全39件 (39件中 1-39件目)
1
「[フジTV番組]細木数子さんの発言で養鶏業界が抗議」という記事があった。 占い師が事実に反することを言って養鶏業者が抗議したというもの。 この記事では、テレビ局と占い師の事務所のコメントがこうなっている。(ここから) 抗議についてフジテレビ広報部は「一部誤解を与える表現があり遺憾に思う。対応は現在検討中」と述べた。細木さんの事務所は「担当者が不在で答えられない」と話している。(ここまで) ところが、朝日新聞のサイトではこうなっていた。(ここから) フジテレビ広報部は「抗議は真摯(しんし)に受け止めており、一部の関係者にご迷惑をおかけしたことはおわびしたい。抗議への対応は現在、協議している」、細木数子さんの事務所は「対応はフジテレビに任せている」としている。 (ここまで) 「答えられない」と「フジテレビに任せている」とでは随分ちがう。 後者は、自分たちは知らない、テレビ局に聞いてくれ、というわけだ。 無責任すぎないかい。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.30
コメント(0)
日本各地の施設でアスベスト(石綿)が使われているという報告がなされている。 当然、飛散しないように処理する必要がある。 しかし、問題は解決しないのではないかという不安がある。 公共施設なら、発見したものは公表するだろう。 しかし、民間企業の中には、自社の建物で使われていることに気づいても公表しないところがあるのではないだろうか。(もちろん、経営者や重役は安全な別の建物にいて、工場のような現場の人たちが害を受ける) また、専門業者に頼んで、固定化なり除去なり適切な処理をするとしよう。 業者が処理をして、その結果を発表することになるわけだ。 しかし、業者が、きちんと処理するとはかぎらない。 ここ数日の、耐震性偽装事件を引き合いに出すまでもなかろう。 また、適切に処理する能力もないのに、金になるから、と参入してくる業者もあるだろう。 私自身も、アスベストを吸いながら仕事をしていたかもしれない。 未来はあるのだろうか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.30
コメント(0)
「東京の中の江戸名所図会」北洋社。1975年12月1日。 「江戸名所図会」に描かれている風景が、今ではどうなっているか。探訪というほど力んではおらず、散策というところ。 著者は東京育ちだが、自分の思い出話にふける、ということはない。 「ミセス」という月刊誌に、1973年1月号から翌年の12月号まで連載し、1975年にまとめたもの。「あとがきに代えて」によると、3年のうちにも変化があり、書いたことと現実とのあいだにズレが生じていたりするようだ。 「江戸名所図絵」は、親、子、孫と三代にわたる努力の末に完成したもので、30年あまりの時間をかけている。 したがって、完成した時には実情とかけ離れた内容になっていた部分もあったそうだ。 「江戸名所図絵」に書いてあるから、と、それが固定不変の姿であったと思いこんではならない。 それでも、一時期の姿を記録してくれたのはありがたい。「千住のそれ[#「それ」に傍点]はいわゆるお構場《かまいば》――なまっていえば岡場所であった。」(p46) 「岡場所」の「岡」は「岡っ引き」の「岡」と同じで、正式なものではないという意味だ、と何かで読んだが、「お構場」がなまったという方が本当のように思える。「かまい」は「支障」の意か。「このあたりが野原だった頃は“小塚のある原”つまり“小塚ッ原”の地名の、起りともなった石だそうだ。」(p48) 処刑場で人骨が転がっていたので「骨が原」から「小塚ッ原」になったという説を読んだことがある。これもこちらの方が本当ではないだろうか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.29
コメント(0)
男はつらいよ 寅次郎と殿様 第19作。 さくらもすっかりおばさんになり、いうことを聞かない息子に手を焼いている。 後々、この満男がいろいろと問題を引き起こすのだ。 今回は、寅さんの恋よりも、殿様の子孫である嵐勘寿郎とのあれこれがメイン。 執事が三木のり平で、達者なところを見せる。 殿様は、大洲藩の藩主の子孫で姓は藤堂ということになっているが、藤堂家が藩主だったのは、江戸の初期だけで、ほとんどは、加藤家。 これはわざとそうしたのだろう。実際に子孫の人もいるのだろうし。 マドンナの真野響子は、あこがれの女性というタイプではなく、日活の青春映画に出てきそうな、自分が若いことを自覚している前向きな女性で、寅さんの気持ちを意識することなどない。 前作で気づいたことだが、どこへいっても旅館の女中は面長な同じ人。 また、前作にも出てきた劇団の看板女優の人(岡本茉莉)が出前持ちの役で1カットだけ出演。 同じ人を使うのが好きなんだなあ。 殿様がとらやに入ってくる場面。 上から俯瞰して撮っている。 いつも、スタジオだと思わせない撮り方をしているのに、こういうのは珍しい。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.28
コメント(0)
![]()
「こういう特撮は『スター・ウォーズ』が生み出したんだろうな」などと思いながら見ていたが、途中から、あるものを連想した。 それは、子どもの時に読んだ『ばら色島』という小説だ。 「少年少女世界名作全集」というようなもので読んだ。 幸福でない学校生活を送っている主人公が、「ばら色島」というところに招待され、精神的にも物質的にも満ち足りた幸福な生活を経験する、というもの。 検索して調べたら、フランスの児童文学だそうだ。 厳しい現実の世界から、夢の世界に居を移し、友人を得たり成長したり。 「親が優れていれば子も優れている」という点が気になるが、これは子どもたちの願望の世界なのだ。そうあって欲しいという願いを映し出す鏡と同じ。 魔法の国でありながらキリスト教の世界なのが不思議だった。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.27
コメント(0)
