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反乱を興した大塩平八郎にも多大な影響を与えたという頼山陽は、朱子学で有名な頼春水の息子でしたが、若い頃には手の着けられないほどの放蕩者だったようです。永井路子さんは古文書から歴史を紐解き、私たちに解り易い物語風に書き換えて、歴史上の人物像を浮き彫りにして下さっています。永井さんの「歴史をさわがせた夫婦たち」(文芸春秋)「日本夫婦喧嘩考」(中央公論社)はどちらも読み易い手頃な文庫本です。堅物学者の父と医者の娘でインテリの母との間に生まれた山陽は当初は期待通りの秀才でしたが、江戸に寄宿して学び出した頃からエリートコースを踏み外し、放蕩三昧の生活を続けたので、両親は彼が20歳のとき、5つ下の淳子を嫁に貰い落ち着かせようとしましたが、新生活に嫌気して出奔、離婚という結果になりました。しかし京都の知人宅で捕まり座敷牢に閉じ込められる境遇の中、一念発起「日本外史」に着手したのでした。やがて2度目の結婚でりえという平凡な女性を得、子供も授かり、漸く落ち着きを取り戻し、「ラクダ夫婦」と称されるように変りました。駱駝には瘤が二つあるように、仲良く寄り添って様を言われたようです。彼が亡くなる2日前に人に送ったりさの手紙がいじらしいです。「・・・医者は見込みがないと申しますが、私はまだ望みを持ち、なおるのを楽しみに介抱しています。長くかかっても、どうぞ本復しますようにと祈りつつ」。頼山陽
2010.03.31
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昭和12年3月亡父すばるの日記を見ると、初旬は卒業試験の模様を記し、8日には野風呂翁から12日の「お水取り」へのお誘いを喜んで受諾、9日にはを古書店巡り、新村出氏の「南蛮更紗」や小唄・端唄集を購入、午後から水野男爵邸を伺い、瓢亭の料理と歓談で時を忘れるほど。俳人の短冊17枚と信綱の歌短冊1枚や東京土産も貰っています。翌日は神麓居へ翁を訪い、播水句集を頂戴したり、お離れ2階の雛を拝観、 それぞれにわらんべ顔や仕丁雛 すばる(来信)蕗葉子、(往信)野風呂、白川、余瓶、大夢、素径、蕗葉子ほか翌11日素径氏からホトトギスにすばる句が3句入選との速報を受け、待望のレコードが到着、家族と豆雛37体を飾りつつ幸せとつぶやいたそうな。3月17日、背広姿で初の神麓居訪問、19日を五人会の催しに決め、18日にはホトトギス誌着で自句3句を確認、現金なもので入選句の多い月は丹念に読むと自嘲しています。19日は水野男爵の車で「山端平八」にゆき、野風呂翁を囲んでの催しもの無事終了。 笹鳴の来てゐし山に夕霞 春燈の真下に瀬音ある如しの2句を控えています。20日は白川氏(水野男爵)と伊豆旅行の段取りを相談、 はこべらの萌えし汀の春の雨 蘂の黄の鮮やかなりし落椿 連翹や春には強き雨ながらの3句を控えています。旅行などの続きは後日にでも・・・。
2010.03.30
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宝積寺(ホウシャクジ・通称:宝寺)の閻魔さんをガイドする時、地蔵菩薩の化身が閻魔さんなのだから、本当はこんなに優しい御顔をしておられると、京都博物館所蔵の写真コピーをお見せしていますが、本日は京の六体地蔵について奈良本辰也著「京都故事物語 上」を参考に綴りました。 清盛が分けたとも言われる6つの地蔵尊は、木幡、上鳥羽、四ノ宮、深泥池、常盤、下桂の6カ所が現在の定説のようです。木幡大善寺の地蔵は京阪電車の駅名「六地蔵」にもなっています。また上鳥羽とは袈裟御前・遠藤武者盛遠の哀話で知られる恋塚寺(浄禅寺)のもの。四ノ宮と言えば百人一首は坊主めくりの花形、蝉丸法師に因む十善寺、そして深泥池地蔵は小野篁ゆかりの鞍馬口の上善寺、5つ目は、もと蓮台野にあったとされる常盤源光寺の地蔵、お終いは子供の寝小便を治して下さる下桂薬師堂境内にある梯子地蔵。京・六地蔵めぐりこれで6つ並べました。大山崎町にもガイドに役立ちそうなお地蔵様が2つ3つありますよ。このブログのブックマーク欄にリンクしてある「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページにはいろんなジャンルがあります。その1つにふるさと今昔物語沢山載せてあるでしょう?
