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ミュケーナイ そこにあるのは「永遠」とか「無謬性」に対する強い信憑です。あるいは度外れた欲望といっても好いのかもしれません。 そこを行き交う人間は文字どおり煙のように次々消え去っていくにも拘らず、石や岩だけは多少古びるとはいえ、厳然として変わらず「そこに在り続けるはずだ」というのが、巨石建造物を造った人たちの考え方だったでしょう。 そうした印象をさらに強めるのが、同じくペロポネソス半島東南部アルゴリス平地にあるティリンスの遺跡群でしょう。これらはまさしく前ギリシャのミュケーナイ文明、つまり後から来たドーリア人にとっても、すでに「神話伝説時代」に属する他ならぬ巨石文化の在りようをあからさまに示しているような気がする。 下の写真は有名なミュケーナイの獅子門、私たちが抱くいわゆるギリシャ的イメージとはまるきり異なった印象があるでしょう。 「獅子門」の名前の由来は、もちろん門の上に描かれた向き合った「獅子」のレリーフなのでしょうが、私はまたしても足下の石畳みに気が行ってしまう。 下の写真は「獅子門」を逆のほうから見たものですが、優に三千年前と思しき戦車の轍の痕が、削れたままそこに残っているのです。文字どおりヘラクレスのような伝説的「英雄」たちが、確かにこの門を潜り抜けたのだろう。その痕が今に残っているというだけで、何だか血が騒ぐじゃないですか。 この遺跡群は例のトロイの遺跡発掘で有名な素人考古学者H・シュリーマンが発見し、これこそまさしくトロイに対抗するギリシャ方の総大将アガメムノーンの居城だとしたのですが、その信憑性は今では疑われていますね。とはいえ、ここがミケーネ時代に大勢力を誇った王族の居城であったことは間違いないでしょう。 下は王宮(メガロン)の間へ到るたぶん入り口。― つづく ―
2012.06.27
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巨石と岩 石畳みというのは人の足や荷車や戦車に「踏まれる」ことによって、まさしくその痕を表面に遺す。私が踏みしめている凹凸の感触を、おそらく二千五百年前の人たちも同じように感じたに違いない。こうした「感じ」というのは、じつは日本の遺跡群ではそうそう感じられないものでしょう。 日本には石畳みというのが、石段以外あまり考えられないし、仮にあったとしても湿潤で植物の繁茂が盛んな日本では、石や岩はすぐ土に覆われてしまい、常に「更新」されていくような印象があるでしょう。千三百年前の法隆寺を見ても、さらにその四百年以上前の巨大古墳群を見ても、私たちはその時代そのものの感触としては、じつはそれを受け止めていないのではないか?具体的には二十年ごとに遷宮される伊勢神宮がまさしくそうであるように、日々更新され続けてそれは「今に在る」という受け止めなのであって、云わば更新され続ける「動的平衡状態」そのものこそ、この世の在りようであると物語っているかのようです。 対するにギリシャと言わず、まさしく地中海文明というのは、表土がなくて石と岩が露出した文化。申しわけ程度にオリーブの木や下草が生えているけれども、先のアクロコリントスの岩山を見るまでもなく、圧倒的な印象は頑として動かぬ石と岩なのです。 そうした景観の印象から、もう一度アポロン神殿の石柱を見ていると、何やら古典ギリシャの文明とはまったく異質なイギリスのストーンヘンジや、イースター島の巨人石のような「超古代的巨石群」を、私など連想してしまうのです。ギリシャ的理性や秩序が形成されるはるか以前に、確かにあったであろう「巨石建造物」に対する人類の偏愛のようなものを、です。 で、世界文明といわれるものの多くは、どうやらこうした「頑として動かぬ巨石建造物」的在りようが、「世界標準」であるらしい。― つづく ―
2012.06.22
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コリントス ギリシャ観光と言えば、アテネ・パルティノン神殿とエーゲ海クルーズというのが、云わばお決まりのパターンなのでしょうが、三十年近く経ってみると、むしろこのはなはだ「らしくない風景」のほうが、強い記憶として残っているのです。 この何の飾り気もないドーリア式の古拙な石柱には、何だかショボ降る雨がよく似合うじゃないですか。 紀元前九世紀頃から入植したらしいドーリア系のギリシャ人によって、この神殿は紀元前六世紀半ばに作られたものですが、ここがペロポネソス半島の北の首根っこを扼する位置でもあった関係で、都市自体はミケーネ文明(紀元前十五世紀頃~十二世紀頃)の時代から存在していたらしいのです。