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首都圏や福島県では放映されない「たかじんのそこまで言って委員会」という番組の9月4日放映分にて、武田邦彦氏が気になる発言をしてますね。こちらに動画へのリンクを載せました。2分過ぎから流れますので、是非ご覧ください。特に福島県の方にご覧いただきたいですね。忌憚ないご意見を、お待ち申しあげております。私の意見は、ここでは特に書きません。【送料無料選択可!】原発事故、放射能、ケンカ対談 (単行本・ムック) / 副島隆彦/著 武田邦彦/著
2011.09.07
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ここ数日の「福島民友」紙面において、「自主避難のデメリット」が報じられることが多くなってきました。キャンプに出した子供がホームシックに罹ったり、自主避難者を多く受け入れている米沢市において週末避難している母子が増えてしまったため市当局が避難基準の厳格化方針を打ち出したり、夏休み中に避難したものの子供が「帰りたい」と強く訴えたため予定より早く戻らざるを得なかったり… 等々。全体的に、親は子供を避難させたいのだけれど子供が拒否反応を示すパターンが目立ちます。夏休みも終盤にきて同種記事の連発に、いったいどういうことなのだろう? と首をひねっています。子供のために親が良かれと思ってしたことが完全に裏目に出ている訳で、もしこの状況が自主避難者に対し高確率で発生しているのだとしたら、放射線云々以前の問題として、家庭不和、崩壊の新たな原因となりかねない危惧を抱いてしまいます。チェルノブイリでも放射線への恐怖から親が心を乱した結果、適応障害の子供が増加した、あるいはIQが低下したという報告も耳にしていますので、今後の新たな火種になりはしないか余計に気になってしまいます。ただ、もう一つの可能性として、ひょっとしたらこれらの報道は「作られたトレンド」なのではないかとの懸念も感じます。先月末に文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が政府指示が出ていない地域からの自主避難について賠償対象として中間指針に盛り込まない方針を示しましたが、ひょっとしたらこれと連動した動きなのかな… と。一口に連動と言っても二種類あって、一つは「自主避難を補償対象にしたくない人たちが『自主避難=親のエゴ』のネガティヴキャンペーンを張っている」、もう一つは「自主避難を補償対象にしたい人たちが『自主避難に伴う苦労は放射線だけに限らない』という現実を強調する作戦に出た」。双方考えられるでしょう。ただし、記事の内容を読んだ限りでは、前者の方が関連性が強いようには感じます。どれが真実なのか私にはわかりませんが、こういった情報によって翻弄されるのは私たち一般住民です。誰もが「正解」を欲しています。しかし、求める正解の内容は、各個人により大きな隔たりがあります。今回の記事連発は「自主避難しないのが正解」というニュアンスが若干漂っているだけに、「自主避難するのが正解」と考えている人たちにはややショッキングな内容に映ったかもしれません。神戸から届けます。災害の備える防災グッツ12日夜50個入荷☆Lサイズお一人様5個まで!放射能・被ばく対策大人用厚手レインコート!マタニティーも可能☆ 防護服・非常持ち出・地震・避難・災害・火災】【防災用品】【防災セット】スポーツ
2011.08.21
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放射性物質の影響が心配された福島県信達地方名産の桃ですが、県のモニタリング検査結果を見ると、とりあえずは暫定規制値以下のようですね。例年通りに売れるかどうかはまた別の問題になるかと思いますが、数値がさほど上がらなかったことには胸をなで下ろしています。ただ、検査のやりかたを見ていると、例えば「伊達市の桃」とだけ書かれてあっても、完全に不安が払拭したとは言えない面があります。同じ伊達市でも梁川町と霊山町とでは放射線量がまるで異なるし、恐らく桃に含まれる放射性物質の量も同様でしょう。願わくば、市町村単位ではなく、JAの支店単位程度のきめ細かい範囲での検査体制にしてくれると嬉しいです。収穫の秋、特にコメの収穫が近付くにつれ農産物の検査も多忙を極めると思いますが、そんな最中にもう一つ、気になることがあったりします。それは、原発事故発生当時妊娠15週未満だった妊婦が、出産を迎える時期に差し掛かりつつあること。妊娠8週未満の時期に100ミリシーベルト以上被曝すると奇形や精神発達遅延が確定的に生じ、妊娠8~15週の時期に被曝すると被曝量に応じて知的障害になる確率が増加することが知られています(参考)が、福島県内における被曝の結果が、まさに世に生まれ出ようとしている訳でして…赤ちゃんに原発事故の影響が出ないことを心より願っているし、また政府や福島県の胎児に対する放射線対策も決して間違いではなかったと信じたいのですが、不幸なことに、被曝しようがしまいが、奇形や知的障害の赤ちゃんはある程度の確率で生まれてしまいます。そんな赤ちゃんが反核イデオロギーを持つ団体やメディアによって発見され、いつぞやの耳なしウサギのように見世物的に報じられる可能性がある… そちらの方に、怖さを感じるのです。同じことは、小児ガンや白血病にも言えるかと思います。これらの病気もまた、被曝量に関係なく子供達を襲う可能性があるのです。しかし、反核イデオロギーを持つ団体やメディアは、恐らくのべつ幕なしに原発事故の影響だとセンセーショナルに主張するのではないか… そんな事態は、許してはならないと考えます。今、福島県によって県民健康管理調査を実施すべく準備が進められています。この調査に対し「我々県民はモルモットか!」と怒りの声を挙げる方もいらっしゃいますが、事故の影響を過大、あるいは過少にではなく正確に評価するためには必要な調査だと、私は思います。だから、反核イデオロギーで動いている ↓ のような人を放射線健康リスク管理アドバイザーに登用するのには反対なのです。【送料無料選択可!】放射能汚染の現実を超えて (単行本・ムック) / 小出裕章/著
2011.08.01
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今朝4時前に、福島県沖を震源とする最大震度5弱の強い地震がありました。恐らく、東日本大震災の余震とみていいでしょう。強い揺れでも気付かず寝入っている子供達(おいおい)をよそに、慌てふためく我々夫婦。ニュース速報など見ていたら空が白み、結局そのまま起床となってしまった次第です。「出物腫れ物所嫌わず」とは言いますが、深夜や早朝の大地震は勘弁してもらいたいものですね。生活リズムが完全に狂ってしまいます。しかし、誰にその思いをぶつけたらいいのやら…リズムが狂うと言えば、電車のダイヤにも影響が及ばないか、ちと心配です。未明でも貨物列車や寝台特急は運行中な訳ですから、多少の遅れは覚悟しなければならないでしょうね。週明け早々嫌な気分になります。あ~あ(涙)ポイントで東北地震災害支援
2011.07.25
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6月25日に震災関連死に関してこんな日記を書いたのですが、今朝の新聞を見ると、事態は更に悪化しているようですね。東日本大震災で大きく被災した岩手、宮城、福島の3県において震災関連死の可能性があるとして審査対象に挙がっている人数は、岩手県 約 60人宮城県 約250人福島県 約260人とのこと。直接の死者数では宮城>岩手>福島の順なのに関連死は福島>宮城>岩手の順なんですね。原発事故の影響で遠方へと避難しなければならなくなった福島県民の苦境がダイレクトに反映された格好です。ちなみに、3県における避難人数の最大値は、岩手県 55,429人宮城県 320,885人福島県 131,700人(数値はこちらから採りました)であり、死亡率は、岩手県 0.11%宮城県 0.08%福島県 0.20%(小数点第三位以下四捨五入)となります。死亡率的に見ても、福島県の高さは突出しています。ところで、福島県における数値をICRPにおける癌死亡推定人数の公式(0.05% × 年間被曝線量(シーベルト) × 被曝人数 = 癌死亡推定人数)に当てはめて、どれだけの放射線量を浴びたのと同程度のリスクなのか計算してみると、0.05% × Xシーベルト × 131,700人 = 260人 ↓Xシーベルト = 260人 ÷ 0.05% ÷ 131,700人 = 0.039シーベルト(39ミリシーベルト)という数値がはじき出されます。避難することによって年間39ミリシーベルトを浴びたのと同様のリスクがある… 震災関連死の9割近くが高齢者である一方で放射線を浴びるリスクは若年層になればなるほど高まることを差し引いても、警戒区域や計画的避難区域を除く福島県内の放射線量ならば避難しない方がリスクが小さくて済むことは明白です。断っておきますが、福島県内における震災関連死震災対象者数は、現時点で判明した数値であり、今後増える可能性があります。いや、恐らく増えるでしょう。従って、年間39ミリシーベルトという数値はあくまでミニマムということを念頭に入れて欲しいと思います。脅しでも何でもなく、避難を強制された区域を別とすれば、生命へのリスクという観点では避難しない方が福島県民にとってベターな選択なのです。その上で行政や住民が~東京電力がやるべきという意見にも同意したいところですが、この程度の受忍は致し方ないでしょう~除染活動に尽力すればよりベターということになるでしょう。その意味では、伊達市の除染アドバイザーに就任した田中俊一氏の行動は、素晴らしいの一言に尽きます。もっとも、これはあくまで生命のリスクという一点に留まる話であり、精神衛生上のリスクを考えると、事情は若干変わってくるかもしれません。「放射線は危険だ不安だ」と毎日のように吹聴されれば、誰だって福島県から脱出したくなるでしょう。そのような環境で暮らしていく精神的負担は、かなり大きいと言わざるを得ません。だから、福島県から自主避難していく方々を、私は批判的に評したくないのです。しかし、その一方で、「吹聴する人物」に対しては、いったい何を根拠にそのように言っているのか? と大きな疑問を抱いています。仮に「福島県民は避難すべき、移住すべき」と主張するのならば少なくとも避難や移住のリスクと放射線を受けるリスクとを比較検討してから主張する責務があるはずですが、それが一切ないのは非常に不自然です。だものだから主張の大元を辿っていくと、ただ単に政府の主張に対し逆張りしているに過ぎない人(武田邦彦氏)、反原子力イデオロギー(誰かが「反原子力村」と呼んでたっけ・笑)を有する学者(小出裕章氏)やジャーナリスト(広瀬隆氏)、倒閣の機運を高めるためある種の御用学者として登用されたと思われる人たち(西尾正道氏、小佐古敏荘氏)と、いずれも裏に隠された主張があって、「福島県民を守るため」という本来あるべき大義名分がすっぽり抜け落ちているのが非常に不愉快なんですよ。一県民としては(苦笑)しかし、県民の多くが、彼らの主張を鵜呑みにした結果、「無用な避難」を強いられているように、私は思うのです。また、自分の家族を守りたいという県民の純粋な思いが、彼らにプロパガンダされてあらぬ方向に変質している傾向も垣間見えます。その点でも、非常に不安を覚えます。そう言えば、ネット上で、こんなコメントが載っていました。「『ここは危ない、避難だ』と。平常時の放射線量を超えているから、『危ない』とする。これは絶対に言ってはいけない発言です。福島は、平常時ではないのです。まずこれをご理解いただきたい。福島県民に話をする時に、「皆さん、覚悟してください」とお話するのは、そのような意味です。決して、『危ないから、覚悟しなさい』という意味ではなく、『福島で生きる』ことは、基準が変わることなのです。なぜ基準が変わるのか。平常時は、放射性物質を隔離し、封じ込めている。だから一般住民は被曝しないで済む。しかし、封じ込めに失敗した今は、環境が汚染された中でどう安全を担保するのか、という話なのです。しかし、少しずつ放射線を浴びても100mSvになることは、原発作業員は別ですが、普通の一般住民ではあり得ない。だから、パニックになったり、放射線の問題をずっと抱えていくことは、やはり不幸なことだと思います。しかし、そのようには考えず、『あなたの子供に、どんな放射線の影響が出るかは分からない』とあおるのは、罪でしょう。しかも、医師ではない人が健康影響について発言している。我々は、原子力のことは全く分かりませんから、発言できません。しかし、病気のこと、放射線の影響のことは知っている。我々の言葉を信じずに、こうした人たちの言葉を信じるのはどうかと思います。」誰のコメントかは伏せますが、上記の「吹聴する人物」に比べてはるかに福島県民のことを心配して発言しているように、私には思えます。どうしてみんな、理解してくれないのでしょうか?
