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再び、糸子的、反「権力思考」について 作り手側がそれを明晰に意図したかどうかは別として、三月期の中味がどないしても「同化」出来ない、それまでの糸子と一直線にはもちろん繋がらない、「シラけた」として(私自身そうでした)、肝心なのは「そのあと」の気分の始末の付け方でしょう。 要はそうした「不快」や「異和」の原因を、すべて作り手側、とりわけ夏木さんに一意的に押し付けてしまおうとする我が身の在りようには、なぜか一片の「疑いも抱くことをしない」という、自己に対する限りなく楽観的な「信憑」は、いったいどこから出て来るのか?言い換えると、それは一種の気分の傲慢性なのではないかということなのです。これこそ私たち自身が、いつの間にやら陥っている「権力思考」であって、糸子がもっとも嫌ったものではなかったか? NET感想欄の「カーネー」擁護論の多くが、「前半だけは」とか「三月三日までは」といった「条件付き評価」を無前提で下しているのです。しかし何か条件を持ち出す以上、それをたんに「気分」の次元で行うのは、あまりフェアなやり方とは言えない。タカが「朝ドラ」に、という声が返ってきそうですが、まさしくそうした無前提の審判的立ち位置に身を置く仕方こそ、「権力思考(囚われた思考)」に陥る第一歩でしょう。 しかしそれで果たして、真の意味で「カーネー」を「享受した(引き受けた)」と言えるのかどうか?なぜ私たちはそういう仕方でしか、感想や擁護論を引き出すことが出来ないのか?という疑問符は、そのまま「なぜ私たちは、フクシマの本当の真実を、政府から語らせることが出来ないのか?」という「問いの立てかた」と同じ構造をしているのです。マスコミを含めて「なぜ政府は、本当のことを言わない?」という「糾弾の身振り」で問うことに、皆何の疑問も抱いていないでしょう。 そうした我が身を「埒外」に置いた糾弾的身振りの問い方が、そのまま相手の口を封じることになっていることに、誰も気付こうとしない。以下同様の思考パターンが、「沖縄普天間問題」でも「尖閣問題」でも、近くは「大飯原発再稼動問題」でも、生じているわけです。言い募るごと、「本当のこと」はますます開示されなくなるのです。ちょっと話が逸れましたね。 要は拙劣な「条件」付き擁護(この場合は、特に夏木批判という形でのオノマチ礼賛)は、そのままこのドラマ自体が蔵していた画期的な値打ちを押し下げる、なぜ自身がこれまでになく強い感情をこのドラマに抱いたか、の中味を正確に言い当てることが出来ないということになるのです(「ひいきの引き倒し」なんてね、すいません)。 これでは批判する側から、好きなように叩かれても、筋道だった反論が出来ず、ひたすら声の大きさと数の多さだけを競い合う、チキンレースめいた非生産的な傷つけ合いだけを、延々と繰り返すという仕儀になりはしまいか(どこかの国みたいですね)? 何も作り手側に「擦り寄れ(お上の言うことを聞け)」という話ではありません。そうした我が身の気分に、いったん「問いを立てて」みて、なぜ自分がそうなっているのかを省みる、そういう「構え」も時には必要じゃないかということなのです。 と、また少しコーフンしてしまいましたが、「同時中継」の時かなり陥っていたらしい、我が身の「権力思考」性を検証する意味でも、「三月期の糸子」について、もう少し「深堀り」してみたいと思っているのですが。― つづく ―
2012.04.29
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最適な物差し? 六ヶ月間の「カーネーション」を一本の物差しでスッキリ腑に落とすには、どんな物差しをあてがったらいいのか(そもそも、そんな物差しがあるのか)? となると、役者や脚本家や製作スタッフ他の意図とか作品の出来映えは、いったん全部棚に上げて、表象されたヒロインの糸子だけを見詰めて、様々な物指しをあててみるしかない。三代の糸子、とりわけ尾野さんと夏木さんに造形された糸子像に、同じ物差しをあてるならどんな物指しが可能か?ということろから始めるしかないのでしょう。 あれこれ考えてみましたが、結局以前に一度触れたことのある、糸子の反「権力思考」性という鍵語が一つのヒントになるかもしれませんね。反「権力思考」性というのは、実体的な政治的社会的「権力」を指すのではなく、自身の内部に潜む一意的な「権力思考」性に対して、常に「疑問符」を立てられるような自省的態度のことである、ということはすでに触れました。 非常に逆説的な言い方になりますが、糸子の反「権力的身振り」が「神話伝説」となった瞬間、それは観る側から「自省」を促す構えを奪い、一瞬にして一意的な思考に「権力化」するのです。考えてみればオノマチ糸子の魅力はその数々の「世間的禁止」への挑戦によって成り立っていたわけで、三月期はあるいはその総仕上げだったのかもしれません。 「お母ちゃんは、歳取ってから花開いた」とはコシノ三姉妹の言ですが、よく知られた綾子さんの晩年のエピソードをそのまま辿ったとしたら、結果的に彼女の「偶像化」を一段と強化することになったでしょう。それが果たして、それまでに創出された「糸子」像を締め括る形として、望ましいものだったのかどうか? 糸子のユニークな魅力の根源が、その反「権力思考」性にもしあるのだとしたら、当の魅力そのもののを、いったんカッコに入れるような仕方で「相対化」しなければならない、という難問が待っているのです。 夏木さんの糸子像というのは、様々な意味でオノマチ糸子を「カッコに入れる」形で描かれているので、尾野さんの職人芸的名演技に敬服して来た私たちは、当然すっかり面食らってしまうという仕儀になりますね。 オノマチ糸子の「カッコ書き」の描像は、たんにナツキ糸子だけに止まらず、地上げでシャッター商店街化した街、今風に改装された家、前と似て非なる従業員という形で、逆に「異和」に導くように企まれている。それ以外にも似たようなシチュエーションで、かつてのように「笑えない、泣けない」パターンは、NETの感想欄でもキリが無いほど書かれていますね。 金ピカの不動産屋と金券ショップのお兄さん相手では、北村バージョンの「笑い」は望むべくもないのです。 つまりそれらは「昭和オールウェイズ」風の過ぎ去った「昔話」としてしか語ることが出来ない。平成の失われた二十数年の後に、かつてと同じ「泣き、笑い」を再現するのは不可能だということ。 綾子さんにとって本来「花開く」べき晩年のエピが、何がなし寒々とした印象を与えるのは、それが紛れもなく今の世の出来事だからです。本来ならカットされた十二年間こそ、三姉妹が世界に羽ばたき綾子さんが世間に周知され始めた時期のはずですが、そこにはあえて触れず、むしろバラバラに孤立した今日的な人間関係が強調されていますね。 かく言う私も三月期のドラマ展開にはすっかり面食らっていた一人ですが、あれこれ考えていくと、濃密な人間関係が失われた街に、すっかりセピア色化した「笑い、涙」を再現することは不可能で、何度も言いますが、これらはまさしくオノマチ糸子で表現された世界を「相対化」するために、費やされていたとしか思えなくなって来るのです。 明晰な否定形ではなく厳密に過去を引き摺りながらも、なおかつどうしようもない「異和」が生じるというような形で、です。 そこには当のドラマの構造そのものにさえ「見直し」を迫っているような、一種の「不気味さ」を私など感じてしまうのです。 端的に言えば夏木さんの泉州弁こそ「異和」の代表だったでしょう。新山さんも含めてこのお二人の泉州弁を私は大いに評価するほうです。大事なのは彼女たちの発語が巧まれれば巧まれるほど、むしろ私たちが岸和田から受ける「空気感」から、彼女たちが否応もなく乖離して行かざるを得ないという事実で、それは結果的にオノマチ糸子の作り出していた世界を「相対化」することに他ならない。 考えてみればオノマチ糸子が「吼える」たび、彼女は世間の「権力趨向性」に異和を与え続けて来たのでした。となれば、それに喝采し続けてきた私たち自身の立ち位置も、彼女の反「権力思考」性によって「相対化」を迫られるという事態になって来るのです。― つづく ―
2012.04.28
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まともな批評が、なぜ現れない? ドラマはとっくに終わって、さまざま話題になった俳優さんたちも、それぞれの道を歩み出しているにもかかわらず、今だに新聞マスコミ他で「カーネーション」という作品そのものに関する批評、あるいはその影響などに関するまとまった論評が出てこないのは、なぜでしょう?私の知るかぎり、前に触れた朝日新聞の渡辺あやさんへのインタビューくらいなのですが、それは作り手側の考えを聞くという中味であって、厳密に作品分析をするということではありませんでした(まあ、私の調べなどタカが知れているので、何とも言いようがないのですが)。 一つには「朝ドラ」という一般的な先入観が、まともな批評をやり難くしている、というところがあるのかもしれません。かつて大いに話題になって社会現象的な捉え方までされた「朝ドラ」は、いくつかあったのですが、それらはあくまで「朝ドラ」という固定概念の中で、言わば「安心」して論じられていたのであって、どうも今回の「カーネーション」の位置づけとは馴染まないところがある。 じゃあ「朝ドラ」て何やねん?と聞かれると、誰も「こうや」と言うことが、じつは出来ないのです。要は長年の習俗で漠然と抱かれている「共同幻想」みたいなものなのでしょう。誰もが多かれ少なかれ、このドラマがそうした枠組みからかなり逸脱していて、なおかつその逸脱の在りようをキチッと「言い当てることが出来ない」といったもどかしさを感じているのです。 私などブログの気楽さでもって、一種の「古典テキスト」を読むような仕方で、最初から「決め撃ち」でいろいろしゃべって来たのですが、まあ一般のパブリシティーで取り上げるには、やはりちょっと躊躇うところはあったのでしょう(だって、もし途中で「やっぱり朝ドラやった」となったら、みっともないじゃないですか)。 とは言え、NETの感想欄を見るかぎり、今だに三月期の中味に対する怨嗟の書き込みが耐えないところを見ると、「朝ドラ」の枠組みを踏み越えて見入っていた人ほど、「腑に落ちない」思いをしている人が多いということなのだと思うのです。「朝ドラ」の枠組みで見るかぎり、三月期の内容はちっとも悪くない。むしろ出来の好い方だったのではないか? しかしこの「朝ドラ」の枠に収まれば収まるほど、ますます不満が募るというダブルバインドの状態が、はなはだ不愉快な気分でずうっと続くのだとすれば、やはりこのことについて、もう少し風通しが良くて「希望」の持てる話が出て来てほしい、と思うのは人の心でしょう。 その点、三月期までの出来映えで、視聴者はもちろん批評家や芸能関係者もふくめて、皆大絶賛のスタンディング・オーベーションとなるべきところ、フツーの「朝ドラ」の相貌を最後にして見せたことによって、皆口を開けたまま「凍り付いている」といったところでしょうか。誰かが口を開かないといけないのに、皆黙りこくって「様子を見ている」、あるいは「答を待っている」という構えが透けて来るのです。 「しからば」、と私などがしゃしゃり出るような筋合いはもちろんないし、相手にもされるわけもないのですが、ずうっと同時中継的なおしゃべりをして来た手前、何かしらの「見通し」は自分なりに立てて置かないと、何より自身の気分に収まらないところがあるのも事実です。 そこで、その切り口として「糸子的在りよう」というようなところから、話をしてみようかな?と思っているのですが、さて?― つづく ―
