全13件 (13件中 1-13件目)
1

『刺繍する少女』小川洋子(角川文庫) 上記短編小説集の読書報告の後編であります。 前回まで述べていたことは一言で言いますと、 「小川洋子はフランス好み」であります。 いえ、小川洋子がフランスを好んでいるというのではなくて(彼女が好んでいるのは阪神タイガースだそうですね。もっともそればかりではないでしょうが)、フランスで好まれているということですね。で、その原因が、彼女の小説の特徴である、 「残酷と優雅」にある、という内容でありました。 そもそもこの作家は、身体のパーツの欠落や病気、あるいは「奇形」などに対して、実に独特なイメージの拡がりを見せます。 この傾向は何なのでしょうか。 小川洋子のこのような嗜好は、しかし、「異常」が先行して存在しているという形を取りません。このへんが、僕が「女性的」と感じる理由なんですが、まず日常的な細々としたものに対する偏愛という形で現れます。 細々としたものとは、例えば衣服、手芸、料理などです。 叔母は絵の具工場の女子従業員にまつわるいろいろな出来事について喋った。 ……いつも気前よく新製品を買ってくれる人なんだけど、このあいだ旦那さんが交通事故にあってね。トラックの後ろで荷物を下ろしてるところに、わき見運転のスポーツカーが突っ込んで、両足がちぎれちゃったの。もう、化粧どころじゃないわ……。(『アリア』) わたしは風邪をひかないよう、毎日毛糸のパンツをはいて学校へ行かなければいけなかった。熱が出るとすぐ、唇におできができるたちだったからだ。そして髪を洗ったあとは、椿油をしみ込ませたガーゼで頭をマッサージし、五十回ブラッシングした。椿油は、夏休みの宿題でやった昆虫採集の、干涸びたこがね虫と同じにおいがした。(『美少女コンテスト』) そしてその延長に、上記のような身体のパーツへの偏愛が現れてくるのですが、とにかくそれらを見詰める視線がいかにも厳格で人工的で、かつとても冷たいです。 これは、フェティシズム? マゾヒズム? あるいは、人形愛=ピグマリオン・コンプレックスなのかも知れません。 人形愛なんて、いかにも「静かな異常」という感じがしますものね。 またそれは、残酷さと、あるいはグロテスクへの嗜好と言い換えていいかも知れません。 そしてさらに、その底に流れるものはと考えると、……詰まるところ、自由や意志や存在への不安に行き着いてしまうのでしょうか。 最後に少し変なことを書きますが、小川洋子の作品が漂わせるこういった残酷さというものは、実は、同人誌なんかによく似たものが多いです。 何故かというと、この残酷さは、一見芸術的な香りの様に思えるからです。 本作品集も、よく似たテイストの一連の作品を重ねて読んでいくと、息苦しく感じてしまいます。書き手はそんなことはないのでしょうか。 ないはずはありません。筆者は意識的に息苦しい角度で現実を切り取ったものを、我々の前に広げているのですから。だとすると、この息苦しさは、筆者にとっては耐えていかねばならない己の人生そのものだと思います。 上記に、小川洋子的残酷さは同人雑誌に多く見られるという、いかにも誤解を生みそうな表現をしましたが、しかし、多くの同人雑誌小説家はこの残酷さからそのうち離れていきます。 なぜなら、この残酷さを見詰め続けるには、自分の人生をその角度で捉え続けるという極めて強靱な意志が必要であるからです。凡百の同人雑誌小説家には、そのような状況に耐えきれません。 そんな強靱な観察を続ける小川洋子にあるもの、それは生半可な流行の「癒し志向」などであるはずもなく、「才能」とそして、彼女自身の強烈な「意志」の結実であるのでしょう。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.29
コメント(4)

『刺繍する少女』小川洋子(角川文庫) 先日、久しぶりに古い友人に会いました。 かつて同じ職場に勤めていた同僚で、その後彼は転職し、今は教科書会社に勤めていると言います。 やー、君が望んでいた出版関係じゃないかというと、何言ってんだい営業だよ、と言われました。 いろんな話をしたのですが、ところで高校の国語の教科書にはまだ『舞姫』は載っているのと、以前から聞きたかったことを尋ねました。 彼がそうだと答えたので、『舞姫』はまだ高校生に通用するのかと、さらに尋ねました。 少し前から思っていたことなんですが、『舞姫』とか藤村の『破戒』とかは、すでに歴史的な役割は終えているんじゃないかと僕は感じていたんですね。 歴史的役割どころか、「『石炭を、ばはや、積み果てつ。』先生、『ばはや』って何ですかー?」って生徒は聞くらしい。 『舞姫』はダメ。鴎外の擬古文どころか、志賀直哉の『城の崎にて』さえ不評だと彼は言います。 なぜ『城の崎にて』が不評なのかと聞くと、ねずみが出て来るだろうと彼が答えたので、場面を思い出して、あぁなるほどねぇ、竹串で刺される場面。……動物虐待か、と言いました。 そして、『舞姫』がダメで『城の崎にて』がダメで、じゃあどんな小説が入っているのと聞いた時、彼の挙げた名前の一人が、小川洋子でありました。 小川洋子? 何で小川洋子なんだと、少し、違和感を持ちました。 でもすぐに、ははん、『博士の愛した数式』のせいだなと気が付きました。 僕は、ちょっと違うだろうになぁと思いつつ、しかし『博士の…』以降の作品を僕は読んでいないので、あるいはそうなのかなとも思いつつ、そんなこんなが頭のどこかに残っていたので、先日つい大型古書店で冒頭の本を手にし、そして読みました。 さて、今回読書報告する文庫本は、十個の短編の入った小説集です。この筆者の作品の中では、初期の作品集だと思います。 三つくらいのお話しを読んだとき、ちょっと物語が痩せた感じだなと思いました。もちろん短編であるということもあるでしょうが、作品世界に拡がりが感じられないように思いました。 主旋律にもう一品、という感じ。 例えば『キリンの解剖』という作品があるんですがここに描かれているのは、フェティシズムでしょうか。それにもう一品が「妊娠中絶手術」。 もしこの小説から「妊娠中絶手術」を取ってしまったらどうなるだろうかと、読後思ったのですが、そもそもそんな風に感じてしまうことが、一種作品の「痩せた感じ」を現していると思いました。 ただ、この「もう一品」が、なるほどいかにも小川洋子的なんですよねー。 『博士の…』がベストセラーになりまして、映画化までされまして、なんか「癒し」系の小説家と思われがちなのかどうか、実は僕はその辺はよく知らないんですが、とにかくこの小説家は本来、なにかカチンと硬く冷たい芯のような「もう一品」を持つ小説を書いていた人でありました。 今回の短編集に描かれている「もう一品」を挙げてみますと、 寄生虫・狂女・キリンの脳の解剖・窒息死した飼い犬・DV・ぜんそく発作などです。 こうして挙げてみて、ふと、いかにも女性作家らしい女性作家という気がしたんですが、これは別に女性差別でも何でもないですよね。 上記に並べた「パーツ」は、この筆者独特の優雅さと冷たさを持った描写と共に、イメージの奔流のように描かれます。 なるほど、この作家が海外で読まれている、フランスで何か賞を受賞したというのは、よく分かりますよね。 残酷と優雅と来れば、まさにフランス文化そのものではないですか。 ……次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.27
