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昨日は大船の九井という粋な店でサラリーマン時代の仲間と恒例の昼食会を持った。私は味の素に12年勤め、5年ほどを味の素一課という関東地区営業の課にいたが、ちょうど昭和30年代はじめから後半にかけていっしょだった人たちの集まりである。それがもう20年も続いている。皆もう70歳前後になっているが、やはり気持ちは20歳代、30歳代のままだ。出世頭の社長になった人も昔の課長のままだ。話題はつきず楽しい時間を3時間ばかり過ごした。「3丁目の夕日」という映画がうけているが、30年代がいちばん日本の幸福期だったと懐かしまれるのは、経済が右肩上がりで苦労がなく、収入は確実に上がり、人々の間の軋轢というものはあまりなく、とにかく希望があったからであろう。会社というところは人脈をつくる場所でもあるとすれば、会社の中でエゴをはって相手をこきおろしたり、足を引っ張ったり、いじめたり、いばったりするなどいやらしいことをした人はやはり淘汰されて話題にも残らない。集まりにもよばれない。年取ってからさびしい思いをする人と、青春時代のなつかしさを共有しながら楽しい酒を飲める人と別れるのである。やはり人とは仲良く、お互いによくして、相手によい印象を残しておくことが一番大切なのだと思う。
2007/11/24
高木仁氏の『アメリカの金融制度』(東洋経済新報社)によれば、アメリカの銀行のうち、貯金専門の銀行の資産残高は、貯蓄金融機関、クレジット・ユニオンの2つで、2004年の段階で全金融機関資産残高5200兆円の5.0%で約258兆円である。これは、人口は日本の2倍以上であるのに、日本の個人資産800兆円の半分以下であるからアメリカの銀行は貸付けが主で、預貯金志向はきわめて少ないと言える。アメリカ人の貯金目的は主に住宅で、住宅ローンは民間住宅モーゲッジといわれ、返済期間は普通30年、金利は変動金利、1981年に16.63%あったものが2004年では5.84%に下がり、一方、新築住宅価格は1980年から2003年にかけて2.2倍上がり、その後は毎年10%の値上がりが続いたので、住宅不動産ブームが起こった。これに乗ろうとする人は、自分の住宅の資産価格の残りローン分を目いっぱいかりて、新築住宅を買うが、頭金は要らず、最初は利子だけ払えばいいので、簡単に借りられるから、どんどん借りて、新興都市の住宅を買って家賃を稼ぐ。住宅ローンを扱うエージェントすなわちモーゲッジ会社は、契約するとそれをすぐ市場に出し、債権を買った銀行が高金利、高リスクのサブプライム貸出を行う。ところが住宅価格が暴落してくると、貸付銀行は容赦なく貸金の取り立てを行い、担保物件を差し押さえるから破産する者が続出する。しかし担保物件も下落しているので貸付銀行も軒並み損害を受ける。日本の金融機関でもこれにかかわったところは大きな損害を出すに至った。前記の高木仁氏の『アメリカの金融制度』によれば、戦後の約50年間における調査では、個人住宅建設が年間GDPに貢献する寄与率は4%から5%というからきわめて大きい。
2007/11/22
突如と言う形で入国する外国人に指紋採取と写真撮影が行われることになった。週刊誌に中東ゲリラがすでに日本に侵入しているという記事がのった。民主党首の小沢氏が国連決議があれば自衛隊の海外派遣も可能にするという論文を書き、イラク特措法延長反対を唱え、自民党は給油のみに譲歩した新法案を通した。こういうことから連想されるのは、アメリカのイラン攻撃の可能性が高まったということではないだろうか。イランが核兵器製造を進めているというアメリカの疑惑に対し、イラン側はそれは原発の問題であって核兵器とは関係ないと言っている。先のイラク攻撃ではイラクが大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑からはじまったが、今回もそれとおなじ伝ではなかろうかという疑惑が残る。つまり、これは私の読みだが、アメリカのイラン攻撃が行われたときに、日本としてどういう態度に出るかということが重大な問題になるので、小沢氏はアメリカに引きずりこまれることがないよう国連という歯止めをかけることを熱心に主張し、福田首相もそのことを心配して、党首会談をやったのだろうと思う。政府筋がかなりの情報をつかんだのでテロ警戒の入国審査を緊急実施したのではないか。大連立の考えは、自民党は公明党よりも民主党と組んだほうがいいという思惑があり、また消費税をあげると政権党のマイナスになるので、自民、民主が半々でそのマイナスを共有しようということでもある。
