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「官僚」対「現場医師」の代理戦争。 それは、医療経済効率化を目指す者と、医療原則維持を目指す者との争い。 官僚の先兵・東城大学医学部と、患者主体の終末期医療を展開する桜宮病院。 両者の全面戦争の最前線に、東城大の劣等医学生・天馬大吉が乗り込む。 このシチュエーションを仕組んだのは、大吉の幼なじみ・別宮葉子。 時風新報桜宮支所社会部の主任補佐を務める26歳の女性。 その罠にはまり、博打打ち・結城との賭け麻雀で、借金を背負った大吉は、 取材と人捜しの命を受け、ボランティアとして桜宮病院に差し向けられる。そこで、看護師をしていたのが、プリンセス・ターミネーターの姫宮さん。別名、ミス・ドミノと呼ばれるように、大柄で、そそっかしく、ミスを連発。大吉は、彼女のミスによってボランティアから一転して患者の身に。そして、桜宮病院の規定で、桜宮家次女・すみれが経営する企業の社員となって働くことになる。それにしても、「氷姫」こと姫宮さんは、あの『チーム・バチスタの栄光』で、白鳥さんの部下として名前が挙がっていた人物とは、随分イメージが違う。それでも、皮膚科の医師として登場した白鳥さんとのやりとりの様子からすると、潜伏操作をするために、無理矢理キャラをつくり、大吉にも意図的に怪我を負わせている節もある。そして、白鳥さんも、今回は上巻で早々に登場し、いつもながらの良い味を出している。さらに、すみれは、田口先生とチョットした関係がありそうな設定になっているし、兵藤先生の名前や、『ナイチンゲールの沈黙』で登場した浜田小夜のことが、様々な人々の、ちょっとした会話の中で出てくるのが、このシリーズのファンにはたまらない。 *** 緑のトンネルを抜けると社殿が見えた。 子どもの頃ためらいを誘発した距離は、アクセルの一踏みであっけなく消滅した。 こうやって人は伝説を失い、大人になっていくのだろう。(p.66)これは、今巻の中で、私が最も気に入った一節。大人になって、子ども時代の自分を振り返った時の、何とも言いようのない、ほのかに甘酸っぱいような気持ちが、実に上手く表現されている。 人は誰でも知らないうちに他人を傷つけている。 存在するということは、誰かを傷つける、ということと同じだ。 だから、無意識の鈍感さよりは、意図された悪意の方がマシなのかもしれない。 このことがわからないうちは、そいつはまだガキだ。(p.131)これは、剖検室で、解剖されたばかりの臓器を目の当たりにして、しゃがみ込んでしまった大吉が、控え室のソファに移された時に、桜宮病院院長・巌雄が言った言葉。ひょっとすると、この言葉の裏には、何かあるかもしれない。 家族やスタッフは画像認識時に警告対象から自動的に除外されるの。 そうしないと夜勤の看護師なんて、みんな不審者でしょ。 これは新顔だけに作動するように設定されているのよ。 ただし、その日出入りした人の顔写真は、家族であろうとスタッフであろうと、 すべて写真データとしてハードディスクに落としてあるけど。(p.161)これは、警備の仕事を担当することになった大吉に、すみれが、病院の出入りを監視するモニタの説明をした時の言葉。このあたりの二人のやりとりの言葉が、今回の事件解決に向けての、何らかのポイントになっていくのでしょう。さらに、トクさんというお婆さんが亡くなり、火葬場まで一緒に行くことになった際、巌雄院長が大吉に言った言葉。 君も、わが桜宮一族の関連会社社員になったわけか。 天馬君はすみれに気に入られたようだな。 ワシらの因縁は浅からぬようだしの。 ま、せいぜいくつろいでくれ。(p.212)そして、次の一節も、ポイントになってくる気がする。 それにしても、トクが明け方に亡くなってから、まだ半日も経たない。 なのに解剖だけでなく、葬式も終え、もうじき火葬まで済む。 あまりの手際よさに、違和感を覚えた。 まるでベルトコンベアーに乗せられ「死」という製品に加工されていくみたいだ。 それも極めて高速に。 なぜ、それほどまでに急ぐ必要があるのだろう?それでは、下巻に突入します!
2009.04.26
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さて、本著も『14歳からの社会学』と同じく、『14歳の……』と冠する一冊。 そして、今回の内田先生の対談のお相手は、精神科医の名越康文先生。 内田先生は女子大の先生だから、普段接するのは女子大生。 でも、名越先生は、思春期の子どもたちについて、豊富な臨床事例を御存知。 それ故、名越先生主導でお話しが進むのかと思いきや、 やっぱり、いつもの内田節は健在で、名越先生の方が、それに乗っかていく感じ。 ガチガチの、14歳の教育畑の人間(つまり中学校教員)でないお二人が、 ちょっと一歩引いたところから、クールにそれを見つめ、熱く語っている。 ***さて、ここからは、私が心に残った内田先生のお言葉集。 批判的立場の根本的矛盾なんですけど、厳しく現状を批判する人間って、 どこか無意識的に事態がますます悪くなることを望んでいるんです。(中略) 「オオカミ少年」と同じで、僕の予測が正しいということが証明されるためには、 本当に危険が来ないと困るわけです。 だから、危険論者はいつのまにか無意識的に危機を待望しちゃうんですよ。(p.20)これは、よく分かる。そして、どんどん負のルーチンに填り込んでしまう……。 ちょっと学校教育の方に引き付けて話しますけど、 東大の教育学の佐藤学先生が、小学校の教育現場で 「自分の意見をはっきり言いましょう」ということを原理原則にしているけども、 これはおかしい、ということを言われてました。 小学校の低学年の子が、自分の思いとか意見とかをはっきりした言葉で言えるはずがない。 言葉に詰まってしまうとか、 あるいは複雑な感情だったら語彙が追いつかないから黙ってしまうというのが、 小学生中学生にとっての「当たり前」なわけであって、 ほんとうに感受性が優れていて、言葉を大切に扱う子は、 口ごもって「シャイ」になるはずだって佐藤先生は言うんです。(p.52)これも、一部の人にとっては、目から鱗かな。でも、普通に考えれば、絶対にそうでしょう。だから、発している言葉そのものよりも、そこに込められた感情や想いを、大人として推し量ってやることの方が、より大事です。表面的な表現に引っかかって、冷静さを失ったり、騙されたりしてはいけません。彼ら、彼女らは、十分な語彙を本当の意味で持ち合わせていないから、自分自身の感情・思いを、自分でまとめきることが出来ず、オロオロとパニクるし、ましてや、それを他者に正確に伝えるなんて、本当に出来ない子が多いのです。 ラカンも同じことを言ってますね。 「人間は過去を前未来形で語る」って。 