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映画音楽がやって来た!「日本映画と音楽」特別演奏会伊福部昭先生の『古稀記念交響コンサート(1984)』にも行きました。『渡辺宙明特集ヒーローオーケストラ/昭和の子どもたちへ(2018)』にも行きました。その都度、特撮ファンでよかった、としみじみ感じ入りました。特撮シーンと音楽は、一体なのです。そして、今回は『映画音楽がやって来た!「日本映画と音楽」特別演奏会』に行ってきました。おめあては、〇眞鍋理一郎作曲・『ゴジラ対ヘドラ』(1971年、坂野義光監督)より「かえせ!太陽を」・『ゴジラ対メガロ』(1973年、福田純監督)より「メガロをやっつけろ」「ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ」〇佐藤勝作曲・『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年、福田純監督)より「ミヤラビの祈り」〇いずみたく作曲・『宇宙大怪獣ギララ』(1967年、二本松嘉瑞監督)より「ギララのロック」こうした楽曲が、生演奏で、生歌で聴くことができるなんて。じつに感涙体験でした。それに加えて、〇團伊玖磨作曲・『白夫人の妖恋』(1956年、豊田四郎監督)より「しらとり韶」、メインテーマ・『ゲンと不動明王』(1961年、稲垣浩監督)よりメインテーマこれらも、円谷英二が特技監督としてかかわった映画です。思い入れがありました。もちろん、特撮系以外の映画だって見ていますから。とりわけ、斎藤高順作曲の小津安二郎監督作品の楽曲には、しみじみ和やかな気持ちになりました。司会・解説の方がお話されていましたが、今回の選曲は、・伊福部昭じゃない特撮音楽・黒澤明じゃない佐藤勝といった側面があったとのこと。だから、じつに貴重な体験となりました。アンコールでは、「ソプラノ独唱の山本澄奈さんのおじいさんにあたる、山本直純さん作曲による・・・」というアナウンスがありました。そこまで聞いて、「え⁈、マグマ大使⁈」と思いましたが、『男はつらいよ』でした。マグマ大使は、映画じゃなくてテレビ番組だからね。『ゴジラ対ヘドラ』4K リマスター 4K Ultra HD Blu-ray【4K ULTRA HD】 [ 坂野義光 ]ゴジラ対メガロ【Blu-ray】 [ 佐々木勝彦 ]ゴジラ対メカゴジラ【Blu-ray】 [ 大門正明 ]宇宙大怪獣ギララ【Blu-ray】 [ 和崎俊也 ]
May 26, 2024
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当方は、第一次怪獣ブーム直撃世代である。いや、それ以前から東宝特撮映画などにかぶりついていた。爾来、そうした映画を見続けてきわけだ。【あらすじ】前作『ゴジラVSコング』から3年、ゴジラは地上、コングは地下世界と棲み分けをしていた。そして地下世界のコングは、同族の巨大猿集団(グレイト・エイプ)と巡り合う。しかし、グレイト・エイプを支配するスカーキングはコングを排除しようとした。スカーキングの勢力がさらに増大すると、地上世界も危機に陥る。コングは地上のゴジラとともに、スカーキングと配下の冷凍怪獣シーモらと激突する。この映画は、いわゆるジェットコースター・ムービーで、おしまいまで飽きずに見ることができた。そんな中で、当方のノスタルジーを痛く刺激するシーンがいくつかあったのだ。まず、ゴジラが北極海での海蛇怪獣ティアマットとの激闘場面だ。北極海へ向かうゴジラを、モナークの潜水艦が追う。北極海、潜水艦、氷山、そしてゴジラとくれば、元祖『キングコング対ゴジラ』をどうしたって想起するよ。原潜シーホーク号が北極海で謎の発光氷山を発見し、そこでさらにゴジラ復活に遭遇し、あえなく撃沈されたのだった。キングコング対ゴジラ 4Kリマスター【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]つぎに、この映画には、モスラも参戦するのだよ。モスラといえば、小美人、コスモス、エリアスなどと称される妖精である。彼女たちは、モスラとコンタクトする。今回は、イーウィス族の少女ジアが、一人でモスラの覚醒をサポートした。だが、しかし、ここは願わくば二人組にしてほしかった、妖精ではなかったとしても。当方としては、前作までシリーズに登場していたマディソンと、このジアとの二人組がよかろうと思うのだ。映画を見ている最中は、マディソンが出てこないから、ジアとイーウィス族の女王がペアになるのか、なってほしいと願ったが、それはちょっと無理があったね。なお、イーウィス族はテレパシーでコミュニケーションをとるが、東宝特撮では小美人がテレパシーで交信することができたのさ。【中古】発光妖精とモスラ 筑摩書房 中村真一郎さらにモスラに関しては、目覚めてすぐに、対立するゴジラとコングの仲裁を行う。このシーンは、いわずと知れた『三大怪獣地球最大の決戦(1964)』である。最強の外敵キングギドラに立ち向かうため、マウント争いをするゴジラとラドンを諫めるのがモスラだった。つまり、この映画の立ち位置では、ラドンとコングとが入れ替わったことになる。三大怪獣 地球最大の決戦 4Kリマスター【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]観賞途中、ふと心配になったのが、怪獣バトルの場面設定が地下世界になるのか、というところだった。和解が成立したゴジラとコングは、モスラともども地下世界に向かう。地下世界は、山々に囲まれるなどしたほぼほぼ自然の状態である。かつて、昭和ゴジラ(やその他の特撮映画)は、徐々に南海の孤島や富士の裾野のような場所で怪獣バトルなどが行われがちになった。経費節減のために、ミニチュアセットが必要な都市破壊が避けられたのだ。これは、はなはだ残念なことだった。島や地下世界では、怪獣の巨大さが実感しにくい。例えば、この映画では、発掘作業中のピラミッドの陰から、ピラミッドに劣らぬ巨体のコングが、ぬっと姿を現すシーンがあった。こんなところに、怪獣の圧倒的な巨大感が漂うのだ。しかし、今回の映画は、地下世界で怪獣の顔合わせがあったのちに、舞台を地上のブラジル、リオデジャネイロに移したのだった。大都会リオデジャネイロでの巨大怪獣の大激闘、高層ビルを破壊しながら暴れまわる怪獣とその下を逃げ惑う人々、なっていうシーンは、現実と非現実が入り交じり、怪獣映画の醍醐味ここにあり、である。あと、おまけ。新怪獣シーモは、冷凍怪獣である。口から吐き出す冷凍エネルギーで、コングを凍傷に追い込む。かつて、東宝特撮では、『海底軍艦(1963)』の冷線砲が、ムー帝国の守護怪獣マンダを氷漬けにした。だが、過去、ゴジラが対戦した中に冷凍怪獣はいなかった。また、『ゴジラ FINAL WARS(2004)』において、ゴジラは海底軍艦轟天号と一戦を交えているが、このとき轟天号は冷線砲を使用していない。冷凍怪獣として記憶に残るのは、大映ガメラシリーズのバルゴンである。バルゴンは霧状の冷凍液を噴射して大阪城を凍らせ、ガメラをも凍結に追い込んだ。当然、所属団体がちがうから(プロレスか⁈)、ゴジラは、バルゴンとは対戦していない。ゴジラにとって、冷凍怪獣シーモはまだ見ぬ強豪だったわけだ。(それにしても、ゴジラが、あれほどエネルギーをチャージする必要があったかどうかは疑問が残る)海底軍艦【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン[Blu-ray] Blu-ray [Blu-ray] / 特撮ゴジラ ファイナル ウォーズ【Blu-ray】 [ 松岡昌宏 ]そんなわけで、今回は、IMAXレーザーで大迫力を堪能できた。そのIMAXレーザーは、デジタル上映である。さらに、ゴジラなどの怪獣、建物のなどもCGである。当方としては、着ぐるみ、ミニチュア、フィルム上映が好みなのだが、それらはもう望むべくもない。
April 28, 2024
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ゴジラの逆襲【Blu-ray】 [ 小泉博 ]ゴジラ (ちくま文庫) [ 香山滋 ] 今ほど情報が得られなかった1960年代に、小学生の当方は『ゴジラ対アンギラス』という映画があると思い込んでいた。 当方は、『モスラ対ゴジラ』を見て、幼心に著しい衝撃を受けた。 この映画については、事前の情報があった。 親友が「こんど『マンモス対ゴジラ』がやるぞ!(公開されるぞ)」と勢いよく伝えてきたのだ。 これを聞いて、そうかゴジラがマンモスと闘うのか、ととても楽しみになり、図画工作の時間に粘土でゴジラとマンモスをつくったのだった。 その直後に、街でその映画の大看板を見た。 そこには『モスラ対ゴジラ』とタイトルの表記があった。 マンモスではなかったのかぁ⁉ モスラなのかぁ。 モスだけが同じだった。 けれど、思った。 モスラってなんだ? じつはこの時点ではゴジラについてだって、全貌がよくわかっていなかったと思う。 その後、親友に「『マンモス対ゴジラ』じゃなくて『モスラ対ゴジラ』だったぞ!」と告げた。 そうしたら親友は「『マンモス対ゴジラ』ってなんのこと?」と答えた。「だからマンモスとゴジラをつくってたのか⁉」とも言われた。 その親友は、材木会社の社長の息子だった。 例えば『海底軍艦』。 親友とは、この映画について、すっごく話が盛り上がった。 そして親友には高校生の兄がいた。(6年生の姉もいたが) この兄が、特撮映画(のちにはスパイ映画、マカロニウエスタンなど)の貴重な情報ソースだった。 『ゴジラ(1954)』のつぎが『ゴジラの逆襲』である。 ゴジラは、『キングコング対ゴジラ』の前にアンギラスと戦っている。 大怪獣バランは、後頭部の角がきれいだった、などの話を聞き、特撮怪獣映画に思いを巡らせ、深みにはまっていった。 その時点で、『ゴジラ(1954)』『ゴジラの逆襲』の2本は、ゴジラが一体のみ出てくる映画だと解釈した。 なぜならば『ゴジラ』及び『ゴジラの逆襲』は、それぞれ怪獣の名前が一つしかない。 『キングコング対ゴジラ』とか『モスラ対ゴジラ』は、そこに2体ずつ怪獣の名前がある。 だから、ゴジラとアンギラスが対決するなら、それは『ゴジラ対アンギラス』という映画だろう、と考えたわけだ。 それと同時期に、ほかの友達の家に遊びに行った。 そうしたら、そこにゴジラ映画のパンフレットが数冊あった。 当方は、それを借りていって隅から隅まで目を通した。 その中の一冊に、東宝特撮映画年表が掲載されていた。 しかし、そこに『ゴジラ対アンギラス』という映画はなかった。 なんども見直したが、『ゴジラ対アンギラス』はない。 これはどういうわけだ? さて、『ゴジラ(1954)』がテレビで初放映されたのは、1967年のNHK総合だった。 その前年1966年に、特撮怪獣映画として初めてテレビ放映されたのが『ゴジラの逆襲』である。 それを私は見ている。 ラスト近く、ゴジラが雪崩に埋まるあたりからなんだけど。 『ゴジラの逆襲』は、ゴジラ対防衛庁の飛行機(シナリオより)編隊で決着を迎える。 神子島に上陸したゴジラに対して、その背後にそそり立つ雪山を爆撃し、雪崩を起こしてゴジラを生き埋めにする作戦だ。 この対決は、早すぎた『トップガン マーベリック』とも言える。 防衛庁の飛行機は、崖にロケット弾を撃ち込み、山腹に沿って急上昇するのだ。 これを見て、『ゴジラの逆襲』はゴジラが単独で登場する映画だとの確信に及んだのだった。 しかしながら、『ゴジラ対アンギラス』は依然まぼろしのままだった。 とても気がかりだった。 その2年後くらいに、またまたある友達の家に遊びに行ったら、居間の本棚に『ゴジラ 東京・大阪編』を発見した。 これは、小説版のゴジラである。 こちらも借りていって、かつて経験がないほど熟読玩味した。 「東京編・大阪編」ってなんだ? 読み進むうちに、「東京編」が映画『ゴジラ(1954)』であることが見えてきた。 まだ見ぬ『ゴジラ(1954)』の内容を窺い知ることができた。 次いでわかったのが、「大阪編」は『ゴジラの逆襲』なのであった。 「大阪編」のラストは、神子島でのゴジラと防衛庁の飛行機編隊のバトル、生き埋め作戦だったから。 さらに、「大阪編」では、序盤、中盤にアンギラスとの対決があった‼ ここに来て、長年の謎が解けた。 『ゴジラ対アンギラス』=『ゴジラの逆襲』だったのだよぉ。 『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ(1954)』の空前の大ヒットを受けてつくられた映画だ。 けれども、最近のゴジラ映画の人気投票では、いつも下位に甘んじている。 さらに、この映画についてはあまり語られることもない。 しかしだよ、『ゴジラの逆襲』のゴジラこそが、このあとキングコングと闘い、モスラとバトルをして、さらに地球を守っていくのだ。 いわゆる「初代ゴジラ」は、オキシジェン・デストロイヤーによって葬り去られている。 『ゴジラの逆襲』の「2代目ゴジラ」が、怪獣たちとの名勝負を繰り広げ、シリーズを盛り上げわけだ。 この映画は、ゴジラシリーズの中で見ると、常連である本田猪四郎(監督)のいない映画である。同時に、伊福部昭(音楽)もいない。 けれども、かの円谷英二は、この映画で初めて「特技監督」という役職名を得たのだった。 確かに『ゴジラ』は歴史的な映画である。 内容的にも、姿勢を正して見るべきものをもっている。 一転して、『ゴジラの逆襲』はエンターテインメントだ。 まず、ゴジラが早い段階で登場する。 『ゴジラ』では、映画開始後22分30秒ころまでゴジラは姿を現さない。 それに対して『ゴジラの逆襲』は、8分36秒ほどでゴジラが登場し、その10数秒後にアンギラスまで登場するのだ。 そして、前作では重厚な存在だったゴジラが、なにしろスピーディーに動き回ってアンギラスと格闘する。 この対決の決め技となるのは、ゴジラの嚙みつき攻撃だ。 アンギラスは首筋に喰いつかれ、流血淋漓で敗北する。 元祖『ジュラシック・ワールド』だよ。
May 14, 2023
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シン・ランペイジ 巨獣大決戦 [ ロー・ガーリョン ]シン・ゴジラ Blu-ray特別版4K Ultra HD Blu-ray同梱4枚組【4K ULTRA HD】 [ 長谷川博己 ]シン・ジョーズ [ レイチェル・ブルック・スミス ] TSUTAYAのリリース情報を見ていたら、『シン・ランペイジ 巨獣大決戦』(以下『シン・ランペイジ』)が目についた。 「なんで今ごろになってリリースされるんだ?リマスター版とか4K版とか、ディレクターズカット版とかなのかな?」 と思ってよく確認したら「シン」とついているではないか。当方はてっきり『ランペイジ 巨獣大乱闘 (2018)』(以下『ランペイジ』)だと思ってしまっていたわけだ。 よくあるヒット作のパチモンだろう。 であっても、見たいものは見たい。 あるいは、パチモンだからこそ見たいのだ。 ちょうどTSUTAYAの新作半額クーポンがあったので、レンタル開始日にすぐ借りた。 第二次世界大戦の末期に、アメリカ軍の兵士2名が核爆弾を空輸していた。 魔の海域ドラゴントライアングル上空にさしかかったとき、変事に巻き込まれて飛行不能となり、兵士たちはパラシュートでとある島に降り立つ。 ・・・どこかで見たようなシーンだ。 なんてことは思う手間暇もなく、『キングコング: 髑髏島の巨神』(以下『髑髏島』)を想起する。 『髑髏島』のほうも、先の大戦中、戦闘機同士の空中戦の末に、アメリカ兵と日本兵の2名がパラシュートで孤島に降下する。 こんな出だしなので、いやでも『髑髏島』との類似が気になる。 『髑髏島』では、降下したアメリカ兵マーロウが重要な役目を果たすが、『シン・ランペイジ』では島に降り立ったアメリカ兵は、その後登場しない。 なぜならば、『髑髏島』は戦後30年くらいの1970年代の話だが、『シン・ランペイジ』は21世紀の現代の話である。戦後70有余年たっているので、さすがに本人は生きてはいない。しかし、アメリカ兵の住家は残っていた。 そして、魔の海域ドラゴントライアングル上空で旅客機がまたもや変事に遭遇する。旅客機は海面に不時着水し、生き残った人々は島に上陸するのであった。 この旅客機墜落のくだりは某テレビドラマの設定に似ているらしいが、そこにはふれない。ここでは当方の知る範囲において、類似性、相違性に言及していく。 さて、当方の関心事は、巨獣(怪獣)にあるわけだ。 その点で見ていくと、この映画に登場するのは、まず巨大化した蜘蛛である。 ここでは「巨大な蜘蛛」といわず「巨大化した蜘蛛」といいたい。 人が見上げるような脚の高さをもつ蜘蛛である。 このような蜘蛛は、すでに『髑髏島』でバンブー・スパイダーが出現している。 つぎの巨獣(怪獣)は、巨大化したワニである。 この映画の巨獣(怪獣)は、この2種類のみだ。 ちなみに『髑髏島』には7種類、『ランペイジ』には3体の怪獣(巨獣)が姿を見せるけどね。 で、巨大化したワニについてだ。 なぜ、ワニなのかを考えてみたい。 本家(?)『髑髏島』の主人公はキングコング、巨大なサル(ゴリラ)である。 その向こうを張って巨大化したワニなのか。 当方、このワニは、『髑髏島』でキングコングと激闘を繰り広げるスカル・クローラーから来ているととらえた。 スカル・クローラーとは、二足で地を這うように突進するモンスターである。 このスカル・クローラーは、1933年版『キングコング』に登場する「後ろ足のないオオトカゲ」がモチーフになっているとのこと。 トカゲとワニのちがいはあるが、「這う」という動作がとりわけ印象的な共通点ではないか。 また、『ランペイジ』には、様々な遺伝子で変異するとともに巨大化したワニのリジーが暴れまわる。このリジ―もワニをもってきた要素としてあったのであろう。 スカル・クローラーは、「モンスターバース」の世界観に存在する、現実世界を凌駕した怪獣である。 また、リジ―は、ゲノム編集の事故から怪獣化する、科学の力でワニを超越したスーパーワニである。 これらはそれなりに手が込んだ設定になっている。 それに対して、『シン・ランペイジ』のワニは、巨大化しただけのワニである。 なぜ巨大化したかといえば、放射能の影響によるのである。 この設定は、お手軽といえばお手軽。 シンプル・イズ・ベストという点でいえば、現実からの飛躍が少なくて説得力がある、と製作者は考えたのだな、きっと。 最後にタイトルについてである。 『シン・ランペイジ 巨獣大決戦』の何が「シン」なのかについてだ。 いうまでもなく「シン」というのは『シン・ゴジラ』で世に広まった。 この場合の「シン」には、旧来の「ゴジラ」との差別化の意図、意味があったのだろう。 これら『シン・ゴジラ』と『シン・ランペイジ』の間に『シン・ジョーズ(2016)』を挟んでみる。 まず『シン・ゴジラ』については、「巨大生物の正体は太古から生き残っていた深海海洋生物が、不法に海洋投棄された大量の放射性廃棄物に適応進化した「ゴジラ」 (GODZILLA) と呼称される未発表の生物である」( Wikipediaからの引用)。 そして、『シン・ジョーズ』は「核実験の影響により進化したサメ」(「キネマ旬報社」データベースより)である。 このふたつの共通点は「放射能」である。 つまり「シン」は放射能の影響を表わす言葉として用いられているのだ。 ゆえに、核爆弾の放射能で巨大化したワニや蜘蛛が登場する映画だから『シン・ランペイジ』としたわけだね。 おそらく、2021年公開予定の「シン・ウルトラマン」以降は、この手(放射能つながり)は使えなくなるはずだ。 なお、この考察についての「証拠」を問われるところがあったとしても、当方はただ退場するのみである。
November 15, 2020
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パシフィック・リム:アップライジング (角川文庫) [ アレックス・アーバイン ]パシフィック・リム【Blu-ray】 [ チャーリー・ハナム ] この映画を見ようと某シネコンのロビーで待っていたら、以下のアナウンスが流れたんだよ。「お客様に入場開始のご案内をいたします。11時20分より上映の『パシフィック・リム アップ』、『パシフィック・リム アップ』の入場を開始しております」 以後、アナウンスは『パシフィック・リム アップ』と連呼されていたが、『パシフィック・リム アップライジング』か、もしくは『パシフィック・リム 』のどちらかにしてほしかったぞ。 さてさて、前評判の低さの割には期待感をもって、アップならぬ『アップライジング』を見た。 前半、シドニーでのジプシー・アベンジャーとオブシディアン・フューリー、善と悪のイェーガー初対戦は、巨大感あふれ、都市破壊も迫力があった。 プラズマブレードが近代的ビルに食い込み、ビジネス真っ最中のオフィスを切り裂くシーンなど、日常生活上に突如として非現実が乱入する怪獣映画の醍醐味を味わった。 着ぐるみ、ミニチュア特撮を愛でてきた者にとっては、CGはやはり「絵」に見えてしまうところはあったが。 こういったシーンを見ると、ストーリーやドラマといったものよりも、怪獣と巨大ロボットのバトルのような非日常のスペクタクル・シーンを堪能できればいいや、と思うのだった。 しかし、その幸福感は持続しない。 今回、ジプシー・アベンジャーなどのイェーガーは、スマートなデザインになり、動きも軽快になっている。 そして、ロケット・ブースターを装着して飛行も可能となる。 このくだりは、「鉄人28号」を思い出した。鉄人も、最初は地上を闊歩するだけだったが、後付けでロケット推進器を背負って飛べるようになった。そこにありがたみがあったわけだよ。 しかし、前作のイェーガーは無骨で重厚なところにパシフィック・リムらしさが漂っていたと思う。 今回、動きが素早くなり、変形もしたりすると、「トランスフォーマー」に見えてしまった。 さらに、敵怪獣が合体巨大化して、チームを組むイェーガーとバトルすると、戦隊ヒーローもののクライマックスシーンにも見えたぞ。 もともと、『パシフィック・リム』の世界観は、怪獣軍団の攻撃によって、人類が絶滅の危機に瀕しているという、切羽詰まった状況設定があったわけだ。 人類は打つ手がなく、イェーガーも残り数体になって、崖っぷちに追い込まれていたのだ。 イェーガーを飛ばしたくても、そんな余裕はまったくなかったがゆえに、見るものはバトルにひきこまれていった。 無骨で重厚といえば、先の鉄人28号は、光線やミサイルなど飛び道具も、剣も、武器は何一つもっていなかったから。 パンチとキックを主体としたシンプルな技だけで闘ったのだった。 プロレスにおいても、昭和のプロレスラーは技が限られていたがその分重みがあったし、彼らは際立った存在感を示していた。 「ある」ことよりも「ない」ことの方が、感情移入を誘う。 そういう点では、「量」より「質」を考えることが必要なのではないか。 シドニーでのバトルも、一対一だったわけだよ。 『パシフィック・リム』は次回作は、どんな「アップ」を見せてくれるだろうか。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
