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『海辺の光景』安岡章太郎(新潮文庫) この小説集には七編の小説が入っていますが、その中の総題となった『海辺の光景』が130ページほどで、ほぼ文庫本過半のボリュウムになっています。 残りの100ページほどを、六つの短編で占めているわけで、短いのはわずか10ページと少しくらいのもあります。 筆者の本について、特に初期の小説ということで言えば、僕はかつて芥川賞を受賞した『質屋の女房』を総題にした短編集を読みました。 今回の130ページの中編小説『海辺の光景』は、それも含めた筆者のごく初期の一連の短編小説の「総決算」のような作品になっています。 実は僕は、今回の小説集の短い方の六編は、今ひとつ気に入らないといいますか、まぁ、僕の好きなタイプの小説ではないなぁと思いました。 六編すべてが基本的に「同工異曲」の、類似テーマの小説です。 どういったテーマかと言えば、「劣敗者小説」ですかね。いわゆる「社会的敗北者」の小説であります。 実はこういった「社会的敗北者」の小説の系譜は、日本文学には結構あるんですね。 まずヨーロッパで生まれた「自然主義」が、日本に入って来てやや誤った理解のされ方をしてしまいました。 それに私小説・心境小説が加わって、作家自身の不如意な「貧・病・女」をだらだらずるずると描くというものになってしまいました。 その系列のものが、時代的にはどのあたりがピークなんでしょうか、大正期中盤から昭和の初年あたりでしょうか、いろんな作家が「同工異曲」の作品を発表したと思います。 その系譜ですかね。 ただ、本書の筆者ゆえの新しい特徴が、あります。 それは、作品に一種の「高み」と呼ぶようなものを、一切描かないということであります。 この種の小説にしばしば見られる、実生活における様々な不如意と、表裏一体のように出てくる主人公のプライドの高さ(故知れぬエリート意識)というものが、そこにはまるでないということであります。 このことは、一見主人公の「純粋性」を表すようには見えますが、しかし被害者意識と裏腹のエリート意識もないのに劣敗者であるという状況は、これはいったいどうなっているんでしょうか。 僕は最初、この状況がよくわかりませんでした。ただなんか、いやな感じの小説だなと思いました。 そしてそのうち気がついたのは、これは「ピカレスク」だな、と。それも野望を決して抱かない、志の低い、「ちんぴら」=小悪党のピカレスク・ロマンだなと、気がつきました。 例えばスタンダールの『赤と黒』や『パルムの僧院』などは、世界文学級のピカレスク・ロマンではありますが、それをいやになるほど矮小化し、下世話にすればこんなものになるのかな、と思いました。(うーん、ちょっと、表現がよくなさすぎますかね。そんなに言うほどでもないですかね。) 似たような感覚の作品はないかと考えた時、ふっと浮かんできたのが、古典落語の『居残り左平次』でありました。 変なものが浮かんだものだと自分でも思いましたが、落語には時々、後味のとても悪い作品がありますよね。(もちろん逆の、後味のとってもいい作品もあります。有名どころで言えば『芝浜』とか。) 素朴といえば素朴なんでしょうが、なんともざらついたイヤな感覚が後に残る、そんな印象の作品であります。 あ、もう一つ浮かびました。短編小説。 太宰治『座興に非ず』 これは、田舎から東京に出てきたばかりの若者に、恐喝まがいのことをして金を巻き上げ、最後に、おかげで「私」の自殺はひとつき延びたと主人公が嘯く小説であります。 これも後味の非常に悪い小説でありました。 さて、僕にはそんなちょっと困った感じの六編の短編小説でありました。 そして、最後に『海辺の光景』を読みましたが、これは、「総決算」とはいえ、筆者が大きく新境地を開拓したものでありました。 次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.30
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『井原西鶴』武者小路実篤(角川文庫) 本ブログで再三お世話になっている『人間臨終図巻』(山田風太郎)の第三巻、「九十一歳で死んだ人々」の中に武者小路実篤が入っていて、そこに引用されている文は(少なくとも僕には)衝撃的でありました。例えばこれは、九十歳の時の武者小路の書いた文の一部です。 児島が、電車で死をとげた事を知った時も、僕は気にしながら、つい失礼してしまった。児島にあえば笑ってすませると思ったが、失礼して、今日まですごして来たわけだ。もちろん逢えば笑ってすませることだろうと思う。児島とあえば笑ってすませるのかも知らないが、児島の事を思うとつい笑ってすまない顔をしてしまうかも知れない。児島は逢えば笑ってすませる所と思うが。 この手の文章を後二例引用した後、山田風太郎はこう書いています。 脳髄解体。-- 正宗白鳥と武者小路実篤は、前者は厭世主義の、後者は楽天主義の、同じレコードを一生まわしつづけた人であった。それでいて双方とも、読む人を飽かしめなかったのは、それがホンモノであったからだ。 が、さしもの楽天主義の歌も、これでは一回転ごとに針がもとにもどるレコードと化した観がある。 あの武者小路が、と思わずにいられない文章ですが、そう思った後、おそらく誰もが続いて疑問に持ったであろう事柄があります。 それはつまり、なぜこんな文章がそのまま発表されてしまったのか、ということです。 先日、嵐山光三郎が、『追悼の達人』でそれに触れているのを見つけました。 それによりますと、実は武者小路は亡くなる五年くらい前(八十五歳くらいです)から惚け始め、原稿にも誤字脱字、文脈の乱れなどが多くなったという事です。 