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久しぶりに「マノン」の感想を書いてみたいと思います。デ・グリュ―の元に戻り、束の間の幸福を味わったマノンとデ・グリュ―ですが富豪が警官隊を連れて突入、混乱のなかマノンの兄は殺されマノンも売春容疑で逮捕、アメリカへ流刑、という運命の大転換が訪れます。第3幕の第1場、船から降りてきたマノンの姿が今までとは打って変わった惨めなもので、大きな衝撃を与えます。無残にも短く切り落とされた髪、粗末な衣装と変わり果てたマノンの姿に、流人となってしまった彼女の現在の状況が非常にわかりやすく描かれています。余談ですが、映像のなかでジェ二ファー・ペニー扮するマノンの着ている衣装はスカート丈が長く、現在のロイヤル・バレエ等が採用しているぼろぼろに切り落とされたような短いものではありません。現在見られるような衣装に変更になったのがいつなのかはわかりませんが、少なくともこの映像が撮影された82年当時はこのような丈の長いスカートであったことがわかります。流人となってアメリカへ流されたマノンにデ・グリュ―は付き添って行きます。完全にマノンに魂を奪われてしまったデ・グリュ―は、いまや罪人となってしまったマノンにさえもどこまでもついていく覚悟です。しかしマノンの美しさには当地の看守も心を奪われます。看守の部屋に連れて来られたマノンは看守に言い寄られ、結局襲われてしまったようです。この看守の部屋での看守の振りは、実にいやらしく、相当生々しいものがあります。生の舞台を観ていた時にはそれほどまでには感じなかったのですが、こうして映像で見てみると、そのあまりの生々しさに正直驚きました。こんないやらしい場面だったのね・・・っていう感じです。「マノン」というバレエ作品をある意味象徴するような場面ですね。しかしこの看守は突然現れたデ・グリュ―に背中を刺され、死んでしまいます。遂にデ・グリュ―はマノンのせいで殺人まで犯してしまうことになったのです。こうなってはこのままここにいる訳にはいきません。2人は逃亡し第3場の沼地へと物語は続いていくわけです。それにしてもマノンにとってデ・グリュ―の存在とは一体なんだったのでしょうか?マノンは確かに彼を愛してはいたようです。しかしその「愛」は、実に移ろい易く不確かなものでした。愛してはいるけれど他にもっと魅力的なものを見つけたら、すぐにそちらへ心を移してしまう、そしてそのことになんら罪の意識を覚えることもないし、良心の痛みを感じることもありませんでした。マノンがデ・グリュ―を愛していた、と書きましたが、それだってデ・グリュ―がマノンを愛していたから、彼女も彼に好意を覚えたに過ぎず、もしデ・グリュ―がマノンに愛を感じなかったらマノンは彼に愛など感じなかったはずです。とにもかくにもデ・グリュ―のマノンへの愛、それこそがこの2人の関係の基盤にあったものであり、もしもそれがなかったらマノンが自らの自然で自発的な意思によってデ・グリュ―に愛を感じる、などということは在り得なかったはずです。つまりマノンはあくまで受身の立場でデ・グリュ―を愛していたに過ぎず、デ・グリュ―のようにマノンへの想いに生涯を懸けるなどということは最初から在りうるはずもないことであったわけです。仮にもしデ・グリュ―が彼女の前に現れなかったらどうだったでしょうか?マノンは富豪の愛人になって安穏としていられたはずです。当然アメリカへ流されることもなかったし、兄を殺されることもありませんでした。流刑地で非業の死を遂げるなんてこと、絶対にありえなかったことでしょう。仮に富豪がマノンに飽きて捨ててしまったとしても「お次」にありつくことは彼女にとっては容易なことだったはずです。流刑地での看守との関係もそうです。案外マノンは平気で看守の愛人におさまったのではないでしょうか?そうした方がはるかに良い暮らしができるのはわかりきっていることです。そしてマノンがなによりもそうしたものを望む女であるということはこれまたわかりきったことであるからです。となると、デ・グリュ―こそがマノンを破滅させた張本人、ということになります。