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女神の見えざる手【Blu-ray】 [ ジェシカ・チャステイン ]主人公エリザベスは、はなはだとっつきにくい人柄だが、有能なロビイストである。けど、ロビイストってなんだ?ロビー活動、は聞いたことがある。ロビーには「議院内の控室」という意味がある。つまり、人々が「議院内の控室」に行って、議員(政治家)に対して陳情や働きかけをすることなのだ。ロビー活動というものは。そうした陳情などを行う人のことをロビイストという。しかし、エリザベスの場合は、プロのロビイスト、なのである。大手ロビー会社(そんなものがあるんだ)のやり手ロビイストとして華々しく活躍するエリザベス。目的を達するためには、手段を選ばないところがある。そんな彼女を見込んで、有力な銃擁護派団体から仕事の依頼が来る。銃規制の強化を支持する多くの女性を、イメージ操作することで支持派に変えさせてほしいというのだ。しかし、銃規制強化派のエリザベスは自分の考えを曲げることをせず、会社を辞める。そして、銃規制強化を支持する側の小会社に移籍する。その後、銃規制強化に向かってあの手この手で驀進していたエリザベスであったが、やがて様々な障壁が立ち塞がってくる。エリザベスの同僚エズメは、かつて銃被害を体験したことがわかる。エリザベスは、気の進まぬエズメを前面に押し出し、活動を進める。しかし、そのエズメが、銃規制反対派の男から襲撃を受けてしまう。間一髪エズメを救ったのは、銃を所持する一般市民による発砲であった。なんたる皮肉。この事件は、アメリカ社会における銃の必要性を実証する事例になってしまう。こんな事態を、逆転させられるのか?さらに、銃規制強化を反故にするために、擁護派は、エリザベスの手口の違法性を問い、精神面やスキャンダラスな素行まで持ち出す・・・・。エリザベスは、信念を曲げない。銃規制強化はいいだろう。しかし、彼女は、頑なな性格なだけなのではないか?単なる自己有能感追求の鬼なのではないか?そんなエリザベスは、ワーカホリック状態であり、仕事面でもプライベートな面でも、事務的、機械的、合理的で、人間味や温かみが感じられない。「敵の不意を突くこと。突かれてはいけない」なんて言われると、引いてしまう。そのため、見ていてエリザベスに感情移入することが難しかった。「勝者は相手の一歩先を読んで、相手が切り札を出したあとから自分の切り札を切る」というエリザベスの決めゼリフも、最初は作為的で冷たく響いた。ところが、その印象が激変する・・・。やがて、悪の本性ならぬ、エリザベスの本質が見えてくるのだった。銃規制がらみの展開もさることながら、エリザベスが興味深い。 もうひとつ、人を信用しないエリザベスだったが、窮地に陥る寸前で思わぬ温情に救われる。それはエリザベスにとっても、まったく想定外の、信じられないできごとだったのではないか。おそらく、そこでエリザベスは、人間に対する見方が変わっただろう。仕事もプライベートも事務的、機械的、合理的。他者の目には、そんなふうに映るエリザベス。彼女の見え方に、大どんでん返しが起こる。エリザベスを演じたのは、ジェシカ・チャスティン。フィルモグラフィを調べてみると、『X-MEN:ダーク・フェニックス(2019)』『“それ”が見えたら、終わり。(2019)』など、見ているはずだが・・・。 名探偵ポワロ「オリエント急行の殺人」(2010)の“家庭教師”メアリー・デベナム役は、エリザベスとは全然印象が違った。 このあと、『ゼロ・ダーク・サーティ(2012)』を見てみよう。X-MEN:ダーク・フェニックス【Blu-ray】 [ ソフィー・ターナー ]IT/イット THE END “それ"が見えたら、終わり。【Blu-ray】 [ ジェームズ・マカヴォイ ] ゼロ・ダーク・サーティ【Blu-ray】 [ ジェシカ・チャステイン ]
June 1, 2024
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】舞台恐怖症 特別版価格:2,703円(税込、送料込) 原則的に、映画を見るまえに、情報は入れないことにしている。 その映画について更の状態で見た方が、意外性とか驚きとか、映画のおもしろさをしっかり受け止められるからだ。 そのようにして見るから、例えば『サイコ』のような有名な映画も、あますところなく楽しめた。 この『サイコ』は、公開当時、映画を観た人は結末を話さないでください、とか、映画の途中からは入場禁止、とかのルールが広報がされた。 さらに、ヒッチコックが来日し、監督自らが念を押すように、上記のことをお願いして回ったという。 当方が『サイコ』を見たのは、ビデオテープだった。 そんなもんだから、映画が公開されてからずいぶん年月が経っていた。その間に『サイコ』についての情報は、様々なメディアで紹介されている。 しかし、その情報にふれず、公開当時のルールのままに見たから、ジャネット・リーがどんな役どころなのか、あるいはアンソニー・パーキンスが、どんなパーソナリティーなのか、そういうこの映画のポイントを新鮮な感覚で味わうことができた。 さて、『舞台恐怖症』である。 この映画にも、重要なポイントがある。 そのことについて、当方はまるで予備知識がなかった。 あとで、この映画について調べてみたときに、このポイントがいわば論点にもなっていることがわかった。 今回、そのポイントについて語ることになるわけだが、『舞台恐怖症』を見ていない人がこれを読むと、楽しみが半減する。