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「サイボーグ009」のDVDをレンタルビデオ店で見つけました。 アニメ「サイボーグ009」は、実写版「大忍術映画ワタリ」と2本立てで1966年の夏休みに公開されました。なんと、初めて女の子と映画を見に行ったのです。小学生にして、映画でデート?いえいえ、残念ながら保護者同伴でした。映画が終わってから、スパゲティを食べたっけ。その子は、もう記憶にないでしょう。こちらは、それだけ映画、それもヒーローもの、特撮関係にこだわりがあるので、覚えているのです。 「サイボーグ009」とは40年以上の時を経ての再会です。もし、見つけたのがDVDではなく、10年以上前に販売されたビデオテープだったら、見なかったでしょう。画像の荒さが気になってしまうので。その点、DVDはいいです。古い作品でもきれいな画像で、当時の印象を損ないません。あの女の子に今会ったとしたら……、会わない方がいいでしょう。 「サイボーグ009」は石森章太郎(1985年「石ノ森」に改名)の原作です。同じく石森の仮面ライダーより前の作品ですが、似通った設定が見られます。カーレーサー島村ジョーは、レース中に大事故に会い、救急車に乗せられます。運ばれていった先が悪の組織ブラックゴースト団の秘密基地。そこで島村ジョーは、手術によりサイボーグ戦士にされてしまいます。一方の仮面ライダーでは、オートレーサー(で優秀な科学者)の本郷猛が悪の組織ショッカーに拉致され、改造人間にされてしまいます。ね、似ているでしょ。 ふたつは、同じ石森であることと同時に、「サイボーグ009」は東映動画、「仮面ライダー」は東映製作の特撮ヒーロー番組です。同じ会社なわけ。 「サイボーグ009」の原作マンガでは、少年鑑別所を脱走した島村ジョーが、ブラックゴースト団に捕まり、サイボーグにされてしまいます。原作とアニメ映画は、島村ジョーの設定が異なるのです。これは、夏休みの子供向けアニメということで、脱走犯というダークなイメージから、花形カーレーサーに変えられたのです。 同じ原作者、同じ映画会社ということで、「サイボーグ009」における原作からアニメへの設定の変更は、「仮面ライダー」をつくる際に、流用(?)されたのではないでしょうか。 また、今回見ていて気付いたのは、ヘヤースタイルです。マンガ原作の方は、片目が隠れるような髪型をしています。それに比べて、アニメ版はすっきり額や両目を出しています。もう一つ、マンガ原作の方では、確かジョーの髪の色について「あなたは、島村という日本名ながら、髪が栗色ね」と003(だった思うけど、ちがうかもしれない)が指摘しています。ジョーはハーフなのです。これら原作マンガの設定は、009=ジョーを影のあるキャラクターにしています。石森章太郎は、他のマンガでも、影のあるヒーローを描いていました。その点、アニメ版では、009のコスチュームも純白にして、明るさが際立たせてありました。 子供の頃は、映画を見て、そんな009の違いには気が付きませんでした。 けれど、ブラックゴースト団が死の商人と呼ばれ、戦争で利益を上げていることに大きなショックを受けました。世界征服を企むより、戦争を儲けの手段にするなんて、最悪の唾棄すべき悪党です。さらに、ブラックゴースト団の首領が、なんと電子頭脳であったとの展開も震度7以上の衝撃でした。人間でないものが悪の組織を牛耳っていたこと、しかし、人間の欲望によって電子頭脳が動いていたこと、これには打ち震えました。子供の視点から見ると、大スクリーンに映る人工頭脳は、圧倒的な迫力がありました。 ちなみに009は“ゼロゼロナイン”と発音します。ダブルオーナインではないんです。昔本家の007も“ゼロゼロセブン”と呼ばれていましたが、今じゃ“ダブルオーセブン”です。 サイボーグ戦士の方は、“ゼロゼロワン”から“ゼロゼロナイン”までいます。ところが、映画の中で、“ゼロゼロセブン”が見得を切る場面で、自分のことを“ダブルオーセブン”と言っているのです。これには驚きました、単純なことですが。 さて、21世紀の現在、「サイボーグ009」は、アメリカでいえば「X-メン(2000)」や「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット](2005)」にあたると思います。