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あまりにも一本気で純粋であったがゆえに(解毒剤を飲んでとりあえずこのピンチをしのごう、それからのことはそれからのことでまたどうにか考えよう、なんて不純な考え方は絶対できないキャラ)そしてもちろん、なによりもソロルの愛を信じきっていたニキヤにとって(婚約式というもう完全にソロルのことは諦めなければならない状態ということはわかっているのだけれど、それでも心のどこかでまだソロルのことを信じている)自分が絶対絶命の状況に置かれているまさにその時に、ソロルが自分のことを見捨てたとはっきり知ってしまった以上、全てに絶望し自ら死を選ぶ、というのは当然の結果でした。ニキヤがソロルとの恋に全てを賭けていたということがよくわかります。これに対してソロルはどうだったんでしょうか?今回のマラーホフ版の最大の特色のひとつが、ソロルが蛇に噛まれた瀕死のニキヤをおいてとっとと姿を消してしまう、というところにあると思います。劇場で実際この場面を見たときには、えっ、もう行っちゃうの?!と驚きました。実際この段階でニキヤをおいて場を離れてしまうソロルなんて初めて見たと思いました。このことが非常に気になったので手持ちのビデオ3本でこの場面だけ確認してみましたが、やっぱりこんなにさっさと姿を消してしまうソロルというのはマラーホフ版だけでした。パリオペのヌレエフ版ではニキヤはソロルの腕の中で息絶える演出になっていて、やっぱりこの演出が私的には一番好きですが、それにしてもこんなにさっさとニキヤを見捨てて行ってしまうソロルって一体・・・と暫く唖然としてしまいましたよ。ニキヤはこんな不実な男のために命まで捨ててしまったのか、なんかあまりにニキヤが気の毒だし馬鹿馬鹿しくすら感じてしまう・・そう思っていたのですが、2幕の冒頭ではソロルは延々と後悔に苛まれるわけです。ふつうこの場面は影の王国への導入部としてソロルがアヘンを吸って眠りにつく、けっこうさらっと終わってしまうのが普通だと思うのですが、この版では後悔と自責の念に駆られたソロルの絶望がかなり長く表現される。こうした演出も初見でした。ふつうに考えたらこのソロルの絶望をどう解釈してよいやらわからなくなります。だってつい先ほどの場面ではあっさりニキヤを見捨てて去ってしまったくせに今度は絶望の体で悲しみに打ちひしがれているんですから。暫くは私もこの場面でのソロルの苦悩が長すぎるように思えて合点がいかなかったのですが、あ、もしかしてそういうこと?と思い付いたことがあります。つまりソロルはニキヤが蛇に噛まれて暫くは動転するのですが、ちょうどその時大僧正がニキヤに解毒剤を差し出すのを見た、当然ニキヤは解毒剤を飲むだろうと思い込み、これで安心、ニキヤが死ぬことはない、と思ったからこそさっさとその場を離れてしまったんじゃないだろうか?ということです。大僧正がニキヤに言い寄っていたことは知っていたでしょうから薬と引き換えにニキヤは大僧正の愛人にならなければならないだろう、だとすれば自分としてはもうこの場にいても仕方が無い、自分はガムザッティと結婚しニキヤは大僧正のものとなって、それぞれ意に添わぬことではあるけれど立場を考えたら他にどうすることもできない・・・そのように考えたのではないでしょうか?ニキヤが解毒剤を飲むであろうことを信じきっていた、彼女がまさかそれを拒否して死んでしまうことになるだなんて想像だにしていなかった、だからこそさっさとその場を離れることもできたのではないでしょうか。そのように考えてみると、2幕の冒頭、延々と絶望に打ちひしがれたソロルが出現する理由が納得できると思うのですが。おそらくソロルはニキヤが死んだということを聞かされて、それこそ脳天かち割られるほどの衝撃を受けたのではないでしょうか。ニキヤは薬を飲んで大僧正の愛を受け入れるとばかり思っていた、それは悲しいことではあるけれども、そのことによってソロルは、一種の「救い」を与えられてもいた、つまり自分はニキヤを裏切ってガムザッティと結婚することを選んだ、ニキヤに対してはきっと生涯罪の意識を感じ続けていくことになるのだろう、そう思っていた。