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『おはん』宇野千代(新潮文庫) 小説はもちろん読みますが、それ以外の趣味的なものとして、私はクラシック音楽もかなり聴くのですが、かつては、絵画を見に行ったりするのも好きでした。いえ、今でも好きなんですが、ここしばらくは何となく美術展にも行きそびれていましたところ、たまたま招待券をいただいたもので、久しぶりに行って来ました。 「日本近代の百年の美術をたどる」という展覧会で、明治時代の始め、日本における西洋画の黎明期から昭和の第二次大戦後あたりまでを鳥瞰した美術展で、なかなか見応えがありました。 その中に戦後すぐの作品のコーナーがあり、その展示場に入った私は一見、「あ、ゲルニカ」と、声を挙げてしまいました。それほどに、ピカソの「ゲルニカ」に瓜二つに感じられた絵がありました。 本展覧会の解説本を読んでいましたら、戦後の二科展において賞なども受賞した絵画ながら、一方で「あまりにもゲルニカであり過ぎる」という批判もあったようです。 私は美術について全くの素人でありますが(素人故の偏見・無理解ももちろん持ち合わせております)、ちょっと表現が悪いですが、「これはないんじゃないか」と思ってしまいました。 何というか、真似をして「ズル」をしているというのではなくて、ここまで他人の作品に影響を受けすぎている自分の作品を延々と書き続けて、そしてそれを発表するという感覚は何なのかな、と思ったわけです。 ひょっとしたら誰も気がつかないかも知れない、なんてレベルの話ではありません。相手は「ゲルニカ」ですよ。みーーーーんな、知っていますよ。 んーー、一体どういう事を考えて、制作し、そして発表なさったのでしょうねー。 さて、今回の報告作品『おはん』ですが、一読、谷崎潤一郎の影響明らかです。 例えば、こんな文章です。「ふん、いややて? 一しよになるの、いややて?」とあとさきもなう声たてて言ひますと、おはんは、「あんさん、何いうて、」と言うたかと見る間に、いきなり私の胸もとへ跳びかかつてまゐりました。そのまま顔よせて、ひーいイ、ひーいイと声たてて泣きはじめたのでござります。 そのぬくとい、湯のやうな涙のわが内懐を伝うては流れるのが、なにやら肝にしみるやうに思はれてきましてなア、「はあ? うれしいか? うれしいと言うてくれ。おオ、泣け、泣け、」と私はおはんの背を抱いたまま、気が違ふやうになつて申しました。 この文体は、やはり谷崎潤一郎の諸作品、『卍』『芦刈』または『猫と庄造と二人のおんな』などに酷似しているように思うのですが、小説の場合は、文体・設定酷似だけでは、なかなか簡単に言い切れないでしょうかね。 事実本作は、途中までは谷崎諸作品の影響下にある感じのままに進んでいきますが、終盤思わぬ展開になり、私としては少しびっくりしました。 簡単にまとめますと、二人の女に愛されてその真ん中で全く無意志的に踏ん切りのつかない、男女関係にだらしない男を描いた作品です。 中盤から終盤にかけての話のポイントは、この男の「だらしなさ」「無意志さ」具合にあります。 それは誠に、徹底的なもので、二人の女に挟まれて、実際ここまでだらしなくいられるものだろうかとは思いつつ、しかし、そこには妙なリアリティがあったりします。 そのだらしなさが終盤に向かって加速度的に募っていって、果たしてどうなるものかと思う時、ふっと体の浮き上がるような浮遊感を覚えます。 あ、これは、シュールレアリズムだなと、筆者の意図がそこにあるかどうかは分からず、私は思いました。これは一種の、やはり、小気味のよいような心地よさの感覚でありましょう。 そして、本当の終盤、一つの大きな事件のあと、タイトルにもなっている「男」の別居中の妻「おはん」が、「男」に一通の手紙を送ります。 この手紙が、何といいますか、実に引き締まった最後の展開となってゆきます。 例えばこれは、小さな夜行性の草食動物の一生懸命さ、そんなイメージが浮かびます。 何か理にかなっていない、だからその分不思議で気味の悪い、しかしせっぱ詰まった懸命さ、真剣さが感じられます。 この感覚、あ、どこかで読んだ、と思い出しました。 太宰治『女の決闘』 あの、身も蓋もないような殺風景な、しかし神々しいという言葉でまとめても決して間違いではない「女の一生懸命さ」と同様のものが、本作読後私の心には残りました。 やはりこれは一種の深い感動であろうと、私は静かに思うのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.31
