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この映画は、座頭市や片腕ドラゴンの系譜に入るものです。主人公の少女ゼンにはハンディキャップがありますが、とてつもなく強い。 座頭市は、目が見えません。そのようにハンディがあれば、映画を見る観客は同情を寄せます。さらに、目が見えないのに、大勢の敵が襲ってきたり、強い相手が現れたりすれば、「勝てるのか?」とハラハラドキドキします。つまり、ハンディがある闘いとは観客のエモーションを強く刺激するのです。 エモーションを刺激する闘いといえば、プロレスラー力道山です。当時日本人は敗戦による劣等感をひきずっていて貧しかった。対戦相手は、戦勝国で豊かなアメリカから来たレスラーです。彼らは並みの日本人はおろか力道山よりも体が大きい。様々な点で優位であるにもかかわらず、アメリカ人レスラーは反則攻撃という汚い闘い方で勝とうとします。 それに対して力道山は、なんとかクリーンな試合をしようとして反則攻撃に耐え続けます。アメリカ人レスラーは、力道山の正直さを嘲笑うかのようにずっとダーティーファイトを繰り返します。日本人の観客は、力道山が耐えている段階では大変悔しい思いをしていました。力道山は耐えに耐えた末についに堪忍袋の緒を切らし、猛反撃に出てアメリカ人レスラーをこてんぱんに叩きのめして勝利を得るのです。力道山が一気呵成の反撃に出ると、観客は気持ちがすーっとしてやんやの喝采を送るわけです。 これもハンディによってエモーションが刺激される例なのでありました。 僕の友人のお父さんは、戦争で捕虜になり大変辛い思いをした方でした。そのため、アメリカ人レスラーが卑劣な攻撃を繰り返し力道山が耐えていると怒り狂っていたそうです。「(反則攻撃を見逃してばかりいる)レフェリーのバカ野郎!」などと青筋を立てて怒鳴るばかりか、力道山の劣勢が腹に据えかねて、当時は大変高価だったテレビを庭に放り出して壊してしまったとの伝説が残っています。 それ以後、力道山がやられているときは、「もうすぐ力道山がやり返すから放り投げないで」と家族全員総掛かりでテレビを抑えていたそうな。ついに力道山が伝家の宝刀空手チョップでアメリカ人レスラーをなぎ倒すと、お父さんは「それでいいんだ!」と拍手を送っていたとのこと。 そう、力道山がただ反撃に出て勝つだけではいけないのです。必殺空手チョップというフェイバリット・ホールドが観客をさらに酔わせていたのです。 大相撲出身の力道山は、プロレスラーになりたてのころは決め技に相撲の張り手を使っていました。しかし、張り手には華がない。これを振り下ろす形に改良し「空手チョップ」と命名することによって、単なるフィニッシュ・ホールドからフェイバリット・ホールドに進化したのです。 「チョコレートファイター」の主人公ゼンは、幸薄い少女です。彼女の両親は、愛し合っているにもかかわらず、仲を引き裂かれます。母親は一人でゼンを産みますが、彼女は生まれつき脳に障害がありました。さらに、母親は、ガンに犯されてしまいます。 観客はこんな過酷な運命を背負ったゼンに同情を寄せずにはいられません。それだから、ちんぴら集団に襲われたときに、ハンディがあるゼンをいたぶろうとするのは許せませんし、またハンディがあるからとても心配になります。ところが、ここ一番でゼンはもって生まれた格闘技の才能を発揮して、愚連隊を一網打尽にしてくれました。これを見て観客はストーンと溜飲が下がりました。 そして、力道山の空手チョップに匹敵するのが、ゼンの華麗なるファイティング・スタイルです。ゼンがただ強いだけでなく、優れた身体能力による技(わざ)の数々はじつに見応えがあります。ゼンのファイティング・シーンは映画の流れから独立させて、そこだけ見ていても惚れ惚れとします。 かつてブルース・リーの映画も、ストーリーよりも、ブルース・リーの超人的なカンフーが見られるだけでよかった。それと同じです。 そのブルース・リーの香港カンフー映画や武侠映画に大きな影響を与えたのが座頭市です。座頭市は、居合い逆手斬りの立ち回りが目にも止まらぬ早技で、フィルムのトリックかと思うほどでした。そして座頭市をアレンジしたかのような片腕ドラゴンに至っては、なんと片腕一本指の逆立ち殺法で闘います。