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バレエのネタが無い~、と困っていたらちょうどよいところに昨夜光藍社さんからのDMが到着。「バレエの美神」優先予約の受付可能だそうで、その宣伝。目新しいところと言えばトリの「ドン・キ」のグラン・パ・ド・ドゥはルジマトフが踊ることになったそうで、ファンの方には嬉しいお知らせじゃないかな。(パートナーはまだ未定)あと前回03年の公演の時の出演者、勢揃いの記念写真。(小さいけど)わ~、懐かしい。最後にこんな写真撮ってたんだね。何故かシェスタコワの姿が見当たらないんだけど?それにしてもあの時の公演は素晴らしかった~。特にヴィシニョーワはもう最高!「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」「眠り~のグラン・パ・ド・ドゥ」と眩しいくらいキラキラと輝いて・・もぅほんと、一生忘れないと思う。ザハロワ&ファジェーエフの「ロミジュリ」も良かった。そうそう、ファジェーエフといえば、この前ヴィシニョーワのジュリエットについてあんなに熱く語っときながら、彼については一言も言及していなかった・・(笑)ので、ちょっとだけラヴロフスキーのロミオについて。(と言っても思いっきり私見。映像も持ってないので2年前の記憶だけで勝手に書かせて頂きます)ラヴロフスキー版のロミオは、マクミランのそれと比べると随分「王子様系」のキャラクターとして描かれてると思う。マクミランのロミオって、なんかかなり「庶民的」な感じだよね?陽気で明るくて向こう見ず。とにかく今が楽しければいいじゃん、みたいな。かなり「今風」のキャラだと思う。なもんでロミオよりジュリエットの家の方がなんとなく身分が高そうな印象さえ受けてしまう。ロミオはそこらにいくらでもいそうな街の若者、って感じで名家のお坊ちゃんにはあんまり見えない。対するラヴロフスキーのロミオは、それに比べると明らかにおとなしめ。遥かにノーブルで貴族的。少なくとも「庶民的」とは言えないと思う。キャピュレット家の舞踏会に乗り込んで行くのだって、マクミランのロミオみたいにちょっとした冒険を楽しむような気分で意気揚々と、みたいな感じじゃなく、マキューシオたちに強く促されるもんだから仕方なく、みたいな感じだったと思うし。あと、ロレンス神父にジュリエットとの結婚式を執り行ってほしいとお願いに来た場面。ロレンス神父は髑髏に白百合を捧げてお祈りをしている。(え~、この辺の詳細については記憶がだいぶ薄れているので厳密にそうだったか?と言われれば全く自信無いです)多分髑髏はこれまでのキャピュレット家とモンタギュー家との諍いで犠牲になった人達のものだと思う。つまり髑髏は「諍い・争い」の象徴で、それに白百合を捧げて慰めているのだと思う。(この辺もまた、私個人の勝手な解釈なので、本当は別の意味があるのかもしれません)ロミオはそれを見て髑髏と白百合をそれぞれ手に取って暫く考えに耽る・・そしてやがて結婚式のために入場(という言い方はちょっと変だけど)して来るジュリエットの道程(この言い方もまた変だけど)に一本一本、白百合を敷いていくのね。ロミオが敷いた白百合の側を通ってジュリエットは入場して来る。この演出にはほぉ~、なんとまぁ粋な・・とかなり感動しました。白百合はいわば「平和」の象徴。それを結婚式のジュリエットの通ってくる道に敷いていく、というのはジュリエットと自分が結婚することにより、もう両家による不毛の争いは終わらせねば、というロミオの決意を物語るかのように思えて(もちろん、私個人の勝手な解釈です)すごく胸に迫るものがあったと思います。もちろん、この後すぐマキューシオが殺されるという不測の事態が生じて、彼のこの思いは無残にも砕け散ってしまうのですが・・でもね、こらえにこらえてたロミオがついに切れてしまう場面なんかすごくよかった。必死にこらえて、ここで切れたらお終いだ、と必死に自分を押さえながら、マキューシオが死んだとわかり、ついに切れてしまう場面。理性では充分にわかっていながらも、親友を眼の前で殺されて、ついに理性のたがが外れてしまうロミオ・・うんうん、そうだよね、それが当たり前の人間の気持ちだよね、って思えましたよ。え~、とりあえずこの辺りまで。続きはまた次回に。くどいようですが、私映像とか持ってないので詳細については確認が取れません。2年も前の記憶で、その記憶も確かとは言い難い状態ですので、その辺割り引いてお読みくださいませ。
