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結党50年の自民党が、すっかり二世三世議員の党になったことに関連して、東京新聞論説副主幹の谷政幸氏は、22日の朝刊コラムに次のように次のように書いています;(前略) とはいえ、(自民)党はそんな中から「次の総裁」を選ぶことになる。本欄も折りに触れてつきあう。まずは安倍晋三氏。 北朝鮮や中国向けの強硬論が最近影を潜めた。記者会見も、口は災いのもととばかりに言葉を選び、面白くも何ともないらしい。次を意識しすぎていると見透かされたか、挑発第一弾を見舞われた。 中国の李外相の発言。「ドイツの指導者がヒトラーやナチスを参拝したら欧州の人々はどう思うだろうか」。靖国参拝を牽制するのに、A級戦犯の東条英機元首相をヒトラーやナチスになぞらえた。 かねて「日本とドイツを同列に扱うのは間違い」と言っていた安倍氏だから、反論の材料はあったろう。が、記者会見では「その比較自体に多くの国民は違和感を覚えるのではないか」とかわした。 かわせば二の矢を覚悟せねばならない。それが政府のスポークスマンの務めである。首相が冥福を祈る『国のために殉じた方々』に東条氏らは含まれるか、の問いに「名を挙げるなら靖国に祀られている240万人の名を挙げよ」「一人一人論じるべきでない」などとして、それ以上のコメントを拒んでいる。 そこが解せない。総裁たらんとすれば歴史認識が問われるのは必然だ。先の大戦の評価はもちろん、近隣外交のネックとなった懸案に背を向けて政権を担当できると考えるなら甘すぎる。挑発にも、黙殺していいのと、良くないのがある。2005年11月22日 東京新聞朝刊 11版 6ページ「政理整頓-挑発にも応えなくちゃ」から引用首相の座が近づいたからと言って急にいい子ぶったりすると、こういう批判に会うわけですね。自分の信念を貫くのか、それとも信念なんかちょっとくらい曲げても首相の座を得ることを優先するのか、安倍氏の品格が問われています。
2005年11月30日
増税路線に異議を唱える怒りの投書が、22日の東京新聞に掲載されました。 「増税やむなし」「集めたら税金をちゃんと使ってくれればいい」なんぞとしたり顔で言う人、迷惑だし、腹が立つ。 余裕のある人は黙っていてほしい。こっちは、稼ぎもなく、毎月の出費できりきり舞いだ。政権党は「カイカク」「かいかく」「改革」と叫ぶが増税案はめじろ押しである。 わが国の消費税が、北欧の国に比べて安くても、この国では、消費税のほかの社会的費用が、べらぼうに高い。わたしのような者には、上下水道、電気、ガス、NHKの受信料、社会保険料は重く厳しい。住居費、マンションの管理費もある。月々多額の金が出ていく。 米、芋、メザシ、ホウレンソウにも消費税がつく。わたしのような者も大富豪も同じ。不公平ではないか。 道路造りに一文も出さず、車を製造・販売し、20兆、利益1兆円超の大会社が、消費税をまるっきり払わない。環境税にもそっぽを向く。政府は及び腰。 環境省は石油に税をかけるというが、一般人の懐でなく、大会社の金庫を狙え。おかしいと思うのは大勢いる。国会議員を含めて各種の議員が多すぎる。半分以下でもやれる。議員会館も半分空く。一般人に貸し出して、その上で役人と自衛隊員を削減せよ。 政府は自衛隊に重装備をさせ、「国際貢献」の名で海外に出したいらしい。新式重火器や航続の長い大型輸送機がほしいともいう。 いったい何を考えているのやら・・・。自国はアメリカ軍に有料、思いやり予算を与えて守ってもらい、片や自衛隊の海外派遣。二重の経費負担は異常だ。 わたしは大増税路線を憎む者である。2005年11月22日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-改革叫び増税案めじろ押し 富豪と同じ税金に不公平感」から引用この投書の筆者は67歳の男性ですから、もしかしたら年金生活者かも知れません。選挙の時は一言も言わず、終わったとたんに増税ときたので、こうして怒る人も出てくるわけです。しかしトヨタ自動車ほどの大企業が消費税を払っていないというのは、筆者の勘違いか、私が知らないだけなのか、よくわかりません。議員数を減らす前にやるべきことがあるのは、前の日記に書きました。しかし、増税には私も反対です。国民が納得いくまで、国会でしっかり審議してほしいと思います。
2005年11月29日
今月半ばに韓国の釜山で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で日中の首脳、外相会談が中国側の拒否により実現しなかったことについて、今後の日本外交にどのような影響があるのか、21日の東京新聞は次のように解説しています; 「だれが首相であろうと、日本は今後3年以内に、靖国参拝を断念せざるをえない。中韓両国の反対だけでなく、米国国内でも日本が過去を反省しないことに不信感が高まっている」 最近、中国で会った国防関係者はこう語り、今後も日本に圧力をかける姿勢を示しました。 10月の小泉純一郎首相による5度目の参拝は「一国民としての参拝」を始めて明言。記帳などをやめ、拝殿前で祈るなど大幅に簡素化されました。国会でもA級戦犯に対する参拝ではないと答弁、8月15日には、過去への「痛切な反省と心からのおわび」をあらためて表明しました。 これは9月の大阪高裁判決などで「総理大臣としての参拝は違憲」との判断が示されたことに配慮し海外の反発を和らげる狙いもありました。しかし、国内では対日強硬論が優勢な中国側は評価せず、抗議声明は以前の参拝より厳しい内容でした。 これに反発した小泉首相は、内閣改造で官房長官に安部晋三、外相に麻生太郎と、靖国参拝論者を起用しました。 日中外交当局間には、1985年の中曽根康弘首相による靖国参拝とその後の断念以来、日本側は首相、官房長官、外相の参拝を控え、中国側は他の閣僚の参拝を問題にしないという「黙契(暗黙の約束)」がありました。新内閣の布陣は、今後は、これにとらわれないというメッセージにほかなりません。 APECでの中国側の対応は、これに対する回答というわけです。既に東南アジア諸国では、靖国問題で「力比べ」を続ける日中両国への不信感が高まり12月の東アジア首脳会議の成果が危ぶまれています。こうした対立が真の国益にかなうのか、両国の国民が冷静に考えるときではないでしょうか。2005年11月21日 東京新聞朝刊 10ページ「こじれる靖国問題」から引用私は、今回の組閣人事を見て、小泉首相は何を考えているのか不思議に思いましたが、この記事を読んでなるほどと思いました。日中間の対立は東南アジア諸国に迷惑をかけるし、中国政府を困らせることは我が国の国益をも損ないます。小泉首相にはもっと外交センスを身に付けてほしいと思います。
2005年11月28日
我が国で「嫌韓流」などという漫画が流行っていることを、米紙が報道したと21日の東京新聞が伝えました。記事はつぎのように述べています; 19日付の米紙ニューヨーク・タイムズは一面で、中国および韓国を批判したマンガ本がベストセラー入りするなど、日本で中韓両国に対する反感が高まっていると報じた。東京発の記事は、中韓両国の台頭は、経済・外交・文化面で日本が保持してきたアジアでの主導的立場を脅かし、「中韓両国に対する新たな嫌悪感情を当地で引き起こしている」と伝えた。 記事は、韓国の対日姿勢を極めて批判的に描いた「マンガ嫌韓流」(普遊舎)と、中国を「食人文化を持った恐るべき大国」などと紹介する「マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究」(飛鳥新社)が日本で販売部数を伸ばしていると報じ、その内容や背景を分析。 2002年のサッカー・ワールドカップ日韓共催大会で韓国が日本をしのぐ成績を収めたことから、「日本人は韓国がライバルになったという現実に最大限の衝撃を受けた」と指摘したほか、「マンガ嫌韓流」に登場する日本人が白人風の容姿に描かれていることは「日本のアジアへの優越感と西洋への劣等感」と暴露しているなどと論じた。