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『雁の寺・越前竹人形』水上勉(新潮文庫) この文庫本には、上記タイトルからも分かるように、二つの小説が収録されています。『雁の寺』は直木賞受賞作です。 しかしここだけの話ですが(って、ブログに「ここだけの話」って意味ないですがー)、めちゃめちゃ暗い話ですねー。 そもそも私は、この筆者の本もあまり読んだことがありません。 昔、戯曲『ブンナよ、木からおりてこい』ってのを何かの拍子に読んだような気がするんですが、あまり内容を覚えていません。 だから、この筆者の作品が、ほぼ「常時」暗いのかどうかについては判断ができませんが、少なくとも今回の二作品は、とってもとっても暗いです。 なぜこんなに暗いのかというと、まー、これらの作品が「人生の孤独」を描いているからですね。しかし、「人生の孤独」を描くというなら、ほとんどの文学作品が描くところでありましょう。 例えば、はやりの村上春樹なんか、いえもっと限定して例示しますと『ノルウェイの森』なんかも、「人生の孤独」を描いた作品でありましょう。 しかし、『ノルウェイ…』は、さほど暗くは、たぶん、少なくともトータルな読後感としては、ありませんよね。 結局この暗さはどこから出ているかと考えますと、それは肉体的ハンディキャップを書いているからじゃないでしょうか。 もちろん肉体にまつわる劣等感が、個人の人格形成に大きな影響を与えることは考えられるのですが、うーん、なんというのか、そういったアプローチからは、いわゆる普遍的な「人生の孤独」には、到達しにくいような気がします。(ちょっと、誤解を生みそうな表現になっていますかね。) 『雁の寺』に出てくる「小僧・慈念」は、「頭が大きく、躯が小さく、片輪のようにいびつ」な少年と描かれています。さらに彼は非人間的に厳しい修行を課せられる中で、極めて孤独な少年となっていきます。(この辺、併せて仏教界の腐敗が描かれるのですが、これが変なリアリズムを持って、気分悪くも面白いところではありますが。) その慈念が、一人で寺庭の池端にじっと立っているのを、寺の住職の愛人・里子が陰から覗くという場面です。 里子は慈念が何をみているのか気になった。池の鯉かと思った。と、とつぜん、慈念は掌を頭の上にふりあげたと思うと、水面に向ってハッシと何か投げつけた。鉢頭がぐらりとゆれて、一点を凝視している。里子もしゃがんだ。廊下から池の面を遠目にみつめた。瞬間、里子はあッと声を立てそうになった。灰色の鯉が、背中に竹小刀をつきさされて水を切って泳いでいくのだ。ヒシの葉が竹小刀にかきわけられ、水すましがとび散った。それは尺余もある大きなシマ鯉であった。突きさされた背中から赤い血が出ていた。血は水面に毛糸をうかべたように線になって走った。 里子は、慈念を叱りつけようと思ったがやめた。〈こわい子や。何するかわからん子や〉 里子は廊下をそっと本堂の横にそれ、隠寮にもどった。 慈念の殺人に至る動機について、それを「孤独」のみでやっつけてしまうには、少し書き込み不足のような気がします。 そこで上記のような「人格のゆがみ」が描かれます。(途中に出てくる「鳶の巣穴」のグロテスクさは、この慈念の人格や心理を象徴するように描かれ、少し面白くもあり、しかしよく考えれば、餌の貯蔵庫である「鳶の巣穴」の中でうごめく瀕死の小動物というのは、「食」という生物の本能についての話と集約することもできます。) しかし終盤、寺のお堂の縁の下から慈念がひもじさの余りこっそり食べた鯉の骨が多く出てくるに至って、慈念の鯉殺しの行動は単なる「食」の話になってしまい、上記の引用部から読める、人格のゆがみによる「迫力」が薄められてしまいます。 そうすると、慈念の殺人の動機は、その他に幾つか細かいものが描かれているとしても、集約してしまうと、里子からのセクシャルハラスメントというだけになってしまい、あれこれ書かれてある割に稔るものは少ないと、つい私は思ってしまうのでありました。 上記に、村上春樹の作品について少し触れましたが、この慈念の孤独と、特に初期の村上春樹の作品に見られる「生きることの孤独」との違いを考えると、水上勉がその原因を、親子関係(貧を含む)と外見の特異性に置いていることが分かります。 これが、いわばこの作品のイメージを暗くし、そして「普遍的な孤独」への広がりを妨げているのじゃないかと感じました。 村上春樹が描く孤独は、これもやはり生存の孤独ではありますが、このような「実存的」な孤独が真の姿を現すには、やはり近代都市の発展が不可欠なのかも知れません。 都市生活の中にひっそりと普遍的にある孤独、これはあまねく存在するが故に、別の一面に於いては、作品全体を「暗く」させることなく、それを描くことを可能にしているのかも知れぬなと、私は暗く密かに愚考するのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.29