コメント(2)

『末枯・続末枯・露芝』久保田万太郎(岩波文庫) 久保万といえば、二つのエピソードを思い出します。(というか、僕はこのくらいしか久保田万太郎について知っていません。我ながら誠に知識の幅の狭さを痛感致します。) 一つめの話ですが、僕は、本当に「腰折れ」という言葉そのままの俳句を作るのを、趣味の一つとしているのですが、そんな僕がぼんやりとかつ最も感動した俳句を思い出しますと、二つの俳句が浮かびます。 ひとつは、これ。有名中の有名な句ですね。 荒海や佐渡に横たふ天の河 この芭蕉の名句を初めて読んだのは幾つくらいの時だったでしょうか、今となっては思い出せません。中学校の頃あたりでしょうかね。 その時の感動を、今の言葉でまとめてみますと、なんて広い世界を、俳句というものは詠むことが出来るんだろうか、くらいの気持ちであったように思います。 (しかし情けないもので、今この句を読んでも、知識とか記憶としては、はるかな「悠久」といった感想は持つものの、かつて幼かった頃に初めて読んで抱いた、「すごいなー」と感じた素朴な、しかしとても強い感動はもはや蘇ってきません。歳を取るということは、やはり淋しいこともありますね。) そして、もう一つの俳句が、これ。久保万の名句ですね。 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり この句は大人になってから知りました。初めて読んだ時、やはりぞくっとしましたね。「すごいもんだな」と感心しました。 後日この句を、丸谷才一が「昭和の絶唱」として取り上げていた文章を読みまして、やはり一世一代の名句であったのだと知りました。 (丸谷才一は確かその文章で、短歌の「昭和の絶唱」も挙げていたように思うんですが、その時挙げていたのが斎藤茂吉の、えーっと、「逆白波」がどうのこうのという歌であったように思うんですがー、情けない話で、よくわかりません。ホント、情けない。) という僕の思い出が一つです。 もう一つの久保万エピソードは、実につまらない話ですが、彼は、画家の梅原龍三郎邸のパーティに呼ばれて、そこで食べた寿司の赤貝が喉に詰まって死んでしまったというもので、これは確か、山田風太郎の『人間臨終図巻』で読んだんじゃなかったかしら。(今、調べてみたら、やはりそう書いてありました。徳間文庫の山田風太郎『人間臨終図巻3』にあります。) ところで、上記の山田風太郎の文章に、こんな引用文があります。 「己が身勝手で過ちの連続をし、しかも矯めることのできない生得の性を痛いほど知ったあげく、なまじな世才をめったやたらに振り廻し、不義理不人情のそしりには、不貞腐れで押し通し、『寂しい、寂しい』と洟水たらして、巷を右往左往している、我執のかたまりみたいな稚い老人」(後藤杜三『わが久保田万太郎』) むちゃくちゃ言われていますね。ちなみに後藤杜三という人については、久保田万太郎を「最も理解する弟子」と、山田風太郎は紹介しています。 うーん、しかし今回の小説を読んで、さもありなんという気はしないでもないですねー。 さて、やっと冒頭の小説の読書報告に辿り着いたのですが、しかしよくしたもので(何が)、すでにこの小説の雰囲気は、上記の二つの久保万エピソードが語ってくれているようにも思えます。(これって、かなりムリな「欲目」?) 三作収録されている短編集中、前二つの小説が特に、時代は明治中頃ですか、東京下町情緒を切れ味鋭く描いて、やはりうまいなあと思います。 「扇朝」「せん枝」「鈴むら」という主な三人の登場人物、落語家と旦那衆の造型がとてもいいと思いました。 ただ、特に続編の『続・末枯』に強く思ったんですが、江戸情緒の「イキ」という美意識も、あまりそればかりで日常の生業をされると、しつこさを感じるものであるな、と。 これは僕が東京人じゃないからそう思うんでしょうかね。 この小説を読んで、「やせ我慢」にも程があるでしょうにと思う僕は、織田作の好きな関西人であります。 ……いえ少し、「ヤボ」を言い過ぎましたかね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.24
コメント(0)

『宣言』有島武郎(岩波文庫) 初めて有島武郎の『或る女』を読んだ時、かなりびっくりした記憶があります。 それは、そもそも有島武郎の小説を、それまで僕がよく読んでいなかったということもありました。 童話集の『一房の葡萄』とか、なんだかよく覚えていない『惜しみなく愛は奪う』とか(僕の手元のこの本には、読んだ痕跡はあるのですが、内容についての記憶がまるでありません)、それくらいしか知りませんでした。 そこに近代リアリズム小説の、日本文学史上の最高の結実の一つである『或る女』ですから、まー、びっくりしますわね。 そこでこの作者については、今後注目しておくべきという感想を持ったのですが、さて今回の『宣言』であります。 これは、筆者にとってかなり初期の作品なんですかね。年譜を調べますとこんな風になっています。 1910(明治43) 『かんかん虫』(処女小説)・32歳 ( 1914(大正3) ・夏目漱石『こころ』 ) 1915(大正4) ・『宣言』・37歳 1919(大正8) ・『或る女』・41歳 ( 〃 ・武者小路実篤『友情』 ) こんな感じですね。やはり、初期の作品ということでしょうかね。 ついでにこの後の年譜ですが、有島武郎は45歳で亡くなっています。死因は、自殺=心中ですね。軽井沢の別荘で、婦人記者の波多野秋子と縊死をしました。 (遺体の発見が一月以上遅れたため、その腐乱が甚だしかったというのは、まー、有名な話。) ところで、上記の年譜に何か、別な物が混じっていそうですがー、えー、これが実は、今回の報告の小説『宣言』と、関係があるんですね。 『宣言』は、一人の女性を巡る二人の男の、恋と友情の物語であります。 と、これだけ書けば気が付くように、粗筋についてだけ言えば、夏目漱石の『こころ』、武者小路実篤の『友情』と全く同じなわけです。 特に、最後に主人公と目される方が恋に破れるという筋書きは、『友情』と全く同じですね。そして、武者小路と有島は、同じ「白樺派」であります。 武者小路の『友情』の作品中に、漱石の『それから』に触れて、女性が友情よりも愛情を取りなさいと男に勧めるくだりがあります。