彼はマノンを愛するあまり結果的には彼女を破滅させてしまった、なんとも皮肉なことではありますが、こういうことは案外起こりやすいことかもしれません。これまでマノンこそが「宿命の女」であると言われ続けてきました。確かにそのとおりであり、そのことになんら疑問を抱くものではありません。しかしこれはあくまでデ・グリュ―の側からの視点であり、マノンの側からの視点ではありません。マノンの側から言うならばマノンにとってもデ・グリュ―という男は「宿命の男」に他ならなかったのではないでしょうか?マノンは彼に愛されてしまったばっかりにとんでもない憂き目を見ることになってしまったのですから。要するにマノンにとってはデ・グリュ―が、デ・グリュ―にとってはマノンが、それぞれにとっての「宿命の人」だったのです。
2005年04月26日
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1月にバレエを観て以来、気が付けば2ヶ月半ほど全くバレエを観ていない。こんなに間隔の空くことも今までなかったこと。バレエ観たい熱が殆ど限界まで来てる感じがする。早く5月になってほしい。ところでヴィシニョーワの「マノン」が観たい、とこの間書きましたが、彼女は今年の年末に新国で「くるみ割り人形」にゲスト主演してくれるそうです。(って今さら言うまでもないことだとは思いますが)私はワイノーネン版「くるみ」って観たことなくて、少しは観たい気もするのだけれど、せっかくヴィシニョーワとファジェーエフを呼んでくれるのなら、もう少し踊りの多い役で観てみたいなぁなんて思っちゃいます。そりゃぁこの2人によるグラン・パ・ド・ドゥはそれは素晴らしいものになるであろうということは想像に難くないけれど、そしてこういうとにもかくにも「華」というものが要求されるパ・ド・ドゥにおいて、ヴィシニョーワはまさに最高といってよいくらいの魅力を発揮してくれるであろう、ということは実感としてもよく理解できるのだけれど、「くるみ」ってこのグラン・パ・ド・ドゥとあともうひとつのアダージョくらいしか踊りの魅せばがないじゃないですか。だから踊りを観に行きたい私としてはなんかつまらないんですよね。もちろん「くるみ」は音楽が素晴らしいし(クリスマス・ツリーが段々大きくなっていく場面とかマーシャと王子の最初のアダージョの曲とかは本当に筆舌に尽くしがたいほど好きです、もちろん最後のグラン・パ・ド・ドゥのアダージョの曲も)最後のグラン・パ・ド・ドゥを観るためだけでも観に行く価値はあると思うのですが、1幕のクリスマスパーティの場面とかははっきりいって私はどーでもいい。お菓子の国での一連のディヴェルティスマンも長すぎ。こういう踊りはひとつかふたつでいいのにやたらにつまらない踊りが続くのでうんざりしてしまう。「花のワルツ」だけは大好きだけど。要するに私はあまり「くるみ割り人形」というバレエが好きではないんですね。比較できるようなものではないと思うけれど、「くるみ」に比べたら「眠れる森の美女」の方が断然好きです。こちらの方がダンス・クラシックでの踊りが多いしオーロラの踊りも好きだし、とにかく絢爛豪華な夢の世界を存分に味わえる。「おとぎ話」と完全に割り切って楽しめるし。ヴィシニョーワとファジェーエフはどうせなら「眠り」の方に呼んでほしかったな。ヴィシニョーワほどオーロラの似合うバレリーナってそうそういないと思うし、プリンス・デジレとしてファジェーエフも言うことなしですし。
2005年04月21日
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パリオペ「シーニュ」の公演も無事に終了し概ね好評のようでよかったですね。比較的近くだったのだから行こうと思えば行けたのだけど、コンテンポラリーの要素が強すぎるといやだなぁと思って観に行かなかったのだけれど、こればかりは自分の眼で確かめてみるしかありませんよね。夏の公演ラッシュがなければ絶対行ったんだけどなあ、と愚痴ってみても仕方ないのですが。それにしても歳月の過ぎ行くのは速いものですね。去年の4~5月は「マラーホフの贈り物」公演があったんだなあと思い出しました。