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2010年12月03日発売【送料無料】アントニオ猪木 デビュー50周年記念 DVD-BOX価格:79,800円(税込、送料別) あの頃、なんであんなにプロレスに熱狂したのか。 今、プロレスは、ほとんどおもしろくない。 映画『燃える闘魂アントニオ猪木50年の軌跡』を見た。アントニオ猪木の雄姿を大スクリーンで見られるなんて。料金が3000円!でも高くない(?)。 とはいいつつも、じつはぼくは坂口征二のファンだったのだ。 日本プロレスにおけるジャイアント馬場とアントニオ猪木は二大エースだった。それを追う形の黄金の若鷲坂口。その姿を見て「がんばれ坂口」とエールを送りたくなった。 判官贔屓なのかへそ曲がりなのか、ぼくは、トップはあかんのよ。 確かに猪木のプロレスは素晴らしかった。卍固め、コブラツイスト、ブレーンバスター、そして原爆固めと、猪木は多彩なオリジナルホールドで美しく、かっこよく試合を盛り上げた。 しかし、その一方で猪木は、馬場に挑戦状を叩きつけたり、坂口に対しては「片手で3分でやっつけてやる」と挑発したりする。どうも猪木には「オレが、オレが」という自己顕示欲を強烈に感じて、引いてしまうのだった。 坂口が新日本プロレスに入ったとき、坂口と猪木は対等のエース同士という条件だったはず。それなのに、どう言いくるめられたのか、いつのまにか猪木がメインを張り、NWFのチャンピオンにもなっていった。だから、ぼくは余計に坂口を応援した。坂口に活躍してほしかった。でも、元来の奥ゆかしい性格からか、それともとても猪木には敵わないと思ったのか、坂口は一歩も二歩も身を引いて猪木を立てていく。ぼくは、判官贔屓から、なおさら坂口に同情票を入れたくなったのだった。 だが、こうして映画館で猪木の往年の名勝負を見て、あらためて思い知った。やはり日本のプロレス史は、猪木を中心に回っていたと。 対シン戦、対ストロング小林戦、対スタン・ハンセン戦、対アンドレ・ザ・ジャイアント戦、そして幾多の格闘技戦。 猪木の名勝負の数々、これらは明らかに坂口や他のレスラーはなしえなかったものだ。 プロレスについては、あらかじめ試合結果が決まっていると分かってしまった。そんな今日現在の視点から見ると、確かにレフェリーが何度もぶっ飛ばされて勝敗に影響するような競技は他にないし、格闘技戦だって、アリ戦ではあんなにパンチを避けていた猪木が、モンスターマンやチャック・ウエップナーには果敢に挑んでいくのも不自然だ。 しかし、そういったハイ・ストレンジネスな不合理さを実感しても、猪木の鬼気迫る戦いぶりには、鳥肌が立ち、涙さえ出てくるのだった。 猪木ほど、リングで、衆人環視のもと、何の抵抗もなく己の闘魂を全開させられるレスラーはいない。だから僕は、あの頃、あんなに熱い思いでプロレスを見ていたのだ。
November 26, 2010
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「液体人間」とは、強い放射線を浴びたために液体状に変化してしまった人間のことです。彼らは、核兵器の実験場の近くで、放射能を浴びてしまったために、液状化してしまいました。インディ・ジョーンズも、もしかして液体人間になっていたかも。冷蔵庫の中に避難してよかったね。 冒頭、土砂降りの雨の中で、麻薬を盗み出したギャングが何者かに足元から襲われ、悲鳴を上げながら、地面めがけてバンバン銃弾を撃ち込みます。駆け付けた仲間のギャングが見たものは、脱ぎ捨てられた洋服と排水溝に流れ込む大量の雨水だけ。「一体何が起こったんだ!?」と思わせる、怪奇と謎に包まれたすべりだしです。 「ゴジラ(1954)」で特撮をメインに据えた映画の商品化に成功した東宝は、怪獣以外の特撮映画の可能性を探り、“変身人間シリーズ”に突入しました。以後「電送人間(1960)」「ガス人間第1号(1960)」と続きます。 シリーズ第1作となった「美女と液体人間」(この映画がとりあえず評価されたので、シリーズ化することにしたのでしょうが)は、“怪奇活劇”とのキャッチフレーズがついていました。 まだこの当時、日本には“ホラー”というジャンルはありませんでした。日本にあったのは、“怪談”です。 “怪談”映画は、この世に未練や恨みをもって死んだ霊が、化けて出るお話です。しかし、SFタッチの“変身人間シリーズ”は、それまでの日本に存在しなかった恐怖話です。“怪談”ではないから“怪奇活劇”と呼んだのでしょう。今なら、“ホラー”として、もっと突っ込んだ恐さを表現できたかもしれません。 恐さが足りないなあと感じるのは、液体人間の意思なり、他の人間を襲う理由なりがはっきりしないことがあげられます。 南洋で水爆実験が行われたときに、その近くに日本の漁船がいたのです。乗り合わせた漁師たちは、不幸にも強い放射能の影響で液体人間と化してしまいます。そして、彼らは漁船と共に東京湾に流れ着き、上陸するわけです。 しかし、彼らは、何をしに東京に来たのか。その点について説明はありません。