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『海神別荘』泉鏡花(岩波文庫) 泉鏡花の戯曲と言えば、やはり『夜叉ヶ池』と『天守物語』がまず指折られると思うのですが、この二作品は確かに傑作ですよねー。かつて、拙ブログでも読書報告しましたが、ほとんど完璧な感じを与える戯曲であります。 で、さて、今回の鏡花の戯曲集ですが、三つの戯曲が収録されています。この三作品です。 『海神別荘』(大正2年・1913年) 『山吹』 (大正12年・1923年) 『多神教』(昭和2年・1927年) この三作品ですが、作られたのは傑作『夜叉ヶ池』や『天守物語』の発表された時期とほとんど変わらないんですがね。傑作側の二作品の成立はこんな感じです。 『夜叉ヶ池』(大正2年・1913年) 『天守物語』(大正6年・1917年) えー、冒頭より奥歯に物の挟まったような書き方をしていることからおわかりかなと思いますが、今回の三作品、実は私はあまり面白くなかったんですね。 うーん、ちょっと困ったことですが、なぜそんな風に感じたかと言いますとですね、よーするに、何か変に理屈っぽい感じがするなー、と。 例えば『海神別荘』の中に、西鶴の『好色五人女』にも取り上げられた「八百屋お七」についての解釈じみたやりとりがあったりしています。 また『山吹』においては、「マゾヒズム」の世界に入り込めない人物に、その理由を語らせてみたりしています。 しかし何といいますか、私の勝手な思いこみかも知れませんが、鏡花の書くような作品は、お話の中に何かのメッセージ性が強く含まれていたりすると、作品としての幻想的な広がりや象徴性が、一気に薄められてしまうような気がするんですね。 私の好みとしましては、もっとあっけらかんと、子供っぽく書いていただきたいと、まー、思うんですね。 ただ、そんな子供っぽくもわくわくするような、その場面を見ているだけで何も考えずに楽しく、「凄いものだなー」と思えるようなシーンが、まるでないかと言えば、それはそれ、仮にも天下の泉鏡花であります。 もちろん、あります。 一つあげますと、『多神教』の「お沢」という女性を男達が寄ってたかって嬲り、折檻し、「素裸にして、踊らせろ。」と言う場面であります。 こんな場面は、ト書きにまで気合いが入っています。こんな感じです。 お沢 ヒイ……(歯をしばりて忍泣く。) 神職 いや、蒼ざめ果てた、がまだ人間の婦の面じゃ。あからさまに、 邪慳、陰悪の相を顕わす、それ、その般若、鬼女の面を被せろ。 おお、その通り。鏡も胸に、な、それそれ、藁人形、片手に鉄槌。 ――うむその通り。一度、二度、三度、ぐるぐると引廻したらば、 よし。――何と、丑の刻の呪いの女魔は、一本歯の高下駄を穿くと 言うに、些ともの足りぬ。床几に立たせろ、引上げい。渠は床几に立つ。人々お沢を抱きすくめて床几に載す。黒髪高く乱れつつ、一本の杉の梢に火を捌き、艶媚にしてしなやかなる一個の鬼女、すっくと立つ―― えー、こういった加虐趣味につきましては、実は我が国の伝統芸能には「歌舞伎」という大物があるんですよねー。 先日、鶴屋南北について書いた本を読んでいたのですが、特に彼が活躍した、江戸文化の爛熟期である「文政期」について、こんな説明がなされていました。 「人間性が熟れて、爽やかな道義を失い、漂うような泥流の闇となる。正直者は存在の影が薄く、欲望の燃えさかる者は悪の道へ走るしかない。忠義は生きてゆくための標榜でしか過ぎなく、金ですべての欲望は購える。女は身を売るしかなく、愛や信頼は裏切られるために存在し、逞しく死して復讐を遂げる亡霊が、最後に残された人間性を表出している。」(『鶴屋南北』郡司正勝・中公新書) ただ、鏡花のこういった趣味については、私はかつて鏡花の小説を読んだ時にも感じたことがありました。 それは鏡花は、自作品中に幽霊や怪異や妖怪を書きながらも、ひたすらそれにのめり込んで書いているのではなく、そのように書いていることに対する「エクスキューズ」も同時に書いている、と。 今回の戯曲についても、私はそれを感じました。 そして、私がわがまま勝手ながら、今回の作品に少し不満な思いを抱いたのは、その「エクスキューズ」のバランスが、少し気になったと、まぁそういうことで、お許しいただけますでしょうか。 泉鏡花には、かつてよりかなりディープなファンが数多く存在すると、側聞いたしますゆえ。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.25
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『富嶽百景・走れメロス』太宰治(岩波文庫) 上記短篇集の読書報告の第三回目であります。 前回の内容をまとめようと思いましたが、それをするとそれだけで今回分が終わってしまい、次回に続く事になってしまいます。 すると次回は、また前回のまとめだけで終わってしまい、またその次回に、また次回に…と、まるで「無限連鎖講=ネズミ講」のようですなー。ははは。 と言うわけでまとめは無しに進みます。 取りあげている作品は『魚服記』。分析のテーマは、これでした。 「本作に描かれている『児童虐待』は、一体作品中のいつから起こっていたのか」 まとめないとはいえ、前回に押さえた項目の何点かに、すでに「ほのめかし」が見えていますね。 他の炭焼き小屋から離れたところで閉鎖された空間にたった二人で住む父親とスワだとか、どうどうと落ちる滝をながめながら少しずつ「思案ぶかく」、大人の女になっていこうとするスワだとか、茶店を畳んだ後の次の季節を「いちばんいやな季節がはじまる」と感じていたスワだとか、レイプを受けた日、珍しく髪を結って父親の帰りを待っていたスワの姿だとか、からですね。 