2012.04.24
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カーネーション 余話 いつまでも年甲斐もなく、「朝ドラ!朝ドラ!」と騒いでいるわけにもいかないので、取りあえず同時中継的なおしゃべりは前回で閉じることにしました。それがシュッとした形で終われなかったのは、皆さんもご存知の通りのドラマの進行で、自分なりにはかなり整合性があると思って目論んでいた括り方を、大幅に変更せざるを得なかったからです(と、他人のせいにする)。 おかげで番組はとっくに済んでいるのに、観客がいなくなった観覧席で、一人残ってオダをあげるという、まことにみっともない景況になってしまいました。 それにしても、同時中継的なおしゃべりというのは、囲碁将棋の観戦と同じで、一手進むごとにそれまでの話はチャラにして、とにかく「前だけ見て行こ」という、ヤケクソに似た「決め撃ち」の度胸がないと、とてもじゃないが出来ませんね。適当に収めようとすると、進行中のドラマの印象と辻褄が合わなくなって来るわけで、今現在抱いているドラマの印象と、それまでさんざん話してきた中味が、だんだんずれて行くという感じが常にあるわけです(それはそれで、けっこうスリルがあって面白かったですよ)。 しかし今回よく分かったのは、それでもある程度恥を知りつつ、しゃべり続けたほうが「良さそうだ」ということなのでした。「同時中継」という縛りをかけないと、どう考えたってこんなに一挙に多量にしゃべれる分けがない。で、多量にしゃべることが出来るというのは、わりと身勝手な自己満足を与えてくれるものです。 かと言って、じゃあこれまでしゃべった中味を、もう一度整合性のある形にし直す気があるのかというと、それ以前の問題として、とてもじゃないが恥ずかしくて、出来れば無かったことにしてしまいたい(消してしまいたい)、というところがあるのです。舞い上がってやっていることの大半は、酔っ払いの「オダあげ」と一緒で、後になってみれば「穴があったら、入りたい」種類のものでしょう。 「源氏物語」のような古典は、その点相手は富士山のようにデカくて、私のような分際が少々無礼な「読み」で、その山肌を引っ掻いたところでビクともしない。一千年以上微動だにしない相手というのは、こちらもあまりあせらずに落ち着いておしゃべりが出来るわけです。 「カーネーション」が、はたしてどれぐらいの普遍性を持ったドラマだったのか?なかんずくナツキ糸子で形象された晩年の糸子像をどう捉えるのか?という問題は、もう少し時間が経たないと、まだまだ「生煮え状態」でスッキリした見通しなど出来るわけがない。今は感想欄などを見ても非難轟々ですが、例えば十年か二十年経って、平成の世もまたセピア色した世界に変色して見えるようになった時、どのような評価が下せるか?というのは、同時代にいる現在の我々には誰にも分からないのです。 取りあえず今の私たちにも明らかなのは、「カーネー」の製作スタッフが、糸子を一意的なよくある神話伝説のヒロインにすることだけは避けようとした、その意志だけでしょう。「閉じた物語」ではなく、永遠に「開いた状態」のまま、糸子を我々の前に差し出しておく。「カーネー」を思い出すたび、「あの三月一ヶ月分は、いったい何やったんやねん?」という疑問を全員が抱かざるを得ないようにして置く。そういう選択をした、という事実だけなのでしょう。 さてさて、この先ここのおしゃべりを、どう取り扱って行くか、というのが目下の懸案なのですが、そこはそれ気楽な個人ブログのことですから、断舎利のごとく「カーネーション」の話題を、「エイヤッ!」と切って捨ててしまうわけではありません。私の関心は常に「サリエリ的観察」にあるので、天才や創造者の現場がどのような事況で立ち現れて来るのか、というもともとの趣意からすれば、まだまだこのネタについては、しゃべり足りない気分が残ります。 要は、「朝ドラ」というタイトルだけを断舎利して、多少気分を変えてみようということなので、これで「カーネー話」は終わりだというわけではありません。ただし、どういう形でいつからするかは、さしあたって、何にも決めていなくて、少し頭を捻っているところです。 と、無駄話でした。
2012.04.19
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カラリとした「死生感」 「お早うございます。死にました。 … 」で始まる糸子のナレーションは、これまでの「いつでも、どこでも聞いていてくれるはずの誰か」に向っての語りではなく、逆に当の「いつも聞いてくれているはずの立ち位置」から彼女は語っているわけです。だって彼女はすでに、この世の人ではないわけですから。 という意味で、ここはリアルな捉え方をしても意味がない。一種の謎掛けめいた「遊び」と考えたほうが、いいようですね。となると最後のシーンが、「だんじり」でも「ミシン」でもなかったのは、それらがまさしく「生者の世界」の象徴であって、死者たちの世界とは関係がないからということになります。 「死者」の風景とは、非常に身も蓋もない言い方をすれば、生きることを止めた身体が、それを構成していた気体や液体や固体という元素に還元されて、なおかつ「この世に存在し続ける」ということでしょう。で、それは時には生き物の身体になったり、自然の一部であったりするにせよ、姿形を変異させつつ、ずうっとこの世に「在り続ける」ということでもある。 映し出される映像が、岸和田らしき街並みと、緑、光、水などといった、これまでこのドラマで観たことのない「風景」なのは、それが「生者と共に在る、具体的な死者」の風景だからです。「自然」は人間界の喧騒とは関係なく、生者と死者の間を架橋するものとして、そこにいつでも「在る」わけでしょう。― 泣かんでええ。 … 泣くほどのことちゃう。… ウチはおる。 … あんたらのそば空、商店街、心斎橋、緑、光、水の上、ほんでちょっと退屈したらまた何ぞ、オモロイもんを、探しに行く。 ― その糸子が「退屈したら、時々覗きに来る … 」と言って、風となって病院のドアを開き、「カーネーション」の冒頭場面に戻って来るというのは、堂々巡りではなく、まして「永劫回帰」とか「インカーネーション(受肉)」といった小難しい話でもなくて、例えばテレビの画像となって、「ウチはあなたの記憶の中だけに居りますよ」ということなのでしょう。私たちはその中味を観てしまっているので、すでに糸子は記憶の中に「折り畳まれて」いる。彼女は「いつでも、どこでも」ふとした拍子に、いたずらっぽく私たちの前に顔を出す。「いっちょいで」とか「どの口が言うてんや。このアホが!」という立ち居姿で、ということなのでしょう。 私としては、これくらいのカラリとした締め括り方も、今となっては「有り」かなと思っています。 さておしまいに、またまた「源氏物語」から、紫式部が「物語(虚構)」の存在理由について、光源氏に語らせたくだりを挙げておきましょう。― その人の上とて、ありのままゝに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人の有様の、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心にこめがたくて、言ひおきはじめたるなり。 … ふかきこと、浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに、空言(そらごと)といひはてむも、事の心、違(たが)ひてなむありける。 ― 第二十五帖「蛍」の巻(山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 口語訳するなら、― (そもそも、物語というのは)誰それの人のこととして、(何もかも)ありのままに語るということではないけれど、善きにつけ悪しきにつけ、この世に生きる人の有様で、見るに飽かせず、聞き捨てにも出来なくて、後の世まで語り伝えたいような事柄を、心一つに収め難くて、語り置き始めたのでしょう。 … (書き方に)深い、浅いの違いは(もちろん)あるにせよ、何もかも全部、ウソと言い切ってしまうのでは、ことの本質を、見誤ってしまいます。 ―といったところでしょうか。 一千年前の日本に「空言(Ficthion)」が許される根拠について、このように透徹した見かたをしていた女性がいた、ということ自体が驚きを越えて、ほとんど奇跡のように思えますが、さて「カーネーション」は「糸子的在りよう」を描くにあたって、「見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心にこめがたくて、言ひおきはじめたるなり」ということになったのかどうか?― なぜか「朝ドラ」が面白い! おわり ―
2012.04.17
