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昨夜はABTの「オールスター・ガラ」の大阪公演を観てきました。その感想です。「テーマとヴァリエーション」 ミシェル・ワイルズ/デイヴィッド・ホールバーグ、その他 初見なのでなんともいえないのですが、う~ん、バランシンって本当に難しい んだろうなぁ。演技とか他のことでカバーするとかいうことが一切できないです からねぇ。別に悪いわけではなかったし、素直にああ綺麗だなぁ、と思える部分 もあったんですけど、バランシンの意図したこの作品って、本当はもっと美しく 魅せることのできる作品のはずですよね。本当はもっともっと美しい作品のはず なんだけれど・・・こういう作品こそパリオペとかで観てみたい気がします。 前回来日時に観た「ジュエルズ」は壮観でした。でもあの当時はバランシンの ような「プロットレス・バレエ」というものの美しさがいまいち、というか殆ど 理解できなくて、綺麗ではあるけれどなんかつまらない、というような印象を もってしまったんです。今もう一度観たらきっと全然違う印象を受けると思う んだけれど。「ロミオとジュリエットよりバルコニーのパ・ド・ドゥ」 ジュリー・ケント&アンヘル・コレーラ 今回のガラ中私の一番のお目当て。私はマクミランのジュリエットは映像でも 生でもフェリしか観たことがないから、フェリとは違うタイプのジュリエット を一度観てみたかったんです。ガラとはいえ。 ケントは立ってるだけで本当に美しい。淑やかなご令嬢といった雰囲気。 コレーラのロミオはガラだけれどちゃんと「ロミオ」してくれてた。 ソロの部分は相変わらずのすごい回転。新国で観た時も本当にすごかったけ ど。このすごい回転もロミオの、天まで昇りそうな幸福感、高揚した気持ち をそのまま身体に写し取ったという感じで、全幕で観ても全然違和感がないど ころか、ロミオの疾走する恋心、そのものを象徴的に表してる感じで実に効果 的だったと思う。 それにしてもけが人が続出する中、コレ―ラは本当に良く頑張ってくれてるな ぁ。ケントとのパ・ド・ドゥもとっても美しかったです。このバルコニーの パ・ド・ドゥは言葉では言い表せないくらい美しいですよねぇ。音楽もまた 良くて。この場面の音楽が流れてくるだけでなんともいえない気分になりません か?「ばらの精」 シオマラ・レイエス&エルマン・コルネホ 実を言うとこの演目には全く期待していなかった。一体なんだって「薔薇の精」 なんか持ってくるんだか?とすら思ってた。だってこの作品、映像でしか見た ことないんだけど、全然好きじゃなかったから。バレリーナの踊りをメインに 観に行きたい私にとっては、バレリーナが殆ど踊らないこの作品は全然好みでは なかったんですね。 しかし、全く期待してなかったのがかえってよかったのかもしれませんが、コル ネホが実に良かった!大きな跳躍をしても着地音は殆ど聞こえないし、観ていて 気持ちよかった。ワルツというのもバレエではあまり聴くことがないから新鮮 でとても心地よい。コルネホはかなり小柄なダンサーのようで、ポアントで立つ とレイエスより背が低い?くらいだったけどそのダイナミックな跳躍には見惚れ てしまった。えー、ちなみにこの「薔薇の精」という作品には隠された性的な 意図がある、との説明がされている本もありますが、今回コルネホの踊りからは そうしたものは殆ど感じることはありませんでした。なんか爽やかというか チャーミングというか。でもこれはこれで全然良いと思いました。「海賊より第2幕のパ・ド・ドゥ」 パロマ・ヘレーラ&ホセ・カレーニョ とにかくこの公演中最も盛り上がったのがこれ。カレーニョの超絶技巧炸裂! に会場はどよめきと喚声の嵐。とにかくすごかった。正直「海賊」なんて もういいよ~、なんて思っていたけどカレーニョの超絶技巧の前には言葉を 失うしかない。やっぱりすごい。カレーニョ、昨夜東京でドン・キ全幕を 踊ってるんですよね?昨日全幕でバジル踊って(大阪まで移動して来て)それ でこの出来とは!ほんと頭が下がります・・・ ヘレーラも負けじと頑張っていましたが、やはりこのパ・ド・ドゥの主役は アリですよねえ。カレーニョのアリに対抗できるメドーラって、タマラ・ロホ くらいしかいないんじゃ?(笑)「シンフォニエッタ」 これすごく良かったです。すごく気に入りました。 たくさんのダンサーが次々に現れては踊り続けていくのだけれど、その躍動 感、若々しさ。風のようでした。モダンで女性ダンサーもポワントじゃなか ったけど、基本はクラシックの技法に則ったものなのでコンテンポラリーは 苦手な私だけど充分楽しめました。それにしてもトゥシューズの制約がなくな ると女性ダンサーは見違えたように自由に生き生きと踊れるのだなぁと改めて 実感しました。えー、そんなこんなで全体的にはとっても楽しめた公演でした。正直観に行くのが少々面倒にも感じられていたのだけれど(「マノン」の満足感でまだ一杯で)やっぱり観に行って良かったです。今回ABTはこれだけでお終い。今日の「ライモンダ」は観に行きません。正直どうもパロマ・ヘレーラが好みではないんですよね、まだジリアン・マーフィーだったら少しは考えたのだけれど。
2005年07月31日
