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先月は大阪で、今月は埼玉で我々医師仲間からみても最高レベルの先生二人が患者又はその家族に殺されてしまった。そんな不条理があっていいのかと思った。二人とも患者さんに寄り添い本当に親身の診療をしていた。埼玉の先生は365日24時間休みなしの対応で患者さんに尽くしていた。ある人は親身すぎたことがこの悲劇に繋がったのではないかと論評していたがそうかもしれない。「俺は医者だ、お前は患者だ」と垣根を作っておけば簡単に医者側に土足で入ってこれなかったかも知れない。二人の医師にはそれが出来なくて患者も医師も同じ、同じ仲間だとの認識だったので彼らの自殺の道連れにされてしまったのかも知れない。ところで訪問診療については近年高齢化が進み国の方針もあって、自宅で最期を迎えたいという人の希望を叶えてやる形で、在宅診療専門の医療機関が出現してきた。訪問診療では日常の食事摂取状況や経管栄養、心臓、血圧管理、大小便の管理、点滴の管理などが主な日常業務だと思うが最後の重大な業務に死亡認定がある。最期を迎えるまでの間、家族に見守られながら楽しく安らかに暮らして頂くのが主な目的だが、今度のケースでは息子さん(犯人)は92才の母親を何が何でも生かせと医師に請願していた。人の命は永遠ではない。寿命があり、いつかは尽きるものである。自宅で一緒に住みながら介護したい気持ちは尊いが必要な場合には入院しなければならないこともある。死期が近づいた人には苦痛を与える救命処置で苦しめるより静かに見守ってやった方がよいという常識もある。今度の場合それが通じない相手だったことも悲劇だった。母親が死亡してしまうと母親の年金が途絶してしまって生活に困るという問題もあったかもしれないが、市に相談すれば生活保護の道もあったと思う。独りよがりで自分勝手で暴力的な患者家族とかかわりあわなければならなかった先生のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
2022.01.31
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今朝テレビ観ていたら最新の翻訳ソフトDeepLの紹介があった。今国内でいくつかの翻訳ソフトが使われているがその中ではgoogle翻訳が比較的正確に翻訳してくれると思っていたが、実際には英文の翻訳でも日本文の翻訳でもちんぷんかんに翻訳されることもあり、翻訳はやはり最終的には自分で辞書を引きながら苦労しながら訳さなければ駄目なのかなと思っていた。所がであるDeepLを検索して見たらその画面が現れ1~2回の操作で文章の入力面が現れ、そこに日本語なり英語なりを入力すると即座に翻訳された文章が下に現れ、それがちんぷんかんぷんでは無いのに驚いた。当に革命的な翻訳だと思った。使い方をまだ詳しく学んでいないので使い方を完全にマスターしているわけではないが、翻訳はパーフェクトなので驚いている。AIを用いてこのアプリを開発したとのことである。最初に発表されたのは2017/8/28でまだ4年と数か月しか経っていないのでご存じない方もいらっしゃるかと思いここに紹介した。ドイツのLinguee氏の開発となっているが会社挙げての研究成果だと思う。このコンピュータが進んだ時代に未だに外国語の文章が正確に翻訳できないという事は言語というものはコンピュータを使っても正確に読んだり、書いたりできないということの証明なのかもしれないと思っていたがDeepLの出現でその考えは間違っていたことが分かった。人が複雑に考えた文章もパーフェクトに翻訳してしまうのだから凄いと思った。ほぼ世界中の言語が翻訳できるというのだから随分便利な世の中になったものだと思う。
2022.01.30
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先月大阪の雑居ビル精神科診療所の西沢広太郎先生(49歳)がリワーク(職場復帰)教室開催中に参加者と一緒に放火殺人で命を奪われた。先生はうつ病その他で仕事が続けられなくなった人達に職場復帰が出来るように昼夜を問わず献身的に患者さん達に寄り添って指導を続けてきた。犯人も死亡しているので供述は得られていないが状況証拠から考えると、西沢先生から犯人も職場復帰についての指導を受けていたと思われるが「自分にはとてもできない」「こんな駄目な人間は死ぬしかない」と思い、死ぬには先生や教室参加者と一緒に死ぬのだと凶行に及んだと考えられる。先生の熱意が仇になったとも考えられるが、仕事が出来なくなった患者さんのために心血を注いで努力していた西沢先生の姿は私達の心に鮮明に浮かび上がってくる。なんでこんなにいい先生が殺されなければならなかったのか悔やしい。その悲しみも癒えぬ昨日28日、埼玉県では訪問診療に情熱を燃やしていた鈴木純一先生(44歳)が渡辺宏(66歳)という犯人(W)に殺された。母親(92歳)の介護にあたっていたWは母親の治療方針について鈴木先生と対立していたらしい。入院して胃ろうを作ってもらう必要があると先生は伝えたがWは在宅のまま作れと主張し、それは出来ないという先生と対立していてその最中に母親が無くなってしまって、怒りの矛先を鈴木先生に向けて猟銃を発砲したらしい。鈴木先生も上述の西沢先生と同じように在宅の患者さん約300人について昼となく夜となく自分の生活を犠牲にして飛び回っていた先生である。入院患者さんなら設備もあるし看護師もいる。当直の医師もいる。しかし何らかの事情で自宅で診てもらう場合は設備もないし、看護師もいない。そのすべてを訪問医師がしなければならない。余程の心がなければできないと思う。今はコロナで自宅療養の人が多くなってきていたがそれらの患者さんの家庭も回っていたとのことである。真心の医師だと思う。それなのにこのような殺され方をして無念でならない。二人の有能な医師が相次いで患者(又はその関係者)に殺されるという無情なことで命を落とした。真面目に一生懸命仕事していてもこのような惨状に見舞われることがあるので、医師は用心した方がよいと思ったが他の職種の人にも同じようなことが起こるかも知れないのでお互いに気を付けた方がよいと思った。
2022.01.29
