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わが国は東アジアの他の国々に先駆けて国家の近代化に成功し、近代化に遅れた朝鮮を植民地支配し中国を侵略しました。当時、東アジア侵略の意図を持っていた欧米列強に対抗しなければならないとか、日本の支配下で朝鮮の近代化が進んだという事実もそれはあったことでしょう。しかし、そういう事情や情勢を考慮してもなお、あの戦争が正義の戦争であったとは言えません。私たちは歴史を直視するべきだと思います。おりしも、今日の東京新聞には平山郁夫氏の提言が報道されています;「日韓友情年2005」の実行委員長を務める平山郁夫・東京学芸大学学長は29日、ソウル市内で記者会見し自身が広島で被爆した戦争体験を紹介し、「日本の一部に右傾化する傾向があるのを憂慮している。日本は歴史を直視すべきだ」と述べた。 平山氏は「太平洋戦争で日本がもう一ヶ月早く降伏していたら、原爆投下などで多くの民間人が犠牲にならずに済んだ」と指摘し、「特に戦争末期に、指導者たちが多くの罪なき日本人を見殺しにしたことを忘れてはならない」と語った。 日韓関係は歴史問題をめぐって冷却化しているが、平山氏は日本側が正しい歴史認識を持つべきだと指摘しながら、日韓友情年の多くの行事を進めたいと強調した。2005年6月30日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「日本は歴史直視を」から引用やはり、お互いに自国に都合のいい歴史認識を主張していたのではとうてい認識を共有することはできないわけで、学術的に研究を深めていって客観的な史実に到達することが大切だと思います。
2005年06月30日
先週、テレビで東条英機元首相の孫にあたる方がいろいろ発言するのを聞いて、世襲の政治家がなぜ暴言を吐くのかわかったと、神奈川県の読者が今日の東京新聞に投書しています。 テレビの報道番組で、東条英機元首相の孫の由布子氏が、「勝者が敗者を裁いた東京裁判は無効だ」と主張していた。 しかし、この人は、日本が勝者だったら、相手国にどんなひどい仕打ちに及んだかを想像したことがあるだろうか。東京裁判のように簡単に、多くの指導者を解放することはなかっただろう。 アジアの人々はいまでも強制労働に従事させられ、毎朝、皇居遥拝、君が代斉唱をさせられていただろう。これが当時の支配者の言う「アジアの開放」だったのだろう。 彼女はまた「一つでも多くの遺骨を収集したい」とも言っていたが、兵隊たちを無残な死に追いやった張本人が、ほかならぬ自分の祖父であることに思いを致していたのだろうか。罪滅ぼしという感覚もないようだ。 戦時中に高位にあった人たちの子孫で、戦争責任を感じている人はほとんどいないようだ。この能天気ぶりが不思議でならなかったが、最近その訳が分かった。 結局、取り巻きや親族が本当のことを教えていないのだと思い当たったのだ。この番組でも、彼女に辛らつなことを言う人はいなかった。 小泉純一郎首相や安倍晋三自民党幹事長代理などの世襲政治家が、平然と戦争で日本軍によりひどい目に遭った国を刺激する言葉を吐くのも、そうした環境のせいなのだろう。何も知らないのだ。幼稚なまま年だけ取ってしまっているのだと考えざるを得ない。2005年6月29日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「発言:世襲政治家が暴言するわけ」から引用市井の民間人としてひっそり暮らすのならまだしも、この国を背負って立つ政治家になる人には、自分の育った環境だけが世の中ではないこと自覚していただき、世間や国際社会や、人類がどのような歴史を辿って今日に至っているのか、深く理解していただきたいものでございます。
2005年06月29日
戦争中に日本にいて被爆し韓国へ戻っていた被爆者に対する健康診断のため、わが国政府が医療チームを韓国へ派遣したと、今日の東京新聞が報道しています。記事は次のように述べています;韓国に住む原爆被爆者を対象とした日本人医療チームによる健康相談が、27日から5日間の日程でソウル赤十字病院で始まった。日本政府の支援事業の一環で今回で3回目だが、対象人数を約420人と増やした。 長崎県と長崎市から派遣された医師や理学療法士ら計15人が、高齢になった被爆者たちの悩みや健康不安について相談に乗った。2005年6月28日 東京新聞朝刊 12版3ページ「在韓被爆者の健康相談」から引用このような地道な努力を積み重ねて、日韓友好の絆がより太くなることを祈ります。
2005年06月28日
東京都議会選挙は今月24日に告示されましたが、今日の東京新聞・社会面(29ページ)に、選挙運動にインターネットを使用することは公選法に触れる違法行為であるとする記事が掲載されています。(「ブログで出馬>「勝手連」的な応援 ”選挙男”の波紋」)それによると、インターネットは公選法の「文書図画」に認められておらず、ホームページなどを使った選挙活動が禁じられているのだそうで、都選管のコメントでは「候補者や支援者によるネット利用だけではなく、第三者によるコメントも公選法に抵触する恐れがある」とのことです。これでは、候補者をうっかり日記で批判すると、選挙妨害に問われる可能性があるわけで、おそろしいことです。ブログから立候補した新人候補は次のようにコメントしてます。「ブログ利用の禁止は、日常会話で選挙について話すことを禁じられるのと同じような印象を受ける。若者が政治に無関心といわれることと、大きな矛盾を感じる」2005年6月27日 東京新聞朝刊 12版 29ページ「ブログで出馬>『勝手連』的な応援」から引用いや、私も驚きました。こういう矛盾は早めに是正してほしいものです。
2005年06月27日
