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福祉関係の仕事をしている知人が貸してくれた本だが、久々に一気読み。昨今、児童虐待などの話題がニュースに取り上げられることが多いが、この本は、そのような子どもたちが保護され生活する児童養護施設を扱った小説。養護施設の置かれている状況や、そこで生活している子どもたちや職員のことが、フィクションではあるけれど当事者や綿密な取材をもとにとてもわかりやすく書かれている。このような問題に関心のある人には、ぜひ読んでいただきたい。私も、なかなか知る機会のないことを知ることが出来、とても勉強になったし、小説としても面白かった。「明日の子供たち」 (幻冬舎文庫) 有川 浩/著↑には多くの感想が紹介されているので、参考にしてください。《幻冬舎の書籍紹介文》想いがつらなり響く時、昨日と違う明日が待っている!児童養護施設を舞台に繰り広げられるドラマティック長篇。諦める前に、踏み出せ。思い込みの壁を打ち砕け!児童養護施設に転職した元営業マンの三田村慎平はやる気は人一倍ある新任職員。愛想はないが涙もろい三年目の和泉和恵や、理論派の熱血ベテラン猪股吉行、“問題のない子供”谷村奏子、大人より大人びている17歳の平田久志に囲まれて繰り広げられるドラマティック長篇。
2019年03月31日
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日本ハム中田、史上初の開幕延長サヨナラ満弾 連続敬遠で燃えた「なめてんのかなと」3/30(土) 5:30配信 スポニチ◇パ・リーグ 日本ハム7―3オリックス(2019年3月29日 札幌D) プロ野球は29日、セ・パ両リーグが開幕し、日本ハムの中田翔内野手(29)がオリックス戦の同点で迎えた10回1死満塁から左中間へサヨナラ1号満塁弾を放った。開幕戦でのサヨナラ満塁弾は史上3人目だが、延長では初。平成元年の89年に生まれた主砲が平成最後の開幕戦でど派手なパフォーマンスを見せ、劇的勝利に導いた。 叫んだ。しびれた。観衆4万1138人のスタンドが揺れた。耳をつんざく大歓声が心地よかった。平成生まれでは最多の通算203本目のアーチは、平成最後の開幕戦で劇的なグランドスラムとなった。本塁に戻った中田はヘルメットを投げ、歓喜の輪の中でウオーターシャワーを存分に浴びた。 「ベンチに座っている段階から申告敬遠は2人連続であると思っていたけど、実際目の前で見て…なめてんのかなと思った。凄く気合が入った」テレビ中継は終わってしまったので、「本年(ほんねん)も 負けから始まる日本ハム」なんて呟いていたのだが。最終的にこんな結果になるとは、誰が予想したでしょうか。この日札幌ドームに集った4万1138人の人は、どれほど興奮したことでしょうね。中田が「なめてんのか…」と思ったらしいが、仕方がないですね。それまでの打席を考えたら、なめるのが当然でしょう。でも、「なめんなよ!」とドカーンとできるのも、また中田君なのだ。この一発で、今年の相手チームはなめることにビビるようになるかもしれない。
2019年03月30日
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中高年のひきこもりは推計61万人余り 39歳以下を上回る 2019年3月29日 21時46分 長期間自宅に閉じこもる、いわゆる「ひきこもり」の人は、40歳から64歳までの年齢層の1.45%、推計で61万人余りに上ることが、内閣府の調査で明らかになりました。これは4年前の調査で推計された39歳以下の「ひきこもり」の人数より多くなっていて、対策が急がれます。内閣府は「ひきこもり」の実態を把握するために、若者を対象に調査してきましたが、長期化する人が増えていることから、去年12月、40歳から64歳を対象とする初めての調査を行い、全国の男女5000人のうち3248人から回答を得ました。調査で、「自室からほとんど出ない」や「趣味の用事の時だけ外出する」などの状態が半年以上続いている人を広い意味での「ひきこもり」と定義した結果、これにあたる人の割合は1.45%となりました。これにより、40歳から64歳で「ひきこもり」の人は、推計で61万3000人に上り、4年前に15歳から39歳を対象にした調査で推計した54万1000人より多くなりました。男女別では男性が4分の3以上を占めたほか、ひきこもりの期間が「5年以上」と答えた人は半数を超えていて、中には「30年以上」と答えた人もいて、対策が急がれます。内閣府は「『ひきこもり』は若者だけでなく、中高年でも想像以上に多いことがわかった。支援対象を拡大するなど、効果的な施策を打ち出していきたい」としています。53歳男性 身の回りの世話は90歳近い母が…「90歳近い母親に今でも身の回りの世話をしてもらっています。親が死んだら生きていてもつらいだけ、自分もすぐ死んでもいいってずっと思ってきました」。東京・品川区に住む山瀬健治さん(53)は、大学を中退したころから現在に至るまで、およそ30年間、断続的にひきこもりを繰り返してきました。20代からIT企業などいくつかの会社に勤めましたが、仕事がうまくいかずにつらくなって辞めてはひきこもり、また働いては辞めるということを繰り返してきたといいます。ひきこもっていた期間は合わせて10年以上になります。父親は9年前に亡くなり、現在は87歳になる母親と自宅で暮らしています。発達障害があり片付けなどが苦手で、食事や洗濯、買い物など身の回りのことは母親に頼っていると言います。生活費は、母親が持っている不動産の収入や蓄えなどでやりくりしています。現在、障害のある人の就職支援などを行う「就労移行支援事業所」に通い、サポートを受けながら仕事を再開したいと望んでいますが、見通しは立っていません。山瀬さんは「社会から長い間孤立して仕事も長続きしないだけでなく、高齢の母親に身の回りの世話までさせて申し訳ないと感じています。幸い親はまだ元気ですが、もし介護が必要な状態になっても、世話をしたり、亡くなったときにいろいろな手続きをしたりということは、おそらく自分では何もできないと思います。今後のことを考えると不安やプレッシャーを感じます」と話していました。介護の現場では…東京町田市の地域包括支援センターで、介護に関する相談員を務めているケアマネージャーの安達聡子さんは高齢の親に対する支援のなかで、中高年の子どもがひきこもっている事例が数多く見つかると指摘します。中には民生委員から90代の女性の様子がおかしいという連絡を受けて、訪問したところ、女性の認知症が進行していて、50代ぐらいの無職の息子が同居していた事例などがあったということです。こうしたケースでは、親の年金だけを頼りに生活しているため、経済的に困窮していたり、子どもが自分や親に対する支援を拒否したりする場合も多く、対応が難しいといいます。安達さんは「親が元気なうちはいいですが、認知症が進んだり、亡くなってしまった場合、子どもは生活することが難しくなってしまいます。こうしたケースは想像以上に多く、深刻な状況になっています。自分たちも何とか手を差し伸べようと、いろいろな支援制度を紹介したり、ほかの行政機関などに相談したりしていますが、本来業務だけでも手いっぱいで、十分な支援が届いていないのが現状です」と話していました。高年齢化と長期化が問題今回の内閣府の調査で改めて明らかになったのは、ひきこもりの「高齢化」と「長期化」の問題です。「ひきこもり」をめぐっては、これまでは主に「若者がいじめや不登校などを理由に部屋に閉じこもる」問題と捉えられてきましたが、専門家や当事者などからは中高年のひきこもりが多数いるという指摘が以前からあり、今回、国による初めての全国的な調査で「高年齢化」が実際に裏付けられた形です。