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卵巣がんの手術とその後の抗がん剤治療で半年以上休んで復帰してきた女性と、育児休暇で1年ぶりに復帰してきた女性の復帰歓迎会が昨夜民家を改良したようなお店「酒処家庭料理ここ」で開催された。迎える側からは闘病や出産育児は大変だったでしょうというねぎらいの言葉があり、迎えられる側は皆さんの励ましがどんなに支えになったかと感謝の言葉を述べた。男2人と女9人の11人の集まりだったが、私は兎も角、皆さん気持ちのいいい人ばかりで、しかも復帰という喜ばしい会だったので、みんな和気藹々と楽しい話に花を咲かせた。料理は家庭料理というだけあって野菜中心に手作りの料理が次々と出てきたが結構おいしかった。お店の名前に家庭料理の前に酒処と入っているが、手作りの料理にはふさわしくない名前だと感じていたが、最初生ビールを飲み、次は日本酒を飲みたくなり、どんな酒がありますか?と聞いたら「芳水」がありますとのことで、聞いたことがない酒だが徳島産とのことだった。飲んでみて驚いた。まろやかで爽やかで美味しいことこの上なかった。楽しい会だったこともありグラスでグイグイ飲んでしまった。女性達も美味しい美味しいと私に負けないくらい飲んでいた。お店の名前に酒処と入れた理由がよく分かった。帰ってきてから美味しい酒も飲んだし、最高に楽しかったとブログに書こうと思っていたがすぐ眠くなり書くどころではなかった。翌朝つまり今朝、食欲はないし、声が変だし、調子が悪くて二日酔だなと思った。調子に乗って飲みすぎてしまったのだ。女性達は結構普通に仕事していたみたいだったが実際は飲み過ぎの症状が出ていたとのことだった。私も外来で本来の粘り強さや丁寧さを出すことができなかった。夕方から夜にかけては調子が戻り、乳房X線の読影をしてからベルクラシックに行って東大教授小池和彦先生の「C型肝炎の新しい治療戦略」という話を聞いてきた。近々インターフェロンの注射無しで内服薬のみの治療になるだろうというお話もあった。その頃になると酔いも覚めていたが、日中は我ながらいただけないと思った。どんなに楽しくても、どんなに美味しくても飲みすぎてはいけないと思った。
2014.01.31
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親のない子を預かる児童養護施設の子供たちを描いたドラマ「明日ママがいない」をみた。夜10時からなので子供を対象のドラマではない。登場人物は子供だが、大人を対象とした社会派ドラマなのだと思う。子供達を預かる若い男性の施設長が子供たちを虐待する。お前たちはペットショップのペットみたいなものだ。いい里親にもらわれていくには演技が必要だとか、赤ちゃんポストに入れられていた子だからポストというあだ名で呼ぶなど反社会的描写が多過ぎるとして全国の視聴者や養護施設からクレームがきて、8つのスポンサーが全て広告を自粛し、代わりに骨随ドナーとかエイズとかスマホや携帯電話をかけながら歩くのはやめましょうという公共広告機構の宣伝がドラマの間に入っていた。全9話あり、本日が第3回目、最後まで観ないとその作品の本意は分からない。あまりにひどい施設長の態度、親に捨てられた切ない子供たちの気持ち、目の手術を受けたくてお金を欲しがっていた子供、それぞれの事情があるかわいそうな子供達、この子達も最後は幸せになるように描かれるのか、最後までかわいそうな子供達を描いて、子供を捨ててはいけないとか児童養護施設を充実させなければいけないというメッセージを出すのかは今は分からない。いずれの結末になるにしても途中の描写も重要だ。児童養護施設はみんな似たりよったりでこのようにひどい所なのだと多くの人に思われるかもしれない。病院とか監獄等をドラマで取り上げて描く場合も強調して描かれることが多いが、児童養護施設を描く場合、強調しすぎて現実の施設とかけ離れすぎているのも問題だと思う。できるだけ実情に近いように描くことが大切だと思う。
2014.01.29
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仕事が終わってから夜、古名屋ホテルにピロリ菌の第一人者杏林大学教授の高橋信一先生の講演を聴きに行ってきた。大変わかりやすくてためになった講演であった。終了後いくつか質問しようかなと思ったが、大勢の中で手を上げて質問するのは中々勇気のいることなので、小度胸の私は躊躇していたら、前の方に座っていた人が色々質問してくれて、私が質問したかったことも聞いてくれてたすかった。最初の質問は「一度除菌してピロリ菌がいなくなってもまた感染するのではないか」との質問だったが、高橋先生は「5歳までに感染するが、大人になってからは感染しないので再感染はない」と患者さんには言って良いとのことだった。今研究段階で再感染例も僅かに存在するが、極めて少ないので、再感染はないと言って良いとの見解だった。最近除菌希望者が増え、除菌薬服用後ピロリ菌が陰性になる人が多いが、陰性になった人のほとんどから、再度感染することはないでしょうか?と聞かれる。私は大人になってからの感染はないので再感染はありませんと答えてきたが、正解でよかった。その他の「肺炎などで抗生物質や制酸剤を服用すれば、知らない間に、7日間の除菌薬服用をしなくてもピロリ菌が死んでしまっていることはないのか?」の質問もあった。答えは除菌薬は抗生物質も制酸剤も常用量の2倍になっているので効くが、肺炎に対しての常用量の抗生物質などを服用したのでは効かないとのご返答だった。80歳、90歳でもピロリ菌陽性者には除菌すべきかとの質問があったが、がんの予防という観点からは意味がない。出血性の胃潰瘍予防のためとか再生不良性貧血などの時は使って良いとのことだった。いずれにしても有意義な講演だった。ピロリ菌を退治した後、胃粘膜が正常になった症例の写真は衝撃的であった。今後も毎日のようにピロリ菌除菌希望者が受診すると思うが、きちんと説明して不安を除いた上で除菌薬を投与していこうと思っている。
2014.01.28
