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四月号歌評下書き(同人誌「賀茂短歌」4月号 ) 後藤瑞義原 明男子らのこゑ今朝の寒さのとざすらん足音だけが列なしてゆく 「子ら」の声は小学生のようです。「今朝の寒さ」、真冬でなく、やはり今の時期、いわゆる「花冷え」を連想しました。真冬の寒さは逆に子供達に反発させる力を与えるような気がいたします。凍りついた、あるいは霜のおりた道を元気よく歩く子供達の姿を目にし、こちらまで生きる勇気を与えられる気がします。ただ、温かさのなかの冷たさ、寒さは子供たちにとっても苦手なのかもしれません。小学生の集団登校でしょうか、口を固く閉ざし、列をなしてゆく足音だけが聞えて来るというのです。まるで葬列のような感じをわたしは思い浮かべたのでした。渡辺つぎ百三年生きれば浦島太郎組白髪なれど白煙は浴びず 「百三年生きれば浦島太郎組」、特に「浦島太郎組」という言い方がおもしろいとおもいました。これは、浦島太郎が竜宮城からの帰りにもらってきた玉手箱を開けると、突然白髪の翁となり、知人もいない変わり果てた古里に放り出されるといった話です。作者は、百三歳となられ、世の中を見渡すとまるで浦島太郎が玉手箱を開けて一瞬にして年老いたような気分となられたのでしょう。見るもの聞くものだんだん自分とかけ離れてゆく気分なのでしょうか。結句の「白煙は浴びず」というのがなんとも、ものかなしくもユーモアのある表現に感じました。「浦島太郎のように白煙を浴びて突然老人になったのではないけれども…」。鈴木菊江この寒さすこやかなれと娘の思いこもるセーター背にやさしい 「この寒さすこやかなれ」というのは、娘さんの言葉だったのか、あるいは単にセーターを娘さんから頂いただけなのか分りません。ただ作者は「娘(こ)の思いこもるセーター」としています。わたしには、逆に作者自身のおもいの深さを感じるのです。娘さんからのプレゼントというだけで十分「背にやさしい」という思いがこみ上げても不思議ではありません。親思いの娘さんへの感謝のこころがこの作品を作られたのだと思います。 黒田幸子飛行機の行方不明で大さわぎ地球もいろいろのことがおきてる 最近、韓国で大きな旅客船の沈没事故がありました。今現在も捜索活動が報道されています。この作品での飛行機行方不明は、四月十日のマレーシア航空の事故のことでしょう。韓国の今の騒動のように大騒ぎをしたのでした。その事に対して作者はまるで他人事のように「地球もいろいろのことがおきてる」と歌っています。作者自身まるで地球以外の異星人でもあるかのように…そこになんともいえぬユーモアを感じるのです。それと同時に世間とのある距離感を感じさせ、哀しみも感じられるのです。 後藤早苗春一番吹き荒れしなかしっかりと梅の小粒が木にしがみつく今年のいわゆる春一番はそうとう荒れました。梅がやっと小さな実を付け始めています。そんなときの強風です。作者は祈るような気持で見守っているのでしょう。そんな小粒の梅の実が強風に激しく揺り動かされている。それが、まるで木にしがみつくように思えたのでしょう。小粒の梅の実はあるいは作者の投影かもしれません。梅の小粒のけなげさが作者の心を打ったのでしょう。 藤井美智子雪載せる箱根大文字その容姿光りつつ細る登る朝日に 箱根にも大文字があるんですね。その大という字に雪が積っているのでしょう。真白く大という字が見えたのでしょう。その大の字がおりからの朝日に輝きながら、細くなっていくというのです。わたしなどは、現象を全体的に直感するのをすばらしいとするのです。登る朝日と細る大文字その対照的なものを同時に把握する。それも、「光りつつ細る」という把握もいいと思います。 小池美恵子老い猫の介護が始まったとう娘よ!誰(た)がなしくれるや我等が介護 娘さんから、「最近猫が年取って介護が必要になった」というような電話があったのでしょうか。作者としては、「大変だね」などと応えたのでしょうか。しかし、内心で「そんな猫どころではないでしょう。わたしたちのことはどうなのよ」と不満であったのではないでしょうか。それが下の句の「誰がなしくれるや我等が介護」となったのでしょう。しかし、もうちょっとつっこんで考えてみますと、娘さんとしてもあるいは、「いま年取った猫の介護を始め、介護の勉強をしているから、お母さんたちの介護はわたしがちゃんとするからね」とメッセージをしているのかもしれません。作者もあるいはそのことを知っていて、知らないふりをして「誰がなしてくれるや我等が介護」などとちょっとすねたように、演技しているように、その演技に酔っているように歌っているのかもしれません。
