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知研関西支部20周年記念集会に行ったとき、新幹線の中で久恒啓一さんと話しあった。彼は図解で一躍有名になった人だが、今は日本各地にある人物記念館をもう200か所近くを回っていて日本新発見を重ねている。今読んでいる本は渡辺京二氏の「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)で毎日すこしづつ読むのが楽しみだと言っていた。パラパラとページをめくってみると、主に外国人が書いた日本旅行記を丹念に集めて編集したものであった。なるほどなと思った。外国人が日本に来て、日本の美しい自然や細やかな人情、美しい細工などにおどろき、感嘆した印象を書きつづっているものが多い。日本人なら当たり前のことだから逆に気がつかない部分を外国人は非常な興味で述べているのである。私が子供のころ、日本は今と比べると経済的には貧しかったが、人情は実に美しかったと思う。ご婦人はほとんど和服姿で知り合いの人が合うと、何度も何度も歓談しながらお辞儀を繰り返している姿が浮かぶ。こういう逝きし世の面影は、時代が経つにつれ、リセット、削除されていくわけである。人が亡くなると、その人が持っていた記憶も思い出も消えてゆく。もう大正生まれの人はほとんど亡くなってしまった。では過ぎ去った時代の面影はどこにあるかというと、活字の中である。あるいは映画や博物館や古い建物とか古遺物である。そこから人々は想像力を広げて過去のイメージを思い浮かべるしかない。30年あまりが経つと、世の中が変わる。戦前、戦後というより昭和30年代がもう懐かしく感じられるのである。
2007/10/28
去年の10月に初めてイギリスに行って早や1年が経った。あれは、19世紀の宣教師ハドソン・テーラ-のことを調べに彼の故郷まで行ったのだが、ロンドンだけでなくリバプールやハルまで行ったのは良かった。行ってみた最初の印象はイギリスの地理的な面積の感覚は日本とほとんど変わらないということだった。何ということはない青森まで行く感じでスコットランドまで行けるということだ。しかし、疑問はあの小さな国の人間がどうしてあんなに世界的な感覚をもったかということである。やはり早くから海外に出て行ったから知らず知らずのうちに世界感覚が身に付いたとしか思われない。日本人が狭い日本の面積の中でしか考えない、そこから抜けないのに、アングロサクソンは世界は自分のものだというふうに思っている。アングロサクソンの民族性は冒険、探検、リスクをあえて背負うことをいとわない。戦争は好きだ。とくにスコットランドの民族性はこれが強い。女性が単独で宣教師としてどんどん世界の奥地まで行っている勇気には驚く。19世紀末にビルマから入ってチベットのナサまで歩行やロバで行ったのは女性だった。そのころ中国に渡った外国人はつぎつぎに伝染病、風土病で倒れている。この数は驚くべき数である。アングロサクソンの本質的な価値観は自由を重んじることである。ということは社会ルールや条約、法律で禁止されていること以外は何をやってもいいということである。国内の法律で禁じられていることでも海外ではそのような禁止条約がないときは何でもやる。その強欲は群を抜いている。だからアヘン貿易、奴隷貿易は20世紀の10年代までやっていた。武器貿易は今でもやっている。ダブルスタンダードであることを屁とも思わない。 冒険家、宣教師、マーチャントの3人種は国家はコントロール不可能である。自己責任でやるといえばそれでおしまいである。アメリカ人は選挙が大好きである。大統領の任期は4年ときまっているのに、なぜ中間選挙というのをやるのだろうか。こんな国はほかにない。ということは1年中選挙で騒ぎたいのではないか。トクビルが言ったように、アメリカ人の民主主義は価値観というより風習であるというのが正しいのではないか。
2007/10/26