フジテレビ。11月24日放送。 瀬戸内寂聴の半生記。 この人の本はほとんど読んだことがない。 しかし、何年か前に「日本経済新聞」の「私の履歴書」で一ヶ月にわたって自伝を連載していたのを読んだ記憶がある。 原作はそれではなく、「場所」という自伝小説。 さて、ドラマだが、どうも、出家するまでの大きなできごとをなぞっただけ、というできばえで、ドラマとしての面白味に欠ける。 出家するまでの数年間に絞って描いた方がよかったのでは。 出演者の中で一番良かったのは中村勘太郎。特に、だめな人間になって再会してからがいい。 「新選組!」の時はまじめなだけに思えたが、いい役者だ。(公式サイト)楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.26
コメント(1)
「泣く子も黙る国会議員」のその後の展開。 「[西村議員]元職員の非弁活動「認めざるを得ない」と漏らす」という記事の中にこうあった。(ここから)私の名を語って起こった本件に関して、痛切な反省の念を持っている(ここまで) 西村議員のコメントである。 「名を語った」のか。 おそらく、口では「ナオカタッタ」と言ったのを記者が「名を語った」にしたのだろ。 しかし、この場合、他人の名義を使った、ということなのだから、漢字で書くなら「名を騙った」だ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.26
コメント(0)
「産経新聞」25日の「産経抄」にこんな一文があった。(ここから)われわれは「どこでもドア」で昭和に戻るわけにはいかない。(ここまで) これを読んだだけでどこが変なのかわかる。 「どこでもドア」は空間を移動できるだけで、時間の移動はできない。 時間を移動できるのは「タイムマシン」だ。 この程度のことも知らない新聞記者がいるのか、と驚いた。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.26
コメント(0)
角川書店。1974.1.25 初版(日本の民話(12) 文庫版) 明治以降の民話。 「明治のむかし」「世間話の流行」「戦争の民話」「戦後の民話」に分類されている。 民話と言っても古い話ばかりとは限らないし、現在でも新しい民話が生まれつつあるわけだ。 瀬川拓男の解説「現代は民話によって再現できるか」によると、「公害の空の下で」「日本は二十四時間」は創作であって民話ではないという。 しかし、民話も最初は創作だったわけで、これらの話が民話科していく可能性があるのだ。 私の知る範囲で言えば、広く知られるようになったからと言って民話化して定着するというわけではない。 「口裂け女」が、三人姉妹の末娘というように民話の設定に近づいていったことはあったが、民話として定着してはいない。 「人面犬」というのもあったが、忘れられてしまった。 なお、「タクシーの怪談」は、料金を踏み倒されたことにして水揚げをごまかす手段として使われていた、というのは目から鱗だった。「秋田のどぶろく」 話の中身よりも、「ここらでは冬のしみるとき、石塔が割れるもの、どこの家でもこもをかぶせておいたわけだ。」というのが印象に残った。 それだけ寒い中で生活しているのだ。どぶろくぐらいつくりたくなるだろう。「隣組八分」 戦争中の話。 「えずなという小さな狐を使って占いを立てたり」とある。 「えずな」は「飯綱《いずな》」の転で、半七捕物帖「菊人形の昔」に出てくる、「管狐」だ。 戦争中にもいたのだ。「まちんと」 被爆した少女が、もっとトマトを食べたくて「まちんと、まちんと」と言いながら死んでいき、鳥となって、今でも「まちんと、まちんと」と鳴いているという話。 日本の民話には、人間が異類になる話は極端に少なく、あっても、鳥の鳴き声の由来を語るものが多い。これもその一つ。現代でも、鳥にはなれるようだ。「たぬきと密航船」 山形の民話。 「電池が痛ましい」という表現があり、懐かしくなった。 私の故郷の福島県でも使われていた。 電池がかわいそうだ、というのではない。「痛ましい」(発音は「いだましい」)は、「もったいない」「惜しい」という意味。「アメリカ大使館前」 アメリカ軍のカンボジア出兵反対でもの話。 「ニャロメとは、漫画雑誌の猫《ねこ》ちゃんのせりふだが」とあった。 ああ、そうか。「ニャロメ」も民話の素材化しているのか。今「ニャロメ」って言ってもわからないものなあ。 「もーれつア太郎」は子供が一人で八百屋を切り盛りして生きていく話だった。 あのころは、子供だけで自立して生活する話が成立できた。子供は子供の世界で生きていたからだ。 今では無理なのだろう。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.25
コメント(0)
「7歳少女が百キロ走行 助手席のおじいちゃんが起訴」という見出しの記事があった。 7歳の孫に車を運転させた祖父が起訴された、というもの。 見出しを読むと、祖父が誰かを起訴したとしか思えないのだが、実際は逆。 「助手席のおじいちゃんを起訴」という見出しにすればすぐにわかるのに。 最近、若い人が、「を」の代わりに「が」を使うのを読んだり聞いたりする。 「来年のカレンダーが売っている」というように。 「カレンダーをだろう」と言いたくなる。 おそらく、この記事の見出しを付けたのも若い人なのだろ。 誰か、その見出しが適切かどうかチェックする人はいないのだろうか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.24
コメント(0)
海外修行中の宮本和志が「キングスロード」への移籍を決意した。 スポーツ新聞のサイトでは、日刊スポーツが短い記事で報じている。 なかなか帰ってこないなあ、そんなにアメリカが気に入ったのかなあ、と思っていたのだが、ずっと葛藤があったのだろう。 大量離脱後、元子さん体制での初のデビュー選手。 2001年8月19日のデビュー戦も見たし、いきなり一週間後に天龍軍と当たった大会も見に行った。 最後に見たのは、今年一時帰国していたときの、代々木第2体育館での川田戦。 川田が呼ばれなくなった今、昔の全日を知っているのは、渕とケアだけだ。 宮本を擁する「キングスロード」がかつての全日本プロレスを再現できるとは思えない。それができるのは、おそらく「NOAH」だろう。 しかし、新しい「王道」を作り上げていく可能性はある。 プロレス界の低迷の中、新団体を興し、維持していくというのは苦難の道だろう。 あえてその道を選んだ宮本の決断を尊重しよう。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.23