今回の調査では、ひきこもりの期間は「3年から5年」が最も多かった一方で、「5年以上」と答えた人が半数を超え、中には「30年以上」と答えた人もいるなど「長期化」の傾向もみて取れます。このような「高年齢化」と「長期化」を象徴するのが、80代の親が、50代のひきこもりの子どもの生活を支える、「8050問題」と呼ばれる問題です。ひきこもりが長期化すると、子どもが高齢になる一方で、さらに高齢の親が働けなくなったり、年金などわずかな収入しかなくなったりすることで、家庭が生活に困窮して社会から孤立してしまう問題です。こうした家族は、なかなかみずから声を上げづらく、親子が共倒れになることでようやく知られることもあります。去年1月には、札幌市のアパートで、82歳の母親とひきこもりの状態にあった52歳の娘の遺体が発見されました。助けを周囲に求められず、先に亡くなった母親のそばで娘は亡くなるまで生活していたといいます。一方で、高齢の親への支援をきっかけに、同居する子どものひきこもりが明らかになる事例も相次いでいます。ひきこもりの家族などで作る「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」が、高齢者の介護の相談や支援を行っている全国の「地域包括支援センター」を対象に去年の末行った調査では、有効な回答のあった260余りのセンターのうち、6割近くが、相談を受けた高齢者の家庭に、ふだんは家にいてほとんど外出しない状態が半年以上続くひきこもりの子どもがいるケースがあったと回答しました。中には、ともに認知症の70代の両親と同居していた50代の未婚の娘がひきこもっていた事例などがありました。一方で、ひきこもりの子どもと面談できなかったり、親の支援が必要なくなったあと関係が途絶えるケースもあり、複数の行政機関や団体が連携して支援に当たる必要性が指摘されています。調査を取りまとめた愛知教育大学の川北稔准教授は「地域包括支援センターはひきこもり支援の専門ではないので、気がついたからといってすぐに動くことが難しい面はあるが、ほかの機関とも連携しながら、問題が浅いうちにその家庭とつながりをつくって支援や見守りに生かしていくことが大切だ」と話しています。専門家「多様な支援が必要」ひきこもりの問題に詳しい愛知教育大学の川北稔准教授は「今の40代の人たちは第2次ベビーブームの時期と重なっていて、人数自体が多く、ある意味では予測された結果と言える。ひきこもりの人は若い人だけでなくどの年齢にもいるということが今回の調査ではっきりと裏付けられた」と話しています。その要因については「今の40代を中心にした人たちは就職氷河期を経験した世代で、不本意な就職をして不安定な雇用状態のままで過ごしてきた人も多く、社会的に孤立するきっかけを多く持っている。また、ひきこもるきっかけは、学校や就職だけではなく何十年も働いてきた中で、途中でつまづいてしまったり、親の介護のために仕事を辞めてしまった人などいろいろなタイプが含まれている」と指摘します。そのうえで、必要な支援について「これまで行政などの支援は若い人に絞られていたが、対象を年齢で限定せずに生活に困っている人全般の相談窓口を設けたり、就労の支援だけではなく、孤立している人の居場所をつくるといった多様な支援活動が必要になってくる」と話していました。やっと実態に近い数字が出てきたという印象である。もっと詳しい分析をしてほしいと思うが、60歳以上の退職後のひきこもりについては、40代くらいまでのひきこもりとは少しタイプが違うのではないか。はっきりしているのは、これは若者問題ではないということだ。そして、ひきこもってしまう人が「親の経済力に甘えて働かない」なんてのんびりしたものではなく、本人も親も大変悩んで困っているということである。中高年ひきこもり61万人、15歳から39歳のひきこもり54万人(4年前)、中高生の不登校者数14万人(2017年)、これは日本社会の土壌から生み出されていると思っている。それは、これだけ見たら困った問題にしか感じられないが、物事には必ず功罪がある。この現象がどのような意味を持つのか、もっと考えてみたいと思う。
2019年03月30日
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今、パソコンでブログ管理画面を見てビックリ!昨日のアクセス数がビョーンと飛び上がっている。昨日はブログを書いていないのになぜ?いったい、どなたが読んで下さったのでしょうか。まったく想像もできませんが、お読みいただきありがとうございました。
2019年03月29日
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このブログでも、時々青少年のいじめや自殺について書いてきた。私は、ずっと関わっているボランティア活動の中で、学校におけるいじめや体罰、それを主要因やきっかけとして始まる不登校や、追いつめられた結果であろう自死のケースを見聞きしてきた。できれば学校名や関係者の本名を書いて告発したい気持ちに駆られることもあるが、それだけは自制し、封印しながら一般論のように書いてきたし、これからもそうするつもりだ。いじめや不登校の話を聞くようになってもう20数年も経ったが、この問題は一向に改善してきたようには感じられず、むしろ陰湿化、過激化しているようにさえ感じる。特に、学校の教師がいじめに加担することなど、かつてもあったけれどとても少数だったように思う。以前は、先生の対応の不手際で問題がこじれてしまったり、いじめが陰湿化するような話が多かった。それが今では、先生がいじめを容認し(放置ではない)、いじめる側になってしまったりする。あるいは、先生のからかいや過度な叱責、体罰等によって、生徒がいじめを正当化しやすくなる場合もある。さらには、いじめが表面化した時に、「生徒自身で解決させる」ような対応をしたりすらする。本当に、にわかには信じられない言動が教師側にある場合があるのだ。そのような辛い学校に耐え切れずに親に相談し、親がビックリして学校に訴えたりすると、学校はほとんど間違いなく自己防衛本能による対応を始める。いじめている生徒や、不適切な言動をする教師に学校長や教育委員会が問い詰めた時、正直に事実を語る児童生徒や教師は多くはないと思う。とにかく、いじめている子や不適切な言動教師は、「一緒に遊んでいた」だの、「指導していただけ。子どもも反省したし、その後は笑っていた」なんて言ったりする。周辺の子ども達にいじめの実態を聞いたとしても、後が怖くて本当のことを言えない場合が多い。その結果、「いじめの事実は確認できなかった」「体罰はなかった」などが学校や教育委員会の見解となる。児童生徒が自殺したとしても、明確な遺書でもない限り「死人に口なし」なのだ。つまり、学校に相談したとしても、それでいじめが解決することは多くはないのだが、教育委員会への報告では「解決」なんてことになり、いじめ件数は結構あるけれど、解決率100%などという、私から見たら「信じがたい統計結果」となっていたりする。このようなことをずっと見聞きしてきた私は、今の学校教育(特に義務教育)自体がいじめの発生装置のように感じるようになった。こんな風に書いてはいるが、私は義務教育は勿論のこと、そのほとんどが公立であることは重要だと思っている。毎日のように、いじめ自殺関連のニュースを目にするたびに、どうしてこんなことが続くのだと悲しくなる。親はまず学校に相談するのが常だし、私もそれが正規ルートだと思う。しかし、その後の学校側の対応に疑問を抱いたら、まずはそんな学校には行かせないことだ。「子どもが安心して登校できると思えない限り、休ませます」と毅然として言うことだ。