作中であるかどうかはおいても、武者小路は、この『宣言』にはちっとも触れていません。 「知名度」の差ということもありましょうが、ひょっとしたら、触れると似すぎていることに誰もが気が付くからではないでしょうか。でも、偶然とは思いがたいですよねー。 まー、この事については、今となってはこの程度の感想でいいのかも知れませんが。 さてそんな酷似性を持つ『友情』との比較ですが、知名度においては圧倒的に『友情』の勝ちですよね。一方は、有島にこんな小説があったということすらあまり知られていません。(「売れ筋外し」の岩波文庫に入ってるくらいです。) (ところで、有島武郎には『宣言一つ』という「評論」なんでしょうかね、全く別の作品があります。この名前のよく似た評論の方が、どちらかといえば有名ですよね。この後期の評論には、有島の思想の破綻の様子が描かれており、そこから心中までは一直線であります。) 実は有島の『宣言』は、三角関係という読者に取っつきやすそうな題材を選びながら、かなり読みにくいです。 書簡体形式を取っており(「書簡体」というのもちょっと読みづらいですよね、慣れなければ)、そこに描かれている手紙の内容は、若い誠実な男同士の、恋愛観・宗教観・芸術観・勤労観などの意見のやり取りであります。 それは、初々しく爽やかといえば爽やかですが、いかにも抽象的で、実生活における様々な経験不足の青年による観念論で、「生硬」な感じが強く、少し読みづらいです。(それが筆者独特の欧文脈で描かれています。) おそらく、筆者の書きたかったのは、むしろこちらの方、つまり「恋愛小説」ではなくて「思想小説」であったのだと思われます。 そう考えなければ、作品中の「三角関係」の生まれる発端である、自らは女性の家から遠く離れた地方に住みつつ、友人にその女性の家に同居させるという、致命的に混乱を生みそうな設定は、少し納得しづらいです。 (漱石の『こころ』の、「私」が「お嬢さん」との下宿に、「K」を共に住まわせようとして、「奥さん」に強く反対されるシーンが思い出されます。) ということで、『友情』よりも圧倒的に読まれない本書でありますが、そうなった理由は、やはり有島と武者小路の「生き方」にかかわるものと思われ、この延長線上に有島には『或る女』が生まれつつ、さらにその先には自死があったわけです。 なかなか、考えさせるものでありますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.22
コメント(0)

『夫婦善哉』織田作之助(角川文庫) 上記小説の読書報告後編であります。 前回言っていたことはこんな事でした。 すさまじきもの(略)人の国よりおこせたる文の物なき。京のをもさこそ思ふらめども、されど、それはゆかしき事も書きあつめ、世にある事も聞けばよし。 いきなりなんじゃらほいとお思いのことと存じますが、知り合いの高校の先生と話をしていたら、まさにこれだと思ったので、ちょっと図書館で調べてきました。 『枕草子』の「すさまじきもの」の一節です。 小学館の「日本古典文学全集」の口語訳によると、こうなっています。 不調和で興ざめなもの(略)地方からこちらに送って寄こしている手紙の、贈り物がついていないの。京からの手紙をもそう思っているだろうけれど、でも、それは知りたいことをも書き集め、世間の出来事をも聞くのだから、よい。 なるほど、千年以上も前から「都人」の「タカビー」は今と同じでありました。 さて、織田作之助なんですが、前回引用した文章の中に、大阪人でなければよくわからない地名がいっぱい散りばめられていましたが、これは、なんというか、やはり東京に「喧嘩売っている」んでしょうねー。「確信犯」なんでしょうねー。 「歌舞伎町」がええんやったら、なんで「宗右衛門町」があかんねん、と。 私の読みました(今となっては珍しい角川文庫の『夫婦善哉』の)文庫の解説にも、織田作は「とっちゃん小僧」とか「若いのにいやに下世話に通じている」とかの批判をしばしば受けたとありました。 が、僕は今回この小説を再読したのですが、読みながらの一番の感想は、思っていたより正統派の文章じゃないかというとでした。もっと、宇野浩二や野坂昭如や町田康のようなこてこての文体だったような記憶を持っていたのに、これではまるで志賀直哉ではないか(あ、志賀直哉は言い過ぎ、すみません)、と。 上記の織田作に対する批判は、作品内容への批判じゃなくて、今となっては一地方に過ぎない大阪の地名を、「喧嘩腰」のように書きまくった織田作の「狙い」に対する「反感」ではなかったかと思います。 今読みますと、『夫婦善哉』は上記の大阪の地名の多用はともかく、やはりほぼ極めて正統的な「語り」の文体で書かれていると感じます。 ただ一方で、織田作は東京に「反逆」をしようとだけを考えて書いたのでは、やはりありませんね。(あたりまえです。)例えばこんな「語り」の部分。 翌日、蝶子が隠してゐた貯金帳をすつかりおろして、昨夜の返礼だとて友達を呼び出し、難波新地へはまりこんで、二日、使ひ果たして魂の抜けた男のやうにとぼとぼ黒門市場の路地裏長屋へ帰つて来た。「帰るとこ、よう忘れんかつたこつちやな」さう言つて蝶子は首筋を掴んで突き倒し、肩をたたく時の要領で、頭をこつこつたたいた。「をばはん、何すんねん、無茶しな」しかし、抵抗する元気もないかのやうだつた。二日酔ひで頭があばれとると、蒲団にくるまつてうんうん唸つてゐる柳吉の顔をピシヤリと撲つて、何となく外へ出た。千日前の愛進館で京山小圓の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも思へず、出ると、この二三日飯も咽頭へ通らなかつたこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由件で玉子入りのライスカレーを食べた。(中略)カレーのあとのコーヒーを飲んでゐると、いきなり甘い気持ちが胸に湧いた。こつそり帰つてみると、柳吉はいびきをかいてゐた。だし抜けに、荒々しく揺すぶつて、柳吉が眠い眼をあけると、「阿呆んだら」そして唇をとがらして柳吉の顔へもつて行つた。 この徹底的な「ダメ」ぶりを再三発揮する「ダメ男=柳吉」と、その「ダメ男」を底知れぬキャパシティーの深情けで「保護」していく、やはりこれも一種の「ダメ女」とも言える「蝶子」の物語は、店を始めては潰し、始めては潰し、また始めては潰すというバイタリティと、そして親類知人ことごとくが貧しい暮らしの中にあるという、いかにも「大阪的」な背景の中に、きっちりとはめ込んだように繰り広げられます。 織田作が愛してやまなかった「庶民」の姿を描くバック・グラウンドとしては、二十一世紀になっても未だに「こてこて」のまま、全くあか抜けようともしない大阪という町が(もちろん彼の故郷であった故もありましょうが)、なるほどもっとも相応しいと、彼の「天才」が直感的に嗅ぎ取ったのかも知れません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.20