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『号外・少年の悲哀』国木田独歩(岩波文庫) またまた、いろんな事をモーソーしているんですがね。 今回はどんなことを考えているかというと、まー、こんな事です……。 目の前に、小説の固まっているのがあるんですね。 小説の固まりっていったいどんな形をしているかと申しますと、えー、ちょっと前にはやったテレビゲームなんかにあったように思うんですが、「スライム」。小説の固まりって、そんな格好をしているんですね。 ぶるぶると細かく震えたりしています。指でつついてみると、ぷよぷよしているんですね。色は、んー、色までは考えていませんでした。すみません。 そんな小説の固まりがありまして、そこから、あれなんて言うんでしょう、「浣腸器」って、ちょっと上品さに欠けますかね。 まー、元々上品さとは縁のないところで書いているブログですから、別に下品だって言われても気にはならないんですが、とにかくそんな、注射器の親分みたいなものを、小説の固まりにぷすっと差し込みます。そして、そこから、ちゅーーーと、「ストーリー」を吸い上げるんですね。ちゅーーーっと。 この、小説に突き刺された浣腸器からちゅーーーと吸い上げられるストーリーって、なかなか背筋がぞわぞわとするような詩的なイメージですね。そんなことないですか。 とにかくちゅーーーーーと吸い上げる。吸い上げる。吸い上げる。 とすると、どうなるかと言いますと、ストーリーがどんどん無くなっていくわけですから、今までストーリーに奉仕していた「描写」はすることが無くなってしまうわけです。 ちょうどメイド喫茶のメイドさんたちが(実は恥ずかしながら、私はメイド喫茶なるものに一度も行ったことがありません。行こう行こうと思いつつなぜか時機を逸しておりまして、気持ちの上では誠に忸怩たるものがあります。だから以下のメイド喫茶のイメージは、私の全く想像上のものであります)、ご主人様が全くいなくなったために奉仕をすることができなくなって、仕方がないから、ネイル・アートに精を出してみたり、アイ・シャドウを塗り直してみたり、改めてお顔のいろんなパーツの化粧をいじり直してみたりと、自らを飾り立てることしかすることが無くなってしまった状態なわけです。 その結果、小説はどうなるかというと、多くは「散文詩」と呼ばれるものになっていくんじゃないでしょうか。多分。 そんなことを考えていたんですが、さて今回は、冒頭の短編集の中から、『疲労』というわずか5ページの小説を取り上げてみます。 なにを隠そう、この作品こそが、私が考える「ストーリーを吸い上げられた小説」であります。 そもそも何をどう書いてもよいジャンルが小説です。古今東西、多様性の限りを尽くしています。しかしそれも限界か、ああこれよく似たの読んだとか、これとこれには影響関係あるよね、とかいった状態になっています。 人間の想像力にはやはり限界はありそうです。全くのオリジナルというのは、さほどあるわけでもありません。 そしてこの作品の特徴の、ストーリーがほとんど無い、いえ、無いことはないんでしょうが、その意味する部分が描かれていないとは、もう少し具体的に言えば、「起承転結」の「起」と「承」で「めでたしめでたし」状況の小説だ、ということであります。 実はこのタイプの小説、私は過去に何種類か読んだことがあります。 解釈としては3種類くらい考えられます。ちょっと、整理して書いてみますね。 (1)明治大正期あたりの作品に見ます。このタイプは要するに、エスキスですね。読者意識とかが余り発達していない時代というか、そんな筆者が放り出したように発表します。この作品自体には、さほど意味はありません。ただたまに、これがその後大化けして名作につながることがあったりします。(そういえば村上春樹の初期の短編にもそんなのがありました。) (2)小説的「引っ掛かり」のほとんど無い小説を確信犯的に延々と書いている小説家がいます。保坂和志氏なんかがそうです。氏の作品は見事に小説的「引っ掛かり」がありません。そのかわり、実際的な分量があります。つまり、保坂氏の小説は「ご近所付き合い」小説で、引っ掛かり無くずるずる続くことに意味があるわけですね。「無事これ名馬」小説と名付けることができそうです。 (3)小川国夫の『アポロンの島』なんかがそうですが、これも初めはストーリーが吸い上げられている小説かと思いました。しかし、じっくり丁寧にまるで落としたコンタクト・レンズを探すようにして読むと、実にシビアなストライク・ゾーンがひっそりと佇んでいることがわかります。こんな小説は、玄人の読み手を必要とします。はまり込んでいくと結構奥が深く、マニアを生みます。 と、三種類の分析をしましたが、本作はどれに当たるかと言いますと、んー、たぶん3型かな、っと。 わずか5ページの中に登場人物(名前のみ含む)が9名、場面の切り取り方のなかなかソリッドなこと、そして、終盤、主人公の顔色が土色をしているという部分のリアリティなどを指摘してみますと、筆者国木田独歩の、初期の田園文学的書きぶりが、後期自然主義的色合いを加えていく過渡期に、あるいは別の流れとして現れ得たかも知れないユニークな散文詩的自然主義作品の片鱗が、この掌編に見えるように思うのは、私の穿ちすぎでありましょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.28