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昨日左大腿骨頸部骨折手術後のリハビリで入院している85才の女性患者さんの家族(夫)との面談があった。骨折の方は順調に回復しているが問題は認知症である。夫との二人暮らし、骨折する前は夫が炊事、洗濯、掃除、大小便の介助など全てをしていてここを退院後も一旦家に帰り世話をしていよいよとなったら既に予約してある夫婦一緒に入れる施設に入ります。とのことだった。ケアマネージャーや看護師は旦那さんが大変だからここを退院と同時に施設に入ることを勧めていた。旦那さんは現在86才でまだまだ大丈夫と言っていたがよろよろしているところもありこれだけの認知症を一人で看るのは大変だと思われたが旦那さんがあえてそれをしたいと言うのは夫婦の絆がよほど強いのだなと思った。2-3日に一回今迄に旅行に行った時の写真などを添えて愛情あふれる手紙を書いて病院に持ってくる。本人も偶に返事を書いてくれるが片言で数行だけらしい。リモート面会も何回も申し込んで行っているが画面を通してだと夫と認識できないないみたいで話がかみ合わないとのことだった。6年前に認知症になってしまったがそれまでは外国旅行も10回以上、国内旅行も何十回としているのでその時の写真を添えての手紙ではある程度思い出してくれることもあるとのことだったが、一番いいのは二階に入院している患者さんに自分が階下の庭から手を振ることだとのことだった。自分が手を振ると相手も手を振ってくれるのでこれが一番の心の交流になるのでこの回数を毎日に増やしてもらいたいと看護師に交渉していたがそれは無理ですと言われていた。いずれにしてもこんな夫婦があるのかと感心してしまった。一般的にはどちらかが認知症になると手に負えなくて施設を希望するが簡単には入れないのでそれまでの間は健康な方が手におえない患者さんの世話で疲労困憊して真っ青い顔をしていることが多い。この旦那さんは手を振ったら心が通じたと喜びそれほど青い顔をしていなかった。夫婦のあり方や絆の強さは様々で、片方が病気になった時の対応も様々だと思う。病院や介護施設などで面倒見てもらえれば良いがそうでない場合は地獄の苦しみになるかも知れない。しかし今回この夫婦をみて「どんなことがあっても相手を大事にして思いやる」という気持ちがあれば地獄の苦しみどころか楽しみにもなるのではないかと思った。
2022.01.28
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今迄殆どのウイルス性感染症は変異の過程で徐々に弱毒化して感染性が増し、一定数以上の人が感染して集団免疫が出来上がって収束してきた。所がこの新型コロナはその一般的経過を取るのか、あるいは毒性の強い新しい株に変異するのか等まだ分かっていないので不安視されている。3密を避け、手洗い、マスクが通達されているが、ウイルス粒子はマスクの孔より、はるかに小さく予防効果があるのかどうか分かっていない。今報告されている感染者は殆どマスクをしていたはずだが感染している。ワクチンを2回打っているのに感染した人もいる。マスクやワクチンで防げない事例もあるが、効果があったという報告もあるのでその予防法は継続した方がよい。完全な防御法ではないが、従来の予防法を守りながらむやみに恐れず冷静に推移を見守っていくしかないと思われる。多くのウイルス学者はこれでやっと収束パターンに来たと思っているのではないかと思われるが今後どのように変異するかは未知数なので安心の発信はできない。しかし一般的ウイルスの収束パターンの時期にきているので必要以上に恐れない方がよいと思われる。
2022.01.27
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2024年4月から勤務医の時間外労働(残業)は年間960時間に制限される。月間80時間である。勤務日を月22日とすると1日3.6時間の残業は許されるが月に2回当直をするとそれだけで30時間が時間外労働になり、普通の日の残業は1.8時間以内になる。月に4回当直すると残りの時間で計算すると普通の日の残業は0.9時間になり、1時間未満だから午後6時前に帰ってよいことになる。今迄は夜9時、10時頃まで仕事していた医師が多かったと思うがこれからは6時とか7時、遅くて8時頃帰宅する医師が増えると思われる。今までは医師ならば夜遅くまで仕事するのが当たり前と思われていたが、働き方改革の波の中で医師も一般労働者(サラリーマン)も同じ労働者として扱われるようになったのだと思われる。空いた時間を医学の勉強や趣味に使って下さいと言うことだと思うが、古い医者にとっては寂しい限りだが、慣れてくればそれが普通と思えるようになるかも知れない。今日79歳のパーキンソン病の女性患者さんが胃がんの手術後ということで入院してきた。声をかけても何の返答もない。入院予定期間の3か月が過ぎたら施設でなく、自宅に連れ帰りご主人が面倒見るとのことである。寝たきりなので3食ともご主人が介助して食べさせて面倒見てやるとのことだ。私はこの病院に来てから4人のパーキンソン病の患者さんを受け持った。74才の男性患者さんと64才の女性患者さんは退院したが77才と79才女性患者さんは入院している。パーキンソン病4人の内一人は男性だが他の3人は女性で全体の発症率も女性の方がやや高い。女性3人についてみるといずれの患者さんも旦那さんが献身的に看病しており、今日入院した人は殆ど話のできない状態だがご主人が発病以来ずっと10年間つきっきりで看病して来たとのことである。他の二人の女性患者の旦那さんも同様で頭が下がり、ほとほと感心している。医師の働き方改革で医師の勤務時間が減ることになっているがパーキンソン病患者の旦那さんの勤務時間は医師の何十倍も多く、自分のやりたいこと等は殆ど投げ捨てて奥さん一筋に生きている姿には何ともいえない気持ちになる。早くiPS細胞を使ったパーキンソン病治療が一般化するように心より願っている。
2022.01.25
