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人は運命というものを自覚したときから、何とかそれを処理しようとして、神とか出会いとか仕方ないとか運とか不運とか、そして他力とかを発明してきた。しかし、どれも上手くいっているとは言い難いように見える。一番の成功者は、屁理屈・小理屈のコンビで、こいつらが登場すると、たいていのまじめさは逃げだす以外に手は無い。手は無いのに、大真面目にこいつらにかかわっているとオカシクナル。オカシクナッテ、やっと開放される。そこはメルヘンの世界で、これを言い表すと逃避ということになる。逃避もできずに迷っていると、えせ宗教に金を巻き上げられて、気が付くと支援弁護士に訴訟の手続きを頼んでいる。ということで上手くは行っていないのだが、一番の希望の星は、私にとっては、他力です。以前、このページのトップに「他力本願」という看板を上げていた。今はテンプレートが変わっているのでそれは無い。もちろん仏教用語ではあるけど、この場合、仏教用語からきた言葉ということで新たな意味を付け加えたい。何しろ、私は道家ですから。他力というのは、一つには、祈りの力ですね。信仰とか。自分には、もちろん信仰は無い。この祈りというのは、人間が、自分の力の限界を知ったときに用いる道具の一つです。しかし、それを勘違いして、人間が、何かの信仰の道具にされている場合が往々にしてあるのです。戦前戦中の日本がそれで、近くで言えば、自爆テロです。彼らは祈りの本当の意味を知らない。祈りとは、他力にゆだねることです。それを人間が常識や通常の判断力を麻痺させ、一部の人間の言うままに動くことをよしとするように操作される。戦争中の日本はまさにそれです。カルトです。
2005年08月26日
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明日は「チキンラーメン」誕生記念日だそうである。開発が始まったのが、昭和三十年というから、私が生まれた年である。その年の夏に私が生まれで、冬にチキンラーメンの開発が始まったのである。もちろん何の因果関係もありません。チキンラーメンは、当時事業に失敗した安藤百福氏が、家族の協力を得ながら、一人で作り上げたものである。安藤氏も偉いが、それを支えた家族も偉い。三年間どうやって生活していたんでしょうか。そのころ私は、すくすくと成長していたのでありました。しかし、実は、一歩間違えると、大変なことになっていたことも事実。森永の粉ミルクをいっぱい飲んで育っていたのだが、幸いヒ素入りのミルクが作られた工場のものではなかったので、助かったという次第。森永はあれだけの事件(森永ヒ素ミルク中毒事件)を起こしながら、その後トップメーカーの一つとして存続できているのは、高度成長を目指していた国策によるものではなかろうか。そして、これまた何の因果関係もないが、昭和三十年(1955)アインシュタインが亡くなり、その年、私が生まれたのである。因果関係はもちろん無いが。こうして、昭和三十三年、ついに、「ラーメンをうまそうに食べるみんなの顔が見たい」という安藤氏の執念の結実「チキンラーメン」は世に出たのでありました。私も、もうちょっとタバコ屋の仕事、気入れてやります。
2005年08月24日
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「ターミネーター」という、有名な作品がある。シュワちゃんが出ているあれですね。自分は第一作しか見ていないし、それもテレビで見ただけなのだが、最も印象に残るシーンは、ターミネーターがその場の状況に応じてどういう言葉を発するか、それを「候補リスト」の中から、選択するという場面です。それをはじめ見て、こんなやり方で言葉を決めていたら、莫大な量のリストが必要になって、とても人間の言語生活には近づけない、というものだった。しかし、しばらくしてその考えは変わった。「我々の道具が金槌だけだったら、総ての問題は釘に見えることだろう」旧ソ連時代のある心理学者が言った言葉だ。我々の思考は、実際限られてしまう。目前の問題、相手の言った言葉、そしてそこに込められた意味、それらを我々は自分というフィルターを通してしか見ることはない。己の限界を正義として、言い訳や理由付けを必死で考えている。自分の少ない「道具」、すなわちリストにある言葉を何とか当てはめんがため、お弱いノー味噌で必死に理由を探している。理由を求めて、右往左往、誰かに同意してもらいたくて右往左往。
2005年08月21日
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一日 努めれば 比較無し
2005年08月17日