しかし、私が今回なるほどと思ったのは、前回のストーリー番号で言えば、最も眼目となる(7)の部分ですね、やはり。 前回の説明では「異様な発言」と書きましたが、その場面はこの様になっています。 日が暮れかけると山は風の音ばかりだった。楢や樅の枯れ葉がおりおりみぞれのように二人のからだへ降りかかった。 「お父。」 スワは父親のうしろから声をかけた。 「おめえ、なにしに生きでるば。」 父親は大きい肩をぎくっとすぼめた。スワのきびしい顔をしげしげ見てからつぶやいた。 「わからねじゃ。」 スワは手にしていたすすきの葉を噛みさきながら言った。 「くたばったほうあ、いいんだに。」 父親は平手をあげた。ぶちのめそうと思ったのである。しかし、もじもじと手をおろした。スワの気が立って来たのをとうから見抜いていたが、それもスワがそろそろ一人前のおんなになったからだな、と考えてそのときは堪忍してやったのであった。 「そだべな、そだべな。」 スワは、そういう父親のかかりくさのない返事がばかくさくてばかくさくて、すすきの葉をぺっぺっと吐き出しつつ、 「あほう、あほう。」 とどなった。 私がはっと思ったのはこの中の「父親は平手をあげた。ぶちのめそうと思ったのである。しかし、もじもじと手をおろした。」という部分です。 なぜ父親はここでスワをぶちのめさなかったのでしょうか。娘から死んでしまった方がいいのにと言われた父親なら、ぶちのめして当然とも思えるのですが、なぜなんでしょう。 私が思ったのは、この時すでに二人の関係は、父と娘ではない平等に近い関係、つまり「男と女」の関係になっていたのではないかということです。 だからスワは、父親=男に、あのような「異様」な発言をしたのではなかったか、と感じたのであります。(そしてもちろん、そんな思考をスワに可能にさせたのは死んだ学生の存在ですね。) 山中の中でも、特に他の小屋から離れたところに建てられている二人の炭焼き小屋の、閉鎖された空間の中で「性的な行為」は日常的とは言わないまでも、少なくともすでに複数回は行われていたのではないでしょうか。 その事の意味を分からず初めは受け入れていたスワが、たった一人の友達であった学生を知り、その死を一番そばで目撃し、そして滝からの囁きを聞いて学んでいきます。 そんなスワだからこそ、この父親と対峙するような烈しい言葉が発せられたのだと思います。 いや、「性的な行為」が完遂したのは、あるいはあの夜が初めてだったのかも知れません。 酔って帰ってきた父親。めずらしく髪を結って眠っている娘。先日の、娘の成熟を感じさせるような烈しい言葉。……。 スワの「疼痛」は、そのようにして起こったのかも知れません。 大蛇になった悲しい八郎が泳いでいる川。たった一人のともだちが滑り落ちた滝壺。そして、父親によってなされたレイプ。 ふぶきの中でスワのたどり着いた滝は、その時スワに極めて誘惑的な姿を見せていたのかも知れません。 そこには八郎がいて、学生がいて、そして、この話に決定的に欠落している「母親」の姿も。滝壺と母親の相似。母親に愛されなかった太宰治。……。 東北の山そばで暮らす貧しい人々の悲惨な現実と民話を、太宰治は徹底的な省筆を用いることで、極めて美しい伝説に昇華しました。 できあがった作品に対して、私は、「見事」と言う言葉しか持ちません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.22
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『富嶽百景・走れメロス』太宰治(岩波文庫) 上記短篇集の読書報告の第二回目であります。 前回は、10編の収録作品のうち、今回読んでの印象は、『ロマネスク』が一番面白かったと述べました。でも苦情のコメントなど送らないでくださいね。 さて今回は、本作品中『魚服記』について考えたことを書いてみたいと思います。 『魚服記』といえば、これも名作の誉れ高く、太宰治の書いた全作品の中でも、ベスト5の中に入りそうなくらい評価の高い名作であります。 それゆえ多く評論家や文学者がすでに作品分析をしていますので、今更私が何を詰まらぬ事を付け加えるのだ、「屋上屋をなす」も甚だしい、と。 まー、そんな風にも思いましたが、いかんせんこの『魚服記』と言う作品には、独特の魅力がある上に、適度に解きがたい謎が仕込まれていて、いかにも批評・分析のしたくなるような短編であります。 私もその作品の魅力に乗って、少しいろいろと考察推理してみました。 前回の拙ブログで一応「テーマ」は触れたのですが、こんな内容であります。 「本作に描かれている『児童虐待』は、一体作品中のいつから起こっていたのか」 作品中の「児童虐待」とは、即物的に書けば、父親が娘をレイプするということでありますが、この状況は、少なくとも「セクシャル・ハラスメント」と言うくらいのレベルで捉えると、複数年にわたって行われていたんじゃないかという仮説であります。 この仮説は別に私の独創ではなく、すでにそんな評論もきっとあろうとは思いますが、直接は私は読んでおらず(もちろん私の怠慢故であります)、重複したり変なことをいったりするかとも思いますが、以下に考え考え書いてみますね。 まず本作の内容(出来事)を、時間軸にしたがって並び替えてみます。 するとこんな風になります。