ハンディを乗り越えた凄さを表現しようとがんばったわけですね。 さて、脳に障害がありながらも、並はずれた運動能力と格闘技を学ぶ能力をもつゼンです。以後の展開で、母親の貸した金を取り立てにいって、そこの荒くれ者たちと格闘になれば、観客はゼンを応援せずにはいられません。ゼンが不幸な身の上を吹き飛ばすかのように颯爽と闘う姿とアクロバチックなまでに洗練された技を見るのは快感に酔いしれる思いでした。 それにしてもタイのアクション映画は、延々と続くデスマッチをフィルムに収めているかのようです。様々なアイデアを映像化するために、本当に危険なスタントをしていることがラストに流れるNGフィルムからわかります。 ゼンが闘うのは愛する母親のためであり、自分が母親に心から愛されているとわかっているのでそれが心の支えとなって強くなれるのです。 映画のラストで、父親である阿部寛が「愛だ!」と叫びますが、全然クサいセリフとは思わなかった。十分納得できましたよ。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
June 28, 2009
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雑誌映画秘宝から、「バンディダス」はおもしろいとの情報を得ていました。バンディダスとは女盗賊団のこと。19世紀メキシコ、西部のPUFFYみたいなペネロペ・クルスとサルマ・ハエックのラテン系美女二人組が銀行強盗に扮します。 ペネロペとサルマは、根っからの強盗ではありません。初対面のとき、農民の娘ペネロペは、銀行家の娘サルマに対してすれちがいざまに「フン」と鼻を鳴らします。すかさずサルマは「ちょっと待って、フンって何よ」と見逃しません。そんなふうにして、境遇は違うけれど女性としての魅力にあふれる二人は、お互いをライバル視してぶつかるのです。けれどペネロペの父親が重傷を負わされ、サルマは父親を殺されてしまいます。二人は共通の敵、アメリカからやってきたジャクソンに復讐し、彼の陰謀を撃破するために手を組むことになりました。 さてさて、一回目の銀行強盗はビギナーズ・ラックでうまくいきました。しかし、銀行強盗はハードワークであり、自分達の身の安全も守らなくてはいけません。 そこで二人は(すでに引退している)プロの銀行強盗に指導を受けにいきます。ここで大特訓が行われ美女たちはヘトヘトになるのですが、悲壮感はまるでありません。それどころか、ペネロペには射撃の才能があり、サルマは天性のナイフ投げであることがわかります。じつにご都合、もとい好都合なことです。短期間で一流の強盗、闘う美女軍団になっちゃうって寸法だ。 と、まあこんな調子で二人のやりとりなどはコミカルに、それでいて銀行強盗などのくだりはスリルとアクション満載、はたまたニューヨークから来た科学捜査官を巡って二人で恋の鞘当てをしたりしながら-そんなにいい男か?-映画は進んでいきます。 ペネロペとサルマの容姿、雰囲気、動きを見ていると、この人たちはまだ20代だったけ?と思いました。おぼろげながら映画界での活躍の様子を振り返ったとき30には近づいているはず。そこで調べてみたら、ペネロペは30代半ば、サルマに至っては40代に突入していたのです! PUFFYも今や30代後半、けれどそうは見えません。 そしてラストはきっちり悪党を成敗します。 事件が解決すると、二人が奪い合った捜査官は婚約者の元へ去っていってしまいました。それでも美女盗賊団はめげません。「つぎはヨーロッパの銀行だ!」と明るくたくましく切り替えます。 じつに軽快、痛快です。この映画に登場する人物に人間的な深みはありません。誇張されたキャラクターだと思います。でも、見終わって爽快、彼女たちは生きる楽しさを感じさせてくれました。 もし、この映画について「2大セクシー女優ペネロペ・クルス&サルマ・ハエック主演のセクシー・ガン・アクション」というコピーだけをみていたならば、軽そうな映画だなと興味をもたなかったかもしれません。だから、映画秘宝の紹介記事を読んでよかったよ。
June 6, 2009