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コジョカルのマノンがパーティーの最中からかなり心が揺れているように見えたので、その後の展開、つまりマノンがデ・グリュ―の説得を受け入れ彼の元へ戻る決意をする、(もちろん「ただ」では帰れなくてデ・グリュ―にいかさま賭博をさせることになるわけですが)という話の展開が非常に辻褄の合う、話の流れとしては当然の結果、と思わせるような納得の行くものになったように思います。バッセルの場合だと、それまでさんざんGMに甘えて心から楽しんでいたくせに(デ・グリュ―のことは無視して)いくらデ・グリュ―が自分の元に戻ってきてほしい、と懇願してきたとはいえ、デ・グリュ―の思いをあまりにあっさりと受け入れてしまうのが少々唐突、という印象は拭いきれません。あまりに気まぐれというか、もちろんこの気まぐれさというものこそマノンをマノンたらしめているのですからそれでもちろんよいのですが、そうわかってはいてもマノンのこの変心ぶりは少々納得しにくいものではあるわけです。しかしコジョカルのようにそれまでからデ・グリュ―への「愛」とGMから貰える「贅沢」、この二つのものの間で揺れ動く心境を表現してくれていると、それまで揺れに揺れていた心がデ・グリュ―の心からの懇願を受けたことにより、それが決定打となって一気にデ・グリュ―への「愛」を選ぶことを決意させた、という非常に納得のいく話の展開になったと思います。(と言っても「マノン」としてはちょっと違うような気もしますが)しかし、パーティー会場を大混乱に陥れてデ・グリュ―の元へ戻ってきたマノンは相変わらずの「お子様」振りです。(特にこの点において秀逸だったのはバッセルでしょう)デ・グリュ―の心中を慮るなんて気持ちは薬にしたくともなくて、ただただ自分の心の欲するままにデ・グリュ―にじゃれつきデ・グリュ―もそんな彼女の魅力には抗い難く、2人は再び愛のパ・ド・ドゥを踊るのですが、その最中デ・グリュ―はマノンがまだGMから贈られた豪華なブレスレットをしているのに気付き、それをはずしてほしいとマノンに言い寄ります。しかしマノンはデ・グリュ―がなぜそんなにブレスレットにこだわるのかが理解できない。茶化すような振りをデ・グリュ―に対してしてみせたり、大事そうにブレスレットを愛撫してみたりしてデ・グリュ―の気持ちになど全く気付こうともしないのです。挙句の果てには誇示するかのように両腕を広げて「あ~、なんて幸せ。見てこの綺麗なブレスレットを」とでも言うような振りをする。デ・グリュ―のことを愛してはいるのだろうけれど、とにかくそんなことよりもなによりも理屈ぬきで、豪華なブレスレットをしているのが嬉しくてならないのです。こんなマノンですから一時の感情で(気まぐれというべきか)デ・グリュ―のもとへ帰っては来たものの、いずれ数日もすればこんな貧乏生活には耐えきれなくなって、またGMかあるいは別の金持ちの男の元へ出て行ってしまったのではないでしょうか?(もちろん良心の呵責などいっさい感じることなしに)ご承知のとおりその後のマノンは売春婦として逮捕され、アメリカへ流されるという運命の大転換が待っているのですが、第3幕について。ニューオーリンズ、船から降りてきたマノン。その姿にまず絶句(バッセルの場合)髪は無残にも切り落とされぼろぼろの服を身にまとって・・というのはもちろんあらかじめわかっていたことでしたが、バッセルは素脚だったのか筋肉の線がもろに見える。(あるいはなにか特殊メークでもしていたのか?)その剥き出しの脚のあまりの痛々しさ!それまでの幕とは打って変わった惨めな惨たらしいその「脚」に先ず視線は釘付け。スカートも丈の短いボロボロに切り落とされた感じのもの。(コジョカルとロホは丈が長めの同じデザイン?のものだった)マノンの境遇が先ほどまでとは180度違うものとなってしまったことを表現するには充分過ぎるほどのものがありました。ご承知のとおりマノンに目をつけた看守によりマノンは彼の部屋に連れてこられるのですが・・・あ~、ここから先の振り付けはもう、わかってはいるのだけれどそれにしてもあまりにも・・な部分ですねぇ。そのあまりのいやらしさには思わず顔がにやけてきてしまいます(あ、もちろん私は女性です)でももうほんと、ここまで生々しくやられたらもう笑うしかない、って感じですよ。この場面ではコジョカルのマノンが一番痛々しく感じられました。細いし小さいので余計そう感じるのでしょうね。しかし看守はマノンを乱暴した後、彼女に没収されてあった?例のブレスレットを付けてやり彼女にまた抱きついたりして、少なくとも1回こっきりレイプして終わり、というわけではなさそうなんです。看守は登場した時点から流刑になって到着した娼婦達を値踏みするかのような、いやらしさを全面に押し出しているのですが、その好色な看守が(娼婦達のことなど虫けら同然にしか考えていない彼が)マノンにはかなりご執心なご様子。新国が「マノン」初演した時のプログラムには、「看守はマノンにデ・グリュ―を捨てて自分と一緒に暮らさないかとマノンを口説く。」と書かれているので、看守はマノンを自分の愛人にしたかったようです。1回レイプして終わり、ではなく。ですがそこにちょうどデ・グリュ―がやってきてとっさに看守を刺殺してしまう。殺人という罪を犯した以上、もうマノンとデ・グリュ―は逃亡するしかなくなり、沼地へと場面は続いていくわけですが・・・もしも仮に、ここにデ・グリュ―が現れなかったら?彼が看守を刺殺してしまわなければ?マノンは一体どうしたでしょうか?前にも書いたことですが、マノンはおそらく看守の愛人になることを受け入れたと私は思うのです。自分をレイプした男の愛人になるくらいなら死んだ方がまし!と考えるのが普通の現代の一般人かと思うのですが、そこが常識というものさしでは計ることのできないマノン。マノンがなによりも「富」や「贅沢」に心惹かれる存在であること、その場その場の気まぐれに流される存在であること、誰かに守ってもらわなくては生きていけない存在であること、「愛人」になることに後ろめたさを感じることのない存在であること(キリスト教圏における「愛人」っていうのは日本人が想像する以上に「罪」ある存在、ですよね?)あらゆる倫理とは無縁のアモラルな存在であること、等々から考慮すると、やはりマノンは看守の愛人に案外あっさりとおさまったのではないか?と私は思います。そうして平然と看守に甘えて喜んじゃうような、そんな存在ではないか?と。見ず知らずの異国(といってもこの時代にはアメリカはまだ植民地だったのかもしれませんが)に罪人として流されてきて、マノンはどんなにか心細かったことでしょう。