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内科学会誌1月号の特集は膵臓がんだった。膵臓がんは発見された時、もしくは症状が出た時は既に進行がんのことが多く極めて予後の悪いがんである。2007年の膵がん報告登録によると全膵がんの平均生存期間は10カ月で5年生存率は11.6%であった。手術例の平均生存期間は12.5カ月で、5年生存率は14.5%であった。手術できなかった症例の平均生存期間は4.3カ月で5年生存率は0.3%であった。膵がんの危険因子として膵がんの家族歴、糖尿病、慢性膵炎、喫煙等が上げられているが、自分で何とかできるのはタバコ位で他のものは自分ではどうすることもできないことが多い。膵がんはなぜそのように悪性度が強いのか?最初はがん遺伝子K-rasが変異を起こし、その後、がん抑制遺伝子であるP16やP53等が変異を起こしてがんが生じて来るが、発生直後からまわりへの浸潤や転移を起こすのは、基底膜を破壊し膵がん幹細胞などが活躍するからと言われている。打つ手はないのであろうか?手術しても完全に治すことは出来ないし、抗がん剤も効かない。この医学の進んだ時代に何も出来ないとは情けないが、少しずつではあるが研究は進んでいる。希望の星は遺伝子治療だと思う。今回の特集には抗がん剤療法や外科的治療については書いてあったが、遺伝子治療については書いてなかった。しかし、がん遺伝子をやっつけるか、がん抑制遺伝子を変異させないようにすれば膵がんは発生しない。発生してしまっては太刀打ちできないので、発生する前に、家族歴や糖尿病歴などで膵がんのリスクが高い人は遺伝子診断を受けて遺伝子治療を受ければ防げる可能性がある。出来あがったがんに対してもDNAワクチン、サイトカイン、細胞治療などによって治すことができるようになりつつあると平畑徹幸氏はその著「がんの遺伝子診断・治療のすすめ」に書いている。しかしこの遺伝子治療はまだ一般的に行われていないし、保険も効かない。アップル社の前CEOスティーブ・ジョブズ氏は治療のためにお金なら何億円も出せたが膵臓がんには勝てずに56歳で亡くなった。アメリカでもまだ遺伝子治療はそれほど進歩していないのかもしれない。秋葉原UDX平畑クリニックの平畑徹幸氏は遺伝子診断と遺伝子治療の先駆けとして多くの方の治療を行っている。膵がんのような厄介ながんは遺伝子治療の進歩に将来がかかっているのではないかと考えている。
2012.01.31
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日本老年医学会は28日、高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給について、「治療の差し控えや撤退も選択肢」との見解を示した。 近年、口から食べられない高齢者に胃に管をつないで栄養を送る胃ろうが普及。病後の体力回復などに効果を上げる反面、認知症末期の寝たきり患者などにも広く装着され、その是非が議論になっている。 改訂版では、胃ろうなどの経管栄養や人工呼吸器の装着に対する見解が初めて盛り込まれ、「患者本人の尊厳を損なったり、苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや撤退も選択肢」とし、「患者の意思をより明確にするために、事前指示書などの導入も検討すべき」とした。意識もない患者さんが呼吸停止になった時、人工呼吸器を付けることは今では殆どなくなったが、意識のない患者さんでも呼吸をしている限り、胃ろうなどを付けて栄養管理することは多い。本来の寿命は尽きているのに胃ろうによって人工的に命が長らえられ本人や家族に却って苦痛を増大させているのではないかと思える場合もある。認知症や脳卒中になる前に言葉で「私がそうなったら何もしないで貰いたい」と言っていたとか、紙に書いてあった場合にはその人の意志を尊重するが、何もない場合は家族や医師の判断で胃ろうを造るかいなかを決める。その判断基準は、今は自分で口から食べられないが胃ろうで栄養をつけているうちに体力がついて自分で食べられるようになるかも知れないような場合には積極的に造った方がよいが、脳卒中や認知症で回復の見込みが全くない場合などには慎重に対応した方がよいと思う。今まではそのようなケースでも息をして生きているのだから少しでも長生きさせてやりたいと胃ろうが造られる場合が多かったが、今後は違った形で対応することが多くなるのではないかと思われた。
2012.01.30
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今、姉の四十九日法要に参加して帰ってきたところである。49日は新しい世界への出発の時と言われているのでその門出を多くの人に祝ってもらい、心温まるスピーチもあったりして姉も喜んでいたような気がした。これからは天上から我々一人一人を眺め、守ってくれることと思う。今日のテーマは上記とは直接関係ないが民意とか国民の総意と言ったことについて書かせて頂く。今国会が開かれているが、民主党政権は国民の総意で選ばれたとか、マニフェストは国民に約束したことだから守られなければならないなどと言われている。世論調査をしたら増税に60%以上の人が反対していたなどとも言われている。民意とは国民の意志であり、総意であり、世論調査の結果が示す通りであり、政治は民意に沿って進められなければならないと思っている人がいるかもしれない。しかし国民には賢明な人もいれば国のことより自分の利益のことしか考えられない人もいる。若い人もいれば高齢者もいる。収入が多い人もいれば殆ど収入がない人もいる。国民とは雑多な人達の集合体である。民意に沿って政治をすすめるとなれば世論調査をして、多数を占めた意見を民意としてそれを参考にして政治を行うとの考え方が一般的だが母集団である国民の質は全ての人が賢明とは限らない。利己的な人が大半を占めていることもあり、世論調査の結果が正しい方向とは限らない。マニフェストを守らないのはけしからんと攻撃している人達がいるが、時代や財政事情によってそれが守れなくなることが生じて来ることは誰にも分かっていることである。そのマニフェストで政権をとったのだからそれが破綻したなら解散すべきだというが果たしてそうだろうか?そもそもマニフェストで投票した人はごくわずかで自民党の3代の総理大臣があまりにだらしなく自民党ではどうしょうもないから民主党に入れたのであってマニフェストで民主党が勝ったと本気で思っている人はいないと思う。あの時の民意は自民党ではだめということだった。民意は多数決で示されることが多いが、それは必ずしも正しいとは限らず、自国や世界の繁栄につながるものとは限らない。しかし声高にもの言う人がいるとそれにつられて民意が形成されてしまうことが多い。我が国は教育レベルが高く、有識者が圧倒的に多くて世界でも有数の知的国家だが、それがあまり表面に現れていない。賢明な人達が黙っていて意見を言わない体質が災いしているのだと思う。国は様々な人達で構成されており、物ごとの分かった人達もいるはずである。臆病にならずに勇気をもって様々に発言して正しくて思いやりのある民意を形成してもらいたいと願っている。