2014.04.30
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白浜短歌会四月歌稿(四月二十二日)下書きNO.2 後藤瑞義 うぐいす F子さんしづもれる山の吾が家にうぐいすの初音響きて心すがしき降りそそぐ雨の中より聞えくる一途に鳴けるうぐいすの声昨夜(よべ)の雨あんずの花を散らしつゝしだれ花桃咲かせてゆきぬ1.「しづもれる山の吾が家」で十分作者の環境が分ります。「心すがしき」は言い過ぎということになると思います。短歌で落ちをつけるなとよく言われます。参考は平凡ですが。参考:しずもれる山の吾が家にうぐいすの初音早やばや聞えてきたり2.これはよろしいのではないでしょうか。「降りそそぐ雨」がよいと思います。3. 「散らしつゝ」はどうでしょうか。夜の雨ですから、見ることがむずかしいでしょう。「散らしたり」のほうが良いと思います。どちらにしましても、マイナスのなかにプラスを見る姿勢は良いと思います。参考:昨夜の雨あんずの花を散らせしもしだれ花桃わずかに咲かす G子さん退院を間近に控へ喜びと不安がつのり心まどわすゆずり葉は春の光を返しつゝ青きまま散り若葉立ちくる1. これは作者の現在の心境を素直に表現していると思います。「退院」という喜びに心が「まどわされる」というのもなかなか複雑な心境です。2. 「青きまま散り若葉立ちくる」を少し変えてみました。作者の「ゆずり葉」に対する思いの深さを感じます。参考:ゆずり葉は春の光を返しつゝ青きまま散る若葉を立たせ 生 原 明男賜りし歌友のこころの思われて熟れしトマトの華やぐ夕餉一病を忘れてしまふ吟の道吟の春風富士山の喝1.「熟れしトマトの華やぐ夕餉」という表現が独特です。作者の今のある充実感のようなものも感じられます。 2.「詩吟の道」、「短歌の道」でもいいのかもしれませんが、いややはり「短歌の道」ではそうはいかないでしょう。短歌は全てを含めるために苦しみも含まれるのだと思います。それに対して詩吟の方は、腹の底から思いを発散させ、すがすがしい気持になるのでしょう。まさに「一病を忘れてしまふ」という心境でしょう。内容が雄大な「富士山」ならなおさらです。【新品】【2500円以上購入で送料無料】【新品】【本】【2500円以上購入で送料無料】歌集 わが...価格:1,296円(税込、送料別)
2014.04.28
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白浜短歌会四月歌稿下書きNO.1(四月二十二日) 後藤瑞義 A子さん春日和庭の芝生も芽を吹きて緑の中でついばむ鳥達久し振り庭の雑草生い茂りきれいに抜き取る時間の長さよ1.作者の思いは、何でしょう。「春日和」これなんではないでしょうか。おだやかさを表現したいように思います。「ついばむ鳥達」、鳥はどんな鳥でしょうか、大きいですか、小さいですか。「ついばむ小鳥」などとする方法もあるでしょう。そのほうがおだやかさに合っていませんか。「緑の中で」が新鮮です。 参考:春日和庭の芝生も芽を吹きて緑の中に小鳥ついばむ2.作者の思いは、何でしょう。「久し振り」は雑草が生い茂ったことですか、それとも久しぶりに雑草を抜き取ったことでしょうか。その満足感のような感じもします。 参考:生い茂る庭の雑草久しぶりに時間をかけてきれいに抜きぬ春 B子さん柔らかく心を強く丸くして花や鳥達風や月見る歌の友まるで自分の事の様に我の復活嬉こびくれしこんなにも家族多きはにぎやけく明るい我家久しぶりなり1. 作者の意志は強く感じられます。花や鳥や風や月が出てきますが、生命が少し感じられません。やはり観念の歌といえると思います。参考はあくまでも参考です。参考:柔らかく心を丸くして見れば花も切なし風もせつなし 2.