前だが, 自分には傲慢だった時期がある. 内向的な自分をカバーするために, 無理をして強く振る舞っていた. そのうちに相手を下に見るようになり上から目線の態度を取るようになってきた. 今から思うと自分の中に人を下に見るような意識が強くあることを知ってショックだが, 実際に不遜な態度をとる人間になっていたのだ.
鬱が悪化してその無理が効かなくなったときに, 今度は周囲から非難され否定されるようになる. まったく自業自得だ.
結局仕事の仲間や知人から断交や人格否定をされて倒れたが, その間ずっと, ほぼされるがまま言われるがままだった. 反論する気力はどこにも無かったのである.

どうしても, 寓話のコブラと自分を重ねてしまう. 読み返す度に考えるのだが, まだ答えを見つけたと感じられたことは無い.
posted by 底彦 at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2018年10月09日

読書: NHK 取材班『ここまで来た! うつ病治療』, 香山リカ『がんばらなくていい生き方』

● NHK 取材班『ここまで来た! うつ病治療』

デイケアの友人からいい本だったと教えられて読んだ. 2011 年頃に NHK スペシャルで放送された同名の番組を書籍化したもの.
鬱病は脳の病気である, という立場から最新の脳科学によって鬱病の仕組み, 治療方法がどこまで進んでいるのかを解説している.
現在はもっと進んでいるだろう.
光トポグラフィー, 鬱病に関係することがわかってきた脳内部位の働き, 電気治療 (電気ショック療法ではない), 認知行動療法などが取り上げられている.

何よりこの本を読んでよかったのは自分が興味を持っていた, 鬱病に関わる脳の仕組み, 脳科学の立場から見た認知行動療法について触れられていたことである.
これらをもっと知るには, たとえばどういう本を読んだらいいのかの方向がわかってくる.

こういう研究が実際の鬱病治療に広く活かされるかかどうかはまだわからない.
本の出版から時間は経ったが実情はどうなっているのだろう.

鬱病を含めた精神疾患を, 脳の病気 (機能不全) という立場からの研究だけで解明できるのかどうかも自分にはわからない.
心とは何か, という問題に対して脳科学の研究者はどのような仮説や考えを持っているのだろう.
聞いてみたい.

● 香山リカ『がんばらなくていい生き方』

この本は作業療法の友人から勧められた.

どうすればストレスの少ない生き方ができるかをテーマにしたエッセイ風の読み物. 軽い感じで読める.
著者もそういう軽く読めることを念頭において書いたのだろう.

自分をもっと甘やかしていい, 「コミュニケーション」とは「話を聴くこと」, 自分を責めすぎない, などメンタルヘルスの啓発本によく出てくるであろうフレーズを通じて, ストレスを少なくする生き方のヒントが提示されている.

興味を持った文章が三つあった.

一つ目は「コミュニケーションとは話を聴くこと」という文章.
話を聴くことの上手い人がコミュニケーションに長けているということは確かにある.
実際に自分が出会った何人かのコミュニケーションに秀でた人も, この人は自分の話をちゃんと聞いて, その上で自分の考えを話してくれる, と感じる人たちだった.
もちろん, これは誰にでもできることではない.

その点を踏まえてか本書では, 聴き上手の話の聴き方の一つとして, 「あなたの言いたいことはよく理解した」という姿勢を示し続けることの必要性を挙げている.
これは意識しさえすればできる.

断定できるのは自分がこれをやっていたから.
あなたは話をちゃんと聴いてくれると言ってもらえたこともある.
もっとも現在では, そのような自分がいたということが信じられない.

人の話をきちんと聴くことは, 少なくとも自分の場合はその相手の世界に入り込んでしまうことで, 精神的な負担が大きかった.
その揺り戻しで自分自身が押し潰された.
そうならずに人の話を聴くことができるようになれるだろうか.

二つ目は「筋が通らないときは怒れ」という言葉.
ここの文章は少し辛かった.

鬱病と診断されて 10 年近く経ったある時に, 自分の感情の起伏が極端に小さくなっていることに気が付いた.
鬱病により感情表現が乏しくなっていく.
想像力や思考力が低下していく.
このまま鬱病が悪化していったら, 感情が摩滅して最期は廃人になってしまうのではないかと思った.

現在, 随分回復はしてきていると思うが, 喜びや怒り, 特に怒りの感情を抱くことがほとんど無い.
怒りは何か行動を起こす, 何かを始めるための強いエネルギーになると思っているのだが, 怒りが消え失せた生というのを想像すると恐ろしい.

著者がこの文章の中で書いている, 自分が全て悪いと思い込む前に, 制度や他者が間違っているときはそれらが悪いと働きかけて改善を促す, という以前に, そのためのパワー ── おそらく怒り ── が現在の自分には出てこない.
ではどうすればいいのか. わからない.

なお本書では, 筋が通らないときに怒ることは実際にはとても難しい, と書いている.

最後に, 著者がなぜ精神科医になったか, その経緯が書いてあったこと.
著者によれば, 精神科なら緩くて大らかなのではと何となく感じて, それがきっかけで完全に成り行きでなってしまったらしい.
初めて知った.

精神科医がどうしてその道を選んだのかに興味がある.
これまで自分が何人もの精神科医に診てもらっていることと, 現在通っているクリニックで最初に担当してもらった研究肌の老医師の印象が強かったことで関心を持ったのだ.

本の内容そのものと言うより, 本の中の一節から自分の問題にあらためて触れる機会となった.
posted by 底彦 at 20:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書
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