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堂々巡り そこで再びみたび、このドラマに用いられている「女性語」の話に戻ってくるのです。先に、糸子は次第に「女性語」から離れて行っているように見える、というような話をしましたが、それは言い換えると、彼女がドメスティック(家庭内的)な立ち位置から大きく離れて、優れて「社会性を帯びた人」に変容して行った、というところがあると思うのです。ドラマでも示されるとおり、ナツキ糸子には「同居家族」がいませんね。 ドメスティックな環境がない時、「女性語」で語れることが貧寒として来るのは仕方のないことで、オノマチ糸子の時にあれだけ生彩を放って、実在の綾子さんとは別の「明示性」を保っていた「糸子像」が、一気にしぼみ出した一つの要因は、このあたりにあるのかもしれません。 里香の話も優子直子との確執も、そして奈津との再会も、それが糸子のプライベートな話であるぶん、実在の綾子さんの放っている「存在感」から遠のいて行くわけで、その最たるものが周防の娘との邂逅だったでしょう。私はこういう仕方で泣きじゃくる糸子は見たくないというか、想像もつかないのです。もっと雄々しいと言ったら糸子に怒られてしまいそうですが、九十年も生きていれば、生まれつきとか家柄とか、要は本人以外の諸条件などもう誰も詮索しない、ヘンな言い方ですが「純粋個人」の人格として、泰然とそこにいる。つまり、観ている側のほとんどが、どないしても我が身が「絶対的非対称」の位置であることを、痛感せざるを得ないというような存在感を体現してほしかったなあ。 糸子も綾子さんと同じく、「女性語」の世界からどんどん橋を伸ばして、「男性語」そのものの世界ではなく、両者を超越するような位置に来ていたのではないか?もともと経営者としての彼女からすれば、男世界というのは「おもろい」所というか、ウマの合う世界であったはずなので、「九十人の会」とかいうのは晩年の糸子にとって、ごく必然的な流れであったでしょう。 自分のもともとの立ち位置は外せないにしても(それは定めなのだから)、そこからどんどん橋を延ばして行ける推力は、結局他者(異物)に対する「想像力」なのだと思う。亡くなるまで、どこまでも「架橋」して行こうとした糸子こそ、晩年の彼女の姿であったろうと思うのは、私だけでしょうか? まあしかし、この議論はすでに堂々巡りに入っていて、ドラマが物語的な「完結」をするのを拒否して、言わば「永遠の問いかけ」状態で差し出されてしまった以上、結論は出そうにないですね。明らかになったのは、このドラマがいつごろから何を意図し、どのような仕方で、今あるような齟齬が生じてしまったのか、の中味を出来るだけ具体的に明らかにしておくということだけでしょう。 たとえ堂々巡りでも、それを出来るだけ詳細に検討して、いったん棚に上げておけば、いずれまた起こるであろう、似たような事態の出来を「低減」させることは、間違いなく出来るだろうということなのです。「何を大げさな!」と、笑われてしまいそうですが、私がこれを一種の「ケース・スタディ(事例研究)」として、扱って来たことはお分りいただけるでしょう。何度も言いますが、タカが「朝ドラ」だからこそ、かなり立ち入った議論や、無責任な推断も気楽に行える、というところがあるじゃないですか。 さて、最終回の何やら奈津らしきおばあちゃんがテレビを観る場面。感想欄ではいろいろ言われているようですが、あれは別に奈津である必然性は何もない。むしろそこに付された糸子のナレーションの方に、この締め括りを解くカギがあるかもしれませんね。― つづく ―
2012.04.17
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「神話伝説」化を拒否する バブル景気に沸いていた当時の浮ついた空気とは裏腹に、寒々とした商店街の中にあって、糸子の心にも巨大な空虚感が広がっている。この光景を見たときに、いわば昭和の「伝説」として形象化された糸子を、平成の時代に置くことの難しさを、痛感したスタッフも多かったのではないか? かつての糸子に無前提に感情移入出来たのは、それが昭和オールウェイズの「過去」に属していたからで、今の時代で仮に似たような演出をすれば、たちまちウソ臭さが露呈する。同じ空気を観ている側が吸っていて、素直に「泣き」「笑える」時代ではないことを、我々自身がよく知っているからです。「虚実皮膜」の狭間で真実を明示するのに、同時代という対象は、それがグラグラ揺らぎ続けているぶん、まことに難しいと言わざるを得ません。 いきおい話は、綾子さんの事跡をたんたんと辿ることとなるのですが、前にも言ったように、成功物語の「成功の部分」の話は面白くない、あるいはヘタすると「嫌味」になったり、「冗長」に流れたりすることが多いのです(これはドラマにかぎらず、映画でも小説でも)。映画ならたいてい成功の直前で終わって、後はエンドロールの字幕で、その後の事跡を流して終りとなるでしょう。となれば、「糸子物語」はやはりオノマチ糸子の最終週で、終えるべきだったのでしょうか? 例えば、以下のような字幕を付けて(余興ですよ)、― この物語は、実在のファッションデザイナー小篠綾子さんをモデルにしたフィクションである。小篠さんは同じくファッションデザイナーとなった、コシノ三姉妹のお母さんである。こののち七十四歳にして、自身のブランドを立ち上げて成功させるなど、その健在ぶりを示した。世間に対する旺盛な好奇心は終生変わらず、九十二歳で世を去るまで現役であり続けた。彼女の座右の銘は、以下である「与うるは、受くるより、幸いなり」 ―で、「糸子神話」は完全に終結してしまうのです。 その魅力的なキャラクターは、ここまでの尾野さんによる波乱万丈の半生の描写で、すでに充分汲み尽くされていて、それ以上は過剰、観ている側からすれば、ここまでの糸子で、充分ヴァイタルなクッキリとした人物像として捉えることが出来る。 しかしそれは同時に、「小原糸子」を無害な過去へ拉し去ることに他ならず、何度も言うようにスタッフも脚本家も、何としても「平成の糸子」を造形して、今日的課題に彼女を直面させたかったのに違いない。 しかし、実在の晩年の綾子さんが「花開けば開くほど」、虚構の糸子がそれをなぞっていくなら、ウソ臭くとまでは言わないにしても、何やら空々しい印象になるのは致し方のないところで、もしそれを避けようとするなら、ドラマ的にはプライヴェートな部分に入って行くしかない。 渡辺あやさんは、むしろ「老いと死」というテーマを設定することで、そこに積極的な意義を見出そうとされたようですが、厄介なのは脚本家が見出した「積極的なテーマ」が、実在の華やか過ぎる綾子さんの晩年と、どうしても観ている側で結びついて来ない、ということなのでしょう。むしろこのテーマ性が表に出てくれば来るほど、実在の綾子さんの印象から懸け離れ、なにやら矮小化した「糸子」像が顔を現すという仕儀になるのです。― つづく ―
2012.04.16
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平成の糸子 前にこのドラマは ― 厳密に「女性語」で仕組まれていて、逆にみだりには「男性語の世界に、踏み込まない」という原則を守っているが、糸子自身は何やら「女性語の世界」から、次第にはみ出して行っているような所がある ― というような話をしたことがありますが、晩年の糸子を見ていると、エピソードにもあったとおり、妻に先立たれた男たちの会を作ったりもする。実際の綾子さんは、それ以外にも様々な会合を催したり、参加もされていたようですが、要は世間への関心を終生持ち続けておられたということなのです。 しかしこれって、オノマチ糸子最後の「ウチは、(岸和田で)宝抱えて、生きて行くよって」という科白と、必ずしもストレートに繋がらないでしょう。彼女がいつごろから「過去を抱えて生きて行くよりは、現在を楽しむ」姿勢に変化していったのか、何しろこの物語では主役交代の間に、時系列的には十二年の懸隔があるので、その間の経緯が今一つつまびらかではありません。 この十二年というのは、昭和四十八年(1973年)糸子六十歳から、昭和六十年(1985年)七十二歳という期間にあたり、社会史的には日本が高度成長経済から、バブル経済にのぼせ上がって行った時期で(私的には検証を加えてみたい、極めて重要な時代なのですが)、糸子個人史としては「宝の喪失期間」であると同時に、具体的に「老い」に直面して行く時期であったわけです。 現実的な身体の衰えとか故障に直面しつつ、周囲から「宝」が次々と消えて行く、という状況で糸子の心境に、何か大きな変化があったのか無かったのか? しかし、その間の糸子は描かれずに、平成間近の商店街が映し出される。我々はセピア色をした昭和糸子から、いきなり平成の世の糸子に対面させられるのです。その風景は今と寸分違わぬ世界であって、例のジャージー姿であたりを睥睨する里香の姿は、平成の街の点景として何の違和感も無い。私たちはそれまで、何がしか「昭和オールウェイズ」風のフィルターを通して糸子を観ていたのが、ここではストレートに今と繋がった風景に置かれた糸子を観るわけです。 脚本家の意図としては、糸子がその間に失ったものと、様変わりした平成の街の風景を重ね合わせて、逆にそこから遡行する形で、彼女の心境の変化を描きたかったのかもしれませんが、何やら寒々しい空気だけが画面に立ち現れるという仕儀になりますね。その原因は何も登場人物が、ほとんど変わったという事だけじゃない。平成の今の世というのが、観ている私たちの内に面白味のある「物語」を想像させるのを、拒むところがあるのでしょう。 なぜなら今の我々は、平成の世という現実に、何の「希望」とか「展望」も見出せずに、四半世紀を過ごして来たからです。たんに現在の長期的な経済的不振といったようなことではなしに、将来へのポジな「ヴィジョン」を誰も描けない結果、人の心の在りようまでが「劣化」しているのではないか?という不信感が蔓延しているように思える。ことほどさように、「現実」というのは苛烈な心象を与えるものなのでしょう。 私はそうした中にあって、糸子像をたんなる昭和オールウェイズ風の「懐かしの糸子」には絶対するまい、という製作者側の気概には賛成するほうです。なぜなら、これも再三にわたって言って来たように、昭和の時代は時代で今と変わらず、人の営みというのは「苛烈」だったのであって、何も今が特別「辛い」ということではない。 安易な「過去への迎合」姿勢は、例えば「明治の人は、偉かった」「江戸の人々は、幸せだった」式の、「懐古趣味」を惹起させるだけで、リアルな「生きて行く」ことの「苛烈な現実の肌触り」を開示することは絶対出来ません。無前提な「懐古」的姿勢が、ここ最近の「和の心」だの「維新」だの、妙な「日本礼賛」姿勢に転化しようとするとき、私たちは自身の知的劣化に気付くべきなのです。 という意味で、懐かしの糸子ではなく、殺伐した平成の世の糸子を、何が何でも描こうとした「構え」は、ずいぶん評価するのですが、はたしてそれがどこまで俳優、スタッフ全員の意志として、共有されていたのか?― つづく ―