2005年09月29日
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いつの間にやらもうすっかり秋の気配ですね。夜なんてちょっと寒いくらい。暑かった夏も過ぎ去り季節は刻々と移り行く。いつも季節の変わり目ってなんとなく感傷的な気分になるけれど、特に夏から秋へというのは一番それを強く感じるような。あ、でも私は季節の中では一番秋が好きかな?冬に向かってなんとなくもの淋しいような気と、最後に燃え上がる紅葉の美しさ。紅葉、本当に好きなんですよねぇ、私。京都の紅葉は連日必ず見に行くし、全山燃え上がるように赤や黄に染め上がった信州なんかの紅葉も大好きだし。来月は信州へ紅葉を観に行く予定なんだけど、行きたいところがありすぎてどこへ行こうか考え中。一度北海道の紅葉も見に行きたいなぁ。それにしてもバレエのネタが無い・・・なんかネタにできるようなものは転がってないか?ということで(笑)久しぶりにヴィシニョーワのサイトに行ってみた。ちょっと前より写真増えてる?気のせいかもしれないので全く当てにはならないのだけど、「マノン」の写真とか見てると、ほんと彼女ってめちゃくちゃマノンに似合う。ほんと色っぽくて、確信犯タイプのマノンかな?私は確信犯タイプのマノンはあんまり好みではないけど、ヴィシニョーワならどんなマノンでも許す(笑)。多くの人が思い浮かべるであろう「ファム・ファタール」のイメージそのまま、って感じでこんな女に魅入られたら、男は確かにどろ沼にはまりこんでいっちゃいそうだ。「カルメン」の写真なんかもすごく色っぽいよ~。写真見てるだけで「凄み」が伝わってくるもん、実際生で観たらどんなだろうね?それにしてもヴィシニョーワ、テクニックは抜群だわ、華はあるわ、色っぽいわ、演技力もあるわ、ドラマティックだわ、と殆ど全てのものに恵まれてるすごい存在だよね。今さらだけど、改めてそう思う。特にマノンとかジュリエットとかドラマティックな演目においては彼女の「女優」ぶりはすごいものがあると思う。なんかギエムとフェリのいいとこどり、って感じじゃない?新国が「マノン」再演する際にはぜひともヴィシニョーワをゲストに呼んで欲しい!
2005年09月28日
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「ロミオとジュリエット」は演出自体いろいろあるけれど、映像もいろいろ市販されてるからありがたいよね。いろいろ見比べて楽しむことができるし、自分好みの演出とか、ダンサーとかいろいろわかるから。それにつけても「マノン」の映像。ペニー&ダウエルのあの映像しか市販されてないなんて・・・まぁ振り付けは変わらないわけだから「ロミジュリ」と同じに考えることは出来ないとしても、それにしてももうちょっとなんとかして欲しい。他のマノン&デ・グリューも見たいよ~。特にフェリの「マノン」なんて絶対残しとく価値はあると思うし売れると思うんだけどな。あとザハロワのオフィシャルサイトには彼女のマノンの写真が載ってますね。衣装がロイヤルとは違うからちょっと新鮮。それにしてもザハロワは美しい(ため息)。ザハロワのマノンなんて全然想像できないと思ってたけど、案外こういう人こそ本来のマノンじゃないか?とも思えてくる。ザハロワといえば去年の今頃は新国の「ライモンダ」出演を楽しみにしてたっけ。もうあれから一年経とうとしてるのね、つい昨日のことのように思えるのに。「カルミナ・ブラーナ」は観に行く予定じゃないから、今年は淋しいなぁ。
2005年09月23日
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「スパルタクス」に引き続き、グリゴローヴィチ版「ロミオとジュリエット」のビデオを見てみたのですが・・・すみません、1時間ほど見た段階で耐え切れなくなり見るのを一時中断。う~ん、確かに紛れも無く「ロミジュリ」ではあるのだけれど・・今まで観てきた「ロミジュリ」とはあまりにも印象が違いすぎて、少々(いやかなりの)違和感を感じずにはいられませんでした。と言ってもまだ全体の半分も見ていないので、最後まで見た段階で印象が変わる可能性もありますが。でもねぇ・・・まぁこの版の感想は最後まで見てからまた書かせていただこうと思います。