コメント(0)

『夫婦善哉』織田作之助(角川文庫) 先日、家からさほど離れているわけではないんですが、今までほとんど行ったことのない方角に自転車で20分ばかり行くと、住宅街にぽつんと一軒、古書店がありました。 流行の大型古書店ではなく、いかにも昔の「古本屋さん」という佇まいの店でありました。 これはこれはと思って中に入ってみると、中も昔の古本屋さんの店内と同じ。ずらりと古書が堆く積んであって、その幾つもある本の「塔」の下の方の本とか、奥の方の本とかは、見ることが出来ません。 そこで一時間ほど遊んでいまして、買った本の一冊が今回の報告の文庫本です。 これはなかなか気合いの入った文庫本ですよ。カバー無しで、帯だけが付いています。 そして、その帯に古めかしい字体で、 「新しき文庫の時代来る」「きよき泉より清き水は流れ出づ」 なんて書いてあって、この本の定価は40円であります。 奥付による初版発行年月は「昭和二十九年十一月二十五日」とあります。 まー、四十円、……そんなものでしょうかねー。 しかし上記で触れた帯の文句の「きよき泉より清き水は流れ出づ」ってのは、なんじゃらほい。 何か良くわかりませんが、敗戦後の、しかし前途に希望溢れた日本の姿が、ほの見えるような気が、しませんかね。 なんだか新しい知識を手に入れることの喜び、といったような。 ところで四十円について、上記にそんなものでしょうかねと書きましたが、ページ数はとても少ないです。 収録作品は『夫婦善哉』と『アド・バルーン』だけ。百ページほどであります。 で、さて、この二作品についてなんですが……。 ……えー、少し昔に読んだ、詩人のエッセイだったと思います。 東京から地方へ引っ越しなさいまして、文筆活動をしていて改めて気が付いたことがある、と。 それは、東京にいた時は何気なく「新宿」とか「赤坂」とか普通に書いていたが、地方に住んでいて同様に近所の地名、例えば「狐が岡」とか「虎ヶ谷」とか書こうと思ったら、そこに少し逡巡が生まれる、と。 それらは、どちらも自分にとって日常的に同等の重みを持っている地名の使用であるはずなのに、と。 これはつまり、東京の地名などの固有名詞を文中に用いることは、自らの意図にはあらずとも、文化の「ヒエラルキー=階層制」の中で、「強者」の立場に立つことであったということに気づいた、ということですね。 確かこんな内容の話だったと記憶するんですが、それは全くその通りですね。 ブログにおいても、東京在住の方は、多分あまり補足も入れずに、例えば「吉祥寺」とか書かれるのではないでしょうか。 しかし兵庫県に住んでいる僕は、何の補足説明も無しにブログに「二階町」とは、ちょっと書けないですね。「二階町」と書くなら、「世界遺産で有名な姫路城のある姫路市一番の繁華街の」とかの補足をきっと書きます。 このことは、上述のように表現における「強者と弱者」という言い方で捉えても、一概に誤りではないと僕も考えます。 さて何の話かと言いますと、結論から言いますと、織田作之助は嫌われていたのだろうなーと言うことであります。 誰に。そして、なぜに、か。 それは、こんな表現で小説を綴っていましたから。 弁天座、朝日座、角座……そしてもう少し行くと、中座、浪花座と東より順に五座の、当時はゆつくりと仰ぎ見てたのしんだ程看板が見られた訳だつたが、濱子は角座の隣りの果物屋の角を急に千日前の方へ折れて、眼鏡屋の鏡の前で、浴衣の襟を直しました。濱子は蛇ノ目傘の模様のついた浴衣を、裾短かく着てゐました。そのためか、私は今でも蛇ノ目傘を見ると、この継母を想ひ出して、なつかしくなる。それともうひとつ想ひ出すのは、濱子が法善寺の小路の前を通る時、ちよつと覗きこんで、お父つあんの出たはるのはあの寄席やと花月の方を指しながら、私たちに言つて、急にペロリと舌を出したあの仕草です。(『アド・バルーン』) その頃の大阪人なら、何の補足も要らないであろう「大阪南」の繁華街の様子が描かれます。 しかし、大阪以外の地方の人もさることながら、むしろ東京人の方が、こんな文章にカチンときたのではないかと思うのですが、……以下、次号に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.17
コメント(2)

『少年死刑囚』中山義秀(角川文庫) この文庫本には、二つのお話しが入っています。 総題になっている短編と、もう一つ『魔谷』という、えーっと、これは「私小説」でしょうかね。作者は、若い頃は横光利一と共に同人誌なんかを作っていらっしゃいますから、そんな時代の話です。 小説家である主人公が、三人の妻を持った経緯(死別と離婚)が描かれます。そしてその底には、生きることの何とも言えぬ寂しさが流れています。 ただこのお話は、もう一つの『少年死刑囚』と違って、終わりに「諦念」のような静謐さが少し見えます。読後感は悪くないです。 一方もう一つの小説『少年死刑囚』ですが、これが、僕にはどうもよくありません。 上記に「読後感」と書きましたが、角川文庫の解説に、田宮虎彦が「この作品が、最後に読者の心に残す感銘には、妙に明るいものがある」と書いているんですが、これがどうもよく分からないんですね。 どう読めば、「明るいもの」が残るのか。 僕はどうにも、そんな「向日性」の印象は持てませんでした。 さて、この小説はタイトルからも分かるように、犯罪者が主人公の小説です。冒頭にこんな風に書いてあります。 左記の書は、昭和二十三年二月、某地方裁判所で死刑の言渡をうけた、昭和六年一月生まれ、当時かぞへ年十八歳の少年の手記である。少年の犯罪は、強盗殺人、同未遂、放火未遂。 「ピカレスク・ロマン=悪漢小説」という文学ジャンル(「ジャンル」とは少し違うのかな)がありますね。 その多くは、「ビルドゥングス・ロマン=教養小説」の裏返しです。つまり、「負」の「成長小説」です。 でも、『罪と罰』や『異邦人』などを挙げるまでもなく、そもそも文学は、いつも犯罪と隣り合わせに位置していたはずであります。なぜなら、人間は「罪」を犯すものだからです。 つまり、「ピカレスク・ロマン」とは、犯罪から人間性の真実と不可解を描き出す文学なわけですね。 しかしどうでしょう、もしもこの小説の犯罪が現在行われたならば、主人公は、いろいろな取り調べや調査などを受けた後、たぶん「妄想性人格障害」と判断(「診断」?)されるんじゃないでしょうか。 「妄想性人格障害」と判断された最近の顕著な例は、大阪教育大学附属小学校の無差別児童殺傷事件の犯人ですね。 上記に僕は、読後感に明るさがないと書きましたが、それは主人公の生き方の中にある陰惨な印象まで与える「こすっからしさ」が、不快感の原因だと思います。 