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『ドモ又の死』有島武郎(角川文庫) たまーに思う事があります。 モーソー=妄想の一種でありますが、そもそもがそんな妄想的な人生を送っていますもので、そんなことをいろいろしょっちゅう考えているんですね。 そんなモーソーの一つです。どんなことかと申しますと、仮に、近代日本文学史から自殺した作家の作品をみんな引き上げてしまったら、一体どうなるだろうか、かなり貧相な、寂しいものになってしまうかしら、ということであります。 具体的に、私の好みのままに、ちょっと考えてみますね。 まず、太宰治、いなくなりました。うーん、すでに冒頭のこの段階ですっごく寂しいです、私としては。でもまー、そういう「モーソー」ですから。 三島由紀夫、いません。芥川龍之介、なしです。川端康成、消えました。有島武郎、アウト。 ……と、ここまで書いてきましたが、近代日本文学史上の「文豪」的作家の自殺者は、はて、こんなものかしら。 このあとは、「小粒」と言っちゃー失礼ではありますが、例えば、(大体古い順に)北村透谷・川上眉山・牧野伸一・原民喜・田中英光・加藤道夫・久保栄・江藤淳、あたりですかね、見落としている方もいらっしゃるとは思いますが。 と考えると、案外、文学史全体が貧弱でどうしようもなくなると言うほどでもないことが分かりました。(だって、漱石も谷崎も残っていますよ。) そしてそれは、本当に第一級の才能は自殺しないという私の「持論」(というほどのことではない、単なる思いつきなんですがー)を裏付けてくれたように思います。 ということで、私によって(!)第一級の才能ではないことを、はしなくも「証明」されてしまった有島武郎であります。(第一級の才能云々は冗談みたいなものですが、有島武郎の『或る女』は、第一級の小説であります。) 本書は、戯曲集でありまして、以下の三つの戯曲が入っています。(収録順) 『ドモ又の死』 (1922年・大正11年10月) 『断橋』 (1923年・大正12年3月) 『御柱』 (1921年・大正10年2月) (1923年・大正12年6月…有島武郎の心中自殺) この略年譜からも想像できますし、実際に読めば明らかなんですが、『断橋』という戯曲は死の三ヶ月前に書かれていますが、この作品は、ちょっと「キツイ」です。 文学性が拡散されてしまっていて、独立した文学作品としては、ほとんど体をなしていないんじゃないでしょうか。 自作の『或る女』を踏まえた登場人物が出てくるんですが、すでにそういった発想の中に創作力の行き詰まりが現れているようです。 作家が、主立った自作品のサイド・ストーリーを書くってのはありそうですが(近年では、川上弘美が『センセイの鞄』のサイド・ストーリーを書いていましたが、あれはまー、読者サービスみたいなものですね)、過去の自作品の「世界観」に寄りかかるように新作を書くという姿勢に、すでに減退が見えそうに思えます。 そして創作力の減退ということで言えば、作者の現実的な苦悩がストレートに作品に出過ぎていて(登場人物・高橋の設定も、やや不自然で安易な気がします)、これは例えば、太宰治が、見てくれも何もなく二日酔い的に志賀直哉に噛み付いた『如是我聞』について、坂口安吾が、これを発表してはだめだろうと書いた、ちょうどそれと同じような感じがするんですね。 というわけで、『断橋』は辛かったです。 しかし『ドモ又の死』、これはさすがに文学作品に昇華されていますよねー。 これは例えば、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』のような話であります。 そもそもが、こういった将来を夢見つつ、貧しい現実生活の中でひたむきに芸術創作に励む若者たちの群像というのは、極めて高いロマン性がありますよね。 とってもチャーミングな話だと思いました。 そして、筆者・有島武郎は、どんなにこの「ドモ又」になりたかっただろうと思いましたね。 きっと、晩年に向かって傾斜していく筆者にとって、一つの「ユートピア」のようなものが、この作品には描かれているのだろうと思いました。 さて、自殺作家は二流と言わんばかりのことを、私は冒頭に書いてしまいましたが、当たり前のことではありますが人生に一流二流がないごとく、自殺作家とか、一流二流とかの分類が、文学にとって何の意味もないことは、私としても一応理解しているつもりでありますが……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.24
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『芭蕉雑記・西方の人』芥川龍之介(岩波文庫) 夏目漱石、この人は間違いなく「俳句系」の人ですよね。 小説家として名を成す前に、新進の俳人として「業界」の一部の人から注目を受けていました(業界って、まー、俳壇のことですな)。 でも、漱石の俳句って、やはり「余裕派」という感じですものねー。 腸に春滴るや粥の味 肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 うーん、うまいですよねー。 この俳句は、有名な「修善寺の大患」の後に作られたもので、生死の境を経験した漱石が、一皮むけた切っ掛けになったとされる時期のものなんですね。 そんな大変な時期のものであるにもかかわらず、この俳句には、いかにも俳句らしい諧謔味と、何というか寄物陳思的な「突っ放し」が感じられますね。 俳句のこういうところが、私のようなヘボ俳句好きにとって、何とも言えないしびれる所なんですよねー。 一方、漱石と言えば、鴎外。 この方も忘れるわけにはいきません。私は若い時からずっと「漱石派」のつもりでいたんですが、最近ちょっと鴎外の作品を続けて読んだら、その文体と内容にがぜん共感致しまして、何を今更無知蒙昧がという誹りはあえて受けようとは思いますが、鴎外、なかなかやはり文豪であります。 