2011.07.24
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今日の散歩の日記を執筆するにあたってネットでいろいろと情報収集をしていたら、妙な記事を発見しました。以下紹介します。【東日本大震災:「古代湖」内の被害突出 福島「郡山湖」】「東日本大震災で、10万年前に福島県中部の内陸にあったとされる古代の湖『郡山湖』の内側で、特に家屋倒壊などの被害が大きかったことが、同県玉川村出身で東大大学院生の小林達也さん(23)=地理学専攻=の調査で分かった。同じ地域でも湖岸の外側では被害が少なく、小林さんは『建物の老朽化もあるが、湖と被害の大きかった範囲がぴったり一致した』と話している。今月下旬の学会で発表する予定。郡山湖は同県郡山市から矢吹町まで南北に広がっていた巨大な湖で、推定で猪苗代湖(約103平方キロ)の少なくとも3倍以上と考えられている。地層から約2万3,000年前までに大部分は泥で埋まったとみられるが、一部はその後、沼地になっていたという。県災害対策本部によると、今回の地震で海岸付近では揺れによる家屋倒壊は少なかったのに対し、郡山市や須賀川市など内陸部で家屋倒壊や地盤沈下などの被害が続出。郡山市では、県内で最も多い2,732棟の民家が全半壊。須賀川市も郡山に次ぐ1,124棟が全半壊し、両市で全体の半数以上を占めた。小林さんは地盤の軟弱な河川周辺ではなく、一般的に地盤が硬いはずの台地に被害が集中したことに疑問を持ち、4月中旬に現地調査を実施。同じ内陸部でも、被害が郡山湖の範囲内に集中しており、特に沼地跡の周辺や河川の跡で被害が大きかったことを突き止めた。一方で湖岸の外側にあたる郡山市の緑ケ丘ニュータウンなど、湖から外れた場所では目立った被害はないなど明確な差が出た。小林さんは『強固なはずの内陸部でも弱い地盤があることが裏付けられた。古代の湖はあまり一般には知られていないが、同じような例は全国にあるはずで、特別な対策が必要ではないか』と分析している。」(毎日新聞 5月6日付)確かに、郡山市や須賀川市では建物の全半壊が多かったですけど、それは細かな起伏が連続する丘陵上をことごとく市街化させてしまった結果だと思ってました。でも実際には、古代湖の存在が大きく影響していたのですね。なるほど~調査した小林氏も指摘されてましたが、福島県には確かに「地盤神話」のようなものがあって強固な地盤の優位性がかつての首都機能移転論議でも語られてきた訳ですが、この現実を突きつけられると防災対策も全面的な見直しが必要とされるかもですね。古代湖の考古学
2011.07.19
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昨晩、東京慈恵医科大学準教授の浦島充佳氏の講演会に行ってきました。タイトルは「放射線と健康リスク」。浦島氏は小児癌治療が専門なのでその見地から話をするのかなと思いきや、チェルノブイリ原発事故でのデータ(浦島氏は「エビデンス」という表現を多用してましたが)をもとに福島県内に住む方々にどのような影響が及ぶ可能性があるのかをいろいろと説明して下さいました。その内容を大雑把に言ってしまうと、こんな感じでしょうか。(1)成人に関しては発癌リスクはわずかに高まるが、生活習慣の改善で相殺できるレベル。(2)子供に関しては、チェルノブイリで大量に発生した甲状腺癌の心配があるが、恐らくほとんど発生しないだろう。と言うのも、チェルノブイリで子供の甲状腺癌が発生した要因は、高濃度の放射性ヨウ素で汚染されたミルクを大量に摂取してしまったから。当時のソ連ではミルクの摂取制限量を3,700ベクレル/?に設定していた上に指示が周知徹底されていたか疑わしいのだが、わが国では300ベクレル/?とかなり低い値で摂取制限がなされた上に早めに手を打った。なお、甲状腺癌は予後が良好でチェルノブイリで罹患した子供達も生存率は99%を上回っている。(3)もっとも心配なのは、妊娠8~15週目にあたる妊婦。この時期の胎児は脳神経細胞をはじめ身体が急速に形成される(細胞分裂が盛ん)な時期であり、福島レベルの放射線量を浴びると生まれてくる子供のIQが1~2程度下がる可能性がある。できれば避難を勧めたい。なお、妊娠初期や出産直前の妊婦に関しては特に避難の必要はなく、将来子供を生む女性に関しても、卵子に影響はない。(4)放射性セシウムは半減期が長いが体内に入っても比較的早く出て行ってしまうので、内部被曝による健康障害はほとんどないと言ってよい。また、植物内における吸収もカリウムと競合するので、カリウムを多く含む肥料が与えられている農産物はさほど影響を受けないのではないか。むしろ、カリウムが少ない森林地帯の動植物が心配。念のため、木苺やキノコ、川魚類は口にしないほうがよいだろう。(5)避難基準の年間20ミリシーベルトについては賛否諸説あるが、1997年にクリントン米大統領が発表した声明(参考)を参考に、成人の健康に障害が出始めるとされる年間100ミリシーベルトの10分の1となる年間10ミリシーベルトを基準とする考え方もあるのではないか。(6)チェルノブイリ原発の事故で本当に深刻だったのは、放射線そのものよりも放射線への恐怖からくる精神的な影響。特に両親が不安に苛まれる状況にあった場合、かなり高い確率で子供のIQに悪影響が及び、最悪の場合適応障害にも至るケースがあった。だから、親は子供を不安にさせないよういろいろと気を配るべき。メモを取っていなかったので正確さは欠きますが、大体こんなことを話していたと思います。特に精神面での悪影響の話はショッキングでした。夫婦ゲンカなど子供の前で怖くてできませんね(苦笑)【送料無料】チェルノブイリ原発事故
2011.07.13
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今日の午前10時前に、マグニチュード7.1、最大震度4を観測する長い揺れの地震がありました。私はその時東日本大震災の発生当時と同じ作業をやっていたので、あの時の記憶がフラッシュバックした次第。せっかく忘れようとしているのに鮮明に思い出してしまうのだから、嫌になっちゃいますね(苦笑)今日の地震も東日本大震災の余震とのことですが、今後もこのような地震がしばしば発生するのでしょうか? それだけは勘弁願いたいものですが… まさに「足元が安定した生活」の復活を、心より願います。自然科学■Newtonニュートン■1987.09/東京大地震/遺伝子を診断する…ほか【中古afb】
2011.07.10
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暴言で辞任した松本復興相に続いて、菅首相の原発政策にキレた海江田経産相も、辞任の意向を表明しましたね。菅政権はまさにお先真っ暗の状況です。もっとも、菅政権を巡る情勢は東日本大震災の前から芳しくなかったはず。にも拘らずなかなか首相を辞任しない菅直人氏っていったいどういう神経の持ち主なのだろうか? と半ばあきれ、半ば逆説的に感心しています。よくよく考えてみると、総選挙で敗れ去り首相の椅子から降りざるを得なかった麻生太郎氏を除けば、ここ数年首相を務めた安倍晋三、福田康夫、鳩山由紀夫の各氏は菅氏が受けたよりもかなり軽いダメージであっさりと退陣している訳ですよ。いずれも直系尊属に首相経験者を持つ世襲議員という共通項はあるにせよ、彼らとは対照的に地盤・看板・カバンなしの状態から叩きあげて首相の座にのし上がった菅氏との環境の差異が、ダイレクトに政権への執着度に跳ね返っているようにも見えません。15年前の薬害エイズ事件から今国会で審議されている再生可能エネルギー法案に至るまで、菅氏は瞬間的に国民の注目を引くようなパフォーマンスに打って出ては支持を集めていく政治手法を採っているようにも感じます。つまり10年後、20年後を見据えてではなくあくまで現世利益に執着している訳でして、東日本大震災や福島第一原発事故など長期的な対応を余儀なくされ現世利益など期待できない案件に向いているようには思えません。なのに辞めない。何なんだろう?…と考えを巡らせていると、菅首相は「辞めたくない」のではなく「辞められない」のかな? とふと思った次第。よくよく考えてみれば、「我(々)が震災、原発事故に対し責任を持って取り組む!」と力強く手を挙げてくれる個人ないしはグループがいれば、菅首相をあっさり辞めさせることができたのではないかと。まさに火中の栗を拾うことになる訳ですが、そんな個人やグループがいないという現状が、ひょっとしたら我が国最大の不幸なのではないかと思ったりもします。【送料無料】菅直人の原点を探る
2011.07.08
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福島第一原発事故の発生以降、各週刊誌では放射線関係の記事がこれでもかとばかり出ていますね。大まかな論調としては、元木昌彦氏によると「放射能絶対危険煽り派は『週刊現代』を筆頭に『週刊文春』『サンデー毎日』『週刊朝日』。自ら『安全デマ雑誌』と呼ばれようといとわないと宣言する『週刊ポスト』、それに『週刊新潮』は慎重派。」とのことだそうです。私もたまにこれらの週刊誌を買ったり立ち読みしたりするのですが、各誌とも福島県民の心情には寄り添っていない印象を受けます。煽り派は福島県はともかく東京ですら危険だという論調が多いし、慎重派もまた煽り派メディアの攻撃に偏していて、福島県民の立場を考慮した形跡は見られません。変な話ですが、6年前に勃発した「若貴兄弟確執騒動」辺りに構図が似ているんですよね。確かあの時は、貴乃花親方を基準とすると「週刊現代」「週刊新潮」が批判的で「週刊ポスト」「週刊文春」が擁護する論調だったと記憶しているのですが、たかだか角界のゴシップと人命に関わるような放射線の情報とが同じような感覚で報じられていることに、大きな不満を感じます。元木氏は文章の後半で「大新聞やテレビと同じ大本営発表で済ますなら、週刊誌の存在理由はない。ポストや新潮編集部はそのところをどう斬り込んでいくのか、注目したい。」と慎重派メディアを牽制していますが、元木氏自体が煽り派メディアの筆頭格である「週刊現代」の元編集長であることを考えると、額面通りには受け取れません。綿密な取材の結果大本営発表が正しかったという結論が導き出されるケースは、なくもないでしょうから。福島県民としての立場から各誌に訴えたいのですが、私たちは不必要に危険あるいは安全であるといった「煽り」を欲していません。必要なのは、あくまで「正確な情報」。それを基準として今後の生活に対する指針をたてなければならない立場だということを、理解して欲しいのです。センセーショナルな情報を流せば確かに雑誌は売れるかもしれません。各誌で議論を戦わせる構図を作り上げればなおのこと盛り上がるかもしれません。しかし、放射線に関する議論はそれと全く異なるものです。煽れば煽るほど福島県民が動揺します。これ以上心をかき乱すのは、勘弁して欲しいのです。 【中古】新書 週刊誌風雲録【10P04Jal11】【画】
2011.07.08
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松本竜助…じゃなかった(天国の竜助さん、すみません!)松本龍復興担当大臣の暴言&辞任劇は、開いた口が塞がりませんでした。復興の各場面において仮に地方公共団体がもっと頑張るべき部分があったとしても、あの言い方はないでしょう。過去に何人もの大臣が舌禍問題で辞任したことを考えれば、自分の言葉に対してもっと責任感というか細心の注意を払って欲しかったですね。それに尽きます。暴言問題の背景には松本氏自身の出自も含めていろいろな憶測が出ていますが、実はこの人、環境相を務めていた昨年10月に、名古屋市で開催された第10回生物多様性条約締約国会議にて議長を務め、先進国と発展途上国との対立が続く中で各国の合意を取り付け「名古屋議定書」をまとめた実績があります。擁護する訳ではないのですが、仕事ができない人じゃないんだろうし、今回の復興にあたっても先頭に立って頑張ろうという気概が強かったからこそ、ああいう暴言が口をついたのかもしれません。岩手県の達増知事は民主党小沢系、宮城県の村井知事は自民党と、いずれも現内閣に反発する勢力が支持基盤。いつ足許を掬われるかわからないから「あくまでボスは自分だ!」と初っ端にガツンと言っておく必要があるとの判断が働いたんでしょうね。ただ、発言自体はド最悪極まりありません。冗談めかして話したことも冗談になっていませんし(苦笑)しかし、誰彼構わず言いたいことをガツンと言える性分は、ある意味得難いもの。ひょっとしたら松本氏が原発担当相で細野豪志氏が復興担当相だったならば、事がうまく進んだ可能性があるかもしれません。松本氏が佐藤福島県知事に対して「お前、いつまでも被害者面してないで、ちゃんと県民に謝罪しろよ!」と恫喝してくれるのならば、個人的には拍手喝采ものだったのですが…【送料無料選択可!】環境外交の舞台裏 大臣が語るCOP10の真実 (単行本・ムック) / 松本龍/述 日経BP環境経営フォーラム/編
2011.07.05
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今日の仕事帰りに、同僚からこんなことを言われました。「こないだ福島の友達と話す機会があったんだけど、東日本大震災の地震や津波のことにはまったく関心がなくて、ず~っと原発の話ばかりしてるのな… 宮城だと津波が来て県民の大半が見知った人を亡くす結果になってるけど、原発ではまだ誰も死んでないじゃん。」だから福島の人は騒ぎ過ぎだとまでは言わなかったけれど、話を聞いていて、外から見た福島県の状況はそんなものなのかなと感じた次第。一応この同僚の名誉のために書いておくと、彼は、仙台市内の小学校で会津方面への修学旅行が忌避されている現実を憂いてもいるのです。地元びいきでもなく各地域を比較的公平な目で見ることのできる人物なだけに、その発言には妙な重みを感じました。自分の住んでいる地域を愛し、関心を寄せる… 当たり前の行為だと思うし、私も特に否定はしません。が、福島県にお住まいの方のブログなどを拝見すると、自己憐憫の情が強く出過ぎているのではないかなとも思ったりします。「自分が可哀想」の感情が表に立ち過ぎていて他者を思いやる余裕がないというか…実際、福島県に住んでいると、多くの方々から同情の声を頂戴します。が、それに甘えていつまでも悲劇の主人公を演じている訳にもいかないとも思うのです。妙な話ですが、周囲の人から同情されると気分が落ち着いたり下手すると嬉しい気分になったりもします。相手は自分に対して「同情」しているだけなのですが、「愛情」を受けたと勘違いしちゃうんですね。これが麻薬。そんな状況が何度か続くと、今度は「相手の愛情(実際は同情)を得るために敢えて自分を不幸な状況下に置く」行為に走る可能性があったりする訳です。だから、「現在の福島県内における放射線量では癌になる可能性は殆どない」という科学的に裏付けられた(と発言者が信じている、と一応但し書き)主張が好意的に受け入れられず「殆どないということはゼロではないよね。その中には入りたくないよね(だから私たちは可哀想だよね)」と針小棒大に騒ぎ立てた論説が支持される… 現実にそんな構図が、まかり通っているような気もします。その連鎖は、どこかで解かねばなりません。具体的に言うと「放射線とある意味『共生』しながら福島県を建て直していく」という方向性にシフトさせなければ… と思うのです。冒頭でも紹介したように、(厳密には関連死を除いてですが)原発事故ではまだ誰も亡くなっていません。不幸にして避難を余儀なくされた方は大勢いらっしゃいますが、全県民がベクトルを合わせれば、宮城県や岩手県に負けない復興だってきっと可能なはずです。今、前を向かなければ、自己憐憫ばかり主張する福島県民はいずれウザがられ、飽きられてしまうのではないか? そんな焦りが、私の中にはあります。SALE価格!まさかのこの値段!!激安!!そしてなくなり次第終了!!ネイルやデコに大活躍のホログラム♪こちらの商品の売上金5%を東日本大震災の義援金として寄付致します。キラキラ ネイル☆六角ホログラム1mm/2mm 1g(袋詰め) 全16色♪【02P05nov10】【cosme110104】
2011.07.03