大阪での公演1度しか観に行けなかったけど、あのときのヴィシニョーワ&マラーホフの「マノン」の寝室のパ・ド・ドゥは良かったなぁ。この2人の寝室~は前回の世界バレエフェスティバルの時にも観ているのですが、そのときよりもずっと良かったと思う。とにかく2人ともラブラブで恋の喜びの絶頂にいる、マノンとデ・グリュ―そのものでした。とくにマラーホフは役になりきってしまったのかマノンとのキスの後、そのまま腕やら胸元あたりにキスの嵐でいまにもマノンを押し倒さんばかり。(だったと思う)とにかくマノンのことが愛しくて愛しくて仕方が無い、といった気持ちがストレートに伝わってきて。それをさりげな~く受け流すヴィシニョ―ワの仕草もまたよかった。この2人による「マノン」全幕とかやってくれないかなぁ。めちゃくちゃ観たいです。新国が「マノン」を再演することがあったらぜひともこの2人をゲストに呼んでほしいものですが、無理でしょうか?ABTとかでそういうことがあったらニョ―ヨークまでほんとに観に行ってしまいそうですよ。(ABTがレパートリーにしているかは知りませんが・・・)マラーホフがデ・グリュ―じゃなくてもヴィシニョ―ワのマノンは観たいなあ。パリオペでヴィシニョ―ワはルグリと「マノン」を踊ったそうだけど出来ることなら日本でも踊ってほしいです。だけどデ・グリュ―の役ってとても重要な役ですよね。考えてみたら。だってあんなにも不実な女に最初から最後までとことん愛情を捧げ続けるんですもの、ふつう在り得ないんじゃないですか?それを観てる観客に違和感を感じさせないようあくまで自然体で演じなければならないんですから。私は男性ダンサーにはあまり関心がなくて、誰が踊っても同じ、みたいにしか捉えられないところがあるのですが「マノン」におけるデ・グリュ―の役だけは誰が演じるのか気になりますね。そしてこの役はやはり、典型的なダンスール・ノーブルといわれる人に演じてもらいたいですね。こんな人にここまで愛されたら女冥利に尽きるんじゃない?なんて思わせてくれるような感じのひと。要するに正統派の二枚目さんに演じてもらいたい、ってことですね(笑)そして改めて言うまでもなく、マノン本人も勿論美女でなければなりません(断言)「マノン」というバレエの主人公たちは美男美女、というのがもう絶対の条件ですよ、私の中では。ただし美女にもいろいろあって妖艶という感じのひとよりも、可憐という感じの人の方が好みですけどね。可憐という感じの人の方がファム・ファタルっぽくないでしょ?いかにもそういう感じ、っていうひとじゃない方が、ギャップがあって面白いじゃないですか。とここまで書いてきてそれって私好みのガムザッティと同じだ、ということに気が付きました。となると、シェスタコワのマノンって、もしかしてすごく似合うんじゃないでしょうかね?可憐な容姿といい、品があって淑やかな女性っぽいところといい。虫も殺さぬような可愛い顔をしておきながら、恋人を地獄のどん底に突き落として平気なマノンに、シェスタコワはぴったりじゃないでしょうか?といってもマールイは「マノン」をレパートリーにはしていないだろうから今の段階では見果てぬ夢でしかありませんが。
2005年04月17日
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実家から取り寄せたボリショイの「ラ・バヤデール」のビデオを今日見てみました。時間がなかったので影の王国の場面はまだ見ていません。それにしても同じ演目でもバレエ団が違うと印象がかなり変わりますね。改めてそのことを実感しました。ボリショイの「ラ・バヤデール」は舞踊でストーリーを進めていこうという趣旨が強く感じられるのでやはりグリゴローヴィチ版だと思うのですが、演出家の名前などが今の段階では全く出てこないので確認はできません。多分一番最後にまとめて出てくるのだろうと思います。ロイヤルの映像ではカバーに主要キャストから演出家、その他の名前が印刷されているのですが、こちらは物語のあらすじとグラチョーワとヴェトロフの名前しか書かれていないんです。ので、多分グリゴローヴィチ版だろうということで。