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【楽天ブックスならいつでも送料無料】完本天龍源一郎 [ 天竜源一郎 ] 天龍源一郎の勇姿に、テーマ音楽「サンダーストーム」がかぶされば、俄然気分は盛り上がる。 映画は、勇壮な「サンダーストーム」から始まるのかと思いきや、これがなかなか聞こえてこない。 天龍の試合会場への入場シーンがカットされていたり、あるいは花道に出る前の通路で、会場内のテーマ曲が漏れ聞こえてくるだけだったり。 しかし、満を辞して、いよいよ「サンダーストーム」が鳴り響くときには、興奮はクライマックスに達するのだった。 この映画は、天龍の格闘技人生を記録したものではない。 引退ロードのドキュメンタリーなのだ。 だから、若い頃の試合や天龍同盟として暴れ回った姿は見られない。 引退を決意し、腰部脊柱管狭窄症の2度の手術を経た、60代半ばの痛々しいともいえる姿が見られるのみ。しかし、気力は一向に衰えを感じさせない。 そして、懐かしい昭和の名レスラーがスクリーンに姿を現す。 グレート小鹿、グレート・カブキ、ドリー・ファンク・ジュニア……。 グレート小鹿は、アメリカでヒール(悪玉)として名前を売り、他のレスラーと同じように日本に帰ってきてベビーフェイスに戻るのかと思いきや、異例のヒール・スタイルを貫いた。 グレート・カブキは、若手の天才レスラー、高千穂明久としての活躍が強い印象を残している。ドラゴン・スープレックスやタイガー・スープレックスなど露ほどもなく、ジャーマン・スープレックスさえ使い手がほんのわずかしかいなかった時代(1960年代)に、前座戦線でオージー・スープレックスにトライしていた。オリジナルのオージー・スープレックスはローリングして固める技だったらしいが、高千穂は見事に投げていた。当方が会場で見たときは、片腕のロックが外れて決め技にはできなかったが。 そして、ドリー・ファンク・ジュニア。 彼は、1960年代の終わりに、いきなり若きNWA世界ヘビー級チャンピオンとして顕現した。「日本プロレス中継」の速報ビデオで、荒法師ジン・キニスキーを破ってチャンピオン・ベルトを掲げて歓喜のジャンプを繰り返す姿が、本邦初お目見えだった。 以後、猪木、馬場、坂口と名勝負を繰り広げた。得意技としたスピニング・トーホールドやテキサス・ブロンコ・スープレックスには目を見張った。 そして、1977年のオープン・タッグ選手権開幕戦の後楽園ホール、馬場、鶴田組対ブッチャー、シーク組、史上最凶悪コンビの暴走ファイトから鶴田を助けようとした弟のテリーが返り討ちに合ってしまった。そこに、押っ取り刀で丸椅子を手に組び込んできたのがドリーだった。手近にあったから持ってきたのか、丸椅子は攻撃には使いにくそうだった。ここから、ザ・ファンクスとブッチャー&シークの因縁が始まったのだった。 そうした名レスラーだけでなく、門馬忠雄氏などのマスコミ関係者の顔も見られた。 これらの昭和プロレスを彩った顔も、今は年輪を重ねている。天龍よりも年上のレスラーたちがリングで、若かりし頃に得意としたファイト・スタイルを披露する姿を見ると、あの頃が蘇ってくる。 おそらく、懐メロを聞くと、その曲から、かつての自分自身やその頃の風景なども同時に脳裏に浮かぶのではないか。プロレス界も、その年々に数々の名勝負や様々な出来事があり、昭和のレスラー諸氏、関係者がお元気な様子を見ると、自分の歩んできたその時々を思い起こさずにはいられない。 天龍本人は、映画の中でこれまでの格闘技人生を振り返り、「何くそ、と、目の前の困難を一つ一つ乗り越えてきた」と語っていた。 天龍の著書『完本 天龍源一郎 LIVE FOR TODAY‐いまを生きる‐』には、「北向きの天龍」という表現が出てくる。 「北向き」とは、「相撲界の隠語で変わり者、すねっぽい人のことを言う」とその著書にある。 