2012.04.14
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オハラというよりは、エリン? これまたすっかり古くなってしまいましたが、やはり自立する女性の活躍を描いたアメリカ映画で、例えば「ワーキング・ガール」とか「エリン・ブロコビッチ」のような作品を思い出します。それぞれ企業や社会に積極的に参加して行く女性たちへの賛歌のような映画だったのですが、日本のと違って仕事や社会的側面での彼女たちの関わり方が、とても具体的で説得力がある。で、かといって主人公たちの家庭あるいはプライベートの描き方が、いい加減かといえばそんなことはなくて、とても好いバランスなのです。 この二つの映画には「カーネーション」と共通する構えがあって、それは言うまでもなく「笑い」と「アイロニー」、そして周囲を見詰める「優しさ」のようなものでしょう。特に「エリン」の場合は、キャラクターも何やら糸子と共通(口が悪いとか、態度がデカイとか)するところがあるのですが、要は主人公も含めて対象を「笑い飛ばして」しまうような、作り手側の姿勢がとても潔い。これらのヒロインたちも、とても好意的に描かれて入るけれど、決して十全に完成した人格とは見做されていない、というところが私は好きです。 それに比べれば「カーネーション」がかなり家庭に偏した物語になっているのは、紛れもないことでしょう。仕事量で単純比較すれば、はるかに糸子のほうが多量かつ苛烈に、それをこなしているのにも拘わらず、です。 このあたり、また我田引水の謗りを受けてしまいそうですが、根底的には「女性語」としての「日本語」というのは、思想とか社会を語るのに、多少不便なところがあるのではないか?逆に言えば「英語(というより、欧語か?)」は「男性語」化しているぶん、仕事や社会を語りやすいというところがあるのかもしれない。テスやエリンが仕事場で話す、そのしゃべり方はまさしく「男性形」なのです。 「日本語」が威力を発揮するのは、まさしくドメスティックな事況に関するときであるかもしれない。心理や感覚のビミョーな揺らぎを表現するのに、「女性形」としての「日本語」くらい適切な言語はないのかもしれないのです。しかしそれは同時に、政治だの社会だの思想といった、より抽象化された概念の表明には不向きなのでしょう。 それが意図的にそうなったのか、必然的にそうならざるを得なかったのか、そこは部外者なので何とも言えませんが、私の見るところ「カーネー」の出来が、作品的にも最も良かったのは、むしろそのまさしく「家庭劇」の部分、つまり糸子が優子を叩いたあとの数週間だったと思っています。娘たちの自立と糸子自身の引退へと傾く気分が、父善作へのオマージュも重なって、かつてない盛り上がりでしたね。 私の場合、尾野真千子という女優に一番感心したのもこのあたりで、これはもうほとんど「名人芸」の域に入っているんじゃないか、と思ったものです。前から言うように、私はどちらかというと、目に涙がいっぱい式のストレートな表現よりは、揺らぐ気持が表情やしぐさで、自ら表れて来るようなほうが、押し付けがましくなくて好きです。 彼女がそのようにまさしく「身体化」したような演技が出来たというのも、逆に言えばそこが優れてドメスティックな言語空間だったから、ということがあると思うのです。 北村がカーネーションの大きな花束を持って糸子を訪ねる。彼としてはもちろんプロポーズの最後の切り札(のつもり)なのですが、それがまるっきり通じていないどころか、何やら別の作為を嗅ぎ取って怒り出す糸子。このあたりの「横に、ずれて行く」感じ、あるいは端的に「ボケぶり」というのは、家庭劇における「日本語」の威力でしょう。 糸子の中で「エロース的情動」が起動するのは、永遠の周防だけなのであって、北村も松田もそういう意味では、まったく男=オスとは彼女の中で認知されていない。むしろ同類(同性ではありません)で、しかもどちらかというと出来の悪い方の仲間と思っていた可能性が強いのです。 さて最終週でも見せた、オノマチ糸子の男=オス全般に対する仕方が、晩年の糸子では少しく変化しているのに気づかれた人は、おられるでしょうか?― つづく ―
2012.04.13
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社会の窓 行きつ戻りつしながら、ようやっと全体的な感想に入って行けるかな?と思っています。ただし、それがシュッと糸子のように締め括れるかどうか、今のところ自信がありません。それもこれも新シリーズの糸子を、ドラマ全体の中でどう位置づけて、自分の中で腑に落とすか、今だに見通しが立たないからです。 かと言って、ひょっとしてこのおしゃべりに、依然としてお付き合いいただいている皆さんにも、「いつまで、クドクド続けるつもりやろ(このオッサン!)」と思われかねないし、軍配の挙げ所が難しいですね。 このドラマの特色として、以前に何度か「極度に女性語で語られている物語」というような話をしましたが、もう一つ全般的な流れとして感じ取れるのが、戦後の物語が次第にドメスティック(家庭内的)な色合いを濃くしていることなのです。糸子の戦前の物語は、たんに昭和十年戦争によって否応なく社会と繋がれて行ったのではなく、物語の視点がより世間に開かれていたような気がする。 例えば、神戸の松坂家とか吉田奈津の料理屋とか安岡家とか、それぞれが糸子と絡みながら、別々の人生を観るものに想像させることで、広々とした風通しの好さがあったと思うのです。ところが戦争によって、ほとんどすべての男たちが死ぬとともに、戦後の物語は急速に小原家の内に焦点化して行ったように見える。 あえて社会に開かれた窓を挙げるとすれば、三浦組合長ぐらいなのですが、それとて彼の物語が自然と浮かび上がって来る、というほどのことではない。もっぱら糸子の子育てと三姉妹の成長が中心になるのです。まあ、その間に「不倫問題」が挿入されますが、それこそ「家庭内」どころか、もっと個人的な「物語」でしょう。 しかしよく考えてみると、糸子の人生は本来戦後になって洋裁において花開いたのであり、実際の綾子さんも仕事に追いまくられて、子育てなどにはほとんど構っていられなかった、というのは有名な話です。ドラマでもそのユニークな「子育てぶり」は、鮮やかに描かれているのですが、彼女の仕事面での活躍ぶりは、必ずしも目に見えるように描かれているわけではない。 私は特に、彼女の経営感覚みたいなものは、もっと描いてほしかったという気がする。戦後まもなく松田という男を経理担当として雇うという場面がありましたが、よく考えてみると縫い子が五、六人ほどの洋裁店に、果たして専門の経理がいるのかどうか?実はこのころ、実際の綾子さんは例の水玉のワンピースの大ヒットで、数十人の縫い子を抱える立派な経営者だったらしいのです。従業員が数十人となれば、これは洋裁店というよりは、私にはちょっとした洋裁工場のイメージ(間違っているかもしれません)がして、そうなると専門の経理は確かに要るということになって来るでしょう。 糸子の経営手法、あるいは綾子さんが「お弟子さんたち」と呼ぶ、熱心な心酔者がどのように生まれて来たのか。で、その背中を見詰める娘たちが、どいうふうにしてデザイナーになって行ったのかという具合だと、ずいぶん広々としたドラマになったような気がするのですが、何度も言うように、話はもっぱら家族のことに絞られて行くのです。 まあそのあたり、これは経済企業小説ではなく、それこそ「朝ドラ」であって、女性が主人公となれば、話がどうしても家庭や家族のほうに偏して行くのは、ある程度仕方がないにしても、女性の社会的「自立」を裏で担保するのが、紛れもなく経済的自立であるとするなら、そのようなエピソードももう少しほしかったなあ、という気がするのです(これ実は、例の奈津の借金問題や、直子の開業資金の話などと、絡んでいるのですよ)。― つづく ―
2012.04.12
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「老い」を楽しむ ここ最近続けて、コシノヒロコ、ジュンコ御両人のインタビューが、別々にテレビ(「スタバ」と「徹子の部屋」)であって、いずれも母綾子さんを語る中味になっていましたね。で、晩年の綾子さんはメディアに露出する機会も多くて、さまざまな記録映像が残されているわけですが、それらを見るたび湧いて来るのが、この人が発している「広々とした懐深さ」とか「可笑し味」というのは、どこから出てくるのだろう、という感触なのです。 三姉妹が口を揃える「お母ちゃんは、晩年に花開いた」というのは、もちろん高齢の綾子さんが、たんにメディアを賑わせたということだけではないでしょう。「老境」に入ってからの彼女が発している、何とも一口では言い難い「存在感」は、青春期、壮年期とはかなり違った在りようを示していて、実際に会った人たちはたちまちその魅力の虜になる、といった類のものだったろうと思うのです。 オノマチ糸子を観るかぎり、糸子のいささか角張った性格というのは、その最終週においてもそれほど変わっていない。少なくとも、北村や母千代さんへの対し方は、相変わらずの「糸子」なのです。これらの表象からすると六十代の糸子は、必ずしも周囲を十全に和ませる人ではなかった、言い換えれば「分かる人には分かるけれども、それ以外の人たちからは無用の誤解や批判を浴びる」こともあったかもしれないのです。 このあたり、オノマチ糸子は明らかにその後の「糸子」像に向けて、ある種のシグナルを送っているように見える。 さて、晩年の綾子さんのさまざまなエピソードを見るかぎり、そうした角々しい表象はすっかり影を潜めて、言わば「地母神」的貫禄と、「子供のような裸眼の心」を併せ持ったような風貌に見えてしまう。八十代九十代の彼女の周りに集まってきた数多くの人々は、欲得で寄って来た(まあ、中にはいたかもしれませんが)わけではなく、彼女の発する「言うに言われぬ、面白味」に惹かれて、あたかも「何」とは説明出来ないけれど、「だんじり」を担ぐ時のウキウキしたような気分で、集まって来たということなのでしょう。 こういう「境地」というか「雰囲気」は、文字通り「老境」と言うしかない事況であって、彼女から見える平成の世は、少しく我々とは異なっていたに違いない。