2010.03.29
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父が遺した蒐集品の中には、女性の怨念が入って居そうなものもあります。大学ノートの切れ端に鉛筆書きしたものに拠れば、昭和40年8月29日には、すじたて大小各50円で、みみかさ2本足2組300円、こうがい3本480円その他2個120円計950円。翌年10月中旬は櫛(漆、蒔絵、鼈甲など)6本で〆て1110円の買い物。更に翌年の4月と5月には櫛、こうがいなど8品を2410円で購入、一応ケリが付いたのは、43年2月24日で、この日は櫛、こうがいなど総計1710円買い集めていました。 昔清水寺から少し南へ下った薄暗い場所に毛髪を祀っていた墓が1つありました。この時も何かしら怖いものを感じました。髪やそれを飾る櫛やこうがい、かんざしにはそれを呉れた男(ヒト)への女性の想いが化体しているようで、私は苦手ではあります。父が集めたものに似たような逸品が此処に載っています。金沢ひがし廓「志摩」本日は嵐山・嵯峨野辺りの吟行句会です。地域柄皆さんの佳句・秀句が楽しみです。
2010.03.28
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本日(土曜)は8時過ぎ、徒歩にて自宅を出発、阪急電車を1駅乗り、大山崎町の歴史資料館にて集合。山崎の渡し~三川合流地点~小泉川~光秀本陣跡~サントリ麦酒工場というコースをガイドしました。担当は4班16名様。全参加者は300人を越えたようです。淀川の堤防には菜の花が咲き初め、ウグイスや雲雀の鳴き声を耳し、谷崎潤一郎の「蘆刈」の名文や、蕪村の菜の花や月は東に日は西にの句を披露したり・・・。公園で100名ほどが一斉に昼食を摂り、再び出発。 天皇陛下・皇后陛下の御車が171号線を通過される時間と重なり、かなり長い時間、171号線を渡れませんでした。それで焦った所為か、工場に着いたのがかなり早く、90名ものお客様を40分ほどお待たせする事態となりましたので、広い待合室のお客様に大山崎山荘や加賀正太郎についてお話したり、淀川の河川工事の写真や、乙訓で見かける野鳥などの写真をお見せしました。さしたるトラブルもなく無事、1時半試飲グループの皆様を見学開始まで見守りました。
2010.03.27
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K・UグリークラブのOB合唱団の曲目が難しくってついていけないから、そちらを数年前に退め、去年から都銀時代の仲間が居られる混声合唱団のOB・OG合唱団で月2回ほど練習に参加しています。こちらの仲間の方々は合唱浸り、クラシック浸りっと言えるほど、合唱を楽しまれ、演奏会にも多々足を運んで居られます。編集というお役目が無かったら、もう少し本格的に合唱に力点を置いてもよろしいのですが、俳句の比重が重くなりましたので、ボランティア・ガイドと合唱の2つはそれほど活躍できない立場にあります。致し方の無いことと内心申し訳なく思っています。参考までに学生時代を綴った日記と岡山での演奏会に関する日記の2つ添えておきます。夏季合宿の思い出 合唱とて、芸事のようなもの
2010.03.26
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えらい時代に入ったもんです。何と芸舞妓はんの名刺である雅やかな千社札に代って、芸舞妓はんの動画や着ボイスがダウンロードできる「モバイル千社札」への試みがなされ、この程、祇園東の舞妓:美晴はんがその第1号に。千社札は寺社への参拝記念に貼り付ける名札で、古刹の山門や堂で古びたものや、真新しいものを見かけます。その千社札と同じ恰好の、色彩豊かな、貰って嬉しい芸舞妓はんのものは、何枚か大切に保存しています。数年前図書館で見かけて欲しくなり、到頭、寺町の”三月書房”さんで購入した「京都 スーベニイル手帖(冬・春編)」沼田元気著(白夜書房)には花名刺の作者である松村幸子さんの工房の紹介コーナーがあり、祇園や上七軒の芸舞妓さんたちの本物の札や柳に紅提灯、柳と水輪、藻と金魚、ブルーの矢絣、ピンク地に御鏡、紅葉など、カラフルな千社札が付録として60枚分綴じ込んであります。これをカラー・コピーしたものに自分の名、例えば「しぐれ茶屋おりく」など巧く再印字すれば面白い名刺ができる勘定になります。 話は元に戻って、「モバイバル千社札」は名刺大のカードで、表に名前、裏にQRコードが付いているので、携帯電話で読み込むと専用サイトにアクセスできます。最初にアクセス機器のみ有効。舞妓はんの動画や普段着姿の動画も入れてあるとか。このデジタル名刺は観光資源のプロデュースを手がけるライクマインディッド(大津市)とトリワークス(東京都)の共同開発によります。私はあの雅やかな花名刺の方が好きですが、世の中、こうして時代と共に変り行くのでしょうね。(参考資料)10’03’24付け京都新聞夕刊1面の堀田真由美さんの記事。(付録)松村幸子・花名刺ライクマインディッド
2010.03.25