コメント(2)
「一緒に飲みたい三国志の英雄:張飛がほかを圧倒」なのだそうだ。 ほんとかねえ。 もちろん、現実の張飛ではなく、「三国志演義」の中の張飛のはず。 でも、張飛って、乱暴者で短慮で、最後は部下の恨みを買って殺されちゃったんだよね。 そんなのと飲んだら命が危ないんじゃないの。 私なら趙雲と飲んでみたいなあ。 蜀以外でもいいなら周兪かな。 周兪はハードボイルドな雰囲気があります。 で、もう一つ。 「上司にしたい三国志の英雄:孔明、三国の当主も上位」だそうだ。 「意外にも『三国演義(三国志演義)』で悪役となっている「曹操」が「劉備」に次いだ。」なんて書いてあるけれど、意外じゃないでしょう。 上司は、冷静に状況を判断し、組織防衛に努めなくてはならないのだから。 まあ、そう言っちゃうと、司馬懿が理想になっちゃんだけどね。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.22
コメント(2)
![]()
「青空文庫」で岡本綺堂の「異妖の怪談集」が公開されているのに最近気づいて、一太郎ファイル化。 今日、上記の3作を「一太郎で青空文庫」で公開。 いずれも原稿用紙40枚ほどの短い作。 「影を踏まれた女」所収の「青蛙堂鬼談」の拾遺集。 いずれも怪異譚で、怪談であるから、謎についての合理的な説明はない。 四谷怪談のような大がかりな話でもない。 おそらく、明治時代の新聞で報道された世間話などがもとになっているものもあるのではないか。 そうであったとしても、小説としてきちんと完成させる力、発想力に感心する。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.22
コメント(0)
男はつらいよ 寅次郎純情詩集 壇ふみと京マチ子のダブルマドンナ。 最初は壇ふみに惚れるのだが、その母親の京マチ子に男の純情を捧げるのだ。 世間知らずのお嬢様として育った京マチ子と、世間にもまれにもまれてきた寅さんとの恋。 振られることがなくとも、悲しい別れがあるのだ。 夢の場面ではレギューラーの吉田義男率いる劇団が、第8作「男はつらいよ 寅次郎恋歌」に続いて登場。 5年経っているのだが、女優が寅さんを覚えているのがすごい。 さらに、観客も覚えていることを前提にして話を作っているのがすごい。 でもって、いきなりこの映画から見ても、話が理解できないということがないのがすごい。 すごいといえば寅さんの服。 雪の中でも、ダブルのスーツにダボシャツ姿なのだ。 年中同じ服で、まるで「ウルトラマン」の科学特捜隊みたいだ。 タコ社長が、「文化の日だから博物館に行く」と言っていた。「文化」に意味のある時代だったのかなあ。 あるいは、「文化」に特別な意味を感じる世代ということだったのか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.21
コメント(0)
久々に、「一太郎で青空文庫」にファイルを追加。 国木田独歩「酒中日記」というもの。 わたしが初めて国木田を読んだのは、「非凡なる凡人」だったのではないかと思う。 前向きの小説を書く人、というイメージが植え付けられてしまった。 しかし、今までに読んだものを思い返してみると、人生の悲しみを描いた小説の方が多い。 この「酒中日記」もそうだ。 実の母親のしたことのために大きな悲しみを味わった男の日記。 それをのちに発見した人が紹介している、という体裁で、最初は設定がわかりにくい。 凝った設定というのは、昔からあるのだ。 現代の小説は、すでに出尽くした設定を目先を、変えて使っているのではないか、という気になってしまった。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.20
コメント(0)
角川書店。1973.12.25初版 「生産者の笑い」「エロと笑い」「悲喜こもごも」「笑いの王者」に分類されている。 笑話もあれば、怪異譚のようなのもある。 「民話」として採録されたものであっても、もとは字で書かれたものもあるようだ。 「切明の長者」は、鶴光の落語で聞いたことがある。同音異義語の話でもあるし、もとは文字で書かれたものだろう。 「文盲時代」の「三人泣き」も、「古典落語」の「泣き塩」の枕に使われている。 驚いたのが「とうか藤兵衛」。赤松宗旦「利根川図志」(柳田国男校訂・岩波文庫)にほとんど同じ話が載っている。この話は、講談社版松谷みよ子「日本の伝説・2」からの転載だそうだ。民間で語られていた話を「利根川図志」に収録したのではあろうが、語り継がれていたことに驚いた。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.19
コメント(0)
![]()
嶋中文庫。2005年2月20日第一刷。 「百物語」「南蛮仏」「忍術指南」「笑い茸」「許嫁《いいなずけ》の死」「紅筆願文《べにふでがんもん》」「金色《こんじき》の処女《おとめ》」「お篠姉妹」「禁制の賦」「ガラッ八祝言」 十巻目というきりのいい巻数だし、最後に八五郎が嫁をもらって終わるのかと思ったら、そんなことはなかったので一安心。 「金色の処女」は銭形平次第一作。 八五郎は出てこないし、お静はまだ、互いに憎からず思う間柄でしかない。 家光が出てくるのだから時代設定はかなり古い。 なぜ執筆順に収録していないのか不思議だったのだが、これを読んでわかった。 初期の作品は、まだ手慣れてなくて、ぎこちなさがあり、完成度が低く見えてしまうのだ。 話は大がかりなものなのだが、銭形平次の本領は、市井の事件で発揮されるべきものなのだ。もともと町方なのだし。 ほかの、円熟した作品を読んだ後でなら、第一作も興味深く読めるというわけだ。「吉備真備《きびのまきび》の読んだ野馬台《やばたい》の詩」(p214)。特に説明もなく出てくる。昔の人は教養があったのだなあ。「槍の棘《とげ》なんか残っていると、後でとがめ[#「とがめ」に傍点]るよ」(p340)。この「とがめる」は傷が悪化するの意。知らなかった。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.18