2007/11/21
私が日本の銀行からお金を借りようとして断られた理由に「人様から預かった貴重なお金ですから、慎重に審査して納得したお客さんでなければお貸しできません」と言われた。担保をつけると言っても断られた。日本の銀行はだいたい零細な個人から預金を集めて、それを企業に貸し、その間の細かいさやをとって活きている。これが銀行の資金源になっている。日本人は勤勉に働いてせっせと貯金する民族だからだ。ところが、アメリカ人は老後の安心のためにライフ・セキュリティという年金に入っている以外は、銀行に貯金しない。郵便貯金もない。株・証券投資をする。お金もうけの上手な人がやっているファンドのようなものに入ってお金を回してもらう。すると、銀行がもっている資金はどこからくるのかというと、お金持ちが個人あるいはグループが出したお金である。彼らのお金で州法銀行をつくり、高利で貸す。したがって小銀行が圧倒的に多い。1930年代の終わり、全体の3分の2にあたる銀行が預金高100万ドル以下だった。預金高5000万ドル以上の銀行はわずか133行だった。1958年でも預金高500万ドル以下の銀行は8339行だった。つまり日本のように個人預金が集まらないから、支店を増設できない、また州法によってきびしく制限されるので支店増設はできない。それで大きくなれない。大都市にある大きな銀行は小さな銀行が株を出し合って作ったものである。主に企業を対象に預金、貸出、振替、両替などの事務を行う。つまり冒頭で書いたように、アメリカの銀行は「人様から預かった貴重なお金」でなく自分のお金であるから経営のコンセプトがおのずから違ってくる。日本の銀行のように零細なさや稼ぎや送金料かせぎではすまず、お金もうけの可能性を鵜の目鷹の目で探してもうけるしかない。
2007/11/18
コミュニケーション随想 1「当たり前のこと」っていうのが本当はなかなかわかるまでは大変である。大人にとって「当たり前のこと」を子供がわかるようになるには時間がかかる。アメリカ人にとって当たり前のことが日本人にとってはわからない。イギリス人にとって当たり前のことは、イギリス人はわざわざ外国人には教えないからわからない。フランス人にとって当たり前のことは、フランス人は外国人だって知っているだろうと思っている。中国人にとって当たり前だと思うことは「こんなこともわからないのか」と思っている。日本人にとって当たり前のことは、世界中の誰だって当たり前だと日本人は思っている。実はこの当たり前のことがわからないから、コミュニケーションができないのだと思う。現地に行ってみれば、すぐわかることが、行かないかぎり分からない。コミュニケーションの闇ってこんなところにあるのだろうと思う。どんなに通信が発達して、世界中が瞬時にコンピュータでつながっても、この壁は克服できないだろう。
2007/11/17
アメリカ人がなぜ貯金しないか?ロス在住の長い人に電話して聞いた。その結果、アメリカ人の投資志向が分かってきた。日本人はたとえ今のように金利ゼロでも銀行か郵便局に預ける。これは家の中にお金を置いておくと不用心だからというそれだけの理由である。アメリカ人は日本より金利は高いにも関わらず3%くらいでは面白くないと考える。せっかくの自分の金を銀行とか証券会社の金融機関にあずけて他人に儲けさせるのは面白くない。それより自分で儲けたいというふうに思うらしい。 それで誰も彼も個人で情報をあつめて株投資に熱中する。アメリカでは金融エージェントという人がワンサといて、それぞれの家庭に深く入り込んで「こっちのほうにお金をまわすと絶対のチャンス!私にまかせなさい!」なんて言って勧誘する。その腕前は並大抵のものでなく、説得力は日本の金融セールスマンをはるかにしのぐ。2003年から2005年にかけて銀行同士の過当競争から貸出条件を大幅に緩めた。それで従来なら与信基準に満たなかったような低収入の人やあぶなっかしい人まで貸出しを緩めた。アメリカの銀行は評価資産の7割まで貸すらしい。そこで自分の家を担保にしてお金を借り、それで新興都市の中古住宅を2軒か3軒買い、家賃を稼ぐ。2,3年でその中古住宅が値上がりすると売ってまた儲ける。こういうことで中古住宅ブームが起こっていた。ところが、インフレになってローンがはらえなくなる。それで破産してホームレスになる人が続々と出てきた。アメリカのホームレスは家族で自動車に乗って他の州に行ってしまうらしい。やがて銀行がパンクしてデフレが起こったらどうするか。グリーンスパンFRB議長の後任になったベン・バーナンキ議長は、そのとき銀行にドル札を山と積んでおいて“ヘリコプターで空から撒く”ようにして阻止するために起用された人物だと言われている。
