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金曜日は生憎の小雨の降る日でしたが、大山崎山荘にある”背高のっぽの建物”加賀正太郎が最初に建てた司令塔的な存在の”栖霞楼(白雲楼)の内部を見せていただきました。こっちへ引越してきた50年ほど前には、天王山の中腹に目立つ憧れの白い塔でしたが、こうして実際に登らせていただけるなんて~不思議な運命を感じました。正太郎らしくいろんな工夫が施してあります。1階の天井と2階の床との間には、キール状に筋交いを入れて補強している上、割栗石を敷き詰めてありました。この補強があったからこそ、附近の小学校などが全壊した室戸台風にも耐え、ここだけが残った訳でした。 続く土曜日は隣接する宝積寺で写経をセットしたウォーキングがあり、50名ほどの参加をえました。わたしは閻魔堂にて、1人、つづいて2人そして、20数名さんの組2組のお客様の前で、閻魔さん、六道、十王の話を枝雀さんの「茶漬けえんま」の一部と重ねながら4回ガイドしました。次第に滑舌もよくなり、皆さんに笑っていただき、満足いたしました。
2010.02.28
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ひとときよりも勢いの落ちた家内の懸賞運でしたが、去る木曜日に届いたのは、赤く大きな五角形のグリコ箱。中には、合格祈願のカレー、中華丼、牛丼、親子丼pocky大袋(普通の袋9つ入り)パイスープなど スープカップが3個pocky普通サイズが3個GABA(小粒チョコの小袋15個入り)〆て12個のグッズが入っていました。本日は大山崎町”宝積寺”にて写経の催しとガイドが行われます。わたしは閻魔堂にてガイドします。多くの人々に笑っていただき、閻魔大王(地蔵菩薩の化身)さん本来の優しさに触れて戴きたいと思っています。すっかり春めいて参りました。日ねもす穏やかな太陽を浴びて微笑む”たんぽぽ”、そしてその白い絮(ワタ)が浮遊する様を描いた拙作をお聴き下さい。たんぽぽ
2010.02.27
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日々文章を綴っていると、主語の次におく助詞を”は”にすべきか、”が”にすべきか迷うときがあります。また俳句を作る場合にも、”は”、”が”、”の”の選択に困りことが多々あります。古文では助詞の省略が認められ(吾行けりナド)ていますので古文・旧かなづかいで詠むケースが多くなります。森本哲郎さんは「日本語 表と裏」(新潮文庫)の14節に、これらについて触れていらっしゃいます。Spring has come. Winter is over.明治の頃の訳文なら「春来り、冬去りぬ」で済むのですが、それを現代語で訳す場合、「春が来た、冬は去った」とするにしても何故、「春ガキタ」の”が”で受け、「冬ハサッタ」とするのか疑問を提起しておられます。1、春ガキタ、冬ハ去ッタ。2、春ハキタ、冬ガ去ッタ。3、春ガキタ、冬ガ去ッタ。4、春ハキタ、冬ハ去ッタ。少しづつ曖昧にニュワンスが異なってきますね。また、「東京の都は、面積、広く、人口、多し。」という文例では、草野清民氏の指摘を出され、例文での真の主語は面積、人口であって「東京の都」は仮の主語(仮文主)と説きました。文例を口語に直すと、「東京の都は、面積が広く、人口が多い。」となり、草野氏の論点が浮き彫りになりますね。更に大野晋氏の説も引き合いに出しておられます。<日本語の基本的な条件は、既に知っていること(既知)と知らないこと(未知)という2つを要素として文を組立てるところにある>とし、1、既知と未知2、既知と既知3、未知と既知4、未知と未知という4つの組合せから、最初に既知が来る1、2の場合は「ハ」が、冒頭に未知が来る3、4の場合には「ガ」が使われると主張された由。また否定文に「ガ」を使うと、「私が行かない」という変な文章になります。内容が難しくなりそうなので、この辺で置きますが、生まれて以来使っている日本語の謎って深いですね。
2010.02.26