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先日、松本市で震度5強の地震を観測したとのニュースを聞いた時、真っ先に思い出したのが、菅谷(すげのや)昭松本市長のことでした。確かこの方、元々は甲状腺ガンの治療を専門とする医師で、チェルノブイリでも5年半ほど治療活動にあたっていたはず。5月14日には福島市にも赴き、講演会もされていただけに、他人事とは思えません。書いていて更に思い出したのですが、数日前には集中豪雨の影響で松本市内から上高地へと至る国道が土砂崩れで通行できなくなってしまったニュースが流れていたような… 菅谷市長や松本市にとって、この短期間に連発した自然災害は本当に受難としか言いようがありません。お見舞い申し上げる次第です。菅谷市長に話を戻すと、講演会では内部被曝に気をつけるよう再三にわたって注意を促していますね。この主張は事故直後から一貫しており、特に皆が外部被曝のことばかりを気にしていた事故直後においてはずいぶん新鮮に響いたような記憶があります。菅谷市長は、医師であっても放射線の専門家ではありません。だから講演会でも本当に自分のわかる範囲で謙虚に話を進めている様子が、言葉の端々からも伺えます。ところが、講演会から5日前の5月9日に東洋経済から取材を受けた際の菅谷市長のコメントを読むと、福島県の子供達の集団受け入れを松本市で検討している旨の発言をしているなど、講演会よりもやや能弁で踏み込んだ内容になっているのが目を引きます。また、菅谷市長は同時期に十勝毎日新聞の取材も受けており、こちらでも「汚染地域に住むと内部被ばくの危険性が増すので、一定期間、子供を集団で移住させる方法なども必要では」と発言しています。ここでちょっと気になったのですが、福島県の子供達を受け入れることを事前に考えていたのならば、菅谷市長はどうして講演会でそのことに言及しなかったのでしょう?裏読みも含めて理由をいろいろ考えてみたのですが「たとえ理論上正しいと思っていても、当事者の前ではなかなか話しづらいのだろう」という暫定的な結論に達しました。子供達の人生を左右する重要な決断を後押ししかねない発言になる訳ですから、並の覚悟じゃ尻込みしちゃいますよね。確かに…12日に桑折町で講演会を行う浦島充佳氏はどうだろう? 個人サイトに書いてあることと講演内容がもし違っていたら… という不安は、正直あります。当日は仕事が休みなので、聞きに行こうと考えていますが…【送料無料選択可!】子どもたちを放射能から守るために (単行本・ムック) / 菅谷昭/著
2011.07.02
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昨日の日記において、福島県内における震災関連死者の比率は避難者数の0.093%程度と見積もったのですが、これは実数が把握できる範囲においての数値であり、今後の状況いかんにおいては更に増えることが予想されます。では、どの程度までのリスクが考えられるのでしょうか。そこで、1995年に発生した阪神・淡路大震災において兵庫県内で記録された数値を確認してみると、919人(震災関連死者総数) ÷ 316,678人(避難者数の最大値) ≒ 0.29%という比率がはじき出されることがわかります。これと同様の致死率を、年間100mSvの放射線量を浴びた場合の癌死亡リスク上昇率(0.5%)をしきい値がないものとして低線量域にまで直線的に敷衍したケースに当てはめてみると、0.29% ÷ 0.5% × 年間100mSv = 年間58mSvとなります。年間58mSvという数値を記録することが予想される地点は、警戒区域や計画的避難区域を除けば、福島県内には存在しません。従って、ざっくりとした数字上の理屈では、避難するよりもその場にとどまった方が安全ということになります。確実にそうなります。とは言うものの、我々福島県民にとって全く身に覚えのない放射線を浴びたこともまた事実であり、より大きなリスクを回避するためとはいえ余分な被曝を強いる結果を招いてしまった山下俊一氏の「年間100mSvまでは安全」という主張が多くの県民から攻撃される対象にされてしまうのは、ある意味やむを得ない面があるのかもしれません。しかし、過去を振り返ってみてください。山下氏が福島県放射線リスク管理アドバイザーに就任する直前に、大熊町の双葉病院にて医療スタッフが強制的に避難させられてしまったため重篤者を含む90人以上の患者が置き去りにされた状態になり、そのうち21人が搬送中や搬送後に亡くなった事件がありました。報道直後に福島県の担当者が「もし患者を置いてスタッフが逃げたのだとしたら許さない」との旨の発言をしたために双葉病院に非難が集中しましたが、双葉病院の名誉のために記すと、強制的に避難させられたスタッフはあくまで病院に戻ることを主張していたのですが、警察がそれを許さなかったそうです。じゃあ、警察を責めるべきかと言われると、それもできかねます。彼らもまた、もしスタッフを病院まで戻した挙句大量に被曝させてしまったら… との懸念を抱いていたからこそ、スタッフの懇願を却下したと思います。つまり、双葉病院での事件は、「今ある放射線量が人体に対してどのような影響を及ぼし、退くか残るか正確な判断が下せる人物」が福島県内にいなかった故起こった悲劇だと考えられます。そして、第二、第三の双葉病院を出さないためにも、山下氏がアドバイザーに招聘されたのだと思うのです。山下氏は、福島県の要請に、十分すぎるくらい応えたと思います。「年間100mSv以下は安全です!」この声が明快に県民に届いたことは、現時点での彼への支持不支持を問わず、誰しもが認めることでしょう。年間100mSv未満の放射線量を浴びるリスクよりも避難を強いられるリスクの方が大きいのだから、一点の曇りなくそのように主張せざるを得なかったのです。仮に「年間100mSv未満でも癌が発生する可能性はゼロではない」とか「放射線量は低ければ低いほど安全」と発言してしまったら、県民の判断力は鈍り、更なる混乱を招いた可能性があります。要は「被曝も避難もリスクがあるけれど、被曝の方がリスクが少ない!」と言いきったこと。これは明らかに、山下氏の功績だと思います。今現在、山下氏をアドバイザーから解任したり、あるいは他のアドバイザーを招聘しようとしたりする動きがありますが、これを主導、あるいは支持する人は、率直に言って、恩知らずだと思います。いずれをチョイスするにせよ、リスクは生じるのです。その中でベターな選択を山下氏が指し示したことに対し、もっと思いを寄せて欲しいものです。
2011.06.26
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今日もまた、途中まで書いた日記が、パソコンのエラーで消えてしまいました(涙)だもんで、書きたいことはいろいろあるのですが、要点だけ簡単に書こうかと思います。一番書きたかったのは、山下俊一氏が「100mSvまでは大丈夫」と発言し多くの県民の避難を思いとどまらせたことによって、どれだけの功罪があったのか? ということです。福島市を参考例として、超単純に、死亡者数のみで表したいと思います。まず、山下氏の主張を信用して福島市に残った場合ですが、年間100mSvの放射線量を浴びた場合の癌死亡リスク上昇率(0.5%)をしきい値がないものとして低線量域にまで直線的に敷衍し、年間10mSvの放射線量を浴びたとすると、癌死亡リスク上昇率は0.05%となります。福島市の人口は約29万人(便宜上、一万人単位で四捨五入とします)なので、全市民が年間10mSvの放射線を浴びたと仮定するならば、死亡者数は、290,000人 × 0.05% = 145人ということになります。一方、山下氏の主張を信用せず福島市民が全員避難したと仮定してみましょう。避難と簡単に言いましたが、実は、ストレスなどの影響で震災関連死のリスクが増大することを見落としてはなりません。震災関連死のデータはネットで検索しても正確なものがなかなか見つからないですが、5月13日にNHKが発表したところによると、県内にある2次救急病院と沿岸部にある病院から聞き取り調査をした範囲内では、震災関連死として認められる死者数は123人とのことです。なお、この数値は県外に避難した被災者の人数が計上されていないので、実際にはもっと多いことが予想されます。また、福島県内における避難者数ですが、一応最大値として確認できる数字は、3月13日現在の131,700人(警察庁発表資料に基づく)のようです。分母分子ともに不明確なのでかなり乱暴な設定になりますが、震災関連死のすべてが避難者から出たものと仮定すると、死亡率は、123人 ÷ 131,700人 ≒ 0.093%となります。そして、その数字を福島市に当てはめてみると、死亡者数は、290,000人 × 0.093% ≒ 270人となります。年間10mSv浴びるよりもかなり多い人数ですね。偶然の一致とでも言えるでしょうか。実は福島市全体が年間20mSvの放射線量を浴びていたと仮定すると、癌死亡リスク上昇率は0.5%÷100×20=0.1%になるので、死亡者数は290,000人 × 0.1% = 290人となり、全市民が避難した場合における震災関連死のリスクを上回ります。つまり、年間20mSvを超える可能性がある地域が計画的避難区域に指定されたのには、それなりに根拠があったのかな…と。さすがにそれはないか(笑)震災関連死の内訳を見ると65歳以上の高齢者が90%近くを占めるのに対して癌死亡リスクはむしろ低年齢層に高いことが予想されるなどの相違点はありますが、一つ一つの命、それも今危機に瀕している命を救うという観点から考えると、確かに余分な被曝はしたかもしれませんが、山下氏の指示に従って避難せずに留まった方が死亡するリスクは低かったと考えられるのですが、いかがでしょうか?
2011.06.25
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昨日の日記の続きになりますが、小佐古敏荘氏の発言は、やはりおかしい部分が多いと思います。再掲しますと、今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv、特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2、3日あるいはせいぜい1、2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。となるのですが、とりあえず、前段の部分は概ね正しいことをおっしゃっていると思います。事故直後の警戒期には高い数値を容認するとしても、最終的には年間1mSv未満に抑えなければならない点では、私も異論はありません。やはり問題は後段「20mSv近い被ばくをする人は…極めて少ない」と主張しているところ。昨日の日記でも世界の高自然放射線地域のことを説明しましたが、その他にも宇宙飛行士が1日あたり約1mSvという極めて高い放射線量を浴びていることが知られています(参考)。となると、20日間飛べば20mSvの放射線量を受けてしまう訳で、そのぐらいの経験を積んだ宇宙飛行士は数百人単位でいるんじゃないでしょうか? こういった方々の病歴等を詳細に調査することによって、年間20mSvの被曝量を受けた人間が身体に受ける影響が部分的にではあるにせよ明らかになってくるはず。90年代前半に宇宙へと飛び立った毛利衛氏や向井千秋氏が今なおご健在であることを考えると、結果は大体わかりそうなものですけどね(笑)そう言えば、日本初の宇宙飛行士だった秋山豊寛氏は、まだ田村市にいらっしゃるのでしょうか? 気になるところです… 閑話休題そんな訳で主張にボロが出ている小佐古氏ですが、その後ダメを押すかのように、「私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです」と発言していらっしゃる。記者会見で涙ながらに語ったので印象に残っている方も多いかと思いますが、彼のヒューマニズムもまた、正直怪しいもの。年間20mSvルールの設定にあたってはこちらの経緯(中川秀直氏のブログから引用したのは、ちょっとしたイヤミです・笑)であることが知られています。この決定に小佐古氏がどの程度関わっていたのかは明らかにされていませんが、各種情報で確認すると、どうやら内閣や原子力安全委員会の行動に対し助言、指導する立場にいたようです。となれば、年間20mSvルールが設定された4月19日から内閣参与辞任を表明した4月29日まで、原子力安全委員会や文部科学省を説得する時間はいくらでもあったはず。また、仮にこれらの機関が説得しても説得しても動いてくれなかったとしても、どうして辞表を叩きつけてしまったのでしょう? 内閣参与を辞任してしまえば、自らのヒューマニズムに沿った形で福島県の子供達を守る機会がほぼ潰えてしまうのは自明のはずなのに…結局、いくら美辞麗句を並べ立てたところで、辞任してしまえば犬の遠吠え。説得力も何もあったものではありません。信念を持っているのであれば、辞めずに中から改革すれば良いだけのこと。如何にグズグズな政府、内閣であっても、この組織がきちんと回転しなければ、国そのものが前に進むことすらできません。結局「国も福島県もどうなってもいい」ということなのでしょうか? 小佐古氏は原発事故に対する政府の対応を「場当たり的」と批判しましたが、自らの辞任もまた無責任のそしりを免れないと考えます。その点、ある意味小佐古氏と真逆の道を歩んでいるのが、福島県放射線健康リスクアドバイザーの山下俊一氏です。就任した原発事故当初より「年間100mSvまでは安全」と主張し県民の支持を得てきた山下氏ですが、年間20mSvルールの登場と軌を一にして強烈な批判に晒されることになります。そのバッシングぶりは空白の一日事件当時の江川卓にも匹敵し並の人間なら精神的に参ってしまうところですが、実は山下氏は今もって上述の主張を変えておらず、アドバイザーも辞任していません(解任を求める署名活動が行われていますが)。山下氏が「年間100mSvまでは安全」と主張する根拠はただ一つ、「年間100mSv以下の被曝の発ガンリスクは、科学的には証明されていないから」。厳密に言えば瞬時の被曝の場合のみこの論理は有効であり長期間にわたって低線量の放射線を受け続けることによるリスクについては要検討事項になる訳ですが、だからこそ、政府が年間20mSvルールを設定したことは、十分な余裕をとった措置であるとも言い得るのです。小佐古氏は何故このルールに猛反対し、内閣参与を辞任しただろう? 当初の疑問が、ふと頭をよぎります。山下氏についていって果たして大丈夫なのだろうか? との不安は、正直私にもあります。しかし、山下氏は、被曝のリスクを抱えながらこの3ヶ月間福島県を拠点に活動してきた実績がある訳で、ずっと東京にいた小佐古氏とは立場が違います。ずっと「現場」にいて、かつ自らの理論も殆ど軸がぶれていないのだから、大した精神力だと思います。その一点で、私は、小佐古氏よりも山下氏の主張を、支持したいと考えています。自分の主張が通らないからと駄々をこねて逃げ出す人物と、自分の主張がなかなか受け入れられないにも関わらず与えられた場に残り自らを「福島の応援団」(6月20日付福島民友のインタビューより)と主張する人物。理論はともかくとして、信頼に値するのは、断然後者です。
2011.06.21
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で、昨日の続きになるのですが、私たちの生活そのものにも、この手の政治力学は影を落としています。やはり原発事故関連になるのですが、4月以来私たち福島県民に降りかかった「年間20mSv」ルール。私自身もこのルールの根拠は不明確だと思うのですが、一方で、このルールに反対意見を述べる人たちもまた、「年間20mSvでは危険だ、人体に影響がある」ということを、実のところきちんと説明していないと思うのです。代表的なのが、このルールの設定など政府の原発事故対策を「場当たり的」と避難し内閣参与を辞任した東大大学院教授・小佐古敏荘氏のコメント。今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1、2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。一見もっともな意見を述べているようですが、実は、「年間20mSvを浴びている人が殆どいない」ことを説明しているに過ぎないのです。しかも、地球上には年間20mSvを超える高自然放射線スポットがいくつか存在しておりその地域の住民の健康状態には特に目立った異状がないことが報告されている(参考)はずなのですが、無知だったのかそれとも意図的に隠したのか、小佐古氏はこの現実についてコメントをしていません。また、このルールには、日本医師会も懸念の意を表明しています。医学的な根拠があっての発言かと思いきや、内容は、(日本医師会の保坂常任理事は)、「そもそもこの数値の根拠としている国際放射線防護委員会(ICRP)が3月21日に発表した声明では、『今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1~20mSv/年の範囲で考えることも可能』としているに過ぎない」と指摘。この“一般公衆における参考レベル”である1~20mSvの最大値の20mSvを限界値としたことの科学的根拠が不明確であり、また成人と比較し、成長期にある子どもたちの放射線感受性の高さを考慮すれば、国の対応はより慎重であるべきとの考えを示した。 そのうえで、成人はもちろん、特に小児については、可能な限り放射線被曝量を減らすことに最大限の努力をすることが国の責務であり、子どもたちの生命と健康を守ることこそが国に求められていると強調した。と、これまた年間20mSvという数値の根拠の不明確さを批判したにとどまっており、同僚の放射線を浴びた場合子供の人体にどのような影響が残るのかについては、可能性も含めて言及がないのです。医師なんだから、具体的なデータを示して欲しかったですね。例えば癌治療における放射線療法の専門家から「照射した放射線の人体への影響がいかほどであるのか」といった内容のコメントを出すとか、話にもっと肉付けをするべきだったと思うのですが…繰り返しになりますが、小佐古氏、日本医師会とも、「年間20mSvでは高いから下げろ」という点では一致していますが、年間20mSvの放射線量を浴びると何故危険なのかは説明していません。言い換えると、彼らの主張にも実は全く根拠がないのです。で、ここからが本題なのですが、小佐古氏と日本医師会には、奇妙な接点があります。そもそも小佐古氏を内閣参与に紹介したのは彼の教え子で民主党代議士の空本誠喜氏なのですが、空本氏は元々小沢一郎氏が率いてきた旧自由党の一般公募に合格し国会議員を目指すことになった人物です。そして日本医師会は、医師の団体と言うよりも政治団体としての活動が活発であり、かつては自民党の支持基盤として知られていましたが、昨春に小沢氏シンパと言われる原中勝征氏が激しい選挙戦の末当選し、会長に就任した経緯があります。一見関連なさそうな二つの糸が、ここで繋がります。非常に嫌な可能性を語らなければならないのですが、小沢氏及び彼を支持する民主党内の一派は、菅政権を揺さぶりそして引きずりおろすためだけに「年間20mSvは高すぎる!」と息のかかった人物や団体を利用して声高に主張したのではなかろうか? 非常に強い疑念を、抱かざるを得ません。つまり、福島県の子供達を心配したポーズをとりつつも、実は自らの政治的優位性を高めるための「政争の具」として利用した可能性…彼らが発した情報に、どれだけの家族、親子が翻弄されたというのでしょうか? そのことを考えると、もし私の疑念が真実であるのならば、私は小沢一郎という政治家とその取り巻きを、終生許しません。
