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ヒチコック H・メルヴィルの「白鯨」に描かれた執拗なまでの「白」に対するこだわりというのは、何やら近親憎悪に近い印象を与えます。この時代が帝国主義的産業市民社会の勃興期、つまり世界に隔絶した西欧の「白い文明」観の形成期に当たっていて、メルヴィルほど極端な「白」憎悪ではないにしても、似たような文学として、例えばE・T・シートンの「狼王ロボ」やJ・ロンドンの「野性の呼び声」などが書かれていますね。このような作品が出て来るについて、たんに「反近代」とか「自然回帰」といった抽象的な理念ではなしに、まさしく「白」に表象されるオリジナルであるべき西欧文明の奥に潜む根底的な「疚しさ」とか「胡散臭さ」みたいなものを、彼らは嗅ぎ取っていたのかもしれない。 しかしことさらな「白」憎悪というのは、やはり近代産業市民社会の矛盾が極端に現れて来た二十世紀になってからで、ヒチコックの映画には何やら白色(特に女性)に対する、屈折した「憎悪」があるような気がして仕方がない。 ヒチコックが金髪碧眼の女優を偏愛したのは、よく知られたことですが、考えてみればそうした美女たちをことごとく窮地の追い込む(場合によっては、殺してしまう)という筋立てには、何やら彼特有の「嗜虐」嗜好性があるような気がするのです。 美女(=弱いもの)を「いたぶって面白がる」というのは、何やら今どきの「イジメ」の心理にも通じるところがあって、こうした「嗜虐」嗜好性というのはおそらく人間に限らず、動物一般の根底的な振るまいであるように思える。早い話、ネコは捕らえた獲物を、簡単には殺さないでしょう。 (だから例の大津中二生自殺事件だって、「イジメる側の心理と振るまい」をもっと検証しなくてはいけないのに、なぜか「イジメられる側」へのメッセージばかりが目立つ。この場合「イジメられる側」のパーソナリティーは、「イジメ」の問題とは関係がない。何かやられる側のサバイバルの方法だけを示して、事の本質を避けているように見えるのですが。しかし、これは別で取り上げます)。 「ダイヤルMを回せ」のヒロインG・ケリーの姿態がもっとも映えているのが、まぎれもなく殺人者に襲われているシーンで、ヒチコックは明らかにそれを見止めているのです。 同じような話でいうと、例の「鳥」など一見「自然からの復讐」というようなエコロジカルな印象を持たれますが、やっぱりそんな単純な発想では作られてはいないのではないか。 ここから先はほとんど私の「妄想話」ですが、鳥の群れの振るまいを仮にヒロインT・ヘドレンの深層心理を描いたものと仮定すれば、この映画の全体の構図がうまく説明できるような気がするのです。― つづく ―
2012.07.29
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白い恐怖 西欧近代文明というのが、彼らがひょっとして深層心理的に抱いているかもしれない、「白い幻想」によってあるいは推進されて来たのではないか?より端的に言えば北方系白人種たちが築いてきた「近代市民社会」の在りようの根拠を、キリスト教と並べてギリシャ・ローマ文明に求めようとした時、ギリシャ文明は古代エジプトともオリエントとも隔絶した、純粋オリジナルな「白い文明」でなければならなかった、ということなのです。 下のパルティノンの破風その他が極彩色で彩られていたとなれば、途端にエジプトのルクソール神殿やペルシャのペルセポリスの非西欧的な列柱が、ずいぶん近しいものに見えてくるじゃないですか。 私たちはギリシャの彫像や神話を思い浮かべるとき、なぜか金髪碧眼の神々を想像してしまいますが、考えてみればこれはおかしい。実際のギリシャ人というのは黒髪が普通だったというのは、古代の壷や壁画を見ればすぐ分る。 今のギリシャは古代よりははるかに人種が混交して、時にいわゆる白人種のような顔立ちの人もいますが、基本的には黒髪で肌浅黒く、背丈も比較的低いというのがラテン系の特徴でしょう。古い話ですが、確かポルトガル人がはるばる日本にやってきた時、安土桃山時代の日本人はさほど彼らに違和感を抱かなかったらしい。それは何も当時の日本人がコスモポリタンだったなどということじゃなくて、背丈格好ともまるきり異世界の怪異を体現したという受け止めじゃなかった、ということではなかったか。 大陸や東南アジアに准じる人間たちの一部という形で、目に映じていたに違いない(だから彼らを「南蛮人」と呼んだ?)。 今のギリシャもそんなに違和を感じさせるという事はない。まあアテネのような都会は別として(大都市というのは世界のどこに行っても、だいたい似たようなよそよそしさがあるのでしょう)、コリントスだのロードス島のような田舎に行ってみれば、ラテン特有ののどかな人懐こさがあるのです。 よく見ればいわゆる白人種ではないにしても、アジア系とは明らかに異なった顔つきをしているにもかかわらず ― 彫の深い濃い眉、そして一直線に通ったローマンノーズ、これらは地中海周辺の(例えばリビアのカダフィのような)民族に特徴的な顔立ちでしょう ―、さしたる緊張を強いられることがないのは、彼らの基本的に快活なキャラクターによるところが大きいのでしょう。 言わばエイリアンのような違和を日本人が外国人に見出したのは、たぶん幕末のロシア人や英米人が初めてだったのではないか。端的に言えば白色と言うよりは「脱色された肌」「漂白したような顔立ち」というのは、北方系白人種だけに見出される特徴なのです。 で、彼らはたんに異形の姿形というだけでなく、はなはだ居丈高な帝国主義的近代市民社会を体現する者として日本人の前に現れたわけです(戦国時代の南蛮人は、概して日本人に対しては「紳士的」だったようですね)。 さて、こうした「白色」に対するこだわりとか屈折した感情というのは、何も非白人種だけが抱いたわけではない。他ならぬ彼ら自身の「自分たちの白さ」に対する異様な自意識というのは、例えば19世紀半ばの「白鯨」とか、20世紀半ばのA・ヒチコックの映画に観られるとおりです。― つづく ―