僕たちが過去の物語を語るのは、語り終わったときに、 聞き手が自分のことをどう思ってくれるか、僕を愛してくれるか、 僕に敬意を抱いてくれるか、僕を承認してくれるか…… そういう語りの効果を狙って、自分の過去を物語るわけです。 未来における効果を目指して語っていくわけだから、 「嘘」とは言いませんけれど、原理的には「お話」なんですよ。 過去の無数の記憶の中から、 つじつまのあった話の材料になるものだけを選択しているわけだから、 「作り話」なんです。(p.105)これも、誰もが納得するお話しでしょ? 子どもたちが置かれている集団ていうのは、 均質性が高くなればなるほど住みにくくなるに決まってるんです。 なのに、今の親たちはどんどん均質性の高い集団に子どもを送り込もうとするでしょう。 これ、子どもを窒息させるみたいなもんですよね。 所有している知識や財貨の共通性が高ければ高いほど、 それを「持っていない」ということが致命的になるんだから。(p.131)この前段では、教室の中の集団が、同質化しているというお話しが展開されています。教室という空間の質が、昔とは、全く変わってしまってきていて、クラスの一般的イメージというものを、もはやつくることができない状況。それゆえ、以前は確固として存在した、先生と生徒との暗黙の了解が成り立たず、リーダーがいて、参謀役がいて、調停役がいて、トリックスターがいてというような、昔ならどの教室でも見られた、キャラクターの構成分布が、存在しないことも多い。そんな、同じようなキャラばかりが集まった、金太郎飴状態の息苦しさを、憂慮しています。 子どもって結局、叱られた時に親の言葉なんか聞いてやしないんですよ。(中略) だって怒鳴りつけるなんてのは危機的な状況だし、 通常の関係が崩壊するかっていう状況でしょう。 その時に有効なものっていうのは、言葉じゃなくて身体的に迫ってくる、 「本当にお前のことを心配してるんだよ」というような、 そういう子どもの側でも否定しようにも否定できないような圧倒的な何かですよ。 それがあった時に初めて、とにかく何だかわかんないけども、 取り敢えず「ごめん」と言って謝って、今やってる「悪い」とされることを停止する。 納得してるわけじゃないんですよ。 あんまり迫力がすごいんで、取り敢えず止めてみましたって感じなんです。 その後、何で自分はあの時に止めちゃったんだろうということは、 子ども自身が時間をかけて考えていく……(p.186)この発言にも、考えさせられるところが多かった。迫力不足は、親としての覚悟が、まだまだ不十分という証拠でしょうか……。
2009.04.25
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『14歳の……』と冠する著書は数多い。本著もその中の一冊。 しかし、なぜ、こうも「14歳」なのか? 著者には2歳の娘さんがおり、その娘さんが14歳になった時に、 自分がどんなことを語るだろうかと考えながら、この本を書いたという。 「14歳」。日本では、中学2年生になった年に迎える年齢。 中学1年生(13歳)のような、入学したての初々しさや緊張感は失われ、 中学3年生(14歳)のように、進路という具体的目標に向け、頑張る状況にもなく、 「中だるみの学年」とよく言われる、第2反抗期・思春期真っ直中の年齢。「14歳」になると、それまで(13歳)と、何がどう違うのか?中学生になれば、たとえ12歳でも、バス代も電車代も、大人料金を払い始めるが、14歳になったからといって、日々の生活の中で、特に大きな変化は感じられない。ただし、警察の厄介になるようなコト(犯罪)をしでかすと、話はチョット別。それは、「13歳」までなら、あくまで「触法少年」で済むということ。警察に捕まったとしても、カサイ(家庭裁判所)に行くことも、カンベツ(少年鑑別所)や、ネンショウ(少年院)に行くことも、ほとんどない。ジソウ(児童相談所)通告されて、通所指導は受けなきゃいけないけれど。でも、「14歳」になると、突然、「犯罪少年」ということになってしまう。カサイもカンベツもネンショウも、何でもありだ。ただし、現在は、平成19年に、少年法が改正されたため、14歳未満でも、大きなコトをしでかすと、上記機関にお世話になる可能性がある。昔、「成人式」として行われていた「元服」の儀式を行う年齢には、時代や地域等で、少しばかりの幅があったようだが、江戸時代の武家においては、14歳~15歳位が、適齢とされていたらしい。今も、「14歳」には、そのイメージが残っているということなのかもしれない。 ***さて、本著の内容とは、全く関係のないことばかりを、ウダウダと書き連ねてしまったが、本著を読んでみての感想は、『「みんな」は誰から誰までを指す?』とか、『「共通感覚」の崩壊と「共通前提」の消失』についてのお話しが、特に面白かったということ。また、「衆愚政治」「エリート」に関する記述では、著者の社会を見る目がどんなものか、よく判った。さらに、「恋愛」と「性」についてのお話し、「仕事」と「生活」についてのお話しも、たいへん興味深かった。なかでも、『「仕事で自己実現」の考えを捨てろ』、「君に向いた仕事なんてあるの?」、「<仕事>が<生活>なんじゃない」のタイトルは、強烈に心に残った。あと、<生>と<死>の問題についても、私自身が、最近、この手の本を、よく読んでいたので、たいへん興味深く、著者の体験談も、とても参考になった。ただし、「<自由>への挑戦」の章は、かなり難解で、14歳には無理だろうと思う。
2009.04.25
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タイトルを見ただけで、大いに興味を引かれた一冊。 でも、読んでみると、ちょっとイメージ違ったかな。 副題は『「仮面を脱げない」新しい「心の病」がある。』 こちらの方が、本著の実像を、明快に示している。 「ディスチミア症候群」。 これが、本著が扱っているメイン・テーマ。 「仮面」が脱げない、「自分がわからない」という病。 「うつ」ではない、「うつもどき」。この「仮面」をかぶり続けるという行為が、じわじわと、或いは、突然に「病」となって表出する。「ありのままの自分」を抑圧し、挫折感に苛まれ続けた結果、過食、肩こり、依存症、もえつき、心筋梗塞、自殺等へと辿り着いてしまう。 *** データだけを信じることがなぜ危険なのかというと、それは統計のマジックによる。 統計データには、厳密に抽出したサンプルを対象にしたはずなのに、 あり得ないような数字が出て統計が成り立たなくなることがある。 その場合、「棄却検定」といってその数字を廃棄する方法が用いられることがある。 「棄却検定」にかけてお墨付きが出れば、データを除外することが可能なのだ。