April 15, 2018
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SFフランケンシュタインの逆襲 FRANKENSTEIN MEETS THE SPACE MONSTER[DVD]フランケンシュタイン [ ボリス・カーロフ ]フランケンシュタイン対地底怪獣【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ] 洋の東西、体つきの大小を問わず、モンスターに魅入られてきた。 とりわけ、フランケンシュタインを偏愛してきた。 あのフランケンシュタイン博士は、そのマニアックぶりに甚だしい憧憬を感じる。 しかしながら、フランケンシュタインへの偏愛は、元祖マッド・ドクターのF博士より、Fのモンスターに対する心持ちのほうがまずもって深いところにある。 ドラキュラや狼男などの呪術的なモンスターより、死体をつなぎ合わせた人造人間というシュチュエーションが、おどろおどろしさ倍増の味わいである。 はたまた、ただ単にFの怪物を偏愛しているのではない。 ユニバーサル・ホラーの、本家ボリス・カーロフ・タイプの怪物は、じつに見飽きることがない。 一般的にFの怪物といえば、額がせり出したあの顔を思い出すだろう。ロン・チェイニー・ジュニア、ベラ・ルゴシ、グレン・ストレンジと演じる役者は変わっても、ボリス・カーロフ・タイプの怪物メーキャップはそれぞれに見どころがある。 しかし、クリストファー・リーやロバート・デ・ニーロらが演じた怪物のメーキャップは、恐ろしげな顔立ちだが額がせり出したあのモンスターの顔ではない。そうなると、残念ながらFの怪物とは感じられない。だから、それらがフランケンシュタインの映画といっても、餡の入っていないあんパンみたいなものである。 という具合に、Fの怪物についてなど、ゼータクを言うようになったのは大人になってからのこと。 小・中学生のときには、フランケンシュタインと聞けばとにかく見ようとしたものだ。 一度、新聞のテレビ欄をチェックしていて、深夜映画枠に『フランケンシュタイン』の文字を見つけ、夜中にこっそり見ていてことがある。そうしたら父親に見つかってしまった。前半部分でテレビを消されて、布団に入って泣いた。 あのときの映画は『怪人フランケンシュタイン/生きかえった死体(1957)』である。怪物は、格調高いボリス・カーロフ・タイプではなく、右目の眼球が飛び出し顔面ぐちゃぐちゃのグロテスクな面相をしている。 さてさて、今回の『SFフランケンシュタインの逆襲』も、Fの怪物はボリス・カーロフ・タイプではない。 だが、この映画のFの怪物は、宇宙怪獣と闘うという魅力的な展開で、ずっと見たかったものだ。 おりしも宇宙ロケットの打ち上げを前にして、飛行士であるサンダース大佐の記者会見が行われていた。 記者からの質問に答えるサンダース大佐だったが、突然、笑ったままの表情で何も話さなくなってしまう。すべての動きが止まってしまったのだ。 あわててスタッフがサンダース大佐を連れ出した。 手術室でサンダースの頭髪部分をベリっと剥がすと、なんと脳の中に真空管⁉︎やトランジスタ⁉︎のような部品が埋め込まれているのが見える。 じつは、フランク・サンダース大佐は、宇宙開発を任務とする人造人間だったのだ。 (サンダース大佐は、この映画の紹介文によって、ロボットともサイボーグとも書かれている。だからここでは「人造人間」ということにする) 「いやー、湿気がまだこんなに影響(してフリーズ)するとはな」などと製作者のスティール教授は宣うが、そんなことで動作停止状態になってしまう人造人間って、宇宙に行って大丈夫か? 何しろ真空管やトランジスタの時代だからね。教授は、真空管をいじって接触不良を改善していた。まあ、昔の真空管テレビは、映りが悪いときに叩くと直ったからな。 ともあれ、この記者会見で、サンダースが人間ではないと示されたのだった。 そんなこんながあっても、サンダース大佐はロケットに乗り込み宇宙に向かって打ち上げられる。 ところが、秘密裏に地球に攻め入ろうとしていた火星人が、自分達の存在を気づかれてはならないと、サンダース大佐のロケットを撃ち落としてしまう。 さらに、追撃してきた火星人の熱線銃を浴びて、あわれサンダースの顔面左半分が焼けただれてしまうのだった。 もともとが人造人間のサンダース大佐、そして、もともとは離れ目系の顔立ちだったのだが、激闘によって醜く変貌してしまった。つまり、ここにきてフランケンシュタインの怪物が出来上がったというわけだ。 サンダース大佐の名前が「フランク」であるところも、フランケンシュタインの怪物とつなげたかったのだ。 紆余曲折があって、フランケン=サンダースは、火星人の宇宙船に拉致されていた若い女性たちを救い出す。 なんで女性たちが拉致されていたか、興味があれば映画を見てほしいが、そんな人はいないだろう。 ついに火星人は、宇宙怪獣ムルをフランケン=サンダースに向けて放つ。 いよいよ、この映画のメインイベント、ムル対フランケンシュタインの怪物の対決が始まった、と思ったが、直接対決は正味1〜2分という短期決戦、さらに煙が立ち込めてよく見えないのだったぁ。 この映画は、1965年公開。 同じ年、我が東宝特撮は、名作『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』を公開している。こっちは、フランケンシュタインとバラゴンがたっぷり名勝負を展開する。カラーだし(『SFフランケンシュタインの逆襲』はモノクロ)、ボリス・カーロフ・タイプだし。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
February 11, 2018
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ロスト・ワールド 2in1 「ロスト・ワールド」(1925)/「失われた世界」(1950) [DVD] 今年に入ってここまで「ロスト・ワールド」ものに肩まで浸かってきた。 ことの始まりは、年末年始にバローズの小説『時間に忘れられた国』を読んだことだった。 そうすると、「ロスト・ワールド」ものをコンプリートするべく思考が偏向した。 だからつぎにヴェルヌの『地底旅行』を読んだ。 そして、コナン・ドイルの『失われた世界』を読み終わったところだ。 これらの小説は、どれも映画化されている。 『時間に忘れられた国』は、『恐竜の島(1975)』と『続・恐竜の島(1977)』になった。 『地底旅行』は、『地底探検(1959)』『センター・オブ・ジ・アース(2008)』などがある。 それでもって『失われた世界』は、『ロスト・ワールド(1925)』『失われた世界(1960)』などなど。 そもそも「ロスト・ワールド」系の小説に興味を駆り立てられたのは、とりもなおさず「恐竜」が登場するからである。 これまでそれぞれの映画は見てきた。それは「恐竜」が登場する「特撮」映画だからだ。 そして、今回小説を読むのと並行して、あらためて映画の方も見直している。 そんな中で、行き当たったのが『失われた世界(1950)』だった。 この映画は知らなかったなぁ。 小説『失われた世界』を原作とする映画としては、まずもってサイレント映画の『ロスト・ワールド(1925)』がある。特殊効果・技術監督は特撮映画の先駆者ウィリス・オブライエンである。 オブライエンは、ストップモーション・アニメという技法で恐竜を映像化した。そのあと不朽の名作『キングコング(1933)』でも特撮を担当する。オブライエンの功績は特撮映画の巨匠レイ・ハリーハウゼンが引き継ぎ、ダイナメーションとしてさらに発展させた。 我が日本の円谷英二も、『キングコング』の特撮には並並ならぬ衝撃を受けたのだった。円谷も、じつは『ゴジラ(1954)』をストップモーション・アニメ的な手法で撮影したかったのだ。しかし、手間暇の関係で断念したのだった。結果、日本では着ぐるみによる特撮怪獣映画が発展することとなった。 円谷英二が特撮監督を務めた東宝の『キングコングの逆襲(1966)』は、着ぐるみ特撮による「ロスト・ワールド」ものと言えないこともない。また、円谷プロが製作した日米合作の『極底探険船ポーラーボーラ(1977)』は、確実に着ぐるみ特撮による「ロスト・ワールド」ものである。円谷英二没後の映画ではあるのだが。 一方の『失われた世界(1960)』は、本物のトカゲやワニに背びれやトゲなどの装飾を施し、大映しにして恐竜に見せた(通称「トカゲ特撮」)。ちなみに、「トカゲ特撮」は、先の『地底探検(1959)』『失われた世界(1960)』にも登場する。 つまり「ロスト・ワールド」ものの映画は、ストップモーション・アニメ、着ぐるみ、さらにトカゲ特撮と、巨大生物を映像化する特撮の見本市の様相を呈しているのだ。 さてさて、くだんの『失われた世界(1950)』である。 この映画は今回初めて見るわけで、当然のこととしてコナン・ドイル原作の『失われた世界』を映画化したうちの1本だと思っていた。 ところが、メインタイトルが表示された瞬間に「え⁉︎」となってしまった。 まず、タイトルの頭に「TWO」の文字が見えたのだ。 このとき『THE LOST WORLD』の「THE」を「TWO」と見まちがえのかなと思った。けど、あわてて巻き戻して見たら、やっぱり「TWO」だった。 ということは、複数形になるわけだから「WORLDS」と「S」がつくのだろうかと確認したら、タイトルは確かに『TWO LOST WORLDS』だった。 さらに、クレジットタイトルには、原作者であるコナン・ドイルの名前がどこにもなかった。「なんじゃ、これは?」 結論からいえば、コナン・ドイルの『失われた世界』とはまったく別物だったのである。 ときは19世紀。東インド諸島と西洋社会を帆船が行き交う時代。 ストーリーをはしょると、ヒロインが海賊に連れ去られ、ヒーローは大海原を追撃し、帆船同士で大バトルとなる。帆船は大破し、ヒーロー一行は救命艇で脱出する。たどり着いた孤島では、なんと有史以前の巨大生物が跋扈していたのだった。 この映画の巨大生物は、「トカゲ特撮」である。 背びれをつけたワニとオオトカゲが闘う。 お互いに大きな口、鋭い歯で噛み付きあって、ぐるんぐるん回転しながら争う。 激闘を尽くす中で、よくワニの背びれが取れなかったものだ。 しかし、これらのワニとオオトカゲは、本来闘いたくて闘っているわけではない。 映画撮影のために、人間に闘いを仕向けられているわけだ。 また、島の火山が噴火するシーンでは、ワニとオオトカゲが地割れに落ちたり森林火災に巻き込まれたりする。 このような「トカゲ特撮」のシーンは「動物虐待」として、今の時代はもう撮影不可だ。 かつて当方は、巨大生物を映像化するための三技法(ストップモーション・アニメ、着ぐるみ、トカゲ特撮)の中では、「トカゲ特撮」を最下位にランク付けしていた。 生きているワニやトカゲだから、確かに生物感はある。だが、やっぱりトカゲやワニを恐竜と見るのは無理があるでしょう。 そこらへんのお手軽さが特撮映画を安っぽく見せていると思ったものだ。 でも、CG全盛の今となっては、「トカゲ特撮」を「失われた特撮」の一つの技法として興味深く鑑賞している、「動物虐待」を痛々しく受け止めながらも。 なお、この映画の「トカゲ特撮」は、『紀元前100万年(1940)』の「トカゲ特撮」のフィルムを流用したものだ。このように「トカゲ特撮」は、一回撮影して映画に使ったフィルムを使い回すことが多い。つまり一本の「トカゲ特撮」の映画を見ると、ほかの映画で見た場面がまた出てくるわけだ。そして、映画の数にくらべれば、ワニやトカゲを実際に使った撮影は回数が少ないのである。少しは救いになるかな。 ということで、『失われた世界(1950)』は、コナン・ドイルの小説の映画化ではなかったが、進化に取り残された島が登場する点で、コナン・ドイルの小説のタイトルにあやかったわけだ。 特撮という点では、トカゲ特撮以外のところで、帆船や港のミニチュア・セットが目に楽しかった。 それにしても、『TWO LOST WORLDS』の「二つの世界」って、なんだったんだろう?人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
February 4, 2018
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サラマンダー [ マシュー・マコノヒー ] 映画『GODZILLA 怪獣惑星(2017)』の前日譚を綴った小説に『GODZILLA-怪獣黙示録』がある。『GODZILLA 怪獣惑星』に続く過程で、怪獣により人類の存続が危ぶまれているという状況設定が行われている。 また、小説『KAIJU黙示録(アポカリプス)』は、『GODZILLA-怪獣黙示録』とタイトルも似ているが、怪獣によって滅亡寸前までに追いつけられた人類が、巨大宇宙船で地球を脱出するという展開も似ている。 ともあれ、この「怪獣の襲撃によって地球規模で人類が危機に瀕している」というのは、『パシフィック・リム(2013)』以降の流行かな、と思っていた。 ところが、それ以前に『サラマンダー(2002)』があったのだ。 こちらは、怪獣は怪獣でもドラゴンである。 未知の巨大生物ではなく、伝説の竜が21世紀に出現したという設定だ。 映画の中では以下のような説明がされている A.クインによる説明 大昔 サラマンダーが恐竜を焼き払い その灰が氷河期を招いた やがて地球上の生物を残らず焼き尽くし 奴らは飢え 地下に潜り 地球に再び生命が満ちるのを待ったのだ 最新兵器で攻撃してもサラマンダーは倒せない 奴らは不死身だ 人類はついに 核兵器を使い 奴らを滅ぼそうとした だが恐ろしい荒廃をもたらしただけ 生き残った者は都市を捨て 荒野に逃れた 未来は闇の彼方だ 人類を救う武器はなく 竜の炎を消すものはない B.ヴァン・ザンによる説明 竜は魔物ではない 脳 心臓 肝臓を持つただの生物だ 臓器をつぶせば竜は死ぬ これら二つの説明には矛盾点が見られる。 それはクインが「不死身」といっているのに対して、ヴァン・ザンは「ただの生物だ」といっている点である。 最終的にはヴァン・ザンの案に従って、クインは最新兵器、核兵器でも倒せなかったサラマンダーを退治するために千載一遇のチャンスを狙うのだ。 さて、このサラマンダーだが、『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』に登場した超遺伝子獣ギャオスに似ている。 ギャオスは、滅亡した超古代文明の遺伝子工学により、「増えすぎた人口を減らすため」という目的で?産み出された。 しかし、ギャオスは超古代文明人の手に負えなくなってしまうほど勢いを増し、慌てて天敵となる生体兵器ガメラを生み出したが、それも間に合わず、彼らは滅亡させられてしまう。 食料がなくなったギャオスは、自分に適した環境がやってくるまで、耐久卵(長期間休眠できる特別な卵)に潜み続け、ついに現代に蘇った。 また、サラマンダーもギャオスも、食糧不足になると同種間での共食いも辞さない。 ということで、怪獣映画は相互に影響しあっている様子が感じられるのであった。 主人公のクインを演じたのはクリスチャン・ベイル。 バットマンになる前は、サラマンダーと闘っていたのだ。 いや、時代的にはこの映画が2020年という設定なので、バットマンを引退してからサラマンダーに挑んだのか。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 24, 2017
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ポセイドン・レックス [ ブライアン・クラウズ ] 主人公は、トレジャーハンター(なのかな?)のジャックス。 このジャックス、じつに犠牲的精神に厚い男だ。 ジャックスは、仕事柄、沈没船から金貨を引き上げようとしていた。 海底に埋もれた沈没船を掘り出すために爆破作業をしたら、何と、太古の恐竜(ポセイドン・レックス)が出現してしまった。なんでかよくわからんが。 ジャックスは、恐竜に襲われ一命をとりとめたものの、気を失って漂っていた。島のガイドと、ガイドに案内されてシュノーケリングに来たカップルが、海に浮かぶジャックスを発見し救出する。 「病院はよせ」 完全失神状態のはずなのに、なぜかジャックはそこだけ口走る。 狸寝入りなんじゃないのか。 そして、ジャックスは海洋生物学者サラ博士の研究室で看病される。カップルと島のガイドが付き添っている。 ジャックス「(目覚めて)俺はどこにいるんだ」 サラ「病院はよせと言ったからここに運んだのよ」 ジャックス「(この俺がそんなこと言ったのか?)」みたいな、わけわかんない状態の表情。 そのリアクション、違うと思うけど、狸寝入りではなかったらしい。 このあと、謎解きとか緊迫感とか盛り上がりとか、この種の映画に必要なものがないままにポセイドン・レックスが暴れ回る。 ポセイドン・レックス、海面に浮上するときなど、海面が波立つようなことはまるでない。手抜きのCGだからな。 ゴジラなどは、海中から海面に出現するときは海水が盛り上がるとか大きな波紋が広がるとか、巨体なりの周囲への影響、被害がある。しかし、ポセイドン・レックスが海面に姿を現すときは、その形相、風体に比べてじつに静かなもんだ。 あたかも高飛び込みの選手が水しぶきを上げない(ノースプラッシュ)を競うかのようなポセイドン・レックス、物理の法則を超越している。 したがって、近くにいる船などもまるでゆれることはない。なのに乗っている人間は、うわぁ!とか言って足元がおぼつかなくなり、海に投げ出されたりする。これは、恐竜が出現したときの心理的パニックか? ともあれポセイドン・レックスは上陸して、街を襲う。 ここからがジャックスの犠牲的精神の真骨頂だ。 ジャックスとサラと、カップルの男の方ロッドは、ポセイドン・レックスの襲撃から逃げなければならない。 ジャックス「俺が奴の気をそらすから2人は車へ行け」 見ると車の外に男が血を流して倒れている。 これがわからない。 この男はこの車のドライバーであることは間違いない。男から車のキーが発見されるから。 でも、ポセイドン・レックスに襲われ車が激突したかなんかだったら、運転席にいるはずだろう。 さもなくば、車の外でポセイドン・レックスに食われたのなら、体が引きちぎられているかなんかしないとね。 そういう形跡もなく、車の外で血を流して倒れているってなんなんだ?車から降りたところを強盗にでも襲われたのか? 話を犠牲的精神に戻す。 ジャックスは、ポセイドン・レックスに向かっていく。 だがポセイドン・レックスの方といえば、群衆を追いかけている真っ最中。 つまり、ポセイドン・レックスはジャックス、サラ、ロッドについてはまるで眼中にない。 ああ、それなのに、 「へい、こっちだ。醜い怪物め、捕まえてみろ。爬虫類の老いぼれめ」 と大声で悪態をついて、ジャックスはポセイドン・レックスをわざわざ自分の方に振り向かせる。 ポセイドン・レックスが群衆を追いかけている時点で、気をそらせるという本来の目的は十分達成できているのだから、そのまま3人で車に乗って逃げればいいのではないか。 なのに、ジャックスよ、ポセイドン・レックスに声をかけて、自分の方に気を向けさせてどうする。 ポセイドン・レックスがジャックスを追尾してきたら「今のうちだ!」って、無駄な労力使ってますよ。 さらに、クライマックスらしきシーンでも。 ジャックス「俺が軽飛行機を操縦してポセイドン・レックスの気をそらす。その隙に港へ逃げろ」 それに対してサラは、「なんて犠牲的精神にあふれた男らしい人なの」という眼差しを向ける。 そして飛行機を飛ばし「俺についてこい」とポセイドン・レックスを挑発する。だが、当のポセイドン・レックスは一瞥しただけで、飛行機には何の興味も示さずサラ達のボートに向かっていく。 映画を見ているこちらとしては、ジャックスの飛行機がポセイドン・レックスの鼻先をかすめるなどしてポセイドン・レックスに絡み、サラたちのボートを救うのかと思いきや、ポセイドン・レックスにそっぽを向かれて、ただ飛んでいるだけ。「気をそらす」と言っただけで、その役目はまったくもって果たしていない。 だから、追いかけてくるポセイドン・レックスを撃退するために、ロッドはロケット・ランチャーを駆使して戦うがボートから転落して食われてしまう。ジャックス、少しは責任を感じなさい。 そして、空軍ジェット戦闘機のミサイルでも死ななかったポセイドン・レックスなのだが、なんとサラがロケット・ランチャー一発でその首を吹っ飛ばして仕止める。 海洋生物学者だから、サラはポセイドン・レックスの弱点がわかっていたのだろうか。そんな説明はなかったが。 主人公であるはずのジャックスは、悪い人ではないんだけどね。 おとりになるとかの危険を厭わぬ気持ちは満々だったのだが、状況判断力と行動の方向性に課題が残ったね。 人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 17, 2017
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【12/8 20時から12/12 10時まで★ポイント10倍★☆期間限定】【VHSです】空の大怪獣Q|中古ビデオ【中古】「怪獣」とはいかなる存在であるか。この映画のタイトルは『空の大怪獣Q』。これは我が東宝特撮の『空の大怪獣ラドン』に倣ったものだろう。この映画、30年以上前に海賊版ビデオで見た。当時は、本邦未公開の映画を海賊版ビデオ(テープ)にして、平気でレンタルしている店があった。ざっとストーリーを示すと、高層ビルの窓拭き作業をしていた男が、突如首なし死体と化す。屋上プールで日光浴中の女性が、空から現れた何ものかに襲われ、忽然と姿を消す。さらに、ホテルの一室で全身の皮を剥がされた死体が発見される。シェパード刑事(デヴィッド・キャラダイン!『燃えよ!カンフー(1972〜1975)』『キル・ビル(2003)』)は、一連の猟奇事件を追っていた。そして、博物館で、古代アステカの翼のある蛇神ケツァルコアトルと、ケツァルコアトルへの人身御供の儀式について知る。シェパード刑事は、人の皮を剥ぐのが儀式によってケツァルコアトルが蘇り、人を襲っているのではないかと推測する。そして、高層ビルの尖塔内部に、巨大な生物の巣と卵が発見される。この映画の怪獣は、蛇神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)すなわち「Q」である。Qは翼のある蛇神なのだが、前足、後足がある。デザイン的には、いたってシンプルだ。ツルンとしたボディに翼がある感じ。その巨大な卵は、とりもなおさずQの卵だ。映画の中では、卵を破壊しようと警察が機関銃を乱射し、割れたところから雛が姿を見せるが殺される。蛇神であっても、卵から生まれるのだ。モスラやラドンも卵から生まれる。あるいはギャオスも卵から生まれた。モスラ、ラドン、ギャオスなどは、怪獣といえどもその基盤は生物である。だから卵から生まれてもあまり違和感はない。だが、蛇神も卵から生まれるのか。怪獣とは、通常の生物、常識内の生物ではない。生物を基盤としながらも、生物を超越したものである。とんでもない生物といってもいいだろう。その巨大さ、そして通常兵器が通用しないところなどがとんでもない生物=怪獣の特徴だ。蛇神も怪獣となり得るだろう。しかし、蛇神であるからには、生物を基盤とした怪獣とは趣が違うのではないか。怪獣には、通常兵器は通用しないが、科学技術によって退治することができる。例えば、ゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーのように。それに対して蛇神というからには、呪文とか神剣とか、そういった科学ではないもので倒されるべきではないか。最終決戦では、巣と卵を破壊したのちに、高層ビルの尖塔で待ち受けた警察隊とQとのバトルが繰り広げられる。巣に戻ってきたQを、警察隊は機関銃の総攻撃で迎え撃つのだ。これは『キングコング(1933)』の逆パターンである。『キングコング』では、コングがエンパイヤステートビルの尖塔に登っていき、警察の複葉機が飛来して機関銃でコングを攻撃した。警官隊との激しいバトルの末、Qは銃弾を撃ち込まれて高層ビルから落下して倒れる。Qは、人の皮を剥ぐという無残な生贄を捧げて、呪術的に現世に復活した。にもかかわらず、雛とともに通常兵器の銃弾によってこの世を去った。ところが卵は1個じゃなかった。アメリカの怪獣映画は、通常兵器で片がついてきた。だが、『パシフィック・リム(2013)』『ゴジラ(2014)』と、通常兵器が効かなくなってきた。いつの日か、Qもパワーアップして再登場してほしい。あの卵が何十年を経て孵化するのを待とう。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 10, 2017