(でもこれをまた延々と見続けるのかと思うと・・)え~、私自身は今までに「ロミオとジュリエット」は、生の舞台では03年のキーロフ来日公演でラヴロフスキー版を、04年に新国立劇場でマクミラン版を、それぞれ2回ずつ観ました。映像ではロイヤルバレエの有名なフェリ主演のものと、パリオペのヌレエフ版も見ています。ロイヤルのフェリ主演の映像は、フェリの可憐さとドラマティック性にすっかり魅了され、やっぱりこの演目はマクミランだよねぇ、という思いを強くさせられました。パリオペのヌレエフ版、これはまた凄い!踊りから演技から演出からとにかくなんでもてんこもり。正直ここまでやるか?と言いたくなるくらい、演出過剰な部分もあるとは思いますが、でもさすがパリオペ。見応えはありますよねぇ。ぜひ一度は生の舞台で観てみたい、と思わせてくれるものはあります。でもこの両者はあくまで映像。フェリやルディエール、ルグリがいかに素晴らしくとも、映像はあくまで映像にすぎないのです。というわけで、私の中でのジュリエットと言えば、最初に生で観たラヴロフスキー版のヴィシニョーワ。ヴィシニョーワのジュリエットは終始一貫、恋に生きる、という強い「意思」の存在を感じさせてくれるとてもドラマティックなジュリエットだったと思う。正直今現在の感覚からすればラヴロフスキー版はかなり古風というか、時代を感じさせる奥ゆかしさがあり、それゆえ特にパ・ド・ドゥなどでは単調だなぁ、と思ってしまう部分があるとは思うのですが、ヴィシニョーワの圧倒的存在感を前にしてはそんなことはどこかに吹き飛んで行ってしまい、ただただ見惚れるばかり。今眼の前にいるのは恋の炎に身を焦がす、押さえ切れない情熱に身を任す、1人の美しい女性。そんな彼女を観ているだけですっかり物語の世界に引き込まれてしまって。艶やかに咲き誇る大輪のバラの花のようなジュリエットでした。そう、大輪の赤いバラ。そんな形容がぴったりのヴィシニョーワのジュリエット。古風なラヴロフスキー版の舞台を一気に現代的なものへとシフトさせてくれるような、そんな「力」を持ったジュリエットでしたね。それでいてもちろん、良家の令嬢としての品格は文句なしですし。少々「力」がありすぎて、自分自身でどんどん世界を切り開いていくような「現代的」ジュリエットではありましたが。おそらくヴィシニョーワのジュリエットは、ラヴロフスキーというよりは、マクミランタイプのジュリエットなのかも、と思います。彼女にはマクミラン版の方が似合ってるような気もしますが、でも重厚で荘重なラヴロフスキー版において彼女=ジュリエットがいかに物語を進展させていく存在であるか、「中心」であるか、ということを如実に示してくれる、素晴らしいジュリエットだったと思います。本来のラヴロフスキー版におけるジュリエットというのは、ある意味ヴィシニョーワとは正反対のタイプ、混じりけのない白バラのような存在ではないのか?と思うのですが。だけど演劇的で重厚で、踊りの魅せばがやや少なめの分だけ出演者の「演技力」がなによりもものを言うラブロフスキー版は、出演者にとってもやりがいがあると同時に実は大変難しいものなのかも知れない、とも思う。出演者はダンサーとして優れていることは言うまでもないとして、「役者」としての力量も問われているのだ。そういう意味ではヴィシニョーワは優れて素晴らしい「女優」だったと思う。また機会があればぜひ観てみたいです。
2005年09月20日
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昨日、今日と二日掛かりでビデオ「スパルタクス」を見終えることができた。90年収録のもので、スパルタクス=ムハメドフ、クラッスス=ヴェトロフ、フリーギア=セメニャカ、エギナ=ヴィロワ、という豪華な配役。いや~、それにしてもこの作品、主役2人は一体どれだけのエネルギーを消費してるんだろう。若くて体力のあるうちじゃなきゃ務まらないよねぇ。ほんと、これでもか、ってばかりに踊りまくるんだもの。ほとほと感心するよ・・ただまぁこの作品って、(否、この作品こそ、と言うべきか)やっぱりライブで観てこそ、その真価に触れることのできるものだよね。映像で見てるだけじゃ、ふ~ん、こんなものか、程度にしか感じられない。と言うかあんまり延々と踊りが続くものだから、もういいよ、わかったから速く先に進め~、ってな気分にさえなってしまった(笑)。やっぱりこの作品の持つ圧倒的ダイナミズムに完全に呑み込まれるには生の舞台を観るしかないわ。