(「 」部は原文表記です。) (1)馬禿山に「十いくつ」ある他の炭焼き小屋から「よほどはなれて」「ちがう土地のもの」として、スワと父親が住む炭焼き小屋が建てられている。 (2)「父親がスワを抱いて炭窯の番をしながら」、三郎と八郎という木こりの兄弟の、弟の八郎が大蛇になってしまうという民話を語る。「スワはこの物語を聞いた時には、あわれであわれで父親の炭の粉だらけの指を小さな口におしこんで泣いた。」 (3)「スワが十三の時、父親は滝壺のわきに丸太とよしずで小さい茶店をこしらえ」スワにひとり夏の間、店番をさせるようになる。 (4)スワは「どうどうと落ちる滝をながめて」少しずつ「思案ぶかく」なっていく。 (5)スワの十五歳の「夏の終わりごろ」、「たった一人のともだち」と後に追想する「植物の採集にこの滝へ来た色の白い都の学生」が、過失から滝壺に滑り落ちて水死する。スワはその様子を「いちばんはっきりと」見る。 (6)その年の秋、スワはある日「ぼんやり滝壺のかたわらにたたずんで」、昔父親から聞いた八郎の民話を思い出していると、ふと滝がささやくのを聞く。「八郎やあ、三郎やあ」 (7)その日、スワを迎えに来た父親が、今年の茶店ももう終わりにしようと言う。スワは、父親の後を歩きながら、極めて異様な発言をする。 (8)「ぼんを過ぎて茶店をたたんでからスワのいちばんいやな季節がはじまる」。父親は「四五日置きに炭を背負って村へ売りに出」る。「いい値で売れると、きまって酒くさいいきをしてかえった。たまにはスワへも鏡のついた紙の財布やなにかを買って来」た。 (9)「スワは空の青くはれた日だとその留守に茸をさがしに出かける」。いい値で売れるなめこを探して、彼が採集していた「羊歯類」の「苔をながめるごとに、たった一人のともだちのことを追想した」。 (10)「こがらしのために朝から山があれて小屋のかけむしろがにぶくゆられていた日」、「スワは一日じゅう小屋へこもって」「めずらしくきょうは髪をゆってみた」。「たき火をうんと燃やして父親の帰るのを待った」。「ひとりで夕飯を食った」。「父親を待ちわびたスワは、わらぶとん着て炉ばたへ寝てしまった」。 (11)父親によるレイプ。目覚めたスワは「あほう。」と短く叫び、「外へはしって出た」。ふぶきの中を、滝までどんどん歩いていって「『おど!』とひくく言って飛び込んだ」。 ふー、こんな話しだったんですねー。 しかし、こうして時間軸に乗せて展開し直してみると、ストーリーとしては実によくわかりますね。 改めてよくできた話しだと思います。 (ところで、スワが滝壺に飛び込んでからも、さらに話しは少し続くのですが、そしてその部分についても、いろんな見方があったりするようですが、今回はパスしておきますね。) というところで、三回目に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.18
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『富嶽百景・走れメロス』太宰治(岩波文庫) この拙ブログでもフェイヴァレットを表明し、いくつかの作品も部分的には再三取りあげてきて、「すごいなすごいな」と言い続けてきた太宰治ですが、一冊の読書として取りあげるのは久しぶりになります。 しかも読んだ切っ掛けは、ブックオフで上記岩波文庫が105円で売っていたからとあっては、太宰治先生に対して申し訳が立たない、…とは、もちろん思いません。 フェイヴァレットとは、そんなケースも含めて、あらゆる読書機会を満足させる本のことであります。 本書には10編の短編小説が収録されています。 作品選定のコンセプトは取り敢えず「戦前」のものというのが前提で、そこから先は誰の手によるものでしょうか。 本書の解説は、井伏鱒二が書いており、そこに「ここには、その意図をうかがうに足る代表的な短編のうち、戦前のもの十編を取りあげてみた。」とありますから、それを素直に受け取って井伏氏による選定としておきましょうか。こんな十編です。 『魚服記』 『ロマネスク』 『満願』 『富嶽百景』 『女生徒』 『八十八夜』 『駆け込み訴え』 『走れメロス』 『きりぎりす』 『東京八景』 この収録順は作品の発表順であるのですが、こうして並べて見ると、うーん、いずれ劣らぬ珠玉の名品ばかりでありますねー。 今回改めて読み直してみて、私がよかったと感じた順に並べてみますね。ただしこれは今回の読書だけによる、かつ私の完璧な独断でありますから、この順位については苦情のコメントなど送らないでくださいね。よろしくー。 1・ロマネスク 2・走れメロス 3・きりぎりす 4・魚服記 5・駆け込み訴え 6・富嶽百景 7・満願 8・八十八夜 9・女生徒 10・東京八景 うーん、後半はかなりつらいですが、こんなところでしょうかねー。 『ロマネスク』はもちろん名品ですが、今回は、特に高笑しながら読んでしまいました。 『走れメロス』は読みつつ何度か目頭が熱くなりました。加齢のせいで、小説などだけではなく何でも「一生懸命」なもの(やはり子供とか、ペットなんかが中心でしょうか)を見ていると、もう涙腺が緩んで仕方がありません。困ったものであります。 『きりぎりす』これも、泣きますねー。主人公の画家の出世していく様が、何となく太宰の作品には珍しい気がして面白かったです。