(中略) きれいに揃ったデータが提出された陰には、切り捨てられた少数派のデータが存在するものだ。 こうした切り捨てられたデータの存在に気づきつつデータを活用できるのが、 本当の勝ち組である。 つまりデータというのはそれを過信せず あくまで個々の患者に照らし合わせながら使うものなのだ。(中略) つまり、あり得ないと切り捨てられた一例が、重大な結果を招くことになる。(p.136)私が、本著の中で、最も感銘を受けたのがこの部分。自らデータを扱いなれていなければ、気づくことが出来ない、或いは、知っていても、結構忘れがちになってしまうこと。日々の姿勢を、大いに反省させられた。 それでは、欧米では「お客様は神様」にならないのだろうか。 ニューヨークのプラザホテルでマネージャーをつとめた奥谷啓介氏は、 著書『世界最高のホテル プラザでの10年間』のなかで、 アメリカ人の場合、「文句と苦情」はそれを訴えた場合、 客観的に裁判で勝てるかどうかをまず考え、 相手に非があり勝てる可能性がある場合ははっきり苦情と文句を言い、 そうでない場合(さきの天候のために飛行機が遅れたようなケース)は 文句を言わないのだそうである。 自分の感情のはけ口をホテルマンや乗務員に向けるようなことは軽蔑の対象となるし、 相手もとり合わない。 ニューヨークのホテルで仕事をしていて、 もっとも不当な要求をしてくるのは日本人旅行客なのだそうである。 お金を払う人がパワーをもち、相手を服従させるという思考回路が強いためだろう。(p.152)この部分に、著者が見出しとして付けた『日本人特有の「お客様は神様」という「病」』は、言い得て妙であり、ここで述べられていることは、現代日本に見られる様々な問題の「諸悪の根源」となっている感情とも言える。
2009.04.25
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「父親」と銘打っているので、 「父と子」の関係について述べられているのはもちろんだが、 それ以外にも、「親子」「夫婦」「家族」といった関係や、 「教育」「社会」「仕事」「生き方」等、幅広い視点から「父親」を捉えている。 川北さんの著作は、本著を読むのに先立って、 『40歳から人生「面白くなる人」「つまらなくなる人」』を読んだが、 そちらに比べると、文庫本見開き2ページで1テーマという縛りがないせいか、 グッと中身が濃い気がした(それでも、1テーマ数頁程度。読みやすい!)。「子供に携帯電話を持たせることの是非」や「赤ちゃんポスト」について論じたり、「子離れできない親があまりにも多すぎる」では、ダイハツ・ミラのCM、『「人生は総合力」ということを教えよ』では、『佐賀のがばいばあちゃん』に触れる等、扱っているテーマや話題に新しいものが多く、興味をもって読み進めることが出来た。また、「子と父は絶対に友だちなんかではない」では、三浦朱門さん、「子供に正しいケンカの仕方を教えよ」では、宮崎哲弥さん、『「教えられる立場」を子に自覚させよ』では、内田樹さんといった、著名人の言葉や著作を引き合いにして論じている部分が多い点も、興味を引かれた。 *** 親の役目は子供に居心地のよい巣をつくってやることだ。(p.45)夜中になっても、コンビニ前で屯ったり、バイクを乗り回している子の中には、家に帰っても、面白いこともなければ、心安らぐ一声をかけてくれる人もいないという子が結構いる。おまけに、夕飯は一人で済ませるとか、夕飯そのものを自己調達しなくてはいけないなんてことも。これじゃ、家に帰るより、似た境遇の、気の合う友だちといる方を選択してしまうのも無理はない? 今の家庭の大きな欠陥の一つは、親と子を同等扱いしすぎることだ。 私の子供時代、父親のおかずは一品多かった。 あるいは、子供のおかずと父親のそれは違っていた。 それも刺身などの豪華なおかずだった。 そんなとき子供と大人の違いをはっきり見せつけられて育ったのだ。 いまはむしろ逆だ。 お父さんより子供のおかずのほうが豪華であることも珍しくない。 こんな甘やかした育て方では、子供は自分を「小さな王様」と錯覚してしまう。(p.49)私の子供時代も、まさにそうだった。大人になったら、自分で稼ぐようになったら、美味しいもの(と言っても、今からすれば質素なもの)を、毎日、たくさん食べられると思っていた。 子供の教育に関して、多くの人は二つの大きな誤解をしていると思う。 一つは「誰かに教育してもらえる」と思っていることだ。(中略) 二つ目に間違っていることは、「どこかに理想的な教育法がある」と思い込んでいることだ。(p.53)これは、教育の問題だけにあらず。現代人は、何でもかんでも「他力本願」。しかも、そこに「完全なる理想の達成」を強要する。「自己解決」なんていう言葉は、完全に「死語」か……。 ところが最近の風潮は、男をおだてて、 育児や家事全般のノウハウを夫に叩き込もうとしている。 父親が母親になってどうする?(p.165)まぁ、出来ることなら、どちらがやっても良いとは思いますが……。でも、父親には父親の、母親には母親の役割があると、私も思います。 事件はだいたい暗く悲劇的なものだ。 メディアは事件を報じる。だから暗い話が多くなるのはやむを得ないところがあるが、 一方で正確な判断と分析も必要だと思う。 今のマスコミ報道の姿勢は、世の中をわざと暗く暗く見せようと努力しているようだ。(p.185)日本人の「マイナス思考」「ネガティブ思考」は、毎日、マスコミから発信される、「暗~い」情報の連発に慣らされた、「パブロフの犬」たちの姿、と言ったところか。 ***その他にも、『娘の教育には男としての「父親」が不可欠』「子供は禁止語で育ててはいけない」『父親とは「損な役回り」と心得ること』「いまは家庭を犠牲にする時代ではない」『「親権」を母親に与えすぎていないか』等は、とても面白かった。また、「地域力をもっと活用しよう」『「祖父母力」を生かさない手はない』に示された人材活用の指針も、大いに頷けた。
2009.04.25
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文庫本の見開き2ページに1テーマ。 スラスラ読める、ドンドン読める。 どこにも引っかかることなく、あっと言う間に読了。 と~ってもお手軽、何時でも、何処でも読めそうな本。 でも、ちょっとばかりアッサリしすぎかな。 引っかかる所がないっていうのは、果たして本当にイイコトなのか? ひょっとして、やっぱり、文庫本2ページの中には、 深~く心に染みいるようなコトは、書ききれないということか……。私は、この手の本も、結構読んできているから、少々食傷気味なのかもしれない。初めての人なら、結構「!」というところが多いのかも。まぁ、とりあえず、ササッと読めるので、一度手に取られては如何でしょうか?