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インターネットで新作映画の紹介で、好みの映画を見つけました。「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」です。 マンガやアニメ、あるいはビデオ・ゲームの実写映画化は大好きです。絵の世界で人間業とは思えないような活躍を繰り広げたヒーローたちが、人が演じることでよりリアルに、人間を超えた活躍を見せてくれるとしたら、こんな楽しいことはありません。 この1週間は、「チュンリー」の公開を楽しみに仕事をしました。 じつのところ、私はビデオ・ゲームをしません。だから、ストリートファイターについてはあまり知りません。なんとなく目にしたことはあるので、チャイナドレスで闘う女性がいることくらいは知っていましたが。 それと、以前にジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の「ストリートファイター(1994)」を見ました。それにもチュンリーは出ていたと思います。 そんな程度であっても、実写版チュンリーがどんなバトルシーンを見せてくれるか、期待が膨らみます。 今回出向いた映画館には、ある記憶がありました。だいぶ前に「ブギーマン(1982)」を見ました。クライマックスで、いよいよブギーマンがジェイミー・リー・カーチス扮するローリーを追いつめて、さあどうなるか、というところで館内の電灯がパアっと明るくなってしまったのです。当然、画面には何が映っているのかよくわかりません。 どうやら映画館の人が、映画の終了時間をまちがえて、早く電灯をつけてしまったようでした。観客の楽しみを奪う杜撰さです。もしこれがプロレス会場ならば、観客は暴動が起こします。ところが、映画が終わるやお客さんはおとなしく帰って行くではありませんか。だれも文句を言わない。しかもパンフレットまで買っている。映画館側からの謝罪もないし。臨戦態勢を整えていたこちらも、拍子抜けしてしました。 この映画館に来るのはそのとき以来のことかもしれません。もしかしたらあのとき、「もうこんな映画館くるものか」と思ったのかもしれません。忘れてしまいましたが。 さて、映画の方は、期待はずれ。 配役が、なんだか垢抜けない。主役のチュンリー以外は、みんなニンニクの入っていない餃子みたいにしまらない風貌なのです。いかにも二流、二級といった感じ。悪役も、極悪非道な犯罪組織のボスのはずが、英語教材販売会社のせこい支店長にしか見えない。 ただ一人、チュンリーは、とてもチャーミングでした。なんとなく丸みのない篤姫に見えましたが、そう思ったのは私だけか。 あと、アクションも、化学調味料で味付けした赤蕪漬けみたい。生の迫力を感じません。 それから、チュンリーはお父さんの救出に向かったのだけれども、そのお父さんがあっさりとひねり殺されてしまいます。悪のボスにとって、世界中にネットワークを結ぶ大切な人材として誘拐されたはずなのに、いつのまに用済みになったのか。そして、チュンリーに格闘技を教えた強い人だったのにね。これではチュンリーの復讐劇の、ただ単に理由付けされただけ。 そうこうするうちに、クライマックスあたりで眠ってしまいました。目が覚めたら、敵のボスが死んでいる。チュンリーと敵のボスのバトルは見ずに終わってしまいました。やはりこの映画館では、一番いいシーンを見逃してしまうのか。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
March 1, 2009
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とってもいいです。映画は、現実を完璧に超越しています。スプラッター・アクションとうたっているだけに、血飛沫、人体破壊の連続です。だから、何度も繰り返し見たいとは思いません。けれど、小賢しい日常的なリアルさとの整合性なんか吹っ飛ばして、虚構の世界をたっぷり堪能させてくれます。 女子高校生アミは、中学生の弟のユウと二人暮らし。両親は、殺しの冤罪をかけられて、子供二人を残し自殺してしまいました。今度はまた、弟ユウがいじめにあい、殺されてしまいます。いじめの中心になっていたのが、ヤクザの息子。このヤクザ、なんと忍者服部半蔵の子孫なのです。