2012.01.29
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今日本の財政再建は急務である。そのための消費税増税が国会で論戦されている。消費税を上げるなら身を切れとの意見があり、国会議員数の削減や公務員の削減が言われている。私は首を切られた公務員はどうなるのかを真っ先に心配してしまう。昨年の我が国の貿易収支は2兆円規模の赤字だった。任天堂も赤字だという。多くの日本企業は赤字だという。その時何をするかというと人員削減である。失業者は増える。公務員も民間も採算のために簡単に人減らしするが首を切られた人達のことを考えているのだろうか。財政再建も大事である。しかしそのために多くの人達から職を奪うのは本末転倒である。皆で税金を出し合って国の財政を立て直すべきで多くの人の職を奪ったうえでの財政健全化は歓迎されるものではない。人々の幸せとは何か?何か仕事をしていることである。その仕事を充分に分け与えるのが国の最も大切な機能だと思っている。アメリカでも失業者がどんどん増えていてオバマ政権に対する風当たりが強くなっている。一方で月給10億円と言う人達がいると思えば1銭も稼げない失業者があふれている。一人に10億円払うなら、100人の人に10万円づつ支払える。政府は雇用をまず考えるべきだと思う。能率主義で合理化、合理化が進めらているが、それで生産性は増すかもしれないがはじき出された人間はどうしたらいいのだ。自由競争社会で生き延びていくにはコストを減らす、人件費を減らすことが真っ先に考えられるがそれは国や企業の都合であり、エゴである。人を減らさなければ会社はつぶれてしまう。そうなったら首を切った人達の何十倍もの人達が路頭に迷うことになる。会社が生き延びるためには一部の人達に犠牲になって貰うのはやむおえないとの考えがある。私はかねてから主張しているが、そうなったら人減らしでなく社員全員の給料を減らしてその苦境を生き延びるべきだと思う。国の財政が厳しいからといって公務員の首を切るのではなく、公務員全員の給料を減らすなり国民全員で少しずつお金を出し合うことを考えるべきである。
2012.01.28
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今日の外来ではインフルエンザおよびその疑い患者さんが10人以上いた。今猛烈に流行っている。そのうちインフルエンザ予防注射を受けた人も3~4割位いた。このような結果から予防注射は全く意味がないのではないかと思っている人もいる。でも一人の例外を除き、それらの人は高熱がなく、咳などの症状も軽い人達が多かった。「予防注射を受けても罹ることはありますよ」とは言ってきたことなので、約束違反ということにはならないと思うが、注射を受けにくる人はインフルエンザに罹らないようにと思って受診した訳だから、病院も、製薬会社も、国も注射したのにインフルエンザに罹った人達には深くお詫びするべきだと思う。予防注射のことはさておき、本質的な予防はどうしたらよいであろうか?年齢は16歳から78歳まで若者も高齢者も罹っていた。罹った人達をみて罹らないようにするためのヒントを探してみたが、際立った特徴は見出すことができなかった。極めて感染し易いが、全員が感染するわけではなく、感染し易い人と感染しずらい人がいる。マスクや手洗いをすれば感染を免れるというものでもない。感染しずらい人は免疫機能が高められている人達である。野菜、果物を多く食べて、普段から免疫力を高めておくことこそ真の予防法と考える。
2012.01.27
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本日第24回山梨県農村医学会が甲府市で開催された。その特別講演2で山梨大学医学部教授荒木力先生の「放射線の人体への影響について」の特別講演があった。まず放射性物質、放射線、放射能の言葉が大新聞でも混同して使われており、その正しい定義をホタルとホタルの光、一秒間に何度光るかの例えで説明してくれた。次に放射線障害は高濃度と低濃度に分けて考えるがその境界は100ミリシーベルト~250mシーベルト位で高濃度では被曝直後は何の変化も見られないが、放射線には電離作用があり、それがDNAを破壊して遅かれ早かれ障害を起こしてくることが実証されている。人間の体内にはカリウム(K-40)があり、常に7000ベクレルをあびており、シーベルトにすると2~2.4mシーベルト浴びている。シーベルトというのは時間ごとの放射線の影響度を示すもので、100mシーベルト以下では人体に影響があるかないかは分かっていない。100mシーベルト以下の低線量放射線の影響については誰にも分かっていないが、3つの仮説がある。一つは100mシーベルト以下でも人体に何らかの障害があるとする説であり、他の二つは全く影響はないというのと低線量なら却って健康にいいという説である。今、国の安全基準は1mシーベルトだがその根拠はどこにもなく、できるだけ低くしておけば問題なかろうといった程度である。しかし世の中をみると「100mシーベルト以下でも障害がある」と何の根拠もないのにエクセントリックに叫んでマスコミが大きく取り上げたりしている。一方では100mシーベルト以下では何の問題もなく却って健康にいいのだと言っている人もいるがこちらはマスコミでは取り上げていない。いずれも何処にも根拠のないことを仮設をもとに喋っているが、分かっていないことをいかにも分かったようにいうのは間違いである。分かっていないことを言うには「自分はこう思う、しかし反対の意見もある」と言うべきである。とおっしゃっていた。高線量放射線は怖いが、低線量放射線の影響は全く分かっていない(実証されていない)のだから、根拠のない推定をすることは人々の不安をあおることになり、慎むべきだと思う。