その二つも、「サイボーグ009」も、様々な特殊能力をもった者が集まって、チームで悪と闘います。 「X-メン」「F4」ともに、シリーズ化されています。その第1作目は、なんだかかったるい展開でした。アメコミからの映画化は、たいていいかにして特殊能力を得て、それに馴染み、使いこなすようにんってスーパーヒーローとして活躍するまでを紹介します。あるいはどうやってチームが作られたか、新メンバーが加入されたかなどが描かれます。その過程が、まどろっこしいのです。 しかし、「サイボーグ009」は、40年以上前のアニメなのに、とてもスピーディでした。島村ジョーは、改造手術を受けて、目が覚めるやいなや、すぐに「テストだ」と、戦闘機が襲ってきたのです。そして、島村ジョーは、自分の未知なる力を使いこなして戦闘機を撃破します。また、サイボーグ戦隊をつくったギルモア博士が「009は、みんなのリーダーだ」で、彼の役割は即座に決定しました。 リアルといえばアメリカ映画の方がリアルでしょう。マンガ的といえば「サイボーグ009」の方がご都合主義です。けれど、昔のアニメである「サイボーグ009」の方がテンポがいいように感じました。これは、好みの問題でしょうか。 ひとつに「サイボーグ009」の上映時間は、64分です。その短い時間の中で、話を進めなければならない。とすると、本来説明が必要な部分は、子供向けアニメということで、省略してしまったのでしょう。サイボーグ戦士になったばかりの009が、いつのまにか秘密兵器をもっている場面もありました。 それから、サイボーグ戦士が9人もいると、64分の中では、うまく活躍させられなかったようです。後半、ブラックゴースト団の秘密基地へ乗り込むのは4人の戦士です。あとは、とりあえずお留守番でした。でも、さすがにラストでは残った5人とギルモア博士が助けに現れましたが。 劇場版「サイボーグ009」には、正式な続編として「サイボーグ009怪獣戦争(1967)」があります。そして、後に「サイボーグ009超銀河伝説(1980)」もつくられました。この2本については未見ですなのですが、レンタルビデオ店の同じ棚に並んでいました。この機会に見たいと思います。 最後に実写版「サイボーグ009」、これはテレビにも映画にも存在しません。今の映像技術なら、きっとすばらしい実写版「サイボーグ009」ができると思います。是非、実写版「サイボーグ009」が見たい。生きているうちに。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
August 17, 2008
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自慢じゃないけど、テレビの実写版「鉄人28号(1960)」を見てました。「そんなものがあったのか」とおっしゃるでしょうが、あったのですよ。ちなみに、実写版「鉄腕アトム(1959~1960)」も見ていました。両方とも、アニメ版の陰に隠れてしまって、今は話題になることもありません。実写版は、ビンボー臭さや胡散臭ささえ感じます。でも、夢中になって見てました。 「鉄人28号」は月刊雑誌「少年」に連載されていました(1956~1966)。「少年」には「鉄腕アトム(1952~1968)」も連載されていて、二大看板でした。この頃の月刊誌は、本誌の方に数ページ、イントロのようにマンガが載り、続きは別冊付録というマンガごとに分かれた小冊子で読むスタイルでした。どうしてそんなことをしていたのかはわかりません。 日本初のテレビ番組としてのアニメーションが「鉄腕アトム(1963~1966)」です。それ以前の話ですから、その時点でアニメにすることはできなかったのですね。「鉄人28号」も「鉄腕アトム」も、マンガの人気にあやかって映像化するには、実写しかなかった。かといって、(多分)技術的、予算的に巨大ロボットとして描くこともまだできなかった。だから、最初にテレビに登場した鉄人28号は、驚くべきことに、等身大だったのですよ。 この実写版「鉄人28号」を、毎回欠かさず見ていまして、あるとき、あんまり大きな音でテレビを見ていたものですから、そこから聞こえるサイレンの音を近所のおばさんが本物とまちがえて「パトカーが来た!」