で、その鴎外は、えー、この方は「短歌系」の人、と……。これで別に間違っていないですよね。 ちょっと心配だったもので、今、大学時代に買ったきりの新書版の大きさの『鴎外選集』第十巻「詩歌」の巻をぱらぱらと捲ってみたのですが(この本を捲ったのは初めてじゃないかしら)、やはりそうですね。 俳句もちらほらと作っていますが、短歌については、雑誌『明星』に数回纏まった数のものを発表しています。鴎外、短歌系、で正解です。 で、さて、やっと辿り着く芥川ですが、この人はそもそも漱石の晩年の弟子ですから、「俳句系」なのも当たり前と言えば当たり前なんですが、えー、紛うことなき「俳句系」であります。 句を一つだけ挙げれば、自殺した日に短冊に「自嘲」ととう詞書と共に書いた句として有名なヤツですが、 水洟や鼻の先だけ暮れ残る でもこの人の「俳句系」とか、太宰治の「俳句系」(太宰も紛うことなき「俳句系」であります)なんかは、別に師匠筋のせいではなく(太宰の師匠筋は井伏鱒二で、この人は俳句系なのか短歌系なのか、私は寡聞にして存じませんが、どちらかと言えば「俳句系」に近いと思われる(?)漢詩の名訳が著書にありますね。『厄よけ詩集』です。)、文学的資質ゆえでありましょうね。 芥川と太宰の、小説への切り口、つまり現実に対する間合いの取り方とか、飛躍の仕方とか、ポエジーの紡ぎ出し方は、いかにも俳句的であります。 今回報告する冒頭の文庫本は、晩年の芥川の随筆系の作品を集めたものです。 『芭蕉雑記』が、今回私にとってはメインの読書のつもりで読み始めました。 『枯野抄』と並んで、芭蕉に直接触れた「俳句系」芥川の、面目躍如の随筆(評論)であります。冴えた着眼と展開が随所に見られます。ある意味、筆者にとっては「自家薬籠中」のもので、「余裕」が感じられそうです。 ところが、そこから約五年の間に、筆者の精神状態は急激に落ち込み、傾斜してゆきます。 少し前に私は、『歯車』『或る阿呆の一生』とか『河童』等を読みました。そこに、今回の自殺間際までの随筆系の文章を重ねますと、うーん、なんと言いますが、優れた知性が自死に向かう刻一刻のドキュメントを、まさに目の当たりにしている思いがしましたねー。 (少し話が逸れるかも知れませんが、三島由紀夫も死の瞬間まで透徹した知性を失わなかった作家だと思いますが、彼は、芥川のような自死に向かうドキュメントは書かなかったですね。この違い、ちょっと気になりますね。) 「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ」とは、鴎外森林太郎の遺書の一部でありますが、一つの極めて優れた知性が、いかに苦悩とアリバイと納得と、そして準備を重ねに重ねて自死に向かって傾斜していくかが、これらの作品をなぞっていくと逐一読みとることが出来て、やはり、私としては容易に看過できないものがそこにあるのを感じました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.21
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『笑う月』安部公房(新潮文庫) 久しぶりに安部公房の本を手にして、いろんな事を考えました。 安部公房は僕が「文学青年」だった頃の、現代日本文学界のきらびやかな「大スター」だったと思います。 (あの頃は、公房以外にも何人か日本文学のスターがいましたが、今でもそういった作家はいるんでしょうかね。例えば村上春樹なんかがそうなんでしょうかね。) 公房が亡くなって、もう十七年にもなるんですねー。 早いものだなーと思い、そしてその次になぜか僕は、「公房は、ベルリンの壁の崩壊やソ連邦の消滅を知っていたのかな」と思いました。 なぜそんなことを思いついたのか、僕自身よく分かりませんが、手がかりとしては「ベルリンの壁」→『壁―S・カルマ氏の犯罪』の連想が一つでしょうね。 もう一つは、ちょうど安部公房が僕の中で「大スター」だった頃、彼に並び立つ、日本が世界に誇る国際的な文学者といえば、その頃より少し前にセンセーショナルな死に方をした作家、そう、三島由紀夫ですね。 彼が西欧を中心によく読まれたのに対して、公房は東欧を中心に、特にソ連邦でよく読まれている作家であると、何かで読んだからであります。 そのソ連邦が崩壊してしまったことを、公房は知っていたのだろうか、と。 調べてみると、年譜上は明らかに知っていますね。年譜ではこうなっています。 1989年11月10日 東西ベルリン市民によるベルリンの壁の破壊開始 1991年12月25日 ソビエト連邦の解体 1992年12月25日 公房、執筆中脳内出血による意識障害、入院 1993年01月22日 公房、急性心不全のため死去 ギリギリご存じですよね。 この年譜を見ていて、誰もが奇妙な偶然に気がつくと思いますが、ソビエト連邦の解体として僕が挙げた日付は、ソ連大統領ゴルバチョフの辞任と連動する各連邦構成共和国の主権国家としての独立が発表された日のものですが、ちょうどその一年後に、公房は脳内出血を起こしていたんですねー。 もちろん、何の因果もない全くの偶然でありましょうがねー。 