コメント(0)
「右翼活動家らを逮捕の方針」という見出しを見て、「右翼」ではなく「右翼活動家」という表記は珍しい、でも、「左翼」なら「左翼活動家」と言うかな、などと思って記事を読み、次に「
2005.11.18
コメント(2)
全日内部でゴタゴタがあったらしい。 「王道継承!キングスロード設立」という記事によると、元取締役の青木謙治氏と高橋英樹氏が、プロレス興行会社「キングスロード」の設立を発表したという。 「興行会社」であって「団体」ではない。いわばハッスルのようなものか。 武藤社長の連れてきた青木氏に「全日本の王道スタイルを目指したい」って言われてもなあ。 川田の去就が気になるところではある。 おそらく、川田は動かないのでは。簡単に、川田に見合う相手を用意できるとは思えないし。 この件は、宮本のブログでの意味深な発言と関係があるのだろうか。 この、全日の人事のあおりで、「WRESTLE-1決勝戦延期」「サップら出場「W―1」が延期」ということになったという。 この二人が大きく関わっていたということか。 しかし、全日として関わっていたのなら、社員がやめても会社としてはつづけなくては契約に背くように思えるのだが、会社同士の契約はなかったのだろうか。 謎である。 というところで、タイトルの「王道」と「キングスロード」について。 馬場さんの世界を「王道」と表現するのはいい。まさにその通り。 徳の力で周りのものをなびかせるのである。 しかし、それを「キングスロード」と呼ぶのはいかがなものか、と思っていた。直訳にすぎて、英語圏の人には意味がわからないのではないか。「Royal road」と訳した方がいい。 なお、「数学に王道無し」という時の「王道」は、「近道」という意味で、日本語での(といっても、中国生まれだが)本来の「王道」の誤用。 「王道」の対義語は「覇道」。力で周りをねじ伏せるやり方。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.17
コメント(0)
朝鮮日報に「足の指に食い込んだ爪を切るときは」という記事、というか生活小知識が載っていた。 非常に短い。(ここから)足の指に食い込んだ爪を切るときは、酢で湿らせた綿棒で爪に酢を塗り、爪が十分にふやけた後切ったほうが良い。(ここまで) なるほど、爪はふやけている方が切りやすいだろうが、それなら風呂上がりに切ればいい。 何より問題なのは、「足の指に食い込んだ爪」を切るという点。 特に爪の側面部を短くすると、巻き爪になりやすい。 そして、巻き込まれた部分が肉にあたるようになり、痛み出す。 すると、肉にあたる部分を切ってしまうようになり、さらに巻き爪が信仰するという悪循環になる。 むしろ、食い込んだ部分は切らず、のばして、爪と肉の間に米粒大の脱脂綿やティッシュをはさむようにした方が、痛みがなく、また、巻き爪の治療にもなるようだ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.16
コメント(0)
![]()
嶋中文庫。2005.1.20。第一刷。 「死相の女」「金の茶釜」「敵討果てて」「三千両異変」「百四十四夜」「身投げする女」「不死の霊薬」「復讐鬼の姿」「七人の花嫁」「永楽銭の謎」 そしておまけに「コント 初姿銭形平次 八五郎手柄始め」がついている。 このうち「復讐鬼の姿」と「七人の花嫁」は平次の独身時代の話。 石原の利助は何度か顔を出すが、万七親分は出てこない。比較的初期の話が多いらしい。「郭巨の釜掘り」(p45) 二十四孝の一つ。郭巨が、母の食事を減らさぬ為、我が子を土中に埋めようとしたら黄金の釜が出てきた、という話。広く知られていたのだろう。「諏訪法性《すわほっしょう》の兜《かぶと》」(p71) 武田信玄のかぶっていた兜だそうだ。「樽天神《たるてんじん》をきめ込んで」(p198) 樽の上にどっかり座ることか?楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.15
コメント(0)
![]()
「川田利明、ドラゴンドア参戦記者会見!!」という記事の中で、川田がはっきりとこう言っている。(ここから)ずっと上がってきた全日本に上がれない状態なので、少しでもファンの前に顔を出せるリングがあればと、このリングで頑張らせてもらいます。(ここまで) 日刊スポーツの記事では、(ここから)川田は「プロレスの幅を広げたい」と意欲的だった。(ここまで) 川田は最強タッグにも出ない。 プロレスラー川田利明のマネジメントをしているところと、全日との間で不都合があるのかもしれないが、石狩は時々出ている。 おそらく、武藤社長の目指す方向と、川田のプロレスにはずれがあるのだろう。 大量離脱前からの全日ファンにとっては、川田こそが全日なのに。 川田がいろいろなリングに上がって、プロレス人生に思い残すことのないようにできることを祈ってはいるが、主戦場は全日であって欲しい。 武藤社長、川田は特別扱いで呼んでもらえないだろうか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.14
コメント(0)
プロレスゲーム販売のユークスという会社が新日本プロレスを子会社にするのだそうだ。記事。 社長が「敵対的買収の動きがあり、それを回避するのが狙いだ」と語っている報道もある。 新日を買収しようとする動きがあるとは。 業界最大手ではあるが、迷走状態が続いているように見えてならないのに。敵対的買収で手に入れたとしても、経営が大変だろう。 全日ファンのわたしとしては、新日のことを気にかける義理はないのだが、新日がしっかりしていないことには、業界のイメージが悪くなってしまうのだ。 武道館から撤退し、身の丈にあったところで地道に営業している全日が、地上波放送を手に入れ、武道館での定期的な興行が打てるようになるためにも、新日にはしっかりしていて欲しいのだ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.14
コメント(0)