ところがニキヤが大僧正の愛人になったとしたら?たとえ意に添わぬことであったとしても、やむをえないことであったとしても、ニキヤも大僧正の愛を受け入れたことに間違いはない、だとしたらこれでおあいこだ・・・愛を裏切ったということに関しては「御互い様」ということになる訳です。自分だけが愛を裏切ったのじゃない、彼女だってそうなんだ、という「言い訳」は充分成り立つ訳です。だから内心ホッとしていた、というのがソロルの嘘偽りない正直な気持ちだったのではないでしょうか。ところが。ニキヤは解毒剤を飲むのを拒否した、最後まで自分への愛を貫いて死んでいったのです。そのことを知った時のソロルの衝撃はいかばかりだったことでしょう。ガムザッティとの結婚を承諾した、そのことだけでも罪の意識は感じていたのに、ニキヤが死をも恐れず自分への愛を貫き通した、そのことはソロルに対し、自らの心にあった「救い」にすがりつくことで罪の意識から遠ざかろうとしていた、その自らの恥ずべき心に思い至らせるには充分過ぎるほど充分でした。ニキヤが解毒剤を飲むであろうことに一片の疑問ももつことなくその場を離れてしまった自分自身・・・ニキヤの潔い、純粋過ぎるほど純粋な生き方を思えば思うほど、それに比して自分は・・・との思いはいやでも彼の心をズタズタに切り裂いたはずです。ニキヤの最後を見届けることのできた他のソロルの何倍、いや何十倍もの衝撃をこの版のソロルは受けることになるのではないでしょうか?ニキヤを死に至らしめたのは自分だ、との罪の意識だけにとどまらないそれ以上の罪悪感をこの版のソロルは自分自身に対して抱かざるをえないからです。このように考えてくると、影の王国への導入部分であれほどまでにソロルが嘆かざるをえなかった理由もわかるような気がするのですが。以上のように私は考えるのですが、もちろんそのことが本当にマラーホフご本人の意図するところであったのかどうか、全く知るよしもありません。もしかしたら全然別の解釈の元であのような演出になったのかもしれません。(もしかしたら、じゃなくて多分、と言った方が本当のところかも)でも私はあのように解釈したいなあ、と思うんですよね。
2005年06月30日
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ザハロワの「ドン・キ」は結局観に行けませんでした。ザハロワ観たかったけど、なにしろ肝心要の先立つ物がないので話になりません。まぁザハロワはキトリのイメージじゃないし・・と無理やり自分自身を説得し諦めた次第です(涙)あとベルリンの「ニーベルングの指輪」、これは最初から観るつもりはなかったのでよいのですが(オペラとか観たことない私にはなんかあまりに話がややこし過ぎるように思えて、とてもついていけそうにない、と思われたので)あちこちでご感想を伺っているとなんかすごく面白そうでこれは観に行ったら良かったかな?と少し後悔。ヴィシニョーワのブリュンヒルデ観たかったなあ。結局今回のベルリン国立の来日では19日と来月3日の「ラ・バヤデール」だけしか(しか、とふつうに言ってしまえるところが我ながら少々あきれる)観ることができませんでしたが、とりあえず今週の日曜は楽しみです。19日はなんか非常に中途半端なお席で、観劇中もあ~、やっぱり1階正面で観たかった・・・との思いがずっと頭から離れてくれなくてすごく後悔したので(と言っても決して悪い席というのでもなく、なんかとにかく中途半端なの)3日はかなり期待してます。今度こそ心置きなく舞台に集中できますように。びわ湖ホールに行くのも去年の12月以来、ほぼ半年ぶり。あの劇場はほんとに素敵なので個人的には大好きなんです。もちろん私にとって地元だから、という気持ちも全くないとは言い切れませんがそれを差し引いても、日本でも有数の素晴らしい劇場だと思います。よくぞこんな素晴らしいホールを造ってくださいましたよ、滋賀県ブラヴォー!なんて結構本気で感謝してます。ホール自体が素晴らしいのですが、特筆すべきはそのロケーションです。