この「北向きの天龍」を目の当たりにしたのは、1990年2月10日東京ドーム'90スーパーファイト IN 闘強導夢での「天龍源一郎&タイガーマスクvs長州力&ジョージ高野」だった。両コーナーのレスラーがリングの登場するまでに、お立ち台があった。しかし、天龍はそのお立ち台には上がらず、お立ち台を拒否して花道を歩いていった。 この日天龍は、全日本プロレスを代表してライバル関係にある新日本プロレスに登場した。だから、ショーアップの部分であるお立ち台を「ふざけるな」と拒否して、闘いへの意気込みや集中などを胸に入場していったのだと見受けた。 「北向きの天龍」とは、いかに自分の感性に忠実にいられるか、ということではないだろうか。 アントニオ猪木は、「プロレスの市民権」を訴えて世間と闘った。 長州力は、「咬ませ犬じゃない」と発言して?序列と闘った。 彼らの闘いは、いわば外敵との闘いであった。 しかし、天龍の戦いは、自分自身が、周囲との軋轢の中で、流されずに、自分自身でいるための闘いだったと思う。 周囲が南を向いていても、自分自身の感性は北を向いている。そんなときに、安易に南を向かないように、「何くそ、と、目の前の困難を一つ一つ乗り越えて」行ったのだろう。 そして、その自分が自分であるための闘いが、天龍の生き様になっていたのだ。 だから、天龍こそが、自分自身に妥協しない「生き様」を見せたレスラーだった。 プロレスラー天龍は、映画の中で「プロレスは楽しい」と語っていた。 そう語る天龍が引退試合に選んだ対戦相手は20代のIWGPチャンピオン、オカダ・カズチカだった。 この時代のトップであるオカダ・カズチカと、初対決であると同時に自身のラスト・マッチを行なったのも、最後の最後まで、チャレンジ精神をもって自分自身と闘い、生き様を示したのだった。人気ブログランキングへクリック、よろしくお願いします。
February 19, 2017
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ホネツギマンは、徹底的に強い!やっぱりプロレスラーは、強くなければいけない。 プロレスを「八百長」と言ってしまうと、何か悪いことをしているような気になります。「八百長」には、イカサマ、インチキと同じような意味があるからです。プロレス団体には、誰かをだまして儲けようなどという意図はありませんし、プロレスラーは悪人ではありません。 では、プロレスは「ショー」である、はどうだろう。なんだか手抜きをしているように受け取れます。「ショー」は、もともと芸能界の用語なので、格闘技であるレスリングを「ショー」と呼べば、軽い印象は否めません。 最近はプロレスのことを「エンターテインメント」と称することもあります。そうか、プロレスはエンターテインメントだったのか、などと妙に納得したりして。何か、エルビス・プレスリーのラスベガス公演と肩を並べたような気になりますが、はたしてそれでいいのか。 プロレスは、見せる要素が強くあります。けれど、試合が、筋肉マンの格闘技ごっこのような馴れ合い勝負になっては面白くありません。レスラーと名乗る以上は、強さを追求する緊張感をもちつづけてほしい。ドラマチックに試合を演出する部分がありながらも、いざ強さを競う部分になれば負けない、そんなレスラーがかっこいい。 かつて父が、テレビを見ながら言っていました。「プロレスラーのようなゴツイ奴らが、いつも本気で殴りあったり、投げ飛ばしたりしたら、相手が大怪我をしてしまう」。 プロレスラーは、重いバーベルを持ち上げるなどして、限界を越えた鍛え方をしています。プロレスは、喧嘩さながらの迫力があります。エキサイトして思いっきり、全力を込めて素手でブン殴ったり、関節を捻じ曲げたりしたら、鍛え上げたレスラーといえども壊れてしまいます。そういう事故が起きないのは、いつもレスラーには、冷静な部分を備えるようトレーニングされているからでしょうか。 