今月はじめに、中山文部科学大臣が「そもそも従軍慰安婦という言葉はなかった」などと発言したとき、その発言の裏に、ゆくゆくは「従軍慰安婦なんて無かったんだ」という所へ話を持って行きたいという本音があまりにも見え透いていたので、細田官房長官があわてて弁解するという一幕がありました。6月14日の東京新聞朝刊「洗筆」は次のように書いています。 中山文科相が「そもそも従軍慰安婦という言葉はなかった」と発言。細田官房長官が「実質的に従軍慰安婦の存在があった以上、政府の考え方は変わらない」と修正した▼中国大陸で兵役体験のある作家安岡章太郎さんは『歴史への感情旅行』(新潮文庫)所収のエッセー「白い脚の記憶」で「外地に従軍していた慰安婦に軍が関与していた」かどうかが、最近になって問題化することを「不思議な心地になる」と書く▼ソ満国境・孫呉の師団司令部近くにあった慰安所の門には「満州第何百何十何部隊」の大きな標札がかかり「誰の目にもそれが軍の関与する施設であることは明らかであった」と▼http://www.tokyo-np.co.jp/00/hissen/20050614/col_____hissen__000.shtml森岡発言といい中山発言といい、官房長官にはご苦労の絶えないことで、ご同情申し上げます。
2005年06月26日
滋賀県知事から国会議員へ転身し「新党さきがけ」を作って自民・社会・さきがけの連立政権を立ち上げ、官房長官、大蔵大臣などを歴任した武村正義氏が、政府が画策する国連安保理常任理事国入りに、慎重であるべきだとする持論を、6月20日の東京新聞に掲載しています。記者の質問に答えるインタビュー形式です。-なぜ慎重なのか。「日本の憲法では、基本的に軍事力を海外に展開できない。そういう国が国際紛争をどう解決するかという議論に参加して、ものが言えるのか。黙って議論を聞いて、最後は米国の顔をみて賛否を決める可能性がある。「(常任理事国になって)日本が独自性を発揮できるならいいが、それが見えない。常任理事国にさえなれば大国になれる、という考え方には賛成できない」-大国を目指すべきではないのか。「近代日本をみると、戦前の80年は軍国主義、戦後の60年は経済大国を目指してきた。ところが、来年からは人口が減る。GDP(国内総生産)も縮小するだろう。明治以来の大国主義に決別すべき時を迎えている。かつて「小さくてもキラリと光る国日本」を目指すべきだと主張したが、大国にならず、質的に向上していくことに、新しい日本の生きざまはあるのではないか」「常任理事国になるのは大国主義の延長で、外務省が引っ張っている。外交官にとって母国が大国の方が、ものは言いやすいだろう。だが、この国のすがたと外交官の都合は違う次元の話だ」2005年6月20日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「大国主義 決別すべき時」から引用私も武村氏の意見に賛成です。わが国は武力による国際貢献はできないのですから、先に国民の間で国連安保理の常任理事国になるべきか否か、議論すべきであって、そういう議論を置き去りにして、政府が勝手に常任理事国入りを推進していくというやり方には疑問を感じます。
2005年06月25日
自民党所属の平沼議員が、極東裁判に関する森岡発言に関する政府の対応を批判したと、今日の東京新聞が報道しています。記事によると; 自民党亀井派座長の平沼赳夫前経産相は22日の同派総会で、森岡正宏厚生労働政務官による極東軍事裁判(東京裁判)批判に対する政府の対応について「官房長官があたかも極東軍事裁判の正当性を認めて、これを受け入れたかのような発言ははなはだ遺憾だ」と批判した。2005年6月24日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「極東裁判めぐる政府の対応批判」から引用平沼議員や森岡議員が個人的な信条として「東京裁判は不当な裁判だった」と考えるのは彼らの自由ですが、わが国が講和の条件として東京裁判の結果を受け入れたことを考えれば、平沼議員の発言がいかに的を外しているかは、明らかです。ここにも、自民党議員のレベルの低さが露呈しているといえます。
2005年06月24日
政府・与党は、自民党内の調整が難航している人権擁護法案について、7月3日の東京都議会選挙が終わるまで、国会提出を待つことにしたと、今日の東京新聞が報道しています。人権を擁護する法案と聞けば、なかなか結構な法案のように誰でも思うわけですが、実はこれには、民主主義社会を維持していくための必要な、重要な機能を麻痺させる「毒」が盛り込まれえた「悪法」案です。しかも、自民党内でこれに反対する議員たちは、その「毒」を問題視しているのではなく、(1)人権侵害の定義の明確化(2)人権委員会の強大な権限の適正化(3)人権擁護委員の資格要件の明確化を要求しているとのことです。自民党内の推進派は、これら三点は法務省と十分打ち合わせたもので、この上修正の必要はないと主張しています。しかし、私は、そういうレベルの低い対立よりも、この法案の中に「政治家の人権を擁護する」と称して、政治家への取材活動を制限できるとする条項が入っている、ここが問題であると考えます。総じて人権感覚に乏しく、レベルの低い自民党議員に、こういう問題点の認識を期待するのは、しょせん無理なのかもしれません。
2005年06月23日
世の中にはいろいろな考え方をする人がいるものですが、間違った知識や思い込みに基いて自説を展開する方には閉口してしまいます。なんて書くと、「お前もそうだ!」という声が聞こえそうですが(^^;)、今日の東京新聞の投書欄に、福岡在住の78歳の読者の次のような投書がありました。 生き証人が多数おられ、記録文書や音声や映像写真まで、探せば十分すぎるほど残されている時代の事実関係が、「自虐史観」だの「皇国史観」だのと、腹に一物も二物も隠した人間たちのためにするわい曲で、現代史、近代史さえ勝手なことが書かれ、教育現場で教えられている。 (中略) こういう膨大なデタラメを、戦前も戦後も世界に冠たる万世一系の国の歴史としてたたき込まれた国民は、全くいい面の皮だ。伝説とか、伝統とか、因習とか、美風とかいわれるものは、このうそ八百の歴史から生まれてきた。その結果は推して知るべしだ。