映像じゃあこの作品の持つ魅力の半分も伝わってはこないよ。(半分どころか十分の一も伝わってはこない、と私は感じたな)もちろん出演者は皆素晴らしいんだけど。ムハメドフもヴェトロフもほんとすごいとしか言い様がないし。セメニャカは実は初めて見た。名前は結構よく聞いていたけれど生はもちろん映像でも見たことなかった。でもね~、フリーギアではあんまり感じ入るところも正直なかったと言うか・・もちろん生の舞台ならまた違った感想を持てただろう、とは思うけど。今年のマールイの公演プログラムによると彼女がザハロワの現在の先生なのね。歳月の流れを感じるなぁ。女性2人に関しては、私自身が生で観たフリーギア=アントニーチェワ、エギナ=グラチョーワ、という「刷り込み」が完全に出来てしまってるものだから、映像の2人には初めから不利な状況だった訳で。だからこの2人が悪いわけでは全然ありませんので念の為。アントニーチェワとグラチョーワに関しては、この配役は本当に絶妙だったとしか言い様がないと思う。細身で長~い手足のアントニーチェワは悲劇のヒロイン、フリーギアにはぴったりだったし、なにより一連のスパルタクスとのアダージョはそのプロポーションが実に美しく映えて「眼福」の一言だった。対するグラチョーワは悪女エギナそのもの。色っぽいのなんのって、殆どSMの世界の「女王様」だったよ。(笑)いずれにせよ「スパルタクス」は生で観るに限る!ということを実感したビデオ鑑賞でした。(あ、でももちろん映像は映像で良いところはあると思いますので。)
2005年09月19日
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生の舞台から遠ざかること久しくなり、話題にすることも殆ど無いような状態。ビデオの感想でも書こうかなぁ、とも思うんだけど、そのビデオを見てる時間もなかなか取れないのよね。「スパルタクス」やグリゴローヴィチ版「ロミオとジュリエット」のビデオなんて、数年前に購入したっきり一度も見ていない・・・この前ようやく「椿姫」は見ることできたけど。(同じ時にどさっとまとめ買いしたもの。あまり大量にまとめ買いしたからか?マラーホフのポストカードがおまけに付いてきた)うん、だけど「スパルタクス」。あれこそほんと、生で観ることができたのは幸運だった。私がバレエを観始めたのが2002年の夏からで、ちょうどその年の秋にボリショイの来日に遭遇するという幸運だった。しかも「スパルタクス」を全幕で日本に持ってくるのって1973年以来のことだったというし(間違ってたらすみません)、運が良かったぁとしみじみ思う。当時はまだバレエを観始めたばかりの頃で、東京までバレエを観に行く、という発想事態がなかったし、一つの演目は一度観たらそれで充分だと思っていたので、「スパルタクス」も大阪での1公演観ただけだったけど、(今だったら絶対東京まで観に行ってるし、3回くらい観てるだろうと思う)そのインパクトたるや、絶大なものがあった。今でも「あ~、素晴らしかったなぁ」「観られて良かったぁ」としみじみ思うことができるもの。一時期来年のボリショイ来日公演で「スパルタクス」持ってくるんじゃないか、という噂があって(あれ、ありませんでした?)すご~く嬉しかったんだけど・・・あ、でも「ファラオの娘」「バヤデルカ」はそれはそれで楽しみなんですよ。この演目じゃあ両方ともザハロワ大活躍、が期待されるのでザハロワファンとしては嬉しいんだけど。だけど「スパルタクス」は凄い舞台だったのでぜひもう一回観たい!次の次の来日ではぜひとも「スパルタクス」をお願いします!と祈りたい気分だわ(笑)
2005年09月15日
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前にも書きましたが、私は「ジゼル」という演目があまり好きではありません。その理由は唯一つ、ヒロインのジゼルに私は何一つ共感できるところが無いからです。恋していた人に他に婚約者がいた、自分とは身分違いの貴族様だった、という理由だけでショックのあまり正気を失い死んでしまう・・在り得ない!としか私には言い様がないのです。2幕は別として、とにかく1幕のジゼルには、私は本当に文字通り「何ひとつ」共感できるところがありません。あまりに純真過ぎるそのキャラクターも自分とは全く共通するところはないので(こっちのキャラに問題があり過ぎ、という事実はよくわかっています・笑)まるで絵本の中の登場人物を見ているような気分にしかなれません。