そのことだけ、先にお断りします。 ではでは。 冒頭、ジョナサンは、ひきつった表情で、恋人?のイヴに、殺人事件の犯人と疑われたかもしれないと語る。 ここから回想シーンとなる。 大女優・歌手のマルレーネ・ディートリッヒ演じるシャーロットがジョナサンのもとにやってきて「夫を殺した」という。 ジョナサンは、返り血を浴びたシャーロットの着替えを取りに、殺人現場であるシャーロットの家に行き、そこでメイドに姿を見られて逃げ出してきた。 この回想シーンは、克明に描かれている。 当方は、その回想シーンのできごとを前提として、映画の続きを見ていたのだ。 ヒッチコックのお得意は、ある男が「間違われ」て事件に「巻き込まれ」るパターンである。だから、今回もそうかと思ってた。 とこうが、ラストになって、ジョナサンの証言がウソであったと分かるのだ。 「えー!?」 この期に及んで、「ジョナサンが真犯人だった」のかい、それはないだろう、てなもんだ。 この展開については、ヒッチコック監督自身が「失敗作だった」と言っているそうだ。それはそうだろう。 しかし、サスペンス映画の新しい手法と評価する向きもあるとのこと。 まあ、賛否両論あったのだね。 いずれにしろ、このポイントについて、当方は全然知らなかった。 だから、「ジョナサンが犯人だった」とわかったときには、素直に衝撃を受けた。また、この展開について、誰の意見でもなく、自分の率直な感想をもつこともできた。 だから、映画のデキとか内容とか、失敗作だったかどうかはともかく、『舞台恐怖症』も楽しい映画体験となったわけだ。映画 ブログランキングへ
October 4, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】海外特派員 -デジタルリマスター版ー [ ジョエル・マクリ...価格:3,324円(税込、送料込)この映画も、ヒッチコックの「名場面」満載だ。もちろん、「特撮』名場面も。たとえば、雨のアムステルダム(っていう映画があったな)、平和会議の会場前で殺人事件が起こる。びっしりと群衆が埋まり、ひしめき合う傘の中を犯人が逃げ惑うシーン。それから、背景にミニチュアを使った風車が画面の奥から手前へと並ぶシーン、など。どれも映画的、映像的な快感を味わえる。そんな中でも、とりわけ感動的だったのが、クライマックスの飛行機のシーンだ。スクリーンに空路を行く飛行機が登場する。とても重量感がある飛行機のボディ。だが、よーく見るとその屋根から上方に向かって線が見える。そうなんだ、この飛行機はピアノ線か何かで吊ってあるんだー。つまりこれは実物の飛行機ではなく、模型なんだとわかる。模型だとわかったあたりで、カメラがずーっと飛行機の機体から窓へと寄っていく。すると、カメラが窓ガラスをくぐり抜けたような印象で、なんと機内のシーンが現れる。乗客らが語り合っている。もちろん、ピアノ線で吊っている模型の中に、役者さん達が乗り合わせていたわけではない。模型は模型、客席のセットはセットで別物だ。もし、線で吊ってあることに気づかず、実物の飛行機を使っていると思った人は、カメラが機外から窓ガラスを通り越して機内へと進入したと素直に受け取ったかもしれない。現実には、そんなふうにカメラが、外の空間から飛行機内の空間へと一気に入り込むことなどはできはしない。そうであっても、あり得ないことが現実に起こったと信じたくなるようなスムーズなシーンの切り替えだった。さらに、このあと、飛行機は、地上からの砲撃を受け海に墜落する。ここでも信じられない魔法のシーンが出現する。操縦席の風防フロントガラスから見る見るうちに海面に迫る様子が見える。これはスクリーンプロセスで、フロントガラスの前に海面の映像を映し出していたのだ、とわかる。そして、いよいよ操縦席が海面(の映像)に突入したと思った瞬間に、風防ガラスがわれて、飛行機に大量の水が一気に浸入してくるのだ。風防ガラスの前に見えていたのは映像ではなかったのか。それなのに、あたかも本当の海に突進していったかのように、なぜ風防ガラスを破壊して水が流れ込んできたのか。一体どうやって撮ったのだ?答は「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー(晶文社)』にある。『ヒッチコックに進路を取れ 山田宏一・和田誠(草思社)』にもある。映画 ブログランキングへ
September 27, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】第3逃亡者 [ ノヴァ・ピルビーム ]価格:1,749円(税込、送料込) ヒッチコックお得意の「巻き込まれ型サスペンス」であり、「間違えられた男」パターンの映画だ。 作家ロバートは、女優クリスティン殺害の第一発見者として、容疑をかけられる。 彼に取っては不利な状況ばかり。裁判を目前にしてクリスティン脱出に成功。警察署長の娘エリカの協力を得て、ロバートは容疑を晴らし、真犯人を見つけることができるのか。 この先どうなるのか、というストーリー展開もさることながら、様々な映画的サービスで見る者を飽きさせない。 たとえば、コメディタッチだ。ロバートは、裁判が始まろうとするときのどさくさにまぎれて逃げ出す。そのとき、他人から拝借した牛乳瓶の底のようなメガネで変装してまんまと脱出する場面など、思わず笑える。 そしてこの映画も、『バルカン超特急(1938)』と同じように特撮がすばらしい。 じつのところ、この特撮場面が、何よりもヒッチコック映画を見る醍醐味だと感じている。 この映画は、上映時間が84分だ。 