(後略)2005年6月22日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「真実を見極め、正邪の判断を」から引用戦前は「皇国史観」に基いた歴史教育がなされたわけで、上記の投書の指摘は間違っていないかもしれません。しかし、現代の日本では教科書は一応、文部科学省の検定を受けることになっており、歴史教科書の場合は、近年の歴史学研究の結果と矛盾する記述は修正を求められるシステムになっているのですから、上記投書のように、あたかも勝手にわい曲された歴史が学校の現場で教えられているという言い方は誤りであると思います。一時期、「朝鮮人強制連行」や「従軍慰安婦」などが歴史教科書に登場したとき、右翼の人々は一斉に「教科書にウソが記載されている」と攻撃したことがありましたが、あの攻撃も誤りです。歴史学研究の結果、「朝鮮人強制連行」や「従軍慰安婦」などの事実があったことは学問的に確認されたから、当時の文部省も教科書への記載を許可したわけで、左翼かぶれの(もちろん、右翼かぶれも)執筆者がありもしない事を勝手に書いた場合は、検定を通りません。
2005年06月22日
小泉首相がソウルを訪れて行われた日韓首脳会談では、共同での歴史研究を教科書編集の参考にすることや、靖国神社に代わる新たな追悼施設を検討することで合意がなされましたが、このことを解説する新聞記事に、次のような記述がありました。 日韓中三国の研究者らによる共通歴史副教材づくりに携わった俵義文・子どもと教科書全国ネット21事務局長は「かえって韓国側の信用を失いかねず、やらない方がまし」と話し、「副教材を作る際、三国の研究者は大激論した。一つのものを作り上げるという大前提がないと、とても成し遂げられない。日本政府にそういった姿勢はなく歴史教科書問題を先送りするための目くらましにすぎない」と批判する。2005年6月20日 東京新聞朝刊 12版 26ぺージ「教科書反映、難しく」から引用俵氏のこういう批判を読むと、「靖国神社に代わる新たな追悼施設」という話しも答申が出た後3~4年放置されてきて、首脳会談でにわかに復活したような印象があるし、単に先送りをするだけのリップサービスじゃないのかと勘ぐりたくなります。小泉首相には「新たな追悼施設」に関して、是非とも前向きに取り組んでほしいものです。
2005年06月21日
パレスチナとイスラエルといえば、しょっちゅう武力衝突を繰り返している危険地帯と私は思っておりましたが、元々パレスチナは風光明媚な観光地だったようです。パレスチナ唯一のビールが、今度日本に輸入されることになったと、今日の東京新聞が報道しています。 ヨルダン川西岸のキリスト教徒の村タイベで生産されているパレスチナのビールが近く日本にお目見えする。イスラエルとの和平実現への道のりは遠く、苦境が続く醸造所の経営者は日本の消費者に期待を寄せている。 1994年創業の「タイベ・ビール」はパレスチナ唯一のビール醸造所。経営は順調だったが、2000年秋に暴力が激化したのを境に観光客が激減したため、生産は落ち込み、現在も醸造設備の能力の25-30%程度しか稼働していない。 ビールはイスラエルの港から約一ヶ月かけて日本に運搬。当面は月に300ケース(1ケース24本入り)を輸入し、売れ行きが好調なら出荷を増やす予定だ。手作りされたビールは芳醇な味わいで、日本での試飲会でも好評を博したという。 経営者のナデイム・ホーリーさんは「日本のビール愛好家の気に入ってもらえるはず。パレスチナの経済的な自立にも役立つのも確かだが、品質面でもこのビールを選んでほしい」と話している。2005年6月20日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「パレスチナビール 日本へ」から引用私もビールは大好きです。ガザ地区から早くイスラエル軍が撤退して、一日も早くパレスチナが国家を樹立できますように祈ります。
2005年06月20日
ドイツと日本は、同じ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、一見まわりの国々とうまくやっているように見えるドイツと、いまだに批判が消えない日本とでは、あまりに格差がありすぎると思っておりました。今日の「しんぶん赤旗日曜版」には、ドイツ近現代史の研究家で同志社大学名誉教授の望田幸男氏が「戦争責任 ドイツと日本」と題して、ドイツがどのように過去を乗り越える努力を積み重ねてきたか、を解説しています。 ドイツの「過去の克服」の中身は、次の3本の柱からなっています。一つは、600万人を超えるユダヤ人の大量虐殺など、ナチスの反人道行為・戦争犯罪の追及です。それはニュルンベルグ国際軍事裁判の後も、ドイツ自身の司法の手で継続され、1979年の議会では「ナチス重大犯罪の時候撤廃」を決め、いまなお追及の手を緩めておりません。二つ目の柱は、被害者への補償問題です。これは、50年代から60年代に基本的な法的枠組みができ、その後拡充されてきました。当初、ユダヤ人への補償が中心でしたが、80年代にはジプシー(シンティ・ ロマ)、障害者、脱走兵、兵役拒否者などにも対象が拡大。2000年には、強制労働に動員された外国人への補償も始めました。三つ目の柱は、国民教育です。学校教育、社会教育などで、自国の加害責任を自覚する機会をつくる。ドイツ国内の強制収容所跡地の資料館をドイツの高校生が教師とともに見学するのも、その象徴的な一例です。しんぶん赤旗 日曜版 2005年6月19日号 4ページ 「望田幸男同志社大学名誉教授が語る戦争責任・ドイツと日本」から引用このように明確な方針を持って地道に努力を重ねてきたドイツに比べて、日本の場合は、かつて日本軍が中国や東南アジアで何をしたのか知らない国民が多いし、戦後補償はODAで金を出しただけで道義的責任は曖昧、かつての被害国へ出かけて行って「深くお詫び」はするものの帰国したら靖国参拝では、何回謝罪してもそれは帳消しになる。国民教育に至っては、歴史教科書の中で近現代史は後ろの方でページ数も少なく、受験優先のため、中学・高校できちんと学習しているのかどうか疑わしい。こういうことでは、近隣諸国から批判が絶えないのも無理ないことのように思われます。