2005年11月21日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「『日本で反中韓コミック人気』米紙報道」から引用 私は「嫌韓流」などというくだらない漫画が何故流行るのか、不思議に思っておりましたが、この記事を読んでなるほどと思いました。 サッカーについては、私の認識では韓国は元々強いと思っていたので2002年のワールドカップで韓国が善戦したのは当然と感じておりました。日本は監督を外人にしてから少し強くなったし、2002年でも結構がんばったほうだと思いました。最近は当時よりもさらにまた強くなっているのではないかと思いますが、ま、あまり熱心に見てるほうでもないので、詳しいことは知りません。 私は、日本がアジアの他の国々に対して優越しているという考えには根拠が無いと思っています。我が国が他国にさきがけて経済発展を遂げたのは、国民の勤勉さ以上に、歴史的、地理的、その他さまざまな条件がたまたま重なってできたもので、韓国でも中国でも、その他の国々でも、そういう条件さえ整えば同じように経済は発展すると思います。また、文化の面では、私たちが使用する文字や仏教思想、箸を使う食事の仕方など、我が国は東アジア文化圏の一員であって、どちらかが優れていてどちらかが劣っているというような比較は意味が無いと思います。 また、西洋への憧れとかその裏返しの劣等感というのも、文明開化の頃の日本人が受けた衝撃が未だにトラウマになって我々に引き継がれているのかもしれませんが、実際にヨーロッパにでかけて色々体験すると、西洋人も日本人も同じ人間なんだということが良くわかります。
2005年11月27日
韓国・釜山で開かれていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議は19日に閉幕し、新聞各紙は日中、日韓の外交問題が何一つ改善されなかったと報道しました。20日の朝日新聞は社説で次のように小泉首相を批判しています;(前略)中国との間では、4年にわたって首脳同士の相互訪問が途絶えている。首相はAPECなどの国際会議の際に会談できているから問題ないと主張してきたが、今回はそれさえ実現しなかった。外相会談もなかった。 せっかくのAPECなのに、これは深刻な事態というほかない。 首相は、胡主席ら首脳がそろった席で、日中関係に触れ「心配している国があるかもしれないが、全く心配はいらない。自分は日中関係を重視している」と発言した。その言葉にうなずいた首脳がいったい何人いただろうか。 締めくくりの記者会見で、首相は「一つの問題があるから(といって)、全体の関係を損なうようなことにはしない」と述べた。ならば、と中韓両国は言い返したいのではないか。首相も靖国参拝という一つのことに固執せず、全体を見たらいかがかと。 それを一方的に突き放して、果たして外交は成り立つのか疑問である。ましてこの「一つの問題」は、首相自らが作り出したものだ。自分が決断すれば取り除ける問題である。 日本と中韓の間がここまでこじれてしまっては、周辺の東南アジア諸国なども懸念を抱かざるを得ない。 来月には東南アジア諸国連合と日中韓3カ国との首脳会議がマレーシアで開かれる。共同体づくりも視野に入れた初の東アジアサミットもある。 世界の成長センターと言われるこの地域の将来図を描こうというときに、大きなマイナスになるのは間違いない。 2005年11月20日 朝日新聞朝刊 14版 3ページ「社説-取り繕えぬ靖国の影」から引用同じ言葉を何度も繰り返して発言するのが小泉首相の特徴ですが、彼が「一つの問題があるからといって、全体の関係を損なうようなことにはしない」と発言するのを聞くと、あまりの白々しさに開いた口がふさがりません。たぶん、そう感じているのは私だけではないと思います。他人の足を踏んでおいて、その相手に向かって薄ら笑いを浮かべて「私は人の足を踏んだりはしません」と言ってるのと同じだと思います。
2005年11月26日
今月16日にさいたま市で開かれた八都県市首脳会議で、石原東京都知事は、政府が決めた生活保護費の国庫負担割合引き下げ方針のために自治体負担が増加することに反発して、かつて失敗はしたものの外形標準課税導入の例をあげて、今回も政府が愕然とするような対抗策を出してやる、と発言したことが、17日の東京新聞に報道されました。具体的にどのような対策をとるのかと記者団に質問されて答えた様子も、記事になっています; 同会議が、厚労省への統計月報の報告を停止する方針を決めたことに対し、石原知事は「文章を重ねても国は本気で読まない」と効果に疑問を呈した。その上で、独自の対抗処置の具体的内容については「おまえを殴ると言って殴るバカはいない」と明言を避けた。(後略)2005年11月17日 東京新聞朝刊 東京版 23ページ 「都負担増『国にしっぺ返しを』」から引用こういう品の無い発言をする人物が東京都知事とはあきれてしまいます。本人としては、威勢のいい言葉使いが世間に受けると思ったかも知れませんが、日ごろ不満を溜め込んでいる大衆に迎合しようという魂胆が見えみえの、レベルの低いポピュリズムにすぎません。
2005年11月25日
石原東京都知事は、訪米中に講演をしてまたしてもマスコミ受けを狙ったろくでもない発言をしたらしい。その愚行に抗議する投書が19日の東京新聞に掲載されました。 今さら驚きはしないが石原都知事の発言には本当に困ったものだ。訪米中に講演で「米国は戦争で中国に勝てない」「中国に対抗するには経済で封じ込め」(本紙4日付夕刊)などとしゅちょうしたというが、一体何を考えているのだろう。 仮にアメリカが「勝てる」としたら、今すぐ戦争を始めろとでもいうのだろうか。「経済で封じ込め」などやれば、本物の戦争に発展する恐れが大だが、それでいいというのだろうか。 外国でこんな発言をすることが都知事の公務とも思えないが、戦争の本質も知らず、発言の影響も考えずに特定の国を公然と敵視するのは、あまりに軽率で無責任ではいのか。その気になればいつでもどこでも戦争を始めるアメリカのことである。ただでさえ危険がいっぱいなのに、殊更に緊張をあおる物騒な発言はやめてほしい。 石原知事の反中国的言動は目に余る。態度を改める気がないなら、さっさと辞任するよう勧告したい。2005年11月19日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-都知事の発言、慎重さを望む」から引用日本やアメリカが、中国に対抗しなければならない理由はありません。人類の繁栄のためには、日米は中国と連携していかなければならない、そういう局面に今我々が立っているという認識が、石原氏には欠けているわけで、こういうヤツが総理でなくてほんとに良かったと思います。
2005年11月24日
今年結党50年を迎えた自民党に造反して除名された亀井、平沼両議員は、15日の東京新聞のインタビューに答えて、自民党を痛烈に批判しています。亀井議員は、自民党はこの50年間、最大多数の最大幸福を求めて国民みんなが幸せになる道を追求してきたのだと言っています。ところが、小泉改革が目指しているのは市場原理至上主義、効率主義が最優先になっているため、中産階級は分解され、富める者はより豊かになり貧しい者はさらに窮乏を強いられる社会になりつつあると指摘しています。インタビューの一部を下記に引用します;(前略)--自民党はどこで変わったか。 2001年4月の総裁選で、小泉さんは私と政策協定を結んだ上で当選した。私は三度、首相官邸に行きましたよ。協定を守ってくれと。それが一顧だにされなかった。この間の郵政民営化法案の扱い、衆院解散をみても、その時が始まりだったんだなと思う。 民主主義は、民意を反映した国会議員が協議しながら進めていくものだ。首相に選ばれてしまえば、他の議員と協議する必要はない、党の意向も聞く必要ない、自分の独断でやっていいというんだったら、これは任期の間、独裁体制を認めろという話でしょう。--誰も首相に異議を唱えられなくなっていると。だって(武部勤)幹事長自ら「偉大なイエスマン」だって威張っているんだから。今なら閣僚も党役員も要らない。小泉さんが指示したことを、そのまま各省庁が機械のように実施すればいい。そんな状態を誰もおかしいと言わなくなっちゃった。このまま進んでいけば、まさに独裁国家ですよ。--それでも小泉内閣の支持率は高い。 国民がアホなんだよ。思い上がっていると言われるかもしれないが、あえて言わせてもらう。大人たちの60%が、権力者が目的を達するためには、民主主義のルールを破っても、何をやってもいいということを支持しているとすれば、日本もおしまいだ。 しかし、こんな萎えた、批判精神のない、強者に巻かれていけばいいという国民は、小泉さんがつくったんじゃない。国民が小泉首相を生んだんですよ。残念ながら、そんな国民になってきたことには、結党50年の自民党に責任がある。私にも責任がある。2005年11月15日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ「こちら特報部-自民結党50年 追われた2人は」から引用亀井議員は、選挙中も「日本はおしまいだ」と発言して顰蹙を買いましたが、彼の発言にはそれなりの理由があります。経済効率だけを最優先させる小泉改革でいいのか、私たちは改めて考える必要があるのではないでしょうか。
