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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ゲッタウェイ スーパースネーク [ イーサン・ホーク ]価格:3,790円(税込、送料込) ベリー・タイヤードなときは、こってりしたものはノー・サンキューという気分になる。 そうすると揚げ物などは気が進まない。 豚骨ラーメンや中華もだめだね。 そんなとき、たとえば巻き寿司なら手が出る。 納豆巻き、キュウリ巻き、鉄火巻き、ネギトロ巻きとか。 かんぴょう巻きは、まず自分からはチョイスしない。出されれば食べる。 とにかく、食事はおいしくいただきたい。 そんなふうに、映画も、体調とか気分によって見るものが変わる。でも、映画は見たい。 若い頃は、そんなことなかったけどな。こちらの体調や気分よりも、映画の魅力の方が上回っていたから。いくらでも、自分を映画の方に合わせることができたものだが。 あんまり調子がよくないときには、まず込み入ったストーリーや登場人物が複雑に絡み合ったものはだめだね。思考がついていかない。 それから、ドラマ性が強いものや登場人物の心情が迫ってくるのもだめ。気持ちがついていかない。 とにかく、映画は楽しく見たい。 で、今回の『ゲッタウェイ スーパースネーク』、これはいいね。疲れたときでも、巻き寿司を食べるように見ることができた。 まず、登場人物が少ない。 全編、主人公の元レーサーと車(スーパースネーク)の持ち主の少女のほぼ二人舞台。 元レーサーの妻が誘拐される。謎の男から、妻を無事に返してほしければ指示に従え、と言われ、元レーサーはブルガリアの首都ソフィアを激走し、市街地に破壊と混乱を巻き起こす。 途中、少女が車に乗り込み、すったもんだの挙げ句、謎の男がとんでもない犯罪を企てているのをつきとめ、逆襲に転じる。 ストーリーは込み合っておらず、それでいて謎があり、興味を引く。 そしてビジュアル的には、スーパースネークが狂走し、パトカーが追いかける、このカーチェイス、カークラッシュがこれでもかというくらい行われるわけだ。頭とか心とか、あんまり使わなくて済むが、そこそこ刺激的だった。 そんなわけで、疲れていても、映画(『ゲッタウェイ スーパースネーク』)を見て楽しくすごすことができた。 設定が凝っていて、登場人物が多いなどのクオリティの高い映画というのは、見終わったときに満足感、充実感が得られるものなのだろうが。 でもね、せっかく映画を見るのに、消化不良を起こしちゃったらね、元も子もないわけだしね。 そういう映画は、きちんと体調や気持ちを整えて、しっかりと受け止めたい。 そして気楽に見られる映画ってのも、存在価値は大きいんだよ。 たとえ見終わった後が「無」であっても。映画 ブログランキングへあなたのクリックでランキングの順位を上げたい。
October 25, 2015
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【送料無料】 ワイルド スピード Sky Mission / ワイルド・スピード スカイミッション 【CD】価格:2,138円(税込、送料込) 最近の映画は、主要登場人物は驚くほど運がいい。 ひとつのパターンは、かなりの高所から落ちた場合だ。 下が海だったり川だったりすると助かる。 さらに、車がコンクリートの壁に激突しても、中に乗っている人は多少はショックを受けていたりするものの怪我すらなく降りてくる。 たとえ水であろうと、高いところから落ちれば、その衝撃はコンクリート並みになる。 車がクラッシュするほどの衝突事故がニュースで流れると、乗っていた人が無傷ということはまずない。死に至ることだって少なくない。 確かに、高所から水の上落下した場合も、クラッシュした車に乗っていても、助かるという可能性がなくはない、が、かなーり低い。 しかし、その低い確率で、主要登場人物がいつも助かってしまうというのはどうなんだ。 九死に一生を得るということはある。 であっても、それが乱発されると、九死に九生を得てしまうわけだ。 