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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治33年より 罪人の宗教 わたしはわたしの徳行でもって自分自身をきよめようとするのではありません。わたしはわたしのすべてを汚れたままで神様に捧げて、それでもってきよめてもらおうと思うのです。修行鍛錬によって、正しい生き方を見つけることが出来ると教えるのは人間のやり方です。神様をただ献身的に信じることによって罪を消滅出来ると伝えるのは神様の教えです。キリスト教を世の中の聖人君子が嫌うのはこのようなあなたまかせのいいかげんに見えるところでしょう。しかし、罪の有る、汚れた人間と自分を自覚する人にとっては、最後の救いにもなりうる大事な教えなのです。
2018.12.31
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明石海人歌集 白描(142) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(16) 奈落(2) 抽斗(ひきだし)なるむかしの銭も臍の緒も我にきはまる幾世の命ぞ 霊魂に遺らむ臍のありかなど皺くちやな頭にかんがへあぐむ しあはせな歌はおもへど目に見えて夜毎を地獄に堕つる夢ばかり 不運にも置去られつつ眼のたまに鍼(はり)などたてて明し暮すか こんなとき気がふれるのか蒼き空の鳴をひそめし真昼間の底 (つづく)
2018.12.31
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後藤早苗の歌 拾遺 (287) 12月31日(月) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(8) 炎天の畑仕事も苦にならず野菜喜ぶ子の顔浮かぶ 施設よりわが子帰れる土曜日はわれと夫(つま)の会話も多し 久々の子よりのメールボーナスをもらったという無事にいるらし 二十年使い古した冷蔵庫小さくせんか子らもいぬゆえ 子に譲る光物などなき身ゆえせめて生活の野菜送らん
2018.12.31
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後藤瑞義の短歌(262) 「賀茂短歌」第40巻第4号(平成八年八月発行) イルカショー(2) イルカショーの喚声を背に人のいぬ水槽に子の手を引きて行く ショータイムに閑散となる水槽を自閉病む子と見て回りたり 喧噪を自閉児わが子と逃れ来てイルカのショーの喚声遠し ショー終えてイルカのおらぬ水槽を自閉児わが子としばし見ている 人間と係り生きてゆく術にジャンプ玉入れイルカ学べり産み月も海に入りて芸をするイルカ一族生きるためなり
2018.12.31
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治33年より 死生の別 肉体のことを思えば、死につながります、霊魂のことを思えば、生につながります(ローマ人への手紙八章六節)。地のことをおもうのは、死につながります、天のことを思うのは、生につながります。利のことを思うのは、死につながります、義のことを思うのは、生につながります。人間のことを思うのは、死につながります。神様のことを思うのは、生につながります。ああ、これからわたしは、どんな時にも、自分のことばかり思うことはやめて、神様のみ姿を見るようにしよう(ヨブ記十九章二十六節)。
2018.12.30
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明石海人歌集 白描(141) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立 沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(15) 奈落(1) 明暮をあだにおろかに思はねど屍となる身ぞ臭ふなる 今日も暮れて五臓六腑はとろどりに音なき夢を積みくづしする この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ 空の青に眼(まなこ)を凝らすならひにも見放されつつ夜ごと眠りぬ 背も腹も褪(あ)せつくしたる影ひとつ昼にも夜にも遂ひたてらるる (つづく)
2018.12.30
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後藤早苗の歌 拾遺 (286) 12月30日(日) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(7) 正月の休みあたふた帰り来て一夜のみ寝て帰る息子は 三人子の余韻の残る部屋を掃き布団しまえばいよいよ二人 三人子に食べさせたくて買い過ぎし食材整理いつまで続く ゆえ知らず涙出にけり障害児と言われるわが子に背広着する日 正常であればいやいや思うまいわが子よ充分立派であるよ 成人式の意味さえ知らずはしゃぎいるわが子よめでたい今日はめでたい(つづく)
2018.12.30