で、私の注目するガムザッティですが、最初の登場場面からかなり踊ります。ソロルとの婚約式の場面までは踊らないのが大方の演出だと思うのですが、最初からかなり踊ります。そのせいか衣装がどうも安っぽい。ロイヤルのガムザッティは最初インドのサリー風の豪奢な衣装を身にまとって登場し、身分の高い姫君であることを観客に印象付けますが、こちらはプリンセスの衣装にしてはあまりに安っぽいのでは、という印象。いくら最初から舞踊のシーンがあるとはいえ、もう少し綺麗な衣装で踊らせてほしいものです。そして肝心のガムザッティご本人ですが・・・うーん、あきらかに私の好みとは違います。なんだかやたらとにやにやしていて(注・「にこやか」とは感じられない)品というものが感じられないんですよね。高貴な姫君であるのだからもう少し品のよさというものを表してほしいです。見せかけだけであるとしてもガムザッティには淑女の雰囲気がほしい。育ちの良さというものを感じさせて欲しいです。全く個人的な意見ですが。このガムザッティ役のバレリーナさん、せっかく美人でお美しいのに非常にもったいない気がします。まあ、高慢ちきな女、という解釈であえてこのような役作りをなさったのかもしれませんので私ごときがこんなことを言っていてもしょうがないのですが。そしてニキヤとの対決?シーン。「この宮殿の素晴らしいもの、みんな私のものよ、それに比べてあんたはなに?ただの水汲み女じゃないの!」と言う場面。この振りはロイヤルにもありましたが良いですねー(笑)非常に気持ちが良いです。あ、「水汲み」とは私の勝手な解釈でほんとにそう言っているのかは定かではありません。ニキヤは神殿に仕える舞姫(バヤデール)であり、決して「水汲み女」ではないのですが、奴隷たちに水を与えることも仕事の内なのでしょう。それを指してあえて「水汲み女」とガムザッティは言うわけです。(私個人の解釈では)「私とあなたでは身分がまるで違う、そこのところわかってるの?」と言いたいわけです。それに対抗するにニキヤは、ソロルが聖なる火に対して自分への愛を誓っているのだ、という切り札を出します。「誓い」という切り札を出されてはさすがのガムザッティも少し怯まざるをえない。エゴとエゴがぶつかり合う女2人のバトルはいつ見ても面白いですねー。この場面の最後はガムザッティがニキヤを殺すことを宣言して幕が降りるのが普通だと思うのですが、この版ではガムザッティは両手を自分の胸にあててソロルは自分のものよと宣言して幕が降りる演出になっています。(とはいえ、私はマイムには全然詳しくないので勝手に想像してるだけですが。でもマイムというほどのマイムはなく、ごく簡単な身振り手振りですので多分合ってると思うのですが)で、なんだかんだ言ってこの場面までのガムザッティはあまり私好みのガムザッティではなかったのですが、続く婚約式の場面での彼女はやはりさすがというか、当然というかプリンセスとしての輝きにあふれていました。純粋に舞踊だけの観点からいえば、ここでの彼女はやはりバッセルの比ではないと思いました。ボリショイのプリマとはこういうものよ、と言わんばかりの美しさ、輝き。バッセルももちろん素晴らしかったのですが、やはりまだ若いということもあってか、どことなく危うさというものも感じられたのですが、彼女は本当に余裕たっぷりで。特に腕の美しさ、指先まで神経が行き届いているということの美しさ、テクニックも安定していて、舞踊だけ見るならやはりすばらしいのはこちらの方だと思いました。彼女に限らず、コール・ドを構成するひとりひとりのダンサーの質ということでも、やはりボリショイの方に軍配が上がると思いました。皆、本当に美しいです。やっぱりロシアはバレエの国だなあ。ダンス・クラシックを躍らせたらやっぱり世界一ですよね。ちなみにさっきからガムザッティ、ガムザッティと言ってきましたが、この役を演じておられる肝心のご本人の御名前がわからないんですよね。鑑賞歴のある方でしたらすぐにお分かりになると思うのですが、いかんせん、鑑賞歴の短い私にはわからないのです。どうもすみません。それにしても同じ演目でも演出の違いで雰囲気が大きく変わること、ボリショイの版は舞踊が多いので見ごたえはあるのですが、ややあわただしいような感は拭えません。同じ演出でも演じる人が違えばまた雰囲気は変わるでしょうし、つくずくバレエは奥が深いなと感じますね。