もちろん傍にはいつもデ・グリュ―がいてくれたとはいえ。そんなマノンにとって看守は当初こそ憎むべき存在だったかもしれませんが、マノンにとってはこの上ない「保護者」たりえる存在です。現地の権力者の1人でもあり、パリでGMが与えてくれたような贅沢には及びもつかないにせよ、少なくともデ・グリュ―と2人でいたときよりは遥かにましな生活を彼女にさせてくれるはずです。彼女の美しさで看守を彼女の虜にさせることだって、十二分に可能なはず。あのままデ・グリュ―が現れることがなかったら、マノンは看守に言われるまま彼に付いていったのでは?と私は思います。そうすればマノンは晴れて「ご安泰」、なのですから。しかしデ・グリュ―が彼を殺してしまったことにより、そうした可能性の全てを閉ざされることになってしまったのです。マノンにしてみればデ・グリュ―は、とんでもない「おせっかい」をしでかしてくれたわけです。(もちろんそんな風なことをマノンが思うわけもないのですが。彼女はいつも受身で流される立場であり、確信犯的に物事を計算してみせる悪女ではなく、むしろその正反対のタイプ)こうしてもう逃げるしかなくなったマノンとデ・グリュ―。場面はルイジアナの沼地へと続いていきます。
2005年07月28日
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あ~、コジョカル観られて良かった~。この日のチケット取っておいて良かった~、というのが16日の舞台を観終わった後とにもかくにも実感したことでした。コジョカルは「シンデレラ」も降板しているし、「マノン」でも降板する可能性が捨てきれない状態でしたが、そのことは私にとってとりわけ問題になるものではありませんでした。コジョカルの特別なファンというわけでもなく、ただ「マノン」という演目自体が好きだからとにかく沢山のキャストで観たい、でもギエムは嫌(ギエム本人が嫌いというわけではなくて「マノン」としてのギエムが想像できなかったから)となるとコジョカルをはずすわけにはいかないなぁ、というごくごく単純な理由で彼女の日のチケットを購入したに過ぎなかったのです、正直な話。特別期待もなにもしていなかった、というのが本当のところでした。しかし、コジョカルは嬉しいことにこちらの期待を遥かに超える、素晴らしい舞台を見せてくれたのです。テクニック的なことはもちろん(つい一週間前に怪我で舞台を降板したとはとても信じられない!)踊りもしなやかで流れるような身振り手振り、マクミラン作品を踊りこんでいるマクミラン・バレリーナとしての面目躍如たるものがありました。とても軽やかでそれでいてポワントでの超高速移動(物乞いの姿に驚いて後方にポワントで引き下がるところ)などテクニックにも強靭なものがあることを充分に伺い知ることができました。(と言っても彼女がかなりのテクニシャンであることは前回のバレエ・フェスで観ているのでわかってはいたつもりでしたが、やはり全幕で観るのは違いますね)くどいようですがコボーとのパートナーシップは素晴らしく、最初の出会いのパ・ド・ドゥ、続く寝室のパ・ド・ドゥでは流れるように美しいマクミラン特有のパ・ド・ドゥの美しさを堪能させていただきました。デ・グリュ―が手紙を出しに外出しようとする時には「ちょっと、忘れ物があるでしょ?」とでも言うように腕を腰に当てすねたような様子でデ・グリュ―にキスを迫るのが可愛らしかった。コジョカルのマノンも当然富に惹かれてGMの愛人になることを選択するのだけれど、パーティー会場でデ・グリュ―と再会した時からあきらかに動揺を見せ始める。近くにデ・グリュ―がいることをものすごく意識していて、表面努めて冷静を装いながらもその動揺を隠し切れない、といった態。GMとお酒を飲み興じながらも心底から楽しめてはいない様子だった。もちろんGMには甘えたり楽しそうに寄り添ってはいるのだけれど。この場面ではコジョカルのマノンはGMの膝の上に座ることもしなかったと思う。バッセルは当然の如くGMのお膝に座りこんで、さらに脚まで投げ出してものすごくGMに甘えて楽しんでいた。デ・グリュ―と再会する(パーティー会場で)ところでは明らかにデ・グリュ―と認めながらも完全無視を決め込み、殆どその姿勢を崩すことはなかったと思うのだけれど、コジョカルのマノンはそれに比べると明らかに動揺している。多分GMの愛人になってから今日この時までデ・グリュ―のことなどすっかり忘れていたに違いないのだけれど、彼と再会して彼を愛していたということを初めて思い出した、彼と一緒にいた時はそういえば幸せだったわ、幸せだったけれどGMの愛人でいなければ贅沢三昧に遊び暮らしていくことは出来ないし今の暮らしを捨てたくはない、でも彼のことも気になる・・・というような「葛藤」がコジョカルのマノンの心中には確かに存在した、と私は感じたのですが。パーティー会場で女王の如く踊るマノン、そこにデ・グリュ―が進み寄る、と辛そうに顔をそむけて(手で顔を隠すようにしていたかもしれないのですが記憶が大分薄れていて自信なし)後ろに引き下がるマノン。こうまであらわにデ・グリュ―のことを気にするマノンというのは前日のバッセルとは大違い。バッセルのマノンもデ・グリューのことが全く気にならないわけではないけれど、でもそんなことよりも今現在享受している生活の方が遥かに楽しくて嬉しくて、自分にこんな良い生活をさせてくれるGMのこともそれはそれでけっこう好きだったりするんですね。だからGMには思いっきり甘えていちゃついている。一度だけデ・グリュ―の存在に心が揺れる瞬間があったけれど、お酒を一気に飲み干してもう一度この享楽の世界に戻っていった。でもコジョカルのマノンはデ・グリュ―の存在が気に懸かり、パーティーでも心から楽しめてはいない。デ・グリュ―と再会したことで彼への「愛」が心中に復活した、とまでは言えないかもしれないけれど、GMの愛人になることでえられる「富」と(もちろんこの「富」は絶対に失いたくはない)デ・グリュ―への「愛」、この二つの間で板ばさみになりどうしてよいのかわからずに苦しんでしまう・・・そんな印象を受けました。