お手伝いさん
僕は、アメリカ留学を終えて就職試験を受けていた。日本のいわゆる新卒枠からは外れていたので大企業よりも中堅の企業への就職となった。僕は東京を離れて就職しなければならなかった。
東京の実家には、姉の絵梨が離婚して帰ってきていた。僕は、もう姉と一つ屋根の下で暮らすことはできない。姉もそのつもりだ。僕が東京に居れば姉が東京を離れかねない。辛い結婚生活から逃げ出して両親のもとでやっと落ち着いた姉を外に出すわけにはいかなかった。
出来ることなら、もう結婚なんかやめて生涯両親とともに暮らしてほしかった。姉の老後を引き受ける覚悟はあった。
姉に東京で落ち着いた暮らしをさせるために僕は東京以外で就職する決心をした。できれば大阪で就職したかった。大阪では祖母が広い家にお手伝いさんと二人で住んでいた。祖母も僕が、その家に住めば喜んでくれるだろう。
お手伝いさんの宮本さんは姉の恩人だった。元は小樽の長谷川家に居た人だ。長谷川家は姉の嫁ぎ先だった。姉は長谷川家でひどい嫁いびりと夫のDVで流産に追い込まれていた。その事実を僕の両親に教えてくれたのが宮本さんだ。
宮本さんが手紙で教えてくれなかったら姉が精神的にも肉体的にも限界がきていることを僕たち家族は知る由もなかった。姉を地獄の底から救い出してくれたのは宮本さんだった宮本さんはこのことが原因で長谷川家から解雇されていた。
僕が祖母に宮本さんを家政婦として雇うように頼んだ。それまで、祖母は広い屋敷で一人暮らしをしていた。
小樽で宮本さんに会った時には白髪頭で60歳ぐらいかと思った。大阪へ来て祖母と一緒に美容院へ行くようになって、彼女がまだ40代後半だということが分かった。彼女は白髪頭だったが大阪で祖母の勧めで髪を染めた。そして別人のように若返ったのだ。祖母は宮本さんが自分の娘と同年代だとわかってずいぶん可愛がった。
僕は宮本さんを祖母の家にあっせんしたことを家族に内緒にしていた。僕が姉のことに入れ込み過ぎることを家族には隠さなければならない。宮本さんからはもっといろいろなことを聞き出さなければならない。場合によっては姉の子供の仇を打たなければならない。大阪の祖母の家が、今の僕には一番落ち着ける場所だと思っていた。
続く
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2019年07月07日
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