2012.01.26
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発熱はウィルス等による感染が起こった場合、免疫システムが活動してサイトカイン類を増加させて脳の視床下部でプロスタグランディンを産生し、延髄体温調節中枢に作用して体温設定温度を高めにセットして全身体温を上昇させて敵と戦い易い環境を作る為の生理的防御機構である。発熱の原因は細菌感染など好ましくないことかも知れないが、発熱そのものはいいことで病原体をやっつけ易い環境を作ってくれた結果である。従ってむやみに熱を下げるべきではないのに、少しでも熱があるとすぐ氷枕で冷やすとか解熱剤を飲むとか熱を下げようとする人が多いが病気を早く治したかったら熱は下げない方がいいのである。正常人の体温は朝は36度5分位で午後から夜にかけて37度3分位になり、明け方に最も低くなりまた午後から夜にかけて上昇していくパターンが普通だが、そのパターンを知らない人は午後体温を測って熱があるといって病院受診したりする。明日山梨県農村医学会があるがそこで私は「原因不明の発熱症の検討」という演題を発表する。83歳女性でもう3年も前から熱がある熱があるとあちことの病医院を受診していた人である。朝はいいのだがいつも午後になると熱が出て来ると言っていた。発熱の原因は、肺炎、結核、腎う炎等の細菌やウイルス感染、リュウマチなどの膠原病、腫瘍熱、甲状腺機能亢進症などが考えられるがこの症例ではそれらはいずれも否定的であった。最後に残ったのは心因性の発熱で御主人が3年前に白血病で亡くなってからずっと熱が出るようになったとのことで、それが引き金になった心因性の発熱だった可能性がある。病気と言うと発熱、発熱というと病気とすぐに結びつけて考える人が多いが、午前、午後の生理的体温の違いや、発熱は病気を治すために体が自ら調節して体温を上げるようにセットしてくれた結果ということを理解して、むりやり下げるべきではないことも認識してもらいたいと思う。
2012.01.25
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昨夜は11時頃まで患者さんが来たが、夜中には起こされなったので眠れたのでるんるんの当直だった。同じ当直でもこんなにも違うのかと思った。全然眠れないと翌日はかなりきつい。今回のように眠れれば翌日は全く平気だ。午前中病棟回診と胃カメラそして健診の診察とフル回転した。午後は大腸鏡3例行った。3例とも難しい症例で時間もかかったし冷汗もかいたが疲れはない。そのあと病棟回診して紹介状や診断書等の書類書きをして7時前に家に帰ってきた。一杯やって例のごと手作りの夕飯を頂いて今パソコンに向かっている。「当直だったのだからそんなことをしてないで早く風呂に入って寝なさい」と言葉が飛んでくる前に行動しようと思う。そうしようと思っていても、人から言われるといい気がしないものだからそう言われる前に風呂に入ろうと思う。
2012.01.24
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私の同僚医師が、私と同じ年のおじさんがいると言っていた。そのおじさんは何もしていないのにいつも「疲れた」と言っている。先生(私)とは全く違うと言っていた。私は疲れたということはまずない。「疲れを知らない子供のように♪♪」と布施明の名曲「シクラメンのかおり」の歌詞の中にあるが最近では結構子供も「疲れた」と言っている子がおり、疲れを知らないのは子供の専売特許ではなさそうだ。老人でも上記の先生のおじさんのようにいつも疲れたと言っているという人もいるとのことで、老人の専売特許でもなさそうだ。疲れはどこから来るのであろうか。一般的には乳酸が蓄積されて疲れを感ずるなどと言われることもあるが感ずるのは脳であり心である。私は面白いことがあるかないかで疲れを感ずるのではないかと思う。子供は遊びに熱中していれば疲れなど感ずる訳がない。老人でも遊びとか趣味とか仕事とか熱中するものがあれば疲れは感じないのだと思う。冒頭のおじさんがいつも疲れたと言っているのは趣味も遊びもないのではないかと想像した。すぐ疲れたという人と疲れを知らない人との違いはやることがある人とない人の違いだと思う。
2012.01.24
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調子は体調のこともあるが、精神のバランスのこともある。今夜は当直で病院に勤務しているが、午後4時頃からお腹がむかむかして気持ちが悪い。3時半頃病棟から退院予定の人について具合が悪いと報告してきた。大したことでもないのにそんなことで報告してくるな!と思った。患者さんのどんな訴えも、ナースのどんな報告も冷静に受け止め、そんなことを言ってくるなとは絶対思わないで真剣に対応すると心に決めているが、時にはいらいらすることもある。そうすると患者さんのため、スタッフのために存在しているといつも言っている自分との間に自己矛盾が起き、さらに精神のバランスが崩れていつもの自分ではないような状況になってしまった。そこにお腹のむかつきであり吐き気である。病棟でノロウイルスが流行っており、感染したのかもしれない。風邪やインフルエンザでもこのような症状になることがあり、今夜は当直なのにやばいことだと思った。精神のバランスが崩れた結果お腹の調子が悪くなったのかもしれない。いずれにしても心身の調子が悪い状態である。この時どうするかである。悪い悪いと言って雪だるまのように悪さを大きくしていくか、その進行を止めるかは精神の平静にあると思う。深呼吸して自然状態に帰れるように精神を落ち着かせようと思う。体の病気が悪化しても精神さえ落ち着いていれば明日まではもつであろう。まず心ありてそのあとに身体は続くものだと思っている。
2012.01.23