なんというか、コジョカルのマノンはある意味月並み、平凡な解釈かもしれないのですが、事実私もマノンとしてはつまらない、マノンにこんな「良心」はいらない、これじゃあふつ~の女だよ、と思わなくもないのですが、コジョカルが演じるとそれを素直に納得させてくれるんですね。これはやはり彼女の容姿、若さに拠るところが大きいんだろう、とは思うのですが、それでもパーティー会場でそれまで黙ってマノンを見つめていたデ・グリュ―の感情が爆発するところ、そこでデ・グリュ―が懇願するようにひざまずいてマノンを見つめマノンがそれを立ったままテーブルを後ろに見つめ返すシーン、ただ見つめ合うだけなのに、このシーンなど2人の言葉にならない言葉、叫びにならない叫びが聞こえてくるかのようで。白眉でした。やはりマノン、デ・グリュ―の間に「愛」があったからこそ、こんなシーンを観ることができたのだろう、と思いましたね。そう思うとコジョカルのマノンはこれはこれでよいのだ、という気に素直に認められる気になって。3幕なども2人の間に「愛」があったからこそ、あんなにも感動できたのだろうなぁ、と思えますし。
2005年07月24日
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一幕でのバッセルの素晴らしさには見惚れるばかりではありましたが、デ・グリュ―役のボッレについては正直いまいちかな?という感を拭えませんでした。まぁこれは私が殆どバッセルばかりを観ていたせいもあるでしょうけど、今回3キャスト観たデ・グリュ―の中では一番印象に残りませんでした。なんかひたすらバッセルの引きたて役というか、サポート役としては文句のつけようがないのですが、それだけというか・・・あれだけ大きくて普通に立ってるだけで目立つのだから、もうちょっとデ・グリュ―のマノンへの愛とか情熱とかを前面に押し出してくれたら良かったのになぁ、とちょっと残念。踊りもそれほど調子が良いようには見えませんでした。今回のデ・グリュ―ではコボーとテューズリーが良かった。コボーは本当にとってもいいダンサーですね。デ・グリュ―としてマノンを一番愛していたのは彼だったんじゃないか?と思います。コジョカルとのパートナーシップも申し分なく、マノンとデ・グリュ―双方の間に一番「愛」があったのもこのペアではないかと。最後に観たテューズリー、前回観たときにはデ・グリュ―としてのイメージ、雰囲気とかは申し分なかったのだけれど、踊りはいまいち調子が良くなかった感だったし、それに加えて急な代役ということもあり、かなり心配して観始めたのですが杞憂でしたね。踊りはすごく上手でびっくりしました。多分前回はたまたま調子が悪かっただけだったのかもしれません。あの時は同時にレスコーにもキャスティングされていて、しかも公演直前になってイレールが降板してしまうというバタバタで、いろいろ大変だったのかも。容姿に加えテクニック的にも安定、となればまさに鬼に金棒、デ・グリュ―として不足はありませんでした。ただねぇ、ロホのマノンはあまりにも私好みのマノンではなかった。最初のソロのダンスを踊りだした時から「あ~、ちがう~」と思ってしまった。なんか身振り手振りにやたらメリハリがあり「どう、私って綺麗でしょ、魅了的でしょ」って思いっきりアピールしてる感じに思えて。最初の段階から彼女は少女ではなく「女」って感じで、それを武器にして今まで生きてきました、って感じ。とても十代の少女には見えず世の中の酸いも甘いも知り抜いていて、その経験から自分の美貌が人生で一番の武器になることを知り尽くしている、自分が誘惑すればどんな男もたちまち自分の虜になることを十二分にわかってる女。それはそれでそういう解釈もありだなぁとは思うんだけれど、私の中の「マノン」ではない。ロホのマノンはある意味「自立している強い女」。1人でも生きていける才覚も力も充分持っているけれど、自分の「武器」を利用して生きていく方がはるかに得になるし楽な生き方ができると知っているから、それを利用することを選択した、という感じ。十分計算しているし頭も良い。「誰かに依存していなければ生きていけない弱い女」これが私が勝手に作り上げた「マノン」のイメージだから、ロホのマノンはまさにその対極の位置にいる訳で。だからこれじゃあマノンじゃないよ、カルメンだよ。そんな風に感じてしまったのでした。カルメンもマノンも同じ「宿命の女」には違いないけれど、この2人が対極の位置にあるキャラクターであることは歴然としている。ロホのマノンからは「野生の強烈さ」みたいなものがぷんぷん漂ってくる感じで「天使のような」美しさを持ちながら分別も道徳心もない「マノン」とは明らかに違うんですよね。まぁそうは言ってもロホのような解釈の仕方もありだと思うし、「そういうもの」として観ればこれはこれで面白かったのかもしれない。でも、前日、前前日のバッセルとコジョカルの「マノン」が本当に可憐で正統的?なアプローチをしてくれたおかげで、あの2人とは明らかに質の異なるロホのマノンは、私的には全く受け入れ難かった。ほんと、全然別のヒロインを観ているようでした。でももちろんロホのマノンの方が好き、気に入った、という方も大勢いらっしゃると思うし、上に書いたようなことはあくまで私個人の「独断と偏見」そのもので、そのことは書いた本人が一番よく理解しておりますのであしからず。それにつけても演じる人でこうも雰囲気の変わってくる「マノン」はやっぱり面白い。まだまだ書きたいのだけれど、時間がないので今日はここまで。
2005年07月21日
