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教科書検定について小中高の教科書をいったい誰が検定しているかはまったくわからない。検定調査官という人が表に出て教科書会社や教科書の書き手に検定意見を一方的につたえるらしいが、それも内容に誤りがあるというのは7%くらいで、大部分は「不適切」「不必要」という意見がついて、その理由については説明がなく、削除させられる。したがって教科書は味もそっけもない公文書みたいになってしまう。要するに「余計なこと」は書かせない主義である。構想日本のフォーラムで教科書の書き手だった長谷川さんが、検定調査官は教科書を法律文書とみなしているようだと言われていたが、言い得て妙である。検定調査官の後ろにいるのは、大学の先生とか高校の先生であるというが、この人たちがどういう人なのか名もわからない。今度の教科書の検定で「日本軍が住民の集団自決を強制した」という部分が削除され、「住民が集団自決に追い込まれた」というあいまいな表現に変わっている。これで沖縄の人が怒って揺れている。沖縄戦で集団自決を軍が強制、誘導したというのは沖縄戦を体験した多くの人が証言しているのであるから、事実であろう。手りゅう弾が配られたというのが明らかな証拠である。沖縄中の市長村議会がこぞって日本軍の関与をみとめ、元の記述の復活をも求めている。これに対して伊吹文科相は検定のことは知らぬ、自分は大臣が検定に口を出すのは反対だという談話をしているのはどういうことなのだろうか。この問題を扱ったNHKの番組に、新しい教科書をつくる会の藤岡信勝氏が出てきて、軍が強制したというのはフィクションであると発言しているが、藤岡氏はまったく不勉強な学者で取材すれば簡単にわかるようなことまで無視して、まず「自虐史観」撲滅ありきなのである。子供たちに自虐感を与えるようなことは書くな、ということであるが、こういうことで思想的に練れた子供たちが育つかどうか。歴史を知らない島国根性の日本人がこの国に満ちたらふたたび恐ろしいことになるのは目に見えている。
2007/06/23
イスラム研究 8ムハンマドはメディナを征服し、ほぼアラビア半島の西部を支配し、最も有力な政治指導者になった。ムハンマドが632年に死ぬと、後継者にムハンマドの義父のアブー・バクルが就き、初代カリフとなる。そして代々のカリフ制が成立するが、アブー・バクルに代わると、とたんにムハンマドに忠誠を誓った被征服者の部族が次々に謀反を起こした。バクルはただちに兵を起こして攻め、オマーン、シリア、メソポタミアなどを制圧して強大な支配地域を作り上げた。バクルが死ぬと、つぎつぎに後継者のカリフは軍事力を発揮して征服を進め、サーサーン朝ペルシアを破ってイラクを奪取し、650年代中ごろはイエーメン、アルメニア、エジプトからリビア、北アフリカ、スーダン、カフカーズをはじめ、東はアフガニスタンにいたるまでの広大な国家を作った。近東では耕作に適しない乾燥したステップや砂漠が限りなく広がっている。また半乾燥の山岳地帯もある。こういう地域に遊牧民や山岳民族がまばらに集落をつくって定住している。こうした部族はそれぞれの固有の神を祀っていた。多神教の神である。ムハンマドとその後継者の軍勢がこういう部族をつぎつぎに征服すると、彼らに強制的に改宗を迫り、彼らが祀っていた神像や祠のような場所は容赦なく破壊され、聖職者のような祭祀者や熱心な信者はことごとく殺された。こうして多神教は廃絶されていくわけである。したがって一神教はもともと一神であったわけでなく、多神教の神がことごとく滅ぼされて最終的に残ったのが有力統一部族の崇拝する一神にしぼられたと解釈すべきである。旧約聖書には様々な名前の多神が出てくるが、それらがエホバ(ヤハウエ)という多神の中の一神であったものに集約されていく物語である。ロシアの宗教学者ベルジャーエフによると、どうしても廃絶できなかった(あまりにもそれを信仰する被征服者の抵抗が強いとき)場合は、その神は副神あるいは従属神として一神の側近に従属する存在を与えられる。天使というものもそうである。フランスの宗教学者ミシエルの「魔女」によると、アミニズムの神は妖精にされてひそかに生き延びることになった。したがってヨーロッパの場合はローマという征服国家が出来上がり、ローマがほろびてからはフランク王国のシャルルマーニュとオットーが北欧の異民族を征服してキリスト教を広め、一神教を確立した。イスラム地域ではムハンマドとその後継者がイスラム教を確立した。このように一神教の成立と支配国家の成立は並行して進んだとみられる。
2007/06/17
コーランを読んでいると、至るところに、唯一神アラーを信ぜよ、多神教を信じてはいけない、キリスト教徒はインチキである、ユダヤ教徒と付き合ってはいけない、という戒めが出てきます。それはしつこいほど、くどいほど繰り返される。どうしてそんない激しいのかというのは、ムスリムが帝国になる過程を見ていけばわかります。ムハンマドがイスラム教を創設するまでのアラビア半島は、西はビザンツ帝国があり、北はペルシアのサーサーン朝がしのぎを削って相対立し、戦争を繰り返していました。そしてアラビア半島には約半数のキリスト教徒とユダヤ教徒がおり、ペルシアのゾロアスター教徒もいたが、ムハンマドの生まれたメディナの地はとりわけ多神教が強い地域だった。したがってムハンマドは伝道すること自体が異教や多神教との血みどろの戦いだったから、ムハンマドは予言者である前に最初から戦闘者であったわけである。ムハンマドは戦闘しながら、多神教を信じるな、キリスト教徒はインチキである、ユダヤ教徒は背信者であると叫び、ただただ唯一神であるアラーのみを信ぜよ、と繰り返し説いたわけです。