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『風流仏・一口剣』幸田露伴(岩波文庫) あれこれぐちゃぐちゃと本を読んでいますと、頭の中に文章の断片みたいなものが、始終ちらちら浮かんできて、ところがそれがどうも確実性のある情報じゃないのが良くありません。 誰々が確かこんな事を書いていた、といったフレーズの「枕詞」がつくんですが、信憑性に欠けること甚だしく、困ったものですなー。 という端から、こんな言葉がふと浮かんだりします。 読書というのは、いわば人の頭で考えているものを教わることだから、沢山読めばいいというものでもないのだ。 ……と言ったのは、確かー、えーと、ショウペンハウエル? まさに言われるそのままの「自分では考えない状態」になっているような気がします。 やれやれ、全く困ったことです。 これも以前読んだ本、確か三島由紀夫が書いていたように思うのですが、こんな内容でした。 小説家を尊敬する人がいる。 誰が誰をどんな理由で尊敬するかは全く個人の自由であるから、それについてはまるで問題はないが、小説家が知識人であるから尊敬するというのならば間違っている。小説家が持っている知識は、汎用性の低い職業的な知識であるから、例えば魚屋が魚についての知識を多く持っているのと、何等変わるところはない。 ただ、歴史を振り返ってみれば、小説家がいわゆる知識人と重なって存在し得た時代があったことも確かである。 と、まー、こんな内容であったと、私は記憶しておるんですが。 そして、小説家が知識人と重なって存在し得た時代として、明治時代の日本近代小説の黎明期を挙げ、具体的な作家としては、確か、幸田露伴が挙がっていたように覚えています。(たぶん。) なるほど、さもありなんと、思いました。 今回、少し幸田露伴について調べてみたのですが、露伴は昭和12年に第一回文化勲章を受章しているんですね。そしてその祝賀会の席上で、こんな主旨の挨拶をします。 文学は科学とは別で、国家に厚遇されるよりもむしろ虐待されるところに優れたものが生まれる。 私の読んだ幸田露伴の解説文は稲垣達郎の文章ですが、さらにこう書かれています。 文学の本領をついてあますところなく、真正文学者の面目躍如というべきであろう。 こんな文章を読んでしまうと、単純な私は、もーそれだけで文学者幸田露伴を全面的に信頼! という感じになってしまうのですが、さて、冒頭の今回の二つの短編小説であります。 日本文学史高校教科書副読本などでは、幸田露伴の小説としてまず挙がるのが『五重塔』です。そして、それに続く作品として、この『風流仏』が挙げられるようです。 そして『一口剣』については、『露団々』ならんで、いわば「第3位」に挙げられることがあるようですね。 なるほど『一口剣』、みごとに作品が真ん中で別れ別れになっています。 しかし、実に見事に割れていますねー。昔はこんなの「あり」だったんですかねー。 前半に出てくる「お蘭」という女房はなかなかよく書けていたんですが、今となっては作品の破綻と思えるような展開で消えていきます。 そして後半、代わりに描かれるのが、『五重塔』『風流仏』的世界であります。 『風流仏』は『五重塔』の次に評価されていそうで、なるほど私が読んでもそのランキングは客観的な気がします。 筆者は、本作においても「露伴的刻苦勉励奮闘努力理想主義」的世界を十二分に描いています。時代の要請だったのかも知れません。 しかし今読んで、なんと言っても圧倒的なのは、その文章力でありましょう。 思うに、明治の初年(『風流仏』明治22年)とはいえど、やはり傑出していたんでしょうね。「天才・露伴」と評判があったと聞きます。 なるほど、これが三島由紀夫の曰く、小説家と知識人との蜜月的合一なのかと、私は大いに納得したのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.28