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根っからのフィギュア・スケートのファンはもとより、世界中の人々が女子フィギュアSPの競い合いに熱中したことでしょう。今回のSPは参加選手の殆どが素晴らしい出来映えを披露、優雅に舞う人、コミカルに仕上げた人、妖艶な世界へ惹き込んだ人など個性的で大いに愉しませていただきました。中でも金妍児さんと浅田真央さんとの技比べは圧巻でした。高得点に沸いた浅田真央さんの後にも拘らず落ち着いた立派な演技を成し遂げた金妍児さんの精神力に驚きました。安藤美姫さんも無難に出来たし、手を着いたものの自分本来の演技が披露できた鈴木明子さんにも拍手を贈りたい。一旦最高潮に達した女子フィギュアスケート競技ですが、中1日空けて決勝が行われますね。 何事も間は妙(タエ)にして春の雷こんな句を詠んだことがありますが、大相撲だってビデオ撮りしたものを、仕切り場面を飛ばして観戦すると興味は半減します。五輪の放送でも結果だけを後から見るのと、解説者の意見を聴きながらリアルタイムで観るのとでは緊張の度合いから言っても大違いです。 江戸時代、庶民の楽しみの1つ芝居を例にとると、電気が無かった時代ですから、朝早くから興行が行われていました。金比羅大芝居、通称「金丸座」と呼ばれる日本最古の芝居小屋で解るように、日中は観客席の背にある窓を開け閉めすることによって舞台効果を出していたようです。 さて出し物の舞台と舞台の準備期間を「幕間(マクアイ)」と言い、当時は随分アバウトであったようです。このことについては、桂米朝師匠が「本能寺」の枕で話しておられます。話を女子フィギュアに戻せば、4年前の早朝テレビのあの画面、忘れもしません。荒川静香さんのイナバウアーの逆U字型の反りと演技のしなやかさ・・・。明日、また、あのような興奮に包まれるのかと思うと出場中の全ての選手に感謝、その労に拍手したいのです。(参考まで)「金丸座」桂米朝師匠が「本能寺」
2010.02.25
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いつぞや、この日記に結露への対策として温熱効果のあるアルミ箔製の蓋などについて触れましたが、台所2カ所・息子の部屋など北面の窓は発泡スチロール板やアルミ箔を施した風呂蓋、段ボール紙などで覆い、私たち夫婦の寝室(兼書斎)の出窓は電気暖房絨毯の下敷きにするアルミ箔の敷物などを被せて防御していました。 陽の落ちた夕方、窓ガラスと網戸との隙間にこれらを取り付けてのは結構手間取り、身体が冷えきってしまうことも。今週に入ってここ数日、そんな面倒な作業は不要なほど凌ぎ易い気温となっています。毎日のように氷が張った睡蓮鉢には、この厳冬に良く耐えた金魚2匹が水面近くまで顔を出しそうな気配です。この陽気を見込んで、ジャスミンの鉢3個1000円を、いづみや10%割引期間の内なら900円ほどで買えそうです。ここ数年、嗅覚の衰えを少々感じるのですが、将来的にはジャスミンのアーチのある庭に変えてみたい思いもあります。久しぶりに拙作の音楽を附しておきます。男山八幡宮近く、松花堂の庭で聴いた小鳥のさえずりを曲にしました。SPRING
2010.02.24
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居初家は伊勢平氏の流れをくむ名家と昨日綴ったのですが、上方落語の「佐々木裁き」の”落ち”部分では、大阪西町奉行所の佐々木信濃守の家来として将来を約束された聡明なやんちゃ坊主、四郎吉は名乗りを佐々木四郎高綱としますが、それは名奉行のご先祖と同じ名前ゆえ、信濃守が「お前の祖先も源家(ゲンケ)か」と奉行が問えば、「いいえ、私は平家(平気)でおます」と四郎吉が返したのが落ちになっています。 大阪の与力、同心が賄賂を取り過ぎるという悪い噂が蔓延する折、大阪西町奉行に新らたに赴任した佐々木信濃守が往来で”裁判ごっこ”をして遊ぶ児らを家来と傍観。きのうまで奉行役を務めた他の子は東町奉行所の真似をしていましたが、それまで盗人役ばかりだった聡明な四郎吉は、初めて奉行役が回ってきた時、西奉行所の佐々木信濃守の真似を選んだのでした。「一つから十までに”つ”が全部つくや否や」という命題問答が今回の子供同士の喧嘩騒動の原因のようでしたが、”十つ”とは言わない難題を、裁判官の四郎吉は「五つつ」が(本来十にあるべき)”つ”を一つ盗んでいると名解答を示し、「道なかにおいて、口論の上、喧嘩をいたし、上多用のみぎり、手数をかくる段、ふとどきのいたり、重き刑にもおこなうべきところ、格別のご憐憫をもってさし許す・・・」と見事な台詞を朗々と言いのけたのでした。當の信濃守は大いに感動して、親もろとも、町役人つきそいの上で奉行所へ出頭するよう家来に申しつけました。 いざ奉行所では、今度はお奉行と四郎吉との智恵比べ、とんち比べになるのですが、四郎吉の返答が水際立って見事で、寄席ではこの辺りが聞かせどころなんです。詳しくは↓のサイトをご覧下さい。上方落語のネタ「佐々木裁き」