しかし、ところ構わず泣いてしまう困った名作ですなー。 『魚服記』今回、一番気合いを入れて読みました。以下に書きます。 『駆け込み訴え』以前より「完璧なる名作」と思ってきましたが、今回は「さほどまでにはあらず」とは思いつつ、素晴らしさはやはり傑出しています。 『富嶽百景』これは、「あいかわらず、よい。」と思える作品ですね。 『満願』これも、極上の一品の様に思いますが、今回読んでみて、お話自体はほぼ完璧にフィクションだろうなと思いました。ひょっとしたらそれに近い体験があったのじゃないかと感じさせるのは、むしろ『黄金風景』かなと思います。 残りの三作についても、もちろん甲乙付けがたく素晴らしいのですが、「今回の印象」と言うことだけに限って、かつ、無理やり順位を付けるとこの様になってしまいました。 競争競争と言われる事の多い最近の社会風潮ですが、順位を付けるということは、結果的に本意を見失うことが確かにありますよねー。 さて、上記にも触れましたが、今回の短篇集の中で、私が最も「気合い」を入れて読んだ作品が(「気合いを入れて」といっても、もちろんたいしたことはありません。取り敢えず問題意識を持って、読み返したりちょこちょことメモしたりしただけです)、『魚服記』です。 どんな「問題意識」を持ったかと言えば、たぶん以前より多くの人によって分析されている、本作における「児童虐待」についてのことです。 それについて、一体それは作品中のいつから起こっていたのか、を考えつつ(というか、本当は読んでいるうちにふと思っただけですがー)取り組んでみました。 詳細は次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.15
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『忍ぶ川』三浦哲郎(新潮文庫) 今年、この筆者もお亡くなりになられましたね。 そのニュースが出た時、少し「おや」と思いましたが、いかんせん、この筆者の作品を一作も読んだことがなかったので、それ以上は何とも思えませんでした。 今となってはかなり昔、おそらく社会人に成り立ての頃でしょうか、私は大学時代の友人と飲んでいまして、先輩になる人から三浦哲郎の話が出たのを覚えています。 まだ大学を出たての頃の、文学部出身の連中による飲み会であります。 いろんな話が出たでしょうが、その時の話題は現在覚えている範囲で言いますと、「破局に至らぬ恋愛至上主義は可能か」というテーマでした。(まー、今となってはどうでもいいですが、何というか、うーん、いかにもどーしょーもない「文学青年崩れ」ですなー。) 酔っぱらった私の意見は、以下のようでありました。 そんな厚かましいテーマで小説を書ききることの出来る作家は、日本文学にはおそらく一人しかいないだろう。 谷崎潤一郎である。『春琴抄』がその典型であるが、「マゾヒズム」というものは、究極の所、幸福な人生を生きる鍵であるかも知れぬな、とかなんとか。 その時、上記の先輩が言いました。 「三浦哲郎の『白夜を旅する人々』なんかはどうだ。」 しかしその後の展開については記憶が曖昧でありまして、まー、何と言ってもその作品を読んでいなかったものだから(今でも読んでいませんが)、たぶんふにゃふにゃとごまかして話題が変わっていったのだと思います。 (今回『忍ぶ川』を読んだついでに『白夜を…』に触れている文章も少し見たのですが、『白夜を…』って、そんな話なの?) さて、そんな三浦哲郎の『忍ぶ川』ですが、私が今まで本作を読まなかったのは、何度か映画化されていたせいであったのではないかと考えました。(それがひいては『白夜を…』も読んでいない理由でもあるんですが。) 特に私が覚えているのは、栗原小巻と加藤剛のキャスティングでしたか、栗原小巻の「体当たりの演技」ってのが少し評判になった、その映画のせいですね。 今以上に「歪んだバイアス」のかかった価値観を有していた若い時の私は、そんな栗原小巻の裸(!)が見られるような「文芸作品」の原作なんかに、ほとんど文学的価値を見いださなかったんですね。(うーん、若いということは、愚かと言うよりも、むしろ悲しいことですなー。) そんなわけで、今更になって初めてこの「純愛小説」を読んだのですが、この短編集には七つの作品が収録されているんですが、そのうちの六作までが、何らかの形で芥川賞受賞作『忍ぶ川』の連作です。 それは、当時「私小説」と言われた、筆者自身と奥さんがモデルのの純愛小説です。 ただ、テーマは連作を通して微妙に別のものに移行していきます。 それは、まー、当たり前でもありましょう。 冒頭の「破局に至らぬ恋愛至上主義小説」ではありませんが、女房との純愛が主題の小説が、厚かましく何作も描けるとは思えません。(谷崎は別格。いや、そうとも言えませんかね。谷崎も実のところ、女房との「純愛=マゾヒズム」ばかりを書いていたわけではありません。) 途中からクローズアップされていくテーマは、「血族」であります。 そしてこの「血族」のテーマについては、筆者は、実に何度も何度も、自らの記憶を振り返るようにしながら書き継いでいきます。 筆者は、青森出身でいらっしゃるようです。 青森と言えば、なるほど、少々形は違いますが、同郷者・太宰治がこだわる「津島家の人々」。太宰の作品の半分くらいには、このテーマが色濃く影を落としているように思います。 