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後藤瑞義の短歌(261) 「賀茂短歌」第40巻第4号(平成八年八月発行) イルカショー(1) 混み合える電車の中に吊革を一人二人と握り引き合う 用を足す時の間あたり静かなり恍惚として孤独楽しむ 喧噪を逃れ車窓にいたり枝移りする子リス親リス 蒼穹に両手を上げて叫びおり枯れし松の枝(え)葉はすでになく 補助軸を探し求めて得意なり短き鉛筆生き生きとせり
2018.12.30
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十二月号歌評(「賀茂短歌12月号」用下書き) 後藤瑞義 朗々と詩吟(ぎん)じた君は今はなし夜陰にまぎれてカネタタキ鳴く 渡辺 紘 (評)共に同じ詩吟の会に所属して、朗々と吟じていた君はもういないのだ。その欠如感を味わっている作者です。そんな折、作者の耳にまるで故人を偲んで鉦をたたいて念仏でも唱えているように、夜陰にまみれてカネタタキが鳴いています。故人を偲ぶ作者の思いとカネタタキの音が響き合って、ものかなしさを感じます。 突然の原さんの訃報言葉出でず信じられないぬくきあのこえ 鈴木菊江 (評)まさに、どなたかも書いていましたように、青天の霹靂、あのお元気な原さんがお亡くなりになったとは。「突然の原さんの訃報言葉出でず信じられない」は、そのような思いを表わしているのだと思います。結句は、作者ならではの言葉「ぬくきあのこえ」で結ばれ、いかに故人が作者の心の支えとなっていたことが知れます。 海が好き白砂が好き旅が好き骨太の歌詠み給いたり 黒田幸子 (評)亡くなられた原さんの作品を読みますと、まさに「海が好き白砂が好き旅が好き」、原さんの面影が浮かんできます。また、この「…好き…好き…好き」という軽いリフレインがなんともいえず心地よく心に響きます。その上の句を受けて、下の句は、重々しく「骨太の歌詠み給いたり」と結ばれています。下の句で文字通り骨太の男歌を詠まれた原さん、その原さんを偲ぶ作者の思いが伝わります。 夫が居て男孫女孫に友も居るそれでも淋し庭の秋風 小池美恵子 (評)「夫が居て男孫女孫に友も居る」、ああ幸せだなあ、という歌でないところがこの歌の深いところです。人間の根源的な孤独感のようなものでしょうか。庭に秋風が吹き抜けてゆきます、枯葉を散らし吹いているかもしれません、そのような光景を見ている作者です。その光景が、あたかも作者の心の中を象徴しているような、そんな感じを受けて鑑賞したのです。 余りにも早すぎましたよみの地へ快活な声やさしさ残したまゝに 鈴木きみ (評)「余にも早すぎました」、84歳で亡くなられた原さんに呼びかける作者の言葉、われわれ歌会の仲間にはよく分る言葉であり、同感することでしょう。お元気であって、突然だったということも要因でしょうが、何と言いましても、わたしたち会員は渡辺つぎさんを百六歳でお送りしているのです。そのことも、われわれ仲間内では、八十四歳はとても若く感じるのです。「快活の声」の持ち主はやはり健康的な元気で明るいイメージです。そうしたなかに、やさしさもあるというのですから、理想的な人間像です。結句は「やさしさ残し」で七音ですから、ここで普通は止めるところだろうと思います。「たまゝに」は、蛇足と考えることもできるでしょうが、作者にとっては、この字余りにこそ思いがあふれていることの表現かもしれません。 海を詠む歌友の思い熱かりき故郷の海白砂(はくさ)の浜辺 土屋文恵 (評)原明男さんの挽歌です。「海を詠む歌友の思い熱かりき」と回想しています。原さんは生前よく海の歌を詠んでいました。また、海辺を散策することを日課のようにしていて、歌の材料を探しているとも語っていました。原さんが生まれ育ち、亡くなるまで住んでおられた白浜は地名の通り浜辺一面白砂におおわれています。結句の「白砂(はくさ)の浜辺」、「は」音の繰り返しにリズムを感じます。と同時に、何かキラキラした輝き、夏の浜辺を想像しました。それが、「思い熱かりき」と響き合って胸に迫ってきたのでした。
2018.12.29
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治33年より クリスチャンの勇気 神様に頼らなければ何もできない人がクリスチャンです。神様に頼ればどんなことでもできる人がまたクリスチャンなのです。ですからクリスチャンほど弱い人間はおりません、そして一方クリスチャンほど強い人間もいないとも言えます。クリスチャンが臆病者と見られると同時に、とても思いよらないほど大胆な行動をなしうるのは、それは全て神様より授かる勇気だからです。
2018.12.29
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明石海人歌集 白描(140) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立 沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部(15) 軌跡(2) いつの世の魚貝の夢かをりをりにまだらに青き殻をあらはす 降りつもる落葉のこゑにうづもれて翅に生(あ)れむ夢は見てゐき あたりにて間なく会図をするものあり樹をも揺りぬ掌をもひろげぬ (つづく)
2018.12.29