共産主義の「崩壊」について、筆者は、まー、もうすでに織り込み済みで、これといった感想なり、作品への反映はなかったかも知れませんが、ちょうどこの辺の時期というのは、安部公房の晩年の「苦渋期」でありました。 当時、「新潮社純文学特別書き下ろしシリーズ」という純文学文壇の「大ブランド」に、『砂の女』以降発表し続けていた公房氏ではありましたが、『密会』から『方舟さくら丸』へは何とか刊行していったものの、その次に作品については、かなり難航したようですね。 今となってはもうぼんやりとですが、新聞の広告欄に、結局刊行されなかった新作の広告が打たれたのを、僕は覚えています。 タイトルは(これも少しうろ覚えなんですが)、確か『志願囚人』ではなかったか、と。 僕は、おっ、いよいよ公房の新作かー、と期待しながらその刊行を待ったのですが、その実現はありませんでした。(いえ、公房の死がもう少し先にあったら、おそらく実現されたでしょうが。) そののち『カンガルー・ノート』が刊行されましたが、これは文芸誌への連載をまとめたものでありました。(でも、これも面白かったんですけれど。) さて、今回の読書報告の『笑う月』ですが、久しぶりに公房の文章を読んで、とても懐かしく、なるほどと思ったことがありました。 こんな事は、公房ファンには当然のことなのかも知れませんが、安部公房の小説展開はきわめて無機的なもののように見えますが、それを支える文体やイメージの発想と飛躍には、きわめてロマンティックのものが流れている、と。 それは少し大時代的に「科学的思考と浪漫主義の幸福なる虚構的結合」(あ、やっぱり大時代的すぎるかな)と、そんな風に感じました。 例えば、こんな文。 ゴミ捨て場から聞こえてくる悲鳴は、どうやら、ゴミを食う沼にくわえこまれ、咀嚼されはじめた「有用性」の叫びらしい。すくなくともぼくには、そんなふうに聞える。まだ自分がゴミそのものではないという自覚(もしくは幻想)が、かろうじて日常を支えてくれているシャボン玉の皮なのだ。そのシャボン玉の皮の上に、たぶん明日も、ぼくはなんとかゴミを食う沼の見取図を書きつづけることだろう。もしかするとゴミは砕かれた人間の伝説なのかもしれない。 最後の一文の「殺し文句」なんて、いかにも公房節って感じですよねー。 安部公房亡き後、僕はぼんやりと考えるのですが、このわめて魅力的でイメージの豊かな文章を紡ぎ出せる書き手は、どこにいるか。 うーん、どうでしょう、小説家ではありませんが、もはや養老孟司くらいじゃないですかね。特に、解剖学を一生懸命なさっていた「初期」の、養老先生。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.17
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『恐怖』筒井康隆(文春文庫) 小説がいつ生まれたのかということについては、たぶん専門家がそれなりの研究・考察をなさっているでしょうし、きっとそれなりの学問的成果があることと思います。 いわゆる西洋的な小説をとりあえず考えるとして(といっても、それに対する日本的な小説がどんなものか、平安朝の「物語」あたりが嚆矢なのかなとは思いつつ、では西洋的小説との差異を問われると、いかんせん素人の悲しさ、なんだかよくわかりません)、その生まれは17世紀とか18世紀とかになるんでしょうか。 小説は、文芸の中でもっとも最後に登場し、そして、もっとも自由な文芸形態であると、えーっと、大学時代、英文学史の講義あたりで習ったような記憶がうっすらあるんですが、正しいでしょうかね。 とにかく小説という文芸形態の最大の特徴は「何でもあり」であると、どこかで習ったか何かで読んだ私は、今でもなるほどその通りだと思っています。 しかし人間の悲しさ、実は人間は「何でもあり」=「まったき自由」には、充分に耐えられないんですね。SMの世界がそれを語っています(って、これはちょっと違いますかね。いえ、きっと違いません)。 人間は、すぐにルールを作ってしまいます。 それはきっと安心したいんでしょうね。だってそもそも我々の肉体というものが「保守反動」なものですものね。放っておくとすぐに動かないでおこう、このまま楽していたいとなりますものね。 ともあれ、そんな本来自由そのものであるはずの小説世界にも、あれはダメこれはダメあれがよいこうするのが決まり、と言う有形無形のものが現れます。 一時期、いえ、現在でもでしょうか、日本の小説家の中で、もっとも過激に小説のルールを破壊しまくっていた小説家が、この筒井康隆氏であると言って、多分間違いないかと思います。 これはやはり、何というか、かなり偉いと、言わざるを得ないでしょうねー。 というような、やや奥歯に物の挟まった言い方をしてしまったのは、客観的に考えて、「やっぱ筒井ってすごいよなー」とは理解しつつ、まー、私が割と保守反動な人間なんでしょうか、後述しますが、好みでいうとあまり合わない部分があると言う気がしているからであります。すみません。 いえ、好きな作品も結構あるんですね。ちょうど、筒井氏が大きく化け始めた頃の作品。 『大いなる助走』あたりから始まって『虚人たち』とか『虚航船団』とかの時期は、一作一作かなり読み応えがありましたよねー。 