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逮捕された49歳の阿部容疑者は容疑を否認しており、犯人と断定されたわけではないが、出勤日と混入された日時が一致、衣服に農薬が付着していたなど犯人の可能性が高い。しかしなぜこのような重罪を犯してしまったのだろうか?中国で同様事件の犯人が重刑にされたのを見ても、重罪は免れないと思う。契約社員の阿部容疑者は給料が安いことを周囲にもらしており、上司にもこんなに安くてはやっていけないと直訴したりしていたという。それなのに昨年度の査定ではボーナスが減額されていたという。その不満を爆発させて会社をつぶしてやれと大事件を起した可能性もある。会社では社長以下3人の幹部が責任をとって辞任することになった。食べ物で最も大事なことは安全である。それが守れなかったのだから辞任もやむおえないかもしれない。阿部容疑者の同僚は容疑者について「仕事熱心でなく、いつも不平、不満を言っていた」とのことだが、会社側の阿部容疑者評は、「真面目によく働き、後輩の面倒見もよかった」とのコメントだった。この評価の違いは会社側とすればそれほどの危険人物ではなかったことを強調することによって、会社側の責任を軽くしようとする意図が働いていたようにも感じられた。腹いせだったのかもしれないがそれは罪もない多くの消費者を傷つけることになることに思いを致さなかったのであろうか?!会社には待遇改善等に努力しなかった責任もあるかもしれないがすべての従業員の要望に完全に応ずることは不可能である。生産ラインの中で鍵がかかっていなくて誰でもこっそり入れる部屋があったとのことで、その事も追求されるかもしれないが、どんなに厳重にしても悪い心の人がいれば必ず同種の事件は起こりうると思う。最終的には人の心だと思う。給料だけでなく働く人たちの意欲や生きがいを常に生み出すような会社作りが必要なのだと思う。
2014.01.27
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旅と言っても東京に行ってきただけだが、旅行はいいものだと思い、記事にした。昨日土曜日の午後4時頃から東京でグループ病院診療部の懇親会があるので、何とか2時頃までに外来を終わらせて車で石和温泉駅に駆けつけて2時半の電車に乗れればいいと思っていたが、外来を終わらせて駅に駆けつけてみたら2時半を過ぎていた。次の電車は3時半なので近くの喫茶店でコーヒーを飲み、ソーセージを食べて時間稼ぎした。その時までの精神状態は2時頃までには外来を終わらせたいとの気持ちがあったからか、いつも以上に慌ただしく、石和温泉駅に着いた時にはカサカサのすさんだ気持で、人様のことを思いやったり、親切にしようなどという気持ちも湧いてこなかった。しかし電車に乗って東京に着き、懇親会に出て一泊して日曜日の今日帰ってきて、ほんの少しの期間だったが旅行気分が味わえてカラカラに乾いた気持ちがリフレッシュされた。高島屋や東急ハンズで買い物をし、食事を食べて帰ってきたが、それらの部所で働いている人達をみて新鮮な感動を覚えた。ずっと立ちっぱなしで入り口のところで案内している人、売り場で立って売ったり、包装している人達、お茶や食事を運んで来てくれる人達、皆さん笑顔で親切で、プロフェッショナルに徹していると思われた。旅ではそのような人と人とのふれあいの他に、景色や事物とのふれあいもある。高島屋に1個1000円以上もするりんごやオレンジが売られていて、びっくりして見聞を広めることができた。旅は人の心を優しくしてくれるものなのだなと思われた。
2014.01.26
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もし医師を目指す方がおいでなら、参考になるかもしれないので、医師とはどういう仕事でどういう境遇なのかということを書かせていただこうと思う。医師といっても開業している医師、病院勤務の医師、大学病院や研究所で研究している医師など様々だが、ここでは、入院や外来患者を診ている一般勤務医を例にとって説明しようと思う。先日超音波検査を受けに来た80歳の女性から「40年前その方のご主人が命が危なかったのを輸血その他の懸命な治療で助けていただいたが、その時の担当医が私で、命の恩人である私のことを鮮明に覚えている」と言われた。私はといえば、鮮明どころかおぼろげにも覚えていない。その代わり治療がうまくいかなくてお亡くなりになった人のことは鮮明に覚えている。おそらくその方々の家族の人達も憎しみの対象として私を覚えているのではないかと思う。一日の仕事内容は、病院に着いたらまず病棟回診から始まる。その後外来とか胃カメラとかの任務に移るが、病棟の患者が発熱したり、嘔吐したりしているとその処置で外来開始時間に遅れてしまうこともある。病棟の患者が具合が悪いと我が身も具合が悪くなってしまう。外来では必死で患者さんをさばくが、中にはあれこれ質問してきて時間を取られてしまうこともある。大変なのは12時前後に来る患者さんである。高齢者で発熱しているケースが多く、血液検査をしたり点滴をしたりするが、処置室がいっぱいになってしまう。入院させなければいけないのかと心を砕く。そこへ病棟患者が具合が悪くなったとの電話がある。処置を済ませて時計を見ると午後2時少し前だ。慌てて昼食を食べていると午後2時になる。2時は午後の仕事のスタート時間である。この頃昼休みはほとんどない。午後は午前中に入院させた患者さんの診察や他の患者の回診をしたり、退院サマリーや介護保保険用の主治医意見書を書いたりする。書類書きもかなりの時間を費やす。書類を書いていると健診室から、マンモグラフィ(乳房X線)の読影をしてくれと頼まれる。日中は神経を使うことばかりで休憩時間もほとんどない。これが平均的な医師の一日である。よほどの使命感がないとノックアウトされてしまう。一度油断すると入院や外来の重症者に引っ張られて自分も奈落に落ちていく。これが現実である。外から観る医師像と実際の医師像はかなり違う。ノックアウトされそうになることが何度もある。それに耐えられる人が医師を全うできるのではないかと思っている。
2014.01.24