2010.02.23
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JR湖西線の堅田駅から徒歩20分、タクシーなら3分の湖岸に葭葺の入母屋があります。天台宗の学僧だった六如(リクニョ)上人(慈周)が寛政11(1799)年に建立したとされています。その名も”天然図画亭(テンネンヅエテイ)”。庭園はそれより118年前に、千利休の孫:宗旦の四天王の一人、藤村庸軒(淀看の席で有名)とその弟子北村幽安との合作で、湖水に面し、湖東の遠連山を借景にした枯山水庭。宝塔の塔身から作った袈裟形手水鉢や厠が古風で趣があります。秀吉公の御座船にヒントを得た板蔀(イタジトミ)の仕掛けの縁側、障子の腰板には海北友松の描いた花鳥画、下地窓のある床の間にはこの季にあった梅の掛け軸。6畳の間には古色豊かな行灯や大奥の奥女中が手に持つ燭台も時代じみて居、各部屋は全て明るい聚楽壁。襖の取っ手も葉脈を浮かす紅葉形など様々。探幽の弟子探山の椿雀の図など季節の掛け軸。資料室には元亀(1570~73)年代の朝倉氏や淺井氏の禁制(古文書)はもとより、千利休直筆の掛け軸、湖水渡りの勇将:明智左馬之助の古文書など、名品が数知れません。”伊勢平氏”の流れをくむ現在の当主は29代目でとっても親切に応対して下さいました。鎌倉、室町時代から強力な水軍を擁した居初家は中世堅田の三豪族の一つ。総見記(信長公記と並ぶ古書)には、淺井、朝倉連合軍と信長との戦では居初家らが信長側について参戦したことも記録されている由。風光良し、庭良し、建物良し、宝物多しの4拍子揃った見所のある指定文化財のお宅です。ご参考までに天然図画亭や居初氏庭園などなお、明日は伊勢平氏がらみの落語へと続けます。
2010.02.22
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毎月行われる本部の例会や四温句会、そして鱗華句会、また編集に必要な原稿を回収しに度々寄る”野風呂記念館”へは四条河原町から市バスにて百万遍(201系)行に乗りますが、201系が来ない時は、銀閣寺(203系)行にて熊野神社前にて下車。丸太町通を東に歩くと武道専門学校の向い側に朱色鮮やな”御辰稲荷神社”小さく鎮座まします。結社の催し事の成功祈願や個人的な事など祈りますが、必ずと言って良いほど叶えて下さいます。そのお礼もあって、もう再々御参りしていて、わたしの守り神社に近い存在になって下さっています。琴の名手という評判話や福の子を授かる貧農夫婦の話やこのお社の建立者である新祟賢門院(東山天皇の典侍:女官)の夢枕に立った逸話など話題にこと欠きません。辰は達に繋がり、芸事成就への祈願者が多く、能・狂言の家元の奉納額や芸大の生徒のコンクール入賞祈願なども頷けます。京の風流キツネは、琴の上手な御辰キツネと碁の好きな相国寺の宗旦キツネと称されています。この文章は宮司の石種彦さんから頂戴した三つの新聞記事を参考にまとめました。夏に詠んだ拙句ですが 小さくも御辰稲荷に生(ア)る緑陰 星子尚、本当に偶然なのですが、宗旦がらみで明日の日記を綴りたいと思っています。(ご参照)御辰稲荷神社相国寺の宗旦キツネ
2010.02.21
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父が読書好きで知識が豊富、生き字引とも言えそうな人物でしたが、それゆえ蔵書の数も半端ではありませんでした。現在は生前当時の5分の1位に減らせています。そんな人物が読む本となれば、さぞ厳しい立派な書籍ばかりと思いがちですが、角川文庫の”手のひらの中の宇宙”と称するmini文庫本も多々そろえています。その中の「まちがい言葉」(現代言語セミナー編)から面白いものを拾ってみましょう。 ほうようりょく A包容力 B抱擁力 かくう A架空 B仮空 どろじあい A泥仕合 B泥試合 せんべつ A餞別 B銭別 けぎらい A毛嫌い B気嫌い最初の例題はユーモラスな解釈も出来そう、若い内はB、結婚後はAかな?どろじあいも間違えそう。けぎらいに至っては毛深い人が好きな人、逆に大嫌いな人も。けぎらいは動物の習性から生まれた言葉、これがヒントでして、全問Aが正解です。この小冊子は127頁 縦11センチ 横8.5センチ。掌に入りそうな大きさで、値も200円ですが、時々こういう簡便なもので知識の修正をしておく必要性もありそうです。