琵琶湖畔に建っているのでホワイエからは琵琶湖が一望のもとに見渡せ、それは素晴らしい景色を堪能できます。時々船が通ったりするのをぼ~っと眺めていられるのもいいもんです。という訳でびわ湖ホールはほんとに素敵な劇場なので、もっともっとバレエ公演が催されるようになって欲しいな、と思う訳であります。話は変わりますが今回のベルリンの「ラ・バヤデール」、ちょっと小奇麗にまとめすぎかなあ?みたいな印象を個人的には持ちました。古代インドのお話というよりヨーロッパ色の方が強かったような気がするんですけど気のせいかなあ?3日の舞台で確かめてこようと思います。それにしてもヴィシニョーワのニキヤは白黒はっきりさせないと気のすまない、気が強い、それゆえにこそ自分の気持ちに実に正直なニキヤ、という印象でした。ガムザッティとの対決シーンでソロルは自分に対して愛を誓っているのよ!と宣言するシーンなど、中途半端な席(くどいようですが)でオペラグラスなしで観ている私にまで彼女の半端じゃない強烈な想いというものが伝わってきました。ソロルは自分を愛しているのだからガムザッティとの結婚を承諾するわけがない、そんなこと絶対にありえない、と心底信じているようでその彼女の気迫の前にあってはたとえプリンセスであろうと怯まざるをえない。ガムザッティにニキヤを殺してやる、と決意させるだけの説得力は十二分に持っていましたね。ソロルの愛を信じきっていたからこそ、プリンセスに対してもあそこまで強い態度を取ることができたのであろうし、だからこそ、ソロルがガムザッティとの結婚を承諾したと知った時のニキヤの受けた衝撃というのは、それこそ天地が裂けるような思いがしたのではないでしょうか。蛇に噛まれて死ぬかもしれないというとき、大僧正が解毒剤を差し出す、私だったら一もニもなく薬を飲みほしていたでしょう。後で大僧正の愛人?にならなければならないとしてもとにもかくにも命あっての物種、躊躇している暇はないはずです。しかしニキヤはソロルを見てしまう、ソロルがそれをどう思うか、もし自分が今ここで薬を飲み干したらそれこそ本当に2人は別々になってしまう、ねえどうしたらいいの?あなたはどう思うの?とソロルに対して問いかけずにはいられなかった。ところがそのぎりぎりに追い詰められているニキヤの眼の前に愛する人はいなかった・・・自分が一番ソロルを必要としているときに・・・ソロルが自分を見捨てたと知ったニキヤは絶望し生きる望みを失ってしまい結局自ら死を選ぶことになってしまったのです。え~、長くなりましたので続きはまた次回に。
2005年06月27日
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びわ湖ホールでのニキヤ役は、正式にセミオノワへと変更になったようです。HPにはその旨を説明するマラーホフからの手紙が掲載されています。この手紙によると、ヴィシニョーワの都合が悪くなってセミオノワへと変更になった訳ではなくて、マラーホフ本人のぜひともセミオノワをびわ湖ホールで躍らせたい、との強い希望があってそうなった、とのことです。ヌレエフとギエムを引きあいに出してくるくらいですからマラーホフ、相当な自信でセミオノワを紹介したい意向のようですね。確かに芸術監督としては、自分のバレエ団の初めての日本ツアーの最終日には自分のバレエ団のプリンシパルに躍らせたい、というのが普通の気持ちだと思います。ヴィシニョーワが世界的なプリマであり自分との信頼関係も抜群、ということがいくらあったとしても、やっぱりヴィシニョーワはマリインスキーのプリンシパル(ABTも)であり自分のバレエ団の一員ではない、という事実は厳然としている訳で。セミオノワを見出した自分の眼はやっぱり間違ってはいなかった、セミオノワが素晴らしいダンサーであることを多くの観客に知ってもらいたい、というマラーホフの気持ち(文面に書かれてあることだけですが)はよくわかる気がするので、私としては異議はありません。でもでも、もし私が東京でヴィシニョーワを観ていなかったとしたら、ちょっと待ってよ~、と文句のひとつも言いたくなるでしょうねぇ、やっぱり。けど20日のセミオノワ、かなり良かったみたいなので嬉しい。マラーホフのソロルももう1回近くで観られるから、7月3日が楽しみだわ~♪