当方が待ち望んでいた特撮場面は、映画が始まって50分くらいたってから見ることができた。 ロバートとエリカが、エリカの愛車とともに隠れ潜む深夜の貨物列車の操車場である。 貨物列車が並ぶ中に、エリカの車が駐車してある。 この場面がミニチュア・セットを使って撮影されている。 貨物列車は模型であり、ロバートとエリカは姿を似せた人形だ。 そこまで特撮場面は、ロバートとエリカが車で走るときに、背景としてスクリーン・プロセスが効果的に使われていたね。 さて、貨物列車の操車場場面だが、最初見たときは、なんでこんな場面でわざわざ手のこんだミニチュアセットをつくったのかな、と思った。 ロバートが、エリカひとりを残して事件の鍵を握る男(ウィル)を捜しにいくくだりでは、スクリーン・プロセス場面を背景として本物の役者が演じている。 そんな場面でも、ヒッチコックのこだわりから、臨場感を出すためにミニチュアのセットに模型の列車を走らせているのかな、と勝手に解釈しながら見ていた。 そうしたら翌朝の操車場場面で目を見張った。 まず、朝になって、貨物列車がみんな動き出してしまって、エリカの車は周囲から丸見えになってしまった。 この場面がミニチュアでしっかり確認できる。 そして、ロバートとウィルは、急いで車に戻っていく。 そこへ、容疑者(ロバート)発見の連絡を受けて警察が急発進する。 エリカの車が動き出したところに警察の車が駆けつけた 追う警察の車、逃げるエリカの車。 エリカの車は、間一髪通過する蒸気機関車の眼前をすり抜ける。 警察の車は、長い列車に阻まれて追いつけない。あわてて切り返して他の進路へ右往左往するが、操車場を行き来する列車やトラックなどがジャマになってエリカの車を逃してしまう。 この間約2分だ。 この2分間を、ミニチュア、模型、実景、スクリーン・プロセスをとりまぜてめまぐるしく、スリリングに見せてくれる。 じつに濃い2分だ。 さらに、特撮ではないが、いよいよ真犯人に迫る場面では、クレーン撮影を駆使して、見る者を圧倒する映像をつくりだしている。 サスペンス、笑い、そして、特撮などの様々な映像技法を駆使してあって、見応え満タンの映画だった。 そうそう、ホテルのダンスホールで、白人の楽団員たちが黒塗りになっていた。 アメリカの歌手、アル・ジョルスンが顔を黒く塗って、黒人に扮して歌ったのが大人気だったのは知っていた(映画『ジョルスン物語(1946)』。このころミュージシャンには、アル・ジョルスン・スタイルが流行だったのか。 いずれにしてもこの映画では、その黒塗りもサスペンスとして効果的に使われていたね。人気ブログランキングへ 【楽天ブックスならいつでも送料無料】【DVD3枚3000円2倍】ジョルスン物語 [ ラリー・パークス ]価格:1,000円(税込、送料込)
August 16, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ルームメイト [ 北川景子 ]価格:3,871円(税込、送料込) この映画の興味は、なんといっても北川景子、深田恭子の二大女優の競演、二枚看板、ツートップにある。 ストーリーのさわりとしては、若い女性2人がルームシェアをすることになった。しかし、その一方がサイコであり、もう一方が恐怖の体験をする、といったもの。 ということはだね、二大女優のうちのひとりがサイコで、もうひとりがその犠牲者ということになるだろう、と推測するわけだ。 一方が「危ない人」でもう一方が「悲劇のヒロイン」って、二大女優もよくやる気になったねぇってなもんだ。どっちがどっちの役をやるのだろう? 例えば、プロレスにおいて、スター選手同士が試合を行うときは、気をつかうわけだ。 プロモーターとかマッチメーカーとかがね。 展開としては、地元のスター選手(日本なら日本人のエース級)に勝たせたい。 しかし、ビジターのスター選手(日本なら外国人の強豪)に傷をつけるわけにはいかない。 だから、引き分けとかリングアウトとか反則勝ちとかいったことになる。 きっちり勝負がつく形で試合は終わらない。 ジャイアント馬場やアントニオ猪木といって日本人のエース級は、基本、無様な試合、負け試合はできない。 エース級はあくまでも強いレスラーでいなければならないからだ。 しかし、フリッツ・フォン・エリックやブルーノ・サンマルチノといった外国人のスターレスラーも、ステータスがあるからあっさり負けることはできない。 つまり、レスラーには、個々のプライドがあれば、また商品価値もある。 そのため、どっちも光らせなくてはいけない。 そうなると、例えば試合中の激闘に運悪くレフェリーが巻き込まれてリング下にふっとばされてしまった。 その間に外国人レスラーが技を決めるが、レフェリー不在である。 ようやくレフェリーが戻ってきたら、形勢逆転して日本人レスラーが技を決めて勝負がついた。 こんなふうにすれば、本当はどっちが強いんだろうね、ということで、負けた方のプライドや商品価値も守られるのだ。 リングアウトとか反則勝ちなどは、勝負の結果は出るが、実力的には負けていない、どっちが強いかはわからない=どっちも強いという見方ができるわけだ。そして、つぎの試合まで決着は持ち越し、観客はそれを見にまた試合会場に足を運ぶのだ。 話を戻すが、『ルームメイト』の二大女優についてだ。 実際に映画を見ると、どっちかがサイコで、どっちかが悲劇のヒロインというわけではないことがわかってくる。 まず深田恭子だが、途中まで、サイコは深田恭子だと思っていた。 深田恭子は、子供が犬と遊んでいたら、「犬なんてかわいくない」という不気味な言葉を吐くばかりか、殺してしまったりする。