かつては星新一・小松左京と並んだ「SF作家御三家」の中では、まー、こう言っては何ですが、もっとも後塵を拝していたと思われていた(そんなことなかったですか? 私が勝手に思っていただけですか?)筒井氏が、あれよあれよという間に二人を抜き去り、ぶっちぎりでトップに立ったという感じでしたものねー。凄かったですよねー。 特に私が筒井氏の作品を好んだのは、方法論への徹底的な興味とその世界のルールの破壊、言い換えれば「文章・文体・言語・言葉」が主なるテーマだったからでした。 短編小説も含めたいろんな作品に描かれた「実験」に、とても感心しました。 今でもそう思っているんですが、筒井氏の様々な実験は、言葉の成り立ちであるコミュニケーション・ルーツという働きを、いかにコミュニケーションから引き剥がして成立させるかと言うものであったと理解しています。 考えれば変な話ですよね。 例えば「リアリズム」なんかが典型的ですが、いかに言葉で現実を相似形に再現するかと言うことに作家達が切磋琢磨する中で、彼だけが逆の方向を向いているんですね。 どのように言葉から意味を剥ぎ取るか(=現実を剥ぎ取るか)を、他ならぬ言葉を使って追及するなんて、二律背反・天の邪鬼も甚だしいですよね。 筒井氏は、そんな極端にオリジナリティの高い小説家であります。 しかし、私の個人的な好みで申しますれば、それ以外の部分については、どうも、筒井氏の作品の好みに合いかねるところがあったりして、えー、誠に困ったものであります。特に、作品のストーリーなんですね。 なんと言いますか、事これに関しては、私は読み終えて多くの不満足を覚えます。 さて、今回の冒頭の作品も、上記の私の筒井作品への総体的印象をほぼ踏襲しているように思いました。 「メタ小説」的展開は、今回もそれなりの目新しさを見せてくれるのですが、それが支えているストーリーに、やはり私は不満足なものを感じました。 上に書きましたように、数々の実験だけで、もちろん凄いと言ってしまうに決して吝かではありません。しかし、あえて読者の特権・読者のわがままと言うことで、「うーん、途中まではいつも面白いんだけどなー」と、……あ、そのまま書いてしまいました。 どうもごめんなさい。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.14
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『やさしい夜の物語』円地文子(集英社文庫) こういうお話は、「翻案」というんですかね。 うーん、違うのかな、例えば芥川の時代小説(特に王朝小説)には、ほとんど出典がありますよね。そんな意味で言えば、本作も同様かな、と。別に「翻案」なんて言わなくてもいいのかな。 あるいは、日本文学の伝統に則った表現で、「本歌取り」とでも言うのがふさわしいのかも知れません。 そんな、古典の物語に依拠した小説であります。 「本歌」にあたる王朝物語は『夜半の寝覚め』(『夜の寝覚め』『寝覚め物語』とも言うそうです)でありますが、王朝物語と筆者の関係といえば、筆者にはあの恐るべき作品『なまみこ物語』があると、これだけで十分にいろんな事を語っていると思います。 さて、本作は、その『なまみこ物語』の少し手前に書かれた作品だそうです。 初出の発表形式が雑誌「婦人の友」に連載という形で、純文学一直線でないぶん、肩の力が抜けて、あわせて、筆者はかなり自分の創作意欲のままに書いているような気がします。 今、「創作意欲のまま」と書きましたが、本書には、「あとがき」という感じで、小説が終わったあとに、筆者が、王朝物語『夜半の寝覚め』について、作品との出会いや作品の梗概に触れている部分がありますが、なかなか興味深いです。ちょっと引用してみますね。 (略)…それらの欠点を認めるとしても、この物語が、「狭衣」や「とりかへばや」程度にも全巻を完うした形で世に伝わらなかったことには不思議さと遺憾とを同時に感じないでは居られないのである。 「寝覚」はそれほど読者の愛情をつなぎ得ない作品であろうか。いやむしろ、「狭衣」や「とりかへばや」に較べて遙かに生きた人間をリアルに描いている秀作だと思われるので、その物語が、首尾を全うした形を保ち得なかったことに、私は後生の群小作者の一人としてこの不遇な物語と名の伝わらないその作者とに尽きない同情を感じるのである。 うーん、しかし、こんな軽くさらりと書いた程度の文章でも、こうして書き写してみると、まことに表現力の豊かさがひしひしと感じられます。縦横無尽・天衣無縫ですねー。 「不思議さと遺憾」という言葉の使い方が、僕には特に感心されます。 さてこの物語の「不遇」さについてですが、それは、元々あった『夜半の寝覚め』はどうも二十巻近くあったようなのに、現在は五巻しか現存していないということですね。 優れた作品は、必ずや時間のヤスリに耐えて、形を後世に残していくという考え方が、筆者の「不思議さと遺憾」という言葉の後ろにもあるんですね。 ところでさて、僕が上記に「創作意欲のまま」と書いたことですが、今回本書を読んで、小説家とは面白いものだなーととても思ったんですが、それは筆者が、原典物語の散逸部分のどこに興味を持ったかと言うことであります。 それは端的に言いますと、人生の晩年を迎えた権力者が、財力や権力に物を言わせることなく若い女性の愛を手に入れるプロセス、という部分です。 