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土曜日にミレーの「種をまく人」を所蔵していることで有名な山梨県立美術館に行ってきた。徽墨会展を見るためである。書道は上達段階に応じて1級から10級まであり、その上が初段で2段、3段と上がって6段までありその上が準師範でその上が師範、でその上が同人でその上が審査員、と言う風に気が遠くなるような階段を登っていってやっと審査員に到達するらしい。私の妻は同人ということで知らない間にかなりの階段を登っていたのだなと思った。その同人の作品がこれである。欄の香やてふの翅(つばさ)に薫物(たきもの)す 松尾芭蕉の句で「いい香りのする欄に止まっている蝶の翅にその香が染みこんでいることだろう」という意味らしい。その書が上手か下手かは自分は全くの素人なので分からないが県立美術館に飾って貰えたのだから毎日練習していた成果として目出度い事だと思う。日曜日に私はピアノのレッスンに行ってきた。ロシア民謡の「トロイカ」をかなり練習してレッスンに臨んだので少しは褒めてもらえるかなと思ったが、それはとんでもないことで付点四分音符の付点部分が延ばしてないとか、弾き直しをしてはいけませんとか散々注意されて、褒められると思ったのにその反対でがっくりしてしまい帰ってきてからもピアノを弾く気持ちは全くなくなってしまった。もうやめようかなと思った。それ以外にもダメージを受けることが重なって昨日はどうしょうもない自暴自棄に陥ってしまった。妻は長い練習の結果、同人になって檜舞台に出して貰えたのに自分はもう10年以上ピアノを練習しているのに基本的なことが何もできていなくて、嫌になってしまった。そして今日の月曜日。入院している患者さんを回診していると昨日の苦しみはなんのそので気分がだんだん明るくなってきた。そして極めつけは今日入院してきた96歳の女性である。脳梗塞で入院してきたがある程度会話はできる。今まで一人暮らしで炊事洗濯すべてしてきたとのことである。そして日記を毎日書いてきて昨年12月に脳梗塞で倒れる前の12/8まで毎日書いてきてその日記の厚さを両手を広げて示してくれたが何故だかその時昨日の苦しみが消し飛んで楽しくなってしまった。またピアノを練習していこうという気持ちが湧いてきた。なぜ96歳まで毎日日記を書いてきたことを知ったらそんなに私の気持ちが明るくなったのかは分からない。先日私の70歳台の友人が1日も休まず日記を書いてきたことをブログに書いていたので凄いことだと思ったがこの96歳の女性ははるかにそれを超えており、上には上があるものだなと思ったことが気分を変えてくれたのかもしれない。いずれにしてもどん底の感情も一晩でガラッと変わるものだなと思った。今は自暴自棄になって人を殺して自分も死のうという事件が相次いで起こっている。苦しくてどうしょうもない気持ちになるとそれがずっと続くのではないかと思うことが自殺や大事件に繋がってしまうのだと思う。どんなに苦しくても一晩でガラッと変わることがあるので失望落胆している人は一晩寝て気持ちを逆転させてもらいたいと思う。
2022.01.24
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昨年9月に入院した84才女性、脳梗塞症例を紹介する。左片麻痺があり、左手、左足が動かない。言語障害、嚥下障害があり、食べることが出来ないので鼻から管を入れて栄養している状態で当リハビリ病院に転院してきた。当初は回診の度に動く方の右手にはめられているグローブ(ミトン)が煩わしく「これを取って、取って」とせがまれるのが辛かった。右手にグローブをはめていないと鼻から入れられている管を抜いてしまうのでミトンを外すことは出来なかった。しかし数日前からそのミトンが外されていた。鼻に管も入っていない。口から食べられるようになったのである。STという専門の療法士が少しずつ食べさせる訓練をして、最初は朝一食のみで他は鼻管栄養、しばらく様子をみて昼も経口摂取を試みてみる。何度も何度もトライしながら昼も食べられるようになったら夜も試してみるという方法で遂に3食口から食べられるようになり、鼻管を抜き、ミトンも外されたのである。今朝の回診では顔は晴れ晴れとして輝いていた。そして「ありがとう、ありがとう」と言われた。今は座る練習をしたり、車椅子にも乗っており、入院当初とは大きな違いである。ここまで来るには4カ月かかっており、簡単ではなかったが辛抱してリハビリ受ければここまで来れるという好例だと思った。個人差や病巣の広さなどによって回復の程度は異なるが概ね半年近くなるとかなり改善する印象を持っている。脳梗塞になっても絶望しないで時間はかかるけれども少しずつ良くなることを信じてリハビリを行ってもらいたいと思う。
2022.01.21
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今朝の「マー姉ちゃん」の場面はマー姉ちゃん達の疎開先福岡市が空襲を受けた場面であった。B29という爆撃機軍団から200発近い焼夷弾が落とされた。家々を焼き払い人々が苦しみ悶えながら死んでもいいという作戦だったのだ。爆弾に直撃されて死んだ人もいれば火事の炎で焼かれて死んだ人もいた。街に住んでいる人達を皆殺しにしようとした米軍兵士達。家を焼かれて焼け死んでいく人達の苦しみは想像できなかったのであろうか?もはや人間ではないと思った。酷いことをしたものだ。戦争とはそういうものなのかも知れないが、最高司令部の作戦で勝つためには手段を選ばず獣以下の動物になってしまっていた。焼夷弾を落とされて負傷しながら逃げ惑う町民の姿をみて涙が止まらなかった。戦争は人間を人間でない獣以下にしてしまう。戦争だけは何としても避けなければならない。一時の感情に走ってはいけない。自国、他国の民衆のことを思い、辛抱強く対話を続けてもらいたいと思う。
2022.01.20
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1月14日にお亡くなりになった開業医のI先生の自宅に17日にお伺いしてお顔を拝見し昨日18日にお通夜に参列し本日告別式に参列してきた。17日に死に顔を拝見した時は其の色つやが生前と全く変わっていないのに驚いたが、お通夜と告別式に参列してまた驚いた。コロナ渦なのに寒風吹きすさぶ会場に参列者が溢れていて、花輪の数は数百に及ぶと思われ今までに見たこともないお葬式であった。恐らく現職の知事さんや大臣、どこかの会社の社長さんがお亡くなりになってもこのように盛大なお葬式にはならないと思った。お葬式が盛大ならご立派な生涯という事ではないと思うが交友関係が極めて広かったのだなと思った。盛大なお葬式をみて私は17日に拝見した世にも稀なる死に顔を思い出し、それとこの類まれな葬式と関係あるのかなと思った。あの死に顔を見ているので死んだとはとても思えず生きているように思えてならなかった。生きていて参列者一人一人に挨拶しているのではないかと思った。今までは生と死には明確な境界があって、生きている人と死人は全く違うと思っていたが、I先生の場合は境界が感じられなかった。死んでいるようで生きている。生きているようで死んでいる。不思議な感覚だった。恐らく、いや間違いなく死んでいるのだと思うが生きてもいるのではないかという感覚もある。参列した方々もそれ程深刻な顔をした人はおらず私と同じような感覚を持ったのではないかと思った。今後もお付き合いさせて頂こうと思った。
2022.01.19