そして、徐々にサイコ的行為がエスカレートしていく。 しかし、ネタバレなんだけど、深田恭子の存在は、じつは幻想だったのだ。 つまり、北川景子の人格がいくつかに分裂し、そのうちのひとつが深田恭子だったのだ。 この展開は、スター女優のプライド、商品価値という点でとても興味深い。 深田恭子は、サイコの汚れ役をやっていたはず。 ところが、それは実体のない幻想だったわけだ。 つまり、女優深田恭子としては、実体のある汚れ役をやったことにはならない。 深田恭子のサイコは、北川景子から生み出されたものだから。 この点で、深田恭子のスター女優としてのプライド、商品価値は守られている。 一方の北川景子はどうか。 結局、サイコは北川景子だったのだ。 しかしながら、サイコの部分は、深田恭子によって表現されている。 北川景子は、被害者として、悲劇のヒロインの印象が強い。 そして、最終的に北川景子がサイコだとわかっても、北川景子には同情すべき事情があることが示される。 北川景子が、サイコになっちゃったのは、彼女の本質とは別の悲惨なできごとのせいなのだ。 北川景子はどこまでいっても悲劇のヒロインである。 ということで、北川景子のスター女優としてのプライド、商品価値も守られている。 プロレスの場合、対戦するレスラーの両方のプライドや商品価値に気を配るあまり、不透明決着というつまらない結果になることもある。 しかし、「ルームメイト」は、二大女優のプライド及び商品価値を守ったのではないか。 形としては北川景子が主役である。しかしながら、深田恭子の存在がなければ、この映画は成り立たなかったからね。 だからといって、北川景子と深田恭子が仲良しになったということはでないだろうけど。人気ブログランキングへ
August 9, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】バルカン超特急 [ マーガレット・ロックウッド ]価格:1,458円(税込、送料込) 冒頭、ヨーロッパのパンドリカ国(架空の国)の雪山が映される。 この雪山は、マットペインティング、つまり背景画だ。 そして、カメラがずーっと右に動いていくと、雪崩の被害を受けた駅が見えてくる。駅から町並みへ景色は移っていくがこれらはミニチュアである。 ここで驚くのは、駅のプラットフォームに人影があることだ。これもミニチュアだなと思っていると、突然一つの人形がラジオ体操のように手を動かす。 え!?どうやって撮ったんだ?CGのない時代に、人の映像をはめ込んだのか?。 もう一回巻き戻して見てみると、やっぱりミニチュアの人形で、それが手の部分だけ動く仕掛けになっていたのだね。 しかし、ミニチュアだと思っているところに、こうした動きが入ると、リアルさが感じられる。 このあと、街を模型の車も走ったりするが、それは明らかに模型と分かった。だから、人形のミニチュアのような衝撃はなかった。 映画はつくりものである。 なにも実景を撮影して、上映しなければならないということはない。 実景以上に、こうして絵やミニチュアの建物を工夫して撮影(つまり特撮)するのは、映像ならではの表現といえるだろう。 この映画、もちろんストーリーも惹き付けられる。 主人公アイリスが英国に向かう列車に一緒に乗り込んだはずのミス・フロイが忽然と姿を消す。 そして、周囲の乗客たちは、ミス・フロイなんて最初から乗り込んでないという。 ヒッチコックお得意の「ありえない偶然」でとばし、そしてやはりお得意の「マクガフィン」も快調だ。 枝葉の部分でゴタゴタと説明するよりも、スリリングな展開とエモーションへの刺激で見る者を引っ張っていく。 これがヒッチコックの世界だ。 ※マクガフィン=なぜ狙われたのか、何を狙っていたのか、といった理由や原因等よりも、狙われた結果どうなったかという現象面をストーリー上で重視すること そして、やっぱりこの映画が楽しいのは、特撮だ。 列車が映画の舞台となっていながらも、実際の列車はあまり出てこない。 ミニチュアの列車を使った場面が頻繁に出てくる。 それから、スクリーン・プロセスも随所で効果的に使っている。 アイリスを助けるギルバートが、列車の窓から外へ出て、決死の覚悟で隣の個室へ移ろうとするとき、反対方向から列車来ちゃったぁ、ぎゃー、あぶないってところがスクリーン・プロセスで撮影されているんだろうけど、すっごい迫力だった。 ※スクリーン・プロセス(リア・プロジェクション方式)=セットや実景ではなく、スクリーンに映像を映し、その前で役者が演技をしているところを撮影する。 当方は、特撮ファンである。 特撮は、映画ならではのおもしろさを味わわせてくれる。 怪獣が出てこなくても、宇宙から円盤が攻めてこなくても、例え映画の隠し味的な使い方であっても、よくできた特撮を見ているだけで映画を堪能できる。人気ブログランキングへ
July 26, 2015