2011.06.20
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なんだかここんとこ、放射性物質と風向きの話ばかりしてるなぁ(苦笑)でもって、今回もまた、その話。いろいろと書いたせいでとっちらかってしまったため、ここでもう一度、福島第一原発(以下「原発」と略称)方面から風が吹いた順番を、リンク先のおばかんのさんからご指摘頂戴したこちらの資料(事故直後における福島県内主要都市(福島市、郡山市、白河市、会津若松市、南会津町、南相馬市、いわき市平)の放射線量の推移表)を見ながら、確認していこうかと思います。A 3月12日夜 南相馬市⇒外洋まず、この表で最初に放射線量の激増が見られたのは、3月12日夜、南相馬市においてでした。17時46分の段階で毎時0.82マイクロシーベルト(以下単位省略)と既に平常値の16倍ほどとなっていたのですが、同日21時になるとなんと21.00を記録するに至ります。これは、同日15時36分頃に1号機の原子炉建屋で発生した水蒸気爆発の影響によるものと思われます。ところが、この爆発によって南相馬市以外の数値が上がるということはなく、また南相馬市においても時間の経過とともに数値が漸減しています。恐らく、大気中の放射性物質の大半は、最終的に外洋へと流れ出たものと推察されます。B 3月15日未明 いわき市平⇒北茨城市・高萩市次に大きな変化が見られたのは、3月15日未明、いわき市平においてでした。日付が変わった0時の段階で0.57と上昇が見られた後急激に増加し、4時には23.72を記録します。これは、3月14日午前11時01分に3号機の原子炉建屋が水素爆発したことに伴うものと推察されますが、爆発から半日以上経ってからの上昇なだけに別の要因である可能性もありますが、この変化に先だって3月14日の22時過ぎに原発の南10キロの地点において9.6の放射線量が記録されているし、いわき市の南に隣接する北茨城市や高萩市でも15日の未明から早朝にかけて放射線量が急激に上昇している(参考。最大値は北茨城市で5時50分に記録された5.575)ことを考えると、14日の午後から15日の夜明けにかけては北から南にへの緩やかな風が吹いていたと推察されます。C 3月15日13時過ぎ いわき市平⇒白河市⇒南会津町、北茨城市・高萩市⇒大子町⇒栃木県北部ところが、いわき市・北茨城市・高萩市の放射線量は、15日の7時から8時ぐらいを境に、急激な減少を記録しています。恐らくここで風向きが変わったものと推察されるのですが、先ほど紹介した茨城県のページを再度確認すると、北茨城市の真西40キロほどの所に位置する大子町の数値が、9時から10時半ぐらいをピークにして急上昇を描いている(最大値1.41)のが確認できます。つまり、風向きは東から西へのものへと変わったと見ていいでしょう。恐らくその風が影響したのでしょうか、13時過ぎには、白河市の数値が急上昇を見せるに至ります。13時30分に5.02を記録。しかもそれだけにとどまらず、17時過ぎには更に西方の南会津町でも1.00を超える数値が記録されています。大子町での急上昇も考慮すると、恐らくこの東風は、栃木県北部の那須町、大田原市、那須塩原市などにもある程度の影響を及ぼしたものと推察されます。D 3月15日14時過ぎ 川内村⇒郡山市⇒白河市・会津若松市白河市での異状が記録されてから1時間後の14時過ぎ、今度は郡山市にて8.26という白河市を上回る数値が記録されるに至ります。ただし、この数値は県合同庁舎の3階で記録されたものであり、1階で計測したならば恐らく20前後の数値を叩き出していたのではないでしょうか。いずれにせよ、白河市の数値よりもかなり高いため、Cとは別個の風のルートの存在を疑わなければならないでしょう。そこでいろいろあたってみると、原発の真西、郡山市の真東に位置する川内村において15日12時前後に異常な上昇を見せていたのが確認できます(参考)。後に高い放射線量を記録することになる飯舘村の数値が急上昇したのは16時のことなので、恐らく川内村に飛来した放射性物質が、東風に乗って郡山市に至ったのだと考えていいでしょう。ただし、この放射性物質が、前日発生した3号機原子炉建屋の水素爆発によるものなのか、それとも15日の午前中に発生した4号機原子炉建屋の火災によるものなのかは、判然としません。郡山市に飛来した放射性物質は、その後、白河市方面と会津若松市方面の二手に分かれたものと推察されます。まず白河市ですが、13時過ぎの急上昇の後一時小康状態となっていた放射線量が16時台から再びジワジワと上昇。20時台後半から15日いっぱいにかけて7.0前後の数値が続くことになります。この風もまた、栃木県北部まで到達したものと思われます。会津若松市は、14時前後から上昇の兆候を見せてはいますが17時頃から急上昇となり、18時前後から2時間ほど1.0前後の数値を記録することになります。そして更に21時台後半から15日いっぱいにかけて2.0前後まで数値が再び急上昇するのですが、この要因は、後述するように郡山市方面ではなく福島市方面から放射性物質が流れ着いた結果かと考えています。E 3月15日16時過ぎ 飯舘村⇒福島市⇒会津若松市そして、最大規模の放射性物質がやってきました。それ以前も0.1を超え通常値より高い放射線量で推移していた飯舘村ですが、15時過ぎから急上昇を見せ、18時20分にはなんと44.70という数値をはじき出します。この時に飛散していた放射性物質は恐らく3号機の原子炉建屋の水素爆発の影響によるものなのでしょうが、以前にもいわき市や郡山市へと飛散しているはずなのに、どうしてまだこれだけの放射性物質が残っていたのか、疑問に思わなくもありません。飯舘村に飛来した放射性物質は、その1時間後には、福島市に襲来することになります。福島市もまた、18時40分に24.24の最大値を記録しています。前の日記にも記しましたが、福島市を襲った放射性物質は、恐らく北風ないしは北東の風に乗って、二本松市、更には会津方面へと飛散したと推察しています。白河市も15日の夜に緩やかな上昇を見せていますが、中間に位置する郡山市の数値に大きな変化がないので、恐らくそちらまでは飛散しなかったのではないかと思います。また、見逃されがちですが、19時過ぎから南相馬市の放射線量も、微妙な上昇を見せています。ただ、この原因が原発から直接飛来したものなのか、それとも飯舘村方面から流れ出たものなのかは、判然としません。F 3月16日午前 いわき市⇒北茨城市⇒外洋波乱の15日が明けた後の16日は、いわき市で、不穏な動きがありました。それまで1.0~1.3と小康状態を保っていたのに、2時過ぎから4時過ぎにかけて最大5.75を記録する急上昇を見せます。その後再び1.3程度まで下がるものの、10時50分に18.78と再び謎の急上昇。この日の午前中は原発においても2号機の圧力抑制室の破損に伴い放射線量が急上昇しているので恐らくその影響ではないかと思われるのですが、問題はここで記録された放射性物資がその後どこへと流れたか。福島県内各都市では急激な上昇が見られないので再び茨城県の情報にあたってみると、北茨城市で11時40分に15.80を記録していることが確認できます。ただし、その南の高萩市では特に目立った上昇は見られず、またいわき、北茨城両市とも比較的短時間で放射線量が低下していることを考えると、最終的には外洋へと流出したものと推察されます。なんかこうして見ると、福島県はもちろんのこと、茨城県や栃木県においても、風向き次第では避難区域に指定されかねなかった地域が結構あるのではないかと、背筋が凍る思いです。原発事故の恐ろしさを、改めて感じた次第です。
2011.06.15
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福島県内では放射線量の少ない会津地方ですが、いわゆるホットスポットは存在します。飽きたかと思いますが(苦笑)例によってこちらの資料から地上1メートルにおける放射線量が毎時0.5マイクロシーベルト以上の小学校を拾ってみると、【会津若松市】河東学園小0.65 神指小0.58 旧河東三小(大熊町立小)0.73【喜多方市】塩川小0.58 駒形小0.55【磐梯町】磐梯二小0.54【湯川村】笈川小0.62 勝常小0.55【会津坂下町】金上小0.52(単位はいずれも毎時マイクロシーベルト。以下同様)と、会津若松市と喜多方市との境界付近に高い放射線量を記録するゾーンがあることがわかります。しかも、非常に皮肉な話なのですが、原発から避難してきた大熊町の児童が通学する旧河東三小の数値が、会津地方で一番高かったりします。各校の分布状況を見ると、やや東西に長い楕円形をしています。とすると、この地域に放射性物質を運んだ風は、東西方向の風なのではないかと、個人的には推察しています。そう言えば、前の日記で「3.の風は、ひょっとすると会津方面へも流れて行ったかもしれません。学校が存在しないので確定的なことは言えませんが、二本松市西部から安達太良山を越えて、猪苗代町北部へと到達した可能性があります。」と書いたのですが、実はこのラインを更に西へと延ばすと、ちょうどこの地域へと至るのです。つまり、二本松市から安達太良山系を越えて流入した風が、猪苗代町北部で若干の放射性物質を撒き散らしながら上空を通過し、磐梯山の南麓を経由してこの地域へと放射性物質を降り注がせるに至った可能性。我ながら、荒唐無稽な話だと思うのですが…荒唐無稽な可能性は、実はもう一つあります。福島市に戻って福島盆地西部の小学校の放射線量を再度確認してみると、飯坂小2.5中野小2.5大笹生養護学校 1.4大笹生小 2.2庭坂小 1.7庭塚小 1.2水保小 1.3佐倉小 1.3荒井小 1.3と、北寄りの小学校の方が高いことがわかります。昨日の日記では原発方面からの南東風が福島市北部で方向転換したと書いたのですが、もしかしたら南東風の影響は微弱ながら残っており、放射性物質が県境を越えて山形県米沢市板谷辺りまで到達した可能性が考えられるのです。板谷は阿武隈川支流の松川水系に属しますから、峠越えをする必要なく越境が可能です。板谷から徐々に高度を上げつつ吾妻連峰の北麓に沿って進んだ後白布峠付近から再び福島県へと舞い戻り、北塩原村内から北東からの風に乗ってホットスポットへ… 一応検討に値するルートかと思います。実は北塩原村でも裏磐梯小(0.32)、さくら小(0.37)と比較的放射線量が高く、ホットスポットの南西に位置する会津若松市北会津町の荒舘小(0.46)や川南小(0.47)もまたホットスポットに準じる放射線量を記録していることを考えると、ちょっと嫌な匂いが漂うのです。そこで参考資料を得るべく米沢市のサイトにあたってみたのですが、放射線量の測定は山形県に丸投げ状態とのこと。ちょっといただけないですね。山形県でも一応こんな動きはあるようなのですが、福島県の隣県にしては対応が遅すぎる感があります。
2011.06.15
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昨日の日記で「福島市より南側では北東からの風が吹いていないと、二本松市や本宮市、更には会津地方における放射性物質の飛散状況を上手く説明できないのです。」と書いたのですが、まずはその理由を述べたいと思います。昨日も拝借したこちらの資料を用いて福島市南部から本宮市にかけての奥州街道沿いの小学校の地上1メートルにおける放射線データを北から順に並べてみると、以下のようになります。【福島市】杉妻小2.4 蓬莱小2.6 金谷川小3.1 松川小2.3【二本松市】渋川小2.8 油井小2.6 二本松北小3.5 二本松南小3.3 岳下小3.7 杉田小3.9【大玉村】大山小2.7【本宮市】本宮小3.5 本宮まゆみ小3.1 五百川小3.7(単位はいずれも毎時マイクロシーベルト。以下同様)南下するごとに間歇的に漸増漸減を繰り返しているのがわかります。また、二本松市や本宮市の東部において、【二本松市】川崎小 2.9 東和小 3.1 小浜小 3.6 大平小 3.4 石井小 4.0【本宮市】和田小4.2 糠沢小2.6 白岩小3.4と、高い数値を示す小学校が多いことを考えると、安達地方においては、北東寄りの風が吹いていたと考えざるを得ないのです。すなわち、前回の日記で紹介した(3.原発方面から福島市南部へと吹いた風)浪江町津島 ↓川俣町山木屋 ↓川俣町中心部上空を通過 ↓大久保小・飯野小・青木小・立子山小(福島市飯野町近辺) ↓2.に合流(下川崎小)には、 ↓川崎小・渋川小・油井小・二本松北小・二本松南小・岳下小・杉田小(二本松市北部から中心部)という続きがあり、恐らくこれとは別の流れとして、(4.原発方面から本宮市へと吹いた風)川俣町山木屋(3.と分離) ↓東和小・小浜小・大平小・石井小(二本松市東部) ↓本宮市の各校という風が吹いていたものと推察されます。また、安達地方西部の小学校についてみていくと、【二本松市】塩沢小2.7 原瀬小1.8 安達太良小0.94【大玉村】玉井小2.0【本宮市】岩根小2.2【郡山市】(旧安達郡分参考値)安子島小1.6 熱海小0.97 熱海小石筵分校0.66と、奥州街道沿道よりは漸減していますが、いずれも高い数値を示しています。この傾向は福島市松川町においても松川小2.3→水原小2.1という形で見られますが、それより少し北の国道115号線沿道においては、吉井田小2.7→鳥川小1.7→佐倉小1.3→荒井小1.3→佐原小0.98→土湯小0.41と急激な減少となるため、国道沿いに北東の風が吹いていたとは考えにくいのです。岳温泉に近接する安達太良小はさすがに低い数値になっていますが、標高500メートル超で土湯温泉よりも高いこと、しかも原瀬地区との間には600メートルを超える丘陵が横たわっていることを考えると、放射性物質を含む風がある程度流れていたと考えていいと思います。また、3.の風は、ひょっとすると会津方面へも流れて行ったかもしれません。学校が存在しないので確定的なことは言えませんが、二本松市西部から安達太良山を越えて、猪苗代町北部へと到達した可能性があります。猪苗代町のデータを見ると、町中心部の猪苗代小が0.19なのをはじめ南部の小学校については概ね0.20前後なのに対し、北部の吾妻小は0.34と若干高いのです。また、吾妻小に隣接する吾妻中の数値は0.41であり、土湯小と同レベルになっています。そう言えば、先月末に、福島市周辺の山の残雪から放射性セシウムが検出されたというニュースが流れましたよね。 こちらの記事を見ると、吾妻山系より安達太良山系、西斜面よりも東斜面に放射性セシウムが集中的に検出されていることがわかります。放射性物質が飛散した時点における安達地方の風向きを立証するものとなりそうですね。
2011.06.15