副島隆彦氏の「ドル覇権の崩壊」この本は、織田信長が本能寺で焼き討ちになったのは、明智光秀によるものではなく、近くの南蛮寺から放ったスペイン人の焼夷弾によるものだというような意外なことが書いてあるから奇書ともとれるが、アメリカのドル覇権の崩壊をかなり説得的に書いているので、警世の書とも言える。著者はアメリカの下院議員ロン・ボールの「ドル覇権の終焉」という演説を紹介し、自分の説はこれに完全に一致しているとして一体的に解説している。ご存じのように第二次大戦後は先進国は没落し、アメリカに圧倒的な金が集まり、アメリカの金を裏付けにして各国の通貨が信用保持されるIMF=世界銀行体制ができあがり、ほとんどの国はそれを歓迎した。しかしそれから26年ほどたってアメリカはベトナム戦争で巨額の失費をした上、英仏から国内にたまった米ドル紙幣を金に変えてくれと要求されて引き渡した結果、金がたりなくなり、ついにニクソン政府は1971年にドルと金の兌換禁止を声明した。いわゆるニクション・ショックである。しかし、これではドルの安定化がゆらぎ始めるので、「ドル・石油兌換体制」というものを考えだした。つまりOPEC諸国が石油を売るときはかならずドルで値決めしなければならないという取り決めである。これでドルの信用はしばらくはもつが、だんだんEUのユーロが強くなり、2つ目の基軸通貨化してきた。イラクやイランがユーロ建てに切り替えようとした結果、イラクは戦争でおさえつけられ、イランは今猛烈な脅迫に合っている。しかし、石油価格が80ドルにもなると、「ドル・石油兌換体制」によって米ドルは下がらざるを得なくなる。これがドル崩壊を早める第一の要素である。第二の要素は、いつまでも垂れ流すアメリカの財政赤字と貿易赤字である。本当はアメリカ国民が耐乏してこれを直していかねばならないのに、それをせず、外国、おもにサウジと日本と中国にアメリカ国債を買わせ、つまり借金して赤字を埋めている。つまりアメリカの金利を無理して高くすれば外国から金が流入する仕組である。日本などには金利を安くしろと命令する。こういうインチキな体制はいつかはいつかは見破られ、ドル安をおそれて、中国人がまずドルの大量売りをするようになる。これでドルの暴落がおこる。3つ目の要素は、アメリカの住宅バブル崩壊が引金になる。アメリカでは自分の家などの資産は評価通り銀行は貸すらしいので、中産階級の人まで、目いっぱい借りて、住宅投資している。5年で2倍3倍になるというので、高金利にまで手を出して買う。その結果、インフレになり、ローンを払えなくなった人たちが出始め、やがて住宅バブルははじけ、銀行倒産が起こり、猛烈なデフレに移行する。この危機をくぐりぬけるための措置も用意してある。ドル貨幣を無制限に印刷して空中からヘリコプターで撒くかのように銀行に山積みするというのである。以上の3つの要素がからみあって、ドルは数年後に暴落し、ドル覇権は終焉する。したがって著者はドル預金はやめなさい。金か中国元を買いなさいと勧めている。今、アメリカ企業による日本企業の買収がしきりであるが、これはアメリカのドルをおおっぴらにアメリカから持ち出すための口実に使われているのだとしている。この話はドルにより世界経済支配派のロックフェーラー家とドル崩壊仕掛け派のヨーロッパのロスチャイルド家の抗争がバックにあるというから、壮大な話である。
2007/10/22
安倍内閣はなぜ潰れたか。イラク特措法延長が困難になり、小沢民主党代表への泣きこみも難しいとなって、自らの能力の限界を知り投げ出した。安倍内閣の1年は、戦後レジームからの脱却、占領軍がつくった憲法の改正などを主張し、インドの故パール判事の遺族を訪問するなど、一連の復古的な言動、おじいちゃんの岸元首相がやりたかったことを孫が再現しようとしたが、国民が危険を察知し、同時にアメリカも刺激して、安倍氏はやめざるを得なくなった。アメリカの保護領が元の日本に回帰するような兆し、つまり反米的なことをアメリカが許すはずがない。安倍氏のグループはやることが自己矛盾していることに気がつかないほど、お坊ちゃんだった。