2009.04.24
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クサナギの剣。 それは、スサノオノミコトが、ヤマタノオロチをやっつけ、 その体内から発見したもの。 これに、アマテラスが自分を見て驚いた鏡と玉を合わせると、皇室三種の神器。 そんな、神々のお話しが描かれているのが『古事記』。 中学校の社会の授業で習ったから、誰でも、その著名だけは知っている。 でも、そこに、どんなことが書かれているのかは、 結構、あまり知られていない。そして、日本神話についても、天照大神や大国主命の名前くらいは、誰でも、聞いた覚えがありそう。でも、その神様が、どんな風にどんなことをしたのかは、結構、あまり知られていない。かく言う私も、その一人。そこで、その入門編として、本著を購入して、読んでみた。なるほど、こういうお話しだったんだ。「因幡の白ウサギ」も、こんな感じだったんですね。 ***伊弉諾尊(イザナキノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が合体し、イザナミが、次々に日本の島々を生み出した。さらに、家の神、海の神、山の神等々、神をどんどん生み出した後、イザナミは、あの世へと旅立ってしまう。悲嘆に暮れたイザナキは、黄泉の国の前まで来てしまう。酔っぱらって、公園で騒いでいたクサナギは、警官の職質に、「裸だったら何が悪い」と大暴れ……違うか……?中にいるイザナミが出てくるのを待ちきれず、扉を開けてしまったイザナキは、見てはいけないものを見てしまう。その姿を見られたイザナミは、怒り狂って、イザナキに刺客を送り込む。イザナキは、黄泉の国とこの世の境目を大きな岩でふさぎ、何とか逃げ延びる。その後、イザナキは、左目を洗って天照大神(アマテラスオオミカミ)を、右目を洗ってツクヨミノミコトを、そして、鼻の中を洗って素戔嗚尊(スサノオノミコト)を生み出す。そんなアマテラス姉さんと、弟のスサノオは、子供を生む競争を始める。その競争に勝ったスサノオは、なぜか、町に繰り出して、暴れ始める。田の畦を壊し、溝を埋め、食堂でウンコを撒き散らし、皮をはいだ馬を人の家に投げ入れる。これに比べれば、お酒を飲んで、全裸で一人騒いでるくらいは、ホントにカワイイもの?そんな弟の悪戯を責められて、姉のアマテラスは、天の岩屋にこもってしまう。昼の世界を治めるアマテラスが、岩屋に入ってしまったので、この世の中は、真っ暗に。そんなアマテラスを外におびき寄せるため、神々は、天の岩屋戸の前で宴会開始。アマテラスが外に出てきて、再びこの世は光で満たされた。 ***こんな感じで、日本の国をつくったとされる神々のお話しが、さらに続いていく。ただし、あまりにお話しがぶっ飛び過ぎて、何だか意味不明の所も多い。でも、各ページの欄外には、工夫を凝らした著者のコメントが添えてあり、こんな不思議な世界でも、妙に納得させらてしまうという、心憎い構成。そして、『古事記』には、上・中・下巻があるけれど、本著で描かれているのは、どうやら上巻のお話しだけ。だから、本著は、あくまでも入門編。しかし、原文で全巻を読破してみようという意欲は、残念ながら、私には喚起されなかった。
2009.04.23
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扱っている内容からすると、こんな言い方は不謹慎かもしれないが、 期待以上に、とても面白かった。 災害三部作として先に刊行された『M8』、『TSUNAMI 津波』を凌ぐ出来映え。 そして、「あり得ない度」も、先行2作品を遙かに超越している。 時間設定としては、『M8』の後、『TSUNAMI 津波』の前の出来事。 なので、遠山先生は、日本防災研究センター長として、現役バリバリで活躍中。 松浦真一郎も、施設大隊の一等陸尉として、カッコよく大活躍。 瀬戸口誠二は、日本防災研究センターの地震研究副部長。さらに、漆原さんは、衆議院に籍を置きながら、現職の金森都知事に忠告をする立場。ただし、河本亜紀子は、このお話では登場せず(私が見逃したのでなければ)。と言うことで、『TSUNAMI 津波』終了時に、最もモヤッと感が残ってしまった瀬戸口と亜紀子との関係は、時間設定としては当然のことながら、全く進展せず一安心。こういったお馴染みのキャラが、続々登場するものの、今回は全て脇役。主役は、日本防災研究センターの気象観測シミュレーション研究室・リーダー玉城孝彦。そして、玉城の妻・大手建設会社に勤務する恵子と、小学4年の長男・大輔、幼稚園年長組の長女・由香里、玉城の母・秀代と弟・伸男らが重要な役割を果たす。先行二作との最も大きな違いは、玉城家の人間模様が、物語の中核の一部を為していること。玉城とバリバリのキャリアウーマンである妻・恵子との冷めた関係。そして、恵子の上司・土浦の存在。さらに、長男・大輔と弟・伸男との関係をめぐって、夫と妻、そして姑がぎこちなく対立。想像を絶する超大型台風に立ち向かう中で、この人間関係が刻々と変化していく様が、先行二作にはなかった、作品としての面白さを醸し出している。ただし、最後の落ちは、ちょっと拍子抜け。じゃぁ、これ以外に、どう落とし所を見つけるんだと聞かれると、困るのは確かだけど、伸男については、もうちょっと納得いくキャラにしてから、成仏させてやって欲しかった。それに加え、マンションに避難した人々の様子やその倒壊を防ぐために尽力した、内山さんを始め、避難住民たちの活躍を、もう少しページを割いて、丁寧に描いてくれれば、「さすが災害三部作を締めくくるに相応しい作品!!」と、拍手喝采できたのに、残念に思う。ただし、そこまで、超大型台風による災害の方を克明に描き切ってしまうと、災害を軸にしながらも、実は、玉城家の人間模様を描き出すという本作の焦点が、かなりぼやけてしまうという恐れはあるのだか……。どちらが良かったのかは、人により、判断が分かれるところだろう。
2009.04.22
