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イスラム研究 4 一神教の中で古い順番にいうと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。ユダヤ教は西暦前2000年前からつくられた旧約聖書、律法と称せられるトーラーを聖典とし、それから約2000年を経て、キリスト教が分かれてできた。さらに600年たってイスラム教ができた。いずれも唯一の絶対神をあがめるが、唯一神の名称はユダヤ教は「エホバ」といい、キリスト教も「エホバ」というが、新教は特に「主」といっている。イスラム教は「アラー」というが、いずれも同一の神、いわば同一人物ならぬ同一神物である。今日まで、一神教地域の原型をつくったのはユダヤ教だといえる。これこそがユダヤ民族の知性が世界に冠たるものであることを証明している。これに匹敵する知性を生み出したのが中国の儒教とインドの仏教である。ムハンマドに最初に神の啓示がおりたのが610年頃であるが、このころ、アラビア半島ではユダヤ教徒やキリスト教徒が混住しており、私は、おそらくこの頃の人はユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も同じ啓典の教えとしてそれほど区別はつかなかったと推測している。事実そうだったという文献に出会ったから意を強くした。イスラム教は征服がすすむとともに、みるみる発展してユダヤ教徒やキリスト教徒を取り込み、1世紀位の間に中東から北アフリカ、イベリア半島まで広がった。中東、北アフリカではチグリス・ユーラテス川、ナイル川の川沿いで水が得られるところに文明が起こったが、その他の広漠たる砂漠地帯は、隊商が商品をラクダに積んでパキスタン、アフガニスタンまで運び、船にのった商人がマレー、インドネシアまで行ったときに自然にイスラム教がひろがったと考えられる。一神教がどうして形成されたかというと、旧約聖書を読めばわかるように、あの狭い古代イスラエル国のなかでさえ、たくさんの部族ごとに偶像崇拝教があり、エホバという神を崇拝する強力な部族が他部族を征服すると、他部族の神を廃絶して自部族の神エホバを押し付けていくから、だんだん部族が民族に統合されていく中で民族神つまりエホバが唯一絶対神となった。ロシアの宗教学者ベルジャーエフの説明がいちばん正鵠を得ていると思う。キリスト教もイスラム教も同じような経過で一神教をつくっていく。ただ名前が違うだけである。
2007/04/30
西松建設は日本人の心を示せ戦時中、日本に強制連行されて強制労働させられた中国人労働者が雇用主の西松建設を相手に損害賠償を求めて訴訟した裁判は、広島高裁が中国人側の勝訴としたが、最高裁は、日中国交回復における共同声明で個人の請求権も放棄したものと解釈し、中国人労働者の請求権認めなかった。当時の共同声明では国家間の賠償請求を放棄したが、個人の請求権を含めることまで明記されていなかったから、争われたが、最高裁はそういう判断をした。最高裁というところは、理非曲直を明らかにするところではなく、憲法裁判をするところでもなく、立法、行政とならんで同じ最高権力の共通政策の中で判断するところである。したがって三人の国家公務員である判事が同じ判断をしたというのはうなずけるところである。要するに一度そういう判例ができると、ややこしいことになると考えたのであろう。しかし、裁判長は個人が被った被害の大きさを認め、西松建設は利益を受けていることにかんがみ、同社の関係者が救済に向けた努力をすることを期待すると述べているのは、一片の良心を示したものである。つまり民間のことは民間でやれといったのだ。私は中国の占領地で敵性とみとめた住民のなかから屈強な体格の者を選んで日本の強制労働現場に送り出していた組織の担当者の人に取材したことがあるが、その人はそのことを一生悔やんでいると言った。奥さんはどうかそのことは公表しないでほしいと泣いて頼んだ。私が天津で見聞した事実から見ても、苦力の扱い方はひどいものだった。北海道の花岡鉱山なども中国人捕虜にひどい待遇をした。この判決で西松建設が勝訴したなどといって逃げ切るならば、許せない。賃金未払いならその根拠を示さなければならない。こういう会社があるということは日本人の恥である。こんな会社とは付き合いたくない。