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暖房器具が壊れて新しいものを購入しなければならず機種選定で家庭内で言い争いがあり、気まずい雰囲気が続いているが職場にきたら気分が晴れて楽しくなった。職場は色々あり家内工業だと家庭の延長みたいなものだし、大企業だと大きな歯車の一部に過ぎない場合もある。私が勤めているのはその中間の中小企業である中型病院である。朝回診すると患者の皆さんが待ち構えてくれていて笑顔を向けてくれて癒される。2階、3階、4階の各病棟には数十人の看護師がいてそれぞれに挨拶して、返されてこれも楽しい。中にはつっけんどんで愛嬌のない人もいるがそれもそれほど気にならない。他に理学療法士や事務職や掃除の人達とも触れ合うが楽しい。それなのになぜ家庭はそれほど楽しくないのか。職場は横の広がりである。何十人、何百人という人達と触れ合わなければならない。そこは職業意識で誰をも平等に尊敬(リスペクト)しなければならないという意識が働いている。患者さんやスタッフについて誰かを嫌ったり見下げたりしたらいい仕事が出来ないことが分かっているからである。所が家庭はどうか。縦のつながりである。職場より家庭の方がつきあい時間は長い。そして家庭はプロフェショナルの世界とは違う。いい仕事をしなければならないという気持ちは働いていなかった。職場では総ての人をリスペクトしていたのに家庭ではそうしていなかった。相手もリスペクトしてくれないのでお互い蔑みあう結果となってしまっていた。たかが暖房機について自分の言い分を聞いてくれない相手をお互いがお馬鹿さんだと思い反目する。人間社会で楽しく暮らすには周りの人をリスペクトすることが最も大事だと思っていたのに家庭ではそれをしていなかったことを思い知った。相手の言い分や態度がお馬鹿さんだと思っても包み込める度量が無ければ相手をリスペクトすることは出来ない。まだまだ修行が足りないと思った。
2022.01.18
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今までに親兄弟や親せき、患者さんなど多くの方々のお亡くなりになった時の死相を見てきた。長患いの後だと衰弱した死相が多く、苦しみの後だと苦しみの死相が多かった。高齢であまり長く病まないで亡くなった人などは安らかな相が多かった。いずれの場合も殆ど蒼白で硬直していて死んだ人と言う印象であった。ところが3日前に82歳でお亡くなりになったとのお知らせを頂いて本日お伺いした開業医の先生のお顔を拝見して驚いてしまった。蒼白どころか頬には僅かに赤みがあり、表情も生きていた時と全く変わらないご様子で、生きていた時と全く同じ色艶と表情で本当に死んでいるのか分からない状態だった。硬直もなくこんな死に顔は生まれて初めて見た。これには死に方も関係しているのかなと思った。いつもと同じように診察室で患者さんを診察していて、その後製薬会社のMRさんと話をしている途中でお亡くなりになったとのことである。ピンピンコロリと苦しまないでお亡くなりになったのであのような素晴らしい死相を保っていたのかなと思った。
2022.01.17
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毎朝7時15分から朝ドラの再放送「マー姉ちゃん」を観ている。マー姉ちゃん一家は福岡、東京、そして疎開で再度福岡と住居が変るが心温まる近所付き合いがあり、妹のまち子はのらくろの田川抱月に師事し、姉のまり子は菊池寛の小説の挿絵を書いたりして社会にも溶け込み楽しく暮らしていた。今放送している場面は太平洋戦争終盤で空襲警報が鳴り続ける中でまち子が畑を耕して野菜を作ったり、新聞社の絵画関係の仕事での収入で何とか暮らしていた。まり子は挿絵を描いていた頃に原稿を取りに来ていた毎朝新聞の社員と結婚したがその東郷新八郎は招集を受け外地で従軍していた。そして先週の放送で東郷がインパールで戦死したとの毎朝新聞からの内報があった。周りでは悲しんでいるがまり子は「私は信じません。新八郎さんは生きています」と信じようとしない。「絶対帰ってきます」と言い張る。女中だったお千代の夫も戦死したと通知を受けていたがそのお千代さんにも「死んだなんて信じてはだめよ」という。信じる者は救われるというが、事実は事実である。ずっと信じていればその間は幸せかもしれないがいつまで信じ続けることが出来るだろうか?願い事をする時に「必ずその願いは叶う」と信じることが大切で「叶わないかもしれない」と思ったら叶わない。信ずれば叶うと言うのは「信ずることによって叶わせる不思議な力が働く」ということだと思うが、世の中には事実というものがあり、絶対無理な願いというものもあるのではないかと思っている。今後どのような展開になるのか案じている。
2022.01.17
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昨日から大学入試共通試験が始まった。受験生にとっては新型コロナ蔓延の最中であり東大正門前では受験生ら3人が高校2年生の犯人に背中を刺される事件もあった。今朝は津波警報もあり、大変な環境の中での受験でさぞかし大変だと思うが頑張って貰いたいと思う。今朝の新聞に昨日の試験問題とその回答が載っていた。その膨大な量に圧倒されたがまず国語の問題についてみてみた。長文の読解と長文内の漢字の読みや意味のテストが主だが長文が4つもありそれぞれがかなり長くそれを読むだけで時間が終わってしまいそうで受験生は速読の訓練をしておかないと無理だなと思った。最初の長文は檜垣立哉さんの文章で宮沢賢治の「よだかの星」を参照して「食べる」ことについて考察した文章である。宮沢の記述ではヨダカは皆に虐められ何をしても孤立してしまう。いつも自分の醜い容姿を気にかけている。何をしても蔑まれなぜ自分は生きているのかと思う。しかしそのヨダカだって空を飛び、羽虫を食べ甲虫だって食べてしまう。なぜ自分のような存在が劣等感を持ちながら他の生き物を食べて生きて行くのか分からない。問題文の文章はまだ延々と続くがこの文章の中間点の段階でヨダカはこれからどのような思考を展開していくか6つの文章から一つ選べとなっている。選択枝1は生きる意味が見いだせないまま虫を殺して食べていることに苦悩し現実の世界から消えてしまおうと考える。2は皆に蔑まれるばかりか最後は自分も鷹に殺されて食べられてしまう境遇を悲観して彼方の世界に旅立とうと考える。3は弱肉強食の関係を憎悪して不条理な世界を拒絶しようと考える。4は他者を犠牲にして生きる中で自分の存在が疑わしいものとなり新しい世界を目指そうと考える。5は鷹に脅かされながらも羽虫や甲虫を食べ続けている矛盾を解消できず遠くの世界で再生しようと考える。