ミケーネとかミノア文明と言えばエーゲ海さらに地中海の海洋交易文明と切り離せないので、商業港としてのコリントスはギリシャ以前の古くから見逃せない地勢的位置を占めていたのです。 それに加えてこの都市は神話上の創建者がシーシュポスとされたり、街の守護神がアプロディーテーで、さらには魔術の女王メーディアが英雄イアーソーンとここにいたとなれば、何がなし古典ギリシャ的な知性と秩序以前の混沌とした感じを、どうしても抱いてしまいますね。 下は、そのアポロン神殿に連なる回廊から、街の守護神を祀った大神殿跡のあるアクロコリントスの丘を臨んだ写真です。山頂に見える凸凹のあたりがアプロディーテーを祀ったアクロポリス跡で、千人の聖娼(遊女)を雇い入れていたと言われるところです。 「世界最初の職業は売春だった」などというヨタ話は、こういうところから出てくるのかもしれませんが、古代において性と豊穣は神話的に同一であり、まして祀る神様が豊穣神アフロディーテーとなれば、それを寿ぐ聖娼(遊女)が数多く周囲にいたというのは、ある意味当然のことなのです。 それにしてもこの石畳みの回廊、歩いていると「確かにここを二千数百年前に、商人や聖職者や兵士のような人々が歩いていたのだ」という感触がムクムクと湧いてきて、不思議な感覚に捉えられたものでした。― つづく ―
2012.06.18
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セピア色の記憶 ずいぶん長いことUPを休んでしまいましたが、お察しの通り「カーネーSyndrome(症候群)」の影響はかなり大きくて、その後しばらく何もしゃべる気がしないということなのでした。Netの感想欄を見ていても今だに書き込みが続いているようですね。 さて気を取り直して、何かオモロイことはないかと周囲に目を配る。しかしすでにこうした振るまいかたこそ、我が身に「語るべき何か」が枯渇している証左に他ならず、そのたびごとに腹を立ててブログを閉じてしまいます。もともと、放っておいても沸いて出て来るような「しゃべりたいこと」だけをUPするのが、このブログの本願でしたから、話すネタをあれこれ探すということ自体がここの趣旨に反するからです。 で、少し意があって、押入れに放り込んだままの古いアルバムの整理などをしだしたのでした。 今、手元に三十年ほど前のアルバムがあります。 最近のプリンタはスキャン機能が付いているので、セピア色化した写真だの絵日記だの手紙だの、とにかくアナログの古びた物が出てきたら、何でも即デジタルの数値記号で電脳空間に保存してしまえるらしい。 しかもいったんデジタル記号でパソコンに取り込んだデータは、「画像処理」という細工も可能にするので、仮想的に過去の映像を今様に改造することも出来る。すっかり古びた写真が色鮮やかに蘇るかのような仕儀と相成ります。 三十年前の写真がどのように変わるか一つお見せしますと、 下が、今回出て来た写真の原画。コリントスのアポロン神殿です。 で、下がデジタル処理した同じ画像。 同じデータですが、画像処理後のほうが明らかに当時の記憶の感触に近い。行ったのが確か十一月初旬で、向こうもシーズン外れで天候も不順。寒くはなかったですが、ショボ降る雨が何がなし「らしくない雰囲気」を醸し出していました。 その話はまた追い追いしていくとして、画像の細工でどこまでも過去の記憶を蘇らそうとするのなら、それは結局「今の欲望」のなせるわざではないのか?要は「過去」は確かに「あった」のだけれども、ニオイも感触も含めてそれらを完璧に再現することなどもちろん出来ないわけです。 それらは「今」が仮想的に近似した画像を見せているに過ぎない。 で同じように、これから話する中味も過去を語ると言うよりは、三十年後の今から辿れる「かつてあっただろうギリシャの記憶」の話なのです。 今どき何かと話題の彼の国ですが、三十年ほど前に行った私の唯一の海外旅行が彼の国なのでした。その時の思い出を語るというよりは、今に残っているその時のギリシャの記憶と、現在進行している彼の国の経済危機をどう繋げていったらよいのか、自分なりにあれこれ考えてみたいのです。 一言で云えば、「経済の自由化とグローバリゼーションが、個人の自由を奪う」というアイロニックな話なのですが、さて。― つづく ―
2012.06.14
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