2012.07.14
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白色の文明観 私たちが予期する「ギリシャ」とは、まさしくこのパルティノン神殿が示す「大理石の白」で、その「白色」ゆえに様々な相貌を時間や季節の経過に沿って示す。当時のカメラでは写せなかったのですが、その夜食事のあと散歩がてらアクロポリスを仰ぎ見たときは、この神殿は(当時はライトアップなど、なされていなかった)月に照らされて青白い光を放って見え、かつてトルコ軍の艦砲射撃によって列柱の横腹をえぐられた姿は、何がなしヒトの「肋骨」を連想させたものです。 手前に散乱した大理石ともども「無機質の岩石」という感じがしないのは、この石の持つ「白色」の人肌のような独特の質感に由るところが大きいのでしょう。 と、思っていたら、先日のNHKスペシャルで、ギリシャ文明がじつは「白い文明」ではなく「着色された」、それもかなりカラフルな文明であったことが明らかにされて、既成概念を覆されるという意味でとても面白かったのでした。我々が彼の文明に漠然と抱いている「白」のイメージが、じつは十九世紀大英帝国時代の貴族によって作られたニセの概念であったこと、彫像などが思いのほか色鮮やかな彩色を施されていたとなれば、私たちの「思い込み」は根底的にひっくり返されることになります。 で、それは同時にクレタ島のクノッソス迷宮にみられるような、一種異文化的な臭気(今なら例えばインカ文明に我々が感じるような)の彩色文明をそれと一挙に結びつけ、さらにはそれらの母体である古代エジプト文明や東からのメソポタミア文明の伝播も直截に感じさせる、そうした番組でありました。 要は、「地中海」という広大な内海を舞台にして、その周辺に住まう多様な民族は、その「多様性」を保ちつつ決して閉じられた文明ではなかった。古代において「隔てる海」ではなく「繋がる海」だったろう「地中海」の在りようが見えてくるのです。 下はロードス島の北の端から見たエーゲ海、対岸はトルコ。 しかしそうなると、では逆に大理石の彫像から彩色が失われて行ったのは、いつ頃からなのだろうという疑問が湧いて来ますね。早い話が、「ミロのビーナス」は彩色されていたのか知らん?ということになって来るのです。 今、確かに言えるのは、少なくともローマ時代にはこうした彫像から彩色は失われて、大理石本来の持つ質感を前面に押し出していただろうということぐらいでしょうが、さてそれとて、はたして本当に「そうである」と言い切れるのかどうか。「白」に取り憑かれているのは、ひょっとして西欧近代文明だけの「幻想」ではなかったのか?― つづく ―
2012.07.07
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旅情と現実 さて、はなはだ「非ギリシャ」的風景から入ってしまったので、このあとどう話をすすめようか思案しているのですが、私だって当初からミュケーナイのような超古代的風景を予期していたわけではなく、当然パルティノンに代表される「ギリシャ的秩序」に整序された神々の神殿を期待していたのでした。 このティリンスの丘に残る「廃墟」群は、ほとんど前知識なしで行った当時の私には、ハッキリ言って「何や、これ」という感じで、その意味するところが何となく腑に落ちてきたのは帰国してから、それもずうっと時が経ってからの話。 アテネ近郊の空港に到着したのはたしか現地時間午前四時ごろ、そのままバスで市内に直行したのですが、その移動中に偶然窓外に見えたのは、水銀灯に照らされた兵士を運ぶトラックの群れなのでした。当時のギリシャは左翼的な政権と軍部の微温的な緊張関係にあって、表向きの観光立国の印象とは別の側面を、はからずも入国当日の朝まだきに見せられたわけです。兵士の群れはもちろん空港も写真撮影は禁止、何かと気を使うピリピリしたK・ガヴラス的情景がここにはあるな、と思ったものでした(それは帰国の際に現実になったのですが、まあこれは後の話)。 時差ボケ解消のためにホテルで昼寝して、はじめて日中のアテネを見たのはその日の午後のことなのです。 私たちはとりあえず観光客の気軽さで、二千五百年前の古代に遊んでいれば良いのです。当日さっそくガイドに連れられてアクロポリスの丘に登りました。時間的にはすでに夕昏近く、もっぱらガイドの説明を聞くのが精一杯で、歴史を極大化して想像するにはあまりにも時間が無さ過ぎました。 下の写真はそのくどくどしい説明を聞き流しながら、横を向いて撮ったパルティノン神殿です。日没近くピンク色に染まりつつある大理石の列柱を、どうしても撮り逃すまいと思ったものです。― つづく ―
2012.07.04
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