回答は消去法で旅立とうとはしていないので2や4ではなく世界を拒絶しようともしていないので3でもないと思った。残るは1か5だが私は1を選んだ。しかし回答は5であった。もう一回長文を読み返してみたら最後に筆者の檜垣さんは「弱肉強食の苦しみを昇華させるには数億年彼方の星に自らを変容させていくしか解決策はないのである」と書いてあったので5が正解で良いのかなと思った。しかし宮沢賢治はこの問題には解決策はなく「遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう」と記述していたので私は1を選んだ。自分が生きるためとはいえ他の生物を殺して食べなければならない自然界の摂理は一部の人達にとっては耐えがたく心苦しいことである。檜垣さんは数億年彼方の星にいけば解決できると考えたのかもしれないが、実際には永遠に解決できない超難問題である。私はせめてもの償いは食べ物を粗末にしないことだと思っている。
2022.01.16
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昨年3月に107歳で亡くなった書家で墨を用いた抽象表現という新たな芸術を切り開きニューヨークの一流ギャラリーなどで発表を重ねて世界的な評価を受けて今や世界中の有名美術館、海外王室や宮内庁等に作品が収蔵されている篠田桃紅さんが死ぬ間際の2年間に書いた「これでおしまい」という本を読んだ。生涯独身、一人で自由を謳歌して人生を駆け抜けた人だと思った。はしがきに「人生というのは長く生きてきたけれど何もわかりませんよ。この百余年ばかりこの世に生きてこの宇宙、人生、そういうものをわかろうなて思ったってそりゃ無理です。」と書いているが誰にだってわからないと思う。しかし「春の風は一色なのに、花はそれぞれの色に咲く」とは「人は皆それぞれに生きなさいってことよ」と書いており、篠田さんという一人の女性の個人的で爽やかな生き方の集大成で素晴らしい一幅の書のように感じられた。最初は「人は結局孤独で一人、人に分かってもらおうなんて甘えん坊はだめ。誰も分かりっこない」で始まっている。「人生は最初からお終いまで孤独ですよ。一人で生まれ、一人で生き、一人で死ぬんです。誰も一緒にはやってくれません。仲良く手をつないでいても中身は孤独なんです。夫婦だって親子だって友人だってみんなそうよ。後になって孤独だってことが分かる」と述べており、孤独でない人なんていないのだから誰かが助けてくれるだろうとか誰かが一緒についてきてくれるだろうなどと思わないで自分で人生を切り開いて行くべきだと述べている。「自分の生き方は自分で生み出していかなければいけない。自分で苦しんで自分で掴んでいかなきゃ」「あの人があの時ああ言ったから自分はああした。他人のせいにしてはだめ」「人はこう考えてはいけないなどということはなく、自由にどう考えてもよく、むしろあらゆる方向から色々考えなくてはいけない」「自分の思い通りに人生がなったという人はあまりいない。こんなつもりではなかったとみんな言っている。」「大抵の人は不幸な思いをしてそれでも慰めを見つけて暮らしている。自分で自分を勇気づけるというのか生かしていこうとする。何か生きる術を見つけ出す力を持った生き物なのよ」「死ぬというのは人間と言う生き物が息絶えるということでいくら人生がどうのこうのと言っても他人からみたら何でもないことですよ」等々、あくまでこの世には最終的には自分一人しかおらず、自立して生きるべきで自分はそのように生きてきたと述べていた。この世は人と人が助け合い、繋がりあって成り立っているので他人のことに関心を持ち他人を助けるために生きるべきだという人もいるが篠田さんはあくまで一人ということを自覚して自由に生きてきたと述べていた。生き方はそれぞれなので自分は自分の生き方をしていこうと思った。
2022.01.15
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今ニュースを観ていたら岸田首相が学術会議の会長と話し合ったことが報じられた。「前政権の菅総理が決裁したことで手続きは終了している。しかし今後学術会議と連携していくことは重要で松野官房長官に引き続いて話し合って頂く」との談話を発表した。この問題については昨年12月16日の朝日新聞声欄に私が「首相は学術会議会長と話し合ってもらいたい」と投書したことを実現して下さったことで、大変うれしく思い感謝する。政府が科学や学術と喧嘩していてよい政治が出来る訳がない。前の政権が決めたことを簡単に覆すことは出来ないかもしれないが引き続いて協議して頂くことになったのは大変よい事で岸田首相に心から感謝する。
2022.01.13
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水曜日午後7時から「東大王」というテレビ番組があり、昨日は東大生が選んだ今年期待の100人が番組の中で取り上げられていた。1位は殆どの人が予想したと思うがアメリカ大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手だった。2位はなんと電気自動車テスラ会長のイーロン・マスク氏や話題を集めた日ハム新庄監督、アメリカ大統領バイデン氏等を抑えて岸田総理が選ばれた。新しい資本主義を標榜してどのような経済体制を構築していくか興味があり期待しているとの声が多かった。東大受験して3回も不合格になったという秀才型でなく努力型の真面目な政治家として評価するという声もあった。東大生が世界の100人の中で大谷に次いで2番目に岸田総理に期待しているとは想像もしていなかったが、岸田総理の責任は重いと思う。今迄はコロナが静まっていたので岸田総理の大きな失態はなかったが今オミクロン株がどんどん増えている現状があるので腕のみせどころである。介護や医療関係者の給料を上げることを実行しているがそれ以外のサラリーマンの給料をどのようにして上げていくかもポイントになると思う。本人は真面目で不正はしないと思うが過去の総理の隠蔽とかごまかしの答弁に対してどのように対処していくかも難問である。努力型政治家として誠実で誤りのない回答をだしてもらいたいと思う。
2022.01.13