2005年06月19日
ドイツでは連合国に降伏した5月8日を「民主主義の日」と名付け、今年の5月8日には政府主催の記念式典が催されたと、ジャーナリストの梶村太一郎氏が「週刊金曜日」6月17日号にレポートしています。ドイツ国会の隣の広場やベルリン市内の要所にステージと大型スクリーンが設置され、議会内の演説を中継しました。最初に演説に立ったティールゼ連邦衆議院議長は「ドイツの無条件降伏によって、ナチス独裁から私たちの国と全ヨーロッパが解放され、人類史上で最も恐ろしく、最も犠牲の多かった戦争が終わって60年が過ぎました」と始めましたが、演説の途中、ブランデンブルク門前の市民に直接呼びかけ「私たちの通りと広場はもちろん、私たちの言葉と考えを、二度と民主主義の敵、カビ臭いナショナリストと人種主義者たちに明け渡さないよう助け合ってください」と言うと、スクリーンの前の市民は大きな拍手で答えたのだそうです。この呼びかけと拍手の意味は、この日、ブランデンブルク門から3km離れたアレキサンダープラッツ駅の広場で3000人ほどのネオナチスが「60年の解放の嘘に反対、罪の崇拝を止めよ」とブランデルブルク門までのデモを予定して集会を開いていたらしい。この集会は1万人の警官隊とそれを上回る、議長の呼びかけに呼応した市民に取り巻かれて、夕刻にはデモ行進を断念して散会しました。梶村レポートは次のように述べています; ちなみに、警官隊と反対デモに封じ込められた(ネオナチスの)集会の場で、ネオナチ政党・国家民主党のフォイクト党首は、日本のTBSテレビのインタビューに答えて「表現の自由の侵害だ。日本政府の政治家たちは立派だ。それに比べてドイツの政治家は腰抜けばかりだ」と怒っている。市民の声が小さく、言いたい放題の日本の極右政治家がうらやましそうだ。だが、よりによって彼(ネオナチの党首)に誉められる小泉政権の国際社会での位置がよくわかる言葉である。「週刊金曜日」6月17日号 30ページ 梶村太一郎「心に刻む歴史の通過点」から引用ドイツはナチスのせいにしてずるい、みたいな論評をする人もいますが、先の大戦はナチスが起こしたものであることは否定できない事実であり、ドイツ政府は誠意をもって反省していると思います。また、日本においては、小泉首相は「自らの信念」とやらが、国際社会ではどう見られているのか、客観的な考察をお願いしたいものです。
2005年06月18日
きのうきょうと松山へ出張だったので、地元の新聞を買ってみました。愛媛新聞は「読者と報道」委員会という第三者機関を設置して定期的に会合を開いているようすで、きのうの愛媛新聞朝刊には次のような記事がありました。 愛媛新聞社の第三者機関「読者と報道」委員会の第九回会議が15日、松山市大手町一丁目の同社であった。委員の弁護士・薦田伸夫氏、高畠華宵大正ロマン館館長・高畠澄江氏、一六社長・玉置泰氏が「憲法報道のあり方」「ニッポン放送株争奪戦報道」などについて議論を交わした。憲法報道について薦田氏は「改正論者の真の狙いは九条第二項。問題の本質をきちんと押さえた取材を続けてほしい」と要望。高畠さんは「改憲について識者のさまざまな見解があり、国民は確信を持てていない。まだ国民に賛否を問う時期ではない」と指摘した。2005年6月16日 愛媛新聞朝刊 3ページ「改憲論 本質押さえよ」から引用論憲とか創憲とか、あたかも改正を前提に論議しないと時代に乗り遅れるかのようなテレビや新聞の姿勢には、私も常日頃から疑問を感じておりました。また、改正論の主旨として憲法の理想と現実の間に乖離がありすぎるという主張を良く聞きますが、戦後60年ちかく、無理な憲法解釈を重ねた挙げ句に乖離した現実を作ったことを不問にして、合わなくなったから変えるというのでは、あまりにも身勝手で無責任だと思います。上記の識者の発言に見られるように、改正論者の狙いは「九条第二項」であり、これを変更して米国のいいなりになって世界中に武装した自衛隊を派遣できるようにしたいと、これが大方の改正論者の本音であろうと私は思います。
2005年06月17日
私は職場の慰安旅行で石垣島へ行ったことがあります。そのときは、台湾から家族連れで観光に来る人たちがけっこう大勢いて驚いたものでしたが、昨日の東京新聞の報道によると、沖縄県はこのたび上海に事務所を開設したとのことです。記事はつぎのように伝えています。沖縄県は14日、上海市内のビルに県上海事務所を開設した。会見した稲峰恵一知事は「琉球王国と明の時代から600年の交流の歴史がある。青い海を見に来てほしい」と観光をPRした。 沖縄と上海間は現在、航空路線が週2便。稲峰知事は運行する中国東方航空側から「将来的に1日1便に増便し、さらに沖縄-北京便も開設する計画がある」と伝えられたことを明らかにした。2005年6月15日 東京新聞朝刊 12版3ページ「沖縄県が上海事務所」より引用元々沖縄は日本と朝鮮半島、中国大陸などとかつて交易の要衝として繁栄した時代もあったのですから、これからもまた観光で繁盛してほしいものです。
2005年06月16日
日清戦争が終わって間もない1895年頃は、まだ戦死者をたたえる風潮があまり強くなく、生きて凱旋した将兵が褒め称えられたらしい。そのような状況に異議を唱えたのが、福沢諭吉が社主を務める新聞「時事新報」だった。高橋哲哉著「靖国問題」によると;日清戦争と「台湾戦争」から生きて帰った将兵は、最高の名誉を与えられており、国民に感謝されているのみならず、爵位勲章を授けられ、報奨金まで受けている。これに対して、戦死者は爵位勲章や報奨金を受ける術もなく、国民に歓迎される由もなく、凱旋将兵のような光栄に浴することができない。そしてその遺族もまた、多少の扶助料などを与えられて細々と生計を立ててはいるが、手柄を立てて無事に帰ることを祈った「父兄」はすでになく、その「戦友」たちの栄光を横目で見ながら、涙を流すのみである。凱旋将兵には最高の名誉と栄光が与えられているのに対し、戦死者とその遺族には名誉も栄光もなく、社会から忘れ去られようとしている。これはおかしい。このままではいけない。戦死者とその遺族にも可能な限りの名誉と栄光を与えなければならない、と論説文は主張する。 