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把瑠都が大相撲初場所で優勝した。優勝インタビューで何度も涙を流し言葉を詰まらせた。どんなにうれしかったのかが伝わってきた。18歳で言葉も分からない異国に来て激しい稽古に耐えて遂に優勝したということは言葉では言えない感激だったのだと思う。最近日本人力士の優勝がなくて寂しい一面があるが、日本人より厳しい環境の中で優勝する外国人の優勝は日本人がするより何倍もすごいことだと思う。把瑠都も来日8年で世界で最も難しい言語のひとつである日本語をマスターし、口では言えないくらい激しい稽古に耐えて遂に優勝したのだ。体力に恵まれていたとは言え、精神面で困難を乗り越えてきた点で、どんなに称賛しても称賛しすぎることはないと思う。お父さんを早くに亡くし、体は大きいのに気が弱かったのでいじめにもあったとのことだが、今度の優勝でエストニアの英雄になった。いじめた連中を見返してやれたと思う。今後も精進を重ねて是非とも横綱になてもらいたいと祈る。
2012.01.22
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今NHKでリーダー不足の日本にリーダーを生み出すにはどうしたらよいかを内外の学者や経営者を集めて長時間討論を行っている。エリートを集めて徹底的なエリート教育を行うべきだとか、教育内容を改めて違いの分かる教育を行うべきだなど、様々な意見が出されている。しかしリーダーというのは教育によって生み出すものなのだろうか?たしかに今の日本には信頼に足る強力なリーダーがおらず、街の声でも殆どの人が日本にはリーダーがいないと答えている。しかし、だからといって教育でリーダーを育てようというが本当に育つのであろうか?リーダーというのは教育で生み出すものではなく、自力で這い上がりリーダーになっていくもののよな気がするがいかがなものだろうか? 信長や秀吉、家康らは強力なリーダーだったが育てられたリーダーではなく、自分で這い上がってきた人達である。彼らは足軽とか人質などを経験する中で様々なものを学んで天下をとった。天下人への飽くなき欲求がリーダーへの階段を登らせた動機であり、リーダー教育で生まれたものではない。今の日本にはそのようなものにあこがれる人がいないということだと思う。ドイツのヒトラー、ソ連のスターリンらは強力なリーダーシップを発揮したが、民衆は幸せではなかったし世界をも地獄に突き落とした。彼らが出て来る背景にはリーダー不在で民衆が強力なリーダシップを渇仰していた土壌があった。私は日本も今危ないと思っている。リーダー不在で強いリーダーを求める風潮が高まっているからである。このような時には反社会的なとんでもないリーダーが現れないとも限らないからだ。優れたリーダーによるトップダウンの社会にいれば自分たちも楽で安心だからと考えている人が多いが、とんでもないリーダーが出現したら日本はどこにいくか分からない。封建国家なら兎も角、文化の進んだ我が国のような国にはトップダウンが可能な強力なリーダーはいらないのだ。それより教育の裾野を広げ、誰もが相手のことを思い、他人を大事にし、尊敬していく社会を作って行くことの方が大事だと思う。エリート教育でリーダーを作る(それで本当にリーダーが生まれるかも疑問だが)よりも教育の基本方針を確固たるものにして違いの分かる人間を育てていくことこそ重要と考える。一人一人が他人のことや他国のことを考え、人々の幸せのために真剣に努力する人間を作って行くことこそ最も重要で、エリートを試験で選抜して徹底的なエリート教育をすることではないと考える。
2012.01.21
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「人は死なない」と言う本を新聞広告でみて楽天で注文して今日着いたのでこれから読んでいこうと思う。一般に人間を含めて動物は必ず死ぬものと信じられてきた。それなのに死なないとはどういうことだろうか?批判精神を持ちながらきちんと読んでいこうと思う。死なないと言うからには老いないということもあるのではないかと思う。毎週水曜日は研究日で、常勤している病院に行かなくていいことになっているので、K市医師会センターに内視鏡検査に行っている。常勤病院に土曜日も務めているのだからできることならその研究日は休みとして自由に使える日にしたいが、内視鏡をする医師が中々いないということで、やむなく毎週行っている。今週の水曜日にそこに行った時、私もよく知っているI先生が今年から月曜日に健診に来てくれることになったという。その先生の年齢は89歳だという。看護師さん達とその先生のことで「ずいぶん元気ですよね」と話が盛り上がったところで、若い看護師さんが私の方を向いて「それはそうと先生は何歳ですか?」と聞いいてきた。「人のことを言ってる場合ではなく私も〇〇歳です」といったら「若いー!」とびっくりされた。そこに15年位前同じ職場で働いたことがある看護師さんがいて「先生はあの頃と全く同じでちっとも変わっていないですよ」といった。実際には額は禿げあがり、白髪は増えた(染めているが)し、物忘れはするし、かなり年をとったと思っているが、彼女達からみると老人とはとても思えなかったのだと思う。普通の勤務をしていて研究日に内視鏡に来てくれるのだから年寄りの筈がないという先入観もあったのかもしれないが、話し方とか考え方等からそんな年齢とはとても思えなかったのかもしれない。いつも思ったり書いたりしているが、人の役に立つことをしたい、させて頂きたいと願っていれば年はとらないのではないかと思う。「人は死なない」は読んでみないと本当のところは分からないが、自分の体験を通じて「人は老いない」は真実だと思っている。
2012.01.20
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糸子が既製服工場に行ってみたらそこの工場長はかって糸子の所に紳士服を作ってくれに来たことがある長崎からきた長崎弁の周防さんだった。奥さんもいる人だという。糸子は男勝りで誰とでも喧嘩する気性の女性だが何故か周防さんの前にくるとおとなしくなってしまう。好きになってしまったのである。周防さんは線の細いところもあるが真面目で確かな腕も持っている。糸子のおっとりしたお母さんも糸子の所で働いている縫い子も皆周防さんのフアンである。モテモテで皆に好かれていたがあの当時は周防さんのような男性がもてたのだと思う。今はどうだろうか?周防さんは一見線が細いが芯の強さを持っている。今の女性は線の細い所だけ、影の薄いところだけしか見ないのではなかろうか?あまり関心を持ってもらえないし持てないと思う。もてる要素は時代によって違い、いいものを持っていてもそれをみてもらえないことがある。周防さんはあの時代だったので糸子始め殆どの女性の心をつかんでしまったが、今の時代では無視される存在かもしれない。無視される人だとしても内部にきらりとしたものが感じられ、時代は変わっても見る人によってはたまらない人かもしれない。