2007/04/28
25日昨夕、銀座のカルネステーションを半分借り切って、作家の小中陽太郎氏の出版記念会(『一人ひとりのマスコミ』(創森社)が行われた。200人近い人が集まって著名な物書きの人や記者、編集者たちが顔をそろえ、盛大だった。小中氏のあいさつは一言「人生は快楽だ!」。奥さんは「こんなことをいう人と一緒になったおかげで苦労の連続でした」(爆笑)。これほど多くの人に愛される小中氏の秘密は何か。話をそらすと、私が知研をはじめてから、少し経った頃、丸の内の交通会館で当時売れっ子だった伝記作家の杉森久英氏に「成功者の条件」というタイトルで講演していただいたことがある。200人くらいの人が聞きにきた。それぞれ成功者の条件とは何かを、固唾をのんで聞こうと待ち構えていた。杉森氏が単刀直入に言ったことは、成功者には「何かいやらしいところがある」、ということだった。それを聞いた途端に会場にしらけた空気がただよった。それをみてとられたのか、杉森氏はいくつかの条件を挙げられたが、会が終わると、大勢の人が失望の色をあらわにしてぞろぞろと出て行った。彼らは、成功者の条件としてもっと胸にひびくようなことを聞こうとしてやってきたのであろう。たしかに杉森氏の指摘は文学者としての切り口で核心をついた言葉だった。この「いやらしい」ところというのはもっと分析してほかの言葉で表現しなければならないであろう。それは世間の人のほうが経験的に知っているはずである。そこで話をもどすと、小中陽太郎氏にはこの「いやらしい」部分が微塵もない稀な人物であるということを言いたい。そしていろいろな面で見事な感性と才能を駆使して、おおぜいの人に愛された、すばらしい人生を送った方であろう。「人生は快楽だ!」(小中陽太郎)
2007/04/26
昨夕、株式会社フィードテーラーの大石裕一氏のRSSに関する講義を知研で開いた。懇切丁寧でわかりやすく大変有益な話を聞いた思いがした。帰りに日本IBMの品田高志さんと、どうしてRSSというものが考えつかれたのかという話をした。彼の話では、その昔は何十キロものテープリールを持ち運んだものだが、それがフロッピーになり、十枚のフロッピーが1枚のCDになり、そのCDが3倍の容量のDVDになった。ということは情報収納の量が莫大に増えたため、従来は割愛していた情報までなんなく入れられるようになった。この結果玉石混交、ゴミ情報まで扱えるようになった。すると、その玉石混交の山からできるだけ玉を取り出すために、検索ツールが発達した。メールなどを見ても限りなく不必要なつまらない情報まで入ってくる。これを消すだけでも余計な手数である。それで今度は自分に必要な情報だけをこちらから探しに行くのではなく、登録しておけばひとりでに入ってくるようにした仕組みがRSSである。これは確かに便利だ。自分であちこち探す時間は大変なものだが、これだったら時間と労力が節約できる。大石さんがRSSにいちばんなじむのは更新の頻度が高い情報で、新製品情報などはしょっちゅう出るので、登録しておくと便利であると言われた。私がやるとすれば、良質のブログを登録しておきたい。匿名のくだらないブログなどは見たくもない。それでいろいろ調べ歩いてこれはと思う人のブログをRSSしようと思う。
2007/04/25
ここのところ忙しくてブログを書かなかった。この1週間はいろいろなことがあった。17日には大内氏の危機管理のセミナー、それから久恒さんと土曜日に新宿で会食、今日はRSSの大石氏のセミナーである。このために急遽、ノートパソコンの整備をする。昨日はウイルスセキュリティのCDを購入、またパワーポイントつきのオフィス2007を買った。えらくインストールに時間がかかる。なにかここ数年でパソコンソフトの世界が急に変わったという感じ。でもパワーポイント単独で買うと2万7千円もするが、パワーポイントつきのオフィス2007のアップグレード版は2万4千円なので儲けものだった。イスラム研究は韓国の友人がほめてくれた。イスラム圏はロシア圏もふくめて西欧の裏庭というのがますますわかる。