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一昨日の22日、家内とお彼岸の墓参りに出かけました。先ずは大丸に立ち寄り、珈琲豆を購入したあと、長女から貰った催し展、幾種類もの金魚を使ったモダン・アート展を観ました。暗い空間の中に押し込められた金魚たちには、甚だキンギョメイワクなことだろうと同情することしきりでした。最上階の食堂コーナーは何処も満員状態でしたが、わたし達の選んだ和食店では少しの待ち時間で済んだのは幸い。 父の祥月命日の御参りから20日ほどしか経っていない当月2度目の墓詣でしたが、ご本家や叔母、それに姉たちは既に御参りを済ませていました。お彼岸と言えば、おはぎ。桂に住んでいた頃、祖母がお手製のおはぎ沢山を持ってきて呉れた記憶があります。父の独身時代の日記や戦前の日記を見ても、祖母に毎年振舞って貰っていた様子が書かれています。 草餅や明治包(クル)みし祖母ありきこれは昔詠んだ拙句。過去、何度か引越しをする都度、方徐は城南宮さんにて拝んでいますが、国道1号線を挟んで真正面にある”おせき餅”。創業450年というかられっきとした老舗。向日市在住の時から自転車にて、ちょくちょく買いました。おせき餅
2010.03.24
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最近、お蔭様で毎日200件を越えるアクセス数が続いています。昨年の春、平均アクセス数が70台だったのに、77、90と増加、現在は100を越えています。ブログ更新に要する時間を極力、30~50分内に留め、ブログを生活の副次的なものに置いている私にとって、アクセス数は漸次的に伸び、コメント数が1日当り5件までが理想的な形だと言えます。コメント下さった方にはできるだけ早くお返しのコメントを入れるように、しかもコメント下さった画面のままお返しするのではなく、無地またはお言葉の一部を残した場所に書き込むようにしています。ちょっとした心遣いが春風のように相手さんに届けば幸いです。
2010.03.23
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永い間、造成地のまま放置されていた隣家は、今年の1月中旬から2度目の造成が始まり、西側の道路に面してどんどん掘り下げ、車2台が入りそうな何とも立派なガレージが出来そうな雰囲気です。その東奥の地面は一段と高くなって居り、木枠の中をコンクリートが流し込まれ、固められ、建物の基礎が組まれました。麗かな春の陽射しの許、快い槌音を耳にしている内、たった1日で台所の窓から空を隠すほどに柱が建てられ、週半ばには棟上が終ってしまう勢いで工事が進んでいます。かなり上等なお宅が建ちそうなので、わが家が貧相に見えはしまいかと・・・。 時々、私の拙い曲を添付します。本日のものはミサの一番目に歌う曲です。kyrie
2010.03.22
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先週の金曜日は11時過ぎの阪急で先ずは丸太町堀川東入にある出版社へ最終稿を持参、打合わせ後、丸太町沿いを烏丸通(御所近く)へと向かう場所にある”宮木むなし”という飯屋の看板に釣られ、590円の焼鯖定食を戴きました。予算700円もあれば昼食として充分なこの店は大阪北区堂山町にもあるようで、味噌汁、胡瓜漬物、大根おろし、小さめの冷奴、鶏の胸肉小鉢、そして焼鯖1匹、御代わり自由で590円とは安いです。現役の頃、船場中央ビル地下街やその近辺の昼食屋で700~800円のものを食していた頃よりは随分物価が安くなっていることを実感しました。そして昨日、八幡市・向日市・長岡京市・大山崎町合同企画のウォーキングでは、国道171号線の小畑橋というポイントが私の担当。八幡方面からお越しの人々へ、コースの案内を致しました。一言、ふた言かけて小畑橋を渡って戴いた人数は100人ほど。4つのコースがあって、昨日の参加者総数は1100人だったようです。12時前にそのポイントから去り、急遽、大阪は堺筋本町にある”大阪産業創造館”にて合唱の練習へと向いました。近くの「現地直送」という広告に釣られ、某飯屋にて「新鮮丼」880円を注文しました。今度は看板に偽りあり。なるほど、海魚の切り身は沢山乗っていましたが、新鮮味に欠けていました。当日、練習場で先輩からお聴きした話に拠れば、京都からの練習参加者は、この創造館の16階のレストランで食事されるとか。通常は家で食事してから練習に出かけますが、堺筋本町で食事する場合には、皆さんとご一緒しようと思ったのでした。
2010.03.21
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月も朧に白魚の篝も霞む春の夜に冷てぇ風にほろ酔いの・・・で始まるお嬢吉三の名台詞に登場する白魚は、その名の通り白く透き通るような白い魚で、 あけのぼや白魚白きこと一寸と、はせを(芭蕉)翁の句も残っています。細く優雅な姿をなぞらえ女性の指を褒めることも。かがり火を焚きながらゆく舟の風情、産卵のために河口を上る上り白魚と3月の下り白魚とがあるようです。九州は福岡で踊り喰いする白い魚は白魚と書きながらシロウオと呼ぶようです。 話題が春寒の2月へと遡りましたが、本日の朝刊に拠れば、<京都地方気象台は19日、サクラ(ソメイヨシノ)の開花を宣言>しました。昨年と同じ日で、8年前の<18日に次いで過去2番目に早く、平年より12日も早い>ようで、<府立植物園は月末の満開を見込んでいる>とか。啓蟄、開花、いよいよ忙しくなって来ますね。参考図書:金田一春彦「ことばの歳時記」及び20日付京都新聞第1面。
2010.03.20