この「こすっからしさ」、人間の善意を全く信じず、すべての悪い結果をことごとく責任転嫁し、周囲に悪意と呪詛と投げつける、邪悪なエゴの亡者のような姿が、「妄想性人格障害」の内面(もちろん個人による程度の差はありますが)であります。 これは、何というか、ある意味で本人も辛い、精神的な何かの「欠落」状態であるとは思いますが、理性的にはそう理解していても、僕はちょっと堪えられません。 また、これも人間精神の表現された形である以上、文学的な「真実」だと言われれば、たぶんその通りではありましょうが、やはり僕はちょっとダメですね。 そんな、ちょっと「辛い」小説でした。 終盤、死刑確定後の主人公の精神の幅の大きい揺れの部分、エゴの塊から急激な宗教への傾斜が起こり、さらに話は二転三転します。 そして、彼が最後に行き着いたところに見られる心の闇には、『魔谷』に見られるような硬く深い孤独が影を落としますが、しかしそれをもって、一種の「静謐」の境地とは、やはり(『魔谷』とは違って)僕には読めませんでした。 ドストエフスキーならずとも、「罪と罰」を扱った話は、なかなか判断や感想をまとめることが難しいものですね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.15
コメント(1)

『阿部一族』森鴎外(岩波文庫) 上記短編集の読書報告の後半であります。 前回の最後に僕が書いたのはこういうことでした。 『興津弥五右衛門の遺書』は、乃木将軍の殉死に触発されて書かれた作品であるが為に、「殉死」の意味にのみ傾斜して「人間性」が歪めて描かれているのではないか、と。 本作を初めて読んだ時、僕はこのことを考えて、これは鴎外の思考の「時代的限界」ではないかと考えました。 あたかも島崎藤村の『破戒』に、今となっては時代的な限界が読み取れるように。 (前回アメリカの銃規制問題に「寄り道」しましたが、実際、日本における自殺者の問題も、年間三万人を十年以上も下回ることなく、誠に深刻な問題であります。) ところがこの度、次の『阿部一族』を読んでいく過程で、僕は、「あっ、違う」と気がついたのであります。 『阿部一族』は、『興津弥五右衛門の遺書』から三か月後くらいに書かれています。 まさにその三か月の間に、鴎外は、「殉死」に対する考え方を、大きく修正してきたのでありました。 それは、前回でも少し触れました、『興津弥五右衛門の遺書』で主人公によって殺された同僚「横田」という武士、その親族郎党への視点の移動といっていいものだと僕は考えます。 今回も、もう少し順を追って考えてみたいと思います。 肥後熊本の城主細川忠利の家来に阿部弥一右衛門という武士がいたが、忠利の死んだときに殉死を許されず、それが元となって、ついにその一族が尽く滅んでゆくというお話しであります。 その発端は、実にばかばかしいとしか言い様のない物であります。 そもそも「殉死」というものは、死に行く主君にあらかじめ許可を得ねばならないものでありました。(この段階ですでに、非人間的・形式主義的「伝統」が悲劇を生み出す要素は現れています。) 阿部弥一右衛門にその許可が下りなかった原因を、筆者はこんな風に書いています。実はなかなか怖い描写です。 人には誰が上にも好きな人、いやな人というものがある。そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿してみると、どうかすると捕捉するほどの拠りどころがない。忠利が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである。 えー、またまた、僕の連想は飛躍していくんですがー、お許し下さい。 同テーマの小説を思い出してしまったんです。 太宰治『お伽草子』・「瘤取り」 このお話の中で、太宰治は、瘤を鬼に取って貰ったおじいさんと、もう一つ瘤を付けられてしまったおじいさんの間に、ほとんど人格的な相違はないと喝破しています。 おとぎ話によく見られる、良いおじいさんと悪いおじいさんというペアでは、全然無いと言っているんですね。なるほどそんな気がしますね。 ではなぜ、そんな二人が結果的に正反対なものを引き受けてしまったのかと言うことについて、「心理通・人間通」の太宰治はこのようにまとめています。 「瘤取り」のラスト・シーンです。 性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。 うーん、うまいものですねー。 鴎外もこんな風なお話しを考えれば、もっと明るく読めたんですがねー。 (今ふっと思ったんですが、ひょっとしたらその逆、太宰はこの「瘤取り」を、『阿部一族』にインスパイアーされて書いたんじゃないかと。でも、まさか、ね。) 閑話休題、「暗い」『阿部一族』に戻ります。 そんな「性格の悲喜劇」ゆえに、阿部一族は老人・女・子供も含め、尽くが死んでしまうという全くの「無駄死に」ぶりを、筆者鴎外は、実に冷静に淡々と描いていきます。 その描きぶりは、実験室における科学者の仕事を彷彿とさせるような正確さと論理性であります。 『興津弥五右衛門の遺書』から、三か月。小説家であると同時に、近代科学の徒であり、医者でもあった鴎外は、やはり「殉死」の持つ非人間的側面に触れないわけにはいかなかったのだと思います。 (しかし鴎外の凄いのは、特に本作の前半において、従容として死に臨む武士達の姿を、やはり淡々とかつ実に暖かい慈しみを込めて描いているところにあります。) 作中、阿部一族のみならず、その討ち手であった「竹内数馬」の、やはり「殉死」をめぐる悲劇や、阿部家の隣人「柄本又七郎」の行為と世間の評価の歪んだあり方にもきちんと冷静な目を向けつつ、鴎外は、人間性を歪める「権威」や「伝統」に対して、声高という形は取らぬながら、しかし確として疑問あるいは反対を唱えていると、僕は強く思いました。 さて、「明治文壇の二大巨頭」として漱石に比べた時、陸軍軍医であった鴎外はともすれば「保守的」に見られはするのですが、なかなかどうして、そのような組織に属していた鴎外の方が漱石よりも遙かに具体的に、「見据えるべきもの」を捕捉していたのかも知れませんね。 実は僕は、「二大巨頭」の好みとしては「漱石派」なんですが、今回は鴎外に、大いに感服いたしました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.13
コメント(0)