液体化した身では、漁船を操縦することもできず、たまたま東京に来てしまった、といったところでしょうか。そしてさまよい歩き(実際は、流れ流れて)、接触した人間を液体人間化してしまいます。 冒頭のギャングは、襲われて液体人間になります。彼だけは、かろうじて意思らしきものがあります。というのは、液体人間となりながらも、同棲相手の美人歌手(この人がタイトルの“美女”です)のところ、彼女と住んでいたアパートや彼女が出演するキャバレーなど、にやってくるのです。けれど、美人歌手に会いたくて来た、とか、オレがいなくなったとたんに若き科学者とよろしくやりやがって、などといった感情の表現はありません。 “怪談”は未練や恨み辛みなどの負の感情があって化けて出るから恐いのです。液体人間も、生きながら液体化したからには、負の感情があるはず。「ドロドロに溶けちまったよぉ。こうなったらほかの人間も溶かしてやるぅ」などと。それが伝わってくれば、もっと恐い映画になったと思うのですが。 もし、彼らが液体人間になってしまった復讐のためにやってきたとしたならば、これは日本ではなく、核の実験国に行かねばなりません。 同じような液体モンスターを扱った映画としては「マックイーンの絶対の危機(1958)」があります。こちらのblobは、宇宙からやってきます。一体何をしに来たのかわからないけれど、人や街を無差別に襲って、ドンドン溶かして増幅します。そこに恐さがありました。意思が感じられなくても。 ですが、液体人間は、ただ流れるだけでなく、ときどき人型にもなるので、見ている側としては、人間の意思なり感情なりを計りたくなってしまいます。 また、例えば映画のゾンビが恐いのは、人肉を食らうという習性があって、生きた人間を襲ってくるからです。そして、喰われた人間も、またゾンビになってしまうところも恐い。 だから、液体人間も、生きた人間を取り込んで同化しないと、自分が干からびてしまう。理性はなくなったが、生命力を保つために他者を襲う、とでもすればよかったかもしれない。 とはいうものの、液体人間になってしまった原因が核実験の影響ですから、液体人間をあまり邪悪な恐いものとして描くことはできないでしょう。 さて、映画の中では、液体人間の正体をつきとめたら、つぎに対策を立てなければなりません。液体人間が隠れ住んでいる下水道に火を放つ作戦が取られます。 ここらあたりの流れは、怪獣を退治するために自衛隊等が出動するノリと全く同じです。怪奇と恐怖とはもっと陰湿な展開が似合うのではないかと思いますが、一気に勇ましくなります。 先に述べましたが、「美女と液体人間」は、“怪奇活劇”です。怪奇と同時に活劇の部分も前面に出てくるのです。 この映画、子供の頃にテレビで見たときには、本当に下水道の中に入っていって撮影していると思っていました。今見ても、本物の下水道に見えます。しかし、考えてみれば、電源もない、狭いといった不便な場所で、照明やカメラなどを林立させた映画の撮影なんかできません。それに、映画スター、美人女優を臭くて不潔な下水道に閉じこめるわけにもいきません。実際には、今回DVDの特典映像を見て、大がかりな下水道のセットを組み立てて撮影したことがよくわかりました。 それから、映画を見ていると、ガマガエルが体の表面から泡をふいたりして、様々にどうやって撮影したのかと頭をひねる場面が出てきます。今だったらCGで合成すればいいだけの話なのですが、当時デジタル技術はありません。特に、液体人間が流れてくる様子はどのようにしたのか。今回DVDの特典映像でスタッフが語ったのは、まず有機ガラスをドロドロに溶かして使ったこと。そして、セットの部屋全体を様々な方向や角度に傾けて、液体人間の流れを作ったとのことです。こういった工夫が、CGでは出ない深みを生みだしました。 東宝は、この比類なき“特撮”というお家芸をもっていたので、“ホラー”前夜ではありましたが、新しい“怪奇”の分野に挑戦できたのです。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
September 15, 2008
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2006.5.3 B.レスナーVSG.バーナード最強外国人レスラー決定戦'06 4月、新日本プロレスは、IWGPチャンピオン、ブロック・レスナーへの挑戦者決定トーナメント(NEW JAPAN CUP)を行った。勝ち残ったのは、ジャイアント・バーナード、よって5月3日のタイトルマッチは外国人同士の対戦となった。 これは積極的なカード編成とはいえないだろう。レスナーとバーナードの闘いが見たいとの気運が高まった気配はない。すでに、新日のトップ・グループである永田や中西は、レスナーに完敗している。仲村は、レスナーへのリべンジに備えてアメリカでトレーニング中である。ここは、消去法で残った外国人レスナーのバーナードで急場を凌ごうという魂胆を感じてしまう。黄金期の対決! ハンセン ホーガン ジャイアント バックランド かつて新日プロレスには、外国人対決の名勝負物語があった。