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『人魚の嘆き・魔術師』谷崎潤一郎(中公文庫) 例えば「美は細部に宿る」と言ったのは、三島由紀夫ではなかったかと思うのですが、このフレーズを初めて読んだ時、私は全くもってその通りだと感心・納得したような気がします。 しかし、よく考えてみると、具体的にこのフレーズは何を言っているのでしょうか。 いえ、何となく、感覚的には分かるような気がするんですね。 しかし、今回のような作品を読むと、「美」は本当に細部に宿るのかということについて、どうも具体的に指摘しきれないような気がします。 両側に櫛比している見世物小屋は、近づいて行くと更に仰山な、更に殺風景な、奇想的なものでした。極めて荒唐無稽な場面を、けばけばしい絵の具で、忌憚なく描いてある活動写真の看板や、建築毎に独特な、何とも云えない不愉快な色で、強烈に塗りこくられたペンキの匂や、客寄せに使う旗、幟、人形、楽隊、仮装行列の混乱と放埒や、それ等を一々詳細に記述したら、恐らく読者は悄然として眼を覆うかも知れません。私があれを見た時の感じを、一言にして云えば、其処には妙齢の女の顔が、腫物のために膿ただれているような、美しさと醜さとの奇抜な融合があるのです。真直ぐなもの、真ん圓なもの、平なもの、--凡て正しい形を有する物体の世界を、凹面鏡や凸面鏡に映して見るような、不規則と滑稽と胸悪さとが織り交っているのです。正直をいうと、私は其処を歩いているうちに、底知れぬ恐怖と不安とを覚えて、幾度か踵を回そうとしたくらいでした。 まぁ、改めてこんなことを考えてもあまり意味は無いとも思いつつ、この文章に「美」は宿っているか、と考えてみます。 当たり前だけれど、「指摘」できないですわね。 いや、指摘できないんじゃなくて、そもそもこんな文章には「美」なんて宿っていないとも考えられます。 でもそう言ってしまうと、谷崎の文章自体に美は宿ってはいないのだ、むしろ宿っていそうなのは、例えばそう、森鴎外などの文章ではないか、と。 なるほどそんな気も、しないではないように思います。 上記の引用文にも散らばっている「けばけばしい絵の具」「ペンキの匂」「不愉快な色」「奇抜な融合」「不規則と滑稽と胸悪さ」等々の表現、これは単に、お話の中に出てくる「見世物小屋」の描写だけではないのかも知れません。 しかし、例えば永井荷風によって絶賛された『刺青』、この初期の傑作なんかには、もう少しくっきりとした「美」が宿っていたように思うんですが……。 晩年の谷崎潤一郎は、過去の自らの作品について、特に中期の作品をかなり嫌っていました。自選全集を作った時も、自分が死んだ後もどうかこれ以上の作品は掘り返さないで欲しいといった主旨の文章を書いていたように思います。 (ついでの話ですが、もちろん谷崎のこの願いは、死後見事に裏切られてしまいます。コワイもんですねー。) こうして読んでみますと、やはり中期の谷崎作品のテーマは、「デカダンスの美」とでもいうものでしょうかね。今回紹介の二作品のテーマも明らかにこれであります。 しかしこういったデカダンスの美に伴う「頽廃感覚」は、どうも色褪せるのが速いように思えますね。 そもそもが、感覚の極々表層に漂っているようなものだからでしょうかね。 あたかも、祭や縁日の夜の喧噪のように、翌日の陽の光の許では、みすぼらしいような淋しい姿を晒してしまいます。 時代という名の祝祭が終わった時、時代風俗に託して描かれることの多いデカダンスの美は、剥げたメッキのような姿を現してしまいます。 いえ、それは少し言いすぎでありましょう。 仮にも谷崎の筆力は、剥げたメッキに喩えられて可とするものではありません。 現在読んでも、一文一文には筆者の刻苦のあとが見られ、才能の片鱗を充分に伺わせてくれます。しかしただ、その刻まれた絢爛豪華な文章は、私たちの美意識に力強く迫ってくるものとは、微妙に異なっているように思えてしまいます。 晩年、自らの美意識と作品について大きく軌道修正を果たした筆者は、この先、自らが歴史の名の下に裁かれる「巨人」であることがわかっている故に、この苦渋の時期の作品を継子のように嫌ったのでありましょうか。 しかしいずれそれは、与り知らぬ天才の悩みであります。 私たち凡人の享受者は、この作者に嫌われた不思議な少し古くさい美意識にも、何ともいえないノスタルジックな魅力を、今でも、そしてきっとこれからも、大いに感じ続けることでありましょう。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.25