(まぁそんなこと言い出したら他にもそんな演目はたくさんありますけど・・)だから1幕のジゼルについてはほんと、冷めた目で見てしまうんですよね。そんなことくらいで死ぬか!と心の中で思いっきり叫んでしまいます。でも、2幕のジゼルはね、一転して私はかなり好きなんです。(ということに最近気が付いた)2幕のジゼルは実はものすごく立派な女性だと思う。自分を裏切った(ように彼女は感じた)、自分の死の原因をつくったような男を、彼女は一度たりとも責めること無しに、ただただ彼を愛し続け、最後まで彼の命を救おうと闘い続けるのです。彼女のお蔭でアルブレヒトは結果、命を救われました。彼女の奮闘がなければ、彼の命はとっくに失われてしまっていたことでしょう。自分を死へ追いやったともいえる男を、彼女は一度たりとも責めることはありません。ここがすごい、と私は思います。彼女は物事の結果を(この場合は彼女自身の死、です)決して相手のせいにはしていないのです。「他人のせいにしない」という彼女の姿勢は実に見事だと、そう言っていいのではないでしょうか?ウィリになってしまったとはいえ、彼女はまだ完全にはウィリに成りきれてはいず、生きていた頃の気持ちを残しています。よって彼女はまだアルブレヒトのことを愛している。彼のために命を落としてしまったくらいだから、彼を想う気持ちというのは半端じゃなかった。その、生きていた頃の熱情を彼女はまだ失ってはいなかったのだからアルブレヒトを助けようと奮闘するのは、ある意味当たり前のことだと言えるかもしれません。けれども自分はすでにウィリであり、もう二度と生きて帰ることは出来ないということも、もちろん知っているわけです。アルブレヒトの命を救えたところで、彼との幸せな日々が戻ってくるわけではありません。そのことを知りながら、知りすぎるほど知りながら、それでも彼女は愛する人を救おうと、命を燃やすのです。(もちろん、彼女の命はすでに無いのですが)彼女の、なんの見返りも求めない無償の愛。これこそ真実の愛だと、私はそう思います。たとえ自分になんらの見返りが無くとも、相手の幸せだけを願い続けるその気持ち。そんな気持ちを他人に対して抱くことが出来るのは、実は本当に難しいこと。見返りが無ければ(期待できなければ)動くことができないのが普通の人間というもの。まして愛だの恋だのということになれば、相手から全く「期待できない」、ということになっても、それでも相手のことを想い続けるなんてことは、これは殆ど不可能でしょう。だけれどジゼルは、それを成し遂げてしまうのですね。物事の責任をひとのせいにせず(つまり、責任を自分自身で負うことの出来る)、自分の、孤独とさえ言いえる愛情を貫きとおすジゼル。なかなか出来ることじゃないと思います。強くなければできない。だから私はウィリとなった2幕のジゼルに対しては、尊敬の気持ちさえ抱いてしまうのです。
2005年09月10日
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え~、「マノン」の話題ばかりでいい加減呆れられそうな状態ですが、しつこく続けます(笑)。1幕で寝室のパ・ド・ドゥが終わった後、ひとり部屋に残されたマノンの所にレスコーとGMがやってくるでしょ。で、マノンに豪華な毛皮のコートを着せてあげる。この時点ではマノンはまだ、自分の身になにが起ころうとしているのかわからず、ただただ豪華なコートを着せてもらったことが嬉しくて仕方が無いって感じで、無邪気に喜んでいる。自分がなぜ、こんな豪奢なコートを着せてもらえたのか、全く理解していないでただただ嬉しがってるのね。でも続いてGMから豪華な首飾りを懸けられたとき・・実はこのシーンが、私はすごくすごく好きなの。マノンの運命が、ある意味決定付けられた瞬間だと思うのね。この瞬間、豪華な首飾りに触れられた瞬間、マノンは決定的に富の魅力(魔力とも言うべきか)に気が付いてしまう。彼女はそれ以前から、お金のかかった豪華な品物やそうした物に取り囲まれた豪華な生活に憧れる気持ちを抱いていたと思う。けれどもそうした気持ちが意識の上層にまで昇ってくることはなかった。つまり彼女は無意識のレベルにおいてそうしたものに惹かれる気持ちを抱えていたわけで、それをはっきりとした自覚として感じることはなかった。極々単純に「あら、綺麗な物(=お金のかかっている物)がある、素敵~。