2012.01.19
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何時も7時半からの朝どら「カーネーション」を観てから出勤していたが、昨日は朝早く行かなくてはならなかったので見逃した。後で家内が教えてくれたのだが、あの寝たきりだった髪結いのおばさんがえらい元気になっちゃって糸子の子供の面倒までみているとのことだった。髪結いの安岡玉枝の気の弱い息子勘助は糸子と会ったあと自殺未遂した。「息子に何を言ったのだ」と糸子を責め絶交した。その勘助が戦死し、自慢の息子泰蔵も戦死した。泰蔵のお嫁さんに「あんたと結婚したから死んだのだ」などと言ってお嫁さんともうまくいかないで殆ど寝たきりの生活を送っていた。昔玉枝の客だった吉田屋の若女将吉田奈津がパンパンに身を落としていた。その奈津を自分の美容室で働いて貰うようにして、奈津を助けることに夢中になったら足腰が立ち元気になって子供の面倒までみるようになったとのことである。息子二人が戦死しその恨みを糸子や嫁さんに向けて暗い生き方をしていた玉枝、それががらりと変わって元気になり、糸子や嫁さんに今までのことは許してくれと謝り、気分一新して明るくなり健康になったのである。私は昨日見逃したが家内から聞いてその状況がよく分かった。病気と健康の原因を知っているからである。玉枝は当に病人であった。他人には辛く当り、何も自分からしようとしないで、寝たきりで嫁さんが作ってくれる食事を食べてそのくせ嫁さんの悪口を言う。嫁さんでなくても早く死んでくれればいいと思う。病気だけでなく生きていてくれることが重荷になっていた人である。その人が一旦かわいそうな人を助けるのだと一生懸命になったら、全然違う人間になり、健康になったのだ。玉枝のような病人は結構いるものである。その人が健康になるには誰でもいい、特定の人でも不特定の人でもいいから、本気でその人のために尽くすと考え行動を起こすことである。人のために尽くす行いを始めたら見違えるように健康になることは間違いない。玉枝はいい手本だと思う。
2012.01.18
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抗がん剤が効く人と効かない人、副作用が出やすい人等はがんそのものの遺伝子や患者さん自身の遺伝子を調べることによって、ある程度分かるようになってきたが、まだ完ぺきではない。がんの治療だけでなく一般に薬を投与した場合、それが効くか効かないかは同じ薬を投与しても受け入れる患者さん側の体質によって効果は様々である。薬が効いて病気が治る場合もあれば、効かない場合もある。効かないどころか副作用で具合が悪くなって最悪死ぬ場合もある。従来は投与してみないと分からない場合が多かったが、今や、事前に遺伝子を調べることによって薬の効き具合や副作用の状態を知ることが出来るようになりつつある。将来はそれがほぼ完壁に分かる時代になると思われるが、今は服用を開始してから、その効果を聞きながら薬の種類や投与量を判断していることが多い。確かに薬には有効量はあるかもしれないが、患者さんによって感受性はそれぞれ違う。完全な遺伝子診断が確率するまでの間は、一方的に医師側が薬量を押し付けるのではなく、薬を増やしてから具合悪くなった等の患者さんの訴えも参考にして薬の種類や量を決めるべきだと思う。
2012.01.17
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72歳男性、施設に入っていたが血圧が60位に下がってしまったということで入院してきた。口はきけない、手足も動かない、痰をしきりに出している。胃ろうが造ってありそこから栄養を入れていたとのことだが、胃ろうから栄養を入れようとすると血圧が60以下に下がってしまうので、昇圧剤を使いながら、しばらくは点滴だけで様子をみた。難病の脊髄小脳変性症で身よりはお兄さんと妹さんがいるが、殆ど病院にはこない。来ても話が出来るわけでないので医師に呼ばれない限り寄りつかない。あまり長くないと思ったが、もうかれこれ4カ月位になる。口もきけない手も足も動かない。お見舞いに来ても話もできないし、来たことも分かってもらえているか分からない。診察で回診してもただ黙っているだけである。口もきけない、話もできない、食べることもできない、手足を動かすこともできない、ベットの上に寝かされているだけで楽しみがあるだろうかと思った。所が昨日今日と声をかけたら、目を開いて私を見てくれた(ような気がした)。唇からスーというような声も聞こえた(ような気がした)。握っているだけの手もかすかに動いたような気がした。表情も明るい。目に見えない所で病気と闘っているのだらうなと思った。想像を絶する大変な状況の中でひたすら耐えて生き抜いている姿に感動を覚えた。生きるとは大変なことだと思った。
2012.01.16
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野田総理が内閣改造で岡田副総理を任命し、社会福祉と税の一体改革を推進してもらうとして増税に並々ならぬ決意を示した。今朝の新聞(朝日)では消費税に関する世論調査の結果が載っており、増税反対が増税賛成を大きく上回っていた。現在わが国には1000兆円の借金があり、一人当たり何百万円もの借金を抱えている現状がある。それは歴代の政権が、選挙に勝つためにあれもします、これもしますと公約し、収支を考えないでお金をばらまいてきた結果である。現政権のみの責任ではなく、今までの政権と今までの国民の責任である。何とかしなければ日本もギリシャのように破綻するかもしれない。破綻を免れる方法としては国家公務員の削減や国会議員の定数削減、国有地の売却等、支出を減らして収入を増やすことを考えなければならないが、増税もしなければとても現状を打破できないことは誰の目にも明らかである。しかし自分が損することには人間は敏感である。国が滅びる寸前にあっても増税反対を言う人達がいるのである。増税するなら解散総選挙して国民の信を問うてその結果でOKなら増税に向かうべきで増税を決めてから解散では筋が通らないとの意見が多い。しかし、国民は必ずしも全ての人が賢明とは限らない。自分が損することなら国がどうなっても増税に反対するという人達もいる。従って増税は政治主導で決めなければ中々決まらず、どんどん泥沼に入ってしまう。本日野田首相は国会議員定数の削減、国家公務員の削減に積極的に取り組むと言明した。増税の前にやることがあるでしょうの世論に押されてのことだと思うが、消費税をどうしても上げなくてはならない今、まず国会議員や国家公務員の削減にさっそくとりかかるべきだと思う。国家公務員や国会議員を減らしたならば、国民の増税に対する意見も多少異なってくると考える。