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昨日の日記で「福島第一原発事故の発生後、放射性物質の多くは南東からの風に乗って浪江町津島⇒飯舘村⇒伊達市霊山町⇒福島市というルートを辿った後、今度は北からの季節風に乗って中通りを南下した」と書いたのですが、実のところ、この説明には腑に落ちない部分があります。というのも、浪江町津島から福島市に至るルートを辿っていっても、原発から遠ざかるにつれ漸減するという形にならないんですよ。わかりやすい比較対象として国道114号線及び国道399号線~国道115号線沿道にある小学校の地上1メートルの放射線データを福島県が4月上旬に計測したこちらのデータから抽出してみると、以下の通りになるのです。【国道114号線沿道】津島小(浪江町) 23.0山木屋小(川俣町) 6.0川俣南小(川俣町) 2.4川俣小(川俣町) 1.5富田小(川俣町) 1.9福田小(川俣町) 1.3青木小(福島市飯野町) 3.5立子山小(福島市) 3.0南向台小(福島市) 4.2渡利小(福島市) 4.8福島一小(福島市) 3.2【国道399号線~国道115号線沿道】津島小(浪江町) 23.0飯樋小(飯舘村) 9.6臼石小(飯舘村) 11.5月舘小(伊達市月舘町) 1.8小国小(伊達市霊山町) 4.8大波小(福島市) 4.8岡山小(福島市) 3.8福島三小(福島市) 4.8(単位はいずれも毎時マイクロシーベルト。以下同様)いずれのルートも、計画的避難区域となっている川俣町山木屋や飯舘村と福島市との中間に位置する川俣町中心部や伊達市月舘町で、放射線量が一旦下がっているんですよね。しかも、これらの地域には共通点があって、伊達地方を南北に貫流している広瀬川の谷底に位置しているのです。そしてもう一つ、広瀬川と福島市内とを隔てる丘陵に位置する小学校の数値が総じて高いことも、特徴として挙げられるでしょう。つまりは、こういうことなのかなと推察しています。浪江町津島や飯舘村は、山間に位置しているものの浜通りに属するだけあって、地域内を流れる河川はすべて西から東へと流れます。つまり西側に位置する川俣町や伊達市との境界は分水嶺にあたる訳で、その標高もまた500~800メートルと比較的高めです。従って、福島第一原発からやってきた放射性物質もまた、境界に至るまでに大半がこの地域に降り注いでしまった可能性が高いと考えられます。一方、広瀬川流域の川俣町中心部や伊達市月舘町の標高は200メートルを切りますから、上空高い地点を浮遊していた放射性物質は谷底を大きく跨いだ後対岸の丘陵へと降り注いでしまったのではないでしょうか。(ただし、山木屋に関しては、標高が500メートルを超える高地であり浪江町津島や飯舘村との標高差がさほどないことや広瀬川ではなく二本松市東部を横断する口太川の流域に属する(余談ですが、山木屋は元々安達郡でした)ことから、放射性物質の襲来を免れ得なかったと考えられます)。マスコミにおいては放射性物質が飛来したとおぼしき3月15日にこの地域は雨に襲われたため雨水に吸着された放射性物質が地表へと降り注いだ解釈がなされることがあるのですが、雨よりも風向きや地形が重要なファクターだったと考えた方が腑に落ちそうです。ただ、この理屈は、福島市中心部には当てはまりません。福島市中心部の標高は70メートル程度だったと記憶しているのですが、広瀬川流域と同様の図式で考えるならば、放射性物質は信夫山にいくばくかは吹き付けられるでしょうけど福島市中心部の上空を跨いで福島盆地西縁のフルーツライン沿道あたりに降り注がなければおかしいはず。ところがそうはならず、むしろ福島市中心部もまた広瀬川西岸の丘陵と同程度の放射性物質で汚染されるに至っているのです。これもまた、風の悪戯なのでしょうか。原発方面からやってきた風と北西から吹く冬の季節風とが福島市内でちょうどぶつかり合い、吹き溜まりのような形になってしまったものと推察されます。ちなみに、福島市及び伊達市において2.5を超えた小学校は、以下の通り。【福島市】(本庁管内)福島一小3.2 福島二小4.2 福島三小4.8 福島四小3.4 清明小3.2 三河台小3.3 福島大付属小4.3 桜の聖母学院小4.2(東部支所管内)岡山小3.8 大波小4.8 月輪小2.7(北信支所管内)矢野目小3.0 鎌田小2.8 瀬上小2.6 余目小2.6(清水支所管内)森合小3.0 清水小3.0 御山小4.9(信陵支所管内)北沢又小3.2 笹谷小3.2(飯坂支所管内)平野小3.0 飯坂小2.5 中野小2.5(渡利支所管内)渡利小4.8 南向台小4.2(立子山支所管内)立子山小3.0(吉井田支所管内)吉井田小2.6(信夫支所管内)平石小2.6(蓬莱支所管内)蓬莱小2.6 蓬莱東小2.6(松川支所管内)金谷川小3.1 下川崎小 4.2(飯野支所管内)青木小3.5 飯野小3.5 大久保小3.8【伊達市】(保原町)富成小3.9 柱沢小2.8(霊山町)掛田小2.8 小国小4.8(月舘町)小手小2.7なお、両市に隣接する伊達郡内の桑折町、国見町、及び山木屋地区を除く川俣町については、2.5を超える小学校はありませんでした。すさまじい数ですね。しかも福島市に関して言えば西部を除くと大半の学校が対象となってしまいますが、風の流れを推定するとおおよそこんな感じになるでしょうか。(1.原発方面から福島市北部へと吹いた風)飯舘村 ↓伊達市月舘町上空を通過 ↓小手小・掛田小・小国小・大波小・柱沢小・富成小(広瀬川西岸の丘陵地帯) ↓岡山小・月輪小・鎌田小・瀬上小・余目小・飯坂小・中野小(福島市北部) ↓2.に方向転換(2.福島市北部から福島市南部へと吹いた風)1.より方向転換 ↓平野小・笹谷小・矢野目小・上松川小・清水小・御山小・森合小(福島市北部) ↓福島市中心部(本庁管内)及び渡利小、吉井田小 ↓南向台小・蓬莱東小・蓬莱小・平石小・金谷川小(福島市南部) ↓3.に合流(下川崎小)(3.原発方面から福島市南部へと吹いた風)浪江町津島 ↓川俣町山木屋 ↓川俣町中心部上空を通過 ↓大久保小・飯野小・青木小・立子山小(福島市飯野町近辺) ↓2.に合流(下川崎小)福島市南部へと向かう風は北風と東風の2種類あったと考えています。明日以降の日記で書きますが、福島市より南側では北東からの風が吹いていないと、二本松市や本宮市、更には会津地方における放射性物質の飛散状況を上手く説明できないのです。という訳で、続きはまた次回に…
2011.06.14
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11日の日記で栃木県の放射線量について書いたのですが、放射線量が高かった各学校の位置関係について調べてみると、ちょっと面白いことがわかります。とりあえず、毎時1マイクロシーベルト以上を記録した学校について列挙すると、【那須塩原市】波立小 1.08 大原間小 1.14 厚崎中 1.04 東那須野中 1.12寺子小 1.02 鍋掛小 1.33 大貫小 1.01 関谷小 1.24金沢小 1.55 横林小 1.09 箒根中 1.62【那須町】伊王野小 1.21 美野沢小 1.20 田中小 1.12 朝日小 1.14黒田原小 1.08 東陽中 1.22 田代小 1.02(単位はいずれも毎時マイクロシーベルト。以下同様)となるのですが、ゾーン的には、那須塩原市の中心地である黒磯の市街地を挟んで北東と南西との二つに分かれるのです。各学校をそれぞれのゾーンに分けてみると、【北東ゾーン】(那須塩原市)寺子小、鍋掛小(那須町)伊王野小、美野沢小、田中小、朝日小、黒田原小、東陽中、田代小【南西ゾーン】(那須塩原市)波立小、大原間小、厚崎中、東那須野中、大貫小、関谷小、金沢小、横林小、箒根中と、計18校がきれいに9校ずつ分かれてしまいます。ちなみに、黒磯の市街地にある黒磯小は0.58、黒磯中は0.65と割合低めの数値にとどまっているので、那須地方では二つのホットスポットがあると言っていいでしょう。北西ゾーンの中心は那須町芦野から伊王野にかけて、南西ゾーンの中心は東北自動車道西那須野塩原IC付近と考えられます。福島第一原発事故の発生後、放射性物質の多くは南東からの風に乗って浪江町津島⇒飯舘村⇒伊達市霊山町⇒福島市というルートを辿った後、今度は北からの季節風に乗って中通りを南下したのですが、各地のデータを詳細に確認すると、どうも素直に南下した訳ではなく、各所で微妙に向きを変えているようなのです。福島県のデータでも郡山市以南では須賀川市の旧岩瀬村や旧長沼町、天栄村、白河市の旧大信村、西郷村と盆地の西端にあたる地域の放射線量が周辺他地域に比べて著しく高いことが確認できるのですが、福島市から南下を始めた放射性物質は郡山市までは比較的素直に南下したものの、ここで風向きが北東からのものに変わったと考えられるのです。ところが福島と栃木の県境の辺りで真北からの風に向きを変えて那須町や那須塩原市の東部を襲った後、再び北東からの風となって那須塩原駅の上空を通過し、その西部に展開する丘陵の麓の集落に放射性物質を吹き付けるにいたったのだろうと推察されます。そしてこの風は、矢板市、塩谷町と鬼怒川の北岸を通過して日光市へと至ったと考えられます。風向きは北東から真東寄りへと徐々に変わっていた模様で、鬼怒川南岸の宇都宮市には至らず、関東平野と日光連山との境目にあたる東武鬼怒川線大桑駅付近を中心に放射性物質が降り注いだようです。また、鬼怒川温泉付近も比較的高い放射線量を記録していることを考えると、那須塩原市から国道400号線などを経由して風が吹き抜けた可能性もあります。日光市の放射線量をつぶさに見ていて気になったのは、市の南西端にあたる旧足尾町でも0.4前後と比較的高い放射線量を示していたこと。同じ日光市内とはいえ旧今市市や旧日光市とは1,000メートル級の山岳で阻まれている地域なので、この数値は意外でした。中通り南部や栃木県北部においては放射性物質が「山裾に吹きつけられる」イメージがあった~だから、南会津郡の放射線量は著しく低いのだと解釈していた~のですが、この辺りでは放射性物質が相当な高度まで拡散していたことを疑わなければならないでしょう。群馬県への越境も十分あり得る状況です。ここで、群馬県のデータを確認してみたところ、案の定、日光市の真西にあたる利根沼田県民局管内や更にその西隣の吾妻県民局管内で、周辺他地域よりも高い放射線量が記録されていることがわかります。また、当時の群馬県内では北東からの風が吹いていたようで、風の通り道にあたっていたとおぼしき渋川市、高崎市倉渕町、安中市、富岡市、下仁田町といった地域でも、やや高めの放射線量が記録されています。加えて言えば、旧足尾町の南西で境を接するみどり市東町でも、市内他地域に比べて高い放射線量が記録されています(参考)。となると更に南西の長野県でも… と思ったのですが、県のデータにあたってみると、さすがに原発事故の影響はなかったようです。が、群馬県となると福島第一原発から200キロ前後は離れている訳で、そこまで影響が及んだというのは脅威という他ありません。そう言えば、福島第一原発から200キロというフレーズで思い出したのですが、原発の南南西200キロほどに位置する千葉県柏市付近でも、局地的に放射線量が高いそうですね(参考)。より原発に近い北茨城市や土浦市の方が放射線量が低いので、ちょっと驚きました。こういったスポットは、他にも探せば見つかるのではないかと思います。
2011.06.13
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福島県に住んでいるとどうしても原発事故の話題が中心になってしまい、事故の要因となった地震や津波についての記憶や関心が薄れがちになるような気がします。それじゃあ、いけないと思う。中学時代に所属していた部活のキャプテンが行方不明になった話を2ヶ月前に書きましたが、彼は今もなお行方不明のまま。その後聞いた話によると、彼は勤務先にて地震に遭遇し、津波が到達した時刻には家族の状況を確認しに陸前高田市東部の広田半島にある自宅へとクルマを走らせていたようだ、とのこと。現地の状況を調べてみると、半島の付け根部分、ちょうどJR大船渡線が通っている地域に対し半島の両側から大津波が押し寄せたため一時的に半島が離島のような状態になったそうで、恐らく何の抵抗もできずに大海原へと放り出されたものと推察します。東日本大震災から、一昨日で3ヶ月。書類手続き上では行方不明者も死亡推定、そしてご家族の方への遺族給付金や遺族年金の支給が可能となります。一昨日と昨日は公共機関が休日だったから、手続的には今日が初日ということになるのでしょうか。ご家族の方がどのような対応をとられるのかわからないしそのことについて四の五の口にする資格は私にはありませんが、生死の白黒がついていないのに死亡扱いされてしまうのであれば、ちょっと複雑な心境です。そんな事態が、被災地の津々浦々で展開されているのでしょう。昨日時点でもなお行方不明者が8,000人近くにのぼっていることを思うと、改めて、東日本大震災、特に津波の被害の甚大さを痛感せずにはいられません。特別報道写真集 平成の三陸大津波(書籍)[岩手日報社]《予約商品06月発売》
2011.06.13
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福島第一原発事故の発生する以前から、福島県は、いわゆる地産地消運動に熱心な県でした。「県の食材を積極的に消費しよう」と主張するにとどまらず「県産材で家を建てよう!」とまでPRしていたのだから、本当に徹底していました。そして驚いたことに、原発事故の影響で数多くの県産食材が出荷制限や摂取制限を受けてもなお、その動きを止めることなく、制限を受けていない県産食材に関しては知事が旗振り役となってPRに努めているし、学校給食においても使用され続けているという現実があります。率直に言って、バカじゃなかろうかと思います。そもそも地産地消を押しつけること自体県内の消費者から食材選択の自由を奪う越権行為だし、県民に積極PRしていることもまた「結局福島県産の食材は他県では売れないのかなぁ?」と更なる疑念を抱かせる結果を招いているような気がするのです。生産者優遇にも度が過ぎるように感じます。そんなバカな動きに対して、警鐘を鳴らす人も少なくありません。彼らの主張の元を辿ると、中部大学の武田邦彦教授が執筆したこちらのブログに行きつくようです。まぁ、私はこの方の主張そのものはあまり信用していない~だって、名古屋という安全な場所にいて放射能は危険だ不安だと言ってみたところで、説得力がないじゃないですか。しかも原発事故前と現在とで原発に対する認識がコロコロ変わっている上に専門知識自体も欠如しているらしいし…(参考)~のですが、小学生の子を持つ父親として、出荷制限を受けなかったにせよ微量の放射性物質が含まれている県産食材を学校給食に使うべきではないという主張には同意します。逆説的な発想になるのですが、福島県産の食材を学校給食に使うことに対してNOを訴える声がもっと高まればいいなと思ったりします。言い換えれば、「風評被害がより明確になる形で外に向かって主張する」戦略をとること。政府は風評被害についても補償対象にすべきとの考えを示しているし、県が「ホラ、食えるぞ。美味しいぞ」と日中韓の首脳と一緒になって県産食材の安全性をPRするのではなく、「そんな汚染されたもの、食べたくないんだ!」と消費者サイドに立っての主張が際立つ形にもっていくことができれば、生産者の方も、その心情を慮ると非常に厳しい言い方になりますが、生業を断念せざるを得ない状況に追い込まれるかもしれないけれど補償を声高に訴えやすくなる環境を整えられるのではないでしょうか。福島県内の第一次産業に関しては、生産者に変に期待を持たせるのではなく、一旦リセットした上で再構築すべきだと思います。そのためにも、勝ち取るべき補償は確実にモノにしなければなりません。県には5年後、10年後を見据えての行動を、考えて欲しいものです。震災前の状況に県土を戻すことはほぼ不可能な訳ですから、きちんとしたグランドデザインを構築した上で多少のコラテラル・ダメージも厭わずに突き進む姿勢が今、求められていると思います。きめ細やかに弾ける泡の清涼感!奥の松純米大吟醸スパークリング290ml(福島県産地酒)
2011.05.29
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仙石線の東塩釜~高城町(たかぎまち)間が、今日から運転を再開しました。これで、松島観光の拠点となる松島海岸駅にも電車が走るようになる訳で、観光地・松島の復興に、弾みがつくと思います。ところが、高城町から先の区間の再開はというと、まだまだ先の話のようです。とりあえず終点・石巻駅側の矢本~石巻間は7月下旬に運行再開を予定していますが、高城町~矢本間は津波の被害が甚大だったこともあり、再開期日は今もって「未定」のまま…24日付の読売新聞に載ってましたが、海岸近くを通り特に津波の被害が酷かった東名(とうな)~野蒜(のびる)駅間で内陸部への線路再敷設を求める声があり、意見の集約に時間がかかっているという事情もあるようです。仙石線は仙台と石巻とを結ぶ基幹路線でもあるから、今後のルートの問題はとりあえず後回しにして、震災前のルートで早期復旧して欲しいと思うんですけどねぇ。線路の付け替えや高架化は、運転再開後にゆっくり時間をかけて考えればいいように思います。同様の事態は、福島県浜通りと宮城県とを結ぶ常磐線にもあるようです。ここもまた、県境の新地、坂元の両駅が津波で流失してしまうなど甚大な被害を受けたために、線路自体を内陸に移そうとの意見があるようです。が、相馬市や南相馬市を陸の孤島にしないためにも、仙石線同様に早期復旧が望まれるケースではないかと考えます。東日本大震災の津波のスケールを考えると、確かに海岸近くに線路を敷くリスクは少なくないと言わざるを得ないでしょう。しかし、結論を先延ばしにすることによって通勤、通学、ビジネスなどが滞ってしまうデメリットの方が大きいように、個人的には感じます。仙石、常磐の両線に限らず、今なお運転再開の目処が立っていない海岸沿いを走る鉄道路線が一日も早く復旧することを、心より願っています。【鉄道模型 Nゲージ】【中古】Nゲージ/ラウンドハウス 10-922 モハ205-3102「コメディ」205系 3100番台 タイプ仙石線「マンガッタンライナーII」セットバラ【B】車両のみ/パーツ取付済み・ケースなし