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オクトパス【動画配信】この映画、じつにハラハラ、ドキドキだったよぉ。1962年、キューバ危機に直面して、ソ連の原潜が放射性物質を運んでいる。この原潜の艦内がアップ画面多用なのだ。まず、この場面でハラハラドキドキ。どういうことかというと、原潜内部のセットをきちんと組んでないので、背景をなるべく見せたくない。そのために、アップを多用しているのではないか、との疑惑がわいてきたわけだ。予算、手間暇を出来うる限りかけないイージーな映画ではないか、と心配になったのだ。何せタイトルからして「オクトパス」だからね。日本語だったら、「蛸」でしょ。シンプルすぎる。モンスター映画のタイトルとしては、もうちょっと陰影があってもいいと思うが。こうしたB級モンスター映画では、モンスターさえろくに出てこないというものもある。じつにあたりはずれが激しい、という以上に、期待はずれが多い、という状況をこれまで幾度も経験してきている。そんなんだから、心配要素が目につき、警戒心が急上昇する。ともあれ、ソ連の原潜がアメリカの原潜から魚雷攻撃を受け、沈没する。そして、放射性物質が海底に流れ出してしまう。時は経ち、現代。ブルガリア。テロリストが建物内に爆弾を仕込んだバッグを置いていく。それを子供が見つけて抱え上げる。ああ、ハラハラドキドキ。そして、爆発!ヒッチコックの『サボタージュ(1936)』では、少年がそれとは知らずに時限爆弾を運ばされる。それを見て観客はハラハラ、ドキドキするのだが、ついに少年は爆発に巻き込まれてしまう。この展開は映画のタブーを犯したもので、公開後ヒッチコック監督も慚愧の念に堪えなかったそうだ。なのに、ここで同じ過ちを繰り返してしまうのか。ヒッチコック大先生が残した教訓をなんと心得るか!この憎っくき爆弾魔テロリストをば、速攻で2人組のCIAのエージェントが追う。しかし、そのうちの一人は、退職を目前にしたメタボおやじ。腹回りがビヤ樽だ。この人がテロリストを追いかけるが、息が切れて苦しそう。追撃中に、演技じゃなくて心臓麻痺を起こすんじゃなかと、ハラハラドキドキ。結局撃たれて死んでしまう。残った若いエージェントが激闘の末、テロリストを捕まえる。そして、若いエージェントは、なんと、アメリカ海軍の原子力潜水艦でテロリストを護送する。そんな政治的目的で破壊活動を行うテロリストに、原潜の内部を見せちゃっていいのか?そもそも原潜が、犯人?容疑者?の護送なんかするんかい。でもって、潜航中に原潜は謎の物体に襲われ海底に座礁する。この状態で、どうやって乗組員他は救助されるか?ハラハラ、ドキドキ。そうしたら、謎の物体(オクトパス以外の何物でもない!)が原潜を破壊する。太長い吸盤がついた触手が艦内に侵入してくる。ソ連原潜の放射物質により突然変異をとげたタコが、何世代かを経て巨大化し、その巨体を維持するためにタンパク質を求めて荒れ狂うんだとかの説明あり。主要メンバー数名を残して(含むエージェント、テロリスト)、乗組員は犠牲となる。「潜航艇で脱出しよう!」その手があったか。確かに原潜の後部甲板に小型潜航艇が装備されている。昔、小沢さとる作の『サブマリン707』というマンガがあった。707には、ジュニア1号、2号という単座の小型潜航艇が後甲板に搭載されていた。それを思い出したぞ。そして、この時点で、小型潜航艇の定員内きっちりの人数が残っているのも、天の定めか。その一方で、テロリストの仲間たちが、豪華客船に乗り込んで、捕まったテロリストの救出に向かう。そう、快速艇とかクルーザーでもなければ漁船でもない。悪人たちがよりによって豪華客船を乗っ取って仲間を救いにいく。騒ぎが大きくなるだけだと思うが、それもこれも大ダコに襲われるスペクタクル場面を派手にするためだ。漁船が大ダコに襲われてもね、映えないやね。そして、当方のハラハラ、ドキドキは、もしかして、触手だけが画面に登場して終わるのではないかという心配で頂点に達する。どれほどタコが、そして豪華客船までもがCG以外の何物でもないというチープな映像であってもいい。タコのモンスターをどこまで、どんなふうに見せてくれるのかが肝要なのである。豪華客船のキャビンを、船内を、タコの触手が這い回る。欧米人はタコのことをDvil Fishと呼んで忌み嫌うそうだから、もともとモンスター的なイメージがあるのかもしれない。しかしなぁ、日本人である当方などにしてみれば、大きいだけのタコは、モンスターとしての魅力があまりない。などと画面を見ながらも思考をとばせていたら、脱出した潜航艇が浮上した。そこには豪華客船が。潜航艇を追って、ついにタコが全貌を現した。豪華客船を抱きかかえるようにしてからみつくタコ。おお、触手だけの出し惜しみ、手抜きのタコではなかったぞ。そして、大ダコの出現に女テロリストがマシンガンをぶっぱなす。しかし、大ダコは弾丸連射などものともせず、触手が円を描いて生えているその真ん中にある口からトゲトゲの歯がむきだしの巨大な嘴を出してきた。日本のマンガのタコみたいなひょっとこ口ではない。嘴を開くと、なんとその中からもうなる鞭のような触手が伸びてきて、女テロリストをからめとると、自らの口に運んでしまった。触手が口の中から出てくるなんて、ただでかいだけのタコじゃなかった!とりあえず、モンスター化したタコだ。そこが着地点かぁぁ。<a href="//blog.with2.net/link/?313517"><img src="https://blog.with2.net/img/banner/m12/br_banner_nightsnow.gif" title="人気ブログランキング"></a><br><a href="//blog.with2.net/link/?313517" style="font-size: 0.8em;">人気ブログランキング</a>クリック、よろしくお願いします
December 3, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ファイヤードラゴン [ ドミニカ・ジュリエット ]『ファイヤードラゴン』 ブランドン・リー(ブルース・リーの息子)の映画か? あれは『ファイアー・ドラゴン (1986)』。 「ヤ」ではなく「ア」ですね。 『怪獣総進撃(1968)』のラスト近くに「ファイヤードラゴン」が出てきたが、こちらはキラアク聖人の円盤が炎を発していただけ。怪獣ではなかった。 では、この映画の「ファイヤードラゴン」はいかに。 ワシントン州のベイカー山が突如噴火する。 噴火とともに飛んできたのは、なんとドラゴンの繭だった。 そして、夥しい数のドラゴンが人間社会を襲う。 さらに、最強のマザー・ドラゴンが出現か。 やっぱり欧米人にとっては、ドラゴンというのは身近な怪獣なのだろうか。 眠りについていたドラゴンが、現代に蘇るという映画がいろいろある。 クリスチャン・ベールが主演した『サラマンダー(2002)』とか『ドラゴン・オブ・ナチス(2014)』とか。 いずれにせよ、怪獣映画についてはチェックしないではいられない。 当方が怪獣映画に期待するのは、怪獣による都市破壊だったり、人間と怪獣との壮絶バトルだったりする。 設定がグダグダだろうが、ストーリー展開がゆるかろうが、怪獣が暴れまわってくれればいいわけだ。 もちろん、平成ガメラシリーズのように設定もストーリーも本気で作ってあれば、そんないいことはない。けれど、通常はそこまでは望まない。 で、『ファイヤードラゴン』だが、案の定設定はグダグダで、ストーリー展開はゆるゆる。シーンによってはユーモラスな演出しようとしたらしいのだが、もともとゆるいのだから、ふざけるな!と言いたくなった。 そんな思いをしながらも、ドラゴンさえ暴れまわってくれれば報われる。 しかしながら、ドラゴンは、モスクワ上空やロンドン上空を集団で飛び交うが、飛んでるだけ。攻撃はしない。 確かに、東京だかパリだか、タワーが破壊され倒壊するシーンもあるにはあったが一瞬で通り過ぎてしまった。 これは、とりあえずドラゴンの襲撃シーンのさわりだけ見せて、あとは観客が各自脳内スクリーンで想像してくれってことかな、と思ったぞ。 けど、見て損したとは思わない。 設定グダグダ、ストーリー展開ゆるゆる、怪獣あっさりさっぱりであっても、見ないままでいるより、見た方が断然いい。 モンスター映画を放置するより、見たときの脱力感を選択する。 人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
November 12, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】【楽天ブックス限定先着特典】キングコング:髑髏島の巨神 ブルーレイ&DVDセット(2枚組/デジタルコピー付)(初回仕様)(オリジナルポストカード付き)【Blu-ray】 [ トム・ヒドルストン ] この映画に登場するキングコングや巨大モンスターは、髑髏島の外へ出ることはない。 このように、特定の島の中だけで、巨大生物や怪獣が跋扈する映画はいくつかある。 東宝特撮では『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966)』や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967)』そして『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣(1970)』がそうだ。 これら「島限定」の怪獣映画には、怪獣映画につきものの「都市破壊」がない。 いうまでもなく、これらの「島」には、都市そのものがないからだ。 そして、怪獣が都市を襲わないのだから、やはり怪獣映画につきものであるはずの防衛隊との攻防戦もないし、群衆が逃げ惑うシーンもない。 当方が特撮映画に求めているもののひとつは、非日常感である。 怪獣が近代的なビルの谷間に巨大なる異形の姿を見せたときなど、文明社会との対比において、怪獣は圧倒的な存在感を見せつける。 怪獣の巨大さによる迫力だけでも非日常的ではあるのだが、非日常的な存在であることをいっそう際立たせるのが、都市破壊、防衛隊、群衆なのだ。 なのに、なぜ東宝特撮怪獣映画において、都市破壊や防衛隊、群衆シーンがない「島限定」の特撮怪獣映画が作られたのかといえば、それは予算の節約のためだからだった。 この時期邦画は、斜陽産業としての傾向が著しく、かつては人気を誇った特撮怪獣映画も、観客動員数及び収益が激減していた。なので、島を舞台にすることで、建物のセットを組むなどなどの予算を削減したというわけだ。 「島限定」特撮怪獣映画の嚆矢となった『南海の大決闘』はゴジラ・シリーズでは第7作である。 『南海の大決闘』では、舞台となったレッチ島に軍事組織「赤イ竹」の秘密基地がある。 そして、小規模ながら、ゴジラが秘密基地を破壊するシーンや「赤イ竹」の戦闘機がゴジラを攻撃するシーンもある。 それまで特撮怪獣映画には破壊シーンや近代兵器での攻撃シーンが、当たり前のこととして存在したのだから、完全に削除することはできなかったのだろう。 『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』と『 決戦! 南海の大怪獣』には、破壊シーン、近代兵器のシーンはない。 『南海の大決闘』をスモール・ステップとして、それらのシーンをなくしていったのだろう。 この『南海の大決闘』は当初は『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』として企画されていた。キングコングがメインとなる映画になるはずだったのだ。それが、都合によりゴジラ映画に変更されてしまったのだった。 もしかしたら、「島限定」の東宝怪獣映画登場したかもしれなかったコングだが、アメリカ版のオリジナル・キングコングは、もともと島生まれ、島育ちであった。 『キング・コング(1933)』では、髑髏島でコングは恐竜を向こうに回して大暴れするが、人間に捕獲されてしまう。そして、大都市ニューヨークに連れてこられる。 ニューヨークでは、怒りに任せて鎖を引きちぎって市街地になだれ込んで大暴れし、最後はエンパイア・ステート・ビルに登ったところを複葉機に銃撃される。 つまり、オリジナル・キングコングは、自身の意思からではないが、島から出て、都市を襲う。人々はパニックになり、近代兵器から攻撃を受けるのだ。 これは1976年、2005年のリメイク版もこの展開は同じである。 ただ、『コングの復讐(1933)』は「島限定」だった。 こちらは、キングコングそのものは登場せず、コングの息子といわれるキコの映画である。 キングコングは、発音上では「キンコン」である。ピンポン (ping pong)、香港(Hong Kong)と同じだね。 そして、その息子は、まだ成獣ではないからなのか「キコ」と呼ばれた。 (映画の中では、「キコ」という名称はでてこない) ラスト・シーン、キコは自らの命を呈して人間を救う。そのシーンは、悲しくも強く印象に残った(もちろん、リアルタイムで見たわけではない)。 なお、この「島限定」『コングの復讐』も、低予算、短期間制作の映画だった。 さて、今回の『キングコング:髑髏島の巨神』だ。 この映画が「島限定」となったのは、もちろん予算面の問題からではない。 それから、この『髑髏島の巨神』のコングは、これまでのアメリカ版コングに比べて、かなりデカくなっている。 これまでのアメリカ版キングコングは、体長が5m〜7mくらいだった。 しかし、このたびの巨神コングは、なんと31.6mなのだ。 そして、映画の中では、巨神コングがまだ成獣になりきってない(キコ状態? キコは4m)ことが示唆されている。 つまり、まだまだ大きくなって再登場することがありうるのだ。 いずれにしても、これまでのコングよりも5倍、6倍の大きさだから、迫力も5倍増、6倍増している。同時に敵となる巨大生物もまたコングに見合った大きさで、そららとのバトルも、見応え十分だ。 だが、やはり「島限定」だ。 残念ながら現代文明から隔離された島は、もともとが秘境であり、つまりは異世界である。 そういった非現実的な場所ではなく、身近な文明社会に出現すれば、コングなどがいっそう非現実感を味わわせてくれたのではないだろうか。従来とはデカさが違うコングなのだから、さらなる非現実感を生み出したのではないかと残念に思う。 その一方で、ノベライズ版の『キングコング:髑髏島の巨神』はおもしろく読むことができた。 秘境冒険小説として、楽しかった。 これは、ビジュアルと文章表現の違いだろう。 巨大生物をビジュアルで感じるときには、密林や山などを背景とするより、ビル街を破壊して回った方が非現実感をより深く味わうことができるというわけだ。 さてさて、従来のアメリカ版コングより、今回の巨神コングはずいぶんデカくなってしまったわけだが、東宝版のコングの体長は、45m(『キングコング対ゴジラ(1962)』とか、20m(『キングコングの逆襲(1967)』)とかだった。 巨神コングの体長は、かつての東宝コングの体長に接近しているのがわかる。 当時の東宝特撮怪獣映画は、ゴジラの体長を50mと設定していた。そして、東宝コングは、そのゴジラの世界観の中に登場したのだから、アメリカ版コングよりもずっと大きかったのだ。 今回のアメリカ版コングの設定変更は、2020年に公開される予定の『Godzilla vs. Kong』に向けたものだろう。 巨神コングは、ゴジラと対決するために、これまでにない巨大さに設定されたのだ。 とすると、「島限定」コングは、オリジナル・キングコング・ストーリーでいえば前半部分(=髑髏島で捕獲されるまで)に相当し、つぎの『Godzilla vs. Kong』では、いよいよ都市に出現することになるのだろうか。 そう考えると、いやがうえにも期待が高まる。 くれぐれも、ゴジラが髑髏島を襲って、そこで両怪獣が対決するという「島限定」の『Godzilla vs. Kong』は避けたいぞ。人気ブログランキングご協力、よろしくお願いします。
June 11, 2017
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【税込み】【3500円以上で送料無料】【レンタル落ち中古DVD】JAWS ATTACK ジョーズ・アタック 2 /マイケル・ソプキウ 【吹き替え・字幕】【中古】 『ジョーズ・アタック2』、VHSテープで出たときのの題名は『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』そしてオリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』。 この映画は、「シャークトパス」の元ネタとして知られている。といっても、世間的に広く知られているような事柄ではない。 世間には、それがわかったからには、この映画を見ずにはいられない者もいる。 当方は、元来が、原作やノベライズと映画、テレビ版と劇場版、アニメ版と実写版、オリジナル版とリメイク版など、一つの映画にかかわって複数の作品があるときには、その相違点を確かめずにはいられない性分である。 今回の『ジョーズ・アタック2』と『シャークトパス』は、オリジナル版とリメイク版の関係だ。 ストーリーや設定などが、どんなふうに同じか、あるいはちがうか。確かめずにはいられない。 ことに、両者に共通しているのは、サメの頭部にタコの触手をもった合成怪物[shark+(octo)pus=シャークトパス!]が登場するところである。 この合成怪物、オリジナル版とリメイク版とでは、造形、映像化などの点でどうなのだろうか、興趣が尽きない。 まず、リメイク版のタコサメ合成怪物シャークトパスだ。こちらは、CG(コンピュータ・グラフィックス)で映像化されている。 凶暴無比のサメが触腕をもっていて、それでもって人間や敵モンスターに絡みつき、そして鋭い歯で食らいつく。 あるいは、半サメ=半魚類ながら、シャークトパスは触手で陸上を闊歩し、獲物を襲う。 しかし、CGの技術が発達してきて、映画の中で効果的に使われるのは1990年代である。 では、1980年代前半につくられた『ジョーズ・アタック2』では、サメタコ・モンスターをどのように映像化したのだろうか。 サメだけならまだしも、タコ足がくっついているのだ。サメが8本の触手をもっているのだから(足?触手?触腕?)、その複雑な動きを、CG以前の「特撮」でどのように映像化したのだろうか。 考えられたのは、まずストップモーション・アニメーションである。 例えば『水爆と深海の怪物(1955)』は、大ダコが登場する。 この大ダコは、特撮技術の魔術師レイ・ハリーハウゼンが、タコの模型を1コマずつ動かして撮影した。しかし、この大ダコは、足が6本しかなかった。手間を省いたわけだが、それだけモデル・アニメーションは、作るのが大変だということだ。 次に、日本の特撮の伝統芸、着ぐるみがある。 『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(1970)』のカミナリイカの怪獣ゲゾラは、着ぐるみ特撮である。 ゲゾラの着ぐるみは、下半身(?)に足がたくさんあるのだが、着ぐるみ役者の脚を取り囲むようにしてある。幾多の足で地上を歩き回るが、ときどき着ぐるみ役者が歩行する脚が見える。そして、触手で人間(人形で吹き替え)を絡め取る。その触手は、操演(ワイヤーでひっぱって動かしている)なのだ。 ストップモーション・アニメーションなのか、着ぐるみなのか、操演なのか、事前にいろいろと可能性推測して、そして本編をみた。 そうしたところ、くだんのサメタコ・モンスターがなかなか姿を現さない。 90分の上映時間で、映画が始まってから20分後にようやくちらっと出現した。 その後、正体不明だったサメタコ・モンスターの存在が明らかになることはなる。そこからは、サメタコ・モンスターが大暴れをするのではないかと期待したが、出番が少ない。 じゃあ、サメタコ・モンスターが登場しないで、90分の上映時間で何をやっていたのか。 例えば殺し屋が出てきて、暗躍する。 この殺し屋が、ストーリーにどう絡んでいるのかがよく分からない。 そのうちタネ明かしがあるだろうと見ているわけだが、ずるずる、もたもたと映画は進んでいく。 その展開の中で、肝心かなめのサメタコ・モンスターはなんか隅に追いやられてしまっている感じ。 サメタコ・モンスターが見たいのに。 そうこうするうちに、ラストまで、サメタコ・モンスターは、全身を露わにすることがなかった。 海面から触手が出てきて、人を襲ったりする。 サメとは思えないような、いかつい形相の頭部も見ることができる。 これらは操演だね。 触手の動きは、意外となめらかだった。 しかし、それらが、触手は触手、いかつい頭部はいかつい頭部で、別個に画面に登場するのだ。 もしかしたら、サメ怪物とタコ怪物の二頭がいるかと勘違いしながら見た人もいるんじゃないか。 なんにしても、CGのシャークトパスのように、サメ頭のタコ状態で暴れる場面はない。 ここにリメイク版シャークトパスの存在理由があるのだ。 『ジョーズ・アタック2』(あるいは『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』、オリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』)のサメタコ・モンスターは、早すぎた怪物だった。 この当時、サメパーツとタコパーツが分離させてしか映像化できなかったものが、CGによってシャークトパスどして合体し、ようやく本領を発揮できるようになったという寸法だ。 特撮は、創意工夫の技術である。特撮の時代であっても、その気になればCGのシャークトパスに負けないサメタコ・モンスターはできたと思う。 特撮びいきとしては、ストップモーション・アニメーションや着ぐるみ、操演で迫力あるサメタコ・モンスターの全身像、勇姿が見たかった。 しかし、それほど手間暇と金をかける内容じゃあないからね。 本当は、オリジナル版の方でも、触腕で獲物に絡みつき、サメの鋭い歯で食らいつく迫力あるモンスターを、1シーン・1カットで撮りたかっただろう。CG時代になって、ようやくそれがかなったというわけなのだ。 だから、シャークトパスは、『ジョーズ・アタック2』(あるいは『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』、オリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』)のリベンジだったのだ。 『ジョーズ・アタック2』(あるいは『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』、オリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』)は、中身的には期待はずれだったが、『シャークトパス』の原型をとくと見たぞ。人気ブログランキングへ