2005年11月23日
報道によると、ビジネスや留学で中国に長期滞在する韓国人は約30万人で、5年後には100万人に達する見込みだそうで、韓流ドラマは中国でも高視聴率を記録する一方、韓国では「華流」ブームだそうで、先月、ソウルでは「世界華商大会」が開催され、世界30カ国・地域から約三千人の華商が集まり、開会式に出席したノムヒョン大統領は「華商はビジネス成功の神話を作り出した」とたたえたました。大統領がこのようにがんばる背後で韓国の地方自治体は、華人資本の誘致に懸命なのだそうです。このような状況を、総合研究開発機構(NIRA)の季鋼哲・主任研究員は、12日の朝日新聞で次のように解説しています;(前略) 背景には、両国間の貿易量が国交正常化以来12年間で12倍に膨れた激増ぶりがある。昨年は対中貿易は対米貿易を上回り、韓国にとって中国は最大のドル箱になった。また、韓国には30万人を超える中国人労働者やビジネスマンが長期滞在し、新しい華僑社会を形成している。これまで韓国で冷遇されてきた旧華僑約2万人も韓中交流の懸け橋として脚光を浴び始め、初の中華街も建設中だ。 「韓流」と「華流」の盛り上がりに比べ、「日流」の影は薄い。日本には韓中がうらやむ資本、技術、文化があるものの、「政冷経熱」から「政冷経涼」になりつつある昨今、日本は孤立の道を歩むような気がしてならない。「韓流」「華流」と「日流」が交じり合って鼎立する「平和と繁栄の東北アジア」を望む声は高まっているのだが・・・。2005年11月12日 朝日新聞朝刊 12版 12ページ「私の視点-中韓交流「日流」加わってこそ新時代」から引用私も、地理的条件やその他の条件から考えて、東北アジアの繁栄には日中韓の連携が大変重要であると考えます。
2005年11月22日
関西学院大学教授の村尾信尚氏は、北京の中国人民大学の座談会に出席し活発な議論を行ったことを14日の東京新聞「本音のコラム」に紹介しています; 「日本は広島・長崎を経験した。その日本がなぜ、核兵器を持つ中国に経済援助をしなければならないのか? そう考える日本人は少なくない」と私が発言したとき、北京の中国人民大学の先生たちの表情が険しくなった。 先日私は、同大学で「日中経済貿易関係座談会」に出席した。座談会はとてもエキサイティングで、議論は予想通り、過去の戦争に対する償い、靖国参拝などにも及んだ。同じ議論が繰り返されることは決して悪いことではない。日中間でもっと多くの人々が、面と向かって議論を繰り返すことが必要なのだ。直接会って議論すれば理解と友情が生まれる。日本人が日本のなかで日本人に向かって「中国は・・・」と非難しても何の役にも立たない。中国も同じだ。中国の人々は日本人が思うほど反日的ではないし、日本人は中国が思うほど好戦的ではない。ここは「話せば分かる」でいくべきだ。(後略)2005年11月14日 東京新聞朝刊 11版S 21ページ「本音のコラム-話せば分かる」から引用村尾氏の主張は私も同意できます。4~5年前、私は観光でソウルへ行ったことがあります。そのとき日本語が上手な中年のガイドさんが余談で話してくれたことですが、自分は学校の歴史の勉強で韓国の独立運動を日本軍が過酷な手段で弾圧したことなどを学び、日本人は怖い人たちだという印象を持っていたように思う。旅行会社に就職して何年かたってベテラン社員になり、日本への観光旅行に添乗することになったときは少し緊張した。しかし、いざ日本に着いてみらた自分と同じような顔立ちの人々ばかりだし道を聞くと親切に教えてくれるし、その時宿泊した旅館の女将さんとは今も年賀状を交換していると、楽しげに話してくれたものでした。中国の反日教育がどうなってるか知りませんが、そのような問題があったとしても、私たちはそれを乗り越えて友好関係を築いていけると思います。
2005年11月21日
今月初めの朝日新聞に掲載された日中関係に関する投書について、中国人留学生の感想が12日の同紙投書欄「声」に掲載されました; 6日の声欄に教師と高校生、2人の方の中日関係についての投稿が載っていた。中国人の私はその文を読んで感心した。中日の友好関係を期待している多くの日本人の考えを、母国の人々にも伝えたい。 ただその中で、高校生の方の「戦争はお互いに悪いものであり、お互いに反省すべきである」との箇所には疑問を持った。 確かに、戦争は一方だけを責めることはできない。ただ責任には大きいのと小さいのとがある。これは犯罪と同じだと思う。被害者に責任があっても、反省させることは難しいだろう。かつて戦争を起こした日本の指導者の責任は大きい。しかし、それを今の日本人に求めるのはいけない。このことは中国人に分かってもらいたい。 一方、日本人にも歴史の真実を分かってもらいたい。かつて中国では、普通に暮らしていた人々に、朝起きた途端、殺される運命が待っていた。この歴史の悲しみを分かってもらいたい。原爆で日本も悲惨な被害を受けたが、その責任はアメリカにある。 過去の事実を明確にし、中国人も日本人も、アジアの未来に向かって仲良くなることが、私の願いである。2005年11月12日 朝日新聞朝刊 12版 12ページ「声-過去を明確に 友好関係を築く」から引用けんか両成敗という考え方があって、現代史をほとんど学習することのない日本の高校生は十五年戦争のことを考えるときも、戦争をするからには双方にそれなりの言い分があったのだろうなどと無責任なことを考えるかもしれません。しかし、それは実際にあった史実とは違うわけで、どのような経緯で中国の人々が被害を受けたのか、私たちはよく勉強する必要があると思います。
2005年11月20日
放送番組に対する苦情や意見を受け付ける第三者機関、BPOに対して、9月の総選挙報道に関する苦情が、これまでになく沢山寄せられたと、塚本三夫・中央大学教授が「しんぶん赤旗」日曜版のコラムに紹介しています; 9月の総選挙をめぐる報道について、放送番組に関する視聴者からの苦情や意見を審議・処理する第三者機関のBPO(放送倫理・番組向上機構)に多くの苦情が寄せられた。短期間に、これほどの数はなかったと聞く。 苦情の多くは、「刺客」と呼ばれた候補、あるいはその候補のいる選挙区に過度に集中した報道だったのではないか、一種の情報操作ではないか、という苦情だったという。その通りだと思う。 知る限り、新聞を含め、今回の選挙報道をまともに総括したメディアは今のところ皆無のようだ。多くのメディアは今回の選挙を「劇場型選挙」と特徴づけているが、いわゆる「小泉劇場」を演出し、舞台を提供したのはまさにメディアではなかったのか。 済んだこととして流してしまう、総括しない、反省しない、という既成事実肯定・追認主義がいっそう深まっている気がしてならない。これでジャーナリズムの歴史的責任が果たせるだろうか。 外務大臣になった麻生太郎氏は組閣の際、「私や安倍(晋三)さん(官房長官)などタカ派が多いが大丈夫か」と小泉首相に念を押したという。 選挙では「郵政民営化の是非を問う選挙」といっていたにもかかわらず、小泉内閣は医療費負担増や増税、さらには憲法改正をにらんだ政治を推し進めようとしている。小泉政治が国民を一体どこに連れていこうとしているのか。ジャーナリズムはきちんと監視し報道できるのか。強く危ぐする。 毎年10月に新聞週間が設けられる。今年の代表標語には「『なぜ』『どうして』もっと知りたい新聞で」が採用された。おそらくそれは多くの国民の期待であろう。果たして新聞は「なぜ」「どうして」に答える報道ができているのか。今こそ厳しく点検することが求められていると思う。2005年11月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアを読む-『なぜ』に答える報道か」より引用私もまったく同感です。視聴率至上主義でまんまと自民党の戦略にはまり、結局知らないうちに「小泉劇場」をプロデュースさせられてしまったテレビには、報道機関としての自覚と責任の再確認をお願いしたいものです。それにしても、自他ともにタカ派を以て任ずる麻生氏が組閣のメンバーリストを見て「これで大丈夫か」と心配したというのは、なかなか冷静な判断力も持ち合わせている人物であることがわかって、面白いと思いました。