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今第26回山梨県農村医学会から帰ってきたところである。私が発表した内容は「一般に認知症になったら治らないと思われており、自分も何例かに認知症の薬を投与したが殆ど効かなくて、認知症は何をしてもダメと思っていた。しかしここ2年の間にアリセプトやリバスタッチパッチの投与で少なくとも4例著明に改善して、普通の人と変わらないくらいに改善した」という報告であった。発表後フロアから質問があり、3例目は確実に効いたと思われるが、1例目はうつ病の薬を止めてアリセプトやリバスタッチパッチを投与しているが、うつ病の薬を止めただけでも元気になることがあるので、検証が必要ではないかとの指摘があった。ご指摘はありがたいのでそのことも含めて今後検証していきたいが自分的には認知症の薬が効いたとの実感を持っている。私の発表の前に山梨県厚生連健康管理センターの発表があり、健診に認知症検査を取り入れて希望者にタッチパネル式の認知症検査を行っているとのことだった。それによって早期発見されると治る率も上がるのではないかと思った。というのは私が経験した著効例4例は、いずれも発症2年以内で、早期だったので治りやすかったのではないかと思えたからである。発症後何年も経っていて頭の中が殆ど壊れてしまっているような状況なら効果はないのではないかと考えられる。この学会では私の発表後、特別講演1で高相和彦先生の「ピロリをコロリ、胃の悪者をやっつけろ」と特別講演2で井上勝六先生の「美味から滋味へー和食のこころ」の講演があり、いずれも素晴らしい内容で感銘を受けた。ところで自分の発表だが、昨夜自宅で家内に聞いてもらって練習した。制限時間が決められているので時間ばかり気にして早口で喋ったら、「もっと落ち着いて聞いている人に分かってもらえるようにゆっくり喋った方がよい。そんなに時間が気になるならスライドに書いてあることを全部読もうとしないで、要点だけにすれば時間の節約になる」と指摘してくれた。おかげで本番では時間オーバーしないで、しかも皆さんにある程度分かってもらえるように発表できたと思われ、よかった。今後も学会発表する時には、事前に予行練習として家内に聞いてもらおうと思った。
2014.01.23
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医者が調子のよい時と悪い時があったのでは調子の悪い時に当たった患者さんは救われないので常にベストコンデションを保つように心がけなくてはならないが、昨日たまたま最悪のコンデションのことを書いてしまったので、その翌日のことを書かせて頂く。昨夜は11時40分頃と早く寝た。いつもは朝までに4-5回目を覚ましてトイレに行くが昨夜は途中で右足がつって痛くて起き上がってつま先を立てて座ってみたが中々痛みが取れずしばらくかかったがそれでもその後すぐ眠って6時まで起きないでストレートに眠れた。いつものことだが当直の翌日はいびきがすごくて家内が別の部屋に引っ越すが昨夜もひどかったとのことである。人様にはうるさかったかもしれないが自分的には当直の翌日はよく眠れて気分がいい。おまけに通勤途中のラジオで血液型占いをしていてA型が最高の運勢でAB型が最低とのことだった。血液型によってその日の運勢が決まるわけがなく、全くのお遊びだと思うが、調子が悪いと言われた時には調子が悪いような気になってしまう。以前ゴルフに行く途中、その日の運勢でA型が最低と言われて元々実力がないので仕方なかったが、実際最低のビリの成績になってしまったので、朝あんな放送を聴かなければよかったと思った。今日の実際はどうだったか?病棟回診と内視鏡検査と健診の仕事だったが、昨日は自分が調子悪いところに持ってきて患者さんも殆ど具合が悪くて益々自分も具合悪くなったが今日は比較的安定しており、自分の心はナイスだった。内視鏡は午前7人の胃カメラ、午後3人の大腸カメラだったがいずれもスイスイで、痛みや苦しみを与えず満点に近い検査ができた。健診の仕事は昨日やり残した仕事もバッチリカバーしたし、病院全体のコワーカーとのコミュニケーションも良好で絶好調の1日だった。やはり人間よく眠らなければだめということかなと思った。冒頭に医師は調子のいい時と悪い時を作ってはいけないと書いた。ベストコンデションを保つには規律正しい生活、特に睡眠は6時間くらいきちんと取らなければいけないと思った。
2014.01.21
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昨日の当直を無事終えて今日の日中勤務に移ったが、当直の時は気が張っていたので無事務められたが、本日の勤務は辛かった。今までは当直の翌日もそれほどダメではなかったが今日はダメだった。無事当直を勤め上げたという安心感から翌日の勤務に油断が生じた結果だと思う。受診者の前であくびが出たり、居眠りが出たりする。スタッフに対する態度も、自分の体を維持するだけで精一杯で、ゆとりがないから、やさしい気持ちが流れない。普段はあまり感じないような相手の言動を無神経な言動と感じたりイライラしたりすることもある。仕事の能率も悪くて中々進まない。仕事の途中で真っ白になりそうな時も数回あった。寝てないから調子が悪かったのではなく、当直と日中業務の切り替えの時に緊張を切ってしまった結果だと思う。おまけに今日の日中業務がかなり忙しくて休憩時間が取れなくてリズムが狂ったことも影響していたと思う。これは毎朝氷点下6度の我が家の庭に生えている彼岸花である。冬の寒さにじっと耐えて4月頃消えてなくなる。そして9月の彼岸の頃、地面から花茎のみ生えてきて絢爛たる真っ赤な花を咲かせる。その花とこの葉っぱは似ても似つかないが、9月にあの真っ赤な花を咲かせるには、冬の間にこの葉っぱ達が、ずっと寒さに耐えて頑張ることが関係しているのではないかと思った。この葉っぱ達には9月に咲く絢爛豪華な花たちに「俺たちのおかげであなたがたは花を咲かせられるのだ」といったような恩着せがましい態度はない。静かに自分の役割を果たしただけだと思っている。私も今、あまりに忙しい勤務その他で冬の時代を迎えている。誰かがいつか華々しい成功を収める時が来るかもしれないが、私はそのような花になりたいわけではない。その花達に対して何らかの栄養分を送る役割を果たせればよいと思っている。
2014.01.20
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今日は病院の当直である。もう既に一台救急車が来た。明日の朝まで勤務なので今後の救急車対応が重要だが、入院ベッドがないという。お断りするかいったん当院で診て大病院に紹介するかになると思うがベッドがない当直は窮屈で心苦しい。外では大学受験生がセンター試験2日目に挑んでいる。私にも昔経験があるが、大変な緊張の瞬間である。私も当直頑張るので彼らも落ち着いて冷静に試験頑張ってもらいたいと願う。
2014.01.19