さらに「でも、学校は子どもに教育を受けさせる義務がありますよね。休んでいる間、学校や教育委員会は何をしてくれますか」と言ってみよう。多分、何もできないだろうし、義務のような家庭訪問は迷惑だけれど、学校へのプレッシャーにはなる。万が一にでも、子どもが信頼している先生が一時間でも訪問学習指導をしてくれれば御の字だ。最近の学校側の言い分には、「親がモンスターペアレント化しているので対応が大変」がある。そんな親もいるだろうが、学校にきっかけがあって不登校になるタイプの親にそのような人は少ない。本物のモンスターと一緒にしてもらいたくないと私は思っている。「学校に行くのが辛い」と言い始めたら、あまり理由を問い詰めずに「少し休んでみようか」と言って欲しい。いじめられているとするなら、それは屈辱的なことであり、自分がそのような扱いをされているとは言いたくないことがほとんどだ。ましてや、大好きな親にそんなことは言いたくないし、心配だってかけたくない。だから、子どもは健気にも耐えられるだけ耐えるのがほとんどで、どうにも我慢できなくなった時にやっと言うか、その前に体調に変化が起きるのが常だ。つまり、登校時間になると発熱や腹痛、下痢、時には足が痛くて動けなくなったりもする。めまいでふらついてしまったり、過呼吸や強迫神経症的手洗いなどもある。どれも仮病ではない。本当にそうなってしまうのだ。とにかく、過剰なストレスに長期間さらすことは避けよう。その結果、精神的な疾患を発症することも稀ではない。さらに、自死などに至ってしまっては、その後の家族の苦しみは死ぬまで続くと言っても過言ではない。今は春休み。学校に行くことが辛い子どもたちには少しだけホッとする時期。しかし間もなく春休みは終わり、あの地獄のような日々が始まると思うとき、その苦しみの日々から解放されたいと思うのは自然なことだ。その「解放」が、死の世界への旅立ちであってはならない。逃げ道は、家族が作ってあげてほしいと切に祈る。下記の記事を見つけた。読んでいただきたい。第1回 日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52631 第2回 「いじめ自殺」多発にもかかわらず、学校の有害性が問われない不可解 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52633 第3回 いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする「異常な論理」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53330 第4回 人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53333
2019年03月27日
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昨日・今日と、朝カーテンを開くと冬景色。今年は春が早く来るかなと思っていたけれど、やっぱりそんなに甘くはなかったそれでも、日中気温が上がったり太陽が顔を出すと路面の雪は融けるので、行きつ戻りつながら春は近づいている。思い返せば、3月はいつもこのような気分を味わっているように思う。北国の春は、かくれんぼをしたり引き返したりと、幼い子どものように道草をしながらやってくるのです。
2019年03月24日
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某ボランティア団体に、19年所属して活動してきた。年月が経つうちに監査→副会長→会長とズルズルと責任が重くなり、会長になって9年が過ぎた。数年前から、会長を次の人にバトンタッチすべく、その意向は時々例会で話してきたし、いよいよその時が来たと思って、例会、役員会で何とか次の役員体制にできるように説得に努めた。私は、どんな集団も同じ体制で長くなってしまうのは、その会にとって良くないと思っている。それは、役員体制が固定化してしまうと活動はマンネリになりがちだし、その時の主要メンバーの考え方に違和感を覚えても、なかなか別の提案をしにくくなるからだ。それに、団体の活動の活性化のためには、新しいメンバーが入って来やすくなければならない。主要メンバーが変わらなければ、どうしても新しいメンバーが参加しにくくなる。また、ボランティア団体であれば、色々な関係機関との連携も必要だし、主要メンバーになると〇〇委員会やら、□□協議会などへの参加も増え、次第に行政と親しくなってきて、それはそれで功罪がある。それに、立場が変わると活動への責任感や見え方が変わってくることもある。というわけで、数日前の役員会では喧々諤々の話し合いをして、四月の総会での役員改選のための原原案をまとめることが出来た。そしてこの日の例会でそれを提案したというわけである。前回の例会で、「原々案は役員会でまとめ、次の例会に提案する」ということになっていたから、新しく役員に入ってほしい人には根回しもしていなかったので、「想像もしていなかった!」と驚いたり戸惑ったりした人もいたけれど、みんなで説得してお願いして、とりあえず任期だけはと納得してくれた。私自身は、活動上の人手不足もあるので退会というわけにもいかず、一応〇〇役として必要な時には助っ人として活動を続けることになった。とにかく、ずっと気になっていたことの準備が整い、本当に肩の荷が下りた。
2019年03月20日
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熱海の日の出です。
2019年03月18日
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実家で母と暮らしてくれている妹が友人との旅行に行くため、月曜日から四日間母のサポート兼留守番に行っていた。私は小さい頃から母との相性が悪く、結婚してからも出産のとき以外は実家で泊まることはなかった。しかし、両親が高齢化してから、妹が留守の時には泊りがけで母と付き合うようになった。母はおしゃべり好きで、同じ部屋にいると話し相手になるしかない。私には、母の話し相手の時間がずっと忍耐の時間だった。その一番の理由は、母が話したいことの第一は「この家に嫁いでとても苦労したし辛かったという過去の愚痴」であり、必ずそれを聞かされることだった。しかし、母の苦労は強いコンプレックスによる被害妄想に近いものがあり、母の語る祖母や父の話は私にはとても納得できるものではなかった。私にとっては好きな父や祖母であるので、その二人の悪口や愚痴を聞くのは苦行だった。少しでも反論するなら「あんたには私の気持ちがわからない」と怒り始めるので、それすらできずただただ無言で頷くのが私のせめてもの思いやりであり、知恵であった。ところがである。今回の母は、父や祖母への恨みがましい思い出が消えてきたようなのだ。そして、自分から「お父さんは良い人だった」と言うではないか。その言葉を聞いたときは、私は本当に驚きつつ、神仏に感謝したい思いになった。やっと母は、自分の中の根強いコンプレックスから生じる被害者意識から脱出しつつあるようだった。しかしそれは、いわゆる「耄碌」が進んだことでもあり、同じことを何度も聞き返すことも増えた。そんなことは当たり前なので、私にはまったく迷惑でもガッカリ感もない。ただただ、このように穏やかに老いてゆき、この家に嫁いだことに対しても、母に冷たい娘(私)への腹立ちもなくなり、静かに苦痛なくその日を迎えてほしいし、そうなってくれるかもしれないという希望も抱くことが出来た。こんなことを考える私は、親不孝なのか、はたまた…?