私が注目しているのは、「自爆テロ」というマスコミが軽薄に流している至極、漠然あいまいな言葉の中に中東理解のカギがあるように思う。自分の体に爆弾をくくりつけて、しかも罪のない民衆も大量に犠牲にして飛び込む、これはいったいどう行為なのか。弱者の武器とかジハードとかいう言葉が使われているが、ただ事ではない。中東人のものすごい性格を物語っている。それにつけても、アジアというのはまさに異質な地域である。中東が異質であるのではなく、アジアが異質なのだ。アジア人にとって本当に住みよい東アジア、東南アジア、インドという非一神教地域の特色は他者の存在に対して寛容で、他者を理解しようという尊い性格がある。実にありがたい文化圏だと思う。また明日から考えをまとめて書いていくつもり。
2007/04/24
資本主義の行き過ぎ 6会員の仙波さんから週刊東洋経済記者の風間直樹氏30歳が書いた「雇用融解」という本はすごいぞという電話があり、表紙のFAXが送られてきた。どういう内容かはまだ読んでいないから知らないが、東洋経済新報社が30歳の記者に本を書かせるというのは前代未聞のことであろう。ところで、格差問題を大きく取り上げてきたのは、三浦氏にしても城氏にしても、みな若いサラリーマンだった人である。エコノミストと称する人には一人もいない。いや、森永氏はいたが・・。経済学者とか経営学者という人たちはいったいどういう人たちなのだろう。大学教授におさまって年収1000万以上もらい、学生相手に楽な仕事になると、皆だめになるのだろうか。資本主義の行き過ぎはだんだん変な方向に行こうとしている。19世紀と20世紀の経済学・経営学はいかに儲けるか、いかに健全な経営をするかという研究だった。ところが儲けすぎた金をどう使うかという研究はしなかった。今、儲けすぎた金は金融市場に回り、昔のように産業の振興とか開発とかに回らず、いかにそれを動かして、そのための情報操作をして、金で金を稼ぐという方向に行こうとしている。株主が威張りだして経営者の足をひっぱろうとしている。金利はものすごく安いのに借り手は少なく、借りたい人に銀行は貸さず、金がダブっている。日本のあらゆるところで金がなくて困っているのに、あまった金は金融市場に流れ、アメリカの国債を買うのに使われる。いったいどうしたことか。エコノミストとなのるほどの人は、企業はお金をなぜ儲けるのか、儲けた金をどう社会のために使ったらよいかということを研究すべきである。
2007/04/13
よく私は、知識人という人から「知的生産の技術なんてねえ、知的生産っていうのは、なんと言うのかな、ヒラメキ、魂の技ではないのかな」と揶揄的にいわれましたが、こういう答えは、答えになっていないのです。もっと普通の人にわかるように説明しないといけません。私は、梅棹先生が、ちょっと思いもつかないような発想をされるので、先生のようなヒラメキをつけたいのですが、どうしたらいいでしょうかと聞いたことがあります。そのとき先生は「さあて」と首をひねって答えませんでした。つまりある程度の蓄積ができた時点から、ジャンプが起こるので、それがヒラメキというのだと今ではそう思っています。さきほどの知識人はジャンプが起こるまでのことを自分の経験から説明すればよかったのです。私は、ある時点から毎日のように書店に並ぶ新刊書にふりまわされるのは危険だな、と感じるようになりました。そういう本は普通の人が買いやすい、今なら1500円とか1600円、という値段がついています。売れそうにない本はコスト計算どおりの何千円かの値がついています。つい買いやすい値段の本を買ってしまいますが、こういう本をいくらたくさん読んでも、本当の教養がつくとか限りません。なぜなら、こういう本はあるレベルの蓄積を果たした学者がその上澄み、つまりヒラメイタもので書いていますが、普通の人はその学者があゆんだルートをたどっていって、その学者がジャンプした理由をわかるようになることが先決なのに、それを飛ばして、その学者の説をよんでわかったような錯覚におちいるからです。「あ、この学者も、俺の考えとおなじだな」と。しかし、また違う学者の説をよんで、賛同して、こちらのいうことも正しいな、と思ったりします。2年もたつと社会の常識が変わってきますから、また違った学者の説が出てきます。したがっていつまでたっても本当の教養が育ってこないのです。