2011.05.28
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1週間ほど前に、「思い切って大風呂敷」と題し、ここ数年議論が封印されていた福島県への首都機能移転論を復活させたら… という内容で、一文したためました。その後に知ったことですが、塩崎恭久元官房長官も、国会やこれに付随する機関を福島県内に移転させる構想を提唱しているとのことです(参考)。やはり、原発事故が発生した福島県の復興は、こちらの日記で紹介したような岩手県や宮城県の復興とは事情が異なります。国家が一丸となって一から再生に取り組まなければ、先がないと思うのです。偶然とは思いますが、今日の福島民友の読者投稿欄にも、「首都機能の移転 風評打破へ提案」と題した郡山市在住の方の文章が掲載されていました。以下全文を引用します。「原発事故で世界中に有名になってしまった本県を完全に元に戻すことは難しいのかもしれない。農産品はブランド力を取り戻せず、リゾート地には海外からの観光客は来なくなってしまうのではないか。放射線を恐れて小さな子どものいる世帯が減り、高齢化がいっそう進んでしまうことも考えられる。他の被災地が復興しても本県だけ取り残されてしまいかねない。このような状況を救う方法は首都機能移転しかないのではないかと思う。首都機能を本県に移すことが原発の悪評による経済的損失を補う最も有効な方法だろう。また、風評被害を吹き飛ばし、若い人たちや観光客などを呼び戻すのにこれほど効果的なものはないと思う。今回の震災を機に行政機能を東京以外の地に確保しておくことに対する緊急性の認識も高まっている。原発がなくなれば本県は絶好の首都機能移転先となるはずだ。今こそ、いつの間にか立ち消えになっていた首都機能移転に関して本県を移転先として議論すべきである。」この文章の趣旨に、概ね同感します。願わくば、こういった声が、県民の間でもっと高まれば良いのですが…【阿武隈高原産極上竹酢液(蒸留)】純国産の孟宗竹100%炭焼き職人こだわりの品![10P06jul10]
2011.05.26
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前の日記の執筆に絡んで3月に書いた日記の内容を振り返っていたら、東日本大震災の余震とおぼしき地震で目が覚めたというケースが結構多いことに気付かされました。その当時の私の頭の中では、地震と原発事故とは50:50の割合だったんでしょうね。今ではかなり原発事故寄りにシフトしていますが、その背景には、余震が徐々に少なくなっていることも、挙げられると思います。ところが今朝は、久々に地震で目が覚めました。私の住む桑折町では震度1にとどまりましたが揺れが長かったのでテレビで情報を確認してみたところ、なんといわきで震度5弱… 久しぶりに耳にする数値です。その後もいわき市を中心に、今朝の地震の余震とおぼしき地震が頻発している状況です。せっかく忘れかけていたのに… とついつい地団駄を踏んでしまいたくなりますが、東日本大震災に関連するもろもろの事象がすべて地震から始まっていることを再認識もした次第です。自然科学■Newtonニュートン■1987.09/東京大地震/遺伝子を診断する…ほか【中古afb】
2011.05.25
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福島第一原発事故が長期化する中、福島県内では今現在記録されている放射線量よりも今後の累積放射線量がどのような推移を経ていくのかの方に、注目が集まりつつあります。既にこういったマップも出回っていますが、よくよく考えてみると、累積放射線量の大半は事故直後の3月に記録されたものだから、この時期にどのように過ごしていたのかによって、各自の今後の過ごし方も変わってくるように思うのです。その点では、事故直後に遠方へと避難した原発から半径20キロ圏内の警戒区域に住んでいた方々は、生活の糧を根こそぎ奪われはしたものの、人体への放射線自体はさほど浴びてはいないと考えられます。むしろ人体が危険に晒されていたのは、浪江町津島や葛尾村、川俣町山木屋や飯舘村といった計画的避難区域でしょう。特に山木屋や飯舘村においては原発から30キロ圏外ということもあり屋内退避指示~今にして思えばこの指示は批判しないで素直に受け入れるべきでした~も受けていなかった上に放射線量が高い時期が長く続いていたから、まさに浴びせられ損、避難指示が出るのも遅すぎた感があります。その点では、比較的累積放射線量が高い福島市や郡山市をはじめとした中通りの市町村も、山木屋や飯舘村に比べると程度こそ軽微なものの、同様の危険に晒され続けていると言えるでしょう。だからこそ、今後の行動を考える上でも、3月に何をして過ごしていたのか、特に子供達はどうしていたのかを、振り返ってみる必要があると思うのです。我が家においては、私がブログを執筆している関係で、ある程度、状況を把握することが可能です。3月に、子供達が外に出たことが何度あったっけ? 学校自体は卒業式すら中止でずっと休校だったし、一度自宅と妻の実家とを徒歩で往復させたことがあったけれど、3月14日の話。我が家の周辺地域で放射性物質が広範囲に飛散したのは翌3月15日の夕方だから、ギリギリセーフといったところでしょうか。ただし、3月15日の夜は雨が降り、当時家族が身を寄せていた妻の実家では地震で破損した屋根から低濃度(?)汚染水が容赦なく屋内へと注ぎこんでいましたが(苦笑)これ以外にも「外出=放射線に晒される機会」は何度かありましたが、子連れで外出する際には必ずクルマを利用していたし、子供達を外で遊ばせるようなことも殆どありませんでした。少なくとも、他の子供に比べて危険な目に遭わせていないだろうとは思います。気休め程度のことかもしれませんが…我が家においては、妻が放射線にかなり気を遣っていたからこそ過度の外出を抑えられたという側面があります。今もなお子供達を屋外や友達の家で遊ばせず、快晴の日でも洗濯物を屋内で干すようにしている妻には、頭が下がります。鬼に金棒…とまでは言いきれませんが、いくら3月に過度の外出を控えたとしても、用心するにこしたことはないですよね。放射能・放射線・放射性物質ヨウ素・セシウム・ウラン・プルトニウム福島第一原発対策はマスクからサージカルマスクFACE MASKSUDISPOSABLE~3層構造サージカルマスク~50枚入り
2011.05.25
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指折り数えてみたら、今日は東日本大震災から75日目だったんですよね。「人の噂も75日」と言いますが、各種メディアにおいては、東日本大震災関連の報道はまだまだ収まる気配がありません。なんだか、16年前、1995年のことを思い出します。あの年は、1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件をはじめとした一連のオウム事件がそれぞれ発生し、これらのことばかりが報じられていた記憶があります。ただし、報じられる比率は、阪神淡路大震災:オウム事件=2:8ぐらいだったでしょうか。なんかこの辺、東日本大震災における地震・津波の報道と福島第一原発事故の報道の比率にも似通ったものがあると思います。また、オウム事件と原発事故とは、人体に有害な物質が広範囲にばら撒かれた点、そしてその危険性が長期にわたって続いている点でも、似通っているような気がします。オウム事件の報道の加熱ぶりは1995年の年末いっぱいまで続きましたが、原発事故はいつまで続くのやら… 収束しないままに報道だけが縮小の一途を辿るということだけは、ご勘弁願いたいものです。【送料無料】検証・オウム真理教事件
2011.05.24
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18日付の河北新報に、興味深い記事が掲載されていました。長くなりますが全文引用します。【復興計画 岩手県、地に足を着けて 宮城県、大胆な発想重視】東日本大震災の復興計画で、岩手、宮城両県が対照的な策定手法を取っている。岩手は地元団体代表による組織で、実務的な検討を積み重ねる。宮城は著名な専門家を集め、既成概念にとらわれない議論を展開する。被災地の建築制限でも対応が分かれた両県。果たして9月策定を目指す復興計画の出来栄えは―。計画を策定する岩手、宮城両県の態勢は表の通り※。最大の違いは検討メンバーの顔触れだ。岩手の津波復興委員会は、藤井克己岩手大学長が委員長を務める。委員19人全員が県内在住者で、県商工会議所連合会長や県農協中央会長、県漁連会長、県銀行協会理事会長らがずらりと並ぶ。達増拓也知事の「答えは現場にある」との持論が色濃く表れた。県政策地域部は「現場の声を計画に反映させたい。地味だが一つ一つ課題を解決していく『積み上げ型』の手法だ」と強調する。宮城の震災復興会議は、議長に元東大総長の小宮山宏三菱総合研究所理事長が就いた。委員12人のうち県内在住者はわずか2人。寺島実郎日本総研理事長らが名を連ねる。「派手」な陣容は村井嘉浩知事の「地球規模で宮城の将来を考える」という意向を踏まえた。県震災復興・企画部は「単なる復旧でなく、県土の再構築を目指す。日本を代表する有識者の大胆な発想が不可欠」と訴える。会議の開催回数や場所にも違いが表れている。岩手は4月11日に初会合を開き、これまで3回開催。下部組織の総合企画、津波防災技術の両専門委員会も2回目が終わった。会議はいずれも盛岡市内で行われている。宮城の初会合は5月2日、県庁であった。下部組織はなく、会議は月1回のペースで開かれる。委員の大半が首都圏在住のため、次回の6月3日は村井知事らが上京し、都内で行われる。相違点が際立つ中、互いの利点を採り入れている部分もある。岩手は各分野の第一人者を専門委員に任命し、計画への助言を受ける。宮城も県内産学官トップが集まる富県宮城推進会議で、地元の意向をくみ取る仕組みを整えている。会議は両県とも全面公開する。岩手はさらにインターネットの動画サイトで、会議の中継を試みている。配布資料を開会前にホームページで公開するなど、中継視聴者への配慮も欠かさない。両県の担当者はライバル心をのぞかせる。岩手県は「宮城では各委員からさまざまな提言が出ているようだが、どうやって取りまとめるのだろうか。作業は大変そうだ」(政策地域部)と議論の拡散を懸念した。これに対し宮城県は「地元の意向も重要だが、今回は過去に経験のない震災復興。岩手の会議で新しい発想、斬新なアイデアが浮かんでくるだろうか」(震災復興・企画部)と指摘する。※岩手、宮城両県の復興計画の検討組織の概要は、下記の通り(開催回数は5月17日現在)。(岩手県)名称…津波復興委員会顔触れ…県内の団体代表委員数…19人初会合…4月11日開催回数…3回(月2回ペース)開催場所…盛岡会議公開…全面公開(中継も)(宮城県)名称…震災復興会議顔触れ…全国の専門家委員数…12人初会合…5月2日開催回数…1回(月1回ペース)開催場所…仙台、東京会議公開…全面公開ものの見事に対照的ですね~個人的には、両県の立ち位置の違いは、被災地が「それぞれ県にとってどのようなポジションの地域なのか」の違いに起因していると思います。岩手県は、会議の名称が「津波復興委員会」となっているように「被災地=沿岸部」という考え方。県庁所在地の盛岡市を始め県内の主要都市が内陸部に位置していることを考えると、県の一部分が被災したから復興検討もまた県内の人材だけで賄えるだろうという認識があるのでしょう。一方宮城県は、県庁所在地の仙台市でも多数の死者が出、仙台空港や県内第二の都市・石巻市でも甚大な被害が出たことを考えると、「被災地=県土全体」という認識なのでしょう。だから多方面から意見を結集させたうえで単なる復興以上の成果を求めたがる流れになってしまうのではないでしょうか。従って、どちらが正しいとか間違っているとか、そういう尺度では測りづらいですよね。それぞれに、永続性のある将来像を描いてくれればいいなと思います。しかし、こういう話を見聞きすると、福島県民としてはある種の羨ましさも感じます。早く収束してくれ! 原発事故!!このポストカードの売上金額の10%を日本赤十字社を通し寄付させて頂きます。がんばろう日本!和犬ポストカード 震災復興応援グッズ
2011.05.22
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福島第一原発の事故の被災者補償など今後長期間にわたって大幅な出費が見込まれる東京電力で、先日、人員削減や資産売却によって資金を確保していく方針が発表されました。資産のうち不動産についても、電気事業の遂行に必要不可欠なものを除き売却するとのことです。ところが、東京電力が保有する不動産には尾瀬国立公園内にある広大な土地も含まれています。そもそもは電源開発のため1916年に前身会社の関東水電が取得した土地なのだそうですが、その後東京電力に引き継がれ、尾瀬の自然が保護される方向になった現在においても、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地が東京電力の私有地なのだそうです。その縁もあり、東京電力は尾瀬の自然保護に対し積極的に活動を進めていた(参考)し、清水正孝社長は財団法人尾瀬保護財団の副理事長も務めていたとか。そういえば、尾瀬には東電小屋という宿泊施設もありますね。しかし、東京電力が原発事故という不祥事を起こしてしまった今、電源開発とは無縁となっている尾瀬の資産は売却必至の状況になってしまったと言わざるを得ません。志を同じくする篤志家に売却されることを心より期待していますが、それにしても、自然保護という優しげなお題目が原発マネーに支えられていたというのも、何となく複雑な気持ちです。我々人間は自然を破壊しなければ生きていけない。だから自然を保護したければ究極的には人間を減らすしかない… 「エコ=エゴ」なのでしょうか? そんな思いが、頭の中をグルグルと渦巻いています。段差がついているのでとりやすい。両面タイプのパズル。楽しみながらコミュニケーション[視知覚トレーニング]NH6220木のジグソーパズル6ピース 春の尾瀬ヶ原/晩秋の里
2011.05.22
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今日の日中、福島県をはじめ東日本大震災の被災地に、中韓両国の首脳が来たとのことです。ついでに言えば、日本の首相も同行していたとのこと。警備の方々、大変だったでしょうね。今の福島県には国内外問わずVIPに一言物申したい、あるいはそれ以上の行為を… という人が少なくないから、さぞ厳重な警備体制を敷かねばならなかったろうと推察します。今日一日、お疲れ様でした。それにしてもこのニュース、あまり大きく取り上げられていませんね。どうしたことでしょう。タイガースの32イニングス連続無得点や矢口真里の婚約の方が扱いが大きいと思ったのは私だけでしょうか? 中韓という国家自体にニュース性がないのか、はたまた大きく取り上げると何か不都合なことがあるのか…いずれにせよ、福島県民にとっては、どうでもいい話です。原発事故のどさくさまぎれに来県したから歓迎も何もあったものではないという感じです。ありがたみも何もあったものではありません。先方にとっては「被災地視察」のPRになったかもしれませんけどね。【中古】afb【古本】日中韓表の顔裏の顔 これでいいのか?/金文学
2011.05.21