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タイトルからイメージするほど、軽い内容の本ではない。 それどころか、多くの人は、かなり専門的で、難しいと感じるのでは? 「エコノミストが読み解く日米の深層」という副題の方が、 この本の実体を、より適切に正確に表現している。 マクドナルド的ビジネス・モデル、即ち、アメリカ的ビッグ・ビジネスは、 大きな興行収入を目標に掲げ、市場の最大公約数的な需要・好みを対象とする。 ところが、これを繰り返すと、パターンのマンネリ化・標準化に陥ってしまう。 マクドナルドのビジネスは成功したものの、米国に食文化の貧困をもたらした。それに対し、日本のラーメン屋ビジネスは、最大公約数の需要(好み)よりも、作り手のセンスにこだわり多種多様なものを創出、供給している。一軒ずつのビジネス規模(売り上げ)としては小さいが、多様でユニーク、意外性や驚きのあるものが目白押しで、飽きることがない。日本の場合、このような「ラーメン屋的供給構造」に適した漫画、アニメ、ゲームソフト等の必要資本が小さい分野での、職人たちの健闘が光る。昔から、日本という国は、異質な文化を大胆に取り込み、そこから、意外性と面白さを創出することに長けていたのだ。以上が、本著のタイトルにもなっている、第1章「マックに頼るアメリカ人VS.ラーメンを極める日本人」の概略で、経済的視点と文化的視点の双方から、日米を比較しているのが、何とも面白い。私は、こういう切り口で日米を眺めた本には、これまであまり出会った記憶がない。そして、第2章以降も、「希望を語る大統領VS.危機を語る総理大臣」「ディベートするアメリカ人VS.ブログする日本人」「ビルゲイツVS.黄金持ち父さん」、「一神教VS.アニミズム」と続いていき、第1章同様の切り口で、日米の深層・実像をあぶり出そうとしている。 ***さて、私が本著の中で特に興味を持ったのは、メディア、マスコミについて述べられた次の2箇所。 日本のメディアは、「危機」や「崩壊」などのネガティブな用語を多用して 世間の雰囲気を悲観的な方向に傾斜させているのだろうか? むしろ、メディアの側が 日本人読者の強く反応しそうな用語を選んでいる結果に過ぎないのだろう。 日米を問わず、一般にメディアは良いニュースよりも悪いニュースに紙面を割き、 センセーショナルに報道する傾向がある。 これはメディアの変更というよりも、良いニュースよりも悪いニュースに より敏感に反応する傾向が人間(読者、視聴者)にある結果だろう。(p.41)それにしても、新聞を見てもテレビのニュースを見ても、もちろん、インターネットのニュースを見ても、ネガティブな情報で溢れかえっており、「この世の中、良いこと・嬉しいこと・楽しいことよりも、悪いこと・悲しいこと・辛いことの方が、本当にこんなに多いのか?」と首を捻ってしまう。 無謬信仰が御上の論理に過ぎないのであれば、様々な失敗、失策の結果、 とっくに信仰は瓦解していただろう。 ところが、政府や大企業の過ちを批判するマスコミや一般国民にも 「御上(公共の責任を担うような大企業も含む)は本来無謬であるべきだ」という信仰があり、 無謬信仰を根強いものにしている。 日本のマスコミは、この信仰を僅かでも裏切る過ちを犯した権力・権威には 容赦のないバッシングを浴びせることを自らの使命と考えているようだ。(中略) 「安全」とは本来確率的に考えられるべき概念であり、 絶対の安全ということはあり得ない。安全の精度を上げるには経済的なコストもかかる。 要するに、コストとのバランスで どの程度の安全確率なら良しとするかの議論が必要なのである。 にもかかわらず、完全100%の安全実現を前提として、 そうでなければ「安心が崩壊する」と言いつのるのは、メディアの責任なのか、 それとも国民的な不安神経症の産物なのか。(p.61)現在の日本は、どんな分野においても、他者への期待度・依存度・要求度が、これまでに見られなかったほど、異様に高い状態にあると言えるのではなかろうか。これは、やはり国として、国民として、自立していない、大人になりきれていない、いや、逆に、幼児化が進んでしまっているということなのだろうか。
2009.04.14
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前半部分は、本著のセールス・トークを聞かされる(読まされる)だけ。 そして、第3章になって、やっと本編が始まる。 でも、そこに書かれている内容は、 巻末の折り込みページ、たった1ページに、ほぼ全てが示されている。 本著の内容は、この折り込みページさえ読めば、ほぼ完璧に理解できる。 これなら、確かに1分間で勉強完了。 でも、全ての書物が、こんな風になっているわけはない。 それらに対し、本著で学んだテクニックで、本当に対応できるのか? ***「1分間勉強法」とは、本1冊を1分で読み、60冊分を1分で復習する方法。(第14刷の折り込みページでは、「復讐」になっている!)そのために使われるのが「タイムマジック」。これで、本1冊が1分で読めるようになる。その時、用いられるのが「ワンミニッツ・リーディング」という手法。「リーディング」は“reading”ではなく、“leading”というところがポイント。つまり、「読む」のではなく「導く」。具体的には、本を右手に持って、2ページを0.5秒で、左手でめくっていく。その際、視線は左手の甲全体に置いたまま、動かさない。そうすると、「周辺視野」がページ全体を捉え、リーディングできる。その時、感覚として、引っかかっる部分が出てきたら、ページの上端を折っておく。これを、後でまとめていくのだ(まとめ方は後述)。ここで問題は、リーディングした時、感覚として、どれだけのものが引っかかってくれるかということ。「知らないこと」「分からないこと」は、引っかかってきにくいはず。と言うことは、リーディングした時、ちゃんとそれを捉えることが出来るような状態を、予め、頭の中に作り上げておくということが、必要になってくる。ところが、著者自身が本著で述べているように、「思い出すことに数秒かかるが、意味がわかる」ものや「見たことはあるのだが、その意味が思い出せない」ものは、比較的スムーズに勉強が進むけれど、「見たことも聞いたこともない」ものをわかるようにするためには、多大な時間を要する。つまり、「見たことも聞いたこともない」ものが少ない分野については、「リーディング」によって、効率よく勉強できる可能性があるけれど、そうでなければ、やはり基礎に戻って、きちんとした勉強を積み重ねていくしかない。その時、「1分間勉強法」は、可能なのか? ***それに比べると、「まとめ方」は、結構納得いくものだった。それは、「カラー・マジックシート」なる、赤・緑・黄・青に色分けされた用紙に、重要度別に、青いペンで書き込んでいくというもの。「今すぐしなければならない重要なこと」は赤の欄に、「しなければならない重要なこと」は緑の欄に、「後回しにしてもいい重要なこと」は黄色の欄に、「しなくてもいい重要なこと」は、青の欄に、それぞれ記入していく。そうやって、分類しておくと、この「カラー・マジックシート」を後で見た時、より重要なところが、一目瞭然になっている。そして、さらにこの「カラー・マジックシート」を、重要度に応じて、赤・緑・黄・青のカラーファイルに分類して、入れておく。そして、赤いファイルは常に持ち歩き、毎日繰り返し見て暗記する。緑のファイルは1週間に1度、黄色のファイルは1か月に1度、青いファイルは1年に1度くらい復習する。これによって、本60冊分の復習が、1分で出来ることになる。これは、なかなかのアイディアで、誰でも出来そうな良い方法だと思う。まぁ、この「分類する」という作業をすること自体に、実は、大きな意味があり、その段階で、かなりの勉強ができてしまっているはずだ。このことは、『7つの習慣』に書かれていた「時間管理のマトリックス」にも通ずるところがある。