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『第七官界彷徨』尾崎翠(河出文庫) 上記小説作品読書報告の後編であります。 全編では何を述べていたかをおさらいしてみますね。 「尾崎翠は気になる作家だ。尾崎翠は少女漫画の鼻祖だ。」 ……えー、これだけ、ですかね。いえ、もう一つありました。 「尾崎翠作品の独創性は極めて高い。」 後編はこれを中心に考えてみたいと思います。 1896(明治29年) 鳥取県にて誕生 1914(大正3年) 18才 文芸雑誌投稿欄に初めて活字として掲載される。 以降、投稿作品掲載者の常連から新進作家へとなっていく。 1931(昭和6年) 35才 『第七官界彷徨』発表 とってもアバウトな年譜で、何の意味があるのかという気もしますが、私の気になったのは、昭和初年という尾崎翠の作家としての活動最盛期についてであります。 大正期の後半から昭和の初年という十年あまりのこの時期は(この後すぐに日本は戦時体制に入っていき、文芸文化は、少なくとも表面上は急速に衰退していきます)、日本近代文学史上に初めて現れた、実に多様性に富んだ時代ではなかったかと、私は考えています。 この時代背景を考えることなしに、尾崎翠の卓越したオリジナリティーとモダニズム(触れ忘れていましたが、これも尾崎翠作品の大きな特徴ですよね)は、語れないと思います。 昭和初年に、そのような文芸的特質がなぜ開花したかと言いますと、その要素は以下の2点です。 (1)国民の経済力の上昇と、識字率の上昇。 (2)小説表現の熟成と深化。 (1)の要素は、何より読者層の圧倒的拡大を生みました。特に、江戸川乱歩などを生み出した大衆小説の誕生の影響は大きいと思います。そして、読者の拡大が、作家に「読者」という視点の重要性を作り出しました。 (それ以前は多分、小説家は読者なんて考えないで小説を作っていたと思います、ややアバウトな分析ながら。) そして、そのことも、(2)の要素を強めました。 (2)の要素は、この時代いろいろな文芸上の流派が誕生したことがそれを語っていますが、具体的には、例えば若き日の川端康成や井伏鱒二や、特に太宰治の初期作品はことごとくがそうですが、かなり多くの文体上の実験小説が発表されています。 そしてそれらの実験が、ますます小説表現の可能性を拡げていき、その産み出した結果こそ、 「小説家という職業の有効性・小説という表現媒体の有効性」ということであります。 小説家の社会的・経済的地位が向上したこと、そして、様々な目的意識を持った者が、その実現(例えば社会変革とか)に小説が極めて有効であると気が附いた時、多様な書き手が誕生します。(それまでの作家=書き手は、ほとんどがブルジョワの子弟か、極々限られたインテリゲンチャのみでした。) そうして興った「文壇」の盛況は(菊池寛の存在も大きいですよね)、群雄割拠・百家争鳴状況を加速度的に展開させ、そして史上まれに見る百花繚乱、多様な小説作品の誕生となったと、……うーん、我ながらなかなか鋭い分析でありますなー。 (えっ? あたり前のことを書いただけですって?) さて、尾崎翠作品に見られるオリジナリティーとモダニズムは、この様な文芸状況を背景に考えた時、極めて説得力の高い形で我々の前に姿を現します。 そしてそのことは、決して尾崎翠の作品の価値を貶めているのではなく、一つの時代を象徴した作品として、時代の典型としての彼女の存在を、私としては、強く考えるものであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.21