それは我々が「老いと死」に対して抱く先入観とも、また著しく異なった風景として映っていたかもしれないのです。 さて、こうした実際の綾子さんから受ける印象と、老境を託された「ナツキ糸子」の造形には、かなりの差があるように見える。何度も言いますが、それはたんに夏木マリさんの演技がどう、とかいった問題ではない。糸子の晩年をポジティヴな「老いと死」というようなテーマから見詰ようとした、脚本あるいは製作スタッフの「構え」に、多少無理があったのかもしれない、ということなのです。 そのテーマが前景化すればするほど、実在の綾子さんの圧倒的な存在感からは遠ざかるうえに、それまで創り上げられて来た虚構の糸子像も、これまた何となく「矮小化」して見えてしまう。要するに限りなくフツーの「愛でたい、おばあちゃん」に近くなっているのです。 そのあたり、本当に渡辺あやさん他NHKの製作スタッフには申し訳ないけれど、実在の小篠綾子さんの圧倒的な存在感に「想像力」が押し潰された、あるいははるかに想像を超えた人格であった、ということなのかもしれない。「美しく老いる」とか「老いて行く楽しみ」みたいな境地というのは、実際のところ「老いてみないと、分からない」事況であって、ここでまたしても、私たちは「絶対的非対象」の位置に、自分たちが置かれていることを思い知らされるのです。 たぶん、性格もそして思想も全然違っていただろう、例えばターシャ・チューダーだの柴田トヨさんなどとの共通点を、あえて綾子さんに見出すとするならば、それは明らかに「壊れて行く自分の身体も含めて、老いて行くことを楽しむ」あるいは、ひょっとすると「笑い飛ばしてしまう」という態度であったろうかな、と私など思ってしまうのですが。― つづく ―
2012.04.11
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「架橋する」ということ ポイントは「戦争」を、糸子という定点に絞って描き切ったこと。彼女が見たもの知り得たことに限定することによって、戦時中の日本の風景が相対化される。一般的な空襲の情景や焼け跡は、写真や映画で我々は何度も見せられて来たのですが、戦時中のナマの生活を嗅ぎ取るには、むしろ視線を徹底して限定したほうがリアルであり得るのでしょう。 「途中から物語自体が一匹の竜のように動き始めて、誰にも止められないと感じた」と渡辺さんが言われた時期は、おそらく戦争に入って様々な人物が、いっせいに歴史に捲き込まれて行く頃(勘助の最初の出征あたり)からだろうと思うのですが、個人史が否応なく社会に捲き込まれて行くというシチュエーション自体は、ドラマではよくある筋立てなのです。要はそれを糸子の知り得た出来事だけに、こだわって描き続けた点にあるのだと思う。 彼女目線であることによって、「実際の戦争は、そんなもんじゃない」とか「絵空事じゃん」という空虚さは回避されるのです。ここに一箇所でも他の目線が入ったとしたら、たちまちそれらは「空々しい」定番の戦争物語になってしまったでしょう。脚本家が糸子の声に耳をそばだたせ、「何を本当に、語りたがっているのか」に真摯に向き合ったからこそ、生み出されたシナリオだと思うのです。 当りまえのことですが、「戦争!戦争!」と年がら年中舞い上がっているわけには、生身の人間はいかなかったはず。仕事や生活が完全に破壊されて、「生き延びる」ことだけが日常の営みになってしまったのは、糸子の場合なら敗戦の年になってからで、しかもそれが具体的な空襲という形で、現実の脅威となって現れ始めたのは、三月の大阪空襲以降だったということ。昭和十年戦争と言われながら、糸子がそれを「受けて立つ」ようにして、戦時中に「商売を繁盛させていた」というエピソードは、すべてが終わって七十年近く過ぎた平成の今となっては、なかなか想像し難い。我々は日本中が一様に「軍国主義化」し、「焼け野ヶ原」になって行ったと、なぜか漠然と捉えてしまいがちですね。 しかし、実際には岸和田は焼けなかったし、「戦争」の実感は勝や勘助の戦死公報という形でしか、糸子たちには知る由が無かったということなのです。これらをすべてが終わって、戦争の結末も実態も知り得る立ち位置になってから、「その時の行動はどうだった、こうだった」と忖度しても、歴史を本当に知るということにはならない。 実際には戦前も戦後も、人が「生活」し「糧を得る」という営みは、当然のことですが、ずうっと「継続」しているわけで、肝心なのは「異種、異物」あるいは「異様なる様態」というのが、どのような仕方で、その日常生活に浸潤して来るのか、その仕方のほうをしかと見詰めたほうが、今の我々にとって益するところが多いのではないかしらん? 阪神の「震災後の復興」もそうだし、バブル崩壊後の「都市の荒れ方」もそうでしたが、事態はいつも「まだら模様」に、目立たない形で日常生活を改変して行く、というのが実際なのでしょう。そうした目線で、言わば執拗に「何か、抜けはないか?」「本当に、これで好いのか?」という問いを、常に(糸子に)立てるような形で、「戦中の日常生活」を描いたドラマは、今までテレビでも映画でも、あまり無かったような気がするのです。 さて、「老いと死」だの「戦争」だの、「絶対的に知り得ない、あるいは共有出来ない」事況に対して、我々はどのようにして架橋していったら好いのか?あるいはそもそも、そんなことが可能なのか、どうか?という問題は、とても難しい話であるし、たぶんこのドラマの一番奥に潜むテーマなので、いったん回避しましょう。 ここでは渡辺さんはこうした根本問題に、ずうっと強いこだわりを持っておられるらしい、ということさえ分れば取りあえず充分です。 問題は、「戦争」ほどに「老いと死」のテーマは、糸子的在りようとしては「内在化」されていないのではないか、ということなのでしょう。― つづく ―
2012.04.10
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震災の記憶 じつは、新シリーズで奈津の登場が「あらすじ」で予告されたとき、てっきり私は、彼女は旦那を阪神の震災で亡くしたのではないか、と勝手に決めてかかっていたのを思い出します。 直接的ではなくても、「東日本大震災」の被災者に対するメッセージ性というのは、これまでにもドラマの中に随所に見られたのですが、もしそれをもっと前景化させて語るとするなら、時系列的にもここしかないだろうという気がしたからです。とすれば、奈津というのは、またしてもその人生そのものが、糸子とは真反対の形で昭和と平成の日本を体現するものとして、ドラマティックに現れるのかなと期待していたら、見事に引っ繰り返されてしまいました。 例のインタビューで、渡辺さんは「あえて、今回の震災には触れない」というスタンスで、脚本に臨まれたようです。それはそれでとても一貫した姿勢で、私など自分の不明を改めて思い知らされるわけです。ことさらなメッセージ性は、得てして「善意の押し売り」とは言わないまでも、ドラマ的には「厭味」になることは有り得るのです。で、それこそ例えば十年ほど経ってみれば、真っ先に陳腐化してしまう種類のものでもあるのでしょう。 とはいえ、「阪神淡路大震災」については、何らかの形で出して来るかもしれないという期待は、糸子の一生を最後まで描くというスタンスであれば、かなり必然性があるのも事実なのです。 考えてみるとこのドラマ、戦後史お決まりの復興映像(例えば、新幹線、東京オリンピック、大阪万博)を、ものの見事にすべてカットしていたことを思い出します。定番化して誰一人疑うことをしない、戦後史のすっかりセピア色化した映像を、いったん全部捨像してみれば、どんな日本が見えて来るのか?というような構えであるとするなら、これまた何というチャレンジ精神と、内心舌を巻いていたのですが、阪神の「震災」だけは何らかの形で取り上げるかもしれないな、と思っていたのでした。 それをされなかったのには、先ほどの理由以上に、エピソードとして取り入れるには、この「震災」があまりにも重い課題として(「末期がん問題」と同じく)、この脚本家にはあったのかもしれないという気がする(勝手な推測ですよ)。 震災体験をどう捉えるかについては、ずうっと以前にこのブログでも何回か触れたことがありますが、私の場合それは、いわば「戦争体験の替わり」としての「世界の崩れ」体験でありました。今年が震災後十七年という事は、敗戦後十七年つまり昭和三十七年にあたり、戦争体験者はそのような経過年数で、「世界の崩れ」から十七年を過ごしたのだろう、と類推したわけです。で、その時代なら私もセピア色の記憶として、思い出すことが出来る。時間というものがどのように経過し、廃墟が周囲の風景から消えて、私たちの記憶の中だけに折り畳まれて行くのか? それともう一つ、たぶんこちらのほうが大事だと思うのですが、たんに未体験の揺れを経験したという事ではなく、私にも友人知人で現実にアパートや住宅に閉じ込められ、傷ついたり亡くなった人もいるわけです。そうした友人たちから「あの体験だけは、実際に遭ってみないと、絶対分からへん」と言われれば、「それは、そうだろう」とこちらは「沈黙」を強いられる。つまりそういわれた時に、自分が「絶対的非対称」の位置に置かれていることを思い知らされるのです。「壁が崩れ落ち、テレビがこちらへ飛んでくる。為す術なく弄ばれる身体を感じながら、『死ぬということは、たぶん、こういうことなんやな』と思った」と言われたら、それは同じ「崩れ」を体験した人にしか、どないしても「共有」出来ない事況だろう、と思うしかないでしょう。 これは何も「他者との共有」などというのは、厳密に「有り得ない、不可能だ」ということを強調しようとしているのではなく、安易に「共有」とか「絆」を語ることなど、とても危なくて出来ないな、ということを言いたかったのでした。 で、それはおそらく、戦時経験者の体験についても同じことだろう。「戦争なんていうのは、実際に遭ってみないと、本当のことは絶対分からへん」という親の言葉は、そのまま震災体験者の言葉と、私の中では同じ響きとなって聞えて来るのです。 私が「カーネーション」で、アホみたいに異様に高揚したのは、戦争未体験者が戦争を語る「語り方」の道筋の一つを、ひょっとして示しているのかもしれないな、と感じたからでした。何も下調べが行き届いているから、といった話じゃない。未体験者の側から戦争に近付いて行くのに、これほど「まっとうな」アプローチを試みているドラマを、今まで観たことがなかったからです。― つづく ―