2010.02.20
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現在、わたし達家族の本拠地は親の家をリフォームした長岡京市の丘陵地ですが、それまでは昭和55年秋に購入した建売住宅で、やや老朽化した状態で空き家にしています。そこは向日市鶏冠井町という場所で、奈良から平安京へ遷都するクッションとして10年都のあった場所です。新聞報道に拠れば、その鶏冠井町の長岡宮内裏跡から、古墳時代後期~長岡京時代につくられたとみられる甲冑の鉄片「小札(コザネ)」が30点も発掘されました。これは実践用とは別に、皇位を象徴する(三種の神器とは別)御物として、大和王権以来の武具が継承されていた可能性を示すものとみられています。藤ノ木古墳や飛鳥寺、奈良東大寺で発見されたもの、正倉院に収蔵されている御物と同じものがあり、殆どが伝承品らしい。(ご参照)各日刊新聞京都新聞
2010.02.19
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本日は月刊俳誌の最終稿持ち出しと、その足で主宰の”新古今集注釈”講義があります。9月初旬、相棒の編集長の急病以来、編集の一人立ちとなって凡そ半年になりますが、いろんな協力者が支えて下さり、一定のリズムで作業を進めていけるようになりました。有難いことです。 さて、最近テレビのバラエティ番組でも採り上げられている川柳。中山淳太朗著「川柳 わたしの 100句」。”朝日せんりゅう”に投句すること11年。その折に入選した作品などを紹介しましょう。 広告を見れば事足る芸能誌満員電車の中で気分転換に見るのは吊り下げ広告。その見出しだけで凡そ見当がつきますね。 先生も登校拒否がしたくなり中学生と謂えど半分大人に近い腕力を持っているから、先生という職業に穏やかな日が少ないのでしょう。 スピーチのネタがかち合う披露宴これ、困りますね。同じ話題だとすれば、話の上手下手がはっきりしちゃいますね。 解説者が監督ならばみな優勝野球の解説者は、実況放送の中で監督の選手起用に疑問を投げたり、言いたい放題。炉辺焼やスナックでのファンの野球談義にも同じ事が言えそうです。 日焼けしてましてと見合いで母がいい見合いの席上の光景が浮びますね。 大事故はもう繰り返さぬを繰り返し全くもってその通り。 妻からの電話社用の声で受けこの気持ち、よく解るなぁ~。あまり多くを紹介しては一句の値打ちが下がりそうですから、本日はこの辺で。
2010.02.18
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庭の東南の角に梅の木があって、これはもう40数年前に、正月用の松竹梅の盆栽にあった梅を地植えしたものが大きくなったものです。母が生前の折は、3度の食事をつくり、早春には、この梅の枝を箸置きとして母の膳に出しました。そんな想い出のある梅、本日一輪咲きました。
2010.02.17
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「京のあたりまえ」岩上力著(光琳社出版)の一節に、「お客様(訪問客)は曲がり角まで見送るもんどす」とあって、余韻を大事にするのが京都流、是非もう一度お近いうちにお越し下さいという気持ちから、門の前まで出て何度もお辞儀をしながら見送るとあって、わたしの場合もこういう作法は、子供の頃から父や母と一緒に、家族総動員でお見送りしていましたので、自然に身に着きました。 自分が訪問し辞去した場合、玄関を出てまだ数歩しか進まない内に、門灯が消えたり、そのお宅の家の中から笑い声が聞えたりしたら、それまで過した楽しいかった筈の時間も、何か色褪せた、空しい気持ちになることでしょう。京都人はそこいらへの配慮が素晴らしいのです。それに訪問者の立場になった時も、何度か振り返り謝意を伝えたいものですね。そうそう、「田舎に泊ろう」という番組では、最後の別れのシーンが人との絆の最高潮に達する光景ですね。
2010.02.16
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お母さん特製の金メダル、4年前のあの光景を覚えている私には、今回の上村愛子選手の4位という結果は余りにも切なく哀しく悔しく・・・。先だって、角界の横綱:朝青龍の品格についてあらゆるメディアで採り上げていました。国技である相撲に於いては、一つの奥義を求める最高位の横綱としての品格の大切さは言うまでもありません。それはそれとして、モーグル競技は北欧のスポーツなのかも知れませんので、上村愛子さんの場合なら、大声で泣きじゃくって貰った方がわたし達ファンも大仰に、泪(ナミダ)を流すことで鬱憤を晴らすことが出来たのではないでしょうか?そう、今回に限って、愛子さんには大いに泣いて欲しかったというのが、わが感想です。