2009.04.12
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今年になって読んだ本の中では、一番のお気に入り。 なぜなら、「脳」や「結婚」「人生」「幸福」「死」等、 私が、最近読んでいる本のテーマが、この一冊に凝縮されており、 しかも、「なるほど!」と、腑に落ちるところが、とても多かったから。 最初は、「自分探し」なんていうタイトルがついてるので、 ちょっと軽めの本だろうと、全く構えることなく読み始めた。 ところが、文体そのものは軽妙で、スラスラ読み進めることが出来るのに、 内容はというと、相当に深~い哲学書だった(さすが1万年堂出版!)。 *** あなたが求めてやまない「ほんわか気分」に、ほぼ確実になれる道は、 結婚して家庭を持つことです。(中略) 私たちの肉体は、結婚すれば(少なくとも4年くらいは) 幸せになるようにできているのです。(p.18)スタート早々、会心の一撃。この「ほんわか気分」をもたらすのが、脳内のセロトニン。 愛が芽生えると、脳の中の覚醒剤PEAの働きで、 性交して子供を生むのに十分な期間、恋人同士が引かれ合います。 その情熱が冷めたころには、脳内麻薬エンドルフィンによって夫は妻に強く愛着し、 家庭にとどまって妻子を守ります。(p.35)ところが、4年経つと変化が起こる。なぜなら、子孫を増やすという観点からすれば、子が離乳したら、パートナーを変えるほうが、より多様な子孫を残すのに有利だから。かくして、愛は4年で終わり、離婚するカップルも出てくることに。 男性にとって「気持ちよいこと」は、 「生き延びて、精子を拡散するのに役立つこと」になっています。 ひたすら精子をばらまくよう、絶えず男を駆り立てる刹那的ご褒美が「快感」なのです。(p.83)精子、遺伝子に操られ続け、一生を過ごすのが、男という生き物のさだめらしい。 「きれいな人と一緒になりたい」「気持ちいいことがしたい」「おいしい物が食べたい」 と誘惑されて、欲を満たそうと努力すればするほど、 子孫を残すのにはプラスになりますが、肝心な「私」は幸せにはなれません。(p.92)そして、ここから先の展開には、思わず、どんどん引きこまれていった。 歩く時も走る時も、大事なのは目的地です。 目的が悪かったり無意味であれば、それに向かって努力すること自体が、 価値のないものになってしまうからです。(中略) 「すべての人が手段だけを考えて目的を考えないのは、なげかわしいことだ」と パスカルは愁えます。 人間はいろいろなことを考えていますが、 いちばん大事なことは考えていないのではないでしょうか。(p.98)思い当たるところが多すぎて、思わず、読み進める視線の動きが緊急停止してしまった。そして、次の箇所が、私が、本著の中で最も感銘を受けた部分。 死を前にしたら何の価値もなくなってしまうものは、 最初から意味のないものだったのです。(p.154)これには、とてつもなく大きな衝撃を受けた。何かスゴ過ぎて、最初は、言葉にならないほどだった。日々、拘っていることや、眠れないほどに悩んでいたことが、実は、ほんとうにちっぽけで、大したことじゃないと実感できた。 人生のたそがれに夢から覚めた時、何が大事で、何が大事でなかったのか、ハッキリします。 それでは遅きに失するから、 パスカルは「あと1週間の生命しかない者のように行動しよう」と警告したのです。(p.155)本当に、今まで、大事なことは、全然考えていなかったんだなぁと思う。そして、最後の決め手は、次の部分。 ソクラテスの重大な発見は、「私自身」と「私の体」とを区別したことです。 魂(=本当の私)が、体の主人です。肉体は洋服。 本当の私にとって体は付属品に過ぎません。(p.187)この下りは、本当によく分かる。というのも、私自身も、そんな風に、ずっと考え続けていたから。つまり肉体は、「マジンガーZ」や「モビルスーツ」「バルキリー」のようなもので、それを操っている兜甲児やアムロ・レイ、一条輝が、本当の私自身という感覚。与えられた機体の能力(知能や身体能力)を駆使しながら、操縦しているという感覚。 さて、ソクラテスが論じたように「私の体」と「私」が違うとすれば、 「私の体」が死んだからといって、「私」も死ぬとはいえなくなります。(p.205)本当の「私」とは、実体がないものなのか?本当の「私」とは、どんな存在なのだろう。
2009.04.11
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親の所得や子ども自身の能力などが同じでも、 親の学歴が高いほど、子どもも高学歴になる。 これは、データを使った厳密な実証研究で、世界的に確認されている。 それは、高学歴の親が、教育費用の負担を、それほど重く感じないから。 つまり、高学歴の親は、遠い将来の便益を高く評価しているので、 20年後に得られる400万円のために、現時点で100万円を教育投資するが、 そうでない親は、現時点での100万円のほうが大切と考え、投資を控える。 高学歴の親は「時間選好率が小さい」と、経済学的には表現される。 *** 高学歴者は、多くのお金(学校納付金等)と時間(放棄稼得)を負担しながら、多くの知識や技能を習得してきた。それ故、高学歴者の能力は高く、生産活動に従事したときの生産性も高くなる。生産性が高い人が、高い賃金を得るのは当然である。これが、「人的資本論」の主張するところ。しかしながら、「教育が生産性を高める」という主張を実証した研究は、実際には、ほとんどないという。なぜなら、生産性の計測というものが、極めて難しいから。そこで、高学歴者が高賃金を得ることを説明するためには、人的資本論とは、別の理由からでなければならないこということになる。その最有力候補が、シグナリング理論。 ***スペンスの唱えた、学歴は情報の非対称性を解消するという「シグナリング理論」。能力は観察できないが、学歴は簡単に観察でき、そこから能力が推定できるという考え。これに従い、企業は始め、「大卒者は高能力、非大卒者は低能力」という信念を持っている。そして、企業は、その信念に基づき、大卒者に高賃金、非大卒者に低賃金を支給する。すると、高能力者は大学へ進学しようとし、逆に、低能力者は進学を断念するようになる。なぜなら、高能力者は低費用で大学を卒業でき、卒業後には高賃金を得られるが、低能力者が大卒資格を得るには、多くの費用がかかりすぎ、大学進学が割に合わないから。そして、就職後、何年か経ってみると、高能力者である大卒者は、きっちりと、高生産性を実現しているが、低能力者である非大卒者は、やっぱり、低生産性しか示せていないことが判明。かくして、企業の信念が正しかったことが確認される。 ***その他、第1章では、女性の教育の重要性が説かれており、たいへん興味深い。また、第2章では、学校選択制と教育バウチャー制度に対して、経済学的視点から、的を得た、説得力のある批判が為されている。さらに、いじめを経済学で解決する方法も示されているが、やや押しが弱い。それに比べると、「教師と学級規模の経済学」は、本著の中で最も面白かった。「学級崩壊の根本原因」や「望ましい教師像・授業」、「学級規模と学力」「小学校における英語教育」についての論述は、正確な実態把握に基づく、説得力あるものだった。