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江戸川乱歩の陰獣(DVD) ◆20%OFF!価格:3,192円(税込、送料別)陰獣価格:3,591円(税込、送料別) ミステリは趣味じゃないけど、江戸川乱歩はとてもおもしろい。作品の怪奇幻想テイストに魂が震える。 たとえば少年探偵団シリーズ。怪人二十面相は、単に変装の得意な怪盗の域に止まっていない。青銅の魔人、透明怪人、宇宙怪人、鉄人Q、電人Mなど、じつにお騒がせな異世界からの侵入者を演じてみせる。そのトリックも、リアリティのない説得力をもっていて虚構世界を堪能させてくれる。 『陰獣』は乱歩の小説である。1928年に発表された。それを原作として、日本映画『江戸川乱歩の陰獣』(加藤泰監督)、フランス映画『陰獣(Injyu)』(バーベット・シュローダー監督)もつくられた。 『乱歩の陰獣』は、かなり原作『陰獣』にそっている。 『Injyu』は、基本的な設定は踏襲しながらも、変更がある。 原作『陰獣』には、二人の作家が登場する。寒川光一郎と大江春泥だ。主人公寒川は本格派探偵小説を書き、春泥は変格派探偵小説の作家である。 本格派は、「探偵型」であり、「ごく健全で、理智的な探偵の経路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などにはいっこう頓着しない作家」と説明されている。 変格派は、「犯罪者型」という言い方もして、「犯罪ばかりに興味を持ち、たとえ推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐な心理を思うさま描かないでは満足しないような作家である」とのこと。 つまり、両者は光と影、陰と陽だ。 寒川は、常識的でまじめである。寒川は、作家春泥をその作風から忌み嫌っていた。そして、実業家夫人静子との邂逅をきっかけに、単に小説だけではなく、春泥の変態的、猟奇的な行動を知り、春泥が犯人と目される殺人事件に巻き込まれていく。 最初は春泥に嫌悪感を抱いていた寒川だが、徐々に春泥的ワールド=ダークサイドにハマっていくのである。 乱歩は、本格探偵小説の実力を備えながら、怪奇幻想、通俗探偵小説を生み出した。 ぼくが読むのは、乱歩の非日常性、虚構性の強い作品だ。少年探偵団シリーズではない一般向けの作品では『人間豹』『猟奇の果て』『黄金仮面』などは、その世界に快く浸ることができた。 しかし、世間一般からしたら、非日常性や虚構性の強い作品、及びその愛好者は異端視されることでしょう。 松本清張みたいな社会派推理小説に対しては、世間の評価は高い。そういうのを読んでいると知的と評される。 そういうことって、好みの基準が、自分にあるか世間にあるかのちがいにも思えるけどね。 それはさておき、『陰獣』は、寒川と春泥の相反する二者の物語だ。 『乱歩の陰獣』は、この原作の設定を踏襲している。 しかし、『Injyu』は違うのだ。 寒川に相当する登場人物はフランス人作家のアレックスである。アレックスは、最初から春泥に傾倒する作家なのである。とはいっても、常識はずれの嗜好や行動を見せるわけではない。寒川と同じノーマルサイドの人間として設定されている。なんだか中途半端じゃないの。 アレックスは日本にやってきて、敬愛する春泥に会いたいと願うが叶わない。しかし、芸妓の玉緒とかかわるようになり、次第に怪しい世界に足を踏み入れ、事件に巻き込まれていく。 『陰獣』と『Injyu』はいろいろとちがう部分がある。その中でも、つぎのちがいは大きいと思う。寒川は、自力で事件の真相解明に挑む。しかしながら、アレックスは、他人から真相を聞かされちゃうのだ 『陰獣』の陰と陽は、変格と本格、変態と正常だった。 じゃあ、『Injyu』の陰と陽って何なんだ。『陰獣』の二項目は『Injyu』も匂わせているが、そんなに強とは感じない。 それは、単身日本に乗り込んできて翻弄されるアレックスの様子から、「西洋と東洋」だ!と思ったね。 ぼくが見たかったのは、乱歩特有の非日常性とか虚構性だ。でも、その点では、『Injyu』は物足りなかった。 それは、たとえば異常性欲の扱い方、描き方だろう。 小説『陰獣』では、その時代には、SMなんて想像を絶するほどイヤらしく淫靡な世界、つまり非日常であり虚構の話だっただろうことが想像できた。 『乱歩の陰獣』では、時代が進んで価値観が変化したことを考慮して、設定も変えてあった。SM愛好者の人間性に変更を加え、そこにイヤらしさ(非日常性、虚構性)を増幅させた。 けれど、この21世紀という価値が多様化している中で、SMといったってそれほどインパクトないしね。 フランス人からしてみれば、東洋、日本、京都、芸妓ってのが、今もってなお十分な非日常性、虚構性を備えているという話に思える。
January 15, 2011
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スリラー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックからは、マクガフィン、エモーションなど映画についての感銘深い言葉を学びました。 その中には「冷蔵庫のミルク症候群」もあります。これは、劇場で映画を見た観客が家に帰っれ冷蔵を開け、ミルクを飲みながら、ようやく作品の論理的な矛盾に気がつくというものです。 映画は、作り話としておもしろいことが一番大事だと僕は考えます。突拍子もないモンスターは、とても現実的ではありません。でも、スクリーンの中に確かな臨場感があれば、モンスターの存在を楽しむことができるのです。 ヒッチコックの映画には、超自然的なモンスターは登場しない。でも、論理性より、ストーリーのおもしろさとサスペンスのドキドキ感を重視します。そのようにして映画に引き込まれるから、見ているときは論理的な矛盾に気付きません。興奮が冷めて、映画を振り返ったとき「あれ?」と思うことが出てくることがあるというわけです。 「フレンジー」は、一時低迷していたヒッチコックの復活作といわれました。 ロンドンにネクタイ絞殺魔が出没する。犠牲になった女性は、全裸の首にネクタイが巻かれている。