2007/11/16
福田首相も小沢代表も今のねじれ状態をなんとかしないと思っていて、基本的にその解決策を話し合わないと必要な法律も通らないと思っていたことは二人の言動から確かであろう。このための首脳会談はいいことであったと思う。イラク特措法延長についても、小沢一郎には福田を説いて代案をアメリカに認めさせようという腹積もりがあったとみられる。福田はそれをある程度認め、訪米してぬらりくらりの説明をするだろう。大連立ということまで話がいったかどうかは分からないが、このいきさつを小沢が民主党の面々に報告したら総スカンにあった。それで辞意を固めたということになっている。 ところがこれは逆に小沢一郎の詭計であったというのが私の読みである。民主党内は旧自民党からの引越し組、菅氏のグループ、旧社会党系、民社党系、若手グループなど寄り合い世帯である。意見が違いすぎる。バラバラなのは自民党の派閥と同じだが、自民党は政権党であるのに、民主党はまだ政権党ではない。こういう政党が次の総選挙で勝つためには一糸乱れない形が必要であると小沢は考えた。それで引き締めるために詭計をつかった。おれはやめるから君たちは勝手にしてくれと絶妙のタイミングで党内恫喝した。民主党内はいま小沢氏に辞められたら大打撃だとあわてて全員が一致して辞意撤回を申し入れた。これで小沢の党内権力は一段と高まった。小沢の勝ちである。
2007/11/07
昨夜、府中の映画館で「続・ALWAYS 3丁目の夕日」を観る。東京タワーの根っこのあたりであるから、おそらく神谷町あたりか、狸が出るような林があったりするから芝西久保巴町のあたりではあるまいか。あるいは京浜線の沿線か。東京タワーができ、東京神戸間を6時間ばかりで走る特急こだまが開通し、裕次郎の映画の広告などが写っているから、ときは昭和33年か34年頃だと思われる。当時を想わせる商店街、路地裏、都電、オート三輪、駄菓子屋などありとあらゆる懐かしい当時の商品や広告看板などが出てくる。まだ上に高速道路が覆いかぶさっていない日本橋も出てくる。かって見たことのある風景がよく再現されている。物語は茶川商店という駄菓子屋の主人、といっても若い東大生が芥川賞をねらって一生懸命小説を書いている。その店のまん前にある鈴木オートというオート三輪の製作所か修理所を営む一家が物語の中心である。この一家に親戚か知人の娘が一時預けられる。そして周辺の向こう三軒両隣の家や、田舎からでてきたお姉さんなどが登場する。東大生の文学青年は芥川賞の候補作品までになり雑誌に掲載される。マスコミの記者や町内の人たちは芥川賞の発表を今か今かと待ち望んで祝杯の準備もでき上っている。ところが残念ながら落選であった。この話に詐欺や踊り子との恋もからまっている。とまあ、出入りの楽しいエンタメものに仕上がっている。30年も連載されたマンガだそうだ。この映画を観て思ったこと。あの頃までは濃厚な地域というものがあったのだなあ、という感慨である。まだテレビもそんなに普及していない時代だったから、人々は退屈である。退屈をいかに紛らわすか、子供たちは街頭や広場で群れ集まって遊びほうけ、男は囲碁、将棋、マージャン、小料理屋、女たちは集まってダベリングしかやることがなかったから地域というものがコミュニティを形成していたのだと思う。私自身も昭和20年代後半に、田端、駒込、墨田、浅草、中野などを転々と下宿した経験があるから、この時代の雰囲気がわかる。当時は大学生は同世代の14%くらいだったからいわば、将来はえらい人になるかもしれない特権階級ということで、庶民の人たちから大事にされた。いつのまにか家族同然にされ、家庭教師をおおせつかり、近所の店では飲み食いのツケはいつでもいいよとかいわれ、質屋に行けば、相場以上の金を貸してくれ、パチンコ屋では裏でおねえさんがやたらにじゃらじゃらと玉を出してくれた。そしてたいていの大学生は最終的に家主から「うちの娘をもらってくれないかな」と言われて、こそこそ逃げ出す仕組みになるのである。それにしてもあのどさくさの終戦から13年しか経っていないのによく世の中は落ち着いてきたものだと思う。楽しくも美しい時代であったことよ。