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後藤早苗の歌 拾遺 (286) 12月29日(土) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(7) 都会にて無事に暮らすか突然に古きおもちゃが音を発する 長きこと触れぬおもちゃが急に鳴り離れ住む子の顔浮かびたり 施設より戻るやいなや冷蔵庫開けるわが子よなんでもお食べ 声出して笑う自閉児二十歳いっしょにクレヨンしんちゃんを見る 電子辞書使えというも子ら使い手垢の付ける辞書がわが好き(つづく)
2018.12.29
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後藤瑞義の短歌(260) 「賀茂短歌」第40巻第2号(平成八年四月発行) 聖書(2) 億年の時を隔てば滾りたつ心も星のごと静まらん 瞬きも億光年の年輪を経たる光か涙ぐましも 輝ける星と星との空間に見えざるほしのあまたあるべし 朝焼けの朱(あけ)に染まらぬ三日月の白き孤独を見上げていたり 夜勤終え冬の社員食堂に湯気もうもうと味噌汁すする(つづく)
2018.12.29
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治33年より 罪人の神 神様は生まれながらの善人よりも悔い改めた罪人を愛します。神様は、清廉潔白の心よりも罪を悔い悲しむ心を愛します。義人はまた神を識る能力があります、しかしながら善人の眼に映る神は、罪人が悔い改めた結果感じることが出来るような完全な神様ではないでしょう。罪を癒すことができる神様は義を喜ばれる神より偉大なのです。
2018.12.28
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明石海人歌集 白描(139) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(13) 軌跡(1) シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍(さそり)の我も棲みけむ 路々にむらがる銀の月夜茸蹴ちらせばどつと血しぶきぞたつ コロンブスがアメリカを見たのはこんな日か掌をうつ蒼い太陽 引力にゆがむ光の理論など真赤なうそなる地の上に住めり ひたすらに白きおそれをかき抱く母鳥の眼を今日ぞ見ひらく (つづく)
2018.12.28
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後藤早苗の歌 拾遺 (285) 12月28日(金) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(6) 子とわれと障害者二人つれだちて買物に行く恥ずること無し 透析で長生き出来ると信じたしわれを頼れる子らのためにも 障害児わが子のまわりをひらひらと一羽の蝶がいっしょに遊ぶ 一歳の顔そのままに迎えたり無事におわせば二十四歳 言葉では話せぬゆえに五感のみ鋭くなれる自閉児わが子(つづく)
2018.12.28
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12月28日(金) 後藤瑞義の短歌(259) 「賀茂短歌」第40巻第2号(平成八年四月発行) 聖書(1) 飲食の日々の暮しに飢えるわれ血肉のごとく聖書むさぼる 十字架にせよと叫びし民衆の心をわれも持ちているなり 復活を固く信じているゆえに枯木枯草春を待たざり ハルマゲドン来るや見上げる夜の空は億年を経る星の輝き 神というもかくあらざらん滾(たぎ)れるも億光年の優しき光
2018.12.28
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鑑賞:歌集「悲しき玩具」(六十七)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 あやまちて茶碗をこはし、物をこはす気持のよさを、 今朝も思へる。 手が濡れるかしていたのでしょうか、誤って茶碗を落してしまいます。堅い床かなにかの上で茶碗は音を立てて壊れ散ったでしょう。それは「しまった、やってしまった」といった後悔の念が湧いたことでしょう。それと同時に、固まったもの、たとえば固定観念のようなもの、どうにもならないがんじがらめのようなもの、そんなものが壊れて、なにか自由になった感じ、そんな気持ちのよさを感じた。それが、「物をこわす気持ちのよさ」なのではないでしょうか。もっと単純な、たとえばボーリングでピンを倒した、ストライクを出したような感じかもしれません。 そのような気持ちのよさを、今朝も思ったと言っています。たまたま誤って茶碗を壊した、そんなことは滅多にない事なのでしょうが、少し遠い記憶みたいな感じで、今朝も「物をこはす気持のよさを」感じたのでしょう。 ここで重要なのは、啄木はストレス解消、怒りを茶碗を壊すことで解消する、そういった人間ではないことでしょう。たまたまなのです、たまたま誤って茶碗を壊したのです、そして、やはり多分たまたま以前に誤って茶碗を壊した、あるいは茶碗ではなく別のものかも知れませんが、物を壊したときの気持ちがよみがえったということです。 革命家などと称する人達が、体制を革新するために破壊活動をする。社会を良くするためには破壊活動が不可欠なのだと力説する。しかし、それは単に物を壊す気持ちのよさでしているだけではないのか、そんな反省の気持ちが湧いたかもしれません。晩年の啄木は社会主義思想に傾倒したことが知られています。しかし、啄木にはそれに浸りきれないものがあったのではないか、そんなこともこの歌を読みつつわたしは思ったのでした。