2019年03月14日
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇パソコンを開いたら、yahooニュースでこの記事を見つけた。このようなことがあったことは、前から少しずつ知る機会はあったし、ひとたび戦争になってしまうとこのようなことが起きうると思っている。それにしても、その時は生死の分かれ目で生き延びることの前にはやむをえない部分があったとしても、終戦後のこのような選択をした大人たちの無責任性については反吐が出るような思いだ。原発事故後の東電や政府の対応とつながるものがあるのではないか。日本人の一人として、日本に対して誇りは持っているけれど、このような事実から目を背けてはならない。従軍慰安婦問題で韓国と関係悪化がしているけれど、日本人要人の潜在的なこのような意識が、傷ついた人たちの神経を逆なでしているようにも思っている。
2019年03月14日
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数年前から血圧が高くなっている自覚はあった。父・祖父・曾祖父と脳梗塞や卒中(昔は「卒中」とか「中風」と言っていた)で倒れているので、私たち三姉妹も40代後半から徐々に血圧は高めとなり、妹二人はすでに服薬している。私は一番年長だが、食生活や運動、食べ物などでいろいろと気を使い、なんとか今までは薬を飲まずに頑張ってきた。血圧は測っているので、それでも徐々に高くなってきていて、いよいよ自己防衛は限界かなと覚悟し、午前中、実家の近くのクリニックを受診してきた。長いおつきあいになると思うので、「かかりつけ医」としてよい医院を探していて、子育てをしながら頑張っている女医さんのクリニックを選んだ。初診なので早めに行ったのだが、とても混んでいてびっくり。(予約はしていない)問診から始まり各種の検査をして最終的に薬をもらったのが12時過ぎ。看護師さんに聞くと、今日はいつも以上に混んでいるとのこと。スタッフは全員女性ということもあるのだろう、患者も八割は女性だった。私はほとんど病院にかかることがないまま今に至っているので(尿路結石、インフルエンザ、歯科程度)他の病院のことはよくわからないのだが、少なくても今まで以上に丁寧な説明をしてくれた。とても印象が良かったので、これからはこの先生にずっと見てもらおうと決めた。私が90まで生きたとしても、多分この先生ならまだ頑張っていらっしゃると信じたい。ということで、様子を見ながら高血圧改善の服薬を始めることになった。私にとっては、間違いなく記念日である。
2019年03月13日
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大熊町では白血病で沢山死んでいる「福島第1」事故から8年 思考停止をやめ脱原発へ<東日本大震災8年住まいの差 孤立招く つながり維持難しく 被災3町でも懸念 東日本大震災から、11日で8年を迎える。岩手、宮城、福島の3県などの被災地では、災害公営住宅の整備や自力での住宅再建も進むが、今も5万2千人が仮設住宅などで「仮住まい」を続ける。新たな住まいを見つけて仮設から出て行く人と、残された人。復興が進む中で生じる「住まいの格差」と「孤立」の問題は、昨年9月の胆振東部地震の被災地でも現れ始めている。宮城県で最大の被災地、石巻市の仮設住宅を訪ね、数カ月後、数年後の道内被災地の姿について考えた。(川崎学) 「病気どう?」「大丈夫よ」。2月上旬、石巻市の蛇田西部第2仮設団地の談話室で、60~70代の男女7人が世間話に花を咲かせていた。7人は全員がこの団地の元住民だ。 一般社団法人石巻じちれんが2年前、元住民のために始めた「つながりお茶っこ会」。週1回開催され、毎回10人ほどが集まる。昨年1月に市内の災害公営住宅に移ってから、毎週必ず参加する杉山とくよさん(78)は「仮設でのつながりに救われている」と話す。 海沿いの同市雄勝(おがつ)町で、夫と2人暮らしだった杉山さんは、津波で自宅を失った。避難所から仮設住宅に移ったのは震災から3カ月後。公営住宅に入居したのは、さらに6年半が過ぎた昨年1月だった。 ■別れる「家族」 仮設での生活を支え合った住民は「家族のような存在」だ。しかし、自宅を再建したり、災害公営住宅の抽選に当たったり、仲良くなった住民は次々と出て行った。杉山さんは公営住宅の抽選に5回落選。「この年齢では、家を建て直すこともできない。友人を見送るたびに情けない気持ちになった」と打ち明ける。 復興庁によると、最大約47万人いた東日本大震災の避難者のうち、昨年6月末までに約14万3千世帯が自力で住宅を再建した。自主再建が困難な被災者向け災害公営住宅は、1月末現在、3県で計画の98%の約2万9千戸が完成。ただ、抽選に当たっても、所在地など条件が合わずに、移れない被災者も少なくない。石巻市社会福祉協議会の伊藤勝弘事務局次長(60)は「住居や転居時期の差が住民の孤立化を生んだ」と漏らす。 転居先で、新たな人間関係を築けないケースも多い。杉山さんは公営住宅でも会合を開くが、集まる住民は少ないという。石巻じちれんの増田敬会長(67)は「住まいを移るごとに住民が新たなコミュニティーをつくれるよう、行政は自治会活動に補助金を出すなどの支援を続ける必要がある」と指摘する。 ■立たぬ見通し 北海道新聞が2月下旬、胆振管内厚真、安平、むかわ3町の仮設住宅の住民を対象に行ったアンケートでは、今後の住居について「年内には自宅に戻れる」「3月末、新居完成予定」との声がある一方、「まったく見通せない」「仮設住宅に長く住むしかない」と訴える人も多かった。 厚真町は年内にも、災害公営住宅を整備する予定だが、国の基準では自宅が全壊した被災者しか入れない。全壊戸数が100戸未満の安平、むかわ両町では、国の災害公営住宅の整備条件を満たせず、建設そのものの見通しは立っていない。 東日本大震災の発生直後から岩手県で被災者支援を行った、厚真町社協の山野下誠さん(37)は「仮設住宅に入る時は同じでも半年、1年と時間がたつうちに、住民間の生活再建のスピードに差が出てくる」と指摘し、「厚真でも孤立する住民が出てくるかもしれない。最後に残る住民まで、息の長いフォローは欠かせない」と強調した。<東日本大震災8年>災害住宅高齢化 空室多数 住民自治に不安 世代や地域の連携課題 東日本大震災の被害に遭った岩手、宮城、福島3県の市町村が整備した災害公営住宅では高齢化が進み、自治会の担い手不足などが問題化している。若い世代の流出などで空室が多い住宅もあり、このままではコミュニティーが維持できないと不安の声が上がる。一部の自治体は被災者以外にも入居募集を広げるなど対応に苦慮している。 「ここも、あっちも空室です」。岩手県釜石市の災害公営住宅「日向復興住宅」の自治会長小野寺喜代子さん(72)はため息をつく。