2009.04.11
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プレジデント 2009.5.4号のテーマは 会社・役職・学歴・年齢別4543万人全データ 給料の格差 税金の不平等さて、今回は、特集ページを斜め読みしながら、ページをめくり続け、真っ先に目にとまったのが『歴史に学ぶ仕事道』のコーナー。作家の楠木誠一郎氏が書いた「もし謙信が景勝だったら関ヶ原はどうなったか」という記事。「天地人」を毎週楽しみに見ている私には、とっても興味深い内容。結論から言うと、景勝は豊臣家への「義」を貫き、関ヶ原の戦いで西軍に味方したため、会津120万石から米沢30万石へ減封されてしまった。しかし、謙信のように己をしっかりと持ち、国力第一を考え、時代の趨勢を見て、東軍に味方していれば、上杉家は伊達家ほどの力を持つ大名になっていたかもと、楠木氏は言う。「う~ん、それはどうでしょうか……」というのが、私の感想。豊臣家による「会津120万石への加増」や「五大老の一人に列する」処遇を「義」に厚い謙信なら、どのように捉えたのだろう?その捉え方が、関ヶ原の戦いで、いずれの軍に与するかを決めるポイントになったはず。もちろん、それは、関ヶ原に至るまでの上杉家の状況の変遷や当時、上杉家が置かれた状況を踏まえての判断であって、川中島で信玄と戦っていた頃の、上杉家の状況の中での判断ではない。そう考えれば、私は、謙信も景勝と同じ選択をしたような気がするのだが……。もちろん、謙信が、必要以上に「義」に振り回されることなく、私のイメージよりも、ドライに状況判断を為し、行動できる人物であったならば、楠木氏が言うように、関ヶ原で勝利の美酒に酔い、以後、東北の大大名となったかもしれない。でも、それでは、ちょっと謙信らしくないような気もする……。
2009.04.11
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エンディングに向けて、いよいよ加速してきた感じ。 ホーエンハイムの凄まじい力で、アルはプライドと一緒に闇の中。 ま、最終的には、キンブリーによって、二人は闇から解き放たれてしまい、 死闘の幕が、切って下ろされるんだけど。 マスタングさんやホークアイさんたちは、大総統婦人を伴って中央軍と交戦中。 これに、オリヴィエとブリッグズ兵が呼応して、 さらには、ブロッシュ、レベッカ、マリア、そしてハボックも加わり、 いよいよ、軍の中の大掃除を、みんなで全力開始。一方、エドやスカー、ホーエンハイムたちは、第三研究所から、地下に潜む「フラスコの中の小人」を目指して突き進む。そして、新手の難敵誕生の混乱に乗じて、エンヴィーまで復活。エドやスカーが、ウジャウジャ出てくる難敵に苦戦する中、賢者の二人は再会を果たす。もう、後には決して引き返せない状況にまで、お話しは突入してしまったので、エンディングまでのカウントダウンは、着実に進行しているのは間違いない。「ハガレン」、あと、何巻で終わってしまうのかな?とりあえず、次のコミックス23巻は、8月に発売!
2009.04.10
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成果主義が声高に叫ばれ、終身雇用制が崩壊。 一生同じ企業で働き続けるのが当然だった日本のサラリーマンたちも、 日々のビジネスシーンで、スキルアップ、レベルアップを図りながら、 アメリカ並みに、自分の力を売り込みながら、企業を転々と渡り歩く。 そんな日が、いつか訪れると、本気で思っている人は、実は少ないのでは? だから、本著のタイトル『転職は1億円損をする』を見たときに、 「そりゃ、そうだろうな。」と思う人の方が、圧倒的に多いと、私は思いますが、 それは、ちょっと年を食った人間の考えることで、若い人は違うの?ただ、職場を転々とする理由は、アメリカにおけるものと、日本のそれとでは、結構違うかもしれません。即ち、ビジネスに対して、求めているものが、日米では異なり、それ故、ビジネスに対する姿勢も、異なっているような気がします。日米双方において、仕事を「自己実現」のステージとして位置づけることは、よくある、普通のことだろうと思います。ただ、最近の日本においては、その位置付けの度合いが、相当ヘビーで、「ちょっと、本当にこれでいいのか?」と思ってしまうほど。つまり、「何のために働くのか?」と聞かれたとき、「お金を儲けるため」という答え以外にも、「自分の能力を生かすため」「社会的分業の一端を担うため」等の答えが可能ですが、それでも、普通に考えれば、やっぱり、働くのは、「お金を儲けるため」というのが、何と言っても、一番の理由になってくるはず。なのに、現在の日本は、そうじゃない。「自分の能力を生かすため」という理由が、若者の間では、すごく幅をきかせています。これは、豊かさ故のことであるだろうし、最近の学校教育の賜でもあるでしょう。不況だ不況だと言われている割に、何時までも親の経済力に頼り続け、「何が何でも稼がなくては」という、切羽詰まった状況に置かれていない若者たち。そんな若者たちが、真っ先に、ヘッドハンターの餌食となる……。しかし、この状況、本著によると、若者だけのことではないらしい。結構、企業でキャリアを積んできたはずの人間でさえ、転職し、後悔することになっている。実は、転職者は、よほどの人物でない限り「商品価値」がなく、つかえない。だから、転職しても年収は上がるどころか、ダウンしてしまうのです。さらに、退職金も減り、年金や保険、住宅補助、通勤代等々で大損……。 *** 例えば、あなたの上司に「技術は持っていて、仕事もできる。でも性格が悪い」 という人がいるとします。 ここで、多くの人は「あの上司の世話にはなりたくない」と思って、距離を置いてしまう。 でも、それって、もったいないことなんです。 技術を持っている上司からは、マンツーマンで指導してもらって、 その技術をタダで教えてもらったほうが、絶対に得なのです。(中略) 会社を辞めて独立したら、あなたはひとりぼっちになってしまう。 その前に、会社の組織力を最大限に利用し、あなたの人生に役立つ情報、 スキル、技術を、徹底的に仕入れてください。(P.70)上の文が、本著で一番、私の心に響いた部分。ただし、これって『辞めるなんてもったいない!入社3年たったら読む本』という日立製作所勤務の現役サラリーマン大和賢一郎さんが書いた本からの引用部ですが。