2018.12.27
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治33年より 神の愛と人の愛 人に憎まれるときは逆に神に愛されていることが多いし、神に愛されているときは逆に人から憎まれることが多いのです。神と人との関係は、日と月とのようです。人望の光輝がわたしに降りそそぐときは、神様を背(うしろ)にして立つときと自覚して注意したいと思います。
2018.12.27
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明石海人歌集 白描(138) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(12) 軛 息の緒の冷えゆく夜なりまどろみつつすでに地獄を堕ちゆくひととき いつしんに耳をすましてあきたらぬ頭蓋の奥をぬすみみんとす 室々((へやへや))に背をむけてゐる影いくつ夜の敵意はいつかな熄まず かぎりなき命と聞けばあなかしこ霊魂てふに化けむはいつぞ 愛執(あいしふ)は海に消えせぬ翳となり三半規管鳴りひそまりぬ(解剖室) 失せし眼にひらく夜明の夢を刷き千草の文(あや)を雨あしの往く (つづく)
2018.12.27
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後藤早苗の歌 拾遺 (284) 12月27日(木) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(5) 子もわれも障害者というレッテルを張られているも胸張り歩く 施設へと帰る朝には黙々と食溜めのごと食べおるわが子 生きているだけでいいらしわれに娘(こ)が何もするなと強く言いたり 物置の子供のオモチャ見るたびに金のやり繰り思い出すなり 捨てられぬ子供のオモチャやり繰りの苦しき時の思い出の品
2018.12.27
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後藤瑞義の短歌(258) 「賀茂短歌」第40巻第1号(平成八年二月発行) 飛行機雲(2) 一本の光となりて鉄橋を君乗る電車近づいて来る チュウブなき自転車押して山道を二日掛かりの買出しせしと 迎え日を間違えられて施設にて子は終日を待ちておりしか こぼしつつ飯食む息子十三になりて漸く箸使いたり 施設より帰りたる子の早起きを妻に言いつつ共に寝につく
2018.12.27
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治33年より 救済 人を救うというのは、単に衣食を与えることではありません。つまり、その人の欲望を満たして、その場の一時的な快楽を与えることではないのです。人を救うと言うのは、彼に神の存在を知らせ天の父なる神に導くことなのです。「われらに父を示し給え、されば足れり」、まさにこの通りです。天にまします神は、わたしの全ての祈祷を受け止めてくださることを知りました。ですから、わたしの全ての希望は満たされます。わたしに天の父なる神を示してくださる人は、わたしの恩師であり、恩人と言えるでしょう。
2018.12.26
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後藤早苗の歌 拾遺 (283) 12月26日(水) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(4) 十九の吾子に幼児語使いおり驚き見つめる人を気にせず 散り際に人のこころをなごませるもみじのような終わり望めり 降りしきるさくらの中のドライブに知恵遅き子もオーと叫べり 忘れいし郷土の良さを改めて吾子は語り都会へ帰る 延命の最後の手段透析を子供らのため受けんと決す 後藤早苗の歌 拾遺 (282) 12月25日(火) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(3) 就職の決まらぬ娘を思いおり夫も泊りで帰らぬ今宵 もの言わぬ自閉児なれど己が意志もち父親に背中を向ける やすらかな顔にて眠りいるわが子知恵の遅れの憂いは消える この先がどうなるかなど思うまい自閉児わが子必死で生きよ わが体動けるうちに死を願い自閉児わが子に心で詫びる(つづく)
2018.12.26
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12月26日(水) 後藤瑞義の短歌(257) 「賀茂短歌」第40巻第1号(平成八年二月発行) 飛行機雲(1) 晴れ渡る海原の上一筋の飛行機雲は音なく伸びる 車窓より見つつ過ぎゆく孟宗竹こうべを垂れて揺れ止まずなり もみじ葉のあらかた落ちし細き枝いよよすがしく空に伸びいる 松喰いにくわれ枯れたる松の木に赤きもみじは枝絡らませり 鉄錆し小石の中の枕木のところどころに染みの付きおり(つづく)