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昨日、新古今集注解の勉強会のあと、直ぐ烏丸の喫茶店にて2稿の読み合せ。3時間ぶっ続けで166頁見直し完了しました。夜分はぐったりでした。本日はゴミ出し朝食を済ませ、下の数句を急遽詠みました。 耕人も土も一息入れてをり 耕せる際より造成始まりぬ 春耕の田一つ隣る発掘地 春耕の土ほくほくと笑つてる 亀鳴くやその岩父の組みしものこれから3稿持ち出し、その足で句会へ参じます。
2010.03.19
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昨日はガイドの会の班会議を中座して自転車で長岡天神駅まで戻り、京都行のホームに立った時、乗車位置の表示が一変している事に気付きました。要は、白色2個で表示されていた特急電車の乗車位置表示が悉(コトゴト)く消し去られていたのです。京都線での6300系電車(ツードア型)の使用を止めるというニュースに鉄道ファンが京都線の各駅のホームに待機してカメラに収める光景が多々見られていましたが、それが終ったようです。少しリニューアルしてから嵐山線で活躍するようです。そう言えば、阪急電車が新京阪と呼ばれていた時代、私はまだ子供で千里山の親戚の家にちょくちょく行ってましたが、流線型の恰好いい列車が好きでした。それが千里山線での使用から嵐山線に移った事をふと思い出しました。1910年に箕面有馬電気軌道として宝塚本線梅田-宝塚間、箕面線石橋-箕面間で運輸営業を開始して以来、阪急電鉄は2010年3月10日をもって開業100周年を迎えたようです。小学2年の1学期まで桂に在住、佐賀市で2年過したあと大阪に戻り、吹田市や向日市、長岡京市に住んでいますので、阪急電車は殆ど自分の足のようなものです。このほど摂津市駅も開通したとか。そう言えば、四半世紀前、摂津市昭和園に畑を持っておられた銀行取引先の芋掘りに子供2人連れで南茨木駅から歩いて行きましたが、子供たちにとっては大変長い距離を歩かされた恰好で、前々から南茨木駅と正雀駅との間に駅が欲しいなと思っていましたので大歓迎です。こちら長岡天神駅と大山崎駅との距離もそこそこあり、これも数年先には新駅ができるようです。
2010.03.18
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角川mini文庫の「まちがい言葉」から少し拝借。文章は変えています。夏目漱石の草枕の有名な書き出し<智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。>実に流麗な名文ですね。 さて、「情に掉させば」を流れに逆らってと捉え、情に流されないように抵抗しても結局は流されてしまうと解釈しがちですが、そうではなくて、「棹さす」は時流にうまく乗るというのが本当の意味であって、逆らうということではありません。 もう1つ。「夫唱婦随」。夫がリードして妻がそれに従うとなっていますが、両親にせよ、まわりのカップルを見ても、日本では必ずしもそうではなくて、「婦唱夫随」と表した方が的を得て居そうです。だからと言って、文章の表記として「婦唱夫随」が正しいという世の中になるには、もう半世紀ほどかかりそうですね。
2010.03.17
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本日は夕方から再び寒さが戻ると報じていますが、日に日に暖かい、明るい春の陽気へと移ろいつつあることを実感しています。それを証するかのように、今年は父が残した椿の開花が例年よりも一斉に、集中化しているように思います。当方は孟宗竹の丘陵地を造成した住宅地で、南へ向かって坂になっています。2m下にある南面の隣家との境界及び西に面する道路側へとL字型に垣根が巡らせてあるのですが、垣根の殆どがいろんな種類の椿で占められて居、それらが順次咲き初めています。秀吉の妻ねねと利家の妻まつが垣根越しに喋っていたように、東側の隣家とは土地の高さが同じで、両家を遮るものと言えば、背の低い柵だけで、毎日庭の畑の野菜づくりに励んだおられる隣家の奥様が、時々、柵の扉を開けて新鮮な野菜を届けて下さったりしています。垣根のみならず私の寝室兼書斎や洋間に面する庭の80%ほどが椿の木ですから明石潟、春曙紅、羽衣、曙、熊谷、日光、月光、燭紅錦、岩根絞、天ケ下、太陽、光源氏、御所車、黒椿、賀茂本阿弥、初嵐、袖隠し、白侘助、胡蝶侘助、糊こぼし、千代田錦、肥後椿、蝦夷錦、五色椿・・・と飽きることのない花々に接することができます。親友だった一杜さんからのプレゼントはこの庭のネーミングに相応しい「椿庵」と彫られた重厚な鎌倉彫。リフォーム後はいっとき玄関横の壁に吊るしていましたが、降雨による色落ちを案じ、現在は洋間に飾っています。父の時代と現在では椿の名称も変っているようです。これから5月上旬まで、色とりどりの椿に包まれるのです。
2010.03.16