印象的なのは、ハンセン、ハンセン対ホーガン、対バックランドハンセン対ジャイアントなど、ハンセンがらみの試合である。 まず、ハンセン対バックランド(1980年9月)。これは、アマリロ、ファンク道場の同期生の対決だった。同期生といっても、ハンセンはヒール(悪玉)でパワー・ファイター、バックランドは典型的なベビー・フェイス(善玉)のヒーローで、テクニシャンタイプだ。体型もハンセンはあんこ形(でっぷり体型)で、バックランドはそっぷ形(スマート体型)に分類できる。実に対照的な二人である。ところが、この試合では、バックランドがハンセンをアトミックドロップで担ぎ上げるなどして怪力振りを見せれば、ハンセンは意表をついて軽々とドロップキックや回転エビ固めを見せた。ハンセンの運動能力の高さを目の当たりにして、これまでにない新しいセンスをもつレスラーの出現を感じた。 ハンセン対ホーガンの初対決は、第4回MSGシリーズ(1981年5月)で実現した。この試合の焦点は、タッグパートナー同士のハンセンとホーガンの闘いであることと、猪木を破ってNWFタイトルまで獲得した外国人エースのハンセンに対して、後輩のホーガンがどんな闘いを挑むか、にあった。確か“プロレスの味方”村松友視が、壮絶な自爆合戦と評していた。巨漢同士がエルボー・ドロップをかわしかわされ、フライング・ボディ・プレスをかわしかわされして、大迫力の闘いを見せつけた。テレビ中継のなかった試合で、超満員の後楽園ホールの階段で座って見た。 そして、ハンセン対ジャイアントは、かの田園コロシアムでの激突だ(1981年9月)。223cm、236kgのジャイアントは巨漢揃いのレスラーの中でも規格外の存在である。当時、大ブレイク中のハンセンが、ジャイアント相手にどこまでやれるかに興味が集った。ハンセンは期待に違わぬ意欲的な闘い振りを見せて大活躍、ジャイアントと五分以上に渡りあった。ジャイアントだって、ハンセンを関節技で締め上げた。だが、あのジャイアントが、ハンセンの怒濤の攻撃にがっくり膝をつき、ボディスラムで投げられ、ラリアートをぶち込まれた。ハンセンの大健闘により、歴史に残る名勝負となった。 ハンセン、バックランド、ホーガン、ジャイアント、彼らは、ネームバリューがあった。なんといっても金曜8時のゴールデン・タイムに登場していた顔ぶれだ。観客は単純にスター・レスラー同士の対決を見に集った。また、三試合ともに売りにしていること、闘いの視点がじつにシンプルで、観客にとって分かりやすく、感情移入がしやすかった。レスラーたちは、それぞれが日米のマット界でトップを張るプライドがあって、ド迫力の試合を展開した。レスナー対バーナード・・・・ 今回のレスナー対バーナードは、現在の新日本プロレスにおける外国人レスラーのナンバー1決定戦である。だが、レスナーもバーナードも、悲しいかな一般にはあまり知られていない。だから、最強の闘いと言っても話題性が低い。事実観客動員数は、3500人。寂しい数字だ。 レスナーは世界標準といわれる。世界標準という言葉がレスラーの強さを表現するのに適当かどうかはよくわからない。ともあれ別名永久王者を名乗り、無敵のイメージで売り出している。そうなるとおいそれとは負けることができない。これは痛し痒しだ。完璧な強さをもつものには、逆にドラマを見出しにくい。ドラマが見えなければ、観客は引いてしまう。 今回、ドラマはバーナードにあった。調印式に新日本プロレスのジャージを着て現れ「新日本にベルトを取り戻す」と新日本代表宣言である。新日のためにがんばる心意気が嬉しいではないか。しかも、バーナードは左腕を負傷しているのだ。 ここまで観客のバーナード贔屓の条件が揃っていたのだから、試合展開でうまく見せてほしかったなぁ。負傷箇所を攻撃され、のたうちまわりながらも、新日本のレスラーの声援を受け、気力を振り絞って闘い、いつのまにかレスナーを追い詰めている。そんな闘いを見せてほしかったなぁ。それでレスナーに勝てば、観客は大喜びだ。その場合、新日本代表であることをもっと強烈にアピールする演出が必要だ。新日本のジャージーを着て、インタビューでボソっと喋った程度ではわからない。 確かに試合は、熱戦といえば、そういえなくもなかったです。お互いに技を出し合い、受け合ったけれど、決して強く印象に残る試合ではない。一生懸命プレイするだけでは、他のスポーツと同じである。人の心の琴線を刺激してこそプロレスである。 唯一心に響いたのは、バーナードが最初のバーディクトをかわした場面だ。バーディクトには、正直いって、破壊力を見て取ることができない。けれど、バーナードが必死に逃れようとしたことによって、間接的に技の恐さを感じることができた。 前例を踏襲すれば、そこそこうまくいくと考えたら安易すぎる。時代は変わり、過去とは様々に条件が違うのだから。そこんとこよく考えて、エモーションを熱くするプロレスを見せてくれ!
May 23, 2006
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