2018.12.26
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治34年より わたしの意志 わたしはわたしの行為でもって神の摂理を補おうとは思いません。わたしは、全身を神に捧げて神の聖旨(みむね)を遂行するのみです。わたしは神の奴僕にして神の共同者ではありません。わたしは神の命に従おうとする以外に意志はないのです。
2018.12.25
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12月25日(火) 明石海人歌集 白描(137) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(11) 砌(2) 踏みしだく茨にうすき血を流し隈なき声をのがれむとすも 夕づけばしづむ遠樹の蝉の声なにもかもしつくして死にゆくはよけむ 天国も地獄も見えぬ日のひかり顱頂をぬらして水よりも蒼し 青草に来りやはらぐひとときも何処(いづく)にか真紅の花々は咲け われの眼のつひに見るなき世はありて昼のもなかを白萩の散る (つづく)
2018.12.25
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12月25日(火) 後藤瑞義の短歌(256) 「賀茂短歌」第39巻第6号(平成七年十二月発行) 無人駅(2) 吉方の北を目指して旅立ちぬ一人の旅なり風の如くに コンクリートの壁に囲まる地下事務所ほそぼそと鳴くこほろぎの声 一心に金繰りをする地下事務所何処よりか鳴くこほろごの声 督促の荒き声音の浮かびつつ金繰りをする地下の事務所に 自らを卑下する性(さが)を五十年馴らしつつ来ぬ疑いもなく
2018.12.25
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12月24日(月) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より) (注)文語を口語に、わたしの意訳の箇所もあります。 明治33年 永生 永生というのは、どこか他のところにあるのではなく、神とともにあるのです。天国は他のどこか別のところにあるのではなく、神様がいらっしゃるところが天国です。神様の霊がわたしの心に宿って、わたしは神様が造ってくださったこの宇宙に生きていて、わたしは今よりすでに永生をさずけられ、神様の天国に生きているのです。
2018.12.24
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後藤瑞義 入選歌 もの言わぬ自閉症児のわが子にも「いらっしゃいませ」と自販機が言う 下田市 後藤瑞義 (読売新聞 読売歌壇 十二月二十四日 入選 俵 万智 選)
2018.12.24
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12月24日(月) 明石海人歌集 白描(136) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立 沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(10) 砌(1) あらぬ世に生れあはせて今日をみる砌(みぎり)の石は雨にそぼてり 日はあがり月はかたむく世の隅に昨日の襤褸を身にひき纏う もの音の絶えてしまひし日のさかり壁にむかひて我のねむりぬ 竹林にひとつの石をめぐりつつ言ふこともなきしばしなりけり 床したに鼠のかじるもの音も昼のおもひは悔しきに似つ (つづく)
2018.12.24
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後藤早苗の歌 拾遺 (281) 12月24日(月) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(2) 何ゆえに知恵遅れなどなりしかと子の頭の中のぞきてみたし 持つ知恵を最大限に使いつつ子はファミコンに夢中になれり ファミコンを止めよと叱る親でなくわれはがんばれと自閉児励ます 一年の浪人生活終えし子が桜の花の美しさ言う 大学の入学息子喜べど娘は就職難を嘆けり(つづく)
2018.12.24
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12月24日(月) 後藤瑞義の短歌(255) 「賀茂短歌」第39巻第6号(平成七年十二月発行) 無人駅(1) 無人駅のほのかなる光に降り立てばジイジイ蝉の鳴きて飛び立つ わが命司る星あると言う故郷の空数多なる星 宇宙にも方角ありやいにしえゆ恐れられ来し丑寅の方 食事終えテレビ見ているわが傍(かたえ)妻ひっそりと藥飲みおり 肉体に見えざるを見る麻原よ超能力はかく有らざるや
2018.12.24