あんな素敵なものが自分のものになったらどんなに嬉しいかしらん♪」「お金があったら私の欲しいものはなんだって手に入るのになぁ」なんて感じちゃうタイプの少女だったんじゃないかと思う。もちろん誰だって多かれ少なかれそうした気持ちは抱いているものだと思うけれど、マノンはそうした気持ちに実に素直に従ってしまうことのできる少女だった。だからGMから首飾りを懸けられたときに、今まで意識下には常にあった「富」「豪華なもの」に惹かれる気持ちが一気に表出してきて、その押さえようも無い欲望が一気に満たされる時が来たのだと、はっきりと知ってしまう。その「魅力」の前にあってはつい先ほどまでのデ・グリュ―との愛なんて、一息で吹き飛んで木っ端微塵に砕け散ってしまうほどの、それほどの「魅力」を持っていたのだ、マノンにとっては。1幕でのマノンはあくまで「無邪気」な少女で(基本的にそれは最初から最後まで変わらない)富に惹かれてGMの愛人になることを選択した時だって、彼女は「無邪気」だったと思う。ただただ己の心の欲するままに行動しただけなのだ。「自分の気持ちに正直」だっただけの話。デ・グリュ―を愛したのだって、その時の「自分の気持ちに正直」だったまでのことで、一見相反するように見えるその二つのことは、実は全く同じことだったのだ、マノンにとっては。いずれにせよマノンは「愛」よりも「お金」を選び、デ・グリュ―を捨ててしまう。この時点では「お金」の方が「愛」よりも優先価値があったというわけだ。
2005年09月08日
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すみません。映像をもう一度注意して見てみたら「ねずみ捕りの男」はちゃんと登場していました・・そそっかしくてすみません。え~、この件に限らず、私って相当の思い違いや勘違いをしていると思われますので、そこのところは充分にご考慮に入れた上でお読みくださいませ。
2005年09月05日
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またまたロイヤルの「マノン」の映像を見てみた。時間がないので1幕だけだけど。こうして映像の「マノン」を見てると、この間観たばかりだというのに、また生の舞台で観てみたい!という衝動に駆られてくる。本当に好きだなぁ、「マノン」・・・それにしても映像で見てるといろんなことがわかってこれはこれで結構楽しい。生の舞台だと、私は殆どマノンしか眼に入らない状態に陥ってしまうけれど、映像だとあれこれと舞台の隅々にまで眼を遣ることができる。(とは言えもちろんマノンがメインであることは言うまでもないことなんだけど)本当に舞台上にいる全ての人達がそれぞれの人生を生きてるんだよね。そこだけでひとつの物語ができてしまえるほど。だから舞台のどこを見ても面白くて、どの人物に眼を凝らせばよいのか迷ってしまう。あっちでもこっちでもそれぞれの人たちがそれぞれの演技をしてるんだもの。物乞いがいるかと思えばムッシューGMのような富豪もいる、高級そうなドレスに身を包んだご婦人がいるかと思えば馬車に乗せられて流刑地に向かう途中の?娼婦たちが登場する、といった具合に社会の様々な階層、境遇の人たちが同じ舞台に登場してそれぞれの人生を演じてみせる。本当に面白いよね。普通のクラシックの演目じゃあまずお眼にかかれない光景だもの。それから、「マノン」という演目自体、いろいろと微妙に演出に変化が生じてきてるんだろうか?82年収録のこの映像では1幕に「ねずみ捕りの男」が出てこないですよね?(いや、もしかして出てきてるのかも知れないんだけど。ただ単に見逃してるだけかも?)この前のロイヤルの公演では1幕でマノンがねずみ捕りの男の姿に怯えて後方にポワントで引き下がる、という演出があったと思うんだけど、この映像にはそんな場面出てこなかったような?(え~、ちなみに「ねずみ捕りの男」というのは後から知りました。観てる時には「物乞い」だと思ってました。なんか「鳥かご」のようなものを持ってるけど、なんなんだあれは?なんて思ってました・笑)あと主役によって微妙に違いがあったり。例えばマノンとデ・グリュ―が背中あわせにぶつかって二人が初めて出会う場面。ここでお互いが初めて相手の存在を意識する、(正確に言えば「マノンが~」ですね、デ・グリュ―はもっと前から彼女の存在に気が付いていましたし殆ど一目惚れでしたから)という演出が一般的?