2005年11月19日
職員が不祥事を起こした責任をとってNHK会長を辞任した海老沢氏を、茨城県は特別功労者として表彰することになったと、10日の東京新聞が報道しています; 茨城県は9日、NHKの海老沢勝二前会長(71)を本年度の特別功労者として表彰すると発表した。海老沢前会長は、職員による番組制作費着服や受信料不払いの責任を取る形で今年、辞任に追い込まれた経緯がある。大津放送局記者が放火未遂容疑で逮捕されるなど、NHKの不祥事が続く中での表彰は、波紋を広げそうだ。 特別功労者表彰は県政の発展に著しい功績があった同県出身者が対象。海老沢前会長は、日本画家で日本芸術院会員の那波多目功一氏(72)とともに、11日の表彰式で特別功績章(価格約16万円)を贈られる。 海老沢前会長への受賞理由について、県は「大河ドラマ『徳川慶喜』などの放映により、本県の知名度を高めた。また全国に先駆けて地上波デジタル放送の開始に尽力するなど、地域振興に寄与した」などとしている。 県によると、海老沢前会長は受賞を快諾したという。県の話では、県幹部らによる選考会で、過去にも海老沢前会長の名は候補に挙がっていたが、現職のため見送ってきた。NHKの不祥事が収まらない中での表彰に対し、県は「県政の発展に貢献したことに変わりない。逆風の中で故郷は温かいと思ってもらえるのではないか」と説明している。2005年11月10日 東京新聞朝刊 12版 28ページ「NHK不祥事続きでも”功労者”?」から引用このニュースは誠に不可解です。海老沢氏はNHKの会長として放送事業の統括責任者として業務に尽力したのであり、NHKの事業は茨城県のみならず全国を対象とした事業であり電波は世界中に飛んでいます。従って放送文化の発展に貢献したという理由で表彰されるのなら(当然そういう実績があったと仮定しての話ですが)理解できます。しかし、全国規模の事業を行う組織のトップにいた人が、茨城県の発展に寄与したというなら、そういう地位を不正に利用して茨城県に利益誘導をしたという意味にもなりかねません。それを「よし」として表彰するとは、茨城県の良識を疑います。
2005年11月18日
先月、東京新聞の投書欄に永井さんという読者が「公務員や議員の定数を削減するべきだ」という投書を寄せました。それに対して、別の読者からの反論が今月9日の朝刊に掲載されました; 永井慎太郎氏の「公務員制度改革 まず議員定数から削減を」(10月5日付)を拝読しました。 永井氏は、小泉首相がこれまで国民に対して「痛みをともなう改革」を訴えてきたが、「その前に」やるべきことがいろいろあるのではないかと述べられている。ここまでは私も全く同感である。また、永井氏のような若い方が政治に関心をもち、真剣に意見を述べられることも、大いに喜ばしいことだと思う。 しかし、永井氏は政府が国家公務員10%削減を閣議決定したことを是として、「その前にまずご自身たちが定数の削減を行うべきである」と提案されている。私は、同氏のこうした意見には同意しかねる。 民主主義国家において、国家(地方)公務員にしても国会(地方)議員にしても、少なければ少ないほどよいというものではない、と思うからである。 一般に国家(地方)公務員の削減は、往々にして国民(住民)へのサービスの低下につながりかねない。公務員が多いというが、日本の公務員の人口あたりの数は、イギリスの半分、アメリカの4割、フランスの三分の一にすぎない。むしろ特権的な高級官僚の優遇、天下りをこそ是正すべきである。 国会議員については、議院内閣制のもとで、国民の生活にかかわる税制や社会保障、外交問題など多くが立法府である国会の場で決定され実行される。 こうした機能をもつ国会に、民意を正しく反映しようとするならば、それにふさわしい選挙制度の改革と、一定の議員が必要なのではないかと思われる。 しかも、日本の国会議員数は、人口比でドイツの半分、フランスの4割、イギリス、イタリアの3割程度で、他の先進諸国と比べると極端に少ないのである。 永井氏は、衆・参の国会議員を削減すれば歳出削減につながると言われるが、歳出削減をいうのであれば、まっさきに「政党交付金」(政党助成金)を廃止すべきではないか。 「政党交付金」は、永井氏が提案する国会議員削減による50億4600万円の6倍の320億円近くが、毎年われわれが納めた税金の中から支出され、届け出た政党によって山分けされている。 9月30日に公表された2004年の「政治資金収支報告」によると、各政党の総収入に占める「政党交付金」の割合は、自民党が58.8%、公明党が18.4%、民主党が83.6%、社民党が52%などである(共産党は受け取っていない)。「官から民へ」「民間でできることは民間で」という「その前に」、まず「政党交付金」制度を廃止し、政党自らが「国営政党」から脱却して、近代政党にふさわしく自立すべきではないかと考える。2005年11月9日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「読者交論-『政党交付金』廃止が先」から引用欧米先進国の公務員や議員数と、わが国のそれの比較は大変興味深く思います。また、政党交付金の制度を実施することによって企業献金をなくし、ひいては政治改革につながるなどと吹聴されて始まったものでしたが、結局いつの間にか自民党への経団連の献金は復活しているし、我々の税金を政党に交付する意味は無くなりつつあると思います。
2005年11月17日
靖国神社がA級戦犯を合祀するに至ったいきさつを調査・報道している東京新聞の11月8日朝刊に、故・美山要蔵氏の未公表の手記の一部が掲載されました。美山要蔵とは、我が国敗戦時の陸軍大臣・阿南惟幾の高級副官を務めた人物で、戦後は厚生省援護局次長などを務め戦没者の靖国神社への合祀関連事務にも従事し、1963年に退職した後も「援護行政」に大きな影響力を発揮したそうです。その美山氏が書き残した手記には、極東軍事裁判を傍聴したことも書かれており、法廷における東条英機を次のように描写しています; 東条さんは戦争裁判において、存分に陳述の機会を与えられ、この機会を十分に利用された。東条さんの個人弁論の最終日、昭和23(1948)年1月に傍聴しているときキーナン検事との応答が実に胸の空(す)く感じを全法廷に与えたことは事実である。 東条さんが戦争をしたのは間違ったことではないと考える、正しいことを実行したと思うと述べたのに対し、キーナン検事が最後に「それではもし本審理においてあなたが無罪放免になった場合には再び同じようなことを平気で繰り返す用意があるというのですね」と尋ねたのに、東条さんは何とも言わず姿勢を崩さず泰然としておった。2005年11月8日 東京新聞朝刊 12版 26ページ「故美山要蔵氏の手記要旨」から引用「ひいきの引き倒し」とはこのことです。侵略戦争を「間違った戦争ではなかった」と言い張る被告に対して、検事が「それなら、もし無罪になったら、また同じことを繰り返すのか」と聞かれ、返す言葉も無かったわけで、辛うじて平静を装うのがやっとであった状況をみて「泰然としておった」などと表現してみても、むなしさを感じるだけです。
2005年11月16日