これらの設定を見れば、いかに虚構性が際立っているかわかりますね。 アミは、弟の復讐に立ち上がります。朝一番で、いじめに加わった一人の家に乗り込みました。「悪いわね、朝から天ぷらで」いじめっ子の母親の言葉に食卓をみれば、なんと天ざるが並んでいるじゃありませんか。この不自然な朝食はなんなのだ。と思っていると、子供を守ろうとする父母と乱闘になり、アミは台所で水溶き小麦粉のボウルの中に左手をついてしまいます。そして、母親がアミの左腕を強引に油の鍋につっこむと、天ぷら一丁できあがりってそんなアホな。 アミはスポーツ万能で、強いんです。それが細腕の母親に力負けして、鍋につっこまれることはまずありません。必死に抵抗するはずです。そして、水溶き小麦粉がついたのは手の部分だけなのに、油で揚がったら、肩までの腕全部に衣がついてる始末です。 つぎに、ヤクザの親分の家に殴り込むと、多勢に無勢、奸計にはまってアミは捕らえられてしまいます。ヤクザの掟は、刃向かった者の指を詰めること。アミも指を切り落とされてしまいます。しかし、アミの処置について妻ともめた親分が、うっかり刀をすべらせてアミの片腕を切り落としてしまいます。 このあたりは、香港映画「片腕必殺剣(1967)」へのオマージュを感じます。「片腕必殺剣」も、元の恋人が振り回した刀によって、すっぱりきれいに主人公の片腕が切断されてしまいました。 香港映画との関連でいえば、「片腕必殺剣」のカンフー版「片腕カンフー対空とぶギロチン(1972)」に登場する空飛ぶギロチン(長い鎖のついた帽子に牙が生え揃ったみたいになっていて、敵の頭上からすっぽり頭を覆い、首を切り落とす武器。ハァハァ)が、この映画にも出てきました。ヤクザの親分が必殺の武器として振り回します。 そして、いよいよアミは片腕にマシンガンを装着し、ヤクザの忍者軍団との最終決戦に向かいます。このマシンガンを、町の自動車整備工で作っちゃうところが凄い!工具と設備さえあれば、マシンガンができるという世界観を、見ているこちらは抵抗なく受け入れられます。映画は、虚構ですから。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
December 28, 2008
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東シナ海のある島で毎年開催される世界最強決定格闘トーナメント「デッド・オア・アライブ(=DOA)」。今年の大会に招かれたのは、忍者のかすみ、女子プロレスラー、ティナ、殺し屋&強盗のクリスティー。しかし格闘トーナメントの裏には、恐るべき計画が・・・。「DOA/デッド オア アライブ(2006)」監督:コーリー・ユン出演:かすみ:デヴォン青木 ティナ役:ジェイミー・プレスリー クリスティー:ホリー・ヴァランス ハヤブサ役:ケイン・コスギ あやね役:ナターシャ・マルテ エレナ役:サラ・カーター 島で行われる格闘技トーナメント、そして主催者が企てる国際的陰謀。この設定は、お馴染み「燃えよドラゴン(1973)」からもってきていますね。デジタル時代の「燃えよドラゴン」か。格闘シーンには、CGIがほどよくミックスされています。 「燃えよドラゴン」は、男ばかりの闘いでした。ところが「DOA」は、男女混合戦です。映画の売りは、格闘技に秀でた美女軍団みたいだから、女性が活躍することに異論はまったくありません。女性が勝ち残ってもいいです。けれど、説得力のある勝ち方をしてほしいなあ。なんか男の格闘家は、筋肉バカみたいなのばっかりです。もうちょっと魔裟斗のような鋭い格闘家を出せば、スリリングなバトルになったと思うのですが。 といっても、主催者の目的は、バイオテクノロジーで才能ある格闘技者の遺伝子データー(?)を盗むこと。特殊なサングラスをすることで、そのデータを他者が自分のものとすることができるらしい。個々人の筋肉の強さや柔軟性など体の特徴が異なるのに、格闘技術だけをコピーできるものかね。それはさておき、目的がそこになるから、格闘トーナメント自体はどうでもよかったのだと読み取れますね。だから、男の格闘家は情けなかったというわけか。 まあ、ケイン・コスギとか、強い男の人もいることはいます。