2005年06月22日
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昨日、ベルリン国立バレエの「ラ・バヤデール」を観に行ってきました。約半年ぶりのバレエ、ヴィシニョーワ&マラーホフ、大好きな「ラ・バヤデール」ということでとても楽しみにしていた公演です。感想を書きたいのですが、まだこれから御覧になる方もたくさんいらっしゃると思いますので暫く控えさせていただこうかと思ったのですが、ひとつだけ気になった点が。話の展開が速いです。今まで観たこの演目のなかでは一番スピーディーな展開だったと思います。(噂に聞く新国の版は未見)なので、私としてはちょっと・・・な部分もありました。詳細(と言えるほどのものではないのですが)は後日また改めて書かせていただこうと思いますが、もうひとつだけ、マラーホフの跳躍!着地の音が殆ど聞こえなかったのには驚嘆しました。(と言ってもこんなことバレエファンの方にとってはすでに常識でなにをいまさら、と笑われてしまいそうですが、私マラーホフの舞台は数えるほどしか観たことなくて、しかも殆どバレリーナばかりに気を取られていたので今まで気が付かなかったのです)そのマラーホフの教え?を受けていらっしゃるせいか、男性コール・ドの足音も殆ど聞こえなかったような気がします。実に軽やかで素晴らしかったと思います。ヴィシニョーワのポワントの音はかなり響いてましたが(笑)私は来日公演最終日、地元での公演にあともう一度観に行く予定ですが、今度はお席が昨日よりも良いので期待しています。あ、でも懸念していたとおりヴィシニョーワはやっぱり来てくれないようですね。彼女もABTのプリンシパルになって今まで以上に忙しいでしょうから仕方が無いことかも。でも当初懸念していたほどには落ち込んでいないんですよ、私。というのもセミオノワも観てみたいな~、とかなり思ってたものですから(NBSからのお知らせやプログラムのお写真見ていても、本当に綺麗なんですもの)セミオノワならセミオノワで楽しみなんです。今日は彼女の出演日ですが成功することを祈ってます。チケットちゃんと売れたんでしょうかね?彼女の日だけチケットの売れ行きがあまりよくなかった感じなのでちょっと心配。(私が心配したって仕方が無いんですが)
2005年06月20日
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「マノン」のヒロインって、バレエ作品の中においてはものすごい異色の存在だと思うんですよね。古典の演目のヒロインは、まあこれはおとぎ話の世界の住人だからちょっと同列には論じられないところはあるとしても、現代作品においてもバレエの世界のヒロインっていうのはその殆どが「愛」を求め「愛」に生きる、っていうのが普通だと思うんですよね。ジゼルやジュリエットなんかはその典型だし、オデットやニキヤだってそうでしょう?キトリやライモンダだってそうだしオーロラ姫だってそう言っていいと思う。クラシックバレエのヒロインは殆ど皆、その「型」に当てはまると言っていいと思うし、現代作品においても基本的にそれは変わらないと思う。(と言っても私はまだ観たことない作品の方が多いからあくまで推量)でも「マノン」のヒロインは違う。彼女には「愛」よりも心惹かれるものがある。そしてそのものの為なら平気で愛だって捨ててしまえる。彼女がこの世でなによりも好きなもの、それは「富」。はっきりお金と言ってしまってもいいと思う。「愛」よりも「お金」が好きで、贅沢が好きで好きでたまらない・・・富豪の愛人となってパーティーに出席し男達によって空を運ばれていくときのマノンは、おそらく幸福の絶頂にいるんだろう、と私には思われます。虚飾の世界の女王でいるとき、そのときこそがマノンにとっては至福のときであるはずなんですね。そしてそうしたマノンの性質がものすごくリアリティを持った存在として、私には映るんですね。愛だの恋だのにうつつを抜かしているヒロインよりも、はるかに現実味のある存在として私には捉えられるんです。