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北大医学部同窓会新聞が送られてきた。毎号逝去者の名前が載っているが今号にM君が載っていて大きな衝撃を受けた。学生時代M君はいつも学生服をきていて坊主頭でずんぐりむっくりしていた。浮いた話は聞いたことがなく勉強が良く出来ていつも着実に努力していた朴訥(ぼくとつ)そのものの学生だった。卒業後早くにアメリカに渡り、アメリカで精神科の教授をしていると聞いていた。その体型や生活ぶりから同級生一のタフネスで死に最も遠い男で同級生みんなが死んでも彼ばかりは生き残るだろうと思っていた。それなのに彼は現役合格なので浪人合格の私より3つも若くして亡くなってしまった。あのタフネスそのもので将来が最も期待されていた男が死んでしまったのである。同窓会新聞を見ると順次同級生が亡くなっており、次は自分ではないかと思う。M君はあれだけの人物だったのでまだまだやるべきことが多かったと思われ、思い残すことも多かったと思うが、彼に比べかなりちっぽけな私にも近く順番が来るだろうと思うと焦る気持ちが強くなった。今から頑張っても遅いとは思うがその時が来るまではもがいていこうと思う。M君の冥福を心からお祈りする。
2022.01.12
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パーキンソン病で入院している患者さんの家族からテレビを観させてやりたいがいかがでしょうか?と聞かれた。いつもぐでんと寝ているだけなので見る力があるか分からないのでどうかなと思ったが、刺激になって脳が活性化したら嬉しいので是非設置してもらいたいとのことで借入れ許可したが事務所でその費用を聞いたら1日200円で月に6000円~6200円かかるとのことだった。かなりの大金である。医療費の1割負担でもその位の支払いの人もいる。生活保護の人はテレビは無理だと言われる理由が分かった。料金は高いけれど生活保護以外の人は殆どテレビを観ている。入院していてリハビリや入浴以外の空き時間の退屈しのぎには最高の娯楽になるのではないかと思った。先日の私のブログでテレビの番組内容に関しお笑い芸人さんばかりが出ているのは検討して頂いた方がよいと書いたが、入院している人達には番組内容にかかわらずテレビが観れることが生き甲斐かも知れない。そしてむしろお笑い番組の方を楽しんでいるかも知れない。テレビ番組は観る人のおかれた状況によって良し悪しはきまるので一概に批判できないなと思った。それはそうと高い金を出してテレビを借りることになったパーキンソン病の方が実際にテレビが観れるかどうか気がかりだが、少しでも活用できるように配慮していきたいと思う。
2022.01.11
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第74回バレーボール全日本高校選手権の決勝が昨日東京体育館で開かれ山梨代表の日本航空高校が熊本代表の鎮西高校を3対2で破り初優勝した。試合は1セット、2セットを鎮西が連取し後がない状況の中で日本航空が第3セットをかろうじて勝つと第4、第5セットを勝利して大逆転勝利した。1、2セット連敗した段階で強豪鎮西にはやはり歯が立たなかったなと殆どの観客は思ったと思う。所が選手達は違った。第3セットを粘ってどうにか勝ち抜いて第4セットにつなげたのである。日本航空は昨年関東大会で優勝し夏の全国高校総体に挑むはずだったが新型コロナ感染者が出た関係で出場辞退しなければならなかった。しかしその分8月、9月に全国の強豪校と例年の4倍の約200セットの練習試合を重ねた。多い日は1日10セットで試合にすると4~5試合の練習を重ねてきたのである。その練習量が決勝でフルセットまで戦うスタミナとなり、終盤で振り切ることができたのかもしれない。関東大会で優勝していよいよ全国大会で頑張るぞと張り切っていた時に全国大会に出場することが出来なかった。悔しくて悔し涙にくれたことと思う。しかし1月に全日本選手権があると思い直して必死で練習を積み重ねてきた努力は凄いことだと思った。しかしいくら努力しても相手の方が明らかに強ければ勝てない。実力伯仲していてもほんのわずかなミスで敗退して決勝まではなかなか進めない。同じような逆境に置かれて涙の努力を積み重ねてきてもそれが報われないことは圧倒的に多い。日本航空は何故報われたのか考えてみたが人智では分からないと思った。日本一の実力があったからだろうか、スタミナがあったからだろうか、選手の気持ちが一つになっていて連携がよかったからだろうか、高校総体に出場できなかった悔しさがバネになったからだろうかなど色々考えてみたがこれらに相当する高校は日本航空以外にも沢山考えられ、決め手にはならないと思った。人智を超えた目に見えない力によって成し遂げられたことだと思うが選手一人一人の勝利への強い意志がなければ到達出来なかったことも確かである。強い意志と天の恵みによって成就した快挙だと思う。
2022.01.10
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文春デジタル版で次期総理と5年後の総理には誰が相応しいかのアンケートを政治、経済関係の記者123人に行って順位を決めてその解説を載せていた。私は一時は若くて弁舌達者で行動力のある小泉進次郎氏に心酔し次期総理に熱望していた。しかし次第にその能力や人間性に失望することがあり、今では推薦していない。次は安倍政権のごまかしや隠ぺい姿勢に堂々と対決していた石破茂氏を推薦し、石破氏の総理総裁を夢見た。しかし石破派は崩壊し党内で石破氏支持者がどんどん減っている現状をみて石破氏の総理総裁は無理だなと思い始めている。絶大な力をもつ安倍政権に断固とした姿勢で対決するのはいいが、それを支える人がいないという事は戦いには勝てないのではないかと思った。我が郷里の武将武田信玄の強さは群を抜いており信長も家康も尻尾を巻いていた。その強さの秘密は武田24将という優秀で力強い部下がいたからである。彼らは命をかけて信玄を守り、攻める時には勇猛果敢に戦い我先にと手柄を立てていた。石破氏には24将がいないのである。24人いなくてもいい、数人でもいいから命にかけて石破氏を首相にすると献身する人達がいれば可能性があるが、今の所は武田24将に匹敵する人達はいないようだ。文春アンケートで次期首相第一位は林芳正外務大臣だった。経済、外交、通商、農林あらゆる分野に通じており、語学も堪能で日米に信頼関係のある友人も多数いて次期総理に相応しいとのことだが実際になれるかどうか分からない。武田24将のように林総理実現のために粉骨砕身努力してくれる人たちがいるかどうかだと思う。5年後の総理一位は元総理福田赳夫氏の孫であり、元総理の福田康夫氏の子供である福田達夫氏が選ばれた。昨年の総裁選で「党風一新の会」を立ち上げて90人以上の同調者を結集し岸田内閣で党の重要役職の総務会長になった手腕と人望と手練手管が評価されたものだと思われるが5年後となれば今後の活動や学習努力によっても状況は変わってくると思う。これからも熱烈に支持してくれる力強い味方がいるかどうかが鍵だと思うが、この5年間で総理になった時の明確な政策ビジョンを確立することも極めて重要と考える。