よく考えると、この条件下では、そのための手段はさほどないことが分かるのですが、それがとても丁寧に書かれていきます。このあたりの人間心理は、明らかに舞台となった王朝時代の人間心理ではなく、現代の我々の感じ方が人物に重ねられています。 そしてその結果どうなったかというと、これがまた、僕が面白いなーと思ったことなのですが、一つは、作品の主人公が変わってしまったということです。 『寝覚』は、この時代には珍しい女性を中心に描いた物語であるのに、筆者はこのことを評価していたはずなのに、本作では高齢の関白大臣が中心になってしまいます。 そしてもう一つ、そんな風に丁寧に細かな心理を描きながら、しかし作品としては、前述の関白の死をもって、いささか尻すぼみに作品は幕を閉じてしまうわけです。 この、作品の終えようは、ちょっと読者に不親切じゃないかと思われかねない唐突さであります。 この辺の素っ気なさは、数年後の『なまみこ物語』を焦点距離の中に入れつつ、もうこの作品での実験は終わったとでも言いそうな形であります。 しかし、ここまで自信を持ってなされますと、それはそれで、このエンディングも十分ありかなと思わせてしまうなと、僕は最後にそんな風に感じたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.10
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『白い人・黄色い人』遠藤周作(新潮文庫) 『黄色い人』の冒頭に、前書きのような形で、筆者は短いお話を書いています。 「童話」と紹介している、神様が人間を作った時のお話です。 一人でいるのが淋しくなった神様は、パン粉で人間を作ろうとし、竈で焼きました。 初め、五分で竈を開けた時にできた人間はまだ生焼けで真っ白だったので、「白人」と名付けました。今度はうんと時間を掛けて焼きましたが、時間を掛けすぎて真っ黒に焼けた人間ができあがりました。神様は「黒人」と名付けました。 最後にほどよい時間で焼いた黄色い人間ができ、「黄色人」と名付けます。そして神様は、「何ごとも中庸がよろしい」と言って、うなずかれました。 この話は何なのでしょうね。 『黄色い人』の中に黒人は出てきませんので(『白い人』の中にも出てきません)、白人と黄色人種の比較と考え、そして、何を比較しているのかとさらに考えると、たぶん、「無信仰者の、信仰者に対する相対的優位」って事でしょうかね。 『黄色い人』のテーマの一つはたぶんそんなところにありましょうか、しかし今更ながら、遠藤周作の純文学小説は、とても重たいです。 『白い人』と『黄色い人』の二つの小説、どちらの出来がいいでしょうかね。 一般的な評価がどうであるのか全く知らないですが、僕の感覚的なとらえ方では、うーん、やはり、『黄色い人』かな、……迷いますね。 『白い人』は第二次世界大戦終盤のフランス(ナチスに占領されていましたが、解放直前のフランス)が舞台です。 戦争と性的なるものの関係。ナチスドイツの人間性からの「ずり落ち」。そして、キリスト教とサディズムの関係。 このあたりがテーマでしょうが、どの一つをとっても、とてもとても重苦しいですよねー。そう簡単に見やすい鳥瞰図ができようとは思えませんよねー。 だから(「だから」かどうかはわかりませんが)、小説としては、少し図式的になったような気がします。 登場人物が、筆者に操られている人形のような類型的な動きになり、ややリアリティに欠けたように感じます。 人間が肉体的苦痛によって信念を曲げるということは、たぶん現在では、さほど意味のあるものではありません。そこに倫理的な、あるいは文学的な課題は、たぶんあまり残っていないと思います。 そういう意味で言いますと、この小説に立てられたテーマは、少々古びかかっているとも思えそうです。 一方『黄色い人』に描かれる、遠藤周作的宗教的二律背反テーマは、「全面的に神を信じることができないのに神の不在も恐れる」です、たぶん。 しかし、筆者の持つ「背徳者意識」の強さは、いったい何なのでしょうねー。 僕は、さほど根を詰めて遠藤周作を読んでいるわけではありませんが、この「自分はいつ神を裏切るかわからない」とでもいえそうな背徳への恐怖、そしてそれに伴う神の裁きへの恐怖(決して許してくれない神)は、とても強い形で、一貫して筆者の小説に流れていると思います。 ユダも、もし、あなたの弟子であったならば、そしてまた、その救いのためにあなたが十字架を背おい、鞭うたれ、死なねばならなかった人間の一人であったならば、あなたは、なぜ、彼を見捨てられたのだろう。「ユダ、私はお前のためにも手をさしのべている。すべて許されぬ罪とは、私にはないのだから。なぜなら、私は無限の愛なのだから」あなたは決してそう言わなかった。聖書にはただ、怖ろしいこのあなたの言葉がしるされてあるだけなのです。「生れざりしならば、寧ろ彼に取りて善かりしものを」 キミコは、私にゆさぶられて乱れた髪をなおしながら呟いた。「なぜ、神さまのことや教会のことが忘れられへんの。忘れればええやないの。あんたは教会を捨てなはったんでしょう。ならどうしていつまでもその事ばかり気にかかりますの。なんまいだといえばそれで許してくれる仏さまの方がどれほどいいか、わからへん」 別々の二カ所から引用しましたが、後者の台詞などは、まさに日本人的・ほぼ無宗教的「気楽さ」で読めば、大いに納得できてしまいそうです。 