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京都府庁旧本館で佐野藤右衛門さんが見つけられた桜は、ヤマザクラとオオシマザクラ双方の特徴を持つ品種だから「容保桜」と藤右衛門が命名され、12日に、その案内板の除幕式が行われた模様を先週の土曜、新聞は報じていました。山桜にしては花びらが大振りで大島桜の表皮をもつのだそうで、京都守護職の上屋敷が府庁のある場所に因み、明治期に逆賊のレッテルを貼られた容保の名誉回復の一助になったようです。 ところで植えて間もない幼い桜からは感じないけれど、10年以上経った桜樹には、花の精が棲んでいるように思ってしまいます。舞台で打ち揃った艶やかな着物姿、うら若き女性を桜に譬えるのは、その華麗さにあるのでしょう。随分昔の家庭画報4月号に、東京で会える100種類を越える桜の園と題して、幾種もの桜を紹介しています。 <派手好きの為の大輪桜> 関山・・・桜漬はこれが主。白妙・・・白では最高に大きい。 太白・・・英国で発見された。 大提灯・・・ぶら下がる。 駒繋・・・京都、青蓮院にある。 御車返し・・・一重?八重? <淡さの究極、純白の桜> 天城吉野・・・大輪一重。 雨宿・・・若葉の下で八重。 白滝枝垂・・・盛岡本誓寺。 白雪・・・荒川堤。 飴玉桜・・・蕾が飴玉みたい。 緑桜・・・富士山麓。 <鮮やかな紅桜> 寒緋桜・・・中国南部・台湾。 麒麟・・・大輪八重。 八重紅虎の尾・・・京都で栽培。 山本提灯・・・俯くほど沢山。 陽光・・・天城と寒緋との高配。琉球寒緋桜・・・日本で一番先に咲く。 <美しくなお匂いのある桜> 荒川匂・・・三好博士発見。 平塚白匂・・・一重。 御所匂・・・八重匂とも。 駿河台匂・・・開花が遅い。 万里香・・・三好博士発見。 八重匂・・・淡紅色。 <個性派の変わり桜> 天の川・・・花が上を向いて咲く。鬱金・・・黄桜。 御衣黄・・・黄緑色の八重。盛りを過ぎると紅色の線。 帆立・・・直立する旗弁を帆に見立てた。香りあり。 兼六園黄桜・・・花弁の数が最も多く、250~380枚もある。 十月桜・・・4月と10月の二度咲き。ほんに日本はこれから花ざかり花ざかりの良い季節を迎えます。
2010.03.15
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パソコンの調子が悪く、またプリンタとの接続も気まぐれ状態ですから、編集作業に支障を来たしています。朝早くから出かける日は、前もって入力した日記を表示するだけです。 ちょっと手抜きの日記で申し訳ありませんが、秋田実編「ユーモア辞典」から3つ拝借。 「防壁」A夫人「お宅の旦那様は、いつ読書なさるの?」B夫人「宅のと来たらね、私が何か言おうと思った時には、きっと読書していますわ」 「閉口亭主」A「俺の女房は、しゃべる、しゃべる、のべつしゃべる、とてもおしゃべりだ」B「そんな筈はない。君の細君は多分聞き役の方だよ。さもなけりゃ~ 僕の妻とそうそう仲が良い訳がないじゃないか」 「アイディア!」細君「この錠前は、一度締めたら時間が来るまで、絶対に開かないんですって」夫「素敵だね。君の口にそれを附けられたら、もっと素敵なんだがね」本日は又とない好天に恵まれました。これからガイドに出かけます。堺からの30数名様ご案内。大いに笑っていただこうかな?
2010.03.14
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終日、家庭に浸透するテレビ番組の影響は軽視できないと思っています。中には後々まで印象に残る良い番組もありますが、殆どは社会への影響を無視した”その場限り”の無責任な構成ものが多々見受けられます。視聴率の高いジャンルに民放各局が偏って放映します。現在いつまでも続いているのが”クイズ番組”。素人が参加したクイズものには懐かしい”アップダウンクイズ”や現在もある”パネルクイズ”が総本家といったところでしょうか。最近は芸能人を参加させ競わせています。お茶の間を笑わせるギャグさえ言えない漫才師が、エリートぶっているのは本業から逸脱しているようで感心致しません。 嵐山の天竜寺の垣に最近据えてある”愛らしい地蔵”。そういうものに若い人たちがカメラに納めているのを見ると奥深いものへの感心がシャットアウトされ、安易なものがもて囃される傾向にあるように思ってしまいます。古来から培われてきた日本の”深い文化”芸術的なものが失われていきそうな予感がして参ります。お笑いに対する評価も若い人中心になると、どうも点数が甘いように感じられます。ギャグや動作だけの一発屋的な漫才が蔓延ってしまっては”笑いの文化”が近い将来には廃れてしまいそうな予感が致します。掛け合いの話術・間、表情の面白さなど、日常的な対象からも面白い漫才が可能であると思われます。そういうものが息の永い”笑い”だと思えるのです。観光地の土産物店で売っている”観光地こけし”の筆使いと、東北地方、本場の”こけし”の筆の流れとの違いに気づいて欲しいものです。
2010.03.13
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昨日11日、早めに家を出て阪急の快速急行に乗りました。一昨日来、少し眩暈がする状態でしたので、5、6人掛け座席の、遠慮の塊になっていた一人分足らずの隙に座らせて貰いました。漸く気分が落ち着いてきた時、隣に座っておられた老婦が、この電車は普通電車に変ったのですかと問われました。そう言えば、この時間帯はいつも桂駅のホームで長い時間をかけて、後ろの2車両を切り離し作業があり、その作業を報じるアナウンスが聞き取りにくかったようで、先を急いでおられる様子。普通電車では無いのですが、まだ通勤時間帯ですのでほぼ各駅に停車することになりますと答えました。急いでおられる理由をお聞きすると、南座での藤十郎、翫雀、壱太郎の「曽根崎心中」を観にいかれるところでした。そこから話はとんとん拍子に盛り上がり、2代目鴈治郎と扇雀(現藤十郎)親子の曽根崎心中を大阪の旧歌舞伎座の一幕席で何度も観た話をすれば、今年80歳のその方は当時、千日前で商売をしておられたようで、彼女も同じ出し物を一幕席(大概は立見席)で観ておられたことや、昔の役者さんの名、幕間という歌舞伎月刊誌や各興行の座席半券を残しておられる話など、僅か10分ほどの短い時間ながら旧知のごとく話し合いました。 話題が変りますが、通常人に話すとき、仏さんより神社の方がご利益が大きい、覿面などと従来言ってきましたが、今朝、念入りにわが家の仏前にて健康についてお願いしましたところ、早速変化があったようで、家の中では転ぶ状態のメヌエル氏症候群は、一歩家を出たときからほぼ正常に戻り、自転車にも乗れ、バスにも乗れ、校正の仕事、読み合せの仕事も無事終えることができました。仏様のご利益も大したものだと新たに感謝している次第です。