全30戸のうち、1日時点で10戸が空室となっている。■若い世代流出 若い世代は自力で住宅を再建したほか、避難先の都市部に定住した人もおり、災害公営住宅に入居したのは住宅再建の余裕がない高齢者が目立つ。 所得に応じて家賃が上がる仕組みのため、入居した若い世代の中からも「引っ越したい」との声が上がっているという。 小野寺さんは「このままでは年金暮らしの高齢者ばかりになるのでは」と肩を落とした。 津波で家族を失い、気落ちして自宅から出ようとしない1人暮らしの高齢者もおり、孤独死が心配だ。自治会で見回りも実施するが「できれば体力のある若い人にも入ってほしい。自分の家のことだけでも精いっぱい」と漏らす。 自治会活動の担い手不足も深刻だ。小野寺さんの任期は3月末までだが、次の会長は決まっていない。入居者が少ない階は廊下などの共有スペースへの掃除が行き届かず、自治会で行う敷地周辺の草刈りや雪かきは「これ以上人が減ると厳しい」と不安そうに話す。 災害公営住宅の入居者の53%が65歳以上の福島県南相馬市では、自治会活動は70代が主力になっているという。家族の介護などで忙しい人も多く、担い手は減る一方だ。 南相馬市建築住宅課の相沢広到係長は「若い世代が増えれば高齢入居者の支援を頼むこともできるかもしれないが、今は高齢者同士で助け合っている状況だ」と危機感を募らせる。 自治体も模索を続ける。共同通信が昨年末から今年1月にかけて行った調査では、岩手、宮城、福島で災害公営住宅を管理する被災38市町村のうち、岩手県陸前高田市など19市町村が、災害公営住宅を被災者以外の一般向けにも開放している。約680戸で被災者以外が入居しており、さらに増える見込みだ。 陸前高田市建設課の村上充課長補佐は、入居が進むことで「自治会の担い手も確保でき、コミュニティーの活性化も期待できる」と意義を説明した。■居場所づくり 宮城県南三陸町の社会福祉協議会は昨年4月、災害公営住宅に、住民の居場所となる「結の里」を開設。デイサービス施設やカフェを備え、映画観賞会などのイベントも開く。 月に1度、住人らが一緒にご飯を作って食べる「みんな食堂」も開催し、子どもから高齢者までにぎわいを見せる。 それでも家からなかなか出てこない人はいるというが、高齢者の孤立を防ぐ上で、一つのモデルとなりそうだ。 被災地のコミュニティーづくりを支援する岩手大の船戸義和特任助教は「高齢化が進む災害公営住宅の中だけでなく、地元町内会などとの連携が効果的だ。住民が集まる機会をつくることが大切になる」と指摘している。<ことば>災害公営住宅 災害で自宅を失った被災者向けに、自治体が整備する賃貸住宅。被災直後に一時的な住まいとして無償提供される応急仮設住宅とは異なり、恒久的に暮らせる。集合住宅と一戸建てがあり、一般の公営住宅と同様、入居者の収入や間取りなどによって家賃が決まる。東日本大震災では、被災した沿岸市町村に加え、県や内陸の市町村も整備している。■孤独死 黄色い旗で防げ 福島から広がり 仮設住宅では、1人暮らしや高齢者の孤独死の防止が大きな課題だ。東京電力福島第1原発事故の避難者が入る福島県大玉村の仮設住宅では、玄関先に掲げたA4サイズの黄色い旗で安否を知らせる取り組みを発案、他の被災地にも広がっている。 「ここから孤独死を絶対に出したくなかった」。入居者がゼロになり取り壊しが始まった大玉村の仮設住宅の前で、同県富岡町から避難していた建設業鎌田光利さん(63)が振り返る。2011年9月、仮設住宅の自治会長に選ばれた鎌田さんは、黄色い旗の取り組みを提案した。 映画「幸福の黄色いハンカチ」からヒントを得た旗は、起床後に玄関先に掲げ午後6時には取り込むと決められた。近所同士、旗の有無で異変を察知できる仕組みだ。 ある日の夕方。旗を出しっぱなしの住宅があった。鎌田さんが訪れると、1人暮らしの高齢男性が布団でうずくまっていた。すぐに救急車を呼び、病院で尿結石が見つかったという。 掲げられたままの旗の多くは、しまい忘れ。しかし鎌田さんは「(そのような人を)おおかみ少年にしないように、必ず訪問した」と語る。既に仮設を出て同県二本松市で暮らす鎌田さんは「旗を出すだけではなく、近所同士で徹底的に見守る体制をつくらないといけない」と強調した。 旗は他の被災地に広がり、さらに各地に受け継がれている。17年7月の九州北部の豪雨で被災した福岡県の朝倉市と東峰村では、昨年2月から全4カ所の仮設住宅団地で導入。16年4月の熊本地震の被災地を視察し採用を決めた。 朝倉市の林田団地では、入居住民らでつくる「見守り隊」が1日4回巡回して確認。1人暮らしの杉幸子さん(81)は「隣近所で旗が出ていないと声を掛け合っている。安心感が全然違う」と効果を実感している。■福祉特化やトレーラー 仮設住宅多様化 災害救助法に基づく仮設住宅の多様化が進んでいる。昨年9月の胆振東部地震を受け、道は特別養護老人ホーム(特養)や障害者施設の入所者がまとまって入居できる大型の福祉仮設住宅を整備。同7月の西日本豪雨では、入居までの期間を短縮できるトレーラーハウス型も登場した。 道は、地震で大きな被害を受けた胆振管内厚真町と安平町に福祉仮設住宅を整備。厚真町では4人部屋や食堂が並ぶ「居住棟」5棟と、浴室や職員室がある「集会所棟」1棟を渡り廊下でつなぎ、車いすで通りやすいよう入り口などの幅を広くして手すりも設置した。6日時点で特養と障害者施設の入所者90人が身を寄せる。 道は2000年の有珠山噴火の際、伊達市で障害者施設の入所者向けの福祉仮設住宅を建設したが、入居者同士が交流するスペースはなかったという。道保健福祉部の佐賀井祐一担当課長は「入居者の負担とならないよう、今回は施設と同じ生活ができるようにした」と話す。 厚真町の福祉仮設住宅を運営する北海道厚真福祉会によると、入居者は顔なじみの仲間や職員との生活に笑顔を見せている。2月21日に厚真町で震度6弱を観測した地震の際には「渡り廊下を通って入居者の部屋に駆け付け、安全確認がスムーズだった」という。 西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市では、トレーラーハウス型を初めて利用した。きっかけは、東日本大震災や熊本地震で被災地支援に携わった立教大の長坂俊成教授からの提案だ。完成している住宅を移動して設置するため入居までの期間が短く、プレハブや木造と比べて設置から撤去までの費用が200万円ほど安いことから、国と協議して導入を決めた。 着工から約1カ月の作業を経て、昨年9月に他の仮設住宅に先駆けてトレーラーハウス51戸への入居が始まった。市の担当者は「早く避難所を出たいという希望に対応することができた」と振り返る。入居期限の2年を過ぎた後は再利用される。 倉敷市真備町辻田の自宅が全壊した堀口康夫さん(80)は、2DKのトレーラーハウスに夫婦で暮らす。「豪雨後の避難所生活ではプライバシーもなく、身体的にもつらかった」と語る。従来の長屋造りの仮設住宅とは異なり、一戸建ての構造となっている。「生活音を気にせず、落ち着いて過ごせるので住みやすい」と笑顔を見せた。何度でも言う! 安倍首相こそが福島原発事故の最大の戦犯だ! 第一次政権で津波による冷却機能喪失対策を拒否 ritera 2019.03.11