『阿部一族』森鴎外(岩波文庫) 本短編集には、三つの小説が入っています。 『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『佐橋甚五郎』の三作です。これは、大正二年に『意地』という総題で出された単行本と、同内容であります。 作者自身がこの単行本を出版したとき、「阿部一族等殉死小説を整理す」と日記に書いているということです。 つまり、これらの作品のテーマが同様に「殉死」にあるということですね。 さて、この度本書を読み、少しあれこれ調べたりしまして、僕は大いに啓蒙された気がしました。併せて、以前『阿部一族』を読んだ時に、僕は読み損なっていたことが分かりました。 そして、こんな云い方は「不遜」ではありましょうが、筆者・森鴎外について改めて大いに「感心」いたしました。 もう少し、順を追って説明したいと思います。(でも僕の説明ですので、どうもあっちこっちに飛んで行きそうではありますがー。) いろいろ思ったことのうちの一つがこれです。 「あ、これは、アメリカの銃規制問題だな」と。 ははは、早速脇道に逸れておりますが、こいつはいったい何を言い出したのかとお思いのことと推察いたします。なに、別に、大したことではありません。 アメリカの銃規制問題がなかなか根深いのは、アメリカにおける銃の位置づけが、かつての日本でいえば「武士道」倫理と同じものになっているせいだなという、どうですか、これは「卓見」ではありませんかね。 ストーリーに従っての、もう少し詳しい報告はこの後いたしますが、この三つの小説の中には(『佐橋甚五郎』の戦国時代における行為はおくとしても)、主なストーリー以外の処でも、どんどん武士同士が突発的に私闘を行い、そしてどんどん相手を殺したり自死(切腹等)したりしています。 このことをもって僕は、武士の存在あるいは武士道倫理が、あたかもアメリカにおける銃の存在に相似しているのではないかと考えたということであります。 うーん、こうして説明してしまうと、別に「卓見」でも何でもないですねー。 でも、アメリカにおける開拓者精神へのノスタルジーと、日本における武士道へのノスタルジーは、とても似ていると、僕は、やはり思うものであります。 では、もう少し具体的に作品に即して考えてみたいと思います。 最初の『興津弥五右衛門の遺書』ですが、これは、大正元年に発表された、なかなか有名な短編小説です。 何故有名かといいますと、一つは、本作が鴎外の創作歴の中で転機となった作品であることです。 本作以降、鴎外は歴史小説に手を染め始め、そしてその嗜好はさらに史伝へと進んでいく、まさに「嚆矢」となる作品であります。 二つめの理由は、この作品が、明治天皇への乃木将軍の殉死に触発された作品である(乃木将軍の殉死が発表されて、わずか三日間で本作は書き上げられています)という、一つの時代の終わりの意味を描いた作品であるからです。(言わずもがなですが、同テーマを扱った小説に、漱石の『こころ』がありますね。) ところが、本作については、僕は以前よりどうも腑に落ちない点が一つありました。 主君の命令に対する解釈の違いから同僚を斬り殺してしまった主人公が、切腹しようとしたのを主君に諫められ、そしてその主君が亡くなった十三回忌に念願の「殉死」を果たすというお話しです。 ストーリーもさることながら、本作には、筆者の強烈な「意志」の様な迫力が、全編を覆っています。 それは上述したように、実際の乃木将軍の殉死が筆者にもたらしたものでありましょうが、僕が気になるのは、この話の中に、切腹を止めた主君への感謝の思いはあっても、私的な諍いの結果殺害した同僚に対する謝罪の念が、全く見られないことであります。 これは、何でしょうか。 短編故に、テーマが不明瞭になることを嫌って、鴎外は触れなかったのでしょうか。それとも、僕のような感じ方は、この時代(作品中の江戸時代)には、無かったものなのでしょうか。 僕はここに、本作初読時にも感じた、人間性をいびつにゆがめたような「気味の悪さ」を感じました。 そして、さらに、そんなテーマを描いた鴎外に対する「不信感」も。 以下、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.10
コメント(2)

『虹の彼方に』高橋源一郎(新潮文庫) 割と気合いを入れて読み始めたんですがね。 なぜ、気合いを入れたかというと、まず、高橋源一郎の小説だからですね。 高橋源一郎の小説は、僕は「とても」とは言いませんが、結構好きです。 新作をすぐに読むというほどではありませんが、文庫になってからとか、図書館でとか、古書店でとか含めますと、ほぼ小説はすべて読んでいるんじゃないかな(最新作除く)と思います。 でもそれがなぜ気合いを入れた理由になるのかというと、たぶん本ブログに読書報告をすることになるんじゃないかなと思いつつ読んだからですね。 えー、分かる人は分かるって話になっていますがー。 高橋源一郎の小説で、その読書報告をするとなると、これはやはりちょっとくらいは気合いを入れねばならんでしょう、ってことですね。 でも、その甲斐はありませんでしたがー。 しかし、いろんなことを考えることができました。 この筆者はまじめに書いているんだなと言うことも、何となく、かつ遅まきながら、わかりました。(当たり前ですかね) 当たり前といえば、これも当たり前なのかもしれませんが、この小説は思いの外にしっかりストーリーがあるのだなと言うことにも気がつきました。(前回読んだ時は、それがあまりわかりませんでした。) ちょっとその辺をとっかかりにして報告してみます。 この小説は、「小説的自伝」だったんですね。なるほど、デビューして二作目といえば、そんなのを取り出してくるあたりかもしれませんよね。 実は筆者を、ウィキペディアでちょっと調べてみたんですね。簡単な年譜が載っていました。で、なるほどと、かなり「納得」できたわけです。(でもそんな読み方を筆者が求めていたかどうかは、いえ、たぶん求めていなかったと思いますが。) キーワードを以下のように置くと、かなりストーリーが見えてきます。 学生運動・逮捕・失語症・離婚・娘 例えば、作品中に不必要なほど、しつこいばかりの「同語反復」が出てきますが、それに「失語症」のフィルターを掛けると、その意味が理解できます。 それができると、この「同語反復」が言葉の意味を揺らせている効果について、抵抗なくおもしろがることができると思います。 そんな小説です。なかなか、頑張ってしっかりと、筆者はお書きであります。 それにこの作品が自伝だとすると、書くに当たってこれだけエピソードを集めてきたということについても、なるほど一生懸命、丁寧に書いているんだなー、という感想が生まれてきます。 そして、どこか「切ない」小説になっていることについても。 ただ、そんな読みやすそうな小説でばかりではありません。 なぜなら、描写は絶えず「無意味」と紙一重のところで展開し続けていますから。 この文体は(僕が思うに、ではありますが)、表現の小さい単位(「言葉の断片」)と大きな単位(全体の形)は、何となくわかる、あるいは感じることができて、しかし中くらいの大きさの単位(「文脈」でしょうかねー)は、ほぼ意味を形作らないものになっていると思いました。 