February 12, 2017
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<期間限定!クロネコDM便ご選択で送料無料!>新品北米版Blu-ray!【ロボ・ジョックス】 Robot Jox [Blu-ray]!我々の世代で、ロボット・ヒーローといえば、『鉄腕アトム』と『鉄人28号』である。 そして、当方は、『鉄人28号』贔屓だ。 なぜか。 それは、鉄人28号が大型ロボットだからだ。 大きさについては、原作マンガでもアニメでも、登場シーンによって異なる場合がある。どうにかすると、大型という以上に巨大ロボットに見えることもあった。 いずれにしろ大きい。 ロボットも怪獣も、大きいものは非現実感があっていい。 そして、今回、巨大ロボット映画の『ロボ・ジョックス』を見た。 核戦争を経て、世界は「共和国(コモン・マーケット)」と「連邦(コンフェデレーション)」の2陣営が対立していた。戦争は禁止された(!?)が、国際問題は巨大ロボットの一騎討ちで解決を図られていた。 共和国側のアキレスは、連邦のアレクサンダーと一騎打ちを行うが、引き分ける。そればかりか、自らが操縦する巨大ロボットが観客席に倒れ込み、大勢の人々をその犠牲にしてしまう。 自らの失策からいったん身を引くアキレスだが、女性ジョックスのアシーナがアレクサンダーに立ち向かうと知り、再び闘う決意をする。 この映画、あの『パシフィック・リム』と似ているところがある。 (『パシフィック・リム』の方は、巨大ロボットがKaijyuを迎撃する話) まず、巨大ロボットの操縦方法が、パイロットの動きをトレースするマスター・スレイブ方式である。とはいっても、『ロボ・ジョックス』のシステムはいたってシンプル。あんまり装置などがない割には、ロボットがジョックス(操縦者)の動きを反映することができる。一見便利そうだが、チープな印象もある。 一方の『パシフィック・リム』は、イェーガー(ロボット)のパイロット(操縦者)ががっちり装置で固められる。操作が大変そうだが、巨大ロボットを動かしているリアル感がある。 また、ジョックスもイェーガー・パイロットも、訓練のために格闘技に取り組む。 パイロットは、役者自身がトレーニングされた体つきや動きを披露する。 ジョックスは、見ている者の想像力で、演技者の動きや演出者のイメージを補完しようとする。 格闘シーンでは、女性ジョックスが水面蹴りと回し蹴りの連続攻撃を放つところで、突然蹴り手が男に変わってしまった(スタントマンの吹き替えだったのだが)。 さらに、『パシフィック・リム』はパイロットであるローリーとマコを中心に進んでいくが、『ロボ・ジョックス』もアキレスとアシーナの男女がドラマを織り成していく。 こう書いてくると『ロボ・ジョックス』は、『パシフィック・リム』のパチモンのような印象があるが、『パシフィック・リム』より20年以上先行してつくられたものなのだ。 『ロボ・ジョックス』があってこそ『パシフィック・リム』ができたともいえる。 さてさて、巨大ロボットについては、世界中でも日本における映像化が一番盛んなようだ。 この日本の映像作品、中でも特撮のロボットとは、人間または動物/生物が基本になっているように思う。 冒頭で話題にした鉄人28号も、ロボットとはいえ、巨人を指向しているように思う。敵ロボットのオックス、バッカス、ギルバートなども、本来は普通サイズの人間が、巨大な分身を形づくっているのではないか。 『ウルトラQ(1966)』のガラモンは、怪獣に見えてじつはロボットだった。 『ゴジラ対メカゴジラ(1974)』のメカゴジラは、最初ゴジラを装っていたが、化けの皮がはがれるとロボットだった。 対してアメリカのロボットは、最初から機械という印象だ。 巨大ロボットではないが、『禁断の惑星(1956)』のロビー・ザ・ロボット、宇宙家族ロビンソン(1965〜1968)のフライデー、そして『スターウォーズ』シリーズ(1977)のR2-D2も。 かろうじて『ウルトラセブン(1967〜1968)』に登場したキング・ジョーがアメリカのロボット的だが、それでもちゃんと手足があるからね。頭部はないけど。 そんな中で、『ロボ・ジョックス』のマツモト14号やボバレフスキー42号、そして『パシフィック・リム』のロボット軍は、日本のロボットの影響を強く受けているといえる。機械の外見を保ちながらも、手足があって、マスター・スレイブ方式で、パイロットの動きをトレースして、ロボット同士あるいはKaijyuと闘うのだから。人気ブログランキングへクリック、お願いします。
December 18, 2016
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『シャークトパス(2010)』『シャークトパスVSプテラクーダ(2014)』に続くシャークトパス・シリーズの第三弾。 狼鯨は英語でWhalewolf(ホエールウルフ)。 狼が吠えーるというダジャレではありません。 本編を見るまで、狼鯨は、マッコウクジラとかシロナガスクジラと狼とを合体させた怪物かと思っていました。そうしたら、「鯨」とはなんとシャチのことでした。 シャチはかつて『オルカ(Orca 1977)』という映画があったから、英語名は「オルカ」かと思いました。 イルカとオルカ、これは名前だけでなく、形状からも親戚だとなっとくできます。 でも、イルカやシャチと、クジラとではなんかちがう気がしました。 ところが、シャチのことを英語で「Killer whale」というのだ。 シャチはやっぱり鯨なんだ。 昔、シャチ横内というプロレスラーがいたなあ。 で、くだんの狼鯨は、どのように誕生しかというと、マッドサイエンティストが、カムバックを願うプロ野球選手に、動物のDNAを注入してモンスター化させてしまったというわけ。よくわからないか。 このマッド・サイエンティストが、なんと女医さんなんです。 女のマッド・サイエンティストというのもめずらしい。 女マッドサイエンティストで、思い浮かぶのは『フランケンシュタイン・娘の復讐(別名レディ・フランケンシュタイン)(1971)』という映画です。知っている人はごくごくわずかでしょうが、なんと『第三の男(1949)』『疑惑の影(1943)』で知られるジョセフ・コットンが出演しています。 かのフランケンシュタイン博士(ジョセフ・コットン!)の娘が、父を殺した怪物を退治するべく、新たな怪物を創造するというお話。この娘も、女医さんでした。 父であるフランケンシュタイン博士は、マッドサイエンティストの代名詞のような存在です。 話を狼鯨の女医さん=ラインハルト博士に戻します。 様々な動物のDNAを注入したのに、なぜ狼鯨ができあがってしまったのか。 ラインハルト博士は説明します。「ヒト遺伝子が分解され不安定な状態だわ」「あなたは死ぬはずだった」「何かが触媒となって細胞レベルの変化が起きたのよ」折しも夜空には満月が。「オオカミは月に対して敏感に反応し、シャチは満ち潮を好む」。だからヒト=元プロ野球選手が狼鯨になってしまったのだそうです。 なんともおちゃらけた説明ですが、とりわけ今回はコメディ路線に走っています。 今、『シン・ゴジラ(2016)』で人気が再燃しているゴジラも、『ゴジラ(1954)』『ゴジラの逆襲(1955)』に続くシリーズ第3作目の『キング・コング対ゴジラ(1962)』では、前2作にはなかったコメディ・シーンが賑やかに繰り広げられました。 当方は、正直言って、もっとまじめにゴジラをつくってほしい、などと思いました。 けれど、有島一郎、高島忠夫、藤木悠の掛け合い、とりわけ有島一郎の名人芸には感服せざるをえません。 なので、「ゴジラ映画は一流のエンターテインメント、コメディ・シーンも観客サービス」と見直すことにしました。 なにせ『キング・コング対ゴジラ』は、観客動員数1255万人の観客動員数の、邦画の歴代記録ベスト5に入る大ヒット映画。大勢の皆さんに喜んでいただけるのであれば、当方が文句をいう筋合いのものではありません。 シャークトパス・シリーズ3作目が、ゴジラ・シリーズの第3作目に倣ってコメディ化したわけでもないでしょうが。 さてさて、シャークトパスと狼鯨の対決です。 両雄とも、CGのゆるいところがまずもって残念。 シャークトパスのほうは、ぐわーっと海面から巨体を現しても、なんだか影が薄くて周りの風景との違和感がありありでした。 狼鯨のほうは、CGの立体感があまりなく、アニメと実写を合成したような印象でした。 アニメと実写の合成といえば『ロジャー・ラビット(1988)』とか『スペース・ジャム(1996)』などがありました。 なぜ、狼鯨がアニメっぽかったかというと、その目です。アニメの動物キャラクターと似た目つきをしていたからなのです。 そうした難点があっても、両雄の迫力あるバトルが繰り広げられればよかっと思うのです。 たしかに絡み合いはあるのです。しかし、波止場や野球場でくんずほぐれつするだけ。この絡み合いをさらに印象強く見せるためには、周囲の建物を破壊するなどしてほしかったなぁ。 ゴジラとはいわないが—体のサイズがちがうので—、東宝特撮『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ(1966)』を参考にしてくだされ。映画(全般) ブログランキングへ
September 22, 2016
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ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ [ 庵野秀明 ]価格:10584円(税込、送料無料) (2016/7/31時点) シン・ゴジラのキャッチフレーズは、「現実(ニッポン)VS 虚構(ゴジラ)」 当方の現初体験は、007と東宝特撮である。 007は、無敵のジェームズ・ボンドの活躍や、ボンド・カーをはじめとした新兵器、秘密兵器など、奇想天外、超現実(虚構)の世界に入れ込んだ。秘密情報部員になりたかった。 しかし、007の映画は、ダニエル・クレイグ版からリアル路線となった。新兵器、秘密兵器は登場しない。 そして、今回『シン・ゴジラ』も、リアル路線に・・・。 この『シン・ゴジラ』、おおまかにいって『ゴジラ(84)』のリメイクと受けとった。 『ゴジラ(84)』も「ニッポンVS ゴジラ」の体裁をとっていたから。 あと、海外からゴジラへの核攻撃というくだりや、カドミウム弾と凍結剤の違いはあっても、ゴジラの動きを止めるのも同じだった。 この『ゴジラ(84)』は、樋口監督が初めて参加した東宝特撮作品とのこと。 さらに、樋口監督は、雑誌のインタビューで以下のように語っている。 ・子供の頃に見て印象に残っている特撮映画は、『ノストラダムスの大予言』と『日本沈没』。両方とも怪獣映画使っているビル街の模型を地震で崩しているので、アプローチの仕方も仕上がりも同じ。ただ怪獣がいないだけ。いっしょに観に行った親父は、「怪獣映画なのに怪獣が出ていないじゃないか」って怒っていました。 ・ほかの怪獣映画は野原で闘うのばかりだったので、あの二本に出会って「見たかったのはこれだよ!」と思ったのを覚えています。不謹慎ですが、やっぱり崩れるビルが好きだった。小学生は、日常が崩壊してほしいという願望がすごく強いんでしょうね。 (雑誌「東京人—特集1960年代特撮と東京—(No.374 August 2016)」より) ここで当方の嗜好とのちがいがわかった。当方は、怪獣がビルを崩すシチュエーションが好きなのだ。だから『日本沈没(1973)』や『ノストラダムスの大予言(1974)』は、当方にとっては、どうせ特撮映画をつくるなら、怪獣が登場する映画を撮ってほしかった、と思った。 当方の東宝特撮原初体験は、『モスラ対ゴジラ(1964)』だった。怪獣が野原で闘うばかりではなく、ゴジラが四日市コンビナートから名古屋城まで破壊する、迫力あるシーンを見せてくれた。怪獣のパワーや存在感、その印象がとてつもなく大きいのだ。 今回の『シン・ゴジラ』のリアル志向とは、ゴジラの設定、ゴジラを迎え撃つ日本政府や自衛隊の動きなど、ディティールまできちんと追究してあるところだ。 多くの怪獣映画やテレビ番組では、怪獣を倒す方法が、たまたま新兵器ができていたり、簡単に急ごしらえしちゃったりすることがありがち。でも、『シン・ゴジラ』は、そこをいかに手間がかかったかをきちんと見せていた。ただ、もっとサスペンスを盛り上げればさらにおもしろかったと思うが。 もちろん、当方は、怪獣映画といえども、いや、怪獣映画だからこそ、リアルさが必要だと思う。 当方が最も評価する怪獣映画は『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』だ。この映画で、樋口監督が特技監督としてデビューした。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』も、『ゴジラ(84)』とはちがった意味で、『シン・ゴジラ』の原型といえると思う。それは、「もし、今の日本に怪獣が現れたら」というシミュレーションで映画ができているからだ。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、虚構の話に説得力があり、見応えがあった。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』と『シン・ゴジラ』の違いは、どのくらい「映画的な嘘」を許容するかではないだろうか。 マスコミ等がゴジラについて「生き物が火を吐くわけがない」と批判したことに対して、本多猪四郎監督は「放射能は炎でないことは分かっている。映画的な嘘である」と答えている。 同じようにヒッチコックも、観客を楽しませるために、実際は辻褄が合わなくても「映画的な論理性」を優先するというような発言をしている。 『シン・ゴジラ』は、確かに映画的な嘘もあるのだが、リアリティで覆われ固められている。 その点、『ガメラ 大怪獣空中決戦』のほうは、リアリティでは一歩ゆずっても、そこに遊びがある分楽しいと当方は感じる。 そして、『ガメラ 大怪獣空中決戦』のほうが、怪獣に対する思い入れをもつことができた。 それは、ガメラが善玉的な役割をもっていることもあるが、ガメラの飛翔場面や空中戦など、巨大生物そのものの脅威をリアルに感じさせてくれたからだと思う。さっきのモスゴジのゴジラと同じやね。そのとき、樋口特撮のファンになったのだが。 しかし、『シン・ゴジラ』は、劇場で一回見ただけでは十分味わい尽くせない映画だと思う。映像ソフトが手に入ったら、特撮場面は当然、ストーリー展開もディティールが凝っているし、情報量が多いから、何回も見て確認したい。(情報量が多いので、出演者はみんなセリフが早口だった) そうそう、当方はエヴァンゲリオンについては全く何も知らない。だからそこを論じることはできない。人気ブログランキングへご協力お願いします
July 31, 2016
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「大巨獣ガッパ」パーフェクト・トラックス〜オリジナルサウンドトラック<完全盤>〜 [ (オリジナル・サウンドトラック) ]価格:2208円(税込、送料無料) (2016/7/25時点) 元祖東宝はゴジラ、続く大映はガメラ、そして松竹はギララと来て、日活はガッパ。 他社はみんな怪獣の名前の最後が「ラ」、怪獣といえば「・・ラ」なのに、日活はあえてはずして「パ」。 しかも怪獣といわず「大巨獣」なのだ。特撮怪獣映画の最後発会社としては、差異をつけたかったのだろう。 ガッパというネーミングは、カメの怪獣だから「ガメラ」というノリで、カッパからガッパになったのだろうか。といっても、ガッパはカッパとは全然似ているところはないが。 1960年代後半、こうして各映画会社が競って怪獣映画をつくった。 これは、東映で、高倉健、鶴田浩二の任侠映画がヒットしたら、大映では市川雷蔵の『若親分』シリーズとか、日活では高橋英樹の『男の紋章』シリーズがつくられたのと同じ現象と考える。 この『大巨獣ガッパ』、内容的にはどこかで見たようなぁ。 まず、怪獣(巨獣か。でも、映画の中では、「熱海に出現した2匹の怪獣」と言ってる)が、人間に連れ去られた我が子を取り返しにくる、というプロットはイギリス映画の『怪獣ゴルゴ(1961)』とおんなじ。 というか、ガッパは南の島からやってきたのだが、すでに『モスラ(1961)』が、やっぱり南の島から小美人を取り戻しに日本にやってきてるんだよね。あるいは、『モスラ対ゴジラ(1964)』では、モスラの卵が台風で流されて、成虫モスラが小美人と一緒に卵を取り返しにきたりとか。 それから、子ガッパが檻の中で飼育され、どんどん大きくなっていく様子は、『フランケンシュタイン対地底怪獣(1956)』で、フランケンシュタインの怪物も似たような状況があった。 そして、この『大巨獣ガッパ』には、いくつかふしぎな場面があったぞ。 まず、洞窟の中の湖に、つがいのガッパが姿を現す。そこで、卵から孵った子ガッパの姿が消えていることに気づく。 しかし、もうすでに、人間たちが子ガッパを船に積み込んで、航路についている。そして、子ガッパを待ち受ける日本でのあーだ、こーだが続く。ようやく怒り狂ったガッパが洞窟の壁を破壊して出てくるんだが、行動が遅いよ親ガッパ。子供がいないとわかった瞬間に後を追っていけよ。 だって、ガッパは空を飛べるんだ。だから、早く船を追えばよかったんだよ。例え、親ガッパが気づいたときには船が出てたとしても、南の島から日本までは、船で何日もかかるはず。ぜったい追いついて、子供を取り返すことができたって思うけど。 また、子ガッパは、人間の与える餌はいっさい食べない。だから、母ガッパが口に大蛸を咥えて日本に上陸し、一刻も早く食事をさせようとするわけだ。なのに、空腹のはずの子ガッパはどんどん大きくなっていくんだ。怪獣は、何も食べなくてもぐんぐん成長しちゃうのかいな。 もう一つ。旅客機が飛行中に、パイロットが巨大なふたつの飛行物体を目撃する。 子ガッパを飼育する研究所では、雑誌記者がパイロットの話から「もし親のガッパがいたとしたら、飛べるのだろうか?」との疑問を出す。しかし、学者は「(子ガッパの)羽はそうとう退化しているし、例え親でも(飛ぶことは)無理だろうな」と断言する。 くだんの子ガッパだって、この後立派な翼を広げて自力で飛ぶのだけれども。 確かに、「常識では考えられんことが(起こってる)」という雑誌記者のセリフもある。けど、なんだもそれでフォローしちゃあいかんぞ。 ちなみに助教授を演じているのは、小高雄二さん。この人の姪が、平成ゴジラ(VS)シリーズで三枝未希を演じた小高恵美さん。この特撮つながりは、なんだか嬉しい。 さてさて、1960年代後半の怪獣ブームに乗ってつくられた『大巨獣ガッパ』はこれ1本きり、残念ながらシリーズ化はされなかった。 任侠映画とちがって、特撮怪獣映画のシリーズ化は難しかったのか。 松竹の『宇宙大怪獣ギララ(1967)』もシリーズ化はされず、長らくその1本だけだった。しかし、忘れたころに、40年ぶりに新作『ギララの逆襲(2008)』が公開された。 ぜひ、『大巨獣ガッパ』も、新作を見てみたい。特撮ファンは、何十年たっても、作品を忘れない、口うるさいけど。人気ブログランキングへご協力よろしくお願いします
July 25, 2016
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ドラゴン・オブ・ナチス [ スコット・マーチン ]価格:3888円(税込、送料無料) 映画の出だしはよかったんだけどね。 ときは第二次大戦中。 岩山で科学者とおぼしき者が、謎の卵を発見。 しばらくして、砂漠を進撃する連合軍の戦車が、何物かに高熱で焼き払われる。このとき、戦車の小窓からは、その攻撃してきたものの実体がとらえきれない。 さらに、連合軍の戦闘機隊も、飛行中に大きく羽ばたく何物かに撃墜される。 撃墜された戦闘機に搭載してあった撮影機を回収してフィルムを現像してみると、そこには、なんとドラゴンの姿が写っていた。 ナチスドイツは、ドラゴンの軍団を操り、生物兵器として連合軍に攻撃を仕掛けてきたのだった。 そして、夥しい数のドラゴンの卵を孵化させて、連合軍に一大攻撃を仕掛けようとしていた。 連合軍は、ドラゴン軍団に対抗するために、一癖あるパイロット連中を集めて、P-51ムスタング戦闘機のゴースト飛行隊を編成した。 まず、なんでドラゴンなんだ、という点だ。 ナチスは、ドラゴンの卵を探し求め、見つけたわけだ。 しかし、ドラゴンってやっぱり卵から生まれるものなのかぁ。 爬虫類っぽいから卵なんだろうなぁ。 だったら、ドラゴンの骨とか化石とかあってもいいってことにならないか。 このドラゴン軍団は、魔女たちが歌をうたって操る。 小美人がモスラとコミュニケーションをとるみたいに。 なにしろナチスの総統ヒットラーは、オカルト好みだったそうだ。 そういうところから、魔女だとドラゴンだのって話になっているのだろう。 それでもって、魔女ってことは、やっぱり魔術なわけで、ドラゴンは剣と魔法の世界の生き物だと思う。 つまり幻獣だ。 そのあたりを考えると、ドラゴンが卵から生まれてもかまわないのだが、科学者が発見するのではなく、魔女たちが隠しもっていたというようにしたほうが理屈も雰囲気もマッチするのではないか。 ヒットラーとオカルトとの関係もさることながら、この映画でドラゴンをもってきたのは、多分、火を吐くからだと思う。 単に奇を衒った空飛ぶ生物兵器であれば、いろんな理由をつけてプテラノドンを蘇らせるパターンもあるかもしれない。 しかし、プテラノドンには飛び道具はない。 やっぱり空中戦となれば、飛び道具が必要だ。 その点では、もともと火を吐くドラゴンは、戦闘機とのドッグファイトが絵になるというわけだ。 さて、このドラゴン軍団、じつはメスばかりなのだ。 もし、オスが生まれると、それはメスよりも何倍も大きく、さらに魔女たちもコントロールすることはできないので、とんでもないことになってしまうという。 万が一オスのドラゴンが生まれてしまったら、ナチスもその場で殺すしかないとのことだ。 というやりとりがあれば、これはいずれオスが出てくるという前ぶれにほかならない。 そうか、そこがクライマックスか、であればどんなオスが出てくるのか、もしかしたらキングギドラみたいなのが出てきて、空からヨーロッパ中の都市を火炎攻撃し破壊し尽くす映像が見たい、と夢が暴走する。 その一方で、この映画のレベルからすると、そこまでできないだろうという冷めた目も同時にあったのだが。 満を持して、かどうかしらんが、万が一のオスのドラゴンが登場した。 確かに登場した。 だが、オスのドラゴンは、キングギドラでもなければ、ラドンでも、バドラ(バトラではない)でも、リトラでも、なかった。 もちろん、ギャオスでは決してない。 ドラゴンのメスは、オスがいなくてもクローンの形で卵が産めるというあたりは、ちょっと平成ギャオスの設定に似てたけど、ギャオスは雌雄の区別がない、つまりオスという存在はない。 この映画が、平成ギャオスを参考にしたかどうかは知らない。しかし、最初はメスばかりを出して、オスを至極特別な扱いをしたのであれば、日本の翼竜怪獣を参考にして、もうちょっと盛り上げてほしかったね。 日本には、『恐竜・怪鳥の伝説(1977)』のランフォリンクスだっているんだぞ。恐竜・怪鳥の伝説(DVD)価格:3923円(税込、送料別)人気ブログランキングへ