「無宗教」って?という記事に、こんなことが書いてあった。(ここから)「無宗教」という言葉がそもそも理解に苦しむ。地球上には無数の宗教が存在しているが、そもそも「宗教」という文字は、「宇宙を示す教え」を表しているとも言われているからだ。(ここまで) なにを言いたいのか理解できない。 「宗教」という文字、とあるが、「宗」と「教」はそれぞれ文字ではあるが、「宗教」となったら、文字ではなく語だろう。 また「宗教」が「宇宙を示す教え」を表しているとは初耳だ。 「宇」と「宗」を取り違えたのか? 一体どこのだれによって「言われている」のかぜひ知りたいと思って問い合わせのメールを出してみた。返事はまだない。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.13
コメント(0)
![]()
講談社メチエ。2005.10.10。第1刷 この著者の本は何冊か読んだことがある。 いずれも、戊辰戦争を敗者側から描いている。 勝った方にしてみれば輝かしい歴史なのかもしれないが、敗者にしてみれば、いいがかりをつけられ戦争に追い込まれた上、苦汁をなめさせられた記憶なのである。 昨年のNHK大河ドラマ『新選組!』を受けて書かれたものらしく、「はじめに」で『新選組!』の名を出している。 まず、会津を戦場としたあの戦いをなんと呼ぶべきか。 「明治新政府軍隊旧幕府軍の戦い」というのは誤りであるという。(p5) 会津軍は「旧幕府軍」ではないし、そのときはまだ慶応年間で「明治政府」など存在していなかったのだから、明治新政府軍であるわけがない。いわれてみればまさにその通り。 本書では「薩長連合軍対会津軍の戦い」としている。 手に入る限りの史料にあたり、新史料も取り入れつつ書いている。長い時を経て再び人目に触れる史料もあるのだ。 梶原平馬にちいてはよくわからないと述べている(p77)。おそらく客観的な史料がない、ということなのだろう。 この人のことは、曾孫が小説「会津藩最後の主席家老」を著しており、事跡のあらましを知ることができる。 意外だったが、列藩同盟はアメリカの南北戦争を研究し、モデルとしていたのだそうだ。(p90) 戦争に残酷な話はつきものである。 この本には、珍しく、人肉食のことがでてくる。倒した敵の肉を食うのである。英数崇拝の迷信からだ(p161)というが、薩摩あたりの風習だろうか。 会津が物量において劣っていたのは言うまでもない。しかし、敗因はそれだけではない。 鳥羽伏見での戦いでは、将軍慶喜がもう少しまともな人間であったなら勝機はあった。 白河まで攻めてこられた時も、仙台などが、直接江戸に重臣を送って和平工作を行ったならば、もっと違う展開になっていただろう。 会津藩では、実力よりも門閥がものを言う風潮があり、それも敗因の一つ。 著者は、容保が優柔不断だったのも批判している。 会津の降伏によって戦争は終わったが、それは新たな苦難の始まりでもあった。 明治新政府は会津人を「会津降伏人」と呼んだそうだ。 そして長州主導で会津への処罰が決まる。 言ってみれば、戦勝国が敗戦国を一方的に裁いたのである。 東京裁判を否定する人は、明治政府を批判しなくてはならない。 斗南での苦労などは「ある明治人の記録」などでも知ることができる。 もし、東西の各藩がむやみに敵対することなく平和のうちに新政府が誕生していたなら、と著者は思いをはせる。 そして、そのことが、著者の目を戊辰戦争に向けさせる。 あとがきから引用しておく。(ここから) こうしてできた薩長藩閥政権が歩んだ道は、武力によるアジアへの侵攻だった。東西連合政権であったならば、明治以降の日本は他の民族にもっと配慮したハト派の政治が行われたに違いない。 明治維新はこうした側面から再検証しなければならないと私は考えている。(ここまで)楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.13
コメント(0)
![]()
嶋中文庫。2004.12.20。第1刷。 「鈴を慕う女」「路地の足跡」「濡れた千両箱」「怪伝白い鼠」「朱塗の筺《はこ》」「お珊文身《ほりもの》調べ」「鉄砲汁」「お染の嘆き」「雪の精」「縁結び」 こうして題を並べてみると、その付け方の巧みさに感心する。 題を見ただけで、どんな話なのか興味をそそられる。 このうち「濡れた千両箱」はほかの本で読んだことがあるのだが、いつものことながら、すっかり忘れていた。 執筆順に並んでいるのではないので、設定がちぐはぐ。 「鈴を慕う女」は島原の乱の記憶も新しい頃、という設定。「近頃の東京と違って電気事業も避雷針《ひらいしん》もない江戸時代には、びくりするような大夕立が時々あったということです。」(p77) 野村胡堂は「夕立の女」でも、発電所ができて雷が減ったということを書いている。「喉仏の二つや三つローズにしたって構うことはねえ」(p219) バラ色にするということか?「昔は鎌鼬または神逢太刀《かみあいたち》と言っておそれたものです。」(p296) 「かみあいたち」が「かまいたち」に変化したのかもしれない。「峰の高い刃物――たぶん合せ剃刀《かみそり》かな」(P307) 合わせ剃刀がわからない。どんなものだろう。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.12
コメント(0)
宮本和志のブログに、「どこのリングであろうと僕は頑張り続けますので」とあった。 全日ではなく、ほかの団体を主戦場とする、ということだろうか。 宮本は、大量離脱後、初の生え抜き新人だった。 石狩も河野も全日から離れてしまった。 定着しないなあ。 全日の公式サイトからのリンクも削除されてしまっている。 その河野のブログを見ると、宮本から電話があったという。 さらに、その前日には、全日を退社する人がいることに触れて「この記事を読んでマイナスの感情しか生まれなかったのは事実」と述べている。 何かが起こっているらしい。 とは言っても、いつだって何かは起こっているのだ。 馬場さん時代だって。 10日に、20日の後楽園のチケットを買おうと思ってチケットぴあに行ったら、全席売り切れだった。 武藤体勢の全日本プロレスはそれなりにうまくいっているようだ。 ファンはただ外から見守るのみ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.11
コメント(0)