プロレスラー「ホネツギマン」は、強いショックにより、自制心を失ってしまいました。脳みその中の手加減項目などは検索不能ですから、強い、強い。カイロプラクティックの整体師もしているので、ゴッツイレスラーの骨や関節でも簡単に破壊してしまいます。 ホネツギマンことエドワードは、子供の頃、よくいじめられました。強くなるためにレスリングを習い、プロレスラーに憧れていました。彼が読んでいる分厚いプロレスの本は、図書館で見たことがあります。自分が知っているマニアックな洋書が映画に出てきたので、なんだかとっても嬉しかった。 同時に彼は、カイロプラクティックに強い興味をもち、整体師をもめざす。しかし、彼の父は、家業を継いで薬屋になれと言う。父親と対立し、エドワードは家を出る。その後、昼は腕のいい整体師、夜はプロレスラー“ホネツギマン”として活躍する。やがて最愛の妻キムの妊娠をきっかけに年老いた両親の住む故郷に戻る。すべてを赦し合い、感動の再会に幸せの絶頂のエドワードの家族。 ところが、好事魔多し、月に叢雲、花に風。ホントにいやなことわざですが、世の常です。 エドワードの留守にいきなり松葉杖を突きながら現れた脊椎破裂患者のスティックスが、ささいなことで因縁をつけ、父親の薬屋を買い取りたいと強引に迫る。父、母、そして身重の妻が断固として拒否すると、スティックスは、松葉杖に仕込んだ改造銃を乱射して、店を破壊するばかりか・・・。 帰宅したエドワードは、3つの遺体袋を見てしまう。ショックのあまり、通常の思考力を失ってしまった。彼は ホネツギマンとして“ビッグ・タイム・プロレス”のリングに上がると、試合に乱入し、対戦中のレスラーも、レフェリーも、さらに止めに入った全レスラーの骨や関節をバキバキにしてしまいます。 これは経験談。プロレス会場で、クレージー・ファイター系キャラクターのレスラーが、試合後に客席を暴れまわりました。「危ないですよ」「逃げてください」そんなリングアナウンサーの警告も含めて、演出だと思いました。レスラーが本気で観客に危害を加えることなんかはないさ、などと笑いながら眺めていたのです。危機感のない観客たちに業を煮やしたリングアナがついに絶叫しました。「こいつは半分キ○×△なんだから!」。その発言に観客たちは一斉に大慌てで逃げました。もし、「こいつはキ○×△なんだから!」だったら、席を立つことはなかったと思います。“半分”というのがなんともリアルだったわけです。 スティックスたちは、自分のフランチャイズの薬局チェーンを非合法的な手段を使って拡張しようとしただけでなく、麻薬の密売も行っていた。復習の本能(そんなものあるのか?)に突き動かされるようにスティックスを追いかけ、麻薬取り引き現場に現れたホネツギマン。フルネルソン(首肩固め)でスティックスを揺さぶると、アラ不思議スティックスは松葉付けを突かずとも、歩行ばかりかダンスのステップまで踏めてしまう。卓越したエドワードの整体技術を考えると、この展開は期待通り。しかし、体が治っても、スティックスの心はダークサイドのまま。エドワードに銃を向けた・・・。 死んだと思っていた妻が実は助かっていたとわかり、正気を取り戻すエドワード。病院のベッドに横たわる妻に囁く「弁護士の話では、心神喪失状態が認められて、罪にはならないそうだ」確かにそうだと思う。両親を亡くし、子供が生まれるエドワードの立場は守られた。よかったね。 しかし、レスラー全員が壊されてしまい、おそらくは興行不能に陥った“ビッグ・タイム・プロレス”の立場はどうなっちゃうの?人気blogランキングへクリックしてね。みんなブルース・リーになりたかった
November 19, 2006