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バッセル、コジョカル、ロホと三人三様の「マノン」を観て、あ~、観にいけて良かったぁ~、本当に素晴らしかったな~、と未だに感慨に耽っている私です。3公演それぞれに魅力がありましたが、私が感動した順番はバッセル←コジョカル←ロホとなり、鑑賞した順番と一緒になります。バッセル、今回の「マノン」では実は最初から一番楽しみにしていました。前にも書きましたが、「ラ・バヤデール」でガムザッティを演じている彼女がすごく好きで、ぜひ一度生の舞台で観てみたい!と思っていたからです。しかも彼女はマクミランご本人の最後のミューズ。「マノン」を観るのにはまさにうってつけ。ということで、一番最初にチケット入手しました。でもねぇ、正直あそこまですごい舞台を見せてくれるとは思ってもみなかったです。私の中の「マノン」は最初に観たフェリが大変印象的で、フェリの演じてくれた「マノン」があまりにも自分好みのものだったから「マノン」という作品をこうまで好きになった、と言っても過言ではないのです。だから、いくら本家本元のロイヤルの「マノン」といえど、フェリ以上の「マノン」には出会えるはずがない、と思っていた、というのが正直なところでした。ですが、幕が進んでいくにつれ、どんどん彼女演じる「マノン」に引き込まれていきました。踊りの美しさは言わずもがな、彼女の演技がまた私が理想とする「マノン」に極めて近いものがあったからです。1幕での彼女は本当に純朴な少女。正直見た目は大人びた美しさの人だと思うので1幕は違和感があるかな?と思っていましたが、全くそんなことありませんでした。美しい少女そのものでとても初々しい。でもそんな彼女が馬車で乗り合わせた老紳士から大きな財布を贈られたとき、ものすごく嬉しそうな顔をして財布を抱え込むのです。もうこの辺りから完全に「マノン」としての片鱗が現れ始めていましたね。嬉しそうに財布を抱えながら、それでも彼女は無邪気さを失うことなく、初々しい少女のまま。自分に男を惹きつける特別な魅力がある、などとは思ってもみなくて、無自覚のままただ財布を贈られたことが嬉しい、といった風情です。そんな彼女がデ・グリュ―と出会う。彼は切々と彼女に想いの丈を訴え続けます。それを見ながら頬に手を当て嬉しそうな恥ずかしそうな笑みを浮かべるマノン。照れたような微笑がなんともいじらしく、初恋を知った少女、といった趣です。そうそう、私はこういうマノンが好きなのよ、1幕でのマノンはこうでなくっちゃ、と結局バッセルは思いっきり私好みの「マノン」を演じてくれたのでした。やがてデ・グリュ―に手をとられ踊りだすマノン。美しいです。初恋の喜びに満ち溢れた二人の踊り。続く寝室のパ・ド・ドゥ。何度も観ているはずなのに、ここのパ・ド・ドゥの美しさは充分に知っているはずなのに、それでもここのパ・ド・ドゥってこんなにも美しく、甘く、恋の喜びに満ち溢れた踊りだったんだ・・・ということを初めて「肌」で実感しました。喜びに溢れたマノンの気持ちがガツーンと、痛いほど伝わってくるんです。この「喜び」があったからこそ、あんなにも甘く、切なく、泣きたくなるほど美しいパ・ド・ドゥになったのでしょう。事実あまりの美しさに私の眼には思わず涙が滲んできたのです。まさかこのパ・ド・ドゥを見て涙が出てくるとは・・・本人が一番びっくりしてしまいましたよ。最後に床に倒れ込むマノン。倒れ込んだまま暫く起き上がって来なかったので一瞬頭でも打ったのかと心配になってしまったのだけれど、すぐに元気に起き上がってきたので安心した。きっとそういう演出だったんでしょうね。席が前過ぎで床に寝られてしまうと表情が全然見えないものだから、ちょっと心配してしまったのだけれど、この場面ではマノンはどんな表情をしていたんだろう。ボッレは最後床に倒れ込んだところでもマノンにキスしていたから、そういう演出だったんだと思う。余りの幸せに酔いしれていたんだろうか?しかし、2人の幸せはデ・グリュ―がマノンを置いて出かけてしまっているうちに終わりを告げる。レスコーが富豪を連れて現れ、マノンは富豪の愛人になることを承諾する。毛皮のコートを着せられ、豪華な首飾りを懸けられるところ。金縛りにあったかのように一点を見つめるマノン。なにか自分の身に信じられない事が起きている!これは一体なに?この不思議な気持ちはなんなの?そんな心の波が伝わったきそうなシーン。マノンの心が富へと傾いていく決定的な瞬間。マノンはもう理屈ぬきに本能で富の魅力に気が付く。さっきまであんなに愛していた人のことは捨てなければならないことに気が付く。寝台に近寄り名残を惜しむかのように手を差し伸べるマノン。しかし次の瞬間にはもう富豪の腕の中へ。思い残すことなどないように毅然と去って行くマノン。デ・グリュ―が戻って来た時には時既に遅し。金貨をばら撒きデ・グリュ―に事態を知らせるレスコー。1幕の終わり。
2005年07月19日
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はぁ~、素晴らしかった~。もう言葉もないです。「マノン」は大好きな作品だし、本家ロイヤルの公演だし、そりゃぁ悪いわけはないだろう、きっと素晴らしいに違いない、と期待度100%の状態で観劇に臨んだわけだけれど・・・あぁでも、そんな私はまだまだ甘かった。期待を遥かに超える、満足度200パーセントの舞台だった。もぅバレエ観てる最中に感激のあまり涙が出てくるなんて、今まで在り得なかったことだし、まさか自分の身にそんな事態が起ころうとは夢想だにしていなかった。でもでも、実際そうなっちゃったんですよね。バッセル、もう本当に最高!コジョカルも素晴らしかった。この2人は、やっぱり生粋のマクミラン・バレリーナなんだ、ってことを実感した。コジョカルとコボーとのパートナーシップの強さにも感動。コジョカルがいささかの躊躇もなくあれほど伸びやかに踊れるのは信頼するパートナーあってのことだと、この2人のパートナーシップには拍手喝采。急な組み合わせとなったロホとテューズリー。「マノン」の一連のパ・ド・ドゥ(難易度ウルトラC?)