2010.03.12
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いつぞや書かせていただいた多湖輝先生の「頭の体操」から数問拝借します。(問1)ろうそくが10本燃えていた。そこへ風が吹いて、2本は消えてしまった。またあとで見に行くと、さらに1本消えていた。そこで風の当らぬように窓を閉めた。それからは残りの1本も消えなかったとして、最後まで残ったろうそくは何本でしょうか?5分以内で答えてね。(問2)24人の人間を6列に並べて、各列とも、5人ずつになるようにするには、どう並べれば良いのでしょうか?この問題は真剣に考えて下さい。ならあれこれ・・・でも20分以内に答を出して下さい。 本日も午前は投句句集の校正作業、引き続き同じ月刊俳誌本文の読み合せ(校正)に専念します。昨夜、家内から言われるまで11日の今日が誕生日だと気付いていませんでした。娘がケーキを買って来てくれるそうな。もう一点。昨日の晩から眩暈(メマイ)がします。20年前に罹ったメヌエル氏症かも知れません。先月、娘が強度の突発性難聴症になり、半月以上仕事を休んでいました。お互い、ストレスは溜めないよう工夫しないといけませんね。解答は(1)3本が燃え尽きたのですから、7本残っていることになります。点灯しているものはと尋ねていませんね。(2)片手5本の指をもう一方の手の指で往復数えると9本になってしまいます。その逆になるように、ダブって勘定するよう工夫すると、5角形に並べれば、問題の要件を充たします。 久しぶりの晴天です。皆さんにおかれましても素敵な1日でありますよう。(追記)謹んでお詫び申し上げます。第2問解答のミス正しくは6角形でした。済みませんでした。 1問目も解答のミス 正解は3本でした。3本が燃え尽きなかった訳ですね スミマセン。
2010.03.11
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近畿地区の桜開花にはまだまだ日数を要しますが、梅に次ぐ桃の話題を。晋の陶淵明が残した「桃花源記」という空想の物語から出た”桃源郷”を少し掘り下げますと、湖南省の武陵に住む人が魚を捕らえるのに夢中になり過ぎ谷川を遡り、折から川の両岸に咲く桃の木の根源まで行こうとしました。川の水源辺りで桃の木は尽き、彼は舟を捨てて更に山肌の割れ目からトンネルを抜け、別天地に着きました。男女の服装は彼のとは大いに異なるので事情を聞くと、秦の暴政から逃れ来て以来、外部との接触を途絶えているという様子。秦は滅び、漢時代を経、前王朝の魏から今は晋の世である旨を話すと桃源郷の人々は驚愕しました。彼は何軒もの家でご馳走になり、数日滞留したのち、何カ所か印をつけながら、再び舟で戻りました。彼の話を聞いた知事が家来に尋ねさせたが、2度とその桃源郷には辿り着けなかったという話ですが、途方も無く広いあの中国なら、いかにもありそうな話ではありませんか。(参考図書:渡辺紳一郎著「東洋語源物語」)
2010.03.10
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<ちょっと気になって4年前の日記を開いてみて驚きました。2006年の3月9日は午後から大山崎歴史資料館に於いてガイドの会員としての当番。NHKの「茶室を見る」という催しの方々が一目散に実物大の模型”待庵”に駆けつけられたと書いています。「待庵」(模型)と資料館 今週はわが1班の当番週に當り、本日は神戸地区から100名のお客様が来られます。100名さんを4つのグループに分けさせて貰い4回に亘って私は資料館に於いて展示物のガイドをさせて戴きます。午後は本来の当番ですので、終日、大山崎歴史資料館に居ることになります。> 連日多忙になりそうな勢いでしたので、<>2カ所は、実は昨日の昼過ぎに書いたものです。しかし、夕方、班の幹事さんから連絡があって、本日雨の予報から、100名様のガイドが急遽キャンセルになりました。ですから、本来なら本日の日記の表題も改めるべきところですが、このままにしておきます。この部分が今朝書き入れた本日の文です。<水・木曜日は俳句誌の校正作業、金曜は句会、土曜は俳句誌の第2稿を提出、14日の日曜はもう1人のガイドさんと30~40名、泉大津からのお客さんをガイド致します。第3週はほぼ毎日予定が埋まっています。20日の土曜日は午前ガイドがらみ、午後は合唱にて気分転換です。>
2010.03.09
