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僕の田舎の町の人達は、家に桜を植えるのを好まなかったのか、僕が見落としていただけなのか、学校と寺くらいしか桜の咲いていた記憶がない。こんもりとした鎮守の森には、神仏習合の名残なのか、小さな寺もあった。その寺の桜は見事で、遠くからも眺められた。けれど、神社の境内の中には目立つような桜の木はなかった気がする。御神木というのか、太い杉の木ばかりが鬱蒼と茂っていた。参道の両脇には木が植えられていたが、紅葉した木々しか思い出せない。境内は広くて多くの神を祀るためなのだろう、大小幾つもの祠が建てられていた。周りを樹木に囲まれて、狭い石段を登らなければいけない祠もあった。小学校を卒業した年の春、友達と遊んでいて、その祠の裏手に桜が咲いているのを見つけた。見捨てられたような古い祠の裏に回ると、その屋根に差し掛かるように枝が伸びていて、地面には一面に桜の花が散っていた。森深く訪ふ人のなけれども鎮守の森に桜花咲く空耳に海鳴りを聞く夜更けにも鎮守の桜はひっそりと咲く
2007/03/31
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歴史も文化も文明も、科学も思想も哲学も、すべては過去からの連なり。遺伝子は変異を繰り返しながらも、途切れることなく繋がっている。生き死にの連続のなかで常に未来に向かって放たれ続けているもの。生命の不思議。千年くらいでは人は変わらない。流木を泳がす波濤泣き声が繰り返し去る人の千年
2007/03/24
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冬眠する動物は、冬眠しないと寿命が短くなると聞いた。長い間眠っているほうが、彼らにとっては良い事なのだ。生命を保つために冬眠しているとき、彼らは夢を見ているのだろうか。熊なんかは見ていそうだが、蛙などは夢を見ているのだろうか。もし見ているとすると、蛙の見る悪夢はどんなものだろう。やはり、蛇に睨まれた夢だろうか。それなら、良い夢は何だろう。埋もれるほど、周りにたくさんの餌がある夢だろうか、それとも、嬉しい出会いの夢だろうか。花冷えに睡眠不足の蛙らが再び見ている夢の断片
2007/03/17
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秋の終わりからこの間まで、放っておかれていた近所の菜園が、きれいにされて区画のロープが張り巡らされていた。なんとなく眺めていただけなのだけれど、それまでは、表面の土が乾いていて白っぽく雑然とした印象だった。それが、鍬を入れられて、黒々とした土が盛り上がった畑に整えられていた。周りのくすんだような景色の中で、掘り起こされた土の濃い黒の広がるその一画だけが眼に鮮やかだった。今年はじめて本当の春の風景を見た気がする。朝まだき区画されたる菜園の色濃き土に春現れる
2007/03/10
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子供の頃は椎茸が苦手だった。鍋物や茶碗蒸しに入っているのはそれなりに食べられたけれど、ちらし寿司に入っているのだけは、一応食べはしたが、できるものなら避けたかった。今思うと寿司飯と一緒に食べればよかったのだが、嫌だと思う気持ちから、椎茸をよけて、それだけを食べるのだから苦手意識がいっそう強まったのだと思う。彩りの良いちらし寿司の中で黒光りしているのは、虫のようにも見え、食べると甘味の中に独特の癖があるのが、食べていてなんともいえず気持ち悪かった。それが、今では大好きなのがかえって不思議だ。特に鍋物に入っている椎茸の、出汁を染み込んで弾力があるのは肉の感触で、一人で鍋をするときは、大抵、肉は入れずに椎茸だけですましている。椎茸を噛む歯ごたえが肉に似て獣を食らうごとく呑み込む
2007/03/03
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