出産
絵梨は、あの痛々しい時からは予想もつかないたくましい妊婦だった。安定期に入るころには、すっかり自信をもって「この子は大丈夫。絶対元気に生まれる。」と言い切っていた。近所のスーパーぐらいは自分で行ったし食事の支度も困らないようだった。
むしろ食欲が止まらなくて困っていた。絵梨のたくましいお尻を見たら、幸せってこんな感じかな?と実感した。そのころになると、もう色恋抜きの気持ちになっていた。
母から会社に絵梨が入院したと電話がかかってきた。僕も父も慌てて病院へ直行した。母もそわそわしていた。でも、看護師や助産師は特に慌てる風もなかった。「今晩一晩くらいはかかりますよ。」といわれて僕も父も拍子抜けした。
母だけが病院に残って僕と父は居酒屋で食事をしながら呑気にビールを飲んでいた。その時、母から電話がかかった。緊急帝王切開になったらしい。焦りに焦って病院に駆け付けたが、すでに手術室に入った後だった。
子供の心音に異常が出たので緊急手術になったのだ。僕は恐怖のあまりに病院の椅子に座り込んでしまった。父も母も沈んだ表情で無言だった。母は祈り始めていた。僕はあの仏像を持ってきたらよかったと思った。あの仏像を思いながら祈った。
結果はあっけなかった。手術は15分ほどで終わって子供の泣き声が廊下中に響き渡った。父も母も僕も、笑っていいのか悪いのかわからなかった。絵梨は絵梨は無事か?と心配だった。
病室から出てきた看護師は無表情だった。「すみません。母親は無事ですか?」父が聞いた。看護師は不思議そうな顔をして「ええ。」と答えた。何を大層に騒いでいるんだという顔だった。
両親も僕もほぼ嗚咽状態だった。僕たちのドラマチックな反応に看護師は困惑していた。
絵梨が病室に戻ってきた。ニコニコ顔だった。看護師に「ご主人は手をきれいに洗ってお待ちください。]といわれた。僕も両親も手を洗った。
初めて子供を抱かせてもらったとき、その子は僕の腕の中で小さな手をもごもごさせていた。特に可愛いとは思わなかった。なにか壊れ物を持たされたような気がした。残念なことに手を洗って待機していた両親は赤ん坊を抱かせてはもらえなかった。
病院を離れて家に着くころには、また赤ん坊に会いたくてしょうがなくなった。翌日も会社の帰りに病院に行った。抱いているときには何か、よくわからない生物を抱いているようなのだが、家に着くころには、また会いたくてしょうがなくなっていた。
翌日も翌日も、抱いているときには、子供を抱いているという実感がないのに、病院を離れると、すぐに会いたくてしょうがなくなった。
退院後は、僕たちの寝室には寝かせずに、空いていた部屋に絵梨と赤ん坊が寝た。夜中の授乳があるので、その方が都合がいいということだった。お七夜には母が名前を刻んだスプーンを用意してくれた。
名前は梨沙。特に決まりがあるわけではないが、田原の娘は代々梨という字を使った名前が続いている。
一週間もすると、リビングに置いたベビーベッドに寝かせるようになった。僕は梨沙のベビーベッドから離れられなくなった。常にそばにくっついていた。母子が僕とは別の部屋に寝ていることが不満になった。梨沙のベビーベッドを僕たちの寝室に持ち込んだ。
不思議なことに絵梨の体が回復するにしたがって僕の聖人君子は衰弱していった。代わりに、恐ろしく多くの煩悩を抱えた俗人がよみがえってきた。その次の妊娠でも同じだった。僕の聖人君子は絵梨の体調と相関して元気になったり衰弱したりした。
そして、二人目の梨央が1歳に成ったころには聖人君子は完全に消滅した。僕は、従来の俗人に戻っていた。が、同時に父性も身について少しはましな人間になっていた。
続く
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2019年07月29日
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