2019年03月12日
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私がこのブログを書くようになったきっかけは、通信教育で慶応大学文学部を卒業した体験が、後輩の人たちに少しでも参考になったりエールになればいいと思ったからである。ブログ開始が2003年6月だから、卒業から三年くらい経ってからだ。私にとって、通信で慶応を卒業することはそれなりに苦労があったけれど、その日々は間違いなく私の青春時代だった。実際の青春時代は決して明るく楽しいものではなく、勉強だって楽しかったという記憶はない。義務のように学校に行き、福祉系の大学に行きたかったけれど親の反対で諦め、急遽決めた短大の食物学科も、興味の湧かないだけではなく全然向いていない科目が多く、たった二年だと頑張ってはみたものの、その他の要因も加わり不登校→鬱状態で、嫌でたまらなかったその短大をめでたく退学。その後は、何とか初志貫徹というのだろうか、福祉畑をウロウロして仕事をし、その間に結婚、子育て、仕事の挫折を繰り返し、天職だと一時は思った仕事も煮詰まって退職。その間に、常に心に占めていたのは「ちゃんと学んでいない」というコンプレックス。それの解消のためとは言わないが、最後の仕事の頃に出会った大学生に大学で学ぶ楽しさを教えてもらい、学びたい意欲が沸き上がっていたので退職を機に慶應通信課程に入学。なぜ慶應を選んだかといえば、当時次男が東京に就職したので、東京でのスクーリングを理由に息子の様子を見に行けると思ったこと。それに、多分途中で挫折するかもしれないので、どうせなら慶應大学の教授の講義をスクーリングで聞きたいと思ったことと同時に、「あの有名大学の学生に一度はなってみたい」という思いもあった。最初の頃は、次々と届くテキストを読むことにも苦労し「私には無理かも…」とすでに諦めの境地。それでも、スクーリングを理由に息子の様子を見に行くことと、「スクーリングで講義を聞きたい」という二つの理由で東京に出かけた。そこでの講義は私の期待以上のもので、たとえ卒業できなくてもこれで十分とさえ思った。それに、その時に出会った通信仲間の姿は、自信を失いそうな私を強く叱咤激励したくれた。私以上に年齢の高いと思われる人も沢山いたし、仕事をしながら頑張っている人も多かった。明らかに重い障害を持っていると思われる人も、何人も見かけた。そのような人たちが、昼休みに大学の中庭の木陰で楽しそうに談笑していて、その姿にとても感動し、「少しは頑張ってみるか」というモチベーションを高めることができた。帰宅してから覚悟を決めて勉強に取り組み始めたのだが、一番苦労したのは英語だった。とにかくテキストが理解できない状態で、中学校のできるだけわかりやすい参考書を買い、それを勉強することから始めたのだった。それでもやっぱりテキストをちゃんと理解をするには独学は無理と思い、当時大学で英米学科に在学していた長男が帰省した時、バイト料を払ってつきっきりで教えてもらった。これがなければ、私は英語の壁をよじ登ることはできなかっただろう。そんなわけで、私は10年で卒業することを目標にしたのだが、幸いなことに7年で卒業することが出来た。しかし、スクーリングや慶友会で出会った人の中には、途中で挫折した人もいたと思う。卒業してわかったのは、通信での卒業は私にとって予想以上の自信となり、その後の生き方に大きな意味があったので、せっかく入学したなら簡単に諦めずに卒業してほしいと思った。「この私でも卒業できたのだから、諦めずコツコツ続けていたらきっと卒業できるよ」それを伝えたくてこのブログを書き始めたのだ。しかし、卒業後ずいぶん経ってしまったので、左側の通信関係の記事はある時期に消してしまった。「復習のページ」だけは、自分の復習の意味で残しているが、私にとって単位を取るためのレポート作成は本当に大きな学びとなり、今現在の考え方の基礎になっているからだ。そんなわけで、もう通信関係の記事はほとんど書いていないのだが、今回リンクしているqueen_yさんが卒業されると知ったので、「おめでとう」のコメントをした。するとそのお返事に、「入学当初、みらいさんのブログを見つけて、ものすごく参考にさせていただきました。楽天ブログを始めたのもみらいさんのマネです(^^;;」と書かれていてビックリ。一人でも私のブログが参考になったと言ってくださる人がいたと思うと、本当に嬉しかった。queen_yさん、5年での卒業は本当にすごいことですよ。どれほど頑張られたか、私にはよくわかります。それだけ頑張れたという体験は、これからの人生の大きな糧となること間違いなしです。生きていると色々なことがあり、思いがけないことだって起きるし、年々自分も高齢化します。それでも、たとえ寝たきり状態になっても、私はあの頃のことを思い出すことさえできれば、きっと前向きに生きることができそうな気がするのです。諦めないこと、精一杯努力していたら必ず助け手が現れること、知らないことを知る喜びは、どんなに年が取ろうと手に入れることが出来ること。私にとっての卒業には、そんな意味がありました。それを思い出させてくれたqueen_yさん、ありがとうございます。今後のご活躍をお祈りしています。
2019年03月10日
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先日、テレビで「殿、利息でござる!」」を半分見て、これは原作を読んでみようと思い、さっそく図書館で借りてきた。私が借りたのは2013年の第四刷。下記の商品の説明 はAmazonの文庫本のものである。内容紹介所収の短編「穀田屋十三郎」を原作に映画化! 「殿、利息でござる! 」2016年5月14日(土)ロードショー公開! (宮城県は5/7(土)先行公開)大ベストセラー『武士の家計簿』の磯田道史が送る、庶民の忠臣蔵! 寂れる町をなんとか立て直そうと奮起する町人たちが藩主に奇策で立ち向かうが……。阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子、寺脇康文、きたろう、千葉雄大、橋本一郎、中本賢、西村雅彦、亀岡大毅、松田龍平、草笛光子、山崎努ほか超豪華キャストが集結! 藩主のお殿様役でフィギュアスケートの羽生結弦さんが映画初出演します! 内容(「BOOK」データベースより)貧しい宿場町の行く末を心底から憂う商人・穀田屋十三郎が同志と出会い、心願成就のためには自らの破産も一家離散も辞さない決意を固めた時、奇跡への道は開かれた―無名の、ふつうの江戸人に宿っていた深い哲学と、中根東里、大田垣蓮月ら三人の生きざまを通して「日本人の幸福」を発見した感動の傑作評伝。