一方でアメリカを刺激しておきながら、一方でアメリカとの集団自衛権を促進することで、アメリカに日本を守らせる約束をさせようというのは、その動機はすぐ見透かされる。従軍慰安婦問題でも議会の決議を阻止するどころか、すげなくされて帰ってきた。要するにアメリカは中国との戦争にまきこまれてまで、日本を守る意志などないのである。日本がアメリカの保護領から脱する正当な道は、ねばりづよくアメリカと交渉して、アメリカ軍を日本領土から撤退させ、日本の防衛は基本的に日本独自で行うことしかない。横田も横須賀も沖縄の基地も返してもらう。自衛隊がそこで国軍として堂堂と存在するようにならなければならない。そうしてはじめて独立国にもどれる。ドイツはソ連と国境を接して本格的に国民は防衛を意識して、NATOの枠の中で再軍備を果たし独立を果たした。日本には「希望がない」「閉塞感に覆われている」「倫理は地に落ちた」「この国はダメになった」という嘆声しきりであるが、こんなことは、日本が独立を志向すれば自然に、いっぺんに、薄皮をむくように治ってくる問題である。識者はどうしてこんなことが見抜けないのか。国民が自分たちの国を自分たちで守る覚悟をすれば、軍事力をどの程度にすればいいかも考えるようになり、到底それだけでは解決しないから、外交をどう展開するか、それにはありとあらゆる選択肢が湧いてくるはずである。国の将来を任せる若者をもっと大事にするようになるし、彼らに夢を与える努力も真剣にするようになるだろう。政治家や官僚は、長い民族の将来を見こして、今国民が眠っている状態でも、必要な努力は負担はいやでもしなければいけませんよ、と泥をかぶって、選挙に負けてもいい覚悟で説得しつづけなければいけなかったのに、自民党政権はまったくしてこなかった。そういう発想をする人もいなかった。もうこの政権は終わりである。
2007/10/13
戦後60年の日米関係はいってみれば、宗主国対保護領という関係であろうと思う。70年代になって日米貿易摩擦というのが起こり、日本はジャパン・アズ・ナンバー・ワンといわれるまで経済大国になったが、政治摩擦というのは起こらなかった。独立国対独立国であれば、経済摩擦はやがて政治摩擦になり、決着がつかないなら軍事力を行使するぞという脅しになるが、日本はアメリカの軍事的な脅しというのは受けなかった。この理由は簡単である。なぜなら日本は戦争に負けて、沖縄はじめ日本国内の主要な基地をアメリカに占領されているから、軍事的脅しを受ける余地はもはやないわけである。これは宗主国対保護領の関係に他ならない。では日本はどういう脅しを受けてきたかというと、いわば逆脅し、中ソ、北朝鮮が攻めてくるから在日米軍が日本を守るという幻想で、これが米軍が日本の基地をもちつづける正当性の論理としてずっと通ってきた。もし、これを日本人が本当に信じているならば、日本人はアメリカに感謝しなければならないが、基地のあるところでは必ず返還運動や反対運動が起こっているのは日本人が心底それを信じていないことを表している。一方、政治家、官僚の間では、いざとなったら、アメリカは本当に日本を守ってくれるのだろうかという根本的な疑問があり、安倍内閣になってから、アメリカに日本防衛の約束をさせるために、日米軍事同盟の強化を謳い、現行憲法でも集団自衛権を行使できるという解釈が可能かどうかの検討を始めた。北朝鮮からアメリカ本土に撃ってくるミサイルを日本海上のイージス艦で撃ち落とせないかという研究を始めた。こういう安倍内閣の姿勢はアメリカから見れば歓迎すべきであるが、どういうわけかアメリカは冷たかった。安倍前首相が従軍慰安婦のアメリカ議会の反対決議を阻止するために訪米したとき、逆に彼は謝罪させられた。ワシントン・ポストに一部日本人識者が載せた従軍慰安婦などなかったという広告も親日家の間でもさんざんな不評をこうむった。このような空気から察するなら、アメリカは日本の基地は必要とするが、日本がアジアで犯しかねないトラブルには巻き込まれたくないという意思がほのみえる。(つづく)
2007/10/11