2010.02.15
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江戸時代、朝鮮人参は万能薬といわれ、その霊薬への信仰は絶大で、1斤(600g)の最高値:銀38貫(約627両、平均値で16貫(265両)であったようです。この額は京の大工の5333日分の日当に相当し、飲まず食わず14年働いて、やっと手に入るほどのべらぼうに高い薬という勘定になります。親の病気を治す為、娘を遊郭に売るような事態も生じ、 人参は胸いっぱいになる薬 人参が出来て看病一人へり 八文になる人参の煎じ殻 泣き別れの娘を思い出し、人参の煎じ薬を飲むたび胸がいっぱいになる、健気に看病してくれていた娘が居なくなった悲しみ、娘は花魁になって八文字を踏む身になったけれど、家に残ったものは煎じ殻だけ、ひょっとしたら親さえ死んでいたのかも知れないというニュアンスの川柳です。28歳までが吉原遊郭での商品価値だったようで キン12歳15年年季、勤め13年で13両 せい11歳17年年季、勤め14年で14両 やす16歳11年年季、勤め11年で43両 ぬい18歳6年年季、勤め6年で40両 こう21歳2年年季、勤め2年で15両といった相場だったようです。<堀和久著:「江戸風流医学ばなし」を参照。小野武雄著:「江戸物価辞典」を参考に書かれたもの。> 数年前、癌の特効薬の副作用で告訴があり、しかも一説には効能さえ怪しいという話だったようで、看護・介護する家族の胸中の無念さは量りきれませんね。金儲けの為に高い治療費や薬代を負担させられては堪りませんね。
2010.02.14
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最近木屋町界隈を漫歩する機会が無かったのですが、朝刊の1面を見て驚きました。森鴎外の「高瀬舟」で有名な、また大河ドラマで人気沸騰中の坂本龍馬ら勤王志士が闊歩したであろう各藩邸のあった界隈、高瀬川の水が枯れ、川底の敷石があらわになったと報じているのです。秀頼・淀君がまだ存命中の慶長16年に角倉了以が開削した運河で伏見と都市部との水上交通路でした。2年前、ガイド仲間のKさんの案内で二条木屋町附近の鴨川支流(がんこ寿司傍)から取水するポイントを教えて貰いました。ここ数年、水位がぐんぐん下がり、石積みの護岸の老朽化による漏出や、鴨川の水位低下による取水量が減少などが原因だろうと推測され、その調査費として300万円の予算が計上されているという話です。俳句を詠むのにも最適な雰囲気のある此処いら近辺の景観保全を願って止みません。 もう凡そ5年ほどになりますが、四条木屋町、この高瀬川の畔で踊っていた立命館の学生さん達を話題にした日記「衝撃の立命館大学生!!」 がありました。
2010.02.13
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岩上 力著「京のあたりまえ」(光琳社出版)という京の良識、仕来り、作法の解説書があります。112節ある項目の中で87番目に書かれているのが”大安””仏滅”などの縁起かつぎの話。そう言えば、大阪から京の木綿問屋に嫁いできた母も、京の慣習に溶け込んだのか、ゲン担ぎでした。買ったものをおろす日は大安を選んでいましたし、皿や洗濯ものは北向きには絶対干しませんでした。 吉日を選ぶには”六曜(六輝)”と暦の”中段”、そして”二十八宿”の組合せの良いものを考えるとのこと。六曜とは周知の大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅の6つ。必ずしも順番に繰り返しません。中段とは、ひらく、とづ、たつ、のぞく、みつ、たいら、さだん、とる、やぶる、あやぶ、なる、おさん、の12で順送り。二十八宿は角、亢、?、房、心、尾、箕、斗、牛、女、虚、危、室、壁、奎、婁、胃、昴、畢、觜、参、井、鬼、柳、星、張、翼、軫。平凡な字、牛や女などあって不思議ですが、初めて見るような字もあります。大安で、中段が”ひらく”で、”畢(ヒツ)”の日は、神仏祭祀、結納、結婚、屋根ふき、棟上、取引開始に最良の日だとか?