小さな単位の「言葉の断片」に、とても喚起力の強い表現が現れているとしても(これがこの作家の大きな魅力であります)、やはりこれだけ「文脈」を解体されてしまうと、感覚的には感じるところのある「言葉の断片」にも、再び疑問はおきます。 これは、「悪ふざけ」なんじゃないのか、と。 でも、そんなあたりになると、すっと「意味」が復活してきたりするんですねー。 この辺の兼ね合いが、この小説の評価のポイントかもしれません。 読了後、僕の心の中に何かが残っていることはわかります。さほど、悪い印象のないものです。少し切なくて、透明感のあるものです。 なるほど、これなのかなとも思います。しかし、まだわからないなとも思います。 高橋源一郎の小説はすべてこうであるとは思いませんが、こういった小説に取り組んでいる小説家は、日本ではたぶん、この方だけでありましょう。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.08
コメント(0)

『青銅の基督』長与善郎(新潮文庫) 上記作品の読書報告の後半であります。 前半では「文句」ばっかり言っていまして、誠に申し訳なく思っております。 しかし、後半も「不審点」だらけであります。 さて、作品の時代は、徳川第四代将軍の治世であります。 「切支丹物」であります。「裕佐」という南蛮鋳物師が、「転びバテレン」フェレラ(この人物の造型は、なかなか迫力があって凄いです)に依頼されて、青銅の基督像を描いた踏み絵を作るというお話しであります。 このことは、テーマと大きく関わってくることなのですが、この小説を読んでいて、僕はなるほどと思ったことがあります。 それは、そもそも踏み絵を作る職人は、どんな思いで踏み絵を作るのだろうかということです。信者や「シンパ」が踏みやすいようなキリスト像を、と考えて作るんでしょうか。それとも、とても踏めそうもないような「神々しい」キリスト像を目指して作るんでしょうか。 少し考えると気がつきますが、「作品」として踏み絵を作る人にとっては、これはどうにも解決しようのない「二律背反」であります。 (作品においてはもう一工夫、鋳物師の恋人である切支丹が踏む可能性の高い踏み絵、となっています。うーん、この辺はうまいですねー。) ともあれ僕は、この辺の論理と、その論理を抱く人間の描かれ方について、よくわからない感想を持ったわけです。 まず、踏み絵を依頼したフェレラは、こんな風に言っています。 「何も作品としてそう非常な傑作でなくともいいのです。只本当の信者がいくら自分をごまかそうと思ってもつい気が咎めてそれを踏みにくくなるだけの一種の神聖さ、--信者にとっての犯し難い威厳と云ったようなものがそこに現れてさえいればよいので、その程度に作って頂ければ御礼は奉行から相当に差し上げられる事になっているのです」 ところがこんなのが出来てしまうわけですね。前回少し触れた「遊女」の科白です。 「つまりあの聖像はあんまりよく出来すぎたのよ。無論妾は見た訳じゃないけれど、お役人達は、たしかに貴方のお作の神聖な力に打たれたのよ。それであんな物を切支丹に見せたらそれを踏む気はしなくって、却ってなお有り難がって信心深くなるだろうって云うのよ。そしてあんな神々しいものを作る事が出来る貴方自身も矢っ張り切支丹にちがいないと云う事になったのよ」 この理論は、何というかー、やはり穿ちすぎじゃないですかねー。 そしてさらに、役人に捕まった裕佐は、奉行にこんなことを言います。 「しかし君達が僕を疑り出したのは君達に頼まれたので僕が作ったあの踏絵からではないか」と裕佐は云った。「だから僕はそれを踏んでやろう。何なら、それをここでぶちこわして見せてやろう。君達の眼の前で」 出来の良すぎる踏み絵と制作者の関係という、なんか少し支離滅裂な感じのする理論もさることながら、さて、ここにさらにもう一つ「不審点」が現れました。 それは、全く信仰心の欠片もないような(人間性においても多分に問題点のありそうな)者が、はたして人を感動させずにおかないような宗教的作品を作りうるものだろうか、ということであります。 ふーむ、白樺派の「理論」としては、むしろ逆なんじゃないんでしょうかねー。 人間性が反映されてこその芸術性、と。 僕はどこかで読み違えているんでしょうか。 僕などの理解力ではよく分からないこんな展開で、この小説は、終盤、一気に雪崩をうったように進んでいきます。それは全く、あれよあれよというような急転直下であります。 そこに至るまでの、登場人物が良からず悪からず「ほんのり」と進んでいた書きぶりが、僕にはわりと好ましく感じられていただけに、最後、唖然としてしまいました。 でも本当は、そんなに後味の悪い小説ではなかったんですがね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.06
コメント(0)

『青銅の基督』長与善郎(新潮文庫) 白樺派の作家です。 短いお話しで、新潮文庫で125ページでした。しかし、短いわりにストーリーとしてはアプローチが長く、最後の20ページほどで、大きく動いていくというお話しでした。 こういうテンポと構成は、いかにも戯曲的ですね。この筆者は『項羽と劉邦』なんて戯曲も書いていらっしゃいます。 しかし、こんな言い方は何と言いますか、まー、失礼といえば失礼なんですが、文章は余り上手だという感じは受けませんでした。 白樺派の中に、そんな方が他にもいそうな感じがしますが(かぼちゃとかジャガイモが好きそうな方です)、要するに、「拙い」という感じのする文章ですね。(でもそれは、作者の「戦略」なのかも知れませんが。) それは、文章だけではありません。こういうのも「戦略」なんでしょうか、例えば、時代は、徳川第四代将軍の頃です。タイトルからも分かるように「切支丹物」なんですね。「踏み絵」に関わるエピソードのお話しなんですね。 だから、宗教論議なんかも文中に出て来るんですが、これが全く時代を無視した議論なんですね。例えばこんなの。 「自由な宇宙的精神がすなおに共鳴してうけ入れ、愛する事の出来るものでなくては生命がないと僕は思うんです。僕も一時は親兄弟に叛いて教義を捨てようかと本当に煩悶した者です。僕はこの宗門に深い疑いと反感を持っていました。殊に肉体に対しての解釈に於て。」 「貴方は宇宙の精神的中心、--何といったらいいか、--つまりそれがちゃんと儼存している事で宇宙の大体の平衡と秩序が保たれて、無事に進んで行き、それが少しでも傾ぐと世界の運命が狂い出すと云ったような無形の核心を貴方が感じられないなんて、人類や個人は無論の事、万物の幸福と安穏とが一つにそれに係っており、それに従えば平安を得、離叛すれば絶望に陥る一つの宇宙的意識--良心がある事を。」 