2012.04.08
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不治性の表象 「死」とか「病」「老い」が、生き物にとって不可避的な様態であるにも関わらず、現代の極度な「唯脳社会」は、それらが世に存在しないことを前提に構築されている、ということを指摘されたのが養老さんでした。近代経済学はヒトを優れて「経済合理的に振るまう」存在と措定して、世の動きを把握し予測しようとします。しかし言うまでもなく、ヒトは未熟な子供の時もあれば、病気で立てない時もあれば、老いさらぼいてまともに口も聞けなくなる時もある。 全人的に「大人(経済人)」ばかりの、ノッペリした一様な人間ばかりが、この世を構成しているわけではないし、早い話、一個人としても終日「経済人」として過ごしている人などいない。まあ、トレーダーと言われるような人たちは、そういった特異な部類に入るのかもしれませんが、さてそれが、全人的な「大人」と措定出来るのかどうか?仮に世界中がトレーダーばかりの人間になったとして、今どきの計量経済モデルが成立するのかどうか、考えてみれば良い。 そこには何やら、彼ら以外の「愚かな多数者」が、実際には世にいることを前提にしている感じがあって、それに寄り掛かってゲームをしているのじゃないかしらん。彼らにも「老病死」は不可避的に訪れるのです。どれだけ大枚を叩いても、これを回避することは誰にも出来ない。 「老い」と「死」は、さしあたって先の話として捨像出来るにしても、「病」ばかりは抽象化された「経済人」といえども、常に我が身に降り罹り得るものとして、その「背後」にあるわけです。「がん」というのは、成人が出会うべきもっとも真近な「病」であると同時に、きわめて不条理な「死」の表象でもある。自身の周囲を見渡して三十代~五十代のうちに、何人の「がん患者」に遭遇したか、そして壮年期の「がん」がいかなる態様を示すものであるか、知らない人はまずいないでしょう。 「末期がん患者」が体中にチューブを埋め込まれて、「死」と抗う姿を見届けるのは、生きている側の人間にとって、はなはだ苦痛を強いられるものです。たんに患者が苦しむ姿を見るのが辛いというレベルじゃない、何かしら「生きる」あるいは「生き物」ということは、これほど苦しみ続けなければならない存在ということなのか?そうしたことを否応なく突き付けられる光景というのは、現代では「がん」という病の様態以外無くなってしまいました。 戦前までは、「結核」が「不治の病」の代表的な表象であり、その他にも今よりかなり身近に「死の表象」は、そこここに見え隠れしていたようですが、今や「がん」だけが「不治性の表象=死」として、現代医療器具に囲まれてなお我々の前にあるのです。 総婦長の諦めに似た嘆息は、仕事上長年にわたって、数多く見て来た「死」に関して、医療のプロとして誠実に接すれば接するほど、露呈して来るであろう「徒労感」と「不条理」を現していて、その疲れ切った表情は生きている側の本音を現して秀逸でしたね。 しかし、だからと言って、それを医療を越えた何か、「奇跡」という「明示性」で回収するのは、やはりちょっと安易かな?という危惧は抱かざるを得ない。「奇跡」はあくまでその希少性に依拠しているのであって、実際は起こらないほうがはるかに多いのです(だからこそ「奇跡」と呼ばれる、という背理がそこには潜んでいる)。まあそのベタな演出のせいもあるのですが、それでもまだファッションショーで終わっていれば、一時的でも「救い」と「希望」であったはずなのが、最終回ですっかり回復している患者を見て、シラけた人は多いでしょう。 中村優子さんと夏木マリさんの鬼気迫る長回しの熱演が、演出放置状態で台無しになっている。まあ、このあたりが「朝ドラ」で取り上げるには、あまりにも重いテーマであったということなのかもしれません(しかし、「戦争」だって、あれほど真正面から喰らいついて行ったじゃないの、という思いもまた残りますね)。 ところで、「生老病死」という人間の根本問題に対する、脚本家の強いこだわりには、かなり強い個人的な体験が関わっているのかもしれません。で、察するところ、すぐ思い当たるのが、「阪神淡路大震災」のことなのです。 この震災は、少なくとも関西にいる「戦争を知らない世代」にとっては、生まれて初めての、自身の存在を「根底から脅かされる」という体験であると同時に、九十年代に始まったバブル崩壊の決定的表象としてあったでしょう。自身の近くで世界が崩れて行く、友人知人が傷つきあるいは死亡するのに直面するというのは、私の場合、京都にいたので直接では無いにせよ、かつてない揺れを体験し、鉄道が止まり、死者を運ぶ自衛隊ヘリが、上空を飛び交うのを目撃するという状況で、生まれて始めて「死」とか「喪失」のような人生の根本問題と、自分が真正面から「対面」することを、余儀なくさせられた事況としてあったのです。― つづく ―
2012.04.07
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ストレス・テスト 個人的な話ですが、私がここのブログでささやかに、面白がってやっていた「源氏読み」が、二年ほど前の「若菜」の手前で頓挫している理由と、まさしく同じ事態が「カーネーション」で起きている。作品の構えがガラリと変わった時、受け手はそれを一望俯瞰的なビジョンとして、心の内でスッキリと見晴らすことが出来ないのです。ベタに表明されたメッセージではなく、いったいこの作品は、「私たちに何を言おうとしているのか?」「何を、問いかけているのか?」といった、それと簡単に言うことは出来ないけれど、ずうっと一定して明晰に発せられていたはずの「メタ・メッセージ」が、ここに到って紗幕がかかったように不鮮明になっているわけです。 しかし、何度も言うように、それでもって主役交代がドラマ失敗のすべてだった、と決め付けるわけにはいかない。「糸子的在りよう」というのが、どこまで普遍性を持つものなのか?それを確かめる一番簡単な術が「主役交代」なのです。「普遍化」というのは極論すれば、誰がやっても「糸子」が見えて来る、というような「外に開かれた状態」で、作品を世に差し出すということであって、もしそういう高々とした「志」であったならば(想像ですよ)、「何という目標を掲げたのだろう!」という意味で、私は声援してみようという気になったのでした。 結果から言うと、それが作る側にも観る側にも、想定以上の「ストレス・テスト」になっちゃった、ということでしょう。 さて、渡辺さんは新聞のインタビューでも語っておられるように、「老いと死」という言わば人間の根源的テーマについて、ずうっと強い関心を持たれているようですね。今回あえて糸子の死までを描こうとしたのには、ひたすら前のめりに「老い」を突き進んで行かれたらしい綾子さんを、糸子というフィルターを通すことによって、特定個人的な「前向き」の事況ではなく、もう少し素のヒトの在りようにまで戻して、なおかつポジなスタンスでこれを見詰めてみたい、ということがあったのでしょう。 養老さんによれば「人間の死亡率は100%」。これはつまるところ、生き物はすべからく「いずれは、必ず死ぬ」という事実を、『養老語』で語っただけなのですが、大事なことは「死」という事況は、誰にも「必ず到来する事態」であるにもかかわらず、純粋に「一回的な事況」であって、さらには誰もそれを「体験として、他者に語ることが出来ない」。つまり死という事況については、これを「他者と共有出来る、いかなる手段も、我々は断たれている」という事実なのです。我々はこれを純粋に、口を封じられた状態で「個人的な体験」として、経験せざるを得ないということ。 時に「臨死体験」だの「あの世から、生還した」といった話が、テレビや誌上を賑わしますが、これらは要は「純粋に個人的で、一回的な事況」に関して、何とか「他者に架橋したい、共同の幻想に浸りたい」という、話者自身の「死への恐怖」の倒錯した表明に他ならないことが多い。釈迦が「死について語らない」のは、それが厳密に「生者によっては、絶対的に語れない」事柄であることを、よく知っていたからです。 それでなおかつ、私たちが「死」というものについて、考えたり語らずにいられなのは、生き物の中で人間だけが、「自分が生きて、在る」ことを意識していて、「逃れようのない時間の相」の元に、生まれた時から自身が、「不可避的に、投げ込まれている」ことを知ってしまっている存在だからでしょう。 で、もし誠実に「死」について、私たちが語るとするならば、結局それは「生きている今の自身を、考える」という仕方でしか出来ない。要は「死を語るとは、どう生きるかを語る」という仕方でしか、今生の私たちには、語る意味がないということなのです。 「源氏物語」が光源氏の死についていっさい語らないのは、たぶん「死」そのものついて「語ることの無意味さ」を、紫式部がよく知っていたからでしょう。「物語」は生者同士だけに許された「語法」なのです。「死」とは生者からいっさい隔絶した事況であること。彼女が「雲隠」という表題だけをつけて、中味を書かなかったのが、もし事実なのだとすれば、それは「死」という事況が生者から見て、端的に「無=空白」に他ならないことを示したかったからに違いない。 と、ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、ここまで書いておかないと「死」の問題について、妙な誤解や甘味な印象を持つ人がいることが、とくに若い人たちには、多いような気がするからです(私自身そうでした)。と、多少「坊主の説法」めいた話をしてしまいました。 「カーネーション」で末期がん患者の女性が現れたとき、それが「火の魚」の折見とち子と生き写しであることに、衝撃を受けた人は多いでしょう。渡辺あやさんは、あえてそれをもう一度取り上げようという、よほど強い意志を持って臨んだに違いない。― つづく ―
2012.04.06