こんなにも現実味を持って捉えられるヒロインというのは、私にはマノンしかいない、と断言してもいいくらい。美しい「バレエ」の世界に、こんな「現実的」「世俗的」なヒロインもいたんだ、という驚き。またそのこととは全く別に、マノンというヒロインの「お子様度」の高さ。これもまたお利口さん揃いの他の作品のヒロインとは一線を画する、非常にユニークなところだと思います。彼女はあくまで自分の欲望に忠実です。自らの心の欲するままに行動するマノン。そこでは世間的な常識とか倫理とか罪の意識とか、そうしたものはマノンの心になんら影響を及ぼすことはありません。それらのものはマノンが意識的に切り捨てたというのではなく、そもそも最初から身に付いてはいないのです。だから恋人を裏切るのだって平気。そのことによって相手をどんなに傷つけることになるか、などとは考えてもみない。自分のことしか考えていない自己中心的なマノン。マノンを観ていて終始感じるのは、彼女は本当に「子供」のままなんだなぁ、ということです。躾を受けていない「子供」そのもの。我がままで自己中心的で欲しいものはとにかく手に入れたい。「大人」だったら常識(良識)、倫理によって自らを律することができるけれど「子供」のままのマノンにそれを求めたって無理な話。終始一貫「子供」として変わることはない。でもそのことがマノンをマノンたらしめている。マノンの「個性」そのものなわけです。そしてこういう類の「個性」を持ったヒロインというのは他の作品ではまず見ることはできないでしょう。そうした意味からも「マノン」というヒロインには関心を抱かずにはいられないわけです、私としては。
2005年06月13日
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東京公演だけかと諦めていたシュトゥットガルト・バレエ団の来日公演、「ロミオとジュリエット」は大阪でも公演があるとのこと、NBSのサイトで確認し狂喜乱舞しております。あ~、よかったぁ・・・往復約2万5千円の交通費はこれでかからずに済むのね~。あ、でも「オネーギン」は観たいんだけどなぁ。でも「オネーギン」は両日ともソワレだから、宿泊しなくちゃいけないんですよね。う~ん・・困った。「ロミジュリ」よりもあきらかに「オネーギン」の方が自分好みの作品だと思われるので、「ロミジュリ」よりも「オネーギン」の方が観たいんですけど、なにしろお金が(涙)来年もいろんなバレエ団の来日が控えてるし(特にボリショイは絶対に見逃せない)東京公演しかないんだったらもう開き直って「オネーギン」観に行こうかと殆ど決めかけていたけど、大阪にも来てくれるんだったら「ロミジュリ」だけで我慢しておこうかなぁ。クランコの「ロミジュリ」は一度ぜひ観たいと思っていたし。でもやっぱり本当に観たいのは「オネーギン」なんですよね・・でも、いずれにせよ大阪でも観られるとのことで嬉しい限り。
2005年06月09日
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昨日、光藍社さんからダイレクトメールが届いたのでざっと見てみました。相変わらず仰々しい宣伝ではあるけれど(笑)写真もいっぱいだし見てるだけで楽しくなってきちゃいますね。特に私なんてかれこれ半年も生の舞台から遠ざかっているものだから、あ~、バレエが観たい!という気持ちがむくむくと湧きあがってきちゃいますよ。まぁ私は「ルジマトフ&レニングラード国立バレエ」も「シェスタコワ&レニングラード国立バレエ」も「ルジマトフのすべて2005」も観には行けないから広告を見てることしかできないんですけどね。なんといっても今年の夏はベルリンとロイヤルとABTでもう手一杯な訳で。ロイヤルも「マノン」じゃなかったらこんなに観にいく予定になることもなかったと思うけど、なにせ「マノン」なものですから私的にはこれだけはもう絶対に見逃すわけにはいかないんですよね。もうこの「マノン」好きはちょっとしたびょーきです、私(笑)そうそう、「マノン」といえば私まだまだ書きたいことがあるんですけど(あれだけ書いといてまだあるんかい、って言われてしまいそうですが)最近まとまった時間がなかなか取れないので中断しちゃってます。