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『第七官界彷徨』尾崎翠(河出文庫) けれど三五郎のピアノは何と哀しい音をたてるのであろう。年とったピアノは半音ばかりでできたような影のうすい歌をうたい、丁度粘土のスタンドのあかりで詩をかいている私の哀感をそそった。そのとき二助の部屋からながれてくる淡いこやしの臭いは、ピアノの哀しさをひとしお哀しくした。そして音楽と臭気とは私に思わせた。第七官というのは、二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか。そして私は哀感をこめた詩をかいたのである。 フェイヴァレットでは、取り敢えず、ありません。 というか、それがフェイヴァレットであるかが分かるほど読んでいません。 しかし、それでいて、何となく気になる作家というのが、ありませんか。 私にとって尾崎翠とは、そんな気のする作家でした。そして、かなり以前より、もう少ししっかり読まねばならないと思いつつ、それでいてずるずると何となく読み切れないで今日に至りました。 その間、「やはり」というか、「思いがけなく」というか、尾崎翠の作品は、極々限られた本当のマイナーなマニア間に於ける高評価から、もう少し、それこそ「メジャーのマイナー」くらいの層での高評価に代わっていました。 そんな、「日本文学はこの一作でいい」とか、「少女漫画の原型」とか、色々いわれ出した尾崎翠でありますが、さて、冒頭に少しだけ抜き出してみましたが、たったこれだけからでも、筆者の独創性や優れた特質が読みとれそうな気がします。 丁寧な分かり易い優しい表現の中に、以下に挙げるような特徴が読みとれると思います。 (1)ユーモアに対する指向。 (2)ナンセンスに対する指向。 そして、引用部分からだけではありませんが、 (3)「第七官界」「蘚の恋」などというオリジナリティーの高い着想。 なるほどこうして挙げてみれば、「少女漫画の原型」という批評は、あながち分からないでもない気がしますね。(少女漫画とナンセンス指向の間にはやや疑問符が付きそうですが。) と、今、述べましたが、少女漫画についての私の知識は、実は約三十年前に止まったままであります。 そんな意味で言いますと、少女漫画との類似を語る資格なんかないとは、自分でも思いますが、ただ、約三十年前は、かなりリアルタイムでいろんな少女漫画を読みました。 そして、三十年前の少女漫画界にどのような漫画家がいたかといえば、それは、例えば萩尾望都であり大島弓子であり竹宮恵子でありといった、たぶん現在の少女漫画文化の黎明期に於ける、「少女漫画的感性」のそれこそ「原型」を作った方々ではなかったかと思います。 そのように、少女漫画の鼻祖と考えても良いということについては、なるほど一定の納得をするとして、さて、文芸作品としての本小説であります。 実はこうして書きながら、私はとても迷っているんですね。 その迷いとは、例えばこんな感じのものです。例によってフェイヴァレット(それこそ「フェイヴァレット!」)の太宰作品で考えてみます。 例えば太宰治の小説が、たった一つだけあって(一つではいくら何でも少なすぎますかね。まー、そんなイメージということで)、後ほとんどが無くなっても、その一つ残った小説だけを読んで、私はその作品に感心しあるいは好きになれるだろうか、という事です。 もちろん作品にもよりますよねー。そんなに簡単には言い切れない。 『愛と美について』 この小説にします。これは短編小説ですが、この作品だけを読んで、私は筆者の太宰治を好きになれるか、という課題にします。 ……なんか、好きになれそうな気がします。 あれこれ言い出すと色々言えそうですが、潔く、私は好きになれそうな気がしますと、まー、(やや迷いつつ)断言します。 さて、なぜここで『愛と美について』を取りあげたかと言いますと、もちろん私が、今回の『第七官界彷徨』に近いものを、この作品に感じたからでありますが、以下、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.18
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『大石良雄』野上弥生子(岩波文庫) この『忠臣蔵』の主役の名前は、「おおいしよしお」ではなくて、「おおいしよしとも」と読むんだそうですね。 そういえば、昔そんなことを読んだか聞いたことがあるような気もしますが、ともかくそんなことすらよく知らない私であります。 そもそもいつの時代にも、その「時代=世代」の一般常識というものがあり、その世代から少しでもズレてしまうと、微妙にその一般常識が分からないと言うことがありますよね。だから一概に「私の無知」が原因であるとはいえないと(いや、お前の無知が原因だという声も、まー、多々ありましょうが)、とりあえずそうさせて下さい。 