ところが作家の小島政二郎が「武者さんの文章はどんなものでも直すべきではない」といったことで、「実篤の悲劇」が起こってしまったとありました。 うーん、小島政二郎はいったいどういうつもりでこんなことを言ったのでしょうねぇ。 どう考えても、これはちょっと無いでしょう。現に武者小路に惚けの兆候が見え始めているというのに。 もし惚け方も武者小路の個性であると考えたのなら、それはあまりに非科学的な論理でありますね。 さて今回読書報告をしますのは、そんな晩年を送った武者小路実篤の昭和六年(1931年)の作品です。 僕は寡聞にして知らなかったのですが、筆者は昭和の初めから十年間くらい、数多くの伝記を書いていたという事です。 二宮尊徳・空海・大石良雄・宮本武蔵・北斎・釈迦・トルストイ……。 昭和初年にこういった作品を書いた事の意味は、一つは、言論弾圧等の厳しくなってきた時代における、一つの韜晦の形でしょうか。 筆者だけではなくこの時期、少なくない文学者が、何らかの形で時代と向き合う事の少ない作品に「沈潜」していきます。 もう一つは筆者独自の創作力の問題。 武者小路の創作力の絶頂といえば、大正八年『友情』を一つのピークにする、大正期全般でしょうか。 ただその後、昭和に入ったあたりは、筆者は「新しい村」運動に精力的に取り組んでおり、いろんな課題を抱えながらの執筆活動は、決して「衰えた」とはいえないものであったと思います。 そんな時期の本作であります。 上記に「伝記の時代」として、西鶴以外にも多くの偉人を取り上げている様を紹介しましたが、しかしやはり、文学者(小説家)が文学者(小説家)を取り上げるというのは、他の歴史的人物の場合とは異なって、モデルである文学者に対する文学的評価を描く事になると思えます。 そして、武者小路は西鶴をどう評価したかといいますと、それがなんといいましょうか、それがある意味いかにも武者小路的な評価なんでしょうが、武者小路は西鶴を評価せずに、自分自身を書いたとしか、実は私には読めませんでした。 考えてみれば、一連のシリーズものの出版物である故なんでしょうが、武者小路と西鶴とは、いかにも「ミスマッチ」な感じが、しませんかね。 かつて、太宰治が、やはり西鶴の作品を取り上げていましたが、それは太宰自身が自分は津軽出身の上方文化に縁のない「田舎者ながら」というニュアンスの「アリバイ」を自分で作りつつ、しかし実に西鶴の西鶴的なエッセンス(人間観察)を掬い取った作品を発表していました。(太宰の小説作法は、地域文化とはあまり関係のない人間心理中心だと思います。) それに比べますと、ここに描かれる西鶴像は、いかにも「白樺派」の、トルストイやロダンに影響を受けたであろう西鶴像であります。 なるほど。冒頭に山田風太郎の一文を引用しましたが、「同じレコードを一生まわしつづけた」とは、こういう事を指すのかも知れません。 しかし同時に、ここまで正面切ってそういう立場を主張されますと、同じく山田風太郎の「それがホンモノであったからだ」という文脈も、何か、ある種の爽やかさと共に納得されて、決して読後感の悪いものではありませんでした。 筆者は『伝記小説に就いて』という一文で、こんな事を書いています。 材料は父、作者は母、作品は子、作者は材料になるべく似た子が生みたいが、しかし生まれてくる子はどつちにより多く似るか、作者は知らない。 なるほど、とてもすがすがしい「楽天主義」であります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.26
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『高野聖・眉かくしの霊』泉鏡花(岩波文庫) 嵐山光三郎という作家がいらっしゃいますが、なかなか優れた本をたくさん書いていらっしゃいます。 特にここ数年は、いろいろな切り口で近代日本文学者について、作家論を書いていらっしゃいまして、その成果の一つが現在新潮文庫に入っている『追悼の達人』や『文人悪食』などでありましょう。 どちらもタイトルから作品の切り口が想像されますが、後者の『文人悪食』は作家の好きな食べ物をきっかけにして、なかなか面白い作家論になっています。 一方前者の『追悼の達人』のほうは、作家が別の作家に書いた追悼文や弔辞の紹介を基本にしながら、そこから読み取れる作家同士の人間関係や、臨終時の様子にまで及んでいます。 食べ物の話も面白いですが、こちらはもっと面白い気がします。 (作家に限らず、著名人の臨終時の様子に絞り込んで書いた「奇書」には、山田風太郎の『人間臨終図巻』三巻があります。この本も、無類のおもしろさです。) さて、その『追悼の達人』には、49人の作家たちの追悼文・弔辞などが描かれています。そして、片っ端からそんな文章を読んだ作者の、追悼文・弔辞に対する基本的な理解は、 「どんな大人物でも死後は誰かに貶される」というものであります。うーん、これはなかなか興味深い考え方でありますねー。 こんな部分があったりします。 …したがって死期が近いのを悟った老大作家は、文芸雑誌編集部宛遺言として「自分の死後、こいつとこいつには追悼文を書かせるな」と書き残しておくのが賢明だが、そういった文書を残すと、その文書までが遺品として掲載されてしまうおそれがあるから、やっぱり書かぬほうがいい。 全くどうしようもないなぁ、という書きぶりが、とても面白いですね。 そんな中、ほとんど唯一と言っていい例外作家が、驚くことに泉鏡花であります。嵐山氏はこう書いています。 ひたすら故人を美化したり、悲しい淋しいといっためそめそした追悼はない。そうであるのに、鏡花への思いは深く、鏡花の神秘性はいっそう濃くなる。これは稀有な例である。追悼文で、故人の知られざる一面が語られ、それはすべていい話ばかりで、すがすがしい。鏡花がいかに慕われていたかがわかる。 