この人たちは、善玉なので、格闘美女軍団とは闘いません。 ケイン・コスギ、「殺された兄の秘密を探る」といって、真正面から敵基地に挑んでいきます。見張りを続々と倒していくんだけど、そんなことしてたら疲れて目的地に辿り着けないでしょう。「燃えよドラゴン」のブルース・リーは、闇に紛れて侵入しましたよ。それでも見つかってしまって、仕方なく大乱闘になってしまいました。無謀と慎重、この違いは映画の深見にかかわります。闘いの果てにケイン・コスギは、通路で行く手も戻る道にもシャッターが降りてきて、閉じこめられます。ここは、ブルース・リーの場合と同じでした。 この映画は、展開はスピーディです。でも、一本調子で流れているのじゃないかな。まず、ストーリーの軸となるものがつかみにくい。格闘トーナメントにあるのか、陰謀の阻止なのか、行方不明の兄の探索なのか、そこらへんがボヤッとしています。だから、見ている方は、どこにゴールをもっていけばいいのか、困ってしまいます。 そして、主人公に同化するポイントがうまく見つかりません。物語に入り込むためには、登場人物の性格に興味を引かれたり、その人が抱えている問題を共有したりする必要があります。この映画では、恋人を探す女忍者、真の強さを求める女子プロレスラー、警察に追われる女強盗などが出てきます。しかし、それらの個人的な事情がその後の展開の中であんまり生きてこないんだすね。 「燃えよドラゴン」でも、妹の復讐、借金取りに追われる、警察をぶちのめしてしまった、などそれぞれの登場人物に因縁や過去がありました。そういったものが、ストーリーやキャラクターにもからんでいたので、物語に入っていけました。 この「DOA」は、もともとはビデオゲームだとのこと。ゲームであるならば、キャラクターを自分で動かすので、そこで同化できるものがあるのかもしれません。でも、映画は観客に働きかけるものですから、美女軍団の格闘技戦を見せるだけにしたって、ゲームとは異なる工夫が必要です。藍昂太郎会員制ファンクラブログ人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。みんなブルース・リーになりたかった
November 4, 2007
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闘う女。病気と闘う、社会と闘うなどの意味ではありません。闘う女と言えば、女子プロレスラー。昭和40年代頃、新聞のテレビ欄に初めて女子プロレスの番組を発見したときは、とても恐かった。しかも対戦カードは、巴ゆき子対ミスZ(覆面レスラー)の“デスマッチ”!恐さのボルテージが×4に跳ね上がり、ドキドキしながらチャンネルを合わせました(恐いけど、それでも見てしまう子供でした)。 何せ、女子柔道もなかった時代。マラソンだって、アべべ、円谷など男子だけのもの。女性はおしとやかというのが通り相場。女だてらに、ケンカまがいのプロレスをするなんて、タブーに近い感覚があった。殴ったり、殴られたり、蹴ったり、蹴られたり、か弱い女性がそんなことに耐えられるだろうか、とても心配でした。実際に見てみると、凄惨、残酷なイメージはありませんでした。普通にプロレスの試合として見られました(巴ゆき子さんは、男っぽい雰囲気でした)。 その頃の女子プロレスは、“女版”プロレスだったと思います。つまり本来男がやるものであるはずのプロレスを女がやるというもの。名称からしてそうでしょ。男子の方はあらためて“男子”プロレスとは断らないのに、女性の方は“女子”プロレスと頭につくわけです。キワモノ的だったといえるでしょう。 その後、女子プロレスは、マッハ文朱、ビューティー・ペア、クラッシュ・ギャルズなどが、同性である女の子達からアイドルとして人気を集めました。さらに、全日本女子プロレスのメンバーが、男子のユニーバーサル・プロレスに定期的に参加したことで、ミーハー(失礼。もしかして死語?)の女の子から一般のプロレス・ファンに、女子プロレスの面白さが伝わりました。 ユニバでは、アジャ・コングやバイソン木村といった典型的な悪役に対して、これまた善玉の固まりのような豊田真奈美がらみの試合が行われました。豊田は飛翔天女と呼ばれるように華麗な空中殺法と柔軟な体躯を生かした技の切れが美事でした。