を俄か仕込みのパートナーで踊らなければならなかったこの2人には少々同情の余地を禁じえなかった。しか~し、テューズリーは良かった!新国でフェリと踊ったときよりも、ソロの部分は見違えるほど上手かった。それだけに、パートナーシップの出来てない相手と踊らなければならなかったのが残念だった。これはもちろんロホにも言えること。明らかに遠慮というか、恐がってるというか、本来の調子で踊れてないのはよくわかった。だってソロの時やテューズリーとの踊り以外の部分と、テューズリーとのパ・ド・ドゥでは明らかに踊りが違ったもの。この2人だけしか観てなかったら、そんなものかと、別に気にはならなかったかもしれないけれど、バッセルとコジョカルの、なんの躊躇もなくパートナーの腕の中に飛び込んで行く姿、パートナーの腕の中で思う存分踊り続ける姿を観た直後だっただけに、明らかに質の異なるこの2人のパ・ド・ドゥには、かなり気の毒な気持ちを持ってしまった。ロホもテューズリーも個人個人では良かっただけに、かえって余計に残念な気持ちがしてしまった。ただ、ロホはマノンというよりは、なんかカルメンみたいに見えてしまった(笑)詳しい感想はまた後日書かせて頂きます。いずれにせよ、素晴らしい「マノン」を見せてくれたロイヤルバレエの皆さん、ありがとうございました。バッセル、コジョカルにはただただ脱帽です。
2005年07月17日
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今日からいよいよ「マノン」が始まりますが、やっぱり17日もコープは踊れないようで、代役はロバート・テューズリーとのこと。ちょっと、というかかなりびっくり。コープの降板は仕方ないとして、代役は当然ロイヤルのダンサーが演じると思っていたから。まさかゲストを呼んでくるとは。(もちろん彼はロイヤルのプリンシパルだった経験があるとはいえ)テューズリーがデ・グリュ―演じてくれるのは嬉しいけど、ロホと組んだことはあるのかな?わからないけど、俄か仕込みのカップルで「マノン」踊るのは相当難しそうだから、多分あるのでしょうね。あ~、でもテューズリーとはねぇ。彼は私が初めて「マノン」観た時のデ・グリュ―で、2幕のパーティー会場でものすごく切なそうに立ち尽くしている姿が印象的だった。踊り自体はあまり調子が良さそうではなかったけれど、デ・グリュ―のイメージとしては不足はなかったし、フェリともお似合いだった。だから印象としては良いものが残ってるんだけど、でもまさかロホとの「マノン」を観られるとは!予想もしていなかっただけにけっこう嬉しかったりする。でもパートナーシップとか大丈夫なのかなぁ。私も明日からいよいよ「マノン」です。楽しみ楽しみ~♪
2005年07月14日
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ジョナサン・コープは結局14日のギエムとの「マノン」も降板してしまったそうです。17日のロホとの日については今のところ未定、とのことですが・・・でも「マノン」のデ・グリュ―なんてものすごく体力とか必要だろうし、いくら小柄なロホ相手でもかなりの無理がかかりそうなので、こちらも降板の可能性が高いですね・・残念ですが、無理をしてほしくもないので、仕方の無いことですよね。でももし17日も降板するとして、その場合デ・グリュ―は誰になるんでしょうね?ロイヤルのダンサーって、全くといっていいほど知らないなぁ。今日で「シンデレラ」も終わり、明後日からいよいよ「マノン」!コープの降板は残念だけど(コジョカルもどうなるかわからないけど)とにかく楽しみです。本当のこと言うと、「マノン」という演目自体が大好きな私、特にコジョカルやコープじゃなくても構わないんですよね。でもギエムは嫌なの。私が勝手に思い描いている「マノン」とはあまりにもかけ離れたお方でいらっしゃるから。(過去の日記を見ていただければお解かりいただけると思いますが、私の中でのマノンというヒロインはお馬鹿さん、という設定なの。だから)
2005年07月12日
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皆様既にご存知かと思いますが、本日ソワレの「シンデレラ」を踊る予定だったジョナサン・コープは病気の為降板、結局今日の夜の「シンデレラ」は昨日と同じキャストで主演されることになってしまったそうです。コジョカルとバッセル、2人の「シンデレラ」を見比べて楽しみたい、と思って昨日と今日のソワレのチケット購入された方には、ちょっとお気の毒ですよねぇ・・それでも今日の夜はコープが出るから、と楽しみにしておられた方もたくさんいらっしゃると思いますのに、王子役まで全く一緒なのではねぇ・・・もちろんバッセルの大ファン!という方にとっては嬉しいことかもしれませんが。(私だって、例えばザハロワが2日続けて出てくれる、なんてことになったらかえってすごく嬉しいだろう、なんて思います)でもねぇ、コジョカルに続きコープまで降板してしまうというのは残念ですよねぇ。2人とも現在のロイヤルの「顔」みたいな存在で日本でも人気が高いだけに、それも6年ぶりの来日だというのにねぇ。今のところ2人とも「マノン」出演についてはなにも言われていないけれど、大丈夫なんでしょうか?私は「マノン」という演目自体が大好きだから、たとえコジョカルが降板してもコープが降板しても観に行きますけど。ロイヤルには「マノン」を踊れる人はたくさんいるでしょうから主役が誰になっても私はそんなには気にはしないけれど、コジョカルが観たくて「マノン」の(あるいは「シンデレラ」の)チケットを取った、という方(もちろんコープも)は割り切れない気分ですよね。身体が資本のダンサーですから、怪我や病気で降板する、そのこと自体は残念ですが、仕方の無いことだと納得できます。でもねぇ、こんなに直前になってそのことを発表するというのは、なんだかなぁ、といった気分。招聘元さんはだってわかってらっしゃる訳でしょう?ダンサーの今現在の状態。全幕を主役として踊るなんてことは大変なことなのだから、ダンサーがそれに耐えられそうか否か、などということは招聘元さんだってその道の「プロ」でいらっしゃるのだから、見当がつきそうなものだと思うのですが?もちろん直前まで出演できるよう、ぎりぎりまで努力した、という考えもわかりますけど・・・