鏡花という作家の人柄について、確かに私はほとんど何も知りません。 しかし、数少ない読んだ作品からの印象では、人間嫌いの幽霊好き、というものであるんですが、この印象は間違っていたんですねー。 ただ、上記の文のすぐ後には、こうも書いてあります。 それと同時に、鏡花の文芸の力がいかに強靱であったかがわかるのである。 なるほど、作家自身の人柄もさることながら、やはり優れた実績がそのように人を動かすと言うことでありますね。 さて、その泉鏡花の出世作が『高野聖』であります。 私はこの小説をたぶん三回読んだと記憶するのですが、今回読んでみて、思いの外に鏡花は「遠慮」しているんじゃないか、と感じました。 何を遠慮しているのかというと、「幽霊話を書く」ということについてです。 だって、山中に住むこの粋な年増女性が幽霊(妖怪)であるという「絶対的な証拠」はどこにも書かれていないんですものね。川で裸になって水浴びするシーンが印象的なもので、あまり気がつかなかったのですが、この女性を描いている部分は、作品全体のバランスで言うと、思いの外に少なそうです。 (バランスについて言えば、『眉かくしの霊』も同様です。幽霊はほとんど出てきません。) これはおそらく時代的なものだと思います。たぶん、こういった江戸時代の草紙めいた作品に対する批判が、かなりあったのでしょう。 むしろ今の作家の方が、開き直って「堂々と」荒唐無稽な幽霊を描くと思いますね。 鏡花はやはり文明開化の明治時代に、幽霊話を書くことにある種の遠慮があり、作品内にもそのことのアリバイが、いくつか見られます。 ただ、だからといって、鏡花が怪異描写をないがしろにしたかというと、それは私が指摘するまでもなく、そんなことは全然ないわけで、「遠慮」しつつも、鏡花は書きたいところはしっかり「厚かましく」書いています。 そしてこの「遠慮」と「厚かましさ」の混交が、結果的に鏡花の神秘性(と親愛感)につながったのではないでしょうか。そう考えると、上記嵐山氏の文章にある「慕われる鏡花」という鏡花像も、なるほど無理なく納得できそうであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.23
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『お吟さま』今東光(新潮文庫) どうもこの方面のことは疎いもので、この方面における「一般常識」のようなこともよく知らないでいます。 何の方面かと言いますと、「歴史小説」(と書きかけて、え? 「時代小説」? この両者はどう違うんでしょうか、それとも同じものなんでしょうか)の方面であります。 上記の( )の中の自問ですが、ちょっと考えてみたんですが、感覚的には『銭形平次』は「歴史小説」とは言わない、あたりの感じ方を僕はしているんですが、これでいいんでしょうかね? 「歴史小説」について僕のような素人が考えることというと、すでに多くの方が考えてきたことだろうと思いますが、おそらく下記のテーマでありましょう。 「歴史小説と歴史的事実との関係はいかなるものか」 そんなことをぼんやり考えていますと、僕が今まで読んだ数少ない歴史小説作家が上記のテーマ(あるいは準ずる話題)について述べた言葉が、ちらほらと浮かんできます。 例えば、司馬遼太郎氏は、「坂本龍馬という人はとても明るい人ですね」と言われたとき、それは私がそう書いたからだと言ったとか言わなくても思った、というエピソードが浮かびました。 なるほど、日本人はとても坂本龍馬が好きで、そしてその龍馬像の基本的な骨格を作ったのは、間違いなく司馬遼太郎氏の『龍馬が行く』でありますよね。 土佐は桂浜にある、遙か太平洋に臨んでいる龍馬像は、間違いなく『龍馬が行く』のあの骨太の明るさと人間性を持ったメイドイン司馬遼太郎=坂本龍馬でありましょう。 でもあの坂本龍馬のキャラクターが、実はどこまで歴史的事実なのかということを、上記のエピソードは語っていると思います。 同じ司馬氏のエピソードをもう一つ書いてみます。司馬氏は『坂の上の雲』を書いたことで、少なくない人たちから絶交宣言を受けた、と。 これについても、明治時代が舞台の作品ですと関係者やその子孫の方が多く現存なさっていましょうから、いかにもありそうなエピソードです。 『坂の上の雲』には(特に軍人関係において)、「悪人」とは描かれいてなくても、読めばほぼ「無能の人物」だと思える登場人物が少なからず出てきます。 それらの登場人物のモデルとなった人々の親族にとっては、そんな記述は簡単に許しおけないものでありましょう。 なるほど、こういう風に考えていきますと、少しずつ何か見えてきそうな気がします。 それは、小説内容が歴史的事実に近づくということではなくて、たぶんこういうことですかね。(1)「歴史的事実」というものが、完璧に事実・真実として単独に存在しているというとらえ方は、そもそも誤りではないか。考えてみれば、我々の卑俗な日常生活においても、事実や真実はしばしば解釈・主観によって異なった姿をしている。(2)仮に事実には紛うことのない客観性があったとしても、それを語る文体は作家の主観から逃れることはできない。 かつて三島由紀夫がこういった要旨のことを書いていたのを思い出しました。 (このエピソードも含めて、上記にも出典を明示していないエピソードを挙げております。誠に申し訳ないとも思いますし、えー、ちょっと、こういう風にも考えて、本文をお楽しみいただくとうれしいんですが。つまり、「司馬氏・三島氏のエピソードは、analog純文のでっち上げであるかもしれない。」と。) かつて三島氏が書いていたのは、こんな内容だったと記憶します。 「なかったことは歴史には書いていないというのが、歴史小説の生命線である。」 真正面から捉えればいいのか、アイロニーであるのか、少し判断の迷う表現でありますが、いろいろ解釈のできそうな含蓄ある言葉だと思います。 