何をやってもうまくいかない男(僕みたい!)ブラニーが、絞殺魔に間違われ追われる身となる。 ストーリー展開もさることながら、警察官夫婦の会話が楽しい。普通の食事をしたい夫の警部ですが、妻は妙に凝った料理を出します。その食卓で、プロの警部に対して、主婦である妻が犯人について核心をついた意見を述べるのです。この組み合わせ、演出は、ヒッチコックならではの手際のよさを感じます。 さて、この映画の中で、僕はあることにひっかかってしまいました。 どうしてネクタイが真犯人の手掛かりにならないのだろう? たとえば、真犯人は、絞殺した死体をジャガイモ袋につめてトラックに投げ込む。その直後にネクタイピンをもぎとられたことがわかり、真犯人は、発車するトラックに飛び乗り、必死にネクタイピンを探す。開いた袋からジャガイモが転がり落ち、後続の車に呼び止められるなど、スリルに満ちたくだりです。 あるいは、犯人に間違えられたブラニーは、ホテルに身を隠す。そのとき、ブラニーの着ていたジャケットをホテルのボーイが覚えていて警察の手配書に書かれたジャケットと一致したため、ボーイは警察に通報する。 真犯人は、自分の持ち物であるタイピンが犯行の手掛かりになることを恐れました。なのに、なぜネクタイだけは、いつも犯行を誇示するように被害者の首に巻いたままだったのでしょう。 そして、ジャケットを見て指名手配された者が分かってしまったのに、なぜネクタイは見過ごされたのでしょう。 ネクタイピンについては、犯人のイニシャルになっていて特徴的なものだから、持ち主がすぐ特定される。しかし、ネクタイは特注品などではないので見逃してもいいと考えたのでしょう。 しかし、1枚のジャケットがマスコミに公開されたことで指名手配がバレてしまうのです。その理屈からいえば、1本のネクタイだったら偶然としても、犯行に使われたネクタイを何本も公開すれば「いつもあいつがしているネクタイだ」と持ち物がわかるはずです。映画の中で、ネクタイが公開される場面はありません。これはネクタイ絞殺魔という犯人の異常性を強調するために、どうしてもネクタイを残しておきたかったのですね。そして、手掛かりになるネクタイに触れることはしなかった、と。 僕がこの映画を見たのは2回目です。初めて見たときに、ネクタイについて不自然な感じをもったかどうかは、覚えていません。ずいぶん前のことなので。印象に残っていないということは、多分、展開に夢中で気が付かなかったのでしょう。 2回目は、ストーリーなどは分かっていました。そのためネクタイに目が行ったのかもしれません。今回はアイスケフェモカを飲みながら見ていました。こういうのは「冷蔵庫のミルク症候群」ではなくて、「2回目のアイスカフェモカ症候群」とでもいうのかな。
May 30, 2009
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コピーショップの店員ジェリーとシングルマザーのレイチェル、まったく面識のない二人が目的も知らせぬまま、誰かの指示で行動させられていく。指示は、たまたま隣合わせた人のケータイを通して、あるいは街の電光掲示板を利用してなど、通常では考えられない方法で次々と送られてくる。人質を取られているから、指示に逆らうことはできない。なぜ、どうして、どうやって。さらに命がけのダイブやカーチェイスが続き、ドキドキ、ハラハラの展開です。 が、見ている私は、心配が沸いてくるのです。こうやって表面的な仕掛けがすごい映画の場合、事件の背景や犯人など真相を明かされたときにアホくさかったりショボかったりして、納得できないことがあるのです。往々に。 プロレスの試合においても、遺恨とか完全決着とかいって煽られて、試合もガンガンやりまくるのだけれども、最後は両者リングアウト、反則負け、あるいは逆さ押さえ込みなどのしょぼい技で決まってしまったりすると、高揚した気持ちのもって行き場がなくなってフラストレーションがたまります。 例えば「インディペンデンス・デイ(1996)」は、途中までは圧倒的な見せ場で興奮しながら見ていましたが、後半でしぼんでしまいました。見かけは頑丈な板だと信頼して歩いていたら、バリッと破れて足を突っ込んじゃったようなもの。 そういう懸念を抱きながらも見ていると、「イーグル・アイ」は様々な映画の記憶を呼び覚まします。「地球爆破作戦(1970)」「デジャヴ(2006)」「ダイハード4.0(2007)」など。さらに「知りすぎていた男 (1956)」「北北西に進路を取れ(1959)」あたりの引用を見るに至っては、ヒッチコックになりきって映画作りを楽しんでいるのかな、と思ってしまいます。 それらの過去の映画に気付いたからといって、シネフィルを自慢しているわけではありません、多少アピールしたいところはあるけどね。むしろオリジナリティを出してよといいたくなる。「キル・ビル(2003)」は、元ネタがわかると嬉しかった。多分マニアックな引用だからでしょう。でも、「イーグル・アイ」はそういう楽しさは感じませんでした。過去の映画を並べているだけ。 ともあれ、映画においては見せ場の連続を用意しても、アイデアがそこ止まりで失望することがある。現象面だけではなく、登場人物の当面する問題の大きさや決着の付け方がしっかりしていないと楽しめません。絵空事でもこじつけでも、ちゃんとバランスの取れた理由付けをしないといけないんです。 で、「イーグル・アイ」ですが、これは仕掛けにくらべて解決に至る過程が見劣りしなくて、おもしろいと思いました。映画を娯楽の一つととらえた場合には、「イーグル・アイ」は楽しい映画であることはまちがいないと思います。 ただ、おもしろいと感じる映画とそれ以上に思い入れを感じる映画とは異なります。こだわるねぇ。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