東北の方は一般的に粘り強いと言われているようですね。 しかしこの筆者のしつこいほどの繰り返しには、少々違和感がないわけではありませんが(いかんせん私は軽薄者の多い上方出身者であります)、鉱脈を一つ探り当てると徹底的にそれを掘り起こし追及するという姿勢は、大いに学ぶべきものがあると思いました。 つまり、そんな、やはり栗原小巻が「体当たりの演技」をするに相応しい、しっとりとした昭和の代表的「純愛小説」ではありました。 最後に。上記にもちらりと触れていますが、この短編集には一作だけ、傾向も内容も他と大きく異なっている作品が収録されています。 『驢馬』という小説なんですが、なぜそんな小説が一作だけ紛れ込むように入ったんでしょうかね。 太平洋戦争中、中国から留学に来た青年の物語ですが、読んでいてうんざりするほどの、その頃の一般的日本人による中国人差別が描かれています。 しかし、梅崎春生の『桜島』を髣髴とさせるような骨太のリアリズムで描かれた、なかなか迫力ある作品になっていると思いました。 なぜこの一作だけが入っているのか、読者にはよく分からないながら、きっと筆者の中では整合性のある共通項なり相似するものがあるのでしょうね。 こういう作品を一つだけぽつんと入れておくというのも、謎めいていて、なんだか少し面白いですね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.11
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『消えさりゆく物語』北杜夫(新潮文庫) のっけから私事で恐縮ですが、女房がいまして、って、まー、一応私に女房がいるんですね、ひとり。いえ、もちろん、ひとりで十分なんですが。 で、その女房が、少し前までやたらと小川洋子の小説を読んでいるなーと思ったら、最近は打って変わって、いきなり斉藤由香のエッセイを読んでいました。 例の「窓際OL」というやつです。 ところが、このシリーズは今のところ新潮文庫から4冊しか出ていない上に、何といいますかー、すらすらとすぐに読めてしまうんですね。 で、案の定読むものがなくなった後、女房がインターネットでごそごそしているなーと思ったら、3冊ほど「窓際OL」シリーズ以外の斉藤由香の本が家に届きました。 私も少しぱらぱらと見ていたんですが、筆者のお父上の北氏が相変わらず「もう死にたい」みたいなことをおっしゃっているようです。でもまー、こういうのは、本の中の話題だからと、そんな風に私は思っていたんですね。 そうしたら、そのうちの一冊の本に、こんなエピソードが載っていました。 北氏(斉藤由香の表記では「パパ」ですね)に宮内庁から何かの受賞の打診があって、ところがパパはそれを丁寧にお断りしちゃうんですね。 「せっかくくださるとおっしゃるんだから、お受けしたらよかったのに」と由香さんが言うと、「もうパパはいいの」と力弱く言ったそうです。 こんな逸話を読むと、北杜夫の「もう死にたい」話は単なる「韜晦」だけではなさそうな気もしますね。 そして同時に私は、「老いた(失礼!)」とはいえ、さすがに北杜夫だなと、少し感心しました。(そういえば、かつて開高健が、どの賞を貰っても構わないだろうが、小説家は国家からの賞は貰うべきではない、なぜなら小説家は何時の世も、国家に対峙する作品を書かねばならない可能性があるからだ、という趣旨のことを書いていたのを思い出します。) さて、冒頭の短編集の読書報告であります。 この短編集も、一言でまとめますと「老人文学」であります。 ただ、例えば晩年の谷崎潤一郎の小説が「ポジティブ」な老人文学であるとすると、こちらは「ネガティブ」な老人文学ですね。はやりの言葉で言えば「草食系」の老人文学と言ってもいいように思います。 老境に入ってからの、新しい現実の展開というものが、ほぼありません。 その代わり、といっていいか、主人公の年老いた肉体をかろうじて支えているのは、ひたすら過去への追憶であります。 それが、霧の中を歩むような記憶の混濁や、現実を捉えきる思考力の衰えなどと絡み合って、くすんだ現実を細切れにしながら描かれていきます。 さらに、人生が一筋縄ではいかないところは(北杜夫の凄いところと言うべきでしょうか)、その追憶が決して自らの過去の記憶の内の、懐かしいものでも素晴らしいものでもないと言うことであります。 それはむしろ、禍々しい記憶の方が中心となっています。 死を待つ時間の空虚と、この悪夢まがいの過去の記憶。 その両者に挟まれ、夢うつつの間を漂うように行きつ戻りつしながら、老いた主人公はこんな風に考えます。 だが、やはり男は気がついてしまった。男はまだ呼吸をしていた。とぎれとぎれに、喘ぎがちにではあったが、やはり息をしていた。 次第に意識が戻ってくる中で、いくらかの安堵とそれよりもずっと多い失望の中で、男はこう思った。うつうつと、おぼろに、ボウフラのようにたわいもなく浮き沈みしながらも、確かにこう考えた。 まだ息をしているってことは、わずかばかり幸せなことで、あとはずっとずっとしんどいことだな。それはしんどくて、つらくて、苦しくて、最後には底ひも知れぬほどあんぐりと口をあけた、不気味な、おどろおどろしい暗黒の洞窟の奥へとつながってゆくものなのだな、と……。 人生の晩年において、自らの人生をこのような形で総括するというのは、果たしてどんな実感なんでしょうかね。 ただ、ゆっくりと落ち着いてこの文章を読めば、この感情の中にあるのは、やはりひとつの「諦念」と呼ぶことのできるものではないかと思います。 たとえそれが、こういう形でしか考えようのないものであるとしても、私はここに、実生活上で「もうパパはいいの」と力弱く、しかし言い切った筆者の、「自らで完結しようとする意志」のようなものを感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.08