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靖国神社というのは、私の知る限り、一宗教団体であって、他の宗派となんら変わることはない。ここにお参るすることに特別な意味を持たせるのは、個人の判断の範疇に属する。ここにおまいりすること、特に本日を特に選んでおまいりし、「私は平和主義者」とか、「私は戦争犠牲者に誠を捧げます」などと言うのは、個人の心根の問題である。瓜破神社におまいりして、同じように思えば効果は同じである。そもそもそこに誰がまつられていようが、そんなことはほとんど何の意味もない。「あ、それはあなたは『知らないのでしょう私が教えてあげます云々』」靖国問題など、ほんまにしょうむない問題だ。つまらないことで云々したがるのは暇な証拠だ。
2005年08月15日
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前々から気になっていたのだが、「子育て」という言葉は腹が立つ。それは便利なものに違いないが、一つのすべき「もの」「行動」「事業」であることは間違いない。そんなもん昔は無かった。あ~俺も昔を懐かしみ、いよいよ老境に入ったか・・さびしいいいい
2005年08月14日
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Lunascape3(評価版)使ってます。結局、例の、ふぁいあーーーーのFoxはなじめませんでした。Sleipnilは新しいのが出て、前の方がよかったと思ってしまいました。改善要望の書き込みはしておきました(もちろん増田吉彦の署名入り)けど、削除してしまいました。これから少しずつLunaをカスタマイズしていきます。
2005年08月12日
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すべてを失っても、拒否する自由は残されているように見える。しかし実際にそれが本当に自分の自由なのかは疑わしい。しかし、そのように見えるし、そう思いたい事も確かだ。
2005年08月10日
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日本は被爆国であること事からも、原子爆弾に反対し、国際平和を訴えている。戦争に反対するのは当然のことだが、その一方で、第二次大戦後いくつもの戦争に参加している。まず、朝鮮戦争があった。このときの軍需特需により、疲弊した経済は立ち直りのきっかけができた。今のように経済効果がいくらとか正確な試算は無理でも、一国の経済に多大の恩恵をもたらした事は事実である。その後のベトナム戦争でも、米軍は日本の基地から飛び立ったし、もちろん兵器の修理その他の軍需はあった。先の湾岸戦争では、参加国中日本は最大の戦費負担国である。そして、いかに日本が貢献したかを各国に説明し、反面、手を汚していないと堂々と言って、報復テロからは逃れようとする。今、イラク戦争の後始末を巡って、各国足並み乱れる中、日本にテロが発生しても不思議はない。日本の立場を冷静に記述すれば、「日本は、国際紛争の解決のために武力行使を正当化する国々の仲間である」、「ただし直接の武力行使はしない」ということである。戦争はいや、というのは自分の国についてだけ言っているのか。核兵器はいやだが、日本が核攻撃されたら、アメリカが報復してくれると思っているのか。それともそんな約束でもあるのか。『「憲法を改正して戦争に行こう」という立場に反対する』という本が出ている。(正確な題は忘れた)私の立場は、「平和憲法」なる空虚な嘘ップ物語があろうが無かろうが、日本はすでに戦争をしている、というものである。従って、平和憲法、分けても九条があるから日本は平和で、戦争をしないという嘘にはだまされない。
2005年08月08日
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若い頃、私は次のような文を読んだ。それはある教師が生徒である障害児を前にしていった言葉である。「この世に全く完全な機能を持った人間も、全く不完全な人間もいない・・」たぶんそのように書いてあったと思う。それを読んだ当時、自分にはピンとくるものは無かったが、現在はっきりとそれを意識している。そして今の私の目標は、特殊な技能としての「ヘルパー」ではなく、誰にもできる易しい介護である。簡単なコツさえ分かれば誰でもできる、別に資格などという大げさなものは本来は必要としない介護である。障害児を持つ親にしても、この子は何ら他の子供と変わりない、普通の子だ、またそのように接して欲しいと思っているはずだ。しかし、人間の性とはおぞましくも且つ愚かなるもので、ともすると自分や他人の特殊性をいたずらに強調してものをいいたがるのである。我々が一人一人、特別な存在であることは疑いない。それは正しい。だが、それをどこでどのような形で表現するかは、各人が言葉の文をどのように解するかに拠る。
2005年08月02日
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