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)磯田 道史1970年、岡山県生まれ。2002年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。現在、静岡文化芸術大学教授。史料を読みこみ、社会経済史的な知見を活かして、歴史上の人物の精神を再現する仕事をつづけている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 映画を観るまでは、穀田屋十三郎については全く知らなかったし、中根東里はどこかで読んだことがあるかも程度、大田垣蓮月は維新前後のエピソードの中で見聞きしたことがあるような気がする程度。磯田道史先生は、最近はテレビでよく見る人なのでもちろん知っているけれど、著作は「武士の家計簿」やエッセイ的なものしか読んでいないような気がする。さて、この本の「穀田屋十三郎」は、映画の何倍も感動した。当時の幕府や仙台藩の状況や、仙台藩の藩主を頂点とした身分制度による統治の仕方や、それぞれの役割、舞台となっている「宿場町」の役割などが詳しく書かれている。だから、登場人物それぞれが自分たちの宿場とそこに住むすべての人たちのために奔走する意味が、くっきりと描かれている。全てが史料(古文書)に書かれていることをもとにしているので多少は想像力による脚色もあるだろうけれど、内容にはとても信頼がおける。だから、彼らが真に自分自身の損得抜きに、すべてを失うことも覚悟のうえで、この宿場と人々のために一身を投げ打って行動をしたことに、心から感動するのだ。そして、それはたった一人の「何とかせねば」の思いが波動となって近くの人の心を打ち、同心円に広がるように仲間が集まり、それが奇跡とも思えることになったということが、「これが人間の力というものだ」という気持ちにさせてもらえる。それにしても、この舞台も東北である。東北の人たちの純朴さや我慢強さ、そしてある意味での従順さが胸に迫る。彼らは決して、「一揆」のような過激な行動に走ろうとはしない。あくまでも「分相応」に手順を踏んで、まっとうに現状の苦しさや自分たちができることを探ろうとしている。そして、時には上の人たちの自己保身や事なかれ主義、お役所仕事に苛立ちがっかりしながらも、「きっと誰かがいつかはわかってくれるはずだ」という信頼感を失いはしない。それはきっと、吉岡宿の人たちがそれぞれの役割の中で助け合ってきていて、人に対する信頼感が土台にあったからなのだろう。この本を読みながら、今の日本と重ね合わせてしまうことが多かった。政治家や官僚の人たちは、この本を読んだらどのような感想を抱くのだろう。この本によって、当時の肝入り(他藩では庄屋など)の役割もとてもよく理解できた。その中で、「江戸時代のこの国には、読み聞かせの政治文化があった」ということにとても納得した。その部分を書いておこう。 江戸時代のこの国には、読み聞かせの政治文化というべきものがあった。時代劇でよくみかける高札などは、「法度を守れ、キリシタンを禁ずる。ばくちをするな」などと書いてあるだけであり、日常、時々刻々と、お上から発せられる法令はたいてい立札にはならない。 江戸時代、庶民の識字率は高いといっても、男女の半数以上は字が読めなかった。そこで、法律や政治においては、読み聞かせが大きな意味を持った。江戸のはじめは特にそうであり、庄屋などが村人を一堂に集め、法令を読み聞かせることで領主の支配は末端まで届いた。日本の庶民が、官報や新聞などで、つまり文字でもって、法を認識するようになるのは明治も後半以降ののことであろう。 ともかくも、政治や法律向きののことは、庄屋や旦那衆が、口頭で読み聞かせてくれるものである、という長い伝統が、この国にはあった。(P94)他の二人のことも、「このような人が現実に生きていたのだ」と、感動と共に読み終えた。そして、「無私」ということの力強さを改めて考えた。今の私たちは、無私・無欲になることはとても難しい。人の苦しみの多くは「我欲」によるものとは思っても、「自我や欲望を捨てるのは人間を捨てること」のように考えてしまう。しかし、「無私」は人間である自分を捨てることではない。むしろ、自分のことよりも他の人のためになることを喜ぶ心が、自分を救うことにつながるのは明白なのだ。他の人や自分の住む地域の潤いを自分の喜びとすることが、全体の潤いにつながるものなのだ。そのような根源的な思想が、かつての吉岡宿にはあったし、他の地域にもたくさん根付いていたと思う。その伝統は、今も生きているだろうか。庶民の生活に根差した思想(道徳観、倫理観)と比べて、為政者の思想はどうだつたのか。そのギャップと現実殿ジレンマに耐え続けてきた庶民の怒りが、限界となり爆発したのが維新だったのかもしれない。磯田先生の本をもっと読んでみようと思う。
2019年03月09日
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浅田次郎の「黒書院の六兵衛、上下」を読んだ。浅田次郎は大衆小説の職人だと思っている。「大衆小説(大衆文学)」の定義は今一つわからないけれど、私は多くの庶民が楽しめる作品という意味で書いている。短編も長編も膨大な作品があり、図書館に行くとズラーっと書棚に並んでいるので、気軽に楽しめそうなものをついでに借りてくるパターンが多い。中には、これはイマイチと感じるものもあるが、それでもそれなりに楽しむことが出来るのが彼の職人技だと思っている。今回の「黒書院の六兵衛」は、ネット世界をぶらついていた時、この作品がドラマ化され、WOWOWで放送されたと知ったのがきっかけ。主運が吉川晃司で上地雄輔も重要な役を熱演しているらしいと知り、興味を持ったのだ。残念ながらテレビでは見ていないので、原作を読んでみようと思った次第。テレビの影響なのか、図書館で手に取った本は随分多くの人に読まれている様子であった。上下二冊なのだが、彼の作品は読みやすいのでスラスラ読むことが出来た。登場人物にモデルがあるのかどうかわからないが、こんな人もいたかもしれないと思わせ、この内容で上下二冊の長編にしてしまうのはさすがだと思う。私は、その内容よりも江戸城無血開城当時の幕府や、明治維新に至るまでの徳川幕府とその後の敵味方に分かれた藩やその中で生き延びようとする武士たちの姿が興味深かった。読みながら、浅田次郎さんはきっと、これがドラマ化されることを想像しながら書いたんじゃないかとも思った。登場人物のそれぞれの個性が際立っていて、これはそのまま台本にできそうとすら思った。映像を見ていないのでよくわからないが、彼の作品は沢山ドラマ化・映画化されているので、その関係の人からのリクエストがあったかも。ミステリー的な作品にしているのも、そのせいなのかもしれない。結局その後、六兵衛はどうなったのだろうか。彼ほどの人ならば、きっとどこかで自分の筋を曲げずにひとかどの人物として生きているだろう。どんな職業を選んだのだろうと想像が膨らんでくる。