そこに展開したのは、女性にしかできないプロレスなのです。それを契機に、女子プロレスの会場に男性のプロレスファンが集まりました。“女版”プロレスから、脱出したのです。 映画の世界でも“女版”はありました。「めくらのお市」シリーズ(1969~70)、「女左膳」シリーズ(1937~69)、「女必殺拳」シリーズ(1974~1975)など。しかし、不良少女が暗殺者に育てられる「ニキータ(1990)」以後現在に続く闘う女の作品群は、“女版”ではなく、まさに華麗なる“ヒロイン・アクション映画”の世界。今や「トゥームレイダー」シリーズ(2001~2003)、「バイオハザード」シリーズ(2002~2004)、「アンダーワールド」シリーズ(2003~2006)など、ヒロイン・アクションは花盛り。女性が拳銃を握り、ハイキックなどのカンフー系の技を繰り出す姿はじつに美しい。 かつては、女性が主人公のアクション映画でも、屈強な男性の助けを借りるというパターンが目立ちました。けれど暗殺者夫婦が互いにバトルを繰り広げる「Mr.&Mrs.スミス(2005)」では、まさに五分と五分。誰の助けもいりません。夫役のブラッド・ピットが余裕かまして「カモン」と手招きしても、反対に妻役のアンジェリーナ・ジョリーからボコボコにされていました。 「ダークブレイド(2005)」なんて作品も、パッケージの写真はガンを持ってポーズを決めた女性だから、ヒロイン・アクションにしか見えませんでした。喜んで本編を見てみたら、内容は全然ちがいました。ガンを持った女の人なんか、主役級から通行人に至るまで、まるっきり出てこなかったぞ!明らかに便乗商法だね。その手に引っかかってしまった私。情けない。それくらいヒロイン系は、商売になるってことですか。 さて香港映画「クローサー」です。冒頭スー・チー扮する殺し屋の女性が、妹(ヴィッキー・チャオ)と協力して、大企業の社長を暗殺する。ガン・アクションともにコンピュータによる誘導で危機を脱するなど、スリリングな展開です。そして、彼女たちを追うのも、凄腕の女性刑事(カレン・モク)だ。 映画の売りは“スタイリッシュでビューティーなアクション&サスペンス”だとか。そのためか、映像が少女マンガを思わせます。私、少女マンガの細い線、ソフトフォーカスの絵柄がダメなんです。目が受け付けません。やっぱりアクション映画は「男たちの挽歌(1986)」みたいなくっきりした線で描かれた骨太映像がいいなぁ。 と思っていたら、クライマックスに至る銃撃戦は大迫力!お見逸れしました。 ただ、まあこれは好みの問題だろうと思うのですが、主演グループのスー・チー、カレン・モクって、ビューティーですか?スー・チーは目が離れているし、カレン・モクってオランウータン系じゃないでしょうか(ファンの人、ごめんなさい)。その二人も、スタイリッシュであることを認めるのは全然やぶさかではありません。白い衣装で翔け回るところは、鳥のようです、殺し屋とは、黒ずくめと決まっていたことから考えるといささか目立ちますが。 少林サッカー(2001)に出ていたヴィッキー・チャオは、私も、十二分にビューティーだと思います(プロモーションに来日した映像では、スー・チーとカレン・モクがまばゆく輝いていました。反対にヴィッキー・チャオが意外にモサッとして見えました。なぜでしょう)。 敵側のボディガード役で、倉田保昭が出演しています。70年代カンフー映画大ブームの頃の主役級はみんな第一線を退いているのに、その頃から敵役をやってきた日本人の倉田が、未だに香港映画界でがんばっているのは凄いの一言! この映画では、拳銃がクローズアップ画面に登場し、ベレッタ92F、グロック18Cなどが識別できました。野山で、草花や蝶の種類が瞬時に分かる人がいますが、私は、拳銃がスクリーンを掠めただけで、その種類を見分けられるようになりたいと思うのです。毎週日曜日の朝には必ず更新しています。つぎも読んでくれたら嬉しいです。 人気blogランキングに参加中。クリックしてください。ご協力、よろしくお願いします。みんなブルース・リーになりたかった
April 22, 2007
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