2005年04月16日
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昨日届いたNBSニュースではダーシー・バッセルとロベルト・ボッレによる「マノン」が特集されてましたね。長野由紀さんがお書きになったものです。真ん中に掲載された2人による「マノン」の写真がすばらしく美しくって、これを見ただけで嬉しくなってきちゃいました。バッセルの「マノン」は今回3キャスト観に行くことになったマノンの中でも一番の御目当て。というのはどうしても一度、生のバッセルを観たかったからなのであります。ロイヤルのマカロワ版「ラ・バヤデール」のビデオで彼女はガムザッティを演じていますが、この映像での彼女が私はすごく好きで。それでぜひ一度彼女の舞台姿を観てみたかったのです。「ラ・バヤデール」は古典の中では一番好きな演目で、生ではパリオペのヌレエフ版、レニングラード国立のボヤルチコフ版、2つの演出しか観たことがないのですが、映像ではロイヤルのマカロワ版、ボリショイのグリゴローヴィチ版(多分)、パリオペのヌレエフ版と3本もビデオを買って見てみました。ニキヤとして一番心に響いたのはボリショイのグラチョーワ、ガムザッティとして一番気に入ったのがバッセルです。ちなみに演出として一番気に入ったのもロイヤルのマカロワ版。マカロワの版では最後の神殿崩壊の場面まであってソロルとガムザッティの結婚式にニキヤの亡霊が現れてソロルの心をかき乱します。ソロルがニキヤと踊ったりガムザッティと踊ったり、ガムザッティとお父様の藩主とが踊ったりと最終幕まで見ごたえがあります。この映像は91年撮影とのことですから、この時バッセルは22歳くらいだと思うのですが、この若さであれだけのガムザッティを演じられるのはすごいことだと思いました。私はアスィルムラートワよりバッセルの方に心を奪われてしまいました。ただしもともと私はニキヤよりもガムザッティの方が好きなので、その分差し引いて考えなければいけないかもしれませんが。特に1幕の最後でガムザッティがつかつかと中央に歩み出て、ニキヤを殺してやる、と宣言するところなんか一番好きですね。かなり(いや相当?)変わってるかも、私って(笑)で、この、私の好きなガムザッティ像ということで言えば、ガムザッティは可愛くなければならない、というのが絶対の条件。(外見が、です)可愛らしい外見の女がライバルの女を殺してしまう、というところが一番重要なのであって、恐い?外見の女がそんなことをしても別にふつうじゃないですか。(いや、ふつうじゃないんですけど)そうではなくて、そんな恐ろしいこととてもやれそうにない、虫も殺さぬような顔をした女が殺人を企むという、そのギャップが一番面白いところだと思うんですよね。そういう意味でガムザッティを演じるバレリーナは外見的に恵まれている人、というのが私の中でのガムザッティの第一条件。美しい、という感じの人よりも可愛い、可憐、という感じの人がよいですね。この条件でいえば、マールイのシェスタコワはものすごく私好みのガムザッティで最高です。コジョカルもすごくよいかも。(彼女がこの役をレパートリーにしているかどうかは全然知りませんが・・・)えー、バッセルの「マノン」の写真が素敵だと言った後に延々と「ラ・バヤデール」の話をしてしまいました。とりとめのない話ですみません。ともかく7月にバッセルの「マノン」を観られるのが楽しみです。
2005年04月12日