とにかく、私の世代の少し上あたりで、この「忠臣蔵」とかの一般教養がぷつりと切れてしまっているように思います。 私と致しましては、それは余り良くないと思いましたもので(例えば丸谷才一は、江戸時代から忠臣蔵を取り去ってしまうと、いかに江戸270年の歴史が平板なつまらないものになるか、という趣旨の文章を書いていました)、私なりに何冊か忠臣蔵関係本を読んだのですが、しかしそれでも、例えばこの「有名」な47人のプロフィールなどについても、私にはほとんど見えてきません。 これは要するに、時代劇に対する「一般教養」ですかね。 いやひょっとすると、演芸や浪曲、いわゆる大衆芸能的なものに対する一般教養の違いと言えるのかもしれませんね。 多分私だけではないと思うのですが、例えば「清水の次郎長」や「国定忠治」について知っていることを述べよといわれると、もう私の知識は針の先程度のものでしかありません。 一方で、これらの物語の内容・背景などについて、かなりの事をご存じの年齢層の方が確かにいらっしゃいますよね。 もちろん、だからといって私は別に臆しはしないんですが、ただ、今回のような小説を読みますと、上記に書いた年齢層の人々は(そしてそれはおそらく、筆者が想定したであろう読者像だと思うのですが)、少なくとも私の五倍や十倍くらいの面白さをこの小説に味わうのだろうなと考えた時、我が身の無知を少し残念と思うばかりであります。 さて、この小説はタイトルからも分かるように、「歴史小説」ですね。 歴史小説について、かつて少しは考えたことがあるのですが(拙ブログの井上靖の項を御参照いただけるとありがたいです)、本作は大正十五年発表でありますが、その頃の一般的「忠臣蔵」知識は、私の持つ忠臣蔵知識状況とは異なって、虚実ない交ぜにしつつ現在で言うところの「マニア」を多く持っているような、そんな百花繚乱・百家争鳴的状況ではなかったでしょうか。 例えば芥川の有名な短編小説などを筆頭に、少なくない小説家が、この「忠臣蔵」のサイドストーリーや二次創作を行っていたように思います。 その中に、さらに打って出るというのは、筆者のどのような狙い、または自信なのかとつい考えるものであります。 と言うことを案じつつ読んでみました。そして、結局ある程度の納得できる答えとしまして(内容は当たり前のものではありましょうが)、こんな風に考えてみました。 歴史小説は、筆者の新しい歴史解釈(歴史人物解釈)を、些末な日常的レベルで統一した虚構世界を通して差し出すことができた時、可能となる、と。 うーん、極めて当たり前すぎる「定義」ですかねー。 例えば本書のこんな部分。ここは、芥川の短編にも取りあげられていた、仇討ちを控えた大石良雄が、派手に茶屋遊びをしたことを述べている部分です。 妻のくり子は時々そんな皮肉を云つた。これも三分の一ぐらゐは事実であつた。而かも現在の内蔵之助に取つては茶屋の灯や、美しい女たちの顔や、彼等の若い陽気な笑ひ声は、庭の向うの山々や、朗らかな春日や、庭いぢりや、瑞々しい牡丹の芽や、これ等のものと反撥しなかつたのみならず、彼の心を、自由な拘束のない楽しみの中に容易に誘ひ込んで呉れる点で、同一の価値であり、何等矛盾のない魅力であつた。生理的にだけ云つても、彼は女色に対して、青年期の熱情よりは却つて危険な、而して更に防御力の弱い年齢に達してゐた。現在の事情が遊ぶのに都合よく出来てゐたのも、一つの原因でないことはなかつた。内蔵之助には浪人の閑散と金があつた。 特に後半などは、明らかに筆者独自の解釈でありますが、このような、日常的なごく細かい出来事を解釈したものを積み重ねていった結果、統合された野上弥生子的大石良雄像が現出するわけでありますね。 野上弥生子については、私はさほど多くの小説を読んでいるわけではありません。 しかし例えば『秀吉と利休』のあの緻密な文体と同様のもので、本作も、歴史人物に対する野上的解釈の日常的裏付けが、一つ一つ丁寧になされており、そしてそれが、堅牢なリアリティと説得力を持つ、存在感の強い小説世界を形成しているのだと、私は思ったのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.14