May 23, 2009
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意表を突くとは、まさにこの映画のようなことをいうのでしょう。しかも、私好みのテイストでした。今回は、意表外の展開についてお話ししますので、これから映画を見る方、その予想しなかった展開を楽しみに取っておきたい方は、映画を先に見てからお読みください。「デジャヴ(2006)」監督:トニー・スコット出演:ダグ:デンゼル・ワシントン クレア:ポーラ・パットン 映画を十分に楽しむためには、なるべく予備知識がない方がいい。だから、映画館では、予告編の時間に目をつぶっています(そのまま眠ってしまう場合もあったりして)。予告編を見ることにより映像の先行情報が入ると、本編を見たときに新鮮さが失われます。また、予告編の映像をつなぎ合わせて、頭の中で勝手に映画を作って、一人で盛り上がってしまうこともあります。そうするとデジャヴができてしまうのです。実際の映画が想像したものよりつまらない場合は、余計にガックリきます。だから、予告編は見ません。 当然雑誌や新聞の映画に関する記事は読まない。映画の原作小説やノベライズなどは、映画を見終わった後に読みます。 そのようにしていても、まったく白紙の状態で映画に臨むことはできません。なんだかんだであらすじや見どころなどの情報が耳に、目に入ってきてしまいます。さらに、映画を選ぶときは、最低限ジャンルを参考にします。ホラーかアクションかコメディかなど。そうすると、ある程度内容の予測がつきます。それぞれのジャンルには、特有の展開やお約束ごとがあるからです。 今回、レンタルビデオ屋さんで「デジャヴ」を借りたのは、ジャンル的にサスペンス・アクションの内容を期待したからです。 テロによりフェリーが大爆発、乗客543人が死亡する大惨事がおきる。ATF捜査官のダグ・カーリンは、事件を追ううちに川に流された一人の女性、クレアの死体を発見。彼女は、爆破テロの犠牲者と見せかけて、実はそれ以前に殺されていた。タグは、これまでクレアを見たことはないはずなのだが、なぜか会ったたことがあるように (デジャヴ)感じる。 ATFとは、アルコール・タバコ・火気局だそうです。アメリカにはいろいろな捜査官がいるものです。 ダグは、捜査のために、スパイ衛星による監視システムの録画映像を見せられる。そこには、クレアの私生活が映し出されているのです。なんと、家の中までカメラは侵入し、シャワーを浴びている様子も見えてしまう。(スパイ衛星からは、こんなふうに個人の生活が覗かれてしまうのか、恐いな、と思う私)しかし、様々なカメラから撮った映像を編集する都合で、4日と6時間前の映像しか見られません(編集に4日と6時間がかかるのです)。しかも、動画の容量の関係で、早送りや巻き戻しはできないとのこと。(うん?なんか変だなあ。便利な割には制約が多いな、と思う私) やがてダグは見抜きました。そう、じつはこの装置、偶然から開発された過去を覗き見るカメラだったのです!(な、なにい?)時空を折り曲げることにより、過去を撮影して現在に映しだすことができるのだそうですよ。 さらに、ゴーグルをつけて外に飛び出せば、映像を見ながら過去の犯人の足取りを追うことができる。その場にはいないけれど、映像には映し出されている犯人の車とカーチェイスを繰り広がるダグ。現実の世界ではほかの車が走っているのだから、ボンボンぶちあててしまいます。事件を解決するために、無関係の犠牲者が新たに出ていますが、いいのでしょうか。 ダグは、言います。「捜査官として自分は、いつも事件が終わって、犠牲者が出た後で犯人を捕まえている。オレは、犯罪の被害者を未然に救いたいんだあ」 ダグの言葉にウソはないと思います。けれど、ダグが本当に救いたかったのは、美しいクレアではなかったのか?生きているクレアに会いたかったのだよ、きっと。なんてね。 「過去が現在に通じているのなら、逆に過去にメッセージを送ることはできないのか」ダグは、過去監視装置のスタッフを問いつめます。なんと、これができるのです。ダグは、過去の自分に手紙を書いて送りました。しかし、過去のダグは、机の上のメモを見ない。ダグの同僚がメモを見て、捜査に繰り出してしまう。このあたりの展開がにくいねえ。一筋縄では行かせないんです。 同僚は、ダグのメモのせいで死に追いやられてしまう。 「自分が過去に行くしかない!」 ほんとかよ!? 「なるべく質量を軽くするんだ」とタイムトラベルの装置に入る前に、服を脱がされるダグ。おまえはターミネーターか? ここなんです、驚くべき展開は。ついにダグ捜査官は過去に行ってしまうのです。これは完全にSFの展開です。サスペンス・アクションの領域ではない。掟破りの越境行為なのだ。このようなジャンルに縛られない展開は、好きだなあ。 考えてみれば、543人がいきなり爆死するというすべりだしも異例です。そして543人を死に追いやった犯人を捕まえるより、543人を救う方がサスペンスフルだしカタルシスも大きいのです。最初に543人が爆発に巻き込まれた段階で、何かあると思うべきでした。 「フロム・ダスク・ティル・ドーン(1996)」も、最初はアクション映画かと思っていたら、途中からゾンビが出てきてホラーになり、びっくりしました。今回は、SFにチェンジするというのではなく、サスペンスにSF的なギミックを取り入れたという感じでした。 それにしても、こうやってジャンルの浸食作用が起きると、予想外のことが何でもできてしまいます。007が超能力をもち、宇宙人と闘う映画がつくられるかもしれない(荒唐無稽が過ぎますか?)。やっぱり映画は、先行情報をカットして見たいですね。何が起こるか、楽しみが激増します。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