「我の復活」が一般的には分りにくいでしょう。「くれし」の「し」は過去形ですから「くれる」と現在形にしたほうがよいと思います。心はこもっていると思います。参考:歌の友まるで自分のことのようにわが回復をよろこびくれる3.多少語順を変えてみました。気持はこもっています。参考:こんなにも家族多きはにぎやけく久しぶりなり明るきわが家 H子さん一周忌きみ抱きしめる子等見しもいよいよ深し寂莫の道短歌(うた)詠むは心治むる手だてなり小賢しき我短歌(たんか)が嘲笑(わら)う身の丈で生きる無難も知恵なれど少しの背のびせんとぞ思う1.「抱きしめる」は現在形です。「子等見し」の「し」は過去形(回想の助動詞)です。逆ではないですか。「寂莫の道」が観念的ですが、思いの深さは感じられます。参考:一周忌きみ抱きしめし子等見るもいよいよ深し寂莫の道2.初句の「短歌」は「歌」でいいでしょう。なかなか手厳しいですが、そうした精神性のようなものが歌われています。これも立派な短歌と思います。参考:歌詠むは心治むる手だてなり小賢しきとき短歌は嘲笑(わら)う2. 思いは十分伝わるでしょう。多少観念的か。観念的がまったく悪いというわけではありませんが。近代短歌(明治以降)は、和歌の観念的な面を否定して写生を重視し、そこから出発した経緯もあります。短歌の批評で、説明的とか観念的という言葉があります。 C子さん冷蔵庫開ければすべて期限切れ喰べないものは買うなと云われるくまちやんの縫いぐるみだき寝むる夜携帯電話そばに置きたり青春に心ゆらぎしときもあり老いゆく独り楽しい思い出1. 上の句「冷蔵庫開ければすべて期限切れ」強い言葉です。これは下の句「喰べないものは買うな」と続く言葉で、他者のことばのようです。かっこをつけた方がよいかもしれません。 参考:「冷蔵庫開ければすべて期限切れ喰べないものは買うな」と云われる2.これはあるときのたまたまのことを歌っているのでしょうか、それとも常にそうしているのでしょうか。参考は、常にしている、習慣としていることを前提にしました。参考:くまちゃんの縫いぐるみ抱き眠りおり携帯電話そばに置きつつ2. 「青春に」という言い方はどうでしょうか。具体的にたとえば「恋う人に」などどうでしょうか。「楽しい思い出」は、文語調にして「楽しき思い出」とすると、格調が出るように思います。参考:恋う人に心ゆらぎしときもあり老いゆく独り楽しき思い出 D子さん陽を浴びて桜たんぽぽ咲きほこり亡母(はは)もながめたこの樹のさくら亡き母の(が)はきし靴下はいてみる絶対いうよ風邪ひくなよと1.亡き母を偲ぶ思いはこもっています。後は、その思いをいかに効果的に歌にするかです。「亡母もながめた」は、過去の回想の助動詞「き」の連体形「し」を使いたい。題材は、さくら一本にしぼりたいと思います。参考:春の陽を浴び満開となりており亡母もながめしこのさくら花2.この歌も作者のこころがこもっていていいと思います。母恋いの歌として「絶対いうよ風邪ひくなよと」も悪くはないでしょうが、参考のようにしてみました。何か、手ざわりみたいなものがほしい気がしました。二首とも良い材料です。原石の良さがあります。磨けばみがくほど輝く感じがします。参考:亡き母の靴下出してはいてみるこの花冷えをあたたまりたく E子さん久々に外へいでしが赤トンボ我によりそい嬉しさいっぱい散り残る白い花びら風に揺れ蝶近づいて何かさゝやく1.良いとおもいますが。「嬉しさいっぱい」と言ってしまうと、それ以上に思いが広がらないきらいはあります。これこそ下の句に「我によりそいささやきくれる」などとすると広がりが出るように思います。参考:久々に外へいでしが赤トンボ我によりそいささやきくれる2.「白い花びら」は桜のようです。散り残るその花びらを風が散らそうとしているのでしょうか。蝶が近づいてその哀れさに同情しているのでしょうか。一首目は、トンボがじかに自分にささやくように感じ、二首目は蝶がはなびらに何かささやくように感じたと受けとめました。(つづく)【新品】【2500円以上購入で送料無料】【新品】【本】【2500円以上購入で送料無料】歌集 わが...価格:1,296円(税込、送料別)
2014.04.28