May 22, 2016
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メガ・シャークVSクロコザウルス [ ゲイリー・ストレッチ ]価格:1,555円(税込、送料込) B級映画というくくりがある。 B級映画とは、低予算、短期間の撮影、上映時間が90分以下、そして有名俳優が出ていない、といった省エネタイプの映画のことをいう。 実際は、かつて映画が二本立てだった時代に、メイン(A)じゃない方、添え物(B)の方という意味だったらしい。 例えば、『マックイーンの絶対の危機(ピンチ)(1958)』などは、低予算B級SF映画だ。 スティーブ・マックイーンという大スターが出演しているじゃないか、と思うかもしれないが、この映画の時点では、マックイーンはまだ売れていなかった。 当方のB級好きは、子供の頃にこの映画を見た影響が強くある。 B級映画は、省エネであるため、そして、格式にとらわれない工夫があったり、A級映画にはない型破りな個性を発揮することができる。そこがおもしろいのだが。 さて、『メガ・シャークVSクロコザウルス』である。 アサイラム社製のこの映画は、まちがってもA級ではない。 アサイラム社の映画は、予算は少なく、撮影期間や準備期間も短い。 それらの点では、B級映画である。 同時に、粗製濫造、手抜きという見方もされる。 勢い、映画の中では、「えー!?」「そんなバカな」といった展開が続出だ。 そんなアサイラム社の映画は、B級映画の範疇に入らないのではないだろうか。 例えば最近見た映画では『フロム・ザ・ダーク(2014)』とか『アナベル死霊館の人形(2014)』などはB級ホラー映画だ。 それらの映画とアサイラムの映画にくらべたら、筋は通っているし、映画として形になっている。 おもしろいか、つまらないか、ではなく、低予算で短期間に撮影するB級映画といえども、A級映画と同じように、映画としての体を成しているかどうかという話である。 ここからは、くだんの『メガ・シャークVSクロコザウルス』を見ていこう。 まず、クロコザウルス(超巨大ワニ)だが、なんの説明もなく突然出現する。 怪獣映画で、怪獣が出現するときには、なんらかの理由づけがある。 たとえば、太古の超巨大ワニが地底に生きながらえていたが、地震による地殻変動によって地上に出現したとか。 たとえそれが不自然で納得できかねるようなものでも、超自然的な存在については、何か説明がなければ見ている者はそれを受け入れ難い。 ところが、クロコザウルスは、コンゴのダイヤモンド鉱山からいきなり現れる。 超巨大ワニのクロコザウルスが何物で、どうして21世紀に出現したのかなどについては、まるでスルーされているのだ。 出現の理由づけについて、こっちが見落としでいたかと思ったよ。 つぎに、メガ・シャーク関係だ。 メガ・シャークが、最初にクロコザウルスと激突したあと、大西洋に潜ったとの情報が入る。 そこで米軍は、原子力潜水艦でサメを攻撃することとする。 原子力潜水艦には、館長(女性)と搭乗員の2名。 ほかに人がいるのかどうかはわからない。 スクリーンに登場するのは2名のみ。 搭乗員「(メガ・シャーク発見)魚雷ロックオンします。発射管に(魚雷は)一本しかありません」 館長(女性)「命中させなさい」 魚雷を一本しか搭載していない潜水艦ってどんなんやねん。 その一本を命中させるかどうかというスリルを演出するつもりなのだろうが、危機感よりも脱力感が先に立っちゃうよ。 そして、メガ・シャークとクロコザウルスが闘う理由については、こんなのです。 クロコザウルスは、種の保存、繁栄のために卵を産みまくる。 そして母性本能から、卵を守ろうとする。 その卵を狙って、腹をすかせたメガ・シャークがやってきて、バトルになるというもの。 しかし、クロコザウルスは、アフリカからアメリカ西海岸からハワイから、いろんなところに産卵している。 これについては、「クロコザウルスは、身に危険を感じたときは一度に大量の産卵が可能」なんていう説明をしている。 だけど、メガ・シャークは、すきっ腹をかかえてクロコザウルスの卵を求めて世界中を周遊するより、ほかに食うもがあるだろうに。 そして、それほど大量の卵を産んだクロコザウルスだが、オスはいったいどこにいたんだ? 最後に、メガ・シャークとクロコザウルスの激突が予想される地区で、軍に「撤収命令」が出ているにもかかわらず、その背後に一般車両が平然と走っている。これは、アサイラムでは日常茶飯事。 今回は、撤収命令が出たあとに、軍の一斉攻撃が行われて火柱、水柱が吹き上がっている湾内を、一般軽船舶が悠然と航行していったぞ。 こんなふうだからね、アサイラム社の映画はB級と呼ぶのはためらわれる。 こうした前後の矛盾や破壊的ご都合主義の映画は、「超」B級映画として区別したい。映画(全般) ブログランキングへご協力ありがとうございます
March 21, 2016
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ウルトラマンX Blu-ray BOX 1【Blu-ray】 [ 高橋健介 ]価格:18,950円(税込、送料込) 3月12日は、『劇場版ウルトラマンXきたぞ!われらのウルトラマン』の封切り日でした。 この日は、横浜の放送ライブラリーで「【企画展示】ウルトラマン 時を超える珠玉のストーリー展~未来へ繋ぐメッセージ~」を見ました。 さらに、横浜人形の家で「ウルトラQ、ウルトラマン玩具発売50周年記念 マルサン怪獣玩具の世界」展も見ました。 そして、締めは『劇場版ウルトラマンXきたぞ!われらのウルトラマン』を観賞しました。 さながらウルトラマン・デーの趣きとなりました。 さて、『劇場版ウルトラマンXきたぞ!われらのウルトラマン』です。 よくお話がまとまっていて、ウルトラマンたちと怪獣の対決シーンも迫力がありました。 今回は上映時間が73分ということです。 これは、子供達の集中力などを考慮したものなのでしょう。 通常の映画は、90分〜120分といったところです。 この時間に足りない部分は、怪獣映画につきものの人々が逃げ惑うシーンにあたるといえるのではないか。 大都会のビル街で闘うウルトラマンたちと怪獣の影響で建物が倒壊したり、ウルトラマンが足に力を入れて踏ん張れば道路がめくれ上がるという細かい部分まで、巨人と巨大怪獣の重量感を味わわせてくれます。 しかし、人間が不在なため、無人のゴーストタウンでウルトラマンたちと怪獣が闘っているようでした。 速やかに人々が避難したという見方もできます。 ですが、怪獣映画の迫力とは、巨大怪獣の破壊力だけではないと思います。 人間側にいかに被害が出るかというところが、巨大怪獣の脅威を映す鏡となるわけです。 その点で、怪獣映画の群衆のパニックシーンは、見ている側のエモーションを刺激します。 この映画では、登場人物が限られています。 そして、人間のリアクションについては、防衛戦隊のXioが担っていました。 Xioの隊員は、ウルトラマンたちのピンチに驚愕したり、声援を送ったりしました。 しかし、彼らは一般人ではありません。戦闘要員なのです。 映画の観客がスムーズに感情移入できるのは、やはり一般人でしょう。 ともあれ当方は、初代ウルトラマンの世代です。 この映画に登場する怪獣の中では、やっぱり「ウルトラマン」に登場したアントラーへの思い入れが強くありました。 映画の中では、芭羅慈(バラジ)遺跡の封印が破られ、閻魔獣ザイゴーグが復活するというくだりがありました。 これはアントラーが登場するエピソード「バラージの青い石」を彷彿とさせます。 アント(蟻)といいながらも、アントラーがカブトムシとクワガタを合体させたような造形です。 なんと、この映画では、感涙ものの飛翔シーンを披露します。 これまで秘していた能力を、この映画のためにとっておくとは、やってくれるじゃないかアントラーといった感じですね。 確かに、カブトムシは飛びます。 固い前羽根を広げ、前羽根の下にある薄い後ろ羽根で羽ばたきます。 ウルトラマンティガとアントラーの高速空中追撃戦は、格闘シーンに変化が生じて目を楽しませました。 そして、われらが初代ウルトラマンが登場し、「進め!ウルトラマン」をBGMに怪獣と闘う姿は胸が躍りました。 また、あらためて初代ウルトラマンはシンプルな美しさがあると思いました。 姿形のデザインもそうです。 技もそうです。 技の点でいうと、ウルトラマンのフェイバリット・ホールド(得意技)はスペシウム光線です。 そして、八つ裂き光輪とかウルトラバリヤーは、スペシウム光線の応用技だと思います。 つまり、基本はひとつで何でもありというわけではありません。 そういう点でいうと、新しいウルトラマンたちが、パワーアップした形態になったり、武器をもったりするというのは、うまく適応することができないです。 とりわけ、カードによって強くなると云うのは、なじめまへんなぁ。 時代に取り残されていくばかりです。 とは言いつつも、ウルトラマンの新作映画は、これからも見に行きまっせ。映画(全般) ブログランキングへご協力、よろしくお願いします。
March 13, 2016
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メガ・シャークVSメカ・シャーク [ エリザベス・ローム ]価格:4,665円(税込、送料込) プロレスはリアルではなくて、ファンタジーだ、といわれる。 かつては、真剣勝負ではなく、八百長だ、という言い方をされていた。 ファンタジーという表現はいいと思う。 八百長は、賭け事でズルしているような印象がある。 しかし、ファンタジーは、プロレスが、真剣勝負や競技という枠内では得られないエンターテインメントであることがそこはかとなくわかる。 付け加えると、プロレスのファンタジー性は、試合内容の筋書きだけの話ではない。 以下のようなレスラーも、プロレスの世界では許容されていた。 ザ・マミー:ヒューストンの港に貨物船が入港し、積荷に古い柩があった。その中から、古代エジプトのミイラが蘇りマットに上がった。 ザ・コンビクト:ニューヨークのシンシン刑務所からの脱獄犯が、覆面をかぶり正体を隠してプロレスラーになった。 プロレスだけでなく、ホラー映画やモンスター映画などのジャンル系映画も、プロレス的なファンタジーだと思う。 だが、プロレスや映画のファンタジーについて、成功しているかどうか、おもしろいかどうか、あるいはそういったものを楽しめる感性があるかどうかは、また別の問題なのだ。 受け入れる側としては、あまりにファンタジーに飛躍がありすぎるとついていけなくなる。 といったところで、『メガ・シャークvs.メカ・シャーク』を見てみよう。 この映画では、女性科学者ロージーがメカ・シャークに乗り込んで、世界の脅威であるメガ・シャークと闘う。 リアルな場合を考えたら、例え新兵器を開発した人間であろうと、科学者が戦闘要員となることはありえない。 しかし、そこはファンタジーの設定なのだ。 ガチガチな戦闘員がメカ・シャークでメガ・シャークを迎え撃つ地味な話より、(美人?)女科学者が颯爽と立ち向かうほうが映画として華があるんだよね。 ところが、あわれロージーは、非戦闘員の悲しさか、メガ・シャーク撃滅のために発進して、撃ち込んだ魚雷をメガ・シャークに交わされてしまう。そんでもって、味方潜水艦や駆逐艦を誤爆しちゃうのだ。そうであれば、誰か戦闘の専門家メカ・シャークをに任せた方がいいかと思うわけだ。 (メカ・シャークとメガ・シャーク、「カ」と「ガ」のちがいだけ。文章中に何度も出てくるとまぎらわしくてごめんね) さてさて、女性が、メカ怪獣に搭乗して怪獣と闘うのは、『メガ・シャークvs.メカ・シャーク』が初めてのお話ではない。 我が東宝特撮においては、『ゴジラvsキングギドラ(1991)』で、未来人エミーがメカ・キングギドラに乗りこんで、東京都庁前でゴジラと大バトルと繰り広げた。 また、『ゴジラ×メカゴジラ(2003)』では、特生自衛隊員・家城茜がメカゴジラ(機龍)のオペレーターとして、品川などでゴジラとの激闘を展開する。 この二人の場合も、ファンタジーだと思う。 メカ・キングギドラでゴジラに対峙するエミーは、未来人かもしれないが、戦闘員ではない。 エミー・カノーは、23世紀からやってきた。現在の科学技術よりもはるかに進んだ時代の人間だから、ともするとメカの操作にすぐれているというような錯覚を起こすかもしれない。だが、ゴジラに立ち向かうような戦闘能力の訓練はされてはいないはずだ。エミーは、もともと23世紀地球均等環境会議なる組織の穏健派メンバーなのだから。 しかし、エミー・カノーは、単身メカ・キングギドラを駆使して、暴れ回るゴジラを制圧するのだ。 これはファンタジーのなせるワザである。 つぎに、特生自衛隊員・家城茜だ。彼女はれっきとした戦闘員である。そういう意味では、説得力を感じる。当然闘いのプロとして、ハードな訓練を積んでいるのだろう。 しかし、リアルで考えたとき、ゴジラと闘うメカゴジラのオペレーターとして、女性が起用されるかというと、その可能性は低いと思われる。 例えば、消防士では、女性の採用はあるのだが、体力差があるため、消火活動や救助活動に女性が出動することはあまりないようだ。 だから、こちらも映画的な設定で、ファンタジー色が濃いといえる。 『メガ・シャークvs.メカ・シャーク』のロージーは、こうした東宝特撮の闘うヒロインの影響下に設定されたと思われる。 まずロージーとエミー・カノーとの類似性だ。 ロージーは、メカ・シャークで闘う際、ネロという相棒がいる。 このネロとは、メカ・シャークの操縦を補佐する人工知能である。 そして、エミー・カノーがメカ・キングギドラを操作するときには、傍らにやはり人工知能M11がいる! ネロもM11も、それぞれのシステムに組み込まれ、スピーカーを通してロージーやエミーに指示を出したり激励したりする。 つぎに、ロージーと茜だ。 これはじつのところ、メカ・シャークとメカゴジラ(機龍)の類似性なんだが、両方とも、戦闘の最中に突如として暴走する。そして、街を破壊して回り、メガ・シャークやゴジラよりも手に負えない存在となる。 もともとメガ・シャークの第一作『メガ・シャークvs.ジャイアント・オクトパス』からして、東宝特撮へのオマージュ?があった。 メガ・シャークとは、つまるところ東宝特撮のゴジラなのだ。 まあ、『メガ・シャークvs.メカ・シャーク』はモックバスター(便乗模倣映画)のアサイラム製だからね。 映画の後半、ロージーはメカ・シャークに搭乗しなくなる。操作をネロに任せて、メカ・シャークは無人でメガ・シャークに挑む。 しかし、メガ・シャークは、メカ・シャークに海中から陸上に吹っ飛ばされて、ネロが停止してしまう。 そして、メカ・シャークは陸上モードになって暴走する。 このメカ・シャークの陸上モードは、『ゴジラvsスペース・ゴジラ(1994)』の対ゴジラ兵器ロボット、モゲラのランドモゲラー・モード(戦車)からのいただきだと思う。 ロージーは、暴走する陸上モードを止めようと、危険を顧みずメカ・シャークに飛び乗って電波発生装置をONにする。とても科学者とは思えない。 その前に、ロージーは、暴走する陸上モードから逃れる群衆のどさくさにまぎれて、どこからか車を調達してきて、夫ジャックとともにそれに乗って逃げる。要領がいいというか臨機応変というか、ただのドロボーじゃないか。とても科学者とは思えない。 夫ジャックも、暴走するメカ・シャークを追撃する際に、そのへんに乗り捨ててあったバイクを勝手に拝借していた。この人も科学者。ドロボー科学者夫婦だ。 非常事態を理由に、罪悪感なく他人の乗用車やバイクに乗ってちゃうのもファンタジー。 ちなみに、『メガ・シャークvs.メカ・シャーク』は、シリーズ最大の脱力映画である(今のところ)。映画(全般) ブログランキングへ何卒ご協力お願いします。
February 28, 2016
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】怪竜大決戦 [ 山内鉄也 ]価格:3,839円(税込、送料込) 1966年に、「怪獣ブーム」と呼ばれる現象が起きた。 テレビで『ウルトラQ』『マグマ大使』『ウルトラマン』が始まった年だ。 ブームに至る過程でも、小学生だった当方はゴジラを中心とした東宝特撮怪獣映画に夢中だったし、大映で始まったガメラのシリーズも心躍らせて駆けつけた。 だから、怪獣ブームは、当方にとってまさにわが世の春、テレビの特撮番組も欠かさず見て、そして今があるという在り様だ。 その1966年(昭和41年)12月21日に東映映画『怪竜大決戦』は公開された。二本立ての併映は『黄金バット』だった。 東宝、大映に続いて、ついに東映も『怪竜大決戦』をもって怪獣ブームに参戦だ!と喜んだものだ。 ところが残念なことに、東映映画史上、怪獣映画は『怪竜大決戦』の一本だけなのた。 「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」の東映は、特撮技術において、東宝に負けず劣らず目を見張るものがある。CGなんてものが出現するよりはるか以前の『宇宙快速船(1961)』で、奇跡のような特撮シーンが見られるのだ。 だから、もし、東映が怪獣映画を量産していたら、きっと数多くの名場面が見られたと思う。 じつに貴重な一本である『怪竜大決戦』だが、タイトルには「怪獣」という言葉を使っていない。「怪竜」なのだ。さらに、東宝、大映のように現代劇ではなく、時代劇の怪獣ものにしたところに、当方は東映の意地を感じるのだが。 さてこの「怪竜」という言葉であるが、確かに映画に巨大な竜が登場する。ところが、それに対抗するのは大蝦蟇であり、大蜘蛛である。 東宝の『怪獣大戦争(1965)』または『大怪獣決闘ガメラ対バルゴン(1966)』などのタイトルは、怪獣同士の大戦争、はたまた大決闘という意味合いだ。 とするならば、『怪竜大決戦』はどうなのか。この映画を見る限り、怪竜同士ということではない。竜は複数登場しないのだから。 ちがう見方をすると、「怪竜の大決戦」という解釈が成り立つ。怪竜が、大蝦蟇や大蜘蛛と大決戦をするわけだ。 であるならば、この映画のメインは「怪竜」ということになるんだが、竜は敵役なんだな。主人公側のいい者は、大蝦蟇、大蜘蛛の方である。 そこんところ、子供の頃、リアルタイムでこの映画を見たときに考えた。怪獣は現代的な用語であって、時代劇では巨竜も大蝦蟇も大蜘蛛も、みんなひっくるめて「怪竜」なんだな、とか、大蝦蟇、巨竜は、ヒーロー、敵役が化身する。つまり存在自体が「怪獣」ではないから「怪竜」と差別化しているのか、などと勝手に理解していた。 『怪竜大決戦』の原典は江戸時代の読本や歌舞伎に登場する忍者児雷也(自来也)ものだ。 児雷也ものは映画としても、日本初の特撮映画といわれる牧野省三監督、尾上松之助主演の『豪傑児雷也(1921)』などがある。忍術映画というジャンルで、特撮ではなくトリック撮影と呼ばれた時代に、児雷也が姿を消したり蝦蟇に変身したりして観客から人気を集めたのだ。 そうした古くからある忍者ストーリーが、怪獣映画の『怪竜大決戦』としてリニューアルされたわけだ。 (併映の『黄金バット』の方も、昭和初期のヒーローが大々的に蘇ったのだった。だからこのときの二本立ては、復活ヒーローフェアともいえるのだ。) 歌舞伎の舞台も、忍術映画でも、大蝦蟇、大蛇(もともとは竜ではなかった)は、でかいといっても、人間大ほどである。それに対して『怪竜大決戦』では、大蝦蟇、巨竜は、見上げるサイズになったのだ。まさに忍術映画から怪獣映画へと大転換をはかったのだった。 さてさて、怪獣ブームにすっぽりとはまっていた特撮少年にとっては、映画、テレビの怪獣ものにいくつものこだわりをもっていた。 そのひとつが、怪獣の造形だ。映像作品によっては、着ぐるみ然とした怪獣、または生物的なリアル感の薄い怪獣がいた。それらに対してはとても不満を覚えた。 やはり、つくりもの感が濃いと、作品世界に入り込めない。特撮映像作品とは、現実世界から異世界を垣間見ることができるものだと考える。しかし、上手に異世界に誘ってくれないと、まさに興醒めである。 その点、『怪竜大決戦』の巨竜、大蝦蟇については、満足するできばえだった。デザイン、作り込み方、皮膚感などが、納得できた。 また、ミニチュア・セットもよかった。 通常、現代劇(または近未来)の怪獣映画は、怪獣がビル街を破壊するシーンが売りのひとつである。しかし、『怪竜大決戦』は、時代劇なので、昔の町並みを破壊してもあまり見どころにはならない。その代わりのスペクタクル・シーンとして、近江国の霞城を舞台に、巨竜と大蝦蟇が大暴れする。 この霞城は、天守閣や本丸、二の丸っていうのかな、城一帯がていねいにつくられていた。このセットで、クライマックスの破壊シーンは見応えがあった。 もちろん、時代によって、撮影技術にも、怪獣の着ぐるみ、ミニチュアセットなどを制作する技術にも限界はある。だけど、それなりにがんばって工夫して見せていることがわかれば、「見立て」によって、想像力を働かせることはやぶさかではない。特撮シーンがちゃちだからと一刀両断に切り捨てるものではない。気持ちで見たいものだ。 もし、東映が、『怪竜大決戦』に続く怪獣映画をつくっていたら、特撮的におもしろいものができたのではないかと思う。 その見果てぬ夢を、スーパー戦隊映画の巨大ロボのバトルシーンに重ね合わせて見るんだよ。映画(全般) ブログランキングへご協力よろしくお願いします!
