転居の準備
最近は、東京へ出かける日が増えた。できるだけ日帰りで帰るようにしていた。泊まっていては仕事がはかどらないからだ。夫婦どちらからともなく引っ越した方がいいと思い始めていた。もともと、東京に本社を持つ会社をみるのだから東京に住んだ方が楽なのは当たり前だった。
梨央は、真也が幼稚園に入る前に引っ越したいといった。「ねえ、真ちゃんの兄弟がほしいの。でも、引っ越してから妊娠したいの、だから急いで。」とのお達しだ。義母は義父の世話で手いっぱいだ。以前のように義母の力を借りることはできない。
それなら東京へ引っ越してお手伝いさんを雇った方がいいのかもしれないと思った。収入は新婚当初の倍以上に増えていた。この家はそのまま置けばいい。大切な家だ。贅沢な話だが二人でそういう話が決まった。
そうなると、なんだか関西の日々が懐かしくなった。大阪のこの地域も感慨深いが神戸は僕たち夫婦にとって特別な土地だ。新婚旅行中に急に別れるのが辛くなって急きょ同居を決めて、何もないところへ梨央が来た。ほんの数カ月の神戸暮らしだったが新婚生活は楽しかった。東京へ移ったら、もう二度と行くことがないかもしれない土地だ。懐かしい商店街や中華料理屋を思い出した。
あの時、梨央が変な奴に目をつけられていることが分かって、別れを惜しむ間もなく大阪へ引っ越した。そういえば、軽い交通事故に巻き込まれてたった一日だが入院したこともあった。あの病院こそもう生涯行くことは無いだろう。
そうだ、あの魚屋に挨拶に行こう。三宮の喫茶店を梨央にも教えてやろう。いかついけれど優しい奥さんは元気だろうか?そんな思いが高まって、真也を連れて神戸の街へ出かけた。一番最初に出かけたのが、梨央がいつも買い物をした商店街だった。そして、梨央の危険を教えてくれた魚屋へ行った。
その日は土曜日だった。商店街は活気にあふれていた。にもかかわらず例の魚屋はシャッターを閉めたままだった。いくら何でも休業日ではないだろう。梨央は、この機会に魚を買い込んで帰るつもりをしていたので、車にはクーラーボックスを積んでいた。
隣の店で聞いてみた。「ああ、そこは閉店でっせ。」といわれて驚いた。「繁盛してましたよね。」と梨央が言うと、「死んでしもた。若いのに。かわいそうなこっちゃ。」と答えた。一瞬二人とも声が出なかった。「病気ですか?」「知らんのか?新聞にでとったがな。殺されたんや。店先でする話やない。中へ入って。」と店の裏の小部屋に入れてもらった。
「あんたら知り合いか?」
「ええ家内が助けてもらいました。変な奴に目をつけられて。」
「そいつや、その変な奴に刺されたんや。」俺は青くなった。梨央のことが関係しているのかと思ったからだ。
「嫁はんがあいつにやられかけた。恨まれとったんや。それで嫁はんに悪さして嫌がらせしよとしよった。そこに行き合わして、そばにあった鉄パイプでやられた。それでも嫁はん守るために持ってた包丁でそいつ殺ったんや。」
梨央は涙が止まらなかった。真也がむずかったら笑顔を作った。それでも、鼻を何度もすすった。「奥さんは今どうしておられるかご存知ですか?」「三宮で喫茶店やってたけど、どうやろな。店開けてるかな?二階が家やから、家にはおると思うけどな。」と言ったので、三宮の喫茶店まで行ってみた。
続く
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2019年10月01日
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