取り上げていくと切りがないんですが、これが江戸時代初期の南蛮鋳物師と一町人の会話でしょうか。これは完全に本作発表時の大正十二年の「白樺派青年」の議論じゃないですか。 もちろん、そんな事は分かっていながら書いているのだ、という理解は出来ないわけではありません。 しかし更に言えば、上記の引用箇所のすぐ後に、切支丹の虐殺シーンがあるんですが、火あぶりとか、鋸引きの場面が書かれています。 宗教論議は現代理論で、切支丹の弾圧はその時代の「リアリズム」であるというのはどうなんでしょう、こういうのを、「ご都合主義」って言うんじゃないんでしょうか。 宗教論議以外にも、こんな場面があって、僕はここはひょっとしたら、「楽屋おち」の爆笑をねらった場面なのかと一瞬戸惑ったのですが、主人公の若い南蛮鋳物師が、遊女に送った手紙であります。 新年お目出とう。お変わりはないか。俺が久しく君の処に御無沙汰しているのは君が想像するように、君の揶揄いに憤慨しての事じゃない。たしかに俺は「坊ちゃん」だが、巨人の坊ちゃんだ。だからあんな事など気にしてはいない。(後略) こんな調子でまだまだ続くんですが、江戸時代の遊女と職人は、いつの間にこんなに自由に言文一致の文章が操れるようになったんでしょうか。 明治初期の、二葉亭四迷などの言文一致運動のあの苦労は何だったんでしょうか、とはちょっと意地悪な冗談ですが、うーん、困りましたね。 まー、そんな小説、そんな世界の話なんだからってのは、究極の小説擁護理論ではありますが、僕としてはやはり、少しシラケてしまいました。 というふうに、いきなり「悪口」から入ってしまったんですが(そしてこの後も、僕の本作品への不審点がさらに挙がっていくんですが)、にもかかわらず、このちょっと「とっぽい」感じで進んでいくお話しは、決してそんなに感じの悪いものではありませんでした。 しかしこの小説のよく分からない点は、(あくまで、無知な僕にとっての、ということではありますが)更に指摘されていきます。 以下、次回に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.03
コメント(0)

『後白河院』井上靖(新潮文庫) この筆者も亡くなられて、もうだいぶ時が経ちます。 お写真を拝見致しまして、その風貌がいかにも正統的「著述業」といった感じで、なんというか、「現代日本文学の良心」みたいに、まー、僕は勝手に思っていたんですが、そんな方だったんですよね。 だから、その作品は気にはなっていましたが、いわゆる「敬して遠ざける」といった思いが無きにしもあらずでした。はっきり言いますと、僕は今まであまり読んでいません。 二作くらいですかね、ひとつは、『天平の甍』。 この小説は、非常に綿密にきちきちと書き込んだ、いかにも正統的なとてもいい小説だとは思いましたが、しかしかなり地味な小説ですよねー。 娘がかつて通っていた高校に「課題図書リスト」みたいなのがあって、その中にこの小説が入っていました。 僕はそれを見て、この本は今の高校生が読んでもあまり面白くないだろう、第一、最後まで読めるのだろうかと思ってしまったんですが、そんなことないんでしょうかね。 次に僕がもう一冊読んだ本は、『あすなろ物語』でした。 この小説は「教養小説」ということで、「現代日本文学の良心」の作家にいかにも相応しかろうと読んでみましたが、うーん、こっちはもうひとつ、感心しませんでしたねー。 少し不完全燃焼な気がしました。というのも、各40ページほどの6つの章からできており、それぞれが、幼年時代・小学生あたり・旧制高校生あたり・仕事につき始めの頃、という感じのエピソードの集まりになっているんですね。 しかし各エピソードにこれだけの分量では、やはり充分に深く書き込めないでしょう。だから、少し中途半端で不完全な感じが残りました。 そんな経緯がちょっと前にありまして、僕は今回、久しぶりに井上靖氏を読んでみました。 主人公は、その時代の「日本国第一の大天狗」、後白河院であります。時代小説ですね。 筆者は、各章ごとに語り手を配し、全4章で4人の語り手に時代を語らせる中から、後白河院の人となりを浮かび上がらせるという手法を用いています。 この手法は、さほど珍しいというわけではありませんが、後白河院を描くということで言えば、手法自体がいかにも院の政治手法を彷彿とさせるようで、僕も思わず「日本権力の二重構造」なんて言葉を思い出しました。 「日本権力の二重構造」とは、代々の日本歴史上の、実際の権力者と天皇家との関係を述べている言葉ですね。 ところで僕は、歴史や社会科学についてはほとんど知識の持ち合わせが無く(といって、持ち合わせのある分野が外にあるわけでもないんですがー)、間違った理解をしていないか少し不安なんですが、要するに、漫才の「ボケとつっこみ」のことですね。 (あのー、もうすでに間違っているような気もしないでもないんですが、誠にすみませんが、その程度の知識の持ち主とご理解の上、お読みいただけますれば幸いですう。) 僕が理解しまするに、「夫婦漫才」のようなこの「権力の二重構造」は、別に日本のオリジナルではありません。 しかし、そこにユニークさがあるとすれば、日本はそれを、人間二人でやっていたということですね。多くの国は、「人間+神(の預言者)」でやっていたようです。 (そんな風に見ますと、明治以降の天皇の急速な神格化政策は、やはり西洋文明移入の一環だったんでしょうね。「人間+神」に切り替えようとしました。) さて、本作品内容にもう少し近づいてみます。 この時代(平安末期)、実際的な権力を持たない院側が生き残るには、都に次々と入ってくる武家勢力(平氏・木曾義仲・源義経等)に、次々と靡く振りをするという方法しかなかったのでありましょうが、一方武家勢力も、そんなことを承知しながらも、なぜ院の存在を認めてきたかというと、それは、時代にまだ「古代的大義」を認める伝統が残っていたからですね。 この「古代的大義」は、次の『太平記』の時代には、かなり失われてしまいます。 (ただしそれが全くなくならず、日本歴史の中に連綿と生き続けたことは、やはり日本文化としての「権力の二重構造」の粘り腰ゆえでありましょうね。) 作品の終盤、院の死を語る前後の描写に漂う哀愁は、まさにそのまま「古代的=貴族的」価値観の崩壊への鎮魂と重なります。そこを井上靖氏(「現代日本文学の良心」作家)は、『天平の甍』同様、実に丁寧に正統的にきっちりと書き込んでいきます。 そしてこの労作の文体こそが、凡百の時代小説とは一線を画した、優れた時代小説としての本作を作り出しているのだと、僕は考えるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.01
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1
![]()

![]()