東京国立博物館の北斎展を見てきた。 平日だし、それほど混んでいないだろうと思ったらとんだ見込み違い。 かなりの人で。 しかも、小さい絵が多いので、絵の周りに人が集まっていて、じっくり見ようと思ったらかなりの忍耐力と時間がいる。 後ろの方からざっと眺め、大きなものだけ少し時間をかけて見て、それでも2時間近くかかった。 葛飾北斎が実に多種多様な絵を、しかも大量にかいていたのには驚いた。 展示品は海外の美術館から借りたものが多いようだった。 面白いことに、比較的若い頃の作品には洋画の影響が見られる。 いわゆる一点消失法を用いて、遠近感をはっきり出しているえが何枚もあった。 途中で気がついたのは、空を塗らないこと。 最初のうちは、夕焼けか朝焼けで空が赤くなっていると色が付いているだけ。 途中から青く色づけし始める。 それまでは空の色を意識していなかったのだろうか。 大きな絵で、雪の中の張飛を描いたと思われていたが、最近は水滸伝の林冲ではないかと言われているものがあった。 張飛か林冲かと聞かれたら、わたしは林冲だろうと答える。 雪の中で張飛が何かした、という話が思い浮かばない。 滄州にながされた林冲の絵ではなかろうか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.11
コメント(0)
という番組に杉田かおるが出ていた。 タン塩を食べ歩くという企画で、2軒目で生ビールを出してもらったら、もう止まらない。 3軒目では焼酎のロックを飲んでいて、ほかの出演者に「仕事中よ」と言われていた。 さらに収録後、2軒目の店に戻ってまた飲んだそうだ。 彼女がアルコール依存症かどうかはわからないが、よほど好きなのだろう。 人の振り見て我が振り直せ。 気をつけよう。 というわけで、今日も飲まずに寝るのである。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.10
コメント(0)
「リサイクル:うどん店の割りばし再利用、協力は32店に--高松のNPO提案 /香川」という長い見出しの記事。 うどん店からゴミとして出る割り箸を回収し、紙に再生するのだそうだ。 「環境にやさしい事業で、『もったいない』と思う気持ちの輪が広がれば」ということだが、「もったいない」を持ち出すなら、割り箸を使わず、塗り箸にして、それを洗って何度も使えばいいのだ。 わたしの記憶が確かならば、牛丼の吉野家では、全国展開を始めた頃は塗り箸を使っていた。 おそらく、割り箸にした方が、コストを抑えられるのだろうとは思うが、割り箸はもったいない。 もちろん、間伐材を割り箸として利用することで、森林が守られている、という話は知っている。 しかし、現実には、中国あたりで、わざわざ木を切って割り箸にしていることもあるのだ。 だだし、この事業は、福祉施設作業所の収入源になっているという。 割り箸を紙袋に詰める仕事も福祉施設作業所で請け負っていることがある。 その点を考えると悩ましい。 使った塗り箸を回収してきれいに洗って店に戻す、というのではだめかなあ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.09
コメント(0)
![]()
副題「悲劇を防ぐための知恵」 中公新書クラレ。2004.11.10初版。 次々に起こる、インターネットや携帯電話がらみの犯罪と子供との関わりについて、いろいろな意見を目にする。 しかし、教育問題についてはよくあることながら、現実に根ざした意見を目にすることはなかった。 この本もそういうものだろうと思って読み始めたのだが、そうではなかった。珍しい本である。 第1章「あまりにもアナログな、デジタル機器」では、なぜインターネットや携帯電話から子供は離れなれないのかと説く。そこが居場所になってしまっているのである。 次に、「ゲーム脳」に代表されるような、メディアと学者のいい加減さを厳しく指摘する。第2章はその名も「学者とメディアを疑え!」だ。(ここから)マスメディアが学者や研究者の仕事を取り上げるのは、それが、読者や視聴者が「こういうデータや仮説がほしい」と欲望したこととマッチした場合だけなのだ。」(p45)(ここまで)と言い切っている。 第3章「電脳世界の恐るべき子どもたち」はインターネットと携帯電話が生活の中で大きな比重を占めている子どもたちの実例。 決して否定的ではなく、コミュニケーションが回復した事例も挙げている。 第4章「学校が教えられないネット世界」では、学校と言うよりも、大人社会が子供に向き合う姿勢を取り上げている。 つまるところ、問題はそこにあるのだ。 なぜ社会はインターネットや携帯電話を悪者にしたがるか。 これは繰り返し語られている。 たとえば、(ここから)「犯人はネット」という雑誌記事や「カッターナイフとパソコンを見直せ」といった教育委員会の見解には、いずれも残念ながらしっかりした根拠はなく、むしろ「そう思いこみたいからそう決めた」というおとな側の不安や前のめりなあせりだけがクローズアップされる結果となっている」(p31)(ここまで) 世の議論は、現実に根ざしたものではなく、自分たちが勝手に作り上げた幻想にすがっているだけなのだ。 また保護者側と学校側の間の無責任な関係の実例が興味深い。 少し長くなるが引用する。(ここから)(ある人の話)「(略)おやしいと思うのは、それを親が子どもに言うのではなく、親が学校にお願いして『学校側から禁止してくれ』といっていること。(略)そうした指針を親が直接子どもに指導するのではなく、学校を通して強圧的に規制を要求するのもまたおかしい。それは親が学校に責任を押しつけているだけに過ぎないと思うのです」 なぜ親が直接子どもに指導するのを避けるのかと言えば、親はそこまで子どもに厳しく言えないという事情がある。「子どもから嫌われたくない」からだ。学校から強制的な指導としていってもらえれば、親は責任を逃れるうえ、曖昧さや疑問の余地を残さずに禁止を子どもに迫ることができる。要は、学校にすべてを委任することで、親が自分の責任を回避したいために、学校に強く要望しているのである。(p135)(ここまで) 具体的にどうすればいいのか、ということを知りたい人には、この本の「王子と姫を守るヒント」を読んでもらいたい。 もっとも印象に残った文章を紹介する。(ここから)「夜にウラ山に行っちゃいけないよ。祟られるからね」という教えに科学的根拠はないが、「どうしても行ってほしくない」という親の真ごころはある。逆にそう言う親なら、ウラ山には霊はいないと科学的に解明されても、「いや、それでも行っちゃいけない」と言うだろう。(p172)(ここまで) 親には、インターネットや携帯電話に関する知識や技能よりもこういう姿勢が求められているのである。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.08