と大騒ぎになったこともありました。 それはともかく、テレビ番組の実写版「鉄人28号」は、あるとき唐突に終わってしまったのです。確か、正太郎が敵に襲われ、爆弾が破裂する中を逃げ惑います。何度か爆発があり、正太郎の生死は不明という状態で(と記憶していますが、ちがうかもしれません)、つぎの回を心待ちにしていたら、もう放送がなかった。地方テレビ局が、子供番組だと軽く見てたのかな、などと思っていましたが、その後番組自体が未完で終わっているとわかりました。 実写版「鉄腕アトム」は、ビデオテープを所有しています、ベータのカセットで。「鉄人28号」も手に入れるチャンスがあったのに、逃してしまいました。今とても悔やんでいます。 雑誌「少年」が生んだ2大ロボットヒーロー、アトムと鉄人。アトムが陽なら鉄人は陰というイメージがあります。それは、アトムが(その時点の)未来世界のアンドロイドであるのに対して、鉄人は、第二次大戦の兵器としてつくりだされた、などのことから。 陰のイメージをもつ鉄人の作品世界は、「怪」と「謎」がからんできます。“怪”ロボットという表現がよく似合います。なにしろ主人公金田正太郎は少年探偵で、拳銃を撃ち、車を乗り回して“怪”事件に挑むのですから。その怪事件には、“怪”ロボットが姿を見せます。怪、怪、ですね。これは、江戸川乱歩の少年探偵団の世界と共通するものがあります。少年探偵団は“怪”人二十面相が企む“怪”事件を、年端もいかない子供達が追っかけるお話。少年探偵団の小林団長、彼も、少年ながら拳銃の撃ち方を習い、車を運転しちゃいます。江戸川乱歩の探偵小説に、怪(物)ロボットが登場したら、鉄人28号の世界になりそうな(ちょっと時代背景が違う)。 鉄人28号はロボットを扱いながら、鉄腕アトムのようにSF的ではなく、少年探偵団のように、謎の怪事件というダーク(陰)な世界観をベースにしているというわけです。 「怪」「謎」の鉄人28号は、基本的には“怪”物=モンスターなのです。アトムが人と言葉等を介して、主体的にコミュニケーションを取るのに対して、鉄人は「いいも悪いもリモコン次第」と歌われるように、鉄人自体に善悪の区別はつきません。だから、その圧倒的な巨体とパワーは、怪物的な脅威です。鉄人はロボットのもつメカの面ではなく、怪物的な面を強調しています。 今川泰宏監督がつくったテレビ版「鉄人28号(2004)」は、鉄人の登場時からモンスターとして描かれ、ワクワクしました。映画「鉄人28号 白昼の残月」でも、鉄人のモンスター性は遺憾なく発揮されます。正太郎の操縦が効かないにもかかわらず、ビルの谷間にぬっと体を現す様子は、まさに怪物。ゴジラなどの怪獣の雄姿が重なる(だから音楽が伊福部昭なのか?CDを買わなくちゃ)。 鉄人28号が好きな理由のひとつは、巨大ロボット同士が繰り広げる迫力のバトルが見られることです。光線技、ミサイルなどの飛び道具がなくて、パンチ、キック、体当たりなどを中心とした肉弾戦であるところが、やっぱりメカというよりモンスター。 「白昼の残月」は、映画版として、グレードアップしたロボットバトルを見せてくれるだろうと、期待の焦点はそこでした。ところが、そういった場面は予想外に少なく、鉄人のバトルがクライマックスになっているわけではありませんでした。 敵ロボットは、バッカス、ギルバート、ロボットモンスターと、鉄人のスターロボットが一挙に登場します。これは、ゴジラが映画の中で、モスラ、ラドン、キング・ギドラなどのスター怪獣と闘うようなもの。 バッカス、ギルバートなどがシルエットで姿を現したあたりでは、ドキドキしました。しかし、バトル場面でのそれらのロボットは、なんだか影が薄い。と思っている間に、さっさと鉄人に片付けられてしまいました。 敵ロボット軍団との闘いが映画のメインになると思っていたので、拍子抜けしました。けれど、映画がおもしろくなかったかというとそうではありません。期待に応えてくれる映画でした。 鉄人贔屓としては、実写版の映画「鉄人28号(2005)」が公開されたとき、押っ取り刀で駆け付けました。長年描いた、アニメではない巨大鉄人の大迫力の大活躍が見られるかと。けれど、ストーリーが、なんだか妙な正太郎の成長物語になっていて拍子抜け。