岸内閣は60年安保反対の波に押されて、樺美智子さんという犠牲者まで出たのでとうとう退陣する。この後を池田内閣が襲う。池田内閣は、政治はひっこめて所得倍増論を打ち出し、経済路線に舵をきった。昭和34年に日本経済は戦前のピークだった昭和15年のGNPを抜いて経済は復興し、折からの岩戸景気とよばれる好景気・高度成長でこの所得倍増は達成の可能性が増してきた。このころ、池田内閣は日本の防衛をどうするかの問題で、再軍備は金がかかりすぎる上に国民の反戦意識が強くて言い出せず、名案を考えた。それはアメリカに基地を貸し続け、経費のかなりの部分を日本側が負担することによって、アメリカ軍に日本を防衛してもらうという案である。これなら金がかからずに済む。しかし、このときに日本は運命的ともいえる重大な錯誤を犯したのである。従来の歴史でいえば、戦争の勝敗がついた場合、敗戦国は賠償金を払い、領土を取られ、さんざんな目にあいながら長い間隠忍自重して、次第に占領軍に撤退してもらい、主権を回復する。占領国も駐留経費がかかりすぎるために、やがて撤退する。しかし、日本の場合は、日本がわが経費を出すがゆえに、米軍側はいつまでも駐留を続けることになった。これで日本は戦争に負けた上に、二重に負けたことになった。「なんだ、日本人の矜持はこの程度か」とアメリカは日本をなめきるようになったのである。このころ、冷戦がつづいている。冷戦とは何かというと、後世の歴史家は、大国同士は戦争は絶対にするつもりはないが、相手国家群を経済封鎖によって戦争能力の無力化の促進と定義するだろうと思う。このような国際環境の中で、日本はアメリカの同盟国とされ、アメリカの核の傘の下にいてその抑止力に依存している。国民は国の防衛のことなどは忘れ、経済成長に酔っている。しかし、政治家や官僚の深刻な悩みは、では一旦緩急あるとき、アメリカは本当に日本を守ってくれるのか、という疑問である。彼らは今日までこの疑問を抱えながら、なすすべを知らず、努力をせず、口を閉ざしてきたのである。(つづく)
2007/10/07
60年安保から70年安保の10年間に何が起こったかというと、中ソ論争、キューバ危機、ベトナム戦争、文化大革命、全共闘闘争、というのが起こり、日本の左翼に大打撃を与えたのは何といっても社会主義陣営の分裂であった。もうすこしさかのぼると、戦争直後に国会に34人もいた共産党議員が壊滅してしまったことである。なぜ壊滅したかというと、戦後の左翼運動の高まりから日本は平和革命でいけると共産党が言っていたのが、コミンテルンの指示によって徳田球一以下の共産党幹部が地下に潜入して軍事闘争に転じ、あちこちで火炎瓶事件が起こり、軍事闘争を批判する共産党の国際派は文化大革命を論難し、共産党は分裂し、メーデー事件が起こり、昭和28年の選挙で共産党は国民の非難を浴び手総崩れになったからである。徳田球一は北京で客死していたことがわかった。世界的にもイデオロギーの終焉が起こった。こうして全共闘運動は共産党と決別しテスタートしたが、最後は挫折して極端な過激主義に走り、浅間山荘事件、ハイジャック事件、永田洋子事件などを起こして政治の季節が終わってしまった。こうして70年安保のデモはさびしい葬式デモみたいに縮小して終わってしまった。若者の純粋性は貧しい人たちを見たり、不公正な社会をみてそれをただそうとする正義感を抱く。しかし、その正義感の向かうところがなくなっていった。その後、若者たちはどうしたかというと、かつてのリーダーたちはビジネスマンになって経済に熱中し、一般の若者は、私の分析では音楽に走った。ロック、フォーク、ボーカルなどのミュージックが歌謡曲に変わったが、その歌詞をみると、古くから日本にある世話物、愛情物を歌っていた。そしてさらに音だけになり、言葉を失っていった。そのころから高度成長し、消費文化が起こり、やがてバブルになる時代の中で、日本は変わっていくが、この変化のはじまりは60年安保から70年安保までの10年に胚胎する。(つづく)
2007/10/05
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