2009.04.09
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文庫本が、今年1月に発売になってくれたおかげで、 単行本の古本屋さん価格が下がって、210円で購入。 『バッテリー』6巻のモヤッと感を、スキッと晴らすために読書を開始しましたが、 あの試合に関しては、「あぁ、やっぱりそういう結末かぁ……」。 新田東中の巧と豪を、あえて脇に置きながら、 横手二中の瑞垣くんを、堂々とメインに据え、 門脇くんに、かなり強烈なスポットライトを当てるという展開は、ホント良かった。 (なぜなら、私は巧も豪も、あんまり好きじゃないから)。それでも、門脇君の行き方(強豪校を蹴って、地元校へ進学)も、降ってわいたような、瑞垣くんの行き方(高校生コーチ就任)も、やっぱり、私にとっては「……………」。「モヤッと」と言うよりは、「そうかなぁ……」でした。『バッテリー』6巻の記事でも書いたように、やはり、このお話は、女性の中にしか存在しないであろう「少年」というもののイメージ(だから、実態とはチョット違う)で、隅から隅まで、描ききられているので、男性の視点から見ると、結構違和感を感じる部分が多いんじゃないかな。
2009.04.07
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久しぶりに古本屋さんに立ち寄った際、 \157という価格につられて購入してしまったものの、 正直言って、それほどの期待はしていなかった。 ところが、思わず一気読み! そして、巻末の著者紹介を見ると、何と1981年生まれ。 「若い!」と一瞬思ったが、 よく考えてみると、これくらいの年代の人にしかかけないだろう内容が、 確かに、本著のあちこちに見られた。 *** 勉強成果=地頭×戦略×時間×効率 地頭=読む力+書く力+数を処理する力+体力 戦略=目標の立て方+情報+プランニング+モチベーション術 時間=モチベーション+工夫 効率=コツ+集中力本著に書かれている内容を突き詰めると、上記の式のようになる。この式を、具体例を交えながら、分かりやすく説明してくれている。もちろん、実践するのは、そう容易いことではないだろうが、学生にもビジネスマンにも、大いに参考になるのは間違いない。 ブログを書くのも、30分でA4用紙1枚程度の量 (スペースや写真を含む、だいたい本文600字くらい)を 書ける訓練をしてみましょう。実は、私も「書く力」を伸ばすためもあって、このブログを続けているのだが、そんな私にとって、この一文は、本当に目から鱗であった。と言うのも、私は、ブログにおいても、一つの記事を書くのに、ヘタをすると、2時間以上を要したりすることがあるからだ。そんな感じだから、試験等、制限時間がある場面においては、いつも四苦八苦しながら、文書完成は、終了時刻ギリギリになってしまう。そして、昨年は、とうとう、時間内に思うようなものが書ききれず、それまでにない、悲惨な結果に終わってしまっていた。本著を読んで、今後は、時間制限を設定して、記事を書こうと思った。そして、日々の過ごし方をもう一度見直して、「勉強」を、きちんと継続的にしていこうと思った。 この一年は、ちょっと頑張ってみたい。 勉強を勉強と思うのではなく、1つのゲームだと思い、 多くの必殺技を身につけて、できるだけ早くクリアしたいという気持ちで、 その過程を楽しむくらいの姿勢を持ってください。良いアドバイスを、ありがとうございました!
2009.04.06
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『チーム・バチスタの栄光』(下)と同様、 開始後しばらくすると、ついに登場。 ブランド物満艦飾を下品に着こなした厚生労働省のお役人、 コードネームは「火喰い鳥」の、単なる小太りの中年男・白鳥さん。 本著を読んでいて、田口さんを竹内結子さんでイメージすることは全くないが、 白鳥さんを阿部寛さんでイメージしてしまうことは、結構多い。 もちろん、阿部さんは、「小太りの中年男」とは対極のスタイルなんだけど、 キャラそのものが、私の中では、どうしても「同化」してしまう……。そんなロジック・モンスターとデジタル・ハウンドドッグの絡みが絶妙。あの白鳥さんを、タジタジにさせてしまう加納警視正は、本当にスゴイ!それでも、最終的に美味しいところは、ちゃんと白鳥さんが浚っていくんだけど。もちろん、田口さんも、良い味出して、大活躍。犯人捜し無しで、謎解きに集中する展開ながら、十分に楽しむことが出来た。それでも、やっぱり、意外性には欠けてしまっている。小夜と瑞人との絡みや、それぞれの想いを、もう一手間、もう一工夫して、突っ込んで書き込んでくれれば、随分、趣や印象が変わったかもしれない。それと、お歌の方のお話しは、もちろん、リアリティを追求した内容ではないので、『チーム・バチスタ』と同じ路線のお話しを期待した人には、「……」かな。そうじゃなく、ぶっ飛んだ世界のお話しだと割り切りさえすれば、十分面白いです。
2009.04.01
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バッチリ明確にではないけれど、 読者が、普通に読んでいけば、すぐ犯人に気付けるように書いてある。 だから、このお話しの眼目は、犯人を見つけ出すことでは決してなく、 なぜ、そして、どのようにして犯行が為されたかを解き明かすこと。 そして、もう一つのテーマは、歌を「画像」として認識するという現象。 MRIで大脳の活性化状態を抽出すると、後頭葉に「巨大輝点」が発生。 これは、歌を聴いているのではなく、画像として認識していることを示す。 そんな歌を唄うのが、桜宮病院出身の看護師・浜田小夜。ついでに、ハイパーマン・バッカスとシトロン星人も、物語の中で大役を果たす。酔っぱらわないと変身でないバッカスが好きなのがヒデマサ。それに対し、正論宇宙人シトロン星人が好きなのがアツシ。このアツシ5歳と同じ「網膜芽腫」という病気の患者が、牧村瑞人14歳。 ***やはり、田口先生は、「万年講師のおじさん」というのが、ピッタリくる。故に、映画とは全く別世界の物語として、読書をするのが基本ルール。そして、ジェネラル・速見先生と、がんがんトンネル魔神・島津先生と愚痴外来のグッチー田口先生とは、学生時代のお友達、腐れ縁。『チーム・バチスタの栄光』(上)と同様、上巻では、ロジカル・モンスター「火喰い鳥」は、まだ現れていない。
2009.04.01
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