2019年03月08日
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いつも拝見している札幌からのたよりさんのブログで、とても気になる記事を見つけた。「アメリカで使えなくなった農薬が、世界中で禁止されている農薬が、日本では認められる。」と書いていらっしゃるが、今の政権ではこの傾向は別の分野でもありそうだ。安倍首相はすぐに「国民の安全や命を守る」なんてきれいごとを言うが、このこと一つ取っても嘘っぱちじゃないか。気になって元記事を検索したら、これだった。養蜂家も、研究者も「スルホキサフロルを許可しないで!」グリンピースの記事である。私はこれらの記事の真偽はよくわからないし、グリンピースの活動の一部には首を傾げたくなるものもある。しかし、人工的に作り出した薬(農薬もしかり)は、使用量を間違うと猛毒であることがほとんどである。口から直接入るものは目で見てわかるけれど、農薬などについては私たち消費者はまったくわからない。他の国で承認されない農薬は、それなりの検証の上に禁止or使用制限されることになったはずだ。それを、日本で認めるということはなぜなのか私には理解できない。そういえば、オリンピック招致の時の演説で、安倍首相は原発事故の影響は完全にコントロールされているから安全だとかなんとか言っていた。今でも、あの時の彼の言葉を聞いたときの衝撃は忘れられず、その一点を取っても私は彼を信用できない。だからこそ、その分野で研究検証している人たちは、私たちの国の安全と安心を守るために、命がけで頑張ってほしいと願うばかりだ。追記…気をつけて!新たなネオニコ系農薬・スルホキサフロルが解禁に
2019年03月07日
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昨夜、たまたまチャンネルを変えたら「殿、利息でござる!」が放送中だった。番組紹介で「実話」という文字があったので、見ることにしたのだけれど、残念ながら前半三分の一は見逃してしまった。原作は 磯田道史氏の 『無私の日本人』の中の「穀田屋十三郎」のようで、このほかに「中根東里」「大田垣蓮月」の話も載っているようだ。今読んでいる本を読み終えたら、読んでみたいと思う。途中から見たのだけれど、十分に感動する内容だった。この時代の庶民は力を合わせて助け合わなければ生き残れなかったのかもしれないが、それにしてもこのような史実があったとは…。それぞれの俳優さんたちは、さすがと思えてそれも感心してみていたのだが、最後に藩主として羽生弓弦が登場した時にはビックリ。つまり、私はこの映画のことを全く知らなかったのだ。考えてみれば、彼は舞台となった仙台出身であり、それもあっての配役だったのだろう。この時代、武士は偉そうにしているけれど庶民から搾り上げ、それでも足りなければ借金もしていたとは少しは知っていたけれど、このような話まであったとは…。仙台藩は明治維新後、北海道開拓のために現在の伊達市に家臣と共にやってきた。伊達家の末裔はどうなってるのかなと調べたら、このサイトを見つけました。
2019年03月06日
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しばらく読んだ本の記録をしていなかったので、図書館の記録が残っているものだけメモしておこう。私は、前に借りたことを忘れて借りてしまうことがあるものですから。「夜想曲集」カズオ・イシグロ「玄冬の門」五木寛之「ブラック オア ホワイト」浅田次郎「獅子吼」浅田次郎「小泉信三」小川原正道「藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた」「生ききる」梅原猛、瀬戸内寂聴対話集
2019年03月04日
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昨日、やっと見ました「万引き家族」。見たいとは思っていたのだが、映画の内容はニュースなどで何となく想像もできたし、考えさせられる映画だろうとは思ったけれど、現実の日本社会のあれこれを連想すると苦しくもなりそうで、少し避けていたのも正直なところだ。このような「重さ」を想像できる映画はあまり好まない夫が、珍しく「話題になったから見ておくか」などと言うので、気が変わらないうちにとさっそく千歳空港内にある「そらシネマ」へ。レディースデイだったせいか、そこそこ混んでいた。やはり見終わったら何かズシーンとくるものがあった。今、ネットで映画の公式ページなどを見ていたら、是枝監督がこの映画を作ったヒントは「死亡通知を出さずに、親の年金を不正に貰い続けていた家族が逮捕された事件に触れたこと」だそうだ。その時から色々と考え構想を温めて10年らしいけれど、監督の想像力や人間を見る目の暖かさに再度感動している。あまりにも様々なことが凝縮されているので簡単に感想など書くことができないけれど、人にとって大切なものや必要なものは本当に様々だし、何かの事件やそこに登場する人たちを「正義、倫理、道徳」だけで判断することの怖さを感じている。誰しも、自分にとっての幸せや喜びを求めて必死に生きているし、それは家族だからといってすんなりと共有できるほど単純なものでもない。自分にとって大切なものを守りたい一心での選択や行動が、社会に受け入れられるものとも限らない。たった一つはっきりと言えることは、人は一人では生きてはいけないし、ましてや幼い子供は自分を守る術は持たず、近くにいる大人を頼るしかない。様々なことがあちこちと脳裏をよぎってしまい、どっぷりと映画の世界で感動したりできなかったけれど、今思い返すと、子役を含めて俳優さんたちがそれぞれとても素晴らしかったと思う。是枝監督は登場人物の俳優を決めてから台本を書いたんじゃないかと思うくらいだ。夫は、「この内容が世界の人も感動させるんだろうか」と言っていた。私は、「きっと人間社会の普遍的な問題を抉ってるんじゃないかな」と言ったのだけど、どうなんでしょうね。「万引き」で思い出すのは、某高校の近くにあったコンビニが、生徒たちの万引きに業を煮やし、少し離れた場所に店舗を移したということや、別のコンビニでは高齢者の万引きが多くて困っていると店長から聞いたこと。その店長は、「高齢者の万引きは、学生のそれとは質が違うので、注意しているしかない」と言っていた。
2019年03月01日
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