2010.02.12
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過去数回参加したことのある、グリークラブ(男声合唱団)OB会主催の「麻雀大会」。毎年2月11日の休日に行われ、実はこの日は義父の誕生日だったので、途中から参加していませんでした。正月早々、3年先輩の幹事さんから”人数が足らんから”と泣きつかんばかりに頼まれ、ついOKの返事。編集・初稿の読み合せなどに本来キープして置くべき日でした。案の定、今回、きついスケジュールになっていますが・・・。 ところで一昨日の朝刊の地元版随想欄に載っていた、「天神の杜」特別老人ホーム施設長である五十棲恒夫さんの小文に、思わず”合点”の相槌を掌に打ちました。そのフレーズは、「ひとが生きていく上で大切なこととして”自分だけでなく、自分以外のことのために、自分の時間をつかおうとすることです”それが”こころ”であると、命を時間として捉える」考え方を述べておられました。まさに、わたしはこういう価値観、倫理観、人生観で暮らしています。
2010.02.11
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物置から1冊の美術書を出してきました。1973年の3月下旬から4月中旬まで京都国立近代美術館で開かれた「シカゴ美術館浮世絵名品展」の記念誌で、ご丁寧に当時の入場券の半切れも挟んでありました。浮世絵師の殆どを網羅した199点もの作品が展示され、その全てを掲載しています。 先日の日曜日、「日本歴史ミステリー」という番組では高島礼子さんの案内によって、”おんな北斎 天才の陰に隠された娘の感動記”と銘打って、北斎の娘、お栄(号:応為)の作品も紹介していました。北斎ひとりでは到底こなされない作品群には、娘のサポートがあったと推測されることで、ぼかしの技法や花模様などは彼女の方が父より優れていた節もあります。陰翳の画家レンブラントと共通する明暗の技法を用いたお栄の作品なども紹介していました。 アサヒビール大山崎山荘美術館のガイドを行うとき、印象派のリーダーであったクロード・モネについて語る機会も多いのですが、有名な一連の睡蓮の作品以外の、ニューヨーク・メトロポリタン美術館にある「サンタドレスのテラス(海辺のテラス)」という作品は、葛飾北斎の「五百らかん寺さヾゐ堂」という版画の構図をそっくり真似ていることが二つの作品を見比べることによって納得できました。北斎の作品を沢山収集したモネ。浮世絵が多く海外に流出した一因として、浮世絵の一部は日本の陶器を買い入れた時の包装紙に使われもしていたという話に仰天しました。
2010.02.10
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以前ほどではありませんが、家内が韓国ドラマを観ていることがあります。現在「冬のソナタ」は民放で再放送していますが、時々わたしも観ています。ところで韓国ドラマの俳優名・スタッフ名を見ていると、キムとかぺ・チェ・パク・リなどに限られています。ネットで調べたところ、韓国には249種の苗字しかないと書かれていました。 日本では明治維新以降、日本の平民も苗字を名乗ることが義務付けられ、庄屋さんや物知りに相談したようです。郡部に行けば、小字全体が同じ苗字という処が各所にあって、当主だった祖祖父さんの名前、例えば為之助(略してタメさん)、孫一っつあんなどで呼び交わしている事例がありますね。苗字で引き合いに出されるのが愛媛県南宇和郡内海村の例で、一部の字(アザ)では、根深、蕪名、茄子、大根、人参、稗、粟村などという野菜の名ばかりと言った処や、別漁村では、鯛、田井、平目、多古、鯖・鰹・鮪・海老などの苗字が残っているようです。 ちょっと頭の体操になる苗字として小鳥遊→鷹が居なくて小鳥が悠長に遊ぶことからタカナシと読ませたり、四月朔日→4月1日は綿入りの着物の綿を抜いたことからワタヌキと号したものもあって、苗字というものは実に興味深いジャンルになりますね。(注)苗字についてネットで検索しましたが、いろんなブログに使われている一節が、金田一春彦「ことばの歳時記」の苗字という小文でした。わたしはそれらといろんなサイトの文章を参考に本日の駄文を書きました。
2010.02.09
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先日、女性の心理を詠んだ句、互選して下さった方々はみんな女性。同性の作品と思っておられたようですが、このように楽天ブログ仲間のお日記に寄せて作ることが多いのが、その理由です。今朝も”いととんぼ9376”さん、”siinomi1566”さん、”もぐら4311”さん、”灰色ウサギ0646”さん、”ワオワオ2”さん、”夢子0506”さん、”土壇場サヨコ”さんに拙い句を添えました。 八眉も蝶ネクタイの雪だるま お手軽な竹の子弁当もて見舞ふ 名を亡くす名門校や春の雷 逆立ちて蜜吸ふメジロ返り花 円山の枝垂れ桜はカウンセラー 同志社の礼拝堂や春の雪 下萌や即興詩人の赤リボンお日記の内容や添付写真を参考に即興で詠ませていただきました。