そうなると、スリルがなくなる。 危ない!と思っても、どうせまた助かるんだろ、となっちゃう。 助かるとわかってると、ハラハラ、ドキドキしなくなる。 だからといって、別にリアルな映画をつくれといっているわけではない。 『ワイルド・スピード SKY MISSION(2015)』の中では、崖から落ちそうなバスからジャンプして、そこに乗りつけた仲間の車に間一髪飛び乗るシーンがある。 車が、高層ビルから高層ビルへ、窓を突でき破って飛び移るシーンもある。 それらはあってもいいんだ。 映画だから。 楽しいじゃないか。 だが、そういう突飛なシーンを生かすためには、基本的なところのリアリティが大切だ。 ガンガン車がクラッシュしても、乗っている主要登場人物がいつも無傷というのは、興ざめしてしまう。 主要登場人物がからんで、派手ぇな激突場面を見せたいのは分かるんだけどね。 せめてロック様が病院送りになったのが救いか。人気ブログランキングへ
May 5, 2015
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やはりアメリカにコンプレックスがあるのでしょうか、日本のアニメである「マッハGoGoGo(1967~1968)」がハリウッドで映画化されただけでとても嬉しい。しかも、あの「マトリックス(1999)」のウォシャウスキー兄弟の手によって。別に「マトリックス」が特別好きなわけではありません。とにかく、有名監督の手によって、日本のアニメが映画になったことが快挙と思うのです。 じつのところ「マッハGoGoGo」についても、当時熱中して見ていて、思い入れがたっぷりあるというものでもありません。見ることは見ていましたが、カーレースあり、犯罪あり、アクションありで、ちょっとジャンルの判別がしにくいアニメでした。そのため、十分感情移入ができなかったのです。そうであっても、あの時代に登場した日本のアニメが実写映画化されることが、とても誇りに思えるのです。自分の作品でもないのに。 けれど、メジャー系が日本のアニメを実写化するといった場合に、心配もありました。これまでにも日本のテレビゲームがいくつかハリウッドで実写化されました。そうしたとき、某ストリートファイターとか某スーパーマリオブラザーズなどは、登場人物の名前だけは同じでも、中味がまったくちがっていたのです。子供達は「スーパーマリオブラザーズの映画を見に行ったはずなのに、変な映画を見せられた」と戸惑っていました。 これにはガッカリでした。映画を売るために名前だけは借りるが、中味的には使えないということですよね。内容を変えて面白ければいいのですが、そうではなかったし。スポーツの国際試合で日本チームが惨敗したときのような気分を味わいました。 だから、「スピード・レーサー」も、一流どころが映画にするだけに、好き勝手に変えられて、別物になっていたらいやだなあと危惧していました。 ところが、これは素晴らしかった! この映画、じつに原色が美しい。ある映画評論家が、古い日本のモノクロ映画について、色がないことによって「映画だけの異世界をつくりだしている」と表現していました。「スピード・レーサー」の場合は、極彩色の異世界といっていいでしょう。まさにアニメを実写化したのにふさわしい色づかいです。 設定は、オリジナルにそっていました。「マッハGoGoGo」の主人公三船剛が、「スピード・レーサー」ではスピード・レーサーになり(これが映画のタイトルだけではなく、主人公の名前だったのです)、主人公をとりまく家族や、そして、覆面レーサーもレーサーXとして登場しました。ほぼオリジナルに忠実な設定だったことで、安心感が深まりました。 それから、音楽ですね。音楽というのは、映画のなかでとても感情を刺激する作用をもっています。ゴジラ等の特撮映画では、あの伊福部昭の音楽が、巨大生物の迫力を増進させます。例え画面がショボクても、ストーリー展開がたるくても、音楽で怪獣の重厚な雰囲気が味わえ、退屈しのぎになることさえあります。 「スピード・レーサー」を見ていると、ところどころにオリジナルアニメのテーマソングのさわりを感じさせる曲が流れてきました。おや、今のは「風もふるえる~」の部分かな?