そのうちまた書かせていただこうと思ってますので(しつこい!という声が飛んできそうですが)よろしかったらまたお付き合いくださいませ。それにしてもシェスタコワは可愛いなぁ。ペレンは美人だなぁ。でもぺレンは美人だけど私はあんまり好きじゃないんですよねぇ。どうしてなんだろう。自分でもよくわからないんだけど何回か舞台を観させていただいたけど、ペレンにはなぜかあまり心が動かされないんですよね。理由は全く不明。基本的に私はスタイルのよい細身のバレリーナが好きだから見た目だけに限っていえば彼女は明らかに私好みのバレリーナのはずなのに、なぜだかいまいち心を引かれない。ザハロワにはもう瞬時に魂を奪われた私なのに、ペレンには殆ど感動しない。まぁ、ザハロワと比較するなって言われればそれまでなんですけど。対してシェスタコワはすごく好き。これまた理由はよくわからないんだけど、初めて彼女を観た「白鳥」での好印象が大きいのかもしれない。オデットの悲しみが彼女の身体から溢れんばかりにたちこめていながらあくまで静かに、しっとりとした情感となって観ているこちら側に伝わってくる、なんというか「たおやか」という言葉がぴったりはまるオデットで、すごく感動したのでした。今思えば、彼女のオデットはかなり「女性的」だったと言えるかもしれません。あと、今回のダイレクトメールを見ていて気になった人。キーロフのテリョーシキナ。キーロフの新星、と銘打たれているところを見るとまだ新人さんなんでしょうが、どんな人なんでしょうね?私はどうせ観に行けないけど、御覧になった方のご感想を楽しみに待つことにしようと思います。
2005年06月06日
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いろいろと雑事に追われてなかなか日記が書けない日々が続きました。久しぶりの日記なのにあまりたいしたことも書けず申し訳ないのですが、思いつくままにちょこちょこっと書かせて頂きますね。えー、気の早い話ですが来冬のレニングラード国立バレエの来日公演の演目が発表になってたんですね。おなじみのチャイコフスキーの三大バレエに加えて「バヤデルカ」「ドン・キホーテ」「ラ・シルフィード」の全部で6演目の公演となるようで、例年のことながらやっぱり嬉しいですね。「バヤデルカ」のニキヤ役は誰になるんでしょうね?それが実は一番の関心事だったりする私。一番の希望はザハロワだけど、彼女は同時期に新国で「白鳥」出演が決まっているからやっぱり無理かなあ。あとちょっとびっくりしたのがファジェーエフが「ドン・キ」にゲスト出演するということ。彼がレニングラード国立バレエの日本公演にゲスト参加するのって初めてなんでしょうかね?彼のバジルってあんまりイメージが湧き難いんだけど、これはけっこう楽しみ。男性ダンサーにはあんまり興味のない私だけど見た目だけに限っていえばファジェーエフは一番好みなんですよね。「白馬に乗った王子様」というのは彼のような人のことを言うのだと、初めて至近距離で見たときに思いましたもん。でも今まで彼のことは3度しか観たことがなくて、その3度というのがどれもロミオの役(それもノーブルなラブロフスキー版)だったものだからバジルのイメージは湧き難いんだけど(できればジークフリートかアルブレヒトなんかの正統的?な役で観てみたかったけど)でもでも、とにかく楽しみです。あと「ラ・シルフィード」は日本初演だそうですね。興味がないことはないけどわざわざ上京してまで観たい作品でもないのでこれは観られないだろうなぁと思います。そういえばシュトゥットガルトの来日公演の詳細も発表になってましたけど、結局ここも東京でしか公演がないということなんでしょうか?せめて大阪くらい来てくれたってよさそうだと思うんだけど・・・でも「オネーギン」は絶対観たいから東京まで観に行っちゃうだろうと思います。
2005年06月04日
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