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『貧しき人々の群』宮本百合子(角川文庫) もちろん今まで一度も読んだことのない作家というのは、星の数ほどあると思います。 しかし、星の数ほどのその中から新たに一人の作家の作品を読み、それがびっくりするような作品だったというケースは、実は、あまりないと思いませんか。 私は今までそう思っていたんですが、さてところが、宮本百合子であります。 うーん、少なくとも私はびっくりいたしましたね。 こんな所に「天才」がいたんだなぁ、と。 ただ、まぁ私がおどろいたのは、取り敢えず今回は、えっ? その年齢で? ということでありますね。初めて読む作家の、初めて読む小説集ですから。 えー、冒頭の小説集には三つの小説が収録されています。この三作です。 『貧しき人々の群』(1916年) 『禰宜様宮田』(1917年) 『加護』(1920年) このうちの最初の作品が宮本百合子のデビュー作で、この作品を書いたときの筆者の年齢は17歳(!)であります。 この作品は坪内逍遙の紹介で『中央公論』に発表されました。 これはたぶん中島敦とか梶井基次郎とかについて書かれた文章で私は知ったのだと思いだすんですが、1916年は大正5年にあたりまして、この当時、『中央公論』に作品が掲載されるということは、文学青年達の「夢」であった、と。 その『中央公論』に、17歳の無名女学生の処女作がいきなりの掲載であります。 最も、このことについては、宮本百合子の親の力(彼女の両親の家柄、父親の職業ともに、第一級のブルジョワジーでありインテリゲンチャであります)がかなり与っていると思いますが、しかし、リアルタイムの熱気は、作品からも伝わってきそうです。 例えば、17歳でそれなりの小説を書く人って、きっと思ったより沢山いる気がします。 でも、17歳の皮膚感覚だけで書いた小説(まー自分の感覚だけを頼りに書いたような小説ですね)と違って、この作品のような客観性や社会的広がりを持った小説が書ける17歳ということになりますと、そんなにいるとはとても思えません。 これがまず、この筆者が圧倒的にすごいといえる理由でありましょう。 特に私が感心したのは『禰宜様宮田』でした。 『貧しき人々の群』については、それでも、不思議な人称を取っていることや(一人称で三人称的描写がなされています。しかし前例がありまして、鴎外の『雁』なんかがそうですね。)、文体も、お世辞にも流麗・なめらかとはいえないと思ったりします。 また、主人公の行為の「偽善性」に対する認識が、はたしてどこまで筆者にあるのか少し読みきれない気もしました。 しかし、デビュー第三作目に当たるという『禰宜様宮田』は、これはとても見事な小説でした。 第一、タイトルがいいではありませんか。十代の女性が付けたタイトルとは思えない渋さがあります。 この「禰宜様宮田」と呼ばれる極めて貧しい農民が、さらに徹底的に不幸になっていくという展開はリアリティにおいて実に見事なものがあり、そこには生きることの切なさを過不足なく描いて、却って凛と美しいものがありました。 また、そんな彼と対をなすように描かれたブルジョワジーのあくどさについても、迫力あるリアリティにあふれ、呉服屋で地主である「海老屋の隠居」の人物造形は、悪辣非道さを通り越してあっけらかんとあっぱれで、小憎らしくも魅力的なものになっています。 ただ、この作品のエンディング、奈落の底に突き落とされぼろ切れのように死んでいく「禰宜様宮田」の長男を扱ったエンディングについては、不幸の連鎖にルーティーンが漂うということではなく、作品の広がりとして、ここまで書く必要があったのかなと言う気が少ししました。 さてしかし、これが1917年(大正6年)当時に、つまりプロレタリア小説すら十分に認知されていないこの時期に(最初のプロレタリア雑誌『文芸戦線』創刊は1924年です)、18歳の女性の書いた小説でしょうか。 この時代の文壇にいるプロの小説家が持つ社会性に対する射程距離を、この18歳の女性は、遙かに振り切っています。 天才という人種は、やはり存在するものなんですね。 しかしその後、時代が彼女の「天才」の充分な開花を可能にしたかについては、個々の作品をもう少し読んでから判断したいとは思うものの、ただその一端は、おそらく文学史の記述が(記述の少なさが)語っているのかなと思います。 それはたぶん、無念といってよかろうものかと思いますが……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.04