さて、もう報告終盤になってきましたが、『お吟さま』であります。 この小説はベストセラーになったんですね。 千利休がらみの小説というものはたくさんありましょうが、僕は野上八重子の『秀吉と利休』しか知りません。 そして、それに比べますと(もちろん分量がまるで違いますが)、やはりやや荒い・弱い・柔いような感想を持ちました。 でも、こっちの方が「普通」の歴史小説なのかもしれません。(野上八重子の小説の文体はかなり構造的でがっちりしていますが、時に硬質過ぎる感じがしました。) ただ一つ、「純文学」めいた感想を持ったのは、筆者がなぜこのような、強烈に現代的な意志力の強い女性を描いたかと言うことです。しかしそれについては、文庫本の解説に触れてありました。 なるほど。かつて室生犀星が、自らのことを小説に書くのに憚りのある時は、「昔、大納言がいた。」と書けばよいと言ったといいますが、それはこういうことなんですね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.19
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『神州纐纈城』国枝史郎(大衆文学館講談社) この本からの連想があって、久しぶりに三島由紀夫の『小説とは何か』をぱらぱらと捲ってみました。 さすがにいろいろ感心するような視点のテーマが、とてもわかりやすく書かれていますよねー。 例えば、ここは、小説の重要な魅力の一つは「謎解き」であるが、一旦それが解明されてしまうと人々は再読の興味を失う、と書いた後の部分です。 そこで、小説が文学であるためには、二次元ながら、この過程を単に手段たらしめず、各部分がそれぞれ自己目的を以て充足しうるやうな、さういふ細部で全体を充たし、再読しても、手段としての機構ではなく、自足した全体としての機構のみが露はにされるやうに作るべきであり、それを保障するものが文体といふわけだ。しかし、趣味が異様に洗練されると、目的それ自体が卑しいものと見做されがちになり、読者の低い好奇心が知りたいと望むものを、作者が軽侮の目で見るやうになり、あげくのはては、作者自身の目的をできるだけ読者の目的(知りたいといふ謎解きの目的)から遠ざけようとするあまり、つひには手段としての細部を目的化し、小説からその本来の目的を除去したくなつてくる。 ここに小説におけるプロットの軽視がはじまる。 なるほどね、こういう訳で、日本の自然主義小説はどんどん面白くなくなっていったんですよねー。 で、こちらの方の話を始めると、それはそれで面白くなるんですが、冒頭の国枝史郎の小説の話に戻ります。 例えば、バッハのあの名作の数々は、メンデルスゾーンが再発見したんですよね、確か。 もっとも、あれだけの「人類の遺産」ですから、もしメンデルスゾーンが再発見しなくても、それは時間の問題ではあったでしょうが。 で、バッハよりはかなり(かなりかなり?)小振りになりますが、国枝史郎『神州纐纈城』の再発見であります。 結果的にその役割を大きく担ったのが、三島由紀夫の上記の文芸評論であります。 『小説とは何か』には、本作についてこうあります。 一読して私は、当時大衆小説の一変種と見做されてまともな批評の対象にもならなかつたこの作品の、文藻のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性とにおどろいた。これは芸術的にも、谷崎潤一郎氏の中期の伝奇小説や怪奇小説を凌駕するものであり、現在書かれている小説類と比べてみれば、その気稟の高さは比較を絶してゐる。事文学に関するかぎり、われわれは一九二五年よりも、ずつと低俗な時代に住んでゐるのではなからうか。 「文藻のゆたかさ」なんていい表現ですよねー。「文藻」とは何か、思わず辞書で調べてしまいました。 谷崎潤一郎についても触れていますが、これは『乱菊物語』とか『武州公秘話』なんかを指すんでしょうかね。でも中期の谷崎は「凡作」も結構多かったですものねー。 後半部に「われわれは一九二五年よりも、ずつと低俗な時代に住んでゐるのではなからうか」とありますが、それを「低俗」というのかどうかは僕にはよく分かりませんが、文体の「堅牢性」といったものについては、確かに現在小説のとても及ばないようなところにあると感じました。どこを取り出してもいいのですが、例えばこんな部分。 洞窟の中は寒かった。氷のような冷たいものがひしひしと肌に逼って来る。洞窟の中は薄暗かった。岩を刳り抜いて作られた龕から、獣油の灯が仄かに射し、石竹色の夢のような光明が、畳数にして二十畳敷きほどの、洞窟の内部を朦朧と煙らせ、そこにあるほどの器具類を--岩壁に懸けられた円鏡や、同じく岩壁に懸け連ねられた三光尉、大飛出、小面、俊寛、中将、般若、釈迦などの仮面や、隣室へ通う三つの戸口へこればかりは華美な物として垂れ掛けた金襴の垂れ衣等を、幻想の国のお伽噺のように、模糊髣髴と浮き出させている。 結局こういった自己増殖型の伝奇小説を書く能力というものは、溢れるように浮かんでくる「思いつき」のようなプロットの断片を、どうトリビアルに掬い取り、文体として追いつめていくかにかかっているように思います。 とすれば、その作業は、あまり「意味を持たない」素材を、ひたすら表現として研ぎ澄ませていくという、一種『死の家の記録』に出てくるような辛い作業になっていくように思えてきます。 うーん、これはなかなか、大変、というか、すごい才能でありますねー。 泉のように湧いて出るストーリーテリングの能力に、場面を構造的かつ流麗に書き上げる筆力とくれば、それはもう怖い物なしの最強コンビではないですか。 ただ最後に一つ、少し無い物ねだりを考えてみますと、物語が縦に深まらず横にひたすら広がっていくという展開は、題材に対してやや「マニアな嗜好」を持つ読者以外は、やはり少し「飽きてくる」のではないか、と。 しかし、本作のような伝奇小説に対する「マニアな嗜好」とは何かと考えると、それは、うーん、ひょっとしたら、「活字中毒嗜好」のようなものではないでしょうか。 もし活字中毒者の嗜好に合致する作品ということであれば……、あ、やはり、最後も誉め言葉になってしまいましたね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.16