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父すばるの日記に拠れば、昭和10年の3月は戻り寒だった様子がわかります。さて24日の日記では、<”先生がお越しになった”との声に飛び起きて店に出ると、野風呂先生、俊子さん、勝さんの三方が見えてゐる。座敷へ紹じて短冊帖をお目にかけたり、句信をお見せしたりする。昼食をおすすめしてから皆さんに短冊を書いて戴く。先生の句は 卒業の娘をつれてとふ雛の宿 けふの即興である。人形棚の雛十対は光栄である。> 俊子さんは今もお元気に暮らして居られます。その夜父は神麓居にて春秋会という句会に出席、10句出したうち、 晴朗の旗田の嵯峨に青き踏む ユ 温泉ぼてりのいつまでもあり青き踏む 雛の間や物語本五六冊 薬玉の尾にうち触れて雛灯すこの4句が野風呂選に入ると記しています。帰宅は12時前、就寝1時。来信)余瓶・大夢・素径3氏の箱根吟旅の第2信。往信)椎花翁、如是の2氏。なお、勝さんの短冊は私が一度抜き出したものの、元の場所に仕舞わなかったので、今、披露できませんが、野風呂翁と俊子さんの短冊は此処にあります。俊子さんの句は 雛壇のうすき光の前に立つ で丹(鳥居などの色)の短冊に認めてあります。
2010.03.08
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家内と散歩していると春先のいろんな花に巡り会います。もう立派なお屋敷の塀越しに見る残り少ない蝋梅。それに似た色をした山茱萸、畑を彩る菜の花も黄色。突然目前に展く寒緋桜の豪華さ。再び畑の畝を歩けば目に優しい犬ふぐりの青や紫いろの仏の座。 長岡天満宮の梅林には施設から来られたお年寄りご一行様が車椅子から目を細めていらっしゃる。この梅林には数種類の梅が植えられていますが、やはり、紅、白の枝垂れ梅が正月の餅花に似て美しく思えました。わが家の庭では水仙、椿、そして本日から沈丁花が咲き初めました。日に日に日照時間が増えて行くことは何よりも嬉しいことです。今年も無事、寒い季節を越えました。
2010.03.07
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軽いタッチの俳句随筆集でファンを魅了された江国滋さん編集の「微苦笑俳句コレクション」(実業之日本社)の中から少し抜き出してみます。作者は応募者、文章はわたしの拙文です。 日脚のぶ励むにあらず怠けもせず 清水甚吉 世の中には全力疾走さながらに励んでいる人も少しは居られるけれど、大半は一応頑張っている積り組で占められることでしょう。 オムレツとタンポポの黄や日曜日 長谷川 瞳 旅先でホテル形式の旅館に泊ったとき、朝食に和食か洋食を選ばせる場合があります。赤出汁の味噌汁や焼魚・海苔を脳裡に描きながらも、タンポポの黄色を思わせるオムレツやスクランブルエッグに傾き加減。 噫(アア)と開けし埴輪の口に春の風 小川匠太郎 高校生の頃、印鑑や埴輪などの本を小遣いで買った記憶があります。その流れでボランティア・ガイドをしているのでしょうか?楕円形に繰り抜かれた埴輪の口。とても印象的ですが、そこへ春の風を配した句。 桜餅夫(ツマ)も買ひ来て余りけり 本多サヨ子 湿っぽい朽木色した桜の葉に包まれた薄ピンク色の桜餅に一旦目が注がれると、その誘惑に負けてしまいます。色と葉の匂いと柔らかさの奏でる和菓子の世界につい惹き込まれて・・・。嵐山の桜餅が特に好き。 卒業歌あの先生が泣いてはる 江隅順子 末尾の”はる”は関西弁特に京都弁で”なさっている”の敬語。私は新設校に入学しましたので花の1期生。3期まで150人づつでしたから卒業前は生徒数450人。2年目に仮校舎から立派な校舎に移りましたが、運動場などは先生と生徒が均しました。それまでの高校卒業式では泣いたことが無いと仰っていた担任が、私ら1期生の式では涙ぐんで居られたのが印象的。
2010.03.06
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学生時代は漱石作品の一部を愛読していました。大学受験当日は、「我輩は猫である」を携帯して行き、心を落ち着かせるにようにしました。表紙の中央部分に金色の猫形を彫り、特殊な材で拵えた単行本でしたが、世を超越したような人物たちの会話の妙味が受験への緊張を解してくれたことは事実です。漱石作品には先の3部作(三四郎、それから、門)や後の3部作(彼岸過迄、こころ、行人)など数知れないほどありますが、わけても好きなのは「夢十夜」。その第一夜は、瓜実顔の黒髪の女性がもう死にます、死んだら埋めて下さい、大きな真珠貝で穴掘って。また逢いにきますから、わたしのお墓の傍に座って百年待って居て下さい、きっと逢いに来ますから。それを約束すると、それまで黒い瞳に映っていた自分の姿が消え、女の瞳が閉じられた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。---もう死んで居た。庭へ下りて大きな滑らかな縁の鋭い真珠貝で穴を掘った。月光が貝を光らせた。地上に落ちた星の破片(カケ)で女の盛土の上に立てた。それから延々、百年間女性を待ち続けた。女に騙されたのかも知れないと思った頃、墓土から青い茎が伸び、蕾をつけ、百合の花びらも開いた。首を前に出して冷たい露の滴る白い花びらに接吻して空を見上げたら、明けの星がたった一つ輝いていた。文章は要約して綴りましたが、内容は上のようなロマンに満ちたものでした。この夢十夜には、悟りが開けず苦悶する武士の話、背負った子供が昔殺めた盲人だった話、手拭が蛇になると念じる爺さんの話、生け捕りにされた話、仁王彫りの名人運慶を真似る話、果てしなく西へ進む大船から海を飛び込む話、床屋の話、とうの昔に殺されている父を待つ子とその母親の話、そして十夜目は、崖っ淵で無尽蔵の豚をステッキで叩き落とす庄太郎の話。が載っています。漱石のこの本は文鳥・永日小品・夢十夜の3つから成って居て、春陽堂の大正13年ものの85版で値63銭とあります。