先ごろ自民党が発表した、あのお粗末な改憲草案について、ジャーナリストの斎藤貴男氏は6日の朝日新聞書評欄で、次のようにコメントしています。 マスコミがまた大嘘を垂れ流している。自民党の新憲法草案は現実路線、従来の主張よりソフトになったと報じまくった。だが条文案をきちんと読めば、どれも見せかけでしかない実態がミエミエ。 九条一項は残った。けれども書き換えられた九条二項は、”自衛軍”にオールマイティーを与えてしまっている。 知る権利も環境権もまるで嘘。21条二項と25条二項で国の説明責任と環境保全の努力義務が条文化されただけだ。 軍事裁判所の設置を謳うのは76条の3である。軍人だけを裁くとは書かれていない。近代立憲主義(国家権力に憲法で縛りをかけるという考え方)を否定する、自民党が小出しにしてきた発想も、まるっきり伝えられなかった。 NHK番組改変事件報道で朝日新聞社の社長が頭を下げた光景が記憶に生々しい。内部資料流出問題についてのみの謝罪を、他のマスコミは朝日が全面降伏したかのような形に仕立て上げ、朝日も抗議しない。これでは21世紀の白虹事件(新聞が権力の走狗に成り下がる契機となった大正年間の事件。詳しくはマスコミ史研究の類を繙かれたい)だなどと、あまり絶望ばかりしたくはないのだが。(後略)2005年11月6日 朝日新聞 12版 「斉藤貴男さんのポケットから-マスコミが受け止めるべき警鐘」から引用このように斎籐氏が指摘しているとおり、自民党の草案は現憲法を100年後戻りさせるような愚かなもので、とても賛成はできません。
2005年11月15日
人材育成コンサルタントの辛淑玉(シンスゴ)氏は私より10歳年下ですが、5日の朝日新聞に次のようなエッセーを寄せています; 子どもの頃、一家で夜逃げをしてたどり着いた家は隙間だらけで、雨が降れば茶碗を部屋中に並べた。自販機の下を覗きながら歩き、公衆電話があれば必ず返却口のつり銭を探り、お腹がすけばスーパーで試食品をむさぼった。それができない姉は学校で栄養失調と言われた。 あるとき、その姉が高熱を出した。診てくれる医者をやっと探して帰ると、起きることもできなかった姉が、仁王立ちになって「帰って! 帰って!」と叫んだ。医者を家に入れたら、診療代を払わなければならない。必死に叫ぶ姉を見ながら、どんなことをしてでも貧乏から抜け出そうと思った。 新聞配達、乳飲料配達、深夜の皿洗い、ウェートレス、下着や水着のモデル。お金になることなら何でもした。中でもオフィスのゴミ拾いの仕事はつらかった。巨大なカゴを引いて部屋を回り、素手でゴミ箱から吸い殻や食べカスをかき集める。私の目には、お茶くみの女性たちが輝いて見えた。 高度経済成長の真っただ中、日本人と私たち在日の間には巨大な壁があった。朝鮮人にまともな就職の道はなく、正社員なんて夢のまた夢。つらくて不安定な低賃金労働しかなかった。貧しさが日本人には昔話になった頃、在日の私はその豊かな日本の中で貧しさに喘いでいた。 いま、「改革には痛みが伴う」と豪語する小泉首相の下で、貧困問題が再び頭をもたげようとしている。ホリエモンのように富を一手に集める者が現れれば、他方に何も手にできない者たちが生まれるのは当然の結果だ。少子化やパラサイトの問題の背後にも、私には貧困の影が見える。子どもを持てば行き詰まるから産まず、親元を出たら食えないからパラサイトする。今はまだいい。早晩、にっちもさっちも行かず困窮した人々があふれ出てくるだろう。 総選挙では、貧困に対する具体的イメージを持たない多くの日本人、特に若い世代が、「改革を止めるな」という勇ましいフレーズに酔って政権を支持した。ナチスが「民族の浄化」という一見美しいフレーズを唱えたとき、それがついにはガス室にまで行き着くことを、ゲーテやヘーゲルを生んだ高貴なドイツ人に想像ができなかったのに似ている。 だから私は言いたい。「貧しさを想え、そして恐れよ」と。2005年11月5日 朝日新聞朝刊 12版N 23ページ「辛淑玉さんからあなたへ-勇ましさの背後にある貧困を想え」から引用貧しさを知らず、アルバイトだのフリーターだのと言って安穏と暮らす現代の若者への警鐘だと思います。
2005年11月14日
横浜市の素人男声合唱団58人が、こんど韓国へ出向いて現地の同じような合唱団と合同演奏会を開くことになったと、5日の朝日新聞が報道しています; きっかけは1通のメールだった。「すばらしい活動をしていますね。ぜひ交流しませんか」。磯子区を中心にふだんは地域のイベントや老人ホームなどで歌っている洋光台男声合唱団のホームページに4年前、日本語でアクセスがあった。ソウルのウルバウ男声合唱団に属する廬相煥(ノサンファン)さんからだった。 廬さんは仕事で来日も多く、日本語が堪能で、同じ男性だけの合唱団ということに親近感を覚えたという。 互いに行き来して相手の合唱団の練習にまで顔を出す団員が相次ぐなか、「いっそのこと合同で演奏会をやろう」と話が盛り上がった。 5日に水原(スウォン)市、6日にはソウル市で開く。韓国人や現地の日本人駐在員など約4500人が聴衆として集まる予定。「浜辺の歌」など日本の曲に加え、「郷愁」や「懐かしい金剛山」といった韓国の曲を一緒に歌う。 「素人」といっても、合唱団歴は20年。楽譜も読めなかったカラオケ好きの集団が、いまではプロのボイストレーナーを招いて発声練習に励む。最高齢は78歳で、半数以上はリタイア組だが、「繊細なハーモニーはまだまだ健在」と団長の七戸良雄さん(64)。ハングルの発音も来日した廬さんから学び、準備は万端だ。 自身もリタイア組の七戸さんは「政府間ではいろんな問題があるが、音楽に国境はない。演奏会を通じて両国の交流の輪を広げ、多くの韓国人と心のつながりをもちたい」と話している。2005年11月5日 朝日新聞朝刊 14版 31ページ「歌の架け橋に」から引用隣同士の国が、こういうイベントを開催できるのは大変すばらしいことだと思います。
2005年11月13日
日本の文化が韓国にどう伝わっていってるのかを討議する催しが今月6日にソウルで開催されるという報道が、5日の朝日新聞に掲載されました; 日本の文化や文学が韓国の中でどう息づいているか、を探る日韓の代表的な学者による初の研究交流会が6日、ソウル市の国際交流基金日本文化センターで開かれる。 テーマは「行き交う人と文化~対話と旅」。国文学研究資料館を中心に、国際交流基金と日本大使館が後援する。日本でも評判となった日本人論「『縮み』志向の日本人」の著者、季御寧(イオリョン)・元文化相が日韓を結ぶ海洋文化について講演。松野陽一・国文学研究資料館名誉教授も、韓国で所蔵される日本古書籍の調査・収集について話す。 また、朝鮮通信使の日本旅行記や司馬遼太郎、語彙の相互交流など多彩な研究の成果を専門家が発表する。 伊井春樹・国文学研館長は「日韓国交40年を機に、映画などの大衆文化だけでなく、国文学の観点からも底流をたどりながら交流を深めたい」と話している。2005年11月5日 朝日新聞朝刊 13版 8ページ「日本文学どう影響 日韓の学者交流会」から引用映画やドラマは韓流ブームですが、学問の世界も相互交流が進んで日韓友好の一助になることを望みます。
2005年11月12日
汗を流すことを嫌い、易きに流れる最近の若者の行く末を心配するメディアプロデューサーの澤田隆治氏は、2日の東京新聞コラムに次のように書いています;(前略) それにしてもテレビはIT企業経営者にとってそんなに魅力があるのだろうか。テレビ局のパワーは強力ソフトをどれだけ多く持つかだが、その番組づくりがピンチを迎えようとしていることをご存知なのか。 制作現場で働くスタッフが足りなくなりつつある。少子化で大学にだれでも入れる時代が来た後、楽に高収入を得られると思える仕事にしか人が集まらない時代がくる。テレビの制作現場は、自分のやりたいことがやれるまでに時間がかかると知れ渡ったせいか、希望者が激減しているのだ。動けるスタッフを育てるには2、3年かかるから、人手不足はソフト制作にとって深刻なのだ。 ものをつくる現場より、ブローカーでもうける方が格好いいと若者が思ったとき、日本はどうなるのか。アリとキリギリスの話ではないが、かつてアリの集団だった日本が、やがてキリギリス国家になるかもしれない。その結末は書くまでもないだろう。2005年11月2日 東京新聞朝刊 14ページ「言いたい放談-キリギリス国家の結末」から引用戦後の焼け跡から営々と、まさにアリのように働いて私たちは経済大国を作り上げてきたわけですが、それである程度世の中が豊かになったと思ったら、それに安住する若者たちは学校を出ても慌てて就職するでもなし、のん気にアルバイトで食って行けるものだからそれで満足なのかもしれませんが、そんなことではキリギリス国家になってしまうと澤田氏は心配しているわけです。それにしても、タイトルに「キリギリス国家の結末」と書いておきながら、本文を読むと「その結末は書くまでもない」とは恐れ入りました。