2010.02.08
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リフォームして3年目になりますが、リフォーム前の4畳半の本棚にあった「櫛玉手箱」(文化出版局)という豪華本が見当たりません。以前に書いた日記を参考に述べますと、ページに満載された櫛は、金箔を施したもの、蒔絵のもの、象牙のもの、繊細なもの、重量感のあるもの等、京・江戸の匠の息吹が伝わって来そうなものばかり。黄楊(つげ)、柞(いす)、鼈甲、象牙、擬甲(水牛の角、馬爪、牛爪、卵甲)、金属(真鍮、アルミニウム、銀)、ガラス、水晶、セルロイドなどが材料になっています。 ユニークな櫛と言えば、源内櫛(田沼意次家で愛用された平賀源内発案のもの)、相撲櫛(鬼勝象之助は顔に白粉を塗り二枚櫛を挿したとか)、光輪櫛(尾形光琳の作風を真似たもの)、政子形櫛(頼朝の内室:政子所蔵を模写)、お園櫛、お六櫛などなど。この書物の最後を見て驚きました。写真家:清岡純子さんの手に依っているのですが、今は懐かしき”安達瞳子さん”の所有なさっているものが全体の25%ほど占めていました。そう言えば、安達さんは一見、もの静かで漆黒の長い髪をして居られましたね。 話が長くなりますが、古い段ボール箱の1つを開けたところ、幾つかの櫛や簪などが出てきました。きっと父が古物商から手に入れたものなんでしょう。女の魂ともいうべきものを、よく買い求めたものです。それはとりも直さず、それ程父の美への憧れが大きかったとも思えるのです。
2010.02.07
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野風呂先師がお元気な頃、一旦、俳句の世界に入っていた時分があります。印象的だったのは今は山本酒造に引き継がれていますが、有井さんが経営しておられた「明ごころ」の寒造り吟行句会でした。女人禁制の工場内を多くの先輩方と観て廻り、出来たての生酒を試飲。酒に弱い私は例によって真っ赤な顔をしていたろうと思われます。 杜氏眠る間も醪槽呼吸せり 杜氏快眠耳にやさしく醪の泡音 精米の白さ正しく杜氏の気性 冬ざれに曝さる櫂の白極む学生時代の拙句ですが、今よりも素朴に詠んでいたような・・・。 話はがらっと変りますが、本日放映していた「週末の探検家」では、岡山の”平翠軒を紹介していました。本業は森田酒造という蔵元の3代目ですが、酒に合う味わいのある名品を自分の足で揃えておられます。酒と食べ物、菊正宗のCPではありませんが、互いに凭れあい、相手を惹き出すものでしょうね。
2010.02.06
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昨年から続けて記入している句帳を見れば、平成22年度に入ってからの作句は凡そ80句。その内、俳句四季、現代俳句協会への出句10句はまだ公表できませんので、それらと来週からの句会用のものを差し引いたものの中から一部拾いますと、 元旦や「連射放」翁拝(オロガ)みぬ 魚偏の字を探りゐて松の明け 大いなる本堂の屋根初御空 秒速を昔に戻し三ケ日○慈愛てふ光に聡き福寿草◎乙訓の田畦ほこほこ初御空◎洛中は小地蔵あまた松の内○御降や江戸千代紙を展げをり◎松明けや部屋の猫への婿話○機関車のやうな鼻息初競馬 京に住み因幡薬師の初湯かな 千早振神の伏し水春隣早く陽気が戻って脳細胞が活発に動いてくれるのを待つしかありませぬ。本日は確定申告を済ませました。幾らか還付が受けられます。
2010.02.05
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わたしの所属する結社の主宰が昨秋「土の唄」という句集を出されました。「野の唄」に始って、川、山、木、雲、風、草に続く8集目になります。主宰は子供の頃に目にした自然いっぱいの原風景への憧憬が美意識の根底にあると仰ったことがありました。 何度かこの日記でも採り上げさせていただいている日本語倶楽部編「”字源”の謎にこだわる本」から、”土”を見ますと、<「土」という字は、下の横線が大地をしめし、その上に土砂が積み重なることをあらわした象形文字。>他方、土の上に植物がのびてくる姿という考え方もあるようです。<音の「ト」は「吐」から派生し、植物にせよ土砂にせよ、大地に吐出してくるというわけ。>いっぽう「社」という字は、神のネを組合せ、土地の神、産土(ウブスナ)をさします。 また「土」の意味は、人の居どころ、ふるさとに通じ、土着、土産、本土、風土、郷土という表現になります。「座」は、土の上に人が向かい合う形。「坊」は土+方(カタチ)で、綺麗に区画された町を言います。「其」(ハジメ)+土から物事の土台、おおもとを指し、鹿が走ってあげる土けむりから「塵」ができたようです。(注、本日の文は殆ど日本語倶楽部編「”字源”の謎にこだわる本」の原文に近いものです)