鉄人とブラックオックスのロボットバトルも迫力がありませんでした。がっかり。 「白昼の残月」は、ロボットバトルには少々不満でも、映画として納得できました。監督今川泰宏の鉄人に対する熱い思いが伝わってくるからです。 かつて、マンガの鉄人を読んでいたときに、ほとんど鉄人が登場しないエピソードがありました。“謎”と“怪”のマンガですから、事件によっては鉄人の登場を必要としない展開もあったのです。子供心には、鉄人の雄姿を拝みたい。ところが、鉄人が出てきた場面は、悪漢が正太郎邸を襲ってきたときに、「ガオッ」と姿を現して威嚇しただけ。それでも、ストーリーが面白かったし、短い場面でも鉄人は迫力があったし、で満足しました。 今回の「白昼の残月」は、戦争や戦後の日本に対する今川監督のこだわりから、重厚なストーリーが味わえました。また、その時代を背景にした鉄人や正太郎の有り様に、鉄人及び原作者の横山光輝へのリスペクトを感じました。 子供の頃から、さまざまなヒーローや作品に胸を躍らせてきました。そして、もし、自分がそれらを作る側に回ったら、こうしてみたい、ああしてみたいと空想を膨らませました。それらのヒーローや作品が大好きだから。 今川監督もきっとそういう想いで、映画版そしてテレビ版の鉄人28号をつくったのでしょう。平成ガメラが、迫力の映像だったのと同じように。 ということで、できれば、見応えのある実写版「鉄人28号」をどなたかつくってください。 「鉄人28号 白昼の残月」、出たばかりのDVDを見たその夜に、テレビでまた映画が映っているのにびっくり。一瞬、借りてきたDVDをプレーヤーに入れっぱなしにしてあって、何かの拍子に勝手に再生されたのかと思いました。そうではなく、なんと、NHK-BSで放映されていたのでした。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
June 1, 2008
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「劇場版クレヨンしんちゃん(略して“劇しん”)は、おもしろいよ」と言うと、みんな驚きます。「(大人なのに)そんなの見ているんですか」。見ているんですよ。できれば、封切り時に、映画館で見たい。でも、見に行けなかったときは、DVDを必ず見ます。 「そんなの」という言葉には、子供のアニメなのに、という意味と下品なアニメなのにという意味の二つが含まれているように思います。それは、テレビ版の話でしょう。劇場版は、“爆笑と感涙”の映画なのです。 “劇しん”のファンではありますが、さすがにいい歳をして、小さい子供連れの家族に混じって一人で映画館のシートに座ることには抵抗を感じます。映画館の中で、完全に浮き上がっている。「なんだろ、あの人、大人が一人で子供のアニメなんか見に来て」という目で見られているような気がする(自意識過剰)。 子供向きであろうと、大人向きであろうと、おもしろいものはおもしろいし、おもしろくないものはおもしろくないのです。おもしろければ、見たいぞぉ。 ある種の特撮系の映画などは、上映プログラムに夜の回があります。夜の回は、子供が少なくなり、大人が集まります。だから、安心して見ることができるのです。ところが、クレしんは、大人にも大勢ファンがいると言うのに、一日の最終上映回が4時~5時台の開始なのです。完全に子供映画のタイムテーブルですね。だから、どの回に行っても家族連れがいるというわけ。 毎年、ゴールデンウィークの“劇しん”新作を楽しみにしている身としては、封切りと同時に見たい。見たいけど、一人では恥ずかしくて行けない。そんなとき、だれか一緒に行ってくれる人がいると嬉しい。といっても、「そんなの見るんですか」と言われてしまうのだから、なかなか一緒に行ってくれる人もいないのですが。 今回は、とてもラッキーなことに、劇しんの話題にふれたら「見たい」と言ってくれる人がいました。やったね。家族連れも、子供だらけもなんのその。喜び勇んで見に行きました。 いよいよ映画が始まりました。さあ、どうだ。劇しんを見てみろってんだ。おもしれぇだろう。あれれ、なんだかエンジンのかかりが遅い。妙に、日常的な生活場面が続く。朝起きて、ご飯を食べて、会社や幼稚園に行って、風呂に入り、寝る。 