あれ「マッハ、ゴーゴー」の旋律じゃないか?と。小出しにされると「もっと聞きたい!」と魂が揺すぶられます。部分的にオリジナルにリスペクトを払っている様子がにくいですね。「もっと、もっとオリジナルを感じさせて」という気分が高まります。 登場人物の設定だけでなく、音楽もオリジナルを使っているとなると、いっそう嬉しかった。ラストは、一気にテーマソングが流れます。それも、日本語と英語の掛け合いまであるのです。すぐにCDが欲しくなりましたが、さがしてもなぜかお店にありません。 ウォシャウスキー兄弟は日本のアニメが大好きで、「マトリックス」にもその影響が出ているとか。そのせいでしょうか、「マッハGoGoGo」のタイトルバックに出てくる三船剛の“決めのポーズ”も、映画の中の重要な場面でスピード・レーサーにやらせてくれました。ウォシャウスキー兄弟が、オリジナルの「マッハGoGoGo」に対する思い入れが伝わってきました。オリジナルがそれだけ魅力ある作品だったと思うと、目頭が熱くなりました。 「マッハGoGoGo」で三船剛が乗る車は“マッハ号”です。普段も、レースでも、マッハ号が活躍します。けれど「スピード・レーサー」では、“マッハ号”である“マッハ5”とレースに出る“マッハ6”が使い分けられていました。ここはリアルでいいですね。 “マッハ5”は、トラックレースには出場しませんが、クロスカントリー・ラリーを走り、ちゃんと活躍するところを見せてくれます。このとき、“マッハ5”はアメリカ中央捜査局によって改造がされ、危険な敵と渡り合うために、秘密の武器が装備されます。この改造の過程も、説得力があります。 レースカーなのに、ボンドカー並みの秘密の武器を搭載している。これが “マッハ号”の特徴です。ステアリングパッドにあるAからGまでの七つのボタンで操作するところもオリジナルに忠実でした。 Aのボタンでは、エアロジャッキで“マッハ号”が大きくジャンプします。これは、“マッハ号”ならではの装備であり、得意技でもあります。これをやらなきゃ“マッハ号”とはいえません。映画の中でも、“マッハ5”は軽快にジャンプし、効果音もオリジナルと同じでした。 この映画で一番見たかったのは “マッハ号”のジャンプだったので、懐かしい効果音と共に“マッハ5”が跳躍したときには、快哉を叫び、安堵のあまりとろけそうになりました。 CGの効果的な使用により、レースの場面は大迫力。ストーリーもスピード感あふれる展開。マンガやアニメの楽しい絵空事が、充実した実写映画として見られるのは理想とするところ。一つの夢が叶ったといっても過言ではありません。 なによりも借り物ではないオリジナルを尊重した設定が喜ばしい。日本から発した、アニメという子供文化、しかも40年前の作品が、こうしてスクリーンを彩ったのです。見終わって、爽快感と満足感を味わいました。スポーツの国際試合に勝ったときのように誇らしい気分でした。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
July 21, 2008
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当方は、世間的な基準から見れば、“必要以上の映画好き”なわけです。 基本的に、何がしたいかと言って、映画が見たいのです。だから、旅行に行く時間があるくらいなら、映画を見た方が、自分としてはずっと満ち足りた気持ちになります。が、まあ、旅行することだってあります。そうすると、乗り物の待ち時間に合わせて、出発まで映画を見る。旅行先で、映画館を探して、映画を見る。そして、映画の時間に合わせて帰ってきて映画を見る、なんてことになりがちです。外国に行ったときも、現地で映画館に入りましたから。 でも、最近は、シネマコンプレックスですから、どこへ行っても映画館はあまり変わり映えがしません。戸別の映画館がある頃は、旅先での映画館巡りが充実していたのだけれども。 “必要以上の映画好き”にとっては、映画そのものだけじゃなくて、映画館や映画体験も、楽しいものなのです。 クエンティン・タランティーノは、“必要以上の映画好き”を刺激する人です。