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本日NBSから「バレエの祭典」入会案内のダイレクトメールが届いたのですが・・・思っていたより高かった。15万くらいかなぁと思っていたのですが。これでは今回も「祭典」入会は諦めざるをえないかも。けどよくよく考えたら別に会員にならなくてもチケットは手に入るし、一番御目当てのボリショイも「ファラオの娘」「ラ・バヤデール」共にそんなに一般に知名度の高い演目ではないから、案外あっさりチケット入手できるんじゃないかなあ?その良い例が今年7月のロイヤルの「マノン」。6年ぶりの来日公演だし私の大好きな「マノン」だから絶対チケット争奪が激しいだろうと覚悟していたのに、一般発売であっさりとかなりの良席が取れてしまった。でも考えてみたら確かに「マノン」なんて、私もバレエを観るようになってから初めて知った演目だし、バレエ好きな方の中でも好き嫌いが分かれる作品かもしれないですし、そもそも「ロイヤル・バレエ」なるものそれ自体を私は知らなかった・・・イギリス=バレエという図式が全く思いつかなかったんです。バレエ=ロシア、と思い込んでましたからね。そのロシア・バレエの殿堂ボリショイの公演だって、前回2002年の来日公演、一般発売でチケット入手できたし、なにもそんな高額な料金払って会員になる必要もないんじゃないかなぁ。というか、そう願いたい(笑)それに招聘元さんが違うから気がつかなかったんですけど2006年の11~12月はキーロフも来日予定なんですよね。ということはこちらにもお金が必要、ということでどのみち祭典入会は不可能なわけです。残念ですが。
2005年04月11日
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「マノン」の続きです。悦楽に酔いしれていたマノンですが、これまでじっと佇み成り行きを見つめていたデ・グリュ―が遂にマノンへの変わらぬ想いの丈をぶつけ、その想いの激しさにさすがに心を揺さぶられることになります。けれども贅沢に慣れきってしまったマノンが貧乏学生のデ・グリュ―の元へそのまま戻れるはずもなく、兄の薦めでデ・グリュ―にいかさま賭博をさせることになります。しかしいかさまは見事に露見、修羅場と化したパーティー会場を慌てて逃げ出します。再びデ・グリュ―の元に戻ったマノン。けれどもマノンのデ・グリュ―への愛は再燃したようでここで踊られる2人のパ・ド・ドゥは愛に満ちています。デ・グリュ―は言わずもがなですが、マノンも心から彼のことを愛しているようで「あぁ、私はやっぱりこの人が好きだったんだわ」と思うマノンの気持ちが伝わってきます。雨降って地固まる、という諺がそのまま当てはまるかのように、一波乱あってようやくマノンの気持ちも確かなものとなったような印象です。けれどもマノンは富豪から贈られたブレスレットを腕から離そうとはせず、デ・グリュ―はそれを外してほしいと何度も言う(踊りの中の振りとして)のですがマノンは聞き入れません。むしろブレスレットに慈しむかのように触れてみせたり、大きく両腕を広げて誇示するかのような振りをします。豪奢な装身具を身に付けていることが嬉しくて堪らないかのようです。デ・グリュ―への愛が再燃したとはいうものの、やはりまだ贅沢生活をしていた頃の名残が抜けきれないでいます。デ・グリュ―の心中を慮るなんてことは到底思いもつかないことであって、ただただ豪奢な装身具を身につけていることが嬉しいのです。デ・グリュ―への愛と富豪から贈られた装身具を外そうとはしないことが、マノンの中では矛盾せず存在しているのですね。「綺麗でしょ、これ」とデ・グリュ―に見せ付けるようなことも平然とやってしまえるのです。ここでもマノンは自分が悪いことをしているとは全く思ってもいなくて、それを見せられた相手がどう思うかなんてことは考えてもいないのです。良心や道徳心、いやそれ以前に常識というものがあれば、こんな真似はできっこないでしょう。デ・グリュ―を愛しているなら富豪から贈られた品など彼の前では見せられないのが普通でしょう。けれどマノンはなんの頓着もなしにそれを相手に見せて嬉しがっているのです。そもそも彼女はデ・グリュ―を棄てて富豪の愛人になっていたのですから、まずなによりも第一に、そのことを恥じる必要があると思うのですが彼女にそんなそぶりは全くありません。自分が相手に対して悪いことをしたなんて、これっぽっちも感じてはいないのです。マクミランは、「マノンに興味を抱いたのは、これがあらゆる倫理観と無縁な女だったからだ」と語ったそうですが、まさにその言葉どおりの女であることがよくわかります。