なぜか。そもそも命を捨てて戦った戦死者が、凱旋した将兵よりも国家への貢献において劣っていたということはできない。だがそれだけでなく、なぜ戦死者とその遺族に最高の名誉と栄光を与えなければいけないかといえば、最大の理由は次の点にある。 特に東洋の形勢は日に切迫して、何時如何なる変を生ずるやも測る可からず。万一不幸にして再び干戈の動くを見るに至らば、何者に依頼して国を衛る可きか。矢張り夫の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざる可らざることなれば、益々此精神を養ふこそ護国の要務にして、之を養うには及ぶ限りの光栄を戦死者並に其遺族に与へて、以て戦場に斃るるの幸福なるを感じぜしめる可からず。 つまり、日清戦争には勝利したものの、東アジアの情勢は緊迫していて、いつまた戦争になるかもしれない。戦争になったら、何に依拠して国を護るべきなのか。それはまさしく死を恐れずに戦う兵士の精神にほかならず、したがって、その精神を養うことこそ国を護る要諦である。そしてそれを養うためには、可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与えて、「戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめざる可からず」、すなわち、戦死することが幸福であると感じさせるようにしなければならない、というのだ。 ここには、国家が戦死者に対して、「国のために死んだ名誉の死者」としてなぜ最大の栄誉を与えるのかについての、最も重要と思われる説明が見いだされる。家族を失って悲嘆の涙にくれる戦死者遺族を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することはできない。戦死者とその遺族に最大の国家的栄誉を与えることによってこそ、自ら国のための「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員することができるのだ。高橋哲哉著「靖国問題」ちくま新書 39ページから引用このようなカラクリで、私たちの祖先が侵略戦争に駆り出されたのだという歴史的事実を、私たちは忘れてはならないと思います。
2005年06月15日
朝鮮の農村でも田植え作業が順調にすすんでいる様子が、今日の東京新聞に報道されています。記事は次のように述べています; 朝鮮中央通信は13日、北朝鮮の一部高山地帯を除き、全国的に田植えが完了したと報じた。北朝鮮メディアが全国的な田植え完了を報じたのは1998年以来。今年は農業生産向上を国家的な最優先課題に位置づけていることと関連しているとみられる。 今年の田植えには、従来の軍人や学生だけでなく労働者や都市住民も大量動員され、首都平壌などは「人の気配がしないほど」(最近の訪朝者)だったという。同通信は「毎日、数百万人の支援者が共同農場に駆けつけた」と伝えた。 また、生育期に当たる今夏の気象予測について、北朝鮮の農業科学院農業情報技術研究センター幹部は同通信に対し、低温と梅雨の長期化に伴う豪雨が予想されると指摘した。2005年6月14日 東京新聞朝刊 12版 7ページ「北朝鮮『田植え作業完了』」から引用せっかく田植え作業が順調にすんだのですから、低温や豪雨を克服して十分な収穫が得られるように祈ります。食糧事情が少しでも緩和されれば、その分、政府も国民も少々余裕を持って国の行く末を考えられるようになると思います。
2005年06月14日
今日は新聞休刊日なので、古いスクラップを引っ張り出して来ました。5月17日の東京新聞・政治特集面で、仏文学者で共立女子大学教授の鹿島茂氏と東京新聞記者・小栗康之氏が「中韓との歴史観共有は可能か」というテーマで対談をしています。この対談の中で、私が気になったところをピックアップすると、鹿島 「実際のところ、日本人は比較的、公平な歴史観を持とうとしている国民だと思いますよ。」小栗 「客観的に日本だけが先の大戦に対し、ひどい歴史認識を持っているとは思えない部分もある。」(中略)小栗 「日本だけがとにかくひどい歴史認識を持っているわけではないにせよ、それでも日本人は誤った歴史観を持っていると言われ続け、この問題は終わらない。」2005年5月17日 東京新聞朝刊 11版4ページ「中韓との歴史観共有は可能か」から引用上記の小栗記者の発言に、私は疑問を感じます。日本人がどのような歴史観をもっているか、これを一言で表現することには無理があると思います。客観的で公平な歴史観を持っている人は当然いるでしょうし、ナショナリズムに凝り固まって何がなんでも自国の歴史は正しいと信じている人もいるし、千差万別なのが実情ではないでしょうか。また、「日本人は誤った歴史観を持っていると言われ続け」との表現が問題です。誰がこんなことを言っているのでしょうか? 私の認識では、中国や韓国が「歴史観の共有」を言い出すのは、いつも日本政府高官がかつて互いに確認した歴史認識に反すると思われる言動をした時のみです。一部の政府高官が(最近では総理大臣自身ですが)「共通の歴史認識」に反する(と中国や韓国には見える)言動を行ったときにで出てくる批判であって、何もないときに常日頃からどこかの国が「日本人の歴史観は・・・」などとは言っていないと思います。報道機関に働く人には、その辺の認識はしっかりしていただきたいものです。
2005年06月13日