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『無名作家の日記』菊池寛(岩波文庫) 菊池寛という人は、偉い人なんですよね。 日本の近代「文壇」を作った人なんですよね。 作家と言う職業に対する社会的評価が低い時に、大いに孤軍奮闘努力し、その向上に勤め、そしてまー、その社会的評価は現在に至る、と。 ただ、日本の近代「文壇」を作り上げた「才能」と、いわゆる文学的才能は、別物ですよね、当たり前でしょうが。菊池寛自身も、そんなことを書いていますしね。 (まれに、実業家=企業人=経済人的な才能と、文学的な才能の両者を併せ持つという方もいらっしゃって、例えば辻井喬とか水上滝太郎とかがそんな方でしょうが、全くすごいですね。) さて、今回は、そんな菊池寛の「現代物」短編集を読んでみました。 で、感想ですが、うーーん、ちょっと困っているんですがー、まー、素人のお気楽発言と言うことで許していただくとして言っちゃいますと、とりあえず同じ菊池寛の「時代物」小説よりも、ちょっと落ちるんじゃないか、と。 なぜそんな風に感じたのかを考えてみたんですけれどね、考えていると少し前に流行った言葉を思い出しました。 「上から目線」 筆者の「テーマ小説」の特徴は、大体二つにまとめられると思います。 (1)リアリズム (2)モラリズム この二つが、パチッと面白く作品にフィットする時もあるんですが、そういうのは、わりと「時代物」に多いように思います。 一方、(これは私の好みもあるかなとは思いますが)本短編集で言えば『慎ましき配偶』などという作品は、(私にとっては)何とも後味の悪い、「イヤーな」作品でありました。 簡単にこの小説のテーマを書きますと「醜女は救われるか」ということです。 もちろん、ストーリーとしては、救われるのでしょうが、そもそもこんなテーマ自体が、はっきり言って「時代的限界」を持ちますよね。 それに、この小説について言えば、それが菊池の「リアリズム」のせいかどうか、とにかくユーモアの全く感じられないことが、とっても苦ーい、後味の悪ーいものを感じさせます。 そして(ちょっとしつこいですが)、そこに「上から目線」が加わっていきます。 うーん、ここまで書いてきて、ひょっとしたら、私は全く読み違えているのかしらと、少し不安になってきました。 文壇の大御所にそんな言い方はないだろうといわれると、「すんません」とすぐ謝る気もするんですがー。 ただ、この岩波文庫の解説には、広津和郎の書いたこんな文章が引用されています。 中には幾つかは面白いと思つたものもあつたが、その大部分は菊池君の一種の明敏な頭で思ひついたテーマで、そのテーマを見つけると、それを作品の結末の目標に置いて、後はそこまで如何にうまく辿りつくかといふだけが見せどころであるやうなものが多かつたので、そこから深い味ひは私には感じられなかつた。さうしたテーマ小説の多くをイゴイズムの解剖だなどと賞讃してゐる批評家もあつたが、それは自己心内のイゴイズムと格闘してゐるといふやうなものではなく、人間の本心にはさうしたイゴイズムがあるといふ事を、手軽につまんで見せてゐる程度に過ぎないものであつた。 うーん、上手に書きますよねー。 「深い味ひ」とか、「手軽につまんで」とかそんな言葉の中に、私の感じたことがそのまま表されているように思いました。 しかし、このような作品から読みとれる菊池寛の、「自分が、作家も含めて、国民を広く啓蒙するのだ」という気概こそが、確かに日本の近代「文壇」を作り出した、その大きな力だったんですよね。 「君、この上に、まだ何かいるの? 芸術性って?」 ……いえ、もちろんそれは、菊池寛の偉大なる業績以外の何ものでもありません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.11