2005年07月10日
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いよいよ明日からロイヤルということで、楽しみにしていらっしゃる方大勢いらっしゃると思いますが、のっけから残念なことに明日、初日の「シンデレラ」、主役のコジョカルが怪我のため降板、代役はバッセルが務めるとのことです。先ほどNBSのサイトで知りました。コジョカルを楽しみに明日のチケットをお取りになった方、大勢いらっしゃるでしょうに、仕方のないこととはいえ本当に残念ですね・・・彼女は日本では新国立劇場での「マノン」、「ロミオとジュリエット」も降板してしまって、今回こそは全幕で観たい!と思っていらっしゃった方沢山おられると思いますのに、本当に残念ですね。一応今のところ「マノン」出演に向けて治療に当たっているとのことですが、どうなることでしょう・・・
2005年07月08日
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明後日からいよいよロイヤルの来日公演が始まりますね。と言っても私は「マノン」しか観に行かないから来週からなんですけど。でもでも、本当に楽しみです。また大好きな「マノン」を生で観られるんですもんね。バッセル、コジョカル、ローホ、3人がどんな「マノン」を見せてくれるのか、想像するだけでも楽しいものです。速く来週になって欲しいな~。ところで先日NBSニュースを見ていたら、今回の来日公演で「シンデレラ」を踊るロベルタ・マルケスのインタヴューが掲載されていましたが、彼女、めちゃくちゃ可愛いですね~。「シンデレラ」も似合うと思うけど、こんな人に「マノン」やってもらいたいわぁ、とすごく思いました。こんな可愛い人が「マノン」やってくれるんなら絶対観に行きますよ。でもインタヴューによると、まだジュリエット(マクミランの)も踊ったことがないようなので当分無理かもしれませんが・・・94年に母国ブラジルのバレエ団に入団、とのことなので単純に計算すると私より2歳年上?ということになり、もう若いとも言えない年齢ではありますが、ダンサーとしてはこれからがいよいよ絶頂期、ぜひともいつかは彼女の「マノン」を見せてもらいたいものです。ってやたらに「マノン」にこだわってますが、私はこの演目はもう本当に大好きなのと、「マノン」を演じる人は本当に容姿に恵まれた人じゃなきゃ嫌、というポリシー?があるのでマルケスの写真を見た瞬間、なんて可愛い人!これぞ「マノン」よね、と思ってしまったので、語らずにはおれない気持ちになってしまったんです。もちろん「シンデレラ」も素敵だと思いますよ。近くに住んでたら絶対観に行くんだけど・・・
2005年07月07日
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3日の「ラ・バヤデール」は音楽もとても良かったです。クラシック音楽のことは全然わからない私なのであまり(というか全く?)あてにはならないのですが、少なくとも19日の公演のオケに比べたらず~っと良かったと思う。音楽だけ聴いてても心地よいというか、あ~、いいなぁ・・・と素直に感じ入ることができて。舞台上で盛り上がるところと音楽の盛り上がりが見事にシンクロしていて、バレエっていうのは本当にどの要素が欠けても完璧には成り立たない、総合芸術なんだなあということを改めて実感した次第です。と言ってもくどいようですが音楽のことはなにもわからない私。音楽にお詳しい方が同じ演奏を聴かれたとしてどのようなご感想をお持ちになるかは全くわかりません。でも、少なくとも19日の演奏に比べたらず~っと素晴らしかった。舞台を盛り上げてくれた大きな要素の一つだったと思います。関西フィルの皆さん、ありがとうございました。それにしてもね~、今回舞台近くの席だったからよく観ることができたんだけど、蛇に噛まれたニキヤに何度か心配そうには近ずくものの、結局ガムザッティやラジャにせかされるような感じで最終的にソロルはニキヤの方を振り返ることもなくその場を去ってしまうのですね。その直前に大僧正がニキヤに近ずくのは眼にしているのだけれど、彼が解毒剤を差し出すところまでは見ていなかったと思う。ということはこの前私が書いた解釈は成り立たない、ということになってしまうんですよね。う~ん、結局ソロルはニキヤを見捨てて(あるいはガムザッティやラジャの急かしに効し切れず?)その場を去ってしまう、ということになるんですねぇ。最大限良いように解釈すると大僧正がニキヤに近ずくのは見ている訳だから、大僧正がなんとかしてくれるだろう、と希望的に解釈した、と言えないこともないとは思いますが、それにしても無理があるかな?薬を手にしたニキヤがソロルを見遣る、その彼女の眼に飛び込んできたのは婚約者と共にその場を去るかつての恋人の後姿だけだった・・・となると、ニキヤが絶望のあまり薬を落として死んでしまうのもむべなるかな、ですよね。なんて可哀想なニキヤ!ソロルってのはとんでもない男だわ、と怒り心頭、と言いたくもなりますが、まぁこれはあくまで「お話」なんだからこういう演出なら演出でそういうことなんだろう、「お話」に憤ってたって仕方ないですもん。それにもし自分がソロルの立場だったら?と思うと、単純にソロルばかりも責められないと思いますし。もし仮にソロルとニキヤの立場が反対だったら?と仮定してみるのも面白いかも。(無謀な試みであることは承知の上)つまりニキヤの美しさを知ってラジャは自分の息子との結婚をニキヤに勧めてくる、ニキヤには既に恋人がいた、けれども相手のラジャの息子も美しい美青年で自分に対して好意を抱いてくれている、こうなるとニキヤだって心が動かないはずないですよ。