2007/04/11
8日、上野の国立博物館にレオナルド・ダ・ヴィンチ展を見に行った、第一会場には一点だけ、受胎告知の絵が展示され、解説のビデオがあった。なるほど、20歳ちょっとのレオナルドが描いたこの絵は大したものである。羽の生えた大天使ガブリエルから受胎を告げられるマリアの絵であるが、はるか遠景に山のかさなりが薄く描かれ、遠近法を取り入れたはじめての絵であるという。頭髪や衣服のひだの明暗など実に細部をリアルに描いている。こういうのはギリシア彫刻の手法の忠実な再現であろう。第二会場は見事であった。有名なモナリザの絵や最後の晩餐の絵があった。この絵はキリストが「この中から私を裏切る者が出る」と言った瞬間の12使徒の姿を描いたものとされる。キリストに「エッ、本当?」とつめよっているトマスなど3人、左はじのほうで驚きながら無言で眺めている年輩ふうの弟子、一方右のほうのはじでは、まさか、うそでしょうと相手にしないシモンなどの姿、というふうに見えた。しかし、ユダのそばに女性がいるのは何の解説もなかった。これは去年はやった「ダ・ヴィンチ・コード」でキリストの妻マグダラのマリアだとされて評判になった。ダ・ヴィンチは年をとるにしたがって、だんだん科学者のようになり、精密な形や運動の分析に鋭さをまし、精密な人体の構造や解剖図、機械の構造や建築物の設計、空飛ぶ人力の飛行機まで設計している。まさに天才のなせる業である。いまから500年前にこういう人が現れたということがルネッサンスといわれる所以であろう。これを見てから、西洋美術館でやっているイタリアの近世版画展を見たが、ダ・ヴィンチ展を見た後は大して印象を受けなかった。ついでに常設の西洋美術展を久しぶりに見る。年代順に絵が並んでいる。18世紀はかば頃までは宗教色の強い絵である。クソリアリズムといってよいか、忠実に対象を描こうとしている。写真のない時代だったからだろうか。なんとなく昔、風呂屋の壁に描いてあった風景画をきわめて精密にしたような感じを受けた。しかし、19世紀になると画風が急に変わってくる。対象を精密に描こうとするよりも、画家の心象とか感覚、本質を表象しようとする姿勢に傾き始め、印象派やピカソなどになってくる。やはり19世紀からキリスト教世界が変わったのだ、と思った。ナポレオン以降からなのだろうか。
2007/04/09
アングロ・サクソンのトラウマ 3私はジュリー・アンドリュースが主演した「モダン・ミリー」というジュージカル映画が好きである。また劇を見にいくつもり。なんともいえないアメリカ人の底抜けの明るさ、陽気さを表現している。あの陰気くさいイギリス人がどうしてアメリカに行って陽気になったのか。1920年、全米ではじめて婦人参政権が認められ、この頃から家庭に閉じ込められていた女性たちがいっせいにモダン社会に秘書や事務員として進出してくる。アングロ・サクソンのいいところは、女性を大切にするところである。男性が海外に赴任したり、移住したりするときは必ず女性を伴い、一家総出で出てくる。宣教師にしてもそうである。女性は決して未知の土地だからといって恐れない。かくしてモダン・ミリーのようなはつらつとした女性が輩出する。この点、スペイン系とちがっている。スペイン系は女は植民地に行かないから、男は土着して現地人と混血する。18世紀、ポルトガルの人口は200万、スペイン400万だったが、男たちは南米その他に行き、こうしてポルトガル、スペインは人口が流出して本国は空洞化してしまった。混血児は2代目、3代目になると宗主国への忠誠心はなくなるからスペイン連邦というものは形成されなかった。私がフィリピンに駐在していた頃、スペイン人と混血のミステーサという美人がたくさんいたが、アメリカ人との混血は見なかった。アメリカやオーストラリアに移住したイギリス人は、原住民をまるで野生動物扱いにして、おもしろがって射的の対象にした。アメリカ・インディアンは全滅に近く消滅させられた。オーストラリアでもそうである。これがアングロ・サクソンのトラウマで、自虐は何も日本人だけの専売ではない。これがうづくように出てくるのは、日本人は軍隊が女性を性奴隷にしたのに反省がないという彼らの非難である。彼らのもうひとつのトラウマは日本への原爆投下である。アメリカ人が原爆投下に対してすぐ真珠湾のうらみだといって開き直る態度にアメリカ人の心理が垣間見える。日本人はもっと原爆投下の非をならして、外交カードに使うべきである。