2022.01.08
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高齢になってからの生きがいはそれぞれの人によって違うと思う。また時代によっても違うだろう。今の様な高齢化時代と60歳が平均寿命だった頃の高齢になった時の生きがいは違うと思う。私は今リハビリテーション病院に勤めており、入院している患者さんを毎日回診している。殆どがご高齢の方で鼻から管を入れて栄養している人もいれば骨折が治って近く退院予定の人まで様々だ。正月にも家にも帰れずさぞかし寂しい思いをしていただろうと思っていたが皆さんベッド脇のテレビを観たりしてそれなりに楽しく過ごしていたようだ。回診に行くと皆さん私を仲間や友人のように懐かしがってくれた。脳梗塞で半身不随の人も動く方の手を振りながら嬉しそうに挨拶してくれた。今までは年とったら楽しみなんてないのではないか?、ましてや骨折や脳梗塞で入院していなければならないとなると落ち込んで暗い顔をしているのではないかと思っていた。所がこの病院にきて感じたことは、皆さん思っていた以上に明るく、年取るのもまんざらでもなさそうだと思えたし、入院生活だってそんなに辛いものではなさそうだと思えた。一人一人から笑顔をもらい、こちら迄幸せにしてもらい勿体なくも申し訳ない気持ちになった。がんの末期であと何か月という余命の告知を受けている人も明るい顔で挨拶してくれた。自分にはとてもそんなことは出来ないと思い、皆さんを敬い、その方々との交流で幸せを感じた。そして高齢になって病院に入院している方々の生きがいを考えてみた。どうも皆さんそんなことはさらさら考えていないようだった。高齢になると皆さん大なり小なり認知症になっている。記憶力も判断力もかなり落ちている。それが却っていいのかなと思った。出世だとか金持ちになるとか有名になりたいとか、生きがいとかそんなことを考えている人は誰もいなかった。高齢になって枯れてきたのだと思う。高齢になってもまだ出世とか、金儲けとか、生きがいをみつけたいとか思っている人もいるかも知れないが、そういう人はここの人たちのように明るい表情にはなれないのではないかと思った。高齢になって幸福でいい表情でいられるには出世とか金儲けとか有名になりたいとか幸せの家庭にしたいなどの欲望を一切捨て去ることではないかと思った。そしてそれこそが高齢者にとって自然のままの本当の生きがいなのかもしれない。
2022.01.07
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先日家に来た親戚の人が「最近のテレビ番組は面白くなくて殆ど見ない」と言っていた。そう言っている人は他にも大勢いて私もそのうちの一人である。朝ドラとか衛星放送の「英雄たちの選択」「クイズ番組」の特定の物などは観るが他はあまり見ない。新聞のテレビ番組の時間表をみると3時間番組、4時間番組などがずらりと並んでいる。3時間も4時間もテレビを観ている暇人がいるのだろうか?と思う。新聞の時間表に書いてある内容説明もごちゃごちゃ一杯書いてあって何を放映しようとしているか分からない。出演者は殆どお笑いの人達だ。テレビ局や製作者側の意図はなんだろうか?と思う。恐らく市場調査して売れる番組を作っているつもりだと思うが果たして本当に売れているか厳密に調査して番組内容を再検討してもらいたい。お笑いの人達も厳しい修行をして芸を磨いてきた人達だと思うが製作者がその人達を使えば番組が面白くなると思っているとしたら極めて皮相的な見方だと思う。テレビは大衆娯楽の中心として長い間国民を楽しませ、癒し、教養を身につけさせ、経済の活性化にも役立ってきた。しかし近年のテレビをみるとドタバタ騒ぎが多く、癒すどころか却って悩ますことになっていないだろうか?と思う。テレビの管轄は総務省となっているが国で放送内容の規制はできない。言論統制になり憲法違反になってしまうのであくまで自主管理、自主規制して頂くしかない。テレビ局各局は視聴者の意向などもよく調査して、テレビのあるべき姿をよく検討して人々を幸せにするよき番組を制作してもらいたいと切に望むものである。3時間番組、4時間番組は儲かるのかもしれないが視聴者の意向も考え、通常は1時間以下、特別の場合には高々2時間位の番組にすべきだと思う。
2022.01.06
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仕事始め、会う人皆さんから「明けましておめでとうございます」と言われるのがもう何十年も経験してきたことだが少し照れくさくて苦手である。少し休みが続いたので患者さんの容態が心配だったが殆どの皆さんは大体落ち着いていて安堵した。しかしすい臓がんの方は1月2日に嘔吐と発熱があり、当直の先生が対応してくれて絶食と点滴の指示をだしてくれてあったのでその指示を継続しながら、大病院への転院依頼の手紙を書いた。大病院は救急患者や重症患者を受け入れたりする最後の砦で、一般の患者さんや個人病院の医師などが最も頼りにする病院である。リハビリ病院というのは、大病院で手術等した後その後日常生活復帰までの間の訓練を担当する病院である。中小病院と言うのは大体200ベッド以下の病院で慢性疾患での入院や小手術などをしてくれる病院である。個人医院はかかりつけ医院ともよばれ、地域で常日頃見て頂く医院である。どこか具合が悪いと感じたらまずかかりつけ医に相談するのがよいと思う。そこで必要があれば中小病院や大病院を紹介してもらうことになる。入院が必要な場合にはまず中小病院に紹介するがその病院で手におえない病気だとすれば直接大病院に紹介することもある。リハビリ病院は大病院から手術後の患者さんが送られてきて中小病院からも時に送られてくることもあるが個人医院から送られてくることはない。医院や病院はそれぞれ機能分担しているがそこで働いているのは同じ医師免許をもった医師たちであり大病院の医師が一番偉いという訳ではない。しかし大病院は専門分化しており、技術も高く医師が多いので夜中でも対応してくれる有難いところである。所が平均年齢をみると大病院の医師が最も若い。その次は中小病院の医師だと思う。その次は個人医院で90才以上の高齢の医師もいる。それより高齢な医師はリハビリテーション病院かも知れない。リハビリテーション病院は骨折後とか脳卒中後とかがんの末期とかご高齢の患者さんが多いのでご高齢の医師でも務まるのかもしれない。大病院以外の病院に勤務している医師は大病院におんぶに抱っこされている感じだがそれぞれの持ち場はそれなりに重要なのでその持ち場で力の限り努力していこうと思う。