彼の監督した「キル・ビル(2003)」は、心からワクワクする映画でした。 そして、「デス・プルーフ in グラインドハウス」も、じつに刺激的な映画でした。 映画体験的に嬉しいのは、キズだらけのフィルムです。 今は、デジタル技術の時代、古い映画のキズや、ロールチェンジの目印に付けられたパンチ穴なども修正することができます。映写技術や映写機なども、品質が向上しているのでしょう、キレイな映画を見ることができます。 けれど、キズのあるフィルムを見たことが、かけがえのない映画体験になっていることを発見しました。スクリーンの中に雨が降っていると言われる映画のキズや突然映画館内に鳴り響くパチンというノイズ。、“必要以上の映画好き”にとっては、そういう状態であっても、一本の映画を追いかけて見たかったし、見ることができてよかったと堪能しました。 アクションやホラーなどのB級映画は、キズやノイズとセットになって、気軽に楽しむことができたのです。 「デス・プルーフ」は、デジタル技術によって、古い映画を修正するのとは逆に、キズがあるようなフィルムにしたり、コマをとばしたりしています。それによって、かつて体験した“映画を見ている手応え”が蘇ってきました。 例えば、最新のCG技術を使えば、怪獣などをリアルに映し出すことができます。ですが、かつての着ぐるみや、ピアノ線が見えるような模型の映像の方が、“映画を見ている手応え”があったように思います。スムーズに流れるものより、引っ掛かるものの方が印象に残るのかもしれません。 これは贅沢な選択といえるでしょう。昔は、キズやノイズのない映画を見たいと願ったことでしょう。それがかなったら、今度は昔みたいな映画が懐かんで、わざわざキズをつけているのですから。 “失われゆくアナログ映画体験”を、あらためて提示したタランティーノ。そのセンスは、さすが極め付けの映画おたく(“必要以上の映画好き”)。豊穣な映画体験からくる遊び感覚が、じつに楽しい。 アイデアを生かして気軽にB級映画をつくってもらって、気楽に見たいものです。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
May 25, 2008
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アメリカから日本に追いやられた車好きの若者が、ドリフト走行をマスターして、宿敵とのマッチレースに勝利するまでの話。「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT (2006)」監督:ジャスティン・リン出演:ショーン:ルーカス・ブラック ニーラ: ナタリー・ケリー ドリフト族ってのは、いい印象がありません。暴走族、ローリング族とか、その手の族は恐い。こちらが安全に走っていても、無謀な運転をする奴らに巻き込まれたらおしまいだ。 いつだったか、夜、首都高の右側の車線を走っていたら、もの凄いスピードで迫ってくる車があった。左側によけたのだが、そちらにも車が来ていた。結局右車線の車は、あっという間に追い越していって見えなくなったが、左側から来た車が一旦私を追い越して前に出ると、ノロノロ運転を始めた。車種はランサー、あきらかにこちらの走行を妨害している。 どうやらその2台は競争をしてきたようで、私が左車線に入ったことでランサーが負けてしまい、その腹いせに私の車をじゃましているらしい。追い越してやろうかと思ったが、同乗者が「へたに刺激すると、何してくるかわからない」というので、しばらくそのまま走った。 さすがに、ランサーは低スピード走行は飽きてきて、突然にスピードを出して行ってしまった。カーマニアなのか、ドライヴィングテクニックに自信があるのかどうなのか知らないが、フツーの、交通機関として車に乗っている者を脅かさないでほしい。 だから、街道レーサー系の映画は、好きじゃない。アメリカあたりの広くてどこまでも続くハイウエイだったらいいけれど、日本じゃね、とばしてもすぐ限界が来るでしょう。 じゃあ、なぜこの映画を見たかというと、「TOKYO DRIFT」というタイトルに惹かれたから。