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ここ数日、地元を騒がせているのが「学校のプールは利用できるのか?」ということ。またしても文部科学省の基準が存在しないとのことで、先行き不透明な状態が続いています。私自身は、校庭での屋外活動ができないんだったら当然プールも駄目だろうと悲観的に考えていたのですが、今日、それを裏付けるような情報を、福島市内に住む知人から妻を通じて間接的に耳にしました。なんでも、その方のお子さんが通う小学校では、プールの放射線量は校庭のそれより高いとのこと。考えてみればプールの水は昨秋以降入れ替えもなく溜まりっぱなしだから一度放射性物質が入ってしまったら逃げ場はないし、しかも雨が降ればこれに含まれる放射性物質も増加する訳で… 校庭より高い数値になるのは頷けますね。更に知人の話を続けると、例年だと今ぐらいの時期に高学年の児童をプール掃除に動員するのですが、放射線量が高いのでそれもままならない。まさか先生だけで掃除するとか外部から清掃業者を呼ぶということも考えにくいので、プールの授業自体もないのではないか? ということなんだそうです。私は単純に「プール=屋外活動の一環」と考えていたのですが、「掃除ができないからプールの授業も不可能」という事態になっていたとは… それにしても、汚染されたプールの水は、どこへ運んで処理すればいいのでしょう? 栓を抜けば水自体は下水処理場へと行きつく訳ですが、そうなると5月3日の日記で紹介した問題の原因となりかねませんし、プールの底にたまったヘドロにも当然放射性物質が含まれているでしょう。無間地獄ですね。まったく…プール掃除 ヴァイスシュヴァルツ とある禁書目録&超電磁砲 ws-675
2011.05.18
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子供にせがまれて、Google Earthで自宅付近の写真を見せていました。福島県内におけるgoogle Earthの写真は以前は非常に粗い縮尺のものだったのですが、今は非常にきめ細かいものに差し替えられてますね。縮尺を最大にして自宅や通っている小学校の写真を見せたら、子供達は大喜びしていました。ここで調子づいた私、今度は妻の実家の写真を見せようと画面を移動させます。すると…屋根にブルーシートが乗っているではないですか!恐らく3月15日に雨が降った際に乗せたものと推察しますが、まさか震災後の写真が出ているなんて思ってもみませんでした。ここで、東日本大震災で被害を受けた地域の様子が気になって、太平洋沿岸の街の写真を見まくってしまう私。いずれも戦争でもあったのかと勘違いしてしまうほどの惨状で、あらためて、震災のすさまじさを目の当たりにしました。また、福島第一原発の写真を見ると、1、3、4号機の建屋が激しく損傷しているのもわかります。これ、全世界の人が見れるんですよね。世界に恥をさらすみたいで、ものすごく嫌な気分になりますね(苦笑)【送料無料】Google Earthの歩き方
2011.05.17
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昨日、朝起きる時と夜寝る時に、地震がありました。いずれも自宅付近の震度は2だったように記憶しています。そして今日も、今朝9時前と夜9時過ぎに地震。これらの地震も自宅付近の震度は2にとどまったのですが、2日連続して自宅付近で複数回の地震となると、またまた余震活動が活発化しているのだろうかと、若干の不安を感じます。ただでさえ、福島第一原発のメルトダウンが判明しておっかなびっくりしながら生活しているのに、これ以上不安要素を増やさないで欲しいと天に祈る気持ちです。もっとも、ほぼ毎日複数回の地震に見舞われており我が家より原発に近い位置にあるいわき市の方々のことを考えると、あまり泣き言を言うべきではないとも思います。もっと強くならなくちゃ!人災の原発はとっとと収束してもらう(苦笑)としても、天災の地震の方は何ともしようがありません。東日本大震災改め東日本大規模群発地震になってしまったら、本当にシャレにならないのですが…【送料無料】モノクロ名刺-縦型 お名前と所属部署を右上に配置したデザイン (タイプ10) 片面 500枚 【名刺作成代金=東北関東大震災義援金】
2011.05.15
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今度は、内田裕也どころじゃない話。ここ数日、神奈川県で収穫された新茶の生葉から、国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出され出荷停止になったとのニュースが報じられています。新茶の芽吹きは原発事故から1ヶ月後の4月のことだし、これまで神奈川県産の葉物野菜からは出荷停止になるような放射性物質の検出はなかっただけに、少し驚いています。理由を調べてみると、茶葉は元々セシウムと化学的性質が似ているカリウムを取り込みやすい性質があるとのことで、カリウムと間違えてセシウムを取り込んでしまったため検出に至ったらしいようです。つまり、飛散している放射性物質が表面につく外部被曝ではなく、内部被曝だったという訳ですか…となると、今後はカリウムを多く含む農産物が要注意という訳か。ここで気になったのが、福島県中通り北部の広い範囲で栽培されている桃。これもまた、カリウムを多く含む食品であり、しかも福島県内の放射性物質の飛散量が神奈川県の比ではないこと、放射性セシウムの半減期が30年であり果樹園では土壌の入れ替えもままならない状況があることを考えると、長期にわたって相当まずい事態が起こり得るのではないかと今から危惧する次第なのであります。頼むから私の危惧が杞憂であって欲しいと願うのですが…ポストカード5枚で【送料無料】桃花と吾妻の雪うさぎ1 福島
2011.05.13
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4月下旬以降の福島県内における福島第一原発事故関連のニュースのメインは、学校の校庭の放射線量の問題だったりします。昨日は避難区域の住民の一時帰宅が実施されたのでそちらのニュースがメインになりましたが、肝心の原発事故そのもののニュースは徐々にフェイドアウトしている感すらあります。考えてみると、校庭の放射線量の問題で俎上にのぼっている学校は、福島市と郡山市に集中しているんですよね。全国ニュースで首都圏のニュースが重点的に取り上げられがちなのと同様に、福島県内のニュースでも、県庁所在地の福島市や経済県都の郡山市のニュースの方に重きが置かれがちな傾向は、間違いなくあります。民放局によって福島市寄り、郡山市寄りといった違いが見られますが、県内他地域から見れば五十歩百歩でしょう。もっとも、校庭の放射線量に関しては、文部科学省が示した年間20ミリシーベルトという基準値の妥当性も含めて、問題視されるべきニュースだと思います。福島市や郡山市の方も、いろいろと気苦労が多いことと察します。しかし、避難を余儀なくされた相双の方々からすれば福島市や郡山市の住民が受けている被害の程度は軽いと言わざるを得ないし、事態の打開に向けて頑張っている市民や行政には最大限の敬意を払いますが、報道の度合いはもう少し抑えられてもいいのではないかと思います。この問題が過度に大きく報じられてしまうことにより、肝心要の大元である福島第一原発事故の進捗状況や相双の方々の動向がなおざりになることを恐れ、一連の震災報道で我々被災者の多くが首都圏の住民に対して「結局御身大事なのかい!」と憤りを感じたのと同様の視線が福島市や郡山市に対して多くの県民から注がれてしまうのではないかと危惧する次第です。ところで、この問題ですが、もしも校庭の表層に芝生が植えられていたならばどのように対応されていたのかが、少し気になっています。というのも、こちらのブログを見ると、土の校庭と芝生の校庭とでは、芝に放射性物質が吸着するのか、明らかに後者の方が表層除去後の効果が大きいのです。しかも、刈り取った後の芝生を発酵、乾燥させることによって、廃棄物の処理量を減らすこともできます。校庭の芝生化は、美観の創出、子供達の怪我の防止、砂塵の抑制といった観点から、2000年代に入ってから全国の学校で徐々に進められてきた傾向があるとのことです。福島県全体を俯瞰してみると、うつくしまグリーンプロジェクトという施策が行われているものの、まだまだ全県的なムーブメントにはなっていないのが現実のようです。福島市や郡山市に関してもまた然り。特に福島市においては校舎の耐震補強についても県内他地域の後塵を拝するなど快適な教育環境の創出を怠ってきた傾向があるだけに、一刻も早く心を入れ替えて欲しいと思います。今のままでは、少なくとも県のリーダーシップをとるに相応しい都市ではないですね。※この文章の執筆にあたっては、こちらのブログも、参考に致しました。【送料無料】校庭芝生化のすすめ
2011.05.11
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昨日の飯坂足湯めぐりの帰途、伊達のヨークベニマルに来ていた献血車にて、献血をしてきました。東日本大震災直後に献血された方が多かったのですがその分のストックがなくなりかかっているとのことで、今献血するのも被災者にとっては有効なボランティアになるのだそうです。だもんで、喜んで400ml献血に協力したのですが、献血後にふと気になることが。原発事故によって放射性物質が巻き散らかされた福島県に住む人の血は、果たして輸血に相応しいものなのだろうか? と。そこで日本赤十字社のサイトにあたってみると、悪性腫瘍や白血病などの血液疾患に罹患した場合は献血できませんが、その症状が見られず大量の放射線を浴びただけというパターンでは、献血を断られる理由にはなっていないようです。また、海外渡航歴においても、チェルノブイリ原発事故の影響が及ぶと思われるウクライナやロシアへの渡航(居住)歴は、献血を断られる理由にはなっていません。むしろマラリアやヤコブ病に対して細心の注意が払われているようですね。良かった良かった。これで一安心。3ヶ月経てば胸を張って再度献血ができますね(笑)「献血は愛のアクション!」【JollyBoutique】ジョリーブティックの【JBGirl】ジェービーガール×「LOVE in Action」のコラボ商品が登場。みんなでHAPPYな気分になろうという思いを込めて元気に明るいキーリング!HAPPYチャーム《028》
2011.05.08
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今日5月5日は、子供の日。ところが、我が家の周辺における今年の子供の日には、例年とは大きな違いが一つあります。鯉のぼりを掲げる家が、殆どないのです。やはり、東日本大震災の影響が大きいのでしょうか。鯉のぼりを仕舞っていた物置なり納屋なりの内部が震災でグチャグチャになってしまい出すに出せなかったとか、震災で多くの子供の命が奪われたことを考慮し自粛したとか、あるいは福島第一原発の事故で放射性物質が飛散している折鯉のぼりを外へ出すのを渋ったとか… 理由はいろいろあるでしょうけど、非常に淋しい端午の節句でした。地元だけあってやはり福島第一原発の話になってしまうのですが、外に出ないのは鯉のぼりだけではありません。洗濯物もまた、外に干している家庭が非常に少ないのです。各家庭の物干し台をまじまじと覗くのはあらぬ誤解を招きそうなので特にしていないのですが(苦笑)ざっと見た感じ、屋外に洗濯物を干している家庭は原発事故前に比べてだいぶ減ったように思います。余談ですが、我が家もまた、部屋干し派だったりします。県外の都市へと繋がる電車や高速バスが普通に走っていることを考えると我が家の周辺ってそんなに危険な地域なんだろうか? という疑問はなくもないのですが、JR東日本やNEXCO東日本や各バス会社がどのような安全基準のもとに各種交通インフラを稼働させているのかも正直わからないし、結局のところ、放射線や放射性物質への対策は各人の自覚と責任に委ねられる部分が大きいように思います。子供の日に限らず、例年とは違った風景が、今年は至る所で見られることになるのでしょう。キューブシリーズ【端午】京都の手作り人形。心をこめておつくりしてます。【五月人形】【鯉のぼり】【すくえあ】【京都の手作り人形】“すくえあ くねくね鯉のぼり根付け(赤・青)”【メール便可】10P16mar10eagles
2011.05.05
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数日前のことになりますが、郡山市の下水処理場・県中浄化センターの汚泥から、高濃度の放射性セシウムが検出されたというニュースがありました。しかも、その汚泥は佐野市にある住友大阪セメント栃木工場へと原料として出荷されてしまっていたため、あおりを食って同工場も操業停止という事態に追い込まれてしまいました。あらためて、福島第一原発事故の影響の大きさを、思い知らされます。で、ここで気になったのですが、汚泥から放射性物質が検出されたということは、処理後の下水にもまた、多量の放射性物質が含まれてしまっているのではないでしょうか? いや、間違いなく含まれているでしょう。福島県中通りにおいては、処理後の下水はすべて阿武隈川へと流れます。そしてこの水は、阿武隈川の下流域において、農業用水として使われてもいます。東根堰や角田上水がその代表例と言えるでしょう。また余談ですが、摺上川上流の茂庭にダムができるまでは、福島市の上水道の取水源が阿武隈川に設けられてもいました。確か、福島県の放射線アドバイザーとして県内を飛び回っている長崎大学大学院の山下俊一教授は「今現在観測されている放射性物質の大半は地上に降り注いでいるから、雨が降れば洗い流されて放射線量も減少する」と主張していたと思うのですが、阿武隈川の上流域で洗い流された放射性物質を含む水が下流域で農業用水として再利用され土壌や農作物に再度の悪影響を及ぼすという事態になりはしないだろうかと、心配になります。管轄が農水省なのか文部科学省なのか国土交通省なのか環境省なのかはわかりませんが、阿武隈川の水に含まれる放射性物質の量についても、計測する必要があるのではないでしょうか? 特に下流域において農業用水に使えるのかどうかは多くの農家の方が知りたい情報だと思うし、福島、宮城両県ももう少し関心を持ってもらいたいところです。追記調べてみたら、阿武隈川の水は、角田市、岩沼市、亘理町で上水道の取水源になっているとか。あの辺の上水道は七ヶ宿ダムから来ているものと思っていたのですが、これじゃぁ、ある意味福島県内より危険度が高いじゃないですか。きちんと調査した方がいいと思いますが…送料無料農業用水に、非常用にカクダイ 手押しポンプ 台つき 734-018-35 【smtb-ms】
2011.05.03
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4月12日の記事でも書いたが、私の勤務先では、震災を機にパートやアルバイトを大量リストラしている。おかげで、現場の人数も激減。一人二役どころか三役、四役をこなさなければ、仕事が回らない。私もまた、連日複数のセクションに跨っての作業が当たり前になってしまった。リストラの波はパートやアルバイトだけにとどまらず、清掃や社員食堂の業務を委託していた業者にも及んでいる。我々残された社員は、今、当番制でトイレ掃除も行っている。社員食堂は、調理師免許を持つ社員が専任スタッフとして腕をふるうことになった。今まで自分だけが忙しいと勘違いしてしまうことも少なくなかったけれど、我々はいろんな人に支えられていたことを、今更ながら実感している。変な話だが、周囲の人のありがたみを身をもって知ったという点では、震災に遭って却って良かったとも思う。震災がなければ、傲慢なまま老境を迎えていた可能性が高かっただろうし。こんなふうに考えていくと、逆にリストラされた仲間達の今後の行く末が心配になる。新しい仕事を探すといっても、今の東北地方で建設、土木あるいは福祉業界以外の職にありつくことは、例えパートやアルバイトであっても困難なように思う。ましてや今回リストラされた仲間達は40代や50代が大半だから、さらに狭き門となるに違いない。気の長い話かもしれないが、我々残された社員がもっと頑張れば、仲間達を呼び戻すことができるかもしれないとも思う。こんなことで落ち込んではいられない。明るい明日を信じて、前に進むしかないと痛感する。
2011.04.26
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午前中に銀行で所用を済ませて帰宅した直後、雨が降ってきた。時間が経つごとに雨は激しくなる一方。そのうち雷まで鳴り出した。ピカピカゴロゴロ。雷鳴が地震の音と似ているような気がする。久々に間近で聞く雷鳴に、少々ビクビクしながら過ごす。3月11日の震災以降、電車の通過音やら屋内で子供が騒ぐ音やらに敏感になっているだけに、成人してから初めて、雷鳴を「怖い」と思った。「地震雷火事親父」とはよく言ったものだ。正午前に雷は止み、晴れ間がのぞいて来た。これで一安心… かと思いきや、今度は風が強まってきた。近所に生えている樹木が揺れ、自宅の窓ガラスが音を立てる。揺れこそ感じないが、ある種の「臨場感」はある。今日の私は、子供達の通う学校の下校時の通学路で、見守り隊の担当となっていた。2時過ぎに下校するということなので、少々厚着して外へ出る。震災によって破損した瓦屋根にかぶせられていたブルーシートが、強風に揺られている。今にも吹き飛ばされそうな家もある。その補修のために屋根に登って作業している人もいる。改めて見ると、震災から1ヶ月半も経つのに本格的な修理に至らない家が多いことに驚かされる。破損家屋があまりにも多いために修理業者が多忙を極めていることや福島県内には瓦を製造するメーカーがなく瓦自体が不足していることが、主な原因だという。そんな寒々しい風景をよそに、住宅地の外れに広がる桃畑では、その名の通り桃色の花が咲き誇っていた。今日はこんな天候だけど春は着実に訪れているのだと実感するが、福島第一原発の事故により飛散した放射性物質の影響が果たしてどこまで及んでいるのか、栽培してみないとわからないというのが実情のようだ。それでも出荷できる可能性があるのならば、農作業は継続しなければならない。摘花に精を出す農家の方を、何人か見かけた。