2007/04/09
アングロ・サクソンのトラウマ 2去年、イギリスに行って不思議に思ったのは、食生活が意外に貧しいということだった。外食でたべようとしてもおいしいような店に行き当たらなかった。高級料理店は知らないが、一般の飲食店では日本ほど各種料理が多様性をきわめ、それぞれおいしいというのとは程遠い。つまりこの国の人は享楽ということを知らないのではないかと思ったのだ。アングロ・サクソンというのは、アングロの部分はブリテン島にもともといた人たちで、サクソンの方はドイツのサクソン地域にいた民族が移住したものらしい。サクソンの方がアグレッシブで荒々しく冒険を好み、自由、独立を求めることが旺盛である。ただしこの「自由」といった場合、抑圧、圧制からの「自由」という受身的なのとすこしニュアンスが違っていて、自分のやりたいことや主張を貫く、かなりわがまま的なニュアンスを伴っている。さて、イギリス人は中国にアヘン貿易などをしてそれがトラウマになっていると書いたが、黒人奴隷売買をしたこともイギリスの歴史の汚点である。リバプールの博物館で私はその当時の壁画を見た。奴隷売買は完全な拉致であるからだ。今朝の朝日朝刊にアメリカのバージニア州、メリーランド州などの南部の州で250年にわたって黒人奴隷を拉致、搾取し、解放以後も長らく差別したことを遺憾とする決議を州議会が行ったという記事が出ていた。やはりそれほど長く彼らもそれがトラウマになっていたのだ。アメリカ人は黒人奴隷が解放された後、どうしたかというと、今度は中国のアモイやスワトウなどの港から中国人を黄色奴隷として大量に輸入し、一説によると、300万人くらいを輸入したが、酷熱と栄養不足で途中の船中で死ぬ者も多く、大半はアメリカ大陸横断鉄道工事やペルーのグアノ肥料発掘工事などの過酷な労働を強いられて死亡し、生きて帰った者は数千人にすぎないという。この調査と賠償交渉が米中間に行われているが、いまだに決着がついていない。こういう歴史の汚点は永久といっていいほど残り、何かあると蒸し返されてくる。それがアメリカの中国に対するトラウマになっている。
2007/04/07
アングロサクソンのトラウマ 2アングロサクソンにとってアジア、とくに中国は最大の関心の対象であることは間違いない。21世紀後半になってから世界の歴史が大きく変わった原因のひとつは中国の台頭であろう。戦後、はじめて全国統一政権が生まれ、広大な国土面積と十数億人という膨大な人口を持ち、強力な国家になりつつあるということは、この国を相手に侵略したり、戦争をしたりするということはきわめて困難で、脅したりするにも有効な手段がない、ということである。150年前に起こったアヘン戦争は、イギリスがインドに工業製品を売り、インドのアヘンを買ってこれを中国に売って、中国から輸入する茶や絹などの代金にあてるという三角貿易で帳尻をあわせた。しかし、アヘンは健康に有害な商品であり、たちまち中国内で全国的な問題になり、林則徐が強硬態度を取って焼却を命じたので、イギリスは待っていたとばかりに戦争に訴えた。この結果、南京条約で5港が開港した。さらに16年後に第二次アヘン戦争を起こして北方の天津を開港させた。こういう暴力的な侵略はイギリス国内でも反発をよんだが、キリスト教諸団体は、アヘン貿易を公的な貿易統計からはずして密貿易にしてその後も長く続けたことに反対した。しかし、イギリスという国はマーチャントがひっぱる国であり、その頃、起こった太平天国の乱にも、叛乱側と政府側双方に武器を売って儲け、最後は李鴻章の軍隊と組み、謀略を使って乱をつぶした。このとき、せっかくキリスト教の旗をかかげた太平天国の方を支援すべきであるという意見もあったが、フランスの先手をとったのである。これは薩摩を応援したイギリスの態度と違っている。
2007/04/03
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