November 23, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】【スーパーSALE限定ポイント10倍】渡辺宙明卒寿記念 CHUM...価格:8,100円(税込、送料込) 今年1月に『生誕60周年記念 ゴジラ音楽祭』に行った。そのときに、『渡辺宙明卆寿記念コンサート』のチラシをもらった。 いかねば!と思って、即座にチケットを手配してもらった。 8月まではまだまだだなぁと、その時点では鶴首していたが、時はマッハのスピードで過ぎ去り、8月29日がやってきた。 といわけで、今年は特撮音楽の2大巨頭の音楽を生オーケストラで聴くことができた。特撮ファンとしては、記念すべき年になった。 一方の伊福部節は、怪獣の巨大感、重量感、異形感などが迫ってくる。 そして、宙明節からは、スーパーヒーローの躍動感、使命感、颯爽感にエモーションが刺激される。 コンサートの途中で、宙明先生のご子息、渡辺俊幸氏のトークもあった。当時フォーク・グループといわれた「赤い鳥」のメンバーだったと聞き、懐かしかった。かつて「赤い鳥」のLPレコードを購入していた。そういえばドラム担当の渡辺 俊幸という人がいたが、その方だったかと結びついた。 また、俊幸氏は、平成モスラ・シリーズの3本について音楽を担当しておられる。 その俊幸氏の指揮で、会場の全員で「ハッピーバースデー、チューメー」を歌った。 さらにラストでは、宙明先生の指揮で、「グレート・マジンガー」と「マジンガーZ」も歌った。 一般に、怪獣やスーパーヒーローは、誰でもが人生の初期に一時期熱中するが、知らぬ間に熱は冷めていくものという見方がされている。 おそらく、精神的に定型発達をしていく主流派の人々は、怪獣やスーパーヒーローから卒業していくのだろう。 その点で、当方は、人生の後方期まで特撮好きでいるのは、やはりなんだか幼少期等に満たされないものがあったと認識している。 そうであっても、あるいはそうであるから、宙明節が心に沁みる。スーパーヒーローの躍動感、使命感、颯爽感に心が躍るし、宇宙刑事ギャバンのエンディング曲「星空のメッセージ」からは、スーパーヒーローの心情にしみじみとした味わいを感じる。 このコンサートはCDになるとのことで、発売日を鶴首してます。人気ブログランキングへ
September 6, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 [ 久保明 ]価格:2,000円(税込、送料込) 今年の夏は、「我が思い出の夏休み特撮映画大会」ということで、夏休みの特撮映画体験を振り返って、ひとり特集上映会を開催した。 ラインナップは『宇宙大怪獣ドゴラ(1964)』『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)(1965)』『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ(1966)』『キングコングの逆襲(1967)』『怪獣総進撃(1968)』『海底軍艦・短縮版(1968)』『緯度0大作戦(1969)』『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(1970)』『ゴジラ対ヘドラ(1971)』『ガメラ対深海怪獣ジグラ(1971)』 この翌年(1972)の東宝特撮は、東宝チャンピオンまつりとして、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』の短縮再編集版が上映された。そして、それ以降夏休みに新作特撮・怪獣映画の公開はない。 このほかにも、今回のラインナップには加えなかったが、1966年には東映で『大忍術映画ワタリ』とアニメ映画『サイボーグ009』を見た。 また、あのレイ・ハリーハウゼンの『アルゴ探検隊の大冒険(1963)』を見てダイナメーションに衝撃を受けたのもこの年だった。 さらに、その夏休みはイギリス・ハマープロダクションの『フランケンシュタインの怒り(1964)』『吸血狼男(1960)』も上映されたのだった。 今回は『フランケンシュタインの怒り』も、ひとり上映会の1本に加えた。 なお、1967年の併映映画は『長編怪獣映画ウルトラマン』だった。これも見直したい一本だったが、残念ながらそこまで力が及ばなかった。 さて、ここでは、『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』についてふれたいと思う。 『決戦!南海の大怪獣』は、円谷英二がかかわった最後の特撮怪獣映画である。この映画が公開される年の1月に円谷英二は亡くなっている。しかし、映画が準備されている段階では、特撮監修という立場にあったのだった。 東宝特撮の代名詞的存在であった円谷英二、彼がこの世を去ったこの時期に、映画は斜陽化が進み、東宝特撮映画も予算が激減していったらしい。 『決戦!南海の大怪獣』の監督は、本多猪四郎だ。本多監督は、円谷英二とともにツートップとして東宝特撮・怪獣映画を大隆盛に導いた。彼にとって、『決戦!南海の大怪獣』は、生涯最後に監督した映画のその前の1本である。ちなみに最後の映画は『メカゴジラの逆襲(1975)』だ。 さらに、この時期東宝特撮が翳りゆく様子は、出演者にも見ることができる。 『決戦!南海の大怪獣』には、久保明、小林夕岐子、佐原健二、土屋嘉男、中村哲、藤木悠といった、東宝特撮の全盛期を飾ってきた俳優、御馴染みの顔ぶれが出演している。その点では、これまで慣れ親しんだ東宝特撮を見る安心感があったわけだが、この翌年の『ゴジラ対ヘドラ』からはこれらの役者さんをぷっつり見なくなってしまった。 諸行無常。あらゆるものは生じ、そして滅する。 こうした東宝特撮の一時代の終わりを象徴するような映画『決戦!南海の大怪獣』は、ゴジラを始めとした東宝スター怪獣が登場するのではなく、ゲゾラ、ガニメ、カメーバという新怪獣だったのは一興だ。 内容も、怪獣が都市を破壊するものではない。島で、人間が知恵を使って怪獣を退治するお話だからね。 思えば、当方にとっては、とてもいい時代に少年期を送ったと振り返ることができる。多感なその時期に、充実した東宝特撮映画をリアルタイムで体験することができたわけだから。 そうやって子供の頃に映画が一番楽しいと実感しちゃったから、夏の休みには海外にも温泉にも行かず、ひとり特集上映会に浸っているという次第なのだよ。人気ブログランキングへ
August 29, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】【DVD3枚3000円2倍】殺人魚獣 ヘビッシュ [ エイラ・ケル ]価格:1,000円(税込、送料込) 「ヘビッシュ」ってなんじゃ? そうか、蛇と魚(フィッシュ)を合わせて「ヘビッシュ」かぁ。 このネーミングは、上半身が日本語で下半身が英語である。蛇のビとフィッシュのフィは、語感に近いものがあるから、ヘビッシュときたら意外と落ち着くようでいて、やっぱり違和感がある。 不協和音が、妙に脳みそにべったりくっついてしまった。 『アナコンダ(1997)』や『コモド(1999)』よりもそそられるぞ。 名前から見たとき、このクリーチャーは、蛇と魚の合体だろうと想像するわけだ。 だったらどんなかっこうしてるんだ? 蛇なのに、高速で泳ぎ回って襲ってくるのか? 魚なのに、太長い胴体で獲物に巻き付くのか? こうなると。もう完全に敵の奸計にハマっている。 そこには、期待がある。 どんな期待か、意外な掘り出し物、という期待だ。 メジャー映画にはできないマイナーの破壊力だ。 しかし、こういったタイトル系では、そんな幸運がほぼ100%ないのもわかっている。これまでに何度も同じ失望を経験してきたのだから。 それなのに、実際に見たときのガッカリ感をついつい忘れて、期待感が上回ってしまうのだから、見ちゃうんだなぁ。 新作期間がすぎて安くなったら借りよっと、思ってた。 内容的には、『ピラニア3D(2010)』の類似品と思ったぞ。 ソフトバージョンの『ピラニア3D』といった感じか。 ヘビッシュとピラニアとを入れ替えても、まったく問題はないが、ピラニアを出したとしたら、そのまんまだから、ヘビッシュにしたんだろうな、というくらいだ。 そして、ヘビッシュというわりにはあんまり蛇ではなかった。 頭部は乱杭歯のすっごい顔していますが、蛇というよりは、魚の頭部が『クリッター(1986)』になっているという感じ。 それから、『ピラニア3D』では、女性保安官とその息子が中心となってストーリーが展開していったが、こちらは女性公園監視官とその息子が同じような役割をしていた。 この女性公園監視官には、元夫とよりを戻すか戻さないかという、これまたありがちなサイドストーリーもある。 『ピラニア3D』の女性保安官の方は、若くはないが美人だった。 しかし、『ヘビッシュ』の女性公園監視官は、アメリカのオバさんタイプなんだぁ。 元夫が、復縁したいと熱望するのは、彼なりに彼女に大きな未練を抱えているのだろう。 それはそれでご自由にしていただきたいところなのだが、映像ストーリーとしては、あんまり感情移入ができないのではないか。他人事の距離感があるぞ。 この場合は、個人の好みが前面に出るよりも、やはり見ている皆さんが納得できるような設定がよろしいと思う。 映像ストーリーは虚構の世界なのだから、華があった方がいいよな。 今思い出した。 『ピラナコンダ(2012)』ってのもあったな。 ピラニア+アナコンダか。人気ブログランキングへピラニア3D コンプリート・エディション <2枚組>(Blu-ray)価格:5,055円(税込、送料別)【楽天ブックスならいつでも送料無料】クリッター [ M.エメット・ウォルシュ ]価格:1,832円(税込、送料込)【税込み】【3500円以上で送料無料】【レンタル落ち中古DVD】ピラナコンダ /マイケル・マドセ...価格:300円(税込、送料別)
May 31, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】GODZILLAゴジラOFFICIAL BOOK [ Flix編集部 ]価格:1,296円(税込、送料込) がっかりするような映画ではなくて安心した、というのが正直なところですよ、ご贔屓筋としては。 内容的には、『ガメラ大怪獣空中決戦(1995)』を彷彿とさせた。 ムートーがギャオスである。 そして、GODZILLAがガメラである。なんて、なんだかよくわからん話だろうが。 今回は詳しくは述べないが、GODZILLAもガメラも、地球の恒常性の維持(ホメオスタシス)の役目を負っている。 とりわけ、現実への巨大生物(超現実)の侵入、といったところも、ふたつの映画は似た雰囲気があった。 『ガメラ大怪獣空中決戦(1995)』は、現実の日本に怪獣が現れたシミュレーション映画という評判だったが、今回の『GODZILLA』も、ハワイのモノレールやサンフランシスコのスークールバスの窓から、突然怪獣の姿が見えるあたり、怪獣映画の真骨頂だね。 現実世界に超現実が派手に越境してきて、普段見慣れた風景に、とんでもない異物が出現するって、映画ならではの味わいだ。 また、見上げる視点からの映像で、怪獣の巨大さを感じることができた。 昨年は、巨大怪獣映画として『パシフィック・リム』が評判となった。 怪獣映画贔屓としては嬉しいかぎりだが、こちらは、すでに怪獣の存在が当たり前の世界だったし、イェーガーのパイロットが話の中心だったからね、一般の市民の目線ではなかった。 それと、『GODZILLA』には、3.11または9.11の記憶を刺激される映像がいくつか出てくる。そういう点でも、現実世界のリアル感がうかがえたのだろう。 そういう点では『ゴジラ(1954)』は、太平洋戦争を筆頭に、関東大震災や毎年日本を襲う台風の記憶を痛く刺激される映画だ。例え、それらを経験していなくても。 さて、このGODZILLAとゴジラの違いは、やっぱりCGか特撮かという点である。 例えば、GODZILLAと空中から襲い来るムートーとゴジラのバトルがあった。 CGというのは、リアルな映像を志向しているわけだ。 一方のゴジラは、同じように空中から攻撃してくる成虫モスラとの激しいバトルがあった。 このモスラは操演である。何人もが同時に操作して動かした。 ゴジラもギニョール(人形)だったりする。 それでも、手のこんだ動かし方やカット割りで、じつに見応えのあるバトルを演出している。 特撮は、確かにリアルではないかもしれない。 しかし、まぎれもなく怪獣の迫力を味わわせてくれる。 それは、映像世界という異世界の特質を十分に生かしているのだ。人気ブログランキングへ
July 27, 2014
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【送料無料】怪獣人生 [ 中島春雄 ]価格:3,045円(税込、送料込) 中島春雄さんは、元祖ゴジラ(ぬいぐるみ)俳優であり、この道の第一人者でもあります。 当方の怪獣映画本格体験は、『モスラ対ゴジラ(1964)』でした。リアルタイムの封切り公開です。 この映画では、倉田浜干拓地地中からゴジラが出現する場面は、まさに迫真の演技で巨大生物のど迫力を表現していま す。このときの感動が、当方をして特撮映画の魅力に取り込んだわけです。 以後、中島さんは、数々の怪獣映画、テレビ番組でぬいぐるみ役者として名演技を積み重ねていきます。 ゴジラ、ラドン、バラン、バラゴン、ガイラ、パゴス、ネロンガ、ガボラ・・・・。 しかし、彼がそもそも俳優になった動機とは、つぎのようなものです。 「職を転々とした後に、俳優学校に入った。そして東宝の所属俳優になったけど、スターを目指したわけじゃない。ほかに仕事がなかったんだ」 中島さんは、大部屋俳優として東宝と契約し映画に出演します。そして、本邦初の大怪獣映画『ゴジラ(1954)』で、ゴジラを演じるのですが、そうなったのも以下のような事情からなのです。 大部屋俳優の中でも、中島さんは「エキストラも吹き替えも何でもやる」役者でした。特に「ケレン師(今で言うスタントマンでしょうか)」として、主役のスターさんの身代わりとなって橋から川に落ちる役などをやっていたとのこと。それは「危険手当がつくから」との理由からでした。 ゴジラの着ぐるみに入ったのは、中島さんが「ケレン師」だったからなのです。 くりかえしになりますが、『ゴジラ』は本格的特撮怪獣映画の第1号だったのです。 今でこそ、特撮系の映画、テレビ番組には、スーツアクターという役割がしっかりあります。 しかし、その当時はスーツアクターという言葉はおろか、存在自体もまるでなかったのです。 だから、誰がゴジラの中に入るかとなったときに、「なんでもやるケレン師」が呼ばれたというわけです。 まったく前例がない分野であり、しかもセリフもなければ素顔も出ない。 しかし、中島さんは、誠心誠意この役を務めます。 「ただ動くだけじゃなく、本当の生き物らしい芝居をしないと映画にならない」 この言葉は、役者魂という言い方もできるかと思いますが、それ以前に中島さんの誠実な人柄を現していると思います。 中島さんは、動物園に通って様々な動物の動きを観察します。「生き物らしい芝居」をするためです。ぬいぐるみの中に入って、どうせ顔が見えないからテキトーにやる、などという不届きな思いは微塵も抱かないのです。 そんなまじめな中島さんの前にたちはだかった壁がありました。ラドンのような翼竜怪獣やバラゴンのような四足歩行怪獣の中に入るときのことです。それらは、本来は逆関節とか蹄行性、指行性などといわれるように、人間とは脚の形がちがうわけです。 「ラドンは足が本物の鳥とは逆に曲がるのが、演じる者としては不満だよね。人間が入るんだからしょうがないけど、みっともないって。なるべく足を伸ばして芝居したよ」 「不満なのは、四足怪獣は膝をついて歩く形になること、ラドンの足の曲がり方と同じで、人間っぽく見えるのが気になる。木や岩に隠して、なるべく写さないしかないね」 演技であれば、がんばって「生き物らしい芝居」をすることもできます。しかし、体型ばかりはどうがんばっても、ぬいぐるみ怪獣ではできません。さぞもどかしかったことでしょう。。 おそらく中島さんは、ゴジラに入らなくても、役者にならなかったとしても、ご自分のお仕事にすこぶる実直に取り組まれるお方だっただろうと、このようなエピソードからしみじみ感じるのです。 中島さんは、「ケレン師」としてスターさんの変わりに危険なシーンを演じていた経験があるのですが、特撮怪獣映画の撮影もかなり危険が伴うものだったようです。 「怪獣映画の岩山のセットは、ブリキで岩の形を作って、表面にウレタンを張っているんだ。セットにはブリキが尖ったところもあるよ」 「バラゴンのときは、中で剣道の面を被っているんだもの。この作品は激しい立ち回りが狙いだったからね。どんなにぶん投げられ転がっても、頭から落ちても平気なようにね」 「(メーサー光線で撃たれると)弾着から火が出て、(ガイラの)ぬいぐるみ(これは他の体重より薄い)がメラメラ燃えるけど、あれくらい平気だよ。『春ちゃん、やって』と言われたら、黙ってやる。主役だもの」 さてさて、中島さんは、ぬいぐるみ俳優として幾多もの名演技を残しているわけですが、大部屋俳優として素顔でも、黒澤明監督の『七人の侍(1954)』などたくさんの映画に出演されています。もちろん、その他大勢の役ですから、セリフがついたとしても一言、二言なのですが。 「セリフが多い役はじつはやりやすい。大部屋やっていて、一言だけセリフがある役は逆にやりにくい。そのセリフを言うタイミングを待っているから逆に難しい 」 とおっしゃる中島さんは、生涯一度だけ、セリフの多い役をやられました。 それは、『太陽のあいつ』というテレビドラマです。 この番組の主題歌をジャニーズが歌っており、それはヒットしたので聴いたこともありますが、ドラマ自体はなんとなくしか覚えていません。 その連続ドラマの中の1エピソードに、中島春雄さんは主役級のポジションで出演するのです。怪獣映画のぬいぐるみ役者の役で。残念ながら、中島さんが出演した回のことはまったく知りませんでした。 「長く怪獣役をやったけど、『太陽のあいつ』を見ると、素顔の役もほかにもやりたかった気がするな」 これは、やはり役者を生業とした人としての本音でしょう。 そして、この後、中島さんは映画界は去ることとなります。 映画産業は斜陽となり、東宝も大勢の役者さんを抱えていることが難しくなります。 怪獣役者としてキャリアを重ね、スクリーン狭しと大活躍した中島さんですが、世間一般は、ゴジラやラドンは知っていても、役者中島春雄のことは知らない。だから、転職を余儀なくされます。 しかし、1996年ころから、中島さんはアメリカの特撮ファンのイベントなどに頻繁に招待されるようになります。 「ミスター・ゴジラ、ハルオ・ナカジマ」として、異国の地で講演をしたり、サイン会をしたり。 世間一般は知らなくても、マニアの間では、中島さんの偉業は国際的に有名なのです。 この本を読んでから、また、中島さんのゴジラやバラゴン、ウルトラマンと戦うジラースなどを見直しました。 そして、東宝特撮の本編、ウルトラQやウルトラマンに、素顔の役者で演技している中島さんも探しました。人気ブログランキングへ
February 16, 2014
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【送料無料】ロシア映画DVDコレクション::巨竜と魔王征服 イリヤ・ムーロメッツ価格:4,442円(税込、送料込) 映画開始直後、山々が連なる中に、山よりもでかい馬に乗った武人が登場する。伝説の巨人スヴャトゴールだ。そこに普通サイズの巡礼達が集まってくる。 このシーン、ちょっと見にはスヴャトゴールが巨大なのか、遠近法でぐぅっと手前にいるのかどっちなんだぁと思った。しかし、スヴャトゴールがとてつもなく巨大なのだとあらためて確認した。 『巨竜と魔王征服 イリヤ・ムーロメッツ』は、口承叙事詩を映画化したもの。口承叙事詩だから、ずっと昔から語り継がれてきて、お話を聞いた人は頭の中でその情景を思い巡らしてきたのだろうと思う。そして、映画化という手段をとることができるようになって、初めてリアルな形で目で見ることができたわけだ。 冒頭の巨人スヴャトゴールの映像を始め、この映画の数々の特撮シーンを見ると、映画ってのは、 現実世界ではお目にかかることのできないものを目の当たりに感じさせてくれて、楽しいなあとあらためて思う。 そういった非現実的なシーンでも、お目当ては怪獣である。 この映画では、「巨竜」がどんな造形、映像で出てくるか、それが一番の見どころだった。 クライマックス、ロシア軍と蛮族の平原を埋め尽くす大合戦、蛮族側の切り札として火を噴く三頭竜ーゴイルニッチ蛇ーが満を持して登場する。 三頭竜だよ。 三頭竜といえば、そう日本のキング・ギドラがいる。 この両者、よく似ている。 顔立ちはちがうよ。 キング・ギドラの頭部は、まさに東洋の竜、あるいは西洋のドラゴンである。 一方のゴイルニッチ蛇は、いってみれば「なめこ図鑑」。 であっても、翼を広げ飛翔する姿は、黒いキング・ギドラ、ゴイルニッチ蛇が。 この映画は1956年作。 キング・ギドラが初登場した『三大怪獣地球最大の決戦』が1964年作。 そうか、キング・ギドラのルーツはロシアにあったのか。 これまでは、キング・ギドラの元ネタは日本の八岐大蛇かと思っていたが。人気ブログランキングへ
April 7, 2013
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キングスパイダー(DVD) ◆20%OFF!価格:4,032円(税込、送料別)【送料無料】キングスパイダーVSメガデストラクター価格:4,536円(税込、送料込) 度外れた映画、桁外れの映画といったとき、一般には『アベンジャーズ』のようなメジャーな大作映画を想像するかもしれないね。 これは度外れ、桁外れの方向が大きくプラスに振れた場合だ。 その反対に、ぐーっとマイナス方向に外れた超マイナー映画もある。 メジャーな映画は、多くの人が快哉を叫びながら、あるいは涙にむせびながら見る。 一方の超マイナー映画は、ほとんどの人が見向きもしない。存在を知らない。視野にも入らない。 超マイナーな映画ってのは、とってもチープで筋書きなんかは破綻しちゃってるものがありがち。どうして映画(DVD)として流通するのか疑問にさえ思う。 そうであるがゆえに、超マイナーな映画を見ることは、ごく限られた密やかな楽しみがある。 超マイナーを、メジャー映画と比較して、しょぼい、できが悪いなどと評価してはいけないと思うぞ。 マイナス方向であれ、度外れた、桁外れの存在であることは確かなのだ。見終わった後にはしっかり記憶に残るのだから。たとえ悪夢の残骸だとしても。 『キングスパイダー・シリーズ』(2本なんだけどね)は、まぎれもない超マイナー。 特撮とかホラーとかは、もともとはマイナーなジャンル。 ジャンルが先かマイナーが先かってなもんだ。 それが好みなんだから仕方がない。 まずは一作目の『キングスパイダー』 アメリカ軍が開発していた生物兵器クリーピーズ(殺人蜘蛛軍団)が逃げ出した。 さらに、蜘蛛たちは合体し、巨大蜘蛛となってハリウッドを襲う! この映画で脳裏にこびりついたのは、箱庭特撮だ。 東宝特撮などは、スタジオにセットを組み、遠近法を活用するなどして距離感や奥行きを出していた。 そこまでの予算もスペースはなかったんだろうな。 まずカメラが動かない。 日本が世界に誇る巨匠のようにカメラは固定だ。(恐れ多くて名前は出せない) そのカメラがとらえるのは、テーブルの上につくったミニチュアセットか(だからカメラは動かない。動くスペースがない)。 うーん、こんな特撮映像を見ることができるなんて。 そして第二作の「キングスパイダーVSメカデストラクター」だ。 今度はクリーピーズがラスベガスを襲う。 この映画のスタッフは、東宝特撮が好きなんだろうな。怪獣の鳴き声、東宝特撮から流用してるよ。 さらに、東宝特撮のベストメカともいえるメーサー殺獣光線車もどきが登場する。 オリジナルのメーサー殺獣光線車は、パラボラの先端から光線を発射する。 ところが、もどきの方は、パラボラの部分が長方形の板なのだ。 板角のえびせんべいやヨックモックなど、缶箱の詰め合わせがある。 あの缶箱のふたを彷彿とさせるのだよ、長方形の板は。 メカデストラクターはもっとすごいぞ。さすがにタイトルロールだ。 メカデストラクターとは、対怪獣戦用の巨大ロボットだ。 この巨大ロボットが巨大蜘蛛とバトルする。 が、しかし、巨大ロボットと巨大蜘蛛の闘いとして見るには、想像力が必要だ。 棒の先に人形がついているのを動かす人形劇があるじゃない。 あんな感じのをぶつけあっている雰囲気なんだよね、キングスパイダーVSメカデストラクターのバトルは。 東宝特撮にも、基本着ぐるみで巨大怪獣の激闘を見せながら、遠景では部分的に怪獣の手人形を使う場合がある。 だが、キングスパイダーVSメカデストラクターは画面いっぱい、全面的に棒人形状態だ。 さすがに棒は見えないけど、いつかは棒人形から迫力映像にチャンジすると見ていたが、なかった。 うーん、リーズナブルな特撮映像に徹底しているな。 メジャーの映画は、手間隙、金をかけて、見るものを圧倒する映像を作り出す。 超マイナー映画は、作り手の思いに、技術やセンスや予算がついていかない。 そのギャップが、度外れた、桁外れの(マイナス方向に振り切った)映像を生み出す。 そこんとこが楽しい。人気ブログランキングへ
March 10, 2013