2010.03.05
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戦前に刊行された古い年表ですが、黒板勝美編「国史研究年表」(岩波書店1.80銭)によれば、延暦3(784)年5月16日、遷都のため、藤原小黒麻呂同種継をして山背乙訓郡長岡村の地を相せしむ。6月10日、都城を長岡に経営す。11月11日、長岡宮に遷幸し給ふ。翌4年9月24日、造営使藤原種継暗殺せらる。28日、皇太子早良親王を廃し後淡路に遷し給ふ途に薨ぜらる。10月25日、安殿親王(平城天皇)を皇太子に立て給ふ。延暦6年10月8日長岡遷都の詔を下し給ふ。翌年、長岡遷都。この歳、最澄延暦寺を創む。右大臣是公没。皇太后崩御。皇后崩御。伊勢大神宮災す。平城宮の諸門を長岡に移す。延暦12年正月15日、遷都のため、山背葛野郡の地を相す。2月2日、遷都の由を賀茂社に告げ給ふ。伊勢大神宮に奉幣し遷都の由を告げ給ふ。794年、新京遷都。11月8日、山背を山城に改め、新京を平安京と名づく。 年表を見るだけでもキナ臭いものを感じ、慌しい10年間であった事が推測できますね。平安京は白虎、青龍、玄武、朱雀という縁起の良い4つの条件を備えた地形であったので、千年もの長い間、都が置かれていたのでした。 本日は朝から編集作業にかかり、これから出版社へ初稿を持ち出します。
2010.03.04
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長岡京に越して来てから、父すばるがマメに集めたお雛様の一部が不明でしたが、先日その段ボール箱が見つかりました。もう上等なお雛様は姉妹に配って殆ど無いのですが、木の実を使った雛や土を捏ねて作った雛、雛の起源である”流し雛”など珍しいものが遺されています。 お雛様と言えば惜しいことに、母が嫁入りの折持って来たお雛様は、渡り廊下つきの大きなセットものだったようです。九州は佐賀に引っ越したとき、アフターケアー面で行き届かなったから、ネズミに喰われてしまいました。お雛様は現在に残る節季行事の中でも、高貴にして奥床しいものだから、大人も子供もはんなりと致します。百人一首同様、ずっと次世代に伝えて行くべきものでしょうね。本日の付録は日記には相応しくありませんが、勇壮な行軍をイメージした拙作です。十字軍の遠征
2010.03.03
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手帳の大半がスケジュールで埋まっていますので、父の命日前に墓参り。正月には少なかった墓前の雑草。生きているのだから抜き取るに忍びないのですが、放置しておくと無縁墓みたいになってしまいますので、当家、ご本家、寡婦になっておられる叔母お二人の墓前も草抜きと御参りを済ませました。本来なら五条~御池間ならダイエットを兼ねて歩くべきですが、昼食受付時間リミットの加減でタクシーに乗り、いかにも京の料亭旅館の佇まいを醸し出す奥ゆかしい板塀に犬矢来で囲まれた天ぷらの”吉川”さんの店前へ到着。カウンター席での天ぷらランチ3000円では、9品の熱あつの天ぷらや、赤出汁の汁、自家製のちりめん山椒など、どれもが美味でした。”雁がね結び”の家紋のついた暖簾や襖などのほか、とある神社特製の”鶴亀しめなわ”が目につきました。本来、5組を泊めるほどの小ぶりな旅館ですが、畳敷きの玄関、小堀遠州作と伝えられる庭や部屋のしつらえ、調度品に至っては畏き辺りから下賜されたと思われる逸品が其処彼処にありました。例えば、一刀彫の大きな雛人形、江戸期の雛、蒔絵のある調度品、そしてお雛様へのご馳走は本物の料理が幾品も小さく盛られ献上してありました。四国浄瑠璃の文楽人形が対で飾ってあったり・・・。父か母の法事に是非利用させて貰いたいと思いました。それまでに一度姉夫婦等と晩餐を楽しみたいな。(参照)料理旅館・天ぷら・吉川雁がね結び”鶴亀注連飾
2010.03.02
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2月が尽きる昨日は堅田の琵琶湖畔にて吟行句会でしたが、見事坊主でした。しかし5つ選句した内、特選2句、佳作2句が主宰と一致しましたので、ほっと致しました。さて、公募へ出句したものを省いて、2月に詠んだ拙句のうち、幾つかを披露致します。皆さんに見ていただくと言うより、毎月、このシリーズを載せておくと、後日、わが足跡を辿り易いとの都合も兼ねております。 古文書に荒れ川とあり猫柳 冴返る甕のメダカの覚束な 淡恋の叔母嫁ぐ日の猫柳 帽被るロシア宰相ねこやなぎ○浅春の買ひ置き電球切れてをり○早春の此処に志功の版画展 春立つ日出湯の旅の頁繰る◎浅春や寺住み猫は日溜りに○下萌や即興詩人の蝶ネクタイ 同志社の礼拝堂に春の雨○早春の山のひびきを真向いに○母がりの墓への小径下萌ゆる 早春の兎小屋まで餌を遣りに 早春の手乗り文鳥抱卵す○うすらひに触れし指紋の行方かな 二が五つ並ぶ猫の日春めけり 湖を渡る武将もありき蘆芽ぐむ おほぞらと交信する湖風光る 蘆の芽や軟?いろの比良聳ゆ 蘆の芽や生生世世の浪明り 命あるもの押し寄せる春の湖人の心に伝わってこそ幾らの世界ながら、俳句は易しくて難しい一本道ですね。
2010.03.01
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