2011.04.25
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行程記については別館をご覧ください。手抜きで申し訳ありませんが、ご了承願います。
2011.04.25
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福島第一原発の事故以降、にわかに注目を浴びるようになった人物の一人に、前・福島県知事の佐藤栄佐久氏がいる。知事在任中の2002年に福島第一原発におけるプルサーマル発電計画受け入れの白紙撤回を表明したこと、そしてその4年後の2006年に収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕されたもののその後の裁判で「収賄額0円」という不可解なな有罪宣告を受けたことも相俟って、「国家権力に盾突いた結果陰謀により抹殺された知事」というイメージがすっかり定着してしまった感がある。ネットではいろんな噂が飛び交っているが、彼の過去の言動を報じる国内メディアは殆どなく、むしろ海外メディアから取材攻勢を受ける機会が多いらしい。そして、福島県内を地盤とするマスコミも、どういう訳か彼の話題を一切報じない不思議…それはともかく、佐藤栄佐久氏の現役知事時代を知る立場から彼に関する個人的な印象を一言で言うと「ワンマン知事」。1988年の初当選以来5期途中足掛け18年にかけて県政を引っ張ってきた実績を後ろ盾に単なる「県知事」ではなく「県王」の雰囲気が濃厚に漂っていた。当然、自民党も民主党も支持するオール与党体制だ。先に述べたプルサーマル発電計画白紙撤回の件も、発言自体は非常に勇気あるものだが、この時点で既に4選を成し遂げていたこともあり「自分の発言なら誰でも聞き従う」という良くも悪くも多少の思い上がりがあったからこそ、口にできたのではなかろうか。プルサーマルの危険性云々は後付けで、それよりはむしろ「自分の言うことを聞かないから」反旗を翻したのではないかと推察する。逆に、当選回数2回と経験が浅い現知事の佐藤雄平氏は、今回の原発事故ではオロオロするばかり。多選の首長は行政組織の停滞や腐敗を招くというステレオタイプの批判がよくなされる~佐藤栄佐久氏の逮捕劇に際してもこのレトリックが多用された~が、強者に対して物申せるリーダーを育成するためには、多選という手段もアリなのだろうか。イマイチ自信を持って言い切れないけれど。
2011.04.24
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昨日に引き続き、今日もまた、未明に余震があった。浜通りの広野町で震度5弱を記録。また眠れぬ夜になってしまった。震災から一月半が経過しようとしているのに、まだ余震に悩み怯える日々が続いている。切れ者ない不安、そして恐怖…そう言えば、震災当日以降「震災○○日目」で統一している当ブログの記事タイトルも、かれこれ44日目。こちらもまた、切れ目なく続いている。震災前日、3月10日の記事を振り返ってみると、坂上二郎の訃報ネタを書いていた。以降、記事の内容の大半は震災と原発事故のオンパレード… 文体を「ですます」調から「だ、である」調に変えてしまったこともあり、読んでいる方も嫌になる内容ばかり続けているんじゃないかと思う。もし震災がなかったならば、今日は田中好子の訃報ネタを書いていただろうか。彼女が所属していたキャンディーズが解散したのは私が6歳の時のことだが、解散コンサートが小学校の入学式の二日前に開催されたこともあり、その様子はある程度記憶に残っている。「普通の女の子に戻りたい!」という名ゼリフもまた、「二十歳過ぎているのにどうして『女の子』なんだろう?」と幼心に疑問に思ったものだ。この場を借りて、心よりご冥福を申し上げる次第。私もまた、キャンディーズのように「普通の生活に戻りたい!」と叫びたいし、「震災○○日目」というブログの記事タイトルもいい加減終わりにしたい。しかし、切れ目が見つからないのだから致し方ない。誰にでも一目でわかる、スッキリとした切れ目が…
2011.04.23
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昨晩は、10時過ぎに就寝した。寝床に入った直後に、揺れを感じた。軽い揺れだったが長時間続いたので気になって枕元のテレビをつけると、千葉県旭市で震度5弱を記録したとのこと。まだまだ余震は収まらないのだなと、少し憂鬱になる。地震情報をひとしきり観てから、11時過ぎに仕切り直しの就寝。しばしウトウトと安眠を貪るが…日付が変わって午前1時すぎ、今度は強い揺れ。再びテレビをつけると、福島県沖を震源とする地震で最大震度は4とのこと。先ほどの地震より規模は小さかったが、震源から近いために揺れ方も大きかったようだ。また地震が来ないか身構えてしまう私。こうなるともう眠れない。東北本線が全線で運転を再開し、昼夜を問わず貨物列車が通っている。通過音がする度に「また来たか?」と思ってしまう。そんなこんなで、寝不足のまま、夜明けを迎えてしまった。余震の発生状況は、全体的には減少傾向にあるようだ。が、一度植え付けられてしまった不安は、そう簡単には払拭されない。一晩を通じて安眠できる日は、いつ訪れるのだろうか?
2011.04.22
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こちらの記事に、福島県民が受けた「人への風評被害」の一覧が、掲載されていた。大変悲しく、残念な話だと思う。これ以上の被害が起こらないことを願いたいのだが、被害の一覧を見ると、妙なことに気づく。大半が、関東地方の事例ではないか! これはいったい、どういうことだろう?県外避難先として最も多くの福島県民が避難しているのは新潟県のはずだし(参考)、それ以上に福島県内への避難者も未だ多数にのぼるのだが、新潟県や福島県で人への風評被害が発生した事例を未だかつて耳にした試しはない。巷間言われているように人への風評被害を誘発する要因が「放射線への知識の欠如あるいは過剰反応」であるのならば、避難者数に比例した被害状況になっていなければならないはずなのに…だから、記事中に見られる事例は、まだまだ氷山の一角という見方は、できなくないだろう。ところが、もう一つの可能性というか懸念も、実は考えられる。仮に、各地をくまなく取材しても関東以外で人への風評被害は殆ど見られませんでした、という結果が得られたとするならば、その要因は放射線への知識云々ではなく、関東の人間の気質の問題という話になってしまう。彼らのうちほんの一部の人間から時折仄見える排他的で田舎や地方を蔑視しがちな態度が、ともすれば人への風評被害をも招いてはいないだろうかとの疑念が湧きかねない事態ではなかろうか。福島県からの避難者を多数受け入れて下さっている関東の方には心より感謝したいのだが、人への風評被害でニュースになるのも関東の話題ばかりというのでは、かの地に対する福島県民の誤解を増幅しかねないようにも思う。マスコミや政府には、人への風評被害の実態を全国くまなくしっかり調査して、その分布状況や真因を明らかにして欲しいと、切に願う。問題の撲滅のためにも。
2011.04.21
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今日、菅首相が、福島県庁と田村市内の避難所を来訪した。避難者から掴みかからんぐらいの勢いで詰問に遭いタジタジになる首相。過去の災害では決して見られなかった光景だと思う。つまりそれだけ、原発事故に対する避難者のフラストレーションが爆発寸前だという証左だろう。ここでちょっとした懸念があったのだが、首相に限らず、政府の要人や東京電力の幹部が避難所を訪れた際に、まさか避難者に襲撃されるという惨劇を招かないだろうか。そのような事態だけは避けなければならない。避難者の気持ちは痛いほどわかるが、彼らを犯罪者にしてはならない。そのためにも、首相をはじめ政府や東京電力には事故収束に向けて全力で取り組んで欲しいし、またこれらと被災者とを仲立ちする存在として、県や市町村には今一度の踏ん張りを望む次第である。原発事故が長期化したせいもあるが、福島県民の言動は、日を追うごとに常軌を逸しているように感じる。怒りを誰かにぶつけなければやっていられないという雰囲気だ。この感情をいかにして氷解させるかが今後の政策的課題になりそうな気配だが、今日はその点で、喜ばしいニュースもあった。放射線量は落ち着いているのに風評被害の影響で観光客数が大幅に落ち込んでいる会津若松市を、お隣栃木県の那須町立黒田原中学校の生徒が遠足で訪れたという出来事だ。なんでも、生徒自身が中心となって、この遠足を企画したとのこと。大人のお仕着せではなく生徒が自主的に会津若松を選んでくれたのが、何より嬉しい。上手く言えないけれど、原発事故や風評被害でダメージを受けている福島県民が欲しているメッセージは、「助けなければならない」という義務的な使命感よりも、「助けたい」という相手を思いやる純粋な気持ちなのだろうと思う。恐らく政府や東京電力は「助けなければならない」という雰囲気が濃厚に漂っているからこそ、避難者をはじめとした県民の支持をなかなか得られないのではなかろうか。もっと問題は、県知事だ。彼からは「助けなければならない」という雰囲気すら伺えず、ひたすら「助けてくれ~」と自らSOSを発している始末。そんな人物を、誰が頼りにするのだろうか?
2011.04.21
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昨日、今日と地元紙をチェックしてみると、読者の投書欄において、佐藤福島県知事の対応、特に東京電力の清水社長との面会を拒否した件に関して、いろいろと意見が出ているのが目立つ。「拍手を送りたい」という賛成派から、「会って県民の代表として意見を述べて欲しかった」という反対派まで、同じ福島県民でも様々な意見があることがわかる。ちなみに、私自身は「会って意見を…」の意見に一票。理由はどうあれ、先方からわざわざ訪れてきたのだから少なくとも会わない、居留守を使って接触を避けたというのは礼を失した態度だし、清水社長に意見しなかったのも、そもそも佐藤知事には語るべき言葉がない、もっと辛辣な表現をするならば知事としての能力が欠けているのではないか、とも邪推してしまう。今回の震災における県知事をはじめとした県の動きに対しては、正直言って呆れている。個々の職員は一所懸命に動いているとは思うのだが、トップの決断力が著しく劣るのは否めない。いつも二言目には「政府が、東電が…」と感情論的に言い放つだけだし、自ら動こうという意志が殆ど感じられないと感じるのは私だけだろうか。仮に原発事故がなかったとしても、この知事のもとでまともな復興が行われるようにも思えない。ここでふと思ったのだが、内閣において定期的に支持率調査が行われているのと同様に、都道府県知事にも同様の調査は行われないのだろうか。いや、過去にそういったデータは取っていなくはない(参考)のだが、あまりにも不定期過ぎなのである。当選したらあとは4年間安泰というぬるま湯ムードではなく、定期的な支持率調査のもと常に県民の厳しい視線に晒される緊張感が、もっと欲しいところだと痛感する。そんなことを言うと、県庁と密接過ぎる関係にある地元マスコミが反対するだろうし、総理大臣と県知事との選ばれ方の違いを盾に反対の論陣を張る知識人もいるだろう。が、県知事と同じく住民の手で直接選ばれたアメリカの大統領だって、定期的な支持率調査に晒されていることを考えると、県知事に対する支持率調査は、今後の県運営に対してプラスになる部分が多いと思うのだ。是非とも、検討してもらいたい。
2011.04.21
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昨晩のテレビでのニュースや今朝の朝刊で既にご存知の方も多いと思うが、文部科学省が、学校生活で注意すべき放射線量の暫定基準を設けた。これによると、毎時3.8マイクロシーベルト以上の放射線量を測定した学校では1時間以上の屋外活動を制限するよう求めるとのこと。内容については特段含むところはないが、私が非常に気になったのは、特に新聞において、全国紙と地方紙とにおける報じられ方が著しく異なっていたことであった。私が今朝目を通したのは、全国紙の読売新聞、東北地方のブロック紙である河北新報、そして福島県の地元紙である福島民報、福島民友の4紙なのだが、読売新聞では文部科学省の定めた基準が簡単に紹介されていただけなのに対し、河北新報、福島民報、福島民友では基準に伴い屋外活動の制限対象となる学校についても「福島、郡山、伊達3市の小学校6校、中学校4校、幼稚園・保育園が計3園」とより踏み込んだ記述が見られた。ただし、河北新報では具体的な学校名についての記述まではなかったのに対し、福島民報、福島民友では、制限対象の学校名をトップ記事でデカデカと列挙していた。しかも、制限対象にはならなかったもののギリギリで基準未満に収まった学校名まで、相当数書かれている。もう一度、整理してみると、全国紙…基準のみ紹介ブロック紙…基準に加え、これの対象となる学校がある旨を紹介地元紙…基準に加え、これの対象となる学校やギリギリで対象を免れた学校名を公表という対応になる。この違いを目の当たりにし、各地域における福島第一原発問題への関心度の温度差を感じてしまうのだが、その一方で、学校名までを掲載した地元紙の手法については、いささか情報公開をし過ぎなのではないかとの感がなくもない。実は、公表された学校名をつぶさに見ていくと、不思議なことがわかる。同一地域内でも、対象となったA校のすぐ近くにあるB校が対象外だったりと、決して均質ではなくまだら状に分布しているのだ。とすると、対象校の生徒が習い事その他で非対象校の生徒と接する機会がある際に、いわれなき誹謗中傷を受けないかというのが、非常に気になる。放射線への恐怖感からか福島県民への差別的扱いがあるとの話をしばしば耳にするし地元福島県選出の玄葉国家戦略相も是正指導を要請していたが、学校名の公表に伴い同じ福島県民、同じ市民の間で、本来「学校の敷地内」の問題であるはずなのに「学区の問題」にすり替わった挙句、不毛な地域間対立を煽る危険性があるようにも思う。そういう芽はできる限り摘んでおかねばならないのに、自らタネを撒くような行為をしている福島民報、福島民友両紙の見識を、強く疑ってしまう。文部科学省も表面上の数字だけで判断せず、毎時3.8マイクロシーベルトを超えた学校の隣接校までを対象とするとかできなかったのであろうか。また、こういったきめ細かい配慮ができるはずの県教委や各市教委もまた、同省に物申せなかったのだろうか。それともう一つ、同じく地元紙上で公表されている対象を免れた学校の中には、本当に基準ギリギリの毎時3.7マイクロシーベルトを記録した所が、8ヶ所もある。対象の基礎となる調査は今月14日に文部科学省が行ったというが、0.1は3.8の3%弱に過ぎないから、これらの学校では翌日に測り直せばひょっとしたら毎時3.8マイクロシーベルトを超えてしまうかもしれない。一発勝負ではなく3回測っての最大値にするとか、もう少し数字の信憑性を高めることに力を注いで欲しかった。今のままでは、生徒も保護者も人体実験をさせられるような不安な気持ちではないだろうか。ところで、今日の朝刊では、原発絡みの記事でもう一つ、全国紙とその他の新聞との大きな違いを発見した。読売新聞で報じられていたのだが、原発の定期検査の際に核燃料を原子炉に装填した時点で課税される仕組みの核燃料税という地方税があるのだそうで、何事もなければ今年度福島県では44億7,000万円の税収が見込まれていたのに原発事故のせいでこれがなんとゼロになるとのこと。「原発事故の対応で出費がかさみ、核燃料税が入らなければダブルパンチだ」との県担当者の苦慮の弁まで掲載されていた。ところが、河北新報、福島民報、福島民友の3紙は、揃ってこの話題をスルー。どうしてなのだろうか? 掲載をためらうような、やましい背景でもあるのだろうか?追記21日の福島民友には、核燃料税の記事が出ていました。ただし、共同通信社から配信されたものの丸移しのようです
2011.04.20
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