2005年11月11日
小泉首相の靖国神社参拝が、東アジアにどのような迷惑を及ぼしているか、朝日新聞のインタビューに応えてインドネシアの新聞「ジャカルタ・ポスト」の編集局長エンディ・バユニ氏が次のように述べています; インドネシアは今年前半、日本の国連安保理常任理事国入りを支持するか、それに反対する中国に従うか、非常に難しい選択をしなければならない立場に置かれた。 この国は長年、経済協力や投資などで日本に大きく依存してきた。今後も日本の経済支援が不可欠なのは変わりない。 中国は新しいファクターだ。インドネシアとの関係では、投資や経済協力の面でまだ大きな地位を占めていないが、国の規模を考えると、無視することができない。 実際、日中間の緊張が続く中で、中国は、日本の安保理常任理入りに反対するよう、インドネシア政府に様々な働きかけをしてきた。 再び2人の友人のどちらかを選ぶような状況に追いやられたくないのが、インドネシアの本音だ。だが仮に同じような状況が来れば、国益を最優先に考える。その結果は東京を喜ばすことはできない。中国を選ばざるを得ないからだ。 その理由だが、中国は極めて短期間に経済的急成長を遂げている。一方で日本は対照的に経済力に陰りが見えている。確かにまだ経済大国には違いない。しかし中国との比較においては、その地位の低下は否めない。 インドネシアの場合、他の東南アジアの国々に比べ、中国の存在の大きさに気づくのが遅れた。タイやマレーシアは、もうずいぶん前から、投資や貿易などで中国との関係を深めていた。我々は国内問題に忙殺され、海外を見る余裕がなかった。だがこの数年、両国関係は急速に緊密さを深めている。 中長期的な観点に立てば、やはり中国と対立するのは得策ではない。これは東南アジアの多くの国に共通すると思う。 小泉首相の靖国参拝は、次の2点で受け入れがたい。一つは、首相である以上、私人との区別はあり得ない。両親や祖父母が戦争でなくなり、その追悼のための参拝であれば、例外的に私人と言えるだろう。その場合、メディアを避け、ひっそりと参拝すべきだ。 もう一つは、その行動に首相の無神経さがよく表れているからだ。過去の例から、参拝が中国や韓国を怒らせることは分かっている。そして日本と中国・韓国の緊張関係がどのように広がっていくのかだれも予測できない怖さがある。 中国もこうした状況を国際政治の場で利用していくだろう。国連安保理だけでなく、国際機関などの人事などで、インドネシアを含め、他のアジアの国へ圧力をかけることもあるだろう。そうなると、日本とインドネシアの二国間関係に影響が出ないとも限らない。 戦後、日本は東南アジアに対し、十分経済的に償ってきた。大半のインドネシア人は日本の過去について、すでに忘れているし、許してもいる。だからといって日本の3年半の統治が残酷なものだったという事実は変わらない。オランダの3世紀半の植民地時代よりひどかったという人もいる。中国の声に耳を傾ければ、納得できることも多い。 今年12月、初めての東アジアサミットがクアラルンプールで開かれる。欧州や米国大陸で共通市場化が進む中、アジア各国が地域統合を進めるのは、当然の流れだ。時間はかかるだろうが、アジアで共同体ができれば、非常に繁栄したものになるだろう。その第一歩とも言うべき話し合いの場を前に、その中核となる北東アジアがぎくしゃくすることは好ましくない。 会議は、東南アジア諸国連合(ASEAN)主導で行われる。しかしアジア共同体の牽引役はやはり日本、中国、韓国の北東アジアのビッグ3が担うべきだ。だが歴史認識などで3カ国が対立している限り、前には進まない。(後略)2005年11月3日 朝日新聞朝刊 12版 13ページ「近隣外交を問う-『日本より中国』の現実」から引用戦没者の追悼が不要であるとは言いませんが、国際社会に対する配慮も大変重要であることを理解する必要があると思います。
2005年11月10日
シンガポール上級相のゴー・チョクトン氏は、11月3日の朝日新聞に東アジアの外交について、インタビューに応えて次のように語りました; アジアの多くの人びとは、第二次世界大戦の荒廃を記憶している。その一部は日本によってもたらされた。どのように理論づけようと、小泉首相の靖国神社参拝はA級戦犯も含めた戦死者への表敬と受け止められる。多くの国が感情的に敏感に反応せざるを得ない。 しかし、現実には小泉首相に選択肢はない。諸外国が圧力をかければかけるほど、指導者として「外圧に負けない」姿勢を示すため参拝を続けざるをえないからだ。今回は参拝方法を変えたが、中韓など各国の反発は覚悟しなければならない。 問題は、どうやって過去を断ち切り未来に進むかということだ。これは二国間協議でも12月にクアラルンプールで初めて開かれる東アジアサミットでも課題となるだろう。北東アジアの不安定化はアジア地域全体に影響する。我々は、関係国が現状を打開できるかどうかに注目している。 小泉首相は4月、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年の首脳会議で過去の行為を謝罪した。しかし、中国には一方で謝罪し一方で参拝を続けているように見えるだろう。 各国の指導者が言うように、過去に幕を下ろすにはドイツの例に倣うしかない。ドイツはヒトラーの非を率直に認め、必要な行動を取り、「過去の浄化」を済ませた。言動が一致しているのだ。 国連安保理拡大問題で日本にはアジア各国の広範な支持がなかった。過去の出来事を日本が直視しないかぎり、侵略を受けた多くの国が日本を支持するのは難しい。過去に幕引きできないまま、どうして日本を支持できるだろうか。 シンガポールも日本占領下で多くの市民が殺害された。しかし、我々の国民性は実用性を重んじるので、未来に進むことを選んだ。日本も十分な謝罪をしたと思う。今日では強固で優良な関係を保っている。 東南アジア諸国連合(ASEAN)は東アジアサミットで、進行役として主導的な役割を担う。ASEANは日中韓、インドと等距離な立場にいて、どの国にとっても脅威とはならないからだ。もし日本と中国のどちらかが主導すれば、互いに不愉快にも疑心暗鬼にもなるだろう。 「東アジア」を地理的にではなく政治的に定義したことで、東アジアサミットは意義深い。政治的にはインド、オーストラリア、ニュージーランドは現在では東アジアの一部だ。各国が中印の台頭という新しい状況に対応し、信頼関係を築き、アジアの将来に向けた共通の展望を築く機会になることを期待する。(後略)2005年11月3日 朝日新聞朝刊 12版 13ページ「近隣外交を問う-過去の幕引き 第一歩」から引用侵略戦争の反省についてドイツの例を出すと、「ナチスのせいにしてしまうのは卑怯だ」みたいな珍妙な理屈をこねる人がたまにおりますが、ナチス政権といえども当時のドイツ国民が民主的な選挙で選んだという責任があるわけで、それを自らの責任として反省したのですから、わが国が「過去への幕引き」をするうえでは良いお手本になると思います。
2005年11月09日