ラジャの命令には従わざるをえない、相手の男性は身分の高いプリンスで結婚できたらまさに「玉の輿」プリンスは少なくとも表面的には美しく、自分を慕ってくれている・・・もしニキヤとソロルの立場が逆だったら、ニキヤだってソロルとは別れようとするんじゃないか、ソロルではなく美しい(表面的にはね)プリンスとの結婚の方を選ぶんじゃないか?少なくとも私がニキヤだったら絶対そうしますね。ニキヤを殺してしまったガムザッティだって、生まれたときからプリンセスとして周囲から大切に大切に育てられ、不自由なんて何一つ感じたことなくこれまで生きてきたのに、結婚という人生で最も大切なときにあたって初めて、自分の「意のままにならないもの」に直面し、ソロルを愛している、というよりは自らのプライドに賭けて、絶対にソロルを自分のものにしなければ、という気持ちになったのではないでしょうか。プリンセスたる自分がバヤデルカごときに負けるなんて!そんなことがあってたまるもんですか!というような心境だったのでは、と思います。だからガムザッティだって決して悪女なんかじゃないんですよね。もちろんだからってニキヤを殺してしまうなんてことは、許されることではないでしょうけど時代が時代ですからね、身分の高い人が目下のものを殺すということに、現在ほど罪悪感を感じていたかは甚だ疑問な訳で。もちろんガムザッティはニキヤから「あなたの仕業ね!」と指摘された時、「やだ、なに言ってるのこの人、私なんにも知らないわ」という様な素振りを見せますが、これはソロルがそばにいるからこそソロルに向けて「ぶりっ子」←死語ですが(笑)ぶってるだけであり、殺人を犯すというほどの罪悪感を感じていたとは到底思えません。そう言えばパリオペのヌレエフ版の映像でガムザッティを演じているエリザベット・プラテルはイザベル・ゲラン演じるニキヤに「犯人はあなたね!」と指摘されてもたじろいだ様子もなく、平然とこっくり頷いているのです。その後の場面でも平然とその場に立ち続け事の成り行きを見守っているのですから、これはまぁ見事というしかありません。ガムザッティたるものかくあるべし、というお手本のようなものですね(笑)
2005年07月05日
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昨日はびわ湖ホールでベルリン国立の「ラ・バヤデール」を観て参りました。ポリーナ・セミオノワがどんなニキヤを見せてくれるか、かなり楽しみにしていたのですが・・・もう想像していた100倍くらい良かったんです!とにかく素晴らしかった!事前に写真とかで見て、すごく綺麗だったから期待はして行ったんですけど、まさかここまで魅せてくれるとは・・・ヴィシニョーワにだって全然引け取ってなかったですよ。テクニックは安定しているし背が高くてプロポーションに恵まれているからどんなポーズをとっても美しいし、ニキヤとしての情感、並びに舞姫としての独特のオーラも素晴らしくて、正直彼女がここまで魅せてくれるとは思っていなかっただけに、本当に感動しました。特に上半身の柔らかさ、長い腕を存分に使った踊りの美しさには、ただただ見惚れるばかり。彼女が舞台上にいるだけで眼が吸い寄せられていく。プリマとしての貫禄たっぷりで、まだ20才か21才の若さとはとても思えませんでした。やっぱりセミオノワはただ者じゃあなかったのね。影の王国でのマラーホフとのパ・ド・ドゥ。背が高いのに体重というものを殆ど感じさせない踊りで、これは2人のパートナーシップの賜物だとも思いますが、やっぱり素晴らしいです。最後の上手奥から下手手前へのピケ・トゥールネ?の連続もかなりの高速回転。さすがにヴィシニョーワほどの高速ではありませんでしたが普通に見たら充分に速度があって(別に速度があればいい、ってもんでもないでしょうが)躍動感があって見応えがありました(でも、いかにも回ってます、って感じじゃなく、優雅さが損なわれてないんですよね)スカーフを手に持って内回り、外回り、と回転するところではスカーフが手にからまっちゃって失敗してしまったみたいだけど、まああれは難しいところですよね、ベテランさんにとっても。いずれにせよセミオノワのバレリーナとしての才能の確かさをはっきりと印象付けられた昨日の舞台でした。彼女の「白鳥」をすごく観てみたいです。オデットもオディールもすごく良さそう。その他の面、特に演出に関しては、2度目ということで慣れて?しまったせいか、初見の時の・・・な印象はあまり感じずにすみました。「そういうもの」だと思って観れば、あれはあれで良いんだろうな、とは思いました。でもね~、やっぱり私の好きな「ラ・バヤデール」ではないです、ということははっきりわかりました。このマラーホフ版はやっぱり小綺麗過ぎるんですよ。ヨーロッパチックに創り変えられてる。「ラ・バヤデール」という演目を初めて観た人がどう思うかは解らないけれど、私がこの演目を好きなのは1、2幕での現実世界での想像上の古代インド、そのエキゾティシズム溢れる雰囲気が好きだから、ということが大きな要因の一つであるんですよ。それこそ、もういかにも、って感じを与えるくらいの、思いっきりステレオタイプのインド。その雰囲気が物語を盛り上げてくれる大きな要素の一つとしてすごく好きなんですよ。だってこんな雰囲気を味わわせてくれる演目って他にないですもん。だから極彩色溢れる混沌とした、いかにもインド、って感じの舞台じゃなきゃ嫌なんですよ。こんなに小綺麗なセットじゃヨーロッパが舞台の他の殆どの演目と大して変わりがなくなっちゃう。「ラ・バヤデール」の個性剥奪です。(笑)ちょっと大げさ過ぎるかもしれないですけど。長くなりましたので続きはまた次回に。
2005年07月04日
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