2012.01.15
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今夜のクローズアップ現代はクルム伊達公子を取り上げていた。今41歳だが、若いものに負けない気概でがんばっており、昨年はウインブルドンのコートにも立ち世界ランキング上位に君臨している。一般に年取ったら身を引いて若者に道を譲るのが美学とされてきた。しかし昨今若者に覇気がない。ただ単に年取ったから道を譲るでは、若者が甘えてしまう。年取っても若者と闘う気概が大事ではないかと思う。そうすることによって若者を鍛え世の中全体のレベルアップにつながるのではないかと思う。今日の外来に71歳の女性がきた。背筋のしっかり伸びた人だった。月に20日昼間働き、15日夜働いているという。別々の会社である。昼間は朝9時半から午後6時頃まで弁当屋で働き、夜は午前0時から午前6時まで冷凍食品をパックに詰める仕事をしているという。夜の部を終えて午前6時に帰ってその後少し仮眠して昼間の9時半からの仕事に出かけることもある。働き過ぎだと思った。高齢だからでなく一般人としても働き過ぎだと思った。「すごいですね、疲れませんか?」と言ったらそうでもないという。夜の部には同じような高齢者が5~6人いるとのことだった。新しい人が入ってくるが大体途中で止めていく。それは殆どが若者で高齢者の方が辛抱強くてよく働くので、会社も私達年寄りを重宝にしてくれているとのことだった。直接の力比べでは若者に負けるかも知れないが、持久力や困難な仕事では老者は若者に勝つことがある。その会社では当に老者が若者に勝っているとのことだった。本来の姿は若者に道を譲ることだが、黙っていても譲ってくれると思うのはあまえだと思う。両者は真剣勝負しながら、次第に世代交代していくべきだと考える。
2012.01.13
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今日は午前中は病棟回診と胃カメラ検査、午後は外来だった。今日も新患が多く外来は混んだ。予約している人達を長く待たせないようにと必死で診察した。一人一分もかけないで「お疲れ様でした」と送りだした人もいた。時間との戦いである。そんな診察の中で20歳代の女性と60歳代の女性二人がインフルエンザA型が陽性だった。二人とも予防注射は受けていなかった。インフルエンザといえば高熱、関節痛が決め手と言われるが、この二人とも鼻水、咳、淡と普通の風邪症状で始まって、暫く経ってから途中で高熱が出ており、最初は普通感冒のウイルスに感染していて、途中からインフルエンザウイルスに感染したことが考えられるケースと思われた。この冬も今まで随分多くの外来患者さんを診察してきたが、高熱、関節痛のある人でもインフルエンザはマイナスで、今日初めてインフルエンザ陽性の患者さんに遭遇した。伝染力が強いので本日2人いたとすれな明日以降もかなりの人が感染してくるのではないかと思った。インフルエンザの患者さんと面と向かって話をする機会の多い医療従事者は感染し易いと思われるが私は御蔭さまでここ3~4年位インフルエンザに感染していない。インフルエンザの人に囲まれていても感染しない人がいると思えば、インフルエンザの人に接した事は全くないと言う人でもインフルエンザ抗体が陽性の人もいる。病気にかからないように心がけた人と心がけない人の違いと思っている。油断してだらけた生活をしている人がかかり易いように思う。背筋をピンと伸ばして、仕事に常に前向きに取り組んでいるとインフルエンザウイルスに囲まれていても感染しないのかなと思った。規律正しい生活と、野菜中心のビタミン豊富な食事、予防注射、寒さにさらされない、入浴後体を冷やさないなどを心がけてもらいたいと思う。
2012.01.12
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外来に来た人に「体重が増えてますね」と言ったら「冬で着ているものが多いから」と答えた。測定値より衣服重量1Kgを差し引いた値がそこに書いてあるがいくらなんでも2Kg、3Kgの外套などを着て体重計に乗らないと思うので、前回に比べて3Kg多いのは明らかに体重増加だと思ったが黙っていた。自分も先日体重計に乗ってみたら2Kg増えていた。年末年始は高カロリーの食品が多い。おもちやおしるこ、日本酒、おせち料理、すき焼きと体重が増えるものばかりだ。手足や、顔をみたところではそれほど肥満したとは思えないが、お腹をみたら膨れていた。だいたい体重が増えるのは腹部の脂肪と思われた。食べる物のない時代は正月くらい美味しいものを食べたいとおもちやお汁粉やおそばなどが定番のあこがれの食品だった。お節料理もその時代の最高の御馳走だったと思う。今は普段から結構御馳走を食べているので正月だからと特別美味しいものを食べるわけではないが、昔のなごりで高カロリー食が多いのと、仕事が休みで、体を動かさないことなども肥満の原因ではないかと思う。ラジオを聴いていたらキャスターの男女も1~2kg太ったと言っていた。5~6kgでなく2Kgの増加なら平均的かなと思った。新年になったので心を改めてこの体重増加をきっかけに運動をしようと思う。もともと自分は体育会系ではないので運動は苦手だが、寝る前に室内でできる体操などを取り入れていきたいと思っている。
2012.01.11