アラビア地域は広い砂漠であり、人口が固まっているところはオアシスのあるところで、住民のかたまりは広く分散していた。当然、それぞれの部族集団は独自の神、シャーマニズムの神を信奉していた。つまり本来は多神教のわけです。サーサーン朝ペルシヤはゾロアスター教ですが、これは善悪二神の多神教です。ムハンマドは地元ではなかなか布教に成功せず、ヤスリブに移ります。ヤスリブではユダヤ教を奉じる部族と多神教を奉じる部族の争いが何年もつづいて住民は疲弊つくし、どちらでもないイスラム教に救いを求めたのです。それでムハンマドはそこにうつり、やがてそこをメディーナと改名し、イスラム教の根拠地となります。ムハンマドは以来、ここで勢力を蓄え、周辺をどんどん征服して行き、ついにメッカの経済を破壊して降服させます。ここで、言いたいのは、一神教が成立するためには多神教の撲滅が必要であったということです。
2007/06/11
4日、万君と恵比寿の地下鉄入口で待ち合わせをしたが、なんと見つかるまでに45分も時間を浪費してしまった。恵比寿駅西口といえばよかったものの、それがわからないままにメインの出口という言い方をしたのがわるかった。違う出口で待っていたらしい。これからは外国人にはよほどわかりやすいようにしないといけないと自戒。地下鉄で広尾に出て有栖川公園の中にある都立中央図書館に行く。そこで2時間ほどいて、東京ミッドタウンというところに行ってみた。私は古色蒼然とした歴史をよみした建築物にはおどろくが、新しい建築物はどんなに壮大でも驚かない。庭園に行ってみたが、まだ未完成で植木も育っていない。帰りに六本木ヒルズの展望台に登った。万君にひとまわりして東京の景観を説明する。しかし、ここまで来てほんとうにうよかったと思ったのは、宮城まり子の「ねむの木のこどもたちとまり子美術館」をそこでやっていて、見たことだった。展示に飾られた脳性マヒのこどもたちが描いたデザインや絵はまさに天才的だった。どうしてあんなにすばらしい色調がだせるのか、色彩感覚のすごい迫力に圧倒された。どんな大美術家の絵をみたよりも感動した。万君は天津南開大学日本研究院の派遣生で、天津市政史を完結するために、かってあった日本租界の資料を片端から集めにやってきた。20日からまた調査団が4人ほどやってきて資料集めをするという。中国という国はこういう記録づくりには実に熱心だ。歴史記録では隅から隅まで、著名人だけでなく一般の無名の人間の懐古談なども丹念に残す。これは国柄というべきか。
2007/06/07
イスラム教は異端ではなく、異教徒扱いコーランをまだ一部しか読んでいないから、結論的なことを言えないが、基調的なものはキリスト教の聖典とあまり違わないように思う。大部分はムハンマドが神がこう言われた、という文章になっているが、神がみずから、「わし」が、「わしら」がお前たちに言う、というかたちで直接話法で言うところがある。「わしら」という場合は側近の天使なども含めている。翻訳文であるが、キリスト教の聖典よりダイレクトで表現がきつい、という感じをもった。とくに背教者に対する制裁はきつく、直ちに殺せ、という言葉が出てくる。 一神教の神は、ユダヤ教ではヤハウエあるいはエホバと呼び、キリスト教でもエホバという場合もあるが、新約聖書では、「主」というふうに表現する。イスラム教ではアラーである。いずれも同一人物いや同一神物である。同じ神から出た言葉であるなら、この三教は内容的に同じでなければならないはずであるが、どうして異なるかというと、イスラム教では、ユダヤ教徒とキリスト教徒は神の声を不正につくりかえたとして非難し、イスラム教こそがそれを正して本来の神の声に直したのだという。したがってユダヤ教徒もキリスト教徒も背教者であり、付き合ってはならぬと諭している。とくにキリスト教が神とキリストと聖霊の三つを三位一体などといっているのはごまかしであり、三つの崇拝対象をあたかも一つの神扱いにして信仰しているのであるから多神教であるとこきおろす。それにマリアも加えて。では、キリスト教からみたイスラム教はどうなのであろうか。中世のカトリック法王庁からみれば、これは完全な異端であるが、イスラム教を異端として扱った歴史の事実はなく、あくまでも異教徒として扱い、キリスト教の内容を剽窃した詐欺的な一派として蔑んでいる。中世において、キリスト教徒の十字軍によるイスラム地域への侵攻は、大規模なもの四回、中小規模なものは何度も行われているが、これは異教徒からの聖地奪回の闘いとされている。この聖地の争奪は一神教地域の中核となる権威地の争奪として血みどろに行われたのであるが、キリスト教徒は遂に成功しなかった。しかし、イスラム側では、その後もキリスト教徒の巡礼を許しているのは、憎しみを緩和しようとしているのかも知れない。イスラム教はあまりにも地域が広く、勢力が強くなりすぎたので、キリスト教側でもついに手出しをしなくなったが、敵意は存続し、ユダヤ排斥についでイスラム排斥がそれについで行われた。イベリア半島では八世紀からキリスト教徒とイスラム教徒との争いが続いていたが、ついに一五世紀末までにイスラム教徒の追い出しに成功する。やがてキリスト教徒は多神教地域であるアジアに侵入してくるが、巨視的にみると、残された非一神教地域をキリスト教徒とイスラム教徒で争奪しあおうとしたと見ることができる。アジアの空白地域をキリスト教で埋めつくし、アジアにいるらしい偉大なキリスト教徒の王プレスター・ジョンと組んで、西と東から憎いイスラムを叩きつぶしてやるという話は中世の子供の童話にまで出てくる。
2007/06/01
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