2007/11/06
昨夜、府中の映画館で「続・ALWAYS 3丁目の夕日」を観る。東京タワーの根っこのあたりであるから、おそらく神谷町あたりか、狸が出るような林があったりするから芝西久保巴町のあたりではあるまいか。あるいは京浜線の沿線か。東京タワーができ、東京神戸間を6時間ばかりで走る特急こだまが開通し、裕次郎の映画の広告などが写っているから、ときは昭和33年か34年頃だと思われる。当時を想わせる商店街、路地裏、都電、オート三輪、駄菓子屋などありとあらゆる懐かしい当時の商品や広告看板などが出てくる。まだ上に高速道路が覆いかぶさっていない日本橋も出てくる。かって見たことのある風景がよく再現されている。物語は茶川商店という駄菓子屋の主人、といっても若い東大生が芥川賞をねらって一生懸命小説を書いている。その店のまん前にある鈴木オートというオート三輪の製作所か修理所を営む一家が物語の中心である。この一家に親戚か知人の娘が一時預けられる。そして周辺の向こう三軒両隣の家や、田舎からでてきたお姉さんなどが登場する。東大生の文学青年は芥川賞の候補作品までになり雑誌に掲載される。マスコミの記者や町内の人たちは芥川賞の発表を今か今かと待ち望んで祝杯の準備もでき上っている。ところが残念ながらノーであった。それに踊り子との恋もからまっている。とまあ、出入りの楽しいエンタメものに仕上がっている。30年も連載されたマンガだそうだ。この映画を観て思ったこと。あの頃までは濃厚な地域というものがあったのだなあ、という感慨である。まだテレビもそんなに普及していない、時代だったから、人々は退屈である。退屈をいかに紛らわすか、子供たちは街頭や広場で群れ集まって遊びほうけ、男は囲碁、将棋、マージャン、小料理屋、女たちは集まってダベリングしかやることがなかったから地域というものがコミュニティを形成していたのだと思う。私自身も昭和20年代後半に、田端、駒込、墨田、浅草、中野などを転々と下宿した経験があるから、この時代の雰囲気がわかる。当時は大学生は同世代の14%くらいだったからいわば、将来はえらい人になるかもしれない特権階級ということで、庶民の人たちから大事にされた。いつのまにか家族同然にされ、家庭教師をおおせつかり、近所の店では飲み食いのツケはいつでもいいよとかいわれ、質屋に行けば、相場以上の金を貸してくれ、パチンコ屋では裏でおねえさんがやたらにじゃらじゃらと玉を出してくれた。そしてたいていの大学生は最終的に家主から「うちの娘をもらってくれないかな」と言われて、こそこそ逃げ出す仕組みになるのである。楽しくも美しい時代であったことよ。
2007/11/06
外語で中東に関する2つの講座を聞きに行っている。ともに酒井啓子教授のもの。もう7回目くらい。我が家からほんの15分で教室まで行けるというのは何たるラッキーだろうか。学食、生協、図書館、いたるところにある椅子などを活用している。私はこの学校を50年位前に卒業したのだが、そこころは北区の西が原にあった。それが竹下内閣の時の政府関係機関の郊外移転で我が家の近くにやってきたわけだ。50年前と変わったところは女子学生が全体の90%くらいになり、私のころは紅一点だったのがまったく逆転である。東京女子外国語大学といわれる所以である。酒井教授はすごい人気で200人くらいの学生が熱心に聴いている。私語とか携帯とかを使ったり居眠りをしている学生は一人もいない。学生はまじめで立派。授業は至れり尽くせりで細かいところまで教えてくれるので、私の中東に関する無智とも言えた知識の空白状態がすこしづつほぐれてきた。ずいぶいいろいろなことを知った。何よりも中東をベーッと一色に見ていたのがこの頃は国別にくきりとイメージできるようになってきた。昨日は中東地域から来ている5人の留学生が教壇に出て学生たちの質問に答える授業だった。5人とも国がちがうので、それぞれ特色があり面白かった。そのうちの一人が言った笑い話、ある日本人は日本料理をごちそうしてくれた。その人いわく「あなた方は豚を食べないでしょう。だからこちらもフグはやめました」と。そういえばフグは河豚と書きますね。これには会場大笑い。とにかく週2回の楽しみが増えた。
2007/11/01
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