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「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治34年より 新祈願 誰に対しても悪意をいだくことなく、全ての人に対して好意を表し、すべての機会を利用して善を行い、わたしの残りの生涯を祝福の連続となるように希望します。神様どうかわたしの願いをお聞きください。
2018.12.23
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12月23日(日) 明石海人歌集 白描(135) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立 沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(10) 星宿 星の座を指にかざせばそこここに散らばれる譜のみな鳴り交す 昨日こそ我の過来しかの空に今宵光るはなにの星かも まなぶたに夜空の星を塗りこめて吐きかへしをれば夢うつくしき 脊ばしらをさかのぼりくる眼を放ち空の杳きに神々を彫る 星の夜のこの大空を虹色にわが吐く息は尾を曳きてあれ (つづく)
2018.12.23
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後藤早苗の歌 拾遺 (280) 12月23日(日) (注)製作年不明(20年くらい前か) 子らと私(1) 子供らは食料品を詰め込んで宅急便にてアパートへ送る 心もち緊張をして娘言うこれから始まる就職戦を 予備校に通い息子は初めての苦労を知りているのであろう 予備校に通える息子の体調はいかがと思い眠むけ起らず 来年はどこかの大学入ってと電話をしつつまた子に言いぬ(つづく)
2018.12.23
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後藤瑞義の短歌(254) 「賀茂短歌」第39巻第5号(平成七年十月発行) 叫ぶ心よ(2) 汚れたる軍手置かれていたりけり公衆電話のボックスの中 眠剤を飲むなと友に忠告す飲まずにおれぬ訳を聞くなく カラオケに踊りに祭盛り上げし友五十五歳癌に逝きたり 毎朝を牛乳配る友逝きて暁どきのさみしさを知る 毎年の祭盛り上げくれし友逝きて今年の祭近づく(つづく)
2018.12.23
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より順序は私の好きな項目をランダムに並べてあります。文語を口語に直しました。意訳の箇所もあります。(ブログ作成者) 祈るとき祈りをするときは、偽善者のように祈ってはいけません。偽善者は、人々に見てもらおうと、会堂や大通りの角のように目立つところで祈りたがる。それによって、かれらはすでに人に誉められています。ですから、神に誉められたければ、奥まった自分の部屋で戸を閉め、隠れたところにいます父なる神に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父なる神が報いて下さるのです。
2018.12.22
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12月22日(土) 明石海人歌集 白描(134) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(8) 寂 ひとしきりもりあがりくる雷雲のこのしづけさを肯(うべな)はむとす いつの世のねむりにかよふたまゆらかまひるしづかに雷雲崩る (つづく)
2018.12.22
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後藤早苗の歌 拾遺 (279) 12月22日(土) (注)製作年不明(20年くらい前か) 夫と私(3) バレンタインデーにもらいしチョコレート夫(つま)ちびちびと食後食べおり バレンタインに貰いしチョコを食べている還暦の夫若く見えおり 還暦の夫にチョコをくれる人あるのか袋抱え帰り来 鯖一匹百円だったと何となく自慢のように夫に話す(つづく)
2018.12.22
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後藤瑞義の短歌(253) 「賀茂短歌」第39巻第5号(平成七年七月発行) 叫ぶ心よ(1) 海原に叫ぶ心よ熱風に吹かれ揉まるる切岸の百合 煌々と灯(ひ)点る地下の事務室に資金繰り表作り夜更けぬ 思い詰め歩けるわれかすれ違う人の眼も鋭く見える 一匹の蟻を避けんと爪先を浮かしたる時グラリよろけぬ ほがらなる心持たんよ木陰なる鎖の犬も寝そべりている (つづく)
2018.12.22
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より順序は私の好きな項目をランダムに並べてあります。文語を口語に直しました。意訳の箇所もあります。(ブログ作成者)神と共に わたしに慈悲の心がないのは、神が心にいないからです。わたしが恐れるのは、神がわたしと共にいないからです。わたしが美を感じず、宇宙と人生を楽しむことが出来ないのは、わたしの心が閉ざされていて、神を見る事が出来ないからです。歓喜がなく、勇気がなく、常に重荷を負うように思うのは、わたしが神から離れて独りで歩くからです。
2018.12.21