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「宇治十帖」 要は、有象無象のプロ職人たちを(仮に自分の部下たち、と想定してみれば)、どうやって「機嫌好く」仕事させるか?というのは、管理する側の永遠の課題みたいなもので、途端に頭が痛くなりますね。 まあしかし、この話は何やら「生臭い」中味になるかもしれないし、「カーネーションを、極北まで楽しむ」という元々の趣旨からも、どんどん離れて行ってしまうので、別の機会にすることにしましょう。 要は、この半年のマイフィーバーとは何だったのか?を考える時に、最終一ヶ月の新シリーズのせいで、全体の印象をクッキリとした構図で描けない、という困った事態になっているのです。特に私の場合は、どちらかというとNHK大阪の「太鼓持ち」のような話を、かなり増幅気味に発信し続けて来た手前、まるきり立つ瀬がないという仕儀と相成ります(ホンマに!)。 かと言って、いつまでもズルズル引き摺ってもしかたがないので、そろそろここの話も「括り」に移りたいと思っているのですが、NETの感想欄を見ても、割り切れない思いを抱いている人が多い。要は、全体的な感想とか評価を最終一ヶ月によって、拒まれているような印象があるのです。 私が冗談のつもりで、「ひょっとしたら、胴体着陸になるかも」と言った予感が、まさしく悪夢のように目の前にあって、真っ逆さまに墜落して粉々に砕け散ったというわけではないにせよ、前のめりに突っ込んで前輪をへし折ったが、胴体だけは何とか原形を止めた、という景況になっている。要は、スッキリした「整合感」が失われているのです。 これまた「源氏物語」のなかで、光源氏亡き後の「宇治十帖」をどう評価するか?というのと似たような状況ですね。今だに、ここの取り扱いについて、充分納得の行く批評とか解釈に出会ったことが、少なくとも私にはないのです。「これは現代の抽象小説を先取りしたもの」とか「宗教文学だ」とか、その筋の専門家に言われても、何を以って「宇治十帖」を現代文学と比定するのか、宗教をどういう立ち位置で、評者が「見詰めている」のか、そこの具体的な説明をすっ飛ばして、分かったふうな「用語」で断定されても、我々は困ってしまうわけです。 となれば、さしあたって出来ることはと言えば、作品全体をいちどきに評価するのをいったん回避して、適当に解体して部分部分で「享受」するということになる。じつは「源氏物語」の評価というのは、始めのほうと真ん中(「若菜」以下)あたりと、最後の「宇治十帖」で文学的評価の基準を、評者が勝手に変更している場合が結構あるのです。一気通観的に「微動だにしない眼」で、この長大な物語を見通せた評論というのは、今だにないのじゃないか知らん。 まあ「カーネーション」は、そこまでとんでもないアポリア(困難)を、我々に突き付けているわけではなく、幸いにして渡辺あやさんは一千年前の人ではなくて現役ですから(失礼!)、脚本家の意図はいつでも聞けるし、現に昨日の新聞でも他でもかなり触れておられる。 しかし、また元に戻ってしまうのですが、ドラマ作品というのは、脚本家の意図とは一応関係なく、我々の前に現前してしまっているわけで、いくら「こうだった」とか解説されても、とてもそれをそのまま腑に落とすわけには行かない。「集団」が創り上げる「作品」の危うさが、露呈してしまうわけです。 弱ったなあ!― つづく ―
2012.04.05
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「相互乗り入れ」と「ノリシロ」 と、こう、あれこれ話をしていたら、今朝の新聞に渡辺あやさんのロングインタビューが載っていましたね。ここみたいな下世話なネット記事ではなくて、「カーネーション」というドラマを「物語」という在りようから、まともに取り上げてみようとする姿勢が、やっとマスコミにも出てきたのか知らん、と思って多少仔細に読んでしまいました。 なかなか面白かったのですが、あやさんの考えておられたことは、おおむね我々視聴者と同期していて、少し安心。多少インタヴュアーが生マジメ過ぎて笑ってしまいますが、まあ皆さんも是非読んでみてください(朝日新聞四月四日面)。 それより記事面の外に「途中から物語の中に竜が現れて、これはどうにも止めるわけにはいかないと思った」というコメントがあって、「やはりなるほど」と納得したわけです(その中味については、また触れます)。 ジャズのセッションが誰かのキーコードで始まるように、最初に「鍵言葉」を投げ掛けるのは、言うまでもなく脚本家でありました。受け手がそれに反応して「熱い倍音」を響かせるために、それは充分「喚起力」がなければならない。渡辺さんと尾野さんはそのあたり、絶妙のコンビであったのでしょう。渡辺さんの脚本が役者にとって、強く「想像力を刺激する」タイプのものであったことは、数多くの役者さんの証言にあるとおりですが、それは渡辺さん単独で産み出されたのではなく、尾野さんとの丁々発止のセッションによって、次々と新たに産み出されたものであったろう、と想像されるのです。 大事なのは、最初のキーは脚本家が投げ掛けるにしても、後の進行は互いの「セッション自体」が決めて行くわけで、それが実のある物であるためには、互いの兆発的な「相互乗り入れ」が不可欠だったろうということです。 私が想像するところ、渡辺さんは小林薫さんには多少「気後れ」するところがあったのではないか?善作というかなり複雑な人物像について、その造形を小林さんに「丸投げ」したというのには、セッションの相手としては大き過ぎる、ということもあったかもしれないのです。しかしこの時、現場にいた尾野さんは、脚本との想像的な関わりや自身の役作りについて、小林さんからかなり霊感を受けたかもしれない。「そうか、そこまで入って行って、ええんや」みたいな。 本とかスタッフとか他の俳優との関わり方について、「カーネー」の現場の空気感を最初に決めたのは、たぶん小林さんでしょう。となると、虚構の「糸子」を「ヨイショ!」と担ぎ上げたのは小林さんで、その「担ぎ方」を想像的に引き継いだのが、尾野さんということになって来ます。 そのあたり、渡辺さんと尾野さんが互いにリスペクトしつつ、「遠慮せずに、相互乗り入れ」出来る絶妙な関係を作り出していったことは、先の対談を読んでいてもよく分るのですが、その仕方だけを示した「父性」的な小林さんの役割は、かぎりなく大きかったということになりますね。 さて、ここまで見てくれば、新シリーズになってからの「変調」が、どのようにして起きて来たのか、だいたい想像がつくでしょう。核となるべきキープレイヤーがいなくなって、「担ぎ方」を継承する人が失われてしまった、ということではなかったか? 夏木さんによれば、「正式な発表があるまで、しんどかった」ということなのですが、早くから朝の同じ時間帯で「カーネーション」を観ながら、かなりのプレッシャーを感じたでしょう。テレビで観るということと、現場に参加するということとは、まったく異なる事況であることは、彼女も充分わかっていたはず。丁々発止のセッションを見せられるにつけ、そこにどう入っていくか、については相当頭を捻ったに違いない。 「アウェーな感じ」というのは、まさしくそれまでの「セッション自体」が作り出している「担ぐもの」に、自身がいかなる意味でも参加していない、という感覚だったろうと思うのです。 で、同様に脚本の渡辺さんにしても、これまで対したことのない夏木さんに、「糸子」像を形象化して行くのに、かなり困難を感じたに違いない。なぜなら、それまでの「糸子」はすでに脚本家の手を離れて、スタッフ全体の自律した「セッション」で形象化されていたからです。新シリーズになって、科白が「上滑り」した印象がするのは、それがセッションによってではなく、脚本家の想像力だけで書かれていったからなのではないか? 「相互乗り入れ」状態が失われたとき、ノリシロ部分を埋めるシステムが、そこには無かったのです。 となると、この問題は創作家たちではなく製作側、要は「管理レベル」の話になって来ますね。天才たち同士の創造の現場というのは、それこそ素人の「想像の外」の出来事ですが、「管理(マネジメント)」の話は何やら娑婆の現実と似た事況で、話することが出来るような気もする。― つづく ―
2012.04.04
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創造者同士のセッション 話を戻します。なぜ新シリーズでは、脚本や演出が言わば「生煮え状態」のまま、充分吟味されずに提出されているのか?これもまた逆の方向から探って行けば、何か見えて来るかもしれない。要は脚本家と俳優が、もっとも「幸福な関係」を築いていたかもしれないころの、例の尾野さんと渡辺さんの対談の中味を、もう少し穿ってみたいのです。 先にも触れましたが、このコンビは例の「火の魚」以来二回目で、その時から互いにかなり刺激を受けていたらしい。で、実際に脚本を書き進めて行くうえで、「こんなことも、やらせてみたい」「あんなことも、出来るかな」といった、かなりチャレンジングな科白を加えて行ったところが、それに対して尾野さんは「啖呵の迫力は三倍増し」ぐらいのレスポンスで返してみせたというのです。 普段から見知った仲とか、充分話し合っているという間柄でなくても、ジャズのセッションのように、科白を介した音楽を交しているだけで、「強烈に想像力を刺激されて挑発しあう」、で、その結果ますます新たな想像力の地平が開かれて…、というまことに「幸福な創造者同士の関係」が、この時期の二人にはあったようです。 しかし、もちろん最初からそうした稀有な関係が、出来上がっていたわけではないのでしょう。ボールは投げてみないと、実際のところ当事者にも分らないものです。 じつはここで長いおしゃべりをしながら、私は「カーネーション」が始まったころのエピソードに、自分がほとんど触れていないことに気付くのです。確かに普段の「朝ドラ」よりも快調で、小林薫さんのいわゆる役者芸にも感心しきりだったのですが、そうした面白味なら、かつての「ゲゲゲの女房」でも観られたことでした。「黙っていられなく」なって、このブログでアホみたいにしゃべり始めたのは、ご覧のとおり十二月に入ってからなのです。 それまでは、よくある女の一代記を、かなり大阪風の濃い~ノリで描いた、フツーの「朝ドラ」だったように思う。 思い出してみると、私が膝を直して観始めたのが、例の踊り子のサエに対して、糸子が「本気で着る気がないんやったら、あんたになんかドレスこさえへん。帰り!」と言い放ったころからで、それまではこんな「深入り」はしていなかったし、その印象は今も変わっていません。 要はそのあたりから、何やら作り手側が発するメッセージに、ただならぬものを感じ出したということでしょう。平たく言えば、「朝ドラ」の範疇を越えて作り手側から発せられる、ある種「覚悟」のニオイを嗅ぎ取ったということです。 