かと思うんですけど、バッセルとボッレはこの場面が来る前に既に一度出会ってるんですよね。ボッレのデ・グリュ―がバッセルのマノンに読んでた本を見せてマノンもちょっとだけその本に目をとめる、という場面が15日はあったと思うんだけど、コジョカルの日にそんな場面はなかったような?(とは言え、だいぶ記憶が薄れているので自信なし、もしかしたらあったのかもしれないです)ロホの日もどうだったんだろう?あったようななかったような、忘れました・・踊り方も現在とは微妙に違いますね。寝室のパ・ド・ドゥのラスト近く、音楽の高まりに呼応するかのようにバッセルがバットマンに上げた脚が、歓喜の頂点まで高揚したマノンの気持ちをそのまま表しているかのようで私には忘れられないんだけど、ペニーのマノンはそんなに高く脚を上げていない。コジョカルも高々と脚を上げていたし、その他例えばアラベスク・パンシェ(でいいのか?)でもペニーのマノンはバッセルやコジョカルと比べると脚の上げ方が控えめ。現在のダンサーならもっと脚を上げるだろうに、と思えるんですよね。(でも、これは単にペニー個人のスタイルなのかもしれませんが)え~、どうだっていいようなことをくどくどと書き続けてしまいました。それにしてもこの映像が収録されたのは82年ですからね、もう23年も前の映像なら、今現在とは少々変更になってるところがあって普通ですよね。変更といえば今回のロイヤルの「マノン」では2幕だったかな?パーティー会場で客の老紳士(だったかはっきりとは覚えていない)がくしゃみをするという演出がありましたよね。私が観に行った3日間ともくしゃみをしていたので、これはもうれっきとした演出だと思うんですが、03年に新国が「マノン」上演した時にはこんな演出なかったし、もちろん82年の映像にもない。ロイヤルがいつからこの「くしゃみ」を採り入れたのか知りませんが、こんなふうにしていろいろと創意工夫が凝らされていくのでしょうね。
2005年09月05日
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先日フェスティバルホールから届いたダイレクトメールを開封してみましたところ、NBSニュース特報という形で11月のシュツットガルトバレエの「ロミオとジュリエット」の宣伝がされているんですが、写真が素敵過ぎなんです!主演予定のアマトリアンとフォーゲルが至近距離で見詰め合ってる写真なんだけど。はぁ~、美しい二人だわぁ。もうこんな写真見せられたら絶対観に行くしかないでしょう(笑)。ほんと、ロミオとジュリエットのイメージそのまま、美しくも儚い恋に殉じた2人の、胸のときめきが聞こえてくるかのような美しさで・・う~ん、それにしてもこんなにもお似合い(と言ってもそう見えるように撮影されてもいるんでしょうが)の2人なら・・・この2人による「マノン」観てみたいよ~(ってそればっか・笑)2人とも充分16歳と17歳に見えるし、可憐な少女マノンにアマトリアンもすごくぴったりに見える。フォーゲルも17歳のデ・グリュ―にはまりすぎるくらいはまるんじゃないかな?(え~、原作ではデ・グリュ―は最初にマノンと出会う段階でまだ17歳だったんですね!もちろん若いとは思ってましたけど、こんなまだ10代の青年とは思ってなかったです)マノンについても「間違いなく上流の令嬢と思ったことだろう」という記述があるので少なくとも外見上は、マノンはいわゆる娼婦型の「いかにも」って感じの女ではなく、デ・グリュ―のような名門の御曹司に彼女のためなら全てを捨ててもいいと思わせるくらいの、非の打ち所のない美しさをもった少女であったことがわかります。(と言っても、もちろん原作は原作であり、バレエ作品としての「マノン」とはある意味全く別物として捉えておかなければならないと思います、バレエに限らずオペラでも映画でも)え~、だからこの2人の写真を見てたら「マノン」もすごくはまるんじゃないかなぁと思えてきて。もちろん「ロミジュリ」も言うことないでしょうが。2人とも「マノン」をレパートリーにはしていないみたいだけど?個人的にはすごく「マノン」で観てみたい2人だと思いました。それにしても、アマトリアンもスペイン出身なんですね~。スペイン出身者のバレエ界での活躍振りはほんとすごいですね。
2005年09月01日
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