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大学入試センター試験が始まった。この試験での得点が志望校入学への大事な布石になるだけに受験生のみなさんは必死だと思う。明日も落ち着いて実力を発揮してもらいたいと願う。昔と今では受験戦線は様変わりした。昔は大学は狭き門だったが今は子供の数が減少して広き門になり、より好みしなければ誰でも大学に入れる時代になった。昔は4当5落と言って、4時間以内の睡眠は合格で5時間以上寝る受験生は不合格などと言われていたが今はそれもあまり聞かない。今の受験生にとって重要なのは何を学びたいかを明確にすることと、入学してからいかに学び、いかに実力をつけていくかの自立心を持つことだと思う。昔の受験生はガリ勉型で受験以外は目もくれない生徒が多く、偏った人が多かった。今は適度に遊び、幅広い人間性を身につけており、総合力では昔の受験生より上のような気がする。こせこせしないで堂々と普段の実力を発揮してもらいたいと心から願う。私は昔の4当5落時代のガリ勉受験生のなれの果てである。硬くて融通が利かず、世間の常識が分からない人間であった。それを自覚して世間のことも学び、ピアノや歌を習ったりしているが、その頃のガリ勉体質は抜けていない。明日の日曜日は病院の当直なので今夜中にやるべきことをやらなければならない。喪中のはがきをくれた人たちに寒中見舞いを書かなくてはならない。4当5落で仕上げようと思っている。冒頭の絵は寒中見舞いのはがきに載せる椿の花である。2月になれば咲き始める。ガリ勉人間の私にはいつになったら花が咲くのであろうか。
2014.01.18
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本日、午後7時半からのNHKのテレビ番組「日光猿軍団の涙の卒業式」を見た。間中さん夫婦が実の我が子のように手塩にかけて育てた猿達の軍団がついに昨年12月終了の日を迎えた。間中さんによって各猿がその良いところを引き出してもらって各々が特徴ある演技をして、大変人気のあった軍団だったが、猿の老齢化と猿の世話をしてくれていた韓国からの留学生が原発事故後一斉に辞めて帰国してしまったためついに劇場を閉鎖することになったのである。各猿に間中さんから卒業証書が手渡され、また客席の5歳の女の子から間中さんにも卒業証書が渡された。間中さんは泣いていたし、猿たちも悲しそうだった。すごい人気劇団だったのに、世話をしてくれる人達がいなくなってしまって、存続が難しかったのだろう。間中さんの奥さんが「猿と人間の違いは、毛が生えていることと、喋れないことだけではないかと思う」とおっしゃっていたが、こちらが言うことは解り、人間と同じように感じていたのだと思う。小さい時から家族のようにして育て、その猿の個性を見抜き得意演技を教え込み、絶えずほめてやりながら育てた結果が日本有数のすばらしい軍団に育った源流だと思う。日光猿軍団は解散してしまったが多くのちびっこフアンの目の奥には英太郎はじめ、見事な演技をしてくれた猿たちの姿がやきついていると思う。間中さんの猿達に対する愛情は本物だった。人間の子供でもグレて良好の対人関係が結べない子供達がいる。人間よりかなり劣るとされている猿でさえ、本物の愛情で育てれば立派な猿に育った。ならば人間の子だって、本物の愛で育てられれば、猿と同様、もしくはそれ以上に優秀な子供に育つのは間違いないと思う。
2014.01.17
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オウムの平田被告の裁判が始まった。頭がよくて、努力家で理想に燃えた若者たちが次々と殺人などの大事件を起こしたオウム真理教事件、何人も殺しているのだから死刑は当然としても、なぜそのようなことが起こってしまったのか、防ぐ手立てはなかったのかと思案する。麻原彰晃という絶対的な指導者がいてその人の命令なら何でも受け入れ実行しなければならなかった仕組みを解明し、再発防止のために社会全体が取り組んで行く必要があると思う。一部の国を除いてほとんどの先進諸国では信教の自由が謳われている。誰人もいかなる宗教も信じる権利があり、それを止めさせたり、迫害したりしてはならないと規定されている。どんな宗教を信じてもよいと規定されているので、現在我が国には約20万の宗教があると言われている。オウム真理教では、その宗教に入った人は殆ど罪人になり、不幸になった。他の宗教にもそれに入ったがために不幸になり、地獄の苦しみを味わっている人達もいる。それは自己責任で、その宗教に入った本人が悪いという人もいるが、宗教の勧誘は殆どが自分自身が幸せになり人助けにもなるというもので、入った本人が悪いと言っても、最初のうちはその宗教の本質が見ぬけないことがあるのであながち入った人達だけを責めるのは酷だと思う。宗教の中心者(教祖)達は名誉欲、支配欲、金銭欲に支配されていることが多い。しかし表向きは自分を磨き、人助けで、世の中を幸せにすると謳っているので、多くの若者は惹きつけられていく。そして洗脳されて支配者の言うなりの人間になってしまうことが多い。そしてとんでもない結末を迎えることになるかもしれない。しかし現状の「どんな宗教を信じてもいいのですよ、それを妨げる人は監獄行きですよ」という憲法の下ではどうすることもできない。国が、この宗教は信じてよく、この宗教は信じてはいけませんよということはできない。20万宗教の中には本当に幸せにしてくれるものもあるかもしれないが、不幸にしたり堕落させたりするものの方が多いと思う。その鑑別はどうしたら良いのか?選ぶ個人の感受性であり、先見性であり、知性であり、分析力だと思う。何を選ぶかによって自分の将来は決まってくると言っても過言ではない。ある意味では高校や大学を選ぶよりはるかに重要なことだと思う。教育は不偏不党と言われている。ある宗教を押し付けたり否定したりすることはできない。しかし宗教によって人生が左右され、幸不幸が決まるので、選ぶときには慎重に思考を重ねて選ぶ必要がある。また入ってみておかしいと感じたら、自由に脱退する心構えも必要で、おかしいと感じながらだらだらついて行くのは時間の無駄だし、不幸だと思う。
2014.01.16
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私がイスラム教の経典であるコーランを読んで理解した範囲ではイスラム法には絶対従いなさいと説いているが、禁欲しなさいとは説いていないように記憶している。一方キリスト教や仏教ではその教えの柱は禁欲である。人間には生きようとする欲望があり、子孫を繁栄する使命があり、そのための欲望もある。それを控えさないという教えは生きようとする本来の生物としての自然の流れをせき止めるもので内部矛盾を生じてノイローゼを引き起こすこともある。禁欲の対象になる欲望には食欲、性欲、睡眠欲、安楽欲、快楽欲、名誉欲、所有欲、金銭欲、出世欲、優越欲、愛情欲などがある。これらは本来生きるために必要なものだが、キリスト教や仏教では戒めている。生きるために必要なものでもその欲望はすべての人が持っており、個人が際限なくその欲望を貪った場合、欲望を持つもの同士が衝突したり、バランスが保てなくなったりするためと思われる。上記でノイローゼになると書いたのは教え通りに厳密にそれを守ろうとすると、生命の流れをせき止めることになり、生きるのが苦しくなってくる現象である。ならば禁欲の教えに対して如何様に対処したらよいのであろうか?禁欲というのはネガティブの教えである。これをしてはいけない。このようなことを考えたり想像したりしてはいけない。自分が儲けようと思ってはいけないなど、何々してはいけないと自分を縛ることで、自分を苦しめることになる。むしろ積極的に行動したり、積極的に思ったり、想像したりする中で自然に適度の禁欲がなされている状況が理想ではないかと考える。私が造語した「ラブラブ思考」では自分をとことん愛し、同じように他人もとことん愛し、行動したり思いめぐらすことである。他人とはどのような人か?身の回りの人は勿論世界中すべての人である。犯罪人も、自分に危害を加えようとした人もである。すべての他人を自分と同じように愛するのである。これも欲望の一種で人を愛したいという欲望だが、これは欲望同士で衝突しない。しかも食欲から始まる様々な欲望を丸出しにしたらラブラブ思考を実行できないので、自ずから適度の禁欲ができるのである。禁欲は何何をしてはいけないと考えるのではなく、ラブラブ思考を実践することによって得られると考えている。
2014.01.15
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I attended the funeral ceremony for the neighbor today.The neighbor, 92 years old woman, was died by heart failure. She had no dementia that means the disease of impediment to recognition. I said to the bereaved family that she was happy because had been cared by gentle family till last time without dementia.Japanese lives long life. It is not rare to live over 90 years, but there are many dementias in older generation. The ratio of dementia over 65 year group is about 15%. The ratio is increasing year after year.We must avoid suffering by dementia. I’ll present the therapy and precaution of the dementia in the Yamanashi Agricultural Medical Congress Jan.23, at Yamanashi JA hall. I am now preparing for the presentation.近所の92歳のご婦人のお葬式に参列し役員として香典を頂いた方の記帳をしてきた。その方は心不全で亡くなったとのことだが、最後まで認知症はなかったとのことで、ご家族に幸せな人生だったですねと申し上げた。日本人の寿命は年々伸びており、世界一だが、認知症の割合も増えている。65歳以上の人の15%は認知症との統計がでている。認知症にならないように日常生活に留意することが大切である。今度1月23日(木)に山梨県農村医学会が山梨JA会館で開催される。そこで私は認知症が著明に改善した3症例を報告して、認知症の治療と予防について発表する予定である。現在そのスライド作りなどの準備をしている。
2014.01.13
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この初場所、稀勢の里は13勝以上の優勝で横綱になれるということで多くのフアンはそれを期待して国技館に詰めかけ、初日の懸賞も大関としては異例の23本もかかったが、結果はあっさりと豊ノ島に敗れてしまった。土俵際で待ってる時から緊張で口をもぐもぐさせており、かなり緊張しているなと思ったが案の定、実力を発揮することができず敗退した。昨日ジャンプの高梨リサ選手がW杯で優勝したことはいかにすごいことか書いたが、彼女とは精神力や集中力が違うのだと思う。私は稀勢の里を責めるつもりは毛頭ないし、またその資格もない。高梨選手は人間離れしているが、普通の人間というものの本質を書きたかっただけである。私はとてもとても下手くそだがゴルフをする。練習場で練習もするが、コースにでた本番での最初のショットはほとんどチョロか曲がりである。練習場で真っ直ぐ打てても本番ではちょろってしまうのである。周りをみると私と同じようにチョロする人もいるが、きちんと真っ直ぐ打つ人もいる。その人たちは高梨選手に近く、私は稀勢の里に近い人間ということだと思う。勿論日頃の練習や胆力の訓練なども影響するだろうが、持って生まれた性格も関与していると思う。稀勢の里は白鵬や日馬富士を破る力を持った実力者だが、優勝したり、横綱になるには、緊張しないで初日とか大事な場面が迎えられるようにならなければ無理のような気がする。
2014.01.12
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本日、札幌市宮の森ジャンプ競技場で行われたノルディックスキージャンプ女子のワールドカップで17歳の高梨沙羅選手が優勝し、W杯女子で単独最多となる通算14勝目を挙げた。それまで13勝で並んでいたアメリカのヘンドリック・サラ選手は怪我で出場していなかったが、単独1位となり、来月始まるソチ・オリンピックでの活躍が期待される。W杯は世界のトップクラスの選手が集まる大会である。緊張で足がガクガクすると思いきや、この17歳の少女は、落ち着き払って自分の実力を堂々と発揮して勝ち続けてきた。今日の試合後のインタビユーで「14回優勝したことはうれしいが、それは気にしないことにしている。これから少しでも距離が出るようベストを尽くしていく」と述べていた。天才だと思うが、各試合で余計なことは一切考えないでベストをつくことだけを考え、落ち着いて自分の実力を発揮してきた胆力には驚嘆する。是非ともオリンピックで優勝してもらいたいと心から願う。
2014.01.11
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昨日は「忙しすぎてこのような生活の中に幸せがあるだろうか?」と書いて皆様にご心配をおかけし、お言葉も頂いた。今日は昨日の反省を踏まえてパニックにならないように冷静に対応したら最高に幸せが感じられた。昨日は病棟から電話があり、そちらへの対処を考えながら外来をしていたので、外来でくどくど訴える患者さんが疎ましく感じられ随分失礼な対応をしたのではないかと反省した。流れを早くすることだけを考えながら外来をしても、結果的には遅くなってしまい、患者さんは不快な気持ちで診察室をでることになる。昨日のことを言えば病棟からの電話に対し、「こんなに患者さんが並んでいるところに大したことでもないのに何を電話をかけてきたのだ」との気持ちがあり、「並んでいる患者さんを診るのが先決だ」と病棟への返事を後回しにしたが、それを気にしながらの外来診察で、目の前の患者さんに身も心も捧げていなかった結果が、昨日のパニック状態だったと思う。今日は違った。少し位待たせてもいい。時間がかかってもいい。待ってる人のことは忘れて目の前の人に全精力を注ぐのだの気持ちで対応したら、スムーズに流れ、却って昨日より短時間で終了することができた。何よりも患者さんと心と心で対話できた実感があり、心から幸せだなと感じられた。昨日と今日を比べると昨日はリズムがめちゃくちゃだった。今日は三拍子のリズムに載って快適で、全く疲れも感じなかった。リズムに乗っていれば幸せ感があり、リズムに外れていれば不幸感あるのだなと痛感した。
2014.01.10
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今勤務が終わってからの甲府のホテルでの勉強会「消化管研究会」に参加して帰ってきたところである。本日の任務は午前中胃カメラで、午後外来、夜は上記の勉強会があるので、何とかそれに間に合うようにと必死で外来患者さんを診ていると途中で病棟から電話がかかってきて時間を奪われる。1月23日発表の学会のスライドも作らなければならない。3月13日にも発表の予定がある。病棟の患者さんは少しも良くならなくて気苦労は重なる。朝、病院に行って、夕方帰るまでに休まる暇がない。そのような中で組の人のお葬式がでた。お葬式の役員として受付をしなければならない。考えるだけで頭がパニックになりそうである。忙しすぎてこれでいいのかと思った。忙しい、忙しいで日が暮れて、それで幸せが得られるだろうか?とふっと思った。幸せとは何か?のんびり優雅に暮らすことか? 心に余裕があることか?もしそうだとするなら今の私は幸せにはほど遠い。あくせくと心の余裕が全くない状態で日々を生きており、幸せとはとても思えないと思った。しかし逆に時間に余裕があって、悠々自適に生きていれば幸せかというと必ずしもそうとは言えない。目標の設定が重要だと思う。忙しくても暇でも、金があってもなくても、美人でも美人でなくても幸せとは心で感ずるものなので、心が幸せなら忙しくても、金がなくても、不美人でも幸せになれるものだと再確認した。問題はあれもしなくてはならない、これもしなくてはならないと頭の中で考えている時、病棟その他から連絡が来たりするとパニックに陥ることである。忙しいから幸せになれないということはない。問題はパニックにならないことだということが分かった。目標に向かって努力していれば、忙しいのは当然で、アバチャバしないで冷静に対処できればその中にきちんと幸せはあるのだ。と思えた。
2014.01.09
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パキスタンの16歳の少女、マララさんの特集を7時半からのクローズアップ現代で観た。女性も教育の機会を与えられるべきだという強い信念と行動力に強く動かされずっと涙が止まらなかた。タリバンに頭を撃たれ危篤状態の中から奇跡的に助かって、その後もひるむことなく男も女も平等、イスラムもヒンズーもその他の宗教の人も平等に同じ机で勉強できるべきだという不屈の信念を持って行動している姿に感動した。イスラム教徒はイスラムの教えは最高で、それが女には教育はいらないと言えば、その通りだと思って従うのが当たり前のことだった。それなのにこの少女はそれに敢然と立ち向かったのである。イスラム教は最高で他の宗教は邪教、法のためなら邪教の彼らは殺してもいいというイスラム教の中にいながらヒンズー教も平等、他の宗教も平等と言い切る勇気と知性、すごい女性がいたものだと驚き、蚤の心臓の私などとは比べ物にならない桁違いの勇気に圧倒された。今も彼女はタリバンに命を狙われているという。世界中で彼女を守り、女性の権利向上と世界平和のために彼女と共に戦うことを願う。
2014.01.08
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マスクが風邪の予防になることは実証されていないが、多くの人は予防するのではないかと思って、色々の場所でマスクをしている。102歳の医師、日野原重明先生は学会の市民公開講座で講演した時、冒頭で会場内でマスクをしている人は外して下さいと注文つけた。皆さんの表情が分からない。私の話を聴いて笑っているのかどうかもわからない。人と人のコミュニケーションを妨げることになり、相手に対しても失礼になるとの考えからだった。診察する時先生はマスクはしない。患者さんとのコミュニケーションが充分取れないからだという。咳が出たり、鼻水が出たりしている状態なら人に移す可能性を減らすためにもマスクをしてもいいが、自分を護るため、予防のためにマスクをするのは礼儀知らずでコミュニケーションの大切さを知らない人たちだとのお考えのようだ。歯科医師はほぼ100%マスクしている。医師の半数くらいもマスクしている。私は内視鏡医だが、胃カメラの時は通常はマスクしない。胃カメラの結果を説明するのにマスクしていると聞きづらいと思うからだ。大腸カメラの時は便汁が飛んでくることもあるのでマスクしている。完全に予防できるなら兎も角、効くか効かないか分からないが何となく予防できるような気がしてマスクするのは考えものだと私も思う。ましてや自分が風邪も引いていないのにマスクをしたまま会議に出席し、マスクのまま発言する人がいるが知性を疑う。最も冒頭の講演会でマスクをしていた人達は、マスコミなどが、人が大勢集まるような場所ではマスクをしましょうなどと喧伝するものだからそれに乗ってしまったと思われ、彼ら、彼女らには罪はないように思う。基本的には自分が病気の時には人に移さないようにマスクをすることはその効果も実証されているので、しても良いが、予防のためにはコミュニケーションのことも考え、むやみにしないほうがよいと考える。外来診察でも普段私はマスクしないが、インフルエンザ流行時などにはマスクすることもある。マスクと美容については、目が綺麗な人はマスクしたほうが綺麗に見える。顔が平たい人は、マスクは似合わない。
2014.01.08
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今朝は氷点下6度だった。足が冷たくて眠れなくて途中で靴下を履いたら少しあったかくなって少し眠れた。明日の朝もマイナス6度とのことなので今夜は寝る時から靴下を履いて寝ようと思う。毎年寒くなると体が痒くて困る。掻きだすとますます痒くなってまた掻くの繰り返しで皮膚の色が変わってしまう。今年は家内が作って人々に分けてやっているカリン入りワセリンをつけたらいつもの年より掻き傷が少ない。それでも時々痒くなる。掻きたくなるが掻けばさらに痒くなることが分かっているので今日は我慢してみた。痒いのを我慢するのは辛いが我慢してみたらしばらくすると痒みが遠のいた。足の冷たさと痒みは冬になるとずっと悩まされてきた。体質的なものもあり、仕方ないかなと思っていたが、防ぐ方法もあるので、それらを駆使して、冬を楽しく過ごしたいと思う。つまり、足の冷たいのには寝る時靴下を履いて足側に布団を重ねて載せる。痒みにはかゆみが襲ってきても歯を食いしばって絶対掻かない。これを実行してみようと思う。
2014.01.07
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今介護認定審査会から帰ってきたところである。介護を申請して一次審査が済んだ人達の最終審査(2次審査)をして、要支援1、2、要介護1、2、3、4、5等を決める会議である。介護度が上がるにつれて介護サーヴィスをたくさん受けられるので、申請者にしてみれば少しでも介護度を高くしてもらいたい気持ちだと思うが、5人の審査委員は申請書類をあらかじめ調べてきて議論を戦わせ、厳正に審査した。その審査の過程で認知症があるかないかが介護度を決めるキーポイントになることが多い。私はついこの間まで認知症は治らないと思っていたが、最近次々と治った症例に遭遇している。介護度は上がることはあっても下がることはないと思われていたが、治った人の介護度は当然下がっていくべきだと思う。いい薬の出現などによって認知症は治る時代になりつつある。このことを来る1月23日午後開催の山梨県農村医学会(山梨JA会館6階で開催)で発表する予定である。
2014.01.06
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無事当直任務を終了した。全部で救急車3台(人)を含む21人の救急患者さんを診察した。救急体制は受付の方一人、看護師一人、医師一人である。明け方3時、4時頃来る患者さんは態度の悪い人が多い。私などは「なんでこの程度の病気でこの時間帯に我が物顔で来るのか」という思いが湧いてしまいがちだが、昨夜の看護師さんは、年配のベテラン看護師だったが、そんな時間帯に来た患者さんでも、変わらぬ気持ちで親切に接していて素晴らしいなと思った。患者さんが来た時、医師は話を聞いて診察し、点滴や薬の指示をパソコンに打ち込むだけだが、看護師は実際に点滴し、点滴中の患者さんの様子をチェックしなければならない。医者よりずっと大変だと思う。でもよくやってくれたので、朝の任務終了時には「お疲れ様、ありがとう」と挨拶に行ってきた。彼女、彼らの仕事には頭が下がる。色々あって大変な思いをしたこともあったが、点滴をしていた人すべてが元気になって帰ってくれたこともあり、「無事任務終了した」の満足感があり、帰りにゴルフ練習場に行って球を打ってきたが、思ったように当たらず、球も飛ばなくてがっくりして帰ってきた。家についてからはかねてからからかっている景品でもらったウオークマンをボルボV40のカーナビで聞くためのブルーツースのマッチングを試みたがやはりダメだった。適合機種ではないということだと思う。重ねてがっくりした。でもピアノでも弾いて心のバランをとろうと思う。
2014.01.05
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本日1月4日はそれまでに数日休みが続き、明日はまた日曜日ということでめちゃくちゃ患者さんが多く、夜になってもひっきりなしに来ています。夜11時半頃少し患者さんがまばらになったので当直の唯一の楽しみであるカップラーメンを食べています。今まで食べる直前に入れてくださいという液体スープを蓋の上で温めて真面目に入れていましたが、面倒なので今回はそれは捨ててしまって入れないで食べました。最高に美味しかったです。最後に入れるスープは油で固まっていることもあり、脂肪がいっぱいです。それを入れなければしつこくなくてサラサラして最高に美味しかったです。好みがあるので皆に当てはまるかどうか分かりませんが、製造元は美味しくするために食べる直前に入れるスープを作ったのだと思いますが、これは却って美味しくない状態にして、体には高脂血症をもたらす、これこそ百害あって一利なしだと思いました。油のこってりした味を好きな人用に作ったのだと思いますが、結果的にかなり味を落とし、健康に害を与えるものを作っているのだなと思いました。最後に入れなさいという液体スープを入れないでラーメンを食べて見てください。今までに比べて何十倍も美味しいですから試してみてください。
2014.01.04
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正月1日、2日と休ませて頂いた。今日は12月31日に診に行った重症患者が気になって箱根駅伝を見たあとその患者さんを診に病院に行ったが、思ったより元気で安心して帰りにゴルフの練習をしてきた。いよいよ明日4日から通常業務である。たまたま当直にも当っているので、日曜の朝まで勤務だが、翌日が日曜日なので助かる。新しい年の勤務がいよいよ始まる。心して頑張っていこうと思う。
2014.01.03
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朝日新聞1月1日号に男女の秘め事世界一のギリシャについての記事があった。内容はコンドーム販売大手のデュレックス社の2006年調査(16歳以上の男女の調査)でその回数が年間164回で世界1だったギリシャが2011年調査では調査法が変わり、週1回以上の割合で調査され、その割合が2006年には87%だったのが80%に下がり、89%のコロンビアに首位を奪われたが、その原因は近年の経済危機が影響しているのではなかろうかとの記事だった。164回と言えば、約2日に1回で日本人には想像もつかない。この記事には日本人の回数や順位は書いてなかったが、別の資料によると日本人は桁違いに少なく、順位も最下位の方である。記事ではギリシャでは性に対しておおらかと書いてあったが、日本では恥ずかしいこと、隠すべきことの認識が強い。回数が多いような人に対しては助平とかお盛んだとか軽蔑的に見られることが多い。江戸時代の儒学者で生物学者、農学者だった貝原益軒は83歳の時書いた「養生訓」の中で「接して漏らさず」などその行為はなるべく慎むようにと説いている。養生訓では健康で長生きする秘訣を4つ上げている。1.食べ過ぎない。2.色欲を慎む。3.眠りすぎない。4.しゃべりすぎない。その2番目に上げている色欲はそれほど健康に悪いのであろうか?日本人の回数が極端に少ないのはこの養生訓の影響もあると思う。そこで、ギリシャと日本の平均寿命を比較してみた。少し前の統計だが男女合わせた日本人の平均寿命は83歳で世界一だがギリシャは80歳で20位だった。この数字だけ見ると禁欲の日本人の方が長命だが、日本の場合はその回数だけでなく、衛生環境、国民皆保険、食生活等様々な要因があって一位になっていると思われ、回数が少ないから長命ということにはならないと思う。ギリシャが極端に短命ならその影響もあるかもしれないが、それほど短命でないことを考えると貝原益軒先生のお説をそれほど信じなくても良いのではないかと思えた。日本では、悪いこと、恥ずかしこと、命を縮めることとと潜在意識で思われていたことも、ギリシャの例を考えるに日本人ももっとおおらかになっていいのではないかと思えた。
2014.01.03
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第90回大学対抗箱根駅伝の往路が終了した。東洋大が優勝し駒沢大が2位だった。この日のために各選手は大学の名誉のために練習し、調整してきたと思う。自分がこけたら終わりなので自分のためだけでなくチームのためにも最高のコンデションで細心のスタミナ配分で走らなければならない。山梨学院大学の第2区の走者2年生のオムワンバは15位でタスキを受けた。今までに数々の記録を作り、体力にも自信があったので快調に飛ばして5人を抜き去り10位まで順位を上げて、さらにこれから次々に抜き去ろうとしていた時右脚の疲労骨折で倒れこんでしまった。途中棄権で自分はもとより、チームのみんなの落胆は想像を絶すると思う。オムワンバはエースなので、彼の走りで順位を上げて上位に食い込もうと思っていた作戦はふいになってしまった。骨折はそれまでの疲労の積み重ねの結果かもしれなが、ペース配分をもう少し慎重にしていたらこの大事な舞台で倒れることはなかったかもしれない。ランナーの中でも最強と言われており、自分もそう思っていたと思われるが、自分を過信しすぎていた面があったのではなかろうか。10何人抜きしてトップになれば格好はいいが、それは棄権につながるかもしれない賭けだったのだ。早く骨折を治して、ペース配分の技術も習得してさらなる飛躍を期待する。
2014.01.02
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2014年(平成26年)がスタートしました。昨年は2020年のオリンピック誘致が決まった明るいニュースもありましが、その立役者だった猪瀬東京都知事の辞任、秘密保護法の制定など心を暗くするニュースもありました。写真は昨年10月長野県の上高地に行った時の写真ですが、あまりに綺麗だったので、今年が美しくて明るい年になるようにとの願いで掲載しました。月日は滞ることなく、常に同速度で過ぎ去っており、いかなる日も同じように巡っていますが、人間は1月1日とか、2月1日とか最初の日を重視する傾向があり、中でも1年の始めである1月1日は特別な日として祝う風習が世界各地にあります。特にわが国では「1年の計は元旦にあり」として、その新しい年をどのような年にするか年頭に計画を立てるのがよいと言われています。計画には個人的なものと社会的なものがあります。社会的とはこの1年間にいかに住みよく、健康的な社会を作っていくかの計画ですが、それは政治家の力を借りなければ達成不可能のことが多く、もっぱら個人的計画が主になっているように思います。個人的なものとしては、健康維持増進、仕事のレベルアップ、趣味での成績向上、交遊関係の発展など、多くの願いをこの日に集約して祈念していくことになると思います。例えば、今年は、体操、散歩、読書、英会話、趣味の何かをすると決意したりすします。長期的には何かの資格試験に挑戦する、体重を10kg減らす、海外旅行するなどを計画することもあります。それらは個人的なもので非常にバラエティにとんでおり、達成するかしないかも個人差が大きいと思います。私の場合を以下に書いてみたいと思います。人が、健康になったり、幸せになったりするのは日々の生活習慣によるものだと思います。今まで勤めから帰って夕食後、ゴロゴロして無為に過ごすことが多かったので、この時間帯を充実させたいと思いました。それには1日10分間は何何をすると決めようと思います。そうすると当然終了時間があるので、寝る時間も決まると思います。運動、学習、休養を盛り込んだきちんとした時間割表を作って、実行していこうと思っています。
2014.01.01
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