で、それはおそらく役者と脚本家及び製作スタッフ全員の考え方が、同じ方向に向って「だんじり」のように回り出した時期と、たぶん同期していると思うのです。脚本家と役者のスリリングなセッションが、新たな他のセッションを生む。それから以降、このドラマが駆け上がって行った到達点の高さというのは、皆さんもご存知のとおりで、散々ここでしゃべって来たことでもありました。 このあたり、いわゆる物書きとか画家のような、基本的に「単独者の創造」という立ち位置とは全然違いますね。これについては前にも触れましたが、映画とかテレビドラマというのは、よほどパーソナルな作品でないかぎり、大人数の「共同作業」の創造物なわけで、得てして優れた「明示性」を作品に持たせることを困難にする場合がある。ヘタに、そこにメッセージ性を盛り込もうとすると、「平板」になったり「厭味」に見えたりすることが多いのです。「創造」の現場というのは、基本的に孤独な作業だろうというのが、一般的な通念だったように思う。 しかし、それが役者他スタッフと作家の、本を介した「スリリングなセッション」であることによって、単独では到底成し得ない高みまで、作品を押し上げて行ってしまうという現象も、やはりこの世には確かにあるらしい。例の「なでしこジャパン」の達成した偉業などは、これに属する事況のものでしょう。 で、同じようなことが、たぶんこの「カーネーション」のチームスタッフにも現れたに違いない。細部まで誰か単独者が、何もかも決めているわけではない。お互いが兆発しあい刺激しあう中で、自ずから立ち上がって来る「拡張された身体性」が全体を被うときにのみ、一回的に顕現する世界がこの時だけ開かれたのだと思う。 しかし、それがサッカーという「常に動き続けるスポーツ」がまさしくそうであるように、めったと現れることのない「危うい」バランスの上に成り立っている現象であることも、これまた明らかなことなのでしょう。― つづく ―
2012.04.03
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断捨利 ここでは別に、主役交代の話をスキャンダルめいた下卑た好奇心で、あれこれ推測しようとしているのではありません。この一ヶ月このドラマが示した変調の中味を、もう少し詳しく知りたいのです。ハッキリしているのは、ここの構想が理念はとても高くて、また今日性もあるけれど、かなり大急ぎで書かれたのではないか?という感じがするからでした。 極めて理念性が高くて、かつ詩的な渡辺さんらしい「語り口」が、糸子の口から随所に発せられるのですが、それが「長口舌」になって、ちっともドラマ性を帯びた形で私たちに迫って来ない、という話は前にもしました。しかし、それはたんに現場の演出の不出来だけによるのではなく、脚本の段階でも起きていたのかもしれない、ということなのです。 それは本来一番想像力を自由に飛翔させられるはずの、奈津とか周防の娘といった創作上の人物との邂逅シーン、さらに言えば、例の「末期がん患者の奇跡」の取り扱い(これなど、実際のがん患者に対して、かなり問題を含んだ描き方ですよ。これはまた別に触れるかもしれません)などが、おざなりとは言わないまでも、「不発な感じ」で終わっていることからも言えるでしょう。 渡辺さんの作劇への構え方は、先のWEBマガジンなどを見ていても、とてもよく出ていると思うのですが、作中人物が自然にしゃべったり動き出すのを、じいっと耳を済ませて待っているという感じで、決して自身の理念を先走りさせることはしない。糸子は今何をしゃべりたがっているのか、何をしたがっているのかを、充分に孵化して来るまで見守るというスタンスのようですね。 「カーネーション」の不思議な臨調感は、たぶんそうした脚本家の構えからも来ているのだろうと思う(夏目漱石が、自身の連載小説の予告記事で、似たような言い方をしていましたね)。 と、ここまで言って来て、昨日ヒマに任せて先週分をまとめて通しで見直してみました。するとこれまた笑ってしまうのですが、毎日観ていた時とは別の印象がするのです。「長回し」が多くてエピソードが少ないということは、九十分ドラマとして通しで観たほうが、逆に比較的よく「腑に落ちる」ということなのです。 「人生の店仕舞い」の仕方を、糸子的にカラリと仕上げて行く。そうした感じが、細部の造りの問題は別として、結構上手く描いてある。特に私は月曜日分の二階の改装シーンには、久しぶりに感心しました。 言わば、九十年分の溜まりに溜まった人生の滓のようなものを、「エイヤッ!」とばかりに振り捨ててしまう。これぞ何事も大ナタでブッタ切って、いつも走り続けて来た「糸子的美学」の極致で、彼女はあえて「自身の空蝉」をこの世に遺すことを拒んだのです。こうした「断捨利」を敢行出来る人って、女性では意外と少ないのではないか?むしろ「思い出作り」に熱心になりすぎて、半ば「ゴミ屋敷化」している方のほうが多いんじゃないか知らん(すいません!)。 そのあたり、映像もよくその意図を汲んでいて、壁を剥がした時のもうもうたる土ぼこり、もちろんそれは「あだし野の煙」となって消える、現世の我が身を象徴しているのです。その前の畳に寝そべるシーンと合わせて、久しぶりに糸子を観た気がしました。 とは言え、これで持ち直すかと思ったら、結局その後は先に言ったような、はなはだ腑に落ちないシーンの連続で、ガッカリしてしまいました。ただし、それはあくまで以前の「高揚」を求めていた、私たちのほうの「思い入れ」が成せる結果だと思えば、九十分もののドラマの出来としては(少なくとも「朝ドラ」レベルとしては)、決して悪くないのです。私は「孤立無援状態」でありながら、過不足なく糸子のカラリとした死生観を体現して見せた、夏木マリさんには拍手を送りたいと思っています。― つづく ―
2012.04.02
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脚本家と俳優 このドラマのフィナーレを飾るに相応しい映像は、言うまでもなく「走り続ける、だんじり」であり、それこそが虚構の糸子像と現実の岸和田、およびそれと横に連なった平成の世の日本とを結び付ける、唯一のイメージであったはずなのですが、昨日のような具合だと、何やらよくある「風物詩」的な印象で、ちっとも生きた形で私たちに入って来ない。こうした「新日本風土記」ふうの取り扱いでは、「担ぐもの、担がれるもの」として継承されていくべき、「だんじり」の意味するところに命懸けの岸和田人は(木岡のオッチャンを始めとして)、怒ってしまうのではないか? 一ヶ月前のフィナーレと比べてみればその差は歴然で、あの時は「だんじり」のこのドラマにおける、そうした意味合いをキチッと理解して映像化していたと思うのです。 さて、なぜ脚本家が描いた構想が、ここに来て中多半端になったのか?最後の括り方については、渡辺あやさんがNHK公式ホームページで詳しく話されているのですが、要は華々しい晩年の「成功」の裏に忍び寄る「老いと病と死」の恐怖に、糸子はどのように相対したのか?人生の「店仕舞い」を、どのように進めて行ったのか、見てみたいということだったようです。糸子ならいかなる意味でも、「苦悩から歓喜へ」といった「悲壮感」ではなく、カラリとした「死生感」を示してくれるだろう、ということだったでしょう。これはこれで、すごい構想だなあ、と思ってしまいますね。 興味深いのは、当初この物語の括りを、七十歳を越えて自身のブランドを立ち上げたところで、終えることも考えておられたらしいことで、何やら途中から全体の構想に変動があったことを伺わせます。で、その理由についてすぐ思い当たるのは、当然主役の途中交代との絡みでしょう。七十歳ぐらいまでなら、別に尾野真千子さんで充分行けるというか、逆にもし交代するなら時期を五十歳ぐらいまで大幅に早めないと、七十歳でフィナーレとはいかなくなってしまう。最後の一、二週間だけを夏木さんに、というわけにはいかなかったでしょう。 交代にともなって、新たな明示生を持つまとまった「物語」とするために、少なくとも一ヶ月四週分の期間は必要と考えたに違いない。 となると、私が以前に指摘した「この交代劇は、脚本家の一種のエゴイズムから出た」という話は、俄然怪しくなって来る。いったいこの交代を渡辺さんは、製作側からいつごろ知らされたのだろう、ということ。 様々な話から、夏木さんへのオファーは結構早い時期からあったらしい。肝心なのはそれが、製作側のどのレベルまで周知されていたのだろう、ということなのです。それに関して、もう一つ面白い記事がNHK出版のWEBマガジンに出ていますね。渡辺さんと尾野さんの「カーネーション」をめぐる対談で、それじたい脚本家と俳優のベストフィットな在りようを示す、はなはだ興味深い内容なのですが、ここでの問題はこの対談が行われている時期、渡辺さんはまだこの交代劇を知らされていなかったのではないか、という疑いを抱かせるのです。 上の話は純粋に対談内容からだけの、私の勝手な推測なのですが、もしこの時期、渡辺さんがすでにこの交代を知っていたとすれば、彼女は相当な「政治感覚」を持った人だということになる。そのあたり、ぜひ皆さんも読んでみてください。私のような下卑た関心じゃなくても、充分面白い中味ですよ。 さて、その内容からすると、この対談が行われたのは、戦後編の不倫の予告も若干含まれているところから、放映順で言うと戦争から終戦直後のころと推測出来る。となると、脚本家も俳優も一番ペースが出て来て、乗りに乗っている半ば過ぎあたりだろうという事になって来ますね。 もしこの時期になっても、主役交代の話が為されていなかったのだとすれば、脚本家のほうに本全体の構想がほぼ見えてきた時期になって、製作サイドから話が出て来たのかもしれない、という事になって来る。尾野さんが交代を知らされたのが確か十二月で、年が明けてNETで大騒ぎになったのは記憶に新しいのですが、渡辺さんには少なくとも尾野さんへの話がある前に充分な説明があったはずでしょう。 当然、脚本の構想は、第一に優先されねばならないからです。となれば、先の七十歳ぐらいでフィナーレという構想は、交代話の前に暖められていたもので、それが現代にまで引っ張るというシナリオに変わったのは、交代劇と連動して出て来たのではないか、ということになって来ますね。― つづく ―
2012.04.01
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