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プロレスはメジャースポーツか? 中学生くらいまでは、プロレスがメジャーなスポーツだと思っていました。何か胡散臭い雰囲気は、プロ野球や大相撲などとは異なる印象がありました。けれど、プロレスには、稀代のスーパースター力道山の華やかなイメージが根強く張り付いていたのです。力道山は、プロレスのチャンピオンであるばかりでなく、日本プロレス興行の社長であり、実業家として手広く事業を行って、箱根にゴルフ場を経営する計画までありました。外車やモーターボートを颯爽と乗り回す姿など、貧しかった当時の日本において、豊かな国アメリカのリッチマンを体現した憧れの存在でした。 それと、日本プロレスは、金曜8時のゴールデンタイムにテレビ中継がありました。アナウンサーが「全国2千5百万のプロレスファンの皆様こんばんは」と言っていたように、高視聴率を誇っていました。だから、力道山の死後も、彼の弟子であったトップレスラー、ジャイアント馬場、アントニオ猪木たちは、日本国民の誰もが知る存在であり、同時に大スターのムードをもっていました。アメリカ人は自国のチャンピオンを知らない! さらに、プロレスは、日本人のレスラー同士が闘うのではなく、外国人レスラーとの対戦が売り物でした。年間に7か8くらいのシリーズがあったと思いますが、そこへは必ず8人ほどの外国人レスラー(たいていはアメリカ人)が参加しました。まだまだ海外旅行など、一部のお金持ちの人がするものだったし、たまに外国の大物ミュージシャンが来日してコンサートを開くと、マスコミがこぞって大騒ぎする時代でした。だから、外国人レスラーは、みんなスターに見えたものです。 一シリーズに来る外国人レスラーの中には、一人か二人、エースと呼ばれる存在が必ずありました。彼らは、アメリカでも超一流のレスラーで、馬場や猪木とタイトルマッチを行います。巨漢で、オリジナルの必殺技をもち、輝くばかりの存在感がありました。 1970年代に、ロサンゼルスから来たアメリカ人の留学生と知り合いました。彼に「ドリー・ファンク・ジュニアを知ってるだろ?」と聞いたことがあります。そうしたら「誰だ、それは」との返事が返ってきました。えっ?と思いましたが、付け加えました「NWAの世界ヘビー級チャンピオンだよ。テキサス・アマリロ出身の」。そうしたら「そんな田舎の地名は知らない」で話は終わり。 ウソだろ。プロレスに興味のない日本人だって、馬場、猪木の名前は知っているぞ(アメリカ人が知らないレスラーの出身地名を知っている日本人もいるぞ)。しかし、彼は本当に世界チャンピオンの名前を知らないのです。これはどういうことだ。 さらに、アメリカ人でオクラホマ州立大学出身の教授の授業を受けたので「オクラホマ州立大学といえば、有名なダニー・ホッジが出た大学ですよね」と話しかけたら、やっぱり「知らない」。ダニー・ホッジは、オリンピックのメダリストからプロレスの世界チャンピオンになった人なのに。 以後アメリカ人と見るたびに「ミル・マスカラス」「アブドーラ・ザ・ブッチャー」「ハリー・レイス」などと言ってみたのですが、返事は「知らない」「知らない」「知らない」。 アメリカにおけるプロレスラーの知名度とは、こんなものだったのか。いずれ本場のプロレスを見に行こうと思っていた者にとっては、そのショックはいかばかりのものだったでしょう。プロレス団体は劇団だ メジャーなイメージのあった日本プロレスも、猪木と馬場が離脱して自分のプロレス団体をつくり、ついに潰れます。そして猪木と馬場の団体からも、レスラーが抜けて新しい団体を作ったりして、ついに1990年代には30以上のプロレス団体ができた。もうだれも正確なプロレス団体の数はわかりません。 外国人の選手は限られた人数になり、日本人同士の対戦が主流になりました。 プロレスラーとは、人間離れしたトレーニングを積んだ特別な存在でした。しかし、80年代から「学生プロレス」なるものが出現し、クラブ活動で試合を行った。フツーの人間にも気軽にプロレスができてしまいました(彼らは彼らなりにトレーニングをしたのでしょうが)。 