日々の出来事

日々の出来事

PR

プロフィール

yaekazu5691

yaekazu5691

カレンダー

バックナンバー

2024/11
2024/10
2024/09
2024/08
2024/07
2024/06
2024/05
2024/04
2024/03
2024/02

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

バラ・モズ・午前中… New! ★spoon★さん

働いていた会社のOB… New! ひでわくさんさん

SNSで観る難読漢字に… やすじ2004さん

疲れました ももたろう1108さん

PSレガイア伝説攻略… PSレガイア伝説攻略ブログさん

コメント新着

匿名希望@ Re:詐欺まがいの電話リース契約で弁護士さんと話してきました。(08/24) アプラスの電話機リース契約で悪質な扱い…
ももです@ Re[2]:早起きが身についてきました。(05/24) yaekazu5691さん >ありがとうございま…
yaekazu5691 @ Re:お久しぶりです(05/24) ももですさん >以前こちらのblogで度々コ…
ももです@ お久しぶりです 以前こちらのblogで度々コメントさせて頂…
ゆうこ@ 特別な勉強はいりません 例えば下関条約を読んだとき(ウィキペデ…

サイド自由欄

設定されていません。
2018/06/05
XML
カテゴリ: 本の紹介
水俣病という字を見てその本を手に取りました。
先々週図書館に行った時です。
私の記憶の中には「水俣病」という言葉は知っているけれどどんな病気だったかはあいまいでした。
でも大変な病気だったというイメージだけはありました。
早速借りて、家に持ち帰りましたが、他にも西郷隆盛の「南洲翁遺訓」「仏教とキリスト教」等借りてきてあったので、西郷さんの本を優先して読んでいました。
石牟礼道子さんの書かれた「苦海浄土」はパラパラと開いてみていましたが、読まずにほってありました。

あの西郷隆盛が聖書を読んでいたのか!という疑問の方に興味が行ってしまい、水俣病は後回しになっていました。
今朝から改めて大活字本の「苦海浄土」を読み始めました。
「年寄りたちは、子供たちに受け継がせたかった、無形の遺産や、秘志が、自分たちの中で消滅しようとしている不安に耐えているようだった。」という文章に、水俣病の意味を、感じ始めました。
著者である 石牟礼道子さん の言葉が続きます。
一人の少年が一人で野球の練習をしている場面がえがかれていました。
「、、、、その姿はへっぴり腰、、、、下半身は老人にさえ見えかねない、、、。水俣病にさえかからねば、伸び盛りの漁村の少年に育っていたにちがいなかった。、、、下駄をはくということは彼にとってひとかどの労働である、、、」
水俣病という言葉が出てきました。
さらに「少年は目が見えないのである。、、、彼の右手は半分硬直していたから。」
著者は少年に声掛けをする。少年は後ずさりに突進するように、戸口の内に入ってしまう。
これが少年 山中九平と石牟礼道子 さんとの、初めての出会いだったとの事でした。石牟礼道子さんにもこの少年と同じ年齢の息子が居られたので、「心の中は激情的になり、ひきゆがむような母性を感じ」ておられたとの事でした。
当時(昭和30年代)水俣市では熊本大学医学部の水俣病患者の調査や検診が、専用バスで患者を集めて、水俣市立病院や現地部落でなされていた。
患者達は、母親や祖父母に抱かれたり、背負われたりしてくる、首の座らない胎児性水俣病の子供達や、おぼつかない足つきの成人患者たちが、海辺や田んぼのわき道に立っている風景は普通の田舎のバス停とは異なっていたようだ。
幼子からお年寄りまでそのバスに乗り込むと、人々は安堵し、和やかさを取り戻していた。
バスの運転手の青年は市内のタクシーの運転手から市役所衛生課の運転手になった。
この 胎児性水俣病 の子供たちは、母親の胎内ですでに 有機水銀に侵されて生まれてきた ので、お誕生日が来ても、二年目が来ても、 歩くことはおろか、這うことも、しゃべることも、箸を握って食べることもできなかった。
水俣病だとわかるまでは、親は病院を渡り歩き、その治療費の為に、船や漁具を売り払っていた。
子供達は1日の大半を、一人で家の中で寝転がされ、這いまわったり、少し立つことのできる子はかえって危険で、こたつや囲炉裏の火の中に落ちたり、上がり框から転げ落ちないように、柱につながれたりという状況だった。たとえ危険な状態になっても声が出せないので助けを呼ぶこともできないのだった。
山中九平少年はこの専用バスに乗ることをガンと拒んでいるのだった。
九平少年、16歳(昭和24年生まれ)父は代々の漁師、35年に風邪がもとで死亡し、姉さつき(昭和2年生)31年7月水俣病発病で9月に死亡。
彼は30年5月に発病し母千代(57歳)と2人暮らし。
市役所衛生課吏員が「九平君」と声をかけるが、振り向かず、ラジオのダイヤルばかり回している。
6歳から10年間「いや、行けば殺さるるもね」といい続けていた。最初の3年間は毎日通ったが、身近に感じていた人や、姉、近所の従兄、従妹などが病院に行ったまま死んでしまい、自分も殺されると、思うようになってしまった。
さらにさまざまな実例が記録され、病状、経過、予後、そして結言として、 四肢の麻痺、視力、聴力、嚥下障害、震顫、精神錯乱等があること。運動麻痺が主で、知覚麻痺は無いこと。家族地域集積性の極めて顕著なこと等が記載されている。
九平の姉のさつきの病状も詳しく記載されている。
その地域で生きていた猫たちも次々と死んでいったことも記載されている。
有機水銀に侵されて残酷すぎる症状に陥ってしまった人々は皆亡くなってしまわれたのでしょう。
もう二度とこのような事を起こしてはならないことを、世界の人々、企業は肝に銘じなければなりません!!

苦海浄土新装版 わが水俣病 (講談社文庫) [ 石牟礼道子 ]

​​
苦海浄土 わが水俣病【電子書籍】[ 石牟礼道子 ]

その後は1997年 平成 9年)に 水俣湾 の安全宣言がなされ、漁が再開されているようです。本当に良かったですね!!!!!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018/06/05 05:36:04 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: