全21件 (21件中 1-21件目)
1
1月29日に山梨県JA会館で開催された第20回山梨県農村医学会で、医師不足の本当の理由を発表してきた。医師不足、医師不足が叫ばれて、社会問題化されているが、その本当の理由は明らかにされてこなかった。それは政府の低医療費政策が原因である。医療費を減らすために2012年までに36万床ある老人病院を15万床に減らすことが決定していた(今年それが緩和されて20万床に減らすことに修正された)。公立病院も入院率70%以下が3年続いたら病床を減らすよう行政指導されることになっている。3年まえに新研修医制度がスタートした。研修医はマッチングシステムで自分の希望する所で研修できるので、大都会の大病院に集まることになった。地方の大学では研修医がいなくなり、地域の病院に派遣していた医局員を呼び戻すことになり、地方の公立病院等では医者がいなくなってしまった。厚生労働省は新研修医制度によって医師不足がもたらされることが分からなかったのかと批判する人がいるが、的外れもいいところで実は医師不足が狙いだったのである。病院を潰すには医師不足が最適の方法と考えて打ち出してきた政策なのである。政府の方針は何が何でも医療費を減らすことにある。病院は金がかかるのでまずそれを潰す必要があると考えたわけだが、その病院から追い出された人達は何処へ行ったらいいのであろうか?厚生労働省や財務省は経済至上主義である。国民の健康は二の次である。役人は病気で苦しむ患者さんや分娩まじかの妊婦さん達がいようがいまいが経済さえ帳尻が合えばいいと考えているのである。病院があるから医療費がかかる。だから病院を減らす。病院を減らすには医師不足にするのが手っ取り早い。それには新しい研修医制度がいい。そのねらい通りに深刻な医師不足が起っているのである。名目上は厚生労働大臣や厚生労働省の役人がこのような政策を行っていることになっているが、実際は財務省の役人が指図して、厚生労働省の役人がこのような政策を立案実行しているのである。このことを知っている人は少ない。わが国で最も強大な権力を握っているのは財務省の役人である。その上に位置するのが国民世論である。国民が真実を知った時には最高権力者の財務省官僚もやむなく方針転換してくれる。国民は賢くなってもらいたいと思う。
2008.01.31
コメント(4)
私の妻はおっちょこちょいと言われている。数ヶ月前にオートバイと共に転んで左足甲の亀裂骨折をして、その数ヶ月後に風呂の脱衣所で体をひねって右足小指の骨折をした。本人は大変苦しんでいる訳だが、外部からは、注意力が足りないおっちょこちょいだからそのような事故を起こすのだと言われていた。その人の娘も人の親になり1歳の娘の母になった。先日スーパーの籠につまずいて倒れ、抱いていた子供をコンクリートの床にころがしてしまった。周りの人が驚いてかけつけてくれたが幸い子供は軽傷で済んだ。それから何日もしないのに今度は自宅の庭で側溝につまずいて倒れて今度も抱いていた子供を放り投げてしまった。でも子供は無事だった。投げ出したと言っても恐らく身を挺して子供を守るように倒れて最後の瞬間放したのだと思う。親子二代続いたおっちょこちょいの血筋は争えないものだと思った。それにしても子供を抱いていた時につまずいて倒れた時にどうしたらいいのであろうか?とっさのことで考えている暇はないが、子供を抱いたまま自分が地面の方に倒れるとか、倒れながら何とか子供を上に支えるとか、子供を守らなければという本能が命ずるままに無意識に行動するしかないが、自分のように運動音痴の人間は、とっさの行動が出来なかったかもしれない。emoji code="h051" />娘の場合は倒れながら何とか子供が無事のように離している。幸い子供の命に別状なかったが、もし命に関わっていたなら娘はどうしていただろうか?想像を絶する状況だと思う。今回倒れた時には自分が大変重い打撲傷を負い、身動きもままならないとのことだが、よかったと思う。たとえ自分の骨が折れようとも、命がなくなろうとも子供が助かって貰いたいとの願いがある。子供が重体で自分が何でもなかったならやりきれないと思う。 守ってくれた目に見えない力に感謝する。我が家では親子2代に渡る大事件が続いた。我が家だけでなく、世界ではこのような事件は到る所で起こっているのかも知れない。願わくば転ばないように細心の注意で身を処して貰いたい。なかんずく子供を抱いている時には、注意に注意を重ねて慎重に行動してもらいたいと心から願う。
2008.01.30
コメント(2)
私は大学受験の浪人時代、自宅浪人だったので、勉強に疲れた時など腹式呼吸をした。腹式呼吸というのは、空気を吸う時意識してお腹に空気を溜めるように呼吸することである。お腹に息を溜めるということは横隔膜を下に押し下げるので、お腹の中の小腸や腸間膜の中に溜まっている血液を押し出し、循環をよくして、頭に血液が戻ってきて、頭が冴えると言われているが、当にその通りで、頭脳明晰になり、難しい数学の問題などがすんなり解けることが多かった。また自信も湧いてきて怖いものなしで何時もびくびくしている今の自分などはとても想像できなかった。大学に入学した時も、世界で自分が一番優秀であるとの自信があった。しかし自宅では腹式呼吸ができたけれど大学生になると腹式呼吸をする時間もないし、受検というせっぱつまった目標もなかったので、腹式呼吸を全くしなくなってしまった。そしたら血液はみんなお腹の中に溜まってしまい、頭には血液が回らずいつもボーとした感じで頭脳明晰とはほど遠い感じになってしまった。腹式で自信が湧いてきたというのは、頭への血流が増え、酸素が供給されて、精神が統一され、どんな暴力的な人間でも、絶対負けないという自信が湧き、事実、身のこなしや判断力がそこらの人間とは比べ物にならないくらいスマートで、誰にも負けるはずがないと思えた訳だが、腹式を止めたら頭がボーだから、精神統一もできないし、物事の判断力もなくなって、全く自信がなくなってしまった。それなら腹式を再開すればいいではないかと思われるかも知れないが、人間、満たされてしまう(大学に合格)と中々できないものだなと痛感している。腹式はお腹に溜まった脂肪も全身に運んでくれるし、足が冷たい時には腹式でお腹の中に溜まっている血液を循環させれば温かくなると分かっていても実行できない。腹式呼吸というのは筋肉(横隔膜は筋肉)の運動である。腹式がいいからとやりすぎてはいけない。これはマラソンをやりすぎてはいけないのと同じである。受検時代の私に効果があったのは、毎日勉強に疲れた時少しずつやっていたからだと思う。腹式呼吸は頭脳明晰、精神統一だけでなく、メタボリック対策や、美容、商売繁盛、病気治癒、スポーツの勝利、対人関係の改善など全てに効果があることは私の受検時代の体験から言える。それが分かっていても満たされている人にはできないかもしれない。本当に心底困っていて、満たされていない人がいたら是非腹式呼吸を試みて貰いたい。
2008.01.29
コメント(0)
きょうお年玉年賀はがきの当選番号が発表になった。民間に移管したからか、今回は4等の下二桁の当選番号が37と64の二つしかなく、当たる確率が低くなっていた。500余枚調べたが例年のごとくはずれが殆どで、4等当選が8枚あったのみだった。他の当り番号は以下の通りである。1等5745782等957358 769466 3979403等 9660特別賞 935473 588104 520056 700871C組812751C組5611014等 下二桁 37、64
2008.01.27
コメント(2)
前回のブログに、「いつも側にいて世話をしてくれる奥さんがいて幸せですね」とのコメントを頂いたので、今回はその奥さんについて書く。私の妻はあっけらかんとした人である。勤めていた頃のあるお葬式で上司から「おまえ、その顔何とかならないか!お葬式だぞ、もっと悲しそうな顔をするもんだ、お前の顔は笑っているではないか」と叱られたとのことである。もし私が死んでも、にこにこしながら、「すごく手のかかる人でした」と挨拶して回るのではないかと思う。でも「何もできない主人を残しては逝けないので、一日でも私の方が長生きしなければ」と言っている。根からの世話好きの人で母親そのものである。甥や姪、近所の子供達にも同じような接し方をしており、母親のように思われている。何よりも私の亡くなった両親にも同じような接し方で、両親から母親のように慕われていた。父は「ママさんは太陽よ」とよく言っていた。最初に掲げた絵は5歳の孫がハガキに描いて送ってきたものである。遠く離れた孫達が家に来た時も母親のように接し、離れている時はせっせと色々な物を買って送っている。息子は勿論だが、その嫁さんも実の子供のように思っている。偉大な母親だと思う。しかし、世界の難民とか飢餓の子供たちには身の回りの人に示すほどの気配りがないように思う。いわば日本、しかも身の回りの地域限定の偉大な母親のように思う。願わくば、世界の母親になってもらいたいと思っている。もう一つの願いは、孫が絵の上に書いてくれた字は「おばあちゃん」である。孫が呼ぶのは仕方がないが、実質は、何時までも若く、何時までも母親の役割がはたせる、若々しい母親のままでいてもらいたいと思う。
2008.01.27
コメント(0)
家の庭の雪景色である。義息が作ってくれた庭園が今朝の雪で真っ白になった。雪の白さにちなんで、今日は白髪と染毛について書く。テレビで総理の福田康夫さん、民主党代表小沢一郎さんを見ると、生え際が染まっていなくて気になって、「美容院とか理髪店に行ってきちんと染めてもらえばあんなことにならないだろうにね」と家内に言ったら「ああいう人達はそういう所に行っているに決まっているよ」と言われた。自分の家は家内が私の髪を切ってくれて、染めてくれるので、生え際が染まっていなくてみっともないけれど総理総裁ともあろう人はきちんとしたところで染めてもらえばいいのにと思って言ったのだが、自分の家で染めて貰う人は稀で、専門店で染めてもらう人が普通かも知れない。ましてや総理総裁ともあろう人は家で奥さんに染めてもらってはいないかなと思った。パキスタンの大統領ムシャラフ氏も染め残しがすごく目立つ。金と権力を欲しいままにしている人でも白髪染めは思うようにならないものだとこの3人を見てつくづく思った。先日姉が我が家に来てくれたが白髪を染めるのを止めたといって、全くの白髪で来られた。外人みたいですごく綺麗だと思った。全部が白髪になってしまうと、それはそれできれいで染めなくてもいいが、途中の段階だとどうしても染めたくなる。でも上記お三方は生え際の白さが目立っておしゃれをしている意味がないと思った。私の場合は、私の白髪が目立つと家内が「もう染めなくてはね」といって理髪と染毛をしてくれるが、福田さんや小沢さんはどうしているのだろうか?忙しくて髪のことなどにかまっていられないのだと思うが、奥さんから「もう床屋に行ったら」と言われていても忙しくて床屋にもいけずにテレビで鬢の白髪をさらすはめになっているのだと思う。それなら奥さんが染めてやればいいのにと思ったりする。世の中で誰が一番幸福だろうか?最高権力者の総理大臣だろうか?世界一の金持ちだろうか?私は金がなくても、権力がなくても、生え際の白さを人前に曝さないですむように、絶えず身の回りにいて、きちんと世話をしてくれる人がいることではないかと思っている。
2008.01.23
コメント(2)
今回も小説「人間の絆」から:主人公のフィリップは幼くして両親を亡くして叔父夫婦に育てられ、亡くなった父親の遺産でロンドンの医学校で学ぶ学生である。喫茶店に通って恋をしたり、彼女に自分のアパートの一室を提供してやるなど、人並み、もしくはほんの少しそれより上の生活をしてきたのに、卒業して医師免許がもらえる1年前に友人に誘われて父の遺産の大部分で株を買ってしまった。以前やはり友人に勧められて少額の株を買って大もうけした思いがあり、今回沢山買ってしまったのだ。イギリスが南アフリカでボーア戦争を行っており、友人が言うにはこの戦争は早々終わってイギリスが勝利するので株が上がるのは間違いない。そうなってから買うのでは儲けは少ない。遅れをとるな、今がチャンスだと言われて買ったのだが、実際にはボーア人の抵抗が強く、戦争は長期にわたり、株価は下落の一途をたどった。フィリップは大損をして、手元には数ポンドしか残っておらず、下宿代も払えず野宿し、食事も粗末なものを2食しか食べられず、自分がまさかこんな境涯になろうとは夢にも思わなかった境遇になってしまったのだ。「株など買わなければよかった」と思ったが後の祭りである。あと1年経てば医師免許がもらえる。そうなれば医師として稼げるが今は免許はない。学校を休んでデパートの売り子などの募集広告に応募したりして職を探すが中々見つからない。この後、恐らく学業が続けられなくて医学校を退学するのではないかと思うが、株によって人生を狂わせられた人はフィリップだけでなく、現在は世界中に溢れていると思う。フィリップは毎日新聞を見て株価の下落、下落を見て生きた心地がしなかったとのことだが、生きた心地がしない人は日本は勿論、世界中にいる。フィリップつまり作者のサマセット・モームは後に大小説家になるので、株価で落ち込んでも別の人生がある。世界中の株で損している人達よ。人生いたるところに青山ありだ。サブプライムローンや戦争のつけが株価下落につながっているのだと思うが、それは株主の責任ではない。フィリップの時代のボーア戦争、現在のサブプライムローン、株主がやきもきしてもどうすることも出来ないことだ。なる様にしかならないが、株で損して、あんなに貧乏になったフィリップも後に小説家として大成したのだから、今はどんなでも後に必ず大成することを頭に描いてがんばって貰いたいと思う。
2008.01.22
コメント(0)
今日はお客さんが来た。しばらく前までは客が来てもあまり気にしなくてそのままだったが、最近は来る前に、色々準備して迎えるようになった。様々なタイプの客があるが、どの客に対しても、誰か来るとなると部屋の掃除とか、片付け、テーブルや椅子の配置などを手伝うようになった。廊下のゴミを拾ったりスリッパをそろえるのが私の役割みたいになっている。今は時代が変ってご馳走を山ほど並べられるより、量より質で、上品なもの数品の方が喜ばれる時代なのに、家内は相変わらず昨夜から、あれもこれもと食べきれないほど準備していた。私はやっと最近、客が来る時にはいろいろ準備しなければと思うようになったが、家内は昔から、客を迎える時は過剰と思えるほど神経を使っていたようだ。今お客さん達が帰った。後片付けが大変なのは分かっていたが、「手伝って」と言われなかったので今まで殆ど手伝わなかった。客が来る前のところでスリッパなどほんの少し手伝うようになったので、これからは言われなくてもほんの少しでも後片付けも手伝っていこうと思っている。客を迎えるということはもてなしの心がないとできない。客には歓迎する客、来て貰いたくない客など様々なランクがあると思う。私は自分の家に来てくれる客は、誰も最大限尊重し、心からもてなそうと思っているが、こちらが忙しいとか体調が悪いとかの時は思うように対応出来ないことが多い。自分が客として訪問した時、心からのもてなしを受けた時は嬉しい。それは誰でも共通の感情だと思うので、人が客として訪れた時には心からもてなせる人間になりたいと思う。
2008.01.20
コメント(0)
5歳の孫がこどもの国で難しい鉄条網トンネルに挑戦している写真である。トンネルは空中に浮かんでいるので最初怖いと言って泣きべそをかいていたが、一歩一歩踏み出すにつれて自信がついて、長いトンネルを全行程走破して得意満面で下りてきた。怖いと言ってしり込みし、姉がすいすい渡っているのを羨ましそうに見ていたのなら最後の喜びは得られなかったと思う。私にも上手になりたい願いがあった。一つは趣味のゴルフである。上手になりたいと思うがいつも自分の思いとは裏腹に下手の極みの結果になって苦しんだ。先日行ったゴルフでは初めて前半、後半とも60を切った。私にとってはすごいことで心から嬉しかった。仕事上も技術的に上手になりたいことがある。中々思うようにいかなくて苦しかった。表面的に笑っても心の底は真っ暗で苦しみの人生だった。そして今日。今日は上手くできた。嬉しくて廊下ですれ違う人にも思わず笑顔がこぼれた。見るもの聞くもの周りの人が全て輝いて見えた。今までも笑顔での挨拶を心掛けていたが心は苦しかったのできっと引きつった笑顔だったと思う。何かが成就できた時には、心の中から自然に喜びが湧いてくる。接する周りの人も気持ちいいと思う。苦しみが心にある人は表面的に笑っても周りの人をも暗い気分にさせてしまうのでないかと思う。孫の話から書き始めたが、幼児、少年、大人、老人、全て同じだと思う。やりたいと思うことが上手にできたことほど嬉しいことはない。教育とはその喜びを教えていくことではないかと思っている。
2008.01.18
コメント(0)
昨日アゲハチョウを家の外に出してやったが、夜もだんだん深まり、温度も下がってきたのでアゲハチョウのことが気になり出した。家内が「家の中に入れてやったら」と言ってくれたので10時半ごろ外に出て、懐中電灯を点けて庭の中をあちこち探した。どこを探しても見つからず、雲を掴むような話で、諦めかけた時、庭の砂利の上に羽をたたんで横たわっていた蝶を見つけた。まだかすかに息をしているようだったので、部屋の中にいれて、シクラメンの花に止まらせたが落ちてしまった。暫くして家内が「飛んでる、飛んでる」というので部屋に入って聞いてみたら、部屋が暖まってきたら元気になって部屋の中をあちこち飛び回ったとのことである。本日の朝、起きてみたら、床の上を弱弱しく這っていた。気にしながら出勤して、夜勤めから帰ってきて早速様子を聞いたらあの蝶はもう家にはいないとのことだった。義理の兄Tさんが家内を買い物に乗せていってくれることになり、家まで迎えにきてくれて、我が家のアゲハを見つけた。Tさんが広口カップに砂糖水を作って、それをテーブルの上に置いて買い物に出かけた。蝶がそれを吸ったかどうか分からないが、家内達が買い物から帰って窓を開けた途端、蝶は飛び立ち、隣のアパートの屋根に止まってしまったとのことである。永遠の別れだと思う。今夜の寒さで確実に死ぬだろう。温かい部屋に住まわせてもっと生かしてやりたいと思ったが、何事も自然に帰れで、自ら自然の中に飛び込み、その自然の中で死んでいくのは本望かもしれない。突然我が家に出現し、最後は大空の中に消えていったキアゲハ蝶、誰かの化身かもしれない。楽しい夢を見させてくれて有難う。コメント:図鑑で調べましたらこの蝶はアゲハチョウ属のキアゲハでした。
2008.01.17
コメント(2)
家内が部屋の戸締りをしてお使いに出て帰ってきたら、部屋の中にアゲハチョウがよちよち歩いていたとのことで、写真を撮った。床をヨチヨチ歩いているところカーテンに止まった所を撮影した。家内は寒いので家の中に草木を入れているのでそれについていた幼虫が暖房で孵化して蝶になったのでないかと言っていたが、私は戸締りをする隙にどこからか紛れ込んだのではないかと思った。だがこの真冬に蝶が飛んでいるだろうか?家の中にそのまま置くべきか外に出してやるべきか迷った。家の中に置いたっていずれ死ぬ。外に出せば寒さで早々と死んでしまうだろう。でも自由がある。外に出して庭のパンジーの花に止まらせてやった。自然の方がいいと思ったからだ。2日前のブログで前世をとりあげた。人には必ず前世があると書いてある本を紹介した。その本では人の前世はやはり人間と書いてあったが、仏教等の考え方は人の前世は必ずしも人間ではなく、あらゆる生物の可能性があると説いている。私も、現世が人間だからといって、その前世も人間だったとは思っていない。蝶だったかもしれないし、動物や魚だったかも知れないと思っている。この蝶は誰かの霊で、何かを告げに我が家に入ってきたのかもしれないと思った。科学的根拠は何もないが、真冬に、アゲハチョウが締め切った家の中にいたとなるとそのような想像も浮かんできた。不思議な蝶だ。家の外に追出した私を恨まないでくれと願う。
2008.01.16
コメント(3)
本日夜7時半からクローズアップ現代をみた。皮膚由来の万能細胞を発明した京大の山中教授との対談だ。脊髄損傷で歩けないねずみが万能細胞の注入で脊髄が正常になって普通に歩けるようになった映像(これは受精卵から作ったES細胞を用いたものだが)が流されたが、万能細胞を用いれば腎臓がだめになって現在透析している人たちも自分の体の中に腎臓を作れるようになるかも知れない。夢のような話だがまだまだクリアしなければならない問題が山のようにある。まず第一に安全かどうかである。万能細胞は癌細胞にも転化する可能性がある。24個の遺伝子を皮膚細胞に入れたら万能細胞になったがいらないものも入っているはずだと消去法で一つずつ消していったらたった4個で十分万能細胞になることが分かったとのことである。しかし遺伝子は互いに影響しあっていて、抑制するものもあれば促進するものもある。4つに絞り込んでよかったかの問題がある。24個以外にも発癌させないためには何らかの新たな遺伝子を入れなければならないのかもしれない。無害だ、発癌性はないということになってから次の段階として、具体的な臓器への転化が研究されていくが、心臓や腎臓、肝臓の細胞は作ることができても、心室や心房を作ることは容易ではない。山中教授も言っていたが、若くて優秀な研究者が続続と結集して貰いたいと思う。優秀な若者達よ、年は若くなくても若き情熱のある者よ、山中教授と共に、人類始まって以来の大研究に取り組んでもらいたいと思う。
2008.01.15
コメント(3)
最近突然の嘔吐と下痢に襲われる患者さんが全国的に多発している。生カキ等を食べて発症すると言われているが、その心当たりがない人も多い。嘔吐や下痢を起こす病原体は細菌では腸炎ビブリオ、サルモネラ、カンピロバクター等があり、ウイルスではロタウイルスやノロウイルスがある。寄生虫ではアメーバーやランブル鞭毛虫、クリプトスポリジウムなどがある。最も多いのはウイルス性の胃腸炎である。ノロウイルスは夜寝ていると何となくお腹の辺りが気持ち悪くなり、起き上がると突然激しい嘔吐があり暫くすると下痢が続く。症状は激しいが1~2日で治癒する。ロタウイルスは乳幼児がかかり易い。外来を受診する患者さんから「ノロウイルスですか」と聞かれる。症状からまずそうだと思うが、調べてみないと分からないし、そうだというと厳重警戒態勢をとることになっているので、「そうです」とは中々言えない。調べるとなると電子顕微鏡とか遺伝子検査とか時間がかかるし、保険が利かないので何万円も金がかかる。「ノロウイルスではなかったと医者に言われた」とある知人が言っていたが、それは検査をしなかっただけだと思う。夜中に寝ていて突然嘔吐が始まり、激しい下痢も続く場合は大抵ノロウイルスと考えてよい。1日何も食べないでスポーツドリンクだけ飲んでいれば大抵は翌日からは普通に食べられるようになる。原因は生カキ、イクラ、その他生で食べる海産物から感染することが多いが、患者の嘔吐物や糞便から感染することもある。調理する場合それらからの汚染に十分注意することが必要だが、菓子や果物を食べる手が汚染されていることがあるのでそれらを食べる前には必ず手を洗う習慣を身につけてもらいたい。
2008.01.14
コメント(1)
今、「前世あなたは誰だったのか」(PHP文庫)という本を読んでいる。人の意識は五感で感じる顕在意識と心の奥底にある潜在意識とさらにその奥にある魂意識から成り立ち、この魂意識は人の死と共に肉体を離れ、新たな生命の誕生と共に別の肉体に入り、その人の人生を深いところで支配している。前世と今世のかかわりは、カルマ(業)により、必ずしも前世の継続とはなっていないが、例えば、何故か医療従事者になって病人を救いたいと言う強い気持が湧いてくるのは前世にそういう仕事をしていてそれを継続していきたい場合や、前世に医師にもよく見てもらえないで惨めに死んでいった人でその見返りに医療従事者になりたいという強い気持ちが湧いてくる場合など様々なケースがあるという。前世と言っても直前世だけでなく、2前世、3前世、・・7前世など永遠に続いているが、その中で今世に最も強い影響を与えている前世があり、前世と今世のかかわりは複雑系である。魂意識はスピリチュアルワールドとして宇宙とつながっており、永遠の生命の中で輪廻転生を繰り返している。今、身の回りにいる人たちは皆前世もしくは前前世に会った人達ばかりだという。魂意識には今までの輪廻転生の記憶は勿論、自分が何者であるかの認識やあらゆる愛と大宇宙の智恵が濃縮されている。何千年前のことも全てを記憶した上で完璧な調和を保ち、美しく存在しているのが「大いなる源」であり、それが魂意識である。しかし自分の魂意識がその「大いなる源」と同じだと気づいている人は殆どいない。そんな「大いなる源」が誰の心の中にもあるのに悪事を働く人がいるのはその魂意識に気づいていないからかも知れない。潜在意識や顕在意識に振り回されてばかりいないで魂意識に気づいて大いなる調和の世界を築いて貰いたいというのが著者の願いだと思った。
2008.01.13
コメント(2)
私は世界の平和と一切衆生の幸せを毎日祈っている。でも相変わらず世界のあちこちで自爆テロや戦争が行われている。国内をみても殺人事件などが後を絶たない。心が曲がった人がいるから殺人や戦争が起こるので、人々全てが心清き人になってもらいたいとも祈っている。全ての人が自分と同様に他人の幸せを考え、そのために全力で努力してくれたらと願っている。自分の心は自分でコントロールできるが、他人の心を変えるのは難しい。他人がこうあって欲しいと祈ることは出来ても、強制はできない。今日も世界の平和と一切衆生の幸せを祈り、そのためにお役に立てる人間になれますようにと祈った。
2008.01.12
コメント(0)
庭に咲いているノースポール(北極)である。キク科、クリサンセマム属、半耐寒性1年草原産北アフリカ、日本には約38年前(1970年)渡来、12月、1月の厳寒期から5月頃まで咲く、花言葉は誠実、清潔昨夜電力を使いすぎてブレーカーが下がってしまった。何時もはそのまま上に上げればまた電気がついたが、今度ばかりは何度上に上げても戻ってしまって、電気をつけることができなかった。困って東京電力に電話したら、当直の人が、技術関係の電話番号を教えてくれて、そちらに電話したら、寄るところがあるので少し時間がかかるが来てくれるとのことで、暫く待っていたら2人の若者が来てくれた。結果は「電力オーバーでブレーカーを何度も何度もダウンしているので留め金が磨耗して、上げても引っかかってくれないで下がるのだと思うので、いつか電器屋さんに言って新しいのに替えてもらった方がいいと思います。とりあえず今夜はゆっくりスイッチを上げてみます。ゆっくり上げると引っかかるところがありましたので戻らないで上に固定することができました。次のブレーカーダウンまでは大丈夫でしょう」とのことで電気がついた。夜中に尋ねてきてくれた若者二人、すごく頼もしいと思いました。心から感謝申し上げます。私はスパーに買い物に言っても心の中でレジの人に感謝し、外食する時にもウエイトレスなどに感謝します。そして我が身を振り返ります。「皆さんがこのように親切にしてくれている。自分は人様に親切にしているか」と常に反省しながら仕事をしています。同業者の中には威張っている人もいます。昔は威張っている人が多かったみたいですが、最近は親切で優しい医師がかなり増えてきていますが、中には特権階級のように威張っている人を見かけます。旅行するにも、電気器具の故障でも何時も色々な人にお世話になっています。自分が人様のお役に立たせてもらう立場になった時にはそのことを思い出して誠心誠意つくして貰いたいと願っています。
2008.01.09
コメント(2)
テレビの波乱万丈という番組で、高島忠夫のうつ病と向き合ってきた奥さん、寿美花代の物語を観た。アル中2年、その後の10年間の合計12年間よく尽くしたと思う。最後に高島忠夫本人が番組に登場し、その心境を語った。うつ病の時には励ましてはいけないと言われている。自分はしっかりしたいのだけれどできないで苦しんでいる所に「しっかりしろ」「がんばれ」などといわれると苦痛が増して自殺しかねないとの理由からだが、高島は妻の励ましが大変ありがたかったと述べていた。持ち上げてくれようとしていることがひしひしと感じられ心強かったとのことである。「うつ病患者は励ましてはいけない」ことがかなり知られており、それを心掛けている人も多いと思うが、要は心だと思う。表面的に「頑張れ」というのは確かに悪いが、心の底からその人を持ち上げてやろうとする激励が悪いわけはない。「励ましてはいけない」が一人歩きして、そっとしておけと受け取っている人もあるかもしれないが本当は違うというのを今日のテレビで教えられた気がした。心の底から願い、はげまし、持ち上げてやろうと努力することは病人にいい影響を与えることの方が多いと思った。勿論ケースバイケースで異なると思うが、「はげましてはいけない」ことばかり気にして、気がつかないふりをするのではなく、寿美花代さんのように常に笑顔で何かと援助してやることが家族としてベストの接し方だと思う。
2008.01.06
コメント(0)
サマーセット・モームの「人間の絆」(Of Human Bondage )の英語版の表紙である。岩波文庫の日本語版と併用して読んでいる。ロンドンの医学生フィリップは喫茶店の女給ミルドレッドに夢中になる。しかし2度に渡って残酷な振られ方をする。思い余って自殺も考えるほどだったが立ち直り、学業に精出していた頃、落ちぶれたミルドレッドが売春婦をしているのを目撃する。自分の下宿の1室が空いているので、そこに住んで食事や掃除洗濯などしてくれたらいいと誘い、ただし男女関係はない友情ですと念をおした。売春婦から足を洗いたかった彼女はその誘いに感謝し、彼女の2歳の子供を連れて一緒に住むことになる。フィリップは自殺を考えるほどの落ち込みから立ち直った後、彼女を好きではなくなっていたが、不幸な彼女を救いたい気持ちからとっさに空き部屋を思いついて申し出たのだが、彼女は昔熱烈に愛してくれた彼は今でも自分を愛していると思っていた。そして部屋まで貸してくれて、親切にしてくれる彼に肉体でお返ししようと考える。ある夜「貴方を愛しています」と彼を本気で誘うが、拒絶され、「そんなことをする貴女にはむかつく」と言われる。ミルドレッドは怒り狂い、彼に罵詈雑言を浴びせ、あらゆる悪口を言って部屋を出ていく。そして翌日フィリップが病院実習に行っている間に彼の部屋はメチャメチャにされ、ソファーや布団はナイフで切られ、鏡などはハンマーで割られていた。信じられない光景にフィリップは唖然とした。そして彼女は書置きも残さず彼の下宿からいなくなっていた。彼はあんなに好きだった女なのにどうして今では近づかれるもいやになってしまったのか自分でもわからなかったがどうすることもできなかった。ミルドレッドは男女の関係は肉体関係以外にないと思っており、フィリップが言う友情関係は理解できなかった。自分の欲望が入れられないと暴言や暴力、住居を破壊したりするのは女性だけでなく男性にもある。むしろ男性の方が多いのではないかと思う。家庭内暴力の大半はここにあると言われている。前には好きだったのにある時から体に触れられるのもいやになる原因は、相手の浮気などが原因になることが多い。フィリップが夢中だったのは相手の本質を知らない時で、その後の彼女の言動や本質を知るにつれて好きではなくなったが、どんなに華やかそうに見える人でもその本質が貧しい人は最後には拒絶されることもある好例だと思った。
2008.01.05
コメント(2)
年末年始には滋賀県に住む長男夫婦と二人の孫(6歳と5歳)が遊びに来てくれた。上の写真は暮れに愛宕山の子供の国に連れていった時の写真である。鉄網でできた長いトンネルや難しい橋や長いすべり台など全ての遊具を完了したあと仲良くシーソーに乗っている写真である。空中にあるトンネルに自分ももぐってみたが、かなり怖くて早々と下りてしまったが、子供は怖いながらも全て夢中で次から次に走破した。子供の怖いもの知らずとバイタリティはすごいと思った。その彼らも昨日滋賀県に帰っていった。今日からは仕事始めである。病院の仕事始めは普段と殆ど変らなかった。気になる患者さんがいるので昨日も様子を診にいっているので今年初めての出勤でもないので、自分は事改めた気分ではなかったが、看護師達も夜勤や日勤で出勤している人が多く、特別こと改めた挨拶をし合うこともあまりなくて助かった。というのは自分は仕事始めの日にこと改めて挨拶し合うのが苦手だからだ。本当は年の始めの仕事始めの日に、お互い「これから1年間頑張りましょう」「よろしくお願いします」と挨拶し合うことは大切だし、意義もあることだと思うが、どうも苦手で困ったものだと思っていた。でもあまり得意な人もいないみたいなので、そこそこにできればいいかなとも思っている。仕事始めの1日。気になる患者さんの検査や指示、きちんとできたと思う。充実した1日が送れて感謝。
2008.01.04
コメント(0)
正月の生け花である。妻と嫁と孫(6歳と5歳)で活けた。正月恒例の箱根駅伝で、早稲田が12年ぶりの往路優勝を果たし、昨年総合優勝の順天堂大が5区であと500メートルの地点でエースが倒れタスキを渡すことができなかった。今復路を走っているが記録にはならず参考記録のみとのことだが、たとえ記録にならなくても往路の無念さをはらしてもらいたいと思う。選手は1年間この日のために練習し調整してきた。名門順天堂の名誉をかけて、現地でも実地の練習も積んできたと思う。まさかの棄権、普通では考えられないことである。しかしレースとなると様々なプレッシャーがかかり、どうすることもできなくなってしまうのだと思う。途中で倒れた選手の気持ちを思うと涙が出てくる。名門早稲田の低迷は長かった。往路優勝は12年ぶりとのことである。15年間総合優勝はない。人生でもそうだがスポーツでも浮き沈みはつきものだ。でも低迷中も早稲田の選手には誇りが感じられた。他校にどんどん先を越されて彼らは弱小チームなのに、それでも早稲田の一員だとの意地が感じられた。名門かどうかは自分で決めること。勝っても負けてもどのチームも我がチームは名門チームだの誇りをもって走ってもらいたいt思う。山梨学院大学は3位に入った。2区のモグスが区間新記録を出し、トップを保っていたが最後に抜かれた。山梨学院大も名門である。無名のチームから一気に上位常連になり、快走を続けている。上田監督の指導のもとに、常に名門の誇りをもって選手達は走っていると聞いている。今復路が行われており、最終順位はどうなるか分からないが、勝っても負けても若者の力の限りの戦いに拍手を送りたい。
2008.01.03
コメント(1)
玄関わきの南天である。どんなに寒くても赤い実を美しく輝かせている。自然界の不思議を思う。恭賀新年、昨日も今日も特別変っていないが、新しい年がスタートする最初の日ということで、決意したり願いをかけた人も多いと思う。マーフィーの法則で有名なマーフィー博士は、願いは必ず叶うと説いている。その願い、その一念が自分の潜在意識に届いたならば願いとして成就しないことはないと述べている。願いが叶わないのはそれが潜在意識に届いていないからで、表面的でなく、心の底からの願いは必ず叶うものである。恋愛などで、相手がある場合でも、心の底からの願いは彼女または彼氏の心に響き向こうから近づいてきてくれるものである。とのことである。マーフィーの法則を信じて恋愛を成就したり、事業に成功した人もいるようである。私も願いをかけて1年間願ってきたが、何れの願いも叶っていない。マーフィー博士が言った言葉ではないが、一般的によく言われることは、その願いが適切なものかどうかということである。極端な例では「あの人に死んでもらいたい」という願いは不適切な願いで神が聞いてくれる筈がない。願いは叶うといっても不適切な願いは叶わないに決まっていると信じられている。そうだとするならあれほど真剣に願っても叶えられなかったのは、私の願いは不適切なものなのかと思った。もう一つは期限の問題がある。死ぬまでに叶うのか、死んでから叶うのか、1年間で叶うのか、この1週間で叶うのか分からない。マーフィー氏は願いは必ず叶うと言っているが、何ヶ月以内に叶うとは言っていない。願いが潜在意識に到達するとは神の意思に通ずることを意味し、それによって願いが叶うとは、潜在意識に到達したその瞬間に願いが叶っているということかもしれない。この1年、また願いをかけていくが、その願いが神に通ずるように我欲を捨て、臆病でなく、平静の心で願っていこうと思う。
2008.01.01
コメント(4)
全21件 (21件中 1-21件目)
1