そうなると、新日本プロレスなど伝統的な団体もある一方で、プロレス好きの誰かが同好の士を集めてプロレス団体を旗揚げすると名乗り出れば、彼らはプロレスラーとしてリングに立つことになってしまうわけです。プロ野球でもプロボクシングでもありえないことです。 これは演劇の劇団に似ています。劇団四季や文学座といった有名劇団もあれば、全国各地に芝居好きが趣味で集まった劇団もあります。プロレス団体もそんな様子。さらに、プロレス団体が全国各地を巡業して回る形態は、大衆演劇の旅芝居を思い起こさせます。 力道山時代は、プロレスがやってくるとなると、盆と正月が一度に来たような華々しい一大イベントでした。今は、聞いたことのない名前のレスラーたちがやってきて、ひっそりと試合をして帰っていくなんてことがあるわけです。 プロレスラーの息子のプロレス嫌い 「お父さんのバックドロップ」は、プロレスラー下田牛之助と息子の一雄の物語です。 一雄はプロレスが大嫌い。巡業バスに乗ってうらぶれた商店街や漁港などを訪れ、少ない観客の前でリングに立つ父の姿がみすぼらしく感じるのか、悪役に転向して、髪を染め、顔面にペイントを施し、凶器を振り回す様子に嫌悪感をもっているのか。学校の友達に対して、父がプロレスラーであることを必死に隠します。 息子がプロレスを嫌いなわけは、地方巡業に明け暮れる父が、運動会にも誕生日に不在だったばかりか、母(牛之助にとっては妻)の死に目にも現れなかったことに対する抵抗だったのです。これは、プロレスラーでなくて、仕事人間のサラリーマンにもあてはまるストーリーですね。けれど、父親が弱小団体のプロレスラーということで、陰影がくっきりと現れます。プロレス映画は覆面レスラーで プロレスラー下田牛之助を演じるために、俳優宇梶剛士はトレーニングを積み、12kgの増量を行ったという。見上げた役者根性です。しかし、残念ながらプロレスラーのボディに見えるかというとそうではない。日韓合同映画「力道山(2005)」でタイトルロールを演じたソル・ギョングも、体重を増やしてプロレスラーらしく見せようとがんばったそうです。でも、力道山に似せた上半身裸のポーズ写真は、海水浴に来て記念写真を撮ったようにしか見えませんでした。 一度、地下鉄でプロレスラーと隣り合わせたことがありました。彼は中型で、決して大きいほうではありません。しかし、ちゃんとトレーニングを積んだレスラーだったので、首や二の腕の太さ、胸の厚みなどは、半端じゃありませんでした、ホントに。 プロレスの映画をつくるとしたら、日常的な場面は俳優さんがやって、リング上は覆面レスラーという設定がいいのかなあと思っていました。それは、試合場面で技の攻防を演じるのもさることながら、体つきがちがうからです。なぜ異種格闘技戦なのか 「お父さんは、ボクやお母さんよりプロレスが好きなんでしょ」。息子の言葉に、そうじゃないんだと下田牛之助は立ち上がる。引退も囁かれている身でありながら、空手世界チャンピオンにリアルファイトで挑戦し、息子のために必死に戦う姿を見せます。悲壮感が漂います。また、下田牛之助が、じつはオリンピックの代表選手で、もう一歩でメダルに手が届いたけれど惜敗したとの過去も明らかになります。 なぜプロレスの試合ではなく、空手と闘うのでしょう。さらに、どうしてオリンピック選手である必要があったのでしょう。叩き上げのプロレスラーではいけないのでしょうか。 空手は武道として世間的に認められています。また、オリンピック選手とは、いわばスポーツ・エリートで、やっぱり世間に認められています。その二つが、異種格闘技戦で真剣勝負を行うとの設定で、プロレスの立場はどこにあるのか、と言いたい。プロレスラー下田牛之助の人生を賭けた大勝負ということはわかるのですが・・・。人気blogランキングへクリックしてね。みんなブルース・リーになりたかった
November 12, 2006
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