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『檸檬』梶井基次郎(新潮文庫) 僕が若かった頃、とても好きであった作家が三名いました。 どの作家も、昭和の初年代あたりを主な活動期にしていましたが(これは、たまたまですかね。いえ、そうではないでしょうね、文学史的には一種の必然であったように思います。たまたまというなら、その時期に大きな戦争が重なったことの方がたまたまでしょう。)、以下の三作家です。 太宰治・中島敦・梶井基次郎 この中で、現在でも日本文学史的にメジャーな作家は、やはり太宰治だけですかね。 というより、よく考えてみれば、後の二名は、生前のリアルタイムにおいても決して「メジャー」な作家ではなかったですね。 彼らはやはり、あまりに早く亡くなりすぎてしまいました。 三人の享年を並べるとこうなります。 太宰治(三十九歳)・中島敦(三十三歳)・梶井基次郎(三十一歳) こうして並べてみると、太宰が三十代をなんとか生き抜いたという「差」は、大きいですよねー。 今調べてみたのですが、太宰の三十一歳の時の主な作品といえば、『駆込み訴え』『走れメロス』なんですね。 まさに太宰の充実期・豊穣期・収穫期の開始時期ではありませんか。 さて、その太宰の収穫期の入り口で鬼籍に入ってしまった作家が、梶井基次郎であります。 実は僕が初めて個人全集を買ったのが、この作家でした。筑摩書房からの三巻本です。 最後の巻の書簡を読み終えた後、自分でも少し感動したことを今でも覚えています。 今回、梶井の主な作品について何度か目の読書をして、改めて驚いたことがありました。 梶井の作品の評価については、伊藤整の説いた、「志賀直哉とボードレール」の影響の指摘が端的に語っていると思いますが、今回驚いたというのは、その「スタイル」を梶井は晩年(若き晩年!)ぎりぎりまで彫心鏤骨、洗練させ続けているということでした。 例えば、名作と名高い『冬の蠅』。この晩年の作品などは、冒頭から天にも昇らんとする勢いの文章であります。 冬の蠅とは何か? よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼等は一体何処で夏頃の不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝んで、翅体は萎縮している。汚い臓物で張切っていた腹は紙撚のように痩せ細っている。そんな彼等がわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿で匍っているのである。 冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがいない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋に棲んでいた彼等から一篇の小説を書こうとしている。 梶井の小説の底辺には、ほとんどすべてに疲労・倦怠・不健康などの影が見えます。 現実に、その延長線上に自らの肉体の滅び(それも遠くない将来)を見つめ続けねばならない筆者の精神が、必ずや少しずつ少しずつ傷ついていったであろうことは我々にも容易に想像がつきます。 しかし、少なくとも梶井はそれを創作態度に持ち込もうとはしませんでした。 不健康な日々を行為を描きながら、その描写には、安易さやふて腐れや放り出しやといった、不健康な要素は一行もありませんでした。 きっとそこに、彼の矜持があったのだと思います。 そのための「武器」が、ボードレールの妄想や比喩であり、志賀直哉のあの厳格・強靱な文体であったのでしょう。 そして、それを晩年まで研ぎ澄ませていった筆者の精神力に、今回読んでいて僕は非常に感銘を受けました。 それともう一つとてもおもしろかったのは、彼の晩年の作品にまで通じている表現要素が、ほぼすべて処女作の『檸檬』に相似形に描かれているということでした。 それは『檸檬』の表現でいえば、「みすぼらしくて美しいもの」と「錯覚=妄想」です。 この二つが、彼の描く死を見据えた美意識の中に、最後まできちんと読みとれるということに気がつきました。 そしてそのことによって、早過ぎた筆者の死を惜しむ気持ちはもちろんあるものの、彼の残した作品群がきれいな円環を閉じていることに、個々の作品に描かれる「不健康」とは全く姿を異にした、透明な安定感のようなものを、ちらりと、僕は感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.12