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『潮騒』三島由紀夫(新潮文庫) 長く読み継がれる作品あるいは作家というのは、一体どんな小説・小説家なんでしょうね。 上記の小説を読んでいたら、ふとそんなことが頭に浮かんだんですね。 まー、つまり、『潮騒』は読み継がれるだろうか、筆者の三島由紀夫は読み継がれるだろうか、ということなんですけれど。 長く読み継がれるというのは、単に文学史上に名前が大きく取り上げられるということではありません。文学史の教科書に残り続けるというだけでしたら、三島由紀夫はたぶん間違いなくクリアでしょうが、私の夢想するのは、……んーと、そうですね。切りのいいところでまず百年。筆者亡くなって後、百年後も本当に読者が楽しんで読み継いでいる小説ってことなんですね。 ちょっとじーっと考えてみたんですが、その条件は二つかな、と。 (1)児童からローティーン向きの作品がある。 (2)教科書に作品が取り上げられている。 どうですか。なぁんだと思ってしまうような、身も蓋もない条件でしょうか。 もちろん優れた作品であることが一番大切なんでしょうが、でも実際の話、このあたりが怪しいような気がしますよね。 要するに、(1)は取りあえず自らの意志で(あるいは親の意志または夏休みの宿題で)、(2)は強制的に、読む・読まされるという小説ですね。やはり若き日の読書は、極めて重要であります。とにかく若い頃に実際に触れてもらえるのは大きい、と。 ところで、この二条件を見事に兼ね備えている作家といえば、おそらく芥川龍之介でしょうね。この作家はほぼ満点で「合格」、と。 (1)としては、『蜘蛛の糸』『杜子春』等いっぱいありますし、(2)の条件も『羅生門』とか、これ以外にもまだまだありそうですものね。 その次の「合格」作家と、その次の次の「合格」作家くらいまでは、すぐに挙がりますよね。 太宰治と夏目漱石です。作品は、まー、挙げなくても分かるかな、と。 でもその次くらいになると、ちょっと迷うような気もしますが、いかがでしょう。 志賀直哉あたりが微妙な感じで、うーん、……後はちょっとわかりにくいですね。 さて、冒頭の作品『潮騒』に戻ります。 今回ひさしぶりに再読してみたんですが、思ってた以上に遙かに「メルヘン」であることに気が付きました。それは少し驚くぐらいでした。 例えば二人が徐々にお互いを好きになっていく「面倒な過程」なんかは、ほぼ書かれていないんですね。新治の方はまがう事なき「一目惚れ」ですし、初江の方はというと、これがまるで書かれていません。二人が知り合って、なんだかぼそぼそと話し始めたなーと思ったら、もうキスしちゃうんですね。 えっ? これは現代風俗の小説か、と。 新潮文庫で調べてみますと、初めて二人が知り合うのが9ページ目、二人が初めて話をするのが30ページ目、二人のキスが43ページ目と、うーん、とっても「順調」ですね。 私が何となく覚えていた有名なシーン、裸の二人がいて、真ん中の焚き火を新治が飛び越えて初江に抱きつくという場面も、70ページから始まっています。まだ作品の半分も読んでいません。 つまり私のイメージより、すべてがずっとずっと前倒しになっていたんですね。 これはいったい何なのかと考えたんですが、……なるほど「メルヘン」である、と。 そう思って読むと、中盤以降の展開についても、あれよあれよのメルヘン仕立てと考えれば、なんだか本当に微笑ましく読めます。 新潮文庫巻末の解説に、この小説はギリシャの小説『ダフニスとクロエ』の現代版だと書かれていました。なるほど、それで「メルヘン」仕立てなのか、と。 しかしこの『ダフニスとクロエ』を読んだことのないわが身としましては(すんません)、この件はこれ以上何ともコメントのしようもなく、しかしただひとつ、解説者がまるで触れていないことについて、私は読書途中からずっと思っていたことがありました。 それは、太宰治との比較なんですが(三島が表面的には極めて嫌っていた太宰ですが)、三島と太宰の決定的な違いについてのことです。 三島のこの「メルヘン」を読んでいて気が付いたんですが、それは三島作品にはユーモア表現がないということです。「シニカル」はあっても「ユーモア」がありません。 そして、例えば第9章の蜂に襲われる場面や、第10章のバッグを巡る女の争いの場面など、本当は、三島はもっとユーモラスに書きたかったんじゃないかと思いました。 もし太宰がこの作品の筆者なら、きっとこんなところは高笑・哄笑あふれる場面になったと思います。 太宰の作品にあって三島の作品にない「ユーモア感覚」、もっとも、そんなことを言うなら、ユーモア感覚の欠如というのは近代日本文学の「弱点」でありますから、三島に限ったものではないとも言えます。 しかしね、ここから先は私の勝手な妄想なんですが、三島はこの作品を確かにギリシャの小説から「本歌取り」したのかも知れませんが、その書きぶりについては、きっと太宰のユーモアを目指したのではないか、と。 なんだかとてもそんな気がしました。 さて、冒頭の話題であった、『潮騒』が百年読み継がれるかと言うことですが、もしもこの作品に、太宰の作品の半分ほどのユーモア感覚があったら、間違いなく読み継がれていくだろうと、まー、これもやはり私の妄想みたいなものではありますが……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.12.01
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