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今朝の総合テレビで江戸時代の画家伊藤若冲(1716~1800年)の絵画をハイビジョン画像で見せてくれた。若冲は青物問屋の跡取りだったが絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、40歳以後は絵を描くことに没頭していたという。ニワトリや花の絵画が多いが、家で鶏を飼いじっと観察していたという。ニワトリや花を見て絵を描くのではなく、頭の中に動植物の細部までを全て吸収しており、それを絹のキャンバス上に描いたとの解説があったが、翅の1枚1枚、花弁の1枚1枚が信じられない位の精密さで描かれており、これぞ正に本物の絵師と思われた。絵を描く人、音楽を奏でる人、機械を修理する人、病気を治す人、物を作る人等それぞれいるが伊藤若冲は絵師としては正に本物中の本物だと思った。鳥でも花でも本物以上に描くその才能は持って生まれたものもあるだろうが、じっと何時間、何カ月、何年と観察して頭の中に入れる努力も大したものだと思った。どんな物でも描けないものはないのではないかと思った。私は医業を業としているが、若冲の本物さに圧倒された。医者がもし若冲のような本物なら治せない病気はないだろうと思った。どこにも本物はいるものだがあまり知られていないこともある。若冲は商売にはあまり熱心ではなく世間的には評判はよくなかったかもしれない。でも絵にかけては本物だった。全てを備えている人はいない。少なくともこのことでは本物だったといえる人になりたいと思う。
2012.01.09
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昨年暮れに姉が亡くなったので新年の挨拶が出来なかったので昨日の昼前から宛名印刷と寒中見舞いの図案と文章を書いているが丸一日経ったがまだ半分位しか出来あがっていない。最初出来あいの図案を使って文章を入れたが家内がその図案ではだめだと言って自分でスイセンの絵を描いてくれた。今度はそれを筆ぐるめに入れて文章を書くのだが中々うまくいかない。昨夜遅くまでからかったが遂に諦めて寝てしまったが今朝何とか出来あがった。後はそれの印刷と宛先印刷の残り分だけである。目鼻がついたので今日中には出来ると思う。中々大変だが楽で合理的だと思えることがあった。喪中の場合、暮れの12月15日頃までに喪中の挨拶状を出して年賀状を出さないで下さいと通知するのが一般的だが、今回の場合12月18日に亡くなったので急いでその挨拶状を印刷して出すか、寒中見舞いとして出すかの選択になるが郵便局で買っておいた年賀はがきを普通のはがきに代えてもらって正解だと思った。年賀状を既に書いていた人にとっては遅れて喪中のはがきがきたら準備した年賀状は処分しなくてはならない。このやり方だと喪中の人も年賀状はそのまま貰えるので住所録の管理も行えるし、消息も分かる。喪中のはがきをもらった人にも寒中見舞いなら出せるので相手の住所録管理にも障害がない。今回は暮れに亡くなってこのようになったが暮れでなくても喪中は全てこのようにした方が双方にとって合理的で煩雑さが省略できるのではないかと思った。
2012.01.09
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今回の福島の事故で1号機は40年以上経っていたが、老朽化が事故の原因ではないと明らかにされていた。しかし、古くなれば事故を起こす可能性が高くなるとのことで、一律に寿命40年と決めたが、これには大きな意味がある。これから新規に原発建設を認可する市町村はまず現れないと思う。現在運転している原発を40年経ったら廃炉にしなければならないとすれば、原発は消滅していく運命にある。40年の猶予でそれに代わる電力供給方法を考えていかなければならなくなった。太陽熱、風力、水力、海水、などの自然エネルギーを使って電力を起していく方法を40年の内に実用化しなくてはならないのだ。原発輸出の契約が成立している諸外国についてもこの40年は適用されるべきだと思う。つまり契約してあるだから、その国に行って原発を建設してやることになるが、今回の法制化を受けて、寿命40年を外国にも宣言して、建設はしますが40年経ったら廃炉にして下さいと明確にいうべきだと思う。この寿命40年の法制化は事実上原発なし社会への序章であり、寿命40年を突き付けられた今、猶予は出来ない。早急に自然エネルギーの活用を実用化していかなければならない。梯子を外されてしまったので、科学者や実業家などはのんびりしていられない。国民も一人一人が知恵を出し合って早急に新しい電力供給方法を具体化していく必要がある。
2012.01.07
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今朝通勤途中の車の中で東大名誉教授月尾嘉男さんの話を聴いた。明治維新が成功し、後進国日本が一気に世界の一流国家、一流国民になった。当時諸外国の人達はその日本人の優秀さの源は武士道にあったのではないかとみていた。武士道は恥の文化であり、名誉を重んじるので、きっと世界の一流国になるだろう。日露戦争に勝ったのも誇り高い国民だったからとみなされていた。ところが現在の日本国民はどうであろうか?恥など感じない誇りもない、いい加減な国民になってしまったのではなかろうか?と述べていた。この変化は誇りが自惚れに変り無謀な太平洋戦争に突入し、結果として完膚なきまでに打ち負かされて占領軍の意のままに思想を支配されて誇りを失ってしまった結果だと思う。今でも日本人魂、武士道精神などと時々言われるが、それは過去の遺物のように思っている人が多く、実際そうかもしれない。日本は敗戦によって大きな教訓を得たが、同時にその魂まで失ってしまった。それを取り戻すのは簡単ではない。昔はここに良きものがあったのだからそれを呼び戻せるはずだと思ってもそうはいかない。また一からコツコツと作り上げていくものだと思う。昔はよかったという話は通用しない。昔は昔、今とは違う。昔は世界に冠たる素晴らしい精神文化がこの日本にあったかも知れない。それは過去の事である。これから素晴らしい文化を築いていくのが今に生きている我々の使命だと思う。
2012.01.05