December 9, 2007
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千葉、栃木、茨城限定の激甘缶コーヒーがあると知り、飲んでみました。これが、ウマイ!甘さの秘密は、練乳仕立てなのです。それを知ってから、コーヒーメーカーで淹れるコーヒーにも、練乳を垂らして飲むようになりました。 甘好きな私は、和菓子などを頬張ったときの口に広がる甘さに、至福の瞬間を感じます。けれど、甘ければなんでもいいというものではありません。粒餡と漉し餡では、断然粒餡に軍配を上げます。例えば、最中をいただいたとします。喜び勇んでパクッと食べた瞬間に中身が漉し餡だとわかると、なんだか損をしたような。上品な漉し餡もいいのだけれど、せっかく餡を食べるのだったら、やっぱりワイルドな粒餡。最中が粒餡だったら最高に満足できたのに、という具合です。 映画「バウンド」は、「マトリックス(1999)」で一世を風靡したウォシャウスキー・ブラザースが1996年に作った映画です。刑務所を出たばかりのコーキーとマフィアの情婦であるヴァイオレットは、出会ってすぐにレズビアンの関係をもちます。二人は、ヴァイオレットの情夫、シーザーが預かっている大金を奪って逃げようと作戦を立てるのです。 ストーリーとしては、持ち逃げの計画はうまくいくか-シーザーがトリックに気づくかどうか-をハラハラ、ドキドキで追っていくものであり、コーキーとヴァイオレットは互いに裏切らないか、についても心配で見守る必要があります。 映画開始から、傷だらけのコーキーが猿轡をかまされて横たえられている姿をインサートしてストーリー展開の興味を引いたり(今は自由にしているコーキーだが、いずれは誰かにとっつかまることを示す)、暗いシーンからズームアウトすると、それは床に落ちた銃口で、背後に人間の動きが見える、など映像的な工夫が随所に見られます。 この映画、“スタイリッシュなクライム・サスペンス”との評判を得ているらしい。映画会社の宣伝惹句かもしれませんが。 “スタイリッシュ”だからか、コーキーとヴァイオレットが、互いを求め合いベッドシーンに至る描き方も、官能的ではありますが、エロ方面に脱線していません。他の映画では、サービス・シーンを盛り込みすぎて、ストーリーに関係なくエロが走っているものがあります。この作品では、ヌードはその場面だけ、安易に連発しないというけじめのよさです。 また、登場人物がマフィアですから、バイオレンス・シーンがあります。仲間の一人が金を横領します。隠し場所を吐かせようと、はさみで指を切り落とそうとしますが、目を背けたくなるような残酷な印象はありません(感じ方は人それぞれでしょうが)。ここも、必要最小限に抑えているといえるでしょう。 シーザーは、コーキーとヴァイオレットの計略にひっかかり、金を奪われます。そして、自宅マンションにやってきたマフィアのボスやその息子らから金がないことで嫌疑をかけられ、言い争いになり、カッとなったシーザーは全員を射殺してしまいます。大量に血が流れるのに、凄惨な感じがしません。それは“臭い”がないからではないかと思います。銃声がしたとの通報で警官がやってきます。シーザーは、死体を風呂場に隠し、床に広がった大量の血をカーペットで覆い隠しました。 この場合、警察官は血の臭いに気づかないものだろうか。さらに、血でズクズクに濡れたカーペットの上に警察官は立っています。足下が変な気持ちにならないのだろうか。この映画では、そのへんを“なし”ということにしてしまったのです。だから、乾いた感じがするのです。 それと、窓の下にパトカーが見えてから、死体を片付けたりするのだけれど、このマンションは、エレベーターが一機しかないのです。降りてくるのを待ったりするのに、とても時間がかかります。出掛けるとき、帰ってきたときなど、エレベーターが来なくてイライラするのではないか。こんなマンションには住みたくないね。 粒餡の粒をきれいにつぶし、皮も取っちゃうと、スタイリッシュ(スマート)な漉し餡ができるわけです。けれど、粒餡好きにとっては、そこまでせんでもいいよ、と思うわけです。映画も、あざとさ、安っぽさ、はったり、キワモノぶりが抑制されると、物足りなさを感じたりします。 粒餡と漉し餡は、同じ餡子でありながらもテイストが違います。その差異には、もどかしさを感じてしまう。大好きな餡子なんだけど、漉し餡より粒餡の方がもっと好きなわけです。“漉し餡”ムービーより、“粒餡ムービー”が見たいな。 “激甘コーヒー”だって、単純に砂糖の量が多いだけであれば、一度飲んだらもう次には飲まないでしょう。練乳仕立てであるところに、「味」があります。 毎週日曜日の朝には必ず更新しています。つぎも読んでくれたら嬉しいです。 人気blogランキングに参加中。クリックしてください。ご協力、よろしくお願いします。みんなブルース・リーになりたかった
May 13, 2007
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