2022.01.04
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いよいよ明日から通常業務の人が多いと思う。私もそうだが何歳になっても気が重い。子供の時と同じで、夏休み明け、正月休み明けは緊張してなんとなくいやだ。ところで私はピアノを習っている。今まではモーツアルトのフィガロの結婚を習っていたが今度は新しい曲を弾きましょうということで易しそうなロシア民謡のトロイカを習うことにして練習を始めたが簡単ではなかった。休み中練習してみたがすぐ弾けるようにはならなくて「もうかれこれ10年近く習っているのにこんなに簡単な曲もすぐ弾けないのか」と情けなくなりピアノを投げ出したくなった。そんな時ピアノの先生から年賀状を頂いた。「熱心にレッスンに通い、一生懸命努力していることに本当に感心している」と書いてあった。レッスンでは褒められたことはほとんどない。かなり練習していって「今日は褒められるかな」とかすかに期待している時でも練習していったこととは別のことで注意を受けて散々な思いをして帰ってくることが常であった。難しい教えが中々その場でマスターできず、先生は「なんと出来の悪い生徒なんだろう」と思っているだろうと思っていた。でもその年賀状をみて、先生の真情を感じた。レッスンでは難しい(本当は易しいことかも知れないが私の基礎力や理解力が足りないので難しく感ずるのかも知れないが)ことを指導してくれるが褒めてくれることはなく「全くの駄目生徒」と思われているのだろうと思っていたがどうも少し違うようだと感じた。「先生は私の努力を認めてくれていたのだ。でもただ弾けるということよりリズムとか音の表情など基本的な事の理解の方がもっと大切なのですよ」という事を教えたかったのだと思った。いずれにしても先生の愛情あふれるお言葉に接して発奮して再度ピアノに挑戦していこうと思った。人間なんて(私だけかもしれないが)単純な生き物だと思った。褒められればやる気を出し、褒めてもらえないとやる気がなくなっていくものだと思った。
2022.01.03
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第98回箱根駅伝の往路では地力のある青山学院大学が優勝した。明日の復路でも実力を発揮して総合優勝を目指しますとの原監督の自信あふれるコメントがあった。トップでゴールした青山学院大学1年生若林宏樹選手今大会の注目は20位だった初出場の駿河台大学の今井隆生選手(31歳)だと思う。都立高校在学中から箱根駅伝に憧れ箱根駅伝で走りたいと思って日本体育大学に入学した。しかし入学してみたら自分のレベルでは箱根はかなり遠くて、駅伝は諦めてトライアスロン部に入って大学選手権などで優勝したりして卒業後は実業団でも活躍したが全日本選手権で23位と振るわず心の糸が切れてしまった。トライアスロンを諦め中学の保健体育の教師として働いていたが箱根駅伝への夢はその時になっても消えることがなかったので、トライアスロン選手時代に知り合った駿河台大学駅伝部監督がいる同大学心理学部に3年生編入で入学させて頂いた。入学後は駅伝部に入り箱根駅伝を目指したが、同大学は箱根駅伝に出れるようなレベルではなく、過去一度も出場はしていなかった。しかし今井隆生選手の熱意に引きずられるようにして昨年秋の選抜大会で見事出場権を勝ちとり、本日の出場になったのである。4年生の今井隆生選手は4区を走ったが5区は3年生の永井竜二選手だった。こんな偶然もあるものかと驚いたが永井選手は中学時代今井教師に教わったことのある教え子だったのである。今日は2人とも20位から順位を上げることは出来なかったがが箱根を走るという夢が叶えられて満足だったのではないかと思う。5区を力走する中学時代に今井隆生先生の教え子だった大学3年生の永井竜二選手今井隆生選手は高校生の時に箱根駅伝に出たいという大きな夢を持った。しかし自分の実力などから一旦は跳ねつけられたがトライアスロン選手として体を鍛えた後で再度箱根に挑戦して見事その夢を叶えた。それには多くの同僚や先輩、家族の支えと箱根とは全く無縁だった駿河台大学が箱根に出れたという幸運が重なって夢が実現できたことを心から祝福する。箱根を夢見る中学生や高校生は半端な数ではないと思う。しかし箱根駅伝に出れるのはほんの一握りで殆どはその夢を見ただけで終わっている。今井選手だってそうなる運命だったのかも知れないがちょっとした運命のいたずらで出場できた。もうだめだと思ったことでも諦めなければ何かの加減でそれを掴むことが出来ることもあるというエピソードに感銘を受けた。駿河台大学の明日の復路での活躍を祈っている。
2022.01.02
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新年が明けた。新年と言ってもガラッと新しい年に変わる訳ではない。社会的にも個人的にも過去との連続の中で気分一新して新しい自分や新しい社会を作っていこうと決意する分岐点だと思う。プロ野球に関していえば昨年はそれまで2年連続最下位で昨年も殆どの評論家が最下位と予想していたヤクルトがセリーグで優勝し日本シリーズでも勝って日本一になった。奇跡が起きたようなことだが、そういうこともあるのだと知れば、個人的にも努力しても報われずいいことが全くない真っ暗な人生の人でもあるきっかけで人生が上向いて栄光を掴むことが出来ることもあることを示した好例ではないかと思う。スポーツ情報ネットAERA dot.が年初めに今年のセリーグの順位予想をしていた。1位阪神、2位DeNA3位ヤクルト、4位巨人、5位広島、6位中日と予想していた。中日は立浪新監督が就任して柳始め好投手を有し、根尾などの野手陣も伸びて来ていて好材料はあるが長打力が足りないという事で最下位に予想されていた。予想はあくまで予想なので昨年のヤクルトのように最下位予想の中日が優勝するかもしれない。私の人生もパッとしない人生で花も咲かないまま人生終わってしまいそうな状況になりつつあるが、プロ野球の順位予想と同様、奇跡が起こるかもしれないのだ。昨年のヤクルトチームのように自分を貶すだけでなく自分をほめてやって「絶対大丈夫」と自信を持たせて花を咲かせてやりたいと思っている。
2022.01.01
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