2010.02.04
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教えて下さいこの世に生きとし生けるものすべての命に限りがあるのならば海は死にますか山死にますか風はどうですか空もそうですか教えて下さい これは、さだ まさしさんの「防人の詩」の一節ですが、銀行OB合唱団で練習している曲です。松下 耕さんの編曲で、何度も転調して行きますので、印象に残る曲になりそうな。 で、一転して本日の題名は「下さい」繋がりの「笑って下さい」と致しました。江国滋著「微苦笑俳句コレクション」から、幾つか抜粋しました。 長閑ァと口裂くるほど猫あくび (白石茶子)作者は猫好きなタレント白石冬美さん。猫の名が面白い、”ぼろぼろ””うろうろ””めろめろ”。 白もくれん一糸まとわぬまま現れぬ (鎌倉佐弓)この句の前に”春の夢女人あらはれ難きかな(藤田湘子)が紹介されていて、二つの句をミックス(上5を取替え)してはならないとは著者の弁。 春炬燵ドラマの嫁と比べ見る (前田清治) 春昼やロケの侍カレー食ひ (早野広太郎) 老いても嬉しバレンタインが来るは来るは (尾村馬人)変った雅号ですね。昨日、今日、明日は編集。本日は本部に立ち寄りがてら、祇園舞妓はんの”お化け”など見て来ようかな~。
2010.02.03
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きのうの晩は東京でも仰山雪が降ったようどすなぁ。きょうから2月どすさかいに、寒さはまだまだ厳しおすのやろ。それでも4月のをどりに向けて、お稽古にも熱が入ります。あしたはお化けどす。うちは若衆姿でぎをん界隈をうろちょろすることになってるんどす。 ちょっと舞妓はんの気分になって書き始めましたが、無粋な2月の寒空に華を添えたいと思い、わがブログの名前の拠り所、”しぐれ茶屋おりく”を書かれた川口松太郎さんの文章を引き合いに致しましょう。 <「おどりの始まる頃になると、茶屋も芸妓も浮き浮きして、町中の色がすっくり変ってしまいます。どのお茶屋にも祇園だんごの紅提灯がかけられ、あたりが華やかに浮き立ち、建仁寺の管長はんまでが、寺の門にも提灯かけようかと、お笑いになった事があるのどす。おどり月の近づく祇園町は、ほんまに、夜の明けたようになって(以下略)」> 昔の四条通は祇園石段下から縄手まで、両側に古道具屋が多かったから、夜は鈍い軒燈が点いているだけの、寂しい町並だったようです。皇居が東京に移ったとき、京の都の人たちの心が沈んだのを慰めようと、京都博覧会などが催され、その折、祇園界隈の綺麗どころの舞も披露されるようになったのが、春の賑わいの起点になったようです。寒さに弱いわたしの気持ちも半分冬眠状態ですが、柳が青く色づいてくる頃には、この祇園界隈のように、華やかな言葉が活き活きと飛び出してくることでしょう。一部の出典(<~>)は「古都憂愁」川口松太郎(桃源社)
2010.02.02
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午前10時頃日記を更新しようとエンター・キーを押しましたが、何の変化もなく、PCが意識不明に。もう駄目かと諦めていましたが、先ほど何故か修復、再び日記を書き直します。 世の中には不合理なことが散見されます。一つの例として複写機のドラムは所有権移転しないという構図。リース会社に8年勤務している時、こういう矛盾を感じました。おそらく現在も複写機のドラムは永久に借り物の筈。 もう一つ疑問に思い納得が行かないことは、PCと繋ぐプリンタのインクの件。いろんな幹事を背負うことがあって、資料を多々作り、かなりの枚数を印刷したり、コピーする訳ですが、カラーなど使わず白黒を指定しているのにも拘らず、青、うす青、赤、ピンク、黄色インクの残量が減ってしまう現象です。資料作成費用として、カラーインク代まで請求する訳にも行かず、泣き寝入り。メーカーの誠意と工夫があれば、こういう不都合、不合理などは直ぐに解決しそうなものですが・・・。何とか早く白黒の決着をつけて欲しいものです。
2010.02.01
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