文化の日の朝日新聞「天声人語」は、この日に日本国憲法が公布されたことに関連して、日本人は元々平和を好む民族性を有しているとする論考を紹介しています; 11月3日が「文化の日」になったのは、1948年、昭和23年からだ。以前は、明治天皇の誕生日を祝う「明治節」だった。 敗戦翌年の昭和21年のこの日、明治憲法を全面的に改めた日本国憲法が公布された。翌日の本紙には「歴史の日」「平和新生へ道開く」「宮城前で祝賀大会 十万人の大唱和」などの見出しが並ぶ。 作家の山本有三が寄稿している。「戦争権を放棄したといつても、日本は本来軍国主義の国であるから、いつあばれださないとも限らない」。山本はこんな「世界の現実主義者からの疑惑」を想定し、反論として、ニューヨーク・タイムズの東京特派員だったヒュー・バイアスが戦時中に書いた冷静な日本分析「敵国日本」を引く。 「日本を手におえぬ軍国主義の国家であるとすることは、歴史を無視した単純な議論である……日本歴史は、日本民族が最も非冒険的な民族である事を示しているのだ。日本にはひとりのジンギスカンも、ひとりのコロンブスもいない」 山本は、日本は秀吉の朝鮮出兵や近年のシベリア出兵、太平洋戦争のように外国に領土を求めた時にことごとく失敗しているとし、侵略しなかった時代の長さを指摘する。「私はこゝに日本の国民性を考えたい」。そして、新憲法の「戦争放棄」は「世界平和への日本の決意」と述べた。 戦後60年、日本はともかくも戦争をせず、米国の傘下で「平和」を享受してきた。そして自らも世界有数の軍備を持つに至った。これからは「軍備大国」でもある日本の「世界平和への決意」が一層問われる。2005年11月3日 朝日新聞朝刊 1ページ「天声人語」から引用私たちは、これからも「世界平和への日本の決意」を翻すことなく努力を積み重ねるべきで、これに疑問符を付けたくなるような憲法の改悪や、首相が特定の神社に参拝するようなことは無くすべきだと思います。
2005年11月08日
タイから来た交換留学生のホームステイの体験談が、2日の東京新聞コラム「私説論説室から」に紹介されています。 都会の狭いマンション暮らしには無理だと思っていたが、「窮屈でもいいですから」と学校側に言われ、娘が通う高校の交換留学生のホームステイを引き受けた。タイ・バンコクから来た高校一年生の女の子。わずか一週間だったが、わが家はタイ語と日本語交じりの珍妙な英会話でにぎやかになった。 週末は、ホストファミリーが留学生を連れて「日本を学ぶ」ために外出するスケジュールだ。名所旧跡などをめぐる外国人むけ「はとバス」ツアーでもよいが、もっと日本に親しみを持てるような東京探訪にならないか、と考えた。 彼女が母国・タイでも数多く放映されている「日本のドラマやアニメが大好き」と聞いて、都内のテレビ局を巡ることにした。テレビ局も最近は”観光名所”だ。番組制作の様子などを見学できるだけでなく、番組やタレントのグッズ販売店は大盛況。しっかしショッピングも楽しみ、それなりに印象深い一日になったようだ。 離日直前、週末の東京探訪で撮ったデジカメ写真を入れたキーボールダー型のメモリーをプレゼント。タイから返ってきたお礼のメールには言葉や国境の壁など感じさせない思いがあふれ、何だかホッとした。 小泉首相の靖国神社参拝が引き起こす近隣各国の反応を見るまでもなく、国と国とのお付き合いには難題が多い。だが、市民同士の交流は難しくないし、積み重なれば大きな力になるはずだ。 次の世代には、一人でも日本ファンが増えてほしいと願う。小さな日本ファンが世界じゅうにいることが、市民レベルで築く最強の安全保障になると信じて。2005年11月2日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「私説論説室から-ファンになってよ」から引用平和が続けば、このように国境を越えて市民同士も仲良く暮らせるのですから、戦争を防ぎ平和を継続していけるように、私たちは努力するべきだと思います。
2005年11月07日
次期首相候補が主要ポストに配置された第3次小泉内閣の顔ぶれが報道された今月1日の東京新聞のコラム「筆洗」は、組閣人事の騒ぎの陰で重要な政策が次々と、国民の論議なしで決められて行くと警告しています;人事の面白さに隠れてしまったが、国民がいま注視すべきは、この間にも水面下で進む在日米軍再編と、憲法改正論議だ。日米同盟強化に大きく一歩を踏み出す在日米軍の再配置では、沖縄県の普天間飛行場移設問題、原子力空母の横須賀母港化、キャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部移転などが日米政府間で合意されている▼先日公表された自民党の新憲法草案では、九条の中に「自衛軍の保持」と明記された自衛隊の活動範囲にも連動して、日本の安全保障を大きく変えるのだが、国民的議論抜きで、構想だけが着々先行している。決まった後で驚くような愚だけは避けねばならぬ。2005年11月1日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用小泉政権が総選挙で争点とすることを避けた「在日米軍再編問題」「憲法をどうするかという問題」を、今からでも遅くはありません、十分な論議が尽くされることを望みます。
2005年11月06日
先ごろ、無宗教の戦没者追悼施設を目指す超党派の議員連盟が設立される見通しであるとの報道がありました。読売新聞社のホームページでは次のように報道しています; 無宗教の新たな国立戦没者追悼施設の建設を目指す自民、公明、民主3党の有志議員は28日、国会内で、超党派の議員連盟「国立追悼施設を考える会」の設立発起人会を開き、来月9日に設立総会を開くことを決めた。 近く3党の所属議員に施設建設への賛同と同会への参加を呼びかける。 発起人には自民党の山崎拓・前副総裁と福田康夫・前官房長官、加藤紘一・元幹事長、公明党の神崎代表、冬柴幹事長、民主党の鳩山幹事長、江田五月参院議員会長ら19人が名前を連ねた。この日の会合では、会長に山崎氏、副会長に冬柴、鳩山両氏を選出した。 追悼施設については、〈1〉国立の無宗教施設とする〈2〉追悼対象は軍人などに限らず、民間人、外国人も含める〈3〉靖国神社に代わる施設ではない――ことなどを確認した。2002年12月にまとめられた福田官房長官(当時)の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の報告書を踏まえた。 同議連の設立には、来年度予算案に調査費計上を求め、施設建設に道筋をつけ、小泉首相の靖国神社参拝で悪化した日中、日韓関係の改善につなげる狙いがある。韓国の潘基文(パン・ギムン)外交通商相は28日、民主党の前原代表との会談で「議連設立は望ましく、施設の実現を期待している」と評価した。 ただ、発起人の中には、「韓国など周辺国に言われて、すぐに調査費を計上することには慎重であるべきだ」との意見もあり、施設建設の具体化には時間がかかりそうだ。(2005年10月28日22時57分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20051028ia21.htmポイントは、無宗教の施設であること、追悼対象は軍人に限定せず民間人や外国人も含めることです。また、靖国神社は今では、数ある宗教法人のうちの一つなのですから、国立の施設が特定の宗教法人の代替施設になるわけがないのは、当たり前のはなしです。
2005年11月05日
先月の小泉首相靖国神社参拝について、賛成・反対さまざまな意見が投書欄に寄せられたと、10月31日の東京新聞が紹介しています; 紅葉前線の便りが聞かれ始めた10月17日、小泉純一郎首相が就任以来五回目となる靖国神社参拝をしました。従来の紋付きはかまではなく、平服のスーツ姿で。本殿に昇殿しての参拝ではなく、記帳も献花料もない「略式参拝」に中国、韓国への配慮や違憲判決が出た大阪高裁への少なからぬ配慮があったのでしょう。 共同通信の世論調査(本紙19日付朝刊)では、首相の靖国参拝支持が48%で不支持が45%。同じ日に載った朝日新聞の世論調査では、参拝賛成が42%で反対が41%と小差で、いずれにせよ靖国問題は国論を二分して評価が割れています。 読者応答室にも首相の参拝後、賛否両論の声が数多く寄せられました。賛成派は「他国が内政干渉すべきでない」に代表され、反対派は「中韓との友好関係に影響する」との意見が大勢でした。26日付「読者交論」に韓国大使館広報公使の意見を載せましたが、A級戦犯が祀られていることに反対し、「皆で追悼できる施設を」と訴えていました。 合祀、分祀問題の是非や新しい追悼施設の建設などについて国内の意見は、世論調査が示すように大きな隔たりがあります。それもこれも、正面切って戦争責任の総括をしてこなかった為政者らの怠慢の結果です。2005年10月31日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「読者応答室-首相の靖国参拝 賛否両論の意見」から引用中国や韓国が、日本の首相の伊勢神宮参拝や郵政民営化についてとやかく言うのであれば、これは明らかに内政干渉と言えます。その意味では、アメリカが日本の郵政民営化促進の圧力をかけたとすれば、これは内政干渉です。しかし、靖国神社については、中国や韓国はそこに祀られた旧日本軍軍人が指導する戦争で被害を受けたという事実があり、そういう者が神として祀られている神社に一国の総理が参拝するのは、被害国の人々の感情を傷つけるわけでクレームが出るのは当然でしょう。また、戦後の我が国が「正面切って戦争責任の総括をしてこなかった」という上記の指摘は重要な問題点であると思います。