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『青春の逆説』織田作之助(角川文庫) さて、上記長編小説読書報告の後半であります。 前回の最後に二つのことについて触れました。織田作作品の特徴であります。 (1)短編小説である。 (2)「渋い」感じの切れ味の良い描写・展開を特徴とする。 何かバランスの悪い二項目の並びですが、今回の報告作品が長編小説であることを鑑みますと(1)は外せないところであります。 前回の報告に、作品冒頭の表現を抜き出しましたが、あそこに出てくる「お君」が、主人公「毛利豹一」の母親であります。 母親の結婚から始まって、豹一の出産、そして、豹一の学生時代が、前半の主な部分となります。 後半は、第三高等学校中退後、新聞記者の見習となった豹一が、女優の多鶴子との恋愛に破れるところで終わっています。 織田作のスタンダールへの傾倒は本人の述べるところであり、本作主人公の豹一の感じ方や行動に『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルのエピゴーネンを見ることはたやすく思えます。 ただ、私はそういったストーリーとは別に、一つのことが読んでいてとても気になりました。 それは最初の内は、まだ十代から二十歳までの青年を主人公に描いている故かとも思いましたが、作品に非常に「テレ」が見えるように思ったことです。 そもそもこの小説のタイトルそのものが、すでに「テレ」の塊でありますが、例えば作中のこんな表現。 だが、はっきりと気がつけば、豹一自身いまいましいことにちがいないこの恋情に就ては、細かしく説明しない方が、賢明かも知れない。だから大急ぎで述べることにするが、つまり豹一がふと見た銀子の痛々しく細い足の記憶が、土門の電話口でいきなり生々しく甦って来たせいではなかろうか。そしていうならば、そんな豹一の心の底に、母親と安二郎を結びつけて考えたときのあのちくちくと胸の痛くなる気持が執拗に根をはっていたのである。 この「テレ」は、果たして誰の「テレ」であるのでしょうか。 あるいは筆者の「テレ」なんでしょうか。しかし、こんなところを、ある意味大阪的に厚かましく「アクの強さ」で書ききってしまうところにこそ、織田作らしい個性が見られたのではなかったでしょうか。 しかし、読み進めていく内に、私はふと、これは、「テレ」といえば筆者が間違いなく「テレ」ているんでしょうが、その正体は、「テレ」というよりも、織田作一流の心理主義的表現であると言うことに気づいたのでありました。 実は、なにごとにつけてもけちをつけたがる豹一の厄介な精神は、全く莫迦げたことだが、この時も多鶴子がアイスクリームを注文したことに、憤慨していたのである。豹一に言わせると、寒中アイスクリームを食べるのは気障だというのである。ことに多鶴子のような若い女が人前で食べるのは気障だというのである。 登場人物の行動についてのこういった心理分析描写は、それが男と女のやり取りであったりする時、とてもすばらしい効果を発揮することがあります。 本作においても、女優・多鶴子と豹一の恋愛を描いている部分については、なかなか面白くはありますが、なんと言いますか、時にその分析が客観性に欠けて恣意的である如く見えるのは何故でしょうか。 そもそも、この豹一の性格設定が、その育ってきた境遇と関係して極めて「特殊」であります。まるで、皮膚感覚的な好悪判断がすべての論理に先行するような行動原則が彼にはあって、ところがそれそのものに対しては充分な分析がなされていないので、本質が捉えきれず恣意的に流れるように感じるのだと思います。 そしてそんな恣意性に流れる心理分析は、次々と描かれ続けると、読者としては少々煩わしくなってきます。 それと最後にもう一つ、私が最後までやや違和感を感じ続けてきたのは、主人公豹一の不必要な程度の「純情」さであります。 ひょっとすれば、ジュリアン・ソレルがそうだったのかも知れませんが(いかんせん、私が『赤と黒』を読んだのはもう三十年以上も前のことで、今となっては、ほとんど何も覚えていません)、なんか私の遠い日の記憶では、ジュリアンはもっと野心的な青年だった気がするんですがねー。 そんな彼に比べますと、我が「浪花のジュリアン」豹一青年は、あまりに頑なに非論理的にまで「純情」な、しかしそこに、なるほど言われてみれば、そこはかとない、関西的愛嬌を感じないでもないという青年では、確かにありますが、ね……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.07