外国映画に映る日本は、とてもおもしろい。日本人の中には、そんな映画を見て、「国辱映画だ!」と怒る人もいるけれど、外国人が感じる日本を表現すると、日本的なものがあきれるほどデフォルメされるわけです。見ているこちらとしては、日本でありながら日本でないような、不思議な日本の一面を見ることができます。 そこが実に映画的。映画なら、現実にはいない大怪獣が出てきても受け止められるのと同じように、変な日本や日本人が出てきても、そういう世界として楽しめるような気がします。 特に今回は、あの東京で、激走レースが予想されます。アメリカは、ロサンゼルスにしろニューヨークにしろ、映画の撮影にはとても協力的です。反対に、日本、東京は、なかなか撮影許可が降りないので有名。それに、いつも渋滞の一般道は考えられないから、レースは、当然首都高でやるしかないでしょう。 カリフォルニアの高校生ショーンは、一般道での無茶なカーレースで何度も逮捕され母親から見放される。そして、軍人の父を頼って日本にやってくる。といってもショーンは、ツッパリ系ではありません。アメリカの不良をツッパリとはいわないかもしれません。あるいはツッパリってもう死語か?いずれにしろ、言わんとするところはわかるでしょ。 日本家屋での父の暮らし、言葉や文化等の違いに戸惑うショーン。そうね、学校でウワバキ(上履き)を履くなんてことは、アメリカ人には想像もできなかったでしょう。 車は禁止されているショーンであるが、これは宿命なのです。仲間に連れられて、深夜の東京で行われる裏レースに足を踏み入れる。東京に、こんなふうに豪華な車が集う場所あったのか、なんか東南アジア的な雰囲気なんだが。車依存症とも思えるショーンですから、辛抱はできません。いきなりDK(ドリフトキング)と呼ばれるタカシと立体駐車場で勝負。しかし、ドリフト走行を知らないショーンは、車をボコボコに損傷し、惨敗してしまう。 ショーンは、車を弁償するために闇世界の借金取り立てを手伝いながら、ドリフト技術を教わっていく。ヤクザや彼らの裏金との関わり、そして宿敵DKとの最終対決など、スリリングに話は展開します。 ショーンがドリフト走行を身につけていく過程がいいですね。カードライヴィングの天才という設定ではなく、努力しながら課題を乗り越えるところには好感がもてます。こういう技術は、頭で考えながらやっているうちは、ダメなんですね。段取りを追っているから、ひとつ間違えるとうまくいかなくなる。しかし、一旦身につけてしまうと、日常的な動作と変わらなくなる。そこまでには、限りない反復練習が必要です。 見所のひとつは、ヤクザの裏金を巡って、市街での激しいカーチェイス。これが期待したシーンです。新宿から渋谷方向へ、車が走るところを見ていると、明治通りを来るのがルートだと思うが、いきなり道玄坂方向から現れた。これは画面映えするシーンとしてまあいいでしょう。 しっかし、よく東京でこんなカーアクションがとれたものだ。スピンはする、クラッシュはする、炎上はする。渋谷駅前のスクランブル交差点、人の波にあわや突入の危機もあったけれど、あそこだけじゃないでしょう、危ないのは。一般道であんなふうに追いつ追われつ、抜きつ抜かれつつなんて、やりたくてもできない、いつも車だらけ、人だらけだから。 いつ、どんなふうに撮影したのかな、と思ったら、なんとロサンゼルスに東京の街並みを再現したのだそうです。それで道路もちょっと広い感じがしたのですね。なるほど。 クライマックスは峠でのレース。首都高は、重要な場面では使われませんでした。予想は、はずれ。 映画のラストに、「撮影にあたっては、プロのドライバーが車を操作しました。決して真似をしないでください」という内容の注意書きが表示された。そう、一般道でレースとか危ないテクニックの練習とかしないでくださいよ。日本の道は狭くて、車がいっぱいですからね。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。みんなブルース・リーになりたかった
October 7, 2007
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