靖国神社が作成したパンフレット「遊就館図録」には「近代国家成立の為、我が国の自存自衛の為、さらに世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦ひがございました」という記述があります。侵略戦争であったことを無視して、自由で平等な世界を達成するためだったなどと歴史を歪曲しようとする意図が明らかです。一方では、小泉首相は今年4月のアジア・アフリカ会議に出席し「わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と、反省とお詫びを述べたことは既報のとおりです。6月2日の衆院予算委員会では、日本共産党委員長・志位和夫氏が、靖国神社の考えと小泉首相がアジア・アフリカ会議で述べた「反省」が、両立しないのではないか、と質問したところ、小泉首相は「靖国神社には靖国神社の考え方がある。これは政府と違う」と答えた、と「しんぶん赤旗日曜版」6月12日号が報道しています。記事はさらに、次のようにも述べています;「ルーズベルトは、昭和15(1940)年11月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた・・・・・・ルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追いつめて開戦を強要することであった」(『遊就館図録』の記述) しかし、当時国際社会がおこなった「禁輸」は、日本の中国侵略に対する制裁でした。「”日米開戦の責任はアメリカにあり”という歴史観、戦争観も、日本政府は到底受け入れられないのではないか」と問う志位さんに、首相は「日本は戦争を起こしたわけですから、戦争責任は日本にある。戦争は避けられた」と明言。靖国の戦争観とはこの点でも一線を画す立場を表明しました。しんぶん赤旗日曜版 2005年6月12日号 2ページから引用上記の小泉首相の答弁は、日本政府を代表する者の発言としてまことに正論であると思います。靖国神社の主張と総理大臣の考えがこのように大きく食い違っていることが明らかになった今、いかに戦没者の追悼とは言え、総理大臣が参拝する施設としては、靖国神社はまったく不適切な施設であると言えます。
2005年06月12日
今日の朝日新聞朝刊に、「CS放送・朝日ニュースター、各党はいま」というテレビ番組紹介の広告みたいな囲み記事があって、社民党党首、共産党委員長、自民党議員の意見が紹介されていて、私は大変興味を感じました。小泉首相の靖国神社参拝に反対する社民党の福島瑞穂党首は、その理由について「憲法が規定する政教分離に反する。A級戦犯が合祀されているところに首相が行くことは、あの戦争が侵略戦争、加害行為だったということを、日本の政治のトップが本当に反省しているのか、大きな疑問を生じさせる」と述べた。 やはり反対の共産党の志位和夫委員長は「小泉さんは靖国流の戦争観を信じ込んでいるとは言えない。あおられて、公約して、参拝を繰り返した」と指摘。「あの戦争は正しかったという靖国史観を信奉する政治家と、全体の中で押し流されて参拝している政治家を分けて、靖国派を孤立させる取り組みが必要だ」との戦術論を展開した。 自民党の武見敬三参院議員は「我が国は、かつて過ち、侵略してしまった歴史的事実を謙虚に受け止める姿勢を21世紀も維持していくことが必要だ」と主張。日中関係の改善について「日中間の実務的な課題をできるところから一つ一つ解決し、協調関係の基盤を作る、地道な再構築が求められている」と語った。2005年6月11日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「『靖国問題』なお焦点」より引用社民党・福島党首の意見は筋の通った正論です。ポツダム宣言と東京裁判の結果を受け入れた我が国のトップが、いまさら断罪されたA級戦犯を神と祭る神社に参拝するのは、誤解を招く行動と思われても仕方がありません。首相になる前の小泉議員はそれほと熱心に靖国神社へ出向く人ではなかったという話を聞いたことからも、志位委員長の指摘は当たっていると思います。安倍議員のような極右と雰囲気に流されているだけの議員を分ける戦術を是非実行してほしいものです。また、自民党の中にも、武見議員のような良識をもった政治家がいることがわかり、大変心強く思いました。
2005年06月11日
出口が見えない小泉首相の靖国参拝問題について、東京新聞はきのうから、この問題に一家言ある政治家に意見を聞く、としてシリーズのインタビューをはじめました。第一回目のきのうは安倍晋三・自民党幹事長代理で、あまり説得力の無い内容で言いたい放題言ってますが、その中の一つを検討してみたいと思います。 私は、靖国参拝の問題では譲るべきではないと思う。次に首相になる方も、ぜひ参拝してもらいたい。首相が参拝するかしないか、外国が指示をするのは内政干渉だ。内政問題なのに、中国が外交問題化している。2005年6月9日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「自粛は根本解決ではない」から引用この発言の内容の前後に、中国からの中止要請がなぜ内政干渉なのか、説明はありませんが、私は「内政干渉」という言い方は間違っていると思います。一般的に「内政干渉」とは、ある国が他の国の政治制度や法律について注文をつけたりする行為を言うものではないでしょうか。しかし、中国政府の靖国参拝中止要請は、わが国の政治制度を変更したり法律を変えたりすることを要求しているのではありません。だから、内政干渉というのは誤りであると考えます。また、「外国が指示をするのは内政干渉だ。」という表現も問題があります。中国はわが国に対して「ああしろ、こうしろ」と言える立場にないし、わが国もそう言われる立場にはありません。実際に、中国はわが国に指示などは出しておりません。自国の国民感情を傷つけるような行為を止めてほしいと要請してきているだけです。自民党幹事長代理という要職にありながら、このような基本的認識を欠いている安倍氏は政治家としての資質に欠けると言わざるを得ません。
2005年06月10日
政府は八日、韓国との歴史共同研究の対象に、両国の歴史教科書も加える方針を固め、韓国側と調整に入ったと、昨日の東京新聞夕刊が報道しました。今月20日にはソウルで日韓首脳会談が行われる予定で、小泉純一郎首相が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に提案することになっており、記事は次のように書いています。 日本の歴史教科書を批判する韓国が共同研究テーマに加えるよう求めており、政府は応じることで冷え込んだ両国関係改善の糸口にしたい意向。http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20050608/eve_____sei_____001.shtmlこのように日韓両国の間では、共通の歴史認識を持つための努力が着々と進められており、やがては本当に理解しあえる友好関係が築かれることと思います。