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『青春の逆説』織田作之助(角川文庫) かつて中島敦の年譜を読んだ時に感じたことです。 それは、本来ならその才能がさらに鍛えられ、あるいは開花を迎えようかという時期に、完全に悲惨な戦争と重なってしまった(厳密に言えば、中島敦は完全に重なることも出来ないほど早く亡くなってしまいましたが)作家の悲劇というものを強く感じました。 そしてこの度の報告の作家、織田作之助についても、果たして中島敦と同様だろうかと思いました。 しかし、悲惨な戦争期に活動期が重なってしまい充分な文学的結実が残せなかったというのは、すべての同時期の作家に言えることではないか、と思われるかも知れませんが、そして、ほとんどの作家のケースについてはその通りなんですが、ところがここに、筆者織田作之助の立ち位置に極めて近いところにいる作家について、不思議な例外が認められるんですね。 何を隠そう、太宰治がそうです。 彼の昭和十年代から二十年にかけて発表された作品群には、奇蹟のように名作が連なっています。『富嶽百景』『駆込み訴え』『走れメロス』『津軽』『お伽草子』などなど、どれをとっても絶品であります。 でも、やはり太宰治は、極めて稀有な「例外」でしょうね。 この度、織田作之助の年譜を見て、やはりそう思いました。こんな略年譜です。 昭和13年(1938)・25才 処女小説『ひとりすまふ』発表。 昭和14年(1939)・26才 結婚。『俗臭』発表。 昭和15年(1940)・27才 『俗臭』芥川賞候補となる。 4月、『夫婦善哉』発表。 昭和16年(1941)・28才 『青春の逆説』前後編に分けて刊行。 後編が発禁処分となる。 12月、日米開戦 (略) 昭和21年(1946)・33才 『六白金星』『アド・バルーン』『世相』 『競馬』など。流行作家となる。 昭和22年(1947)・34才 1月、永眠。 織田作之助の出世作『夫婦善哉』は昭和15年発表ですが、彼の本領発揮はなんと言っても戦後、つまり昭和21年の諸作品でしょう。次々にヒット作が発表され、瞬く間に流行作家となったこの時期であります。 上記の(略)部は、やはりこの時期に彼らしい作品の発表がないからであります。 就中、結婚もして、芥川賞候補にもなり、そして好評を博した『夫婦善哉』を受けて発表した最初の長編小説『青春の逆説』が発禁処分にあったことは、翌年よりの沈黙と無関係とは思えません。 さて、織田作の織田作らしさと言えば、この昭和21年に発表された作品群に共通するもの、つまりまず短編であること、そして次に、人生の甘い酸いを噛み締めたような切れ味の良さだと思います。 今回紹介の長編小説は、昭和16年発表のものでありますが、随所に織田作らしいキレのよい表現があります。 冒頭はいきなりこんなエピソードから入ってきます。 お君は子供のときから何かといえば裸足になりたがった。冬でも足袋をはかず、夏はむろん、洗濯などするときは決っていそいそと下駄をぬいだ。共同水道場の漆喰の上を裸足のままペタペタと踏んで、「ああ、良え気持やわ」 それが年頃になっても止まぬので、無口な父親も流石に、「冷えるぜエ」とたしなめたが、聴かなんだ。蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉んだ。また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふき出ている裸にざあッと水が降り掛って、ピチピチと弾み切った肢態が妖しく震えながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。 いかにもこの先の展開を期待させる書き出しですね。一つのお話の始まりとしては実に見事なものだと思います。 こんな冒頭の書きぶりは、織田作らしい読者へのサービスだと思えますが、同時にこの書き方は、彼が本質的に短編小説作家であることを感じさせます。 以下、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.04
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