ただ私が感じるのは「倫理観と無縁=悪女」、とは言い切れないということです。ここまでマノンを追ってきましたが、私はその間一度も彼女を悪女という風に捉えることはできませんでした。表面だけ見れば確かにマノンはとんでもない悪女にも見えます。ですがマノンはこうした一連の行為を意図的に行っているわけでは全然ないのです。こんな行為をすれば相手はどう思うか、どんな結果になるか、などどは考えてみたこともなくて、ただ自分の欲望に忠実に従っているだけです。忠実というよりも正直に、と言った方がいいかもしれません。ただひたすら自分の気持ちに正直なのです。普通の常識ある人間ならばできないこと、できたとしても良心の呵責に攻め苛まれるようなことでも平気でできてしまうマノン。こんなマノンに一番ぴったりと当てはまる言葉はやはり「こども」、ではないでしょうか?そう、マノンは真の意味での「お子様」なのです。
2005年04月09日
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今月は中国国家バレエ団というバレエ団が公演を行うとのことです。新国立劇場中劇場にて。イープラスでの紹介を読んだかぎりでは、なかなか面白そうな演目ですね。特に「紅夢」の方。チャイナドレスにトゥシューズというのは意外にもけっこう似合うんですね。実際に見たわけではないので写真からそう判断しているだけですが。内容もけっこう面白そう。要するに私はドロドロした内容の作品が好きなんだなぁ、ということを最近自覚し始めた(笑)チャイナドレス姿のバレエなんて滅多に見られないと思うし、観に行きたいものですが、全公演ソワレなのね・・・わざわざ泊りがけで観に行くほどの気にはなれないので、残念。地方には来てくれないようですし。ちなみにイープラスの方ではチケットは売り切れてましたが、@ぴあではまだ販売されてました。ご興味おありになる方は観に行かれてみてはいかがでしょう。
2005年04月06日
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NBSのサイトで来シーズンのバレエの祭典の予定公演が発表になりましたね。来シーズンもこれまた超豪華!シュトゥットガルトの「ロミオとジュリエット」「オネ―ギン」パリオペ「白鳥の湖」「パキータ」ボリショイ「ファラオの娘」「ラ・バヤデール」「マラーホフの贈り物」その他。クランコの「ロミジュリ」は一度観てみたいと思っていたし、「オネーギン」も楽しみ。パリオペの「白鳥」はヌレエフ版だと思うので、これもぜひ観てみたいです。「パキータ」はちょっと微妙かな・・でもでもやっぱり一番の御目当てはボリショイですね。「ファラオの娘」は予想どおりだったけれど「ラ・バヤデール」を持ってきてくれるのは嬉しい驚き。ロシアだから「バヤデルカ」と言った方がいいと思いますが。ボリショイが一番楽しみなのはザハロワが来てくれる(よね?)からであって私がザハロワが好きだから、というのが一番大きな要因ではあるのですが両演目ともザハロワはお得意だから多分いっぱい観に行くことになるだろうな。ボリショイの「バヤデルカ」ってグリゴローヴィチ版なのかな?グラチョーワとヴェトロフの映像はグリゴローヴィチ版だったと思うんですが今手元にないので確認できません。舞踊のシーンが多かったので多分そうだと思うのですが、後日また確認してみます。あの映像でのグラチョーワのニキヤは本当に素晴らしかった。ニキヤとガムザッティの対決シーンもマイムじゃなくてジュテの応酬みたいな感じで舞踊的に見ごたえのある振り付けになってましたよね。あの版では最初に出てきたガムザッティが鏡を見て自分の美しさにうっとりする、なんて演出があって面白かったなあ。しかも髪型は金髪の縦ロール!(だったと思う)一応舞台は古代インド、という設定だったと思うんですが縦ロールとはちょっとねぇ。でもいかにもプリンセスって感じなのであれはあれで悪くはないと思います。で、映像の話が長くなりましたが、ザハロワのニキヤは大好きなのでこの演目は大いに大歓迎。ザハロワって悲劇的な役柄の似合う人だと思うし。それにしても「バレエの祭典」、会員になった方がいいのかな?確か15万くらいでしたよねえ。これを高いとみるか安いとみるか、うーん、かなり思い悩みますねえ。一応申し込み用紙は取り寄せて、それから考えることにしましょう(笑)