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3賀日が明けて今日から通常業務が始まった。ある意味では今日が本当の新しい年のスタートと言っていいかもしれない。新しいスタートに当たり心に浮かんだことを書いておこうと思う。能力のなさを嘆かないことにしよう進歩がなくても落ち込まずがむしゃらに挑戦していこう一期一会を大事にして出会った人は誰人も心から大事にしよう寝る時間を決めて、その時間から逆算してその日にやるべきことはやりきろう面倒だからとか難しいからと言わないでやるべきことはすぐ手をつけるようにしよう夜はいくら料理を沢山作ってもらっても食べ過ぎないようにしよう仕事は骨身を惜しまず常に先手先手を打つようにしよう寒いからといって腰を曲げてちじこまった姿勢ばかりをとらないようにしようもうだめだと言わないようにしよう常に整理整頓を心がけよう本を沢山読もう。英文雑誌を積極的に読もう。家内の仕事を嫌々ながらでなく積極的に手伝うようにしよう思いつくままに書いてみたがこれだけの事が出来たらスーパーマンである。出来ないと思うが出来るように努力していこうと思う。
2012.01.04
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北朝鮮は故金正日総書記死去に対し、日本政府が弔意を示さず、在日朝鮮人の弔問をも妨害したとして日本政府を非難している。弔意は求めるものではなく、自然の感情として湧きあがってくるものだが、国と国の場合は外交上極めて重要な役割を果たす場合が多い。両国は国交は樹立していないが拉致問題を抱え、親しく交渉していかなければならない関係にある。国家元首の死去に際し、心からの弔問があれば、北朝鮮側も日本に対してほんの少しでも心を開いてくれたかもしれないが、これでは両国関係は益々悪化して拉致問題の解決どころではなくなる。政府は何を考えているのであろうか?拉致問題を解決するには話し合いしかない。その道を閉ざすようなことをするとは、先が見えていないことの典型だと思う。経済封鎖や制裁を言う人達がいるが、一般人ならともかく、外交を行う政治家もそのように考えているとしたら、拉致被害者は永遠に救われない。今の両国関係の中で力ずくで連れもどそうとしても無理であり、どうしてもとなれば戦争になるかもしれない。真に連れ戻すには話し合いしかない。それが分かっていないとすれば政治家ではないと思う。人の死に対し、心からの弔意をしめす事はほんの少しでも話し合いへの糸口になるかも知れないのだ。今回の政府の対応は対話の糸口どころか敵対を表明したようなもので、残念でならない。拉致被害者のことを本当に真剣に考えてくれているのだろうか?と疑問に思った。
2012.01.03
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今箱根駅伝が終わった。往路、復路とも東洋大の完全優勝で昨年おしくも早稲田に敗れた屈辱を果たした。チームリーダーの柏原は昨年は不調で暗い顔をしていたが今年は見事な走りで2位以下に大きな差をつけた。走り終えた後のインタビューで福島県出身の柏原は「走っている苦しみは1時間位で被災地の人達の苦しみに比べればなんでもない」と話していた。それも実力あっての話で、今日も神奈川大学9区の選手が10区にタスキを渡す寸前に倒れ、繰り上げスタート時間きりきりによたよたしながらかろうじてタスキを渡した姿をみればたとい1時間でも苦しくて被災地の何年分の苦しみに相当すると実感した選手もいるのではないかと思った。東洋大は選手一丸となって一人一人が優勝するのだの決意で走っていたとのことで、心が一つになっていたことも勝因の一つだと思う。49人の部員全員の努力と願いが結実した結果で心からお祝いを申し述べたい。我が山梨県の山梨学院大学もよく頑張って総合9位に入ってシード権を獲得した。昨年シード権を失い予選で勝ち抜いて本大会に出場できたが、すこし落ち目だ。かっては常に上位に位置していて優勝争いをしていたのに少し残念である。がんばって上位に顔を連ねるようになってもらいたいと願う。
2012.01.03
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今日は増穂にある殿原ゴルフショートコースに初めて行ってきた。風は強かったが天気がよかったので、随分混んでいて、かなり待たされながらプレーした。スタート草々、後ろの組から「ボールがグリーンに乗ったら後の人に打たせるのだ。早くカートをどかせ」と言われて大急ぎでカートをグリーンを横切ってどかせてしまった。そしたら「グリーン上をカートを走らせてはだめだ!」とまた後続組から大声で怒鳴られた。自分が間違ったことをしたのだからどなられて当然だが、気持ちが乱れて後ろを気にしてせっかちに打ってしまい、折角来たのにあまりいい成績を出すことが出来なかった。ゴルフ場で知り合ったある人から、「ゴルフは技術もさることながら、リズムです」「焦って打っていたのではいつまでたってもいいスコアは望めません。打ち始めからパターでボールを沈めるまで、いいイメージを描き、いいリズムで歩いたり打ったりすることが大事です」と教えて頂いた。仕事でもスポーツでもよいリズムが必要だと思う。そのリズムが乱れていたら成績が悪くなるのは当然だと思った。深呼吸しながらリズムを正しく取って仕事やスポーツでよりよい成績を上げていきたいと思う。
2012.01.02
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1日1日は普通に過ぎていく。昨日も今日も特別な日ではないが、1年サイクルとすれば本日はそのスタートの日である。1週間がサイクルなら月曜日がスタートの日であり、1か月がサイクルなら月初めの日がスタートの日になる。週間目標、月間目標を立てる人もいるが、一般的には1年の初めに年間目標を立てる人が多い。私は毎年年始めにその年に達成したいことを目標として掲げて努力してきたが、毎年殆ど達成できないのでこの頃はあまりたいそうな目標は立てないことにしている。なるようになれである。年始めの願いもかけてきた。その年が如何様になって欲しいと言う願いである。この願いも殆ど叶えてもらえていないが、こちらの方は相変わらず願い続けて行きたい。人々が健康で心が豊かで幸せに生きて下さり、戦争のない世の中になって欲しいと言う願いである。朝な夕な祈っている。人々の健康と幸せの為に役立つ人間にして下さいと願っている。70億の世界人口の中で一人の無力な人間が、いくら大声で、全ての人が正しい心になり、健康になり、戦争しないで下さいと叫んでもかき消されてしまうかもしれないが、全ての人にその様になってもらいたいし、欲張らないで戦争しないでもらいたいと願っている。今年もそれが願いである。
2012.01.01
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