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編集より(慶応と短歌)同人誌「賀茂短歌」4月号 下書き 田中章義氏について、百三歳になられた渡辺つぎさんがラジオの対談でたいへん好感をもった話を聞きました。たいへん好青年であったということです。その田中章義氏が歌人協会会報の「わが町わが街」というコーナーに「檜皮色の小さくて巨きな大陸」という小文を載せておりました。彼は、大学一年生の時に角川短歌賞を受賞しています。 彼については、以前何回かテレビに出ていて見ているのと、なんといいましても実際に対談をしました渡辺さんが絶賛していましたので特に興味をおぼえたのでした。 文章を読んでいまして特に目を引いたところがあります。それは、「出版不況と言われる中、小説やエッセイではなく、歌集で勝負しようという編集スタッフがいることが嬉しい。ぜひ結果を出し、より多くの歌人が今後も本を商業出版できる道を構築したいと思っている。」というところです。ここにわたしの琴線にピーンと響くものがあったのです。こういう言葉を歌人から今まで聞いたことがあまりないのと、自分が常に心に思っていたことをずばり言われた驚きがあったからです。 早速インターネットで経歴を調べさせてもらいました。日比谷高校在学中に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木幸綱(早稲田大学教授)に師事となっています。 彼がどういう経緯から、高校時代から短歌を始めたのはわかりません。また、当時早稲田大学の教授であった佐佐木幸綱に師事していたにもかかわらず、短歌なら絶対早稲田大学であったはず、若者のあこがれの寺山修司も早稲田大学出身であったにもかかわらず、彼が慶応大学に入学していることです。やっぱりそうかとわたしは納得しました。何がやっぱりそうかといいますと、やっぱり慶応だったかということなのです。 以前、「慶応にはなぜ歌人はいないか」という小文を掲載しました。そこで触れていることと多少関連するのですが、やはりすごいなあと感心したのです。なにが凄いかと言いますと、慶応に席を置いた人間にとって福沢先生の言葉、精神はたとえ自分が意識してなくても、オーバーにいえば呪文のように影響を与えるということなのだと思います。 少年時代より短歌を始めていた岡井隆氏を慶応の歌人ではないと言いましたが、不思議と日本経済新聞の選者であったり、NHK学園に深く関わったりしている点はやはり慶応的なのでしょうか。高校時代から短歌をしていた田中章義氏が何故か早稲田大学ではなく慶応大学に入学した。そして、福沢精神に染まった。 福沢精神、「学問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云ふにあらず。」つまり、実学、実際の生活に役立つ学問、独立自尊のための学問、 「独立とは自分にて自分の身を支配し他に依りすがる心なきを云ふ。自から物事の理非を弁別して処理を誤まることなき者は、他人の智恵に依らざる独立なり。自から心身を労して私立の活計を為す者は、他人の財に依らざる独立なり。」(「学問のすゝめ」第三編より)などが断片的ですが今思い浮ぶのです。 飯の食える短歌、短歌で飯が食える歌人なら福沢先生に許してもらえると思えるのです。田中章義氏が、前のところで述べている「より多くの歌人が今後も本を商業出版できる道を構築したいと思っている。」ここに、やはり慶応精神、福沢精神があるのだと思うのです。と同時に、ここにこそ他方面からの強い批判が、短歌とはそんなもんではないというような、強烈な批判を受けるのだろうと思うのです。 【2500円以上送料無料】天地(あめつち)のたから 田中章義歌集/田中章義価格:1,404円(税込、送料別)
2014.04.25
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4月3日 休眠のお知らせしばらく、ブログを休眠いたします。 後藤人徳有難うございました。
2014.04.03
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