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『野菊の墓』伊藤左千夫(新潮文庫) きわめて無知と偏見にまみれた人間と、我ながら思ってはいるのですが、そして、無知はともかく、偏見については何度も自らを戒めはしているのですが、それでもやはり、いろんな事柄について、誤った理解をしています。 何の話かといいますと、僕が伊藤左千夫に対して、故ない先入観を持っていたということであります。 それは二つありまして、一つは、以前読んだこの本のせい(って、本のせいにしてしまってはいけないんですが)ですね。この本です。 『近代短歌の鑑賞と批評』木俣修(明治書院) この本の中の、与謝野晶子の歌の鑑賞と批評部分ですが、ここに左千夫は、「悪役」として登場してくるんですね。 晶子のこの歌です。 遠つあふみ大河ながるる国なかば菜の花さきぬ富士をあなたに この歌を彼は、距離感がめちゃめちゃで「趣味が統一しない」と評したんですね。そして、あろう事か、頼まれもしないのに勝手に添削までしちゃいまして、これならまだよかろうと書いたんです。 これが添削結果の歌。 国断てる大河に続く菜の花や菜の原遠く富士の山みゆ 時代的限界とはいいながら、はっきり言って、ちょっと自らの「恥」を歴史に残してしまいましたねー。うーん、怖いものです。 とまー、こんな文章を先に読みますと、伊藤左千夫はどうしようもない教条主義者ないしは堅物・偏屈者であろうという先入観を持ってしまいますよねー。(そうだ、私の責任ばかりではないんですよね。) そんな「堅物」の印象をもったまま、このたび僕は本書を読んだのですが(このお話も、かなり昔に一度は読んでいるはずですが、なんせ大昔です)、読み終えまして「堅物」の印象は、……あれ、なんかほとんど正しい先入観ではなかったかしら。 しかし「堅物」はともかく、何といいますか、かなり「鈍くさい」感じの小説であります。 物語の運びやバランスがいかにも「鈍くさい」感じがする上に、えー、これは時代の限界にしてしまってもいいんでしょうが、この民子の悲劇はどこから来てるのかと突き詰めていきますと、なんかとても「軽薄」なものに突き当たりるような気がします。 私は最初、それを本文にあるごとく「年上女房」が許せないというポリシーなのかなと思いました。そして、その時代における「年上女房」のタブー度ということについて考え始めていたんですが、民子が死んだ後、政夫の母親はこんな事を言っているんですね。 「(略)……たとい女の方が年上であろうとも本人同志が得心であらば、何も親だからとて余計な口出しをせなくてもよいのに、此母が年甲斐もなく親だてらにいらぬお世話を焼いて、取返しのつかぬことをして了った。民子は私が手を掛けて殺したも同じ。どうぞ堪忍してくれ政夫……私は民子の跡追ってゆきたい……」 この母親は、民子を別の男性に結婚させるため、おまえは政夫との結婚を考えているのかも知れないが年上のお前にそれは許されんと、直接引導を渡しているんですね。この部分はそれを受けているわけです。 しかしこんな風にあっさり反省するなら(まーあっさりでもありませんが)、引導を渡すところまで行かなくてもいいんですよね。 この母親の論理の流れは、まず最初にこの幼い二人の恋愛感情を侮っていたところにあるんですね。 そして後になって薄々そのことに気がついた時には、今度は自らの意地もあって、引っ込みもつかず強引に主張し通した、と。 こういう、「軽薄」としかいいようのない感情の元に起こった悲劇なわけですね。 うーん、これは何といいますか、やや滑稽感が漂うのはいかんともしがたいところでありますなー。やはり時代的な限界なんでしょうかねー。 最後に伊藤左千夫の名誉のために、弁護を少し。 伊藤左千夫の文学史上の存在感は、やはり短歌にあります。下記のような歌は、いかにも「万葉調」で堂々として、とても重厚な作品と万人の認めるところでありましょう。 裏戸出でて見る物もなし寒々と曇る日傾く枯葦の上に 世にあらむ生きのたづきのひまをもとめ雨の青葉に一日こもれり あ、えっと、誤った先入観の二つ目に触れていませんでした。 いえ、大した内容ではないです。でも、えっ? と、少しびっくりしたことであります。 それは、伊藤左千夫が漱石よりも年長者で、亡くなったのも漱石より先であるということなんですが、そんなイメージ、あなたはお持ちでしたか? よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.09
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『坊っちゃん』夏目漱石(新潮文庫) 私が大学時代ですからもう四半世紀も前ですが、文学部というところにおりまして、四年生になったら卒業論文を書かねばなりません。 私の論文のテーマは、以前にも本ブログで報告させていただきました谷崎潤一郎でしたが、もちろんいろんな作家を、いろんな学生が選んでいました。 で、やはりそんな中に、漱石を選ぶヤツがいるんですね。 僕は漱石は大好きでしたが、漱石を卒論に選ぼうとは思いませんでした。なぜなら四年生になるまでに、漱石の研究書は毎年二百冊くらい発行されている、と聞いたからです。 そんなモン、読めっこないですよね。一年分二百冊だけなら、あるいは腹を据えて読めば読めないこともないでしょうが、いつからその数字になったのかは知りませんが、毎年二百冊なんですから。 だから僕は漱石は選ばなかったのですが、まー、世間には恐れ知らずなヤカラがいて(しかも結構沢山いて)、漱石卒論という友人達が何人かいました。 それから四半世紀、はて、今でも漱石研究って盛況なんでしょうか。 もう、「煮つまって」しまっているんじゃないんでしょうか。新しい発見とか、今でもあるんでしょうかね。 もはやその世界については、とんとご無沙汰なもので一向に様子が分かりませんが、先日こんな本を読みました。 『汽車旅放浪記』関川夏央(新潮文庫) 筆者の関川氏は、私が非常に敬愛し信頼する文学者であります。文学作品を評論していて切り口がとても斬新です。今回のこの本もそうでしたが、中に、『坊っちゃん』について触れた個所がありました。これがまた、ハッとするような切り口であります。 下記はその一節、坊っちゃんが物理学校に入学する所を取りあげた文章です。 東京大学仏語物理学科(フランス人教員がフランス語で授業を行った)の卒業生と在学生が、中堅技師養成のために、明治十四年、ボランティアで開校した物理学校は、当初から誰でも無試験で入学させることで知られていた。