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード(2003)」なんかは、開始早々食事が貧しいことで一家がもめたかと思うと、突然野原家の塀を突き破り家の中まで車が飛び込んできて、あとはジェットコースター(ホントにデパートの屋上でジェットコースターに乗って振り回されるシーンがありました)のように急激な展開を見せてくれました。それなのに・・・。 これは、困った。ほかの人と一緒に映画を見るとき、特に、こちらの趣味嗜好が強いものの場合、つきあわせたことを申し訳なく思ってしまいます。 “劇しん”の魅力は、ひとつにおバカ、ナンセンスがあげられます。「クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦(1999)」では、風呂嫌いのアカマミレをボスとするテロ組織YUZAMEが、地球全体を温泉にして風呂好きな人たちを溺死させるという“地球温泉化計画”を決行する。そこに不運な野原家が巻き込まれてしまいます。アカマミレが風呂嫌いになったのは、いつも行く銭湯で、靴箱の「3」の札がなかったからだ。アカマミレは大好きな巨人軍の長島選手の背番号3にちなんで「3」の靴箱を使っていた。それなのに、「3」がない。アカマミレは世の中をうらんでテロ集団を組織した。じつにナンセンス。 あるいは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル(2000)」では、ジャングルの支配者パラダイス・キングに客船の乗客が拉致されます。みんな手足を縛られ、身動きできない状態なのです。そこで、しんちゃんが得意のおしりを使って動き回る“ケツだけ歩き”を披露します。大人達もそれを真似て“ケツだけ歩き”で集団大脱走。だれもかれも必死なのだけれど、動きは“ケツだけ歩き”。その落差が爆笑もの。 “劇しん”のもうひとつの魅力は、ググっと感動すること。その感動は、“かすかべ防衛隊”と「野原家ファイアー!」がもたらしてくれます。 しんのすけの幼稚園仲間、“かすかべ防衛隊”は、しんのすけのわがままや個々の保身などから、何度も分裂の危機を迎えます。しかし、紆余曲折はありながらも、難敵と闘うしんのすけを助けようと、最終的には幼稚園児ながら一致団結し、全力を尽くすところが胸を打つ。 そして、話の中心になるのは、しんのすけの家族である野原家です。なんの取り柄もない俗物家族でありながら、なぜか悪の組織と闘うハメにおちいる。けれど、家族と世の中の平和を脅かすものには、一致団結して立ち向かう。「野原家ファイアー!」と叫び、家族愛と根性だけで強大な相手に挑んでいくところは、涙なしには見られません。 いつもなら、そういう“爆笑と感涙”の映画なのですが、今回の「クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者」は、残念ながら、ちょっとおとなしめの映画でした。ナンセンス・おバカ度が低く、“かすかべ防衛隊”の活躍、「野原家ファイアー!」の大奮闘も、物足りなかった。しんちゃんは「のはらしんのすけ、五歳」と自分を奮い立たせて、頑張っていましたが。 一緒に見た人が「これのどこがおもしろいんですか」などと言ったらどうしようかと焦りました。「時間を返せ!」と怒ったとしたら、平謝りに謝るしかありません。なにせ、わざわざ選んで子供向きのアニメ映画に連れて来たのですから。一般の映画よりも、プレッシャーは強い。 映画が終わったら、機先を制して「今回の劇しんは、しんちゃんの独り立ちを描いたようだねぇ」などと利いた風なことを言って、煙に巻いてやろうかと考えました。けれど、「前評判通りおもしろかった」と言ってくれたのでほっと一安心。助かりました。と同時に、“劇しん”の底力を見たような気がしました。 気に入っていただけたら、名作揃いの旧作をぜひ見てください。 そして、来年の“劇しん”に期待しています。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
May 4, 2008
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