2005年06月09日
先週、歴代首相経験者と靖国参拝について話し合った河野衆院議長が、きのう小泉首相と会談し靖国神社参拝を自粛するよう申し入れた、と今日の東京新聞が報道しています。歴代首相の意見を踏まえた申し入れであることから、河野議長は新聞のインタビューに次のように語っています; 会談後、河野氏は記者団に、「先輩の首相だから、大事な意見だと思うのではないか」と、再考に期待を示した。http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20050608/mng_____sei_____005.shtml私も小泉首相の再考に期待したいのですが、あの頑固な方がどこまで人に話しに耳を傾けたのかちょっと疑問です。
2005年06月08日
今日の新聞も靖国参拝の問題を論じた記事が2つ、3つ見受けられます。今日の東京新聞コラム「政理整頓」では論説副主幹の谷政幸氏が、靖国参拝問題に関する公明党の言動について、次のように論評しています。(前略) そのさなか、公明党から殺し文句まがいの発言が出た。代表の神埼武法氏。「連立の基盤に悪い影響がある」と、これまでにない強い調子で参拝自粛を訴えた。 かねて首相の靖国参拝を憲法上も外交上も好ましくないとたしなめてきた。訪中帰国の幹事長・冬柴鉄三氏も参拝中止を直談判で求めている。 神崎発言には、それでも行くならどうなっても知りませんよ、の意味が込められていると、みんなが受け止めた。 ところが、である。その場で神崎氏は靖国問題より連立継続のほうが大事だ、というようなことを言った。前後して党の幹部たちからも「首相は必ず靖国へ行く」「靖国で連立解消なんてない」と、小泉側近みたいな発言が次々に。 いったいこれは何だろう。この党の心理分析が必要だ。2005年6月7日 東京新聞朝刊11版6ページから引用このように述べて、次のような分析をしています。1.都議選が近いので党の存在感を示すためにちょっと言ってみただけ2.どうせ首相は参拝を強行するから、党として引っ込みがつかなくならないよう逃げ道をつけた。3.憲法や教育基本法で自民党タカ派と意見が合わないが、そのタカ派が民主党に接近しないように存在感をしめしたが、本音では野党に戻るなんてとんでもないと思ってる。このように分析して、そのいずれでもないなら、公明党は「連立解消」をかけて首相に参拝断念を迫るべきだと主張しております。私もその意見に賛成ですが、公明党には公明党なりの事情があるでしょうから、なかなか難しいところです。
2005年06月07日
フランスの国民投票で、欧州憲法批准が否決されたことは、私には意外な出来事のように感じられました。シラク大統領ほどの大政治家が世論の動向を読み誤るとはまったく意外です。ドイツでは国民投票を行わず、議会の承認を持って批准手続きを済ませましたが、これがまた一般国民の意思との乖離があるらしく、今日の東京新聞は次のように報道しています;EUの政策で特に問題となっているのが、トルコのEU加盟問題。EUは昨年末の首脳会議で今年10月に加盟交渉を始める方針を決めているが、憲法批准否決を機に、反対論が噴出。 独総選挙で政権奪取を目差す野党キリスト教社会同盟(CSU)のシュトイバー党首は「独仏両首脳が市民の頭越しにトルコのEU加盟を強引に支持したことが、人々を不安にした。両人は欧州憲法の”墓堀人”だ」と厳しく批判、トルコ加盟問題を選挙の争点にする姿勢を明確にし、首相も厳しい対応を迫られている。2005年6月6日 東京新聞12版7ページから引用これまで永い年月をかけて共通の通貨を創設し、パスポートが無くても自由に往来できるようになったのですから、今ここで拙速にトルコの加盟を推進したり市民が納得しない憲法を無理に通そうとしないで、今後もじっくり時間をかけて着実に発展させていってほしいと思います。
2005年06月06日
いつも保守的な論調の読売新聞が、靖国問題の解決方法として「国立追悼施設の建立」を6月4日の社説で主張しています。首相の靖国参拝を巡っては、以前から「問題解決」の方法としてのA級戦犯分祀論がある。だが、現在の靖国神社は、一宗教法人だ。政治が「分祀」せよと圧力をかけることは、それ自体、憲法の政教分離原則に反することになろう。 「分祀」するかどうか、あるいは「分祀」できるかできないかなど、祭祀の内容を解釈するのは、一宗教法人としての靖国神社の自由である。 ただ、国内にはさまざまな宗教・宗派があり、現実に、宗教上の理由からの靖国参拝反対論も多い。 靖国神社が、神道の教義上「分祀」は不可能と言うのであれば、「問題解決」には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない。 小泉内閣の誕生した2001年、福田官房長官の私的懇談会が、戦没者の追悼のあり方について検討を進め、翌年には国立、無宗教の追悼・平和祈念施設の建設を提言する報告書をまとめている。 どのような施設にするのか、どう追悼するのかといった点で、報告書は具体性に乏しい面もあるが、早急にその内容を詰め、新しい追悼施設の建立に着手すべきだろう。 米国のアーリントン墓地には、外国の元首などがしばしば献花を行う中心施設として無名戦士の墓碑がある。 国立追悼施設も、屋外施設でよい。東京都心の新宿御苑の一角に、記念碑のような追悼施設を建てればいいとの議論があるが、十分に検討に値する。 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050603ig90.htm靖国問題はもはや、保守やリベラルの立場を超えて取り組むべき問題になりました。上記の読売新聞・社説は「新宿御苑の一角」と具体案もあり価値ある提言であると思いました。