しかし同時に進級も卒業も楽ではないことも広く知られていた。坊っちゃんと同期入学者は二百八名だが、そのうち規定の三年で卒業した者は二十五名にすぎない。とすれば「いつでも下から勘定する方が便利」な成績であっても入学者の上位二十五番以内十五番目くらいが妥当なところだろう。坊っちゃんは勉強家だったのである。 と、こう書いてあります。 こんな視点は斬新ですよねー。そしてさらに私がハッとしたのは、続いてこう書いてあったことでした。 このような背景は、当時の小説『坊っちゃん』の読者には諒解されていたことだと私は思う。 うーん、まだまだ漱石を巡るテーマは、たくさんあるのかも知れませんねー。 さてそんな漱石の『坊っちゃん』を、この度何度目になるのか、読み直してみました。 今回特に気づいたことは、やはりあるものです。それは二つありました。 一つ目は、冒頭からしばらく続く、坊っちゃんが四国へ行くまでの半生を書いた部分でした。ここの部分は改めて読んでみると、かなり「異常」な坊っちゃんの家族関係が読みとれます。これは多分、今と明治時代の差というものではないと思います。 それは、坊ちゃんがあまりに両親から愛されなさすぎると言うことです。 腕白者すぎて近所の人々から爪弾きにされるというのはともかく、本来ならそんな子ほど、肉親は「身びいき」にその子の良いところを探し出して、認めたり愛したりするものですが、坊っちゃんの場合、両親がまず一番になって坊っちゃんを否定しています。 これは漱石の誇張でしょうか。ではなぜこんな誇張を漱石は書くのでしょうか。 「清」との対比を際だたせるため? それもあるかも知れません。しかし、ともかく文庫本で冒頭から十ページほどの坊っちゃんの四国に行くまでの部分は、「リアリズム」の眼で見ますと、少し親からの愛されなかたが「異常」であります。 そして二つ目に気が附いたことは、多分一つ目と不離の関係にあるんでしょうが、この『坊っちゃん』というお話は、どこか、かなり、淋しいということです。 この「淋しさ」は、『三四郎』の中にも風のように出てきたり、また絶筆の『明暗』の中にも吹いているものに繋がっていそうです。 これは、漱石作品に広く遍在するものでありましょうが、特に坊っちゃんについては、肉親から愛されたことがないという少年時の体験が、どこか坊っちゃんの言動や考え方、感じ方の端々に、自分は人からは愛されない存在なのだという「あきらめ」めいたものをもたらしています。 それが、ストーリー上の必敗者である坊っちゃん、というだけではない「淋しさ」を、作品内に通奏低音のように漂わせていると思いました。 もちろんそれらを補うべき「清」の存在は、有名なこの作品の結語に集約される形で感動的に描かれはするのですが、さて今回の私の読みは、それを上回る坊っちゃんの淋しさが気になって、我ながらちょっと驚くほどでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.05
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『新世帯・足袋の底』徳田秋声(岩波文庫) もうだいぶ昔の話なので、細かい部分はほとんど覚えていないんですが、夏目漱石の『それから』の映画、松田優作と藤谷美和子が主演をしていたやつですが、子供のいない夫婦の夕方から夜を描くシーンがありました。 それを見ていて、明治時代の庶民の家庭って本当に暗いんだ、と言う感想を強く持ったことを思い出しました。 「暗い」というのは、一つにはもちろんうまくいっていない夫婦生活を描いていたから暗いというものありましたが、何より物理的に「暗い」のですね。 テレビもないしラジオもないし、オーディオもなくって本を読むには明かりがとても暗いとなると、夜とは、本当に眠ることくらいしかすることがなかったんでしょうね。 今の生活に慣れてしまった私には、ちょっと堪えられないような気がしました。 さて本書には、四つの短編小説が収録されていますが、一番「キレ」のよかったのは『新世帯』だと思いました。 どう「キレ」がよかったかと言いますと、何とも言いようのない、よーするに「実も蓋もない」リアリズムのありようがです。 タイトルからも分かるように新婚夫婦のお話です。現代小説ですから、発表年前後の明治の末年が時代設定です。酒や塩を商う小さなお店の若夫婦ですが、その描写に、実に見事に飾り気というものがありません。 浮ついた描写やお互いへの買いかぶりや憧れ、生活の夢や錯覚やおっちょこちょいや……、要するに我々が日々暮らしていく上で、例えそれが現実的な力を持たない物であっても、無いとなるとちょっと暮らしにくい、日々を過ごして生きづらいと感じる無形のものが、見事に抜け落ちいてます。 昔の日本人の多くはみんなこんなのだったんでしょうかねー。 うーん、そんな気も少しします。例えば漱石の『門』もそんな夫婦の話でしたよね。 あの小説もたいがい暗かったです。 ただそんな暗さに徹底したこの作品自体には、やはり大いに意味があると思いますね。 文学史的に言うところの、自然主義の「無理想無解決」ですね。 もともと尾崎紅葉の門下にいた徳田秋声が、紅葉の死後、師とは異なった道を探っていく中で、初めて自らの文学の方向性について、一定の自信を持つことができたといわれている本作です。当然、それなりのきっちりした書き方ができています。 そしてこの度、読みながらふっと思ったことがありました。 本短篇集入っている四つのお話のうち、『新世帯』と『彼女と少年』がなぜかとても読みやすいんですね。 これは何かなーと思っていたんですが、なるほどと気が附きました。例えばこんな部分。 「ア、酔つた!」とお國は燃えてゐる腹の底から出るやうな息を吐いて、「ぢや新さん、此で綺麗にお別れにしませう。