コメント(0)
![]()
6日の日本テレビ「いつ見ても波瀾万丈」は松田美由紀。 見る方としては、松田美由紀個人への関心よりも、夫だった松田優作への関心で見る。番組もそれを意識した作りになっていた。 わたし自身が彼女を意識したのは、1980年の「不良少年」という映画だった。 主演は金田賢一。全国のお祭りの日付をチェックしている少女という設定だったのを覚えている。 同年の「鉄騎兵、跳んだ」では、石田純一相手に濡れ場も演じていた。 もちろん、脱いでいた。 デビュー作は、1979年の角川映画「金田一耕助の冒険」だそうで、これも見ているのだが覚えていない。 「探偵物語」は1979年からの放送。彼女が出ていたことは、再放送で知った。 「探偵物語」には、放送第1話「聖女が街にやって来た」と第18話「犯罪大通り」に出演している。 これは、第1話に出演した彼女を松田優作が気に入り、彼の要望によって再び共演したという話を読んだ記憶があるのだが、「波瀾万丈」では、彼女の方から松田優作を好きになり、追いかけ回したようになっていた。 松田優作と一緒に暮らすというのはどういうことなのか想像を絶する。 「普通の人なら三日ともたない」と言っていたが、実際その通りだったのだろう。 わたしは今でも、松田龍平を見ると「ああ、松田優作の息子か」と思う。 息子の方は、自分で選んで松田優作の息子として生まれてきたわけではないのだから、迷惑な話だろうか、そう思ってしまう。 わたしの世代の人間にとっては、松田優作というのは、「大スター」や「大物俳優」とは違って身近な役者でありながら、どこか近寄りがたい、特別な存在なのだ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.07
コメント(0)
![]()
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 冒頭の夢は、「ジョーズ」のパロディ。 さくらがサメに飲み込まれて、両足だけが寅次郎の手に残るというブラックユーモアには驚いた。 今は亡き太地喜和子が、元気でけなげで奔放そうに見える芸者を演じている。 彼女を一言で言えば、「一途」だ。 この映画は、寅さんが惚れるのではなく、女の方から惚れて、しかも、寅さんはその女のところにまた行く、という点で異色だ。 随分前にビデオで見たことがあるのだが、記憶の中で、だいぶ変化してしまっていた。 悪い男は佐藤慶だと思っていたが、佐野浅夫だった。 最後の場面も、「お前と所帯を持つためだよ」と言って、喜ぶヒロインと一緒に家の中に入っていくところで終わると思っていたのだが、そうではなかった。 宇野重吉と寺尾聰の親子共演もあるのだが、寺尾聰の方は影が薄い。 山田洋次監督は、前年には、寺尾聰主演でを撮っている。 その映画では普通に演技している寺尾聰なのだが、この映画では、ほとんど大根。 不思議だ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.06
コメント(0)
![]()
11月1日放送。 アニメ化されて毎年のように放送されているものを実写で。 アニメは、録画はしたが、見ることができずにいる。 実写なら耐えられるのではないかと思って見てみた。 違和感はある。 最初と最後の現代の部分はいらない。戦中戦後の一時期だけを舞台にして欲しかった。 登場人物の考え方が、現代人のようだった。 戦後60年を経て、過去を振り返り、その上で生きているように思えた。 「これが戦争よ」「これからが戦争なのよ」などというセリフは、客観的に振り返ることのできる立場にいる人でなければいえない。 また、このドラマに限ったことではないが、なにもかもきれいすぎる。 服装も町並みも。 美空ひばりの「悲しき口笛」のようなリアリティはない。 松嶋菜々子は美人過ぎて無理があるなあ、と思っていたが、鬼になることを決意してからは良かった。目がいい。 出演者では、節子の佐々木麻緒の達者なのには驚いた。ほとんど天才である。 ドラマとしてはあまりいいできだとは思わなかったのだが、視点は斬新だった。 原作は、兄と妹の視点から世界を描いている。いわば、子供の視点である。 しかしこのドラマは、おばの方に焦点を当て、大人の視点から描いている。 妹を守ると称して、勤労動員にも、隣組の活動にも参加しない、などというのはただの甘ったれである。 二人だけでやっていけると思いこむのも考えが浅い。 我が子を守るために、鬼になることを決意するというのは、大人の決断である。子供なら、自分さえよければいいという利己的な考えで同じ事をするだろうが、松嶋菜々子演じる澤野久子は、感情的な面はあるものの、情況を見極め、大人として鬼になることを決断している。 大人の視点から作られためずらしいドラマである。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.05
コメント(0)
![]()
最近話題の斉藤孝と英語学者の斉藤兆史との対談。 言葉に関する教育について非常によく似た考えを持っており、意気投合という様子。 二人が述べていることにはほとんど異存はない。 会話重視という名目で、実際には役に立たない英語を教える愚を指摘しているところなど、なるほど、と思う。 いきなり英会話というのは、基礎ができていないのに、いきなり実戦にはいるようなものなのだ。 柔道で考えてみればいい。きちんと受け身がとれるようになってから試合をするはずだ。 初心者にいきなり試合をさせるのは危険だし、試合だけで柔道が身につくと考える人はいないだろう。 英語幻想、英会話幻想をたたきつぶすところから始めなくてはならないのだから道は遠い。 わたしは一時、中国語に凝ったことがある。もちろん、中国語会話も習った。その時に気づいたことがある。 中学高校と6年間英語を習っても、英会話ができない、だから、英語の学校教育は役に立っていない、というのは間違っている。 「英会話」ができないのではない。 「会話」ができないのだ。 英会話ができないという人は、日本語でも会話ができていないのだ。 話すべき内容を持たないのだから、日本語でも「会話」などできない。 とうぜん、英会話などできようはずがない。 二人の言っていることはよく理解できる。 しかし、どこか、違和感を覚えるのだ。 結論だけみればわたしの考えに非常に近い。 しかし、出発点も目的地も異なっているように思えてならない。 膝を打ったのは、二人の発言ではない。51ページに引用されている、市川力という人の言葉である。「自分にできないことを誰かに任せれば代わりに実現してくれると安易に期待してはいけない」楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.04