しかし筆者がこだわったもの(それについて僕が十分に理解できているとは思いませんが)、たぶんそれは、日本的宗教観の持つ、「人間の意志力に対する否定的感覚」めいたものではないかと思います。 神(仏)が人間をすべてを許すとは、結局、神(仏)が人間をすべてを信じていないことに他ならないのではあるまいか。そしてそれに対して、人間として震えながらも「おおそれながら」と異議を唱え続ける精神。 遠藤周作が最後までこだわったのは、たぶんそういったものであり、だからこそ、遠藤作品はとても重く、そして、いつまでも人を打ち続けるのだと思います。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.07
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『海辺の光景』安岡章太郎(新潮文庫) 上記作品の読書報告の後半であります。 前回報告していましたのは、七つ入っている小説中、その六つまでの小説について、えー、少し申し述べにくいのですが、ちょっと僕としてはつまんなかったかな、という事を書いてしまいました。 (もちろん、我が読解力不足による誤読も多かろうとは思ってはいますんですがー。) しかし、本短編集の分量バランスで言いますと、全240ページ中、六編の小説をみんな合わせても110ページでありまして、ご安心あれ、過半を占める130ページは、なかなかの力作、いえ類い稀なる傑作、総題にもなっている『海辺の光景』であります。 今回はこの小説のご報告を一席。 ふだんから父は存分に時間をかけて咀嚼する方だ。ひと口ひと口、噛みしめるたびに、脱け上った広い額の下で筋肉の活動するさまがハッキリ見える。乾いた脣のはしに味噌汁に入っていたワカメの切れはしが黒くたれさがっているのも知らぬげに、口は絶え間なくうごいており、やがて噛みくだかれたものが食道を通過するしるしに、とがった喉仏が一二本剃りのこされて一センチほどの長さにのびた無精ヒゲといっしょに、ぴくりと動く。まるでそれは機械が物を処理して行く正確さと、ある種の家畜が自己の職務を遂行している忠実さとを見るようだ。 まずこの圧倒的な描写力に驚きますよね。 これは日本文学の系譜から行くと、どのあたりの影響関係が見えるんでしょうかね。 基本的には、やはり志賀直哉系でしょうか。ただ、志賀直哉よりは濃厚で、その分、無骨と言えば無骨な気もします。やや浪漫主義的な言葉の選び方を感じますね。 上記引用部にはあまり見られませんが、含まれるユーモアには、井伏鱒二とかあのあたりにも近い感じがします。 そして全体的には、筆者の一つ前世代の「戦後派」の描写に近いものを連想します。 そんな描写力が、まず圧倒的でありました。 そしてその描写で描かれている物語は、現代の「棄老物語」であります。 本作の初出は1959年の『群像』となっています。 1959年、昭和34年といえば、古い日本の家族観の、実質的な終わりの始まりの時期ではありましょうが、表面的にはまだまだ広く、「家父長制」を中心にした古い家族内の人間関係があったと思われます。 さて、この話の主要な登場人物は、年老いた両親と、中年にもう少し間のある独身の一人息子(主人公「信太郎」)です。 年老いた母が精神を病んで隔離病院に入院させたほぼちょうど一年後、母危篤の連絡で東京から入院中の母親を見舞いに来た信太郎は、九日間の看護の後、母を見送るという展開が骨格になっています。 そして、一年前の母の強制入院と、その後死の直前まで東京に一人暮らしのまま一度も顔を出さなかった事、すなわち「棄老」に対する、主人公の罪悪感や精神的バランスの乱れが、「母の体は衰弱しているだけではなく、もはや人間的なものを全身から完全に剥ぎとられて」いく姿を九日間見続ける中で、様々な回想場面を交えつつ描かれます。 この物語と視点には、昭和34年の作品としては、驚くべき現代性があると思われます。 上記に、「古い日本の家族観の崩壊の始まりの時代」と書きましたが、現代に直結する課題をその時代に先取りして書けた原因には、もちろん筆者の人間関係への優れた把握力がまず第一にはありましょうが、物語の設定としては、一人息子を独身にしたところにあると思います。 妻を描かなかったことが、「家父長制度」におけるもう一つの大きな課題を描かずにすませたことは明白であると思われます。作品内に息子が第三者的に逃げ出す空間を成立させませんでした。 この「欠落」が、返ってリアリティを失わせずに、「棄老」の話を可能にしたと見るのは、僕の穿ちすぎでしょうか。 もっとも、これほどの描写力=筆力を誇る筆者ですので、たとえそのような要素が現れても十分に対応できたであろうことは想像できもしますし、なるほど、少し変な言い方になりますが、「第三の新人」の本当の実力とは、このあたりのパワーを指すのだな、「うーん、侮りがたし」と、一連のこの流派の方々の顔を、僕は次々頭に思い浮かべたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.03
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