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【送料無料】【新作ポイント5倍】グラバーズ [ リチャード・コイル ]価格:2,993円(税込、送料込) 『グラバーズ』と『アタック・ザ・ブロック(2011)』が、レンタルビデオ店に並んでいた。 どちらもイギリス映画で、宇宙からモンスターが飛来してきて、ある人間集団が迎え撃つ話らしい。この人間集団は、軍隊などのプロではない。 こっちにしようか、あっちにしようか、しばし逡巡した末に『グラバーズ』にした。 決め手は、『グラバーズ』のパッケージにあった「巨大モンスター」という表示だった。 やっぱ巨大モンスターには惹かれるわ。 アイルランドのとある島の海に、宇宙からの飛行物体が落下する。 そして、漁船が何ものかに襲われる。 ついで、ゴンドウクジラが何頭も砂浜にうちあげられて死んでいる、という怪奇現象が続く。 じつにオーソドックスなモンスター映画の展開なんだ。 アイルランドのとある島、そうイギリス製古典的怪獣映画『怪獣ゴルゴ(1960)』の舞台と同じだ。 『怪獣ゴルゴ』を想起しながら、基礎基本に忠実な、クラシックなモンスター映画でもいいんだよ、イギリス人気質の手堅いモンスター映画なのかな、と優しげな気持ちで見守る。 ところが、あるできごとを境に、映画は俄然個性を発揮する。 モンスターを警察官などのグループが確認し、なおかつそのモンスターはアルコールに弱いことが分かる。 そうしたら、警察官などは、住民を島に一つのパブに集め、ガンガン酒を飲ませるのだ、店に酒がなくなるくらいに。 警察官たちも、体内にアルコールを取り入れておかないと、モンスターに血を吸われてしまうっていうんで、みんな酔っぱらいさ。 モンスターが迫っているのに、島の住民あげてのどんちゃん騒ぎ。 これまでのモンスター映画にはない、予想外の展開だ。 酒に酔った勢いで、無謀にもモンスターに突進していったりしてしまう始末。 ここらあたりの巨大モンスターが出現するシーンはいいなあ。 雨が降りしきる闇夜に、手前に人間を配置し、画面の奥から見上げるようなモンスターが迫ってくる。 このDVDを選択してよかったよ。 近いうちに『アタック・ザ・ブロック』も見るけどね。 そんでもって『グラバーズ』に登場するのは巨大モンスターばかりではない。 『グレムリン(1984)』を嚆矢として、『クリッター(1986)』『まんちいず(1987)』など、小モンスター軍団のうじゃうじゃ騒動映画がいくつか追随した時期があったけど、そういったうじゃうじゃワイワイのテイストもあるんですよ、『グラバーズ』には。 キャラクター的にグロという点では、『デッドリー・スポーン(1983)』の小モンスターがゾロゾロベトベト感でもある。 そしてエンディングは、あの頃よくあった、おなじみのあのパターンだった。 ふと気づいた。住民はみんな酒好きだけど、この島、子供のいない島か? 『怪獣ゴルゴ』には子供が出てきたぞ。人気ブログランキングへ
January 27, 2013
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【送料無料】ダーケストアワー 消滅 [ エミール・ハーシュ ]価格:2,582円(税込、送料別) 透明モンスターは嫌いだった。 そもそもこちらはモンスターのデザインや造形を見たいのに、「見えないんですぅ」とはなにごとか。 「何かいるぞ」って、ことさら大仰に周りが騒いでも、なんにも見えなければモンスターはいないもどうぜん。それは予算の都合か、手を抜きたいんでしょって思っちゃいます。 たとえ前半の展開は透明でもっていっても、後半はウルトラマンに登場した透明怪獣ネロンガのように、ちゃんと姿を現して大暴れしてもらいたいもんだ。 『ダーケストアワー 消滅』では、透明エイリアンが地球に攻めてくる。 しかし、これは緊迫感がありましたね。 ある夜、モスクワ全体が停電し、空から大量の発光体が降ってくる。 この発光体に触れた人、動物は、一瞬にして木っ端微塵に粉砕されてしまうのだ。 じつはこの発光体がエイリアンで、地上に降り立つと透明になる。 だからエイリアンがどこにいるかわからないんだけど、接触した人間は、パンと破裂して塵芥となり、空中にまき散らされてしまう。 これを目の当たりにしたら、誰でも慌てるよ。 そして、数日のうちにモスクワの街はゴーストタウンに成り果ててしまう。 かろうじて生き残った数人は、厳しい状況の中でなんとか活路を見出そうとする。 これが、エイリアンがまったく透明で見えないだけの存在だったら、人間は右往左往するばかりで、話も盛り上がりに欠ける。 だから、透明エイリアンが近づいてくると、電気系統が反応し、電灯がついたり機械が作動したりする。見えないけど、存在がわかるわけだ。 いつ透明エイリアンが襲ってくるかわからない。そんな緊張感の中で、突然電灯がピカピカし、車のワイパーが動いたりする。廊下などは、電灯がこちらに向かって点灯してくれば、エイリアンも接近してくるわけだ。 とにかくエイリアンに触れたら最後、一瞬で人体は消滅してしまうのだ。 そればかりか、主要登場人物だって、容赦なくポンポンと爆ぜてしまう。 今度は誰が犠牲になるのか。 透明エイリアンが圧倒的に有利な状況で、数名の人間は生き残りはどうすればいいのか。 この『ダーケストアワー 消滅』は、大作ではないし、斬新な映画というわけでもない。 しかし、透明モンスターを上手に使って、スリリングな流れをつくっていたぜ。 映画館に、観客は4人だけだったけど。人気ブログランキングへ
January 13, 2013
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【送料無料】バトルシップ 【Blu-ray】 [ テイラー・キッチュ ]価格:3,771円(税込、送料別) 『バトルシップ』はユニバーサル・ピクチャーズ100周年記念作品の大作映画である。 マイナー好みの当方にとっては、敷居の高さを感じた。 とはいっても、内容的にはエイリアンとの宇宙戦争だ。 文芸大作ではなく、キワモノの装いだから、まあいいか。 このところ『スカイライン -征服-(2010)』とか『世界侵略: ロサンゼルス決戦(2011)』など、エイリアンが地球に激しく攻め入る映画が多いように思う。『アベンジャーズ(2012)』もしかり。 それらはそれらなりに差別化が図られている。 『バトルシップ』においては、エイリアンと地球側との大海戦が大きな特色である。 いやいや、そればかりではない。 この映画では、軍人ヒーローやスーパーヒーローだけが世界を救うのではないのだ。 退役軍人である老人、戦傷者が大活躍する。 あるいは、逃げ出したおたく科学者が、意を決して人助けに戻ってくる。 さらに、アナログ兵器が最後の手段として復活し、エイリアンに挑む。 ユニバーサル・ピクチャーズ100周年、時間は過ぎ去ったのではない。積み重なっているのだ。人気ブログランキングへ
October 14, 2012
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【中古】美品! メガ・ピラニア/ポール・ローガンDVD/洋画SF価格:1,967円(税込、送料別) ジョー・ダンテの『ピラニア(1978)』が、すでに『ジョーズ(1975)』の亜流だった。 そのリメイクである『ピラニア3D(2010)』が世に出るのに便乗したのが『メガ・ピラニア』なんだ。 しかし、パチモンは大好きだ。 パチモン怪獣のブロマイドなんかは、本家の怪獣の写真よりじっくり見る。 ぱっと見ではガメラなんだけで、角があったりしてガメラとはちがう怪獣にしてある。 危なく、イージーな変更がじつに楽しい。 『メガ・ピラニア』も、正規の『ピラニア』ではやってないことを見せてくれる。 それは巨大化である。 また、とてつもない超生物化でもある。 「メガ・ピラニア」は、尋常でないスピードで倍々と大きくなっていく。 瞬く間にウルトラマンと闘えるほどに巨大化し、街を襲う。 それも、一尾じゃないからね。群れだから。 ウルトラ兄弟総動員しなくちゃいけない。 そして、まったく手が付けられないほどに強力化する。 なんと、核兵器も歯が立たないほど。 しかし、意外な撃退方法が隠れていた。 あるいはおマヌケな方法ともいえる。 このお気楽撃退方法は、『怪獣大決戦ヤンガリー(2000)』を思い出させた。 パチモン怪獣カードやパチモン映画って、脳みその凝りがほぐれまっせ。 人気ブログランキングへ
July 22, 2012
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【23%OFF!】メタル・トランスフォーム(DVD)価格:3,880円(税込、送料別)【23%OFF!】マックィーンの絶対の危機 -デジタル・リマスター版-(DVD)価格:3,072円(税込、送料別)【23%OFF!】吸血鬼ゴケミドロ(DVD)価格:2,263円(税込、送料別) 宇宙からは得体の知れないものが落ちてくる。 『マックイーンの絶対の危機(ピンチ)(1958)』 原題は『The Blob』。blobとはハチミツみたいな粘り気のある塊のこと。 粘菌状とか人食いアメーバとも表現される物体が、隕石に付着して地球に落ちてきた。 人間及び動物等を捕食し、やがて街を飲み込むほどに肥大化する。 『吸血鬼ゴケミドロ(1968)』 空飛ぶ円盤の出現とともに、アメーバ状の宇宙生物ゴケミドロが地球に飛来。 人間の額がパックリ割れ、ゴケミドロはそこから体内に侵入し、他者の血を吸う。 そして『メタル・トランスフォーム』 宇宙空間で隕石がロシアの人工衛星を直撃。 人工衛星はアメリカ、アイダホ州のとある街に落下。 人工衛星の残骸に宇宙バクテリアが付着していた。 宇宙バクテリアは、スクラップで組み立てたオブジェ、アイアン・ゴーレムに取り憑く。 宇宙バクテリア=アイアン・ゴーレムは、血液の鉄分を狙って人々を襲う。 鉄の破片などを溶接でつなげていったゴーレムに関節があるとは思えないんだが。 そんなことより、建物の影からヌッと現すその姿は、鉄人28号の悪役ロボットを彷彿とさせた。 宇宙からは、キング・ギドラもトランスフォーマーもやってくる。 しかし、このドロドロベトベトした不定形モンスターって、チープさとともにリアリティもある。 もしかしたら、造形的にもアイデア的にも予算的も、手抜きかなって思う。 その反面、ドロドロベトベトの原初的生物だったら、他の惑星にいたとしてもおかしくない。 地球にも『カルティキ(1959)』がいた! 不定形モンスターはシンプルなだけに、キング・ギドラもトランスフォーマーよりもかえって存在感がある。 ときどき、妙に食べたくなるインスタントラーメンのテイストに似てる。人気ブログランキングへ
July 1, 2012
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【送料無料】仮面ライダー THE MOVIE BOX価格:18,900円(税込、送料別) 『ゴーゴー仮面ライダー』は、てっきり劇場版オリジナル映画だと勘違いしていた。 今回DVDで初めて見て、テレビ番組の第13話『トカゲロンと怪人大軍団』の再編集版と気づいた。 第二弾、第三弾の『仮面ライダー対ショッカー(1972)』『仮面ライダー対じごく大使(1972)』のいずれも劇場版オリジナル映画だった。『対ショッカー』『対じごく大使』は公開当時に見ている。その印象から、劇場版『仮面ライダー』は3本とも映画用の新作と思い込んでたみたい。 勘違いした理由はもうひとつある。 たいていテレビ番組の『仮面ライダー』には、怪人は一体しか出てこない。 ところが『ゴーゴー仮面ライダー』には11体もの怪人が出てくるのだ。 『対ショッカー』では、地獄谷で仮面ライダー1号2号が再生怪人軍団に取り囲まれる。崖の上に次々と姿を現すショッカー怪人を見て、鳥肌が立った。封切り当時、映画館で「やっぱテレビとはちがうわ」と劇場版ならではの豪華さを味わったものだ。 よく知られていることだが。仮面ライダー本郷猛役の藤岡弘は、『仮面ライダー』の撮影中に大けがを負っている。 そのため、急遽2号ライダー一文字隼人が登場するわけだが、その間、本郷猛が不自然な形で出演する話がいくつか存在する。 『トカゲロンと大怪人軍団』は、藤岡弘が入院中につくられている。だから、素顔の本郷猛はあまり姿を現さない。 でも、劇場版オリジナル映画だと思って見ていたから「そうか、藤岡弘が休んでいても、映画を作っちゃったんだな。スケジュール上仕方なかったのだろう」なんてことをぼんやり頭に浮かべていた。 そんなところへ怪人トカゲロンが登場した。 「あれ?トカゲロンって、確かテレビに出ていたはず」 劇場版オリジナルには、特典として新怪人が登場するのがお約束。 だから、メインの怪人がトカゲロンということはありえない。 「これってテレビ番組の再編集版じゃないか」 そういう目で見ると、画面の粒子が粗いし、画面の人の顔と足が変に映っていなかったりする。 もともとテレビ用の画像をシネスコサイズの映画にすると、そういうことになる。 『対ショッカー』『対じごく大使』も画像はきれいだ。 というか、制作会社の東映の画像は、奥行きがあってクリアだ。 元祖東映スーパーヒーロー『七色仮面(1959~60)』は、テレビ放映と同時に劇場でも公開していたため(テレビが普及していなかったからか?)、画像が鮮明だった(ビデオテープで見たとき)。 そんなこんなであらためて「仮面ライダーは見ているようで見ていない」ってことを認識した。 ウルトラマンだったら、テレビ版と劇場版を取り違えるようなことはありえない。 だから、あらためてテレビ版『仮面ライダー』を第1話から見直すことにした。 それにしても、初代ウルトラマンの怪獣及び『仮面ライダー』の怪人は存在感があった。人気ブログランキングへ
June 3, 2012
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【送料無料】第7鉱区【Blu-ray】価格:2,953円(税込、送料別)【送料無料】【ポイント3倍映画】エイリアン【Blu-ray】価格:3,948円(税込、送料別)ガンマー第3号 宇宙大作戦 【DVD】価格:2,323円(税込、送料別) 韓流のドラマも映画もよく知らないが、モンスター(クリーチャー)ものは見るよ。 非日常を映し出すモンスター(クリーチャー)映画は、時空を超えて存在する。 『第7鉱区』は、同じ韓国製でも、『怪獣大決戦ヤンガリー(2000)』や「D-WARS(2007)」のようなオトボケ怪獣特撮映画ではない。 『グエムル-漢江の怪物-(2006)』のようなシリアス・クリーチャーだ。 オトボケとシリアスは、モンスター映画の指標ではないけどね。 シリアスであればいいってもんじゃない。 『第7鉱区』の部隊は東シナ海の石油ボーリング船、つまり孤立無縁状態。 そこに凶暴なクリーチャーが出現する。 そして、闘うヒロインがたった一人で・・・。 あれ? これって『エイリアン(1979)』? 『エイリアン』は航行中の宇宙貨物船という密室空間にクリーチャーが・・・。 『エイリアン』の衝撃から早30年余。 その間に、『エイリアン』のストーリー、設定、クリーチャー等をいただいた映画をいくつも見てきた。 そして、未だにこういう換骨奪胎の映画がつくられるとは。 しかし、東映映画『ガンマー第3号 宇宙大作戦(1968)』を見ると、そこに偉大な『エイリアン』の原型がある。 モンスター(クリーチャー)映画は、時空を超えて存在する。 人気ブログランキングへ
May 28, 2012
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メーカー希望小売価格から50%OFF!ウルトラマンサーガVSハイパーゼットン (プレイヒーローVS ...価格:198円(税込、送料別) マグマ光線を吐きながら、無人のビル街を闊歩するアーストロン。 そこへ現れるウルトラマンダイナ。 ゆっくり歩む姿から入り、ビルの窓ガラスに巨体が映る様はワクワク感がある。 また、クライマックスとなるウルトラマンサーガとハイパーゼットンのバトルも迫力ある画面だった。 しかしながら、ストーリーに浸ることはできなかったんだなぁ。 「グビラはただ興奮してただけなんだ」 怪獣の気持ちを落ち着け、優しく帰す慈愛の勇者ウルトラマン・コスモス。 そう、怪獣は怪獣という存在で、人間と共存できないだけ。 何が何でも怪獣を悪者扱いして、退治すればいいってもんじゃない。 いいんだけど、ダイナが簡単にアーストロンを粉砕しておいて、そのあとでコスモスの慈愛もないだろうよ。 さらに、ダイナ、ゼロと一緒になってサーガに変身しちゃったら、コスモスの慈愛の精神もなくなっちゃいましたね。 極め付けは滅亡の邪神ハイパーゼットン。 単体のウルトラマンはおろかダイナ、コスモス、ゼロの三体を同時に相手したって、ハイパーゼットンは圧倒的な強さを見せつけるぞ。 ああ、それなのに。 なんでバット星人は、わずかな人数しか残っていない星に、宇宙最強怪獣ハイパーゼットンを投入するんじゃあ。 そんな星は、放っておけばいいんです。 バット星人、コストパフォーマンスまちがってるよ。 そして、この映画を見に行って最も残念だったこと。 劇場限定版ゴメスが売り切れだったぁぁ。人気ブログランキングへ
March 25, 2012
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【送料無料】モンスター・マウンテン価格:4,536円(税込、送料別) 怪獣映画は「間欠的強化」だ。 「間欠的強化」とは、例えばギャンブルで、たまに当たるとハマってしまうというものである。 ほぼ毎回スってばかりで損をしている中で、1回でも儲けると、その落差からすっごい快感を味わう。そして、その快感を求めて病み付きになってしまう場合がある。 怪獣映画では、『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』みたいにこちらの熱い期待に応えてくれるものが10年に1本くらい出現する。そうすると、やればできるじゃないかという気になり、さらに怪獣映画を求めてしまう。 というわけで、どこかにまだ見ぬ意外な掘り出し物があるんではないかと、性懲りもなくレンタルDVDを漁り続けている。 思えば、子供の頃に『モスラ対ゴジラ(1964)』で怪獣映画にハマった。この映画には、見る前の想像を圧倒的に凌駕する映像があった。 しかし、そうでないものも多々あった。 そんなときはどうするか。 自分で、映画を脳内再構成するのだ。 例えば、『三大怪獣地上最大の決戦(1964)』では、ゴジラがキング・ギドラの3本の首のうちの1本を空手チョップで叩き折ってしまうというような場面を付け加えた。 これは、後に『ゴジラVSキング・ギドラ(1991)』で、似たようなシーンが実現した。 では、『モンスター・マウンテン』はどうか。 想像力を刺激されること、この上ない映画だった。 まず、煽りはすごいです。 「伝説の怪獣が復活する」と学者が叫び、地震が起き、地域住民は避難する。 そして、政府から、怪獣の襲撃を防ぐために、エージェントが派遣されるが、流しのセールスマン風のが一人だけ。 ここは、せめて特殊装備を身にまとったチームを登場させよう。 さらに、マウンテン・モンスターについては、山の中に留まらず、里に降りてきてもらいましょう。 『大魔神(1966)』の魔神様のように、山奥から城下へと姿を現し、大暴れする様子を想像するといいね。 今回のマウンテン・モンスターは、かなりの偉容ですので、縦横無尽に建物を破壊すれば、じつにスペクタクルなシーンになります。 そして、マウンテン・モンスターを倒す方法は・・・。 な~んて考えて、一本の映画を咀嚼し尽して楽しむわけ。 こうすれば、「間欠的強化」にも勝てます!
December 10, 2011
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【送料無料】メガ・パイソンVSギガント・ゲイター価格:4,536円(税込、送料別) 人は、自分の存在を認めてもらいたいものだ。 幼い子供が、わざと叱られるようなことをするのも、親の気を引きたいがため。 デビー・ギブソンとティファニーは、80年代後半、ともに一世を風靡した歌手だ。 当時、洋楽に興味のなかったぼくでも名前を聞いている。 二人はライバルとして競い合う間柄だった。 時はすぎ、人の心は移ろいやすく、人気を二分したデビーとティファニーも、いつしか忘れ去られてしまった。 ところが、2009年、デビーはデボラ・ギブソンとして『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス』に主演する。 さらに、2010年、今度はティファニーが『メガ・ピラニア』の主役を務める。 この二作をつくったのは、アサイラム社だ。低予算でウケる映画の制作を目論んでいる。 古アイドルといえども、知名度のある二人だ。ジャンク・フードのような刺激を売り物にするアサイラム社はそこに目を付けたわけ。 そして、デビーの抜擢、ティファニーの起用とくれば、次に見たいのは二人の競演だ。 これは、ゴジラが出現し、モスラが登場したら、二大怪獣の対決が見たくなるのと同じこと。 アサイラム社は、ついに『メガ・パイソンVSギガント・ゲイター(2011)』でその夢の対決を実現した。 対決は、比喩的なことばではない。デビーとティファニーが、つかみあいの激しいバトルを展開する。 それだけではない。 『メガ・パイソンVSギガント・ゲイター)』には、なんとミッキー・ドレンツまで本人役で出演しているのだ。 ミッキー・ドレンツは、人気グループ、ザ・モンキーズのドラムを担当していた。 モンキーズは、イギリスのビートルズに対抗してつくられたアメリカのバンドだ。ビートルズ映画のテイストを持ち込んだテレビ番組『ザ・モンキーズ・ショー(1966~1968)』が放送された。 その番組の中で、ミッキー・ドレンツが、大勢のファンに囲まれてサインをし続けているうちに、手の動きが止まらなくなってしまい、そのままいつまでも空中でサインをし続けるというギャグをしていたことを覚えている。 『メガ・パイソンVSギガント・ゲイター)』でミッキー・ドレンツは、本人役として、昔の名前でイベント・ショーを行う。しかし、巨大生物に喰われてしまう。 それだけではない。 デビーもティファニーも、喰われてしまう。 デビーは、蛇を愛する科学者として、多くのパイソンを自然公園に放す。 ティファニーは、鰐を守るために、特殊なステロイド剤を鰐に与える。 この二人の行為が、メガ・パイソンとギガント・ゲイターの大量発生を招くことになるのだから、結末は喰われるしかないか。 ストーリー上では巨大生物に飲み込まれる二人だが、画面上は、デビーとティファニーが、メガ・パイソンとギガント・ゲイターを、完全に喰っている。 古アイドル=フルドルのお二人は、存在感をアピールできてよかったね。
December 4, 2011
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【送料無料】モンスターズ/地球外生命体価格:2,953円(税込、送料別) 見たいのはモンスターである。 どんなすてきな想像上の産物、造形なのか。 日常世界に、いかにして架空の生物が同居するか。 そこが見たい。 『モンスターズ/地球外生命体』は、モンスター映画のストーリーとしてはこれまでにないものだっだ。 NASAは地球外生命体を発見し、探査機でのサンプルを地球に持ち帰る。しかし、大気圏突入時にメキシコ上空で探査機に事故が起こしてしまう。そのためメキシコで地球外生命体が増殖し、国土の半分は危険地帯として隔離されてしまった。 カメラマンのコールダーは、メキシコにいる社長令嬢のサムを救い出すよう命令される。コールダーと修は、危険地帯をくぐり抜けて、アメリカにたどり着けるか、というもの。 で、危険地帯ではモンスターが大暴れ、かというとそうではない。 モンスターはなかなか出てこない。 けど、ストーリー的には退屈しない。 モンスターが出てきても、闇夜のシーンだったりする。 だから、全貌をよく確認できない。 『ゴジラ(1954)』『ゴジラの逆襲(1955)』では、ゴジラやアンギラスが出現するのは夜だった。そのため、どんな姿形なのかがよくわからない。 その後、ゴジラ・シリーズは、昼間の場面もある。しかし、動きがあるからディティールまで見切ることはできない。今のように豊富な写真資料や精巧なソフビ等があるわけじゃなかったからね。 モンスターじゃないけど、『七色仮面(1959~60)』というスーパーヒーローのテレビ番組があった。七色仮面そのものが見たくてしょうがないのに、ラストにちらっと顔見せ程度ということがたびたびあった。 見たいものが見たいように見られないと、もどかしいから必死に見る。 きっとまだ満足していないから、大人になった今でも怪獣やスーパーヒーローを見続けているのだろう。 この映画のモンスターは、イカ、タコ系の軟体触腕生物だ。西洋人はそれらをデビルフィッシュなどと呼ぶ。友人のオーストラリア人は、飲み屋でイカ、タコを何度か勧めてみたが、首を振って絶対に食べない。H・P・ラブクラフトの小説に登場するあのクトゥルフが、タコ、イカ系なのは、やっぱりそういう存在なんだろうな。 日本の怪獣でいえばドゴラ、ゲゾラ、イリスあたりが触腕を不気味に蠢かせる。 そういえばドゴラもなかなかスクリーン上に姿を現さなかった。 暴れ回る全体像を見せたのは、やはり1回だけだった。 しかし、あちらのモンスターは、元祖キング・コングからして光線を出すとかする特殊な能力があるわけではない。 日本の怪獣映画を見慣れた者にとっては、特殊能力があってこそ非日常的、非現実的な生物だと感じることができる。 たとえば像だって、昔の日本人が初めて見たら怪獣に見えたかもしれない。 地球外生命体も、見慣れたらただの生物だったりして。 と思ってると、地球は大変なことに・・・。 やっぱり象とはちがう。
November 27, 2011
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【送料無料】最強のウルトラマン・ムービーシリーズ Vol.1 長編怪獣映画 ウルトラマン価格:3,402円(税込、送料別) 「ウルトラマンをカラーで見よう!」 テレビ番組『ウルトラマン』はもともとカラー作品のはず。 それなのに、「カラーで見よう」とはいかに。 これは特典映像の予告編に入っていたコピーだ。 カラーテレビがなかったのはうちだけかと思っていた。しかし、このコピーを見ると、まだまだ日本の家庭にカラーテレビはなかった、そんな時代だったのだ。 現在に置き換えてみると、「3D」かな。あと何十年かたってから、今現在の予告編を見たときに、「あの時代はまだ家庭に3Dモニターが行き渡っておらず、3Dが映画の売りになっていたんだ」と振り返るようなことがあるかもしれない。 『長編怪獣映画ウルトラマン』は、『キング・コングの逆襲(1967)』との二本立てで夏休みに公開された。 前年の夏休みは『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966)』とマンガ映画(当時はアニメという言葉はなかった)の『ジャングル大帝(1966)』だった。 映画会社としては、子供が好きなのは怪獣とマンガだ、その組み合わせなら客が呼べると判断したのかもしれない。しかし、特撮を渇望する子供にとっては、マンガ映画なんてまさに添え物にすぎなかった。 天下の特撮東宝がマンガ映画を出してきてはいけない。 その点、1967年の夏休み怪獣映画二本立ては、まさに我が意を得たりというところだった。 『ジャングル大帝』も『長編怪獣映画ウルトラマン』も、テレビ番組の再編集版である。いってみれば二次利用だ。『ジャングル大帝』は「もうテレビで見たよ」という印象だったが、特撮ファンにとっては、ウルトラマンと怪獣の対決をまた見られるなんて、願ったり叶ったりだった。 アニメはまさに絵空事。しかし、特撮は日常的な現実場面に、巨大怪獣などの非現実が侵入してくる映像がいい。 『長編怪獣映画ウルトラマン』には、ベムラー、レッド・キング、ゴモラなどのスター怪獣が登場する。それらとウルトラマンの名勝負は、テレビで見たあと何回も脳内リプレイしていた。 ところが「ウルトラ作戦第1号」の回に相当するエピソードでは、ベムラーは顔を見せるのだが、ウルトラマンが登場しない。 今見るととっても不自然なのだが、当時はそんなこと感じなかったようだ。 もう一度ウルトラマンや怪獣を見ることができるのがただひたすら嬉しくて、むしろ出し惜しみしたウルトラマンがようやく姿を現したときに拍手喝采を送ったのだ。「ウルトラマンをカラーで見よう!」の時代は、なんでもありがたかったのだ。今は失われた感覚だね。
November 6, 2011
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【送料無料】ディノシャーク価格:3,182円(税込、送料別) ディノシャークは、普通の鮫じやない。太古の鮫が現代に蘇ったのだ。 これはどういう意味かというと、モンスターを宣言しているのだ。 モンスターだからね、『ジョーズ(1975)』のホオジロザメより数段グレードアップしていなくちゃいけない。モンスターなんだから、現実ばなれした見せ場を期待した。 実際に、海中からジャンプして、ヘリコプターに食らいつき、海に引っ張り込んだ。 だが、『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス(2009)』のメガ・シャークは、同じようにしてジャンボジェットを撃墜した。そして、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジも噛み砕いてしまった。 すでにここまでやってるのだから、ディノシャークもヘリ落とし以上のモンスター・パワーを見せてほしかった。 さらに、ディノシャークはモンスターだから、表皮が異常に固い。弾丸はもちろん通常の兵器なんかはへっちゃらさ。それで科学者が「目が弱点だ。目を狙え」ということになる。 しかし、せっかく主人公達が少なくない数の手榴弾やロケット弾を軍隊からかっぱらってきたのに、一発、二発しか使わないのだ。考えられないくらい固いということをもっと強調すれば、目を狙うしかないところに価値が出てくる。 そのためには、景気よく手榴弾を投げ、ロケット弾を撃ち込んでほしかった。 何も軍隊を出動させてくれといっているわけじゃない。もっとモンスターをかわいがってほしいだけ。
May 10, 2011
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インパクト・ゼロ 【DVD】価格:3,591円(税込、送料別) 『インパクト・ゼロ』というタイトルは、「インパクトなし」と読み取れる。 もちろん、そんなネガティブな意味ではないはず。 『インパクト(2005)』『インパクト2(2006)』という映画がある(らしい。見てない。興味ない)。これはストーリーや登場人物等はまったく関係ないのだが、ただ潜水艦が登場するという理由だけで無理矢理シリーズに仕立て上げられたようだ。その第三弾として、『インパクト・ゼロ』に至ったとのこと。 確かに、『リング0~バースデイ~(2000)』『CUBE ZERO(2004)』はたまた『ウルヴァリン: X-MEN ZERO (2009)』のように、シリーズの時間を遡った映画がある。しかし、もともと『インパクト』はシリーズではないし、『ゼロ』は時代的に昔の話でもない。 それらのヒットしたZERO映画から、タイトルを流用しちゃったということもあるだろうが、ぼくは違うルートを感じる。このタイトルと同時に、映画に登場する潜水艦や海底都市等から、1本の東宝特撮映画の英語タイトル『LATITUDE ZERO』を連想するのだ。その特撮映画とは『緯度0大作戦(1969)』である。ふたつの映画は、潜水艇の乗組員を正体不明の潜水艦が救助したり、海底ユートピアにまつわる話だったりと、やっぱり似ていると感じる。 しかし、『インパクト・ゼロ』は、ジュール・ヴェルヌのSF冒険小説『海底2万マイル』の映画化なのである(原題は”30,000 Leagues Under the Sea”)。 おそらくDVDの発売元に、特撮映画マニアがいて、『緯度0大作戦』と結びつけてタイトルをつけたのではないか。と、推測する。 じつはこの『インパクト・ゼロ』は、あのアサイラム社(The Asylum)の映画なのだ。 アサイラムは、低予算、短期間撮影、他社の話題作等の模倣、便乗を得意としている。それらが、アサイラムのジャンクな味わいとなっていて、後を引いたりする。 『インパクト・ゼロ』も、さすがアサイラムといった展開だった。 注目すべきはクライマックス。 ネモ船長-この映画ではなんと悪の帝王!-が、核ミサイルを発射して地上世界を壊滅させようとしている。 それを阻止しなければならない主人公達なんだが、なぜか潜水艇で、深海に沈んだ米軍潜水艦の救助に向かう。潜水艦の乗組員が助かったとして、その間に世界が消滅したら、どうする? 途中、海草が潜水艇の「プロペラ(映画の中では確かにそう言っているが、スクリューのまちがいだろう)」に巻き付き、動かなくなる。それを女性将校が泳いではがしにいくが、見ているこっちは水圧は大丈夫かと心配になっちゃた。そんなこんなの騒ぎの中でミサイルのカウントダウンが進むが、なんだかスリルとサスペンスに無理を感じるんだなぁ。 という具合に、『インパクト・ゼロ』は、「インパクトなし」ではなく、ある意味強烈な「インパクトあり」の映画でした。
May 4, 2011
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コモドVSキングコブラ価格:4,536円(税込、送料別) 巨大生物なんてのは現実にいるわけじゃない。 メジャー系の映画では、虚構性が強くいろいろと無理がある内容でも、上手に理由付けをしたり見せ場をつくってそこから目をそらせるようにしたりする。 でも、マイナー系は、かなり強引な設定なり展開なりがある。もともとの脚本の質にも問題があるだろうし、十分に練っていく時間も取らないのだろう。「なんで?」「ちょっと待てよ」とひっかかるが、そんなところがじつに楽しい。 そこから出てくる味は、メジャーにはないものだ。ただそれをおもしろいと感じるか低級と感じるかは、意見が分かれるね。もちろん喜ぶ人は圧倒的に少ない。 さて、映画が始まると、ジャングルから抜け出して逃げ惑う3人組が登場。背後からは、早速巨大化したコモドが姿を現す。 この巨大コモド、周囲の景色から浮いている。 『世界終末の序曲(1957)』には、巨大イナゴが登場する。その一場面は、ビルのスチール写真の上に実物のイナゴを乗せて撮影してあった。特撮画像の工夫は分かっても、映像としての違和感は拭えなかった。今回のコモドはCG製だけど、そのイナゴの特撮シーンを彷彿とさせた。 3人は、コモドやコブラを巨大化する実験を行った科学者達だ。 中心人物である博士が叫ぶ「動くな」 静止する3人。コモドは、目の前の3人の存在に気づかない。 ところが、一人の男が耐えきれずに飛び出してしまう。 すかさずコモドが発見して一飲み。 しかし、後にこんな場面が・・・。 生存者達が脱出を試みるところへコモドが出現する。 急いで物陰に身を隠す生存者達。 その中の若い女が叫ぶ。「見つかる 嗅覚がすごく鋭いの」 ちょっと待った。 さっき博士は「動かなければ見つからない」と言ったはず。 この女は、さっきの博士の娘なんだけどー。 つぎ。 ある島で極秘動物実験が行われているとの情報を聞きつけ、環境保護団体が乗り込んでくる。 「軍の悪事を暴くぞ」と気勢を上げる環境保護団体のメンバー達。 島を探索していると一人の女が同じメンバーである兄に告げる。 「私、大統領直属の環境保護機関の研究員に任命されたの」 それを聞いて喜ぶ兄「よかったな。母さんも喜ぶぞ」 なんでじゃ? この環境保護団体は、体制側の不正を暴こうとしているはず。政府の機関に就職するような人は、わざわざ参加しないのではないだろうか。 確かにこの人たちは、スクープ狙いの売名行為グループとも受け取れる描き方をされている。深い思想性などないのかもしれない。 あるいはこの女性は、本当に環境を保護したいのであって、体制側でも反体制側でも関係ないという純粋な人かもしれない(そこまで考えちゃう?)。 そうであっても、軍を告発した人物とわかったら、危なくて大統領はその人を採用しないと思うけど。 最後。まだあるけど、そんなには書けない。 環境保護活動家達を含む生存者は、島から脱出するために進む。 途中、川を渡っているときに、活動家のジェリーが叫ぶ。「ギャー、背中が燃えるように痛い!」 見ると、巨大なヒルが3つもジェリーの背中にべっとりくっついている。 急ぎライターの火であぶってヒルをはがす。 ダメージの大きいジェリーだが、そこに止まるわけにはいかない。 ジェリーは、苦痛をこらえながら歩く。 「大丈夫か」とジェリーを気遣う生存者達。 だったら、だれかジェリーがしょっているどでかいバックパックを代わりにもってやれよ。 ジェリーは背中にひどい怪我をしているのだから。 よく痛そうにしながらバックパックを背中にしょって歩くよな、ジェリー。 それぞれの矛盾したエピソードに、あえて合理的な理由をあれこれ考えるのも楽しい。 バックパックは、背中に密着しない設計になってた、とか。 それにしても、けが人には荷が重すぎる。
January 22, 2011
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シャーロック・ホームズVSモンスター価格:4,536円(税込、送料別) 『mockbuster(モックバスター)』=模倣映画専門の「アサイラム社」作品。ロバート・ダウニー・Jr.主演の『シャーロック・ホームズ(2009)』への便乗を狙ったわけだ。 ところが、『VS.モンスター』とくるんだから、さすが「アサイラム」と期待しちゃう。 ぼくは基本的にミステリーは趣味じゃない。ミステリーは、現実的にはあり得ないことが起きたと見せかけて、最終的には現実に帰着する。そういった現実ベースではなく、非現実に突き抜けた話が好きだ。 これまでも『シャーロック・ホームズの冒険(1970)』や『ヤング・シャーロック-ピラミッドの謎(1985)』でネッシーが現れたり、ステンドグラスの騎士が動き出したりした。けど、じつは潜水艦だったとか幻覚剤の影響だったとかで、シャーロック・ホームズが非現実の事件に挑むことはなかった。だから、シャーロック・ホームズはぼくの守備範囲からいつもはずれた。 しかし、今回はあの「アサイラム」だから。パッケージを見ても恐竜やドラゴンが描かれているし。ついにシャーロック・ホームズが超現実のモンスターと絡むのかと興奮しちゃった。 まあ、結論からいうと、残念ながら、本物の恐竜やドラゴンではなかった。平たくいえばロボットだね。 ミステリーでは、超常現象は起きない。あたかも死人が幽霊として呪いをかけ、人を殺したと見せかけるが、真犯人はしっかりと生きている人間である。そんなとき、(架空の設定としての)本物の幽霊を出してよ!と言いたくなってしまう。いかに巧妙なトリックだろうと、超常現象が起きない話は好みではない。だから僕はミステリーに向いてない。 『ホームズの冒険』や『ヤング・シャーロック』のネッシーやステンドグラス騎士も、ホームズが推理、捜査の結果、秘密を暴き、真実が解明して、楽しい非現実から退屈な現実の世界に呼び戻されると途端に脱力する。 だが、『VS.モンスター』のロボット恐竜およびドラゴン、さらにはアンドロイドやサイボーグなど、超常現象ではないけど、超現実としての満足感を味わわせてくれるぞ、それなりに。だって、あり得ない話だもん。19世紀に、しかも科学者でも何でもない元警官がそれらをつくちゃうし。 さすが「アサイラム」。 そりゃあ、(映画の世界での)本物のモンスターがホームズと対戦する映画を見てみたいけど、ホームズのキャラクターからすれば、そこまで行っちゃっうことはできない。だから、『VS.モンスター』は、ホームズの限界点までよくやってくれた。 モックバスターは、あざとく行かないとね。
December 11, 2010
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【DVD】昆虫怪獣の襲来洋画価格:1,500円(税込、送料別) 控え目に言って、ぼくの原体験は怪獣だ。あるいは、DNAに怪獣がすりこまれているかもしれない。とにかくぼくのエモーションは怪獣、モンスター類に反応する。低予算怪獣映画だって、じつに楽しい。 『昆虫怪獣の襲来』はかなり時代を反映している。 ときは、有人宇宙飛行が実現する前のこと。人間が宇宙空間に出る前に、まずは動物実験というわけで、サルやスズメバチをロケットに乗せて打ち上げていた。 ところが、スズメバチを乗せたロケットが故障し、アフリカの密林地帯に落下する。そして、宇宙線を浴びたスズメバチが、どうやらモンスター化したらしい。 責任を感じた科学者のブレイディとモーガンは、アフリカに飛ぶ。 そこからが長い。とにかく、目的地まで、約一ヶ月歩いていくのだ。当時アフリカとはそんな場所だったのだろう。その間に、一行は原住民に襲われたり、病人が出たり、と、昆虫怪獣の襲来までにはずいぶん気をもたせる。 ぼく自身にも覚えがある。この頃の怪獣映画については、いつ怪獣が出るか、どんな怪獣が出るかといった単純な興味・関心・期待で見ていた。怪獣映像が貴重な時代だったのだ。だから、展開がまどろっこしくても、固唾を飲んで見守っていたと思う。 さて、いよいよお待ち兼ねの昆虫怪獣の登場だ。 なかなか造型がいい。おそらく、『放射能X(1953)』の巨大アリと同じように、大きなはりぼてスズメバチを作って撮影したのだろう。けっこう迫力がある。デザインも単なる大きなスズメバチではない。ずいぶんがっしりしている。デフォルメされていたり、羽が小さかったりするのは、製作上の問題かもしれない。けれど、全体ロボットのような質感で、モンスターとして納得できる。 そして、岩陰からのっそりと姿を現す超巨大スズメバチは、光学処理がしょぼいんだけど、怪獣の大きさが感じられて嬉しい。 何よりも、スズメバチと大蛇の対決がすばらしい。この部分は、ストップモーションで撮影されている。大蛇がスズメバチの脚などに巻き付いていくのだけれど、針で刺されて絶命する。 科学者たちは、新型強力手榴弾で巨大スズメバチと闘うが、全然敵わない。あわやというところで、九死に一生を得る。そのあたりの展開は、かなりおざなりな印象があった。 しかし、『昆虫怪獣の襲来』は、見ていて幸福感を感じた。昆虫怪獣の部分だけ、何度も見たい。 昆虫は、拡大写真などで見ると、ずいぶんロボットのようなシルエットをしている。
August 15, 2010
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【送料無料選択可!】プレデターX / 洋画価格:3,551円(税込、送料別) ザ・デストロイヤーは、白覆面の魔王と呼ばれ、一世を風靡した名レスラーだ。 それにあやかって、スーパー・デストロイヤーというプロレスラーが出現した。この二人、体格も覆面のデザインも異なる。アメリカでは、タッグを組むなどの関連性や接点はなかった。 もし、後者が勝手にザ・デストロイヤーを名乗ったとしたら、本物からクレームがつくだろう。しかし、スーパーだから。「お前が本家デストロイヤーなら、おれは本家スーパー・デストロイヤーだ。何か文句ある」と開き直っちゃうわけだ。 さて、『プレデターX』だが、あのアーノルド・シュワルツェネッガーが主演した『プレデター(1987)』から始まるシリーズとは無関係。「本家プレデターX」なのだ。うっかりまちがえてDVDを借りたりしないように。 なお、原題にはプレデターという言葉は入っていない。『プレデターX』は日本でつけられたタイトルだ。 ぼくはそういった胡散臭いものは大好きだ。敢えて紛らわしさを好み、そういう映画を選んで見ているのだ。内容的にはZ級でも、そこが楽しい。 しかし、一点看過できないところがあった。 この映画は、巨漢の、プロレスラーのような白人と黒人の兄弟が主人公だ。なぜ白人と黒人が兄弟なのか、この点に疑問をもった人は映画を見てください。地獄へ道連れじゃあ。 白人と黒人の兄弟という設定が看過できないのではない。 最終的に、この巨漢ブラザーズがタッグを組んで、異星から来たクリーチャーと肉弾戦で闘う。ここが、ぼくとしては納得できない。 クリーチャーやモンスターは、特殊な存在だ。たかだか人間ごときが、例え巨漢の二人組であろうと、特別な武器ももたずに渡り合ってはいけないのである。 本家『プレデター』では、職業軍人のシュワルツェネッガーが、作戦を練って決死の覚悟で挑んでいった。同じように、もし、この二人がプロレスラーであるとか格闘家であるとかの闘いの専門家として対決するのならまだ許せるが。 誰かが言っていた。「虎の爪は、出刃包丁が何本もついているようなものだ」と。熊の爪だって五寸釘が並んでいるようなものでしょう。前足の一振りで人間の皮膚なんかずたずたになる。虎や熊だって、ヘビー級のプロレスラーの二や三人は簡単に血祭りにあげてしまうだろう。 実在の猛獣だってそんなに凄いのだ。だったらクリーチャーやモンスターは、猛獣よりはるかに強く恐ろしい設定であるべきだ。 『モンスター・パニック(1980)』だったかな。半漁人みたいなのが現れて、街は大騒ぎになる。だが、人々が反撃に出て、そのモンスターを取り囲んで袋叩きにしちゃうんだよね。姿形や出自が特殊でも、そんな弱いもののどこがモンスターか。ぼくは情けなくなった。 新日本プロレスでは、腕に覚えのある者が道場破りに来ると、必ず叩きのめして帰したという。プロレスラーは、一線を画した強さを示していたのだ。 同じように、相手が熊や虎でも蹴散らすような圧倒的な能力を備えていて、初めてクリーチャーやモンスターと呼べるのだ。 スーパー・デストロイヤーは、名前こそ便乗型だったが、もともとは実力のあるレスラーだった。その後、日本においてザ・デストロイヤーと覆面レスラー世界一を賭けて闘った。 しかし、『プレデター』と『プレデターX』が交わることはない。 このブログは、『プレデターズ(2010)』とうっかりまちがえてアクセス数を増やすことを目的とするものではありません。時期的に紛らわしかったら、あしからず。
July 24, 2010
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【対象商品ポイント10倍】大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE価格:3,591円(税込、送料別) 屋上屋を架す。 屋根の上にさらに屋根を架ける。むだなことをするたとえ。 この映画のヴィランは、最凶最悪のウルトラ戦士ウルトラマンベリアルである。 ベリアルは、強大な力を手に入れようとしてダークサイドに墜ちたウルトラマン、早い話が光の国のダースベイダーだ。 こいつが最強の力を手に入れてしまったものだから、あのウルトラマン、ウルトラセブンなどのウルトラヒーローたちが束になってかかっていっても、だれも敵わない。光の国は、ベリアルに制覇されてしまう。 そして、ヒビノ・ミライ=ウルトラマンメビウスが叫ぶ。 「今こそ彼を呼び寄せるべきです」 「彼?」 「まだ若いけど、無限の可能性を秘めた戦士がいるんです」 で、その無限の可能性を秘めた戦士、ウルトラマンゼロが光の国を救うわけなのだが、ぼくはこの展開は好きではない。 スーパーヒーローとは、常人とは一線を画した存在である。常人が、スーパーヒーローに期待するのは、自分たちの力の及ばない難問題の解決だ。難問題とは、通常の存在ではない怪獣であり、宇宙人の脅威である。 では、これまでのウルトラマンたちでは歯が立たない難敵に立ち向かうウルトラマンゼロは、スーパーヒーローとは一線を画した存在なのか。スーパースーパーヒーローというわけか。 とすると、ぼくたちがあこがれを抱いた初代ウルトラマンなどは何だったのか? ここのところ劇場版のウルトラマン映画は、いい味を出していた。『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟(2006)』『大決戦!超ウルトラ8兄弟 (2008)』では、新旧ウルトラマンが協力し合って強敵を打ち破った。 そこには序列はなかった。 しかし、今回圧倒的なパワーを誇るウルトラマンゼロを登場させたことにより、過去のウルトラマンたちは格下の存在になってしまったのだ。 例えばPCは、いとも簡単に世代交代する。最新式だといわれて購入したPCもすぐに旧型になる。何の故障もなくハードが可動しても、ソフトや通信技術の進歩や、あるいはより便利になったなどの美名のもとに旧型は使い捨てにされる。ユーザーは、また新しいPCを買わされることになるのだ。 ウルトラマンの世界も、この先新しい映画をヒットさせるために、過去のウルトラヒーローをあからさまな脇役にして、スーパースーパースーパー……ヒーローを生み出していくのだろうか。 ウルトラマンゼロは、セブンの必殺アイスラッガーを引き継ぎ進化させて、ダブル・アイスラッガーの使い手となっているだ。 この伝でいくならば、つぎのウルトラマンはトリプル・アイスラッガー、そのつぎはクアドラプル・アイスラッガー、そしてまたクインティプル・アイスラッガー、と続くよどこまでも。 ぼくたちのウルトラマンは、最強だった、はず。 けど、今年も行くぞ。ウルトラマンフェスティバル!
July 19, 2010
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キラースネーク価格:4,536円(税込、送料別)人喰い映画祭〈満腹版〉価格:1,260円(税込、送料別) とみさわ昭仁著『人喰い映画祭【満腹版】』は、久々に熱中し、途中で投げ出さずに読んだ本だった。 その前に、一気に最後まで読んだのは元週刊プロレス編集長、ターザン山本の『「金権編集長」ザンゲ録』。これは蛇足。 『人喰い映画祭【満腹版】』。僕自身は、人喰い映画という括りに心を動かされるものではない。Z級映画、サイテー映画、とんでも映画、アホ映画の類いに引き寄せられるのだ。 Z級映画は、ハイストレンジネスなテイストがある。 ハイストレンジネスとは、常識や理屈を基準としたら、思考が及ばない世界だ。プロレスでも味わえるけど。 とは言っても、90分の映画を見続けるのが辛い場合も、確実にしばしばある。 そうであっても、『人喰い映画祭』の中では、あるシーン、ある役者、ある設定等の部分に面白さを見出している。 さらに、そんな映画の中にも、これはよくできていると思うものがある。著者のとみさわ氏が評価する映画と、ぼくがいいと思った映画が共通していると、なんだか嬉しい。 そんなふうに『人喰い映画祭』を読み進めていると、やっぱりその系統の映画が見たくなった。 で、『キラースネーク』を借りてきた。 『人喰い映画祭』に登場する、へび、わに、さめ、くも、いか、たこといった動物パニックは、これまで意図的に避けてきた。東宝特撮やウルトラマンで怪獣に慣れ親しんできたぼくとしては、実在の生物に価値が見出せなかったからだ。 でも、『人喰い映画祭』に参加するために、蛇映画を借りた。 この映画は、『人喰い映画祭』の本には載っていなかったけど。 途中で見るのを辞退させていただきたくなるような、どうにも我慢ができなくなるといった映画ではなかった。 でも、呪術で出現したわに+へび=キラースネークが、バズーカ砲一発で粉砕されるのは納得がいかない。キラースネークは、超自然的な存在なんだから、バズーカ砲で霧散するのはいかがなものか。 もう一回蘇ってちがう展開があるかと思ったら、エンドクレジットが始まってしまって、脱力。 だから、つぎは『人喰い映画祭』に紹介されている映画を見てみようと思うのだ。
July 11, 2010
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