ああ許すまじ原爆(原発)を
三度(みたび)許すまじ原爆(原発)を
(サルバドール・ダリ:燃えるジラフ)
★ 1945年8月6日、広島市に原爆投下、当時の廣島市の人口約35万人、内、14万人が投下直後に死去、その後の被爆が原因での死者、後遺症に悩む人多数。
★ 1945年8月9日、長崎市に原爆投下、当時の長崎市の人口約24万人、内、約15万人が投下直後に死去、その後の被爆が原因での死者、後遺症に悩む人多数。
★ 2011年3月、11日に起きたマグニチュード9,0の巨大地震と直後の大津波を原因として、福島第1原子力発電所の大事故発生、事故から約2週間経た現在でも、予断を許さない危機的状況が続いている。
福島第1原子力発電所の大事故は、日本に於ける「第3の原爆投下」だ!
1945年の2度に渡る原爆投下で、私達日本人は世界で初めての原爆被爆国になりました。この直後から、日本人は世界唯一の被爆国として、反原爆を誓った筈でした。
以下に、昭和29年に発表された 「原爆許すまじ」
の一番の歌詞とYou-Tubeを
貼り付けます。
1 ふるさとの街焼かれ
身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に
、
★ 現在、日本には建設中のものを含め、69の原子力発電所が存在し、電力総需要の約30パーセントを原子力発電でまかなっている。
1945年の2度に渡る原爆投下を受け、「三度許すまじ原爆」を固く誓った筈の日本人が、それから約65年後には、世界に名だたる原発大国になってしまいました。
世界に名だたる地震大国の日本が、ここまで原発大国になってしまったのは、いつの間にか形作られた 「安全神話」
がバックボーンにあったのですが 、「想定を遥かに上回る」、
巨大地震・巨大津波によって、モロくも「安全神話」は崩れ去り、関東圏の人々を途端の苦しみに陥れています。
今回の大震災が起きる直前まで政府は、これまで電力の30パーセント原発依存だったのを、48パーセント依存に引き上げようと画策していましたが、今回の大事故を受けて、この計画は脆くも瓦解しました。原発の新規開発はおろか、稼動中の原発も早急に別の電源に代替せざるを得ない、今後、原発に頼ることは国民感情が許さない筈です。
ああ許すまじ原爆(原発)を
四度(よたび)許すまじ原爆(原発)を
前回に続き、ソプラノ歌手、バーバラ・ボニーの美しい歌をUPします。
シューベルト 「水の上にて歌える」
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前回の拙ブログに多数の心温まる書き込み・コメントを頂き、どうも有難う御座いました。本来なら一つ一つにご返事を差し上げるところなのですが、今回はこの場で一括して御礼申し上げます。
尚、娘のボランティア活動に関連しまして、以下の事を追記します
。
23日の朝日新聞の朝刊の「支援通信」面に 、「赤ちゃんとママを守ろう」
という署名入りコラムが掲載されました。
この記事によれば、
(1)三つのNPO法人が協同で「赤ちゃん一時避難プロジェクト」を立ち上げた。
(2)ユニセフはソマリアで事業部長を務める国井修医師を日本に派遣、母子や妊婦の支援をつくろうと関係先で調整を始めた。
国井氏の話、「避難所では高齢者には比較的配慮が行き届くが、妊婦や乳幼児を抱えるお母さんはあまり注目されない。 母乳は衛生的で免疫成分も入っているので、母乳育児を続けるための支援も必要
」と話した。
以下は娘からの追記のメールの一部です。
あと、転載してもらった呼びかけ文に出典が抜けていました!
以下
参考資料:
WABA:「グローバル化」時代の母乳育児 2003年
BFHIニュース、ユニセフ 1999年9月/10月
WHO/ユニセフ「乳幼児の栄養に関する世界的な戦略」2003年(2004年訳)
ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル「月満ちて生まれた健康な母乳育ちの赤ちゃんが、母乳がたりているかどうかを見分ける方法」(2003年改訳)
被災された皆様、頑張って下さい!
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