2005年11月04日
朝鮮政府が、中国有数の国有商社である「中国五鉱集団」と石炭関連の合弁企業を設立したと、10月28日の東京新聞が報道しています。五鉱集団の説明によると、今月(10月)上旬に中国の呉儀副首相が訪朝した際、同集団の周中枢総裁が同行。北朝鮮の林景万貿易相と合弁会社設立の合意書に署名した。 会社は平安北道の竜登炭鉱内に設立される。同炭鉱は、過去に年間300万トンを算出した北朝鮮最大の無煙炭の炭鉱。現在は年間100万トンに落ち込んでいるという。 北朝鮮にとって鉱物資源は外貨稼ぎができる数少ない物資。これまでは資源と外国の物資を物々交換していた。しかし、採掘に必要な機材が老朽化、電力不足にも悩んでおり、中国資本の導入に踏み切った。五鉱集団は金属、鉱産物の輸入を幅広く手がけており、北朝鮮で豊富に産出する鉄鉱石などにも投資を拡大する可能性がある。 関係者によれば、訪朝した呉副首相は、北朝鮮側と今後の経済貿易関係について(1)両国政府が責任を持つ(2)市場原理を基本とする(3)民間企業が主導的役割を担うの三原則で一致した。 この合意を受け、北朝鮮では中国企業との合弁会社が相次いで設立されている。今月上旬に、「平津自転車合営公司」が操業を開始したほか、カセットテープや肥料の製造工場もできた。 中国側には、朝鮮戦争を共に戦った伝統的中朝関係からの脱却を図る一方、核問題で国際的に孤立している北朝鮮を経済面で開放に向かわせる狙いがあるとみられる。2005年10月28日 東京新聞朝刊 12版 7ページ「北朝鮮の炭鉱 頼みは外資 中国に開放」から引用私が小学校で地理を学んだときは、朝鮮半島の南部は農業が主たる産業で、北部は地下資源が豊富だから工業が発達する基盤があるとのことでした。今後は中国の協力を得て、エネルギー資源を開発し鉄鋼生産を起動に乗せて、産業を活性化し人々が豊かな生活ができるようにしていってほしいと思います。それにしても「朝鮮戦争を共に戦った伝統的中朝関係からの脱却」という文言は、この記事からだけでは分からない、深い意味があるような気がしました。
2005年11月03日
さきごろ有価証券報告書に長年ウソの記載をして裁判にかけられた、一時は世界の大富豪とまでいわれた西武鉄道グループの親玉である堤義明は、その裁判の過程で誰に証人になってもらうか、関係者に相談したことが、10月27日の東京新聞夕刊報道されています; 情状証人は首相経験者でどうか-。堤義明被告は、自らの刑事責任が問われる中でも、西武鉄道総帥として政財界を中心に築き上げた人脈を誇り、周辺関係者にこう打診していた。 堤被告は三月、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、六月に公判が始まった。「どっちがいいですか。」堤被告はある時、真顔になり、首相経験のある現役政治家二人の名前を口にした。公判に出廷する情状証人を誰に依頼したらいいかとの話題だった。 関係者が「どちらも駄目でしょう。もっと普通の人がいいのでは」と応じると、堤被告は有名女優やマスコミ首脳を挙げて「どうですか、駄目ですか」とさらに尋ねた。 日本オリンピック委員会幹部も候補に挙がった。実際の公判には、脚本家の倉本聡さん、古橋広之進日本水泳連盟名誉会長らが出廷した。 「私が手伝うと仕事がやりにくくなる」。堤被告は公判で、経営から全面的に離れたと供述。しかし、別の関係者は「事件以後も幹部に指示を出していた」と話す。 起訴後に開業した東京プリンスホテルパークタワー(東京都港区)も「すべて自分でやらないと気が済まない」と、電飾設備の不具合を心配していたという。2005年10月27日 東京新聞夕刊 11ページ 「株名義偽装 堤被告打診 証人は首相経験者でどうか」から引用刑事責任を問われても、自分の人脈を誇るというのは、結局本人は何にも反省していないという証ではないでしょうか。頼めば証人になってくれたかも知れない首相経験のある現役政治家にしても、被告堤がその当時は有能な企業経営者であると信じて交友関係を持っていたに違いありません。しかし、彼はそれを裏切って、ルールを破って金儲けをしていたことがバレてしまったわけですから、それに対する道徳的責任を堤義明は感じなければならないはずですが、どうも、こういう大金持ちになってしまうと、そんなことはどうでも良いことのようで、私が思うに彼は収監されることが免れればそれでいいという調子だったんじゃないかと思います。不正行為をやって巨万の富を築いた割には、その不正にたいする罰金がたったの500万円とは、ほんとうに馬鹿馬鹿しい裁判でございました。
2005年11月02日
先の大戦で、兄を特攻隊で亡くしたという73歳の読者が、平和憲法が改悪されるかも知れない不安について、10月25日の東京新聞に次のような投書を寄せています; 昭和14年、世は戦時色であふれていた。7歳の小学生の私は兄貴に手をとられて九段坂を上っていた。「いつか、きっとここで会えるからなあ・・・。よく覚えておいてくれ」と言われた。 昭和21年の春、あたりは焼け野原。そんな中で、靖国神社をたずねた。だが、そこに兄貴はいなかった。「~春の宵に咲いて会おう」(同期の桜)を本殿で歌う同期生とその遺族の目はうるみ、うちふるえていた。 毎年10月になるとさまざまな思いがよみがえってくる。昭和18年10月21日、雨ふりしきる神宮外苑での学徒出陣壮行会。翌年の10月25日には、神風特別攻撃隊の先陣がフィリピンで突っ込んで行った。以後、終戦まで、3000人を超える若者たちが帰らぬ空に飛び立っていった。そのなかに兄貴もいた。 鹿児島県知覧町の「知覧特攻平和会館」で若き兵士たちの遺影を前に立ちすくみ涙した小泉首相。「ああ同期の桜」(第14期海軍飛行予備学生)という遺稿集に感動し、「鎮魂の思い」で首相は靖国に行くという。 「いろいろ」が口癖の小泉さん。靖国への思いは一つでなくてもいい。ただ一つ同じでなくてはならないもの、それは本当に「もう二度と戦争はしない」だ。先の大戦で多くの日本人は肉親をなくし、日本軍は数多くのアジアの人々を殺し、傷つけた。 今月にも出されるであろう自民党の新憲法草案には、憲法九条にある「戦争の放棄」について「武力行使」が可能になるような文言が入ってこないだろうか。仮にもそのようなことがあれば「靖国の英霊」たちはなんと言うだろうか。 今年は戦後60年、春の例大祭には必ず靖国に行く。そして胸に刻み込、九段坂を下りながら思う。庭に咲く桜はいつまでも「反戦の花を咲かせつづけよ」と。2005年10月25日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-靖国で誓うことは一つだけ『もう二度と戦争はしない』」から引用戦後60年間、私たちは憲法九条をもって、国が戦争をすることを禁止してきました。そのために国の安全が脅かされるということはありませんでした。今後もこの体制で我が国はやっていけると思います。ただ一つ問題なのは、アメリカが自国の軍事戦略に我が国を利用したいがために、憲法九条の改悪を要求してくることです。しかし、今は東西冷戦も無くなったし、我が国は毅然としてアメリカの要求をはねつけるべきです。そのほうが近隣諸国との友好に寄与すると思います。尊い犠牲の上に成り立っている平和を、アメリカの要求で手放すようなことがあっては、「英霊」の方々にも申し訳ないことになると思います。
2005年11月01日
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