2005年06月05日
かつての侵略戦争被害国と和解し共同体まで結成したドイツと、60年にもなろうとするのに未だに被害国との間に摩擦が絶えない日本との違いについて、北海道大学教授・山口二郎氏は「週刊金曜日」5月13日号に次のように論評しています; VEデー(ナチス・ドイツが降伏した日)は、ヨーロッパにおいて民主主義がナチズムを打倒した記念日であり、民主主義と自由と解放を祝う国際的な祝日である。敗戦国ドイツでもナチズムからの解放が記念される。イギリスやフランスなどの帝国の欺瞞を知る者は、皮肉の一つも言いたくなるところである。しかし、ナチス、ヒトラーという民主主義の敵を打倒したことによって、これらの国は道義的優越性を確保している。そして、加害国ドイツはナチズムを否定することによって、道義的劣位を克服している。戦争の終わりを勝敗という観点からではなく、ファシズムからの解放と意味づけることが今日のEUの出発点であった。 アジアにおける終戦はヨーロッパと対照的に、それぞれの国において自己完結的に捉えられている。日本では8月15日は服喪の日であり、韓国や中国では植民地支配や侵略からの解放を祝う日である。戦争の終わりに関する国際的な合意の欠如こそ、日本とアジアの国々の感情的なすれ違いの根本原因といってよい。 日本においては、戦争責任を真摯に受け止めようとする良識派の中でも、日本の敗北の日をアジアにおける植民地支配の終わりと平和が始まった国際的祝日として捉える見方はほとんど存在しなかったように思える。そして、他国に対する侵略や植民地支配について罪責感を持たない無恥な右派は、もっぱら自国の犠牲者を悼むばかりであった。犠牲者を悼むのは当然として、それをより国際的な文脈に位置づける必要がある。 日本が戦争責任を認めない間は、あるいは戦争責任という概念を否定する靖国神社に首相が参拝している間は、日本は国際社会において道義的な劣位に置かれる。このことはどれほど強調しても、強調しすぎることはない。日本は自らの誤りを認め、率直に謝罪することによってのみ道義的な劣位を克服できるのである。8月15日をアジア諸国民にとっての共通の祝日とするというは発想は、決して突飛なものではない。普通の日本人にとって、この日は死と破壊の恐怖から解放された祝日であった。 うわべだけの謝罪と反日ナショナリズムの暴発という不毛な循環に終止符を打つことに今こそ日本人はまじめに取り組むべきである。そのためには、第二次世界大戦における日本の敗北の意味づけについて国際的な共通了解を作る必要がある。この論文は、わが国の過去と現在の国際社会における位置づけを理解する上で大変重要な視点を提供していると思います。
2005年06月04日
郵政改革法案をめぐって停滞していた国会審議がようやく始まったというのに、問題意識の乏しい小泉首相の態度に今日の東京新聞コラム「洗筆」が次のように書いています。野党の審議拒否が続いていた国会は一日から審議入りした。二日は衆院予算委で集中審議が行われ、小泉首相と岡田民主党代表、志位共産党委員長らが、いまや外交上の最大の障害になっている首相の靖国参拝問題について本格的な論戦を展開した。この問題では河野衆院議長が前日、歴代首相五人と会談し、日中関係悪化の原因が首相の靖国参拝継続にあり、参拝は慎重にすべきという認識で一致したという。連立与党の公明党の神崎代表も自粛を要請している。そこで首相の予算委答弁が注目されたのだが、首相には現状が危機的であるとの認識がなく「参拝はわたしの心の問題だ」として継続の姿勢を譲らなかった。議論はかみ合わず、せっかく国会審議入りしたのに国民のもやもやは増すばかりだ。危機的認識のない首相は問題ですが、「心の問題」などとふざけた答弁をされて、追及も反論もしない野党にも問題があると思います。こんな調子では、国民が政治に失望し関心を失うばかりです。
2005年06月03日
2002年から日本と韓国が共同で行ってきた歴史共同研究について、このたび両国政府がその成果を公表したと、今日の東京新聞が報道しています。記事は次のように述べています; 日韓両政府は1日、2002年5月から行ってきた日韓歴史共同研究の報告書の概要を両国の外務省、外交通商省などのホームページを通じて公表した。 報告書は「古代」「中近世」「近現代」の三つの分科会別に討論の記録と、いくつかの共通のテーマに関する双方の研究者の論文を掲載。歴史認識の隔たりが大きい「近現代」では、相手方の論文に対する批評と、批評に対する執筆者のコメントも盛り込んでいる。近現代の共通のテーマは「1910年以前の近代日韓関係」などがある。このような努力を通じて、両国が共通の歴史認識を持つことは大変価値あることだと思います。
2005年06月02日
韓国では、かつて日本の植民地支配に誰がどのように協力したのかを究明する委員会が正式に発足したと、今日の東京新聞が報道しています。記事は次のように述べています;日本の植民地統治時代に対日協力した「親日派」を調査する韓国の「親日反民族行為真相究明委員会」が31日、正式発足した。 盧武鉉政権が進める「過去の清算」政策の一環で、当時の官僚や将校らが対象となるため、旧日本軍の中尉だった朴正煕元大統領の責任が問われる可能性がある。 同委員会は、今年1月に可決された親日反民族行為真相究明改正特別法の施行に合わせて設置された大統領所属機関。委員会には国の機関や自治体に関連資料の提出を求める権限があり、11人の委員が4年がかりで調査結果をまとめ、大統領に報告する。 調査対象は、日韓併合を進めた官僚や独立運動を弾圧した警察官、侵略戦争に協力した少尉以上の軍人など20項目に及ぶ。 また、植民地支配に積極的に協力した社会・文化機関も含まれることから、現地大手新聞社の当時の報道責任も問題化するとみられる。いろいろ困難を伴う作業と思われますが、一国の尊厳に関わる問題で避けて通ることはできないと思います。
2005年06月01日
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