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明石海人歌集 白描(133) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(7) 斜面(4) 海鳥のこゑあらあらしおもひでの杳(とほ)きに触るる朝のひととき かたくなに忿りを孕むけだものの赤みだつ眼を刎ねかへしをり 昼も夜も慧(さか)しくひらく耳の孔ふたつ完き不運にゐるも いつしかと我に似かよふ木の椅子の今朝はふてぶてと我を見据ゑぬ 脱けおちて木の果は白し音もなし照る日の光立ちわたりつつ 身がはりの石くれ一つ投げおとし真昼のうつつきりぎしを離る (つづく)
2018.12.21
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後藤早苗の歌 拾遺 (278) 12月21日(金) (注)製作年不明(20年くらい前か) 夫と私(2) いつもより多食多弁となる夫就職せし子の帰れる夕べ うまいともまずいとも言わず食む夫二十五年過ぎ今は慣れたり うまいともまずいとも言わず食む夫(つま)が突然に言うおぼろが好きと 何ゆえにはにかんでいるわが夫よあなたが育てた娘でないか とつとつと一緒に飲むかと娘(こ)をさそう夫よもっと胸張って言え(つづく)
2018.12.21
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12月21日(金) 後藤瑞義の短歌(252) 「賀茂短歌」第39巻第4号(平成七年八月発行) オウム真理教(2) 岩戸より天照す神出でたまう麻原教祖逮捕翌朝 オウム教姦しき中ひっそりと日本産トキその種を絶ちぬ いにしへゆ日本の野山はばたきしトキとわにその姿消すなり 松喰いにくわれたるらし新緑に枯木ひと本微動だにせず 海亀の産卵をする砂浜はテトラポットに覆われている(つづく)
2018.12.21
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より順序は私の好きな項目をランダムに並べてあります。文語を口語に直しました。意訳の箇所もあります。(ブログ作成者)完全なホ-ム(家庭)完全なホ-ムを造るのは、完全な人を造るように難しいのです。格言に、「身、修まりて、しかして後、家、ととのう」とあります。ホ-ムというのは平安を求めるところではなくて、平安を与えるところなのです。ホ-ムというのは幸福の貯蔵所であって、幸福の採掘所ではないのです。幸福を求めて作ったホ-ムは、必ず破れるでしょう。幸福を与えようとして作ったホ-ムは、幸福なホ-ムとなります。ホ-ム、ホ-ム、マイホ-ム。多くの青年男女がその幻影にあざむかれて、失望することでしょう。
2018.12.20
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12月20日(木) 明石海人歌集 白描(132) 岩波文庫より (注)明石海人(本名野田勝太郎)は、大正7年沼津町立沼津商業学校(現:県立沼津商業高等学校)卒業で、私の先輩であることを知りました。 第二部 翳(6) 斜面(3) 赤茄子の落つる日なかをうつうつと海魚の肌の変色は見ぬ 無花果(いちじく)の饐(す)えて落ちたる夕まぐれかのときを我なにと言ひけむ まのあたり向ひの坂を這ひあがる日あしの赤さのがれられはせぬ 紙襖はらひて高き蚊帳をつり生れ来し日をやすらがむとす こもり沼(ぬ)のまひるの陰(くも)りひとこゑを鳴きてやみしは何の声とか (つづく)
2018.12.20
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後藤早苗の歌 拾遺 (277) 12月20日(木) (注)製作年不明(20年くらい前か) 夫と私(1) 三人の子ははや家におらざれば夫(つま)と二人でテレビなど見る 夫とわれほとほと疲れ果てにけりわが子の入学手続き終えて 部屋ごとにテレビを据えて夫とわれ食後の時間を別々にする 大雨と地震の多い伊豆ならば熱海に向う夫案じる 通勤の電車時々運休す今日はバナナを夫に持たす(つづく)
2018.12.20
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12月20日(木) 後藤瑞義の短歌(251) 「賀茂短歌」第39巻第4号(平成七年八月発行) オウム真理教(1) クリスチャンなるを知りたり君逝きて初めてわれは聖書を買いぬ 宗教を初めて問いぬキリストの両手両足くぎ打たれおり 天照す大御神の嘆き雨サリン禍告ぐるビラを打ちおり 花ひとつ植えることなく殺伐とオウム真理教のサテアンつづく オウム教放映見終えて寝ねがたくムーンリバーの曲を聞きたり(つづく)
2018.12.20
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よみうり文芸 入選歌 叱ること多い親なるわれなるに施設に戻る日居たいと拝む 下田市 後藤瑞義 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十九日 入選 梅内美華子選)
2018.12.19
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