2005年04月05日
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第一幕においてマノンは終始子供であり、そのマノンを演じたフェリの可憐さにすっかり感心してしまった私でしたが、第二幕での富豪の愛人としてパーティーに姿をあらわすフェリのマノンは、これが本当に先ほどまで可憐な少女を演じていた人物と同じなのかと思うほどに、見事な変身を遂げていました。富豪から贈られたのであろう高級な黒のドレスを身にまとい、豪華なアクセサリーによって飾られたマノンは、もう完全に「女」。富豪にしなだれかかるように身を寄せながら杯を重ね、おしゃべりに興じるマノン。ここでのフェリの演技は圧巻でした。私はこの日ちょうど劇場の上手の最前列が席でしたので、もう目の前で観ることができたんですね。口パクなのか、まさか本当に喋ってはいないでしょうがマノンは富豪らとのお喋りに夢中です。その間何杯も杯を重ね、グラスを手にした姿も板につきすぎるほどのマノンは、もう完全に贅沢に慣れきってしまった体です。そして・・・本当に艶めかしい!同性の私までついよろめいてしまいそうなくらいの艶っぽさ。1幕での可憐さは完全にどこかへ行ってしまい、本当に妖艶で歓楽の世界の女王になってしまったマノンの姿がこれでもかとばかりに見せ付けられます。対してデ・グリューはというと、賑々しいパーティ会場でひとり寂しげに立ちすくみもう自分とはかけ離れた世界に行ってしまった感のあるマノンを、どうしていいのかわからないといった感じで見つめ続けます。なんとも切なそうで、この場面での2人の対照的な姿は実にすばらしい。マノンはデ・グリュ―の存在に気が付いてはいるのですが無視を決め込みます。この後マノンは男達によって次々とリフトされたりなんなりして踊ります。ここでのマノンは完全にこうした虚飾の世界の住人になりきってしまっていて、なんともいえないけだるげな雰囲気と投げやりともいえるような弛緩した雰囲気を漂わせています。贅沢というお酒によって完全に心が麻痺してしまったような印象です。ちなみにこの場面での一連の踊りはマノンが殆ど「物」として扱われているような振付で、男達によって性的な対象としてマノンが扱われていることがよくわかるとても興味深い踊りになっています。次々と男から男へと回され空を泳いでいくマノン。心というものをどこかに置き忘れてきたかのようにただ為されるにまかせるマノン。それにしても、出会い・寝室のパ・ド・ドゥに代表されるような甘美極まる愛のパ・ド・ドゥと、打って変わってマノンの心が無になったかのようなこうした物化された存在としてのマノンの踊り(一幕での富豪とレスコーとマノンによるトリオも同じ質のものですね)がひとつの作品の中でこうまですばらしく絶妙に対置されていることには、改めて感嘆するばかりです。1幕でのトリオなんて、へー、こんな振りもあったんだ、と最初に見たときはほんとに驚きました。富豪が上着を脱ぎ、続いてマノンも着せられていた毛皮のコートを脱いだので、ここで踊りが始まるな、とは思ったのですがこんな振りつけであろうとは思ってもみなくて、こんな踊り観たことない、なんて素敵なんだろうと思いました。このマノンが物化されたような踊りを素敵と思う方がどれほどいらっしゃるかはわかりませんが、私個人はこの種の踊りもとても気に入っています。こんなに型破りでありながら、それでいて視覚的な美しさは少しも損なわれることはなく、どころか普通のクラシックの演目では絶対に観ることのできない種類の美しさですもの。ストーリーの面白さに加えて自分好みの踊りがこんなにも次々と繰り広げられていくのですから私が「マノン」にはまるのも至極当然な訳ですね。またまた長くなったので続きはまた次回に。
2005年04月01日
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