酔つた勢でもつて……。」と帯の折れてゐた処を、キユと仕扱いてポンと敲いた。 「ぢや、今夜立つかね。」新吉は女の目をみつめて、「あつし送つても可いんだが……。」 「いいえ、然して頂いちや反つて……。」お國はもう一度猪口を取りあげて無意識に飲んだ。 お國は腕車で発つた。 ここは、てきぱきと気っぷのよい女性を描写しているところですが、そうではない、ぼんやりしたおどおどとした女性を描いている場面でも同じで、とても生き生きとしています。そして上記の二作品に、女性描写が多いんですね。それが私が読みやすいと感じた原因でした。 女性の細かい仕草がとてもくっきりと描かれていて、実にリアリティに溢れています。読み終えてから、少し作者について調べてみると、「秋声の女性描写には定評がある」という文章が見つかりました。 なるほどねー。男性がうまく書けるというのも大切なことではありましょうが、女性がうまく書けると、なんだかプラスアルファの魅力が作品に生まれてくるとは、女性仮託の小説を書かせたら天下一品の、太宰治を引き合いに出すまでもありませんよね。 なかなか、秋声という作家も隅に置けない人なのかも知れません。 いえ、考えれば、そもそも作家とは、そんな人達でありましょうけれども。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.03
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『山椒大夫・高瀬舟』森鴎外(角川文庫) 上記作品の読書報告の後編であります。前回述べていたことは、 安寿、恋しや、ほうやれほぅ。 厨子王、恋しや、ほうやれほぅ。 ……うーん、なんだか懐かしいですねー。 現在、日本アニメといえば、数少ない、わが国が世界に発信している偉大な日本文化ですが、その黎明期の作品の一節(多分そうだと思うんですが)。 そういえば同時期のアニメに、『わんぱく王子の大蛇退治』、確かこんなタイトルだったように思うんですが、そんなアニメもありましたよねー。 『西遊記』めいたのもありましたっけ。 うーん、語り出すと切りがないので、残念だけどやめます。鴎外に戻ります。 かつて私は、鴎外と彼の書く小説作品について、漠然とこんな風に考えていました。 鴎外にとって小説執筆とは、「手すさび」は言い過ぎとしても、一種趣味的なものであり、自らの知性に引っかかった状況や問題意識を、実験室での科学者のように、知的に処理して、そして読者に示したものではないかと。 ところが今回この5つの作品を読んでみて、なんと言いますか、今更ながらに、鴎外が実に饒舌にそして真摯に、「自己告白」をしていることに気が付きました。 鴎外作品を系統立てて読んでいませんので、それが全作品のわたることなのか、この時期だけのものなのかまでは分かりませんが、もしこの時期に固有のものであるなら、それはやはり、鴎外が目前に晩年を控え、「来し方行く末」の意味を再考した結果ではないかと思われます。 さほどに、これらの作品の底には、「生きる事の意味への問いかけ」が強く見られます。 例えば前回のブログでの報告の最後に、私は『高瀬舟』における「安楽死」の本当の意図を知りたいように書きました。 しかし、今回一連の作品を連続して読んで気がついたことは、以前よりこの作品には、「安楽死」と「自足」という二つのテーマがあると言われてきましたが、少なくとも鴎外にとって切実なテーマは、「安楽死」なんかではないということでした。 ただ、一般的にそう思われていることについては、理由がないわけではないと言うことも感じました。それは、鴎外がそう読まれるように作品を導いて書いているからですね。二つのテーマが描かれている順序とか、例えばこんな表現。 庄兵衛は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衛は気が附いた。 庄兵衛は今さらのやうに驚異の目を瞠つて喜助を見た。此時庄兵衛は空を仰いでゐる喜助の頭から毫光がさすやうに思つた。(『高瀬舟』) この「自足」の捉え方には、やや説得力の欠けるところがありますね。かなり即物的で貧相です。 ではこの「自足」にもっと肉付けをすると、それは『ぢいさんばあさん』になります。 この『ぢいさんばあさん』と言う作品は、いかにも鴎外好みという感じの作品です。 伊織事件の陰には、武士という存在自体が持っている矛盾が垣間見えますが(かつて鴎外は一連の「殉死小説」でこのテーマに触れました)、今回はそれに焦点を合わせるのではなく、運命の有り様に従容として従う「知性」の存在を描きます。 るんは美人と云ふ性の女ではない。若し床の間の置物のやうな物を美人としたら、るんは調法に出来た器具のやうな物であらう。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるやうに賢く、いつでもぼんやりして手を明けて居ると云ふことがない。顔も顴骨が稍出張つてゐるのが疵であるが、眉や目の間に才気が溢れて見える。(『ぢいさんばあさん』) ここに描かれる「ばあさん・るん」は、鴎外が共感してやまない作中人物の姿であります。 そしてさらに鴎外にとってこの「るん」の先にあるものは、おそらく『寒山拾得』の二人の僧侶=仏の奔放な暮らしぶりでありましょう。 晩年の鴎外は、己の理想とする生き方、それを強く求めて史伝の世界に分け入っていきます。 しかしその前に、彼の理想的な人生の青写真が、これらの掌編には断片的にしかし実に興味深い真摯な「自己告白」として、描かれています。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.06.01
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