コメント(0)
3日は、職場でイベントがあった。 管理職の思いつきで決まったイベントで、このイベント開催については、前年度に反対していたのだが、管理職の権力で決められてしまった。 その管理職がこのイベントに当たってどうしたか。 1日、2日は準備にあてられていた。 この二日間、その管理職は風邪と称して休暇。 イベント開催日には出てきたが、みんな昼食をとる暇もなく買い出しに出かけたり洗い物をしたりしている中、その管理職は、悠々と昼食に外出したのであった。 「泣く子と地頭には勝てない」という。この「地頭」は権力の象徴である。まさのその言葉の通りである。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.03
コメント(0)

アクセス集中が少しはおさまったのではないかと思うので紹介する マイクロソフト社のOfficeと高い互換性を持つフリーソフト。 詳しいことは公式サイトを見て欲しい。 完全互換ではなく、Officeのマクロがそのまま使えるというわけではない。 しかし、便利なソフトである。 特に表計算ソフト「Calc」はよくできている。 エクセルでは、セルの高さや幅をミリ単位で調整するのが困難だが、OpenOffice.orgのCalcでは、0.01ミリ単位で指定することができる。 わたしは、このCalc以外はほとんど使わない。 OpenOffice.orgを使っていて便利なのは、このソフトの存在を知らない人が多いので、OpenOffice.orgで作ったファイルは、人に中身を見られてしまう心配があまりない、ということである。 なお、フリーソフトであり、このソフトを使っていて何か不都合が生じたとしても、誰かの責任を問う、ということはできない。 あくまでも、自己責任で使用すべし。 サポートがないのは不安だ、という方は、同じものがソースネクストから販売されているので、そちらをどうぞ。 こういうソフトを世に無償で送り出すために、力を出し合っている人たちがいる。 頭が下がる。 自分も、できる範囲で夜のため人のためになることをせねばならない、と思うのである。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.03
コメント(0)

秋田書店・サンデーコミックス。全6巻。 「石ノ森章太郎」と書くべきなのかもしれないが、わたしにとっては「石森章太郎」。これを書いていたときも「石森章太郎」だった。 初めて原作を読んだ。 キカイダーが左右非対称なのは、良心回路が不完全なのを反映しているのだとは知らなかった。 光明寺博士の家族と行動する話と、プロフェッサー・ギルがハカイダーとなってからの二つの話に分かれている。 テレビ版は前半の話を元にしている。私立探偵の服部半平など、懐かしい。 途中から、01《ゼロワン》もビジンダーも登場。さらに、00《ダブルオー》というのまで出てくる。 テレビの「キカイダー01」で、いきなり01がたしか仁王像から出てきたときには唐突で驚いたが、原作でそういう設定になっていたのだ。 結末は、いかにも石森章太郎らしく、他とは異なる者の悲しみ、人間と同じであることの苦しみを描いていた。 絵は、途中からはかなりアシスタントに任せているのではないかと思われた。 全6巻なのだが、長さが半端なためか、5巻の終わり4分の一ぐらいは「サイボーグ戦士」(サイボーグ009)の「真空戦争」、6巻の巻末には「胎児の世紀」が収録されている。 いやあ、久しぶりにマンガを読んだなあ。 驚いたことに、第2巻までは読むのに時間がかかった。 ながいことマンガを読まずにいたので、適応できないのだ。 第3巻あたりからはすらすら読めた。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.02
コメント(0)
ちくま文庫。1986.4.24第1刷。1991.6.10第13刷 ケルト人と言っても広い範囲に住んでいるらしいが、これは、アイルランドのケルト人の妖精譚集である。 正直なところ、異民族の考えることはわからない、というような話が多い。 キリスト教が入ってきて、本来の形が崩れたものも多いのだろう。 妖精の分類法も日本とは違う。 その能力や住んでいる場所ではなく、集団でいるか一人でいるかで分けるのである。 ケルト人には意味のあることなのだろう。 それでも、日本にもある話の類話は理解できる。 「ノックグラフトンの伝説」(p94)は、背中にコブのある男が、妖精の歌声に調子を合わせてうまく歌い、コブをとってもらう。それを聞いた、これまたコブを持つ男が妖精の所へ出かけるが、こちらは失敗し、前の男のコブまでつけられてしまう。 言うまでもなく「こぶとり爺さん」である。 もう一つ。 「糸紡ぎの競争相手」(p260) 娘が、糸紡ぎ競争が終わるまでに妖精の名を知ることができれば、競争に勝てるが、それができなければすべてを失ってしまう、と言われる。もちろん、知ることができてめでたしめでたし。 「大工と鬼六」である。 もっとも、「大工と鬼六」はヨーロッパの民話の翻訳がもとになっている話なので、似ていても不思議はない。 「ゴルラスの婦人」(p307) 海の妖精の不思議な帽子を隠した男が、その妖精と結婚し、3年後に、娘は帽子を発見して子供に未練を残しながらも海に帰る。 「天人女房」ならぬ「海人女房」とでもいうべきか。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.01
コメント(0)
全39件 (39件中 1-39件目)
1


![]()